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2014-09-29

http://anond.hatelabo.jp/20140927113327

たまたま記事が目に入ってきたのですが、思うところがあったので書かせて頂きます

当方関東のどこかに住んでいる二十代後半男で、歴史ウェブサイトを立ち上げる為に頑張っているところです。

仕事柄いろんな場所に行き、地域の裏山なんかに眠っている中世の城跡の歴史などを調査する為に茂みの中に入って行く事が多いのですが、

中世の城跡、つまりかつて戦国時代軍事拠点であった場所地権者って、代々農業を営んでいる方が大変多いのです。

それはなぜか。

私自身の話が分かりやすいかと思うのですが、私の実家のお墓は地域小高い山の上にあります

地域に数件ある増田家の墓のみがその小高い山の上にあり、増田家以外の墓の多くが同じ地域の低地にあるお寺の敷地内にあります

てっきり増田家は地域の爪弾きもので、いじめられっこだったのかと勝手に思っていましたが、

どうやらその墓地周辺が中世戦国末期の城跡の主郭付近であり、増田家はその城主だった、とのこと。

そして現在増田家は、やはり農家江戸時代は庄屋さんで地域でも裕福だったが、やはり農家

なぜ農家になったのか?

調査してみると、豊臣による小田原征伐が原因らしい。

まず増田家は、地域の駅名に名が残るぐらいの地域の小領主

仮に小寺家しますが、小寺家の重臣として召し抱えられて、現在実家近辺の統治を任されていたとの事。

その小寺家は隣の隣の隣ぐらいの町拠点とする赤松家(当然仮の名)によって追放され、

増田家は赤松下り(前述の低地のお寺は赤松菩提寺末寺)、その赤松

当時関東平野制覇を目論む小田原の後北条家にやがて下ることになる。

北条家は赤松家を頭としその地方一帯を統治する◯◯衆を組織し、

増田家もその◯◯衆のメンバーとして、引き続き実家付近拠点統治を続けたとのこと。

そして問題小田原征伐。豊臣とその取り巻きにて小田原を包囲し、関東地方一帯の小田原方の城郭が同時に攻撃を受ける。

上杉前田真田に攻められた八王子城惨状や、忍城成田家の奮闘はこの時の事で、うちの実家付近拠点は簡単に落城

増田家の筆頭は小田原城に籠もり、◯◯衆として勇敢に立て篭った、のかもしれない。

そして小田原北条家は滅亡し、関東統治ネットワークはそのまま徳川家に与えられ、関東には徳川の家臣が流入してくる。

元々関東のそれぞれの地方統治してきた◯◯衆の大半はその際に潔く農業を取り仕切る庄屋層に転身し、

残りの一部は徳川への仕官を申し出てたりして引き続き武家である事にこだわり続けたとさ。

かくして、関東の大半の武士農家になり、少数の徳川家臣による統治を受け入れた。

この話を土地の古老に話したりすると、忘れ去られていた「イエ」の記憶を取り戻したようで、いたく感動される方が多い。

また逆に、「当家は代々武士家系・・・。」といった方に話をすると、複雑な顔をされる方が少なくない。

身分は固定されたもので、名前とともに受け継がれるようなイメージ漠然と抱いている方に多いのですが、

「単に先祖徳川方に付いて頑張っただけ」というストーリーに聞こえ、どうも「武士家系イメージに合わないらしい。

・・まあ元々が漠然としたイメージなので仕方の無い事ですが。

(ちなみにこれらは関東の話ですが、土佐長宗我部と一領具足の結びつきが幕末坂本龍馬時代まで尾を引いた事を考えると、全国各地である事なのでしょう。)

この話を踏まえて、血筋とは何なのか。

「イエ」の物語やその教訓は代々守り伝える限り残るが、

遺伝的な意味での「血筋」がはっきりと出るのは数代の限りなのではないかと考えている。

まり大事なのは家庭内での教育

農家さんの多くが確かに自分たち自身を「ただの百姓」と呼び、学も無く品格も無い、と自虐的に語るが、

失われた歴史ストーリーとしてお教えすると、生き生きと誇りを取り戻す。

しかしながらそれまで受けてきた教育は変わらないし、次世代に何を教え残すかも教育者としての自分次第。

ちなみに「農民」で一括りにされる事が多いですが、庄屋層は江戸時代からかなり恵まれ教育環境にあったとのこと。

うちのばあちゃんも地域で唯一女学校に行かせてもらえたらしく、単に士農工商かいファンタジーではくくる事が出来ない場合が多い。

家庭環境の違いは生まれによって確かにあり、教育の質は当然大きく変わってくる。

また、「武士家系」という代々受け継がれる「イエ」の物語が作り出す誇りと自信も大きいのかもしれない。

千葉県の某所にやはり「武士家系・・・。」という誇り高き地主タイプの方がいらっしゃいました。

その方の家はやはり小田原北条家に仕えていたとの事でしたが、なぜか江戸時代を通して武家として、徳川から本領を安堵されていたとの事。

何だろうな・・・。と思い調べてみると、何の事は無い、北条家に仕えながらも徳川家と内通をし、小田原征伐では豊臣側に付く代わりに、本領安堵約束をしていたという(うろ覚え)。

武士家系物語が作り出す誇りというものも、割と中身の無いものである

(ただし、これも一つの歴史であり、武家としての「イエ」の歴史を守る、という意味では尊い決断なのかもしれない。)

教育の質に関しては、言わずもがなであるが、近代的な教育人材登用システムが構築されてからはそのシステムをよく理解している事が肝心なのは当たり前で、

教育水準の高い家には、良い教育方針と良い物語が備わっているのかもしれない。

物語」によって得られた誇りを胸に、立身出世を志す感覚が備わっているかどうかは大きい。

教育の機会も家庭の経済状況などに左右されてきたが、時代とともに様々な仕組みが生まれてきた。

貧困理由とした教育機会格差問題は、薄められてきた。「志」の教育を出来ているかが大きいと思う。

最後大事になるのが、攻略法教育。つまり受験」というペーパーテスト人材登用システム攻略法を伝授できるか否か。

現代引きこもりの人々は、高い志を母親、あるいはテレビ漫画から植え付けられてきたのに、

攻略法を持たないのでその理想現実ギャップ屈辱感にまみれて腐っていく。(かなりもったいないと思う。)

そして、教育とは代々受け継がれるもの。早く気づいた方が有利なのは、間違いない。

明治時代から気づいている家庭もあれば、最近気づき始めた家庭もあるだろう。

伝統的な教育方針物語血筋の内と考えるならば、血筋ってのははある所にはあるのかもね。

ウェブサイト来年ぐらいには公開できたらいいなあ。)

2014-09-07

プロ無料仕事を頼む問題(教育編)

よく話題になるっていうか非難される論調でよく耳にするよね。

絵描きさんでしょ、さささって簡単でいいから結婚式イラスト描いてよタダで!」ってのがいいか悪いか、って感じで。

中村祐介とか、キンコン西野とかも、前に話してたよね。

プロ無料で頼むことは勝手だろ、とか、受ける受けないも勝手だろ、とか、

プロ無料で頼む行為のものプロ待遇をさげるからだめだろとか。

基本的には、頼む人は厚かましい人、っていう論調で語られるケースが目立つかな。

俺も同意

いくら知り合いでも、プロじゃなくてアマでも、仕事を頼めば謝礼は払うべきって思ってる。

しかし今はそれは別にいいんだ。


俺が話したいのは教育の話だ。

プロ無料仕事を頼むのは、基本的には推奨されていない空気を感じるが、こと教育に関してはそうでもない気がする。

教育者としては、目の前にいる子供のために、自分のすべき仕事がどれくらいあって、何をどれだけすべきかってのは自分でだいたいわかると思う。

仮にその量を100としよう。

そうするとやっぱり、できるだけ100しなきゃいけない、100しようと本人は思うわけだ。

しかし、実際、教員仕事として給与を出すのは40だけです、といわれるわけだ。

そうすると腹立たしいわけだけど、じゃあ40しかしません!とはなかなか言えないし、同僚の先生にびっくりするような

批判をされるし、モンペから問題にされることもあるし、何より目の前の子供のためになるならば、と思って結局は100近く、

なかなか全部は無理でも90とかの仕事をするわけだ。

それでも、本来仕事の倍以上の仕事だわね。

しかし、それだけやっても、教育に関しては保護者要望って様々な価値観があるから教員の考える最大公約数的な100が、

実は我が子にとっては20なんです、って言う親がでてくるわけだ。

そういう親にとっては、当然100の仕事要求する。

100は無理でも70くらいはしてよ、って言ってくる。

そりゃまあ、教員がすべき仕事はちゃんとすべきだ、って思うよね。

俺も、自分の子がそうなったら、そう主張すると思うわ。

しかし、そうやって全保護者の求めることを全部こなすと、じつは一人の教員200くらい仕事しなきゃいけなくなる。

でも本来仕事で、給料出るのは40。

一人でできる限界量は90-100。

こりゃ問題だわ。


で、教員多忙問題の話になると、そりゃ待遇改善すべきだ、教員を増やすべきだ、って話になるわけだけど、

問題はそういう一般論他人事な話ではないと思う。

プロにただで頼む問題否定的意見を表明する人が、実際その状況になると、当然の権利として、

プロにただで仕事要求しているのが教育現場だ、って特殊な状況に気づいていないことだと思う

気持ちはわかるんだ、子供人生がかかってるわけだから

しか教員最大公約数的なベスト方法しか実際は無理なわけだ。

教員待遇改善しよう、って他人事賛同はしてくれなくていいので、

教育プロに対して、納めてる税金以上、教員給料以上の要求をしていないか、ってことだけ、思い出してくれたらそれでいいと思う。

こっちはこっちで、こっちの100を、101に増やす努力をし続けるんで。

2014-08-30

http://anond.hatelabo.jp/20140830074124

ここで「宇宙戦艦ヤマト」が出てこないことに世代を感じるなあ。

当時、戦争アニメとして批判された対象としては、ガンダムよりも「ヤマト」。

社会現象となったのはヤマトのほうが先で、同じSF架空戦記でも、リアル中立的多国籍的に描いたガンダムよりも、戦艦大和の名を引き継ぎ、登場人物が皆日本人名、映画じゃ特攻まで出てくるというので、濃厚に太平洋戦争悪夢を大人に思い起こさせたはず。

そもそも「大人はロボットアニメなんか見ない」というのが常識だったので、ガンダム80年代映画版が大ヒットするまでは一般的な大人にはほとんど注目されていない。

ロボットアニメ暴力的だから子供に悪影響を与える恐れがある」という批判なら、教育者などからコンバトラーV」「ボルテスV」で既になされていたように記憶している。

こどもの読書感想文を速攻で片付けるコツ

絶望にすすり泣く子供の代わりに土日で計算ドリルをする父母諸姉諸兄に置かれては、いかがお過ごしだろうか?

っていうか、大変ですね。つうか親でもないのにオジサン勘弁して欲しいッス。

で、読書感想文みたいなクソな宿題が全国で阿鼻叫喚地獄絵図を巻き起こしているのを見るに見かねて、

ここに簡単なコツを書いておくから、是非参考にして欲しい。

なお小学生増田とか観てないで宿題やれ。

まずは大前提

読書感想文」っていう宿題は、基本的にはクソ宿題だ。

アメリカンなお坊ちゃんお嬢ちゃんは、リポートってのは結構しっかり叩き込まれる。

これは、文法から始まって事実意見の分別だの論理構成だのをみっちり仕込まれる。

日本じゃ大学生卒論書くときに学ぶようなことを、エレメンタリースクール時代にシゴカれる。

そもそもな、「感想文」なんだよ。

自由に感想を書きゃいいはずなんだよ。

だが、日本じゃ良くある話だがホンネとタテマエは別で、

「クソみたいな話でした。作者は一回サラリーマンとして働いたら良いと思います」とか書くと悪い評価になったりするんだよ。

まあ得意な子もいる。本を読んで感想を言うのが好きだとか、ポエム書くと恍惚とするとかそういう子な。

だが、本を読むのも感想書くのも苦痛な奴に、何の技術も教えないまま読んで書かせるとか、ちょっとした虐待だよ。

水泳の授業で、突如船の上から叩き落として、「時間までに泳いで帰ってこなかったらメシヌキな」ってやるのと同じなんだよ。

から原稿用紙を埋められない我が子にガッカリした顔は絶対に見せるな。それが普通だ。子供結構簡単に傷つくぞ。

次は、読書感想文の「ゴール」設定

さて、さらっと触れたが、「日本読書感想文」ってのは、技術で出来る。

アクションに落とせない精神論子供を追い詰める教育者は消えてなくなればいいのにな。

まあエレクチオン後に解放されたリビドー子供らしい感性の発露として紙面に叩きつけられる天然さんも居る。

が、そんなギフテッドばかりじゃないわけで、ここはテクニカルに解決しよう。

何でもそうだが、ゴールの見えないマラソンほどキツイものはない。

からまず、ゴールを設定しよう。

基本的には、この「意見」「感想」「理由」「場面」で原稿用紙を埋めれば良い。

これがゴールだ。

それぞれの探し方

取り敢えず、イオンに買い物に行くついででも、あの例の鼻に棒を突っ込んだシールが貼られた本の中から

我が子に「一番読みたい本/マシだと思うヤツ選べ」と指令を出して、選んだ本を買ってこよう。

で、読ませる。まあ時間がかかっても半日あれば読めるだろ。何としてでも一回読ませるんだ。

まあ、最後別に読まないでもなんとかなる方法も書くから絶望はするな。

読み終わったら、次のステップになる。

  1. 感想」を聞く
  2. どのあたりでその「感想」になったか、「場面」を聞く
  3. その「場面」から感想」になった「理由」を確認する
  4. 理由から、「意見」をひねり出す
  5. 「場面」から理由」があって「感想」になり「意見」になったと、再度見直し、シメ

5ステップだな。

ま、取り敢えずここでは低学年でも中学年でも高学年でも行ける

ちきゅうウンチだらけにならないわけ」を課題図書として取り上げよう。福音館だしな。

感想」を聞く

「読んでどうだった?」とかな。

「難しい」とか「面白くなかった」とか言うかもしれない。

こっからは各家庭の教育方針になるからネガティブコメントでも我が家天使言葉天啓である!とか言うなら止めない。

が、「笑ったとことか、悩んだところは、どこだった?」とか「面白かったところとか、どこか気になったところは?」とか聞こう。

ウンチが役に立つって言っても、そういう特別バッチイ虫とか植物じゃないの?」とか言うかもしれないな。

ま、それで良しにしよう。

どのあたりでその「感想」になったか、「場面」を聞く

大抵さっきの感想に場面が入り込むもんだが、一応確認しよう。

「このページの虫は、フンコロガシって言うんだよね。他の虫に取られちゃわないように持っていくために転がすんだよ」とか

まあ、そういう親らしいふれあいとかが合っても良いかもしれないな。

閑話休題

その「場面」から感想」になった「理由」を確認する。

じゃあ、一番メンドウでヤヤコシイ「理由」にいってみよう。

「なんで、特別バッチイ虫や植物だと思ったの?」と聞くわけだ。

「え、だって普段からママが犬のウンチとか汚いし、虫とか嫌いだって言うし……」とかなるかもしれないな。

「そうね、ウンチは汚いし、ご飯の前には手を洗ったりするもんね。偉いね」みたいな、何年生想定だコレ。

まあ、「特別バッチイ虫」だと思った理由は「ママが普段から汚いって言ってた」からだ。

「汚くないものが、普通」「汚いものは、特別」という視点だな。

まさに臭いものにはフタという状況だ。

理由から、「意見」をひねり出す

課題図書っていうのは、基本的意見を言いやすい本が選ばれる。

「レットはスカーレットの愛を受け入れるべきだったと思います」とか評価する方も判断に困るわけだ。

から、「汚くないのが普通で、汚いもの特別」というのは、別に特殊な考え方じゃないと言える。

「でも、ママやタッ君には汚いしばっちいウンチも、虫にはごちそうになるわけよね」

「そうだね。だからバッチイ虫なんじゃない?」

「でも、そういう虫が特別なら、ウンチはその虫だけしか食べないからちきゅうウンチだらけになっちゃうよね?」

「ん?ってことは、ウンチの数だけ、虫がいて、食べてるってこと?」

みたいな流れだな。

結構誘導してるが「バッチイ虫は特別だと思ったけど、特別じゃなくて、いっぱいいるのかもしれない」というのは、立派な意見だ。

結論として地球ウンチだらけになってないなら、多分いるだろう、と。

「場面」から理由」があって「感想」になり「意見」になったと、再度見直し、シメ

さて、ここで振り返りだ。

フンコロガシがウンチを転がしてる「場面」に対して、

「汚くないのが普通で、汚いもの特別」だからという「理由」で、

「役に立つって言っても、そういう特別バッチイ虫とか植物じゃないの?」という「感想」になった。

ソレに対して、「地球ウンチだらけになってないなら、ウンチの数だけ虫がいるのかも?」と考えて

バッチイ虫は特別だと思ったけど、特別じゃなくて、いっぱいいるのかもしれない」と「意見」を出した。

さあ、ここでもう一息だ。最後に追加でシメ言葉を考えよう。

意見に対して、さらに考えて意見、だ。笑点方式だな。

この辺で自分の身近な経験とか会話を入れるのがコツになるが、まあ無理な場合はその場で会話すれば良い。

ママが昔は肥溜めがあって、人間のうんちも野菜栄養になってたと言っていました。

 うんちを食べる虫と僕たちは、同じで、特別じゃないのかもしれないと思いました」

とかだな。

原稿用紙を埋める

まあ、あんまり道徳的結論にもポジティブ感想にもなっていないが、

子供が引っかかったポイント」を広げて「場面→理由感想意見」となったわけだ。

これを、「場面→理由感想→考え→意見シメ」に直して書くわけだ。

フンコロガシがウンチを転がしてるところを読みました。

「汚くないのが普通で、汚いもの特別」だと僕は思っていました。

から、「役に立つって言っても、そういう特別バッチイ虫とか植物じゃないの?」と考えました、

でも、良く考えたら「地球ウンチだらけになってないなら、ウンチの数だけ虫がいるのかも?」と思いつきました。

バッチイ虫は特別だと思ったけど、特別じゃなくて、いっぱいいるのかもしれない」と思いました。

ママが昔は肥溜めがあって、人間のうんちも野菜栄養になってたと言っていました。

 うんちを食べる虫と僕たちは、同じで、特別じゃないのかもしれないと思いました」

ちなみに、題名名前を書くと、ぴったり400字詰め原稿用紙1枚になる。

青少年読書感想文全国コンクール応募要項によると、小学校低学年(1,2年)が 800字以内、中高学年(3,4,5,6)が1,200字以内だ。

400字詰め原稿用紙2枚半を埋めればおおよそ対応できるということになる。

例えば、「僕はこの本を最初に読んだ時には、難しいし、あまり面白くないなあと思いました。」これで37マスだ。

「パパは「肥だめを知ってるなんてママは実は歳を誤魔化してるのかもな」と笑いましたが、ウンチみたいになるまで殴られてました。」これで60マスだ。

こうやって、途中途中で我が子が考えたり、自問したことを全て原稿用紙に書かせると、結構簡単に埋まる。

ポイントは、骨子の部分である「場面」「理由」「感想」「意見」がキチンと揃っていることだ。

まとめ

読書感想文は、その名に反して、単に感想を書いたのでは良しとされない。

我が子の素直な感想を、「そう思った場面」「そう思った理由」「そこから考えた意見」にすることは、難しくない。

そしてそれらが定まっていれば、原稿用紙を埋めることはそんなに難しくない。

から読書感想文は、実は結構簡単にやっつけられるタイプ宿題になる。

(俺はあらすじ反対派だ。なぜなら、適切な要約は大人でも難しく、結構そこで詰まる子がいるからだ)

ビル読書感想文生成方法

さて、本を読まずに読書感想文を書く方法について語りたいのだが……余りにもスペースが足りない。

どうしても知りたいなら、明日の朝にでもブコメトラバで泣きついてくれ。

2014-08-26

http://anond.hatelabo.jp/20140826220046

賢い奴は教育者を選ぶんだけどな。

教師も大学出て底辺のどうしようもないの相手にしなきゃいけないから大変だよな。

ていうかトラバつける場所間違ってるだろ。

2014-08-14

http://anond.hatelabo.jp/20140814091135

教育者能力不足が泣ける。その子かわいそう。アホ親すぎて。教育能力というのは自己学習しないと身につかないということが分からない親ばかり。

2014-07-29

http://anond.hatelabo.jp/20140729155252

教育機関で、研究が上手くいかないことなんて山ほどあって、挫折したり鬱になるやつなんて研究室に一人や二人はいる。

そういう奴に自己責任とか言っちゃって、「そうかーだめかーもうお前面倒だから来なくていいぞ」なんていうのは

研究者としては立派でも教育者としては失格だろ。パワハラとかじゃなくて、普通に教育者失格。

 

人間から、落ち込むことなんてあるのに、傷口に塩を塗るのは人としておかしい。

2014-07-20

発達障害を理由に解雇された

この記事(http://logmi.jp/17622)読んで同じ現実かよってびっくりした。

釣りっぽいかもしれないけど実際にあった出来事を書いていく。

ところどころフェイク入れるけど結末はガチからな。

あと解雇されたのは俺じゃない。

随分前、俺は地元教員採用試験受けてそのまま採用されていた。

今思うと馬鹿なことをしたと本気で思っている。

俺の地元だけかもしれないけど新採用の教師はほぼクソ田舎学校に飛ばされる。

若者が少ない地域からちやほやされる反面面倒くさい仕事は全部「若いうちに苦労しておけ」で回ってくる。

生徒はかわいいけど酒飲みとパチンコしかすることのない生活は辛かった。

はやく懲役期間が終わって転勤したいと思っていた時、新しい新採用の女の子がやってきた。

彼女は天然でちょっとどんくさいところはあったけど結構かわいかったし仕事もできないわけではなかった。

顔は石原さとみをさっぱりしたような感じ。

残念ながら俺とは何もなかったけどな。

赴任後まずおばさん連中が目をつけて何かと仲間外れにしたりちょっとしたミスをきつく叱ってた。

彼女は知らないところで結構泣いていたみたいだった。

おばさん連中より偉い先生相談しても「若いからw」みたいな感じだったらしい。

更に「若いから苦労したほうがいい」みたいな理由で部活を3つ掛け持ちさせられていた。

人数が少ない学校ではよくあることだけど明らかに新人には無理なポジションだった。

俺も随分話は聞いてやったけどただでさえトロいのに常人以上の仕事を持たされていた。

しか田舎から若い女性は「嫁候補」としてしか見てない連中もいてセクハラもひどかったみたいだ。

大学卒業してすぐ結婚しないと行き遅れるよとか今日ぴちぴち若い子は匂いが違うねとか平気で言ってた)

もちろんそんな状態だから夏休みから体の調子おかしくなって、夏の部活動地獄でついに倒れた。

「体調が悪い」と説明されていたから仲のいい先生と見舞いに行ったりもしたけどどうみても鬱病だった。

出来ないのは自分が悪い、もう無理と泣いていた。

嫌かもしれないけど診療内科にかかるようにとしかアドバイスできなかった。

結局心療内科に行ってドクターストップになったんだけど、学校は一貫して「体調不良のため」休職と説明していた。

しかも上の方の人は大体事情を知っている下っ端の俺たちまで「喋ったらどうなるかわかってるだろうな」と遠まわしに脅してきた。

どうすることもできなくて俺は部活に逃げた。

結局彼女一年経たず辞めることになった。

心因性ということは一切触れずに「一身上の都合」と説明されていた。

何もしてやれずに落ち込んでいたら、彼女と仲の良かった先生が怒っていた。

どうにも納得がいかずに乗り込んでいったら「彼女ミスをするのは発達障害からだ。教員がそれでは生徒に示しがつかない」と言われたらしい。

確かにうっかりしているところはあったけれど本人と周囲の努力次第でカバーはできたはずだ。

まりにも納得がいかなくて同期に愚痴ったら同期も似たような人を知っているらしい。

何でもわざわざ病院に連れて行かれて「発達障害者教育者として相応しくない」って言われたとか。

それでいろいろ嫌になって俺は教員を辞めた。

もともと向いていなかったし余所学校も似たようなものらしいと聞いて絶望しかなかった。

今は転職して当時と全く縁のない場所普通に暮らしている。

ただ彼女とか仲の良かった先生はたまに連絡を取っていて、彼女はあの田舎から離れて快復して来年結婚するらしい。

もっと出来ることはあったはずだと当時の俺を責めるときはある。

でもあの田舎彼女を庇うほど地位権力金もコネもなかった。

ぶっちゃけ教員なんてアスぺ真っ黒な奴もかなり多い。

マジで他人の気持ちがわからなかったり、ひとつ作業している間に次のことを忘れていたりする。

予定と少しでも日程が変わると発狂する勢いで文句つける奴もいた。

そんなアスぺ野郎でも親がどっかの校長だとかそういうのは放っておかれる。

アスぺ野郎の尻拭いも随分としたものだ。

そのくせ若い教員はいびって鬱病だの発達障害だの理由をつけてやめさせようとする。

これが釣りだったらどんなによかったか

若い教員人間以下の扱いされる上にカバーできるレベル発達障害人生詰みにされる可能性がある。

本当に地方教員目指す奴は本当に思いとどまってほしい。

2014-06-29

良い研究室の見分け方・移りかた

http://anond.hatelabo.jp/20140628222127

以下は単なる目安です

僕個人の体験に基づいた僕個人の意見です

外れたらゴメンネ

見分け方



集中講義セミナー等に参加して様子を見る

集中講義セミナー等に参加して学生の様子を見る。

情報は外部の人でもHP学内掲示板等で知ることができる。誰でも参加してよい。

良い研究室

悪い研究室
  • トーク中、学生がまったく質問しない
  • 休憩中も無言。ギスギスしている

トーク後の飲み会に参加する

多くの場合トークの後で飲み会歓迎会)があったり、いっしょに夕飯に行ったりする。

基本的に誰でも参加できる。

誰もあなたの顔を知らないと置いて行かれてしまうかもしれないので

研究室ボス挨拶して顔を覚えてもらう&トーク後にスピーカーにまとわりついて質問していると良い。

だいたい誘われると思う。

良い研究室

質問をしたり自分研究を紹介したり。優秀な人は自分アイディア提示して共同研究を取り付けたりしている。

先輩やポスドク質問をして研究アドバイスを求めたり、今日読んだ論文の話をしたり、最近出た研究会で聞いた話をしている。

悪い研究室
  • 学生が部屋のすみに固まって誰かの悪口を言っている。
  • 誰も研究の話をしていない

しかしたらイジメがあるのかもしれない。

いくらボスが良い研究者でもその研究室お勧めできない。

ひとりイジメっ子が紛れ込んだだけで研究室雰囲気台無しになることがある。

研究室の移り方

院生研究室を移るのは良くある。

院に入ってやりたい研究テーマができる→自分ボスが専門ではなかった or 設備的に難しい

ということが結構頻繁におこるので。

研究室ボス同士で学生をやり取りしている。

大学だけではなく独立行政法人、つまり理研とかJAXA産総研みたいなところでも学生を受け入れている。(研究委託とかリサーチアソシエイトetc

修士博士審査時だけ自分大学に戻ってきてディフェンスする。

普通の人

自分ボスに「○○の研究がしたいです」と聞いてしまうのが一番良いと思う。

誰が専門なのか、誰が教育者として優秀か を業界人間はよく知っているので。

自分研究室ボストラブルのある人

まず指導してもらいたい人を捜す。

見つけたらその人に「○○がやりたいです。あなたの元で研究させてください」と直接言ってみる。

タイミングとしてはセミナー研究会の後などが自然かな。メールでも良い。

あとは適切に処理してくれると思う。

僕の場合

以下多少のフェイクを入れる。

僕の場合は僕を指導してくれている人とのトラブルがあった。

当時D2。いろいろあってそのテーマでDを取るのにあと3年はかかるだろう、という状況だった。

研究会ものすごく興味を魅かれる発表を聞く。当時革命的な研究だった。

本人の元に直接行って「あなたの元で研究させてください」と思い切って言ってみた。

後日研究室に呼ばれ簡単な面接があった。移動したい理由を聞かれたので正直に全部話した。

「君のいうことをそのまま伝えると角が立つから

増田くんは僕と○○で共同研究をする』と伝えておくよ。話を合わせてね」

といわれて頷いた。

そのままいつの間にか話が通り、研究室を移動していた。

当時悩んだ事:
  • これまで研究していた物が無駄になる。今から研究分野を変えて Dを取るのはいつになるだろう?
  • (分野転向なので)M1から勉強し直すことになる。僕だけ年上だ。恥ずかしくないだろうか?


結果:

研究室を移動してよかった。

研究は充実していた。一見失敗に見える研究ボスの鋭い洞察によるコメント

新たな発見が次々と見つかった。対象をより深いところから理解できるようになった。

研究成果は(僕の能力にしては)良い物になった。卒業時に賞ももらえた。

それよりも何よりも、研究者としての姿勢や、思考方法

偉大な研究者と直接対話し、間近で見れた事が一番素晴らしい体験だったと思う。

Dを取るのは一年遅れたが得た物はずっと大きかった。

ところで

「将来、人道的な範囲労働環境で、趣味不自由しない程度の金がもらえる、自分の適性に合った仕事につきたいので、そのための活動をしたい」と書いたほうが正しいのかもしれない。

このような考えなら院に進まずに就職した方が幸せになれるんじゃないかな。(分野にもよるけど)

研究者は道のない道を歩くような物なので。何も保証されないからね。

まずはあなたの分野のポスドクがどのような人生を歩んでいるか調べてみたらどうでしょう

充実した研究生活を送れますよう。あなた幸せを願って。

2014-06-09

ゆとり新入社員ゆとり新入社員に思うこと

入社2ヶ月と数日の私が同期のゆとり新入社員に思うことを書きます

普遍的な話とかゆとり世代の話とか同期に限った話とかが十把一絡げになっているのでその点ご注意ください。

会社での振る舞い

良くも悪くも就活マニュアル本の延長線上的な振る舞いが散見される。

良く言えば、礼儀に関しては最低限の知識があり大きく間違うことはなく、模範的で平均的な社員である

悪く言えば、かしこまらなくていい時でもマニュアル通りに振る舞い、先輩や上司とくだけた話をするのは苦手である

その原因は、敬語に対する恐怖心や失礼なことを聞いてはいけないという思いだと思う。

例えば、おふざけを言った先輩社員に軽いつっこみやいじりをするということができないということがある。

敬語フランクになってしまうことへの恐怖心と失礼にあたるのではという躊躇いがそうさせているのではないだろうか。

また、そういう場合に彼らは「あ、、ええ、、、そうですね」のような不自然な返答や困った表情でただ言葉をつまらせているケースが多い。

彼らの振る舞いはどことなくぎこちなく歯がゆいである

なぜそういう振る舞いになってしまうか

私たちゆとり世代というのは失敗することを非常に嫌う。

言葉を換えれば、リスクをとってまで挑戦しない傾向が強いのだ。

成功して得ることより失敗して失うことを避けたいと考えているといってもいい。

そう考える背景について

失敗して道を外れた人たちが再び元の道へ戻ってくることができないのが日本社会であり、厳しい現実だと教育者(両親・親戚や、テレビパソコン等の情報も含む)から日常的に刷り込まれてきたことが背景にあると感じている。

刷り込まれた情報代表例として、雇用状況の悪化、平均年収の低下、節約生活ブーム、学歴差別世代批判、SNSにおける個人への誹謗中傷、が考えられるが、こうした情報日常生活を通じて身体に染み付いてしまったのである物心つく前からケータイとともに成長してきたマセガキ自分達がこうした情報に右へ倣えで育ってしまうのは必然ではないだろうか。

(親御さんへ、インターネッツは怖いところです。なんて脅しぐらいでは子供は余裕でネットに浸りますよ。リテラシーを教えましょう。)

いちゆとり社員として

生まれ育った環境が悪かったんだ!もっと優しくしてよ!なんて微塵も思わない。

ゆとりというのはこういう傾向がある、と参考にしていただければいい。

あくまで参考であって、世代という言葉定型化することはあまりに無謀であり乱暴な話なのだ

決めつけて扱うのはやめてください。お願いします。

ゆとり社員

マニュアル本に頼っているうちは補助輪付きの乳母車のようなものだろう。

そんなものに乗ってる奴を誰が大人として扱うのか。

言葉遣いを注意されたらすぐ直す努力しろ

失礼な態度をとってしまったら2度目はしないよう心がけろ。

お前たちと同じゆとり世代として生きる私の歯がゆさを考えろ。

ふう、、、

2014-06-02

http://anond.hatelabo.jp/20140602174208

いや、自分がそれなりに満足してるなら分かるんだよ。だから自分境遇に満足してる教育者という存在は納得できる。

満足してないのに子供に託す的な価値観わからん。それとも全然ダメな状態に満足している(から子供を作るなりする)ってことか?

2014-04-20

http://anond.hatelabo.jp/20140420095230

管理職有給の時期変更権を正しく行使しなかった。

教師は、教育者としてあるまじき日に有給行使した。

それに対して納税者の不満が吹き上がってんだろうが。

「注意」を行ったこと自体教員組織が俺と同じ考え方

入学式有給行使することは、公的な訓戒に値する」

と評価してんだろ。

俺は処罰不足だと思うがな、管理職への処罰が行われていない点も最悪だ。

http://anond.hatelabo.jp/20140420092514

職務は一日残らず重要に決まってるだろうが。

国民税金で賄われる以上、「入学式重要だ、休むべきではない」と

考えるべきだし、いわんや教育者としてそれは当たり前のことだろうが。

教師として担任生徒の入学式以上に大事な業務があるかよ。

そんなこともわからないのかこのボケは。

そこから教育が始まる何より大事な一日だろうが。

その日に出られないなら辞職する。当たり前だろう。

http://anond.hatelabo.jp/20140420091413

は?「私的事情公務を休む人間」と「私的事情では公務を休まない人間

十分な人材バッファがある状態で前者を採用しているのが、まず公務員としてありえないだろ。

寝言言ってんだこのバカは。

教育以前に給与を貰って働く職業人だろうが。

教育者ってのはもしかすると「日教組」とか「バカ」とかの同義語なのかもしれないが

職業人ですらあれない人間教育者であれるわけないだろ。

ましてや、これから指導担当する生徒たちの入学式を休むような人間

血税が投入されるなんてことが許されるかよ。

http://anond.hatelabo.jp/20140420090542

そもそも件の教師を、1年の担任にぶつけた管理職サイドの無能が原因だろ。

そんなにたくさん数がいると言うのなら、他の奴に担任させればよかっただけ。


仕事より家庭教育を優先するのは、教育者としておかしい話じゃないと思うぞ。

率先して模範見せないで誰が戯言に付き合うんだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20140420085912

有給の取得時期の一切は学校側に委ねられることとする」

でも十分人は集まるだろうが、教師なんて今じゃ志望者が多すぎるくらいだ。

毎年教採の枠が足りなくて浪人が出てる状態なんだから

国民税金を扱う自覚を持って、それなりの人選をしろって話なんだよ。

俺たちが払った金で運営されてるんだ、甘ったれたことぬかすなよゴミ公務員どもは。

代替要員の確保が容易なくせに効率化をしないのは、国民に対しての背信行為だ。

大体、それ以前の問題として教育者、いや職業人としての自覚があれば入学式を休むはずがないだろうが。

2014-04-19

http://anond.hatelabo.jp/20140418225812

労働者はなぜ声を上げないか、労働運動はなぜ日本で起きないのか、という問題は、歴史的経緯とかそういったことよりももっと大きな問題として、そもそも一世紀以上かけても日本民主主義が定着してない問題と同根だと思う。

昨日ホッテントリで見た、これ

「■[自閉症関連]自閉症の子供がレストランに来たらどうするか?アメリカ警察恐るべしhttp://d.hatena.ne.jp/kuboyumi/20140416/1397793621

自分は、一応教育関係者で、言わば民主主義教育者であり、差別偏見やなんかについても教育する立場にある人間だが、この動画見てものすごい敗北感と無力感に襲われたよ。上の動画自体は、所詮テレビやらせじゃねえの、とか、そもそも風紀のいい地区ちょっとお高いレストランとかじゃねえの、とかいろいろ批判を言いたい人もいるかもしれない。(やらせだとしても、これを放映できる雰囲気があることだけでもすごい。また、確かに客は白人ほとんどに見えるし、そういった地区を選んだというのもあるかもしれないけど、ポテトの山盛りとか食べてるところを見れば、せいぜいファミレスに毛が生えた程度の店ではないかと思われる。)

そもそもどんな風に教育すれば、子どもらを、このレストランにいた客たちのように振る舞えるように育てられるのか、正直分からない。これが民主主義であり市民か!と思った。学校という閉ざされた社会の中で、そういう風に振る舞いなさい、振る舞うべきです、それが民主主義です、と教えること、そしてそう振る舞わせることは、もちろん可能だ。問題は、そのスタンスを、全ての子どもに内面化させる方法だ。つまり、心の底から納得し信じさせ、自分自身をそのように律し行動させるよう仕向けるような教育

配慮/察する」「謙遜」「迷惑」といった同族集団主義的タームを美徳とする(そのこと自体が悪いという意味ではない)日本の文化社会と、構成員多様性を前提とした民主主義とは、そもそも相容れないようだ。そして、世界ますます狭くなる時代には、どう考えても多様性を前提とした民主主義的な考え方がますますスタンダードにならざるを得ない。だから後者価値観を少しずつ学ばせれば、社会も少しずつ変わるのではないか、と思っていた。だが、文化根本にあるそれらの美徳の影響力は、後天的学習効果を遥かに凌駕する。上の動画を見て、

 「障がいのある子がいたら実際迷惑じゃん?」

 「家族も周囲への配慮が足りないよねー。モンスター消費者だねー。」

 「周囲への迷惑を折角察して、そして自ら憎まれ役を買って出たかもしれないオッサンを排除するなんて心の狭い社会だねー」

…というような感想があっても、今は別に驚かない。それが日本文化であり社会美徳に根ざす考え方だから。でも、そういう文化社会は、これから時代対外的にはどんどん敗北していくほかないのではないか。(クジラしかり、おそらくTPPもしかり。)労働運動なんてとんでもない、という人に言いたいけど、労働雇用契約というのは労働力売買契約なんだよね。つまりサービス残業ブラック企業というのは、労働力ダンピングであって、市場経済においては犯罪行為の一種なわけ。そういうことを日本という国が組織的に許容してる、と判断されたらどうなるの、ということは想像できる? TPPが開く未来を、たとえばそういう面で想像してみれば、特に現実的な想定の話をしてるわけじゃないということは分かって貰えるんじゃないかな。

 「デモとか大声で主張するとか迷惑じゃん?」

 「組合って、会社立場への配慮足りないよねー。雇われの立場でさ。」

 「周りの雰囲気を察して自分残業しよう…もちろん無給で。」

こんな言い分は、昔々の同族集団世界以外では通らないんだよ。

から、もはや右や左やといいながら内輪で争っているような場合/状況ではない、危機的な状況と思うんだよね。正直なところ。

2014-04-17

兄弟の父親との遊び方について

俺は二人兄弟の次男である

子供の頃は兄とばかり遊んで、自分より下の存在がいないことがずっと不満だったので

長男が生まれたとき、ほんとうに嬉しくて目に入れても痛くないほど可愛がり、世話をし、一緒に遊んだ

遊ぶときはいつも子どもと同じレベルになって、いないないバアをし、追いかけっこをし、

ままごとをし、ごっこ遊びをし、工作したり迷路を作ったりし、今(小1)も同じアニメを見て語り合ったりしている。

子どもと同じ目線で遊ぶことが楽しかった。かけがえのない親子の思い出をいっぱい作った。

しか子供というものは一度ツボに入ると何度も何度も何度も毎日毎日毎日同じことを要求してくるので、大人の側は絶対に飽きる。

それでも飽きた頃には成長して別の遊びに興味を持ってくれるので、また楽しく遊ぶことが出来た。

次男が生まれて同じように遊ぼうと思ったとき、全ての遊びにもう飽きていることに気づいた。

一生懸命遊んでやろうとするが、こっちは心から楽しめない。保護者教育者としての目線しかなかった。

俺が遊ばなくても長男が同じレベルで遊んでくれるので、遊ぶ時間がそもそも圧倒的に少ない。

俺は父親とはほとんど遊ばず、ほぼ会話もしないまま大人になった。

それは俺が次男で、父親にとって遊び飽きた相手だったかなのだろう。

次男が生まれてはじめてわかった。

俺は父親には何のわだかまりもなく、これ以上関係を深めたくもなく、年に数回合うだけで

多少人並みの親孝行をして、そのうち死んでいってもらえればいいと思っている。孫も見せたし。

死んでも多分泣かないと思う。

父親は俺の兄を俺よりよっぽど濃密に接し、厳しくしつけたが兄は今実家住まいの半ニートである

お互いのことをよくわかっているだけにしょっちゅう喧嘩もしていてうんざりする。

案外次男ルートのほうが父親との関係としてはいいのかもしれないと思ったりしている。

2014-04-11

尾木ママかいネタキャラテレビ出まくっている先生が小保方擁護

http://ameblo.jp/oginaoki/entry-11817978839.html

“冒頭のお詫び素直で率直、誠実さがにじみ出ています…立派ですねお一人で…政治家の弁解よりはるかに気持ちいい気がします!!”

彼がトップに居る法政大学教職課程センターでも、コピペ論文がばれても、わざとらしく泣いて謝れば素直で誠実さに溢れているわ~って許されってことですよね。

とても教育者意見とは思えんのだけど…

2014-04-01

http://anond.hatelabo.jp/20140401131451

誰もが教育者になれないと同様に誰もが育ての親になれるわけではない。

それは不断努力必要。だから地域親戚の繋がり協力必要地縁血縁

薄くなった今は、暴走しがちだよね。歯止めなくて。おにばば、モンス

ターの時代法律で縛れるか?難しいよね。

STAP細胞不正論文の件と甘酒盗作だった件は似ている

STAP細胞不正論文の件とHSPプログラムコンテスト2013の窓の杜賞が盗作だった件は似ている

 何故、不正論文を提出してしまったのだろうか?何故、盗作をしてしまったのだろうか?このように倫理観というものが欠如している場合特に科学者にはなって欲しくないし賞賛もされて欲しくない。

 科学の分野では倫理観の欠如の様を広く広報してほしくない。不正科学的知見を広めることはその知識を取り入れる人すべてに嘘をつくことなる。嘘も方便?いいや、そこでそのことわざが出る所が倫理観の欠如の元なのだ。文脈の破綻を自らで見つけられないのは何かしらの訓練が足りないのだ。

 学校で習う主要5課目は高校大学受験金科玉条であるしかし、学校生活をする上で身につけていくある種の倫理観を養う体験、もしくは倫理観について自ら考えることを疎かにされていた場合このような事が起こるのではないだろうか?日本必要なおおよその倫理観はすでに結論が出ている。結論を出すまでの過程は自ら見つけていかないと自らの倫理観というのは実感できない。しかも今この日本社会では個性や考え方の違いというような言い訳で「社会人」「人間として正しい姿」の像がブレているようでならない。むしろ、「正直者はバカを見る」というように倫理的な言動に準じている人を目に見える形で社会的に高く評価したりサポートしてこなかったツケをこれからも払わせられるのではないかと感じている。

 とある地域学校では成績さえ良ければ何をしてもよいというような風潮がある。「何をしてもよい」は生徒によって非倫理的行動(公共施設での迷惑行為、影での不良行為、他害行為犯罪行為など)すらも受容されると解釈され実際に非倫理的行動を行い多くの人に迷惑をかけ、傷つけ、場合によっては取り返しの付かないこともしている。マスメディアに取り上げられる段階になってようやく教育者がアタフタして取り繕うのだ。滑稽でならない、そして教育者もなっていない。それによって被害を受けた際、往々にして当事者達は何かと理由をつけて問題をうやむやにし責任を取らないし実際に取れない。非倫理的行為他者の貴重な時間を奪い、場合によっては被害者苦痛を負うということを当事者理解できてないというのを感じる。むしろ理解していても「自らの利益の為には他害も厭わない」と見受けられることが多々ある。これこそが倫理観の欠如なのだ

 盗作の件もこれに準ずる行為の一環であろう。

 本来、こういった不正をわざわざ起こすのはやはり「賞賛」及び「賞賛に付随する多くの付加価値」が人を不正に駆り立てるのだ。私はこのような振る舞いを『倫理観の欠如した利己行為』として認知している。かならず学校会社、友人、親類の中でこういった行動を日常的に繰り返す人達がいるのではないだろうか?私はいろんなことろで見てきている。第一印象が良くても、成績が良くても、会社での評価が高くても、社会での評判が良くても、こういった行為を行う人物は目に見える形でシグナルを発している。これらのシグナルは裁判で使われる証拠となるような確かなものとは言いがたい。人によっては妄想だとか不確かなものだとか思われるだろう。だが確実にその人が発している中にあるのだ。そういう人に注意しこれらの人に関わらないようにしていきたいし、願わくばそういう人は倫理観を身につけて欲しいと思っている。

 『三つ子の魂百まで』という”ことわざ”があるが、私は今まで自らの意志と訓練でどうにか修正できると思っていた。しかし、私の人生経験の中そのような人は皆無だった。だから倫理観の無い人に倫理観を語っても身につけることは困難を極めるのではないだろうか?私はそう思う。

 蛇足だが、この件で旧石器捏造事件((http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E7%9F%B3%E5%99%A8%E6%8D%8F%E9%80%A0%E4%BA%8B%E4%BB%B6))とサイコパス((http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E7%97%85%E8%B3%AA))が浮かんだ。

 そして、これらの「倫理観の欠如した利己行為」を行う者の助けになるような事を行うのはどうにもこうにも納得がいかないのである虫唾が走るである。だからその者からは離れたいのであるインターネット上の非倫理的無慈悲制裁もいけ好かないが、かといって該当する行為を許容する事も出来ない。なんともむず痒い思いがする。

 最近たまたま見たアニメでそれらをテーマにしたものがあった。ハマトラの10話~12話にかけてである。敵役が言葉で色々と説明してくれているので作品としては興ざめだが、逆に問題点を凝縮して映像として見せてくれているのでとてもわかりやすい。今の時代に訴えるべき内容がある良い脚本だった。

2014-03-30

教育者がどんな時でも死守しなければならないこと・・STAPと教育

http://takedanet.com/2014/03/post_232b.html

コーヒー吹くどころの騒ぎじゃないw

テレビでもとても興味深いことをおっしゃってた教授様ですが、ひっこみがつかなくなったのか、なんなのか、

取り敢えず早稲田学校側だけを否定すれば全部済む、みたいな話に持ってこうとしてますね。

いや、早稲田指導教官査読体制おかしいのは明らかですけど。

すごいな、この教授の授業のレポートとかなら、上手くその場で教授の目をごまかせたら後からばれてもお咎めは絶対しない、ってことだな。

2014-03-01

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20140225

http://d.hatena.ne.jp/locust0138/20140225/1393341659

http://rlee1984.hatenablog.com/entry/2014/02/27/234905

上の三つが目に留まりました。

この記事を書く理由はこれらの議論を見てイライラたからです。

こんなこと書く意味はあるかわからないけど、

私は某地方都市高校教員理科)をしている理学部院卒。

学生時代塾講師中学生理科国語数学を教えてました。(6年)

ということですべての意見に対して反論することはできるのが

肩書しか見ないで意見を信用するかしないか決める人にもわかると思います

結論から書くと、私はちきりんさんとコウモリさんに反対でバッタさんに賛成です。

以下の四つに関して適当に書きなぐってみました。

現状の教育カリキュラム特に科学教育)は良いものなのか、悪いものなのか?



結論から言えば私はそこそこ良いものだと思います。よく考えられて作られたのが分かる。個人的に言いたいことは山ほどありますが。

きちんと基本について抑えられているし、応用が利くような項目について教えられているはず。

これを全員がきちんと学べばこんな議論もなくなるのではないでしょうか。

基本的な知識を学んだうえでの応用のほうが適応範囲も広がるし、柔軟な思考もできます。その柔軟な思考が空想、妄想にならないためには論理的思考能力必要です。

ただ問題なのは、応用について十分な紙面を割いていないこと。そこに関しては確かに問題であると思います

から現実世界に学んだことを応用できない人が多いのです。学んだことを生かそうとする意識を養わないといけません。

ちきりんさんに反対する理由

では、どう生かせばいいのか。具体的に書くと割と時間がかかるので、ある程度適当に。

リボ払いを選んだ場合の利子の額

 手間はかかるが小学生レベル算数でできる。

・大半の人が選んでしま住宅ローンの“元利均等払い”の恐ろしさ

 数ⅡBを学んでいればわかるはず。特に指数計算と数列を学んでいれば。

 これらはむしろ生物というより医学だが・・・

・命にかかわる病気になった時、治療方法をどう選べばよいのか

 保健体育でやったでしょ?セカンドオピニオンとか。そしてその治療方法妥当性を学ぶためには生物必要である

妊娠メカニズムと、不妊治療やその限界など

 同上

副作用も指摘されてるワクチンを勧められたんだけど、摂取すべきかどうか、どう考えて決めればいいのか?

 これはリスクマネジメントの話であるが、実際に病気にかかるリスク副作用リスクを勘案すればよし。

・太っちゃって、脂肪吸引に興味があるんだけど、大丈夫かな?

 中学校理科で、血液は全身を循環していると学んだはず。施術中に、脂肪細胞血液中に入れば血管詰まるリスクがあるのはわかるよね?

トイレ掃除とき、何と何の洗剤を一緒に使うと危ないのか 

 高校化学でやる酸塩基反応、酸化還元反応をしっかり理解していればわかるはず。

・ガスファンヒーターの前にヘアスプレーカンがあったら、どれほど危ないのか

 空気はあったかくなることを膨張することを知っていればいい。中学理科空気の力はたいていどの教科書にも写真つきで載っている。

ホテル火事にあったら、煙は上下、どっちに流れるのか

 空気は膨張すると上昇すること、冷えてくると空気より重い気体(エアロゾル?)は下がってくることが分かればいい。

天ぷらから火がでたら、水をかけるのとマヨネーズをかけるのはどっちがいいのか。なければケチャップでもいいのか?

 油の温度と水の三態、そんで水と油どっちが上に行くかということを知っていればいい。ここから水分が多いほど危ないと分かり、できればマヨがいいとわかるはず。

イオンのでる家電って、なんか意味あるの?

 まずイオンを知ろう。その後に、科学的に実証されているものかどうかを調べてみよう。ここで論理的思考能力必要になる。

放射能が怖いんだけど、ラジウム温泉ダイエットするのは大丈夫

 最近高校教科書には放射能とかも載っているので問題ない。ただ、ラジウム温泉ダイエットはできるのだろうか?

ということでちきりんさんの教えられたい項目は高校までにだいたい教えられていたのです。それをしっかり学んでいたかどうかが問題なんです。

科学教育無駄ではないでしょ?

バッタさんに賛成する理由

大学へ行くと知識が力になる体験というものをする。主に研究生活でだが。

そういった実感を持つ人にとって、”「生活するために必要科学知識」を習得する上での一番の近道は普通に理科勉強することだと思います。”という考えを持つことは当然である

ただ、わからない人も多くいるので最初に言ったように応用面の記載を増やしてもいいと思うが。

他の基本的な大意についても一番上に書いたことと同様なので基本的には賛成です。

コウモリさんに反対する理由

さて、この人が一番問題です。ぶっちゃけて言えばこんなあほな議論を見たためこの記事を書いたといってもいいでしょう。

同意できるところを先に書いておきます

対象者によって教育内容を変えるという点は同意できます。ただ、それはより経済的社会的トレードオフの問題になりますが。

世の中にはできない子がいるという点にも同意できます。それをできるように変えていくのがすべての教育者仕事であると思いますが。

教育論では素人がなぜか力を持つというのは教育者の間では割と昔から言われてることで、これも特に異論はありませんが、どのように破綻しているのかということを示す義務が、わかっている人にはあると思います

さて、以下はすべて反論である

”議論のレベルが数段落ちてる”

彼(彼女?)は議論というものをわかっていないのでしょう。

彼らが話しているのはちきりん氏の記事には論理的破綻(つまり科学的基礎は重要である)があるということを指摘しているのである

レベルという言葉プログラミング言語における低級高級のような意味で使っているというのならともかく、そうとはどうしても文脈的に読み取れません。

それと、相手に対しては敬意をもった言い回ししましょう。とてもじゃないがバイアスがかかり過ぎてて読みづらいです。

バッタさん、やまもとさん「理数の学問的基礎は大事だよ、みんないつか使うかもしんないじゃん <`ヘ´>」”

こんなこと読み取れません。国語能力がよっぽど低いか、バイアスがかかっているのでは?

みんないつか使うから基礎を重視しているのではなく、基礎がなければ応用が成り立たないからと書いてありませんでした?

この言葉の裏にあるのは基礎を教えてそれを応用したほうが短時間でより多くの事が学べ、使えるようになるため、記事で書かれているような時間トレードオフ的に有利だからです。

現代では、「情報を網羅して知っていること」以上に、「知らなかった情報を使いこなすこと」こそが重要からです。その技能習得してもらうためにこそ、経験学習(問題解決学習)は有効だと言えそうです。”

何を言っているかからない。系統学習有用性は上記しました。情報の取捨選択の面からみても基礎的な情報を知っていることが大切です。

また、多くの知識を知っていればいるほど、知らなかった情報をうまく使いこなせると思いませんか?

問題解決だけしていても断片的な情報たまるだけで、系統的な知識として身につかないので応用が利きません。

応用が利かないということはより余分に学ぶ必要があるということです。これは時間トレードオフ的に無駄ですよね?

”台形の面積の計算方法から数学的思考法なんか学ばねーよ。”

そうではありません。単純にあなたの考えが至ってないだけでは?

さらに、台形の面積の計算方法はは図形の面積の計算方法の一部であり、図形の面積の計算方法を見れば十分に数学的な、論理的な思考法のひな型なのではないでしょうか?

たとえば、同じ三角形を二つつなげれば平行四辺形の問題に帰着でき、それを半分にすれば三角形の面積だよね、ということ自体数学的な思考法であり、それを証明するためには論理的な思考法が不可欠になりますよね?

台形にも同じことが言えて、上辺と底辺が並行であるならば二つつなげれば平行四辺形になる、ということに数学的で論理的な思考法が必要になることはわかっていただけると思います

それと、塾講師をしていたという割には大枠で教科全体をとらえるという思考がないような気がします。教材の作成や、指導法について悩んでこなかったのでしょうか?

”台形公式を「知識」と捉えてしまう「さんすう苦手」層に向けては、もっと実用的な計算を教えた方が良いし、それを「理解」して使いこなせる「さんすう得意」層に向けては、もっと本質的な理数教育を施した方が良い。”

本当に塾講師をしていたのでしょうか?教えられていた生徒たちが哀れに思えて来ます

算数苦手な生徒たちをいかに理解させるか、ということが教師としての仕事なのではないでしょうか?

彼が言っていることはバカはバカのままでいい。ということに他ならないと思うのですが。

最終的にこの記事の結論としては“経験学習vs系統学習への新しい答えの1つとして、「対象者によって分けてみたらどうだろう?」というちきりんさんの提案がある”ということを確認するために書かれたのではないかと考えています

私は流石にそこまでは、この議論からは読み取れないのではないかと思いますが。

しろ重要なのは現在科学教育妥当性という何度も提案されてきたいわば古い話であってちきりん氏を擁護するためにそこまでしなくてもいいと思います

また、生活的知識と科学的知識は背反するようなものではないということは上に書いたのでわかっていただけると思います


私が言いたいのはこの問題は系統学習VS経験学習という対立軸を持ち出す必要もなく、

基本的な知識をしっかりと身につけ、無理解を少なくすれば、ちきりん氏の言っているような実用的な概念を身につけることは現在教育で十分にできている。ということです。

これはバッタさんも指摘していることですが…

からこの話は最初から的外れなんですね。

一応誤解がないよう書いておくと、私は系統学習を主にしてそれを応用できるような経験学習をさせるのが最も定着力よく、応用力も利き、かける時間も少なく済むと思っています

それは私がいろいろと教育について思考錯誤した結果であって論理的裏付けがあるわけではありません。だからこそ、私は今回、そのことで批判していないと思います。それは教育者一人一人であっていいと思うので。

それ以前の問題、論理破綻無理解な部分について的を絞って話していました。それでもこんなに多くなってしまいましたが。

嘘や適当なことを言って自分意見を補強してはいけません。それはただの害悪な文章であり、知らない人をただ煽るだけなのですから

2014-02-22

http://anond.hatelabo.jp/20140222174248

虚言癖になるまで追いつめやがって、この子の親や教育者にあたる者は果てしなく屑だ。

なぜ嘘をつく様になったかを考えずに嘘をついたことだけを責めてるんだろう。

そりゃ治るものも治らない。嘘をつくまでの心理を全く考えてない証拠だな。

いままでもコレからもこの子は不幸だ。そしてその不幸を作り続けるのはお前だ。

嘘をつくたびに最初は罪悪感もあったろうが、それでも詰問するような事を繰り返されてるんだったら嘘言った方が楽だなって事になる。

大人の事情しか言ってなかったり子供目線に立てなかったり、そういうモノの言い方しかしてないんだろう。

原因はすべてお前にある。よくよく考えろ。お前には自省機能が無い。まるで韓国人のようだ。

2014-02-20

なんで、こんな簡単な事も出来ないんだ!は 教育者としてマヌケ

それを見つけて出来るようにするのが、教育者仕事

生徒の優秀さに教師が頼ってどうする。逆だろ。

 

出来てないから、出来ないんだから。どうやったらできるようになるか考えろよ。

後輩指導のために頭を使ってる先輩の気持ちを少しは考えろ。

お前らが出来るようになったのは、誰かが教え方を考えて、お前らに教えたからだろ。というやつ。

今ある教育メソッドは、大地の中から湧いて出てきたわけじゃねーよ。先人たちの汗と涙の結晶

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