はてなキーワード: 支持母体とは
統一教会とは昭和の時代から霊感商法による違法な献金で多数の破産者を出したり
合同結婚式という個人の人権を無視したイベントで家庭崩壊などを引き起こした所謂カルト団体だ
そんな団体と長年与党として活動している自民党の大臣クラスの人物が多数親密な状態にあった事は、かなりの衝撃を世間に与えている様だ
その一連の報道を見ていて、自民党が行ってきた事や現在でも行っている事は、社会的弱者からの搾取であるという以前から抱いていた思いが確信に近くなった為
ここではそれについて思っている事を書いていく
本題に入る前に言っておくと、私は宗教3世と呼ばれる立場の人間だ
と言っても、今世間を騒がせている統一教会ではなく、創価学会の宗教3世だ
その為、世間で統一教会の問題がクローズアップされると共に、その信者の子供である所謂宗教2世の問題も注目を集めているが、彼らを見て自分は他人事とは到底思えない
また、創価学会は自民党と連立与党の関係になっている公明党の支持母体であり、今回の政治と宗教の問題では十分渦中の立場であると言って良い
そしてニュースで話題になる統一教会の票集めの行動の姿も、創価学会の信者の票厚めの行動と被るのだ
私の家族は非常に熱心な創価学会の信者で、地区ごとに開催される「座談会」と呼ばれる個人の家庭で行われる集会を取り仕切る立場でもある
普段は勤行(仏壇に向かってお経を唱える事)であったり、前述の座談会にて、個々の宗教にまつわる体験談を話し合うと言った活動を週に2、3回程行っているだけで、そこに政治の影は殆ど無い
地元の公明党、或いは自民党の候補者を当選させる為、朝から晩まで選挙の手伝いとして活動に従事する事になる
F票とは、自分の知り合い、友人、関係者に「この政党・候補を応援して下さい」と頼み込む事であり、F票のFはフレンドから来ている
そんなF票ではあるが、頼み込む相手は誰でも良い、友人だけでなく、行った事のある飲食店の主人から縁のあった仕事の関係者、兎に角手当たり次第だ
中には急に投票を頼まれてその押しの強さに引いてしまう人もおり、この活動が理由となって縁を切られたり、疎遠になったりする事もあるようだ
こんな事を選挙が終わるまで、時には電話で、時には相手の家や店に直接出向いて頼み込む
その活動内容は政治家のそれと殆ど変わり無く、重労働と言って良い
その為、選挙が近づくと「また選挙、嫌だ、面倒だ」という文句が学会の信者からは少なからず出てくる
だが彼らはそれをやめようとはしない、その理由として「福運」なる概念がある
これは言葉では言い表し難いのだが、要するに「幸運になる権利」の様な物だ
普段の勤行や座談会はこれを生み出す為の行為なのだが、それに加えて選挙活動への協力や応援した議員が当選する事なども、この「福運」を生み出す行為とされている
これらの行動は「信心」という、己の運命を変革する為の行為の一部とされており、これらを繰り返す事によって福運を積み、幸福な人生を歩むというのが創価学会の考えとなっている
逆に言えばこれらの行動をしない事、つまり選挙活動に協力しない事は信心の教えに反する事であり、そんな者は福運を積めない為に不幸になる、というロジックになっている
はっきり言って、選挙活動に協力すれば幸福になるという考え自体が馬鹿げているが、「福運を積めない」となるとそれは学会の信者としては死活問題なので、何の見返りも無い様な選挙活動にも熱心に参加する
だがこの様に選挙活動に信者らを利用する事は、タイトルにもある通り社会的弱者からの搾取と言って良い
前述した通り、選挙活動における信者の行動は人間関係を破綻させてしまうリスクが有り、活動期間も長い為に負担も非常に大きいが、それを可能にしているのは正常ではない精神状態だ
重い病気を患っていたり、学校や会社での業務や人間関係でトラブルを抱えていたりする人が本当に多い
その救いを求めて宗教に接触するのであり、実際勧誘に行く側も、その方が何かしらの不幸やトラブルに見舞われた情報を得て、それを起点に勧誘するのが基本だ
人生に幸福が少ない人々にとって、宗教はやっと得た救いであり、それに強く依存する人々も少なくない
そんな集団の中にあって、「自分はこれをしなければ不幸になる」という恐怖感を持たせれば、例え自分にとって利益が無かろうと必死に行動するのである
普段の行動からして異常な活動が多く見られる統一教会でも、これと全く同じ構造が作られているのであろう
だが、そもそも信者らの不幸の原因は、何らかの知的障害や知的ボーダー層であるが故の失敗や、それによる高いストレスで引き起こされる体調不良である事が多い
これらは仏壇に祈ったり、選挙活動に参加する事では決して解決せず、専門医による適切な治療やカウンセリングが必要なのである
にも関わらず、そうした不幸な人々を狙って仮初の救いを与え、本心では選挙活動や献金で使える都合の良いコマを増やす事を目的としている現状は、余りにも邪悪であり、社会的弱者からの一方的な搾取である
現在私は創価学会の活動とは距離を置いているが、その実態は未だに変わっていない
現に、公明党の代表である山口那津男氏は、統一教会の問題に対して「ノーコメント」を貫いた
それはまさにこの後ろ暗い背景の存在故の事だろう
そんな公明党や、統一教会の力によって選挙を戦い勝ってきた自民党からすれば、社会的弱者は搾取の対象であって、救済の対象では無いのだ
まず、「カルト」という言葉は「反社会宗教団体」を意味します。良い暴力団が存在しないのと同じように、良いカルトは存在せず、カルトを排除する際に理由は不要です。
もちろん暴対法による元構成員の社会復帰困難性のような、運用面の問題に対する批判はありえます。しかし、「暴力団を排除するのは不当」という議論は成立しません。
反社会性を前提としない場合、カルトではなく「新興宗教」と呼びます。これも「うさん臭い連中」といったニュアンスで使われがちの言葉ですが、字義的には批難を含まない、ニュートラルな呼称です。
では新興宗教に帰依していることを理由に採用を拒否することは可能か? あるいは、従業員の信仰する宗教を調査することは許されるか?
これは一律に回答できるようなものではなく、究極的には裁判で最高裁まで戦うようなお題になりますが、
雇用契約自由の原則に従って採用を拒否することは理由の如何を問わず可能、と主張することもできるし、
実務能力ではなく宗教団体への所属を理由に採用を拒否するのは不当かつ違法、と主張することもできそうです。
現実的には、不採用あるいは解雇の際に理由の開示が不要であるから、信教を理由とした採用拒否/解雇とそれ以外を弁別することが困難なので、それを防止することもまた困難であるとは思います。
では雇用契約ではなく、カルトに所属する代議士を罷免できるか? というと、これは無理です。政教分離というのはそういうことではありません。これについては安倍晋三氏が答弁を出していますので引用します。
現在自民党と連立政権を組み、政府と一体となっている公明党と、その支持母体である創価学会との関係は、政教分離の原則に照らして適切なものであるか。公明党と創価学会は「政教一致」の関係にあるか。
(略)一般論として申し上げれば、憲法の定める政教分離の原則は、(略)宗教団体等が政治的活動をすることをも排除している趣旨ではなく、また、憲法第二十条第一項後段の規定は、宗教団体が国又は地方公共団体から統治的能力の一部を授けられてこれを行使することを禁止している趣旨であって、特定の宗教団体が支援する政党に所属する者が公職に就任して国政を担当するに至ったとしても、当該宗教団体と国政を担当することとなった者とは法律的に別個の存在であり、宗教団体が「政治上の権力」を行使していることにはならないから、同項後段違反の問題は生じないと解しているところである。
(衆議院議員鈴木貴子君提出我が国における政教分離の原則に係る内閣官房参与の発言に関する質問に対する答弁書 2014年6月24日 内閣総理大臣安倍晋三)
要は代議士が統一教会の指示に従って動いていたとしても、それは統一教会が統一教会として権力を行使しているわけではないので、政教一致にはあたらない、ということです。カルト代議士を排除するには、贈収賄などの犯罪行為として立件するか、あるいは自民党自身が統一教会との決別を決意し関係者を排除(除名)する必要があります。後者の場合、党から除名されても議員資格は失わないので、統一教会新党ができることになりますね。
雇用者数は平成を通じて、それこそリーマンショックのような局面をのぞけば基本的に右肩上がり。
https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=61202?pno=3&site=nli
総賃金は何を指してるのか不明。総雇用者所得のことであれば、だから何?って感じ。
https://www.fnn.jp/articles/-/8499
https://www.mhlw.go.jp/content/11601000/000711228.pdf
この増田の主張も疑問符付きまくりなのだが。厚労省のpdfの7,8枚目のシートに、その時期の求人倍率の変動要因の分解が載ってる。これ読む限り、増田の主張には同意し兼ねる。
そして安倍政権で平均賃金が下がったのも、就職した人が多かったから。
(被雇用者数は非正規だけじゃなくて正規も延びてる。ただ、就職したてなので賃金が低い。逆に民主党政権の頃は新規就職者が少なかったから平均賃金は高止まりする。連合を支持母体にする民主党らしいといえばその通り。)
これに関しては、年齢層別の推移で見ても平均賃金は大して変わってない。ただ、日本が足踏みしている間に賃金が上昇してる国もあるから、そういう国と比較しちゃうとね…
俺も枕詞に「暴力は許されないけど」とつけつつも、ぶっちゃけ山上の事はスーパーヒーローだと思ってる。
山上の弾丸がなければ統一教会が白日の下に晒されることも無かったしな。自民党の支持母体が統一教会なのはまあまあ有名な話だったのにお前らこんなことでも無ければ素通りだもんな。親を統一協会の信者に持つ友人は韓国と自民党と親と姉貴が結婚した韓国人の悪口を10年前から言ってたよ。それでも姉貴の姪っ子は可愛いってこともね。
安倍さんが死んだのは不幸だと思うけど、ちゃんと司法が機能していて公正に安倍さんの行いが裁かれて罪を償っていれば、凶弾に亡くなった時にもっと悲しむ声が多かったと真剣に思うよ。安倍さんも悪いけど、司法がきっちり機能してないのが一番悪い。
表現の自由戦士の人たち側が建前上はエロの自由以外も守るんだって言うことがそもそもよくわからん。
いや、表現の自由戦士を叩く側がエロしか守ってないと叩くのは当然なんだけど、
なぜ表現の自由戦士側も「エロ以外も守るべき」っていう考え方にのっかったようなことを言ってしまうの?
全国比例の組織候補枠として山田太郎と赤松健の両議院を送り込んでるって話じゃなかったん?
特定の支持母体のある議員が支持母体の求めるイシューを中心に活動するのはむしろ自然な話じゃん。
例えば郵便局長会の人が郵便局に限らず運輸業界一般のために働く義務があるとはあまり言われないわけじゃん。
オタクを「圧力団体」にして議会に送り込むのだ!って言うのならばそのオタクのための働きを期待するのが普通なのであって。
表現の自由というでかすぎるテーマ全体をその1人だけで完璧に行えること前提で投票するってのはなんか理解がたりてないのではって気がする。
N国がNHK問題しかやりません!と宣言して一応支持者の多くには受け入れられて、
逆に他の問題に手を出そうとすると叩かれてるような状態なわけで、同じような路線であるべきだと思うんだよ本来は。
それを例えばN国アンチが民放の問題も議論しろと言ってきたのでこじつけで民放にも対応してることにしてしまおう!とはあの人たちはしてないわけじゃん。
テレビというある程度の狭い話でもそうなのに、憲法上の自由権1つを総合的に扱うってのがどれだけのことか。
「表現の自由戦士」のくせに表現の自由っていうのがどれぐらい大きなテーマなのかわかってなさそうな言動が多々見られるのはちょっとなんかよくわからん。
おおまかに「統一教会はひどい。創価学会はそれほどでもない」という意見があったので驚いた。
知人との付き合いで、短くも一時期入会していた体験を書いてみる。
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あのへんの怖さは、強制ではなく、信者自身にそれを選択させているところにあると思う。
だから「強制はしていない」という統一教会の会見は予想通りのものだったし、
彼らにとっては筋の通った話なのだとも思った。
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自分が入会した創価学会、厳密に書いて、その地域コミュニティー内で、献金/寄付の「強制」はなかった。
幽霊会員も多かったので、経済的に余裕のない人はしていない、と想像もできた。
ただ、私がいたコミュニティー内の、競争と監視と目標はあった。
あの人は新聞を何部取っている、いくら献金をした、などの話がよくされていた。
そして、熱心な信者(主に地域リーダー)ほど圧力をかけてきた。
そんな具合に新聞をとり、選挙のたびに電話をし、寄付を重ねていく。。。
そこに身近な成功体験があれば、喜びも重なり、納得もしていくだろうことは、簡単に想像できた。
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家庭内でひとりだけ信者だった知人が、家族に内緒で年間100万円の寄付をしていた。
年間100万円の寄付は、コミュニティー内に数人いた熱心な信者のステータスになっていたので、
(彼の仕事、家庭を考えれば、身の丈に合っていなかった)
知人はいたって普通の人だったが、仕事も家庭も満足できす、友人もいなく、
その小さなコミュニティー/宗教での活動が気持ちの拠り所になってしまっているように見えていた。
だから、カモのような存在になっていたのは当然のように思えた。
その寄付は家族にばれ、結果、知人は離婚をし、遠方へ引っ越した。
話を聞くと、直近の10年だけでも800万円程度の寄付をしていたそうだ。
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私が体験したのは、年末年始のタイミングで、最低一口1万円だった。
ただ、少なくとも私がいたコミュニティーでは、
過度な競争や圧力を見過ごし、ハッパをかけていたことは確かだ。
知人の問題を「彼自身のもの」とし、何事もなかったようにした団体/信者の態度には腹が立った。
実際、知人のことはその後誰も話題にしなかった。
基本的に他人よりも、自分への功徳にしか興味がないように思えた。
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今回、統一教会の話を見聞きし、程度の差こそあれ、似たようなものだと思った。
どんな宗教であれ、活動が過度になってしまう人はいるだろうと思う。
統一教会からすれば、犯人の母はひとりの狂信的な信者でしかないだろう。
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「創価学会はそれほどでもない」というのは間違い。適当すぎる意見だ。
知人をはじめ、献金、結婚、勧誘などなど、トラブルは本当にたくさん聞いたし、巻き込まれそうになったこともあった。
少なくとも、そういう「多額の献金をしてしまう人/過度な活動をしてしまう人」を生み出す装置は、
多額の献金をしたり、恋人に入会をせまったり、古い友人を無理に勧誘したり、
けれど。。。何か変じゃない?
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