はてなキーワード: 新実徳英とは
この増田が道央出身1990年代生まれであれば、おそらく1985年から1996年までの東大入試のことは何も知らないに違いない。
東大といっても、1960年代と1990年代と2020年代では全く以て意味が違う。ネット上に大量にアップロードされているので、時間があれば1985年から1996年入試までの東大の理系数学の問題を読んでみるとよいだろう。後期のいくつかは、完答を想定していないのではないかと思わせるものもあった。
かつての東大生ならedition text+kritikのMusik-Konzepteを読めたのである。これは嘘ではない。実際に読んでいた東大生が私の知人で、名前は伏せさせていただくが、その方は還暦を過ぎた。今の東大生はどうだろう?櫻坂46を聴くのが関の山ではないだろうか?
いま、Musik-Konzepteの近刊はなんだろうか?各自で検索してみればよいだろう。そこで取り上げられている存命作曲家のほとんどを、もう日本人は消化できない。日本は没落したのだ。
東大が日本最高の最高学府で、なおかつ日本最高のエリートを揃えることができたのは1990年までだ。それ以降は下る一方でしかない。下っていけば、道央増田ですら乗り越えられるハードルになるのは当たり前である。あと30年たつと、東大でも吹奏楽か合唱にトライするのが限度で、フルオーケストラは書けなくなる可能性が極めて高い。新実徳英さんや柴田南雄さんは、かつて、書けた東大生であった。
東大がどこまで下るのかは東大生の間でもわかっていないが、日本の新生児が60万くらいになるまでは下るだけの存在である。上ることはない。
これは田舎だと普通にある話だが、楽器のレッスンの片道数時間は当たり前である。ピアノのレッスンに片道5時間なんてことをやっていた私のような存在も、もう過去のものになりつつあるし誰も信用はしないだろう。途中下車で降りて、駄菓子屋さんによってお菓子を買うなんてことをやっていた。その土地にはコンビニがまだなかったのである。
2週間の滞在のためのビザを取るのに片道4時間30分もやったことがある。特殊なビザなので、渡航地域は限定されてしまうが、各自で察していただきたい。
何をするにも片道数時間の経験を持つ学生は、有能な人が多い。最近は、片道数時間の教員もいる。その方は、退官されたが優秀な方であった。道央増田も、文面を読む限り優秀な方であることは間違いがない。専門書をバイトして買う、というのが引っ掛かったので、いろいろと調べてみたが、ハーツホーン、松村、マックレーン、ジェイコブソンあたりなのかもしれない。(ゲルファントではないだろう)
この道央増田の怒りを鎮めるには、東大よりレヴェルの高い大学を作るしか方法がないのだが、日本にそのような財力は、ない。いずれ理III以外の東大生の学力は、2040年代には全ての地方大学医学部の学生の能力を下回るだろう。2020年代末期の理III以外の偏差値は、おそらくは単科医科大のすべてを下回っている。
今の学生は与えられたことはきっちりやってくるものの、それ以外が全くないので、国際競争に耐えられるかどうかは疑問である。1990年までの東大は、賛否両論はあれど、何とか耐えられたのである。
今、人口統計を調べてみたら、この道央増田の出身地より、私の出身地の人口のほうが少なかった。これは調べるまで分からなかった。ただし、交通網は私の出身地のほうが勝っているため、バスや電車で目的地に着くことは当然ながら容易である。
道央増田の出身地近辺を調べてみると、私の出身地近辺も同様の問題が発生していた。
まず「潰れる本屋」である。私のところは4軒もつぶれて、2軒の新規が入ってきたが、品揃えは元に戻らない。大学生を想定する書籍は今もなお少なく、元通りにならなくなってしまったジャンルもあった。
その次は「教育水準の低下」だ。大学進学率が上がっているのに下がることなどあるのだろうか?田舎ではこれは頻繁に起きている。私の中学校の進学率は、全盛期の1/10である。ここまで減ることは想定していなかった。
教材格差や講義格差がなければ、田舎や地方の児童はどこまで飛びあがるのだろうかという問題は、実は1990年代から提起されている。1990年の時点では「どうやっても田舎者や地方人が勝利することなどない」という主張で世論は一貫していたが、この問題を危惧する教育者はもういた(一部の東大生が杉浦の解析入門を読めなくなったため)。2035年には、この問題が表面化しているに違いない。
私は愚痴るだけの人間ではないので、解決策を挙げておく。国内の全ての公立学校に、偏差値別クラスの併設を義務付けることではないだろうか?昭和の時代なら一笑に付されたのだろうが、今はYoutubeで配信された映像をRaspberry Pi 400で視聴することが日本国内ではどこでも可能である。これなら、通学2時間に耐える必要はない。
北海道の某道央バス会社はちゃんと行きと帰りでしっかりと2つバス停を用意してくれている。これは素晴らしい。私の故郷はもうそれもできなくなってしまい、片側に1つあるだけだった。