はてなキーワード: 映画化とは
銀魂の作者がコメントで「映画化しても作者にはほとんど金はいらないから単行本買ってくれ」って言ってたけど、ドラマ化したってそれは大して変わらないだろうし、そんなものに文字通り命がけで立ち向かった挙げ句、返り討ちにあって自殺するってあまりに命を無駄にしすぎてる
AIに書き起こさせて、途中まで手を入れましたが面倒になったのでひとまずここで公開。
こんばんは、脚本家たちの深夜密談です。今週はちょっと先週からの予告を変更しまして、急遽セクシー田中さんのお話をしたいと思っております。言いますのもですね、やっぱり「脚本家の深夜密談」ということで脚本家の名前を貸している以上、ちょっと脚本家の立場からこの話をして、ご理解していただきたいところもあるなというところから、はい、急遽決めました。なかなか勇気のある決断だったので、私達だけでは心もとないので、40年にわたってテレビドラマで活躍されている伴一彦さんに急遽ゲストとして来ていただきました。伴さん、よろしくお願いいたします
よろしくお願いします。伴さんのお話をお伺いする前に、一応ちょっとここまでの経緯を簡単にお伝えしますと、まずこの件の発端というのが12月の24日に脚本家の方が、そして今月の26日に原作者である芦原妃名子さんが、それぞれなぜセクシー田中さんの9話と10話を原作者である芦原さんが書くに至ったのかという、経緯をSNSに投稿されるんですよね。
それを受けて、ニュース、Webニュースなどでも取り上げられたり、X上、SNS上で大炎上し始めるんです。当初はもう9割がた脚本家を責めるようなツイートが多くて、「原作クラッシャーだ」などとひどい攻撃が上がっておりまして、28日、昨日ですね、になって、原作者の方が「攻撃したかったわけではなくて、ごめんなさい」というツイートを残してアカウントを消されてるんですよね。その段階で、私自身も伴さんに「ちょっとお話したいんだ」とお願いしてはいたんですけれど、やはり当事者の方がもう触れて欲しくないのかなというツイート、アカウント消されてるってことは火消しにしたいのかなというので触れない方がいいのかなと、考えたりもしていたんですけれど、今日になって、芦原さんがお亡くなりになったというニュースが届きまして、やはりここはちゃんと取り上げて、脚本家のドラマに関してですよね。この件に関して私達は当事者ではなくて、あくまでも報道やSNS上、ご自身たちの発信で知ったことが全てですので、憶測で物も言いたくないですし、業界関係者から新たな情報を、確信もなく確認することもなく、手に入れてお話しするつもりもありません。あくまでも今わかってる事実に基づいて、ドラマ作りなど、あるいは脚色の仕方など、どんなことをキャッチし、脚本家がしてどんなトラブル、これまで起こったのかなどをお伝えできればなと思っております。はい。ということなんですけれど、伴さんもこれまでの経緯をかなり、こう、何て言うのですか、チェックされたりされているかと思うんですけれど、
はい。
いかがですか。
いや、僕もツイート、X、ポストか、したんですけど、やっぱり両方、原作者と脚本家両方がお互いの意向というか意思を知らないで、進んでしまってるのが一番の懸念かなと思ったんですよね。
うんうん。
そうなんですか。
そうですね、お友達になって飲みに行ってっていうかパターンの方が多いんですよね。
ええ、ええ
そのとき、もう、いや、だから、別に責めるっていうか、まぁ番組って、だから、脚本家が自由に書けるわけじゃないじゃないですか
はい。
監督が勝手に言っとるわけで、やっぱりプロデューサーが全ての責任を負うんですよね。この番組の方向性だとか、そういう本にするとか、誰に書かせるとか、そういうのは全部、あのうそこ、プロデューサーの仕事なので、僕の見えないところで、原作者と、いろんな交渉をして、ドラマ、バリューチェーン繋げてくれたんだなとは、今振り返って思うんですよね。
つまり、トラブルがなくすのが、プロデューサーの仕事というふうに思ってるんで。ただ、原作者の意図とかわからないときに「話し合いをしたい」とこっちが言ってるけれども、やっぱ間に入る編集の人とか、プロデューサーが「そこは会わせない方がいい」と思ったのか、お互いに忖度してくれてるのか、合わずに、あの、話が進んじゃう。で、最後に、何か打ち上げか何かでお会いしたときにはもう、記者会記者発表のときか、お会いしたときにはもう「面白かったです」って言ってくれたりみたいなことがあったんで、もっと早く…多忙な作家さんだったんで、うん、逢う時間がなかったのかもしれないけれども、何かあったらやっぱり直接会って話すというのが、一番誤解も解けるし、やりたいことも再確認できるし、いいんじゃないかなと思いますね。
そうですよね。私も、まぁ、テレビに限らず映画なんかでもそうなんですけど、やっぱり、私の感覚からすると、やっぱり脚本家と原作者って、やっぱり作家同士ですのでね、性質上どうしたって対立したりってする、しがちっていうか、私は当然だとは思ったりするところもあるんですよね。
ただ、そんなになんだろう、トラブルになる、トラブルが全くなかったってわけではなく、やっぱりこちらで書いたものを、原作者の方からこういう要請が来ましたみたいなことは結構ありますし、そこで意見がぶつかって、はい、まあね、「ちょっとうちで話しましょう」みたいな呼びつけられて、「なんかあなたって本当に私の原作のこと全然わかってないよね」みたいなことを言われてたこともありましたけど、ただ、やっぱり基本的に直接脚本家が原作者の方と会うってなかなかないですよね。それは、やっぱり、ですよね、だからそんなの「会わせたら、何かお互い何か対立するに違いない」みたいなこともあったり、プロデューサーが間に入り調節した結果、だから原作者の要望も十聴くのではなく、五聴くことにして、五は原作者の方に納得していただいて、持ち帰った五だけはこちらが説得されて直すとか、なんかそういうことで仕事をしてきた経験があるので、やっぱりTwitter上、X上でね、なんか「脚本家が原作を全部変えている」みたいな発言を見ると、とっても心が痛んだんですよね。
伴さん、経験上、ご自身、勝手に「もうこのキャラクターこっちに変更しますから」って言って通るってどれぐらいの確率であります?
いや、僕の声結構そういう意味じゃ、原作から変えてることが多いんですけど、例えばツイッターにも書きましたけど、クリスチャンとかも原則を歴史小説家なんですけれども、それもやめて探偵事務所にしてジョシュ担当の上司がいるんですけど、それも原作だと女性だけのお2人の男女にして、あともう1人、子供も加わってみたいなこともあるんで、ほとんどもう原作のエピソードも使ってないんですよね。
なるほどなるほどはい。でもそれに関しては寺沢さんって原作者の方からは何もなくそうですか。そのプロデューサーが止めてたのかどうかもわからないんですけれどもうん、うん最後のスタジオ収録の日、最終回のスタジオ収録のときにいらっしゃって、ホテルとかですって僕はちょっとドキドキしてたんですけれども、本当にご紹介あったみたいでいただいて、それから結構一緒に飲みに行くようになって、うん。
エースの悪口を言ったりとか、みたいな部分までだし、後で頑固も、もう、うん。原作はほとんど使ってないし、多分ちょっとだいぶ忘れてましたけどええ。昨日、犬がパートナーっていうのも、こっちで作ったやつだと思うんですよね。
ええ。国際の森本と書かれると森本翔子さんっていう方が原作者なんですけれども。はい。そう、何回目か、進んだときに、スタッフルームに手書きの漫画付きのFAXをいただいてそれがほ参りましたみたいな、多分本当に面白いこういう番号を書きたかったみたいな言葉で書かれてたんですよ。
なるほどねそのお2人の原作2入るときにですよその仕事を受ける段階でプロデューサーから原作ってどれくらい変えていいですよみたいな説明ってありました。いやあ、僕になかったと思いますなるほど。それいや、ちょっとこの、これをやるんだったらあれだ、うんをしたいとかね、運行しましょうみたいなのを企画会議でやって、うん大体そ、そこでまとまっただったと思いますよ。
やっぱりそれは企画会議っていうプロデューサーさんとの会議を経て、何か決定することで、強ねそれでその企画会議でややこれは原作通りに行ってやってくださいって言われたときに、晩餐です。あったとしてもなかなかるものではないんですよね。
原則通りにやれっていうことですか。ママ会会議場を、つまり晩餐1人の力で変えられるものなのかなっていう、それはもちろん、同意がないとできないです。できないですよねっていう僕がやるときは大体、プロデューサーと一緒に訪問することにしててはいはいええ。
監督後から入ってくる先生も出来上がったもので、うん、うん。ただ眼光の場合はもう現場のありもすごい面白い監督があって現場で思いついたことを入れてたりとかねやったんですけどそれを僕のシナリオからはみ出してない、原作からははみ出してると思ったんですけれども。
うんそれも面白がってくれてたんですよね。ですよね原作者の方の中には、やっぱり何か2種類いるなと思っていて。うん。もうね、原作は原作映像化は映像から全く別物なので、もう50にどうぞ出来上がりを楽しみにしていますっていうタイプの原作者さんも少なからず、いらっしゃるっていうそういうタイプの、多分今のね2ケースの場合は、バケツの場合は、多分そういう原作さんはファンだったのかなっていう気もするんですけど、その一方で、特に初めて書いた本ですとか、小説ですっていう作者さんに多いのが、やっぱり自分にとってすごくこだわりがあるので、はい。
原作はなるべく変えてもらいたくないですっていうような大きいケースもありますよね以前、前々回かな。陳亜美さんでもちょっと話題に出たやわらかい生活のね、はい車や作者さんも本当に思い出のある小説なのでっていうことでちょっと裁判になってしまったりとか、うんやわらかい生活でしたっけ、やわらかい生活ですねはいっていうのもあったりですねお父さんこんばんは。
もうアンさんのポストも拝見してます。ゆはい、拝見してましたってことでした。はい人偏に半分の判断でよろしくですそうです。はい。3社になってますねこれ細谷さん違います違います。それさんではないです。別な方失礼しました。
患者さんの知らないファンの方もいらっしゃるということで、はい、はい、うんそういうはい。いや、僕東野圭吾さんってどっちタイプなんですか。私は東野さんやったことないのでよくわからないただ作家の方でも作品るケースも結構あるんですよね。
この作品だったら自由にやってください。でもこれはっていうのがあって、だから私の場合はもう原作で企画ができた段階で、原作者の方ってどれくらい変えていい方だなんですかっていうのをまず聞くようにしてますねっていうぐらい、ちょっと最近はやはりこだわられる方が増えてるのかなっていう、以前よりも感覚としてこうっていう感じは、今月は東野圭吾さんが担当相を取った放課後っていうのを着色してるんですよ。
はいはいはい。ドスパラ部木曜ドラマストレートだったかな、うん、うん、それは高校が舞台のやつだったんで、もうちょっと青春寄りな精神者っぽいノリで書いたんですけど、それに関しても東野さんと会ってもいないし、何か意見を聞いたこともないんですよねそうなんですよねただやはり今回の場合、すごく実は特殊なケースだったんだなって後からわかったのがもうそのドラマー化を許可する段階の条件として、原則通りにやってくださいよという条件が出されていたっていうのが、うん。
ちょっと今回の場合、かなり特異なケースだなとは感じたんですよねただ、それを受けてしまったというか伴さん可能ですかと思うんですよね映像化するにあたって、原作まんまみたいな。上着を持ったまんまっていうのがあっても、媒体が違うわけだから、絶対ね同じものには何年か同じものにはならないですね。
なんですけれどやっぱりそれどこまでならないですよ。だけどできる限り、うん、もう原作を生かす方向でいきますみたいな説明がなされたのかとか、うん。やっぱりそのあたりがまずどうだったのかっていうことと、あとその点をどれだけ脚本家に伝えていたのかっていうこの2点がわからないので、いや、脚本家にすすめるとそれは全く伝わってない感じですもんねそうですそれはそうそう丸山を正木さんが書かれてるけれども、これだから約束事の問題ですよね。
何か緑色に悪いとかじゃなくて、そこがちゃんと伝わってない、両方が持ってることが違うっていう違ってたっていうことですかね。こういうのって普通の契約書みたいなのって交わすんですか。特に多分返してると思うんですけど、僕は1回も原作者と局が交わした契約書を見たことはないです。
脚本家が見れるものではないんですね。そうですねどういう約束しましたかみたいなことを聞くことは可能かと思うんですけど、僕は聞いたことはなくて、そういう質問したこともないんですけど、ただ、七瀬再び行って、筒井康隆さんの原作のやつをNHKでやったことがあるんですけど、そのときにはもう、プロデューサーが、筒井さんに、こういうふうに変えたい。
なぜならこういう理由ねみたいなことを、もう愛を込めた文章でメールを送られて、たところから始まったみたいですね。だからヘンリーっていう円だったかな、黒人が出てくるんですけれども、ちょっと時代的にも今の時代はちょっと黒人が上位に出てくるタイミングでみたいな、うん能力の話ですけど、それはちょっとまずいかなっていうものもあって、日本人に変えたんだけどね。
うん。ヘンリーというそれそれもこういう理由でみたいなこと言って、多分テレビかOKしてくれたと思うんですよ。手続きの場合は、もう本当にあの台本隅から隅まであって、原作者チェック以上に、ここはこのセリフは繋がってるかみたいなことまで毎回、メールをいただいてそれをプロデューサーが僕に直接見せてくれたんですよね。
そういうの直したまんま直したかちょっと忘れましたけれどもそういうやり取りをやりますよって言って始まる前にちょっと原宿のおうちにも挨拶というか、説明に行ったこともありますけどねうん。いやだけど、なんかお母さんの今のお話を聞いて何となく問題点がわかってきたなってちょっと感じたのがですね、とある原作者の方がすごくドラマ化にあたって揉めている最中にその原作者の方と会ってお話する機会があったんですよ私は関わりがなかったんですけど、うん。
そしたらその原作者が言うには、別に変えてくれてもいいんだけど、変えるなら変えるなりの理由を説明してもらいたいんだよっていう、そういうあたりをふわっとしたまま帰られても納得いくわけないじゃないですかってその方おっしゃってて、うん。
全くその通りだなと思ったんですよね。うん。こっちだってね他の方の原作を変えるには、変えた方がいいって確信がなかったら安易に変えてるわけじゃないじゃないですか。うん。それをどれだけね、お伝えして納得していただけるかっていうのはやっぱり丁寧なプロセスだし時間が必要なんだと思うんですよ。
うん。だけど、やっぱり最近のテレビドラマの撮影のスケジュールとか制作のスケジュールを見ると、うん多いスケジュールを取る余裕さえないような状況で作られてる場合って多いかなと思うんで、なんかねでも、そこは時間かけるべきところですよね。
本当そう思いますね。だってそこに時間かけなかったら、原作者にも意図が伝わらないし、虚構化にもう、なんですか、原則省の意図が伝わらないから、結局齟齬は発生してそのままずっといっちゃいますよねそうなんですよ。
だから不信感だけが募ってってくることなのかなってちょっとコメントいただいてるので、6木村さん、芦原さんが最後にはご自身で脚本を書かれていますが、前はご自身で脚本を書く話はなかったのかなと思いました。いやそれは多分ご自身も何か出ているニュースを読む限りは、本当は書きたいを書きたくて書いたわけではなかったという。
うん、うんね。推測はしないというは言いましたけど、多分最初の約束として提示されていたんですって。これは憶測じゃなく事実として出てるんですけれど、完結していないから、ドラマの完結する和に関しては自分のストーリーを使ってほしいセリフもそのまま書いてくださいという条件を出していたんですって、許諾のときにただその最中ですごく過失が多くて、時間的なことも考えて自分で書いた方がいいんじゃないかって決断されたんだろうと思うんですよね。
だからやはり脚本は脚本家で最初のうちきちんと任されていたんだろうと思います。そんなに何かね、無効な要求をされていたわけでもないし、ただやはり、なんていうんでしょうね。芦原さんには芦原さんのファンもいらっしゃるし、その脚本家さんには脚本家さんのファンもいるわけで、そのファンの方々がそれぞれね自分のが好きな脚本家さん、あるいは原作者さんに期待するものが多いし、その期待に応えたいと思うのってやっぱりそれはねお2人とも当然じゃないですか。
だからああいう説明に至ったんだろうと思うんですよねそれぞれのファンの方はそれ読んで納得すればそれで済むことだったのに、そうじゃない人たちなんかあまりにも攻めすぎなんじゃないのっていうのはちょっと感じましたね。
まあね芦田さんの最後のDとかツイートっていうか、そこがね、攻撃したかったわけじゃなくてってそうそうそうなんですよ。だからやっぱりね、うん。すいません、このプランだから、あの脚本家の方に非難が集中してるけれども、原則車に避難っていうのはな、ほとんど僕見たことがないんですけどそれ、それなのに、原作者がこういうことを書くっていうのはやっぱりSNSへの誹謗中傷に心を射止められたのかなと思っちゃいますけどね省察なんですその辺りはねあれなんですけれど、そうなんです。
なんでしょうねやっぱりここ最近、本当に私自身がもう行けない風潮だなって、やめてもらいたいなと思ってるのがすぐに対立構造で物を語りたがるっていうだからこれだって別にね、そこまで本課さんと原作者さんが直接的に2人で対立したりしていた話ではなかったように思うんですよ。
CG屋でありMV監督などをメインに行っていた曽利文彦が監督を、宮藤官九郎が脚本を務めた。
監督、脚本の外連味溢れる演出、窪塚、中村獅童らの怪演が松本大洋の大仰な作風の再現に一役買っている。
5巻分を2時間の映画に収めるために設定や展開に一部変更があるが、漫画の実写化の成功例に挙げられることが多い。
「ハゲタカ」などの大友啓史が監督、香港でドニー・イェンの盟友として鳴らした谷垣健治がアクション監督を務める。
脚本部、コスプレ感、牙突に難を抱えながらも、香港映画さながらのアクションシーンが高く評価された。
GANTZやアイアムアヒーローの佐藤信介が監督、1年にわたる脚本会議には原作者も参加した。
映像にこだわり中国でのロケを敢行したり、アクション、合戦シーンのこだわり、顔が似ているだけじゃない配役など
前述のるろうに剣心同様、ちゃんとかけるべきところに金かけて映画撮れば行けるんやぞという気概を見せつけた。
藤原竜也、松山ケンイチの怪演が話題を呼び前編28億、後編52億という異例のヒットを飛ばした。
制作は突貫に次ぐ突貫で「前編制作時には後編の脚本案すらゼロ」「クランクイン直前に松山ケンイチが決まる」「前編の編集をしながら後編の脚本を書く」など非常に難しい状態で作成されていたが概ね好評。
福田組特有のコスプレ感、メタネタ、くどいギャグ、大げさな演出などが銀魂の作風と大いにマッチしており大ヒットを飛ばした。
後にのだめカンタービレなどの監督を務めるドラマ監督の武内英樹が監督。
ヨーロッパを舞台にしながらも顔の濃い日本人役者を「ローマ人」役として大胆に起用するギャグ的な要素と
ローマでのロケや、海外のスペクタクルドラマ「ROMA」のセットで撮影を行うなど本格派な映像がマッチし好評を博した。
すげー売れたし映画化もした
すげー売れたし映画化もした
花より男子の枠は元々のだめカンタービレのドラマ化の予定だったが
テレビ局がジャニタレゴリ押ししたため、原作者がドラマ化を拒否。
困ったTBSが、せや花より男子の版権あるやん!と急きょ座組を組みなおし2か月で撮影した。
個人的選外
映画としての出来はいいと思うんだけど原作が好きすぎて実写化としてはあんま認めてない
でもすげーヒットしたしパヒュームがすげーよかったので成功例にしてもいい。
邦画特有の登場人物がすげー馬鹿になる現象が発揮されすぎてて個人的には微妙
1は別に悪くもなければよくもない普通の映画だけど2が酷すぎたので。
いや、うん
個人的に好き
2016年に万城目学が脚本で関わった作品が脚本全ボツになったはずが
美夜 @miya010703
これで有名作家のネタパクリ映画が『本能寺ホテル』じゃなかったら驚きだけど、もし違ったら万城目氏自身が否定するだろうから、否定しなかったらビンゴってことだな。
醜悪すぎる。
万城目学 @maqime
あて推量で脚本家の方に、関係もないのに誹謗中傷のメールを送っている方、絶対にやめてください。たいへん迷惑です。そもそも、私が腹を立てている脚本家は世界にひとりだっていません。送った人は「ごめんなさい」とちゃんと謝っておいてください。私が先に謝っておきます。本当に申し訳ありません。
ホンマこいつら
ちゃんと事前に説得してると書いてあるが映画へのル=グウィンのコメントを見ろよ
http://hiki.cre.jp/Earthsea/?GedoSenkiAuthorResponse
>そのときの説明によると、駿氏は映画製作から引退するつもりで、宮崎家とスタジオでは、駿氏の息子の吾朗氏にこの作品を作らせたいとのことでした。吾朗氏はまだ1本の映画も製作したことがなく、わたしたちは大いに失望するとともに、不安を覚えました。
>ただしプロジェクトはつねに駿氏の承認を受けながら進められるという印象があり、また実際、先方もそのように保証していました。こうした理解のもと、契約は締結されました。
>その時点ではすでに映画の製作は進行しており、子供と竜を描いたポスターが贈り物として届けられ、駿氏によるホート・タウンのスケッチと、スタジオ・アーティストたちによるその仕上画も同封されていました。
>その後の映画製作は猛スピードで進行しました。間もなくわかったのは、駿氏が製作にまったくタッチしていないということでした。
>駿氏からはとても心のこもった手紙が届き、さらに吾朗氏からも手紙が来ました。わたしもできる限りのお返事をしました。
>この映画の製作に際して、太平洋の両岸で怒りと失望が生じたことは残念に思います。
>後に聞いたところでは、駿氏は結局引退はせず、今は別の映画を撮っているとか。このこともわたしの失望を大きくしました。早く忘れてしまいたい出来事です。
https://www.ghibli.jp/storage/000457/
>そして宮さんは「今回のありがたいお話ですが、これが20年前ならすぐに自分がやりたかった。しかし残念ながら、自分は年をとりすぎている。どうしようかと困っていた時期に、自分の息子とスタッフがやると言い出した。彼らならこの本から新しい魅力を発見して、いい映画を作ってくれるかもしれない。スクリプトに関しては自分が責任を持ちますから、映像化を許諾してもらえませんか?」と、非常に感動的に言いました。
>何とかル=グウィンさんは宮崎吾朗監督で映画を作ることを了承してくれたんです。
ジブリ側は「スクリプトに関して責任を持つ」と限定的だが、ル=グウィンは「プロジェクトはつねに駿氏の承認を受けながら進められるという印象があり、また実際、先方もそのように保証していました。こうした理解のもと、契約は締結されました。」と言ってる。
この時点で食い違ってるけど、仮にジブリ側の意見に寄せたとして
ル=グウィンは駿に監督してほしかったけど駿はもう引退するつもりで、代わりに脚本に関しては駿が責任を持つと約束したからなんとか了承したんだよ
この条件で契約したのに結局引退せず、脚本に関して責任を持つと言ったり駿が描いたスケッチとか送られてたけど実際には駿はほとんど関わってなかったと判明した
原作者とあらかじめ交わした約束を守らず反故にしたといういきさつは今回の件と一緒だよ
日本では、宮崎駿の引退発言はいつもの引退詐欺みたいな軽く扱う風潮があるが、ル=グウィンはそれを信じて映画化を承諾し傷つけられたことは覚えておいてほしい
最後にル=グウィンのhttp://hiki.cre.jp/Earthsea/?GedoSenkiAuthorResponseから
>アメリカと日本の映画製作者はどちらも、原作本から採ったのは固有名詞といくつかの概念だけ、それも文脈を無視して断片を切り取ったのみで、ストーリーはまったく別の統一性も一貫性もないプロットに置き換えました。本だけでなく、読者をも軽視するこのやり方は、疑問に思います。
死者が出たのは残念だけど、死者が出たからこそ漫画や小説のドラマ化映画化で横行している原作レイプは人間の魂どころか肉体を殺す許されざる罪なのだと、製作側に理解させて意識を変えるチャンス。
漫画のアニメ化も一昔前は原作レイプだらけだったけど、単行本の後書きやブログで原作へのリスペクトが無いアニメ化を嘆く原作者に煽られ、目を真っ赤な攻撃色にしたオタクの群れがネットのあらゆる場所でアニメスタッフを攻撃して暴れ回った結果、近年はファンの多い人気作のアニメ化は原作に忠実に作る傾向に変わったのでしょう?
脚本会議は毎回原作者と担当編集者が参加してシッカリご意見拝聴しております
とオタクを怒らせないようにアニメ公式はこれでもかと原作リスペクトを発信している。
今回のドラマもだけどドラマ化される漫画は女性向けが多いようだ。女性ファンは大人しいから原作レイプしても泣き寝入りするだろうと舐められているのかな?
今からでも遅くない。円盤やグッズを破壊した画像をネットに上げてアニメスタッフが身の危険を感じそうな怪文書を何十スレッドに渡ってポストし続けたかつての男オタクのような炎上騒動をドラマ化漫画のファンも起こせば「原作に忠実に」という諦めていた夢を実現できる。死者が出たことで誰もあなた方の怒りを無視できなくなった今が一番のチャンス。
マンガや小説をドラマ化・映画化する2次利用は、ドラマ化・映画化が決まるずっと以前、出版する段階で出版社に許諾されている。
一般社団法人 日本出版者協議会(https://www.shuppankyo.or.jp)の出版協版「新・出版契約書」では次の条項がある。
第5条(二次的使用等における乙の優先使用と甲の権利)甲は本著作物の翻訳・ダイジェスト等、また演劇・映画・放送・録音、録画等、その他二次的使用について、乙が優先的に使用することを認める。
https://www.shuppankyo.or.jp/keiyakusho
一般社団法人 日本書籍出版協会(https://www.jbpa.or.jp)の①出版権設定契約書ヒナ型1(紙媒体・電子出版一括設定用)2017年版『出版契約書』(PDF)では、次のようになっている。
第 16 条(二次的利用)
本契約の有効期間中に、本著作物が翻訳・ダイジェスト等、演劇・映画・放送・録音・録画等、その他二次的に利用される場合、甲はその利用に関する処理を乙に委任し、乙は具体的条件について甲と協議のうえ決定する。
https://www.jbpa.or.jp/publication/contract.html#pdf1
原作者が主人公とヒロインのキャラを変えるなと念を押していたが改変しまくり。
「いいひと。」を守れなかった責任は作者にあると連載終了を決意。
原作を大きく改変し主演男優(ジャ◯ニーズ)の演技もひどく炎上状態に。
ドラマを見た原作者がが原作と違いすぎてショック。もうやってられんと連載休止に。
作品のキモである「高校生の主人公が若く見えすぎてしまう母親を女性として意識してしまう」という設定に
どう見てもババアにしか見えない女優をあて、ストーリーや設定を改変しまくり。
原作者がやっぱりブチ切れて、最終的に原作クレジットが原案クレジットに変更されてしまう。
第2話で転校してくるアスペを学校で受け入れるか特別支援学校にぶち込むかを生徒が選挙する展開に。
テレビ局だけでなく原作者にまで非難が殺到し、原作者はこの展開を支持しないとして原作から降りることに。
原作者に対する無許可突撃取材に原作者が激怒、プロデューサーに二度とさせないと約束させるも再突撃される。
その後、海猿関連書籍が契約書なしで勝手に販売されていたとして原作者が絶縁宣言を行う。
・テルマエ・ロマエ :フジテレビ……というかエンターブレイン
事前相談もなければ根拠の説明もなかったとTVでぶっちゃける。
しかし契約は出版社が行っており、フジテレビ側が契約を押し付けたものではなかったとのこと。
原作者は「宮崎駿が監修する」「原作を変更しない」という条件で映像化を許可したはずが
なぜか宮崎駿はノータッチで原作を改変しまくった作品が出来上がってしまう。
原作者から「私だけではなくファンもバカにしている」と痛烈に批判された。
トラブルまでは行ってないけど高橋留美子はビューティフルドリーマーあんま好きじゃないらしい。
誰が悪いのか。
1.原作者
2.脚本家
3.プロデューサー
4.日テレ
https://fujimedia22.com/2024/01/29/ashihara-hinako/
商業目的なので、原作に拘られてもTV番組として成り立たない事が有るため、
そのような事が起こりうることは理解してい貰わないと話にならない、等という事が考えられる。
海外の例でも、スティーブン・キングの原作が映画化されたものがいくつも有るが、
どの作品を見ても原作とは大きくかけ離れたものになっている事実は否めない。
但し、契約として原作から逸脱するようなストーリー、演出が有った場合は原作者が拒否できるものならば、
原作者と契約しそれを反故にした側が悪いのは決まりきっているが、現段階では契約内容を知り得ていないので。
原作者は自分の作品に対して非常に思い入れのある人だったというコメントを目にした。
それは当然のことだと思う。
でも自分の思うようにさせてもらえなかった、自分の思うようにいかなかった、
それに腹を立てたのか、心が傷ついてしまったのか、
はたまた、そんなに揉めるつもりはなかったのに、自分の考えを上手く伝えられずに炎上してしまった事に心を病んで...
心の奥底の事は分からないけれど、自ら命を絶つような事ではなかったと思うのだが。
残念でしかない。
合掌。
初恋の人(二次元)に町山の似顔絵を投稿するくらい映画評論家町山智浩にご執心の諌山先生。
諌山「映画化するにあたって町山さんがいいです!町山さんじゃないなら許諾取り消します!」
町山「いや、俺脚本家じゃねーし……」
諌山「絶対に町山さんがいいです!」
町山「じゃあ、4巻までの内容を90分くらいにまとめて……」
諌山「俺は町山さんの進撃の巨人が見たいんですよ!!!原作とは別でやってください!」
町山「えぇ……」
諌山「あとエレンはもっと人間味があるナヨヒョロにしてください!」
町山「マジで?」
試写会場「……なにこれ……」
諌山「キャッキャッキャッwwww」
漫画原作のドラマ脚本の件で大揉めになって死者まで出てしまったが、大事な作品の映像化に関して原作者自らが制作に参加して大ヒットした昨年の作品が3つある。
90年代に放送されたTVアニメに不満を持った原作者の井上雄彦が自ら監督となり、最終試合の山王戦をCGアニメ映画化。声優変更や主人公変更、原作にないエピソードの付け足しなど、戸惑う観客の声もあったが、原作者が行った変更だからと作品叩きにもならずに、結果大ヒット。
原作者の尾田栄一郎が製作総指揮となってハリウッドによる実写ドラマ化。実写化における原作からの変更点は全て尾田栄一郎のチェックを受けて原作者のお墨付きだからファンも文句言わずに絶賛の嵐。当初のコンセプトアートでリアルなヤギ頭だったゴーイングメリー号は、実際のドラマではアニメに近づいた外見になるなど、ちゃんと守るところは守られてる印象も与える。監督も役者も原作者を神の如くリスペクトしまくる動画をアップしてるから変更も悪い印象にならずに大ヒット。
歴代ナンバー1のジャズ漫画のアニメ映画化。こちらは原作者ではないが、担当編集者として初回から原作制作に協力し続け、現在は原作のストーリーディレクターとして漫画にクレジットされているNUMBER 8氏が脚本を担当している。原作10巻分を120分に落とし込んでいて、原作ストーリーがかなり省かれ主人公のセリフが別のキャラのセリフになるなど変更が多数あるが、原作者に一番近く、一番信用されてそうな漫画スタッフの脚本で原作者お墨付きは分かってるので原作読者も誰も文句言わない。というかラストが原作と全く逆の結末なのに原作より好きという人が多数。演奏シーンの作画のまずさからディスりも受けたが、それを超えるシナリオでリバイバル上映されるほど大ヒットした
今の漫画家は映像思い浮かべながら描く人が多いだろうから、映像化の話が来た時は「自分に監督やらせてくれるなら」って条件を出したほうがいいよ。漫画描けるならコンテも描ける。監督に自信がないなら「自分が脚本」を条件にしてもいいし、それも自信ないなら「自分を製作総指揮に」って要求して、問題あったら自分の一存で制作進行をストップすることができるくらい権限をもらえばいい。
金カムの映画化で「主人公はアイヌが演じるべき」って自称映画好きの人たち(笑)が言ってる。
原作の段階からアイヌの人や研究者の声を聴きながら作られてるんですわ。
すべての人が納得するのは難しいけれど、頑張って作ってくれていると思う。
「蒙昧を啓蒙してやろう」って魂胆が見え見えなんですよ。
ハリウッドの複数の作品で、実際の聴覚障碍者が聴覚障碍者の役を演じている。
そのおかげで聴覚障碍者の演出が向上しているし、社会の理解が進んでいる。
それに比べてアイヌは1万人もいない。
年齢もだいぶ上に固まってる。
聴覚障碍者のフレームを雑にアイヌに流用するのは、聴覚障碍者にもアイヌにも失礼。
ここ20年くらいでアイヌのあつかいはだいぶ良くなったけど、私の祖父はアイヌだったと成人してから初めて聞いた。
早くに亡くなっているので私は覚えていない。
おばあちゃんに聞いたら悲しい顔をしたので詳しいことは聞けていない。
札幌で小学生だったころ「アイヌの人は指の第一関節にまで毛が生えているんだって!」と無邪気に友達に言われて「そうなんだ。私は違うな。」と思っていた。
でも背中に毛が生えてる女なのよ私www
そしてアイヌの血が流れていたわwww
平成初期にアイヌだと知っていたらアイデンティティの構築に影響があったと思う。
多感な時期に「みんな(※マジョリティ)と違う」って病んでいたかも。
金カムのマンガ・アニメ・映画で、ポジティブにとらえるきっかけになった若い子たちがいるといいな、と私は思っています。
人と違ってもいいし、受け入れられたら個性にもなる。
それを「1か0か!」「俺たちの倫理に合わないクソキャスティング」「これだからジャパンは!」って大味で叩いてる人たちには辟易しました。
社会はちょっとずつしか変わっていかないから、ちょっとずつ進むしかない。
そのきっかけを摘もうとしていませんか?
オモコロの https://omocoro.jp/kiji/430490/ 「電車未経験者が電車に乗ってみる」がちょっと話題になった。
当該記事の筆者は大人になるまでまともに電車に乗ったことがなく、記事執筆のために今回電車に乗ることになったのだが、昭和並みの制限を課すことになった。「Google検索禁止」である。確かに昭和時代にGoogleはおろか、一般の人々が検索に使えるインターネットは存在しなかった。そういうことを考えれば、これは昭和当時の制限に見えるかもしれない。
しかし、彼女はもう1つ制限を課すのを忘れていたことで、非常に迷うことになってしまったのだ。課さなかった制限とは「ICカードで乗らず、必ずきっぷを買って電車に乗る」である。この行為も昭和を再現するには必須なのだ。
これを課しておけば、彼女は目的地へのきっぷを買うために路線図を見る羽目になっていた。きっぷの自販機の上にはほぼ確実に路線図がある。これを見れば、乗るはずの電車がどちら方向に行くかはそこまで迷わなかったはずだ。彼女の失敗は全てここに起因する。まあ、彼女がやりたかったのは「昭和を再現して電車に乗る」ではなく「電車に乗ったことのない人が電車に乗る」なので、そこに気が付かないのはある意味しょうがないのではあるが。そこは途中まで同行した父親が教えようよ。
路線図。交通図とも言われるこの地図。小学校中学年では郷土の地理的社会を学ぶ時間があり、その題材としてうってつけなのだ。福岡に現在もその授業があるかどうかはわからないが、東京など特に鉄道が多い地域の小学校では当たり前のように授業に取り入れられている。それが回ってフィクションでもその描写がある。
「先生のつうしんぼ」が非常に有名な童話作家、宮川ひろの作品の中に、「四年三組のはた」という作品がある。この作品の主要なエピソードのきっかけとして、東京の交通図が登場するのだ。担任の先生が産休で休んでいる時に、クラスの児童たちは交通図を作る実習授業の際に日比谷線人形町駅のそばにある水天宮の存在を知り(当時半蔵門線は存在しなかった)、安産お守りを買いに学区外に出かけることになる。この作品は「先生のつうしんぼ」同様、日活が映画化している。
話がズレた。検索が使えない昭和の人々は、手帳に交通図を挟んで移動していた。そもそもまともな手帳には一番うしろの方のページに東京大阪運が良ければ名古屋の交通図が印刷されていた。平成初期に「好みのリフィルを挟んで自分オリジナルの手帳に出来る」という名目で流行ったシステム手帳にも、リフィルの1つとして交通図は売られていた。
結局、どこかに行きたい場合、昭和の人々は交通図を見てその方向を確認していたのだ。
交通図にはデフォルメが存在する。このせいで引っかかることがいくつもあった。子供時代、自分の住んでいる街を交通図で把握していた自分は、市と同じ名前の駅が丸いマークに囲まれて書いてあるので、自分の住んでいる市は丸いものだと思いこんでいた。これは前述の社会授業で覆されることになる。
自分だけでなく多くの人が交通図でひっかかり、さらに語り継がれているのが「大手町駅」の存在だ。地下鉄での乗り換えを考慮したとき、大手町は非常に便利な乗換駅に見える。実際には、大手町駅は乗り換えには非常に不便な駅なのにも関わらずだ。つい最近まで、受験のために上京する学生に対しての指導には「大手町で乗り換えることを考えないように」という一言が付け加えられていた。平成初期に、乗り換えの便利さ、不便さをわかりやすくしたデザインの路線図が作られ、メガネ拭きなどに印刷されて販売されたこともある。https://hakutsuru583.hatenablog.com/entry/2023/12/20/193000 その実物がこのエントリにあった。
最近自分が気がついたのが、埼玉の広さだ。交通図では、東京圏の交通図はせいぜい和光市、ちょっと豪華で所沢までが記載されていた。壁に貼るポスター程度まで大きくなると、八高線を含む飯能までが収録範囲になる。自分はそれを見て、最近まで「東京圏の端は飯能、つまり飯能市は埼玉の西端にあるのか」と思い込んでいた。まさか同じことを思っている人が多いとは思わないが、そう思っている人は改めてGoogle Mapsで飯能市を検索してみてほしい。飯能市は埼玉のけっこう中央にある。
「海辺のエトランゼ」はうろ覚えだが海辺の田舎町で景色のきれいさが推されてた
最近では「ただいま、おかえり」というゲイカップルの子育て漫画がアニメ映画化すると発表された
長編作品をぶつぎりで映画化するのがそもそも合っておらず、揉めたのかな
テンカウントは最初の1巻はプラトニックで精神性を重視する作品だった
潔癖症で少し人に触れることさえ激しい恐怖を感じる男を、カウンセラーの男が治療し、やがては恋に落ちていくだろうみたいな内容のBL
ドラマCDで声優たちが、繊細に心理描写していて素晴らしいとほめちぎっていた
BLは多様化していっているとはいえ、基本的には男たちが速攻セックスして濡れ場濡れ場なのがポピュラーである
わけもわからないままアンアン演技するCDに比べたら内容がまともでコメントに困らずにすんだのだろう
でも結局テンカウントも次第にただのアンアンエロ漫画と化していく
うろ覚えだけど手袋越しに弄ぶのならセーフみたいな理論でカウンセラーが潔癖症を攻め立てまくる
編集にテコ入れでもされたのか?既定路線なのか?普通によくあるBLと化した
それで客が離れたわけではなく、むしろ好評だったのか250万部売れておりヒット作である
カウンセラーが患者に手を出すのってコンプラ的にヤバイのでそこらへんもアニメ化では引っかかったのかな
「抱かれたい男一位に脅されています」というテレビアニメ化したBLは、主人公カップルの初エッチは強姦だった
そしてBL漫画によくある「まあ気持ちよかったからええか」でなんか付き合ってしまう
でもコンプラに引っかかったのか、アニメでは改変されて強姦ではなくなった
一度目は強引に迫ろうとしたが嫌がられたので気遣って引き下がり、二度目にはちゃんと受け入れてラブラブエッチという展開になった
漫画では昔ながらの突然野獣と化してレイプとかショタを襲う大人とかあるけど、アニメは今は厳しいのかな