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はてなキーワード: 日本映画とは

2016-08-31

http://anond.hatelabo.jp/20160830115315

あー、分かる、分かるわー。

ダサいよねー、日本。もう日本自体ダサい。って言うかダサイって言葉自体がダサイしそれを匿名で書いちゃうのはもっと(略

だけどまぁ映画はやっぱ洋画? 日本映画とかつまんないしさ、あと音楽洋楽? JPOPとか誰も聞いてないし。

それから絵画もだよね、モネとかダリとかよく知らないけど有名な芸術家ってみんな西洋じゃん?

あ、あとおにぎり? おにぎりダサイからハンバーガーだよね。ってか和食ダサいから洋食って話か。

それと後なんだっけ? 洋ゲー? うんFPサイコー和ゲーとかオタクキモいし、萌えとかダサイ。

あーなんで俺日本人なんだろー。日本人だっさ。

とか俺も思ってたわ。中学生くらいの時。

2016-08-30

完成後にああだこうだという

やれ配役がどうとかあそこの台詞は、演出は、とか。

脳内監督プロデューサーごっこもいいんだけどさ、

作品というのはあるバランスでできあがっているもの

レゴみたいに簡単にパーツを取っ替えできるものじゃない。

たとえて言えば、自然石を積み上げて作った塔みたいなもの

アンバランスに見えるところまで含めて完成しているのであって

一つ石を抜いただけで、全体がガラガラ崩れ落ちる、

ワンシーンを抜いただけで印象がガラッと変わる。

そんな繊細さをもった全体なんだよね。

そして、あくまであの映画はあの配役であの演技・演出で、

期限内、予算内で完成し公開され、そして大ヒットした。

それが事実の全てであって、それが監督以下スタッフの総力に対する評価だよ。

あとからいろいろ言っても、何の意味もないよ。

海外版を作るのは、それはそれで結構だけど、

最初から海外意識した版を作ったら大コケしてた可能性も当然ある。

それに、個人的には、ハリウッド方式世界展開を目指すやり方が

日本映画にとってベストだとも思わないんだよね。

それが必然と思うとき監督意志でそうすればいい。

世界展開のために」する配慮なんてものが、いまの日本映画でうまく機能するとは思えない。

今回の映画別に世界向けに作らなかった。ただそれだけのことで、

それ以上はもう「余計なお世話」だと思う。

もしそのイチャモン正当性を持たせようと思うなら、

もう「自分でその配役で撮ってみろや」以外に言うことはないよ。

そういうもろもろの意味で、今回「製作委員会」とやらがなくて本当によかった。

そう思わされたよ。

http://anond.hatelabo.jp/20160829171356

2016-08-22

白状

えー、昨夜こちらの記事を書いた者です。

シン・ゴジラそんなに言うほど面白いかあ??

http://anond.hatelabo.jp/20160821212820

先の記事読んで頂いた方々に心からお礼とお詫びを申し上げます

以下、告白というか白状です。

 

記事の私の体験話は100%真っ赤な嘘です。シン・ゴジラ初日に胸躍らせながら見に行きました。

感動で泣きました。いろんな人に「この世紀の傑作を見ろ!」と言って回りました。

自身もう何度も映画館に足を運びました。

ハッキリ正体を晒すと、私は以下の記事ブログに書いた者です。お陰様でこちらの記事もいろんな方に読んでいただきまして、先の増田を読んだ人の中にも目にした方がいるのではないかと思います

 

シン・ゴジラ感想ネタバレ極力無し) 昭和29年と2016年の「今この瞬間」 - 銀河孤児

http://d.hatena.ne.jp/adenoi_today/20160731/1469941620

 

 

さてでは何故そんな私があのような増田記事を書くことに至ったのか。

それは、シン・ゴジラを巡るもろもろの論争が、あまりに私にとって居心地の悪いものだったからです。

 

例えば「半減期20日間というのは福島の現状を思うと都合が良すぎる」という意見がありました。そうした不満を持つのは至極まっとうなことであろうと思うのですが、「フィクションだろ? 現実区別つけろよ」という雑な(嘲笑混じりの)反論を何度も見ました。

 

例えばこちらの記事です。

シン・ゴジラ』、ゴジラがあまりにかわいそう。(花田紀凱) - Y!ニュース

http://bylines.news.yahoo.co.jp/hanadakazuyoshi/20160812-00061061/

批評的に価値ある記事とは思いませんが、注意深く読めばあくまで「個人的感想」の範疇に収まる言葉遣いがされていることが分かりますしかしこんな文章ネットでは袋叩きにあっており、その光景は率直に言って醜悪なものでした。

 

例えば先日の漫画家藤島じゅん氏の例の1ページ漫画です。

確かに彼女漫画内のセリフ問題があったのは確かでしょう。「どんなに映画に不満があっても、それを楽しんでいるファン感性まで馬鹿にすべきでない」という真っ当な批判がありましたが、一方でそう口にする人々が同じ口で「あれをただ動いてるだけとしか感じられないなんてクリエイターとして感性問題が…」などと言っているのをいくつか見ました。「感性まで馬鹿すべきでない」とは何だったのか

さらには彼女が挙げた「面白かった映画」まで腐していくようなリアクションも多く見られました。そうした発言は以下のようにまとめられていますが、こうした批判側に同じ穴のムジナが大量に存在した事への言及は極々局所的にしかされませんでした。

 

「粟や稗しかなかったのはこれまでの邦画」「いま、会いにゆきますが中トロって感性が死んでる」という話や日本映画ファンの反発 - Togetterまとめ

http://togetter.com/li/1014983

 

シン・ゴジラ賞賛する意見の中には、ついでのように「最近邦画」を雑に腐していく意見が非常に多く見られました。そうしたツイートRTして拡散している人たちは、とても普段邦画なんてちっとも見てそうにない人たちばかりでした。中には「シン・ゴジラがヒットすることで映画界の人々が過ちに気付いてくれることを祈る」とまで言う人までいました。

私も邦画はあまり見る方ではありませんが、今年であれば「殿、利息でござる」は無理な恋愛要素も歪なキャスティングも無い極めて良質な映画だったと思います

彼らは自分発言を「あくま邦画界への批判であり、邦画をよく見に行って楽しんでいる人たちのことまで馬鹿にしたつもりはない」とでも思っているのでしょうか? 正直「何も考えていない」としか思えませんでした。

 

 

増田記事は「下手につっこまれないように」と、できる限りの注意を払い書いた文章です。その甲斐もあってか、多くのブコメからある程度好意的コメントいただき、流石にここまで気を使えば叩かれることはなくなるのか、と安心しました。しかし一方で「あの映画純粋楽しめないなんて可哀想な人」「この手の人って生きててしんどいだろうなー」など、まるで私の書いた感想を持つような人の人間性に問題があるかのようなコメントを平気でつけていく人も多少散見されました。

また、コメントで指摘されている通り、私の前増田記事に載せた批判意見ほとんどは、既にネット上でも多く話されているものであり、大してオリジナリティのあるものではありません。

しかし平気で多くの人が「シンゴジラ批判意見にまともなものが無い」などと言います。そんな雑な発言が200も300もRT、Favされています。そんな状況が、私にはとても悲しく、情けなく、腹ただしく感じられました。

 

去年私は実写版進撃の巨人を見に行って、このような記事を書きました。

 

実写版進撃の巨人」が割と最高だった話 - Togetterまとめ

http://togetter.com/li/855283

 

幸いこの時もまとめ記事に直接つけられたコメントブコメには、(一部を除き)そこまで私の感性ごと批判してくるような意見はありませんでしたが、ネット上の進撃の巨人叩き意見の雑さたるや、今炎上しているシンゴジラ批判記事なんて大したことはありませんでした。しかし、それに対し反論する人はごくわずかで、みんな何の気無しに「こんなん誰が得したんだ?」などと平気でつぶやいては、しばらくするとそんな自分発言すら忘れていくようでした。

 

 

いえね、正直に言えば、みんなもっと雑に批判すれば良いんですよ。雑に褒めれば良いんですよ。好きなだけ皆で殴り合って、次の話題作が出た時にはそんなこと忘れてまた握手すれば良い。

増田記事は、シン・ゴジラにノレなくってモヤモヤしてて、けど下手につまらなかったとも言えずにいる人たちへのエールです。結局絶賛してる人間が書いてる嘘記事なんだから、そんなんエールになるかよって気もしますが、私なりの心からエールです。

 

シン・ゴジラ見て、面白くなかった奴、納得いかなかった奴、気に入らなかった奴、面白かったけど正直そこまで…って奴。

大丈夫だよ。てめえらの感性はちっとも間違ってねえよ。自信を持て。自分の感じた気持ちに胸を張れ。あんな下らねえ奴らに負けてんじゃねえ。

 

から言えるのはそのくらいだ。

 

(これ今回ばっかりは自分史史上でも割とトップクラス陰湿な真似した自覚はある)

2016-08-18

ネタバレあり)ゴジラ綾波レイである

って思いついた話。


アラサー腐女子です。

夏コミも無事に終了したため「シン・ゴジラ」を鑑賞してきました。

結論から言えば、最高。


父親の影響でそれなりにゴジラにも触れてきた幼少期。

ストーリーを暗記するほどに思い入れはなかったものの、

ゴジラ氏をはじめとする個性の見える怪獣達に親しみを持っていました。

(当時はモスラが可愛くて好きでした)

実家にある小美人ペンダントまだあるかな

(ついでにミニラよりはリトルゴジラ派でした)


更に同時期、我が家でフル稼働していたSSソフトゴジラ 列島震撼」をプレイしていたことにより、

私の中のゴジラ氏はすっかり愛着のあるキャラクターと化していました。

※「ゴジラ 列島震撼」…SS向けに1995年に発売されたRTSであり、自軍であるGフォース兵器を用いて都市部に現れる怪獣殲滅していくゲーム

ちなみに難易度が糞高い。基本、複数怪獣が出てくるステージ怪獣を同士討ちさせることに全力を注ぐプレイ必須


しかし今回の「シン・ゴジラ」、どうやら様相が違う。


世間では蒲田くんだなんだと呼ばれて人気の第二形態、あれ普通に恐ろしかたからね!

しかし早くも二次創作キャラクター化して落とし込まれる様に日本オタクのたくましさを垣間見ました)


恐竜とも水生生物もつかない見た目にエラから露出する赤い中身。

そんな得体のしれない生き物が血を流し、更に大きく進化していく。

最終形態を見たときには絶望しかありませんでした。勝ち目ないじゃん!私アイドル辞める!

今回のゴジラ氏は今までよりも身近な、より現実的な脅威として私達の前に立ちはだかったのです。


さておき、私エヴァも好きなんですね、腐女子的な要素を抜きにしてもすごく。

リアルタイムでは見ていなかったんですが、やはりそこは社会現象

深夜の再放送などで目にする機会が多く、旧劇場版区別のため、あえてこう表現します)の

絶望とも希望ともとれる無常観が強く印象に残っています

TV放送ときから新劇場版が上映される今の間にネットなどの情報網も発達し、

隠されていたメッセージや設定など、語り尽くされている感こそあります

それを置いてなお今も人々の心を捉えて離さな作品だと感じています

私自漫画を描く人間なんですが、エヴァカット割りや間のとり方などの作品に流れるリズム

今でも参考にしています



今回の「シン・ゴジラ」、ネットでも様々な方が仰っていますが、

シーン一つ一つの割り方やBGM、果てはヤシオリ作戦への流れ方など

エヴァノウハウを存分に活かした映画でしたね。

ちゃんとゴジラという枠組みなんですけど、庵野監督作品に落とし込まれている。

見方を変えれば公式の超金のかかった二次創作との解釈もできてしまうんですが、

多くの人を巻き込んだ一流のエンターテインメントであることは間違いありません。

日本映画の到達した「点」を目の当たりにできたことを幸せに思います


上映後に私が感じたのがタイトルにも記載しました、

ゴジラとは綾波レイなのではないか、という妄想、もとい仮説です。


綾波レイと言えばご存知エヴァンゲリオンヒロインであり、

無口で感情に乏しいという日本美少女界のテンプレートを不動のものにしたレジェンド

彼女は劇中で主人公シンジと触れ合うことで人間らしさを見せ、

かと思えば新旧劇場版では世界ヤバイ状態に落としこむお茶目さんです。


彼女は人の望むものに形を変えられる概念だと思うのです。

ミクロな部分で語ると旧劇場版の人がLCLへと変わっていく描写が有名でしょうか。

あの刹那彼女は、人類それぞれの一番想っている相手へと姿を変えました。

綾波レイというキャラクター自我がないように思えます

そのキャラクターシンジはじめ劇中の登場人物、そして庵野監督

果ては我々観客の望みによって変化し、確立されているように感じるのです。


そこが今回「シン・ゴジラ」を観て共通するかも、と思った点。

ゴジラは私が生まれる前から恐怖の象徴として、人類対峙するものとして、

あるいは正義ヒーローとして、そのかたちを様々に変え今も愛され続けています

その我々の望みを吸って息をする、ある種世相を反映するあり方に

私は綾波レイと同じ血が流れていると感じたのです。


彼(彼女)は何にだってなれるし、何だってできます

恐らく今回のゴジラ氏もそうで、あれはきっと我々が望んだ姿なのです。

そしてこれからゴジラ氏は我々の望みによってその姿を変えていく、

そういう生き物なのかなと。

あわよくば、これから作られるゴジラヱヴァ

どんな結末であっても受け止めるのはもちろんなんですが

望みを吸って育ったそこに少しでも希望がありますようにと

なかなか希望の持てない現代社会で揉まれ腐女子は思うんです。


考えが浮かんだときやばい天才だ!と思ったんですが文章にまとめるとそうでもありませんでした。

お付き合いいただきありがとうございます熱量を吐き出す場所がほしかったんです。



最後に、多大な熱量でこの作品を生み出してくれた庵野監督には本当に感謝です。

新作のヱヴァンゲリヲン、ご健在のうちに世に出していただければ嬉しいです。

今回の「シン・ゴジラ」が免罪符…というわけではありませんが

どれだけでも待たせていただきます

好きな邦画を並べる。見ろ。ただそれだけだ。

邦画を見ない人が邦画批判してる現状が最悪だ。

邦画好きは好きな映画を書きまくればいいと思う、こんな風に。オススメするからにはTSUTAYA辺りで手に入るものが好ましい。

自分の好きな邦画を並べることで、わりと趣向が見えてくる気もしないでもない。

先に感想を述べると、批評家受けするのもかなり好きだけど、批評家受けしないのも結構好きなのが分かった。。

ホラー見たらトイレいけなくなるのが苦手なので、好きな人ホラー映画も薦めてほしいところ。黒沢さんとか。

ちなみに最近見て好きになった洋画は、「セッション」と「マッドマックス」と「きっと、うまくいく」(ボリウッド見ようぜ)です。



漫画原作夏帆岡田将生中学3年生を演じる。

京アニ好きは必ず見ること。のんのんびよりファンも見ること。可愛くて悶え死ねる。山下敦弘の絵作りが最高。山下監督好きだ。

他にも山下監督で言うとリンダリンダリンダとか味園とか、音楽と混じったときの爆発具合が好きだな。

伊坂幸太郎原作原作未読者はネタバレを見ずにそのまま再生

小規模で公開され話題を呼んで、ロングランになってましたね。最近そういうの少ないな。ミニシアター系の消滅が大きいのか。

アクションだらけの野望篇。そんなのありかの革命篇。革命編も好きだ。

ドラマからの流れもあるけれど、日本映画らしくないアクション映画としてとても好きだ。ドラマ見なくても行けるだろう多分。あとでドラマ見ればいい。

脚本宮藤官九郎。とは言うけどSPと一緒で金城一紀作品だ。正直クドカン映画脚本はこれがピークだ。

今やったらいろんなところから苦情の嵐だろうけど、邦画は今でも結構攻めているのが好きだ。政治社会情勢にメスを入れる作品は毎年ある。見てない人が多いだけで。

まぁそんなこと抜きにして勢いがあって好きだ。

柴咲コウバトルロワイアルGO世間に見つかった。超可愛い

ここで紹介する?って感じだし、まぁ見てる人多いと思うけど好きな邦画を並べてるだけなので。

映画1作目が最高で傑作。あとは見るな。

ドラマのが好きだったとか言わないで。映画もポップで細部までこだわっているのが良い。

邦画好きが薦めてくれ無さそうな映画なのは理解しているが、出演女優リアルで恋できる映画。ある種のAV

こう見るとドラマ映画も悪くは無いよね。

なのでもう一本だけドラマ映画を置いておく。2作目は見るな。

一作目は傑作で、二作目はエンタメに振った。一作目が評価されがちだが、二作目も結構好きだ。

最近まり見なくなってしまったハードボイルドをしっかり描いてるアクション映画大人の男の嗜みとしてどうぞ。腐女子も可。

井浦新ARATAだった時代か。脚本GOより劣るけどそれでも原作出演者と意気込みみたいなのが凄かった。

これも評判がよく拡大上映された作品。あ、監督お久しぶりですハガレン頑張ってください。

今気付いたんだけど、窪塚好きみたいだ。最近脇役で時々見るけど、主演を食う感じがたまらんすよ。

松本大洋つながりということで。ピンポンより好きだ。

これも評判がよくロングラン。噂に聞くところによると、この映画を見て役者を目指した今人気の若手男性俳優たちが、結構居るらしい。

83分の中で止まることなく加速しまくるけど、どこか静かな感じ。もう10回は見た。

ていうか松田龍平も好きみたいだ。彼の映画見てたら間違いないとこ、結構あるよね。

なので松田龍平映画を。この映画はなんというか、完璧。隙が無い。長いのに静かなのにThe邦画なのにぐいぐい見てしまう。

テレビ放送版は大幅カットが加えられてて黒木華の出番がほぼ無くなっていた。残念なのでCMカットじゃないの見て。

中島作品ではこれが一番好き。深キョン可愛い

田舎風景に浮かぶ毒舌ロリータ時代錯誤ヤンキーが繰り広げる百合…じゃなく友情劇。

なんかいろいろあるけど、まあいいじゃん!ってすっ飛ばしていく演出が、結構好きです。カラッとしててね。

10アニメかと言いたくなる畳みかけてくる小ネタが延々続く。堺雅人に胃薬をあげたくなる映画

見終わった後に何も残らない感じがたまらない。南極行ったって、日常とはそんなもんである

沖田監督好きだ。モヒカンは5分ごとに小ネタが来て、かなり良かったです。

周防監督忘れてた。慌てて入れた。和製ミュージカルっす。色彩がとてもきれいなコメディ映画

普段アニメしか見ない人に特におすすめ

YEN TOWN BAND」復活に懐かしい~~となるなら映画を見なさいな!

監督花とアリスおすすめ世界観確立されている監督だよなぁ。

こう…急に薬師丸ひろ子をぶっこみたくなった。Wの悲劇とかも見とくべきではないだろうか。

手嶌葵が歌いだすのでジブリ映画かと思うけど、もちろん違う。

なんか良い映画みたいな~って時におすすめ

ぱっと思いついたのはこのあたり。あくまで「好きな映画」であり「良い映画」を羅列したわけではなく、良い邦画もっといっぱいある。

最新作とかは、一旦自分の中で寝かせて整理して、好きかどうか判断したい派。

あと松尾スズキカオス映画とか、三池カオス映画も好きですけど、それ言うとこの記事信頼度が一気に下がりそうなので書きません。

好きな邦画あったら広めて、ついでにあなたが好きな邦画を言っておくれ。

2016-08-15

インテリの俺が全力でシン・ゴジラ批評するゾ

シン・ゴジラを観た。

エンタメとしては面白い

だが同時に庵野および日本映画限界を示すドキュメンタリーのような映画でもあった。

この映画は、

復興ありき、

再建ありき、

日本にはまだ力がある、

立ち直れる、

そういう答えがもう先にある。

出来レースっぽい。

結論はこれ。もっと詳しく読みたい場合は先に進んで欲しい。

日本万歳の大合唱で負の側面を覆い隠す

これは映画に限らず様々な場面で3.11震災後なんども繰り返されていることだ。

力があるって主張をかたくなに、ほとんど反駁不可能イデオロギーのように保持しているのは、

しろ思考停止の弱体化にしか見えない。

俺は出来る!って盲信しているやつは、強いんじゃなくて自分の弱さを直視できないだけだ。

もっとも、3.11以降繰り返されてるそうした自己欺瞞的な合唱に飲み込まれることは、まぁ仕方ない。

この作品を取り巻く精神的な状況からして、ほとんど不可抗力であるし、それだけで作品のすべてを否定するつもりはない。

しかし、せっかくゴジラほどの大怪物召喚しておいて結果やっぱり俺らスゲーの大合唱かよ、と思わざるをえない。

俺らスゲーの出来レースゴジラ以外の他のテーマでやってくれ、と言いたくなる。

ゴジラというキャラもっともっと掘り下げるべきテーマを蓄えた宝庫なのであって、ゴジラをそんな自己欺瞞物語なかに埋もれさせて浪費してはいけないのだ。

新たな危機に直面すればこそそれに見合った国の体制を改めるよう反省を強いられ、

新たにテーマを掘り下げればこそそれに見合った映画手法発明するよう強いられる。

しかしそうした危機テーマである当のゴジラが、ほとんど空虚存在であるがゆえに(たしかわずかだが神として語られ、放射能の脅威を連想させていても、しかしそれが物語構造のものに関わることはない)、

日本万歳のその国の概念のもの反省を迫る映画にはなっていないし、その手法に関して言えば新たな手法発明どころかエヴァンゲリオンとさして変わらない。

(たとえばキャラクターについて言えば、感情を押し殺したようにして淡々と語る綾波市川実日子に、外国語を混ぜたご機嫌なアスカ石原さとみに、真意のわからぬまま無理難題を突きつけてくるゲンドウは〈あの国アメリカに、それぞれ入れ替わっただけである。)

シン・ゴジラエヴァンゲリオン庵野確立した様々な設定を忠実に引き写している。そこには反省発明も見つけられない。

もちろん何の変化もないわけではないが、

そうした変化が結局は日本の閉鎖的で差別的視野に同一化する点、

自分に力があると信じたいがために他国と異性に対する偏見を利用する屈折した日本男性視点に同一化する点は、

この映画保守的ものにしている部分である

石原さとみによって日本を弱小国として見る可能性が排除される

たとえばエヴァンゲリオンにはなくてシン・ゴジラには見られる新しい部分は、政治の前景化であるとともに、(それがつねに〈日本の〉政治である限りで)他国政府との交渉だろう。

ここに石原さとみが登場するわけだが、彼女キャラクターは、自信を回復したがる日本男性の閉鎖的で差別的欲望奉仕している点で、やはりこの映画保守的ものにしている。

石原さとみのチャラけた演技は真剣に事案に対処している他のキャラクターに比べかなり浮いて見えるが、

しかしあれは日本男性の閉鎖的で差別的欲望からすると必然的な役柄になっているといえる。

演技がわざとらしいために良い演技とは言い難い、と思う観客もいるだろうが、しかしそういう演技も含めて必然的キャラのあり方だと思う。

日本米国の間に女性が入るというのは、日本からみて心理的必然性をもっている。

日本米国関係はいわばスネ夫ジャイアンであって、ジャイアンマッチョなところがあまりに出すぎると(たとえばジャイアンの力のみで事件解決したり、その力がスネ夫である日本に向かったりすると)、日本を守る日本人男性たちのプライドや虚栄心が傷ついてしまう。

そこで米国代表としてか弱い女性を置くことで、日本人男性日本人男性の力で国を守ったという体裁が保たれる。

かつ、あの日本語と英語を織り交ぜたヘンテコな日本語は、彼女をか弱い存在だけでなく変な奴として提示する。国際的観点からでなく、あくま日本人の側から見られた変人だ。

ここでは常識人変人の対は、内部(日本人)と外部(外国人)という対と本質的に繋がっている。変人変人であるのは、その者が外部から来た外国人であるからだ。

「〜アルヨー」とか「〜デース」とかい言葉遣いキャラが、日本人の側から見られた変な奴の象徴であるのと同じで、

彼女の奇妙な日本語は、他の日本人男性と観客とに米国でなく日本から観点を持たせ、その外部から来た変人として石原さとみを見させる。

視聴者たちが米国目線から日本を弱小国として見る可能性が排除される。

このようなわけで、この映画日本男性精神性の問題をそのうちに含んでおり、その点ははっきりと批判されるべきであるが、

しかしその限界をはっきりと映画のなかで示しているという点においては、そうした限界の記録として、ドキュメントとして、歴史的価値が大いにあると思われる。

その点では逆にこの映画評価されるべきだろう。

これほどありありと、日本的および日本男性想像力限界を示した作品はなかなか見つからないのではないか

風立ちぬ』にも認められるドキュメンタリー価値

この点ではジブリの『風立ちぬ』も同じだろう。

あの映画は、機械オタクの男が設計室に引きこもってひたすら戦闘機流線型フォルムにうっとりしているだけで、その戦闘機がどれだけ戦争悲劇を生んだか、とか、そうした男の機械オタクたちが生んだ戦争技術によって死んでいった女性への視点が欠如しているだとか、政治的またジェンダー的な観点からさまざまに批判を呼んだが、

しかしそうした戦中日本精神限界性をはっきりと示していたという点においては、ドキュメントとして大いに価値をもっている。

今回のゴジラもまた、同じような価値をもっているといえる。

こうして、批判されるべき部分は評価されるべき部分ともなる。

したがっておそらく、この映画において賭けられているのは、シリアスコミカル関係性ということになろう。これはどういうことか。

正しい反応とは、それを積極的に笑うというもの

さしあたりこれまでの論述で明らかになったことは、この映画限界証言するドキュメントとしては優秀であるが、それはいわば限界にはっきりと居座っているからであって、丁寧になぞっているからであって、限界を越えようとしているからではない、ということであった。

まりエヴァンゲリオン踏襲し、ナショナルものジェンダー領域において日本男性の閉鎖的で差別的欲望奉仕するこの保守的映画は、

限界を自ら反復し、演じている、ということであった。

日本男性政治家米国女性シリアスセリフを交わす場面で、自身の力への欲望は満たされるだろう。

しかしまた、あることを反復し演じることは、つまりそれを真似することであり、その虚構性を示すことである

そう考えれば、シリアスものコミカルものに転じる。

そしてそれに応じて、批判されるべき部分は、評価されるべき部分ともなるのである

したがって、このように問うことができるだろう。

限界を反復することは、限界に居座ることであると同時に、限界茶化すことでもあるのではないか。つまり限界批判することでもあるのではないか

たとえばエヴァンゲリオンの設定を踏襲することは、新たな手法発明努力放棄することであると同時に、反復しているその設定を茶化し、批判することでもあるのではないか

そうであれば、シン・ゴジラへの正しい反応とは、それを積極的に笑うというものではないだろうか。

まりシン・ゴジラが何かを反復している限りでシン・ゴジラを笑い、またその反復によってシン・ゴジラが茶化しているものを笑う、と。

誰か、あの映画を見て笑ったものはいるだろうか。

あの映画は、諸手を挙げて受け入れられているように見える。

私はその反応をこそもっと批判したい。

2016-08-11

シンゴジラをつくった人、人間ドラマなんて興味ないんじゃないか

昔、淀川長治が、マルクス兄弟について、「映画コメディではなく、舞台コメディ」っていったけど、「シンゴジラ」も映画である前に、シミュレーション映像化。この監督が撮ろうとしているのは、「ゴジラ」という生物が出現したとき対抗措置として作動するメカニズム人間ドラマとか、入る余地はないよ。

戦車ミサイルだけではなく、大型未確認生物日本上陸という非常事態対処する官邸を中心とした官僚組織メカ(機構)として扱われる。テロップはいる「内閣官房副長官秘書官」という肩書と「こんごう型護衛艦きりしま」」という艦名は、その機能を現すうえで等価であるということ。劇中、ヒロイックな面もあるけど「内閣官房副長官」がたまたま矢口」という人物だったのであって、「矢口」という人物の固有性は、ここでは意味を持たない。そこで俳優が演じるのは、固有の人物ではなくて、出世欲も含めて、その役職についている人物の類型を出ないが、それがシミュレーションを超えて「映画であるうえで問題とも思えない。

ストーリーを進めるにあたり、言葉説明し過ぎるのがこの映画欠点だけど、前述した理由からストーリーの展開上、あまり大事ではない演者の振る舞いやセリフこそ、見るべき。市川実日子のあまり感情を見せないが、ないわけではない理系女子もっさり感。高橋一生の一流大学院-研究機関と等質な環境で馬齢を重ねた人間特有のいい歳をしたおとこ学生気分の抜けなさ加減。ピエール瀧の、市川とはまた違った感情を表に出さない鈍重な顔をはじめ、自衛官役おしなべての顔の良さ。アメリカからの通告を聞くシーンで、撚れて「かっこ悪い」竹之内豊のかっこよさ、等。

映画として、大傑作かと言われると疑問だけど、自衛隊官邸組織について詳しく調べて、特撮映画としての「ゴジラ」に喰らいついてくるオタクマニアが何を好むか、よく考えている。

あらゆる映画は、ジャンル映画であり、個々のジャンル映画は、固有の観客層を持つ。結局、大ヒット作もコアとなる観客層にターゲットを絞って、それを土台に観客を増やしていくほかないと思うのだが、テレビドラマをそのまま映画館スクリーンに映しただけで、そのドラマファン映画館に来た一時期のバブルのせいでそれが忘れられていたのではないか、と思った。ただ、そんななかても、固有の観客層に向きあう映画もあり成功事例もいくつかあった。今回はそのなかでも評判がひときわよかったものではないか。実際、小説マンガ映画化の際、原作念頭において見にくる客を当てこんでいるはずなのに、原作も読まずに撮っている監督いるからね。それなら、はじめからオリジナル脚本で創ればいいのにね。いったい誰が見るのかさえ考えずに、作っているとしか思えない映画が多いなかで、いい映画だと思うが、この規模での成功を納める後続する作品が出てくるのかな、とも思う。

*** 

無料で見られるテレビですら視聴率を稼げないのに、身内でウケたちゃちなアイディアをもとにして金のとれる映画をつくろうとする無謀なテレビ屋。制作委員会に名をつらね、誰でも思いつきそうな注文を並べるだけで、金を抜こうとする広告代理店うすい内容をさら前後編に分けて薄めてしまおうとする映画会社。本編とはまるで関係のない歌詞のサビを大音量で歌いあげる予告編。練りこみが足りず、登場人物性格破たん者にしかみえないばかりでなく、物語自体も前半と終わりで話のつじつまがあわない脚本。そこそこ良質な映画でも、評判の立ち方が気に食わないとワースト映画に挙げたがるポーズだけの評論家

矢口蘭堂の目のまえに、がれきの山が拡がっていた。遠い昔であるが、ハリウッドに次ぐ映画大国であったこの国が、いまでは見る影もなかった。

日本映画は、まだまだいけるぞ!」つぶやく矢口の声に力はなく、目はうつろだった。

シンゴジラ石原さとみのせいでギャグ映画に見えてしま

日見て友人と朝まで語ってきたんだが

やはり話は石原さとみ英語問題などだ

CGがしょぼいのは予算的にしょうがないとしても

カヨコ役をアメリカ人にさせなかったのは本当に残念

日本映画界の閉鎖的キャスティングが招いたものだと感じている


石原さとみに罪はない

彼女は頑張ったと思う

こんな負け戦、だれがやってもこうなるだろう

彼女キャスティングした庵野かだれかのせいだ


無能上司のせいで現場疲弊する

げんばはそれでも頑張る

感動した!

まさにシンゴジラという感じだ



映画自体面白かった

これで映画の出来が悪かったらまたたたかれてただろうね

2016-08-09

シン・ゴジラ見てきたか面白くなさそうに語る」という記事が素晴らしい

http://web.archive.org/web/20160808224033/http://www.tm2501.com/entry/Shin-gozira

記事を読んだ。風刺記事としての完成度が非常に高い。虚構新聞はこの記事を見習うべきである

この記事は「エヴァだけ見て庵野を知ってるつもりになってるやつが、シンゴジラを見て庵野を初めて知ったやつに知ったかぶりを決めようとしたらこんな感じになる」というのを迫真リアリティをもって描いている。

この記事に書いている内容の的外れぶりは本当に「ダメオタクあるある」だ。ダメオタクだったらこういうこと書きそうとういのが余すところなく書かれている。

よくぞここまで特徴をとらえて創作をしているなと感じさせる素晴らしい出来である。  

ま る で 作 者 が 本 気 で そ う 思 っ て 書 い て い る ように見えるくらいだ。



この創作記事話し手庵野っぽいと言っている描写はだいたい庵野より前に元ネタがあるので、庵野本質関係ない。

庵野本質がなにかなんか知らんが、特徴があるとしたら特撮好きってのがまず先にあって、あとはそれを演出するためにいろんなオマージュで彩られてるところだろうと。

だったら、庵野について多少なりとも興味あるなら、庵野オマージュがどこから来てるのかを考えるはずである

そういうところ理解したうえで庵野本質とは、みたいなこと考えるならこちらも聞く耳持つ気になる。

ところが、この話者はその表面的な部分だけを見て、これが庵野本質だってのを語る。 

こ れ は 恥 ず か し い。 

フォント芸はエヴァからだ、なんてことを本気で書いちゃう。さすがに恥ずかしすぎる。

会議シーンに触れるのに「日本の一番長い日」についての言及がないなんてことはありえないしほんと映画についてなんも知らんって白状してるようなもんだ。痛い痛い痛い。

実際多くの人が他の作品について触れる際に岡本喜八郎作品に触れている。当たり前だよなぁ?

シンゴジラは私だって映画なんてろくに見てないけどわかるくらい「パロディ」に満ち溢れている。

それはエヴァとか庵野じゃなくて「日本映画」のパロディの集まりなのである

だが、この虚構話し手はそういうことを一切考えない。すべてエヴァから来てることにしてしまう。 

エヴァしか知らないのに俺は庵野のことをよく知っていると勘違いしているため、「シンゴジラエヴァの焼き直しである(キリッ)」などということを口にしてしまう。

アメリカエヴァネルフ元ネタ(キリッ)……うわあああああああ(ゴロゴロゴロゴロ) やめろ、いっそ殺せ!

映画はいろんなつながりがあり、そうした積み重ねで映画ができているなんてことは少し考えればわかることなのだが、この話者の脳内にはエヴァ以前には映画がなく、エヴァ以外には庵野作品がないかのようだ。

自分で見て知っていることがすべてであると考えるような頭の悪さがなければこういう思考にはならない。

こういう表現が随所に盛り込まれており、短い記事の中でも

話者が「すごい頭の悪いくせにオタクとして通ぶることで他人に褒めてもらうことくらいしか承認欲求を満たすことができないようなみじめな人間であることを想像させる。



さらにこの記事特筆すべき点はまだある。

似非オタクの悪い癖もふんだんに取り入れられていることだ。

上でも書いたようにシンゴジラはいろんなものパロディオマージュに満ち溢れているわけだが、

この虚構の話者は、ただパロディオマージュであるというだけで作品評価を減点しているのである

これは映画を楽しむ才能がない人間典型的な「オリジナリティ幻想」というやつである

こういうことを言い出す人間は、映画を楽しむことより、映画について詳しい自分というものを誇ることが第一目的なのだ

から、あのネタは前にも見た。すでに知っているか評価できない、などとのたまうのである

こういう人間は、一緒に映画を見に行くと絶対不快になるので、付き合ってくれる人がいなくなる。端的に言ってモテいであろう。

「通ぶりたいあまり他人不快にさせる上、その知識が雑魚すぎて役にも立たない、ただの迷惑オタク」のイメージをこの上なく具体的に描いている。




ここまで人間として魅力なさそうな話者のイメージ想像でもなかなか作り出せない。

この記事を書いた人は実に「存在価値が全くないどころかマイナスのつまらないだけのオタク」というものをよく理解しているといえよう。

いやほんと、もし自分大学生のころにこんなことを真顔で書いてたら、数年後に恥ずかしさで死にたくなるような記事だった。素晴らしい。

この記事によって、シン・ゴジラというのはこういう「つまらないオタク」でも一応見に行くほどのブームになっているのだなと初めて実感できた。 

まらないオタクがわざわざ見に行って文句をいう作品は名作であるというのは不変の法則であることを考えると、この記事は実はシン・ゴジラステマではないだろうか。

シンゴジラ石原さとみ発音が嫌いすぎて夜も眠れない

この人どんだけ石原さとみのこと嫌いなんだよwww

http://b.hatena.ne.jp/Umekosan/

シンゴジラ進撃の巨人アニメ)の方が面白い特撮映画のガンは日本役者特にあの女性発音はひどく、それを直さずに撮影されていて日本映画界の闇を感じる

・見てきたけど、足を引っ張っている者たちがいた、それは日本俳優陣だ、とくにあの女性発音はなんだ?知名度だけの無能を使うしかない映画界・・監督たちの才能を潰しているのはこいつらだ

日本映画の衰退は役者ダメだということがよくわかった映画だった。あの女性発音は何?知名度だけで実力がない奴が参加してくるな

・見てきたけどとにかく日本役者がひどかった、あの女性発音とかね。発声練習頑張れよ

こんな感じでシンゴジラ記事ブクマつけては石原さとみ文句を書きまくってるの面白すぎ

シン・ゴジラ見てきた。めっっっっっっっっっっっっっっっっちゃ面白かった。

※シン・ヒロインネタバレがあるよ注意

 

庵野っぽいカット割りがかっこいい

明朝体テロップを入れつつも説明する気がまったくなさそうな速度で切り替わっていくカット専門用語早口でまくしたてるセリフ回し、そして未知の恐怖としてのゴジラ

もーかっこいい。ヤバい。中盤ぐらいまでこれでもかと言わんばかりに詰め込まれてて眼福。

ほらシン・エヴァはこねくり回してもはやよくわかんないことになってんじゃん? だからのしがらみもなく「ぼくのかんがえたこわかっこいいごじら」を素直にやれたからこれだけの品質になったんじゃないかな。

庵野映像で一番好きかも。

 

ゴジラ怖え

vsシリーズを経て日本映画の顔となっていたゴジラは知己みたいなもので、恐怖の対象ではすっかりなくなっていたけれど、今回のゴジラはふつーに怖い。何してくるかわからない未知の巨大生物感がモロに出てて怖い。ほんと怖い。

このゴジラのっそのっそと歩く。人を見ても襲ってこない。てか視界に入ってない。だから食われるとかそういう怖さはないんだけど、その分どうあがいても止められない。何でいるのか何をしようとしているのかどこに向かっているのかどうやったら駆除できるのかわからない。何もわからない。

からないって怖いこと。それを存分に教えてくれる。

 

ポリティカルフィクション

という評価は避けられないかなーとは思う。

劇パト2は国内テロがあれば日本は変わるかっつーメッセージがあったけど、本ゴジラもっと直截に3.11という国難に立ち向かった日本政府を描いてるんで。

3.11の後はじめて核の落とし子たるゴジラを描くのにそこを無視するわけにいかんのは事実だけど、そこにフォーカスしてどーのこーのと場外乱闘してほしくはないなーと思った。

超巨大怪獣あらわれたー! プラレールどーん! を本気でやってる映画なんでね。ガキかよマジで最高だな! と俺は思った。

 

課長補佐女の子かわいい

環境省かどっかの生物得意系女子で、いわゆるはみ出し者。この映画どの人物もだいたい早くしゃべるが、それに輪をかけて早口。優秀だけどそのぶんINT全振りみたいな感じで誰に対してもつっけどんで常に真顔。

で、この子物語の終盤に一度だけ笑うんですよ。ゴジラが撒き散らした放射性物質が数年内に消え去る可能性があることを突き止めて。今までニコリともしなかったその子が見せた心から笑顔がもう可愛いのなんのって。天使ですよ、マジで。これは日本中が恋に落ちる。

与えられた任務にただ忠実な優秀だけど冷たい感じの子かと思いきや、東京は甦るって知って、心の底から嬉しくなって笑うんですよ。実はぐう聖でしたってどんな大正義だよ。もう大好き。

2016-08-06

ネタバレシンゴジラの処理問題後日談

だったら後半部の、なんとか成分がとか原子構造がとかなんとか博士分析が云々という難しげなやり取り、本当はいらないじゃん。

あのシーンはノートPCのインカメラを使って撮影するという、いかにも若手がやりそうな演出アニメ映画はいベテラン監督がやっているのが、見ているこっちがこっ恥ずかしくて印象に残った。

シンゴジラ批評が盛り上がっているので、個人的に気になったことを…

見終わって、あちゃー、立った状態で逝ってしまわれたか、と思ったのは俺だけじゃないはず。だって、一応、放射性物質から、あのあとコンクリートで覆うんじゃないの?あんな風に自立してたら超巨大建造物になるけど、そのデザインは一体誰が?ザハ先生がご存命であれば、たぶんすごいデザイン案が出ただろう…と本編後のことが気になっている。

せっかく凍結状態にしたのだから、生き返りでもしない限り爆破するようなことはないだろう。とすると死体の処理方法は、そのまま放置、周囲を覆う、解体して移動する、丸ごと移動する、の4つに絞られる。

まず放置した場合東京経済活動を続けることが難しくなる。福島原発事故ときのように、外タレ日本に来てくれないどころの話じゃなく、たとえ都市機能が維持できていても、人が集まらないので経済活動を維持できなくなる。

ではコンクリート壁で囲った場合、それで安心して人が集まるのかといえば、それも疑わしい。穴を掘って埋めるという方法もありがちだが、工費がかかるわりにメリットはそれほどないはず。

解体に関しては、怪獣の闇マーケット存在するハリウッド映画であれば簡単なのだが、日本映画ではそうもいかない。あちらの世界ではキングギドラの肝とかモスラの糸が闇マーケット取引されているんだろうが、こちらの世界だと「人間が手を出すとしっぺ返しをくらう」のが怪獣映画の鉄則だ。オカルト的ではあるが、無性生殖によって増殖したり、細胞から新たな怪獣誕生するのがこちらの伝統である。つまり解体という選択を選んだら、おそらく続編は怪獣大戦ルート突入すると思われる。

では丸ごとどこかへ移動するとした場合、まず放射性物質なので国外へ持ち出すのは難しい。当然ながら国内にも受け入れ先はない。せめてお台場まで運ぶとして(ガンダムと並べたら価値がありそうなので)、それだけで国家予算並の費用がかかってしまい、その費用を別の目的に回したほうが良さそうだ。あるいは東京湾に捨てることも可能だろうが、復活する可能性を考慮すると実行しづらい。

こうして考えてみると、結構やっかいな難題である。おそらく政治家たちが遷都とか首都機能移転に夢中になりつつ、民意翻弄され、マスコミ東京を守ろうとキャンペーンするような、どうしようもなく何も進まない状態が、後日談として妥当なセンではないだろうか。

ここで、この話は一気に残念な方向に向かう。というのも、シンゴジラストーリーは核攻撃回避したことでハッピーエンドになっていたのに、この後日談の推測では、その実態は「核攻撃されたのと大して変わらなかった」ということになるからだ。

話をまとめるとこんな感じになるだろう。

ゴジラ放置される。石棺による封印検討されるが専門家意見が別れる。あと石棺デザイン案で揉める(頭だけ遠くから見えるようにしたら、新しいコマ劇の本物みたいで楽しそうだ)。都心から15キロ圏内避難指示、30キロ圏内避難勧告が出されたまま解除されない。首都圏土地は大暴落する。逆に首都圏以外は土地バブル。急激な円安インフレになる。不安心理から出生率が向上。首都機能移転が推進され、京都遷都実施京都民大歓喜)。9条憲法改正される。ゴジラ対策名目に核保有宣言する。

怪獣映画というのは敵のいない戦争映画みたいなものなので、シンゴジラがどこかネトウヨ寄りになるのは仕方ないとしても、こうして想像すると果たしてあのストーリーハッピーエンドだったのかどうなのか。

まあこういうのって、死体がしれっと消えるのが怪獣映画お約束なので、深く考える意味はあまりないのだが、お約束に頼らない現実寄りのフィクションであるところにシンゴジラ価値があるとすれば、もし続編があるとしたらこうした後日談も描いてほしいところである

http://anond.hatelabo.jp/20160804171358

2016-08-05

なぜ良作程度のシン・ゴジラが傑作と騒がれるのか。

ネタバレ含む

 

 

(ここから飛ばしてOK)

 

庵野秀明総監督として制作されたシン・ゴジラの評判が高く、一部では傑作として騒がれている。

しかし、パニック映画としては、途中で被害を受ける一般人の姿が殆どなくなり、怖さの演出がなくなっていき、完全体となったゴジラには恐怖感をあおる演出はなく、強さはあっても怖さはない。

序盤の深海魚的ないびつさも、慣れない人には恐怖かもしれないが、基本的には間抜けな顔をしている。

怪獣映画としても、ゴジラにさほどの強さとしての演出が残念である。硬く大きい、それは原始的で分かりやすい強さではあるが、特別な強さを感じない。

放射火炎は一見強そうだが、よくよく見てるとバーナーであり、色々な建物破壊するが、あのゴジラならしっぽをぶつけるだけで問題ない。全身からバーナーを出すのも、防御のためで強いというよりは防衛反応の強い生き残ることに特化した存在だ。

それも凍結作戦の推移を見るに、無人機での波状攻撃で防御バーナーを無効化してからバンカーバスターによる攻撃破壊できそうに見える。(もちろん細胞再生機能が強く、解決はしないと劇中で描かれているが、それでも強さを感じない一因となる。)

最終的に転がされて、口から凝固剤流し込まされて活動停止とか見せられては「ああゴジラ強かったな」と言う思いが薄まってしまう。

メインとなっている会議シーンはどうだろうか、今回の会議シーンは日本行政手続きこそを大事にすることを皮肉的に描いている。

現場から連絡が数珠つなぎに上がって、総理命令数珠つなぎに下されていくなどは、寿限無のような落語的愉快さをもっているとは思う。

無駄な溜がないことも好まれている。

しかしながら、会議の展開に緩急がなく急ばかりでメリハリが弱い、最初からクライマックスな展開のためいわばすべて緊急場面の会話で、緊張状況の雰囲気に慣れてラストシーンへの緊迫感ですら冗長になってしまう。

また、終盤の会議問題発覚→提案解決の流れが簡単すぎて、その問題を描く必要があったのかと言うシーンが続くのも緊迫感が薄れる原因の一つだ。

解析のためのマシンパワーが足りない!→世界応援を依頼→日本を信じるわOK!→解決

薬剤制作に1日足りない→フランスに働きかけを→解決

世界的な協調演出したいのかもしれないが、無意味だったのではないか

世界的な展開と言う関連でいえば、今回の映画日本ゴジラと銘打たれているが、基本関東vsゴジラであり、もっと言えば霞が関vsゴジラであって、後自衛隊ぐらいでそれ以外は一切戦っていない。(薬剤作成に協力した企業ぐらいか。)

日本の他の地域描写はないため、東京近県以外にはあまり身につまされない。

今回のゴジラと言うのは、原発事故津波地震メタファーであることが映画からすぐにわかるが、つまるところ東日本大震災なのであり、あの震災体験した東京人達には身近な恐怖として心底感じるものがあるかもしれない。

しかし、西の地からすれば、(それが人間としてどうこうはおいておいて)やはり他人事のように関係のない話にみえてくる。

このように、面白みがない映画ではないが、絶賛するほどに良くできた映画でもない、良作と言う程度と感じられる。

 

 

(ここまで飛ばしてOK)

 

シンゴジラを傑作とすると感想を見ていると、「ようやく邦画として世界と戦える映画ができた」みたいなものが出てくる。

それも比べているのは、特に今の邦画である

米国で週間興行収入1位を記録した呪怨はどこ行った?)

邦画と比べた時シンゴジラは確かに面白い部類に入るだろう。

 

ここらへんの事情は、結構割合で、「字幕が読めない」「吹き替えが下手でいや」「顔の区別がつかない」などの理由で”邦画以外を見れない層”が結構いて、

この邦画しか見れないような手合いが、今までの、つまらなくつまらなく作られた日本人オンリードラマ邦画を、これしか見れないからとずっと我慢して見続けてきた結果、シンゴジラを見て「これは凄い傑作だ」と感じるのだろう。

また、普段映画館に行かず家のテレビ映画を見ていたような層が、庵野秀明+ゴジラと言うことで見に行って、大画面+大音響にいつも以上に心が動かされたのかもしれない。

この辺り、シンゴジラを絶賛している人たちが「つまらないとか○○な証拠ww」とか言って、シンゴジラ批判する人物の、人間性の否定が始めているところから

初めてジャンルに触れた時に感動してファンになった人が、普通批判程度にも噛みついているのと良く似ていることや、特定ジャンル新規ファンが来た時のアンチとの口喧嘩とよく似ていることから

映画ゴジラでで良いものを見るという経験に乏しい多くの人が見て感動したのではないかと感じられる。

 

ただ、多くの人を映画館に足を運ばせる誘因力があり、それを、ただ足を運ばせるだけではなく、ちゃんと満足させた。それは重要出来事だ。

その意味で、シンゴジラは確かに傑作であり、多くの人を映画へと興味を持たせ希望を持たせたという意味で、日本映画界の一つの希望だろう。

シンゴジラ最高に素晴らしいが、しかしフクイチ原発は…(ネタバレです)

http://anond.hatelabo.jp/20160804171358

自称中二病を脱した23歳増田」に乗っかる感じでシンゴジラ批判エントリーを書きたくなったおっさんです。

(あたしも10年前の20代の頃はてなサブカルおじさんが怖かったからねw)

シン・ゴジラは「日本実写映画」にとってエポックメイキングになりうる最高に素晴らしい作品だと思うが

この大絶賛の嵐に怖くなってきました。左側からのまっとうな批判が見られない。

(今後町山・宇多丸あたりから出てくるかもしれんが)

まずはじめに私の感想とすると「シン・ゴジラ」は素晴らしい映画なのは確かです。

ドラマ人間が描かれていない」という批判がありますが、

日本の実写アクションエンタメ映画」でまともな人間ドラマを描けるでしょうか?

民族イデオロギー宗教対立のない日本殺人を含む強烈なDISの激突による止揚

「個人のエゴイノベーションを起こす」ことを良しとしないし信じない日本社会では

欧米式の人間ドラマなどは描けないのです。大抵は「もののあはれ」みたいなものに落ち着きます

そこで庵野監督です。庵野監督人間ドラマが描けません。人間個人に興味が無いのです。

機械組織ようなもの機能的に動く

電子回路ニューロンのように情報錯綜し、通電し、組織機能する」という

描写」に焦点がいくような人間だと思います

(例えばオネアミスロケット発射の「手続き」や、エヴァ発進の「手続き」、

さまざまな人間連携して大きなことを成し遂げる瞬間のカタルシス岡本喜八沖縄決戦→ネルフ壊滅なら大組織の壮大な敗北

というものに執着している感じです。そして庵野監督はその演出で他を圧倒してきたのです。

通常は連携を2、3回で終わらせるところを、

7、8、9とどんどん数を増やし、しも連携スピード高速化する、

すると人間が居なくなり「連携のもの総体」が残るのです。

それはもう壮大な音楽リズムを鑑賞したようなものです。)

それが今回は最高に上手く行ったと思います無駄人間ドラマを省き、人の群れを

部品オブジェクトの群れ」として描いたのです。

通常それでは作劇できませんが、ゴジラという巨大な災厄を扱うことによって可能になったのですね。

とまあ、褒めるのはこんな感じで。みんな褒めてるし。在来線爆弾最高です。

ここから批判というか危惧を書いていきます。(ネタバレ含む)

シン・ゴジラ」はゴジラを描くとともに、明らかに3・11の震災

そして福島第一原発(フクイチ)のメルトダウンをなぞって描かれています

2016年に公開する映画であり、ゴジラが大災害のもので、

原爆の子であることことからしてそれは避けられないことでありました。

・「想定外」という言葉が何度もでてくるシンゴジラとフクイチ(フクイチ)

放射能を撒き散らすシンゴジラとフクイチ

・そしてその放射能を測定した市民から憶測が飛び交うシンゴジラとフクイチ

自体収集のため米軍が介入してくるシンゴジラ事態収集のため米軍が介入しようとするフクイチ

シンゴジラとフクイチは冷やすと止まる。

シンゴジラホースを突っ込んで冷却材を流すため特攻する自衛隊

フクイチに突撃ホースを突っ込んで冷却する消防

まあとにかくシンゴジラは「動くフクイチ」なんです。

だったら何が問題かというと、シンゴジラでは

自衛隊ゴジラを冷やすために特攻して死んでしまっている」ということなんです。

これは3・11の日本政府はやらなかった。フクイチに自衛隊特攻させれば

チェルノブイリにはソ連政府兵士特攻させています

福島土地は助かったかもしれない。でもやらなかった。

自衛隊員の命」と「福島土地の数十年の汚染」を引き換えにはできないという判断です。

良くも悪くも戦後民主主義判断なんです。

そこをシンゴジラはやった。映画的には、作劇的には正しいです。

いや個人的には私もそういう全体主義の魅力や、

自己犠牲の魅力に惹かれるところもあるんです。

正直「自衛隊がフクイチに特攻して冷却に成功していた」ら、私も絶賛したでしょう。

いや絶賛しかできないんです。選択肢がない絶賛。

その特攻庵野監督はやった。しか恐ろしいことにあっさりと。

(1番隊が全滅したら「日本映画のよくあるパターンのように感傷にひたる」

ことなくあっさりと2番隊がすぐさま繰り出された。

おそろしいですよ。でもこれがかっこいいんですよ。/

この冷徹決断力、かっこよさを恐ろしいと思わないとヤヴァイんですよ。

こんなことできるのはスターリンですよ。スターリンのかっこよさに酔うんですか?)

これは政治的意思表示と考えていいと思います

「当時の日本政府シンゴジラを冷やすために

特攻した自衛隊のように、3、11のフクイチでも自衛隊特攻させるべきだった。」

という政治的意思表示です。

みなさんはそこはあっさり賛同しますか?どうなんでしょうか。

そこはちょっとみなさん悩んで欲しいですよ、いくらなんでも。

そして最後日本政府シンゴジラの凍結に成功します。

まりフクイチの凍結に成功するわけですが…

実際の日本政府どうでしょうか?フクイチの凍結に成功してますでしょうか?

成功してませんよね。いまだに汚染水を流し続けています

からすると今回のシンゴジラ演出エポックメイキングであるとともに、

「3・11の災厄に勝利した日本」の「仮想戦記」にみえしまうんです。

(昔よくあった「第2次大戦日本軍が勝つシミュレーション小説」の3・11バージョンですね。)

このシンゴジラを見て「日本はまだやれるんだ」と思った人がたくさんいたと聞きます

いや、やれてなかったでしょ。と言いたい。3・11で負けたでしょ。無残に。情けなく。

仮想戦記で「日本はまだやれる」って酔ってたらだめでしょ。反省しないと。

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↑というような批判が欲しかったのに全く無くて困ってたので自分で書いてみた。

実際庵野監督はどうなんでしょう。「政治的意志表明」と書きましたが

そこに踏み入れた自覚はないかもしれません。

開き直りがあれば、それで議論の糸口になるのですがそれもなさそう。

そういう自覚のない選択が一番怖い。)

戦闘機オタク左翼宮崎監督のような葛藤は…きっとなかったような気がして。

2016-08-01

[]シンゴジラ面白かった

4/5

石原さとみの役どころがギャグレベルだとか

CGが糞すぎるとか

エヴァ音楽使いすぎて失笑とか

早口会議とか

会話がターンベースRPGみたいに、だれかが言い終わってから誰かが言い始める感じとか

音楽がモノラルだったり3.1chだったりゴジラの造形が着ぐるみもしてて懐古すぎとか


しか

老害ともいえるいろいろな要素に我慢ならない人も言るだろうし

僕も石原さとみの役の意味不明さとかCGが糞しょっぼいのとかは我慢ならないけど

でも面白かった

でも面白かったんだよな!

普通映画だったら先に指摘した点で1/5とかにしてしまいそうだけど

さすが欠点をおぎなう魅力の部分

なんだろうねシンゴジラって、出っ歯だけどかわいいみたいな僕の好きなあのアイドルみたいなかんじ

でもかわいいんだよ!みたいな

なにがいいんだろうね

考えてみると

とくにハリウッド映画とか、それに影響受けた2000年以降の日本映画特に制作スイーツ映画みたいなこともない

家族愛だの恋愛だのにうつつ抜かして話がひっかきまわされることがない

そして、足を引っ張るピエロみたいなキャラもいない

みんな頑張る!

みんな持ち場を頑張るんだよね

できることをするんだよね


とくに何がいいって自衛隊のカッコよさというか

「礼はいりません、仕事ですから」ってセリフ

國村隼がかっこいい、ピエール瀧がかっこいい


とにかくかっこいい!

おすすめ

2016-07-31

ゴジラを見てきたので(ネタバレあり)

最高の一言に尽きる。

小手先武力では刃が立たずに破壊されていく東京

それを見上げるしかない無力感

遠くの爆発でなく知った街が説得力のある蹂躙を受けていく

これほど心に響くものはなかった

津波としての第二形態から逃げ惑う人々、押し流されていく車

地震原発火災としての第三形態に為す術もない自衛隊

官僚人類ゴジラ災害一騎打ち

未曾有の大災害が一人の天才やら奇跡発見メカゴジラといった虚構兵器によって解決されるのではなく

電車爆弾ビルドミノ倒しという人類の叡智の蓄積でなんとか無力化まで持っていくプロセス

会議シーンでは出来る人間ゴロゴロ出てくることで、ワンシーン、2シーンだけ登場するキャラクターも誰もが主役となっていて

あくまでも現実日本人vs現実災害という図式を最後まで保つことに成功している

インディペンデンスデイのような感動の演説にも涙がなく、ゴジラ停止後もパシリムのような喝采シーンが無いのもいい

もちろん感動的な音楽が流れることもない

スローモーションで抱き合ったりもしない

日常虚構を飲み込んだまま仕事粛々と続いていく

いつ人類を再び壊してしまうかわからないゴジラを抱えたまま歩みを止めることはない

「今の日本映画でこれだけのことができるのか」という感覚を超えて「今の日本にはこれができる」という錯覚に陥るのは

前半の淡々とした会議テレビ報道お役所仕事といったリアリティ機能しているか

キャラクターとしてのゴジラでなく、舞台装置としての彼をここまで描いた映画存在しなかった

そして我々が紛うことなくそ舞台の上にいることをはっきりとつきつけてくる

少なくとも今後数十年これを超えるゴジラは現れない

2016-06-23

脚本家がなぜ最近目立のか

単なる仮説だが、だいたい以下のようなところではないかと思う。

1.「物書き」であるだけに、その発言twitter民2chの人の目に触れやすい。

2.監督アニメの全話対して責任を持つが、視聴者にとっては全話を通しての印象よりも「あの回よりもこの回がよかった」「今回は神回だった」という印象が残りやすく(放映中の作品を取り上げる場合はなおのこと)、その責任者として挙げやすいのは、以前は作画監督、今は脚本家である脚本家への言及が多くなれば、その分作画監督への関心が弱まる。

3.日本映画においても、「今年一番のヒット作」のタイトルは知っているが、その監督名前は知らない、という人が多い(日本特有事情?)。アニメにおいては監督への関心が比較的高かったのだが、良くも悪くもアニメ日本映画の中でも重要地位を占めるようになり、その結果監督への関心も映画並みに弱まった。

2016-06-06

今の日本映画で30年後でも評価される作品ってあるの?

数十年後にはB級映画オタクしか見ないような作品を今の日本映画界は大量生産しているんじゃね?

2016-06-05

邦画現代吹き替えとか、そのうちやるんだろうね

日本映画歴史もそろそろ100年超えてきた感じなので、所謂白黒時代映画は今見ると流石に古く感じるし、何言ってるかわからないことがある。

というか黒澤映画時代とか関係なく何言ってるかわからん

ってことで日本語現代語訳して吹き替えしたものとかがそろそろ出てきそうだなあなんて考えることがある。

文学では既に現代語訳ってのが当たり前にあるし、まああり得ない話ではないよね。

NHKでの歌舞伎放映とか副音声解説付けてるしね。

というか著作権切れた古い映画を使ってトンデモ吹き替えみたいなのやってほしいんだけどね。

ベタなところで全部関西弁とかね。

2016-05-13

支離滅裂

デビルマン映画。見たことはある。ひどいといやあひどい。ひどいのは認める。

だけど、ネットでみかけるようなあそこまでひどく叩くのはよくわからない。

俺は、クソ映画だとは思わない。普通の、日本で作られた映画。真面目に普通映画だと思う。

すごく異端な考え方だけど俺は本気でそう思う。

色んな意見批判は見てきた。でも俺の考えは変わらないと思う。どんなに原作をほったらかしにしていても、わけがからいくら

酷くても、俺にとっては普通映画。一応、デビルマン原作漫画も読んでます。それでも普通映画

恐らく日本でもたった1人だろうな、真面目にあの実写版デビルマン普通映画だと思う人間は。

デビルマン以外もそうだけど、実写化に対する叩きは当然のごとく続くだろう。俺が思うのは簡単実写化されちゃうくらいの程度の認識なんじゃないのかな、それらの作品。言い方がすごく酷いけどそんな風に思っちゃう。金儲けに使われてしまうくらいまだまだ認識が甘くて魅力が伝えきれてない未熟な作品なんじゃないのかと。これは酷い考えだな、自分でも軽くひく。

実写化映画に対して酷評した某方がいたけど、あの人ただ叩きだけにしか見えない。専門が日本映画特に時代劇とかじゃなかったっけ。間違ってたらすまないけど、なんか目立ちたいだけの少しちゃんとした批評ができる子供に見える。時代劇が廃れてるのを憂いてる割にはなんともねえ。そこまで有名なんかなあのおっさん。聞いたことのない名前だし。まあ普通に生きてりゃあんな人とは出会わんだろうし。

なんか支離滅裂のまま思ったこと書いてたけど。まあ駄文なんでね。

やっぱりろくなことないな、こういう事に関しては。真面目に生きる方が楽だな。

2016-05-08

http://anond.hatelabo.jp/20160507164503

いや日本映画まらんよ。だって見なくてもオチわかるし。ハートフルハートウォーミングなのがいいんでしょ?みんな頑張ってるのが見たいんでしょ?もたいまさこがいいんでしょ?

たぶん例に挙がった監督って、だいたい現状を肯定する話だったり、ゆるかったり、なんか切ないねみたいな日本人特有のワビサビを感じさせるのばっかでしょ。役者とか舞台は違うけど結局同じテーマしか扱ってない。まあ安心して観れるんだろうけど、完全マンネリで、テレビ2時間ドラマででもやってたらいい。


あくまで俺目線意見だけど、もっと意外性があっていいと思う。日本にどれだけの脚本家がそれだけ練った話を作れるだろうか。あと社会風刺とか絶対しないよね。何かを訴えかけるようなことは苦手な民族性からなんだろうけど。警察正義。だからジョークさぶい。ブラックジョークって最高に面白いと思うんだけど、そういうのない。テレビと違う映画の魅力って、公共の場では自重すべききわどい表現を前面に押し出せることだと常々考えているんだが、女子供年寄り向けの映画ってほんとくそまらんと思う。


日本映画全部嫌いなわけじゃなくて、過去作だけど好きな監督作品は、

大森立嗣ゲルマニウムの夜」「ケンタとジュンとカヨちゃんの国

 もっと不条理とか理不尽さを突き詰めていってほしい。

吉田大八腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」「桐島、部活辞めるってよ」

 いわゆる日本サブカルを支える"俺ら"視点作風がいいと思う。

北野武ソナチネ」「アキレスと亀

 バイオレンスブラックジョークが秀逸。

黒沢清CURE」「LOFT

 なんか突っ込みどころ満載な、独特の空気があっていろいろ面白い


俺が観た園子温は「紀子の食卓」「冷たい熱帯魚」とかだいぶ変態に傾倒していて、観客置いてけぼりでただぶっとんでりゃいいの?ってのがいまいちな印象。

塚本晋也の「鉄男 The Bullet Man」はようわからんかったが、「野火」がすごいらしいので見てみたい。


あんまり知らないのに通ぶってすみませんでした。

2016-05-07

http://anond.hatelabo.jp/20160507164503

どのエンターテイメント対象層には十分楽しめるようになってると思うんだよね

大多数VS大多数で比較すると比べようもないけど言葉として否定やすいしにくいがあるんじゃないか

俺も映画は好きな方なのでわりと見てると思う

ハリウッド日本映画中心だけども中国ヨーロッパあたりのもみる

外国映画が好きで邦画から離れがちな俺の視点から思うところは

日本映画舞台劇っぽいところが海外映画を楽しみにしている人間からするとつまらない印象をうける

映画なのにそのわかりやすリアクションなのとか人物中心に据えすぎなカットとか

外国映画風景や状況でセリフを減らしたりそうとは見えない自然な行動が

環境反比例して異常さを見せるとかい視聴者連想をさせるようなところ

舞台上で主役が取り仕切らないと話が進まないという絵だとちょっと映画としては物足りない

日本ホラーがすごくクオリティたかかったなーと思ったのは

登場人物はみんななんらかの被害者で状況や環境が主役として撮ると

視点的には舞台からはなれるのでよかったなーと

ジェリーロジャーが出してるやつは全部だめだけど

画角というか外国映画にでてくる日本風景日本じゃないみたいとか

邦画の構図は人間の目の位置とだいたい同じカットだとか

そういうところで趣味趣向が分かれてる気がする

人間ドラマとか舞台劇でも十分楽しめる内容のもの邦画でも威力を発揮するとおもうし

SFとか特撮みたいなのは海外視点でないとちょっと楽しめないか

そういう意味で新しい変態仮面は合成技術的には物足りなそうだけど

構図的には楽しめそうだなと思うんだ

逆に邦画好きには配役が役者がというところで反発されそうな気がする

2016-05-03

ハリウッド映画だって大人の事情はそうとうあるだろうに、

それなのになんでまだクリエイティブの力が強いんだろう

日本映画大人の事情に負けすぎてる

2016-04-25

日本映画面白くない責任映画ファンにある

ちょっと古いネタだけど

【スクリーン雑記帖】今の日本映画にもの申す…「レベルが本当に低い!」 英映画配給会社代表が苦言(1/5ページ) - 産経ニュース

俺は普段映画を見ないのね。で、話題になった次の増田を読んだ。

ここ最近で俺が面白いと思った実写邦画ベスト10

挙げられている映画10本。ブコメを見る限りでは、いいリストであるらしい。しかし、うち7本はまったく聞いたこともなかった。『野火』と『花とアリス殺人事件』はかろうじてタイトルを聞いたなあという程度。『海街 diary』はむしろ評判悪いと勘違いしていた。もちろん俺の情報感度が鈍いというのは認める。ただし、そんな俺の目にも触れる程度の大きな話題にはならなかったというのは事実だ。

一方で、こういうのはホッテントリ入りして目にするんだよな。

2015年 この映画はいったい誰が観に行くんだ!?大賞 結果発表 - 破壊屋ブログ

まらない、またはつまらなそうな映画をいかに面白おかし茶化すかという大喜利企画。洋邦問わずだけど、標的にされるのは邦画が多い。

あと、こういうのとかさ。

超映画批評「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」40点(100点満点中)

超映画批評「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド」30点(100点満点中)

今はこれ。

超映画批評「テラフォーマーズ」5点(100点満点中)

話題作とくに漫画原作で点数低いとブクマされやすい。

映画ファンは、とくに邦画に関して、いかに貶すかバカにするかという点で芸を磨きすぎている感じがするんだよ。読んでみればわかるけど、上の記事はすこぶる面白いんだよな。他にも挙げれば宇多丸罵倒芸とかさ。面白い面白すぎるんだ。結果として、どうにも邦画の悪いイメージばかりが先行してしまっている。

一般論として、褒めたりお勧めしたりするよりも、批判したり貶したり茶化したりするほうが拡散伝播しやすいというのがあると思う。その上、映画ファン邦画に関しては後者に力が入っているのよね。結果、邦画がつまらないという話ばかりが蔓延して、良作が話題にならず埋もれてしまっている。素晴らしい作品だよという話を、いろいろな人から様々な形で目にし耳にすれば、1度劇場に足を運んでみようかと思うだろうけど、邦画に関して言えば、つまらない下らないバカバカしいと駄作の評判ばかり聞いて、良作を知る機会が少なくなってしまっているんだよね。俺が増田の紹介する10本の殆どを聞いたことすらないというのもこれが原因だろう。『海街 diary』を評判悪いと勘違いしていたのも、有名女優タレント)を揃えた邦画というだけで駄作なんだろうなという先入観をもち、認知を歪めたのだと思う。

じゃあ映画ファンはどうすればいいかというと、駄作の罵倒蔓延に負けないくらい大きな声で繰り返し繰り返し、自分の好きな映画評価できる作品を勧め褒めちぎるってことなんじゃないかな。参考になるのは『ガールズアンドパンツァー』というアニメ映画。「ガルパンはいいぞ」という言葉は目障りで気持ちいくらいに広がり、結果として多くの人に知られ、興行的に大成功を収めた。もちろんもともと良作なんだろうけど、それだけではこの興行収入は達成不可能だった。ファンがしつこいくらいに宣伝しまくって(自分も何度も足を運んでってのもあるようだが)、あの数字を叩きだしたわけだ。実写ファンもこういうことをやるべきなんだよ。くだらない映画茶化すことに頭をひねるのではなくて、見るべきだと思う映画をしつこいくらいに宣伝し、褒めちぎり、身近な人を半ば無理やり連れて行き、その作品数字を残す。映画話題で駄作の割合を減らし良作の割合を増やすように努力をする。そうすることで、邦画を取り巻く現状は大きく変わるのではないかと思う。傑作に心打たれるよりも、駄作をバカにしている方が楽しいんだったら、そりゃ日本映画レベルが低いのはお前らが望んだことじゃねえかとしか思わんよね。

2016-04-14

石原さとみの魅力を活かせない日本映画

なーんで進撃で変人学者やらせたりゴジラエージェントやらせたりするかなあ・・・

石原さとみの魅力はそこじゃないだろ!エロ可愛さだろーがよ!!!そこを活かした配役をしてくれよ!

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