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はてなキーワード: 救いとは

2010-07-22

人の中で浮いて疎まれる

なんでだろう。

バイト先でも学校でも浮いて疎まれる。

どうも俺は「話しかけづらい」「何を考えているか分からない」というようなタイプらしい。

初対面の人が複数人集まる場面のとき、高確率自分スルーされて他の人に話しかけられる。

別に話しかけてもらいたくはない。

完全なる非コミュで、人付き合いは望んでいない。

だけど、嫌そうな顔をされたり、付き合いづらそうな態度をとられたり、嫌われたりすることも望んでいない。

空気として扱って欲しいが、何故か嫌な顔をされたり、おおおああ!

まあ自分から人避けオーラが出ているんだろう。いやよく分からない。

俺はなんなんだ。

学校でも、自分以外に目立たない生徒は居た。

自分も目立たないと言えば目立たないのだが、悪い意味で周囲から注目されていたような気がした。

気がしたというかされていた。

なんなの俺?

水に浮く油。

いや油に浮く水だ。

俺が水だ。

一般的に空気と呼ばれるような人種も溶け込めてはいるような気がする。

空気として。

俺は浮いてる。 なにこれ? 超絶不細工だから??

なんだろう、分からない。

どう説明したらいいのか、文章にしたらいいのかよく分からない。

うまく言葉に表せない。

昔はこんなことなかったんだけど。

俺は基本的に無表情、表情が固いから怒っているように見えるのだろうか。

それとも視線だろうか。

自分視線恐怖症のようなものがあり、視線を自然な形で維持出来ない。

自分が見ていないところで自分を嘲笑している奴が居るんじゃないだろうか」

そんなことを無意識で気にし過ぎているような気がする。

だから周囲を歩く人間をもれなく監視したいような気持ちになっている気がする。

こんなことを言うと

「誰もお前なんか気にしてないから。興味ないから。」

のようなことを嫌味ったらしく言ってくる非人格者のどうしようもない下衆野郎が湧いて出てきたりするのだが、それくらい分かっている。

理屈で理解していても自分精神が変わらないから困る。

というか変えようともしていない。

昔は今の自分改善しようと思案して、色々と頑張っていたような気がする。

でも何時からか疲れきってしまっている。

枯れているような感じ。

ドライフラワー、いやフラワーじゃないな。

干物かな。

どこに行っても疎まれる。

自分を変えろということだろうけど。

俺はもう疲れた。

そんな気力はない。

でも自殺すら出来ない。

楽に死ねない。

どうしてやろうか……。

ああ分かんねえ。

俺はどうしたい?

無能なんですよ俺は。

働けない。

色んなバイトを試してみたけどどれも続かない。

なんで続かなかった?

それも今となってはよく分からない。

なんだったんだろう。

甘えと言われればそういう部分もあるかもしれないが、それが全てでは無いと思う。

というか甘えの概念いまいち理解できない。

なんなのあれ?

なんかもうレッテル貼りに使われすぎていて形骸化しているような気がしないでもないというか。

人が集まる場所に居るのが苦痛というか、多くの人がなんでもなく感じていることが自分にとっては大きな苦痛を伴なうというか。

無駄精神エネルギーを消費しているというか。

なんなんだろう。

人から仕事を教わってもよく理解できない。

人の話を聞こうとしても右から左へ通り抜ける。

頭へ入らない。

読書も苦手。

自分しか居ないような場所でならなんとかなるかもしれないけど、電車内みたいな人の集まる場所では絶対に読めない。

音読ができても意味が頭に全く入らない。

集中が出来ていないのだろうか。

まあ、周囲の人間の動向を絶えず気にしている部分があるのだから当然か。

このままじゃ死ぬしかない。

いや、自殺すら出来ないんだけどさ。

俺の唯一の救いとしてヘリウム自殺がある。

あれなら何とか出来そうだ。

個人で手軽に安楽死

でも俺だってあまり死にたくはないよ。

この世に適応できる人間として生まれてきていれば。

だけど出来ないのだから死ぬしかない。

訳がわからない。

わっけがっわっからにあ。

どうしようもない。

クズだとか生きている価値がないとか何と罵られようとも、もう知った事ではない。

知るか。

どうすればいいのだ。

知るか。

そりゃ加藤大明神様も降臨なされるわ。

でも俺はそうはならないだろうな。

そんな勇気ないし。

そもそも他人にあまり執着しないというか、いやしてるか。

周囲の評価気にしまくってるもんな。

でも殺したいとかは全く思わないなあ。

恨みもないし。

どうでもいい。

どうでもいいです。

そんなことを気にしている余裕がない。

どうしたらいいんです。

もう駄目ですね。

分かってますとも。

だめですよ

死んだ犬です

死んだ犬を蹴らないでください。

狂犬になれば保健所に連れていかれて殺してくれるかな……

なーんてねッ星

で、なんなの俺は。

病気なら病名つけてくれ。

生きられない。

バイタリティ絶無。

俺が可愛い子猫ちゃんフェイスだったら誰かに助けられていたかもな……

でも僕猫で言ったらスフィンクスみたいな奴だし。(毛のない品種の猫)

ああスフィンクスちゃんが可哀想だよね。かわいいよスフィンクス

でも俺実際禿てきてるし? でもすね毛は濃くなってきてるし?

まあゴキブリだよ俺は。

しーね!みんなしーね!

http://anond.hatelabo.jp/20100722122456

学歴を気にしないって自称してる人は「差別しないアピールしてる私素晴らしい!」を実行してるだけで

恋愛相手にも子供の進路にもバリバリ学歴主義に走るよ。

あくまで付き合いだからね。嫌な顔されたくないでしょ?

現代は学歴重要ファクターなんだからそれを疎かにするわけ無いじゃん。

それに気づかないヴァカ救いようがないということで、お察し下さい。

2010-07-21

http://anond.hatelabo.jp/20100721091326

「悪人こそ救われるから過去にとらわれてくよくよしないで!」

これって「なんたらかんたら(忘れた)、いわんや悪人をや」だったっけ。

この解釈、ほんのちょっとだけ違くね?

厳密には

 善人は自力で悟りを開ける力を持つから無問題

 悪人は自力で悟りを開く力が無い(だから悪に走る)から、救いが必要

じゃなかったっけ?「救われる」というよりは、「救ってやんないとね」だった気が。

2010-07-20

愛子さま皇太子さまそっくりだ

母親である雅子さまに似れば、

もっと目が大きくてパッチリした可愛い子になっていただろうに、

完璧皇太子さまに似ている。

 

子は異性親に似ることが多いという。

俺の友達もくっきり二重で鼻筋も通り、輪郭もシャープイケメンだが、それは母親似。

妹はブサイクな父親に似てしまい、厚ぼったい一重まぶたで丸い鼻、下膨れのブスだ。

 

今すぐ鏡見てみろ。

お前そっくりの娘っていったらどうだ?

娘がかわいそうすぎる…と、そう思った奴は念のため子供を作らないほうがいいかもしれないな。

もちろん、ブサメンの娘が可愛くなる可能性もゼロではない。

でもその場合、本当の父親が別人である可能性を疑ったほうがいいと思う。

 

ブスな女の人生は本当に過酷だ。救いが無い。

母親になろうとしている女たちが、自分の娘にそんな過酷な人生を歩んで欲しいと思うはずがない。

できるだけ可愛い姿で産んでやって、幸せ恋愛をして欲しいと思うだろう。

それが賢い母の愛というものだ。

 

だから美形の男がモテるのは当然のことなんだ。

 

これからブスをみる度に想像してみろ。

そのブスを生み出したブサメン親父の存在を。

ブスに産まれた娘の不幸を嘆きながら、娘を醜くしてしまった自分の醜い遺伝子を呪っている、

悲しいブサメン親父の存在を。

http://anond.hatelabo.jp/20100720113018

横だけど。

コンドームを配って使い方教えてやっても生でやるんだ

HIV蔓延してる土地

救い難いね

日本先進国の中では新規感染率が増えているやばい国なんだよね。

でも、子供ができたら結婚するつもりのカップルとかだったら、生でやるのは珍しくないんじゃないのかな。


日本では、HIVの新規感染STD感染率は男女差あまりないけれど、感染者の性行動の内訳としては男性不特定多数と1年以内に性交渉を持っている人がメインだけど女性場合は1年以内に特定の1人としか性交渉を持っていない人がメインらしい。

そういうわけで、少なくとも女性に対しては、特定の相手とだけ性交渉をしていれば感染リスクは少ないという啓蒙意味がないということが分かって、啓蒙内容を検討しなければならないという見解になっているそうだ。

日本男性風俗利用について寛容であることが比較的求められてるけど、風俗に行くような男性と生でやることが一番リスクが高いことなんだっていう啓蒙がもっとなされないとやばいよね。

http://anond.hatelabo.jp/20100720105337

コンドームを配って使い方教えてやっても生でやるんだ

HIV蔓延してる土地

救い難いね


しかしそのシチュエーションで頼ったジェルが偽薬でした

偽薬だからHIV感染しちゃいました

っていいのかな

2010-07-19

このネットでは叫んでも誰も振り向かない

大学生

未来が見えてきてしまう年齢

この間、落としてはいけない単位を落とした

理想ばかり高くて、プライドばかり高くて

完璧になれない完璧主義者は最も不幸だ

そういう人間救いようがない

失敗しても再生が出来る類の人間じゃない

躓いたら、時間というポイントを逃げる事にしか使えない人間

新しい居場所ができたら、そこに逃げ込み、また失敗する人間

自分は、今年の夏に死にます

初めて計画を立てて

初めて苦痛に耐えて

初めての努力をして

人生の何もかもが不完全で、何もかもから逃げてきた自分

初めて完全に成し遂げるのが「逃避」だという事が

自分人生意味を決定的にしてしまうようで面白く思う

このネットでは、こんな人間が沢山いる

叫ぶ人も叫ばない人も沢山いる

けど、隣で叫んでいるのに誰もそちらを見ない

自分もその一人だ、特別な事なんか何一つない

サボり魔は一生そのままなのか?

私はサボり魔である。筋金入りで予後不良の。

幼少の頃から厭なものから逃げ続け気がついたら三十路になってた。そんな私はサボり癖が元で精神を病み社会生活を送れない体になってしまった。

ふつう精神疾患なら投薬と適度な休養で概ね治るはずなのだが、私の場合はサボり癖という精神疾患の根元になるものがあるので質が悪い。投薬も5年以上続いているし、休養も自分でもうイヤだと思うほど取った。でも治らない。ある程度回復したと思い就職活動して仕事を始めるが長続きしない。そしてクビになってまた精神的にダウナーになり休養が必要になる。こんなのを何度も何度も繰り返した。真面目に職歴書いたら30近くになるんじゃないだろうか。20代もそんなのに翻弄され暗黒の時代、黒歴史になった。気がつけば三十路である。もう後はない。

少しづつ焦りだしてきた私はふと考えた。何故こんな風になってしまったのだろう、と。

私のサボり癖の根元を語るには幼少の頃からの話をしなければならない。


私がまだ幼稚園にも入る前の事だ。当時の私は英語に非常に興味を持っていた。よく買い物に出かけた横浜駅ジョイナス地下駐車場英語ブロック分けされていて、それを見て初めてアルファベットという物に触れた。何故か判らないけどアルファベットが非常に気に入ってしまい英語という物に少しづつはまるようになった。

ある日TV英語教室CMをやっているのを見て母に「これかよいたいー」とせがんだことがある。母はその申し出に協力的で父に頼んでみる、と言ってくれた。それを聞いてワクワクしていたのを覚えている。

しかし父は「まだ習い事するなんて早い!」と、私の幼い願いを一蹴した。英才教育なんて言葉があった時代か判らない。グローバル化のグの字もまだ無い時代だったし英語の将来性を見いだせなかったのかもしれない。ともかく私の願いは絶たれてしまった。

そのことについて父を恨むつもりはない。でもちょっと根に持っている。だってもしその時英語教室に通っていたら私の人生は大きく変わっていただろうと思う。飽きっぽいけどのめり込む時はとことんのめり込む私のことだ、通訳とか外資系エリート・・・なんて言わないけど少なくても英語には不自由しない人生を送れたかもしれない。

それから数年の時が過ぎ私は小学校3年生になった。

ある春の日のこと、私は父に呼び出された。そして「出かけるぞ」みたいな事を言われ、半ば強引に車の乗せられて駅前のダイエーに連れて行かれた。何が起こるのか全く判らない私、何も言わず私の手を引っ張る父。?マークを頭に3つくらいグルグル回しながら連れられて行き着いた先スイミングスクールの上の階の階段を下りた先の小さな部屋だった。父は「ほら行け」と言わんばかりに私をその部屋に置いてどこかへ行ってしまった。

何ここ何が起きるの?

幼いながらも恐怖した。

部屋には私と同い年くらいの子供が数人いた。大人も何人かいて、何か冊子のような物をを配っていた。私の順番がきて冊子を渡される。そこでようやく理解した。冊子の中身は全て英語だった。

父がどう心変わりしたのか判らないけれど、私は数年越しに英語教室に通うことができたのだった。

しかし、だ。

それは遅すぎた。

小学校3年の私はもうすでに英語に対する興味を失っていた。正直、いまさら?だった。

それから4年間英語教室に通った。楽しいこともあったし、友人もできたけど根底にあったのは「苦痛」だった。

その苦痛が形としてでることがあった。それは「逃避」。有り体に言うとサボリだ。一人で自転車ダイエーに行くのでサボることがバレることは基本的に無かった。何度か買い物に来た母親にサボってコロコロ読んでるところを目撃されて大目玉を喰らったことがあるがそれでもサボる事は止まらなかった。年数が経てば経つほどサボリはエスカレートしていき週一回の教室に月3回サボるなんて酷い事態になることも多々あった。何が厭だったのかは今となっては思い出せないがサボりたくなるくらい苦痛だったのは覚えている。

小学校5年の時に友人の誘いで公文に通い始めた。

初めの頃は問題もスラスラ解けて楽しかったのだけど、ランクが上がって難しくなってくると少しずつ「苦痛」になってきた。苦痛になると私は逃避を始める。サボリ始めたのだ。きっかけは些細だった。友人が「今日サボんね?」と言ってたのだ。それに乗ってしまって後はそのままズルズルと・・・。これも週二回の教室で月数回しか通わない程になり公文講師のおばちゃんに「ちゃんと毎回来なさい!」と毎回言われたものだった。

それから中学に入って少しして英語教室は辞めた。学校でも英語の授業が始まったしこれ以上受ける意義を当時の私は見いだせなかったのだ。

公文はサボリながらも中学卒業まで続けた。高校受験の時はさすがに真面目に公文勉強した。でもそれは友人が周囲にいっぱい居たからであって、私一人だけだったらどうなっていたかは判らない。

義務教育が終わりを告げ私は高校生になった。

一番の志望校じゃなかったけど目標にしていた地元の公立高校に入学した。

高校時代は楽しかった。今までの人生で一番楽しかった。友人もたくさん居たし、心から楽しいと思える授業もいくつかあった。そのせいもあって驚くことに三ヶ年皆勤卒業式の時に表彰されメダルを貰った。

なんというか極端だな・・・と。

しかし、その影にも私の逃避、サボリ癖はあった。

高校では三年間図書委員だった。特に理由はなかったけれど図書委員になっていた。

図書委員の活動は図書室の貸出係の業務と月一回の委員会活動があった。貸出係は昼休み放課後に当番であったのだけどこれに私は全くでなかった。当番は殆ど放課後だったのだけど、早く帰ってゲームしたい盛りだった私はとにかくサボってサボりまくった。たぶん3年間で10回出てないんじゃないかと思う。委員会は強制参加なので仕方なく出たのだがその時よく「貸出係をサボる輩が居ます。ちゃんと出ましょう!」とほぼ名指しで委員長に言われることがあった。挙げ句には「てめぇいい加減にしやがれ!!」とキレられたこともある。それでもゲームがしたい、寝たいばかりにさっさと自転車で家に帰る自分が居た。救いようがない。

この頃まではサボっていても何とか回っていた。学力はそこそこあったしテストでも苦手科目の数学以外はそれなりの点数を取っていた。

しかし、だ。努力する者としない者。その差をまざまざと見せつけられることになると当時の私は知らなかった。

高校二年の冬のこと。そろそろ大学受験視野に入れなければならなくなってきた。周囲でも予備校に入学して対策を講じる者が増えてきた。

私も「予備校かー、どうしようかなー」と脳天気なりにも意識し始めていた。ある日、図書室の前にあった予備校案内のチラシを見て何枚か持ち帰り検討し、その中から一行選んで入校することにした。両親は特に何も言わずに入校を許可し私は予備校に通うことになった。

地域ではマイナー予備校だったが友人もいることが判り喜び勇んで予備校行く・・・はずだった。

予備校は私が想像していた以上に過酷なモノだった。英語は毎回英単語テストがあったし数学は高校よりもずっと高度だった。正直ついていけなかった。ついていけない結果はテストダイレクトアウトプットされる。志望校合格ランクDとかEとか当たり前だった。

今までどうにかなっていたモノがどうにかいかなくなってしまった。劣等生。そんなレッテルを貼られた気がした。

それはとても苦痛だった。苦痛苦痛で仕方なかった。

苦痛の先にあるのは小学校からやらかしているサボリ、だ。

高校3年になって予備校に行かなくなった。辞めたわけでなくサボるようになった。劣等生な自分を認めるのが厭だった。劣等生であるという事実を突きつける予備校に近づきたくなかった。英語の授業は友人が来いとうるさかったので月に数回出た。数学は全くついていける気がしなかったのでチューターの人に怒られるまで殆ど出なかった。高3から受講し始めた化学は授業がすごく面白かったし得意科目で余裕でついていけたのでこれだけは出席率が高かった。それでも7割ってところだけど・・・。

がんばった者とがんばらなかった者

努力した者と努力しなかった者

逃げなかった者と逃げた者

そんな二通りの人間審判が下される時がきた。

大学受験--

無論私はボロボロだった。無惨だった。

センター試験自己採点。数学は2点だった。得意の化学でも5割いかなかった。

死を覚悟した。

一般入試が始まった。

私は高校担任教師の薦めで無名のFラン大学化学科を受けた。目標にしていた大学は「絶対に無理だからやめろ」と言われた。返す言葉もなかったので大人しく言われた大学受験した。

結果。補欠合格

はは、引っかかちゃった。

当時の私は安堵した。浪人生活をしないで済んだから。浪人は落第者で敗北者だと思っていた私は本当に喜んだ。

でも、気がつかなかった。おまえは運が良かっただけだ。

だって・・・「努力したのかい?」

大学生活が始まった。中学からずっと同じの友人が一緒の学校だったので初めはよく一緒に登校した。学科は違ったので登校と昼休みくらいしか一緒ではなかったけど知る人が居ない学内ではとても安心できるものだった。

大学1年の授業は楽しかった。特に有機化学と分析化学が好きだった。2年から生物化学の授業があってそれを目標にしていきたいと思った。

しかし、異変は訪れる。とある教科を落としてしまった。有機化学の概論。難しい授業だったけど好きな授業だった。ただ落としただけなら来年取り直せばいいだけなのだが、この授業はとても大きな、そして致命的なものがあった。

この教科を落とすと生物化学を受講できない

偏屈で有名だった生物化学教授が設けたハードル。私はものの見事にそれに引っかかってしまったのだ。

何かが壊れた。

大学2年。目標生物化学を受講できず腐った。さらに悪いことにほかの授業が難しくなった。特に物理化学は私が苦手だった物理概念が入って手に負えなくなってきた。

大学苦痛になった瞬間だった。

苦痛になると訪れる甘い囁き

「逃げちまえよ」

それにあがらえる訳がなかった。

初めは大学内の図書館で本を読むだけだった。それから街のゲームセンターになって・・・兎に角大学に近づかなくなった。金だけは親から必要額貰っていたので不自由はしなかった。適当に旅に出て時間つぶして家に帰るとかざらだった。

努力した者と努力しなかった者

その差は歴然と表れる。

次の年、私は留年ギリギリだった。

いままでどうにかなっていたものがどうにかならなくなった。

背中に火を付けられたような感じがした。

兎に角焦った。

焦って勉強をする。でもついていけなかった。下の学年の授業を受けることも多々あった。誰あいつ落とした上級生?だせぇ。そんな声が聞こえてきた気がした

屈辱的だった。変にプライドの高い私には凄まじく苦痛だった。

苦痛を感じると出てくる麻薬のような囁き。

「ニゲチャイナヨ」

でも逃げると今度は留年だ。

逃げちゃダメ

逃げちゃダメ

逃げちゃダメ

14歳の少年は逃げずに立ち向かうことを選択したのに20歳のアホは逃げることを選んでしまった。

このあたりでだんだん精神的におかしくなってきた。

不安焦燥感、誰かに笑われてる感覚、必要以上に自分を責める。木の棚にカッターで何度も切りつけて酷い跡が残ったこともあって母親にそれを見られて酷く心配されたことがあった。

ロクな精神状態じゃないときにロクな思考はできない。

真っ暗な夜道の中をひたすら逃げているような状態だった。

次の年の春。私は留年した。

その日私は父親に叱責された。この後どうするんだ、と

ロクな精神状態じゃなかったので思考は回らず兎に角逃げることしか考えられなかった。

がんばるから、がんばるから

この時はそれで何とかなった。

留年生活のことは正直覚えてない。思いだそうとしても頭がアクセス拒否をする。

唯一判るのは焦ってどうにもならなかったこと。そして逃げ回っていたこと。

翌年、再び私は留年した。

二度目の父との対話。

今度はなかった。

こうして私は大学中退した。

そして社会に放り出された私は働かなければならなかった。当時は引きこもりニートという言葉もなかった。父親には働けと強く言われたので働くしかなかった。

ハローワークにあししげく通って何度も何度も追い返されてとある会社研究所に拾われた。

そこは農薬を作っている会社研究所で初めはそこの農場のアルバイトと言うことで面接を受けた。

でも、せっかく化学バックグラウンドがあるんだしということで話が少しぐらついた。

とっさだった。とっさに私はこう言った。

お金貯めて大学に復学したいんです!」

何でこう言ったのか今では判らない。

しかしそれは項をそうした。「じゃあそういうことなら勉強する意味も込めて」と研究所助手採用してくれることになった。

運が良かった。

研究所での仕事は本当に楽しかった。学校で習いきれなかった事も学べた。とにかくがんばったので会社も評価してくれた。

「今はアルバイトだけどがんばったら正社員にもするよ」なんて総務の部長さんが冗談めいて言ってくれた。

本気にしてがんばろうと思った。

でも、なんでなんだろうね。上手く行かないときはとことんうまくいかない。

入社して少し、変な奴が研究所にいると言うのを知った。

ほぼ同じ歳で今年正社員入社。しかも京大大学院卒。

「同じ位の歳だし仲良くしたら?」と言われてそいつに会いに行った。

すんげぇイヤな奴だった。

京大大学院卒というのをさりげなくアピールしてFラン中退の私を見下してくる。

正直あんまり関わりたくなかった。

ある日、通勤バスの中でふと考えた。

なんでだろうって。

殆ど歳同じなのにあのいけ好かない奴は京大大学院卒で正社員、私はFラン中退バイト。この差はなに?

それがずっとこびりついて離れなかった。

それはそいつと顔合わせなくても研究所内に居るだけで考えてしまう。

苦痛」だった。

とにかくとにかく苦痛だった。

また別の日、通勤バスに乗っていると不思議なことが起こった。

降りるべき停留所に近づくにつれて妙に息苦しくなるのだ。そして頭が真っ白になって「ニゲロゲロ」って告げてくる。

そして降りるべき停留所が来た。

降りられなかった。

こんなことは初めてだった。なにが起きたか判らなかった。

その日は慌てて次のバス停で折り返して事なきを得た。

それから数日同じ事が何度も何度も続いた。症状はエスカレートする。降りるバス停が延びていき遅刻が酷くなる。それを上司に注意されたら今度は体調不良で休むととっさに電話で言うようになってしまった。

さらに数日して何とか出勤できた日、所属部長に呼び出された。

最近休み多いけどどうしたの?」

怒っているわけでなく本当に心配しているようだった。なので症状を正直に話すと

「無理はしないようにしてほしいけど、勤怠が悪いと正直こっちも困る」

と言われた。

その日早退し精神科を探した。

小さなクリニックで老医師がこう言った。

「そりゃウツだ」

そう診断され一日三日分のホリゾンを貰った。

ホリゾンを飲んだけど少しぼんやりしただけであまり変わらなかった。

それからも朝の戦いは続いた。負け戦ばかり。

休みが10日ほど続いたところで家に電話がいった。

「大切な話があるから明日は必ず来るように」



翌日。何とか私は出社した。

研究所入り口総務部長が待っていた。

そのまま会議室に連れて行かれた。

そこには研究所の所長と所属部長が居て3対1の面談が始まった。

単刀直入に言う。辞めてくれないかな?」

総務部長がそう言った。

そのときの私は妙に冷静でその言葉意味もきちんと理解した。

あぁ、クビか。

後は事務的に話は進みその日のうちに私は解雇された。


それからいくつかの会社を転々とした。

どこも悪いところではなかったけれど、必ず不思議なことが起きた。

朝起きて家を出ることはできるけど電車バスで最寄り駅に近づくと呼吸が荒くなって怖くなる。頭は囁く「ニゲロゲロ」と

そんな状況に陥り全く出社ができなくなってしまったのだ。

最長で半年、最短で一日。これはクビになるまでの日数。

職歴は正確に書くと30は行くんじゃないかと思う。

ここ1・2年はさらに酷くなり、部屋から出られなくなってしまった。

朝起きてその時点で恐怖発作と「ニゲロゲロ」という囁きが頭を支配する。

精神科にはもう6年かかっている。

はじめはホリゾンだけだったけど今は抗鬱剤3種類と抗不安薬睡眠薬まで貰って飲んでいる。

挙げ句には自立支援の申請をして精神障害者手帳まで交付された。

ふと思った。何でこうなってしまったんだろう、と

最近また会社をクビになったので少し考える時間ができた。で、考えを整理するためにこれを書いている。

結論を言うと私のこの病気の根元は「サボり」だと思っている。

苦痛」からの「退避」。小学校の頃の英語教室からずっと続いているこの癖。これが原因じゃないかと考えている。

おそらくこれは正しい。

正しいことは判ったが対策がわからない。

生来のサボり魔たる私はどうしたら正常の社会的な生活を送れるのだろうか?

そもそも私の病気は何だ?

鬱病適応障害?それともただの怠けでサボリなのか?

精神科で投薬治療は受けているがこれだけでは改善にいたっていない。というかここ最近悪化しているとすら思う。直近でクビになった会社では不安の恐怖、あと鬱的思考から自殺をほのめかすメールを送ってしまい大騒ぎになった。

年々悪化しているこの「現象」

いったいこれは何なんだ?

どうしたら治るんだ?

どうしたら社会的な生活を送れるんだ?

だれか、教えてほしい

2010-07-18

http://anond.hatelabo.jp/20100717232820

あんた、俺と同じ匂いがするな。

でも自省している分だけ俺より救いがある。はああ

2010-07-16

鬱気味になってやっと挨拶世間話のありがたみがわかった

自分現在のこととか将来のこととか

社会の、世間の、日本の、世界現在と将来のこととかを

ひたすら熟考していて、煮詰まってパンクしそうになっていた。

世の中に絶望していた。

自分の可能性に心の底から失望していた。

四六時中息苦しかった。

考えなければいけないけど、考えるのは辛く、かといって考えることから逃げてもまた辛かった。

 

そんな時、知り合いにされて嬉しかったのは、挨拶世間話だった。

朝顔を合わせて笑顔であいさつされ、あいさつしを返すこと、

小栗旬がどうだ、AKBがどうだ、という世間話をして気を紛らわすこと、

それらの、はてな界隈では「中身が無い」とされているようなことが、

疲れ果て、煮詰まり、逃げ出したくてしょうがないときの救い癒しになった。

 

同じところをぐるぐる回り、衰弱し、怠惰に、逃げ腰になっている私に、

厳しい言葉をかけ、将来と向き合わせてくれたのは、親であり、恩師であり、親友だった。

相手が産み育ててくれた親であり、就職などの世話をしてくれた恩師であり、

精神的に煮詰まったときには部屋に呼んで、徹夜で飲んで愚痴を聞いて

酔い潰れたら寝かせて毛布をかけてやることをお互いに何度も経験した間柄の親友であるから、

彼、彼女らの言葉は力を持ち、辛い現実や不明瞭な将来について向き合うことができた。

心から感謝することができた。

 

厳しい言葉をただの知り合いに言われたところで、泥沼に落ち込むだけだった。

ただの知り合いに、落ち込んでいるときだけしゃしゃり出てこられて、

いきなり本質をぶつけられても、通り魔ボコボコにされたような気分になり、沈み、憎悪に繋がるだけだった。

「お前に何がわかる」としか思えないのだ。

私の苦しみを面白がっているとしか思えないのだ。知り合いに言われても。

私にとっての特別な存在からの言葉でないと、上から目線としか感じないのだ。

 

誰に対しても本質を突こうとするのは、自分立ち位置が見えていない人の行動だと思った。

自分が弱ったとき、他人からされてみて、初めてそういった行動の有害さがわかった。

昔は私自身も、問題には早急に向かい合うべきだし、世間話やあいさつには中身も意味も無く、

誰に対しても本気で本題をぶつけるべきだと思っていたのだけれど、

本質的な話」は特効薬にも毒にもなるのだとやっとわかった。

信頼関係が出来ていれば「本質的な話」がその人を救うことになるし、

信頼関係がお粗末であれば、「本質的な話」は相手を不快にし憂鬱にし恨まれるだけなのだ。

 

これからは、私が相手にとって、シビア現実を突き付ける資格がある人間なのかを考えよう。

まだ信頼関係が出来ていないと思ったら、その人には、まずは笑顔で必ずあいさつすることだけを心がけよう。

 
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