はてなキーワード: 教育者とは
遂に自殺未遂をした。
偶然助かってしまった。
これまでは3月末までだから大丈夫と自分を奮い立たせて頑張ってきた。
これまでは私の「限界」という言葉にはまだ余力があると思っていたが、元々私の容量にはなみなみと液体が入っていて、なんとか表面張力で保たれていたのだと感じた。
私は生徒が大好きだ。
生徒の前ではいつもと同じように頑張れる。
にこにこと笑っていられる。
これまでは生徒のことを思えば「終わりまで頑張ろう」となんとか体を動かすことができた。
しかし、一昨日は生徒のことなんて頭になく、大好きな家族のことすら、恋人のことすらどうでもよくなり、ここで死ねば学校に行かなくてすむのだと思い、シートベルトを首に巻いた。
私の学校では、いじめに加担している教員のクラスにはいじめがある。
私のクラスは「平和すぎてつまらないくらいだ。」と生徒達が口々に言うほど、何もない。
正しくはいじめられているのかもしれないという表現に留められる。
この子達が大好きだ。
私のクラスは校内で一番真面目で優秀だと評判だ。
しかし、私が担任だからという理由で、私をいじめる主犯格が「このクラスはつまらない。最低だ。真面目すぎて不愉快だ。」と責める。
真面目に授業を受けることの何が不愉快なのか私にはわからない。
私は彼らを褒めて愛情を注いでいる。
彼らは良い子達に育ちつつあって良かったと思う。
そうなると成長途中の彼らは少しずつ崩壊してしまうかもしれない。
でも私はいじめに耐えられる気がしない。
いじめのないクラス、問題が即座に解決するクラス、しかし私は職員室でいじめられている。
生徒には申し訳ない。
生徒達は私が昨晩自殺未遂をしているとは思わなかっただろう。
薬をばりぼり食べて、泣き叫んで声を枯らしているとは思わなかっただろう。
彼は来年度いなくなる。
もし私が残ったら、次は私が本格的なターゲットにされる。
セクハラはなくなった。
私はきっと死んでしまうのだろう。
生徒を愛しているからこそ辞められない。
乙武のおかげで、またぞろ「障碍者は既得権益者」とか「年金で貴族生活」とか多くの障碍者家庭の実態を全く知らないバカどものが騒ぎ出している。
色々なところで言っているが、障碍者家庭の多くは「明日の生活がどうなるか分からない」という厳しい暮らしをしているのに。
ところで倫理観の足りない障碍者と言えば、思い出せば私の知り合いに視覚障害者がいる。
彼も大学で講座を持ったりするような高学歴、障碍者問題に詳しい、口の達者な人物だ。
彼はことあるごとに「障碍者は社会的障壁さえなければ健常者と同じ生活をすべきだし、できるはずだ。そして社会はそれを行わなくてはならない」とぶちあげている。
それはそれで結構なんだが、彼は学生を妊娠させたり不倫したりと、たびたび女性問題を起こしている(そのたびにスタッフが謝罪やらもみ消しやらしている)。
もし乙武とその視覚障害者の両方を知っている人物ならば、「ああ、やはり障碍者はアカン」となってもおかしくはない。
しかし、もう一方で乙武と件の視覚障害者の共通点は何か、と考えると、
「人から褒めそやされる立場にあり、自身の言動が障碍者全体の意見のように見られる状態にあり、その恩恵を受けているにもかかわらず、それをいやがっているポーズをしている人物」
と言えるのではないだろうか。
故に、彼ら(まとめるのも何だが)は「障碍者だって人間なんだ。間違い犯すんだ」と悪びれずに言えてしまうのではないだろうか。
彼らが犯す間違いは普通であれば社会的に抹殺されてしまうような事であるにもかかわらず、自身には通常ではあり得ないような防壁があるため、安心して倫理観を無視できるのではないか。
まぁそれ以前に、乙武にしろ件の視覚障害者にしろ「えらいねぇ」とばかり言う人間ばかりを周りに侍らせていれば、倫理観がゆがむのも当たり前なんだが。
昨年末、乙武氏は20代後半の女性と共にチュニジア、パリを旅行した。「ダミー」として、男性1人も同行させていたという。
乙武氏には2001年に結婚した妻がおり、現在、8歳の長男、5歳の次男、1歳の長女を持つ身。教諭の経験があり、都の教育委員も務めた“教育者”の不貞行為ということになる。
都内の自宅マンションを出てきた本人に取材を試みたところ、否定し、事務所スタッフが運転する車に乗り去った。その後、改めての取材申し込みに応じ、
「肉体関係もあります。不倫と認識していただいて構いません」「彼女とは3、4年前からのお付き合いになります」
と不倫を認め、さらに“これまでの結婚生活で5人の女性と不倫した”と告白した。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160323-00506816-shincho-soci
言葉足らずだったせいで、ありがちな勘違いを呼んだようなので、訂正しておく。
1、女性が子供を(平均して)二人未満しか産まない社会には重大な問題がある
2、女性が子供を二人以上生むことは、 「社会にとって」 重要である
3、女性が子供を二人以上生むことは、 「社会にとって」 仕事でキャリアを積むこと以上に重要である
校長が話しているのは、「社会にとって」重要かどうかであって、個人にとって重要かではない。
これは、どこをどう読んでも、そうとしか取りようがないはず。
ただし、校長は「子供を二人以上生むことは社会にとって重要だから、キミたちも社会の役に立つように二人以上子供を生むことが大事ですよ」とも言っている。
これが問題ではないかという指摘について答えたのが「もうひとつの論点」と書いた部分。
で、
>環境が整備されれば恐らく出生率も今よりは上がると思われるが、その上で何人生むかの選択をするのであれば個人の自由。
というあなたの意見は至極真っ当なのだけれど、それでは教育者が児童という一個人に対して、お仕着せするように「社会のために役立つ生き方をしなさい」を説くのが、公人としてOKかNGかと考えたときに、私はOKだと判断したと書いている。
「子を産めない人は寄付を」 「2人以上」発言の校長(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160312-00000033-asahi-soci … #Yahooニュース
この問題は個人の選択の自由を「校長」という立場の人がその発言によって侵害している全体主義思想。少子化の進んだ社会で子供を産み育てることの大切さは認識されるべきだが、それを強調することにより問題の焦点のすり替えが起こっている。
これ、昨日のうちに読みましたよ?あなたのポイントはなに?これ読めば、頭おかしいとは思わないだろう、ってこと?全文読んだ時に、このひと頭おかしいとわたしは思いましたけど?
こういうずれてる老人たちがいつまでもリーダーシップ周辺にしがみついてるから、実効性ある少子化対策がなかなか進まないのでは?老人にお小遣い、は即決するくせに。 TrinityNYCさんが追加
零除算居士 @zeroDivMonk 子供作れないくらい、生活が困窮してたりするのが普通なのに……結婚相手すら見つからないとか。 https://twitter.com/TrinityNYC/status/708622160600940545 …
ほら、また、これを「男性vs女性」の問題に転嫁しようとする!大ありでしょう、寄付というのは、ひとに言われてやるもんじゃないんだ。 TrinityNYCさんが追加
こっこ@物書き初級 @rufeir さっきも呟いたけど、男はもちろんみんな寄付しろって言ったなら、問題なかったかも? https://twitter.com/TrinityNYC/status/708622160600940545 …
何度も言うけど、全文は読みました、こういう全体主義風吹かせる頭おかしいズレてる校長にはさっさと引退していただきたい。
これで3度目になりますが、もう一度(そして、これが最後と思いたいw)言いますね、【わたしは全文を読んでいます!!!】 こういう頭がおかしい教育者はさっさと引退しろ、という言葉しか浮かびません。報道?ぜんぜん関係ないね。
アメリカも、アダムとイブが正しい!進化論なんて教えるもんか!と頑張る教師とかいて、ああいうのも迷惑だ。ペンシルバニアのある町では、そういう教師と学校を相手取り、迷惑だと感じた親たちが訴訟を起こし、裁判つづいて、学校側が負けた事例がありますよ。
あの校長の一件は、朝日新聞の報道の仕方のせいだ、実際の全文読めばそれは誤解だ、という主張をなさる方へ。こちらは(全文よんだら)マジ頭おかしいとさらに確信を深めただけですので、もう送ってきてくださらなくても、結構です。
そこなんですよ。今アメリカで起こってることも、同じですよ。トランプの発言のどこに問題あるのか、わからないひとがいる(しかも大勢)、そして、後先考えず「好き勝手なことを言う・する」ことと「自由」を混同しているひとも大勢。
@TrinityNYC いちいち、Twitterであなたの個人的な思想傾向を吐き散らさないで頂けますか?老人のヒステリーは極めて醜い。
@ravekamisama @TrinityNYC 校長が全校集会で個人的な価値観を生徒に向けて話す方がおかしいですよ。Twitterで個人の意見を見かけて気に入らないなら反論すればいいしその気がないなら見ないようにすればいいのでは?
@erisanq 個人的な意見と誰が決めたのですか?件の校長が潜在的に女性蔑視思想を持っているなどと、よく解釈出来るものです。彼はいささか古い言葉で、人を生み育てる大切さを説いただけです。あなたの価値観では、人間は母胎でなく、機械か何かで人工的に生み出されたほうがよいのでしょう。
@ravekamisama 人を生み育てる大切さを説くのにキャリアを積むより大切だなどと言う必要はありません。何か別のことと比べる必要などない。何かと比べた時点で、その何かを否定しているんです。だからあの話は個人的な意見でしかないと思います。
@erisanq キャリアって言うのは国があって初めて成り立ってるんですよ...
@sennbei717 キャリアを積みたいならまず国を守れと言いたいのであれば、女性の出産育児以外にも必要なことは山程あります。男性も一旦キャリアを積むことを諦め、国を立て直すために必要なことのみに全てを費やすべきではないでしょうか?
「子どもを2人以上育てることは女性にとってキャリアをつんだり大学行くより大事」的発言で炎上の校長の全校集会挨拶、卒業式では「厳しい子育てはロボットに解決してもらおう」って話になってたw
http://swa.city-osaka.ed.jp/swas/index.php?id=j702572 …
もう、うるっさいなあ、わたしの個人攻撃なら要らないってば。あなたたちが何言ってこようが、このツイッターアカウントはわたしのものだ。わたは一度たりとも@koshin2783さん、あなたという「個人」を批判したこと、ある?ないでしょ?
この人同様、数日前もこうやってわざわざ@つけて自分から話かけてきて、「うるさいからあっちいってろ」と言ったら「話しかけないでください!」と支離滅裂な女いたけどさw 私は黙らないし、あなたの個人攻撃もしませんよ、さようなら。
私が個人的な思想を言えなくなったら全体主義だよ、わかってる?と聞き返したいが、こういうひとってブロックしてから言い捨てに来るのよねwww ある特定の個人の悪口を言うのはモラルの問題だが、賛成か反対の意見は個人のフリーダムの範疇だ。
意見が(というより、態度が)気に食わないということで、個人攻撃してくるひとが後を絶たない。でも、@つけて、真正面から、ああしてまっすぐ言ってくるだけまだマシで、更に劣化してるのになると陰で個人の悪口言いまくってる。
いちどあんまり目に余るので、「そうやって私という個人の悪口言いまくるの、正直不愉快だから、やめてくれますか?」と頼んだら、「俺は俺がいいたいことを言う!」と言われた。こういうひと、自分のモラルの低さを「自由」という美しい言葉で包んでるのよね。在特会と同じロジック。自由が泣くわ。
ところで、この「言論の自由」だけど、数日前、シカゴのトランプ集会が、トランプ支持者とトランプをレイシストと呼ぶプロテスターらとの衝突の場と化して、不穏な空気の高まりからバイオレンスに発展しそうになり、中止になったんですよね。トランプはこれを「言論の自由の侵害」とした。(続く→
(続き) トランプはシカゴでの騒動について、カウンター連中の多くはチンピラで、やつらに自由を奪われたとTwしたのです。(彼の言ってるFirst Amendmentとは合衆国憲法で表現の自由が謳われている部分のこと。)(続く)
(続き) 注目はこのツイートの下についてるレスのやりとり。それのキャプチャーが、これ。First Amendmentは【政府が】市民の意見表明に圧力かけないことを謳ったもので、トランプは意味を取り違えている、という反論が。(続く)
(続き) それに対し「あなた弁護士なの?違うでしょ?フン」とトランプの支持者らしいひとからジャブきたが、「わたしはFirst Amendmentを専門にしてる法学者です」と答えて、支持者が自爆してるのが結構笑えて多くRTされている。では自由とは何か、を考えるいい機会なんだよね。
それに関連して、こういう記事が出ている。英語だけど良記事なので張っておく。このひとの大統領選挙集会が回を重ねるごとにバイオレントな雰囲気になってゆくのは、リーダー(を目指すもの)本人が、バイオレンスを肯定するからだ。
http://thinkprogress.org/politics/2016/03/12/3759418/no-one-is-violating-trump-free-speech/ …
「First Amendment」に関して目下アメリカでもっとも注目されてるのは、むろん、例の、連邦政府がアップル社に犯罪者のアイフォンをアンロックしろと要求している件ですがね。
http://www.sacbee.com/opinion/op-ed/article65253732.html …
もちろん、何をどう考えようが、どう表現しようが、そのひとの自由だよ。でも、ある共同体を最も良い状態で保つために必要な約束があり、その約束の一部がポリティカル・コレクトネスであったりする。それを「自由」という名の下ぞんざいに扱い続けると、トランプ集会のようなカオスだけが産まれる。
あー,俺がいいたかったのは,研究にむいてない奴に,「大学にいるから」というだけの理由で研究活動を前提とした作業を過度に強いるべきではないというぐらいの意味であって,何もせずに堕落していくのもそいつの勝手という意味で「自由」にさせるかどうかは,微妙というか場合によるかな.
完全放置がいいという考えがあるのはわかるのだが,個人的には,余計なお世話と言われたとしても,何もしないよりは就活しろ的なアドバイスはしたいと思っている.というか,ある程度は介入してやったほうがそいつの人生にとって良いという学生が,現実にはけっこういるんだよ.二十歳そこそこでは,正直,10年後に振り返って後悔のない行動を自分の意思で選択できるとは限らない.
アドバイスを聞かない奴に対してムカついてキレるとかは俺はないので,そういう意味ではアドバイスに従うも従わないも学生の自由という感じではあるが,何も言わないのは人生の先輩や教育者としての義務の放棄であると個人的には思っている.
今回の一連のちょっとした騒動は、これが小学生の授業であるという背景に対して、過剰な期待があるように思います。
子供が自然の真理を学ぶ時間は、該当の子供においてまだまだ続きがあるのです。
例え教育の途上であっても、嘘を教えるのは教育上よろしくないと。STAP事件や疑似科学などを目の当たりすれば誰でもそう思います。
しかし、子供は知的生物としてはるかに発展途上であり、抽象的問題を理解するには、絶対的な知識も経験も足りていないのです。
だから段階を踏むのです。
I. 数学とは、科学とは、世の中の真理を追求する学問であり、
人間に都合よく結果や値を変えることはできない。
πは3にも3.14にもならない。
II. 仮説は検証とセット。検証できない仮説を設定しては行けない。
仮説に基づいた結果を解にしてはいけない。
実は義務教育はこれと同じことを結果としてしているのです。かつての西洋では同じ夜空を見ても、天動説と地動説がありました。それが様々な観測結果によって矛盾が知られ、徐々に地動説へと落ち着いていきます。
義務教育で振り返ると、あなたが指摘するように、物理で円周率を3.14と仮定することは間違いです。天動説で宇宙を観測するかのように、さまざま矛盾が生じます。そしてその矛盾を解消すべく、算数から数学へとパラダイムシフトが起こるのです。円周率を3.14で計算すると矛盾があるから駄目なのではありません。矛盾だからよいのです。証拠によって知的な態度を転換する準備が養われているとしたら、この義務教育はきわめて効果的です。
ここでいえるのは小学生に円周率を3.14と教えるのは、義務教育内で批判的に検証可能です。だから私は「379.94でいいじゃん」派です。
人類が何百年もの時間をかけて漸く得ることに成功したこの円周率を、「あ。3.140000でいいっすね」とか、たかだか小学校教諭の分際で勝手に変えることはできないのです。
逆に問いたいのは、小学校教諭の分際の「分際」とはどのような意味でしょうか?教育者は教える対象が小学生か中学生かで身分制度があるのでしょうか?それとも、研究者と教育者では身分の違いがあるのでしょうか?どのような研究者も必ず何がしかの教育者を必要とするという意味で、より優位なのは教育者のような気もします。しかし、実際は仕事として課題としている問題が違うと言うだけで、身分に違いはありません。たんに立場が違うだけです。それなのに、「分際」という言葉を使うのは、真に知的な態度なのでしょうか?
どの分野にも共通するかはわからないけれど、やたら自分の専門分野に対して
教育者側に立ちたがる人っているなぁって思う。
すごく頭も良い(学歴的に)のに、よく言えば真面目で悪く言えば頭がかたいのか
自分の専門分野がこの世界を回しているような言葉遣で大げさに持ち上げたり
SEKAINOOWARIのように嘆く。。批判という名の四方に噛み付いていくスタイル。
その分野が好きで好きでしょうがないというより、えらそな姿勢の方が目立っちゃう。
確かにそういう激しい人が一定数いないと成長はないのだろうけども、
そんな人ばっかりでも息苦しくて発展はない気がする。
何がいいたいかってえと、たまには一緒に馬鹿と踊りましょ。