はてなキーワード: 教育者とは
責任って、責任取れる奴が使う言葉であって、他人に責任押しつけるためじゃないよね。
特に、教育者が使って言い言葉じゃない。指導力不足の可能性は考えないのか。
②人間性が無い
自分の思い込みで言ってるのではないと言うのならば、哲学なり文学なりは当たり前に分かる程度には勉強したんかな?
そこにハッキリと確信を持てる人間はいないだろうし、どこまで勉強しても結局は思い込みかもしれないってことからは逃れられない。
だから、人間性を判断するってのは難しいし、ましてや他人の人間性なんてはかれるはずが無い。
経営者目線を急に持ち込む意味はなんだろう、虎の威を狩る狐に見えてしまう。
かりにそれを言いたいのなら、なぜその人自身が経営をしていないんだろう。
④おまえの努力が足りないんだろう
…という気持ちはすごく分かる。
そして、そういう人は、教育者に向いている、と思う。
向いてねーよ。
まず、お前らみたいな雑魚は
とか言う前に、その分野に明るい人達をきっちり納得させる事からやれよ。
それすら出来ないで、「明るくない人でもなんとなくわかった気に」させたら、それは嘘教えてるだけだろうが、アホか。
てか、発表するの学会とかだろ?「明るくない」って人は、つまり、全く同じことをやってない、というだけで、少なくとも同じ分野の人間だろう?
それならば、お前らよりも何千倍も知識がある中で聞くわけで、そういう人に対して、その内容じゃ学問的な意味が全く無くて馬鹿で雑魚いスライドで
使い物にならないわ、ってだけの話だろ?
そういう馬鹿が、わかったようなフリして、分かりやすいだろう、とか勝手に考えて、
それこそ意味が無いよw
じゃあ、逆に既にそうなってるものを持ち出してくることに何の意味があるの?
「それこそ意味が無い」とかふざけた主張するくらいならそこちゃんと答えろよ?
俺は、お前みたいな何も自分で考えられない糞が発言することが意味が無い、と言っただけだ、どこでもな。
不可能だよ。
だからそれは、
という文章は日本語が正しい、
という文章は日本語が間違っている、
ということを決定するのと同じだ、と言っただろ。
これに反論してみろよ。
どっちがどっちか、なんてこたーない。
最初に提唱したバカが、自分の最初の思い込みの順番が分かりやすいんだ、って勝手に始めただけ。
さらに、今のバカ教師どもはそれに数学的意味さえある、と勘違いしてるのも居る。
お前みたいにな。算数だろうと数学だろうと、そこに意味はない。
んで、これが分かりやすい、という確実な実証は一切ない。
逆に、この様に、順序が大事だとおかしなインプットを与えられればその後の「数学」で弊害にしかならない。
算数でもいいが、掛ける、という本質その物を全く理解してない。
お前みたいに、公式でもなんてもそのまま覚えて意味も意義も何も分からず育つバカになるだけ。
だから、
意味は無い。弊害しか無い。事実、こんなバカなことをやってるのはバカな日本の一部の教育者だけで、まともに算数、数学が出来る人間はこんなことしないし、
外国でこんなバカな話をする人なんて一切居ない。
その意見には賛成だが、論点が違う。正直、目的手段はどっちであってもいい。私が問題にしているのは、バイアスの問題。若者が思想を形成していく上で、世論なり親なり教育者なりが、英語は手段でしかないという方向に傾きそれが主流になるのは、おかしいのじゃないかと言っている。
I totally agree with your opinion but that's not the point. It's not essential whether purposes are more important than measures. What i'd like to discuss is about the problem of bias people have nowadays. It seems to me that there has been serious mistakes such as the view that learning English can't be any purposes, which are made by most of parents,teachers and opinion-poll in Japan.This sort of bias should be avoided especially in the process of teenager's growth.
どうも、お久しぶりです。
今月はじめに、「日経新聞で紹介された小学校のネット教育」について、「このネット授業に賛成する人の意見が聞きたい。」という増田記事でみなさんにコメントを求め、基本全レスしてた元増田です。
あの記事中にも書いたけど、このネット教育について件の小学校に問合せた。するとなんと、この授業を行い、なおかつ教材の開発者でもある、岐阜聖徳学園大学の石原教授ご本人より、返信のメールをいただいた。
はてな匿名ダイアリーへお名前を出して掲載する旨も了承を得ているので、ここでそのメールを紹介する。
このメールは9/5にいただいたが、ひとえに私の怠慢により3週間後のこのタイミングとなったことを石原教授にお詫びします。きっと少なからず気をもんでおられたと思います。申し訳ありませんでした。
《問題となった日経記事》
岐阜聖徳学園大学付属小学校(岐阜市)の6年生の授業をのぞくと、児童たちがタブレット(多機能携帯端末)のチャット機能でコメントをやりとりしていた。匿名なので書き込みは徐々にエスカレート。5分ほどで相手を誹謗(ひぼう)中傷する言葉が増え始めた。そこで教師が手元のボタンを1つ押す。するとチャット画面上に実名が表示され、楽しそうに騒いでいた声がやんで気まずい空気が流れた――。
なお、URLとタイトルは9月上旬に私が初めて見た時から変更されているので参考までに載せておく。引用部分については変更されていない。
《ネット上の反応》
この授業のやり方に対して、2ちゃん、2ちゃんまとめサイト、はてブ、ツイッターなどで散々な批判が浴びせられた。まとめサイトは400以上のブックマーク、2000のツイート、800のFacebook「いいね」を集め、私の増田投稿も100以上のブクマがついた。Googleの検索結果を見ても日経記事を発端に、この授業が批判混じりに面白おかしく取り上げられている様子がわかる。
主な論調は「匿名と言ってチャットさせて後から実名さらすのは酷い」といったものだ。私も記事を読み、そう思った。
思っただけでなく、「どうなのこの授業?」という主旨で増田に投稿し、授業に賛成する人(・・・も約半数みられた)の意見を聞かせてもらった。冒頭で「全レス」したと書いたのはこのときの話だ。
その中で、やはりどうしてもこの授業について当事者の話を聞いてみたいという思いにかられ、問合せをしたところ返ってきたのが、これから紹介する返信ということになる。
とにもかくにもメールをご紹介します。メールの改行されてしまったところの調整等をのぞき、そのまま貼り付けています。
岐阜聖徳学園大学附属小学校の情報モラルの授業に関して、多くの関心が寄せられておりますが、スレッドを拝見しますとその中にはいくつか誤解も含まれているようですので、教材の開発者として、また今回話題になっている授業を行った授業者として実際の話をさせていただきます。
実はこのスレッドの元になった日経新聞の記事は実際の授業の様子を正確には伝えておりません。
記事を書かれた記者の方は、実際に授業をご覧になったわけではないからです。
記事では実際にご覧になったような臨場感を感じられますが、教材の開発に関わった企業の広報や授業の一部のビデオ映像などを取材されて書かれたものです。
そして記事の内容は、私が授業で意図したものと全く異なります。この点について説明させてください。
記事では「5分ほどで相手を誹謗中傷する言葉が増え始めた。」とありますがこれは事実に反しています。
実際の授業でも実名と匿名でそれぞれ5分間書き込みをさせたのですが、匿名のチャットでは一部の児童が意味不明の文字を連打したり、少し乱暴な言葉を使ったりしただけで、相手を名指しして中傷したり、誹謗するような書き込みをした児童は一人もおりませんでした。「・・楽しそうに騒いでいた声がやんで気まずい空気が流れたーー。」も実際の授業を見られたわけではないので記者が想像して書かれたものです。気まずい空気が流れたわけではありません。
実際の授業を想像してください。担任が見守る中でクラス全員でチャットを行って、わずか5分で相手を誹謗中傷する書き込みをする児童が現れることは常識的にあり得ないことです。
もしそのような状態であれば、情報モラル以前のクラスだといえるでしょう。
端的に言えば、私の行った授業は、「児童にわざと誹謗中傷の書き込みをさせたうえで、見せしめのために実名をさらす」というものではなく、実名と匿名の違いを理解させ、匿名でも実際には本人を特定できることを体験的に知らせることがねらいです。
児童の人権に関わることなので、チャットを始める前に「相手を傷つけること」、「意味の分からないこと」、「乱暴な言葉遣い」、「汚い言葉を使うこと」はやめようと、それぞれ実例を示して指導しました。また、匿名の書き込みを実名に変換する前に、児童に「実名に書き換えてもかまわないか」と確認を取り、もしひとりでも「いやだ」と言う児童がいれば実名には書き換えないつもりで授業に臨んでいます。
日経新聞の記事が一人歩きして、教師による児童へのだまし討ちの授業のような印象を与えてしまって多くの方に心配をおかけしましたが、実際にはそのようなことはありません。この授業のせいで学級内でいじめが起きたり、人間不信が生まれたりするようなこともありません。附属小学校のスタッフの皆様や何より子どもたちや保護者の皆様の名誉のために、あえてこのような場で実名で発言させていただきました。
読んでいただくとわかるように、2ちゃん、まとめサイト、私の増田などを大いに騒がせたような「事実」はほぼ無かったと、日経記事での報道内容をほぼ全面的に否定している。具体的に、記事と異なる点をあげると下記のとおりだ。
記事の引用箇所たった185文字の中に、当事者の話と異なる点がこれだけあることが驚きだ。
このお返事をいただいてすぐ記事の内容について日経に問合せたが「新聞社の原則として、特定の記事に関して個別に見解を表明するというようなことは致しかねます」ということで、返事は得られなかった。
ここまでが一連の流れである。よければもう少しお付き合いください。
そしてもし気が向けば、この増田をブクマしていただけると嬉しいです。
《本授業について現状での自分の考え》
ここで「日経記事は間違いだった!」と短絡するつもりはない。
しかしながら、石原教授の主張には、名前を出して掲載することを許可いただいた時点で一定の信頼性が担保されていると考えてよいだろう。
もし主張に間違いがあれば、もっともダメージを受けるのは石原教授だからだ。
元増田で「日経記事をうけてJ-CASTが小学校の教頭にインタビューした記事がある」ことをブコメで示唆してくれた人がいた。
そのとき私はJ-CASTの記事は、授業の具体的内容や日経記事の誤りについて指摘していなかったし、学校を代表して教頭が当たり障りのないコメントをしているのかな?程度の印象しかもたず、判断保留としながらも、日経記事に重きをおきたい旨を書いた。
しかし上のような状況で、明確に日経記事を否定された今となっては、まったく逆の心証を抱いている。
仮に記事中に事実と異なる記述がなかったとしても、それでもまだ問題がある。つまり、チャットで児童の実名を出す前に確認をとったことを書かず、事前に説明や指導がなされたことも書かず、私も含め多くの人に授業方法に問題があるかのように錯覚させる記事となった。
まとめるとこうだ。日経はこの授業を実際に記者が見て取材することをせず、事実ではないことを書いた可能性がある。また、授業の説明として必要と思われることを書いていない。その結果、岐阜聖徳学園大学附属小学校の指導者、児童はじめ、関係者の名誉を損ねたおそれがある。
石原教授には、上に紹介したメールはもちろんのこと、その前後のやりとりにおいても真摯に対応していただき、大変感謝しています。にも関わらず、この投稿が遅くなってしまったことをあらためて、お詫びします。
なお、この増田記事自体が「石原教授」自身が自演で書いているのではないかという勘ぐりもあろうが、冒頭の元増田にこの記事へのリンクを貼ることでその可能性は排除できると考えている。
《あの記事が出た時点でなにができたのか?どうすべきだったのか?》
例によって長くなったがここまでで書くべきことは書いた。
ここからはおまけみたいなものだが、自分にとって必要なことなので書いてみる。
まずは結果として事実でないかもしれない記事を元に増田に投稿したことについて。
一般的に、新聞記事を元にネットであれこれ議論するのは、それが匿名の増田のような場所であっても、それほど不当なことではないだろう。
もちろん誹謗中傷が含まれるのは論外だが、そうでなければ一次情報に当たらなかったからといって非難されることはないように思う。
その上で書くが、もうすこし慎重になることはできた。
実は投稿する前に、記事の真偽について吟味する手間を省いたことを認めないといけない。
俺はあの日経記事には、そのまま鵜呑みにしてはいけないサインがあったと思ってて、俺はそのサインに気づかないふりをして増田を書いた。そこを今反省している。
サインというのは石原教授も触れている「5分で誹謗中傷が増え始めた」というくだり。ここはブコメで指摘している人もいたが不自然だ。普通に考えると5分で誹謗中傷が「増え始めた」と表現できるような状態になるとは想像しづらくて、記事の表現に無理があるように思える。
だからといって他の部分まで「嘘」とはいえないが、記事の信憑性に疑問を持つことはできたかもしれない。そして増田への投稿をやめようかとブレーキをかけるくらいのことはできたかもしれない(ただそうすると小学校に問い合わせることもしなかっただろうし、結果としてこの記事の信憑性についてより深く疑問をいだくこともできなかった)。
次に、やはり避けて通れない日経の取材について。これはちょっと分からないところがあるので、もし知っていたら教えて下さい。
石原教授の言葉が事実だとした場合、今回の記事がこの記者の個人的な失策で、かつ、普通ならまず起こりえない失策あることを願います。
さらに余談を重ねる。
事実ではないかもしれない記事をベースに騒いでしまったという反省はありつつも、今回の件を通して自分なりに子どものネット教育について考えを深めることができた。俺自身は教育者ではないが、親としての意見だ。書いてあることはたぶん色々なところで言われていることの焼き直しみたいな内容になっていると思うのであしからず・・・。自分の考えを整理するために書いています。
このような状況下で「失敗を通して学ばせる」というのは少々乱暴な話で、失敗の程度は大人が積極的にコントロールすべきだろう。いくら野球が大好きでも、小学生をメジャーリーグの試合に出場させたら命の危険にさらされる。成長度合いに応じてステップアップさせるのが最善なのは言うまでもないことだが、なぜかネットの話になると「とりあえず放り込んどけ」みたいな論がまかり通る。それは大人が責任放棄していることだと気が付かないといけない。
などなど、個々の家庭レベルでもやれることはたくさんある。
ちなみに中学生(高校生、大学生)になるまではスマホもケータイもPCも触れさせないという選択もありそうだし、実際やっている家庭もあるだろうが、それだと子どもにネットとのつきあい方を教える機会を持てないし、やっぱりネットを正しく使って欲しいという気持ちがあるので、小学生のうちでもどんどん使えばいいと思っている。
《日本経済新聞社へ》
返事ください。
121 ソーゾー君 [] 2013/09/14(土) 21:39:59 ID:3s/KFxso Be:
http://erect.blog5.fc2.com/?no=2310
↑わざと回りくどい書き方してるのかこいつは・・
今のガキ共を教育して人格形成したのは親や学校やマスコミつまり社会=共同体だろ?
今の十代のガキ共の親(三十代~四十代)は今の支配層=団塊世代に人格形成された奇行種だろ?
師匠=教育者=親が自分の弟子=教え子=子供を批判してるんだぜ?
無責任にも程があるだろ?
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1353851390/l50
あんたは何を知ったかしてるの?
本気で言ってるの?教育者じゃない、は正しいんだけども、
フリーランスって何?本気で言ってるの?
でも考えなしに院いくやつは結構多いんだよ。というか実際多いじゃん?
「きょうび院に行かないとまともな就職ないからー」とか嘘か本当か疑うようなこと言ってさ、シューカツの噂話真に受けちゃう子なんてざらにいるじゃん。
これはそうなんだよね。
で、「院に行かないと」ってのは、単に自分の大学の院に、ではなくて、そこそこの大学からなら東大ですら簡単に入れてロンダできちゃうのも大きいんだけど。
そこそこ、ってホント、Fランとか言われる以外のとこからならどこからでも来れるじゃないの?ってくらい。
で、それで基礎学力低いまま来て、最初の半年は授業で単位取るのに精一杯で、後半から就活に入って、んで、2年の夏くらいに就活終わって修了するために研究させろ、って。
そうじゃなくても最初まじめに研究しようってんで入ってきても周りとのギャップにすぐ打ちのめされる人は多いけど。
だからまあ、修士の試験というか、人数とかちゃんと絞って選択する様にすべきなんだよね。
東大も京大見たく、学部より人数絞って内部の人間すら当たり前に浪人するようなくらいにすればよいのに(それは厳しすぎるかもしれないけど、少なくともトントンくらいになるように、そうすれば外部で優秀な奴がいれば
内部で怠けてたヤツは落とされるし、調度良い)
だからさ、対立して病んでいく子ってさ、自分の求めていたもの以外を与えられて求められてる子なんだよ。
つまり、そこで対象にされている "レベルの低い学生" をいかに導けるかが、教育者であり、ラボマネージメントの一部じゃないのかなと思う。
まだ学生だった時に、教授陣と話してたら、「就職コース」と「博士進学コース」ってのを分けて運営したい、って話してた。
もう、「取り敢えず修士」って人は就職コースで、授業だけ受けて研究室には属さない。その代わり授業料を上げる。
勿論、就職活動とかいくらでも自由で、時間が自由に使える。修論も授業の単位さえしっかり取れてれば適当でOK。
博士進学コースはまじめに研究室に属してある程度拘束する。修士論文の審査も厳しくしてちゃんと結果を出さない限り修了もさせない。その代わり授業料下げる。
ま、授業料云々は別としても、もういっそそうやってコース分けして、どうでも良い奴が研究室に来るのを避けたい、と。
でも、そんな冗談(?)も叶うわけでもないので、何だかんだ言いながら、そういう学生になんとか対処しようとしてるね。
一番の大きな変化は、前は大声で怒鳴る事も当たり前だったのが、今は一切しなくなったこと。
今は、そもそも「お客さん」感覚で怒られることを不条理にしか感じない人が多いし、それで訴えられようもんなら教育者として終わっちゃうから。
なんか、ホント真面目に、教授会とかで、絶対に怒ったり強く言ったりしてはいけない、って指示される様になったみたいで(増田さんとこもそうかもしれませんが)。
後、自分の時がそうだったけど、修士論文審査の時に、審査の先生たちに、君は博士行くのか?ってのを聞かれて、行くならちゃんと厳しくやるね、って結構まじめに言われた。
俺も院生のころはそんな考えで、同期の甘い学生にイライラしてたけどさ。
でも考えなしに院いくやつは結構多いんだよ。というか実際多いじゃん?
「きょうび院に行かないとまともな就職ないからー」とか嘘か本当か疑うようなこと言ってさ、シューカツの噂話真に受けちゃう子なんてざらにいるじゃん。
でさ、教える立場になるとわかるんだが、そんな考えなしに進学して、就職したいだけの子に、「正しい研究者の姿」を説くことになんの意味があるんだろうと。
研究のようなものを通して、少しでもこの子の人生にプラスになることはなんだろう、それが学べるテーマはなんだろう、って考えてやらなきゃいかんのよ。
どうせそんな子の出したデータ信頼していいのかわからんし、研究だけで押し付けたって結局意味がないんだよな。
だからさ、対立して病んでいく子ってさ、自分の求めていたもの以外を与えられて求められてる子なんだよ。
つまり、そこで対象にされている "レベルの低い学生" をいかに導けるかが、教育者であり、ラボマネージメントの一部じゃないのかなと思う。
そうやってやる気になってもらって信頼関係を築ければ、彼らの出すデータも生きてくるかもしれない。
ま、馬鹿にするだけは簡単なんだけど、ことはそう簡単じゃないと思うよ。
実際多いんだもの、そんな子。
いやー・・・なんか、すみません・・・ほんと。下にもちょろっと書いたけどのりかけた船なんで収束するまでやってみようかなという気持ちです(でもこれで最後かもしれません)。どうせそろそろホッテントリから落ちるだろうし。いただいたコメントにもよるかな。基本的に反論いただいた方に返信という形なんで、それ以外のコメントがスルー状態になってるのはすみません。心のなかですごく頷いたりしています。
id:bit8 「セルフブクマ 元増田さん、よければ意見の参考にどうぞ http://bit8.hatenablog.com/entry/2013/09/02/233544」
→ブログでも取り上げてくれてありがとう。全部読んだよ。何事も経験して当事者の立場にならないとわからないもの、だよね。刃物の取り扱いの話、障害者の立場を体験する話、これらはブログに書いてたその通りだと思う。俺もネットリテラシーの授業で「匿名炎上体験」や「匿名誹謗中傷体験」を擬似的に経験できるなら、良いやり方だと思う。でもさ、今回のって擬似じゃないんだよね。ガチでチャットやらされて誹謗中傷増えてきたところで実名さらされちゃうの。大人は疑似体験させたつもりかもしれないけど、子どもにとってはまったく擬似じゃないよね、これ。
id:Junpecon 「昔から影口言ってたら誰かがチクって修羅場になったことなんかあったし、それで学校生活が台無しになったかっていうとならなかったよ。ローカルのネットだと台無しになっちゃうの?」
→学校生活が台無しにならなかったのはあなたの個人的な経験だと思うけど、それを一般化して「大丈夫」とするのは無理があるよ。悪口が人間関係を壊すきっかけになるのは十分想定できる話で、しかもこれは何度でもいうけど、大人がわざと「匿名だよー」って嘘ついてまでさせる経験なの?って話。子ども同士が日常で喧嘩したり、ときに陰口言い合ったりは勝手にやればいいと思うよ。でもネットかリアルか関係なくそれって大人が仕組んでわざわざ体験させることじゃないよね。
id:arakik10 「授業の実施されたコンテクストや状況がほとんどわからないまま、あの記事を基にしてほぼ匿名の各自(増田も)が脳内補間してコメントが百出すること自体に、あの記事の授業で起きたことと相似的な何かがあるのでは?」
→あの記事だけではわからないことがあるのは事実だよね。俺が今してるのは、今ある情報だけでなんか有意義な議論がしたいということ。情報が全部出揃わないと議論スタートできないんじゃあものごと進まないし、実生活でも限られた情報で自分にできることをしないといけない場面はたくさんある。その中で適当な予断で無責任なこと言っちゃうって俺も含めコメントにもその種のものってあると思うけど、そういうのが一定数出てくるのは、およそ議論と名のつくシーンでは織り込み済みとすべきであって、要は受け取る側がうまく取捨選択して消化すればいいんだよね。
しかもこうやって便所の落書きみたいな匿名の増田でさえ、こんな記事があった、あんなこと紹介されてるって、コメントやトラバで情報もらって、手持ちの情報は増えてきてるんだよ。それに比例して、今後俺自身、同種のトピックに対するアンテナ感度があがると思うしこうやって色んな人の意見見て、コメントしてること自体が、今後考えを深める土台になるの。俺自身は教育者じゃないけど、子どもがいたり孫ができたりするわけだから、この話題って今後何十年、折々に考えていきたいトピックだと思ってるわけ。
それに文字通りコメント百出してるけど、罵詈雑言や誹謗中傷なんてほとんどないよ。コメントしてくれてホントにありがたいと思ってる。これだけなげーと全部読んでくれる人は少ないので、書いたことを何度も説明しなくちゃいけない労力はかかるけど、いいかげんホッテントリからも落ちて収束するだろうし、そのくらいはいいかと思ってる。こんな増田の使い方ってあんま見ないけど、誰に迷惑かけるわけでもないし、コメントもらえる今のうちに楽しんでおこうかなという感じだな。
id:kumonopanya 「この人は減点主義の人、一度失敗したら取り返しがつかない、今の日本社会そのものの考え方を持つ人。こんな考えの人だけが昇進していき社長になるんでは?銀行マンのドラマとかこんな人が昇進していったような。」
→世の中にはトライアンドエラーで失敗しながら改善していく方がよい結果が生まれることって多いし、ときには「えいやー」でやっていいこともあるよね。俺もそういうやり方大好きで、仕事では、別に人の生命や人生に直接的に関わる仕事でもないんで、むしろ失敗は成功の元の精神でやってるよ。この授業ってどうだろう?俺はこのやり方はときに子ども同士の人間関係壊したり大人への不信感を生んでしまうリスクもあると思ってて、トライアンドエラーの引き換えとするにはちょっと収支が吊り合わないなって思うわけ。減点主義って言うけどさ、俺はリスキーな問題には「減点加点主義」でありたいと思ってる。リスク次第では減点部分は甘めにして、加点は逆に盛ってみたり、あるいはリスクがほぼゼロなら完全に「加点主義」でオッケーだよね。繰り返すけど俺個人は減点主義じゃないです。問題の種類によって減点主義と加点主義とそのミックスの間を行ったり来たりしている人間です。
id:hyougoishin7 「この程度の失敗を取り返しがつかないと考える親がいるから、子どももそれを感じてYESマンでビクビクして、目に生気がない子どもに育つ。過保護すぎ。守ってるつもりが逆に脅してる事に気付こうな。」
→俺は上にも書いているように、子どもは喧嘩やトラブルを通して人付き合いを学んでいくものだと思ってる。無菌室で育てたいとは全く思っていないよ。・・・が、大人が用意したバイキン室に、子どもには「ここは安全な部屋だよ」と嘘をついて入れたいとは思わないよ。大人だってそうだよね。会社の上司に「匿名だからここに会社や上司同僚へいいたいことをなんでもいいから書いて」と紙を渡され書いて出したら実名で貼りだされたらどうなの?という話。
id:kmyken1 「(追記)小学校ならば、という条件付きだけど。RT @kmyken1: 小学校ネット教育、匿名→悪口多数→実名公開ボタンポチッとの件。いろいろな議論が出ているが、自分はこのような授業設計には賛同する立場。」
→授業設計という言葉が出たけど、俺はそこに一番恐ろしさを感じるよ。「誹謗中傷が散見されるようになってきたら実名ボタンを押す」みたいな授業プランがはじめから用意されてるわけ。「誹謗中傷が見られるようになったらチャットを中断する」だけじゃないんだよ。この違いって怖いと思わない?
id:tokoroten999 「悪口聞かれたら人間関係が破綻するってのが非常にネット的小町的な狭い価値観だと思うけどね。悪口聞かれたり聞かされたりって全部避けて通るわけにはいかんじゃろ?」
→そうかな。上にも書いたように、俺は悪口が人間関係の悪化に繋がるのは一般論として十分に想定されることだと思う。ネットかリアルか関係なく、大人か子ども関係なくね。全員がそうだという話じゃないし、あなたもきっと悪口言われてもうまくリカバーできる人なのかな。子どもたちも、日常で喧嘩したり悪口言ったりまた仲良くなったり、いろんな経験して人付き合いを学んで欲しいと思う。だからといってさ、大人がチャットで誹謗中傷させて、しかも後出しで名前をさらすというやり方しなくたってよくね???わざと子どもにそういう体験をさせるのが教育上望ましいの?という話なんだよ。これが有効なら、ネット教育云々とは関係なく、これまでも行われてきたはずだよね。
id:dal 「子供に負荷を与えてはいけない論てどういうことなんだろう。負荷なかったら何も覚えないじゃんね。」
→わざと「匿名だよー」ってだまして負荷与えるやり方どうなん。子どもって大人が邪魔しない限りは、自由に喧嘩して仲直りして、人付き合い学ぶものだと思うよ。大人が作為的に負荷あたえるのって、日常の学級生活で班行動したり、休み時間遊んだり、学級会で討論したり、係活動、委員会活動、クラブ活動、修学旅行、林間学校で集団生活を経験したり、そういう形で十分やってると思うよ。ネットリテラシー教育をするにあたっても、もっと他にやり方があるだろうという話をしている。少なくとも匿名だと言っておいてあとで裏切るやり方は学校でも会社でも認められないでしょう。
id:khtno73 「小学校の友達ってそんなに大事かね。社会との接点もよくわかってないときに痛い目を見るのは超大事だと思うけど。自分は今もつながりあるのが高校大学以降の連中なのであまり感じないのかな。」
→どうせこのあと大事じゃなくなる友達だから云々って、それ超怖い考え方だよ。大人がそう言って痛い目みせる実験台のようにして授業する社会ってぜったいイヤだし、「どうせ付き合いなくなるから喧嘩する練習やー」なんて、そんな考え方する子どもにも育ってほしくない。そもそも、そんなこと考えてる子が将来高校大学以降の友人たちとまともな友人関係築ける人間に育つんかな。小学校時代の失敗が結果としてその後の人生の糧になるという話ならともかくさ。あなたの言ってることそうじゃないよね。
id:ktasaka 「2回目ですが、教師が学級経営をハンドリングできていないという前提はどこから出てくるんですか?増田は自分でも簡単に学級経営ハンドリングできると思ってるんですか?」
→どもです。教師が学級経営をハンドリングできていないという前提をおいた覚えはないよ。そう受け取れる部分があれば指摘してください。あとは前回の質問と同じだと思うのでコピペさせてもらうよ。→「教師の学級経営が信頼できるかどうかという属人的かつ大きな主語の話をするつもりはなく、あくまで今回の授業手法の是非の話です。どんな授業手法であっても結局は教師次第じゃないかと言うかもしれませんが、であればなおのこと、わざわざこのようなリスキーな方法をとらなくても、他にいくらでもやり方はあるんじゃないかという話をしています。「自分でも簡単にできると思ってる?」については「ネットリテラシー教育を自分でも簡単にできると思ってる?」という意味かな?「親として子どもにすべきことをしっかりしたい」と考えていますが、それはこの増田の主旨ではないです。」
前回今回と同じところにこだわっているようだけど、こだわりたい背景や思いなんかを書いてくれるともう少し俺も別のことが書けるかもしれない。
フィールドワーク柄、定時はない
そのくせ帰ってくる時間19時がザラ
早く帰ってきてと言ったらいいけどあたし大変だよ?みたいな感じで拗ねだす
チビの対応はしない。飯作ったらiPhoneいじってる。泣いてても喧嘩してても一切応答しない。
父親はアスペ
家でキレる、仕事のことで。もうやめろと何回も言ってるのにキレる
直情的、子供の前で教育者はバカとか平気で言う。本当ならお前が教育者だろうが
仕事に倒錯してる。絶対やめない。だいたい23時過ぎに帰ってくる
俺は精神科通いだしてからやっとわかった。この家はかなりおかしい。
新物資発見だノーベル賞だとか二人でくそみたいに盛り上がってる中5歳の妹は泣いてんだわ
クソすぎる。クソったれのクソ。終われ。全部なかった事にしてくれ。
年下の弟妹がいる限り俺みたいなやつはまた出るかもしれない
俺が全部面倒みるのか?つーかできるだけみてるけど、はやく出ていきたいんだよ
やめろよくそくそくそくそあーーーーーーーーーーーなんなんだよこれがもしかして人生ハードモードってやつなのか?
それが子供四人いる、おれ、精神科医になろうと思う。わりと本気で。
不憫で仕方ない これ生きない道もあるのか?
ねーよ、殺せない。できない。
この世に生んだ両親を深く憎む。同時に普通の生活ってなんなんだろう。満たされたい。
どうすれば救われる。どうすれば。
彼らを大人とするなら、それでいいでしょう。
でも、部員一人の非行を連帯責任とらされたり、監督や部長が教育者として責任とらされたり、もろもろ教育の場として扱われているわけで、生徒達は子どもとして扱われているスポーツだし大会でしょ?
未整備なら、すればいい。
はてな匿名ダイアリーで、13日と14日に書いた2つの記事が100ブクマ以上になってた18歳ニートです。
今回も、「僕の言いたいことは書いてる途中にでてくるかな?」と思って書きます。
記事の内容は、
2日連続で100ブクマ超の記事を書いてみて思ったことや・気づいたこと・分かったこと・発見...みたいな内容です。
まず、僕がはてな匿名ダイアリーで書き始めたのはごく最近のことで、今月から書いてたりします。
「はてな匿名ダイアリーだったら割と不特定多数の人に見てもらいやすいかも!」っと思って書き始めました(笑)。
「少なからず俺はだいたい全部の記事を見てるよ」や「とりあえず読んで面白いか、有益な情報でなければ何もしない」的なコメント頂き、
マジメな感じが伝わる記事を書けば割とコメントがもらえる場所のような気がします。
本題に入りますが、
100ブクマ超の記事を書けた2つの記事内容は「自分の考え」を書いたら100ブクマ取れました。
1つ目の記事は、アドバイス的なコメントやコメント主さんの体験談などを多くもらい、
2つ目の記事は、批判コメントが多いけど、1つの記事よりブクマ数もツイート数もいいね数もトラックバック数も多いです。
僕にとってはこんなこと初めてで、「言いたいことを言ってみたら自分に返ってきたこと」がとても嬉しかったです。
以下、ここから途中まではただの発見なので、はてな匿名ダイアリーで書く人向けかも。
発見としては、
・自分の考えを書くと、自分とは違う考えの意見や体験談、情報が集まる。発信元の自分に、思いもよらないヒントをくれたりする。
・記事をツイートする人はだいたいフォローとフォロワーの割合が1:1くらいの人が多い。たまにフォロワーが多い人に拡散されることも。
・記事をブックマークされたら、トラックバックのコメントを見るだけじゃなく、
本サイトの「はてなブックマーク」で、記事のURLを貼って検索し、記事の個別ページを見たら、ブックマークしてくれた人のコメントも見れる。
・「これが言いたかった!」っていうのが特に無い曖昧な文章を書いたら、いろんな受け取り方をしてる感じのコメントがもらえる。
なので、どこに反応してくれたのか自分でも分からない。でも、言いたいことが無い文章でも書いてよかったと思う。
100ブクマ超の記事が書けてみて思ったことはたくさんあるんですが、
僕のような若者も、いつもは「はてな匿名ダイアリー」でトラックバックしてコメントしてる人も、見てるだけの人も、
とりあえず「自分の物語」や「自分の考え」などを文章にして書いてみるのもなかなか良いと思います。
少し前に16歳女性の人が匿名ダイアリーに書いてたのを見ましたが、
はてな匿名ダイアリーのユーザーが低年齢化してもいいから「若い人の考え」や「今までの人生の物語」を書いてみてほしいです。
若い人であれば年齢が分かるようことを明かして書くと、誰かが「私のあの頃は○○だったよ」みたいなことを言ってくれたりします。
文章が上手い下手とかどーでもいいことだと思います。
おもしろい文章を書こうとすると反応されないかもしませんが、誰かの物語ってのは、他の誰かにとってはおもしろいと感じる文章になると思います。
それと、この文章を書いてて気付きましたが、
100ブクマ超の記事を書いた時もそうでしたが、僕は文章を「本気」で書いています。
100ブクマ超の記事に「僕は本気になれない」系のことも書きましたが、いつの間にか何時間もかけて本気でこの文章を書いていることに気がつきました。
いつの間にか「自分のことを本気で書いている自分」に気づいています。
ここで話は終わるかと思いきや、文章を書いてて興奮してきた感じがあるので、自分についての話をします。
僕はニートな18歳ですが、今までだいたい引きこもって哲学をしてる感じの人間です。
誰かとたくさん話をしてきた人生じゃないし、周りの人には「暗い子」だと思われてると思います。
僕が誰かと会話をすると「そうです!」や「うん。」くらいで、言葉をつなげてしゃべるのに慣れてません。
しかし、心を許した人(昔の同級生1人や小学4年生くらいのイトコ)には帰り際に「あばよ。」って言っちゃう陽気な面も持ち合わせています(笑)。
誤解されることも多い人生でしたが、特定の誰かが自分の良いところを言ってくれるのは僕の自慢です。
この文章を書いてたら、「変化があんまり無かった自分の人生に何か起こしてみようかなぁ。」という気持ちになりました。
もしかしたら、僕の母さんにこの文章を見せるかもしれません。
今までの経験からあんまり期待できず、あっけなく終わりそうですが。。。
それと、僕のやりたいことの1つに「両親と和解する」ってのがあります。
仲は悪くないと思うのですが、2ちゃんねるの「カーちゃんJ( 'ー`)し」と「たかし」の関係みたいな感じかもしれません(笑)。
「両親とこういう関係になりたい!」っていう未来はまだ明確に想像できませんが、
お互いに相手の心がなんとなーく分かれば、「言う必要がない言葉」が自然と出なくなるのかなぁ?と思います。
親に対する「そうじゃないって!」を無くして、「あの子はあぁだったんだなぁ」っていうのを親に知ってほしいのかもしれません。
ただ知ってもらえるだけでいいのかもしれません。
なんか難しいですが、僕と両親と祖父母の「親子3代の物語」ってのは、
両親と祖父母が生きてるうちに決着をつけて、自分の中に答えを見つけておきたいものだと思っています。
話が少し変わりますが、
今の僕はニートな身分なせいか、いろんな人に正論っぽいことを言われます。しかし僕にはそれがすぐできません。
そんなことは頭では分かってるけど、正論っぽいことを言われたら、何も考えれなくなって、言葉がでません。
正論っぽいことを言われれた後で「ホントにそれが正しいのかなぁ?」といつも考えます。
学校の先生や親の「正論や綺麗事」ってのは、どこかに気持ち悪さを感じるので嫌いです。
こんな正論や綺麗事っぽいことを受け入れてばかりだと、何も感じない鈍感な人間になりそうでヤバいと感じています。
幼稚な考えかもしれませんが、誰かに対してつい「YES」って言っちゃう自分が嫌になったこともあって、
これからもやりたくないことには「NO」って言える人になりたいです。
以上、ここらで話を終わろうと思いってたのですが、まだ言いたいことありました。
この文章は途中から、「両親に伝えたいこと」に近いものだと思います。
僕はこれからもニートでいるかもしれません。怖い人たちに間接的に「働け」って言われて、嫌々働いて、やらされた感アリアリで生きるかもしれません。
言い訳に聞こえるかもしれませんが、僕は今まで本能的に自分を守る行動をしてきたと思います。
勇気を出して後先考えず、学校も途中で行かなかったし、人の集まりに誘われたときは全部断ってきたし、今でも働きたくないし。。。
もしかしたら、ホントは働きたくないんじゃなくて、怖い人たちに威圧されてやらされるのが嫌なのかもしれない。よく分からないけど。
僕がこうして引きこもってばかりだと何も始まらないことも分かってるけど、僕は「将来どうなりたいのか?」だけはある。
ダラダラ人間でダメダメなヤツだけど、向上心だけはある。ニートな今でも自分を向上させたい。
すごく曖昧で、何を言われても何も反論できそうにないけど、絶対に自分の人生を生ききるし、今でも、自分のペースで「より良くなっている」と信じてる。
ここで、急に話は変わります。
僕の母さんが言う「同級生の○○ちゃんは○○になったんだってー。」みたいな僕と誰かを比較するのはもういいからー。
僕の弟と話してみても思うけど、弟が僕と弟自身を比べてるのが何か悲しい。
僕は中学生になる頃から、勉強もスポーツも同級生に負け始めた。
小さな「1位」を何度か取ってたけど、中学の終わりごろには勉強もスポーツもほぼ誰かに負け始めて、気づいたことがある。
「勉強もスポーツも勝てる気がしないから、『心』で勝負しよう!」と、わけのわからないことを(笑)。
「勝負」って感じじゃないけど、言葉にすると「自分だけの絶対的な領域」を持っておけばいいと直感的に感じていた。
エヴァンゲリオンでいう「A.T.フィールド」のようなものかも。
勉強やスポーツで良い点を取ればいいと思ってたころは、「誰かが作った価値の中」で生きてるようなもんだな。って今思う。
点数が悪かったテストを親にバレないように隠してた時もあったので、これは異常なことだと今は思うし、
母さんと顔を合わせるとつい笑っちゃうのは、おかしいからでなく、僕が最近知った「自分は機能不全家族の子供なんじゃね?」とも思った。
ウィキペディアを参考に見ると、自分は「家庭内での子供の役割」の「ヒーロー」「スケープ・ゴート」「ピエロ」のような特徴があった。名前はカッコイイ(笑)。
自分は「アダルトチルドレン」っていうやつなのかもしれない。これって僕の同級生を見る限り、割と日本に多そうな症状だと思った。
話は戻ります。
比較するのをやめることができた自分は、カッコよく言ってしまえば、自分が作った土俵の中で自分と戦い始めたのかもしれません。
テストの点数だとか、頭が良い悪いとか、親に迷惑がかかるとか、、、そういうのは本当にどーでもいいことだと思う。自分の心を無視してるし。
僕は、自分だけの「何か」を見つけてから、自然と「他人と自分を比べる」のをやめれた気がする。
ついでに、ちょうど1年前に読んだ「7つの習慣」って本のおかげもあるかもしれない。
今では完全に「全ては自分に原因がある」思考になっていると思う。間違った解釈をしてるからもしれないけど。。。
そういうわけで僕の勝ち方ってのは、絶対に勝てる自信がある勝負で1位を取るスタイルになったと思う。
それと、「大きな1位」を取ってる人ってのは、実は「小さな1位」をコツコツ取り続けた人なんじゃないかと思った。
たぶん僕はこれからも、ほかの誰かにたくさん負けることがあるけれど、自分には勝ち続けられる人でい続けたいと思う。
僕が母さんたちと話したりするたびに思うことがって、
「母さんの言いたいことはとりあえず受け入れるけど、もし自分が親だったらこうする。」ってのがある。
親の言うことが間違ってるとも思わないし、正しいとも思わない。
「それは母さんの考え」として受け取るようになった。その上で、「僕が親だったらこうする。」ってのがある。
これは反面教師で学ぶ自分が「将来自分が親になって子供を育てたい願望」から生まれた物の見方で、親を持つ子供の立場で見て欲しい部分。
僕のこの願望は、小学生のイトコの家に1ヶ月くらい住まわせてもらった時に生まれた願望。
僕は恵まれているんだと思うけど、
「両親がいて、小学生(子供)を持つ明るい家族の一員になる体験」は僕にとってはすごく重要な体験だった。
うまくは分からないけど、「子供を持つ誰かの家族の一員になって暮らしてみる」ってのは、新しい考え方が増える体験の1つだと思う。ハードル高すぎだけど。
「家族っていいなぁ。自分もこういう家族つくりたいなぁ。」と思い始め、親と子の関係や子育てについて考え始めたり、将来結婚する気になったのもこの体験から。
少し話を戻しますが、
今の僕は、親から色々言われることもあるけれど、僕が親に反論することはあんまりなく、ただ聞いて受け入れるだけ。
全ては親になった時の自分が、僕の次の世代のために僕の親から学んでいるだけ。もちろん良いところも学んでいると思う。
なんだかんだで、自分の家族は絶対に自殺するようなことはして欲しくないなぁと思う。
ということで、まとめ的な感じで終わろうかと思います。
最初はタイトルの「2日連続で100ブクマ超の記事を書いてみて思ったこと」で30行くらいで終わるかなぁと考えていたら、
いろいろ話を膨らませすぎて、またまたタイトルと関係ないことを書いてしまいました。
この文章を書いて思ったことは、
こんな文章が書けるとも知らず、自分の人生を掘り下げていって、言いたいことが頭に浮かんだら書く。っていう感じで書きました。
親にこの文章を見せるとなるとちょっと恥ずかしいことだけど、もしかしたら人生の1つの区切りになるんじゃないかと思っています。
僕は常日頃から、キャラじゃないことをやってみたり、いつもと違う道を通ってみたりするのが好きです。
何も起こらなくても、親に僕の考えを知ってもらえば何かスッキリするかもしれません。
ラブレターは書いたことありませんが、この文章は自分のために本気で書きました。
僕が本気になれることは「文章を書くこと」っていう発見もしました。
「最終的に世界を旅する教育者みたいな感じになるだろうな~。」と思っていましたが、インターネットで「文章を書く人」にもなりそうです。
それと、ニートな僕は、自分のことを客観的に見ることがあまりできず、自分のことを書き出す作業を1年間くらいしてきました。気が向いた時にですが。。。
自分のことや自分の感情を自分はあまり知らないので、履歴書に自分のことが書けなかったのは悔しい思い出です。
自分の今の状態をできるたけ認知しようとしているので、とにかくもっと自分のことを知りたいのだと思います。
僕はこの文章を書いてるときの状態は初めてですが、どんどん文字が打てる状態になっているのは自分でも驚きです。
しかし、この文章は途中から興奮状態で書いたものなので、あとで見返したら恥ずかしく感じるかもしれません(笑)。
それと、文章に「」をたくさん使っちゃってるのはたぶん、「これを伝えたい!」ってのがたくさんあるからだと思います。
最後に言いたいことは、
自分の考えや自分の物語を文章にして誰かに公開してみたら、いろんな発見をして、どこかで急に大きな発見をするかもしれません。
100ブクマ超の記事でもらったブックマークしてた人のコメントにもありましたが、
「自分の考えをぶつけてみたら案外いい反応を示してくれるかもね。」っていうのがあるかもしれません。
僕にとっての「思わぬ展開」がこの文章を書いてたら起こったことなので、
自分の考えを文章にしてぶつけてる途中に、その文章に自分が反応を示すのかもしれません。
全部「かもしれません。」です。
知ってほしい人に公開するとどんな事になるか分からないような「自分の考えを書いた文章」、
自分にとっての爆弾になるかもしれない文章を書いてみるのもたまには良いなぁ。と思いました。
それと、最後に母さんへ
この文章はインターネットで公開するために書いた文章だけど、途中から母さんに向けて、母さんに見せるために書いた文章になった。
今の僕は母さんとかと話しても、話にならずに僕は絶対に負ける。正論っぽいことを言われて何も言えずに終わる。
文章にして伝えるのもいいなぁと思って、ここでお願い。
特に目的もない旅行をするために、僕に100万円をください。これは僕が何も計画をしてない数字です。
僕は1年前くらいから「母さんに『100万円頂戴!』って頼もうかなぁ。」と思っていました。
家族のことをあんまり考えてないアホ発言だけど、僕は20歳になる前に「ウユニ塩湖」っていう場所に行きたいと思っています。ついでに世界旅行も含めて。。。
本当は自分が稼いたお金で、一人で行くつもりだった。けど、今の自分は自分でお金を稼ぐ気があんまり無く、嫌々やってる感じになったことに気付きました。
「ネットビジネスで稼ぐ!」って言ってたけど、それは本当にやりたいことじゃなかったと気付きました。
今でも覚えてることは、僕が初めて「63円」を稼いだとき、僕は「うおぉすげぇ!」って思って、「母さんたちに報告したら褒めてもらえるかなぁ。」と思って聞かれて言った時に、
母さんじゃないけど「そんなんで飯食えるん?」的な言葉を言われて悔しかったことです。
今までは悔しさをバネにしてきたけれど、そこから悩みに悩んで、「なんか違うなぁ」ということに気付きました。
何を言われても「僕が親だったらこうする。」っていう学びになるので、とりあえず話は聞いてます。
本当にやりたいことだと思ってたことが、「本当はやりたいことじゃなかった」ってことが何度もある僕は、
ネットビジネスも実は本当にやりたいことじゃないことに気づいたところです。
でも、「最終的にはインターネットを使った仕事をしてるんだろうなぁ~。」と思います。
話は少し変わりますが、
怒られることがトラウマレベルで怖い僕は、母さんたちの顔色をうかがって今の家に来てしまったんだなぁ。と気づきました。
僕は「別に、ご飯が食べれなくなっても住む家が無くなってもまぁいっかー。どうにかなるさー。」的な考えを持っています。
後のことは考えないですし、もしものことが起こったり、たとえ借金10億円を背負ってしまったりしても、「別にいいじゃん。」と思います。
全てを受け入れて、起こってしまったことに対して、「どうすればいいのか?」を考え始めると思います。
死にかけて考えるタイプかもしれません。僕はこれでいいと思います。
そんな頭なんですが、「でもそんなこと言っても、結局は母さんたちが食べさせてくれると思ってんでしょ?」的なことを言ってくる同居人には返す言葉も無いです。
たぶん今僕は、嫌な上司といっしょに住んでる気分です。
正論っぽいことや綺麗事に加え、嫌味や皮肉と威圧感で、今までと同じくらい生きにくいなぁ。と思っています。
母さんたちの言葉には、
「お前もこう思え。」「母さんたちの顔色をうかがえ。」「人の気持ちを考えろ。」みたいなものを感じます。
これは、僕の心を無視しているからこんな感じの言葉が出てくるんだろうなぁ。と考えています。
母さんじゃない人も混じってますが、人生で久しぶりの愚痴を言いました(笑)。
こんな僕でも、僕自身と僕の両親、人との関わり合い方については、真剣に向き合い続けていたりします。
100万円頂戴!の話に戻りますが、
もし僕に100万円をあげたとしても、その分を返す気は無いですし、違う形で返す気も無いです。
ただ僕は100万円あったら一人旅をして、自分勝手にわがままに生きたいだけです。親に会いに行きたくなったら会いに行くだけです。
親として「子供にこうなってほしかった」ってのはあるかもしれませんが、
これからも僕は母さんの期待を裏切り続けると思いますし、これからも迷惑をかけ続けると思います。
むちゃくちゃかもしれませんが、僕は、僕と関わる人がより良くなると思ってこんな考えになったんだと思います。
「普通は親孝行するもんでしょ?」とか「常識的にこう」とか聞いてられないです。感謝の感情が生まれてから「ありがとう」を言うつもりです。
話は変わり、僕のやっておきたいことの1つに「両親と和解する」があります。
実は母さんだけでなく、僕は離婚した父さんに今年中に会いに行く約束をしています。いつ行くか決めていませんが。。。
話す内容も考えてないですし、話せる自信も無いのですが、僕は「自分のルーツ」を知りたいとも考えています。
知ったことかー!ですが、僕は僕の家族の歴史を知っておきたいです。
僕は自分自身のことを、家族の中で誰よりも現実的な人間だと思っています。
考え方はコロコロ変わりますが、「あるべき姿」「在り方」のようなものを見つけようとしています。
それと僕は、僕が知っている一般的な社会で生きていける自信は無いですし、生きていこうとも思いません。
誰かが僕を、その人の枠にはめようとしても、今までどおり僕は表面的に従って、内側では反抗し続けます。
学校に行ってもどこに行っても一人になるタイプなのですが、これからもインターネットとかで自分の生き方を発信していくと思います。
なんだかんだで、自分のためにもなってるし、賛否両論あるけれど、誰かの為にもなってると思うし。。。
僕は「より良くなる」と思って、こんな文章を書きました。
めちゃくちゃですが、自分で書いたことや口に出して言ったことは、あとで「やっぱり、あれは違ったなぁ。」と思うことが多々あります。
「今度聞かれたらこう言おう!」ってのが早めに見つかればいいなぁ。と思って、たくさんのことを書いてます。
そして、僕はいつでもいいから母さんとマジメな話ができたらなぁ。と思っています。
話さなくてもいいから、お互いに親子関係を見直すきっかけを作れればなぁ。とも思います。
母さんが僕に言いたいことがあったなら、いつでも文章でも直接会ってでも連絡ください。
母さんの言葉を聞いて、また呆れることもあると思いますが、それでも僕は全部受け入れて話を聞き続けます。
僕がどう思うかではなく、母さんが思ってることや、言いたいことを言って帰るだけでもいいです。
僕は、「母さんが本当はどう思ってるのか」があるなら聞いてみたいし、僕は「自分が本当はどう思っているのか」を伝えておきたいです。
同意。
この塾長は糞だ。教育者としてどうなのかは知らんが、経営者としては無能どころか有害レベル。人を見る眼が無いし企画力も実行力もなければカリスマもない。こんな塾長の塾がまかり間違って成功したりなんかしてたら、新しいブラック塾チェーンが一つ増え、そのせいで泣く講師と生徒の被害は増加したところだ。元増田の功績で塾が潰れたことは、とても喜ばしい。
まあ、損害賠償云々言われるなら、「アルバイトなのに無給で営業を強制された」と労働基準局に言いに行き、未払いの賃金と、その間のパワーハラスメントに対する慰謝料を請求しますね、と言い返せれば満点だった。
元増田が塾を辞めたいと思った時、労使トラブルに強い弁護士に依頼してたら、きっと舌なめずりしながら引き受けてくれただろうに。残念だったなあ。