はてなキーワード: 是々非々とは
俺は中道を自称するノンポリで、常に党派生に左右されず、是々非々で物事を判断できる人間でありたいと思っている。
悪く言えば軸がないとも言えるわけで、その日見たニュースや出来事などによって右寄りだったり左寄りだったりの気分になることもある。
そんな俺も、今日は左翼のスタンスにシンパシーを覚える気分だ。
たまたまWikipediaを見ていたら、こんな記事にたどり着いたからだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E5%B2%A1%E4%BA%8B%E4%BB%B6
近い話だと朝鮮人の徴用工問題は最近、韓国側の賠償金肩代わりで着地しそうな動向が報じられたが、
もちろん日本側の主張である「日韓請求権協定で解決済みだろ!」という正論に基本的には同意なのだが、
人が死ぬレベルの強制労働をさせといて「金払ったんだから黙ってろ!」みたいな傲慢な態度もどうなんだ、という気もしてくる。
まぁ突き詰めると感情論になってしまうが、日本人だってアメリカ人に「広島長崎に原爆落としたのはよい選択だった」みたいな話されたら腹立つわけじゃん。
だから、「過ちは過ちだよね、昔の人たちが酷いことしてごめんなさいね」というのは認めた上で、「でもお金の話は一応、公式で解決済みなのでごめんなさいね」でいいと思う。
ただこういう事件を知るにつけ、大本営の「大東亜共栄圏」とか、「八紘一宇」みたいなスローガンはつくづく詭弁というか、お為ごかしだよなぁとしみじみ思う。
いわゆるネトウヨと揶揄されるような連中には、この手の正当化を真に受けて、日本人の同化政策は間違ってなかったみたいなことを言っているヤツがたまにいるが、それは流石にねーわと思う。
やっぱ戦前の日本人は日清・日露で調子こきまくって他の東アジア人種を見下してたと思うし、それは黒人を奴隷にした西洋人と本質的に変わらんメンタリティだったと思うな。
内柴正人が女子学生をレイプした時、憶測で「相手の女も男前の内柴さんが好きでノリノリだったんだろう!合意じゃなかったなら何故抵抗しなかった!相手の女も名前と顔出せ!罰しろ!何故国民的英雄の彼が逮捕される!?内柴さん可哀想!」と擁護しまくったデヴィ夫人を、ずっと許せない
被害者の女性は、メールで誹謗中傷を受けたと言っていた。著名人にセカンドレイプされ、どれだけ辛かった事か
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/ameblo.jp/dewisukarno/entry-11099463546.html
ラジオで、性的虐待を受けて家出してる子に対して「甘えないで我慢しなさい。ちょっとお尻触られるくらいでしょ。あなたに隙があったんじゃないの?」 「でも父親も改心して悪いことしたなって反省してるかもしれないし家に戻ったら?」 「世間にはあなたよりもっと大変な人がいる」
とか言ってたのも最低だった
山口達也の時も、「キス位で大袈裟。家に行った女が悪い」とセカンドレイプ。そのブログの文章が正論正論と持て囃され、15万人ものユーザーにいいねされていた。
男に媚び、性犯罪者の味方をし、被害者を追い詰めるデヴィ夫人。ずっとずっと大嫌いだ
ちなみに表現の自由オタクにも言っておくが、この人はメルマガで女児誘拐事件について「アニメ漫画のせいで成人女性と話せない男が増えたからだ」みたいなことも言っていたよ。
そんなデヴィ夫人がキーウ訪問して支援物資届けて讃えられていて、凄く嫌な気持ちになった
なんで、性被害者に酷いセカンドレイプするような奴がそんな立派な事をするんだよ
なんで、許せない奴が徹頭徹尾嫌な奴として振る舞って嫌われてくれないんだよ
自分をいじめてくるいじめっ子がボランティアに積極的で教師に褒められているのを見るような、嫌な気持ち。
褒められたいだけの偽善。売名行為。それならまだ溜飲が下がる。
心からの善意だったら救いようがない。なんで自分をいじめるくせに、他の弱者には善意を向けられるんだよ。自分にはそんな価値もないのか。善人にもいじめられる存在なのか…。いじめっ子を讃える連中に悔しい思いを噛み締めるしかない。いじめっ子のあいつは価値のある存在。自分は価値のない存在。
デヴィ夫人にとっての性被害者はそんな、価値のない、平気で傷つけられる存在なのだ
だけど、自分にとって許せない人が善行をしていて褒められていて、心から讃えられる人がそんなに多いだろうか?
嫌な奴、悪い奴、許せない奴には徹頭徹尾悪人として振る舞ってほしい。嫌われてほしい。
でもデヴィ夫人には無事に帰ってきてほしい。彼女の身に何かあったらお得意の自己責任論も出ず、もっと英雄視されて批判が許されなくなるだろうから
内柴正人が女子学生をレイプした時、憶測で「相手の女も男前の内柴さんが好きでノリノリだったんだろう!合意じゃなかったなら何故抵抗しなかった!相手の女も名前と顔出せ!罰しろ!何故国民的英雄の彼が逮捕される!?内柴さん可哀想!」と擁護しまくったデヴィ夫人を、ずっと許せない
被害者の女性は、メールで誹謗中傷を受けたと言っていた。著名人にセカンドレイプされ、どれだけ辛かった事か
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/ameblo.jp/dewisukarno/entry-11099463546.html
ラジオで、性的虐待を受けて家出してる子に対して「甘えないで我慢しなさい。ちょっとお尻触られるくらいでしょ。あなたに隙があったんじゃないの?」 「でも父親も改心して悪いことしたなって反省してるかもしれないし家に戻ったら?」 「世間にはあなたよりもっと大変な人がいる」
とか言ってたのも最低だった
山口達也の時も、「キス位で大袈裟。家に行った女が悪い」とセカンドレイプ。そのブログの文章が正論正論と持て囃され、15万人ものユーザーにいいねされていた。
男に媚び、性犯罪者の味方をし、被害者を追い詰めるデヴィ夫人。ずっとずっと大嫌いだ
ちなみに表現の自由オタクにも言っておくが、この人はメルマガで女児誘拐事件について「アニメ漫画のせいで成人女性と話せない男が増えたからだ」みたいなことも言っていたよ。
そんなデヴィ夫人がキーウ訪問して支援物資届けて讃えられていて、凄く嫌な気持ちになった
なんで、性被害者に酷いセカンドレイプするような奴がそんな立派な事をするんだよ
なんで、許せない奴が徹頭徹尾嫌な奴として振る舞って嫌われてくれないんだよ
自分をいじめてくるいじめっ子がボランティアに積極的で教師に褒められているのを見るような、嫌な気持ち。
褒められたいだけの偽善。売名行為。それならまだ溜飲が下がる。
心からの善意だったら救いようがない。なんで自分をいじめるくせに、他の弱者には善意を向けられるんだよ。自分にはそんな価値もないのか。善人にもいじめられる存在なのか…。いじめっ子を讃える連中に悔しい思いを噛み締めるしかない。いじめっ子のあいつは価値のある存在。自分は価値のない存在。
デヴィ夫人にとっての性被害者はそんな、価値のない、平気で傷つけられる存在なのだ
自分がしっくりきそうなたとえ話だと
いいことを言うCMだと感心していたら最後に創価学会と言われる不意打ちさ
と似たようなものかな
誰がどんな思想を持った・バックボーンで言ったことかは受け入れるか否かの判定に重要だよ
これが「みつを」だったらまだ「いやみつをか~い!」ってツッコミで流せるけどそれが宗教だと厳しくなってもしかたないよ
これは信仰していない宗教のエッセンスを使ってる(ゴスペル)とか、キリスト教とか仏教はいいのかとは全然関係ない話
人間快適に生きるためには誰がどんな人が言ったかで足切りする必要があると思う
真に真剣に人の話を意識して聞く人はそりゃ属性を苦労して廃して聞けばいいけど一般人に求められてもね
だから後から属性を表明されて(隠しているかのように振舞って)、それが自分とマッチしないものだったらそりゃ嫌な気分になるよ
ツイッターやはてなだとこいつの意見は見る必要ナシと非表示にしていたのに別アカ取ってて視界に入って意識しちゃって後から消してたアイツでしたってなっても同じように嫌な気分になると思う
是々非々じゃなくて一括でダメにしたい属性って人それぞれに絶対あるはずだし、その中でもセンシティブ順位が高いことが予測される(新興)宗教の立場ぐらいは冒頭でわかるようにしてくれって快適に生きたい人間は思うよ
投稿直後の動きは悪かったので、あまり訴求力のない意見なのかなと思っていたところ、一日経って案外の反響となって若干驚いている。
ザッと見る感じ、同意・理解・わかる系の意見が割と散見されたので、
やはり特段政治クラスタというではない、それなりに一般市民的な肌感覚の内包されたエントリにはなったのかなと。
あとは、元々共産党は…的なご高説意見、そこは是々非々だろう的な純無党派意見も散見され、興味深く読んだ。
ヘンテコな言いがかりコメントがあって、希少なので、ほうほう他にどんな意見が?と思い、IDから掘ってみると、
どの方も、色んな関連エントリに暇アノン連呼してはレッテル貼りブコメに勤しんでる類の、botみたいなIDで時間の無駄だった。
一度「陰謀論」の本でも読んでみてはどうだろうか。
まあ古今東西、原理主義者というか党派性に忠実というか、そういう人は心行くまで活動してほしい(私は私なので自由に投票先変えますが)
これまで某団体そのものへの批判・擁護は連日ホットエントリに挙がっているが、
それが現実世界に及ぼす影響のひとつとして、有権者の投票行動の変化への言及を、あまり目にしなかったというのがある。
すなわち、元々の党派性ベースのポジショナル意見が多いように私には見えていた。
(例えば暇空氏にしても元々反共産党だったのだろうし、それで言うと彼が揶揄する「共産党と強い繋がりのある」というフレーズは
私にとっては別に誹謗中傷とは感じなかった(だって常時ではないにしてもそれなりに投票先に選んでいたぐらいだったのだから)。
また逆に、徹底擁護派はやはり元来共産党支持っぽかった。例外もあるだろうけども)
でもそれだけなのかな?と。そうした強固な支持/不支持層だけの話ではなく、
元々無党派層で、共産党への投票経験もあった人(=潜在的支持者というか薄い支持者?)が、
今回の騒動により
②より一層共産党を支持する(いるのかな?あまりいなさそうだが)
のうち、①がどれぐらいいるのかという、いわゆる支持者離れについての一観測気球にはなったのかもしれない(同意系コメに集まったスター数も相当あったし、n=1では全然なかった)。
(補記すると、根っからの共産党支持者/与党支持者と思しき方の「曲げない」ご意見もブコメで頂戴したが、申し訳ないがここではどうでもよかった。
きのこたけのこ、元来どちらかしか食べてこなかった人の意見は大抵極論に過ぎず、党派性的こだわりを持たない自分には響かないから。これ本人は自覚ないのだろうな。)
あとは、そうは言っても投票先のマシな政党がないという系の意見はそりゃ同感で、
そこは結局のところ、我が国の国民のレベルの投影なのだろう(制度的構造的な原因だってあれど)。
ちゃんとした二大政党制を羨む時期もあったが、与党と代替可能で持続的な野党を延々成立させられないのは、国民の諸々のレベルの結果なのではないか。
立候補者の質(とは言っても大抵の代議士さんは私よりは立派で有能だと思いますよ。多分)、低い投票率の有権者、
結局我々の知能や人格、政治参加意識(歴史の積み重ねの結果による諦念がそうさせるのだと思う)等の平均が、その程度なのだろうと思う。当然私含め。
一方で、そうは言っても、そんな理想的で高級な民主主義で回っている国もないのではなかろうか。無謬な人間がいないように。
そんな中で投票先を決めるのも大変ですが。
それで繰り返しになりますが、私としては今回の件で共産党に投票することはなくなったな、ということですね。
もちろん件の、ラディカルフェミニズム代表に対して絶縁してもらえるなら、私としては共産党へ再びの投票もありえるとは思っています
(氏にとっても、共産党ではなく社民党の方に接近・併合して、新生極論フェミニズム党としてがんばられた方が、皆さんの投票行動の検討が大変し易くなるのではなかろうか)。
そしてその辺りの点は、当たり前になりますが、個々人の考えであり、他人がとやかく指示・誘導するものではないかなと。
まあDappiに端を発するサイレント世論形成も旺盛なので、情報の取捨選択も大変ですが。
追記は以上。
「でも私たちは人助けしてるから」は現場にいる人にとっては無敵の論法なんだけど、長く活動してる人はそういうこと言わなくなる
第一の理由は、貧困ビジネスを擁護するロジックとしてよく使われてるから
自力で生活保護を受給できない人たちを集めて、代理で受給までつなげて、支給額の大半を搾取する、みたいなやつ
「それは搾取だ」に対して「でも助かってる人がいる」という言い訳を許してしまうと話がややこしくなるし、変に是々非々にしてスキを見せると反社っぽい連中に食い込まれることがある
完全に金儲けとして貧困ビジネスをやっているようなブラックな組織でなくても、支援者側にもちょっと変な人はちらほらいる
過去のトラウマなのか特定のカテゴリの人に妙に当たりがきつい人とか、内部でパワハラまがいの指導をしてる人とか
もともとおかしい人もいるし、過酷な環境下でちょっとずつ狂っていく人もいる
外部からの「それって、おかしくないですか?」を完全にシャットアウトすると、最後はお互いにとって不幸な結果になる
ここ最近に仁藤夢乃氏やColaboへ否定的に言及したツイートやページが断りなく消えている
https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20221122/1669129142
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20221122/1669129142
なんかシェルターの部分持ち出して焦点にしてるけどさ、colaboに疑念を抱いた人イコール暇空氏に全乗っかりの賛同者みたいな幼稚な認識を先ず捨ててくれない?そんなアホなこと前提に負け惜しみとか言ったりさ。レベルが低過ぎる。
Gl17 あの写真かなり酷いトリミングで恣意的に実態より狭く見せてるし、あんなんで騙される暇空賛同者が何を言っても負け惜しみ臭がすごいよね。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4728468410839874340/comment/Gl17
人として当たり前のこと言うんだけど、普通、人は0から100まで支持出来る他人なんてそうそう居ないぞ
君達は不正会計の部分を断固無視したり、部外者なのに何故か不正はなかったとか言い切ってそれもデマだろ級のやらかしやって是が非でも仁藤夢乃氏の全擁護したりしてるけどさ、普通、是々非々なのよ
で、私は何度でも言ってるけどこの騒動は、暇空氏が上げたcolaboに対する疑惑のうち、不正会計疑惑に興味が湧いた人が殆ど、それも仁藤氏の反論がガバガバ過ぎて疑惑が膨れ上がったのが最大の焦点です。
逆にシェルター部分に乗っかって騒いでる人間がどれだけいるのよ?
Capricornus 2022/10/29
シェルター部分は特定を防ぐためと言うのはわかるけど、疑惑はそこだけじゃない。これがストーカーなら立憲や共産党は自民党のきもいストーカーだし、不正会計を追求して暴くマスコミもきもいストーカーだな。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4727307916868574307/comment/Capricornus
ちなみに私がシェルターに触れたのはこの一言だけです。私の他にも不正会計はわかるけどこれはなあと引いてる反応もよく見た。
大大大前提を言うと仁藤氏の志した事業自体は誰にも否定しようのない素晴らしいことなんだよ。
それが自治体に認められて税金投入、それ自体を咎めるような事はない。
だから保護された女性が危険に晒される可能性があるシェルター部分の黒塗りは当然理解するし、そこは行政がちゃんと見てくれてると信じる他ない。無邪気に公開しろなどと文句つけて良いところではないと言う認識です。
とりあえずいきなり訴訟ぶち上げたのはまた無茶苦茶だなとは思うけど、疑惑の部分について説明も仄めかされてるので、部外者同士それを大人しく待ちましょうや。
今回全く関係ないし部外者の反論(?)とか興味もないのに紐づけられた上、シェルター含めた暇空氏全面賛同者に仕立て上げられててマジポルナレフだったわ。
以上、id:Capricornus でした。
quick_past colaboに疑念を抱いただけだとか、何都合いい撤退戦してんだろうか。それだけのことで仁藤個人に粘着できるのか?
https://b.hatena.ne.jp/entry/4728494046439525156/comment/quick_past
私のスタンスを話しただけで撤退戦だの仁藤個人への粘着だの、こんな勝手が言えるのは正に“ colaboに疑念を抱いた人イコール暇空氏に全乗っかりの賛同者”を前提としたコメントですよね。
自分の解釈に都合の悪い人の意思は無視して無理矢理にでも持論に持ち込むしか出来ないのはそのままid:quick_past やそこに星を付けた賛同者達の限界を晒してるだけじゃないですか?
敵と見做した人間をあいつらはこう思ってるに違いないと言う反人権的な思考を棄てて、いい加減、この人はこう思ってるんだなくらい、集団ではなく個を見て柔軟に受け止める度量を持ったほうが良いと思いますよ。
今日 Twitter 日本法人を解雇された皆さんへ #OneTeam - The Decisive Strike
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/blog.nagayama.dev/blog/2022/11/04/212439
これ。
Twitter Japan の運営方針が自分とは合わなかったという理由で、不当解雇を「ざまあみろ」とでも言うようなコメントが目につく。
今は比較的まともなコメントが人気コメントになっているが、ホッテントリに浮上してきた直後は6,7割がそんな論調のコメントだった。
言っている内容が正義に即しているかどうかで判断してるだけじゃない?
江川さんは是々非々で、片山祐輔サイコパスのような悪に見える人でも、確定しない限りは守ろうとした。
善に見える人でも言ってる内容が正義的におかしければ苦言を呈す。
例えば、テレビで女性コメンテーターが、コロナ対策に成功してる国のトップは全て女性だと発言した。
この主張は一見するとフェミニストとして正義に見えるけど、江川さんはちゃんと、男性の文在寅韓国大統領だって成功してるぞとSNSで反論してたよ。
はてなブックマークやTwitterなどで、「中立」「客観」と言った態度について批判的に論じるものをたびたび見かける。特に、差別や政治など、権力闘争の類で非対称性が存在するときによく使われるイメージがある。それらについて私なりに論点を整理してまとめ、コメントしようと思う。これらの論に親和的な人も、逆に批判的な人も読んでほしい。
まず、当たり前の話なのだが、何かを批判するときは通常複数の論点から批判できる。
例えば、社会民主主義は新自由主義の立場からすれば「市場が政府権力によってゆがめられ、効率的な資源分配が出来ない上に政府権力が不健全に増大する」と批判できるし、共産主義の立場からすれば「結局彼らは資本主義や自由市場と言った搾取を『多少マシ』にしている程度であって、本質的解決には役に立っていない。どころか、革命に向かう人々を減らすという点で有害ですらある」と批判できる。
これを見て、もし社民主義者の人が「アンチ社民主義者は矛盾している。市場原理主義みたいなことを言いながら、資本主義を否定している。彼らは矛盾している」と言うのがおかしいというのは分かるはずだ。あるいは、「新自由主義者は社民主義を批判している。これは共産主義者と同じだ。よって新自由主義者は共産主義者なんだ」もおかしいとわかるだろう。
インターネットではそれぞれの発言と発言主が結びつかず、なんとなく「自分の考えを非難する人」を全部同じカテゴリに放り込む処理をしてしまいがちだ。(なお、話をややこしくするのは本当に矛盾した意見を言うやつも一定数存在することだ)
そんなわけで、いわゆる「中立」「客観」批判者は皆「お気持ち」(ここでは、自分の快不快の問題をシームレスに社会的な問題につなげて、自分の感情に社会が従うべきだ的な発想を持っている人)の人たちだ、という雑な世界観を持っている人も多いが、ここで「中立」「客観」批判の理屈に触れて、「なるほど、こいつらはこういう理由でそういっているんだな。(自分は賛同できないにしても)まあ理屈は分かるな」と思ってくれれば幸いである。
これは厳密には『中立』『客観』を否定していない。どころか、不徹底な『中立』『客観』を批判し、本物の『中立』『客観』を目指そうとする方向性も見受けられる。
実際問題、はてなやTwitterでは、『中立』『客観』(それからこれと似ている『是々非々』など)を「右」と「左」(あるいは任意の対立する二大勢力)のどちらも全肯定/全否定しないことだと思っている感じがする人が複数見受けられる。まあ確かに、「右」のいう事を全肯定/全否定、とか、「左」のいう事を全肯定/全否定すると最初から決めてかかるのは紛れもなく党派的な姿勢であり、中立的でも客観的でもない。しかし、そもそも「右」がどうとか「左」がどうとか党派性を意識し、この二者のいう事には従わないぞ!みたいに決めてかかっているのは、全く同じではなかろうか。ようは、「中道」という第三の党派に過ぎない。そうではなく、中立や客観というものに自分は完璧に到達できないのだという事を自覚し、他人が中立的であるか客観的であるかは究極的にはジャッジできない(もちろん明らかにこいつ主観的に過ぎるやろみたいな人はいるけど、そう思っている私の方がおかしい可能性は否定できない)という事を踏まえなければ、「中立」「客観」という言葉は単なる党派性の御旗にしかならない。
これは実のところ、「正義の暴走」論とよく似ている話だ。正義の暴走を非難する人は正義が嫌いなのではなく(まあそういう人もいるが)正義のために正義の暴走は抑止した方がいいという話をしている。正義の暴走とは、やっている本人たちが勝手に正義と思っているだけで、実際には悪である、というロジックだ。同じように、「中立」「客観」の濫用を非難する人が「中立」「客観」を否定していないのも当たり前の話だ。彼らが否定しているのは「中立」「客観」を装った「党派性」「主観」だからだ。(面白いのが、「正義の暴走」論を持ち出す人の多くは「中立」「客観」の濫用の問題を考えず、「中立」「客観」を批判する人は「正義の暴走」論を持ち出されると不満を表出することが多い事である。両者はほぼ同じことを言っているのだが)
まあ、つまりこの批判は「お前は自分が客観的と思ってるかもしれないけど本当は違う(かも)しれないぞ!」というものである。個人に向けるときは喧嘩する気がなければ使わない方がいいとは思うが、一般論としては(特にわたしのような『中立』『客観』が大好きな人間ほど)よく頭に刻んでおいた方がいいと思う。
こちらは、『中立』『客観』的な態度を、ある一分野のみについてとはいえ明確に否定している(と私は思う)ので、論点①とは様子が違う。
まあ言っている事は正直分からなくもない。この手の人たちが良く比喩として使うように、「足で踏んでいる人と踏まれている人」の間で『中立』『客観』的な議論を成立させろ、というのは無茶である。差別されている人と、その差別をたとえ直接はしてはいなくても差別によって得られる利益を(その自覚なしに)享受している人の関係は、「足で踏んでいる人と踏まれている人」のそれよりはるかに複雑で見えづらいものがあるが、似たような関係性であるという事は、その是非は別として、可能ではあると思う。なので、倫理的な個人が差別問題について論じるときはその辺に気を付けて論じてもよい、論じた方が好ましいくらいのことは私も思う。
しかし、この考えを強い規範として言論空間に導入することに対しては私は警戒心を抱く。
「誰が加害者か」「誰が被害者か」「どこからどこまでが『差別問題』か」「どんな事実を適示すればそれが『被害者非難をあおっている』と言えるか」
これらをみんなが納得いくように定めるのは非常に難しい。間違った基準を定めてしまえば、例えば本来「被害者」である人たちを「加害者」として力づくで非難する事や、本来「加害者」である人たちの罪悪を「被害者」として覆い隠すこともありうる。「被害者」「加害者」の推定が正しかろうと、「被害者非難をあおっていると言える事実」と認定されたものがもし違えば、その事実は公論上での扱いが不当に小さくなりかねない。差別発言自体は言論の自由で守る価値はまったくないのだが、論点②の批判が拡大すると差別発言以外も巻き添えになるリスクがとんでもなく大きくなりそうである。そもそも一国の言論空間なんて政治勢力も右から左からワラワラ湧いてくる場所なんだから、うかつに基準を厳しくしたら、その基準が「万人」でも「マイノリティ」でもなく「特定の政治権力」の都合の良いようになってしまう可能性もある。一方で、剥き出しの、それこそ差別主義者やデマもなんでもござれの「言論の自由」が良いとも思えないし、「中立」を装って攻撃を誘発する人たちを何とかしたいという気持ちはあるので複雑なところである。
(ちなみに、個人としてこの観点から批判すること自体はどんどんやったらいい。問題なのはこの考えが強い規範になることである)
①②は曲がりなりにも論として成立しているが、③は論外である。これこそが「お気持ち」である。
これについて論じることは特にない。まあしいて言うならば、「個人的な感情の表明」自体は何ら悪ではないという事は付け加えておきたい。こういう風に、自分の感情だけで他人を思うままに動かす権利が自分にあると思っている人をまともに相手する必要がないというだけである。
①②③それぞれ、言う層が全然違ってくるということがイメージできるだろうか。
①は、左右問わずおそらくそれなりに頭のいい人、論理的な思考が好きな人が言うと思う。(ただし、論理的な思考が好きな人は左に行きやすいので、左が多い気はする)
②は、明確に左の中でも主張が強めの人が言うだろう。(なお、加害者と被害者の構造を、中国と日本あたりにすれば、右の主張強めの人たちも似たようなことを言っている)ここで重要なのは、彼らの主張は我々と大きく違うが、別に彼らは頭がいいわけでも悪いわけでもない。どちらかと言えば頭のいい人が多いと思う。
③の人は、多分単純に頭が悪い。左にも右にも真ん中にもこういう馬鹿は沢山いる。ただし、バカの中でもわざわざ自分はバカですとアピールしたがるインセンティブが強いのは右左の中でも過激な人たちだろう。
「お気持ちサヨクはバカ」みたいなことを言う人たちは、多分①②の理屈で「中立」「客観」を批判している人に左翼が多いという事と、③の人たちにバカが多い事を混同して、左翼=お気持ち=バカみたいな図式を作り上げているのではないかと思う。あと、「お気持ちサヨクはバカ」と言った同じ口で「リベラル(おそらくこの人はリベラルとサヨクをほぼ同義として使っているはず)は啓蒙思想を押し付けている」みたいなことを言っている人もいた。確かに②は啓蒙思想押し付けのダメな部分全開という感じで、③はバカである。たぶん構造としては②が③の人たちを率いて暴れまわっているという感じではなかろうか。まあそんな感じで、「中立」「客観」大好きな人たちも、③は論外として①②の理屈は普通にそれなりに通っているっていうことをちゃんと意識しよう。(まあ意識できてる人もいるだろうけど)