はてなキーワード: 文科一類とは
ちょっと吐き出しがてら書いてみる。反応はプギャるのか同情するのか「他責思考のクソ野郎!死ね!」なのかまあいろいろあるかもしらんけど、似たような境遇の人がいたら自分だけじゃないんだなと思ってもらえれば嬉しい。
人によってはかなり鼻持ちならない文章に感じられるとも思う。そのような感想を抱いた方には予めお詫び申しあげる。
自分で言うのもなんだが、私は勉強がかなりよくできた方だと思う。(※1)
小学校ではいじめられていたが、勉強がよくできたので中学ではそこそこクラス内での「地位」が上がった。
地方でいわゆるトップ校というやつに進んだ。自称進学校では恐らくない。東大にも割と行くし、生徒に一律に大量の課題を出すようなこともないので、まあ自称ではないだろう。そこでもだいたい上位20位くらいにはいた。
高校では部活動に所属しており、部自体県予選をたまに突破するくらいには上手く、その部の中でも割と上手い方であったと思う。
つまり、勉強にしろ部活にしろ割と「できる」方であったのだ。たかが高校の話と言えばそれまでだが。
大学は東大に進んだ。教養課程で留年してしまったが、自分の興味関心にうまくはまる専攻を見つけてからは毎日がとても楽しかった。(東大は2年の夏に専攻を決める。それまでは「文科一類」「理科三類」といったざっくりとした区分があるだけで全員教養学部所属である)
まあ、自分は「できない」のだなあ、と深刻に思うような事態にはほぼならなかった。
同期に置いていかれること甚だしい。なんなら、1年遅く入ってきた人にも劣る。
同期は既にプロジェクト内で自分から提案をしてプロジェクトを動かしていると言っている。私は新人同然の立ち位置だ。自分からの提案ではなく上司からタスクを振られ、会議では特に発言も期待されず勉強のために参加が許されるだけ。
サボっているわけではない。このままいくと遅れそうだという報告は3日前・1週間前などに適宜上げているつもりではあるし、上司とタスクの方向性の相談を適宜行って手戻りを防ごうとしたりはしている。でも、結局上司と会話する度にひっくり返され、遅延している。知識不足のせいで完成形に必要なものを私がイメージできていなさすぎるのか、単にコミュニケーションの問題なのか、上司の指示が曖昧すぎるだけなのか、よくわからない。
「できない」立場がこれほどつらいものだと知ったのは初めてかもしれない。
「できない」人には成功体験を積ませて褒めればいい。そう思っていた。実際、そういう指導を学生時代の塾講師のアルバイトでもしていた。
でも、そういうことではないのだ。「同期はあんなにできるのに自分はこんな簡単なことで褒められるような存在なのか」という落ち込みがあるのだ。これではどうしようもない。
昇進などでできる人が先に上に行くのは当たり前で特に落ち込むようなことでもないと考えていた。
そういう話ではないのだ。明らかにできる人というのは確かにいる。そうではなくて、同期の中でも普通のレベルの人にも大きく劣る状態なのがあまりにも情けなく、悲しいのだ。
勉強しろ、その通りだ。会議資料を見返して疑問点を整理したりするのはよくやるし、必要と思われる知識や過去の成果物などを適宜調べたりもする。ただし、疑問点があまりにも多すぎて追いつかないのだ。疑問点は日々増えていき、解消が追いつかない。疑問点解消の優先順位づけすら困難だ。まさしく「何が分からないのか分からない」状態である。
そんなことを言いやがって、仕事なら何が何でも役に立てよ、価値を出せよ、全くその通りだ。そのためのやり方が分からないから苦しんでいるのだ。
まあ、やれることをやるしかないというのはその通りだ。まあ、やるしかない。
さすがに去年よりは今のほうが仕事ができている。でも、仕事で活躍するイメージが湧かない。悲しいなあ。
(※1)あ、さすがに灘や開成の中高一貫トップ校の上位層とは比べないでほしい。例えば理三や数オリ日本代表なんて人たちと比べられても困る。地方の非中高一貫校の話としてとらえてほしい。
受験生各位、お疲れ様。今はなきセンター試験のことを振り返る。
とある地方の公立高校の現役受験生の当時、夢はでっかく東大合格!と張り切って受験。まずは東大の二次試験(文科三類)にたどり着くため、脚切りだけはなんとか回避すべく、85%以上を目標にした。
試験会場は近くのFラン私立大学で、親に車で送っていってもらった。毎年センター試験の日だけは雪が降るという謎のジンクスがあり、2年前に受験した姉のときも雪だったという。そしてその年もやはり雪だった。雪が年に1回か2回ほどしか振らない地域のため、母親が運転にビビりまくっていた。
現役生のため制服で受験したが、会場が暑い暑い。シャツの第2ボタンを開けて左右に体を大きく揺らしながら解いていたら試験監督に優しく注意された。
結果は、799/900点。数学は相変わらず苦手でうまく行かなかったのと、最大の得意科目である倫理でまさかの70点代を叩き出したが、それ以外の科目はほぼほぼ9割を確保。なんとか脚切りは回避できたと確信して、ホッとしたのを覚えている。
ちなみにこの年、文系では高校でトップの点数だった。いかにレベルの低い高校だったか…。
その後、満を持して東大を受験して1点以下の点差でギリギリ不合格。泣きながら一年浪人生活。
もはや過去問、各予備校の予想問題をあるだけ全部解き尽くしており、ほぼ二次試験のことしか眼中にないほど楽勝感があった。
この年の受験会場は、前年とは別の某公立大学。宅浪していたため浪人中に友達はいなかったが、センター試験の日の朝、偶然会場で高校時代の同級生に出会い、テンションが上がった。その友人は自分ともっと話したい様子だったが、自分としては乾坤一擲の勝負の日なので、予習があるからと言ってその場を辞した。ちなみにその彼は第一志望落ちたらしい。気合が違うんだよ、気合が。
結果は、827/900点。もうちょっと高めの点数が取れるかとも思ったが、ま、二次試験の足を引っ張るほどの点数でもないので良しとした。
その後、満に満を持して文科一類を受験。合格者平均点を少し上回る平凡な成績で合格。
ちなみに大学では普通に留年したし、なんとか卒業したけど就職も第一志望にはいけなかった。大学受験で燃え尽きて大学でサボるとこうなる。
■俺の経歴
平成20年 文科省幹部および最高裁判事、東京大教授を脅迫したとして警視庁から逮捕
平成24年 さいたま県警および群馬県警に対して偽計業務妨害をしたとして逮捕
平成24年10月18日 さいたま地裁越谷支部において1年10月の実刑判決
平成25年5月 国選弁護士の事務怠慢で最高裁に上告せず、実刑が確定し、東京拘置所で刑が執行される
平成25年7月 黒羽刑務所第10工場に配属(担当教官 長谷川 森脇)
平成30年6月12日 脅迫罪に対する第一回再審請求が棄却される (担当裁判官 東京地裁刑事11部 任介辰哉)
平成30年10月 再審請求棄却決定に対する即時抗告が棄却される
平成30年11月19日 再審請求棄却決定に対する即時抗告に対する特別抗告が最高裁で棄却される
平成31年3月8日 関東厚生信越厚生局にした等級変更処分の取り消し請求が棄却
令和元年8月 さいたま地裁越谷支部に偽計業務妨害罪に関する第一次再審請求
令和元年10月29日 再審請求棄却決定に対する即時抗告が棄却される
■俺の経歴
平成20年 文科省幹部および最高裁判事、東京大教授を脅迫したとして警視庁から逮捕
平成24年 さいたま県警および群馬県警に対して偽計業務妨害をしたとして逮捕
平成24年10月18日 さいたま地裁越谷支部において1年10月の実刑判決
平成25年5月 国選弁護士の事務怠慢で最高裁に上告せず、実刑が確定し、東京拘置所で刑が執行される
平成25年7月 黒羽刑務所第10工場に配属(担当教官 長谷川 森脇)
平成30年6月12日 脅迫罪に対する第一回再審請求が棄却される (担当裁判官 東京地裁刑事11部 任介辰哉)
平成30年10月 再審請求棄却決定に対する即時抗告が棄却される
平成30年11月19日 再審請求棄却決定に対する即時抗告に対する特別抗告が最高裁で棄却される
平成31年3月8日 関東厚生信越厚生局にした等級変更処分の取り消し請求が棄却
令和元年8月 さいたま地裁越谷支部に偽計業務妨害罪に関する第一次再審請求
令和元年10月29日 再審請求棄却決定に対する即時抗告が棄却される
よう前田記宏
■俺の経歴
平成20年 文科省幹部および最高裁判事、東京大教授を脅迫したとして警視庁から逮捕
平成24年 さいたま県警および群馬県警に対して偽計業務妨害をしたとして逮捕
平成24年10月18日 さいたま地裁越谷支部において1年10月の実刑判決
平成25年5月 国選弁護士の事務怠慢で最高裁に上告せず、実刑が確定し、東京拘置所で刑が執行される
平成25年7月 黒羽刑務所第10工場に配属(担当教官 長谷川 森脇)
平成30年6月12日 脅迫罪に対する第一回再審請求が棄却される (担当裁判官 東京地裁刑事11部 任介辰哉)
平成30年10月 再審請求棄却決定に対する即時抗告が棄却される
平成30年11月19日 再審請求棄却決定に対する即時抗告に対する特別抗告が最高裁で棄却される
平成31年3月8日 関東厚生信越厚生局にした等級変更処分の取り消し請求が棄却
令和元年8月 さいたま地裁越谷支部に偽計業務妨害罪に関する第一次再審請求
令和元年10月29日 再審請求棄却決定に対する即時抗告が棄却される
BUMP OF CHICKENを聴きながら勉強をした。
入ったのは、文科一類。
順当に行けば法学部に進学するところだ。
東大には、語学別のクラスがあり、顔合わせ的な意味でクラスごとに旅行にいったりする。
おかげで顔見知りくらいはできたが、友達ができることはなかった。
ガリ勉ばかりだと思ってた東大だが、「チャラい」人の方がむしろ多かった。
大学の授業には、最低限だけ出席し、Flashやテキストサイトを見て時間を潰すことが増えた。
就活に使えるようなガクチカエピソードもなく、コミュ障が面接をクリアできるとも思えなかったので、ロースクールに進学することにした。
そんな安易な発想だ。
ソクラテス・メソッドの名の下に、授業で発言を要求されるのには困ったが、学問的な内容であればまだ発言しやすい。
有志で勉強会をする人たちもいたが、ひたすら一人で勉強をした。
アラサーの男女が高校生みたいな色恋沙汰を繰り広げるのを横目に見ながら、判例や学説を頭に叩き込んだ。
テキストサイトはその黄金時代を終え、息抜きは2ちゃんねるに変わった。
ペーパーテストは昔から得意だし、他の人が人間関係に充てている時間を勉強に注ぎ込んだのだから、当然の結果だろう。
勉強ができる上に、顔も良くてコミュ力もある化け物のような人達に就活では負け続けた。
唯一、拾ってくれたのが今の事務所だ。
おかげで、なんとか今は生きている。
大学生のときは何も考えていなかったが、弁護士はコミュニケーション能力も重要だ。
来年3月に東大法学部を卒業する俺から、「もっとこうすれば良かった」という話をメインで集めて、教訓を書いたので新入生に贈る。どうせこんなところに書いても誰も見ないだろうが、一人でも見てくれたら…という思いを込めて。対象は文科一類またはその他各類から法学部に進学する予定の東京大学の1年生または受験生。それ以外の人は一切対象にしていない。
まず最初に知っておくべきことは、東大法学部ではお勉強ができる順番が全てということ。成績と資格がすべて。それ以外の諸条件(コミュ力とか課外活動とか部活等)は基本的に考慮する必要が無い。勉強ができれば自分の志望する進路に行くことができるし、勉強ができなければその道は閉ざされる。経済学部等の他の文系学部とはこの点で一切異なることを肝に銘じておいてもらいたい。その上で大切なのは、できるだけ早く進路志望を確定すること。法曹なのか、公務員なのか、民間なのか。大まかに言ってこの3つは勉強のできる順番と考えてもらって構わない。勉強ができる人から順に選択肢が多い。法律の勉強がまったくできない人は民間に行くしかない。ここで言いたいのは法曹が偉くて民間が偉くないということではなく、自分の志望する進路に行くには勉強ができることが大前提だということ。
上記で強調したように、早く進路志望を設定できればそれに向けて動き出すことができる。駒場ではサークルも盛んなのでそれなりに学生生活を楽しみつつ、他の法学部進学者を出し抜くために専門科目が2年次で始まるよりも早く法律の勉強を始めることを強く勧める。そうすれば自分が法律に向いているかどうかも早めに判断できるし、3類(政治コース)を選択するとか、場合によっては進振りで法学部以外に進学することを考慮することも可能になる。どうやって勉強するか、であるが、ダブルスクールか自学自習ということになる。自学自習の場合は各予備校が出している参考書と学者の書いた教科書を、民法・憲法・刑法を中心に勉強すればよい。自律できない人はダブルスクールしかないだろう。
本郷に進学した後は勉強に集中するべき。遊びは駒場で終わりにして(その分駒場でサークルを含めて遊びたいだけ遊んでおくと良い。内向きにならず。)、本郷ではひたすら勉強の日々を過ごすことになる。
法曹志望者は、一刻も早く予備試験に合格して司法試験に合格することを目指す。早ければ早いほど良い。可能ならば東大に入学する前後の春から伊藤塾等のダブルスクールを始めることが望ましい。この場合、法科大学院進学を視野に入れつつ予備試験を受けていく、ということになるだろう。3年までに予備試験に合格すれば法科大学院に行くまでもなく卒業してそのまま司法修習に入ることができる。金銭的にも時間的にもキャリア的にもこのメリットは非常に大きい。このパターンが一番の勝ち組だと考えておけば大丈夫。駒場にいる1年次から準備を始めることが何より大事というのはとにかく知っておいてほしい。
国家公務員総合職の志望者に関して。国家公務員総合職試験は、東大に合格する学力があれば2ヶ月もまともに勉強したら合格自体はさほど難しくない。問題になるのは合格順位。教養区分や経済区分で受ける人もいるかもしれないがここでは最もオーソドックスと思われる法律区分について記す。法律区分で一桁、もしくは低くても50番よりも上の順位で合格していれば、よほどのコミュ障でなければ「どこの省庁にも行けない…」という状況にはならないはず。もしも5大省庁に入りたいとか、省に入ってから出世コースに漏れた状態で社会人生活をスタートしたくない、というのであれば一桁合格を目指すべき。そして一桁合格を目指すならば、司法試験を目指す方針で学生生活を送ることを勧める。滑り止めとして法科大学院を受験するつもり、もしくは3年次の予備試験までに合格するつもりで法律の勉強を進めていれば、かなり有利な状況で公務員試験を受けることができるはずだし、官庁訪問で失敗しても法曹に行けばいい。
法学部進学者が最初から民間志望と言い切ってしまうことはおすすめしない。民間に行くならばわざわざ法学部に進んで大変な試験を大量に乗り越える必要があまりないため、進振りで経済学部等に進めばよい。上にも書いたように、お勉強ができる人が偉いのが法学部の鉄則であり、勉強ができる人から順に進路の選択肢を得る。法律の勉強をした上で、何か民間でやりたいことがあるのであればそちらを志望すればよい。いろいろ意見はあるだろうが、結局のところ、給与や安定性等を考慮すると法曹と公務員を除くすべての民間企業は滑り止めとしての扱いでも構わないのではないかな、と個人的には考える。
もしも予備試験に3年までに合格して4年で司法試験に合格できるほど勉強がよくできる場合は、引く手あまたで就活には困らないだろうからここでは割愛する。まず公務員志望の場合、民間企業を多くて5社程度滑り止め&面接練習のために受けてから官庁訪問するべきであり、可能ならばこれに加えて法科大学院の受験もすべき(適性試験の受験が必要になるので遅くとも2年の時から調べて準備を始めること)。毎年のように滑り止めなしで公務員試験に突入し、官庁訪問に失敗して留年する者が続出している。民間志望の場合、法学部の中だけで過ごしているとロクなところに引っかからず、メガバンに就職する羽目に…というような例が案外よくある。経済学部の経友会に所属するとか、1年または2年の時から有名企業や外資企業のインターン説明会に参加したりOB訪問(東大は就職活動サポートは実質的に何もしてくれないが、OB名簿は本郷のキャリアサポートセンターに行けば学年に関係なく誰でも見られる)するなどの活動を積極的に行うべきではないかと思う。勉強ができる人が評価されるというのが大前提ではあるが、3類進学などでそのコースでは戦わない場合、別の戦い方が求められる。個人的にもよくわからない部分が多いのでここでは詳述しないが、民間就活に関してはネットや書籍でも情報が溢れているし、そちらを参照のこと。
まことしやかに囁かれる、法学部では3割の人が留年するというウワサだが、確かに留年者は多い。しかし、単位が取れなくて留年する者はほとんど皆無であり、進路がなくて留年する者がほぼ全員を占めることは知っておいてほしい。留年は官庁訪問の失敗か、法科大学院不合格かのどちらかだ。東大の法科大学院を既習で受験する場合、舐めていたら東大の学部生でも普通に落ちる。公務員志望の場合に滑り止めを受けるべきことは既に述べた通り。
これも本当。何もしなければ友達は増えない。だからこそ、所属コミュニティを積極的に増やす姿勢が非常に大切。まず、シケタイには必ず入ること、試験対策というのは正直者がバカを見る世界で、情報強者が勝つ。法律相談所なんかもできれば所属すべきで、入って失うものは何もないが得られるものは大きいはず。駒場のサークルで忙しいなどと言って入らないのは愚の骨頂。駒場のコミュニティと本郷のコミュニティは異なるし、進路を決める上で決定的に大切なのは本郷の方。他に緑会の懇親会や三類懇親会などには必ず顔を出すこと、法曹や公務員志望ならば自主ゼミを積極的に作ること、時間との兼ね合いではあるがゼミを2つ以上履修することなどは、心がけとしてあってもいいかなと思う。
読み返すとなんだか仰々しい感じになってしまったが、のんびりしていてもなんとかなる人もいるし、人それぞれのやり方があると思う。他にも何かまた思い出したことなどあれば加筆する予定。
『東大文科一類から、法学部に行かない人が増えている』な記事があった。
やりたいことが割と明確で、それが官僚や法曹じゃない人は『法学部以外』を目指し、
『目的意識、将来意識が希薄』な人が、そのまま『周りに流されて』法学部に行きがち、という記事。
文科一類って、開成とか灘とか出身者が多くて、『周りも東大に行くから、自分も行く』のような主体性ない人が結構いる。
法学部『でも』行くか、法学部『しか』行かない、という学生、それが法学部の一部には存在する。
この記事を見て、
『東大文科一類から、そのまま法学部に進学するか、それとも駒場の教養学部に残って別のことをするか、悩んでいた27年前の自分』
を思い出してしまった。
俺は有名私立中高一貫校出身で、周りのブルジョワジーたちに揉まれつつエリート街道らしきものをここまで登ってきて、
なんとなくで文系にして、そのまま文科一類に入って、今一年生なんだけど、
将来のヴィジョンが全く見えない。
考えてみれば自分には21世紀前半を生きるための付加価値(具体的に言えば英語、IT、その他資格?)が全くない。
もちろん学歴と、そのバックグラウンドと、大したことをしなくても得られる人脈がある、っていうのはそれなりに長所なんだろうけど、
で不安なら何か努力してるかって言われると何もしてなくて、ひたすらダラダラしてる。
周りには官庁志望の奴とか、弁護士になる!とか決めてる奴もそれなりにいて、
そいつらはヴィジョンがはっきり見えてるから、やるべきこと分かって努力も出来るんだろうけど、
少なくとも「お前何やった?具体的に」って問いに全く答えられない。
もちろん周りには学生団体とか頑張ってる奴らもいるんだけど、
一回片足突っ込んでみて「あ、自分には合ってないな」って思った(はてなにはそういう人多いかもしれない)。
それで、結局何もしてない。
なんちゃって自己分析しちゃうと、下手に高学歴歩んできたから無根拠に全能感抱いちゃってんじゃねーの、俺、って思う。
不安で不安で仕方ないので、夏休みに何個かインターンとか入れてみたけど、迷走してる気しかしない。
ていうかとりあえず留学みたいな、とりあえずインターン感がハンパじゃない。
いろいろやってる内に将来の夢とか、人生を賭す価値とか見つかるだろうと大学入る前は思ってたけど、本当に見つかるんだろうか。
p.s.どうでもいいけど「ディスチミア親和型うつ病」ってニュースかなんかで見て「あ、俺じゃん」って思った。思っただけ
http://b.hatena.ne.jp/entry/diamond.jp/articles/-/27489
「なんと東大法学部が初の定員割れ 法曹志望、公務員志望減少が影響か」
自分がいた時代は、文一からだと無条件に法学部行けたんですけど、なんか最近制度変わったのか、
100%は行けないようになったようですね。
どうせ増田なので気楽にカミングアウトすると、文一から法学部じゃなくて、
教養学部とか他学部に行くことを、大学2年の段階で真剣に悩んだなあ。
結局、「周りに流されて」、そのまま法学部に進んだが、
あの時点で教養学部とか行っていたら、今頃どういう人生になっていたなかあ?
まあ、大学二年の「進振り」の時点で、悩んでしまう=選択肢が多い、ということは
いいことなんでしょうな。
文科二類・文科三類に入学するより、「つぶしが利く」という意味では、
「将来何になるのか漠然としている」場合は「文科一類に入学できるのなら入っておく」
方が得策なんだろうなあ。
教育問題が取りざたされて久しい。
私はとある私塾の講師として授業を受け持っていて、担当は高校3年生が中心である。
高校生ともなれば、ある程度の学力のばらつきが出るのは当然であり、
高校の授業内容を全員が等しく身につけることは必須ではない。
有り体な言い方をすれば、良い大学を受験したい人はしっかり勉強すればいいし、
そうではない人は適当にやっていればいい。
実質的に教育問題とは、とくに初等教育の問題であると考えてよいだろう。
特に、生活のリズム、社会のマナーを身につける小学校という場について考えてみたい。
一般的なのは、教育系大学あるいは教員養成系教育学部をもつ大学に進学することである。
http://www.keinet.ne.jp/doc/dnj/rank/12/k205.pdf
を見てみると、教員養成系の大学の偏差値は50~55程度が多いように見受けられる。
これらのレベルの大学を卒業した学生が教員となり、現場で児童に教育することになる。
http://www.keinet.ne.jp/doc/dnj/rank/12/k203.pdf
自分の高校時代を思い浮かべてもらいたい。
偏差値70のトップレベル集団と、平均点そこそこの集団は違う。
具体的な人間を思い浮かべてみてほしい。
さて、教育特に初等教育は、親からの目が特に厳しい職業である。
小学校の教員のもとには毎日まさに鬼のようなクレームが寄せられるらしい。
そんな業種として、他に医療が挙げられる。
そしてその医療の担い手として大きな役割を果たすのが医師である。
医師になるためには医学部医学科に入学する必要があり、その偏差値は理系の中でもトップクラスである。
http://www.keinet.ne.jp/doc/dnj/rank/12/k210.pdf
によると、国公立の医学部医学科の偏差値は65~70程度が多い。
教育も医療も、周りの期待が大きい。耐え切れないほどの重圧がのしかかる。
教員の立ち振る舞い方で、児童はいかようにも変わっていく。それが初等教育であると考える。
かつて、私立医学部に入学するのに必要な偏差値は50を切っていた時代があった。
今では軒並み65程度まで上がっている。
医療の現場では、患者やその家族との信頼関係を作るように現場レベルでの指導が行われ、徐々に大学医学部での教育も変容しつつあるようだ。
教育も同じであるべきである。その時に求められるのは教員がいかに児童や保護者との信頼関係を気づいていくか。
それを念頭に置いた教員養成のための教育が、今の限られた教職課程の授業の中で行われているのか。
そしてそれを実現できうるレベルの学生が今の教員養成系の大学に集まっているのだろうか?
教育を本当に志す者のための教員養成機関になっているだろうか?
決して、就職先がない人の掃き溜めであってはならない。
強い信念を持った素敵な教員が増えることを願ってやまない。
世の中には日本が民主国家などと寝ぼけたことをほざいている者が居るが、何の勘違いだ。この世はどうみても東京とりわけ東大を中枢とする帝国だ。全国の猛者がしのぎを削って東大を目指し、合格すれば勝者の称号を与えられ、敗者は一生地下労働が決まっている現代日本において、平等主義や人権尊重を基調とする憲法など維持できるはずがない!
見よ、成績によるこのすさまじい序列付けを。これが過酷な現実なのに、いざ敗北が濃厚となると、平等主義や人権尊重を叫んで自分のプライドを維持しようとする敗者や老害は、競争の勝者に対して失礼だと思わんのか。
国民主権だの平等社会だの、そんなものは嘘だ。失敗したのだ。今の日本は体裁と中身が引き裂かれた最悪の社会だ。そして現実は東大帝国なのだ。平等な市民など存在しない。ただ高級官僚という王、役人や東大生という貴族、金持ちという覇者、それと全国で地下労働をしている圧倒的多数の敗者が存在するだけだ。
http://a2.upup.be/d/3xlFi3ZIQ4
http://c2.upup.be/d/Vutb3Dfwtk
http://c2.upup.be/d/XB8AGHmrAV
http://c2.upup.be/d/Q4afnI1Kvj
2010年度-第2回駿台全国模試(文系・理系総合-成績優秀者の志望大学)
【東京大学】188名
東京大学文科一類 59名 東京大学文科二類 21名 東京大学文科三類 11名
東京大学理科一類 35名 東京大学理科二類 11名 東京大学理科三類 45名
【京都大学】*38名
京都大学理学部 *1名 京都大学薬学部 *1名 京都大学医学部 31名
【その他】**9名
大阪大学医学部 *3名 東京医科歯科大学医学部 *1名 千葉大学医学部 *1名
おはようございます。
もう2月ですね。
きわめて特殊な形式を持ったテストに立ち向かう上で、
僕が個人的に獲得していった「戦略」についてお話しできればと思います。
なお今回の話はあくまで、僕個人の経験から導出されたものですし、
ですからこれから東大を受験されるかたには限定的にしか役に立たないでしょうし、参考程度に聞いて下さい。
また、話していく中で、僕が他の先達たちから聞いた話をそのまま織り交ぜていくことが予想されます。
おそらくこういった話はすでに多くの方がされた類のものでしょう。
ただ僕は田夫野人にして『ドラゴン桜』すら未読なので、
僕自身のオリジナリティがあるのかどうかすらわかりません。
もし著作権等の問題に抵触する場合は、明示していただければ対処します。
さて、それでは本題に入っていきましょう。
第一に考えなければならないことは何でしょうか?
それは、各大問の性質を明らかにし、それにあった戦略を考え、
「解く順番」を明確にすることです。
和文要約と長文を含む第一問、英作文の第二問、リスニング第三問、英文和訳と文法問題の第四問、長文読解第五問(もちろん、年によって変動があります)。
それぞれの大問は、独自の設計思想に基づいて作られており、
これらを最初に分析した上で学習の指針をたてるのがベストでしょう。
私見では、東大英語で求められる英単語・熟語知識は3つに分けられます。
すなわち、「長文でつかうもの」「和訳でつかうもの」「英作文でつかうもの」の3つです。
これについてもおいおい説明していければと思いますが、
とにかく、5大問の分析と戦略策定が何よりも重要だと言っても過言ではありません。
また、その結果得られる「解く順番」も重要です。
ですから、各工程を適切な順番で適切な戦略の元に片付けていかなければ、
最後まで解ききることすら出来ません。
その意味で、東大英語は「ドラクエをいかに短時間・低経験値で全攻略するか(タイムアタック)」という「しばり」プレイにも似ています。
ここでは、僕のおすすめの「解く順番」を一つ挙げてみましょう。
それは、「後ろから解いていく」です。
つまりおおざっぱに言って、第五問(長文読解)→第四問(英文読解和訳→文法)→第三問(リスニング)→第二問(英作文)→第一問(長文→要約)のプランです。
「解く順番」を考える上で一番のボトルネックは、
やはり試験時間のまんなかに鎮座ましましている30分のリスニングでしょう。
ですからこれを中央にして、前半に読解系を、後半に作文系を入れてみました。
このプランにした理由や各大問の設計思想などもからめながら、もう少し細かく見てみましょう。
最初は、第五問……ではなく、リスニングの問題文の下読みから。これは当然ですね。
リスニングを解くのは真ん中ですが、第五問第四問がどう転ぶかはまだわからないので、
あとで下読みする時間が無くならないように、最初に読んでおきます。
そして読解系の第五問・第四問(の和訳)。
これらの1.5大問が問うているのは、「精読・読解できるか否か」でしょう。
それにしても、なぜこの二つを最初に置くのか。
それは、「ある程度時間と集中をかければリターンが大きい出題形式」だからです。
長文を精読して答えを詰めるのも、英文と格闘して解釈をひねり出すのも、
だからこういった粒の大きな作業は、余裕のある最初に入れておきたい。
2ちゃんねるのコピペで、「小さな砂をビンに最初に入れてしまうと、あとからでは大きな石は入らない(だから最初に石を入れよ)」というのがありますね。
それと同じです。
読解系を集中して解き終り点数を積んだら、リスニングに入る前に、
第四問(の文法)と、第二問(英作文)のメモ作りに参りましょう。
英作文、リスニング、文法の2.5大問が問うているのは「ロジカルな文脈復元力」ですが、
文法も、英作文のメモ作りも、「石」というよりは「砂」です。
リスニングの開始まではもう余裕がありません(もちろんリスニング中も)。
ですからここは「砂」を入れて、無駄なく(そしてリスニングへの弊害なく)進めていきましょう。
(ちなみに、「英作文はいきなり英文を書き出すのではなく、一度日本語でメモを作る」というのは常識ですよね?)
この文法とメモ作りを、余裕があればリスニング中の小休止にも行った方が良いですね。「リスニング中」!? そうです。
そんなことしたらリスニングがまともに聞き取れなくなるじゃないか! ……確かにそうです。
でも、そもそも東大英語のリスニングって、「まともに聞き取れ」るものでしょうか、帰国子女ですらない僕らが?
個人的には、「帰国子女じゃあるまいし、リスニングはまともに聞き取れない(そしてまともに聞き取れなくても点は取れる)」という戦略をお勧めしたいと思います。
聞き取るのは、断片だけで構いません。
「ディスコース・マーカー」などのテクニックに限らず、基礎的な文法知識や「教養」など、すなわち「文脈復元力」があれば、
かろうじて得た断片から選択肢を絞るのはそう難しいことではありません(東大英語リスニングはPolitically Correctですから)。
さて、こうしてリスニングを耐えしのいだあとは、文法問題を片付け英作文のメモを英訳しましょう。
そういえばさっき、単語・熟語には3分類ある、と言いました。
これは要するに、「今見ているこの単語が、いったい試験の何処でクリティカルに使われるものか常に意識して学習せよ」ということでもあります。
具体的には、たとえば英作文では、たとえ中学英語レベルでも、絶対にミスのないイディオムで無難な英文を生産する必要があります。
他方長文では、つっかえずに読むためには、「なんとなく意味が分かって読み流せる」単語が重要です。
和訳では、「微妙なニュアンスを原義にさかのぼって解釈する」ような単語も出てくるでしょう。
良い具体例が思いつきませんが、英作文のhave nothing to do with、長文でのsimultaneously、和訳でのdevelopなどですかね。
はい、英作文が書き終わりました。え、細かいテクニックは、って? それは皆さんのほうが詳しいでしょう……。
第一問は、僕の記憶が正しければ英文の和文要約(1A)と、乱文整序や選択式問からなる長文(1B)の2本立てです。
どっちも時間と集中の要る読解系じゃないか、って?
いやいや、長文のほうは第五問に比べれば「パラグラフ・リーディング」で対応可能なものですし、
乱文整序なんかは特に、運の要素が読解系より格段に強いですよ。
大問1が問うているのは「ぱっと見で大意をつかむ作業効率」。
もちろん読解はするのですが、そもそも要約とは、
極論すれば「キーセンテンスを運良く一文訳せれば点数の半分は来る」程度の運試しです。
大意さえつかんでしまえば、枝葉にまで潜っても、対時間コストパフォーマンスは悪い。
それよりは最後の5分で幹だけ掴み、荒削りで確実に効率よく得点したほうがクレバーですね。
以上、「解く順番」をフックに、東大英語の戦略についてしまりなく語ってきました。
大問毎の設計思想「精読・読解できるか否か」「ロジカルな文脈復元力」「ぱっと見で大意をつかむ作業効率」を見ても分かるとおり、
やはり、東大英語というのは「官僚スキル」を見るためのものなんですね。
大量の紙幅を右から左に流しつつ、個々の場面で求められるレベルでアウトプットを行っていくという。
もちろん、基礎的な英語力や各大問ごとのテクニック(「リスニングではHoweverなどのディスコース・マーカーに注意しろ」とかの類)に関しては、
僕なんかより、受験生の皆さんや予備校の先生のほうがよっぽど詳しいでしょう。
僕も枝葉末節については記憶が怪しいので、今回は「幹」や「石」の部分について覚えていることを語ってみました。
ひねくれているとは思いますし、多くの真面目な受験生にとってはむしろ混乱の素かもしれません。
(帰国子女ではないが現役で本試験(英語)約100点を獲得し文科一類に合格した、という)「過去の栄光」がぎりぎり通用するうちに、
偉そうなことをはき出しておきたいという、僕のささやかな実存を感じ取ってもらえれば幸いです。
細かい部分や他教科については、また要望が万が一あれば考えます。
朝日新聞GLOBE「金融危機と中央銀行」のうち、http://globe.asahi.com/ 上に掲載されていない部分を以下に載せます。
(G-2面の囲み記事)
入行の2年後輩の稲葉延雄(現・リコー特別顧問)が、副総裁、そして総裁候補の「本命」だった。稲葉は、若いころから金融政策を担当し、1998年に施行された日銀法の改正作業でも、日銀内で中心的な役割を担った。
他にも、やはり日銀法改正にかかわり人脈の広い三谷隆博、国際派の平野英治ら、理事を経験した有力候補がいた。
最近になって白川の存在感が増してきたのは、日銀幹部に、海外の中央銀行幹部と対等に話ができる経済学の専門知識が求められるようになったためだ。ただ、福田政権が今年春、白川を副総裁に指名したのは、意中の総裁候補が武藤敏郎(当時、日銀副総裁)だったことも大きい。
財務事務次官を経験した武藤は各界の太いパイプがあり、調整能力にたけている。理論派の白川は、武藤と組み合わせるとちょうどよいと目された。この時点では、あくまで白川は「知恵袋」として、総裁を補佐することが期待されていた。
ところが、運命は、本人も予想しない方向に転がっていく。
参議院で多数を握る民主党は、「財政と金融の分離」を唱えて財務省OBの起用への反対を崩さず、武藤総裁案を葬り、やはり財務(大蔵)事務次官を経験した田波耕治案も一蹴した。
主要7ヵ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)が近づくなか、総裁空席が長引くダメージは大きい。となると、民主党が同意できる、残る総裁カードは、白川しかなかった。
当時、白川は58歳。50代の若さの総裁の退場は52年ぶり。金融政策などを決める政策委員会の5人の審議委員のうち、4人は白川よりも年上だ。
いきなり約5000人の職員を擁する組織のトップに就いた白川の指導力、調整力には不安もある。首相の麻生太郎は、白川自身の意向も聞き、山口広秀を副総裁に任命した。
山口は日銀出身だが、政府との実務交渉の経験が長い。今後、内部管理的な業務や政府との意思疎通などで、山口が担う部分も増えていくとみられる。■
前総裁である福井俊彦は、社交的で人づきあいがよく、経済界にも豊富な人脈があることで知られた。財界人とも頻繁にゴルフをした。
白川は少人数の食事会での議論は好きだが、パーティなどの華やかな場所は苦手。若いころはテニスを楽しんだが最近はやらず、ゴルフも年に数回程度。週末の楽しみといえば、「双眼鏡を持って、妻とバードウォッチング」といったところだ。
もっとも、この秋からは金融危機の対応に追いまくられ、バードウォッチングどころではない。
白川は1949年、福岡県の小倉で生まれた。姉と弟の3人兄弟。父は、地元の東洋陶器(現・TOTO)に勤めるサラリーマンで、後に社長となる。地元の公立小中学校から県立小倉高校に進んだ。
高校時代の同級生で、以来親しくつきあう読売新聞大阪本社執行役員の松尾徹は「誠実で、はったりがない。困った顔をすることはあるが、怒った姿をみたことがない。線が細そうにみえるが、案外、楽観的で腹がすわっている」と白川を評する。
東大の文科一類に入学したが、経済学部に進む。法律より経済学に面白みを感じたのが理由だ。
21歳の夏休み、帰省先の小倉から上京するブルートレイン(寝台列車)の中で、津田塾大の学生だった美恵子と知り合い、日銀に入ってまもなく結婚した。日銀に就職したのは「ビジネスは大切だが、自分は民間企業に向かないと思ったから」。
入行4年目で米シカゴ大学に留学して経済学修士号を取得。博士号を取るためにもう1年の延長を願い出たが上司に断わられ、日銀を辞めてシカゴに残るかどうか悩んだ。
その当時、白川の1年先輩で、相談を受けた大塚啓二郎(現・政策研究大学院大学教授)は、「日銀を辞めて学者になったら」とアドバイスした。「組織の中で出世するタイプには見えなかったしね」と大塚は笑う。
服装にはさほど構わないが、ネクタイにはこだわりがある。海外出張の時に免税店で自分で買う。今年10月の「クールビズ」明けの記者会見では、小倉高校の同級生たちから贈られた小倉織のネクタイを締めた。
週刊誌に「いつもの寝グセを何とかしたほうがいい」と書かれると、友人が「寝ぐせ直し」用の整髪料をプレゼントしてくれた。以来、毎朝それを愛用している。■
科類紹介その6:文科一類
筆者の所属する文科一類は法学部に進学が内定している科類です。文系学部で日本最高偏差値を誇っています(^^*)。文一から教養学部等に傍系進学する人も毎年一桁はいるのですが、やはり大多数は法学部に進学するわけで、文一=法学部と考えてもらって間違いありません。「東大文一」という固有名詞があるくらい文系の中では有名な科類といえるでしょう。
一般に東大生は教養学部時代はでっかい夢を持つものです。3,4年生になると就活なども始まり現実を知ることになるのですが、1,2年生の間は東大に入ったことで自分は何者にもなれると思っている学生が多いため、かなり大きな夢を抱くことになります。なかでも文一は日本のエリートであるという自覚から本気で総理大臣になりたいと言う人もいます。東京大学新聞が新入生に対して行うアンケートによると、自分がエリートだと思っている学生はもちろんかなりの少数派なのですが(´ー`)
ちなみに法学部の先生方は学生にエリート意識を持ってもらいたいようです。私が東大に入学したとき、各科類ごとに新入生ガイダンスがあったのですが、文一のガイダンスでは法学部の先生が開口一番「君たちはエリートです」と言って仰天しました。また法学部ガイダンスでは法学部長は「君たちはここ(文一)に入った時点で普通ではないんです。エリートとしての自覚を持ちなさい」と仰っていました(´ー`)
そんな文一の将来像ですが、このブログにも以前「文一の会話」という記事を書きましたが「司法・国??・民間」が基本です。歴史的には東大法学部は官僚養成学校だったわけですが、現在では官僚志望者は減り、法曹志望者が官僚志望者の2倍以上となっています。
また2004年度から法科大学院がスタートしたわけですが、東大法学部としてはこれからは法科大学院までも視野に入れた一貫教育を施していくようです。ちなみに法科大学院の定員に合わせて文一の定員は約600名から約400名に減らされました。定員減少により文一が難化したため、文一志望者が文二文三に逃げるということが見られました。そのため文二文三生の中には文一に対するコンプレックス、通称「文一コンプ」を抱いている人も少なからずいるようです(´ー`)