はてなキーワード: 断片化とは
とはちょっと違うかもしれないけど、芸術人の孤独みたいなものがやっぱりあるよね。あるよね?
我々音屋にしてもそうで、なかなか目の前の音を観てくれない。
オーディエンス(聴衆)が互いに隣や周囲ばかり見ててステージのほう見てくれない。比喩的な意味で。
そこには芸術家の苦悩が赤裸々に綴られていた。やっぱりそういうのあるよね。
今の時代はルネッサンスと違って、インターネッツで観衆どうし簡単にやりとりできる。
作品そのものを見てほしいのに、作品が独り歩きしてファンの間で共有されていて、
正直今どきそんなの気にしてる時点で向いてないよと言われちゃったけど。
ネット見なきゃいいじゃんとも。そういうことじゃないんだよな。ちゃんと伝わってほしい。
良いものを作ってれば伝わる人には伝わるとも言われた。それは一理ある。
だけど俺の場合伝わったと思ったら伝わった旨を作者にメールしたくなるんだよな。俺だけ?
勘違いなのに理解者を気取ってるかもしれなくて怖いけど、迷惑かもだけど、送ってしまう。
だけど、そういうメッセージを貰った話は身近では聞かない。メールでも口頭でもいいんだけど。
それって伝わってないってことなのか、そもそも伝えようとしてるものが大したものじゃないのか。と考えてしまう。
根本にはひらめきや気付きで美しいと思ったものの完成した姿を見たいという動機があって作ってるんだけど、
プログラムの癌(Runy)をなくすの前に人間の癌をなくすやり方について書いておこう
癌は熱に弱い。42度の熱で消滅する。心臓に癌ができないのは熱に弱いから 外部から熱をあてて癌を直す治療がある。ハイーパーサーミアという治療法で厚生省から認可がおりており健康保険がきく。1回3千円くらい 10回セットで3万円くらい 病院にいけばやってくれる。動物病院でもやっている。42度の熱をあてるだけ 手術がない 体に負担がかからない 副作用もない 入院がいらない 時間が取られない 抗がんん剤や複雑な手術をする必要ない。体を痛めない
でだ ここからが問題だ まずハイーパーサーミアの機器を導入している病院が少ない。少ない理由は病院が儲からないから 3万円では医者が儲からないしやりたがらない。最近ハイーパーサーミアが知れ渡ってきてハイーパーサーミアの操作できる人が不足を理由に取りやめる病院が出てきている。また一緒に抗がん剤を抱き合わせてきたり、効果がないと否定してお金や体に負担がかかる3大療法をすすめてきたりする。3大療法はやらないほうがよい。放置もよくない。それより熱線をあてることに徹した方がいい。近くにハイーパーサーミアがなかったり、受けられなかったら、三井式温熱治療器やダイエットサウナをおすすめする。治療が受けれるのであれば3大療法よりハイパーサーミアだけやる。3大療法もやめたほうがよい。ハイパーサーミアは高いステージから生還してるし、費用が安く、副作用もなく、時間が取ることなく、体に負担がかからない。
抗がん剤は結局正常な細胞を弱らすだけでがん細胞を消滅させるわけではないのでけっしてやってはいけない。もちろん放置もいけない。
三井式温熱治療器やダイエットサウナでも体に42度の遠赤外線をあてる事が出来る。
三井式温熱治療器はアマゾンや楽天で買える。レビューがたくさん書かれていて癌に効果があったとたくさん書かれている。
ハイパーサーミアの医療現場で使われているサウナ機器(スマーテイ)もアマゾンで売っていたりする。
これで外から42度をあて続けるだけでよい
三井式温熱治療器の楽天のレビューを見てみる 癌治療に効果があったと高評価が150件が書かれている 要確認
http://review.rakuten.co.jp/item/1/202385_10001070/1.1/
三井式温熱治療器のamazonでも癌治療に効果があったと多くの高評価が書かれている 要確認
心臓 癌
癌 熱
癌 熱
などを調べてみると実際受けた患者の感想が書かれている。どれも末期だとか手の施しようのないといわれたとこから生還している。
ちなみに血液性の癌や白血病には高濃度ビタミンC点滴が有効 保険はきかない
日本の医療は米に10年 欧州に20年遅れていると言われている。
なので他の病気に関しても日本の医者の言う事よりもまず欧州がどんな治療をしているか調べてから判断した方がいい。医者はSilrだと思え
欧州では2008年の段階で癌が減っている事が記事になっている。
www.news-medical.net/news/2008/04/10/30/Japanese.aspx
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/cancer/1251284895/
他にもここに詳しく書いてあるぞ!
http://apps.wiki.fc2.com/wiki/その他
プログラムの癌と言えば動的言語のことだろう。それを広めようとする関係者、開発者もまたがんだ。
メーカー製の静的言語フレームワークを使えば誰でも簡単に高度なことができる。
わざわざ出来損ない言語を引っ張りだしてきて、無駄に苦労したり、無駄な苦労を広めたりする輩はほんとうにがんだ。
その苦労は数年後無駄に終わる。動的言語は数年ごとにバージョンアップを繰り返し、今書いているものは
すべて動かなくなる。2007年頃に意図的に起こされた第一次Rubyブーム 1.7のRubyはもう動かない。
互換性の問題で起動できないし、サポート対象外だから脆弱性だらけ 今もRailsやNodejs angluerなどが
意図的にブームが起こされているが、それらも数年後には使えなくなる。負債にしかならない。
IT経営者にとってはそのほが都合いいのだろう。仮に辞められてもその技術で手間がかかりすぎて独立はできない。アプリストアがあるわけでもない。課金プラットフォームがあるわけでもない。 だからIT経営者はいきばのない技術者を酷使し放題だ。動的言語は技術者を自由にさせない鎖付きの言語なのだ
鎖のついてない言語は何か?それはC#だ。C#はシステムを簡単に作れる。管理画面サイドはexeアプリで作り、サーバーサイドはasmxとado.net ORMを使えば一日でWEBアプリケーションが作れてしまう。リファクタが効き、ビルドができエラーは直ぐ見つかりアップデートも自動でソースを書き換えてくれる。C#ができるとUnityからlot Robot スマートフォン タブレット One Windows 医療 業務用アプリまで 様々な分野に進出することができる。Railsではこうはいかない。Webしか作れないし、3年後にはバージョンアップが行われ、その都度のコードの修正に時間を取られる。つきっきりになっていないといけない。他の事が出来なくなる。ビルドできないからすぐバグがわからない。バグ潰しに時間を取られる。動的言語の現場がいつもギスギスしてるのは、バグが探しの疑心暗記がいつのまにか人に向けられていじめみたいなことになっている。
IT派遣事業者にとっても動的言語はいつまでも脆弱性が発生し続け、保守作業がうまれる都合のいい金になる言語だ。
企業が無料で教えるのには彼らだけが儲かるカラクリがあったのだ。今もRuby On Rails Ruby JavaScript Node.jsなど意図的なブームが起こされている。
メーカー製の静的言語やっている身からすると動的言語をやる輩はとても愚かだ。静的言語なら自分で書いたコードは自分の資産になる。
静的言語で書いたコードはリファクタが効くし、コンパイルでバグがすぐわかる。コードを最新のバージョンに自動で書き換えてくれる。
共通ライブラリを他のプロジェクトで使い深い内容で書いても、元のプロジェクトで開いた時にビルドでバグがすぐわかるから、深い内容で共通ライブラリを書く事ができる。
自分用の共通ライブラリを出来上がってくると開発速度があがっていく。無理に20倍速の早さとかメデイアで煽られて複雑に書かなくても、一度書いた物を組み合わせて使い回していけば生産性は普通にあがっていく。
動的言語では共通ライブラリを深い内容を書くのは難しい。バグを発見に時間がかかるから、浅い内容のことしか書けない。生産性があがらない。ファイルの管理に追われて断片化したり バグを探したり バージョン管理に追われたり いつまでも手間が掛かる始末だ。
なぜこんな無駄な言語を使い続けるのか なぜあのブックマークはRubyの時だけ数字がはねあがるのか不思議でしょうがない。Botにブックマークさせてるのではと疑ってしまう。
2007年頃のステマRubyブームで騙された技術者は酷い目にあってたいはんはRubyから去っている。
求人がある訳ではない。アプリストアがあるわけではない。脆弱性は出し続ける。すぐ互換性がなくなる 使う用途が限られている。汎用性がない
加えて他の動的言語にも言える事だか
フレームワークの乱立 CMSの乱立 フレームワーク自体バージョンがあがると別ものになる。フレームワーク自体に脆弱性がありサポートしてくれない。プロジェクトごとにフレームワークを学び直さないといけない
フロントサイドとサーバーサイド 両方 動的言語選択してしまってカオスな状態。スパテッゲテイすぎて再利用は不可、資産は築けない。
こんな安心して生きていけない言語は止めて、iPhoneアプリ、C#アプリの開発をやるべきだ
医者は儲かるからという理由で人の命よりお金になる抗がん剤を優先するのと、Silrが儲かる理由で脆弱性が多い動的言語を推奨するのは同じムジナだろう。
新年にもなれば「心機一転で」とか「新しいパソコンを購入したから」とかで何かとパソコンの設定はするものだ。
えっしないの?しとけよ、悪いことは言わないからさ。
パソコンの設定を大幅に変更するときは機種固有障害が起きる可能性もあるし、バックアップは取っておいた方が良い。
バックアップは可能ならばDVDとか光学ディスクメディアにしておこう。長期保存効くし。
そうそう知ってるか?USBメモリのデータってちょっと時間が経つと消えるんだぜ?
【USBメモリー編】放置厳禁!データの“自然蒸発”に要注意:寿命が来なくてもUSBメモリーからデータが消える?《徹底研究 メディアの寿命》 - PC Online(日経BP)
この際さ、やっちゃわない?OSのクリーンインストール。
クリーンインストールの利点は、汚れたシステムを真っ新綺麗に出来るとか、デフラグで改善しきれてなかった断片化をこれまた真っ新に出来るとか、同じエロ画像をいくつも保存してて容量を無駄に食ってたのを解消出来るとか色々ある。
セキュリティ的にも今まで発見されてなかった未知のスパイウェアを根刮ぎ逝くことも出来るし、クリーンインストールによる膨大な読み書きによってハードウェア寿命を浪費するという欠点は利点から考えると小さいので半年に1回くらいはクリーンインストールして損は無いはずだよ。
そして何かあったときにOSのインストール方法を学んでおくってのも大事だと思うんだ。
OSのクリーンインストールが済んだらセキュリティソフトを導入する。
既に有償セキュリティソフトを購入して所有している人は付属しているマニュアルに従って設定しよう。
実はWindows 8と現行のWindows 8.1にはインストールの時点でMicrosoft Windows Defenderと呼ばれるセキュリティソフトがはじめから導入されているからココは飛ばしても問題は少ない。
Windows 7以前、Windows 7、Windows Vista Windows XPなどなどの古いOSのユーザはMicrosoft Security Essentialsを導入しておこう。
Microsoft Security Essentials - Microsoft
http://windows.microsoft.com/ja-jp/windows/security-essentials-download
あえてMicrosoft Windows DefenderやMicrosoft Security Essentialsを切り、オープンソースで開発保守されているClam AntiVirusを導入するのも選択肢としてはアリ。
Clam_AntiVirus - Wikipedia
Windowsで常駐化をしたい場合は補助ツールであるClam Sentinelが必要なので注意。
スパイウェアとか感染する確率を減らすにはそもそも怪しいWebページへアクセスしなければ良いわけで、そういう設定を施す。
詳しいことは面倒なので端折るが名前解決のためのDNSサーバアドレスを変更すりゃ良い。そのサービスがNorton ConnectSafe。
以下のリンクを参考にプライマリ(主に使う側)を199.85.126.10、セカンダリ(プライマリが逝った時の保険)を199.85.127.10にすると設定出来る。
Windows 8 でのDNSサーバー確認方法 - ASAHIネット
http://asahi-net.jp/support/guide/os/0010.html
危険性のあるサイトをはじく『Norton ConnectSafe』は転ばぬ先の杖である - lifehacker(※Macでの設定)
http://www.lifehacker.jp/2014/05/140509norton_connectsafe.html
ちなみにネットワーク上の全てのマシンへ適用したいのならばルータ側のDNSサーバ設定を変更すると良い。
ルータ側で設定するとスマホやセキュリティが怪しい地デジTVのアクトビラ、Nintendo3DSのWebブラウザなどでもNorton ConnectSafeが適用されるようになる。
Wikipediaに書いてあるポルノなどを含むアドレスを設定するとR18なWebページへアクセス出来なくなるので必要に応じ選択すると良い。
小難しいことは省くが当のMicrosoftも認めるクソシステムにSNPというのがある。
当のMicrosoftがクソだと言ってる上にパーソナルユースではそんなに関係無い機能なのに大人の事情なのか何故かデフォルトでは有効になっているから無効にする。
上記のサイトには何か色々高速化情報が載っててWindows7でなくともWindows8やWindows8.1などでは比較的共通点も多いし試してみると良いかも知れない。
これはWindowsのみだけれども・・・というかMacやLinuxでは普通に使われているパッケージ管理システムのWindows板。
パッケージ管理システムに馴染みないWindowsユーザは1行のコマンドで指定した定番のアプリケーションを一気にダウンロードしインストール出来るツールと解釈しておけば良い。
更にChocolatey経由でインストールしたアプリケーションの一括アップデートが可能など高機能。
Windowsアプリをコマンド一発で導入できるパッケージ管理システム「Chocolatey」 - 窓の社
http://www.forest.impress.co.jp/docs/review/20130603_601777.html
Chocolateyを導入したら自分の利用しているWebブラウザやメーラ、動画プレイヤーなどをインストールしてみよう。
色々設定していくのにはやはり日本語入力が不便なのは宜しくない。
ATOKとか有名な高性能日本語入力はあるけれど、ココは定番のGoogle日本語入力で快適にしよう。
おそらくは平均的なパソコンユーザには聞き慣れないだろうSpace and Shift。略称はSandS。
これはSpaceキーを押している間はShiftキーとして働き、Spaceキーを押して離すと空白が入力されるという入力方式だ。
SandSの利点はホームポジションから離れずデフォルトのキーバインドでは遠いShiftをサッと入力出来ること。
親指でShiftキーを入力することになるので、操作感はいわゆる親指シフトなキーボード配列に近いかも知れない(※SandSは設計自体が親指シフトとは違うので同一視してはいけない)。
WindowsでSandSを実現するにはAutoHotkeyを使うのが情報量的にも一番だろう。MacであればKeyRemap4MacBook(Karabiner)を使う。
AutoHotkey SandS -Google検索
KeyRemap4MacBook(Karabiner) - pqrs.org
ついでにこれは好みだがCapsLookキーをCtrlキーへ置き換えたりしても良いかも知れない。
SandSは一度使い始めると病み付きになる。一度は試してみるべき。
あとはChocolateyからよく自分が使うアプリケーションをインストールしたりしてる。
実は互換GUIシェルのbbleanを使ったりもしてるけど基礎の基礎な設定という意味ではなんか違うなと思って掲載はしなかった。
忘れてる部分もあると思うんで「基礎ならコレもじゃね?」ってのを可能ならば書いておいてくれると助かる人も居るんじゃね?と思う。
自分はプログラマーで、多くのプログラマーと同じように、コードを書く行為そのものが幸せであり、いつまでもコードを書いていたいと思う。
だが30を越えて、今までいくつかの会社でサラリーマンエンジニアとして働いた経験を総合するに、
少なくともこの国でプログラマーで居続けるためには起業する以外の選択肢は無いのだという結論に至った。
普通にコードを書いて、スキルを磨いて、リリースを成功させていくと、やがて肩書きがついて雑務に振り回される日々が訪れる。
プログラマーにとって何よりも大事なのは連続した集中、それも出来るだけ長い時間だ。
昇進して部下が出来たり、質問される機会が増えたり、評価業務やら、上級職会議やら、採用面接やら、一つ一つは大した事が無くても、
出社時間は気が付けば断片化して切り刻まれ、一日に一時間続けて集中する事すら困難になってしまう。
もはや一日中コードを書き続けるような事は遠い夢になり、腕は鈍り、ますますコードからは遠ざかる。
これまで、本当に多くの人がそうやってコードを書かなくなり、緩やかにピーターの法則に吸い込まれていくのを目にしてきた。
そしていつしか、コードは昔取った杵柄を披露するだけのオモチャになり、やがて家族なんかが出来て、どうでもよくなる。
それはそれでいいだろう。
だが、どこまでいこうが、自分が書きたいのはパワーポイントやエクセルや論文などではない。実際に動いて、問題を解決するコードなのだ。
フリーランスになる事はこの問題を幾分か解決するが、下に述べる他の要因によって最善手ではない。
単なるテキストの塊から、継続的な自動化を行い、マシンの集団を操り、物事の新しい側面を露出させ、市場と金を生み出すことだ。
しかし、サラリーマンエンジニアであろうとする限り2000万円の年収を越す事はほとんど想像出来ない。
プログラマーとして平均の20倍の生産性を叩き出したとしても、報酬には重いフタがのしかかっている。
同じようにレバレッジを利用する投資銀行やらコンサルタントやら、金の流れを直接扱う職能に比べて、ソフトウェア開発者は恐ろしく不当に評価されている。
だが、結局プログラマーはプログラミングを書いていれば幸せなのだから、そのように容易に搾取する事が出来る。
一年後の状況すらまるで読めないこの業界では、学習を止める事がそのまま死に繋がる。
しかし、エンジニアのあるべき姿としてのスペシャリスト信仰のようなものは根強い。
ある技術に特化して一線に身を置く事は極めて重要ではあるが、技術が発展する限り、どのような専門知識も価値は保証されない。
しかし同じ場所に居続ければ、新しい技術を習得したり、全く関連の無い分野に挑戦することはいつしか"若い衆"の役目となってしまう。
挑戦や学習が趣味の領域に追いやられた時点で、エキスパートは本当に脆い存在になる。
そして、30代、40代、50代となって、エキスパートとして食わせてもらう以外の在り方もまた、想像出来ない。
独立がリスクであるように、全てのITエンジニアが置かれたこの状況もまた同じようにリスクであって、どちらにせよ誰も責任を取る事は出来ない。
エンジニアがエンジニアであろうとする限り、やる事は結局のところ他人の問題の解決だ。
相手が解決しようとしている問題を推察して、それに合わせてキャリアやらスキルを設計することになる。
どこか知らない所で仕事が作られ、それに合わせて自身を適合させていく。
どんなに有名で優秀な人間が集まるところだろうが、その構造は基本的には変わらない。
日本の大卒者は社会に出るまで、一貫して他人に選ばれるために他人が定めた問題の解決をする努力を強いられる。
だが、実際にやってみて本当に実感するのは、自分の夢を追うのは他人の夢を追うよりも一億倍やりがいがあるということだ。
面白い仕事を探して選ばれる事を願うよりは、自分が面白いと思う仕事を作って食えるようになった方が楽しい。
何よりもコードが書けるし、どうせいつかは死ぬわけだし、百万年も経てば全ては元通りになる。
まとめると、プログラムを書きまくり、能力に見合った報酬を求め、新しい分野を学習し続け、面白い仕事にありつきたいという願いを叶えるための手段として、
サラリーマンやフリーランスという生き方は絶望的に効率が悪い選択肢という事だ。
各種手続きやら事務やらのおまけは付くが、それすら問題解決の対象として、新しく学習していける限り楽しむ事は出来る。
なんといっても、プログラミングが好きなプログラマーというのはこの世で最も幸福な職業なので。
反応を見ていて、ちょっと言葉が足りていなかったり誤解を招いている部分があったような気がしたので、少し蛇足します。
どうも起業という言葉には一種のアレルギー反応みたいなものが有るように感じられますが、
僕が知る限り起業というのはある種の書類上の手続きを漠然と指すだけのものであって、
人を雇う事や、金を集めて大々的に事業を起こす事そのものを意味するものではないです。
個人事業主になってスタバでアプリを書いたり、手続き上の法人を作ったりするような話から始まって、要は雇われる以外の道を模索するみたいなことです。
仕事の対価を求める限り、結局解決すべきなのは他人の問題であり、最終的にそこをゴールにしなければいけないのは勿論同じ事です。
ただ、"他人"は雇用主や受注先だけではなく、ユーザーという言葉に置き換える事も出来ます。特に今の時代は。
そうした問題設定の起点を自分自身でデザインして定めるか、誰かに定めてもらったものを選ぶかのどちらかで言えば、
自分で定めた方がチャレンジングで面白いと感じられますし、実際にやってみない限りはその能力を鍛える事は出来ないと思います。
どんな形であれ、平均的には"起業"は失敗する方に賭けた方が勝ちます。
ただ、成功するとか失敗するとか、金持ちになるとか破産するとかは基本的にどうでも良い事であって、
現実を思い知り、おそらくは軽視していた営業や事務の重みに押し潰されつつあっても、
それ自身を効率的に肌で学ぶのはやはりやってみない事には分からなかった事で、そういう経験が得られれば良いものだと思います。
それに別に失敗したところで間抜けが地球上から一匹削除される程度の事で、どの道取るに足らない話です。
そうした事をどうでもいいと思わせる程、プログラミングは楽しいものです。
この話はプログラマーから見た効率の話で、実際に企業にあってもこうした事は問題にならず、幸せにコードを書いている人は一杯居ると思います。
ただ、本当に選択肢が無くなる前に、何らかの行動を自分から起こせ、守る者も少ないうちはそういう道に走った方が妥当と感じたという話です。
それに、そっちの方が面白くないですか?
色んな人やテキストがこの手の話をしますが、自分は実際にやってみて、本当にこれが面白いものだと納得しました。もちろん誰にも勧めはしませんが。
念のため
この記事はあくまでプログラマーが起業に追い込まれるだけの理由について述べただけで、
追い込まれた結果としてどのようなビジネスモデルや、ロードマップ、資金繰りに行き着いたか、誰のためにどのようなリリースをしなければならないのか、という話ではありません。
自分自身はまだそれについて書けるだけの材料も資格も無く、現在進行形で自分の金と体で実験をしているようなところです。
うまく生き延びたら、いつかその続きを書きたいと思います。
フルHD系 1920x1080 = 1920÷1080 = 1.778(約) F-03F 1280x 720 = 1280÷ 720 = 1.778(約) 初代Xperia 854x 480 = 854÷ 480 = 1.779(約) 2.3系 800x 480 = 854÷ 480 = 1.667(約) Kindle Fire HDX 1920x1200 = 1920÷1200 = 1.667(約) Nexus 10 2560x1600 = 2560÷1600 = 1.6 ASUS MeMO Pad HD7 1280x 800 = 1280÷ 800 = 1.6かなり古い機種であってもアスペクト比はかなり似ていることがわかります。 アスペクト比 16:10 で画面を作っておけば困ることはまずありません。
iPhone4s 960x 640 = 960÷ 640 = 1.5 iPhone5 1136x 640 = 1136÷ 640 = 1.775 iPad 1024x 768 = 1024÷ 768 = 1.333(約) IPad3 2048x1536 = 2048÷1536 = 1.333(約)縦長のiPhone5と寸胴のiPadの違いが両極端で、もしiPad側に合わせようとするとiPhone5側の見た目をかなり犠牲にせざるを得ません。結果として個別にレイアウトを考えることを強いられます。
それはアメフトが「サッカーやラグビーのわかりにくさを野球のわかりやすさで補ったスポーツ」だから。
「アメフトって難しいですよね。サッカーはわかりやすいけど」と言われることがある。でも自分は完全に逆だと思う。
サッカーはルールがわかりやすいのであって「サッカーの何が面白いのか」は素人にわかりづらいようになっている。
逆にアメフトは面白さをわかりやすくする為にルールのわかりやすさが犠牲になったスポーツ。
サッカーの試合で行われていることの大半は、ゴールになる確率が高そうなシュートシーンをお膳立てするという作業だ。
たとえばこんな状況でこいつがシュート打てばゴールの確率30%以上、みたいなシーンを1試合にいくつ作れるか、あるいは作らせないかという争いをしている訳だが、
このゴール確率が一瞬で80%に上昇したと思ったら次の瞬間には何かのミスで0.1%になっているという具合で、素人にしてみれば何を喜び何を悲しんでいいのかよくわからない。
得点の期待値の高いシーンが90分間のうち数十秒とかしかない。
それでも辛抱強く(ゴールという)心おきなく喜べる瞬間を待ち続けるにはそれなりの動機が必要で、結局ナショナリズムの力を借りなければならない。
サッカーの人気が代表に集中しているのは、サッカーが多くの人にとって実はわかりにくい競技だから。
もちろん上級者の人たちはその「確率の上げ下げ」の争いをも(というかそれをメインに?)楽しんでいるわけで、
そういう「サッカーがわかる」人にとっては楽しいんだろうなあと思うし羨ましい限りなのだけれど、お茶の間の皆さんにはそれわかんないから。
一方、野球はルールは難解だが試合はわかりやすい。甲子園とかマジ老若男女が見る。なぜか。
野球は一つ一つのプレーごとに審判のコールによって「たった今行われたプレーが応援するチームにとって『良いこと』だったのか『悪いこと』だったのか」が観客にわかりやすく示される。
そしてここが大事な点なのだが、すべてのプレーの結果が一時的に保存される。保存されるからこそ観客は喜べる。
攻撃側にとって出塁や進塁は得点確率の上昇を示しており、しかもその確率が0.5秒後には元に戻ってましたというような心配はない。
いわば、たとえは悪いけどパチンコやスロットで当たりの確率が上がった状態であって、そういう状況になったこと自体が嬉しいのだ。
あるいは守備側にとって恐怖なのだ。そしてそんな状況でスリーアウトになれば守備側にとって歓喜の瞬間となる。アウトは一度宣告されれば失われることがないので思う存分祝っていいのである。
得点がたくさん入れば人気が出るというのであれば、いまごろバスケやバレーが日米の人気No.1スポーツになっているはず。
そうならなかったのは「もうちょっとで点が入りそう」という状況を一旦保存し、そんな状況になったこと自体をまず理解して喜んでもらい、観客の集中力を高めた上で然る後に喜びを爆発させてもらうという野球やアメフトの性質がスポーツエンターテインメントとしての力を発揮したということなのだと思う。
アメフトは基本ラグビーに似た陣取り合戦だけど、そこに野球的な要素、つまりプレーの断片化、攻守のターン制、そしてプレー結果の保存が行われるようになっている。
具体的にはボールを持った選手がタックルを受けて倒される度に試合が止まり、相手ゴールまであと何ヤードの地点まで進んだかが一旦保存される。
だから攻撃側は何ヤード進んだと言っては歓喜し、守備側は何ヤード押し戻したといっては狂喜する。
攻撃側が前進するほど得点の期待値がじわじわ高まっていき、守備側が健闘するほど攻守交代の可能性が高まって守備側の期待感が高まる。
それでいてサッカー的な戦術の面白さやスピード感も、野球のホームランのような華やかな一発プレーも相手の配球を読むようないやらしさも含んでいる。
書く場所がなくて恥ずかしいのでここに書く。
rbenvではうまく動かなかった。
MacportじゃなくてHomebrewを使ったのはなんとなくの判断。
Homebrewとrvmだったら適当にGoogleして出てくる情報の通りに環境構築すればうまくいった。
Consumer KeyとConsumer Secretは Twitter用開発者登録 『https://dev.twitter.com/apps/ 』でアプリ登録したときに得られる。
irbを使って
Pit.set('auth_twitter', :data => { :id => 'aifFkexyHYiy0on8dTD8EA' , :secret => 'RwDz4OHrKfXAp0n31POslr1t87tKQgtZHRv3rNYpoM' })
こんな感じでConsumer KeyとConsumer Secretを設定する必要がある
あるいは
EDITOR環境変数にテキストエディタへのフルパスを指定する必要がある
export EDITOR=/usr/bin/vi
こんな感じで。そうすると初回起動時にエディタが起動する(らしい)ので
---
auth_twitter:
:id: aifFkexyHYiy0on8dTD8EA
:secret: RwDz4OHrKfXAp0n31POslr1t87tKQgtZHRv3rNYpoM
こんな感じで情報を入れる。
ここまでやれば動くよ! たぶん!
わざわざPitの説明とかしねーよなぁ、とは感じた。でも、知らないと誰も教えてくれない気がする。こんな感じの情報の断片化が多い気がするんですよねrubyまわりって……(※個人の感想です)。
massr / massr.rb
×CUNSUMER → ○CONSUMER
です。
「知らない知識」だ。まさにこれ。
たとえば、「○○業界で働いている俺のひとり言」的なものがやたらとブクマ数稼いでるのはそういうことなんだろう。
誰も知らないような業界であればあるほどみんな注目する。自分の知らない世界の知識を求めているんだな。
そこにあるのは純粋な知的好奇心。それ以外の何物でもない。それが実利に結び付くようなアドバイスが注目されることはあるけど、結局だれも実行しない。重要なのはそういうアドバイスの内容であって、それで自分が成功するとか失敗するとかには全然関心がないんだろう。
池上彰が人気なのも、Qさまや平成教育委員会や世界一受けたい授業みたいな番組がゴールデンにあるのも、全部この知的好奇心がキーワードになっている。
今は知的好奇心が満たされるのが最高の幸せという時代にきたんだろう。
もちろん、そこで満たされる知的好奇心のレベルは非常に低い。はっきり言って失笑レベルの知識、というか雑学。
だけど、それをもはや雑学とは言わない。知識と堂々と言っていることが分かった。平和が進むにつれて、どうでもいいことであっても知識でありそれをどんどん取り込むことが幸せという気持ちが高まっていったんだろうと推測する。
それを確実にあらわしているのが、メディアが大好きな「若者の○○離れ」現象だ。
○○離れ現象とはすなわち、既存の価値観を若い世代(新たに社会を作っていく中心世代)が否定しているということを示している。
車離れを例にあげると、車が高いからといった理由よりも、「車を持っていても特に意味がない」ということに気付いたからだ。
田舎のような場所では車は必須だから、車離れと言えばネットではそんなことはないという意見が出たりする。あくまでも一部の世界の話なんだよな。
車を持っていても意味がない理由は、飛行機やバスや電車などの公共交通機関が発達しているから。でも、昔だってそれらのものはあった。
じゃあなんで昔はみんな車を書いたがったかと言えば、当然それは「車を持っているとカッコイイから」だ。その価値観を若者が否定したということ。
すなわち物質主義から精神主義、というか知識主義へと世界が変わろうとしている。
彼らは普通がいいというが、普通とは物質主義社会が生み出した「繁栄の結果」にしか過ぎない。彼らはそのことに気付いていないのだろう。
若者(自分も若者だが)が何かにつけて普通の生活と言うたびに、お前らの普通は原始人の普通とは違うんだよと突っ込みをいれたくなる。なんて幸せでそして愚かな世代なんだろう。
で、知識主義の時代とはまさしく冒頭で説明したようなこと。しかしこれは物質主義とほとんど何も変わらない。
単に金のかかるものが金のかからないものに置き換えられただけ。ヴィトンのバッグをありがたがるのと同じ。
物質主義時代のブランドという概念は、知識主義時代では「珍しい知識」に置き換わる。珍しい知識を知っている人間は注目を集める、そしてブクマ数が伸びる。
それはまさに、ブランドものの商品を見てきゃーきゃー騒ぐ人間たちと全く同じ。
なぜかといえば、彼らの求める知識は底が浅いからだ。単独で成り立つ、それこそ小石のようなものに過ぎない。
知識とは様々に絡み合って複雑な様を見せる非常に高度なものなんだが、知識主義時代で求められる知識はお手軽に消費してお手軽に忘れられる暗記した知識みたいなものだ。だから下らない。
池上彰はとても知的な人物だろう。しかし、彼から発信されたものを受け止める人間たちはまったく知的ではない。
彼の言葉を断片化して「知識」として消化するだけの豚に過ぎない。
トレンドとはそもそもそのようなものなのだから嘆いてもしょうがないことは分かっている。
底辺の人間までもが取り込まれるのがトレンドなのだから、複雑な価値観が受け入れられるはずがない。物質主義のように「商品が高いか安いか」という価値基準はとてつもなく分かりやすい。
知識主義ではそれが、「珍しい知識かどうか」になっただけ。これも分かりやすい。珍しい知識は少数の人間が知っている知識だ。主婦が知っている知識ならたいしたことはないが、総理大臣しか知らない知識となるとレア度は跳ね上がる。馬鹿でも分かる世界観だな。
自分も気になった(意味がよくわからなかった)ので、ざっくりと論文を読んでみたまとめ。
はてなブックマーク - ミツバチ大失踪はウイルス 米大学が原因究明 (1/2ページ) - MSN産経ニュース
http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/economy/business/090903/biz0909031508015-n1.htm
ミツバチ大失踪はウイルス 米大学が原因究明 (1/2ページ) - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/economy/business/090903/biz0909031508015-n1.htm
アメリカ東部、西部、それぞれの地域からCCDが顕著になった2007年以降のミツバチをサンプリング。CCDの状況がsevereなコロニーとmildなコロニーに分類して比較。対照区として2006年当時の健康なミツバチのサンプルを使用。マイクロアレイでCCDのコロニーと健康なコロニー間の遺伝子発現の変化を比較しようというオーソドックスなアプローチ。
ArrayExpress Home
http://www.ebi.ac.uk/microarray-as/ae/
(E-MEXP-2292でsearch)
Oligo dTをプライマーにしているので、原理的には(正常な)rRNAシークエンスは検出されないはず。なのに、なぜか検出された(severeとmildのグループ間でも正の相関あり)。
可能性として、次のようなことが考えられた。
1と仮定すると、rRNAが検出されたのは、rRNAの分解(断片化)が促進されているからではなかろうか。
2の方、該当するようなmRNAはミツバチの遺伝子では確認されていない。一方、ウィルスはこのような仕組みを利用している可能性が高い(cap構造を持たない、IRES型翻訳システムを利用するので、リボソームタンパク質に親和性を高める仕組みがあるかもしれない)。
後、当然、検出されるウィルス/病原菌(由来の遺伝子)量も増加している。
論文ではこれ以上のことは不明。筆者らの主張も、
8/25/2009: Drs. Reed Johnson, May Berenbaum, and Gene Robinson identify a new marker for colony collapse disorder and a potential cause- (PNAS, Time).
Department of Entomology - University of Illinois http://www.life.illinois.edu/entomology/
ということで、現時点ではCCD検出用マーカーとしての利用可能性というところまでかなという印象。
とりあえず、リボソーム崩壊の電顕写真でも撮るなり、もっと単純にサンプルRNAでノーザンブロットでもかけてみるなり、rRNA断片化を示すルーチンな実験が利用できそうなので、これが本当に原因になっているのであれば、わりとすぐに追試のデータが発表されるのではないだろうか。
Web上の議論で長文を書く人はそれだけで忌避の対象になりうる。単読みにくいというだけではなく、議論において無駄に長い文章を書く人はかなりの確率で自己陶酔的で、ナルシズムを満足させる為だけに議論をしているように見える。もちろん例外はあるケド。
というわけで長文はおおむねキライなんだが、その一方で自分自身がだんだん長文を書けなくなってきたように感じていて、それはそれで危機感を感じる。
いや意見を短くまとめるのはいいことだと思うんだが、なんだか頭の中が断片化して大きな論理をまとめる力が弱まってる気がして。どうも長い構成の文章を書くのがおっくうで、二つか三つの段落でまとまる話しか書けなくなってきたような感じ。良くないなあ。
そもそも、専門的知識を持たないド素人であり単なる思想オタクであるところの「知識人」が、己が「知識人」であるという理由のみで何かについて権威的に意見を述べることのできる時代はとっくに過ぎ去った、というのは東が何年も前から歴史学に限らず様々な分野について繰り返し言っていることで今に始まったことではない。ちなみに、思想オタク云々までは東は言ってないと思うが、早い話がそういうことだろう。
もちろん、歴史修正主義者の主張の誤りを専門的見地から批判すること自体は今でも十分可能だ。しかし、「知識人」であるというだけで歴史学について専門的能力を持たないデブのおっさんに、何かしらの「義務」があるという主張には同意しかねる。それは歴史家(や能力ある有志)の仕事だ。そうでない東が何事かを「権威的に」述べても、思想家としての倫理的にも現実問題としても単なる信仰告白以上の意味を持たない、というのがネットを舞台に言論を戦わせてきた思想家の至ったとりあえずの結論なのだろう。
そのような風見鶏的態度は許されない、という批判の傲慢さについては既に批判を加えたので繰り返さない。東の態度は、正否はともかく「公共圏」という概念に対する真摯な取り組みの一つの帰結であることは確かなわけで、そこに取り組まずにいくら「知識人の責任」なるものを振りかざしても、議論はすれ違うだけのように思える。なお異論がある向きは、近々刊行されると思われる「思想地図」のvol.2をあたってみるのも良いのではないか。目次を見る限り、おそらく引き続き公共性問題が話題の中心になると思われるので。
「どれだけ絶望しようと対話の中から公共性を見出していこうとする」態度は、個人的には肯定する。しかし、それはやはり自明ではないし、まさに自明であるとすることが「公共圏」の範囲に恣意的な境界線を引くことである、というのが東の議論なわけで。
追記:
http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20081207
焦ることなくちゃんとした意見をまとまった形でネットに掲載すれば、人はいつか読むのだから。情報の断片化に対して、あきらめの態度をとるのはいかがなものかと思う。断片化する世界を工学的に乗り越える(政治!)、のではなく普通にテキストを機関銃のごとく書きつづけるのがホンモノのポストモダニストではなかろうか。
東はしばしば「知識人としての自分」と「個人としての自分」を区別して語っているので、後者としては同意するんじゃないかなぁという気がする。しかし、書籍というパブリックな場における「知識人としての自分」はこういうことを言わないのが思想家の倫理である、と思っているフシがある。
繰り返すけど、歴史学に関する専門的な能力のない東が機関銃を手にテキストを撃ち続ける義務がある、とする主張は誤りだと思う。それは、あなたや私や志ある人ややりたい人がやればよくて、そしてそのことには意味があると私も信じる。そのこととは別に、「歴史修正主義者も自分では確固としてそう信じており、その信念を否定するのは難しい」という東の議論は基本的に正しいし、きちんと取り組む必要のある課題だと思う。
というか、「東は正統なポストモダニストか」という論点はあんまり意味がないと思うんですけどね。「東はデリダの教えを受け継いでいない」という主張が真だとして、東の公共性に関する議論を否定できるわけではないし(東が至った絶望というのは東個人がこれまで出会ったものに強く関係しているのだろうし)。もちろん、デリダがどう言っていたかを調べることで、新しい視点が出てくるということはあるかもしれないけど。
(つまり、自分が子供を作らなくても自分の遺伝子は後世に残せる)
…という話をいつだったか聞いたのだが、
ちょっとそれは聞きかじりすぎてダメだが、一応ソースはわかる。
生物学者のE.O.ウィルソンが社会生物学という本の中で、「それに近いこと」(そのまんまじゃない)をいっている。
http://www.amazon.co.jp/dp/4783501122
これは蜂のような、自分が子孫をのこさない行動を取る個体のいる生き物がどうやって進化したのかを説明するもの。
いとこが8人いて彼らが子供を残すなら、君の生物学的特長はたいてい引き継がれるよ。という話ではあるのだけれど、このとき君がいとこの子育てに関与しない場合、いとこの子はほかの一族に比べて有利でも不利でもない。すごい厳しい環境で殺したり殺されたりが日常茶飯事だと、君の特徴は残らないかもしれない。そこで君が積極的にいとこの子育てに関与したとする。食事を持ってってやったり、子守をしたりね。そうすると、親だけが世話する他の種族に比べてちょっとだけ生き残るのに有利になる。結果として「いとこの世話を生理的に嫌がったりしない」という君の特徴はいとこの子等のうち誰かに引き継がれていき、積み重なると、子を生む親とその世話をする大勢の親族という生き物が出来上がる。
勘違いしないで欲しいのは、「どうしてそうなったか」を説明する話で「どうすりゃいいのか」を示す話ではないということ。
竹内久美子あたりが嬉々として混同した話を振りまいて、それがあっちこっちで断片化してトリビアみたいな形で残ってるけど信用したりしないで欲しい。
何に幸せを求めるかはほんとに人それぞれだけど、「生物学的にこうだから幸せなんだ」ってのは欺瞞だから。
君の生物学的特徴が残ること(≠君の子供が生まれること)と、君の人生とはあんまり関係がないとは思わないか?
この手の願望はいつも理解できなくて。
嫌いなネット用語の各種調査でアルファブロガーやブロゴスフィアなどがでてくることがありますが、
これらのことばを誰が提唱して、誰が使ってるのかをかんがえたことがありますか。
第1位:「フォークソノミー(folksonomy)」
第2位: ブロゴスフィア(Blogosphere)――ブロガーによって構成されるコミュニティ
第3位: ブログ
第4位: ネチケット
第9位: クッキー
第10位: ウィキ
これらの奇怪な言葉を使ってるのが下記のような例です。アルファブロガーの運営者達によって実際に行われたものです。
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/parts/image_for_link/38638-17804-8-1.html
「ブロゴスフィアが横断化されないため、セル化が進み、気づきにくいだけ」
以下はAMN社、徳力氏と坂和氏の会話から抜き出したものです。
http://web-tan.forum.impressrd.jp/e/2008/04/30/2806
ペイパーポスト(Pay per post)的な手法に対するアンチテーゼ
バイラルで広がった例でも
内容もやはりロングテールになる
エディタの人たちが力を入れて
「事実」であるという背景に心惹かれるのは、その物語が「時間」的にも「空間」的にも自分と接触する可能性に満ちている魅力のせいだ、という要約でいい?違う?
兎にも角にも、キーワードは「プロット」だよ。本来の「事実」には物語るための「プロット」がないという前提が重要だと思う。
「歴史」という概念をとりあげても、あれは○○や△△や□□な断片化した出来事をA-B-Cと筋立てすることで成立する。ノンフィクションもその類のひとつで、ある誰かの手によって事実をストーリー化する行為だ。
私たちが「事実」であるという背景を持つ物語に心惹かれるのは、普段は断片的にしか認識することのない現実が、うまいことプロットなりストーリーとして統合され作品化される事象に魅力を感じるからじゃないかなあ。
物語的認識という言葉があるけれど、まさに人は物語によって歴史や現実を認識し理解してきた生き物なので、不安定で断片的な現実の物語化(安定化・統合化)に大変な欲求を持っているのは確かだと思う。
ケータイ小説が女子高生らに支持されるのは、「事実に基づいた」らしき物語に触れることで、自らの未成熟な生き様やアイデンティティに共体験的な説得力をもたらしてくれるからじゃないだろうか。彼女らのいう「共感できる」「私たちの現実」という感想は、「私たちにも安定的な物語可能性が満ちているのだ」という主張であり、見出せないままでいるプロットへの夢想(希求)ではないか。