はてなキーワード: 普通列車とは
延々と続く2本のレールには力強い鼓動がある。このレールは、知らない町と町をしっかり結びつけ、多くの人々を運んでいる。
しかし、その役割は、「人を運ぶ」ことだけではないのだ。単に「国鉄は人間と荷物を運ぶだけ」なんて考える人には、決して力強い国鉄の鼓動は伝わってこないだろう。
鉄道を愛し、多くの鉄道知識を持っている人でも、本当にこの鼓動をはだで感じたことは少ないはずだ。
確かに鉄道は知識として知れば知るほど楽しいことが出てくるだろう。
でも、「20,000㎞にチャレンジする」……それは、すばらしさの再発見につながっているのだ。知識から体験へ。今、その鼓動を求めて、未来に続く2本のレールにチャレンジしてみよう。
終わることのないロマン、それが列車の旅だ。部屋にじっとこもっていては、自分の心にカビが生えるだけ。部屋の窓から見えるいつもの風景は、ただ立ち止まり、決してなにも話しかけてはこない。とにかく出会いを求めて旅に出る。
ひょっとすると列車の座席に隣り合わせたことから何かが生まれるかもしれない。ある日見たり、聞いたりするもののすべてが出会いなのだ。
たとえば、車窓にそよぐ風の音、新鮮な潮の香り。これほどすばらしいものはないのではないか。
こんな新しい自然な出会いが旅と鉄道の心につながっていく。そんな時、心は少しもひからびていず、いつもいきいきしているのだ。
チャレンジとは、自分で考え、自分で動く、自分自身のための行動といえる。この精神こそ、スポーツと呼ぶにふさわしいものだ。
列車の旅には、楽しさとロマンがある。その上踏破をめざすチャレンジャーにはスポーツという楽しさがプラスされるのだ。
時にはマラソンのように、そして100m競争のように踏破の旅はチャレンジの楽しさを教えてくれる。
踏破ルートは3,000m障害や10種競技と同様に、バラエティに富んでいる。ルートの選択も実行するのもチャレンジャー自身だ。
チャレンジャーは、それぞれの方法で完全踏破への道を切り開いていくことに心を燃やしているのだ。
そこには、自分自身の問題として果たさなければならいことがある。
責任ある行動、多くの義務、これらをすべて実行したチャレンジャーのみが誇り高き名誉を獲得できるのだ。
いわば、人生のドラマがそこにある。よりすばらしいものを手にしたチャレンジャーには限りない自由と可能性があたえられているのだ。
チャレンジしていくと、各自それぞれのスタイルが生まれてくる。
列車待ちのホームで洒落た服装に身を包み、小首をかしげて詩集をひろげているちょっと気どった人。
おもしろいことを探しに出かける娯楽追求派の人などいろいろだ。
どんなスタイルの人でもチャレンジすることの中に、何かを見出しているのだ。
体験という言葉のまえには、どんな耳学問も色あせてしまうように、チャレンジする中で、自分のスタイルを作り出してみよう。
"停車場に、そを聴きに行く"と啄木がうたったように駅にはさまざまの土地から人々が集まり、またさまざまな土地へと旅立っていく。
始発駅…駅員さんに何か尋ねている人がいる。売店でお土産を買っている人。家族連れ。新婚さん。そして、カメラ片手に20,000㎞にチャレンジする人。通りがかりの人に頼んで、自分と駅名表示板が一緒に写るようにシャッターを切ってもらう。これで始発駅の証明写真ができたわけだ。
ふと、駅の大きな時計を見あげる。発車案内表示板がカチャリと変って、次の列車案内を示す。やがて、駅のアナウンスが構内に響きわたる。こうしてチャレンジの旅が始まる。
日本中には、いったい何本の列車が走っているのだろうか。もし、そのすべてに乗ることができたなら、これはすばらしいことだ。時刻表をうめつくす駅名のひとつひとつが語りかけてくるにちがいない。
手に握られた1枚のキップには、いま通りすぎてきた駅の余韻が残っている。改札口でキップにパンチが入れられた時から、自分だけの旅の世界が大きく広がっていくのだ。この瞬間の心のときめきこそチャレンジャーに贈られるファンファーレなのだ。
EL、DL、EC、DC、そしてSL。特急の場合もあるし、急行、普通列車の場合もあるだろう。旅は始まり、心がはずんでいく。流れ変わっていく車窓風景。春なら満開の山桜のトンネルをくぐり、夏はふりしきる蝉時雨の中を、秋は祭りのお囃子の響き、冬は凍てつく空気の中をひたすらに列車は走る。車窓に黄昏が迫り、黄昏は夜をひきつれてくる。寝台車でからだをやすめて聞くレールの音はなつかしい旅の子守唄だ。
日本列島を東西に長く走ったり、日本海と太平洋を結んだり、1線区1線区がつながり日本中を網羅していく。
いかにも郷土色(おくにがら)をあらわしていたいう楽しい線区名もあれば、少々読むのに骨が折れる難読名の線区もある。
こういう線区名がどうしてついたのかを考えてみるのも頭の体操になるだろう。走る場所や列車の種類で線区ごとの印象も、まったくちがってくる。
それらをひとつひとつ味わいながら踏破するのも楽しみのひとつだ。
駅にはいろいろな趣がある。その中でも、終着駅は、心ときめくムードを持っている。大都会の終着駅、ひなびた寒村をひかえた終着駅、高原の終着駅など、それぞれの良さがある。
しかし、どの終着駅も、どこかしら似た雰囲気をもっている。そこから先は、列車が行かないという、キッパリとしたいさぎよさと寂しさが待っているのだ。終着駅の長いホームを口笛をふきながら大股にしかもゆっくりと歩いてみる。改札口で駅名表示板にもたれながら、通りがかった人に写真を撮ってもらい駅を出る。1線区が無事踏破し終ったのだ。
色鉛筆で踏破した線区を塗りつぶす。チャレンジャーの心ときめく一瞬なのだ。
どの線区でもいいから、始発駅~終着駅まで、列車に乗ろう。けれども、踏破認定を受けるには、乗車(踏破)したという証明が必要になる。それが始発駅と終着駅の写真だ。写真と会員申込書などを"いい旅チャレンジ20,000㎞。推進協議会"事務局宛に送る。そうすれば、事務局からチャレンジカードが送られてくる。これでチャレンジの
・椅子の座り心地はかなり違う。腰が痛くなりにくい
・のぞみの場合、アテンダントのお姉さんから何やら布地の厚い紙おしぼりを渡される
・アテンダントのお姉さんは弁当の空き箱とかペットボトルとかのごみを定期的に回収しにきてくれる。
・ひざかけが借りられる
・普通車両より揺れにくい気がする。この辺は車両オタの情報求む
・乗り心地が良いのでよく眠れる。せっかく奮発したのにずっと寝てて、東京から乗って気づいたら京都過ぎてたりする。魔の静岡区間なんのその。
・座席は自由。駅のホームで事前にグリーン券を買って乗ると安いよ
・JR東日本の普通車グリーン券は最大980円なのでなるべく長く乗れる電車に乗ると楽しい。乗車賃はかかるが。
・旅情気分を味わえる。あと在来線の駅を通るので、ホームにたたずむサラリーメン&ウイメンを見てはなんとなく優越感が感じられる
これだけ色々技術が進歩したのに、恐らく19世紀末くらいから利便性が全く向上していない物がある。
時刻表のことだ。
とにかく、乗り換えが絡んだ時に読みにくいことこの上ない。
必ず到着時刻の後に乗り継ぎの出発時刻があれば分かりやすいのに、前後にあると見落としのリスクが一気に上がるので困る。
乗りたい列車の出発時刻をクリックして乗換駅の到着時間を覚えてそれを元にその駅の時刻表を別に見て…って、本になっている時刻表と大して変わらない。
ちなみに列車の乗り換えごときで、スマホアプリを入れてまでは使いたくない人。
プリインストールされているgoogleのやつは地図という余計なものは出すくせに、普通列車だけで行くという細かいカスタマイズができないのでダメ。
というのを検証してみようかと思ったのだけれど、それに際して面倒くさい前提をいくつか踏まえないといけない。
鉄道ファンの面倒くさいところとして、「鉄道の旅である以上持っている切符で乗れるところは鉄道に乗らなければ」というのがある。
その伝で言うと、函館青森間は青春18きっぷだけでは乗れないのだけど、2300円のオプション券を追加購入して、道南いさりび鉄道五稜郭〜木古内間と、北海道新幹線木古内〜奥津軽いまべつ間を乗ることができる。奥津軽いまべつ駅に隣接するJR津軽線の津軽二股駅から再び青春18きっぷの旅を再開することになる。
ただ、問題は道南いさりび鉄道もJR津軽線も著しく運転本数が少ない上に、どちらも北海道新幹線との乗り継ぎなんか全く考慮していないダイヤとなっていることで、結果函館青森間の移動に6時間7時間は平気でかかってしまう。実にアホくさい。これに対して、津軽海峡を結ぶフェリーは所要時間4時間弱、津軽海峡フェリーが1日8便で2220円から、青函フェリーも1日8便で1600円から。これなら鉄道ファンでもフェリーを選んじゃうよね。
JR北海道の経営難はつとに知られたところだけど、9年前とくらべても青春18きっぷで乗れる普通列車が経営難のあおりを受けてかなり減った。減っただけならいいんだが、JR北海道のダイヤ編成は、伝統的に普通列車から普通列車への乗り換えを全く考慮しない。乗り継ぐべき列車が前の列車の到着の直前、3分4分前に発車してることはザラにある。「普通同士の乗り継ぎなんて認めん、何が何でも特急料金払って特急に乗れ」と言わんばかりのダイヤを組む。まともな客はこんなことで腹を立てないだろうし、長距離を乗る客には安くて便利な切符は別にあるのだけど、18きっぷの利用者にはそういうことになっている。
とりあえず、今回は特急使わなくても鹿児島まで余裕で行けるのだけれど、ムーンライトながらを取れないときとかはこっちで時間短縮するしかないかも。
というわけで、旅程を考えてみた。
知床斜里 0728 - 0949 北見(4724D→4656D)
【旭川発1347の滝川行普通に3分だけ間に合わず2時間半足止め。こういうことするから北は嫌い】
岩見沢 1805 - 1843 札幌(区間快速いしかりライナー)
【札幌発1843の小樽行快速エアポートに連絡できれば1日目のうちに長万部まで行ける。札幌圏は混んでるから接続できないのはわかるけど悔しい】
札幌 2028 - 2114 小樽(区間快速いしかりライナー)
【この辺は時間と列車に余裕があるので札幌で止まらず小樽まで行ってもいい。オフ会なら札幌かなと】
【もう一本遅い列車もあるので、札幌なり小樽なりで時間が必要であればそちらでも可】
【これもあと10分くらい早く着くとギリギリ12時出港のフェリーに間に合うかもなんだが……。まあ函館で昼飯食おう】
【ほぼ同時刻にもっと安い青函フェリーも出るのだけど、次の列車への乗り継ぎを考えるとこちらを選択】
【この列車に乗るために青森ではなく新青森へ向かって、かつフェリーも早い津軽海峡フェリーを選択する】
【オフ会】
【オフ会】
ファミリーマートが新商品として鳴り物入りで発売した「忖度弁当」が全く売れない、とファミリーマートの関係者と思われる書き込みがツイッターに投稿され、話題になっている。
2日未明、「天探女・スリ」との投稿名で「忖度弁当全く売れねーじゃねーか。ばかああああああああああか!!!!!今日の分、全部廃棄処分だぞ。クソがあああああああ!!!!ファミマ店員の魂の叫びだ、バカやろぉぉぉぉぉおおおおお!!!!!!
売れるわきゃねーだろ。800円もすりゃよぉおおおお!!!!」と!を多用した書き込みがあった。
また「一応食ったよ、忖度弁当。800円の価値があるかって聞かれたら俺、舌が貧乏だからうーんってなっちゃうけど、まぁ美味しかったよ。でも特別な日でも何でもないのにコンビニでバカに高い弁当なんか買う気は起きないね」との書き込みもあった。
一部のネットメディアでこうした投稿が取り上げられ、NETGEEKでは「忖度というネガティブなワードがマイナスイメージを誘う上、値段が高すぎる」と分析。
「滋賀県の店長です。2日で13個中12個廃棄」との具体的な書き込みもあり、事態はなかなか深刻なようだ。
「忖度弁当」は正式名称は「忖度御膳」。1日から数量限定で予約を受け付け中で、ファミリーマートのほか、サークルK、サンクスでも取り扱っている。キンメダイやノドグロ、あんかけのさつまいも、豚肉炒めなどを使い、税込み798円。「忖度」は「他人の気持ちを推し量ること」の意で、本来は良い意味にも使うが、今年は森友、加計学園問題をめぐり、ネガティブな意味で用いられたことで人の耳に入ったこともマイナスに働いた可能性もある。また、PRチラシなどの中でもわいろの授受をうかがわせるような写真が添えられていて、イメージが悪いのでは、という意見もツイッター上にはある。(WEB編集チーム)
鳴り物入りのファミマの「忖度弁当」 「2日で13個中12個廃棄」「売れるわきゃねーだろ」店員から?悲痛な声も(産経ニュース・17.12.3)
http://www.sankei.com/life/news/171203/lif1712030048-n1.html
東京・秋葉原と茨城県つくば市の間で「つくばエクスプレス(TX)」を運行する会社が、電車を定刻より20秒早く出発させたとして謝った。海外メディアは「遅れや運休でもないのに……」と驚く。「20秒」の差は謝るべきなのか。
■「9時44分」だけど
「定刻9時44分40秒のところ、発車時刻を十分に確認しないまま、9時44分20秒に発車してしまいました。大変ご迷惑をおかけし、深くおわび申し上げます」。つくばエクスプレスを運行する首都圏新都市鉄道のホームページに14日、こんな謝罪文が載った。この日、秋葉原発守谷行きの普通列車が南流山駅(千葉県流山市)を定刻より20秒早く出発していた。乗務員に「基本動作を徹底するよう指導した」という。
ただ同社によると、駅の時刻表には「44分」としか記されておらず、4分後には後続の電車が来ることになっていた。乗客からの苦情もなかったという。同社広報課は「発車を知らせる駅の放送が発車後に流れてしまった。謝罪は当社の基準に基づいており、今後も同様の対応をする」。昨年6月にも、北千住駅で30秒早く出発した際におわびを出したという。
これが英語のネットニュースで報じられると「(日常的に遅れる)ニューヨークの地下鉄なら、謝罪のためだけに職員が必要だ」とツイッターなどで話題に。英紙ガーディアンは、日本の鉄道の正確さは素晴らしいとしたうえで、「時間厳守が悲劇を生んだこともある」として、107人が死亡した2005年のJR宝塚線の脱線事故で、運転士が約1分半の遅れを取り戻そうとしていたことが一因とされていることに触れた。
日本の鉄道史に詳しい原武史・放送大教授(日本政治思想史)は、日本のダイヤ厳守の習慣は、天皇が乗る「お召し列車」に源流があると指摘する。「1928(昭和3)年に天皇が京都へ行った際、30秒単位の特別ダイヤが組まれ、ほぼ正確に運行されたと言われている」という。原さんは「TXは他社との乗り入れがないため、ダイヤがシンプルで乱れにくい。それゆえ、少しの狂いにも過剰に反応しているのかも知れない」ともみている。
とはいえ、今回の謝罪を「ダイヤは秒単位で作っていても、客にとっては同じ『9時44分』。いちいち公表する必要があるのか」と原さんは言う。鉄道会社の横並び意識も感じるといい、「他社が少しのダイヤの乱れでも謝るので、自分たちも、と儀礼的に謝っている面もあるのではないか」と話す。
■先回りで謝る企業
米紙ニューヨーク・タイムズは記事で、過剰に謝る日本の企業文化が背景にあると指摘した。日本社会を「世間」という切り口で研究する佐藤直樹・九州工業大名誉教授(刑事法学)は「日本では場の空気を壊さずに円滑にものを進めるため、『とりあえず謝る』習慣がある。企業も同じで、苦情やネットでの炎上を恐れ、先回りして謝ることが当たり前になっている」。ここ20年ほど、小さなことでもクレームを入れる風潮が強まり、企業の謝り方がどんどん過剰になっていると感じるという。
佐藤さんは「20秒早く出発して謝るなんてやっぱりおかしい。消費者自身も、普段から要求が行きすぎていないか、考え直す必要があるのではないか」と話す。
(仲村和代、田玉恵美)
ネットの噂を記事にしてもきちんと話題の当事者にコメントを取り、また記者の問題関心に合わせた専門家のコメントをとっている朝日新聞の記事に対してツイッターとnetgeek(!)の言っていることをただただそのまま垂れ流すだけという忖度弁当の記事。おそらくはその記事を再びまとめサイトが、新聞に載ったとして記事にするという連鎖関係なのだろう。産経でこの程度の記事が出たのは一度や二度ではないはずだが、ファミマへの電話取材の労もとらないようなら「新聞」の看板を下ろすべきなのでは?
普通はこうだろうがみたいなことばっか言う人っているけど
普通でないといけない理由が示されることはあまりないような気がする
普通でないといけない場合も有るのは事実であって、実際にそれに当てはまるのならばその旨をきちんと冷静に伝えればいいのに
「普通ではない」と感じてしまった段階で思考停止したかのように罵るという方向に行ってしまう人は何なんだろうかと思う。
一方で普通でないといけないなんてことがない場合も当然有るわけで、そのあたり区別をするということが必要なのではないかと。
極端な例だが、急行列車が駅を飛ばすことに関して、普通列車は各駅に停まるのに何事かなどと言ってる人がいたらおかしな人だと思われる事が多いだろうが
普通はこうだろうがみたいなことばっか言う人っているけど
普通でないといけない理由が示されることはあまりないような気がする
普通でないといけない場合も有るのは事実であって、実際にそれに当てはまるのならばその旨をきちんと冷静に伝えればいいのに
「普通ではない」と感じてしまった段階で思考停止したかのように罵るという方向に行ってしまう人は何なんだろうかと思う。
一方で普通でないといけないなんてことがない場合も当然有るわけで、そのあたり区別をするということが必要なのではないかと。
極端な例だが、急行列車が駅を飛ばすことに関して、普通列車は各駅に停まるのに何事かなどと言ってる人がいたらおかしな人だと思われる事が多いだろうが
普通はこうだろうがみたいなことばっか言う人っているけど
普通でないといけない理由が示されることはあまりないような気がする
普通でないといけない場合も有るのは事実であって、実際にそれに当てはまるのならばその旨をきちんと冷静に伝えればいいのに
「普通ではない」と感じてしまった段階で思考停止したかのように罵るという方向に行ってしまう人は何なんだろうかと思う。
一方で普通でないといけないなんてことがない場合も当然有るわけで、そのあたり区別をするということが必要なのではないかと。
極端な例だが、急行列車が駅を飛ばすことに関して、普通列車は各駅に停まるのに何事かなどと言ってる人がいたらおかしな人だと思われる事が多いだろうが
なにかしらの施策がうまくいってある程度電車の混雑が解消したとしよう。
すると何が起こるかというと、電車の本数が減るか、電車の車両数が減ることになる。
以前より乗る人が少ないのに以前と同じだけ電車を運行していたら損じゃないか。
営利企業なんだから損が出ないようにするのは当たり前じゃないか。
航空機などと違って、車両にどれほど人が乗っても合法なので、詰め込めるだけ詰め込んだ方が効率が良い。
鉄道会社の立場で考えたら満員電車であればあるほど良いのに止める理由がない。
追記
ブコメ読んだ。
ここで書いた電車の本数が減る、電車の車両数が減るという話は実際に今も行われていることである。
都心から埼玉、千葉、神奈川へ向かう電車は普通列車は15両だが、利用者が少ない快速列車は10両で運行されていて当然本数も少ない。
公道でツバや痰を吐いても高額の罰金が科せらるシンガポールに2年以上住んでいるけれど、
こちらも普通は屋外は禁煙ではなく、路上の喫煙マナーの悪さは日本では考えられないレベル。
それでもニューヨーク、サンフランシスコ、パリより若干マシか。。
ちなみに電子タバコはなぜかガム同様に国で禁じられていて、購入も持ち込みもできません。
日本の喫煙マナーは普通列車のボックス席にも灰皿があった時代からはもちろん、
路上喫煙に罰金が始まった頃から毎年どんどん良くなってきていると思うけれど、
少しずつ良くなっているだけだから変化がわかりにくいのかな。
「ああぁタバコ辞められてよかった、今の日本だったらタバコ吸う場所見つけるだけで大変そうだ」
と思うぐらい良くなっていると感じる。
5年前はまだ朝の出勤時にも歩きタバコの人見かけたけど、この1年で2回帰った時は本当に全然見なかった。
偶然かもしれないけれどね。
だいぶ前に自分がネット書いたことに今更突然、根拠無しであのアカウントと同じ人物に違いないとか言いがかりつけられた挙句、
勝手に極端な例を持ち出して非難するというトラバがついてるとなんとも言えない気持ちになる。
すぐにソックパペットを疑う一部のウィキペディアンじゃあるまいし。
だいたいまずわざと飛躍した例を持ち出して来るというのもアレだ。
「遅刻しそうだったら急ぐべき」ぐらいのこと書いただけで「お前はスピード違反を勧めるのか」とか言われても困るんだが。
別に法に触れるほど急げとは言ってないだろうが。「普段は普通列車で移動する区間でも、そんなに遅刻してはいけないような用事に遅れそうだというのなら、カネ出して特急乗れよ」
みたいな文句として書いただけなのに、危険運転推奨する問題人物とかいう扱いになってるのとても心外。
それとも何か、たとえば東京新横浜で新幹線使うようなことは、不自然だから「スピード違反とみなす」という常識でもあるのか??
http://anond.hatelabo.jp/20101110041534
俺もその事故の影響受けたよ。
その前に京王線が2分遅れ、いつもは遅延すれば待っていてくれるはずの中央線普通列車がばっちり時間内に高尾から出発。
しかもそれは甲府まで行く普通の最終電車で、それに乗り遅れたが運のつきだった。
普通の最終を逃すとあとは有料特急しかない。年収の低い自分はまさに身を切る思いでの特急券購入になった。
最寄り駅に特急は止まらないから駅から自宅近くまでのタクシー代まで考えると頭が痛くなる。
急いでJR八王子駅まで戻って隣のホームから出発する甲府行きの有料特急に乗ろうと走るも、あと一歩で出発。
ただでさえ風邪気味だったのに、仕事場で気の重いことが色々事が多くあった後だったのに、これはないよ…本当に泣きたくなった。
結局、23:11時点で、自分は一時間後の有料の最終を待っていた。
その矢先に人身事故。まさに泣きっ面に蜂の大群。
結局一時間半以上またされて、家に着いたの深夜二時半でいつもより二時間半遅かった。
昨日は死んだように眠り、明け方に見た夢は身体の幅ギリギリの通路を滑り落ちて地下に逃げ隠れる気分の悪いものだった。
今日は休みなのでゆっくりしようと思うが、不健康な事をしたものだから身体全体が痛いし、食欲がまるでわかない。頭痛も残っている。
深夜やっとも思いで辿り着いた駅の改札で駅員に有料券を渡していたら、後ろから来た会社員風の男が特急券を駅員に投げつけて去っていった。
駅員は何も反応せず、疲れた表情で申し訳なさそうに他の客に対応していた。
俺だって辛かったよ。投げつけたお前だって辛かったんだろうに。
トラバ先を書いたやつだって辛かった。
駅員だって辛いに決まっている。皆等しく帰宅は遅くなる。
タクシーの運ちゃんが「ずいぶん遅くなりましたね」って声をかけてくれた時、ようやく身体の力が抜けた。
運ちゃんだって、この電車を待っていた。
八王子駅では色々な腹いせに自分も電車に飛び込んでやろうかと思った。
だけどそんなことをしたら、俺の帰りを永遠に待ち続けるであろう家族に辛い思いをさせてしまう。
待つというのは辛いことだね。
線路で横たわっていた男こそこの一連の事件の中で一番辛い思いをしたのではないのかな。
その男を失って、辛い思いをしている人はいるのだろうか。
なぜ、死ぬほど嫌になってしまったのか…
「生きることは辛いこと」
なんて言って、死ぬことを嘲る人がいる。だけど、生物として命を投げだすことほど究極の選択はないと思う。
そこに至るまでの自殺者の精神は、まだ生きる選択ができる自分たちには考えても及ばない。ネットで自殺中継した奴も然りだ。
おれも昔、自殺しようとしたことあったけれど、結局死ねなかったのは生きる選択肢を選べたから。
「死ぬほど辛いこと」
それに飲まれてしまった奴は本当にかわいそうだな。