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2022-10-19

PTAで悩んでいる人、辛い思いをしている人に言いたいこと

PTAに加入しないでください。

すでに入っていたら退会してください。

PTAの加入は本来任意です。

でも現実はそうなっていません。

強制的に加入させられているだけです。

PTA規約を見ても、会員は「○○小学校に通っている児童保護者とする」というような書き方しかしていません。

加入要件手続きもなく、退会方法すら載っていません。

これが現実です。

これからPTAを退会した私の経験を話します。

子供卒業した今だから、そして匿名から書けます

何も私はPTA不要論者ではありません。

自分が退会したことを自慢に思ったこともありません。

なので、今日まで人に言いふらしたこともありません。

本来PTA活動は、必要と思う人、活動に協力できる人が任意活動すればいいとだけ思っています

ただ、家のこと、子供のこと、生活のことでいっぱいいっぱいなところに、PTA役員が回ってきて、悩みに悩んで苦しい思いをしている人(特に私と同じ母親)が1人でも減ってほしい!

そういう思いから、書きます

PTA退会を決意するまで

私はシングルマザーフルタイムで働いています

子供は1人で、小学校入学する前の秋、学校説明会PTAについても簡単な紹介がありました。

PTA

活動に協力できるか不安で、規約をみてみると会員は「○○小学校児童保護者とする」としかなく、それ以上何をするでもなく、子供小学校入学

入学すると、1年生のときはほかのお母さん(100%母親でした)がこぞって役員立候補していました。

何でも早いうちに役員をやっておけば楽なんだそうです。

子供が6年生になったときに、1度も役をやっていない人はほぼ確実に役員に選ばれますが、

そうなると重たい役をやる羽目になったり、卒業関係仕事などで大変だそうです。

(初めてなので、仕組みがさっぱりわかりませんでした。退会したので今もよくわかりません)

でも、できる人はいいですよ。

私は低学年のうちに役をやることすらできなかった。

仕事生活でともかく大変だったので。

この世の中、私だけでなく保護者はみんな忙しいと思います

でもほかのお母さん方にはPTA役員になっておこうと考える余裕があったようです。

どっちが大変とか偉いとか、そういう話では断じてありません。

ただ、ともかく私には役をやる余裕がなかった。

日中仕事毎日仕事して帰ってきて生活をまわすのが精いっぱいで、休日もぐったりしていました。

それから5年生まではずっとそんな感じで過ぎました。

6年生になる前の冬、まず子供会の役決めがありました。

なぜか勝手に役に選ばれていました。

夏休み中に子供会の行事企画するそうです。

あと、資源ごみ回収のための市役所への手続きをしたり、通帳を管理するとか。

平日は無理です。

窓口の開いている時間市役所農協金融機関支店にはとても行けません。

私がその役になったら夏休み企画しません。企画はなしで終わるでしょう。

そもそも前任者も忙しいお母さんで、役決めの集まりの連絡ができず、私はその場にいないので勝手に決まっていたそうです。

そのことにも納得できず、引き受けられないと伝えつづけ、その間に不快なやり取りがいくつかあり。

結果、見かねた別のお母さんが役を引き受けてくれました。

そうです。

やれる人、やりたい人がやればいいじゃないですか?

やれる人、やりたい人がいないなら、無理に活動する必要ありますか?

その間に私も相当嫌な思いをしました。

他人に望まず嫌な思いをさせてしまっていることもストレスでした。

何のために?

たか役員のために。

そのことで気づきました。

今まで忙しかったのと、よくわかっていなかったのですが、

このままじゃPTA役員も確実に押しつけられると。

本当にできないんです。

この間、ものすごく悩んで追いつめられて、段々鬱っぽくなっていたように思います

子供のことでこんな苦しい思いをするんだったら、子供と一緒に心中する!とまで思い詰めていました。

でもある日ふと思いつきました。

じゃあ、抜ければいいじゃない。

退会すれば役員はまわってきません。

さすがのPTAも、退会した人に役員やらせないでしょう。

こんなに子供のことで思い詰めて嫌な思いをするくらいなら、抜けてやる。

ただしそれは、ほかのお母さんに白い目でみられることと引き換えです。

それでもいい、と思いました。

どうせ生活のために働きづめで、ほかのお母さん方と交流する機会もありません。

学校行事にもロクに行けていませんでした。

元々誰かとつるむことがなかったので、抜けやすかったのかもしれません。

PTAを退会するまで

さて、抜けるときめたはいいけれど、その方法がまったくわかりませんでした。

ネットでの経験談を読むと、校長?とPTA会長?に退会届を出すとか。

退会届の見本もネットに載っていました。

でも、そもそもPTA会長の連絡先がわかりません。

そこで連絡帳で担任先生質問しました。

PTAを退会したいのですが、どちらに退会届を出せばいいでしょうか」

するとまず、校長先生からPTA会長お話したいと言っている」旨の返事が来ました。

聞いてはいたけど、「退会したい」と言ったらまず、

「まあまあお母さん、まずはお話しましょうよ」

と説得して退会を防ぐ腹積もりらしいです。

しかも、電話で。

平日がダメなら休みの日にでも。

かいうんです。

いや、平日はもちろん無理だし、休みの日は休みの日で忙しい。

何よりも休みの日にそんな不愉快電話を受けたくありませんよ。

こっちは話すことはないし、そちらの都合でかけてくるのに。

すでに退会することは決めました。

話し合うことはなにもないんです。

私はただ、どこに退会届を出せばいいのか知りたいだけなのに、それに対する返事はありません。

退会する人、電話は避けましょうね!

特に気の弱い人、遠慮がちな人は、直接話すと丸めまれたり、けむに巻かれたりしますよ。

私は連絡帳にて、

平日は仕事中だし、休日も都合が悪いので、文書にしてくださいと伝えました。

少しして校長先生からパソコン作成した文書が届きました。

内容はPTA活動の意義を説くもので、

「できる人ができることをできるときにやればいい」ものだという、呆れたことが書いてありました。

もし本当にPTA役員が、

「できる人が、できることを、できるときに」

やることになっていたら、私は退会しなくて済むわけです。

でも現実にそうなっていないから、私は苦しんだし退会することになった。

現実は、

「できない人が、できないときやらせれている」

だけじゃありませんか。

多くの保護者が、PTA役員のことで苦しんでいる。

特に母親が。

この母親がっていうのがポイントだと思います

最近父親保護者会に参加したり親父の会とか作って子育て積極的コミットしていますが、それでもPTA役員にまでなって活動する父親は、やはり圧倒的に少数派です。

なぜか。

そんなこと明らかじゃありませんか。

父親一家の稼ぎ頭として、日中会社で働いているからですよね。

父親役員やる人は自営業とかで、妻より時間の融通がつく人だったりします。

無理もありません。

別に父親育児に関心ないとか、家庭にコミットしないとか思わない。

家庭内分業として、父親が主たる働き手として生活費を稼ぎ、子育ての子供の面倒を見るためにも母親が家のことを行いつつ、パートに就いたりするのは、家族内の協力体制自然なことだと思います

単に家庭内母親の方が時間的に融通がきくからPTA活動をになっているのではないでしょうか。

現実問題父親PTA活動を担えないんです。

そして私の場合、私が生活費のため日中仕事に出て、家にいる間は家庭をまわす主婦になっているわけです。

到底自慢なんかじゃありませんよ。

大変さアピールでもありません。

ただそういう実態であるというだけです。

働く父親にがPTA役員をやれないなら、私も同じ理由でやれないんです。

なんせ、朝出勤してから往復通勤時間を含めて12時間程度は家に帰ってこないんですよ。

有給休暇もあるけど、顧客都合で休めない日もあるし、休んだらその分休日出勤しないといけない仕事量でしたし。

何よりも仕事責任を果たせないのが恐怖で、ずっと綱渡りでした。

ふざけんな!ですよ。

この校長先生は、そういう母親現実をわかっていないと思いました。

そこで手紙に対する返事をこちらは便箋縦書き手書きしました。

そこは私も大人なので、表面的には平身低頭に書きました。

何も私は対立したいのではなく、ただ退会したいだけなので、退会という目的さえ果たせばあとはどうでもよいわけです。

返事には、

PTAの意義はよくわかりました。活動に協力できず大変心苦しく思っています。」

というようなことを書きました。

会費を出し渋ってると思われるのが悔しかったので、PTAには入らないけれど、

「会費相当額を学校寄付させていただく」とまで申し出て、後日実際に寄付しました。

そして校長先生コネクションが開通したのをいいことに、

この際、校長先生PTA会長宛の退会届を添えてさっさと連絡帳にたくしました。

さらに、退会届には、退会が認められたのか確認たかったので、

「年度内に退会したこと承諾書類をください」と書き添えました。

それで終わりです。

退会届に対する返事は来ませんでした。

子供が6年生に進学しても、誰も何も言ってきませんでした。

そして。

新学期に入って、学費給食費の引き落とし時期になり、通帳を確認したところ。

どういうわけか、PTA会費が一緒に引き落とされていました!

退会してないの?

かに退会届を出したのに??

まさか校長先生が握りつぶした???

酷いですね…。

そもそも自分が退会できたのかすら不明でした。

から承諾書類をくれと言ったのに無視です。

再び連絡帳の出番です。

すると。

ほどなくして昼休み時間に、電話が来ました。

校長先生からです。

この校長先生は、退会届を出した校長先生とは別の人で、当時の校長は異動したので、電話が来たのは別の校長先生です。

この先生はとてもよい人でした。

私が連絡帳に書いた要件について、「確かに退会している。会費は返金する」と、ちゃんと回答してくれました。

それでもちょっとだけ、願望めいた恨み節をひと言言われました。

引き続き子供活動に協力してね、みたいな。

私には言いたいことがたくさんありました。

そもそもPTA活動がどんなに忙しい保護者(主に母親)を苦しめて、母親同士の分断まで生み出しているか

現に私は苦しんだし、まわりの保護者から総スカンですよ。

子供会の役員ですら、そのとき役員だった人からは夜中の1時にメールが来たりしていました。

本当にそんな時間しか送れない程忙しかったんだと思います

そんな人が役をやらなくちゃいけない状態を知っていますか?と逆に聞きたかった。

でも会社内だったので大っぴらにしゃべれなくて、言いたいことの半分も言えませんでした。

お礼だけ言って電話を切りました。

以上が私の退会経験です。

PTA退会その後のこと

これ以降、PTAは決定的に私にとって「近づかない方がいい」ものとなり、

中学校でははじめから非加入届を入学時に提出しました。

高校でも、入学説明会前にPTA名簿用に情報を提出する用紙があったので、

それに換えて非加入届を提出しました。

中学ときはきっと小学校から連絡が行っていたせいか特に咎められませんでしたが、高校では加入勧奨されました。

入学説明会に行き受付をしたら、子供名前の横に●が。

すでに嫌な予感。

まあ何かあるかもとは思ってたけど。

そして案の定「あ、ちょっとお母さんすみませんお話しが…」と教頭先生が登場。

何てのたまったと思います

「役はやらなくていいから、会費だけ払ってくれれば…」

これ本当に言われました。

わず聞き返してしまいました。

「それって入会してるってことですよね?」って。

何よりもまず、そんな不公平なことをしたら、ほかの真面目に加入してくじ引きで当たって役をやる会員に失礼じゃないですか!?

役をやらなくていいなら、多くの人がやりたくないでしょう。

そもそも入りたくないという意見はおいておく…)

ただ入会した以上、システム的にくじ引きで当たったら3年間役をやるようです。

これに納得できる人だけが本来入会すべきなのです。

役に当たって「嫌だ、やりたくない」と思う人は、どうぞ退会してください。

しろ、退会すべきですよ。

※なぜこれほどまでに退会者を引き留めるのか。

私はよく知りませんが、なんか会員1人につき、上から降りてくるお金があるような?

PTA保険とかも関係しているのか?

あと地区とか上位組織に加入者を減らさないようなプレッシャーがあるらしいですね?

からもれなく無条件加入させることに校長やら教頭はこだわるようです。

そんなことのために苦しむのがアホらしいですよ…。

最後

私はPTA不要論者ではありませんが、PTA活動はあまりにも時代と合っていないことは確かです。

私が声を大にしていいたいのは、

もう母親無償労働をアテにしないでいただきたい!

ということです。

シングルマザーに限らず、共働きだったら毎日生活をまわすのに精一杯だと思います

別に外で働いてない人でも、パートの人でも、フルタイム労働者より時間の融通をつけやすいだけで、忙しいことは変わらないと思います

だって理由があって専業主婦だったりパート労働者なんでしょうし。

子供が小さくて送り迎えがあるとか、障害を持ってて世話が大変とか、それぞれの家庭の都合が色々あるでしょう。

朝の登校の旗振りをしたときペアとなったお母さんは、赤ちゃんを家に置いてきたと言っていました。

早く帰ってね、と言ったんですけど、そもそもそういう理由があるなら無理にやらなくてよいではありませんか?

色々なことが事実上強制になっているわけです。

大勢で動くから意見は言いづらいし役も断りづらい。

でも、小さな赤ちゃんを独りにしてまで、優先させる活動なのか?

あともっというと、

そもそも仕事や家庭の都合とか理由がなくちゃ断れないんですか?

単にやりたくないから、でもいいじゃないですか。

だって任意で入会する組織ですよ?

自分は向いてないとか好きじゃないとか、そういう人もいるじゃないですか。

やりたくないなら参加しなくてもOKはいけないんですか?

この日記批判的な人もいると思います

特に自分は大変な思いで役をやったのに!」という人は批判的だと思います

だって、大変な役員がまわってきたけど我慢して引き受けたのに、って。

でもそのことと私のしたこと、関係あります

役員がまわってきたとき我慢して引き受けるって決めたのはあなたじゃありませんか?

やりたくないと思った、あるいはどうしても引き受けられなかったなら、私のように退会すればよかったんですよ。

自分がやったから、やれたからって、できない人、やらない人を批判しないでください。

PTAのこともそうだけど、様々な家庭がある。

これ以上、色々比較して分断するのは、お互いにとってよくないです。

ともかく、PTA活動は、現実問題「できる人ができることをできるときにやって」いないです。

あの年配の校長先生は、女性の忙しさをなめてると思います

どうせ奥さん専業主婦だった年代だし、

自分家族朝ごはん作って食べて片付けてトイレ掃除してお米研いで炊飯器にセットしてから出勤したり、

退勤したらスーパーによって夕食の食材を買って、帰宅してご飯作って食べさせて片付けて洗濯して干して、

寝るまで子供の面倒をみる生活したことないでしょうね。皮肉ですが。

これでいいたいことは全部ぶちまけた。

なぜ今、こんな駄文を書くことを思い立ったかというと、

そろそろ役員決めの時期なんでないかと、

私のように苦しんでいる人がいるのではないか心配するからです。

せめて、PTAで悩んでいる人、辛い思いをしている人が1人でも減りますように。

PTAに加入しないでください。

入っていたら退会してください。

PTAの加入は本来任意です。

2022-08-21

明日から新学期なわけだけれども

濃厚接触で陽性だったのに症状が下痢だけ

大丈夫だよね

2022-08-19

娘について

娘がひきこもりだ。

娘はここ1年以上、学校に行けていない。

今日も朝から隠れて買ってきた携帯ゲーム機ゲームスマホでもゲームと三昧の時間を過ごしている。

今、日が変わって2時前。いつも23時ころから風呂に入りだし、両親が眠る頃になって大量の洗髪剤を請求してくる。眠れたもんじゃない。

いつも洗髪剤は容器の3分の1程度使用する。異常だ。

風呂に入ったかと思えば水を出しっぱなしで1時間以上風呂から出てこない。ガス代、水代が毎回すごい。

もうこんなことを注意しても聞いてくれない。何回注意したことか。

共通利益理解してくれない。

彼女にとっては光熱費なんて空気、出しっぱなしが微々たるものなのだろう。

あー考えただけで相容れない存在認識していく。

いっそのこと、この家を飛び出したい。すごく飛び出したい。

無駄遣いとかご飯食べないとか生活リズム狂ってるとか引きこもるとか部屋から出ないとか、まともじゃないこといっぱいある。

そういうのから開放されたい。普通に生活したい。

学校相談した。

教師が家にきてくれた。登校支援先生が来てくれた。少し変わったように思えたが教室には行ってくれなかった。

4月、新学期になったら行くと約束してくれたが、当日娘が靴をはくところまできて、感極まった妻がこらえきれず大声で泣き出し、動揺したのか行くのをやめてしまった。

妻よ、なぜそこで水をさすのだ。おまえが状況をかえてどうするのだ。おれは何ヶ月も前から自分感情を押し殺して彼女が登校できるよう平常心を心がけていたのにだいなしだ。

なぜもっと彼女の心に寄り添わないんだ。いっしょに寝ようと手を引いて布団に入らないのだ。なんでスキンシップをはかってくれないのだ。

公的機関不登校支援情報もまったく見回っていないのか、父の私だけがなぜいつも君に情報提供するばかりなんだ。君は娘が大事じゃないのか。

それとも俺がやっていることは全部無駄だと思っているのか。

担任ゲーム依存問題だと会うたびに説いている。最初は我々もそう思っていたが、自己肯定感を失っている子供場合依存の原因を解消しない限りゲームをやめさせても逆効果になるというのが昨今の最新説だ。

この担任問題点を見誤っているし、心の問題に向き合おうとしていない気がずっとしている。

疲れた

妻への思い吐き出したが、仕事忙しいのもあるのだろう。思えば彼女コミュニケーションは誰とでもドライだ。

2022-07-20

夏休みが始まる前に近所に男の子引っ越してきた。

外国の血が入っているのか真っ白い肌で堀が深くて映画の中から抜け出してきたような美形の男の子

けれど典型的な純日本人という名前ですこし不思議な感じがした。

男の子とは毎日遊んだ

僕らの住んでる貧乏しかいない、馬鹿みたいに広い団地でずっと鬼ごっこをしてた。

片親の家庭ばっかりだったから、外で遊ぶのに飽きたら誰かの家に行って勝手冷房かけてゲームやらなんやらして遊んだ

男の子母親も本当にびっくりするぐらい美人だった。

すごく若くて20歳ぐらいにい見えた。

たぶん俺らと同じで片親だったんじゃないかな。

父親を見たことはなかった。

いま思えば外国人の父親日本人母親が孕まされて逃げられてみたいな家庭だったのかもしれない。

すごく気のいいやつで、こいつと新学期から同じ学校だなんて最高だなって思ってた。

けれど夏休みが終わって、始業式の日になっても学校あいはいなかった。

始業式の半ドン終わって学校から帰りながら

団地友達みんなで

「なんでだよ」

「初登校は明日からなんじゃねえの」

あいつんちで昼飯食わしてもらおうぜ」

とかわいわい言いながら、あいつのアパートに行ったんだ。

けれどあいつの住んでたはずの号室にいくとそこは空き部屋になってた。

誰もいなくて不思議がってる俺らを怪訝そうに見てたおばちゃんに、

「住んでた母子引っ越したの?」

って聞いたらその部屋は春からずっと空き部屋だって言ってた。

でも確かに俺たちはあいつの部屋でゲームしたり、漫画読んだりしてたんだ。

みんなすごい不思議がってた。

あれから20年ぐらいたった。あん団地に住んでた奴なんて、みんなろくな事になってない

俺もそんな一人だ。

その日も日雇い仕事から帰ってきて、現場送迎のバスが発着する錦糸町で一人で酒をひっかけて飲んでた。

貧乏だと誰かと飲むより一人で飲んだほうが楽しいんだ。近況報告なんてしんどい話ばっかりしかいからな。

千鳥足で改札へ向かっていると、あの時の夏休みだけ団地に居た男の子母親が、

キーホルダーを付けた大きな登山用バッグを背負っって6歳ぐらいの女の子と手をつないで立っていたんだ。

そいつ女の子を後から来たおっさんに預けて、改札をくぐっていった。

だけどな、どう見ても歳をとってなかったんだ。

あれから20年たってるのに何一つ年を取ってない。

そりゃ多分服装とかは変わってる。でも20年前と一緒なんだ。

怖くなっちゃって家に帰るのも不気味で、近くのカプセルホテルでブルブル震えながら一晩過ごした。

一人になりたくなかった。誰かがいる場所で寝てたかった。

そういえば俺たちが住んでた団地、取り壊されて大きなマンションができるらしい。

なんとなくホッとする。

2022-07-15

背乗りという言葉がある。

実在する他人身分戸籍を乗っ取って、その人物に成りすます行為を指す警察用語らしい。

私が今の名前生活を始めて5年になる。

錦糸町にある山内牧場という居酒屋のあるビルの5階でその名前保険証をもらった。

免許証マイナンバーカードは偽物しか作れないが、保険証マイナンバー自体は本物を渡せますから

事務所ソファー母親から差し出された25万円を数えながら、ツーブロック筋骨隆々のさわやかな男は私と母親に向かって言うと、

「このマイナンバー免許証をもう取得済みだから免許証が欲しいなら別の名義で作らないとだめです。なのでその際はまた相談してください」

そう言って保険証を金庫から取り出して私に差し出した。保険証の裏には付箋が1枚張られていてそこには12桁の番号が書かれていた。

保険証を見ると1990年まれの生年月日と今まで名乗っていた名前と全く違う名前が書かれていた。

私が生まれたのは1991年の春のことだったらしい。ずっと母親と二人っきりで暮らしてきた。

母親貯金があるからだとかそういう理由で働きに出ている姿を見たことがない。

友人もいなく、たまに趣味山登りに一人で行く以外はずっと家にいる母に読み書きからなんやらは教えてもらった。

母は私に因数分解を教えながら

「これでも故郷では町一番の才女だと言われたのよ」

とよく言っていた。

母は頻繁に引っ越しをした。決まって7月だとか12月だとか学校に通っている子供たちが長期の休みになる時期に。

引っ越した街には夏休み冬休みが終わるまで住むことができた。

私は新学期になったら君たちと同じ学校に通うのだと、学校に通っている子供たちに自己紹介して、

1か月だけ毎日のように同じ年の子供と遊ぶことができた。

そして新学期が始まるころ引っ越して新しい街に向かった。毎回私はそのたびに大泣きした。

新しい名前に代わっても生活は大きく変わってはいない。

生活費は母の貯金からだしてもらっている。

同じ場所ではずっと働けないので日雇いだが、バイトはできるようになった。

初めてもらったバイト代で買ってあげたキーホルダーを、母はずっと大事そうに使ってる。

2022-07-04

劇場版ゆるキャン△期待値低めで見にいったら楽しく見れた

 120分の映画を見るんではなく、テレビシリーズを120分ぶっ続けで見るつもりで行ったら結構楽しく見れた。

 こう書くと俺がゆるキャン△がそんなに好きじゃないように見えるが、原作一巻発売直後から読み続けてるし、芳文社漫画しか読めないサブスクにも加入している程度にはゆるキャン△が好きだ(サブスクゆるキャン△目当てではなく、単にきらら系全誌を手軽に読みたいだけだが)。

 とはいえ、例の記事の人みたいに有給とって期待に胸膨らませながら劇場版ゆるキャン△を見に行くような気持には当初からなれなかった。

 

 そもそも日常系というジャンル映画きじゃないと個人的には思っている。

 映画というのは主人公ピンチになったり、挫折から立ち直ったり、苦悩して葛藤して立ち上がったりして、そういう展開が観客にカタルシスを与えてエンディングに到達する一本の作品であることを望まれジャンルだ(たまに観客を嫌な気持ちにさせることもある)。

 あるいは派手なアクションライブシーンみたいな劇場でこそ最大限に楽しめる作品もある。

 人によって色々考え方があるだろうけど、俺は映画館で見る映画をそういうものだと捉えている。

 その点でいうと、ゆるキャン△は不利だ。しまりんとなでしこが本気で言い争ったり、野クルの面々とギスギスしたり、社会人として深刻なレベルで失敗して限界になっていたり、時計の針を進めたからそういう展開も可能だけれど、作品的に喜んで受け入れる人は少数だろう。

 原作者もスタッフもその点はよくわかっているだろうから、大きな山場は作りにくい。また、作品的に派手なアクションシーンやライブシーンみたいな劇場ならではの臨場感を楽しむことも難しい。

 解決策の一つとして、劇場版用の新キャラを用意して苦悩とか葛藤を外付けすることがあるが、事前情報ではそんな気配は感じられなかった。

 そうすると、キャンプ場を作るという話のフックを作って、それに沿いつつ、極力いつも通りの「やさしい世界」の中での展開にするのではないか

 勝手にそんな想像をした上で、「いつも通りのテレビシリーズを120分見る感覚で行こう」と思いながら映画館に行った。たまたま時間ができたので(そもそも行くかどうかも迷っていた)。

 結果的に、最初に書いたように楽しめた。でも、120分はちょっと長く感じた。90分でまとめて欲しかった。

 家のテレビで流しながら、のんびり見る分には凄く向いている作品になっていたと思う。

 登場人物社会人になってリアリティラインが変わってしまい、多方面地雷が埋め込まれたように感じたけれど、極力その辺は触れないように配慮されてたと思う。それでも、色んなところで引っかかる人はいるだろう。もともと日常系学園ファンタジーからこそ許容されてる部分が多かったろうし。

 以下、改行の後に、ネタバレ込みで個人的に良かったところや気になった所を羅列する。





























しまりんの距離問題が意外と上手く処理されてた

 劇場版の設定が公開された時、一番厳しく感じたのは名古屋から山梨まで頻繁に移動することになる、しまりんの移動距離だった。

 劇中でも触れられてたけど、片道四時間山梨名古屋はそれほど近くない。いくらしまりんがツーリング好きでも無理がないかと思っていた。

 そこをキャンプ場作りをしまりん仕事に絡めることで、業務の一環でもありますよ、としてたのになんか安心した。必ずしも毎週末山梨に帰っているわけではないことも描写していたし、とりあえず俺は納得できる作りになっていた。距離についても最初ちゃんと話があったのも良かった。

大垣が便利すぎる

 話を動かすのが大垣であるパターン最後まで続いたのがちょっと気になった。動かしやすいし、そういうポジションにいるのはわかるけど、気が回りすぎて後半もう一人の主人公みたいになっていた。

 キャンプ場造りが頓挫しかけて、それでも何とかするしようと決断する最後の展開くらい、しまりんとなでしこもっと花を持たせてやっても良かったのでは。特に、「出版社企画が上手く立てられないしまりん」が描写されてたんだし、しまりんに企画を出させてやってよ。

・十年くらい経過してるのに全員若い

 キャラデザ的に老けさせるのは難しいのかもしれないけど、親世代までTVシリーズそんまんま過ぎて見てて困った。エルフか。ちび犬子が大学生になってたし、十年近くたってるよね。でも、不思議なでしこだけは大人になった感があった。こういう絵柄で上手に成長させるのってどうすればいいんだろうね。

・犬が死にそう

 散歩してるちくわが昼寝始めたとき、そのまま死ぬかと思ったファフナーのあの場面を思い出して無駄不安になる。

・考えてみると、なでしこしまりんの登山シーン、キャンプで良かったんじゃないか

 終盤にしまりんとなでしこが冬山登山して温泉に入るシーンがある。アウトドアの申し子みたいになってるなでしこ面白かったし、雄大自然の中の温泉シーンや二人の語らいも良かった。その時は話の流れに騙されてしまってけど、帰って落ちついてから気づいた。

 どうせならキャンプすれば良かったんじゃないか? 

 明け方富士山とか、山の上から夜景とか、二人が過去と今について語らうに相応しい場所キャンプ場じゃないか。俺がちゃんと見てないだけで、あの後冬山キャンプしたのかもしれないけれど。あんなにしっかり登山しなくてもいい気がする。

 劇中で何度も原作に出て来たキャンプ場や風景を出してたことだし、そこはキャンプでもいいでしょ。

原作の新入生でなかった

 原作では新学期が始まって、新入生の新キャラが登場している。サプライズ的にちょっと出てくるかなと期待してたけれど、影も形もなかった。本当に、ほんのちょっとだけ期待してたので残念。仕方ないけど。とりあえず、あの二人は遠方に就職してて来れなかった、と脳内保管しておいた。

2022-04-21

土日に部活イベント持ってくるのやめてほしい

子ども中学部活でチームスポーツやってる。

家族旅行の予定をずっと前から入れてて、子ども中学生だけど一緒に来るっていうから家族分で手配してた。

でも新学期始まってすぐに部活の予定表渡されて、見たら旅行当日の日曜日試合入ってる。

土日の予定を1週間前に言われても困るんだけど。社会人だったらイレギュラーな予定ある場合、早めに伝えるよね???

中学先生方も結局それで引率やら審判やらで土日休めないのに、誰も得しないと思うんだが。

マジで中学部活試合を土日に持ってくるのやめてほしい。

2022-04-19

おばさんも結構頑張ってると思うんだけどね(追記しました)

https://anond.hatelabo.jp/20220419021141

便乗します。

子供もすくすく大きくなって。

夫とも仲良くすごせてて。

やりたい仕事を続けられてて。

二子を授かりたくて不妊治療してるけど、高度な治療金銭的に躊躇わないぐらいの蓄えがあって。

でも色んな負担母親(私)に偏りすぎなんだよね。

起きたら子供の世話しながら朝の準備して。

保育園に送って仕事行って。2カ月のうち2週間は5〜6回の昼出勤や中抜け不妊治療のクリニックに行って。ホルモン投与や薬で体調不良になったり採卵で痛い思いして。診察が終わったらクリニックから戻って仕事して。30分程度残業してダッシュでお迎え。

長保の子供は帰り道でイヤイヤ発動、帰宅10分のはずが1時間半。

帰宅後は子供夫婦ご飯を作り、洗濯洗い物してると夫帰宅風呂洗濯物畳みは分担してもらってる。夫は家事を色々とやってくれてるけど、ルーティンになってるものだけ。イレギュラーもの子供新学期の準備、衣替え、旅行の準備など)は自分のことしかしない。

不妊治療も夫のタスクは1つ(採精)だけ。

もし妊娠した場合仕事への影響を考えるのも私だけ。

休日に疲れ果てて寝転びながらずっとスマホを見ている夫に、もっとこうして欲しいという話をしたら機嫌が悪くなるのは火を見るより明らかなので何も言えない。何よりも夫は夫で仕事が難しくて長時間労働で大変そうなので本気で体を労ってほしい。

子供は本当にかわいいけど、常にママママ!なので自然と私のお世話に偏る。

仕事家事育児不妊治療をやりつつ、仕事独身男性と同じ基準評価されるから辛い。

シンプル仕事のことだけを考えられる夫が羨ましい。

上のポストに就きたいけど、この生き方をしている以上は独身男性と同じパフォーマンスを出せないのは確かだから、結果としてポストには就けていない。職場女性ライフイベントには理解がある方だけど、評価する側の一人一人の本音ワーキングママと一緒に働きたくないんだと思う。

この生活になってから、ほっと一息つく時間がなくなってしまった。

全部に頑張る気力がなくなってカスカスなっちゃったよ。

私も明日ズル休みしたいな。

追記

たくさん見ていただいてありがとうございます

いつも見てるだけの増田でしたが、人気の元増田に乗っかったら見てもらいやすいのでは?と拙いながら初書き込みしました。

ご指摘の通り、元増田ミラーで書こうとしていたのに、書いている途中で夫への日常の不満が溢れてしまって、書いている本人としても驚いたところではあります自分デトックスにはなりましたが、結果としてその部分を嫌だと思われた方も多く、今後の増田投稿勉強になりました。次からは夫の愚痴は分けて書こうと思います

可視性を高めるために利用する形となった元増田には大変申し訳ないと思っています

一方で当初の思惑通り、妊娠出産不妊治療周りの男女の非対称や社会がそれを解消する方向になっていない現状について、分かってくれる方が多くいらっしゃったことにも大変救われました。

そこまでして第二子を持つ気持ちというのが分からんというコメントについては、私も分からんというか、もう湧き上がってきた動物としての本能(欲)とでもいうか…第一子を産むまでは子供は一人にしようと思っていました。

あとはその気持ちを後押ししてくれる環境の良さ(金銭家族理解)があったので始めてみましたが、やってみるまでは不妊治療周りの辛さが本当の意味では分かっておらず、こうして増田に吐き出したくなるまでになるとは思っていませんでした。

未来増田に向けて、こんな状況を知ってもらえたという意味では書いた意義があったのかなと思いました。

競争相手が「独身男性」となっているのは、増田の同期男性(子持ち)はとっくに上のポストに就いていて、同業の男女比が極端に男性に偏っていることから、同じポストを競うのが自然独身男性になっているからです。

ひょっとしたら今後は独身女性とも競うことになるかもですが、今までには経験がありませんでした。

採卵の辛さも個人差がありますね…

私は多嚢胞性卵巣症候群PCOS)と卵巣過剰刺激症候群OHSS)の傾向があり、一度の採卵(針を刺す)回数と採卵後の腹痛が多いため、なかなか辛い思いをしています

人によっては聞いていたよりもずっと楽だったというパターンもあるかと思いますし、この4月から不妊治療保険適用になりましたので、こんな増田投稿しといて何ですが、不妊治療をするかどうか迷っている方は思い切って初めてみるのも良いよとお伝えしたいです。

(私はやらなくて後で後悔したくないタイプなので)

この状況で2人目できたとして増田大丈夫?というご意見もっともだと思います

このままだと2人目が出来たら仕事を続けられない可能性が高いですね。

キャリア子供(2人目)のどちらも欲しがる強欲な増田なのですが、本音を言うとどちらも手に入るか不確実なので、ギリギリまで二兎を追いたいんだと思います

2022-04-15

最近読んだBLではない本と、関連BL本・関連するがBLではない本。(ネタバレあり)

 けっこういい感じに分厚かったけど、半日没頭して読んでしまった。

流浪の月』(凪良ゆう)

 来月辺りに広瀬すず松坂桃李の主演の映画が公開されるし、TSUTAYAに行けば売れ筋ナンバーワンとしていっぱい平積みされているので、わざわざ私が紹介しなくてもいい気がするが……。

 著者の凪良ゆう先生BL小説家としてデビューした人気作家。数年前からBLレーベル外の小説も書くようになった。『美しい彼』『わたしの美しい庭』『滅びの前のシャングリラ』など著書多数。

あらすじ

 主人公の更紗(さらさ)は、風変わりな両親に愛され、自由奔放で健やかに育っていた。だが、平和な日々は突然瓦解してしまう。天涯孤独となった更紗は伯母の家に預けられたものの、普通の家庭に馴染むことが出来ない。居場所のない彼女放課後、独りきりで公園に行き、ベンチに腰掛け読書をして時間を潰すようになる。

 公園には更紗以外にもう一人、ベンチの常連がいた。更紗の学校の友人達からは「ロリコン」と呼ばれる、痩身の若い男。彼は毎日、暗い目で女児達の姿を追っていた。

 更紗が伯母の家での暮らし限界を感じた夕方、これまで更紗に対して無関心を貫いていた「ロリコン」が彼女に近づいてきて……。


増田感想ネタバレあり)

 ざっくりと言えば、かつてTwitterとかでフルボッコにされた伝説の『幸色のワンルーム』(はくり)みたいなストーリー。傍目には、猥褻目的誘拐犯に性犯罪被害者が懐いてしまストックホルム症候群しか見えないけれど、実は訳ありのお兄さんが虐待を受けている女の子を救い、それをきっかけに強い絆で結ばれ、唯一無二の関係性を築いた二人の物語

 なんか物議を醸しそうな筋書きだけど、今のところ『幸色のワンルーム』のようなボコられ方はされていなさそうだし、これからもそうはならないかもしれない。

 ただ、レビューを見てみると、猫も杓子も作者が読んで欲しいように読んでいるというか、「事実真実とは違うということがわかりました。わたし無理解から他人を傷つけないように気をつけてようと思いました」と多くの人々が判を押したように書いていて、道徳時間小学生じみていて、うすら怖い。一体どうした、みんな真面目か。

 まあそれは置いといて。『幸色―』よりは好意的に受け入れられているっぽいのはたぶん、そもそも挿し絵無しの小説なので、女児可愛い言動性犯罪被害を描いてもそれを「性的消費」目的で書かれたとは思われ難いというのがあるのかなと思う。それに、物語全体のうち、被害者女児誘拐犯の暮らしが書かれた部分はそんなに多くない。それより、更紗が事件以来、15年の歳月をどのように生きてきて、現在はどんな風に暮らしているのかに多くのページが割かれている。そして、更紗が性的虐待を受けている場面や、彼女にとってはしんどいだけの性行為の場面は、心情はリアルに書かれても行為のものは生々しく描写されはしないので、虐待描写オカズ化は防がれている。そういう意味では安心

 未成年略取という犯罪に夢見すぎという批判はあると思う。だがそれも罪を犯した文(ふみ)の内心が吐露される章で緩和されるのかな、たぶん。

 現実にも起こりうる、子供被害に遭う犯罪とその冤罪当事者しか真実は知らないはずなのに憶測が飛び交い、被害者加害者ともにオーバーキルとなるほど晒し者にされ平穏日常生活を奪われ追い詰められること。そういうことを物語ネタとして取り上げることの良し悪し。それについて私自身がどう思うのかといえば、良しとも悪しとも言えないなぁという歯切れの悪いことを言うしかない。

 個人的好き嫌いのことをいえば、センシティブネタほど「逃げの一手」を打たない方が好き。例えば近親相姦もので実は血が繋がっていなかったのでセーフでしたとか、小児性愛者が未成年略取の罪を犯したと思ったら実はそいつ小児性愛者ではなかったのでセーフでしたとかいうのは、何がセーフじゃ甘えんな! もっと業に正面から向き合えと思う。

 『流浪の月』はどうだったかといえば、文は実は小児性愛者ではなかったので、そういうとこは私のあまりきじゃないものの類なんだけれど。だってたぶん多くの読者が「更紗と文にはこれからは静かなところで幸せ暮らして欲しい」とレビューに書いているのって、文が「安全な人」だとわかったからで、もしもまじもんの小児性愛者だったら同じ感想が出るか? っていう。なんていうのか、結局は罪を軽減して世間並に受け入れられるレベルまで物語引き下ろした感が出てしまうというか。それで事実真実は違うよねーと言われてもなって感じがする。

 だが、文がなぜ自らを偽ってまで小児性愛者のふりをしてきたのか、その事情と心情があまりにも切々と書かれていて胸を打たれたので、私の個人的好き嫌いとかどうでもいいかもう、と思い直した。

 事実真実は違う。人それぞれに抱えているものがあって、それを他人が何も知らない癖に常識だのなんだのを笠に着て叩くことが許されようか? 本作のテーマはそんな感じだが、幼い頃の更紗を育んだ家庭や、大人になった更紗に関わる人々などを、更紗が許容するもの・拒絶するものに、そうは言ってもな……とちょっと疑問が残るようになっているところが良いと思った。

 たとえば、母親が無理をせずに幸せであることは大切だとして、更紗は彼女自身母親や、同僚の子持ち女性自由奔放ぶりを許容する。ところが更紗の母親と同僚女性は娘の物分りのよさに甘え、自分恋愛にかまけて娘を放置するという全く同じ行動をする。だが、その結果は大きく異なる。更紗は母親に遺棄されたせいで理不尽辛酸なめることになったが、同僚女性の娘は放置されたものの完全には棄てられず、それが切っ掛けで更紗と文という年の離れた友人に出会い精神的に救われることとなる。同僚女性は更紗と文という協力者を得たお陰で、娘を遺棄せずに自分人生も大切にできたとも言えるかもしれない。同じ事が起きても結果は違う。これを人それぞれと言うか、そんなんただの運だから最初からちゃんとしているに越した事はないと思うか。現実としては、周囲から親にかけられるプレッシャーのお陰で子供が守られているという事も、往々にしてあるが……? などと、ちょっと考え込んでしま余地が読者には与えられている。

 一方で、更紗はDV気質のある恋人の亮のことは、交り合うところが一つもないと拒絶し切り捨ててしまう。亮がなぜDVを止められなくなってしまったのか、その理由を知っていながら、理解共感彼女拒否するのだ。母親が我が子を遺棄することには同情すら示すというのに、DV男はどんな事情があれどもダメであるというアンバランスDV男は許してはならない、そんな奴からは早急に逃げるべきだというのは正しい。ここを違えたら今時の読者には受入れられないのは想像に難くないが、世間へのご機嫌取りとも思えない、あえての偏った描写なのだろうか。と、ここにも悶々と考えさせられる余地がある。

 また、他人無理解によって苦しめられてきた更紗もまた無謬の人という訳でもなく、無邪気な思い込みで発した一言で文を深く傷つけたのに長い間気づかず、文の真実を知らないままであった。それは、読者が安易に更紗と自己を同一視して気分を良くするだけにとどまるのを阻んでいる。更紗が文の真実を知った時、それまで更紗と一緒に被害者意識を持って、解っていない人々を糾弾出来る立場にいたはずの我々は、自分達が解っていない人々と同じ穴の狢であることに気付かされ、ショックを受けるのだ。

 後半、読者目線では余裕で予想できる破滅的な結末に向けて、更紗と文が善意ちょっとした人としての良識を発揮したせいで転がり落ちてゆくところは、はらはらしてつい目が離せなかった。それはダメだ、善意でもやったらいけないやつだと、更紗達を批判することを、圧巻の心理描写妨害してくる。簡単に教訓を得ていい気分になって読み終えることを許してはくれない。それがこの小説のすごい所なのかなと思う。

 にも関わらず、レビュー者が判を押したように教訓を得た事ばかりを書くのは、この小説安易共感を読者に許さない、熟考を強いてくるからなのかもと私は思った。そう易々とは自分意見を書くことが出来ないから、かえってテンプレみたいな感想を書いてお茶を濁すことになるのだ。


さて、以下は凪良ゆう先生BL作品の紹介と、『流浪の月』とテーマが似ていると思う作品とかの紹介。

『美しい彼』(凪良ゆう)※BL小説

 主人公平良吃音を持っているせいで上手く喋ることができず、学校生活の中ではスクールカースト底辺に追いやられていた。両親に心配をかけることを畏れた平良は、イジメターゲットにならないように極力目立たぬよう、息をひそめて暮らしている。

 そんな平良は、高校二年の新学期、同じクラスになった清居(きよい)に一目惚れをしてしまう。清居はスクールカーストの頂点に君臨し、陽キャの面々に一目置かれながらも孤高にマイペースを貫く、まさに王者である。そんな清居とそのしもべ達から奴隷のようにこき遣われる平良だったが、清居が気まぐれに差し伸べる暴力的な救いの手や、逆境ものともしない凛とした姿勢に心酔する。やがて平良は、清居の一兵卒から立派なストーカーへと進化していくのだった……。

 凪良ゆう先生BL小説のなかでたぶん最も人気のあるシリーズであるイジメ被害者加害者カップリング主人公平良と、平良に惚れられた清居、それぞれの視点によって相手人間性共通体験についての見方ががらりと変わる。事実真実は違うとはまさにこのこと。

『にいちゃん』(はらだ)※BL漫画

 幼い頃、近所に住む「にいちゃん」に遊んでもらっていた、ゆい。彼はにいちゃんのことが大好きだった。ところがある日、にいちゃんが奇妙な遊びに誘ってきた。怖くなったゆいは、にいちゃんの部屋から逃げ出した。そこへゆいの母親鉢合わせたことにより、にいちゃん逮捕されてしまう。

 数年後。高校生になっても、ゆいはにいちゃんのことが忘れられず、親には内緒でにいちゃん行方を探していた。そして遂ににいちゃんと再会を果たしたゆいだったが、にいちゃんはゆいを怨んでいた。にいちゃんはゆいを拘束して動画を取り、それを脅迫材料として、ゆいを呼び出し、苛烈性的虐待を加えるのだった。


 ほんもの小児性愛者でしか性犯罪者の大人と、ストックホルム症候群高校生のカップリング虐待描写があまりにも凄惨で心を折ってくるので、性描写ゴリゴリにあるが抜けないエロ本みたいなことになっている。ヤバい奴に雁字搦めにされてしまった状況での愛は偽りなのかもしれないが、渦中にある本人にとっては本物に見える。その様を綺麗事なしに描写した怪作である


『私の男』桜庭一樹

 腐野花(くさりの はな)は、恋人との結婚をもって養父の腐野淳吾の手を離れることになった。花は幼いうちからまだ年若い養父性的関係を持ち、そしてもう一つ、誰にも言えない秘密を淳吾と共有していた。

 そんな花と淳吾の暮らしを、時の流れとは逆順に、章ごとに語り手を変えつつ描いた物語最後には花と淳吾の真の関係性が明かされる。

 はたからみれば養父から性的虐待を受ける女児物語だが、やはりこれも事実真実は違う系。ところが真実事実よりもどろどろとしていて、なのに純心であり耽美でもあるが、物凄い業の深さでもある。

 第1章が花と淳吾の別れの話で、それから章ごとに時を遡っていき、最終章家族を亡くして孤児になった花が淳吾と出会い養子になるところで終わる。

 私は初読の時に、まるでハッピーエンドのように終わるなぁと思ったのだが、再読したら別にハッピーエンドには思えなかったのは何故なんだ。もう一度読めってことかな、ハハッ。

 映画にもなっているのだが、映画版はまるで小さな悪女・花に淳吾が狂わされ搾り滓にされたみたいなラストだったから、あまりきじゃないな。


『つみびと』(山田詠美

 酷暑真夏若い母親は幼い子供達を部屋に置き去りにし、餓死させた。懲役30年の実刑判決を受けた母親を、世間の人々は好き勝手糾弾する。一体、母親は何故、愛していたはずの子供達を死に追いやってしまったのか? 母親自身の生い立ち、彼女祖母の代から続く凄絶な負の連鎖とは……。

 小説しか描けない現実があるとして、実際に起こった事件モチーフに書かれたフィクション小説である

 児童虐待と、世間の人々が助けたいとは思わないタイプ社会的弱者物語。著者の山田詠美先生自由女性恋愛小説を書く一方で、昔から社会の最下層にひっそりと生きる人々の事も書いてきた。中でもこれはすごい作品

 山田先生作品にしては珍しく、リベラル無責任で冷酷な一面が批判的に描写されている。

2022-04-13

発達障害安楽死を認めろ

結局居場所もなければ、家族カサンドラ症候群になる。

教育委員会から知的障害学級対象外と言われ、

学校から知的障害学級へ行けと言われた。

でも道徳授業では障害者を助ける教育

意味からない。

まぁ、死ねばいいんだろ?

死にたい死にたい

教育現場はバカ大人ばかり!

教員同士が障害児をいかに潰すかなすりつけあい、登校しなくなったら喜ばれる!

どうせ自殺しても、原因不明とか言うんだろ!?

進級しても新しい担任は私の障害をわかってないし、前の担任情報共有しないから、新学期早々助けてもらえない!

もう学校大嫌い!

2022-04-07

エーーン

春休みが終わるのに新学期に向けた掃除が終わらない…

やる気スイッチを誰か見つけてくれ いや作った方が早そう

だが動くエネルギーもない…

病院も行けなくて数ヶ月経って悪化してるしなんか病院行く資格もないよなとしか思えないけど立ち上がれなくなったら子供が困るからどうにかしないとだけどもう

2022-03-31

可愛らしいビール腹のおじさん、明日から新学期新年度、頑張ってね❤😘❤大好きだよ❤😘

2022-02-18

増田メンヘラにとって救済をもたらすサービスであり続けて欲しい

私は「インターネット上で故人のブログが閲覧できる」ということを知り、廃墟サイトまとめを閲覧していた。

そもそも一体なぜ私が故人のブログに興味を持ったのかということについて述べたいと思う。中学生の頃、図書館南条さんの本を借りた。当時私はリスカアムカを常習的に行っていた。そのような自傷行為きっかけで南条さんの本に辿り着いたと記憶している。

本には、南条さんという人物について、また彼女インターネット上に残したものについて書かれていた。


「死んだらインターネットで公開したものが残り、さらには書籍化されるパターンもあるらしい」

衝撃だった。

南条さんは、生存した証をインターネット上に残して死んだ。いや、「生存した証がインターネット上に残ってしまった」と言い表した方が正しいのかもしれない。


さて話を戻すと、インターネット上で閲覧できる故人のブログというのが、二階堂さんの「八本脚の蝶」という日記サイトだった。利用されていたのは「@niftyホームページサービス」で、このサービスから推測できるように、当時はまだ世の中に気軽に開設可能ブログサイトは広まっていなかったのかもしれない。

二階堂さんもまた、南条さんと同様にに生存した証をインターネット上に残して死んだ。特筆しておくべき点が、二階堂さんは南条さんと異なり「自らの意志生存した証をインターネット上に残して自殺した」という点である


私は、南条さんも二階堂さんもインターネット上でリアルタイムにて追うことができなかった。そのことについてなぜか「残念だ」と感じてしまうの自分自身気持ち不謹慎でたまらなかった。

インターネットではブログサービスの代りに増田流行り始めた。私は主にメンタルヘルスについて発信している増田を好んで見ていた。そのうちそのクラスタ内のある増田について「どうやらあのアカウントの持ち主は自殺したようだ」と囁かれている場面に何度か遭遇するようになった。

このような場面を目撃し私は、非常にモラルの欠けた発言になるのだが「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と感じるようになっていた。


さて、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化され河出書房新社より発売された。文庫化されるという情報を得た時点で既に私は、自分の心の中で妙にひっかかるものを感じていた。故人の尊厳について考えた。

前置きは長くなったが、本編の日記を読んで感じたことを述べていこうと思う。



その日記は2001年6月13日水曜日から始まっている。

はいつの間にか、2001年当時自分が何をしていたかということについて思いを馳せていた。2001年6月13日水曜日、私は小学6年生だった。私は6年生のゴールデンウィーク旅行先で体調を崩し、風邪をこじらせてしま入院した。自宅で寝ていると熱がぐんぐん上がり、布団に包まっても寒くて寒くてたまらなかった。後になって改めて親とその話をしていると、どうやら熱性けいれんを起こしていたらしい。

ところで北海道運動会は春に行われる。私は運動会当日までに退院することができた。当時の担任先生が「持久走どうする?」と確認してきたので、私は「徒競走だけ出ます」と答えた。グラウンド5周の1キロなんて走りたくなかったのである

私にとってそんな小学最後運動会が終わり、初夏なのか蝦夷梅雨北海道にも一応梅雨のような時期が一瞬だけ存在する)なのかわからない曖昧気候の中で、小学生活を送っていた。おそらくそれが、私の2001年6月13日水曜日だったのではないかと思う。


2002年4月8日、月曜日。おそらくこの日に私は中学1年生になった。中学校に進学したといっても、私が通っていたのは小中併置校だった。わかりやす説明すると、小学生の教室が校舎の2階にあって、中学生教室が3階にあるということだ。つまり中学生になると階段を上る段数が増えるだけのことである

私は新学期の校舎の何とも言えないにおいに敏感な子どもだったので覚えているが、小学生のフロア中学生フロアとでは、においが異なっていた。中学生の階の廊下教室は、やはり中学生らしい大人っぽいとでも言ったらいいのか、とにかく少し変なにおいがしたのを覚えている。

4月も8日頃となると、多くの会社にとっては新年度区切りを迎えてから日経過したというところで、まだ新しい環境には慣れていないという時期ではないだろうか。

2002年4月8日の月曜日二階堂さんにとってのこの日は、ある本に引用されていた詩を見つけることができた日ということになっている。どうしても読みたくて探していたのだという。彼女にとってのちょっとした記念日であるように感じられる。


2002年の3月末~4月初旬の彼女日記確認してみると、すっぽりと更新されていない空白の期間になっていることがわかった。年度末から年度初めは、やはり忙しかったのだろう。

彼女文学部哲学科を卒業した後、編集者レビュアーとして働いていたようだ。新年度が始まって早々しかも平日に、ずっと探していた本が見つかったという出来事日記に書くほどに、彼女は本に対してかなり熱心な人物だったんだろうとぼんやり想像する。


2003年4月1日火曜日、この日は平日だ。

平日だが、二階堂さんの日記は「その一」「その二」「その三」「その四」「その五」「その六」「その七」、これに止まらず「その八」「その九」、さらに続き「その一〇」「その一一‐一」と綴られている。私はそのことに気付き、なんだか雲行きが怪しくなってきたと感じた。「その一一‐二」「その一二‐一」「その一二‐二」と日記は続くが、いくら新年度決意表明にしても長編すぎやしないだろうかと思う。「その一二‐三」の日記の次に、彼女はやっと翌日の4月2日を迎えられたようだ。

しかしその4月2日水曜日日記タイトルは「その一」とある。この日は「その七」まで綴られているが、分割されている記事もあることを踏まえるとトータル9回更新されたということなのだと思う。おそらく当時はスマホなど普及していなかったはずなので、勝手個人的な予想になるが、彼女は自宅で夜中になるまで複数回にわたってブログ記事投稿したのではないかと考える。もしくは、職場PCから小分けして投稿していたという可能性も考えられる。しかし、2002年4月8日月曜日日記から判断する限り、彼女であれば絶対にそんなことはしないのではないかと思う。


投稿あたりの文字数は、今でいうブログ(いわゆる収益化を目的としたブログ)と比較するとかなり少なく感じられる。

しか彼女複数回に及ぶブログ投稿現代増田で例えるなら、短文の増田をかなりの回数にわたって連投しているという状態に置き換えられるのではないかと思う。多くの人はそのような増田のことを、はてなーもしくはいわゆる「病み増田メンタルヘルス系の内容を扱う増田の中でも特に思春期中高生が該当するように思う)」に分類すると思う。事実私も、一晩にかけてそのように連投しているアカウントを見かけると、どうしてもメンタルヘルス系の悩みでも抱えているのだろうかと見なしてしまう。

さて連続して投稿された日記の内容はというと、私が生きてきた中でそのタイトルも作者も聞いたことがないような本から引用である。また、彼女が数年前に受け取ったと思われる知人から手紙引用している投稿も見られる。


ふと私は、おそらく二階堂さんは思考の整理のためにブログを使うというやり方をとるタイプ人間ではないだろうかと感じた。というのも私も時たまTwitterをそのような用途に用いるかである。そしてどういうときにその思考の整理をするかというと、それは「ものすごく死にたいが、どう対処していいか方法が見当もつかないときである。これについては、もしかするとピンとくる方もいるかもしれない。そのようにしばしば私はTwitter思考の整理を行う。なぜなら自分自身脳内の回転及びそれによって生じる思考インターネットに吐き出さなければ、到底処理しきれない状態に陥っているからだ。

そしてなぜあえてインターネット吐露するのかというと、リアル社会には私の話を聞いてくれる人が存在しないからだ。私にとって、リアル社会相手の様子を窺いつつ的確なタイミングでふさわしい言葉相談を持ちかけるという動作は、極めて難しい。過去に何度も相談時のコミュニケーション挫折する経験を重ねたことがきっかけで、そのような事態に辿り着いてしまったのではないかと疑っている。


彼女本心は今となってはわからない。そのため私のような人間が、勝手彼女自身を重ね合わせ、どこかに類似点があるのではないかとあれこれ想像してしまう。

ふと、彼女の死とはこのような在り方でよかったのだろうかと思わず考えてしまう。死後に自分作品が残るとは、そういうことなのだと思う。


2003年4月に私は中学2年生になり、無事に厨二病発症した。インターネットに本格的に参入したのは、この時期だったか記憶している。休み時間には、情報担当教諭ヤフージオシティーズアカウント取得を手伝ってくれた。

やはり、当時はまだブログがそこまで一般的ものではなかった。私はまずは無料レンタルスペース(現代でいうレンタルサーバーのようなもの)を契約個人サイトを作っていた。そしてレンタル掲示板を設置し、同盟バナーハッシュタグで繋がる文化など当然存在しなかったため、共通趣味で繋がる同盟という文化が主流であった)を貼り、繋がっていた。あの頃はそのような時代であった。

私は夜な夜な日記(これはノートに綴った日記であった。というのも夜はインターネットができない家庭環境にあったのだ)を書き、アムカをするようになっていた。田舎特有地域性、そこで生じた問題、そして本来の私の性格と一体何が根本的な原因であるのかはわからないが、ちょうど家庭内でもそこそこ大きな出来事が発生し、私は混乱のさなかにあった。

やがて私は個人サイトの別館を作るようになった。それはおそらく現代でいうTwitter複垢サブアカウント)のような類に非常によく似ているのではないかと思う。私はやがて、いかにも「メンヘラポエム(笑)」と晒されそうな文章を拙いながらも公開するようになっていた。


私は日本におけるインターネット内でポエム馬鹿にされる風潮にいまいち納得がいかないので補足するが、あの頃は「テキストサイト」とカテゴライズされる個人サイトが充実していた。現代詩ともエッセイともいえない、インターネットならではの文章ポートフォリオのようにまとめた個人サイトは、当時かなり多くみられたように思う。

このように、思春期も相まって私は何かと思いつめて過ごす時間が多かった。先に述べたアムカをするようになったのは、確か半袖を着なくなった秋頃だったか記憶している。


二階堂さんの日記は2003年4月26日の土曜日更新が途絶えている。4月26日というと私の誕生日の翌日なのだが、そんなことなど今はどうでもいい。4月26日の日記は、6回更新されている。「その一」「その二」「その三」、そして「お別れ その一」「お別れ その二」「お別れ その三」という題で投稿されている。

そしてその後に、おそらくこれは投稿時間を設定したことによる自動投稿なのではないかと思うのだが、「最後のお知らせ」が更新されている。その内容は、「2003年4月26日のまだ朝が来る前に自ら命を絶ちました」という旨を報告するものである


人の死についてあれこれ憶測することが心苦しいが、おそらく夜中のまだ朝が来る前に、最期のまとめとお別れの言葉を、何人かの対象に向けてそれぞれ投稿したのではないかと思う。そして、2001年から更新が続いていた日記ありがとうございましたという言葉で締めくくり、パソコンシャットダウンしたのかどうかはわからないがきっと彼女ことなら身支度を整えてどこか高い建物へ向かい、そして亡くなったということだと思う。


インターネット死ぬとはこういうことなのか。


断っておくと、私は『八本脚の蝶』すべてを読破したわけではない。二階堂さんが好んだ幻想文学などの専門分野について私は詳しくないため全文の理解が困難であるという言い訳により、私は挫折した。しかし何とも言えないモヤモヤとした疑問が残った。

冒頭で私は「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と述べた。再度ここで明記するが、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化された。

しかするとインターネットに生きた証を残して自殺するということは最悪な選択肢なのではないかと私は思った。というのも、自らの意志に構わず書籍化され、需要編集者の熱意があれば数年後に改めて文庫化されるというパターンもあり得るということが今回わかったかである


果たして彼女はそのようなことを望んでいたのだろうかと、厚かましくも疑問に感じてしまう。世に広まるということは、全く想定していないターゲット層にまで届いてしまうということだ。もしかすると「自殺なんて弱い人間が行うことだ。自殺をする人間は敗者だ」などと主張する層に触れ議論を呼ぶこともあり得るかもしれない。

事実書籍化された『八本脚の蝶』は私のような読者にまで届いたし、加えて私は今こうしてこのような文章まで書いている。果たして私のこのような行為は許されるものであろうか。


文中で軽く触れたが、私にとって増田思考の整理のためのツールとして役立っている。

私は物心ついた頃より、「この子ぼんやりと過ごしているねぇ」と周囲から見なされることが多かった。しかしその一方で、「あなたは随分と真面目だね」などと言われる場面もたびたびあった。その理由について私は、私の脳は必要以上に過剰な思考を行っているためではないかと考えている。


私にはストレスや言いたいことを溜め込む傾向がある。「我慢しちゃだめだよ」とかなりの数の人たちから言われた経験がある。しかし、言える相手に言える範囲相談をし、さら増田で大量に噴出しても追いつかないのが残念ながら現状なのだ

私は、増田を含むインターネットとは「最後の砦」であると考えている。リアル社会で捨てきれない期待をインターネットに託している。もし私がインターネットに見捨てられたなら、どうにかして確実な方法で間違いなく命を絶つと思う。それほどまでに私はインターネットに縋り付いている。


果たしてインターネットは苦しみの最中に置かれた人間にとっての救いとなるのだろうか。

今となっては、様々な利用目的によりインターネットは利用されている。インターネット事業を興し収入を得る個人も随分と多く見かけるようになった。しかインターネット上に人が増えたわりに、一向に私はそこで救われることがないように感じる。

私はリアル社会の中で、絶望絶望を重ねている。冷静に振り返ると自滅して傷ついている場面が多いようにも感じられるが、何らかの救いを求めてインターネットに入り浸っている。もしも私がインターネット絶望しきってしまったのなら、それは完全に終了の合図だ。「死」以外に何もあり得ない。


インターネット彷徨っていると、「死ぬ以外の選択肢が無いために死ぬという選択を取った」という人間が多数存在することに気付かされる。

二階堂さんが一体どうして「八本脚の蝶」というウェブサイトを立ち上げたのか私にはわからない。もしかすると彼女日記のどこかで触れられているのかもしれない。  

しかし、私にはそのことについて何時までもこだわっている時間は無い。正直に言うと、小康状態を保ちながら生きていく上では、他人のことを気にかける余裕など皆無なのだ。そして当然なことであるのかもしれないが、健康人間にとっても同様に、いわゆる「生きづらい人」を気にかける余裕というものは本当に無いらしい。最悪の社会だと思う。

しかしその「最悪な社会」だからこそ、インターネットは救済希望者を受け入れて欲しい。私の意図することをより明確に言い表すなら、「すべての利用者インターネットを通じて他者を救済する世界であって欲しい」。


相変わらず私はぐちぐちと思考の飛躍や感情上下運動に振り回される様子を、増田のしかも匿名披露している。どうかこのことに何らかの意味があって欲しい。

私は自分自身人生について、「あまりにも辛く、ほとんどの時間を疲れ果てた状態で過ごし、さらに今にも死にたくなる瞬間がたびたび勃発してしまう」ものであるように感じている。それならば、私の不幸によって同じようにどこかで苦しい思いをしている誰かが救われて欲しい。


自分自身とよく似たパーソナリティ人物言動思考を知ること」は、抱えている苦しみを解消することにかなり役立つのではないかと思う。そのような情報医療機関提供してもらう機会が少なく、私はインターネットに救いを求めている。そういうわけで私は毎日欠かさずインターネットを利用している。

私はインターネットヘビーユーザーのまま亡くなっていったすべての人たちを観測したわけではないが、目にした限り彼らは社会に対する憎しみを叫ぶことなどせずにこの世を去っていったように思う。彼らに共通することとしては、後世に何らかの表現方法アドバイスを残し、そして希望を託して亡くなっていったように感じられる。


私は彼らから希望を託された側として生を続けたいと思う。そしてそれがいつまでの期間になるかはわからないが、インターネットに救いを求めつつも、積極的自分自身の不幸を開示していこうと考えている。

増田には、メンヘラにとって永遠に救済をもたらすサービスであり続けて欲しい。

2022-01-11

3歳の息子と8歳の少年公園にて。

3歳の息子を昨日、公園に連れて行った。

たまの祝日ものんびりしてられないのが

子育て世代の辛いところだ。

いつも行く近所の公園ではなく、

歩いて15分ほどの方に行くことにした。

さな公園で、遊具ブランコすべり台だけ。

しかし息子のお気に入り公園なのだ

公園につくなり、テンションがあがった息子は

「あそぼーーー!」と大きな声をあげた。

それは父親自分への発言だったのだが、

声が大きすぎた。一人で滑り台で遊んでいた

少年が「いーいーよー!」と言いながら

こっちに向かって走って来る。自分への

呼びかけだと勘違いしたのだ。

小学2〜3年生くらいだろうか。どうしよう、

ちょっとヤバい子かもしれない…と心配していたが

彼はとにかく良い子であった。

ブランコでも滑り台でも先に息子に遊ばせ、

息子が上手にできない時は自分がやって手本を見せ、

遊んでいる中で息子が電車が好きだと分かるや、

足で地面に線路を描き電車ごっこを始める。

とんでもないサービス精神の持ち主である

最終的にはぐるぐると追いかけっこするだけの

遊びとすら言えない行為に延々付き合ってくれた。

自分は一つしかないベンチに

腰掛けて、ずっと二人を眺めていた。

しばらく追いかけっこをすると

少し疲れてしまったようで、少年

自分の隣に座った。息子は少年と遊ぶのが

よほど楽しかったのか、余韻を楽しむように

まだ一人でぐるぐると走っている。

はいくつなの?と聞くと

7歳。でも、来月に8歳だと言う。

小学2年生であった。初見の時の

読みはだいたい当たっていた。

本当はこっちから声をかけようと思ったんだけど

コロナでそんなことしたら怒られちゃうかもと

思って声かけられなかったから、声かけてくれて

しかったと話してくれた。いや、それは

君の勘違いなんだけど…とは言わなかった。

小学校2年生って言うと、学校入ってから

ずっとコロナだね、と聞いてみると

そう。だから、こうやって遊んだ

あんまりできないんだと答えてくれた。

しゃべりながら遊んだりしちゃダメな感じが

あるんだと。それは大変だねと返事して

なかなか二の句を告げられずにいると、

喉乾いたから水飲もうと言って

少年はベンチからすっと駆けだした。

ねえ、君も水を飲みなよ、と彼は息子を

水飲み場に呼んでいる。

走る彼の背中を見ながら、

ああ、随分と長い間彼のような子たちに、

我慢経験喪失を味わわせているんだなあと思い

胸が傷んだ。そうして我々が手にした物は、

小学生のみならず

10代の若者たちに2年間もの期間を

無為に過ごさせてまで

手に入れる価値本当にあったんだろうか。

そんなふうに自問してしまう。

あと2か月もすれば春になる。

次の新学期には、せめて若者たちだけでも

これまでどおりの生活ができるように

してほしい。めいっぱい

しゃべって、遊んで、楽しんで

日々を過ごしてほしい。そんなことを思いながら、

夢中で遊び続ける二人を見ていた。

お昼ご飯も食べぬまま1時をまわり、さすがに

少年より先に息子と公園を後にすることにした。

二人でさよなら挨拶をして帰ろうとしたら

もう一度バイバイしてくると言って

息子は少年のところに駆け戻り、随分と長い間

バイバイしていた。ようやく戻ってきて

二人で歩き始めると、振り返る度に少年

手を振っている。曲道で僕達が見えなくなるまで

彼は手を振り続けていた。

2022-01-03

膀胱炎死ぬから市販薬で誤魔化さずに病院に行け

2021夏、世間コロナ医療崩壊の真っただ中、私はコロナとは全く関係ない理由で死にかけて入院した。

半年経って当時の日記を発掘したので、正月休みで暇な今せっかくなので当時の日記日記増田に供養する。


20代学生女性

経緯を言うと、膀胱炎放置していたために、血中に細菌侵入し、敗血症性ショックになり、生死の境をさまよったのである

コロナワクチン接種とタイミングが重なってしまったため、副反応だと思って放置してしまい、大分大変なことになってしまいました。

本当に処置が一歩遅かったら私は死んでいた。


膀胱炎放置しておくと危ない病気らしい。全然知らなかった。

膀胱炎は、大腸菌などの細菌尿道から膀胱感染することで起こる。女性に多い病気で、自覚症状は排尿時の痛み、残尿感、頻尿、尿の白濁、陰部のかゆみなど。

おしっこをがまんしすぎたり、疲れて抵抗力が弱まったり、不衛生な陰部の環境だったりなどで発症する。

そして膀胱炎は放っておくと菌が尿管から腎臓に上がり、腎盂腎炎を発症する。すると発熱下腹部の痛みが起こる。

さら放置すると血中から大腸菌が全身を回り、全身の臓器が機能不全を起こし、血圧が低下し、ショック症状を起こす。これが敗血症性ショックである

インターネット情報を参考なので間違っているかも)

膀胱炎は放っておくと死ぬので放置せずすぐに病院に行け、は界隈の常識らしいですね。私知りませんでした。

今回身をもって実感しました。

膀胱炎放置しちゃだめ、ぜったい。


以下詳細な日記である

20代学生女性

8/13 (金)

膀胱炎自覚症状。一般的に言われる自覚症状のオンパレードで、これは明らかに膀胱炎ですな、といった感じ。

3年前くらいにも一度膀胱炎にかかっており、その時は病院抗生物質をもらったらすぐに治った。

もう一回くらいかかったことがあるような気がする。その時は市販薬で治ったはず。いつかは覚えていない。

この時期友人の家に入り浸りまくっていたので、まあそのへんとかで疲れがたまって不衛生になっていたのかな…、そういえば恥ずかしくてあんまりトイレ借りて無かったな・・・、と考える。

という訳で市販薬(腎仙散)を飲み始める。病院に行ってもよかったのだが、前述のとおり友人の家に入り浸っていたので、出先で病院を予約するのが面倒で、「市販薬で治るでしょ」とごまかしていた。

この後も友人の家に入り浸る生活。8/15と8/19しか実家に帰っていない。それも終電近くに洗濯物を取りに帰っただけである

8/19 (木)

まりにも薬か効かないのでボーコレンに変更する。まだ少し効く

8/20 (金)

夕方コロナワクチンファイザー、一回目)を打つ。

発熱はなし。

思い返せばこの日の夜下腹部痛があり、今思えば腎臓が痛かったのかもしれない。

腎盂腎炎になると逆におしっこが出なくなるので、排尿時の痛みはあったが、排尿の頻度が下がったのでこのあたりから膀胱炎のことを忘れはじめ、薬を飲むのを忘れ始める。

8/21 (土)

日中は37°C台前半。ロキソニンを飲んで寝る日中を過ごす。

23時頃、直前まで何も無かったのだが、突如猛烈な寒気に襲われ、体が勝手にガタガタ震え出し、熱を測ると41.7°Cを記録。人間ってこんな体温出せるんだな。

ポカリロキソニンを飲んでどうにか落ち着く。無理やり寝る。

8/22 (日)

翌日になると熱は37.4°Cまで下がっている。友人のワクチン接種に付き合う。

帰りがけあたりから熱が上がっている感覚がする。帰って熱を測ると38.8°C。

最大で40°C台まで上がった。

ただ薬を飲むと熱が37°C台に下がった。

8/23(月)

この日から頭痛嘔吐の症状が出てきて一気にしんどさが上がる。

頭を動かすたびにガンガンとなる頭痛がするので起き上がりたくないし水も飲みたくない。

水を飲んでも胃液を吐いてしまう。水分補給が出来ないのがしんどい

薬を飲むとこれらの症状がマシになるが、2-3時間しか効かないし、6時間空けて飲まなければいけないので薬が効いてない時間地獄

熱は薬を飲んでも下がらずにずっと40°C台、最大で41.3°Cまで上がった。

インターネットを参考に薬をバファリンルナiに変えたら効きが上がった。薬が効くと熱は38°C台まで下がった。しかしこれも2-3時間しか効かない。

薬が切れた途端猛烈な寒気に叩き起こされ、震えが止まらなくなり、熱が上昇する。

「なぜ私だけこんなつらい目に合わなければならないのだ…!」との思いが募る。

そろそろ、「ただの副反応じゃないんじゃ…?」と思い市の副反応相談センター相談したところ、「明日になっても熱が下がらなかったら医療機関へ」とのことだったのでもう一晩様子を見る。

8/24(火)

症状は昨日と変わらない。副反応相談センターにもう一度相談したところ、市の医療機関を紹介してくれる番号を教えてもらう。しかし今は横浜実家でなく世田谷の友人の家にいるので使えない。

#7119でもいいですよと言われたので、そちらに電話をかける。深呼吸をしなさいと言われる。

友人が最寄りの発熱患者可の病院を探してくれる。家から50 mの距離だが歩ける気がしなかったのでタクシーを呼んでもらう。

病院では栄養剤の点滴をしてもらい、コロナに効く解熱剤(カロナール)を頂く。

今思えばこの医者はヤブだったのでは?発熱が4日も続いているのにPCR検査もしないし、その他検査もしないし、点滴と薬だけ貰って「様子見て」と言われた。

もし血液検査をしてくれていたら、きっと白血球の数値とかがおかしかっただろうから、原因も分かったろうに、、、

ただこちらも、「そういえば膀胱炎でした」と言い忘れたし、もうそんなのすっかり忘れていたし、さすがに医者もそれを聞いたら尿検査血液検査くらいはやってくれたと思うので、言えればよかった。

あとワクチン接種でめちゃくちゃ忙しそうだったしね。初診の外来患者なんて後回しよね。

吐き止め成分も一緒に点滴してもらった。しかし帰ってポカリ一口飲んだらそっこーで吐いた。嘔吐RTA。吐いたら2時間は飲み食いしないでと言われていたが、しんどすぎてそのまま薬を飲んだ。

カロナールはよく効いた。熱は37°C台まで下がった。これも2-3時間しか効かないが。一緒に処方された吐き止め薬ドンペリドンの眠気誘発効果も高く、薬が効いている間は快適に眠れた。

薬が効いていない間は相変わらず40°C台の発熱頭痛嘔吐

薬が効いている間しかまともに飲み食いが出来ないし、薬が効いている間は強烈に眠いのでまともに飲み食いできないので、要はまともに飲み食いできず、それがしんどかった。

おかゆを買ってきてくれたが、一口食べてギブアップした。ゼリーはすこし食べられたような…?

夜9時、あまりにもしんどさが天元突破したので実家に帰る決断をする。一人で他人シングルベッド占領していたのが申し訳なかったのもある。友人に布団で寝て欲しかった…

親に電話して洗いざらい話す。「なぜもっと早く連絡してくれなかったのだ」と親にめちゃくちゃ怒られる。

タクシー8000円)で帰りたかったがなんとタクシー発熱患者を乗せられないらしい。

しょうがないので翌日始発の電車に乗って帰ろうという話になる。

別にコロナじゃなかったからいいけれど、もしコロナだったら電車移動よりまだタクシーの方がウイルスを広げる可能性が低いのだけど、このへんどうにかなりませんかね、えらい人)

私はこの後薬を飲んで寝てから記憶が無い。次の記憶は木曜か金曜の病院のベッドの上である。以後は伝聞。


8/25(水)

午前2時頃、シャワーから上がった友人は私の奇行を目にする。

友人のカバンを持ち、友人の靴を履いて、家の扉をガチャガチャして「あれ…?開かないなぁ」とつぶやいていた。

これは薬のオーバードーズによる奇行だと思った彼は、とりあえず私を引きはがした。

すると私は白目を剥いて倒れた。レギュラー西川のようだったそう。

これは死んだわ、と思った友人は、ひとまず#7119に相談

すると「それは救急車呼んだ方がいいですね。こちらで救急車を手配します」と言われた。

ほどなくして救急隊がやってきて、私を救急車に連れていく。友人はよく分からなかったそうだが、救急隊曰く当時の私は痙攣していたらしい。

救急車に運ばれ、受け入れ先の病院を探す。しか医療崩壊ど真ん中の時期だし、夜中だし、高熱なのでコロナ疑いだし、意識不明から救急病院でなくてはならないし、で受け入れ先が全然見つからない。結局1時間半くらい各所に交渉したそうである

熱は42°C、血圧60、意識不明重体の私の横で受け入れ先の病院が見つからない中ひたすら待つ友人…。不安だったろうよ…。ごめんね…。

最終的に、最初に断られた病院に無理やり病床を開けてもらったらしく(他の人を一般病棟に無理やり移したらしい)、そこで受け入れてもらうことになった。コロナの為病院には同居家族以外の侵入不可だそうで、友人はその場で救急車から追い出された。申し訳ない…。

病院到着が午前4時。両親がタクシー病院にかけつける。コロナ疑いなので、両親も別室に隔離され、沢山の同意書にサインをさせられる。

点滴をする同意書、点滴のために喉に管を通す同意書、けいれんを抑えるために麻酔を打つ同意書、けいれんがひどくなった時に体を縛り付ける同意書、などなど。

最初医者も原因が分からず、とりあえず白血球の数値が異常に高いことが分かったので、適当抗生剤を打っていたらしい。

培養検査の結果、とある種類の大腸菌が原因だということがわかり、おそらく膀胱炎悪化し、腎盂腎炎になり、血中にも大腸菌侵入して、臓器が機能不全を起こした、敗血症性ショックだろうということが分かった。

原因が分かってしまえばあとは早いので、それ用の抗生物質を点滴し、あとは回復を待つのである

PCR検査も陰性だと判明し、コロナではないと分かった。


8/26(木)

私は意識を取り戻し、「スマホが欲しい」と言ったそうだが、何一つ覚えていない。けいれんを抑えるために麻酔を打っていたそうだし、意識朦朧だったのではないだろうか。金曜日あたりまでの記憶は私は曖昧である主治医と1回話したはずなのだがうっっっっすらとしか覚えていない。

そのまま2週間くらい入院ですね、と言われる。コロナの為面会謝絶で、必要ものは母に届けてもらい受付経由で受け取る。

面会謝絶なのは意外とよかった。病室が静か。

両手と首に点滴が通っているので、私はひたすら気をつけの姿勢で寝ることしかできない。暇。うつ伏せで寝られないのがストレス

あと食欲が全くわかず病院食が食べられない。「これだけは飲んで」と言われた栄養飲料(そんなに美味しくない)と、たまに出るフルーツくらいしか食べられない。なので栄養剤の点滴も外せない。

とはいえ意識は取り戻したので近いうちに一般病棟への移動が決まる。

8/27(金)

この日から元気にLINEをしている。この日か翌日に一般病棟に移った気がする。

8/28(土)

この日あたりから食欲を取り戻し、病院食が完食できるようになる。

8/29(日)

8/30(月)

食事が完食できているようなので、と栄養剤の点滴が外される。これで点滴が朝晩3時間つの抗生剤だけになり、夜うつ伏せで寝られるようになる。超ハッピー

8/31(火)

抗生剤だけなら飲み薬にして退院しよっか、とのことで急遽翌日の退院が決まる。急いで両親各所に連絡する。

9/1(水)

退院。声はカッスカスで、支えが無いとまっすぐ歩けない。10日くらい臥せっていると筋力その他が大分落ちるのだなと理解した。

その後自宅療養して大分普通に戻りました。

私が入院していた間、私が死ぬんじゃないか、と毎日家の中はお通夜状態だったらしく、大分迷惑をかけてしまった。非常に申し訳ない。


以上当時の日記になります

あのまま友人が朝まで様子を見る決断をしていたら私は本当に死んでいた。そしたら原因にワクチンは全く関係ないがワクチン副反応で死んだ人扱いされただろう。

繰り返すが、今回得た教訓は、膀胱炎市販薬で誤魔化さずに、病院抗生物質を貰うべきだということである

それから2021年の医療崩壊はやはりひどかったですね。治療にあたってくれた医療関係者方、そして各所でたゆまぬ努力を続けてくださっている各医療関係者様方に感謝します。

2021年冬は少し落ち着いていましたが、冬休みにかけてじわじわ感染者が増えてきていますね。また当時のような惨状になると医療機関がまた悲鳴を上げてしまます。我々は基本的感染対策を怠らず、淡々と過ごしたいですね。

あとそれから友人に本当に感謝。私の看病をしてくれ、救急車を呼んでくれ、救急車でも意識のない私に声をかけてくれていたらしい。本当にありがとうあなたは私の命の恩人です。もし我々の縁が切れることがあったとしても、その事実は変わらず、私は一生あなた感謝して生きていきます

それから家族にも本当に感謝。だいぶ心労をかけてしまいました。楽しく労働することで恩返しするね!

ちなみに、「あん経験をしたんだからちょっとくらい失敗しても「死ぬよりまし」とか思えるようになりなよ」と友人によく言われる。

さなことでくよくよする生活は変わらないままである

かに今日記を読み返して、「本当に死ななくてよかった」との思いを新たにしました。生きていることに感謝ですね。明日から新学期なので頑張らねば!


以上です。皆様も体にはお気をつけて、、、。

市販薬安易に頼らず病院に行った方が結局早いし安いことが多いですよ、、、。

2021-12-31

新年から頑張るんごが今年はない

そこそこ今年頑張ったし、今猛烈に疲れてて明日から気合いれるような元気がない。

しろ明日から寝込みたい。

 

毎年、新年から気合い入れて頑張ろうと思う。と決意しても三が日終わったら→はい次一周目終わったら→はい2月から

はいつぎ新学期からはいつぎ半年経過したか7月から

みたいな流れやったな。

2021-11-22

最近観たBL

ドラマ『美しい彼』

 凪良ゆう先生小説『美しい彼』シリーズ原作


あらすじ

 主人公平良一成(ひら かずなり)は吃音があるせいで思うように喋れず、人間関係で躓きがち。そのため、子供の頃からボッチで、スクールカーストの最底辺を、自らの存在感を消して目立たぬように生きてきた。

 ところが高三の春、新学期初日ホームルームにて、自己紹介最中吃音が出てしまい、悪目立ちしてしまう。だがその時、クラスメートの清居奏(きよい そう)が遅れて教室に入って来たことにより、クラスの面々の注目が清居に移り、平良は難を逃れた。同時に、平良は清居の美しさに目が釘付けになる。

 新学期初日に悪目立ちしたせいで、スクカー上位からパシリにされるようになった平良。だが、厄介事に見舞われる度に清居の気紛れに救われる。清居の気高さと圧倒的強さに平良ますます心酔し、のめり込んでいく。



増田感想

 小説原作映像作品は、大体原作には敵わないと私は思うんだけれども、やっぱりこれもそんな感じ。かといって特別まらない訳じゃないし、駄作とも思わないけど。

 平良役の萩原利久、清居役の八木勇征、どちらも演技が上手いと思った。リアル平良と清居だなぁー。

 ダンススタジオまでストーキングしてバレるシーン後の、神社で話す場面が好き。レッスンで汗をかいた清居のために、好物のジンジャーエールの他にポカリまで買って来て、若干ドヤり気味の平良平良なのにキョドってない!? 原作平良はねっとりとした陰気キャラだったけど、ドラマ版の平良は純朴系な感じだ。軽くだれおま感あるけど、まぁこれはこれで……萩原利久かわいいからいかなぁー。

 平良に「きもっ」と言い放つ清居のタイミングがパーフェクト。

 清居の暴君ぶりが実にリアルスクカーキングの不良ムーブが板につきすぎていて怖いくらいだ。臨場感溢れる胸倉掴みには、震え上がってしまう。

 なんだかんだ、ドラマ平良は余りきもくない路線で行くのかなーと思いきや、エンディングテーマが流れ始めたところで、急に予想外のきもさを発揮しだすとか! え、きもいって、そういう意味での!? ままま、清居の写真でオナり始めるとかやめて! 深夜枠だけど一応テレビだぞwwwwwww

 ところで、オープニングテーマエンディングテーマキャラソンとしてとても良く出来ていて嬉しい。エンディング歌詞がだいぶどぎつい事書いてあるんだけれども、清居って本当にそういうキャラ。だが、超絶俺様気質に見えて平良に振り回されまくりなのが、清居の可愛いところ。

 


原作を知らない人向けの補足。

アヒル隊長とは。

 平良の心の師匠アヒル隊長笑顔でドブ川の流れを悠々と流れて行く様を見た平良は、以来、いつも心を平らかにし、アヒル隊長のようであれ、と念じて生きている。

 

平良フラスコに小銭を貯める理由

 決してただの吝嗇ではない。清居から貰ったもの大事にしているだけの行動。清居から貰ったお金を入れるに相応しい素敵な容器として、フラスコ型のオサレな容れ物を、平良は物置きからわざわざ探しだしてきた。

 原作では、清居がくれた500円玉平良は遣わず後生大事に取っておいている(つまり、清居の飲食代は平良が自腹で払っている)。500円玉貯金ドラマ版では小銭貯金に変更されたのはおそらく、500円玉フラスコに入らなかったとかい理由なんじゃないかなと思う。

2021-10-16

苗字を捨てられる結婚は素晴らしい

苗字が嫌いだ。ごくありがちで、からかわれもしない。でも、ダサい苗字ランキングで言えば上位に入る苗字。「渡辺」。私はいつも最後だ。学生の頃はテストの度に解答用紙を集めさせられた。なぜか入学式スピーチさせられた。新学期最初絶対に後ろの席で黒板が見えない。小学校の頃講堂で行われる音楽会で席が足りなくて一人だけ上級生の中に入れられた。健康診断の時は毎回長く待たされた挙句一人取り残された。惨めだった。悲しかった。なぜ私は苗字のせいでこんなに損しなければならないのだろう。五十音順とか誰が考えたのか。たまには順番変えてくれたっていいじゃん。

から見たら「こんなことどうってことないだろ」と思うかもしれないが、幼い頃からずっとこんな理不尽な目にばかり合っていると耐えられなくなる。

もうすぐ結婚する。五十音順中間くらいで書きやすくかつかっこいい苗字の人と。私の子供は苗字で損しないと思うと嬉しい。素敵な苗字結婚ってなんていい制度なんだろう。

2021-09-27

生きていけん

18歳になっても自分のことをちゃんと考えられないってどうしたらいいんでしょうか

私は小学生の時からキトー人間で生きてきたんですが、

中学に入って、勉強ができる公立中学校だったので勉強するという習慣が無かった私は早々に置いてかれてしまい塾に入りました。

特に小学生の頃から数学が極端に出来なくてそれは塾に入ってからも変わらず、

やらなきゃいけないとわかっていても出来なくて結局伸びずじまいでした。

でも、何故か英語だけは教え方が良かったのか少しづつ出来るようになってそれは自分の自信になったのですが

結局地元公立高校に落ちて、ランクだけで選んだ全く知らない高校入学することになりました。

この際の高校受験の経緯としても正直勉強自主的にやった記憶はありません

そのまま何となくで入った高校中学校と違いすぎかなりレベルが低くて驚いたのですが私自身は勉強嫌いなのでその環境には順応していきました。

ですが高校2年生に上がった時に英語クラスカナダに行けると知り英検をとったりしてカナダに行って、

そこそこ英語力が上がりました。

(親は50万くらい払って行かせてくれました。)

そこで私はなまじ周りのレベルが低いので自分ができると勘違いしてしまい、私大なら良いところを目指せるんじゃないかと思って都内大学進学を目指し始めました。

(東京に行きたいという下心がほとんどの動機です。)

でもやはり自主的勉強する気は起きず、というか授業ほとんど寝てました。

自分はそんな状況を鑑みて

これは自分勉強したい気持ちもないし向いてないと判断し進を決める段階ではさすがに大学行こうという思いは立ち消えて就職しようという考えに変わりました。

なので学校就職斡旋してもらおうと思い担任にその旨を話したらコロナから就職はほぼ無い、みんな進学するよといわれ家でも大学は行った方がいい、

働こうと言うけど何ができるの?と言われたので

目指すなら有名私大と思い無謀ながら某W大学とMARCH1校だけ受けて派手に落ちて、

そこで辞めればよかったのに何故か浪人することを決めました。

その時はまだちょっと一浪すれば名のあるところにも受かって東京に住めて就職も有望じゃん!とか安易に考えていたのです。

そして卒業してから宅浪するつもりでバイトなどしながら生活してましたが去年模試を受けた代ゼミから勧誘手紙が来たので(15万割引ということで)

ちょっと予備校に興味が湧いたのです。

そして、予備校といえば模試河合塾だ!と思い認定テストを受けに行きました。

認定テストは入るつもりがあったというより模試感覚で受けたので、帰り際に当然入る人のような対応をされたのでまだ入るかとかは考えてないですと言ったのですがあちらは入ると頭数に入れられてしまって家に電話が来るようになりました。

それで電話をとった親からも行ってみたら?的なことをいわれたのて頼みこんでローンで80万組んでもらって河合塾に入りました。

4月からまり入ってみたはいものの、中高と全く勉強してないから全く着いて行けません。

しか高校では授業も寝っぱなしだったので一コマ90分に耐えられるはずもなく最初は耐えていても寝るようになってしまいました。

それでも6月くらいまではなんとか自習とかもしながら予備校生活ちゃんと出来ていたのですが

夏休みが始まってあまり夏期講習を取らなかった私は

生活リズムも完全に崩れて塾への足が遠のきました。

それから9月新学期が始まって、もう最初のようにはいかなくなり予習がやっとで土日の自習も出来なくなってしまいました。成績は驚くほど上がっていなくて英語だけは最初からできたので偏差値が65を切ることは無いのでそれを見たら安心してしまって他もどうでも良くなってしまます

というか模試の成績を気にしてた頃は良かったのですが今となっては気にならないというか本気で勉強する気が起きません。

私は高校の時、数学留年しかけてあまり勉強したくなさに自殺しかたことがありますが、

よーく考えたらそんな人間浪人生活大学受験も耐えられるはずありませんでした。

勉強は全く興味無いし、正直家に都内まで出てというお金はありません。私が死ぬほどバイトしなきゃ成立しないと思います

そんなにバイトをしながら大学通ってなんて生活は私に到底無理だと思います。かと言って地元私大全然良くないので奨学金払ってまで行く必要は無いと思ってます

80万は申し訳ないですが、こんなにやる気も社会性も無いんだからこれ以上受験費とか冬期講習とかお金かけるのは無駄だと思って大学受験は辞めようかなと思ったんですがそれもまた家で波紋をよんでます

(当たり前か)

ハッキリしないで適当なことばっかりいうので親もストレスが溜まりまくり

なんなの?こっちは色々考えてるのに

と言われたんですが

冷静になったら私自身が自分ことなんて全く考えてなくて将来どころか3分後位のことしか考えてないのでそう言われてもなと思いました。

最近は塾の自習室に行ってもテキストを開いて置いたはいものの3時間くらいボーッと座ってる時が多いです。

父親も呆れてて何も言われません。

親は共働きで本当に忙しくしてるのにストレス絶頂で私もどうしていいかからないです。

正直高校ぶりに死にたくなってきました。

親に殺されてもおかしくないのでぶっちゃけ苦しくない方法で殺して欲しいくらいです。

今は高校の時ほど実行に移そうっていう体力というか気力がないんですが毒とかでなら全然死にたいです。

昔は飛び降りが良かったですが。

こういう社会性もやる気もないバカはどうしたらいいんでしょうか?

クズなのわかっているんですがどうしたいとも思わないので死にたいけど臆病過ぎてそれもできません。

やれば出来るとか言われてもやるくらいだったら出来なくて良いやって思っちゃうタイプなので治らんと思います

どこいっても環境とか周りのせいにしてしまうし

もう無理ですーーーーーーーーだるいーーーし3秒後くらいに死にたいです

2021-09-07

学校コロナもらった子供が反ワクチン親にうつして死なせるの見たい

我が子にワクチン打たせない反ワクチン思想の親って今かなりピンチだと思う。

新学期が始まった子供学校コロナをもらってきて家で親にうつ危険毎日さらされているから。親子ともどもワクチン打たないなら感染可能性は非常に高い。

ワクチン派かつコロナ風邪派の親だったら発症しても病院に行かずにこんな末路を迎えるのだろうか?

「コホッコホッ……これはただの風邪……自家製ハーブで治るはず……ゴホゴホゴホ……ホメオパシーヨガを併用すれば……ゴホッゴホッゲホッ……こ、肛門日光浴で太陽の力を取り込めばきっと……ガハッゲボッグボホッ、ヒューー…………ガクッ」

……屋外で下半身丸出しで死んでる親の第一発見者なる子供の気持ち想像しただけで胸が張り裂けそうな気持ちになる。

自分の親は救いようのない馬鹿だったと反面教師にして科学的・合理的思考を胸にコロナ孤児としての人生を強く歩んで欲しい。

2021-09-01

つらくても新学期はじまったら学校に行け

学校で嫌なことがあったら逃げてもいいって言う奴もいるだろうが

結局最終的には誰も助けてくれないか学校に行け。

俺は不登校保健室登校留年も休学も経験したけど

30になっても人生どうにもなってないし未だに職歴もないか学校に行け。

どうにかなる奴もいるんだろうけど基本どうにもならないか学校に行け。

その結果潰れたとしても関係ない。

人生が終わる経緯が変わるだけで結果は変わらないんだから

潰れてから学校をやめればいい。

結局はいつ潰れるかの問題だ。

可能なら就職までたどり着いて職歴つくってから潰れろ。

厳しいこと言うかもしれないけどそうするしかない。

ただ、どれだけしんどくても年金免除申請だけはやっておけ。

俺はそれだけはやっておいたから今なんとか生きていられている。

2021-08-31

中国ゲームは「週末1日1時間

まあ近平さん自体が中高時代田舎単純労働させられてたからだろうな

食べ物を粗末にしないとかゲームで遊ばないとかの思想健康的でいいと思う

広州=比奈田悠佑】中国メディアゲーム産業管轄する国家新聞出版署は30日、未成年者(18歳未満)によるネットゲームの利用を厳しく制限する方針を発表した。ゲーム企業に対し、未成年者へのサービス提供を週末や祝日などに限定して時間も1日1時間までとするよう求める。学校での教育内容に加え、家庭の生活でも青少年管理が強まる。

未成年者のネットゲーム利用は金曜、土曜、日曜と祝日の夜8時から9時までに限定する。実名による利用登録厳格化するよう求める。国家新聞出版署は2019年未成年者のネットゲーム利用に関して、祝日に1日3時間、それ以外の日は1時間半を超えてはならないとするといった規制を打ち出していた。その規制さら厳格化する。

中国政府は青少年に対する思想教育を進めている。上海市では9月新学期から習近平(シー・ジンピン)国家主席の思想を題材にした教材を使う授業を小・中・高生の必修科目として新設する。北京市も今月、当局の認可を受けていない外国教材を義務教育使用することを禁ずる方針を打ち出した。

2021-08-29

子供が休む勇気ってなんだよ

新学期コロナ感染防ぐには マスク徹底、休む勇気

https://news.yahoo.co.jp/articles/bf0c57defb24a89b792a6152fb5a956e717cc876

集団部活練習する人らがたいかいでゆうりなように、通学優先した生徒が得をするんだろ

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