はてなキーワード: 散逸とは
国税徴収法は、本人宛に返金があったとき町が自動的に横取りするルートを確立するのが主目的。
副次的に「あいつの金は町の金。お宅に渡った金は不正な移動だから町に回収する権利がある」と業者に直接主張する権利が発生する、くらいの話。
それでも業者は「うちはゲーム内通貨の購入を代行しただけで善意の第三者でーす」と主張して町に対抗する権利があるんだけど、業者には後ろめたいところがあるので対抗せず大人しく従ったという流れみたいだね。
今回役立ったのは、税金を滞納している者に対し、徴収者は滞納者の財産をいったん全額差し押さえてから、他の債権に優先して税金滞納分を抜き取ることができるというルール。
なんで全額差押が国に許されるのかというと、差し押さえってのは全財産一気に着手しないと散逸しちゃうおそれがあって、国が「国税分だけ差し押さえて回収するけどあとは知らん」ってやると他の債権者が泣くケースがあるんだわ。それで先取り特権のある国が代表して全額差し押さえやって、滞納税分を抜いた残りを他の債権者に下げ渡す仕組みになった(はず)。
私にとっては特に必要もないが成り行き上まとめたので、いつか必要になった人のために共有しておく。
なお、分類は以下。
協賛 TOYOTA
発行は2000年4月の「トヨタ春の交通安全キャンペーン」がきっかけの模様。
・ムーミンとあめ
・ムーミンとおばけやしき
・ムーミンとおめんあそび
・ムーミンのおたんじょうび
・ムーミンのそうさくたい
・ムーミンのみんなで遊ぼう
・ムーミンのゆうびんやさん
・あめのひのムーミン
・ヘムレンさんのロボット
・ムーミン 魔法使の巻 - 原作 旧ムーミン第2話 「悪魔のハートをねらえ」
・ムーミン ふしぎなスプーンの巻 - 原作 新ムーミン第8話 「ふしぎなスプーン」
・ムーミン 進め!ぼうけんごうの巻 - 原作 ムーミン第?話
レコードのA面にはムーミンの話が、B面には日本の民話・世界の民話シリーズが挿入されている。
・第一集 ムーミン 月夜に踊る人形 - 原作 旧ムーミン第52話
・第?集 ムーミン 天国からの贈り物 - 原作 旧ムーミン第30話
・テレビ名作劇場5 ムーミン 悪魔がきた - 原作 ムーミン第?話
・テレビ名作劇場6 ムーミン さよならガオガオ - 原作 旧ムーミン第7話
とりあえず、以上。
江戸時代とかに誰それが作った歌が良い みたいな記録が残ってて、どんな歌だろう?って調べるんだけど
当時の人は「みんな知ってるからあえて書かない」ってどんなものか分からない っていうのを散逸文化というらしい。
俺はアラフォーなんだけど同年代のオタクと懐かしいアニメの話題になっていろいろ作品が挙がるんだけど、あかほりさとるの作品って誰も挙げない。
俺は思い出せと言われてセイバーマリオネット、ラムネ、爆れつハンターがぱっと浮かんだくらい。
今Wikipediaでかかわった作品見てるけど え!これにも関わってるの!? みたいなのが多い。
シュラトはあかほりさとるのイメージだったけどノベライズとシリーズ構成でかかわってるらしい。
アニメの原作をいっぱい担当した と思ってたけど脚本・シリーズ構成のほうが目立つ。
アニメファンの高齢化で昔のアニメのBDやグッズが発売!とかあるけどあかほりさとるの作品でそういうの印象ない。セイバーマリオネットくらい?
ここで俺が書き込まなかったら向こう10年あかほりさとるの名前はネットに書き込まれないんじゃないか?って思って書いてみた。
ジェルばんは! 気に入らない点があったので全訳を投下しておく。なお校正ではないが元の訳と一致している部分があることは否定しない。先駆者に感謝する :
最近はほとんど眠れていない。ずっと職場にいて、brain fog[頭に霞がかかっている症状]を感じる。[そう感じるのは]過労のせいかもしれないが、自分が超現実的な世界にいるように感じている。
パンドラの箱は開いた──夏までには真の世界的恐怖が始まる──世界的飢饉は避けがたく[1]、なぜならロシア及びウクライナは小麦の主要生産者である。[英訳者註: 訳者は世界的飢饉を招くという考えには同意しない。] 筆者は指導部において何ものがこの[ウクライナ侵攻]作戦の実行の進行の決断を手引きした[2]のかについて述べることはできないが、しかし、いまや彼らは方法論的に我々[FSB]を非難している。我々は我々の分析結果についてしかられている。近頃は我々に対しさらに多くの報告書を提出させる圧力が高まっている。あらゆる政治的コンサルタントや政治家や権力者が混沌を引き起こしている。もっとも重要には、かような戦争が起こることは誰も知らなかった──誰もから秘匿されていたのだ。
例えば──あなたはロシアに対する隕石攻撃による様々の影響や結果を分析せよと言われたとする[英訳者註: 西側の制裁を指すと思われる]──然してあなたは攻撃の様態を調査し、そしてこれはたんなる仮定の話で詳細は重要ではないと言われ、そこでこの報告書はたんにいずれかの官僚の検査項目を埋める目的のもので、分析の結論はロシアに好意的なものでなければならず、さもなくばよい仕事をしないことについて尋問されると考える。然して作成者は、我々は所与の攻撃形態について、すべてその影響を無効化する手法を持っている、と書くのである。我々はまったく過労状態にある。ところがそののち、たんなる仮定が現実に変わったことが明らかになり、そしてそのたんなる仮定に対して我々のなした分析はまったくのがらくたなのだ。我々が制裁に対して回答を持たないのはこのためである。誰もそんな戦争がくるものとは知らないから、誰も今般の制裁に対して備えていないのだ。これは秘密性の裏返った結果である──皆とも暗闇におかれているのに、どうして備えができよう?
カディロフは乱心した。ウクライナ人がキエフにいる彼の部隊に関する情報をFSBから入手したと主張したため、我々[FSB]は彼との衝突に近いところまで行った。カディロフの部隊は戦闘の機会を得る間もなくまったく破壊され粉々になった。筆者にはあれがFSBからの情報漏洩であったかはわからないので、可能性として1-2%は見てよいと述べよう。──しかしこの可能性を完全に排除することはできない[和訳者註: 栄えあるFSBがリークすることなどない、と言っている]。わが電撃戦は完全に崩壊した。この任務を完了することは不可能である: ゼレンスキーとかの閣僚[deputies]が緒戦の三日で確保され、主要建造物が制圧され、そして国内へ降伏演説を読み上げることを強いられたならば、ならばウクライナの抵抗は霧消し最小限となっただろう。理論上は。
しかし、そのあとは? この _理想的_ な結果においても、解決不能問題が残存する: 我々と交渉する対向側には誰が就くのだ? ゼレンスキーを排除したとしよう──いいだろう──誰が文書に調印する? ゼレンスキーが署名したのでは彼を排除したのちには意味がなくなる。ОПЗЖ(ロシアと協調しているウクライナ野党)は強力を拒否した。臆病者のメドベドシュクは逃亡した[和訳者註: メドベージェフではない]。他にも指導者──ボイコがいるが、彼も拒否したし、彼の取り巻きさえ納得はしないだろう。ツァリョヴァを引き戻したいものだが、我々ロシア側の者でのなかでさえ彼には反対がある。ヤヌコヴィッチを連れ戻す? どのように? もし我々が占領できないというのであれば、新政府は我々が撤退すると同時に10分で崩壊するであろう。占領する? そんな人員をどう確保する? 占領司令部、憲兵隊、対諜報、保安──ウクライナ人の抵抗を最小限と見積もっても、補給兵站を除いて50万からの人員が必要になる。ひとつ法則がある──質のよくない指導力を量で補おうとすれば、全てが悪化するのだ。繰り返しになるがこの問題は _理想的な状況_ における問題であり、そしてそんな状況は存在しない。
そして今度は何か? 我々が全軍動員を発令することができない理由が二つある:
1) 動員はロシア国内の状況崩壊を招く: 政治的、経済的、社会的[状況]。
2) 我々の補給線はすでに過伸展状態にある。ウクライナに状況対処部隊を送ることは可能であろう、しかし我々は何を得る? ウクライナ──[彼らは]領土的大国、彼らの我々への憎悪は天文学的である。[3] 我々の道路はひらたく言ってそのような車列の補給を担えず、すべては停止状態へ至る。そしてこの混沌では我々は管理側から成すこともできにあ。これら二つの理由は並列に存在するが、しかし一つだけでも全てを破壊するに十分である。
こ/の/文/章/を/読/ん/だ/お/ま/え/た/ち/は/雄/宙/武/山/原/石/に/し/て幌/来/部/取/締/役/組/の最/古/こ/と/星/街/す/い/せ/い/の/チ/ャ/ン/ネ/ル/登/録/を/し/ろ
ロシア軍の損失に関して: 筆者は状況を知らない──誰も知らない。当初の二日間は多少の情報があったが、今やウクライナで何が起きているのか誰も知らない。我々は複数の主要師団との接触を失った。(!!)[和訳者註: 露軍の場合、師団(旅団?)1あたり5千人] 彼らは接触を再確立するか、あるいは攻撃により散逸するものか、そして指揮官も何名が戦士、負傷、あるいは捕虜となったものか知らないのだ。総死者数はまちがいなく千の単位であり、一万か、五千か、あるいはわずか二千かもしれない。しかしわが司令部にあっても誰も知らない。しかしロシア兵一万の損失に近いであろう。そして我々はDNRとLNRの損失を計上していない[和訳者註: ドネツク人民共和国、ルハンスク人民共和国。先の侵攻で樹立したロシアの傀儡国家。] いまもし我々がゼレンスキーを殺害ないし捕虜としたとして、何も変わらない。我々への憎悪はチェチェニアと類するものである。そしていま、ウクライナにおいて我々に忠実であった者すら、公に我々に反抗しているのである。なぜならこれらすべては(ロシアの)頂点において計画されているものであるため、なぜなら我々にはかような事態(ウクライナ侵攻)は我々が攻撃を受けるのでない限り発生しないと伝えられてきたため。なぜなら平和的に交渉による結果を引き出すため我々は脅威度を最大限に高めねばならないと伝えられていたため。なぜなら我々は一切ウクライナ侵攻を考慮することなくウクライナにおけるゼレンスキーへの抗議活動を既に準備していたため。[4]
ナレッジマネジメントという言葉がある。
平たく言うと、社内に散逸している知識や経験、ノウハウを有効活用しましょうねっていう取り組みのことだ。
弊社も最近これに力を入れていて、ナレッジマネジメントのための社内システムを開発した。
この社内システムでは、共有したい情報を資料にまとめてアップロードすることで、他の社員がその資料を検索したり、閲覧したりできる。
この社内システム、俺はかなり良いと思った。
例えば、ある部署で勉強会に使った資料をアップロードすれば、他の部署の社員もその恩恵が得られる。
例えば、炎上した案件とその後始末に関する資料を読めば、似たような状況に陥ったときに役に立つ。
俺はエンジニアだけど、営業活動で案件受注するまでの経緯をまとめた資料を読んで、なるほど営業の人はこういう部分で苦労しているんだな~と思ったりした。
弊社の社内システムはあまりよろしくない(なんせ2022年3月になっても社内サイトにIEでしかアクセスできない!)けど、このときは凄いじゃん弊社と思った。
そう思っていた。
ある時から、システムを利用していて違和感を覚えるようになった。
謎の資料が多い。
有り体に言えば、他者と共有することを想定していないような資料が目立つようになった。
例えば、プロジェクトで使用しているものを、ほぼそのままアップロードした資料。
そのプロジェクトにいる人にしかわからない専門用語ばかりで、外部の人が読んでもわからない。
(編集中)というカッコ書きがそのまま残っているものもあった。
俺はその理由をすぐ知ることになる。
この社内システムにはノルマがあり、社員1人あたり一定数の資料をアップロードしないといけないことになっていた。
俺がこのノルマの存在を告げられてから、その期限まで、わずか2週間。
担当しているプロジェクトは慢性的にボヤが起きていて、資料を作成する時間はあまり取れない。
じゃあどうするか?
既存の有り合わせの資料をちょっと手直ししてアップロードするしかない。
「ノルマを押し付けてくるヤなサイト」という認識を持たれるようになると、積極的にシステムを利用する社員が減り、本来の目的を果たせなくなる。
第二に、資料の質が下がることだ。
よく、Google検索が劣化して使い物にならないサイトばかりヒットするようになったと言われているが、それと同じ現象が弊社の社内システムでも起きている。
興味を持ったトピックについて検索しても、あまり役に立たない「謎の資料」しか見当たらなくなる。
弊社は比較的歴史の長い企業で、社内のポータルサイトに年々「情報」が積み重なっている。
そのため、社内の規則などを調べるためポータルサイトにアクセスしても、情報量が多すぎてよくわからないという意見が中途採用者を中心に挙がっていた。
ナレッジマネジメントの社内システムは、それと同じ状況になりつつある。
もちろん、ノルマには良い点もある。
ノルマがきっかけて社内システムを使い、そのままユーザーになる人も居るだろう。
また、仕方なくアップロードした有り合わせの資料が、実は他の社員にとって価値ある資料かもしれない。
しかし、それらを考慮してもなお、このノルマのデメリットはメリットを上回っていると俺は思う。
反省点もある。
俺は今まで、他の社員がアップロードした資料を読むだけで、自分がアップロードすることはない、いわばフリーライダーになっていた。
この手のシステムを健全に運用していくには、情報を享受するだけでなく、自らも提供する必要があると痛感した。
https://pc.siraberu.info/post-4623/
みたいな感じで、registory を書き換えて簡単に変えられる
disableにしたいなら0000 を入力。任意のキーに入れ替える場合は、対応するキーコードを設定すればよい
https://www.ipentec.com/document/windows-key-code-scan-value-and-key-code-map-format
なんかこんだけの情報だけど、情報が散逸しててなんかまとめるのに時間かかった。
ソースとなるMSのドキュメントは下記の通りらしい。Windowsもこういう仕様をずっと守ってて偉いな
https://docs.microsoft.com/ja-jp/windows-hardware/drivers/hid/keyboard-and-mouse-class-drivers
・破れかぶれで行われる大移動
・死に損ねたあなたの耳に鳴ってるかつて歌だったはずの音
・退屈を持て余した老人の鳴らすカリンバ
・長い長い長い長い長い朝
・許しを請うてもどのみち左肘から先が無くなるので
・籠の中で野菜はただ冷えている
・音の粒がはじけても混じり合わぬ私とあなた
・曲がりなりにも悲しいのなら今すぐこの場で両手を開け
・天使はいなかったその証明にシラスをご飯にふりかけて 味噌汁付き
・寂しいはずのお留守番はたった一度のシャッターに似つかわしく
・止められるなら苦労はしないさ、かさぶたが溜まるだけの部屋で
・照らせバックライト、僕らの行く末
・あんなにスカートにこだわっていたじゃないでも僕の流行りは終わったから
・器用な鍵盤弾き30名殺害されてイトーヨーカドーで発見されて
・あざむく速度が似ている彼と同居七年目
表現規制に関してオタクは山田太郎以前の自分たちと山田が出てきた意義を忘れている。
また、オタクがわざわざ表現規制派の議員に惹かれ、彼/女らを支持するという問題がある。この構造を説明する。
山田太郎以前、二次元表現規制問題でオタクは強い党派性に駆動された言動をして人を遠ざけてばかりいた。
具体的には自民党の中でも二次元表現規制に前のめりな議員を支持して反表現規制で実績のある野党議員を攻撃する、内紛、と云うより粛清を繰り広げてしまっていた。
オタクの中にもこれらに異を唱えて社会性と利益の客観視を訴える人は居たが忽ちにパージされ、またその粛清の動機や行動が幼稚なので周りの人らは呆れて散逸してしまう。これをずっと繰り返して反二次元表現規制活動は何も成果を残さなかった。
元々社会性が比較的低い界隈で、「反オタクは反日」のようにアイデンティティと社会観が至近距離で両者間に経験が無い、特に社会性が無くて幼稚な人が支持を集めやすく攻撃性が高い。自我が傷つけられそうになると防御モードに入ってアイデンティティ発世界観の固持に入ってしまう。
製作で喰っている人間も「そんな政治家支持すると食っていけなくなりますよ」と説得されても「自分より日本の方が大事だ」とかの話になってしまう。それは自分と国家を直結視させる、社会性の低い人を釣る活動をしているからで、カルトの合宿セミナーに参加したみたいな状態だ。
こんな状態の所に現れたのが山田太郎で、「表現規制の世俗化」を行った。内側から理路整然と表現規制の各種問題を説いたのだ。特に優れていたのが熱心なフォロワー達で憲法上の権利と法益、などの自己と社会との回路を示して回っていた。実は法学の教養的な意味は法文の暗記ではなくこういうリーガルマインドにある。世俗化とは神を殺す事であり自分と世界は違う事、その疎外を意識する事だ。
山田の登場で何も生まなかった反二次元表現規制界隈は目を見張るほどの変化を遂げ、リーガルマインドに基づく表現規制問題が論議される土壌が出来つつあった。少なくともアイデンティティドリブンな人によるパージが横行するのは抑えられていた。
オタクが自民党の中でも表現規制派の議員を支持してしまうのは「憲法、教育、表現規制三点セット問題」による。
90年代までの自民党は世襲と族議員の世界でそれ以外の外様が入り込んで活躍する余地はない。一方自民党は神道関係でニッチな右派老人固定票を持っており、そこにアピールするのに使われたのが憲法教育表現規制三点セットだった。これらの特徴は前提知識が不必要である事で、経済問題や業法、国際問題となると知識と経験が必要で、そのアピール先の有権者もそれらを持っている。
憲法問題は今では左派は憲法論の前提知識で自民案に反対しているが90年代はそうではなく「憲法はリベラルで良いことが書いてある本」という扱いで、憲法の名宛人が国家という事すらあまり認識されていなかった。故に憲法は法学の中でも微妙な扱いがされていたのである。
三点セット議員の言う事はこの「良い事」の羅列を保守的な羅列に変えただけで、それでニッチな票田にアピールしていた。これは最初は「敢えて」だった。
三点セットの結果を見てみると:
・憲法:改憲派の先鋒だった小林節をパージ。2012年に「良い事」だと思うことを羅列した三点セット憲法案。論点を「憲法に国民の義務が無い」事に設定。
PKO派兵等で9条の限界に至った時に改正をする運びで20年以上活動してきたのに東スーダン問題で国民に改正や議論を訴えずに政局の為に隠蔽を指示。しかも自衛隊に後ろから刺される。
・教育:道徳を教科化して学習時間を削る。日本の大学の地位が地滑り。
・表現規制:法益ではなくアイデンティティに基づいたニッチな有権者の扇動と議員立法
と碌な結果は無い。
議員立法の評価を下げているのも三点セット議員の特徴で、閣法に比べて議員立法が廃案に成り易い原因を作っている。
皮肉だが、それによって二次元表現規制法案が取らないという効果も発している。彼らの無能な働き者っぷりが表現規制法案をブロックしているのだ。
オタクはその社会性の弱さから三点セット議員の票田となっているのである。その循環を止めるには社会性を上げるしかない。
リーガルマインドの啓蒙によって表現規制問題に限り疑似社会性、自分と社会の疎外とそこから発生する知恵を撒いたのが山田とフォロワー達だった。
山田が自民党から立候補した時に支持者の間で蝶ネクタイマーク(機種依存で入力不可)を入れるのが流行っていたが、これは結構危ういというのが判るだろう。支持表明からアイデンティティへの傾斜が大きくなると山田以前に逆戻りだ。
現在、自民党総裁選で二次元表現規制派の高市早苗が立候補していて「オタクはどうするの」という問題提起がされている。高市は三点セット議員のオリジンだ。
オタクが昔と同じアイデンティティドリブンの行動やパージを繰り広げたら、山田とフォロワー達が耕した黒い土壌は実を結ばなかったという事になる。
ネタバレあり。
つまり、散逸してバラバラになった過去の記憶の断片という意味合いで、それは死海文書なのである。
はっきり言えば今作で庵野のやりたかったことが十全に表現できているとは思えない。本来別の青写真があったにも関わらず、着地点が微妙にズレている気がする。
例えば、アスカとシンジの行方だとか、マリの作中での扱いとか、あるいは、ループする世界とか、月面の世界とか。
そういうものが完全に描き切られていたとは思えない。
庵野は忸怩たる思いなのではなかろうかと、外野ながらに推測する。
アスカはヒロインである。しかしシンジとは最終的に結ばれることは無かった。最終的に彼女の心を射止めたのは相田ケンスケである。
正直なところ、アスカの扱いがやや雑なのは否めない。当方アスカ派なので、「お、おう」といった気分である。
庵野秀明がアスカ役の宮村優子にフラれたのが原因であるとか、そういう説もある。
実際のところよく分からないけれど、要するに庵野自身にアスカを受け入れられない理由があったのは間違いあるまい。旧劇のラストシーンに見られる通りである。
旧劇のラストの解釈は様々に別れるのだけれど、アレは結局、他者を自己のエゴの延長としてしか捉えられないことへの絶望だったのではなかろうか。
他者を愛しているはずが、結局他者を介して自己を投影し、その自己を愛着しているに過ぎないことへの絶望があのシーンには表れていたように思う。
他者に決して行き着くことのない煩悶こそが、旧劇のラストシーンの意味ではないかと個人的には思っている。
とは言え、旧劇における破滅的なラストを、今作で繰り返すことは無かった。
否定的な評価を随分と集めている今作ではあれど、あのラストシーンの繰り返しにならなかったことは庵野における重要な進歩であることは間違いない。あれをもう一度繰り返さなかっただけでも、今作は評価に値する。
それは良いことなんだけれど、やはり視聴者としては少しばかり置いてけぼりなのだ。
そして、マリ=モヨコ女史説が頻りに訴えられている通り、マリは庵野にとってどこまでもエゴとはかけ離れた場所からやって来た存在であり、だからこそ、エゴの呪縛に苦しめられることなく、庵野はマリをヒロインとして愛することができたのではないかと、そう思う。
それにしてもシンジの心理描写も雑である。そっくりさんとの悲劇的な離別を経て、彼が何かを学んだことは間違いない。
つまり、そっくりさんはクローンであり、偽物であったとしても、その一回の生を全力で生きており、そこに生命の尊厳があったのだ……ということをシンジは学んだのであろう。
これは、後述のループ的世界観とも合致する成長プロセスである。
とは言え、やはりその描写は簡素というか説明不足な感が否めない。というかまだまだシンジは「神話になれ」と唄う例のテーマソングの示唆する精神状態には、行き着いていないのではなかろうか。まだ成長の途上段階なのではあるまいか。まだ、父親を救済できるほどの人格を備えてはいなかったのではあるまいか。
彼は本当に神話になれたのであろうか。
ラスト近くにてゲンドウを救済するシンジくんの姿に、些か置いてけぼりの感があった。
散々言われている通りである。
庵野氏が相互的な愛情をほぼ初めて維持できたのが、伴侶であるモヨコ女史との関係性だったのだと思う。
庵野のエゴの外側からやって来た彼女によって、彼はエゴの呪縛から解かれたのであろう。
でもそのエゴの呪縛が解かれるシーンを作中でちゃんと描いてないから、やっぱり展開が唐突に見えてしまうのだ。
あの世界はループしているというのはもはや自明だったと思う。真っ赤になった海は、旧劇のラストシーンの流れを受け継いでいる。
また、貞本義行によるコミック版のラストシーンもまた、ループを思わせる展開に収束する。
エヴァ世界はループしている。それが庵野秀明の世界観であることに間違いはあるまい。
我々の暮らす宇宙は遥か昔にこの座標に生まれ、未だにそのエントロピーは激しく運動し続けている。
しかし、いつかはそのエントロピーが相似形を描き、同じような結末と始まりを繰り返すのではないか、などと想像したことのある諸氏は多いことと思う。
エヴァ世界は、そのような意味合いでループしている。その周期は何年周期なのだろうか?
相対性理論的に、物体の運動に基づいてのみ時間を測定しうるのであれば、そこに時間的経過を求めることは難しそうだけれど。
And let me play among the stars.
何度闇を潜り抜けても息づいている記憶の姿を全力で描いてもらいたかった。
庵野が描いてくれたものには、ある程度は満足することができたのだけれど、完全な青写真ではなかった感がある。
それはあくまで、後世に受け継がれた、散逸した記憶の断片の内の一枚に過ぎなかったのではなかろうか。
おっさんが飲み会で真実の愛について延々語るだけなので、哲学書の入門編にいいんじゃないかな。楽しそうにしてるおっさんはいいぞ。
どうしてフィクションで人は感動するかについて述べた本の走りで、後半は散逸しているんだけど、カタルシスについてはなるほどなあ、とは思った。作家になりたいんだったら普通にハリウッドの三幕構成の本を買ったほうがいいかもしれないが、この読書リストを読んでいる人は実用的な知識よりも読んでいて楽しいかどうかを求めている気もする。
読もうと思ったまま長い時間が過ぎてしまった本で、まだ読めてない。アウグスティヌスが若いころややりたい放題やっていた時期のことも書いてあるらしいので、宗教書として以外にも楽しめるんじゃないだろうか。
塩野七海がエッセイですごく推していたから読んでみたけれども、普通に面白い。例えば、中途半端に生かしておくと復讐されるから、いっそとどめを刺しておけ、みたいなことが書いてあって、優しいと人から言われてしまう自分には大いに刺激になった。ところで「孫子」もそうだが、戦争や政治学について書かれた本はたいてい「そもそも戦争は大悪手で、戦争になる時点で何かやらかしてる」という趣旨の言葉があり、全くその通りだと思う。
未読なんだけど、結婚とはある種の契約なんだから、まず処女と童貞がお互いに裸を見せ合ってからだ、みたいなディストピア的な描写もあるらしく、ディストピア文学好きの人は楽しめるんじゃないかな。あとは非モテ界隈の人とか。実際、完全な平等な社会を目指そうとするとどっかしら歪みが出るもので、それについて考えるのにも使えそう。
自然科学的な考え方、ロジカルシンキングのマニュアル。長くないのですぐ読める。得るものがあるかどうかはわからないけど、逆に普段している論理的思考がそもそも存在しない時代があったことは、実感しておくと歴史を学ぶ上で面白いかも。
平凡社の上巻を読んで挫折。純粋な理性っていうけれども、ヒトの心にはデフォルトで時間とか空間とかの枠組み、基本的な概念が組み込まれているよね? 的な話をやたら細かく述べていく内容だったように記憶している。長いので三行でまとめたくなる。
この本に限らず、いくつかの哲学書は「この本さえあればあらゆる哲学的論争をおしまいにできる」「この本からあらゆる結論が導き出せる」的なスタンスで書かれたものが多い印象。
エヴァヲタなら読まなきゃという謎の義務感から読んだ本。要は、どうすれば自分を信じることができるか、について語った本であったような気がする。自分は救われないだろうという絶望から、それでも神を信じるという境地に至るまでの道筋を延々と語ったようなものだった、はず。
自分は特定の信仰を持たないが、どうせ自分なんてと己を見捨てた境地から、まあ自分は自分だよね、的な気分に至った経験がある人が読むと楽しめるだろう。
「善悪の彼岸」と「ツァラトゥストラはかく語りき」なら読んだ覚えが。自分はカトリックの中高一貫校出身であったせいか、キリスト教思想にある欠点を指摘したこの本を面白く読んだ。キリスト教になじみがなくても、たとえば来世があると考えることで現在を生きることがおろそかになるといった指摘は、興味深く読めるんじゃないだろうか。あとは、増田で定期的に出てくるルサンチマンがどうこうとかいう話が好きな人にもおすすめ。マッチョぶってるところはあるが。
新潮文庫の「夢判断」「精神分析入門」「トーテムとタブー」「一神教の起源」なら読んだ。フロイト自身はヒトの心を脳から探りたかったらしいのだけれど、当時はMRIやら何やらはまだないので対話式の治療法を導入したらしい。
彼の理論は今となってはツッコミどころがたくさんあるのだろうけれど、クラインだとかビオンとかについて触れるなら頭に入れておきたいし、心理学特にパーソナリティ障害について読むなら知っておきたい。自分はフロイトやアドラーよりもユング派だが。
ラブストーリーの「ナジャ」だけ読んだ。謎めいた女のあるある的な話だ。
「論理哲学論考」だけなら読んだ。これもカントみたいに「俺が哲学のくだらない争い全部終わらせてやる」的な立場で書かれている。定理がずらずら並んでいるだけで、余計な表現がなく、簡素。
ただ、言語の限界について今の人が持っている感覚ってのは大体この時代の人が言っていたことだった気がするし、そういう意味では面白いんじゃないかな。この辺は数学ともかかわっていて、ペアノとかゲーデルとかヒルベルトとかその辺興味があったらいかがでしょう。
ちなみにウィトゲンシュタインがポパーとの議論でキレて火かき棒を振り回したヤバいやつだというのは哲学界隈では有名らしい。
シン・ウルトラマンの予告編でちらっと映っていたので読んだらいいかもしれない。
この本そのものは未読で「悲しき熱帯」ともう一冊なんか専門書を読んだことは覚えている。面白かったエピソードの一つは、ある民族は身分を入れ墨にするんだけど、入れ墨のない人間(白人たち)を見て面食らう。要するに身分証明書を持ってないようなものだから。
定期的に異民族と共に暮らすドキュメンタリーが読みたくなる性分なのだが、それはたぶん、自分のやり方や考え方が絶対じゃないってことをよく教えてくれるからで、これも本を読む効用の一つだろう。趣味なので効用なんて本当はどうでもいいが。
面白い。僕自身のスタンスとしては、日本人が海外で誤解されていることを批判するんだったら、自分も外国に対する偏見や無知を減らそうと努力するのが筋だと思っていて、それの理論的な補強をしてくれた本。身近に外国人の多い環境ではないが、すぐに役に立たないからと言って読まないというのはなんか違うんじゃなかろうか。自分はイスラーム世界やインドについて、どれほどわかっているのだろう?
どっからがいきでどっからが野暮なのか、直方体を使った図があった気がするが忘れた。
「遠野物語」しか読んだことがないし、それも「マヨヒガ」のことしか覚えていない。
自分が現代思想に出てくる名前がわからなすぎて最初に読んだ本の一つ。四コマ漫画だがかなり本質をとらえており、いしいひさいちの本業は何だったのかよくわからなくなる。素直に笑っておきましょう。勉強ってのは楽しみながらするもんだ。
上のリストでは省略した20世紀哲学者が実名で登場するミステリなんだけど、フーコーがサウナで美青年とイチャイチャしたり、七十年代の音楽を聞きながら薬をキメたりしているので、現代思想だのポストモダンだのをかじったことがあるならおすすめ。著者がやりたかったのは、たぶん上の世代の脱神話化というか、強すぎる影響の破壊なんだろうけれども、ここも素直に笑っておくのがいい。
以上。
大気が流出するプロセスは3つ。気体が惑星にとどまれないほど高温に加熱されて起こる「熱的散逸」,化学反応や荷電粒子との反応でエネルギーを得た原子や分子が惑星から放り出される「非熱的散逸」,そして「隕石や彗星の衝突」で大気が吹き飛ばされるプロセスだ。
現在の地球では,主に非熱的散逸で大気が流出している。流出量は,最も軽くて流出しやすい水素でも1秒間に3kgだ。だが,地質学的なタイムスケールでは大きな影響を及ぼしうる。また,天体が衝突すると大量の大気が一気に失われる。恐竜を絶滅させたとされる6500万年前の隕石の衝突では,全大気量の10万分の1が失われた。
こうした大気流出で惑星大気の謎の多くが説明できる。例えば,火星大気が薄いのは,火星が小惑星帯の近くにあり,隕石衝突が頻繁に起こったためだ。火星は誕生から1億年以内に大気の大半を失ったとするシミュレーション結果が出ている。