はてなキーワード: 接続詞とは
接続詞の使い方が腑に落ちない
うちの家族は全員日本生まれ日本育ちの日本人。祖父母も曽祖父母も日本人。ただ、どういうわけか父も母も妹も日本語が苦手っぽい。
父は耳から入った情報を脳で処理する過程で異物が混入する。「これはペンです」という文章は「これはペンです」以上の意味はないのに、「これはペンのようですが実はペンではなく箸なんですそれに気づかない貴方はバカですね」ぐらい会話が改変されちゃう。そして「バカにされた」「騙された」とキレている。
母も会話を謎解釈する。それに加えて主語を省いて話すくせがある。昔交通事故にあった母から電話がかかってきた時のことが忘れられない。「人を轢いちゃったから動揺してるの。どうしよ〜」と言うもんだからてっきり母が誰か轢いてしまったと思ったら轢かれたのは母だった。そして車の運転手が事故直後謝罪したのを「(こんなに動揺してしまい)申し訳ありません」と解釈したみたい。運転手は冷静に警察や救急車の手配をしてくれていた。
妹は単語で喋る。小さい子どもが喋るような2語文を中学生が使っている。妹の口から複雑な文章を聞いた覚えがない。というか「○○買って」ばかり言っている印象。
私の日本語もだいぶあやしい。特に助詞や接続詞が苦手で違和感のある文章をよく作り出している。この文おかしいと気づけるならマシで、誰かに指摘されないと気づけないミスが今までたくさんあった。多分この文章もあちこちやらかしていると思う。
それでも家族の中ではマシな方なのと、家族が言いたいことを察する能力はあったので家族の言いたいことを翻訳している。母が言いたいことに適宜主語を足して父に伝え、父がキレたらどんな脳内変換されたか察して「そんなこと誰も言ってないよ。父さんは馬鹿にされてないよ」と落ち着かせる。ここに妹が加わることもある。物心ついた時からこんな調子でやってきた。なので家族は会話が噛み合わなくなると「ちょっと通訳さーん」と私を呼びつける。私のことを皆便利に使うけれど、私の話を聞いてもらった覚えはない。通訳要請を無視すればよかったのだろうけれど、朝だろうと夜中だろうと大声で喚いているのに耐えられなかった。ご近所にも嫌味を言われるし。
家族間で会話が噛み合わないならまだいい方。市役所などで手続きする時なんかは地獄だ。職員さんの話を翻訳して家族に伝えていたら、「よかったらどうぞ」と市の通訳サービスの案内をもらってしまった。ヤングケアラー支援の一環で外国人の親の通訳をする子どもの代わりをしてくれるサービスだそうだ。「日本人の家庭でも使えますか」と聞いたらびっくりされ、遠回しに無理だと言われた。
通訳さんにほとほと疲れてしまったので家から出ることにした。本当は就職するタイミングで実家から出る予定だったけれどトラブルが相次いで1ヶ月近くずれてしまった。それでも明日、ついに通訳さんを引退する。
家族に引っ越し先どころか引っ越すことも教えていない。ちょっとずつ荷物は運び出していたけど気づいていなさそうなので、私には通訳以外期待されていなかったのだと改めて思い知らされてちょっと悲しかった。
この二つは余りにも致命的だ。
「とにかく思いついた所から書き出してみればいい」
「あとで内容が気に食わなかったらちょっと直してしまえばいい」
「文章の順番が読みにくいと感じたらカット&ペーストで組み替えれば良い」
書き出しという最も抵抗、摩擦力が強い工程を少しでも軽く滑り出すためのツールが全て封じられてしまう。
宿題のクオリティを高めることに強い気持ちを持てる子供なら「まずはノートに下書きをして、それを完成させたものを原稿用紙に書こう」と思えるだろう。
だが大抵は違う。
宿題とは面倒だからさっさとやっつけるものであり、最終的にかかる時間が短くなろうとも二倍以上の文量を書くなんて絶対にやりたくないだろう。
自分の書いた文章であろうと写経しようなんて気持ちは普通湧いてこないはずだ。
下手な作文を書いて晒し上げられるリスクは回避したいが、出来るだけ手を動かす量は減らしたい。
一度打ち込んで仕上げた文章の組み換えは容易だ。
全体の流れを考えて詳細を付け加えたり削ったり、ちょっとした接続詞の間違いも文字数の調整を考えずに修正していける。
あらゆる部分で楽だ。
後から直せばいい、順番を変えればいいと思えば滑り出しは一気にスムーズになる。
とにかく書きまくってダメそうな所は捨てて、使えそうな所だけをそれっぽく文章を繋げて起承転結にすればいい。
読書感想文で悩まむ全ての学生よ、教師よ、親よ、原稿用紙を捨て去ってしまえ。
GPTに書かせてコピペされるのを恐れるのならなおさら原稿用紙は使うべきでない。
たとえばこのタイトルの「ヤバイ」が何を意味しているのか分からないじゃん?
俺が言いたいのは「相手に伝わる表現から遠ざかってコミュニケーションエラーが起きやすくなるし、そうやって語彙力を甘やかしているとドンドン衰退していって本当に必要なときにもヤバイヤバイしか言えなくなって自分も相手も困るから癖になっているなら直したほうがいい」ということなんだけど、「ヤバイ」だと何も伝わらないわけじゃん。
「困る」ぐらいなら文脈で伝わりそうに見えるけど、「ヤバイ」や「FUCK」を「凄くいいと思う」という意味で使う人もいるし、「辞めるべき」を「俺だけが知っている裏技だから真似しちゃ駄目だぜ(オススメだぜ)」という意味で使う人もいる以上は、文脈から読み解こうとしても「ヤバイ」はプラスからマイナスまであらゆる意味を持てることになる。
まず「アレ」「ソレ」といった万能な代名詞があるが、当然これはなるたけ避けた方がいい。
伝わってるつもりで伝わってないことが多い。
「ヤバイはヤバイから辞めた方がいい」という文章も「ヤバイはヤバイという問題があるので辞めた方がいい」になれば少しだけ意味が伝わりやすくなる。
「ヤバイ」や「アレ」ほどに万能度ではないもので「良い」とのような範囲がクソデカな表現は減らした方がいい。
「良い」ではなくて「何がどう良かったのか」の部分にフォーカスを当てた表現を心がけていくべきだ。
たとえば映画の感想なら「俳優がイケメンだったから画面に映るだけで脳が気持ちよかった」と言った感想が言えるのを単に「良き」とだけ表現するのがイカしているというような謎の風潮があるが流されない方がいい。
colaboを持ち上げているフェミニストもこれと同レベルなんよ
https://web.sekaishisosha.jp/posts/4193
リーマン・ショック以降、日本の貧困はマスコミにも取り上げられてきていましたが、それまで、番組で取り上げられたのは、ほとんどが男性のケースでした。2008年末の「年越し派遣村」にメディアが殺到した時も、派遣村にいたのはほとんど男性でした。女性の方が男性よりも貧困率は高いですが、それまでも、それからも貧困の女性はスポットライトを浴びることはなかったのです。だからこそ、「女性の貧困」に焦点があたったことは画期的な一歩でした。
「若年女性」?
クローズアップされたのは10代後半や20歳代の若い女性ばかりだったのです。ちなみに、新聞やテレビ番組では、私が推計した図1の「一人暮らしの女性」の貧困率の数値も引用されていました。しかし、図1の年齢層は、20歳から64歳です。「女子」とか「若年女性」といった言葉が、どの年齢層の女性のことを指しているのか不明瞭ですが、通常、こういった言葉から連想される10歳代、20歳代に限った数値ではありません。なのに、いつのまにか、これが若い女性の問題として取り上げられてしまったのです。そして、彼女たちの貧困問題の帰結として語られたのが、「生きていくのに精いっぱいで、家族を持つことなんか考えられない」ということでした。つまり、彼女たちの貧困が社会問題であるのは、彼女たちが家族を持てないからだ・・・すなわち、子どもを産むことができないからというストーリーが作られていたのです。
確かに、少子高齢化に悩む日本にとって、若い女性たちが貧困によって家族形成ができないようになるのは問題かもしれませんが、それよりも何よりも、彼女たち自身が貧困であるというそれ自体が問題なのではないでしょうか?将来、その人が子どもを産むかどうかにかかわらず、今現在、彼女たちが貧困で苦しんでいること、それが問題なのです。彼女たちの将来の「出生率」なんて、まったく関係ないことですし、女性の貧困問題をこのように理解してしまったら、今後、子どもを産む可能性がない女性の貧困は「社会的に注目するに値しない」となってしまうのではないでしょうか。
日本で、なぜ、高齢女性の貧困が問題とならないのか。高齢どころか、中年であっても、30歳代以上の年齢の女性の貧困について、社会的に関心が薄いのか。
社会は、女性を「産む人」としか見ておらず、「人」としては見ていないのです。
一人の出産年齢を過ぎた女性として、これには大きな衝撃を受けました。
考えれば当たり前のことなのですが、日本の女性の大多数は、今後、子どもを産む可能性がゼロかかなり低い人々です。まず、年齢構成的には、日本の成人女性の76%は40歳以上です(総務省統計局「人口推計の結果の概要」各月1日現在人口「全国:年齢(5歳階級)、男女別人口」)。このうちの多くは、かつて子どもを産んだことがありますが、今後、子どもを産む可能性はかなり低いです。また、そもそも一生子どもを産まなかった女性も急増しています。図2は、先進諸国におけるChildlessness(子どもがない人)の割合を生まれ年別に示していますが、日本の1970年生まれの人のChildlessness率は25%を超え、先進諸国の中で最も高くなっています。すでに、女性の4人に1人は、子どもを持たないのです。ですが、(「ですが」という接続詞を使うことにも腹が立ちますが)、女性一人一人が貴重な社会の構成員です。女性の貧困を語る時に、将来の出生率の話をするのは、すべての女性に対してきわめて失礼だと思うのです。
テレビでやってた言葉遊びで、あたまとおしりの文字を一文字ずつ出して間の文字数が多い熟語(固有名詞可)を言えたほうが勝ちってのがあった。例:あたまは「あ」おしりは「い」→答「アイス(1点)」「アノニマス(3点)」アノニマスの勝ち
でね、テレビみながら家族で問題出しあってて、自分達の名前で問題だしてるうちにおしりに「は」が付く熟語がなくて行き詰まったんだよ。うちの娘の名前、おしりに「は」が付くんだけど、なので「あたまは○(名字のあたまの文字)で~、おしりがは!」って問題出されたんだけどおしりに「は」が付く熟語ってことごとく濁るのよ。
「歯」「葉」「刃」は2文字以上の熟語になるとだいたい濁る。みつば、よつば、やえば、でっぱ、にまいば、さかば…。
無くはないよ。シーア派とか走破とか、なくはないけどすごく少ない。
これって「は」が接続詞に使われるからおしりに付く場合は濁るのかなぁ。少し前の増田でたまごがけごはんだろ~!って話題あったけど、後ろが濁るとその前の言葉が濁らないてやつの亜種じゃないかしら。
言葉は生き物とは申しますが、それはそれとしてもやもやする感情は止められねぇんだ。
日本語で喧嘩は釣り判定で違和感を流してみたものの、続けてエンカウントしたやつにゃモヤットボール進呈。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2040429
これね、中身は興味ないからタイトルしか見てないんですけどね。
「知性を持っていれば生かすが、そうでなければ殺す」
出題者の意図やら知性が人気っぽいけどどうでもいい。
これ、後半部分要らないよね?「そうでなければ殺す」言い換えて「知性を持っていなければ殺す」。
これいらん。
いわゆるトートロジーってヤツじゃドライブマイカー?情報量が増えてない。
トートロジー自体は修飾技法だけどこれは問題の出題であって強調したいわけでもなかろーもん。そういう意味ではやっぱり悪文でかの人の知性…って気になりけり。
え?「知性を持っていれば生かす」だけじゃあ知性がないときにどうするか確定しない?んー…詳しくないけどさ、でもバカな俺っちには直感的に自明な気がするよ。
「知性を持っていれば生かす(知性が無ければ要検討)」なんて読む人はいねーとはまったく言い切れないのが世界の恐ろしいところといわれる程度にはそれはスナホでない読み方だろうって気がするな。
少なくとも生きるの他の状態は死ぬ・殺されるだとほっとんどのケースで言っていいでしょ?知性があるなら。他の解を出す人は穿っている自覚があるはず。
「が、」ってなんだよ「が、」って。
が自体は調べてみて両方に使えるそうだとわかったが、俺はこの文章の流れなら逆接を期待するよ。
それがなんとも「が」らしくない文章が続くもんだからキャー!フラストレーション!エスパー増田、問題を明確にするために「そうでなければ殺す」と作者が付け足したとサイコメトリーすると、ならば接続詞も誤読が生まれないように十分に配慮義務を果たしたとはいえない。よって死刑。
もー書いててさらにむずむずしてきた文章だからそこらへんモルガンさんにダークネスイリュージョンで消してもらえないかとお伺いを立ててみたけど勝俣以外は管轄外だそうだ。
あっちこっちでこんな言い方されちゃあかなわかなわん。
そうさな、たとえば
「セックスしないと出られない部屋」○○しないと~でもよかどもこのキッパリ感がいいよね。
これを
「セックスしないと出られない部屋(セックスしなければ出られないわけでもないかも)」
って読むやつぁーいないし
「セックスしないと出られない部屋だが、セックスすると出られる部屋」
なーんて書かれたら漂っていた淫靡な雰囲気が台無しだよ!!!!
何がいいたいんだよ!!!ってナニよりもクエスチンが屹立するわい!
主旨である「日本の商習慣についての問題点」については、まぁそういう意見もあるだろうという程度で大した感想はない。
それよりも、読解に苦労する悪文であることがとても気になった。何がどう問題なのかを書いてみようと思う。
「まずお会いしましょう」
これは批判対象である日本の事業者の言(メール文面)。これはタイトルから明らかなので問題ない。
なぜ?
増田自身の感想(相手である日本の事業者の言葉に対する反応)だと分かるので、これもまあ良い。
これがこの分だけ欲しいです。振り込み口座教えてください。
これは増田が、「お会いしましょう」と言った相手に対して発した言葉なのであろう。
一文前と同じく主体は増田なのだが、心に抱いた感想ではなく実際に発した(おそらくメールに書いた)内容である。出来事・経験と、それに対する意見・感想という階層の異なる記述が無造作に並置されているので、まずここで読者の混乱を招く。
「お会いしましょう」
この行を読んでやっと前の行(「これがこの分だけ欲しいです。振り込み口座教えてください。」)が増田の発した言葉だと理解する。増田と相手(日本の事業者)の掛け合いになっているのだ。
どこに振り込めばいいですか
増田と相手(日本の事業者)の掛け合いだとわかれば、これが増田の言だと分かる。
ただ、「お会いしましょう」という提案に対して、「どこに振り込めばいいですか」とだけ返答しているしたら、ひどく噛み合ってないやりとりである。実際のメールでは、面会しようという相手の提案を断るか躱す返答が含まれていたのだろうとは思うが、この文章だけだと増田のコミュニケーションの取り方に問題があるように思えてしまう。
あるいは本当に、面会するかどうかには一切触れずに返答したのかもしれない。
「ふざけるんじゃないよ!!」
いきなりの怒号で面食らう。とっさに増田自身の怒りの言葉なのかと思ったが、流れから考えれば相手(日本の事業者)の言だ。
前述のように増田の返答が噛み合っていない(「会いましょう」という提案を無視している)ので怒っているのかもしれない。詳細なやりとりは不明なので推測にすぎないが。
もしそうだとしたら、増田自身はここで相手が何に怒っているのか理解していないように思える。
実際に相手に発したのか、それとも思っただけなのか不明だが、主体は増田だろう。
唐突に「電話番号」が出てきた。相手から尋ねられたのだろうが、読者にとってそんな経緯は初耳だ。
「なぜ電話番号を教えるのか」という疑問文(反語であるのは無論分かるが)の直後に、それをしない理由を端的に書くのはいかにも分かりにくい。
ここで急に読者の方を向いて近況の説明に入る。
それまで触れていた具体的な(ディス)コミュニケーションとの関連性を把握するのに苦労する。日本の事業者とのやりとりが円滑に進まないので「輸入販売を始めた」ということなのだろう。せめて接続詞を使ってほしい。
輸入販売のコストの話をしているので、「国内の方が安いでしょ?」は国内取引のコスト面での有利さを主張していることはもちろん分かる。
だが、その後に続く「そこをむしするの。」で少し躓く。主語を補完してやっと、日本の事業者がその点(国内取引の有利さ)を無視していることを詰っているのだと理解する。
主語を省略すること自体はごくありふれたことだが、読み手が考えて補完しなければならないのは悪文である。「どうしてそこをむしするの」と書けば、「国内の方が安いでしょ?」から続けて増田の感想が書かれていることがすんなり理解できて、無視する主体が日本の事業者であることが即座に把握できるはずだ。
また、これは文章の良し悪しの問題ではないのだが、増田が輸入取引より国内取引の方が良いかどうかを考えるのは増田自身であって、増田の相手をした日本の事業者が考えることではない。
とりあえず会わなきゃダメ。あってどうするのよ。金か?足りないなら言え。てか書けば。かかないんだよな。ここでまず1日ロス。会うから2日ロスする。
「あってどうするのよ。」は増田の主張。
別々の主体の主張が等置されているので混乱する。前後の文脈から考えると、「とりあえず会わなきゃダメ、って言うんだよね。」などと一貫して増田の主張になるように書いた方がいい。
ではみなさん、海外と日本どちらと取引したいと思いますか?上司からはスピーディーな対応が求められています。できなきゃクビです。
「ではみなさん、海外と日本どちらと取引したいと思いますか?」は、読者への問いかけで特に問題はない。
しかし、ここで唐突に「上司からはスピーディーな対応が求められています。」と増田の状況説明が続き困惑する。よくよく考えると、直前の問いかけについての付帯情報なのだろう。「スピーディーな対応が求められている状況なら、海外と日本とどちらと取引したいか」という意味か。
ここが最も意味不明な箇所。何がどう「ずれてる」のか不明。「この」というのが何を指しているのか。
読者として最大限歩み寄って、「商取引の迅速性の観点から、やたらと面会を求める日本の事業者は、事業者としての適性を欠いている」くらいの意味で解釈できなくはないかもしれない。
「18歳の男社長に雇った」は、「18歳の男社長を雇った」か「18歳の男社長にした」か、どちらにしろ単なる書き損じだろうから、まあ良い。
中高年男性はやめて若い男性の方が良いという主張だろうが、中小企業の社長=中高年男性という前提が共有されてない。また、やたらと面会を求めるような日本の悪き商習慣の原因が、中高年男性が社長であることに見出しているらしいことについても一切説明がない。容易に想像がつく考えではあるが、説明不足は否めない。
書き手自身の経験や考えを読み手は持っていない、ということを増田は想像できてないのだ。だから理解するのに苦労する。
語を補完し、増田の言いたいことを斟酌しながら読み解けば意味を汲み取れなくはないが、内容の平易さに比べて理解のための負荷が異様に高い。それは悪文なのだ。
2002年度版「このミステリがすごい!」の海外部門第1位、らしい。
まあそれは今はどうでもいい。語りたいのは小説の出来ではない。
タイトル、カッコよくない?
原題は God is a Bullet なのでそのままだが、日本語の響きが良すぎる。原文でしか読んでないアメリカ人が可哀想なくらい。しらんけど。これが神の銃弾だと誰も手に取らない。
この構造でかっこいいタイトルを20年考えているが、超えてこない。
なんかない?
トラバに書いたけど、
○の△ → ○は△ 構造のように、
ありきたりで陳腐な言い回しが、ちょっとの違いでかっこいい、だと私的にボーナスポイントです。
追追記
設問設定が悪くて序盤の人、ごめんね。
(序盤のトラバのうち、増田の意図した構造になっている多くは自演です)
ついつい追記
単に自分が感じ取れていないだけでネイティブは同じように感じていたり、なんならキリスト教文化圏だったらもっと重い意味を持っているかもよ。
持っているかもよ。じゃなくて、持っているよ。で言えたらかっこいいのに。
いや、原題がなぜこういうタイトルかは(確か)本に書いてあったよ。翻訳者による解説だったかな?
実在するタイのジャンキーな坊さんの説教を気に入って付けたんじゃなかったかな。
日本語で見た時にそういう構図になっている面白さ(日本人だけに起きる些細な幸運)を楽しんでいるだけだよ……。
上の二方、
彼にもらった花束を大事に花瓶にいけて、飾ってたけど、1週間経って枯れてしまった。
美しくて、わたしのここ最近の生活の彩りになってたその花束はすっかりしおれて、茶色くなって命を失ってた、だから「燃えるゴミ」で捨てた。
恋を花束に例えるなんて、「花束のような恋をした」のようにありふれてる表現なんだろうけど、花瓶から花を取り出して、ゴミ箱を開けてざっと捨てるっていう動作一つ一つを実行すると、花をもらった時の高揚感と幸福感もなくなってしまったみたいで、急に魔法が解けた気がした。
彼とは出会って2ヶ月、たまに会ってご飯を食べて一緒に寝て、そんな関係で、彼が出会ったその日からわたしのことを好きって言ってた。わたしはそんな距離の詰め方が苦手で、でも何度も会うたびに彼の知らなかった魅力を発見して、彼の過去のエピソードや現在の思想を聞いて、より深い解像度で彼を理解し始めて、気づいたら好きになってた。
だけれども、
この関係には、彼氏彼女に近いけど、お付き合いはしてないから、名前がつかない。
彼に同じ質問をしたその日、「好きだけど、付き合いたくない」と言われた。なんか鼻先でドアをぱたんって閉められたみたいに冷たさを感じた。
彼を理解して信頼してる限りでは、「俺らセフレだろ!察せよ」っていうのは否定できると思う、一応。
冷たさを感じた、だとしても
「わたしも好きだし、彼も好きって言ってくれるならこんな関係でもいいじゃん。世間とはステップが違うかもしれないけど自分達は自分達に合う関係構築をしていればいいヨ」
貰った花束を飾って、その水を毎日取り替えて、彼との時間を何度も思い出して、幸福感を反芻した。
鮮やかな花束がいくら茎を切って葉を剪定しても枯れたから、もう寿命だと思った。
燃えるゴミに捨てた。
そしたら、何も残らなくなった。
土に根を張ることのない切花は、あんなに美しく大ぶりに開いていても、一度だめになったら何も残らない。
水替えを甲斐甲斐しくしてたわたしの愛はどう行き場を失って、台所の流しで空中分解した。
今、彼の中で一番好きなのがわたしだとしても、この名前のない関係は、どんなに鮮やかでも来る時が来たら瓦解する。
だって根が生えてないから。美味しいところだけ愛してるから、愛を持続させることはできても育てることは出来ないと思う。
わたしは彼に愛を注ぎたいのに、その受け取りができないよ茎から切り取られてたら。
愛を相手から貰えなくなるより、愛を与えられない方がわたしは酷だと感じる。
そもそも、付き合ってない人の愛を土で受け止めようって思わないでしょ、花瓶に入るまでで十分、それが適正な距離感だから。
付き合ってないってことは、彼の中長期の人生やイベントにわたしを考えることはないし、別にわたしが他の人と付き合って離れていってもいい、そういう存在ってことだと思う。
付き合うっていうのが、お互いが二人だけの車に乗って先の道を決めながら進んでいくことだったら、彼とわたしの関係は乗合タクシーみたい。たまたま同じルートにいて都合がいい、違う道に進むときは、相手を置いて走ってけばいいんだから。
ひどい男でしかない。A子さんも都合よく扱われてるなら離れればいいのにと思った。
でも一連の酷い発言の中で、本人が発言したか不明だけど『お前のことが好きだったらとっくにちゃんと付き合ってる』と見た。
あれ?
勿論こんなことはされてないとはいえ、彼とわたしの関係の先に待ってる複数のうちのゴールの一つだと思った。だって付き合ってないんだからね。
この考えに至ったとき、関係を聞いた時の彼の冷たさを思い出した。
花束をまだ捨ててなかったら、こんなこと思いもしなかったんだろうな。
接続詞を使うたびに読点を入れるような奴と一緒にしないでくれ。
あなたの言ってることはわりとよくわかる。
私も学歴だけは無駄にあるタイプだ。世間的にもちゃんと「高学歴」と呼ばれる大学を出ている。
なのに、要領も悪くミスも多い。「なのに」という接続詞は本来はおかしいと思うけど、あくまで世間のイメージからすれば、〇〇大卒のわりになんか出来の悪い人だと思われてるだろうなという実感があるので使った。
世によく言う「地頭」的なやつが要因だと思っている。私もあなたと同じくわりと色々詰め込んで勉強してきたタイプで、早めから助走をつけていた勢いでなんとか学歴を入手できた人間だと思う。貯めてきた知識で生きている。
それとは逆に地頭のよさを使って生きている人たちもいて、そういう人たちは勉強はある時期以降飽きてやめちゃったりするけど、頭の中で色々な情報を結びつけたり先を見通したりする力に長けているので、要領がよく飲み込みも早い人が多い印象。
勝手なイメージだけど、中学受験とかを勝ち抜いた人にはこういうタイプが多いと思われる。昔は神童と呼ばれていた、とかそういう人。元々IQが高いとかそんなんなんだろうと思っている。
勝手に私とあなたを同類にしてしまって申し訳ないけど、我々のような人間は地頭のよい人には逆立ちしても勝てないのだから、ひとつひとつの失敗からパターンを抽出して学習していくしかない。
がんばって生き延びましょうね。
「ガバガバという言葉にグダグダという意味が生まれたのはここ10年のこと」「語源となったのは『真夏の夜の淫夢』」*引用元1
という増田に対して
というツッコミが入り、このコメントは累計58のスターを獲得した。
という文章であった(蟹工船の中でガバガバが使われているのこの一文のみ)。
これは布などのこわばりを意味する意味でのガバガバであり、増田の指摘するグダグダ(ガバマンからの派生だと思われるのでどちらかというとユルユルだと思うが)という意味ではない。
manamanaba 蟹工船、青空文庫にあったから検索してみたけど"垢でスルメのようにガバガバになったメリヤスやネルのシャツ"なのでこれはまた違う意味と思う
versatile 「寝る前に、漁夫達は垢でスルメのようにガバガバになったメリヤスやネルのシャツを脱いで、ストーヴの上に広げた。囲んでいるもの達が、炬燵のように」蟹工船から抜粋 https://www.aozora.gr.jp/cards/000156/files/1465_16805.html
mag-x まず蟹工船は「こわばっている」の意味だから別系統。肛門を含め「ゆるい」が淫夢以前から存在したのも間違いない。ただ「判定がガバガバ」のような「雑・杜撰」の意味が淫夢以前にあったかどうかは議論の余地あり。
a1dog 意味の全く違う蟹工船からの引用は反論にならないだろ。昔からあったはずだと言いながら用例が一つも見つかっていないのなら増田のほうが正しいんだろうな
この発言をしたこととそれが伸びてしまったことは書き手の日本語力及びはてなーの確認能力の低さを浮き彫りにしている。
具体的には以下の
1 「ガバガバという言葉にグダグダという意味が生まれたのはここ10年のこと」
2 「垢でスルメのようにガバガバになったメリヤスやネルのシャツ」
のどちからの文章、もしくは両方が理解できなかった、ないしは他人の発言を鵜呑みにしてソースを確認しなかったことによりそれは生まれている。
まず考えられるのが1の文章を「ガバガバという言葉が(グダグダという意味を持って)生まれたのはここ10年のこと」と解釈した可能性である。
これは「に」という接続詞と「が」という接続詞の意味を知らなかった可能性を指している。
次に考えられるのが2の文章を「垢でスルメのようにグダグダになったメリヤスやネルのシャツ」と解釈した可能性である。
垢(作中の描写はないが潮の影響もあるだろう)でスルメのようになるというのは硬い状態、オノマトペで言えばカピカピやゴワゴワに近い。
グダグダをクタクタと勘違いしたにしても、スルメのカチカチなイメージとは結びつかない。
つまりこの文章の意味におけるガバガバをグダグダと結びつけるには文章の意味を理解していなければ出来ないのだ。
今回、多くのブクマカがこの間違いを指摘してくれている。
ソースを示したブコメに対しては54のスターが入り、ガバ指摘の58にも迫る数となっている。
だがコレを持って「はてなは自浄作用があって素晴らしい」で終わりにしてはいけない。
次からはこのような頭の悪い発言をしない、そしてそんな発言に対してスターを安易に付けないことが大事なのだ。
そのためには「ソースの確認が自力でもできる発言は出来るだけソースを確認。ソースをまともに掲示しない発言は無視」という癖をつけるべきだ。
これはなにも発言者の心をサイコメトリーできる超能力者でなければ出来ないようなことではない。
小学校で習った日本語をちゃんと理解すれば出来ることであり、小学生にだって出来ることだ。
こんなことを言われるのは恥ずかしいことなんだぞ。
ここまで頭が悪いやつにどう教えたら良いのか俺は分からんから勉強のやり方については誰かブログにでも書いてホッテントリにしとけ。
わかったな?