はてなキーワード: 文語とは
https://anond.hatelabo.jp/20230423111053
①敵の話が全て俺の予想の通りだった。
俺は自分の仕事のどこにミスがあるかなんて全てわかっているし、上司が怒りの表情で俺に話しかけてきたら、そのミスのどれか指摘してきているに決まっている。
また、相手の趣味嗜好、時事ネタの何を好むかも大体わかっているので、相手の機嫌次第で何の話をしてくるかは大体わかる。
世の中は、俺の予想通りの行動をしてくるやつらしかいないことを再確認し、話を最後まで聞くのは時間の無駄だなということがわかっただけだった。
俺はちゃんと、他人のPCモニタに何が映ってるか監視しているし、他人の日常会話に聞き耳を立てているし、
朝誰もいない時に机も漁っている。同僚のスマホやPCの解除パスも、6割くらいは覚えている。
そういう努力をしていない人間だけが、敵の話を予想できないのだなと思った。
『敵を知り、己を知れば百戦危うからず』という言葉を贈りたい。
まずは誰もいない時に机を漁り、他人の書類を読み込んでおくことだ。
②話を聞かない能力が失われる
例えば貴方は創価学会やマルウェイ、統一教会等やものみの塔などの話をちゃんと聞く必要があるだろうか?
会社にかかってくる、不動産投資営業や、保険営業の話を、理解する必要があるだろうか?
そういうことだ。
世の中は、「聞かない方が良い話」や「理解しない方が良い話」に溢れている。
それらの詐欺的カルト的な話など、しっかりと耳を傾ければ、ある程度の合理性は見出せるのだ。
「あなたは幸せになれる」などという甘言なのだから、論理的に理解すればするほど、ハマっていくものなのだ。
オウムに高学歴の人間達がドはまりしていたのも同じで、彼らは話を聞く能力や読解力があったからこそ、カルトにハマってしまったのだ。
仕事もそうだ。
何故ならば、仕事上のコミュニケーションの行きつく先というのは「人生を食いつぶし会社や俺のために奉仕しろ」という言葉に他ならない。
何故、そんな言葉を理解する必要がある?胸に手をあてて考えろ。
他人の言葉を自己流に都合よく解釈し、ああお客様の役に立つことなんだな、とか、自分の成長にも繋がることなんだな、と思い込むことによって社会は成り立っている。
上司の指示や話をしっかり理解しろなど、残酷な言葉に耳を傾ける必要はない。
俺が会話をする時は他人を利用するためか、他人を陥れる時だ。それ以外の会話をしたことがない。
そんな俺の話を聞く必要があるか?ないだろう?つまりそういうことだ。だが、俺は善人だ。なにせ、自分が悪意を持っていることを知っている。
そして本当に他人を利用する悪人なら、自分の悪意を晒したりしない。デメリットしかないからな。
真の悪人とは、つまり自分の行為が社会善や共通善に則っていると思い込んでいるやつらのことである。
わかるだろう。
他人に無償でアドバイスをするような人間の言う事は聞く必要がない。俺のような善人の言葉を除いて。
我々に人の話を全て聞く時間があるだろうか?
いや、ない。
国語の物語文や論説文を解く時、まさか主題となる文章を頭から読んでいたのではないだろうか。それは誤りだ。
国語の長文読解は、①問題文で使用されているのと、同じ単語の連なりを全体視で見つける。②問題文と関わりのある文章の段落のみから、情報を引用し解答する。
これだけでいい。短時間で解答することができる。しかも間違えない。そもそも、文章全体を捉え、理解することなど、時間の有り余っている暇人だけやっていればいい。
俺の経験が確かなら、駿台だとか河合塾だとかでも、同じように教わるはずだ。というか教えていた。
受験勉強が得意なことと社会生活が得意なことは=ではないが、この能力は必須だ。
マニュアル、社則、資料、全てを読み込んでいる人間はまさかいないだろう?
このゴミのような情報が溢れた社会で、俺達は幸福に生きなければならない。
必要な情報を必要なだけ読み取るのが国語力だ。断じて、頭からケツまで理解する能力が国語力ではない。
全てを書き取り、相手の意図を読み取れ、というのは問題を錯誤させようとしている詐欺だ。
目的は明らかだ。この世は限られた幸福の総量を奪い合うゲームだ。
能力とは、つまり相対的なものだ。絶対評価ではなく、相対評価が世の常だ。
他人が時間を浪費し、無駄なことに時間を使うことによって、相対的価値を高めようとする人間の欺瞞である。
時は金なり、いや、金より重い。
他人の話を全て聞き取る、書きとる、こんな無駄な行為に時間を使ってはいけない。
何度も言うが、俺はまず自分が悪人であることを示した真の善人なので、本当の善意から言っていることはわかってくれたと思う。
ではどうしたらいいのか?対案はある。最初に述べたように、まず予測能力を高めることだ。
人生のパターンは貧弱だ。国語の問題文などその実、パターンが数種しかないのと同じことだ。世の中の人間は、そんな大したバリエーションや複層性を持っていない。
つまり、敵である人間達の情報を常日頃から収集しておくこと、これは文章①で述べた。
文章②で、世界は聞く必要のない話、聞いてはいけない話が多い事を述べた。
その前に、俺は善人なので少し捕捉する。
日本語は実は言文一致(話し言葉と書き言葉が同じ)をしていない。
その前提を理解していない人間、理解しているのにも関わらず、文章を書き写せなどと言ってくる、相手の無知を利用したコミュをするやつは、くたばってしまえと言う話だ。
会話、『話し言葉』においては簡単だ。語気が強まる瞬間、あるいは話の最後の瞬間だけ聞き取ればいい。どうせ中間は天気の話とか大谷の話しかしていない。
1から10まで聞くのではなく、音が強まった瞬間だけ、耳を傾ければいい。
大体、専門用語や略語、社内オリジナル用語や業界用語など、文語なら通じるが口語では通じない音でこの世は溢れている。
文字に起こせと言われても、「こいつ何言ってんだ?」という部分で引っかかりが生じるのは当然のことだ。
「つまり」だとか、でかでかと書かれている部分だけ読みとればいいし。テキストが100行あれば、人生において必要な行は2行か3行がせいぜいなのだ。
そこをCtrlFで検索するのでもいい。自分に必要なテクストだけ摂取すればいいのだ。
この点で『つまり会話を文章に直すのは有効では?』という語り掛けがあるかもしれない。詐欺である。なぜならば、その有効性とは効率のためにあり、
そもそも『口語を文語に訳す』という手間、時間が、そもそも『非効率的』である以上、その論法は成り立たない。
「人が口から発した言葉をテキストにしろ」という言動が、貴方をハメようとしている悪意に満ち溢れたものであることはわかって貰えたと思う。
「相手の話を全て聞き、それを文章に書き写し、理解する」ためにあるのではない。
そもそも、『話が理解できない』などというのは、『単語やローカルルールが理解できない』ことに原因があるのは明らかなのに、元増田はそれをあえて無視している。
組織の使う備品の名前、その目的、取引先や他部署の人間の名前、そのあだ名。
そう言った知識の非対称性が、『話が理解できない』に繋がっているのは明らかなのに、1から10まで話を聞けば、理解できるかのように語る元増田は詐欺師だ。
人間の会話は、知らないワードが3つ出てくると理解できないのだ。
それを、元増田は分かった上で無視している。種別は違うが、理解できない会話を放り投げてくる奴と同じだ。
知識の非対称性を利用している。そういう人間は総じてカスである。
バットを持っていない人間にホームランを打てと語り、サッカーのルールを知らない人間に試合に勝てと言っているのが元増田だ。
俺はそんなことはしない。どんな無知な人間でもわかることしか言わないし、やれることしかアドバイスしない。
敵を知り己を知り、要点だけを聞ける能力を磨け。
わざと変なことを言ってすまなかったな。
つまり、話し手と同じくらいの、前提知識を得ようぜ、そうすると要約できるって話だ。
ここでいう「ラテン語」というのは古代ローマで使われていたものではなく「中世ラテン語」なんだよ。
中世ラテン語(ちゅうせいラテンご、英: medieval latin)は、中世にカトリック教会で文語として用いられたラテン語である。
現代におけるラテン語と同様、あくまでも第2言語として使用されたものである。
各使用者は必ず別の言語を母語としてもっており、そうした諸言語の特徴が、音韻・文法両面で、中世ラテン語に大きく影響している。
現代でも学術用語として似非ラテン語を使ったりするけどそれに近い。
つまり中世ラテン語としての「sectio caesarea」というのは一種の造語なんだよね。
そして、だからこそ由来がはっきりしてないわけ。
ロシア人やウクライナ人とのやり取りを和訳してくれてる増田に、こんな一節があったから、気になって書いてみることにしたよ!
この問いに答えるにはスラヴ諸語における「ヴ」と「ナ」の違いを理解する必要があるよね!
スラヴ諸語はインド・ヨーロッパ語族に含まれるけど、インド・ヨーロッパ語族に属する言語は豊富な格変化が特徴だね!(英語は格変化がほとんど失われちゃった異端児だけど!)
格の数は言語によって違うけど、スラヴ諸語はおおむね6+1格だね! +1っていうのは、呼格、つまり「おーい、○○よ!」って呼びかけるときに使う格のことだね! これは元々スラヴ祖語にあった格なんだけど、ロシア語では(「わが神よ!」みたいな文語表現を除いて)失われちゃってるんだ! ウクライナ語には残ってるよ!
でもって、スラヴ諸語で「~において」というのを表すときには、前置詞ヴ+処格(前置格)か、前置詞ナ+処格(前置格)っていう形を取るよ! ここでは便宜的に「ヴ」って書いたけど、言語によって発音が「フ」だったり「ウ」だったり、あるいは綴りが「w」だったり「u」だったりするね! まあ元をたどれば同じものだから、ここでは日本語話者にわかりやすいように「ヴ」で統一するけど!
ちなみに「ヴ」と「ナ」の区別は、対格(直接目的語を表す格)の場合にも当てはまるよ! みんなも世界史の授業で「ヴ・ナロード」って言葉を習ったことがあると思うんだけど、あれは「ヴ+対格」なので「ナロードの中へ」って意味なんだね!
ここから先の解説は、スラヴ語全般に当てはまるというよりも、増田が習った範囲でのスラヴ語での話だから、「いや、○○語では違う」っていう異議が出るかもしれないね! 増田は専門家じゃないから、多少厳密じゃないところは許してほしいな!
感覚的だけど、「仕切りがあって閉ざされているところ」は「ヴ」、「仕切りがなく開けていたり、上の方にあるところ」は「ナ」を使うね!
たとえば、元増田には、
ってあるけど、まさにこの通りで、島とか半島みたいな「仕切られておらず開かれた土地」や、山みたいな「高いところ」は「ナ」を使うんだよ!
だから、「高校で」は「ヴ」だけど、「大学で」は「ナ」を使うんだ! なぜかといえば大学は学校システムのヒエラルヒーの一番上にあるからだね!
町中にあるたいていの施設も「ヴ」を使うね! 建物は外界から仕切られた空間だから当然だよね! でも空港は「ナ」だったりするよ! 確かに空港のメイン施設は管制塔じゃなくてだだっ広い滑走路だから「ナ」感があるよね!
さらに、同じ語でも、「ヴ」と「ナ」を使い分けると意味が変わることがあるよ!
たとえば、「○○通りに住んでます」って言いたいときは普通「ヴ」を使うんだ! 「○○通り」っていうのは区切られた街区を意味する住所表示であって、物理的な道のことじゃないからね! 一方そこで「ナ」を使うと、「物理的に道の上に住んでいる」、つまり「○○通りで路上生活をしている」っていうニュアンスになっちゃうんだ!
あとはね、「夏休みは海に行きます」って言いたいときも普通「ナ+対格」を使うんだ! 海に行くというのは、海沿いの浜辺に遊びに行って、海面で泳いだりするということだもんね! そこで「ヴ+対格」を使うと「海の中に行きます」っていう意味になっちゃうよ! 浪の下にも都はあるもんね!
「村」もそういうニュアンスの違いが生じることがあるよ! 「ヴ」を使ったら「○○村で(つまり、特定のある村で)」、「ナ」を使ったら「村落部で(田舎で)」っていう意味になる言語もあるんだ!
こうしてみると、「ヴ」は英語のinで、「ナ」は英語のonみたいなものだと考えるとわかりやすいのかな!
ここまで説明したところで、「○○国で」を表すのにどっちを使うかという話ができるね!
「○○国で」というのは、基本的には「ヴ」を使うんだ! 国というのは広大な大地を国境で区切っているわけだから、「ヴ」になるっていう理屈だね! 「フランスで」とか「ドイツで」とかはみんな「ヴ」だよ!
ただ、島とか山とか半島とか、そういう「ナ」を使うべき土地がそのまま国になってるところに関しては「ナ」を使うんだ! たとえばマルタやキプロスなんかは国だけど「ナ」を使うね!
ちなみに「日本で」は「ヴ」を使うんだけど、「うちら島国だけど?」ってネイティヴに聞いてみたら、あまりにデカすぎて島国感がしない国に関しては「ヴ」を使うらしいよ! 確かに我々も普段は島に住んでるなんて意識せず「瀬戸内海の島に旅行したいなぁ~」なんて言ってるもんね! 本州も四国も瀬戸内海に面した島なのにね! 他にはインドネシアとかも「ヴ」らしいよ!
このへん、母語話者でも迷うみたいで、ググってみたら「キプロスって『ナ』だっけ? 『ヴ』だっけ?」っていうロシア語の質問サイトが出てきたよ! 感覚とか慣習とかで決めてることだからね! まあ「ヴ」でも「ナ」でも意味は通じるからそんな気にしないよね!
面白いのはアイスランドで、ロシア語では「ヴ」なんだね! でもとある別のスラヴ語では「ナ」を使うんだ! ロシア語の場合、アイスランドのことを「イスランジヤ(Исландия)」って呼ぶんだけど、「ロシヤ」とか「ゲルマニヤ(ドイツ)」とか「フィンリャンジヤ(フィンランド)」みたいに「~イヤ」で終わる地名は一律で「ヴ」にするルールがあるのかもしれないね! そういえば日本も「ヤポーニヤ」だね! 一方で別のスラヴ語は島であることを優先して「ナ」を使ってるのかな! 興味深いね!
ところで、ウクライナは島国じゃないけど、ロシア語では「ナ」を使うんだ!
ウクライナっていう国名は、「クライ」(地方)とか、「クライナ」(辺境)とか、そういう語に由来するみたいだね! 旧ユーゴスラヴィアにも「クライナ」地方ってあったし、今もロシアには「クライ」っていう行政単位があるんだよね! ウラジオストクがある沿海地方もロシア語だとプリモルスキー・クライだね!(「プリモルスキー」は「海に沿った」を意味する形容詞の男性単数主格形だよ!)
で、これがどうも「辺境の広々とした土地」みたいなイメージがあるみたいで、ロシア語では「ナ」を使ってるんだよね! これは別にロシア人が積極的にウクライナ人を馬鹿にしてるとかじゃなくて、「『ウクライナ』って語感だと『ナ』かな」っていう感じでなんとなく決めて、それが伝統になってるだけだと思うよ! まあそれは侮蔑的呼び方だと主張することもできるかもしれないけど、ここを突っつくのはさすがに言葉狩り感が否めないかな!
ただ、ウクライナ語では「ヴ」を使うんだよね! ウクライナはまずもって周囲から国境線で区切られた一個の国なんだという感覚みたいだね! それもそれで尊重すべき感覚だよね! どっちが合ってるとか間違ってるとかじゃなくて、「ロシア語とウクライナ語の違い」として認識すべきだと思うんだよね!
一部の民族主義的ウクライナ人は「主権国家としてのウクライナには『ヴ』を使うべきだ」と主張してるみたいで、まあご本人がそういう用法を使うのは自由だと思うけど、ロシア人が「ナ」を使っているのを責めるのはどうかと思うんだよね! だってこんなの急に変えろって言われても難しいよね! っていうかウクライナ語でググってみたら普通にキプロスに「ナ」を使ってる用例が見つかるんだよね! 「ヴ」と「ナ」の違いなんて明文化されてない曖昧なルールを感覚と慣習で補って決めてるわけだから、そこを聞かれてもロシア人も「いや、そういうもんだし……」としか言えないんじゃないかな!
増田は存外いいところをついているよ。
この句は文法的に破綻していて直感的に意味がとれず、さまざまな手法で分析したところでたいしたものが出てくるわけでもない、ようするにしょせんは素人の不出来な句。選者はおびただしい素人の句からとにかくひとつを選ばないと格好がつかない。
で、選者は安西篤。平気で韻律を崩し単語どうしのせめぎ合いや唐突な比喩を楽しむ、ただし徹底的に描写の人。時にユーモアさえ帯びた言葉の奥に何かの意味があることもあればないこともある、そんな作風の人。この人はこういう句、好きかもしれない。
ではこの句はいいものかというとそんなことはない。しょせんは素人の仕事。日本語として文法的に破綻しているのがいちばんのネック。
「洗いて」というのはなんだ。意味は口語だが文語っぽく似せているのか、文語で活用を誤っているのか判然としない。
夕立や象を洗ってまたたく間
夕立や象を洗ひてまたたく間
どっちなのだろう。
どっちでもいいのだが、ともかく未然形や連用形が体言にかかって終わったら意味が通じない。わざと壊して余韻にする手法はあるが、この作品はレベルが低すぎて話にならない。ようするにただ単語を並べただけにしか見えない。ここについてはもっとましな表現があるのではないかと考えている。
私は創価学会員ではありません。
1,大聖人(だいしょうにん)
(厳密にいうと「本仏」という。)
なお、一般的な日蓮宗系の宗教では「大菩薩」ということが多い。
菩薩は仏に次ぐナンバー2という意味であるため、創価学会系の人とは
相容れないのである。
2,謗法(ほうぼう)
3,境涯(きょうがい)
4,財務(ざいむ)
強制ではないのだが、もし行う場合は最低1万円出さなければならない。
一般家庭でも100万円出すところもある。
5,折伏(しゃくぶく)
「勧誘」のことだが、無理やり入信させるというイメージである。
6,破折(はしゃく)
「論破」のこと。「破(は)す」ともいう。(後者の方が文語的)
7,御書(ごしょ)
8,仏法(ぶっぽう)
「仏教」のこと。
9,広宣流布(こうせんるふ)
公明党もかつてはそれに必要な「国立戒壇」(創価学会(厳密には日蓮正宗)員になるための儀式会場)
を作ることを目指していたが共産党などから追及されたり学会側の不祥事により破棄せざるを得なかった。
現在では池田大作創価学会名誉会長兼創価学会インターナショナル(SGI)会長
が世界各国で対話を行ったり、支部を作ったことで事実上達成したというのが公式見解である。
10,功徳(くどく)