はてなキーワード: 暗黙知とは
そういや手順書の不明箇所確認したら、
「担当者は異動したし
っていわれたな。
一子相伝ってww。
北斗神拳じゃあるまいし。
そもそも微妙な手先の感覚が必要な職人の世界じゃあるまいし、身体知とかないだろ。
IT業界なんだからさ。
繰り返し作業は文章化しとけ。ツールかしとけよ。無駄に専任化する意味ないだろう。
で、今は引き継いだ俺しか作業の仕方しらないから体調悪くても会社出て来いってことだろ?
プロジェクトが立ち上がってから何回も繰り返してる作業が経験・暗黙知・身体知のみで専任化されていて、
体調崩しても休めないんだな。ゲンナリする。
そうでなくても無理な残業で、リスケジュール、作業担当の入れ替えが発生していて、
作業の手順が明文化されてないから、引継ぎに非常にコストがかかっているように見えるんだが?
作業したらアウトプットする。
その作業が繰り返し行われる作業ならアウトプットをメンテナンスし続けるっていうのは
明文化されてないから担当変るたびに手探り状態。また1から。積み上げがない。
今のままの自転車操業つづけるつもり?
まず、愚痴のような物から。
今まで増田にいくつか記事を書いてきたが、書いても(さも引用先の作者が考えたように―それもそれなりに名の通った人だったりする場合もある―)無断引用でパクられるか、ボコボコにされるか、無視されるかで、あまり良いこと無かったな、と思いつつ、なぜまた今、増田で記事を書くのか?ということを考えると、やはり自分の考えを世に問いたい部分があるんだろうな、と自分に対して思う。
もちろん、自分の記事でも、それなりに説得力のある意見もあったのだろうし、全然見当違いの意見もあったのだろうが、もうちょっと手の内を見せない方が良いのかも知れないな、などと思う。実際、ウェブで見れる情報は、プロで書いている人も、ほとんどの人が「今までの意見を整理する」だけで、金を払っても良いような「面白い見識」の割合は少ない(そりゃ、誰でも自分の商売の核心的なアイディアは話さないだろうけど)。
いやいや、金を払っても良いような意見が無料で手に入れられること自体がおかしいじゃないか、とは多分その通りで、現状でも厳しいライター諸氏はさらに食いっぱぐれてしまうと思う。もっとも、私の書いた記事がそのまま金になるのか?という点に関しては、自分でも疑問だと非常に思うが、現実的にさも自分が考えたように部分的にパクられて商業活動に利用されるとこちらとしては脱力の限りだ(彼らは、どこかで見た記事を無意識のうちに利用しているという認識かも知れないけど)。
個人的には、勝手に使うのはかまわないけど、せめて、「ちまたは~という意見もある」なり書くのがせめてもの物書きのプライドだと思うのだが。
……と、いったゴタクはどうでもいい話である。
「最近のゲームの元気のなさの理由」を考えたい。一部しか書かないけど。
まず、ラノベの話からする。
単純に「ライトノベルとは何か?」と問われた場合、一番簡単な答えの一つに「ライトノベルとはキャラクター小説である」というのがある。
だが、「ほう、なるほど。ではキャラクター小説とは何か?」と説明を求めると、あまり歯切れの良い答えは返ってこない気がする。最近、これに対する単純な回答を一つ思いついた。「”まず、テーマありき”が文学、”まず、キャラクターありき”がキャラクター小説(ラノベ)」。
バカ売れしている村上春樹の「1Q84」でも良いのだが、あれがラノベではなく文学と言って通るのは、作品が「まず、テーマありき」で作られていて(例えば、9・11テロ以降の混沌とした世界がうんたらかんたらとか)、そこが作品のコアだからだと思う。
「ラノベにもテーマはあるよ」といえば確かにそうなんだが、テーマの重み(重大性や芸術性、事件性)が違うんだろうなと思う。
具体的には、テーマはむしろ昔からある使い古された物の方が良いし、その予定調和を打ち破るキャラクターの立ち具合が何よりも優先される気がする。
……ええと、何の話をしていたっけかな。
では、結論から書くと、「最近のゲームはゲーム性が低いのではないか」というのが理由の一つだと思う。
と言ってしまうと、「うわっ、今さら”ゲーム性”かよ」「じゃあ、ゲーム性って何?」といったお得意の議論の無限ループに入るわけだが(というか、シラけて誰も反応しないほど手垢にまみれた議論であるが)、ラノベの話はその辺の議論を一時停止するために持ち出した。
「文学性とは何か?」と考えた場合、「”まず、テーマありき”が文学」と書いたように、「文学的にしか出来ない表現でテーマ(強力なメッセージ)を表現するのが(純)文学である」という一つの回答があるなら、「ゲーム性とは何か?」と考えた場合、「ゲーム的にしか出来ない表現でテーマ(強力なメッセージ)を表現するのが(純)ゲームである」という回答もまた成り立つのではないか。
「何も言っていないのと同じだ!」という人もいるかも知れないが、要するに言いたいことはこういう事である。
例えば、「(評価の高い)スーパーマリオ1のテーマが、「ジャンプアクションによるアスレチック性」を追求したとするならば、(これまた評価の高い)スーパーマリオ3は、要素を盛り込みすぎて、テーマがぼやけていないか?」といった議論が出来る。
そういう議論の延長で最近のゲームを見ていくと、例えば、「ストーリー……主人公の台詞かなんかでそのゲームのテーマを直接文字や声で説明するゲームは果たしてゲーム性が高いのか?」や「盛り込みすぎてテーマがぼやけているゲームが多すぎないか?」、「ここ最近、新しいテーマに挑んだゲームがどれだけあるんだろうか?」という疑問にも繋がる(ちなみに、最後の疑問に対して「ソーシャルゲーム」という回答にむらがざるをえないほど、業界が切羽詰まっているのも実情であろうと思う)。
ゲーム性が高くないゲームは、ゲームというメディアとしての特徴が弱いわけだから、ゲームとしての長所が活かせない。
利益率が低いし、第一売れない。爆死、爆死の連続である。もちろん、「だから最近のゲームクリエーターはなっていない!」といったような話ではなくて、「ゲームビジネスの難易度は確実に上昇している」。ただ、構造的な問題は大きいが、それ以前の問題の作品もまた多い気がする。
確実に言えるのは、「暗黙知」の部分が大きすぎるという点だろう。体系としてノウハウが蓄積されていないのである。そして最初の話にも繋がるが、要するに日本では手の内を見せない人が多いのである(かといって海外が天国というわけでもないと思うが)。「堀井雄二」を知っている若者がいないと嘆くなら、彼の偉大さをちゃんと伝えてきたのか、まず自分に疑問を持つべきであろう。
まぁ、そういうことを書きながら私も全部は書かないのである。そんな所だ。
追記:おお、思ったよりボコボコにされてるなあ。だからみんな萎縮するんだろうなあ、と思いつつ。となると、やはり無名の開発者が自分の見識を発言しても益はないし、実名出してもあれだけ叩かれるんだから(有名ブロガーとかね)、チキンにどこの誰だか分からない増田に書いても人権はないよなあと思った。というか、特に日本を含めた東アジアでは、誰が話すのかが重要であって、内容はあまり問われないのかも知れない。そもそも日本でどれだけフラットな議論が成り立つのか、という話にもなるけど。
最初に断っておくがこれは非モテの人用に書いたものではない。
ただ自分の中での暗黙知を形式知にしたかったのと、他の人に対して何かしら参考になったり、他の人が同様のことを書いてくれればもっと個々人の例に落とし込めるのではと思ったからだ。
俺が何を意識しているかというと、次の3つだ。
自分を客観的に見ることを心がける、と相手を否定しない、そして常に相手の気持ちを考えようとすることだ。
すごく人と付き合う上での本質的なことだと思うけど、はてなでは小手先のこと書いてるやつばっかだし逆に新鮮かもしれない。
・自分を客観的に見ることを心がける。
→これはまず自分のスペックを客観的に見ることと相手と対面している時の自分を客観的に見ることを心がけることに別れる。
自分のスペックを考えてみろ。お前は狙っている子を落とせるほどの経験を積んできているのか?世の中には二つのカテゴリの女の子しかいない。
自分が手を出せるレベルのカテゴリの子と出せないレベルのカテゴリの子だ。
相手と対面している時の自分を客観的に見ろ。キャラに似あわないことやってないか?お前にはお前のキャラが客観的に見たら印象づけられてるんだからそれを無理に無視するな。
・相手を否定しない。
→人と付き合うってのは「自分と違う他人を受け入れる」ことの積み重ねだ。相手は自分とは性別も環境もすべて違う赤の他人。それなのに数少ない自分の経験を持ち出してしたり顔で否定してどうする?
本当に相手に興味があって、自分に対して謙虚なら、相手のする話に当然興味がわくし、遮って自分の話したりしないでもっと引き出すだろ?
相手の話遮ってでも自分の話しちゃったり、とりあえず否定するやつは相手から見たらただの我が身かわいい世間知らず。
こんな言葉の上でのコミュニケーションだけでも苦労してるなら、ちゃんと付き合うなんてもっと「自分と違う他人を受け入れる」の繰り返しなんだから先が思いやられるぞ。
・常に相手の気持ちを考えようとする
→こんなのエスパーでもないんだから普通に無理。でもこれを意識すると相手から自分がどう見えるかわかりだすし、その場において自分がどう振舞うべきかが見えてくる。これをレベルアップするには良質な映画や、小説の登場人物に自分の感情を置き換えて消化してみるとかかな。
相手の気持ちを考えようとすると相手の小さな変化にも気づくことができたり、自己中な自分から抜け出すきっかけにもなっていく。
最後に
恋愛って基本的に個人のスペック(顔や学歴や年収)と実際の経験の積み重ねで総合的なレベルが判断されるモノだと思う。
あと、自分の到達しているレベル付近の子や、それ以下の子しか基本的には無理。
たまに何かの拍子で自分のレベル以上の人と付き合えたらその出会いを大事にして、いろんなことを吸収するのがいいんじゃないかな。
昔バイトで工場で働いていた時、ちょうど一部機械化された時で、現場の人が使いにくい使いにくいって文句を言ってた。現場の人ってのは、システムが変われば必ず文句を言うものではあるけども、それには理由がある。
まず一つ目は人間はシステムに順応しやすい。だから多少機械化された部分が不便でしょうがなくても、少しすれば人間が対応して問題なく動けるようになる。それは人間のよいところなんだけれども、逆に順応しやすいがために新しいものに変わった時に今まで順応して最適化していた作業を新しいシステムに順応しなおさなければならなくなる。これが案外めんどくさい。しかも大幅に変わっていればまだいいんだけど、ちょっとだけ変わりました、とかだとその微調整がいくら人間でも難しい。むしろ微調整は機械の方が得意だ。パラメータをぴぴっと変えるだけだから。人間には慣れるまでの時間がそれなりにかかる。これは結構コストなのだ。
二つ目は、現場の人の暗黙知というやつ。この作業をやっているときはこの作業をつづけてやるからある程度人の間に空間が必要だとか、工場内のこういう人の流れの時が最も効率がいいとか、はっきりとした言葉や文章にはなっていないけど現場の人たちには暗黙のルールがあって、それを持って最適化されている。でもシステム屋さんがいくら彼らの話を聞いてもその暗黙知というのは言語化されていないからシステムには組み込まれない。彼らがこうしてほしいといったことをシステムに組み込んでもだめなんだよね。これがあったらいいというのはあくまでもあったらいいであって今のところなくても問題が起きてない部分なのだ。最も重要なのは「特に不満が出ていないけれどもなくなると困る部分はどこか」ってのを理解すること。これは現場の人は言ってくれないけど(というか認識しているわけではない)、これがなくなるとものすごい勢いで不満が噴出する。今までできていたことができないってのはすごいストレスなんだよね。で、暗黙のルールが破壊されると一気に生産性が落ちる。現場の人が順応するまではかなりの時間がかかるし、もし順応しても以前の生産性には戻らないってこともある。
逆にいえば現場主義の人とか暗黙知とかってそれを言語化し、データ化するだけでもすごい価値のあることなんだろうなと思ったりする。現場はおろそかにしてはいけない。というか人間をおろそかにしてはいけない。その処理能力も適応能力もいまのところシステムには実現できないんだから。
http://anond.hatelabo.jp/20081229060442
はてなの既成ブランディングにこだわらない路線を確立するという点では同意なんだけどね、
そのまえにはてなは相も変らず自分たちがどこにいるかもわかってないと思うんだ。
今年の一番の評価ポイントは、まずあれだね、
はてなクラブをつくったこと。
ようやくっていう感じだけどとても期待値が高い。
サービスにようやく一般人の意見が反映されるんじゃないかとわくわくします。
いままではユーザーに「これくらいわかるでしょ」っていう要求する暗黙知のレベルが非常に高かった。これを機に改善していってくれればと思います。
今年はマイナスの評価が多い。
・京都に拠点をうつしたこと
俺についてこれないやつはこなくていいみたいな態度。
ここまで急いで拠点を京都に移す意義が会社にとって本当にあっただろうか?
これがきっかけで離反した社員も多くいたようでとても残念です。
・日本にもどってきちゃったこと
残念ながら種を撒けたとは評価できない。
米国にいったことが社長や経営者としての個人の成長に寄与したとしても、
いったことによる成果が今後数年後に国際的に結実できるだけの種をまけてこれただろうか?
疑問。
どうせ負け戦だったなら社員にもその経験をさせればよかったのにね。
・社員数が増えちゃったこと
50人ぐらいになってるの?
これからみぞうゆうの不景気がくるときにひと増やしてちゃんと収益計画たてられてるんでしょうね??
・新規ユーザーをあまり獲得できていないこと
残念ながら。
一見非モテを励ましているようで、実際には上から目線で見下しているだけの
メリットデメリットでは考えられない。
非モテにとっての不幸は、相手がいないことではなく、「非モテ」という被差別マイノリティとして社会から迫害を受けてきたことだ。
今更彼女ができて「相手と一緒にいる」時間を持つことができたとしても、それは断じて幸せとは言わない。
こうした非モテ以外の人間には理解しがたいであろう心理は、ここによくまとめられている。
http://d.hatena.ne.jp/Masao_hate/20081211/1228968748
そもそも、「恋愛=幸せ」とか「恋愛経験の多い奴が偉い」って誰が決めたんだ。
あのな、例のいい人君じゃないが、何をやってもいい人止まりで、スペック不足などを理由に
振るほうは「相性が合わない」とか適当な理由を付けるだろうが、額面どおりに解釈してはいけない。
それをわかった上で、相性の合う人を見つけるのが一番幸せに近づく気がする。
(付き合いまくれという訳ではない。苦手だからと逃げ続けてると後悔する可能性があるだけ。自転車の上達だって若い方が早い。)
残念ながら意志の疎通における齟齬に言語学能力はほとんど関係ないとおもう。
環境が近しい人であれば赤ちゃんのような言語にならざる言語でも意思疎通は可能だ。
ここにあるのは暗黙知であり、場の共有知だ。
つまり通じる通じないはそのほとんどが会話における前提知識の違いであり、
よしんばいわんとすることがわかってもそこからいたる結論の違いである。
あ、言葉が通じないんじゃないんだ。って。
意思疎通ができないのは頭の良し悪しでではなく、その人のスコープの幅の問題だ。
理解不能と投げ出してしまう人はたいていは非常に狭いスコープでのみ生きている。
「私塾のすすめ」をよんでいる。ほとんど読み終わった。
僕は、今、変な状況にあって。いろんなことに階層感覚、悪い意味じゃなくて、例えば社会に奥行きがある、彼の人間性には奥行きがある、とか云う場合の階層、立体感って云うのかな。それが徹底的に欠落している。簡単に云えば病気だと思ってもらえればいい。まぁでもこれは今回云いたいことの本質じゃない。
僕にはどうも関係性の立体感覚がつかめない。具体的に云えば、例えばビジネスで人を評価する時と、友人関係の時と、家族であった時と、どう区別していいのかわからない。p169。
思考実験なのかもしれないけれど。もし梅田望夫にその夫婦や彼自身の暗黙知を瞬時に理解できるような別の女性が現れたら、どうなるのだろう。その一線を越えないというのがルールだ、と云うのは簡単だけれど、では逆に考えると、その越えない一線を区切るものはなんなのか。ビジネスであれだけオープンに交われ、100 人で 1人反応があれば万歳だと言ってる人が、じゃぁなぜプライヴェートのパートナーの探求には入れあげないのか。疲れるから?教えて増田。
本当だ。消えないうちにグーグルキャッシュからサルベージしておこう。
パスカル『パンセ』
ライプニッツ『単子論』
ジェイムズ『宗教経験の諸相』
レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』
ブーバー『我と汝・対話』
ライル『心の概念』
デュルケム『自殺論』
キャンベル『千の顔をもつ英雄』
ポランニー『大転換』
オルテガ『大衆の反逆』
オング『声の文化と文字の文化』
ポパー『推測と反駁』
フロム『自由からの逃走』
デリダ『グラマトロジーについて』
ペンフィールド『脳と心の正体』
ソンタグ『反解釈』
フランシス・フクヤマ『歴史の終わり』
ラマチャンドラン『脳のなかの幽霊』
イーグルトン『文学とは何か』
ガダマー『真理と方法』
ダマシオ『生存する脳』
クワイン『ことばと対象』
マッキンタイア『美徳なき時代』
ツリー内主要エントリ
本。
どのようなジャンルのどのような専門知識をここでいうのか、一方、元増田は暗黙知をもちだして何を言いたいのか分からないが(「おめー暗黙知ってコトバが使いたかっただけだろう!」)、
ともかく、ネットに公開されている情報にはかたよりがあって、概略的なものしか公開されていない感がある。学問的な側面では、たしかに近年PDF化された論文がネット上に公開されたり、Googleブック検索やAmazonなか見検索などの紙データの中味を覗けるサービスが登場してきてはいるが、長年紙媒体によって蓄積されてきたデータの量に比べればデジタル化されたデータはこれらのごくごく一部であろう。
自分はにちゃんねるに書いたことはない。人並みに見る程度。
でも、うはwwwwとか芝生を生やしたりするよ。全然するよ。
たぶんネットゲームとかメッセンジャーとかIRCとかのせいだとおもうんだ。
すぐ流れるような場所においてはkwskみたいな記号としての言語が暗黙知としてあって、これが無いとうまく会話ができない。見てるとネトゲとかからながれてきた言語もvipとかは氾濫してるよね。
タッキーの話しをするのにスマップの説明までしなきゃいけないような知識差があったら、一行レスで会話なんてとてもできないもの。
増田はにちゃんねるよりも長文なのが優位差だとおもう。
ダブスタの問題がなんで問題になってるのかわからない増田ザリガニが、
そろそろ左のハサミでちょこっとだけ挟んでみる。
「東京は東にある。」
そのような認識を持つ人が居て、常日頃からそのように吹聴している。
そこへ
「いや、東京は西にあるんじゃないのか?」
と、言う人物が現れ、元の人間は少し頭をひねったあと、
「そうだね西にあることもあるよね。」
と言ったとする。
そうすると、東にあると言ったのを信じていた人達が
「それはダブルスタンダードだ!!」
と喚く。
いや確かにそうなんだけど、何が問題あるん?
前提となる暗黙知に齟齬が発生しただけじゃないの?
立つ位置が違うだけでスタンダードは如何様にも言い換えられる。
http://anond.hatelabo.jp/20070309010816
みんなで焼肉に行くと、割り勘を済ませた数日後に文句を言うやつら。
飲み会で料理を食ってると、後から一人で食うなとか言い出すやつら。
後から文句ばっかりぶつぶつ言う、でも面と向かっては言わないうざいやつら。
こういうやつらって、いるでしょ?
全てを集団の暗黙知で済まそうとする、うざいやつら。
ギブ&テイクのところを、テイク&テイクなカスども。
過程の義務を負わずに、自分の欲しい結果だけを主張してくる馬鹿ども。
とにかく陰湿。
とにかく予定調和。
とにかく他人のために何かすることは一切なく、影で文句だけ言う。
でもって集団の外では何も言えない、キモい、臭い、つまらないと。
関わることすら嫌な存在だけど、
つるんでいないと生きていき辛い社会だから一応仲間に入っているけれど、
誰もが「影で何言われてるんだろ」って他人の顔色見てばかりいる。
こういう集団に対する防御法ってなんかない?