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2023-09-26

万物黎明』は人類歴史を誤解している・続きの続きの続きの続き

国家に反対すること

フラナリーやマーカス、スコットらに倣えば、最近まですべての階級社会における中心的な政治闘争は、誰が土地を耕し、誰が食料を手に入れるかをめぐるものだった。グレーバーとウェングローの見方は異なる。彼らにとって中心的な問題権力であり、中心的な敵は国家である。そのため、彼らはいくつかの点で階級無視している。これは彼らがアナーキストからではない。ほとんどのアナーキストは、常に階級権力を同時に重視することができる。

しかし、『万物黎明』における省略は重要である。グレーバーとウェングローは、合意的で参加型の集会を支持する議論推し進めようと躍起になっているように見えるが、そのために私たちに一連の謎を残している。4つの簡単な例を挙げれば、その問題がよくわかるだろう。

著者たちは、都市における国家に先行することが多い、村落における階級格差の拡大には関心がなく、その文献を否定している。また、小王国領主爵位にも興味がない。中央集権的な大国家が存在しなければそれでいいのだ。私たちは、複雑な採集民に関する彼らの説明の中に、このような紆余曲折をいくつか見てきた。このようなことは、他の多くの例にも現れている。

インダス

インダス川沿いの古代都市モヘンジョ=ダロでは、約4万人が階級的不平等国家もなく暮らしていた。

そして彼らは、ヒンドゥトヴァ派の歴史家たちと同様に、モヘンジョ=ダロは実際に南アジアカーストに沿って組織されていたと示唆する。しかし、グレーバーとウェングローは、これは平等主義的なカーストであったと言う。最初は驚かされるが、彼らが言いたいのは、王のいないカーストの不平等容認できるということである[11]。

ナチェス

彼らは一貫して伝統的な王権の力を最小限に抑えている。ミシシッピ川流域のナチェズ王国がその好例である。グレーバーとウェングローは、太陽王権力凶悪な残虐性は彼の村の外には及ばなかったと言う。しかし実際には、ナチェズは白人プランター奉仕する奴隷貿易における主要な地域勢力であった[12]。

人間犠牲

グレーバーとウェングローは、残酷人身御供祭り世界中の初期の州で見られるという重要事実を正しく強調している。数十人から数百人が生け贄にされ、その多くは戦争捕虜若い女性、貧しい人々であった。

彼らは当然憤慨している。しかし、これらの生け贄の目的は、敵である他国の人々を恐怖に陥れることであったとも感じている。それとは対照的に、私たちは、流血の主な目的は、流血の実際の聴衆である残酷地方国家臣民を恐怖に陥れることだったと考えている。

実際、このような残酷さが、それぞれの国家の初期の歴史に特徴的なのはそのためだろう。国家正当性がまだ弱く、恐怖が最も必要とされていた時代である国家権力が強化されるにつれて、戦乱や敵対は続くものの、壮大な犠牲が消えていくのもそのためだろう。

集会

集会のもの重要最後の例である。グレーバーとウェングローは、古代メソポタミア王国国家における都市集会の力を極めて正しく指摘している。彼らは、これは王がすべての権力を持っていたわけではないという証拠だと言う。これは正しい。これらの王国階級闘争が止まっていたと考えるのは、よほどナイーブでなければならないだろう。

しかし、グレイバーとウェングローは飛躍する。彼らは、これらの都市議会は、参加型民主主義を掲げる「占拠せよ!」やその他の社会正義運動集会に似ていると指摘する。

古代メソポタミアでは、参加型民主主義いかなる形態についても、これといった証拠はない。しかし、他の階級社会における都市全体や全国的議会については、膨大な証拠がある。そのどれもが、富裕層や有力な一族によって支配されていた。古代スパルタでは地主支配していた。ローマ元老院も同様だった。ジョン王や男爵家もそうだった。そしてごく最近まで、ヨーロッパのすべての議会有権者富裕層に限られていた。

この近視眼は重要である。他の多くの人々と同様、私たち王国国家を、不平等社会における支配階級ルールを強化し、強制するために集まる方法として理解している。『万物黎明』では、そのプロセスは目に見えない。

* *

グレーバーとウェングローは怒っている。この怒りには、私たちのようにグローバルな不平等絶望し、グローバル・エリート政治を憎み、気候の混乱を恐れる読者を喜ばせるエネルギーがある。

多くの点で、彼らの本は新鮮な風を吹き込んでくれる。そして私たちは、既存のすべての国家に対する敵意を共有している。しかし、今後、気候変動を食い止めるためには、階級環境の中心的重要性を含む人間の条件に関する理解必要である

脚注

[1] Fredrich Engels, 1884, The Origin of the Family, Private Property and the State. The book was revived as a key text by socialist and Marxist feminists in debates about women’s liberation. Pace the 19th century social Darwinism which clearly took a lead from the Old Testament, it is now quite clear that both pastoralism and slash and burn agriculture appeared after, and not before, the advent of settled agriculture.

[2] Franz Boas, The Mind of Primitive Man, 1911; Claudia Ruth Pierpoint, ‘The Measure of America’, 2004; Ned Blackhawk and Isaiah Lorado Wilner, Indigenous Visions: Rediscovering the World of Franz Boas, 2018; Rosemary Lévy, Franz Boas: The Emergence of the Anthropologist, 2019.

[3] Very good examples of this work include Sara Hdry, Mothers and Others: The Evolutionary Origins of Mutual Understanding, 2005; Elizabeth Marshall Thomas, The Old Way, 2001; two articles by Steven Kuhn and Mary Stiner: ‘What’s a Mother To Do’, 2006 and ‘How Hearth and Home Made us Human’, 2019; Loretta Cormier and Sharon Jones, The Domesticated Penis: How Womanhood has Shaped Manhood, 2015; a key paper by Joanna Overing, ‘Men Control Women? The “Catch-22” in the Analysis of Gender’, 1987; two books by Christopher Boehm: Hierarchy in the Forest and the Evolution of Egalitarian Behavior, 1999, and Moral Origins, 2012; every book by the primatologist Frans de Waal; the two chapters by Brian Ferguson in Douglas Fry, ed., War, Peace and Human Nature, 2013; Richard Wrangham, Catching Fire: How Cooking Made Us Human, 2010; and two books by the trans biologist Joan Roughgarden: Evolution’s Rainbow: Diversity, Gender and Sexuality in Nature and People, 2004, and The Genial Gene: Deconstructing Darwinian Selfishness, 2009.

[4] Our favourites among the ethnographies of our near contemporary hunter-gatherers are Marjorie Shostack, Nisa: The Life and Words of a !Kung Woman, 1981; Jean Briggs, Inuit Morality Play: The Emotional Education of a Three-Year-Old, 1998; Phyllis Kaberry, Aboriginal Women: Sacred and Profane, 1938, Karen Endicott and Kirk Endicott: The Headman was a Woman: The Gender Egalitarian Batek of Malaysia, 2008; Richard Lee, The !Kung San: Men, Women and Work in a Foraging Society, 1978; and Colin Turnbull, Wayward Servants: The Two Worlds of the African Pygmies, 1978.

[5] Kent Flannery and Joyce Marcus, The Creation of Inequality: How Our Prehistorical Ancestors Set the Stage for Monarchy, Slavery and Empire, 2012; and James C. Scott, The Art of Not Being Governed: An Anarchist History of Upland South-East Asia, 2009; Scott, Against the Grain: A Deep History of the Earliest States, 2017. Martin Jones, Feast: Why Humans Share Food, 2007, is also very useful.

[6] Edmund Leach had made a similar argument in 1954 in Political Systems of Highland Burma, and radically changed anthropology. For a brilliant ethnography of one group of anti-class hill rebels at the end of the twentieth century, see Shanshan Du, Chopsticks Only Work in Pairs: Gender Unity and Gender Equality Among the Lahu of Southeastern China, 2003. For Scott’s recent extension of his argument to ancient Mesopotamia, see Against the Grain.

[7] This is all succinctly described in Brian Hayden, ‘Transegalitarian Societies on the American Northwest Plateau: Social Dynamics and Cultural/Technological Changes,’ in Orlando Cerasuolo, ed., The Archaeology of Inequality, 2021.

[8] Start with Philip Drucker and Robert Heizer, 1967, To Make My Name Good: A Reexamination of the Southern Kwakiutl Potlatch; and Eric Wolf, Envisioning Power: Ideologies of Dominance and Crisis, 1999, 69-132.

[9] Jeanne Arnold, ‘Credit where Credit is Due: The History of the Chumash Oceangoing Plank Canoe’, 2007; and Lynn Gamble, The Chumash World at European Contact: Power, Trade and Fighting among Complex Hunter-Gatherers, 2011.

[10] On the Calusa, see The Dawn, 150-2; Fernando Santos-Cranero, 2010, Vital Enemies: Slavery, Predation and the Amerindian Political Economy of Life, 2010; and John Hann, Missions to the Calusa, 1991.

[11] Rita Wright, The Ancient Indus: Urbanism, Economy and Society, 2010; and Andrew Robinson, The Indus: Lost Civilizations, 2015.

[12] Robbie Ethridge and Sheri M. Shuck-Hall, Mapping the Mississippian Shatter Zone, 2009; and George Edward Milne, Natchez Country: Indians, Colonists and the Landscape of Race in French Louisiana, 2015.

万物黎明』は人類歴史を誤解している・続きの続きの続き

農業の到来

平等から階層へ、男女平等から著しい男女不平等への転換は、一般農業と関連しており、このことはグレーバーとウェングローにかなりの問題を突きつけている。彼らは選択に関心があるため、唯物論的な議論を避けたり、環境が人々の選択を条件づけ、制限する方法について考察したりすることに固執しているようだ。

農業は、約1万2千年前から世界の多くの場所独自発明された。狩猟採集民は食料を共有し、持てる以上のものを所有することはできなかった。しか農民たちは定住し、畑や作物に投資するようになった。そのため、一部の人々が自分の取り分以上の食料を手にする可能性が生まれた。

やがて、凶悪犯やいじめっ子集団が集まって領主になることもあった。窃盗や略奪、家賃小作料、労働力雇用税金、貢納、什分の一など、さまざまな方法でこれを行った。どのような形であれ、このような階級的不平等は常に組織的暴力依存していた。そしてこれこそが、ごく最近まで階級闘争が対象としてきたものなのだ

農民狩猟民族にはない弱者だった。彼らは自分土地、畑を開墾し灌漑するために費やした労働、そして作物の貯蔵に縛られていた。狩猟採集民は離れることができた。農民はそうではなかった。

しかし、グレイバーとウェングローは、農民が余剰を生産し、蓄えることができたからこそ、階級社会搾取国家、そして偶然にもジェンダーによる不平等可能になったのだという、この物語に立ち向かった。

フラナリーとマーカス

2012年考古学者のケント・フラナリージョイス・マーカスは『不平等創造』という素晴らしい本を出版した。彼らは、世界のさまざまな地域農業がどのように不平等をもたらしたかをたどっている。

しかし彼らは、その関連性は自動的に生じたものではないと主張する。農業階級可能にしたが、多くの農民平等主義の社会暮らしていた。農業発明階級発明の間のギャップは、数世紀単位で測られる場所もあれば、数千年単位で測られる場所もある。

フラナリーとマーカスはまた、地元凶悪犯や領主権力を掌握しても、後に打倒されることが多いことを、注意深い実例を通して示している。多くの町や都市では、エリート考古学的記録に現れ、その後何十年も姿を消し、また現れる。事実上階級闘争は決して止まらないのである[5]。

ジェームズ・C・スコットフラナリーとマーカスの壮大な比較研究は、人類学根本的に変えた1954年エドモンド・リーチの著書『ビルマ高地政治制度』や、アナーキスト政治学者であり人類学者でもあるジェームズ・C・スコットの研究において先取りされていた。[2009年、スコットは『統治されない技術』(An Anarchist History of Upland Southeast Asia)を出版した。同書は数世紀にわたる東南アジア全域を対象としている。

スコットは、平原王国の稲作農民の多くが丘陵地帯に逃亡したことに関心を寄せている。彼らはそこで、「焼畑」移動耕作者の新たな民族集団として再出発した。彼らの中には、より小さな階級社会を作り上げた者もいれば、階級を持たずに生活した者もいた。そのすべてが、下の王国国家からの絶え間ない奴隷化軍事的襲撃に抵抗しなければならなかった。

技術

ある意味では、グレイバーとウェングローはリーチ、スコット、フラナリー、マーカス仕事を土台にしている。ウェングローは結局のところ、フラナリーとマーカスが要約している考古学の変化の一端を担っている。そして『万物黎明』には、スコットの影響が随所に見られる。

しかし、グレイバーとウェングローは、一方では技術環境と、他方では経済的政治的変化との間にある、他の著者たちの結びつきを好まない。

フラナリー、マーカス、スコットの3人は、テクノロジー環境が変化を決定するのではない、と注意深く述べている。それらは変化を可能にする。同様に、穀物農業発明自動的階級格差国家をもたらしたわけではない。しかし、それがそうした変化を可能にしたのである

階級関係階級闘争技術環境の変化は、階級闘争の舞台を設定した。そして、その階級闘争の結果が、平等と不平等のどちらが勝利するかを決定した。グレーバーとウェングローはこの重要な点を無視している。その代わりに、彼らは常に、そのような変化を即座に必然的ものとする段階論の粗雑な形式問題にしている。

この生態学思考に対するアレルギーが、彼らが人類進化に関する新しい文献を扱おうとしない背景の一つであろう。

これらの文献はすべて、人類となった動物たちが、自分たちの住む環境自分たちの身体、競合する捕食者、自分たちが発明できる技術生計を立てる方法に対して、どのように社会適応を築いたか理解しようとするものである。偶然にも、彼らはその生態系と状況に対処するために平等主義的な社会を築いた。それは必然的な結果ではなかった。しかし、それは適応だったのだ。

一方、グレーバーとウェングローは唯物論者ではない。彼らにとって、生態系技術について考えることは、彼らが望む選択革命不可能にする恐れがある。例えば、古代メソポタミアに関するスコットの本が、特に穀物農業が不平等をもたらした物質的な理由を強調しているため、彼らが満足していないのはこのためである

これは些細な問題ではない。私たちが今直面している気候危機は、人類が新しい技術と新しい環境適応するために、社会をどのように変えていくかという問題を浮き彫りにしている。平等人類存続のための政治は、今や深遠なまでに唯物論的でなければならない。

ジェンダーの不在

グレーバーとウェングローが環境人間存在物質的基盤にほとんど関心がないことは、これまで見てきたとおりである

同じように、彼らは階級という概念や、階級関係階級闘争についての議論ほとんど宗教的に避けている。グレーバーは確かに、そしておそらくウェングローも、階級関係階級闘争について理解している。彼らは、階級が何をするのか、そして実際、自分がどの階級人間なのかを知っているが、階級関係社会変革の原動力として扱うことはできないし、また扱おうともしない。

これと同様に目を引くのは、グレーバーとウェングローがジェンダー社会的構築に対して関心を示さないことである。彼らはミノア・クレタ島における母系制のほぼバコフェンを再現する一方で、女性は養育者であり、男性はいじめっ子であるという家父長制的なステレオタイプ散見する。

平等は常に私たちとともにあったというのが彼らの主張であるため、グレーバーとウェングローは、人類性別による不平等起源についてほとんど何も語っていない。

男女関係進化については、基本的に3つの学派がある。まず、進化心理学者たちであるが、彼らの主張は非常に保守的であるジャレド・ダイアモンドナポレオン・シャグノン、スティーブン・ピンカーは、不平等暴力競争人間の本性の基本であると主張する。彼らは、男性進化によって他の男性競争するようにプログラムされているため、強い者が女性支配し、より多くの子どもをもうけることができるからだと言う。これは残念なことであり、幸いにも西洋文明はそのような原始的感情部分的に手なずけてきたとピンカーは言う。

偉大な生物学者であり、トランス活動家であるジョーン・ラフガーデンは、こうした考えを『薄く偽装されたレイプ物語』と正しく表現している。このような議論は実に忌まわしいものであり、そのためだけにグレーバーやウェングローが否定したのは間違いない。

非常に長い間、フェミニスト人類学者の間では、第二の学派の考え方が支配的であった。この学派もまた、女性男性の間の差異本質化し、女性男性の間に何らかの不平等があることをあらゆる社会で当然のこととして受け入れていた。

私たちが支持するのは第3の選択である歴史学人類学考古学の記録に顕著な特徴がある。人々が経済的政治的に平等社会暮らしていたほとんどの場合女性男性平等であった。また、経済的に不平等階級社会存在したところでは、そこでも男性女性支配していた。

私たちにつきまとう疑問はこうだ:なぜなのか?

グレーバーとウェングローはこの問いに取り組んでいない。彼らは性差別について何の説明もしないし、男女関係がどのように、あるいはなぜ変化するのかにも関心がない。しかし、彼らは性差別主義者ではない。彼らは何度も女性抑圧の事例に触れているが、それは一過性のものである。彼らの関心事の中心にはないのだ。だから私たちには印象的な一致に見えるが、彼らにとっては蜃気楼なのだ

複雑な採集

グレイバーとウェングローの説明重要な部分は、農耕と階級的不平等、そして国家の出現との関連を軽視しようとする決意のもと、階級的不平等戦争さらには奴隷制さえも存在した狩猟採集民のグループに焦点を当てている。考古学者は彼らを「複合狩猟採集民」あるいは「複合採集民」と呼んでいる。

レバーとウェングローは、先史時代の人々が無国籍平等主義的であったか暴力的で不平等であったかのどちらかであったという証拠として、これらの人々を取り上げている。それは証拠が示すところとは違う。[7]

典型的な例は、フランツボースによって研究されたクワキウトル族と、カナダ西海岸コロンビア川フレイザー川の近隣の人々である。この川と海岸では、莫大な数のサケ遡上していた。限られた数の隘路や漁場を支配する者は、莫大な余剰を蓄えることができた。コロンビア川のギャレスがその一例だ。少人数で10ポンドサケを獲ることができた日もあった。

それは例外的なことだった。場所によって差はあった。しかし、沿岸部河川全域にわたって、サケ資源豊富であればあるほど、考古学や文献記録には階級間の不平等が表れている。富の不平等はしばしば極端であった。また、これらの人々は複雑な軍事技術を持っており、大勢戦士を乗せ、数人で何カ月もかけて作るような大きなカヌーを使っていた。

事実上農民田畑に囚われていたように、これらの人々は漁場に囚われていた。そして農民と同じように、サケ漁師たちにとって貯蔵は不可欠だった。考古学上の記録を遥かに遡ると、彼らの骨や歯を調べると、年間の食生活の40%から60%がサケからもたらされていたことがわかる。サケは数週間しか獲れないので、その食生活の大半は乾燥サケによるものだったに違いない。

農民と同じように、環境的制約と新技術階級社会可能性を開いていたのだ。こうした過程は、『万物黎明』にはまったく見られない。そのかわりに、50年前の学部生がクワキウトル族について語った、浪費的で貪欲ポトラッチ饗宴の民という、お決まり説明がなされている。この説明は、その後の膨大な研究成果を無視している。

天然痘梅毒人口の6分の5を失い、金鉱探鉱者によって征服され、そして蹂躙され、最終的にはカナダ政府によってポトラッチの宴が禁止された人々の中で、あの無秩序な宴は、権力にしがみつこうと必死だった支配階級によって管理された伝統的な生活の祭典であったことが、今ではわかっている。深い物質的な悲劇が、非合理的茶番劇として語られている[8]。

西海岸漁民けが「複雑な採集者」だったわけではない。世界中には他にも例がある。しかし、それがいかに少ないかは注目に値する。さら考古学者たちは、現在より7,000年前より古いものひとつも見つかっておらず、14,000年前より前に戦争があった証拠もない。

複雑な採集民の数が少なく、その起源が新しいのは、技術問題かもしれない。確かにカリフォルニア沿岸のチュマシュ族が不平等戦争を発展させたのは、紀元600年以前に大型の外洋用板カヌーの建造を習得してからである

彼らは「複合型採集民」の第三の例として、フロリダ南部カルーサ族を選んでいる。ある意味では、これらもまた、支配的な首長戦士階級格差奴隷制度、高価な戦争カヌー、海の哺乳類、ワニ、大型魚の漁業依存する漁民であった。

グレーバーとウェングローは、カルサ人を「非農耕民族」と表現している。しかし、彼らが認めているように、カルサの漁民もっと大きな政治の中で支配的なグループであった。他のすべての集団は農耕民であり、カルサ人の支配者に大量の食料、金、奴隷にされたヨーロッパ人アフリカ人捕虜を貢納していた。その食料によって、カルサ族のエリートたち、そして300人のフルタイム戦士たちは働かずに生活することができた[10]。

続き→https://anond.hatelabo.jp/20230926143955

2023-09-24

anond:20230924102612

ある種の医者には、自分たち軍人であり、患者捕虜収入の道具)とみなしているような言動が見られる

かつては731部隊、100部隊満州同仁会、その他もろもろが治療という名の拷問活動をしていたが

GHQ軍属でない医師医療犯罪は訴追しなかった

少子化推進作戦など容易いことだろう

2023-09-08

anond:20230908141724

大日本帝国陸軍は、まず、捕虜民間人レイプで有名なんだ。レイプした婦人の数を競って笑い合ったりしていた話が今も残されてるよ。

やめるように命令が出てたけど、効果はなかったんだ。

そもそも戦争を始めたこ自体が非常にバカなのだが、長い時代鎖国日本教養も遅れていた


ほとんどの男を赤紙軍人にしてただろう?陸軍教育は今の自衛隊のような小さな規模で行われたものではなかったんだ

日本の多くの人はまともな教育もないまま陸軍天皇万歳のもとにわーくにが世界一で、天皇の元には神風が吹くから全てはうまくいく、必ず風のおかげで勝てる、色々めちゃくちゃな戦争教育されていったんだよ


そして戦後なんだが、上の世代焼け野原で、陸軍の亡霊みたいな奴もたくさんいた

アメリカはさっさと復興してもらって日本軍用基地にしたかったので、国民民度が落ちるのは承知そいつらを排除始末はしなかった

いちから組織を作ったり権力者を育てたりするより一応日本人を軍や集団として機能させたノウハウがあるバカ支配者やバカ軍人にそのままやらせた方が復興が早かったか

ある時代人間はめちゃくちゃバカなんだ

そのバカは、高度成長期戦後の時期復興の時期に援助や補償をもらって、ひたすら煽てられてバカ矯正されないまま高い給料をもらい、ブランド品を買い漁り、海外旅行に行きまくり役員になり、勝ち組になってしまった

そのまま権力を持ってしまった

バカの作ったテレビ雑誌差別だらけ蔑視だらけセクハラパワハラだらけの気持ち悪いものだったけど、それを見て育った層もそのままそれが普通だと思ってバカ二世なっちまった

終わってる国なのね

2023-08-30

いま、アルドノア・ゼロを視聴し直している

放送の時には、火星は内政も外交政治が下手すぎるとか

50年も経たずにあんなことなっちゃうのは、火星には未知の中二病ウィルス存在したのではとか考えながら見ていた

が、しかし、そういうところに注目すべき作品ではなかったのだろうと

キャラクターの置かれた状況と心情のみに注目しようと見進めてきた。んだけど…

やっぱ7話のイナホ君とスレインきゅん初邂逅時のイナホ君の行動はどう考えてもおかしいよな

捕虜に取るのが最上で、次善がぬっころし、生きて返すなんて危険シマシでメリットは何もない

一時的共闘で情がわいたてしまった(ぬっころし案没)

かつ

姫様のことが好きすぎて判断を誤ったということなのかしら?

2023-08-12

ウクライナ日本人義勇兵

捕虜になったらオッサン一人のために日本政府右往左往するんやろな

自己責任じゃ煮るなり焼くなり好きにせえ!なんて言えんやろし

2023-08-09

anond:20230808185030

こういう奴世界の敵と相対する側(WW2なら連合国立ち位置)になるの結構怖くない?国際法とかガン無視捕虜虐待民間人虐殺なんでもやりそうじゃん

案外ブチャの虐殺とかを主導したやつはこういう精神の奴なんだろうな

2023-08-02

anond:20230801233204

核が残虐非道兵器として描かれるなら何も言われんでしょってか、実際日本にもそう言う創作描写はたくさんあるでしょ

逆に核と明言しなければでかい爆発の表現としてキノコ雲的な描写も散々されてる

向こうの人達炎上してるネタは実際の写真を雑にコラ画像にしたり、核のキノコ雲を雑にギャグにしてるから炎上してる

奴隷捕虜も実際の写真コラ画像したり、実際のそれと関連づけられるネタギャグやったら秒で炎上するやろ

2023-07-20

ゲームの護衛ミッションが大好きだから語りたい。

ゲームの護衛ミッションが大好きだ。

嫌いという意見もあるが私は護衛ミッションが大好きだ。

特に戦術SLGSRPGでは護衛ミッションが無いと残念に感じるくらいである。

アクションなどでもあればやはり歓迎である

単に護衛ミッションと言っても設定やマップの状況によって印象はだいぶ違う。

護衛対象操作は?

プレイヤー操作
自動操作

護衛対象は単体か複数か?

単体(司令官など)
複数兵士だったり市民だったり)

護衛対象の種類は複数か?

例えば

司令官を護衛
司令官とその部下の護衛。司令官の全員と部下の何割以上の生存

護衛対象は誰か?

例えば

兵士
司令官
一般市民が乗ったトレーラー

護衛対象戦闘能力があるか?

例えば

普通に戦える
戦えるが弱い
戦闘能力を持たない(市民トレーラー

護衛対象はどこからどこまでが対象か?

例えば

プレイヤーがいる基地まで逃れてくる兵士を守る(羅刹オルタネイティブ 防壁)
プレイヤー制限時間内に敵基地占領しその基地まで逃れてくる兵士を守る(羅刹オルタネイティブ 蝟集
兵士が敵基地に乗り込むので乗り込むまでを支援する(羅刹オルタネイティブ 罠)

基地ではなく特定地点の通過を支援するものもある。

護衛に必要ものやすることは?

例えば

自分ユニットなどの戦力だけ
トレーラー航空機などを別途使用する。
離脱妨害する電波を発する機械破壊

護衛対象は何をする?

例えば

基地まで逃れてくる。
作戦から逃れる(離脱地点までの護衛)。
基地への侵入
航空機まで移動してから航空機脱出

護衛対象はどこにいる?

例えば

最初からプレイヤーと一緒にいる
作戦地内のどこかに潜んでいる。
基地に捕らわれている。
作戦地へ遅れて登場する。

護衛対象が遅れて登場するならばそれは何故?

例えば

遠くから作戦地に向かっていた
何らかの要因がありプレイヤーが何かを行うことで登場できる。(妨害電波制御している塔を停止すると降下してくるなど)

護衛対象が遅れて登場するならば、一斉に登場する?断続的に登場する?規則的に登場する?

例えば

一度に登場する。
2回に分かれて登場する。
断続的に登場する。
毎ターンなど規則的に登場する。
何かをする、何かが起こると登場する。

護衛対象が、ある地点まで行ったら何をする?

例えば

離脱マップから消える)
その場に留まる
マップから消えて、一定時間経過後に(設定上、その対象が何かをしてから)再登場し再び何かをする。
地域を回り最終的には離脱

プレイヤーが護衛以外にすることは?護衛対象を守りながら何をする?

例えば

護衛対象離脱させる。
基地等の防衛も行う。
敵の撃破、または護衛対象との共闘
自分も護衛対象と共に離脱

音楽は?

例えば

勇ましく護衛
切羽詰まった護衛
暗い雰囲気の中で護衛
落ち着いた雰囲気の中で護衛
爽やかに護衛

これらの組み合わせで色々な護衛ミッションが作れる。

逆に考えると戦術SLGやSRPGで護衛ミッションが一つだと物足りない。

沢山作れるし、沢山作って欲しいのである

印象的な護衛ミッション

プレイヤー制限時間内に敵基地占領しその基地まで逃れてくる兵士を守る。作戦地には地雷が設置されており除去が必要(羅刹オルタネイティブ 蝟集
トレーラーを護衛しながら敵基地に乗り込み捕虜収容所から捕虜を救助しトレーラー作戦から脱出させる。(羅刹オルタネイティブ 回収)
作戦地に残っている複数兵士輸送機まで護衛し、輸送機作戦から脱出させる。輸送機脱出できないようにしている施設を全て破壊する事が必要兵士脱出完了したら自分たちも輸送機脱出(羅刹オルタネイティブ 獄門島

この獄門島も凄い。

輸送機作戦地に初めから配置されているため、兵士が乗り込む前から守らなければならない。作戦地に初めは隠れており輸送機までやってくる兵士も勿論護衛しなければならない。輸送機が発進したら作戦地内を離脱ポイントまで飛行するので、その間も守る必要がある。

そして、輸送機脱出できないようにしている施設を全て破壊する事が必要自分たちも輸送機脱出するというのが素晴らしい。

そればかりか最初作戦には含まれていないが、ゲーム中では作戦地内で他に取り残されている兵士存在が明らかになる。

追加での護衛と脱出であるとにかく豪華な力作ミッションである

自軍馬車を率いて敵護送馬車から捕虜を救出し、自軍馬車を脱出させる。(シークエンス・パラディウム2 冤罪者の祈り

本で見ただけだがこれも印象的だ。どうも捕虜の載せ替え?らしい。動かない捕虜収容所からトレーラーに乗せるのは羅刹オルタネイティブにあったが、動く馬車から馬車は見たことがない。

捕虜収容所からでも馬車からでもどっちでも変わらないのではないか?と思われるかもしれないが、救助する元の場所が動いているかどうかでもやっぱり印象は違うと思う。

ただし残念ながら遊んだことはない。

シークエンス・パラディウム2は今どきのOSでは動作しない。仮に動作しても難易度が高いようなのでそのステージまでいけないかも?

他に羅刹2というゲームでは、3台の車両をそれぞれ指定位置まで護衛(行く場所が同じではなくそれぞれ指定されている)、

兵士を護衛し敵基地侵入させるとマップから消えるが作戦が終わるとマップに再登場するのでそれから兵士マップ外に護衛するなどもあった気がする。

護衛される系

逆に護衛される系もあるのではないだろうか?

ファイアーエムブレムトラキア776などは4章外伝自動操作のセティ様などは頼もしく、プレイヤーが守られている。

いやそれは大げさな言い方で実際には共闘だろうか。しかしありがたい。

トラキア776は市民クラスはシビリアン)を守る印象が強いかもしれないがセティ様を忘れてはいけない。

4章外伝中央の扉は早く開き守ってもらうんだ。

とにかく護衛ミッション面白い

羅刹の話ばかりになったが特定シリーズとか特定ジャンルとか関係ない。

とにかく護衛ミッションはあるとうれしい。

2023-07-09

パレスチナ人への援助のほとんどがイスラエルの金庫に行き着く経緯

外交官灰色、難読性、さらには偽善であるという評判があるかもしれないが、人肉をむさぼり食う連続殺人犯はもちろん、自分自身連続殺人犯比較した人はほとんどいない。

先週、ユダヤ人入植者らがソーシャルメディアキャンペーンを開始し、同氏を映画羊たちの沈黙』の恐ろしい人物ハンニバル・レクター役に起用するキャンペーンを開始したとき、その栄誉はラールス・ファーボルグ=アンデルセンイスラエル欧州連合大使に降りかかった。

レクター刑務所マスクを着用したデンマーク外交官画像は、ヨーロッパにも同様の口輪が必要であることを示唆するはずだった。

入植者の不満は、イスラエル軍がエルサレム近郊の占領地でパレスチナ人ベドウィン家族の家を破壊した後、一時的避難所提供してきたヨーロッパの援助に関連している。緊急住宅のおかげで、彼らはイスラエル入植者が切望していた土地に留まることができた。

レクター氏との比較激怒した欧州当局者らは、国際法を遵守するのであれば、EU​​ではなくイスラエルがこれらの家族福祉責任を負うことになるとテルアビブに念を押した。

欧州パレスチナ人権利を守るために援助を利用し、自らを啓発された西側諸国の一部だと考えているかもしれないが、現実はそれほど安心できるものではない。援助は実際に事態を著しく悪化させている可能性がある。

占領下の不透明経済状況を何年もかけて解明してきたイスラエル経済学者シール・ヒーバー氏は、最近衝撃的な内容の報告書を発表した。

他の人々と同様、同氏は国際援助のおかげでイスラエルは数十年にわたる占領のツケを払わなくて済むと信じている。しかし、彼はさらに先に進みます

彼の驚くべき結論は、イスラエル入植者も驚くかもしれないが、パレスチナ人向けの人道援助の少なくとも78パーセントイスラエルの金庫に収まるというものだ。

関係する金額は巨額です。占領下のパレスチナ人世界で最も援助依存度が高い国の一つで、国際社会から年間20ドル以上を受け取っている。ヒーバー氏によると、寄付者は占領費用の最大 3 分の 1 を直接補助する可能性があるという。

他の形態イスラエル利行為も以前の研究特定されている。

2013年に世界銀行は、パレスチナ人イスラエルによって略奪された資源によって年間少なくとも34億ドルを失っていると非常に控えめに見積もった。

さらに、イスラエルパレスチナ人との和平を拒否し、その結果として地域の他の地域との和平を拒否していることは、米国政府の年間30億ドル軍事援助を正当化するために利用されている。

イスラエルはまた、占領地をパレスチナ人に対する武器監視システム実験のための実験室として利用し、その専門知識を輸出している。イスラエル軍事産業サイバー産業は莫大な利益を上げており、毎年数十億ドル収入を生み出しています

先週発表された調査では、小国イスラエル世界で8番目に強い国であることが判明した。

しかし、これらの収入源がイスラエル占領からの棚ぼた的なものであることは明らかだが、パレスチナ人に対する西側の人道援助は明らかに勝者ではなく被害者対象としている。

では、イスラエルはどのようにしてこれほどの利益を上げているのでしょうか?

問題イスラエルが自らに課した仲介者としての役割だ、とヒーバー氏は言う。パレスチナ人に届けるには、ドナーイスラエルを経由するしかない。これは、彼が言うところの「援助転覆」と「援助転用」のための熟した機会を提供する。

最初の結果は、パレスチナ人捕虜市場であることによるものです。彼らはイスラエル以外の商品サービスほとんど利用できません。

占領下でのイスラエル経済利益監視しているイスラエル団体Who Profits?」は、乳業会社トゥヌバがヨルダン川西岸で年間6,000万ドル相当の独占を享受していると評価している。

一方、イスラエルが人や物の移動をすべて管理しているため、援助の転用が発生する。イスラエル規制により、輸送と保管に料金がかかり、「警備」料金も課されることになる。

他の研究では、「援助破壊」によるさらなる利益確認されていますイスラエル外国資金による援助プロジェクト破壊すると、パレスチナ人は損失を被るが、イスラエル恩恵を受けることも多い。

例えば、セメントメーカーのネシェルは、イスラエルが度重なる暴動後のガザ地区での再建活動のための物資を含め、イスラエル人とパレスチナ人による全建設の85%を管理していると報告されている。

イスラエル社会重要な層は、警備業界の人々を除いて、占領から私腹を肥やしている。逆説的だが、通常はパレスチナ人に付けられる「世界で最も援助に依存している人々」というレッテルは、イスラエル人を表すのによく使われるかもしれない。

何ができるでしょうか?国際法専門家リチャード・フォーク氏は、イスラエルが援助監視の空白を利用していると指摘する。寄付者には、資金が確実に目的の受取人に届くようにする義務はない。

オスロプロセス過去20年間に国際社会が行ってきたことは、意図的であろうとなかろうと、パレスチナ人に対するイスラエル支配を安定させ、定着させるための経済インセンティブイスラエル提供することだった。比較コストをかけずに実現できます

欧州米国占領地への支配解放するために小さな外交棒でイスラエルを打ち負かそうとしているが、同時にイスラエル支配力を強化するよう刺激するためにジューシー経済ニンジンをぶら下げている。

さな希望の光が見えてきました。西側の援助政策自己破壊である必要はない。ヒーバー氏の研究は、イスラエルパレスチナ人自身と同じくらいパレスチナ援助に依存してきたことを示している。

EUは先週、ブリュッセルではなくイスラエルホームレスにしたベドウィンの世話をすべきだと指摘した。欧州は自らの助言を心に留め、占領の真のコストイスラエル転嫁し始める可能性がある。

もし、イスラエルですら間もなく起こると予測しているように、マフムード・アッバースパレスチナ自治政府が崩壊すれば、西側が何を決定しようと、それはすぐに起こるかもしれない。

https://www.counterpunch.org/2016/03/09/how-most-aid-to-the-palestinians-ends-up-in-israels-coffers/

2023-07-01

悲報】ウクナチエーデルワイス降伏20230619

Aif.ru

2023/06/19 18:11ドミトリー・ネフゾロ

推定読了時間: 3 分

ゼレンスキー・カプト。「精鋭」「エーデルワイス」のストームトルーパー降伏

40人が手を挙げて征服者の慈悲に降伏した。これらは、大祖国戦争中に民間人の大量処刑で知られたナチスのゾンダーコマンドと山岳師団懲罰者にちなんで名付けられたウクライナエーデルワイス戦闘機と同じであるウクライナ軍の「フラワーマン」は遠くには行かなかった - 彼らはドンバス平和的な集落を「浄化」する準備ができていたが、戦う準備ができていた - 根性は薄い。

ロシア人よ、撃つな」

ザポリージャ方面では、「攻撃」の失敗を背景に、ウクライナ兵士の大量降伏事案がより頻繁になった。「反撃の開始時に降伏個別のケースがあったとしても、」と「私たちロシアとともにあります運動議長であるウラジーミルロゴフは言う。それは毎日数十人です。人々は生き残り、ゼレンスキー政権の血なまぐさい政権のために戦わなくなるチャンスを利用しているのです。」

ロゴフ氏によると、彼らは命を救うために降伏するだけでなく、ロシアの陣地に自爆攻撃を仕掛けないように意図的軍事装備や兵器に損傷を与えているという。

RIAノーボスチがその言葉引用したウクライナ捕虜アルチョムは、わずか4時間戦闘で彼の部隊はほぼ全員の人員を失ったと語った。「私たちは皆、火の壁に追いやられ、追い詰められました」と囚人は言います。- 近くで地雷が爆発したとき、私は落ちました。暗くなるまで、彼は動かずに横たわっていました。暗くなり始めたので、私は這ってあなた位置まで行きました。這いながら、彼はいつも叫んでいた、「撃たないで、私は私のものよ、ロシア人」。

「私にとって戦争は終わった」

ウクライナ軍の一般戦闘員だけでなく、将校も「克服」を信じていない。先日、ドニエプル川右岸の陣地にいた第126テロ防衛旅団軍人ロシア軍に降伏した。「小隊長がこの件で私たちを助けてくれた」とウクライナ捕虜は語った。- 彼は私たちがドレープするつもりだと聞いていましたが、私たちを裏切らなかっただけでなく、助けると約束しました。さらに連絡先も教えてくれました。彼は国民全員を救いたいと言いました。」

この捕虜によると、ロシア砲兵によるウクライナの陣地への再度の大規模な砲撃を受けて、陣地を離れる決定が下されたという。「午前3時頃、私たちは3人で白旗を掲げたボートドニエプル川左岸へ向かいました。私たち小隊長大尉は、彼らが私たちに発砲しないように私たちを助けてくれた」とウクライナ軍は述べた。「私にとって、この戦争は終わりました。」

自分が何をしているのか考えてみてください...」

この言葉とともに、運命なすがままに傷を負った捕虜は同僚に向き直った。

「逃げるなよ、ジャッカルたち。撃ちたいなら来なさい、しかし負傷者を戦場放置しないでください」とロシア連邦の英雄ルスラン・クルバノフはこれについて感情的に語った。私たち戦闘員は、助けなしにどうやって仲間を離れることができるのか理解していません。これは、ウクライナ軍の階級に浸透している精神について多くを物語っています。彼らは「サイボーグ」ではなく、主人公が言ったように「ジャッカル」です。

昨年の捕虜交換の映像を覚えている人も多いだろう。当時、十分な食事を与えられたウクライナ捕虜は、汚れた血まみれの包帯を巻かれた衰弱したロシア兵と交換された。交換後、ウクライナ軍の戦闘員らはロシアから提供された乾いた食料を軽蔑的に破棄し、ロシアについて極めて否定的発言をした。

今、状況は変わった。戦場での状況を変えることが不可能であることを背景に、ウクライナ兵士指揮官だけでなく、あらゆる成功に対しても信頼を失い始めました。自発的降伏した第42旅団ウクライナ二等兵ニコライ・ドライナはこう語った。「我々の半分は障害者で、半分は戦いたくありません。彼らは準備もせずに私たちを戦いに放り込み、おそらく私たち全員がずぶ濡れになることを望んでいるのでしょう。ここでの闘争心とは何でしょうか?

2023-06-19

捕虜にしたウクライナ兵をロシア兵が去勢してるんだって

それでも人の善意を信じて疑わない正義のパヨさんは戦争反対から進んで降伏するんでしょ?

2023-06-16

喧嘩買えばいいんか

北朝鮮eez内にミサイル打ち込んできてるが

絶対負ける戦争仕掛けてどうするだろう

捕虜ご飯奢ればみんな投降するんじゃね。

2023-06-15

アメリカ弓道

久しぶりに弓道をしようと思って弓道グループに2つ行ってみて気づいたこと。同じようにアメリカ弓道を再開しようとしている人に伝えたい。

弓道には小笠原流とか日置流とかあるのはご存知のとおりだが、全日本弓道連盟がそれを取りまとめて日本では弓道の振興発展に努めている。

一方アメリカ弓道弓師柴田勘十郎氏の影響が強い。

柴田家の弓はそれまで天皇家に納めるほどよい弓を作っていたが、20代目(1921-2013)が作った弓はあまりにもひどかったようである

ソビエト捕虜となっていた時期があり、うまく伝承が行われなかったという話もある)

弓師組合文句を言うレベルであったが、全日から引導を渡された柴田氏は、どういう経緯かアメリカ渡り弓道を広めようとする。

このとき組んだのチベット僧侶のChögyam Trungpaである

https://www.lionsroar.com/kyudo-master-kanjuro-shibata-passes-away-at-boulder-dojo/

欧米認知されていたオイゲンヘリゲル氏の「弓と禅」の影響もあり、スピリチュアル・禅などといった本来弓道とは関係のないものとごっちゃになり、スピリチュアルブームに便乗してコロラドから全米に広がっていった。

そのため現在アメリカでの弓道ZenやSpiritualが前面に推されているものもあり、日本弓道の考え方(武道戦前の体育教育の一環)とは大きく異なるところである

ちなみに柴田氏の伝えたのは日置流尾州竹林派であり、現在名古屋の一部でしか残っていない様子。

三十三間堂の通し矢に向いた射法であり、これまた今の主流の日置流とは大きく異なる。

さら柴田氏がほぼ一人で全米に伝えようとしたため、現実的にはとても指導は行き届かず、アメリカで見られる日置流尾州竹林派と呼ぶのは同じ弓道家としては心苦しいぐらいのレベルのものである

自分最初見学した弓道グループもこのスピリチュアル系で、練習時間ときにいきなり両手の指を合わせて瞑想から始まった。

元々小笠原流自分は習ってきた、というと、参加するならこちらのやり方に合わせなければいけない、と強要してきた。

まともな指導もなく、もちろん日本はいなかった。

追ってアメリカに広まったのが全日本弓道連盟国際弓道連盟であり、アメリカの人たちは「Renmei style」とか「ANKF Kyudo」「INKF Kyudo」とか称していた。

2つ目に自分見学した弓道場もRenmei系の、全くもって日本と見間違うような道場であり、大人になってから日本に来て修練したと思われる六段練士・五段教士普通に複数おり、とても真っ当な射をしていた。

怪しげなスピリチュアルが入ってくることない。

何なら初段・弐段はビデオ審査もやっているようである

ぜひともAll NipponInternational Kyudo Federationには引き続き真っ当な弓道世界に広めてほしい。

これから弓道アメリカで始める人、日本で昔やっててアメリカで再開したい人には、ぜひRenmei系の弓道グループに顔を出していただきたい。



補足:弓道家でオイゲンヘリゲルの「弓と禅」を読んで全くピン来なかったのは自分だけではないはず。

どうやらオイゲン氏は3年ほど阿波研造から教わっただけで、勝手に禅の要素を加えてヨーロッパに広めてしまったようである

https://nichibun.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=736&item_no=1&attribute_id=18&file_no=1

ちゃん弓道をしているアメリカ人も怒り心頭である

https://www.amazon.com/review/R384AW62GE3A16?&linkCode=sl2&tag=independentme-20&linkId=4a2a7e30a34cd2ab5d0db5f8756e2e3c&language=en_US&ref_=as_li_ss_tl

補足2:まともな尾州竹林派。最初ほとんど押し開かないのは通し矢の影響か。

https://youtu.be/cObCu_cJBH4

https://www.youtube.com/watch?v=u4q4TD-gA7E

補足3:どうしてこうなった

https://www.youtube.com/watch?v=poV7y-U_Dpg

2023-05-29

歴史上の略式軍服

軍服というものは、伊達で着ているわけではなく、現在においては国際法上の意味がある。則ち、交戦者資格の獲得である

現在国際法上では、戦争は(基本的に)交戦者交戦者軍事施設間で行われるもので、それを外れた場合戦争犯罪となる。これを容易とするために、戦闘を行う者は、保護されるべき文民と明確に区別されなければならないのだ。

この国際法は古くはヘーグ陸戦条規に端を発し、現在ジュネーブ条約追加議定書(77年)によって条件づけられている。

時期によっても異なるが概ね

  1. 責任者のもとに指揮されていること
  2. 軍事的行動中、文民との区別をつける
  3. 公然武器を携行すること
  4. 戦争国際法規及び慣例に従うこと

にという条件が課せられる。諸条件を欠きながらも戦闘行為に参加した場合交戦者として得られるべき保護、端的に言うと捕虜として正当な扱いを受ける権利を失う。ただし、その場でコロコロしていい訳でもない(現在では)。

さて、

2については、以前は「遠方より視認できる固有標章の着用」が義務付けられていた。

即ち、軍隊らしい立派なおべべ支給きぬ場合交戦者たらんとする者共は「固有標章だけで何とかしろというケースがあったのである。WW2における著名なケースを見てみよう

Home Guard

欧州を失陥しつつあった大英帝国ドイツ軍上陸の予感に、1940年5月国内の未動員人材活用して戦力化することを決定した。これがLocal Defence Volunteers-LDV・地域防衛義勇隊、後に改称しホームガードである。ただし、装備品ほとんどダンケルクに置いてきた英軍に、そんな有象無象共に渡す制服などなかった。一時期かの有名なホームガード・パイク(水道管に中古銃剣を取り付けたヤリ)すら取りざたされていたのである。そんな時こそ、「固有標章」の出番である。具体的には、腕章だ。

https://www.iwm.org.uk/collections/item/object/30077601

ただし、勝ち組なうえ、ケツモチとして米帝がついていたので、数カ月後には制服・真っ当な装備が支給されだした。しかしその前に100万のLDV腕章が製造されていたのである

Volkssturm(国民突撃隊

欧州を失陥しつつあったドイツ第三帝国は、1944年9月いよいよ枯渇した戦力の穴埋めに男子の総動員を行った。これによって編成されたのが国民突撃隊である。これにより、質はともあれ600万人の兵力が補充される予定であった。

負け戦中に600万人にパリッとした制服なぞ提供できるはずもなく、服装は「野戦向きなら何でもいい」自前。そんな時に国家がすがるのが、そう、腕章である

黒地に国家鷲章と「Deutscher Volkssturm Wehrmacht」(ドイツ人突撃軍)のステンシルが施されていた。

https://en.wikipedia.org/wiki/Volkssturm#/media/File:Volkssturm_armband.svg

国民勇戦闘隊

占領地どころか、沖縄まで失陥し、大日本帝国本土決戦覚悟していた。そのための補充兵力として45年6月国民勇戦闘隊を編成するための法整備が行われた。これは男女問わず対象年齢に差あり)必要に応じて召集することができ、2800万人を動員する計画であった。義勇と名前がついているが、召集と書いた通り義務兵役の類である

本土残地の正規軍にすらろくろ兵器物資がいきわたっていないところに2800万人の動員である。当然制服など配る余裕などない。なにせ武器だって自前で用意する想定である。そのための竹槍。

そんな時こそsy・・・あれ?腕章ってば輪っかにする分布地余計に要るよね?ピコーンひらめいた!

というわけで、一般隊員は6×7センチの白布に「戦」と書いたものを右胸に縫い付けることと相成ったのである。なお、指揮官級は幅10センチの白い腕章をつけることになっていた。

なお、この部隊樺太の戦いで実戦投入された以外は、交通職域で200万人が動員された程度にとどまった。

https://www.digital.archives.go.jp/das/image/F0000000000000043434

2023-05-22

anond:20230522022604

本人がやらかしてたってのはどうでもいいんだよ。

捕虜しろ容疑者しろ犯罪者しろ死刑囚しろ、たとえ拘束中でも基本的人権保証するってのが近代国家お題目であり、日本もそうするって憲法に書かれてるだろ。官憲リンチしていい時代は終わったはずなのになんで残ってて、当事者が罰も受けずにのうのうとしてるんだよ

2023-04-27

桃太郎世界征服

昔々、桃太郎という名の勇者がいました。彼は鬼を退治することで有名で、多くの人々から尊敬されていました。

しかし、ある日、桃太郎自分自身について考え始めました。彼は自分がどのように人々に尊敬されているのか、何故人々に必要とされているのかを知りたくなりました。

彼は長い間、自分自身と向き合い、自分の本当の望みを見つけました。彼は世界支配することを望んでいたのです。彼は世界支配することで、人々が自分必要とする理由を持つことができると考えたのです。

彼は鬼の力を借りて、世界支配するための計画を立てました。彼は鬼の力で強大な軍隊を作り上げ、他の国々を征服しました。

しかし、彼はますます鬼に近づいていくことに気づきました。彼の体は鬼の力で変化し、彼は鬼となりました。しかし、彼は自分自身が鬼であることを受け入れ、自分の新しい力を使い、世界支配するための更なる計画を練り始めました。

彼は人々を支配することで自分自身存在意義見出し自分人生を全うすることができました。そして彼は、世界征服するために鬼となり、自分の望みを実現したのでした。

桃太郎は、世界支配するために鬼となってからますます力を増していきました。彼は自分軍隊を率いて、一つずつ国を征服していきました。

しかし、彼が支配するようになった国々の人々は、ますます苦しむようになりました。彼らは自由を奪われ、強制労働税金に苦しめられました。桃太郎は、自分自身が求めた支配と、その結果生じた苦しみに向き合うことができませんでした。

やがて、彼は自分支配する国々で起こった反乱に直面しました。彼の軍隊は強大であったものの、彼らもまた自由を奪われた人々であり、彼ら自身桃太郎支配に疑問を持ち始めていたのです。

反乱は、国々を征服した際に捕虜として拘束されていた人々によって指導されました。彼らは、自分たちの国を取り戻すため、そして自由を取り戻すために戦いました。

桃太郎は、反乱を鎮圧しようとしましたが、彼は自分自身が鬼となってからますます力を増していたため、自分が敵を攻撃する際には、軍隊殲滅してしまいました。

しかし、反乱を指導していた人々は、桃太郎に勝つための新たな戦略を練りました。彼らは、桃太郎に近づいて彼の力を封じ、彼を鬼でなく、元の人間に戻すための魔法を使いました。

魔法が効いた瞬間、桃太郎自分自身がしてきたことを悔い始めました。彼は、自分支配するために、他の人々を苦しめていたことを後悔しました。彼は、自分自身を許せず、自分が鬼になってしまたことを悔やんでいました。

彼は、元の人間に戻った後、反乱指導者たちと話し合い、自分したこと謝罪しました。そして、自分が鬼であったことを証明するため、自分の命を差し出すことに同意しました。

人々は、彼の謝罪決断を受け入れ、彼を許しました。彼の命を奪うことは、彼がしてきたことを取り戻すことではなく、新しい苦しみを生み出すだけだと彼らは理解しました。

代わりに、彼らは彼を、自分自身したことを取り戻し、人々のために良いことをするために、更生する機会を与えました。彼は、自分したことを許し、また、新しい自分を作り上げるための道を見つけました。

彼は、苦しみを経験し、自分自身が鬼であったことを受け入れることで、更に成長しました。彼は、自分自身の新しい力を使って、人々のために良いことをすることに決めました。

そして、彼は自分自身の道を歩み、人々から再び尊敬されるようになりました。彼は、自分自身が鬼であったこと、そして自分支配することによって人々に苦しみを与えたことを決して忘れず、自分自身を常に振り返ることになりました。

彼は、自分自身がしてきたことを後悔し、新たな自分を見つけるために苦しみを経験しました。しかし、彼は、自分自身が悔い改め、新たな自分を見つけたことによって、再び人々から尊敬されることができました。

彼は、自分自身が鬼であったこから学び、新たな自分自身を見つけ、再び人々から尊敬されるようになったのでした。

2023-04-10

マリオ映画

マリオ ブルックリンの配管工

ルイージ ブルックリンの配管工

ピーチ つよい 人間

キノピオ 野郎キノコ

クッパ 暴君 ピーチすき

カメック 道化魔術師

フランキーコング 森の王でドンキーの父

ドンキーコング フランキーの息子 煽る

ペンギンの城がクッパ軍団に襲われクッパの火炎でハテナブロックがむき出しになり中身のスタークッパに奪われる

王を含めペンギンたちはカゴの牢屋に入れられ溶岩の上に吊るされる

ブルックリンの配管工マリオブラザーズがテレビCMを流し始めたら豪邸から漏れ修理の依頼が来た

豪邸で飼われてる犬の骨を踏んで折ってしまい犬に嫌われ豪邸の洗面所で大喧嘩して洗面所の配管が壊れる

家族の夕食の会話で凹むマリオテレビを見るとブルックリンの配管が壊れて大洪水

マリオ活躍しようとルイージを連れて下水道に入るが元栓のバルブが壊れてしまい衝撃で更に地下に落ちる

何年も使われていないような地下道土管ルイージが吸い込まれマリオもそれを追うと異空間に飛ばされる

途中でルイージは赤黒い雲に飲み込まれマリオキノコ王国に辿り着く

キノピオ出会い兄弟を探していると言うと姫に会うよう勧められる

愉快な町並みを通り城に行くと門番に止められるがキノピオ料理を振る舞いマリオがその隙に忍び込む

衛兵に見つかり大捕物になるも姫に会いやっとき人間であるマリオは一緒にクッパ軍団を迎え討つことになる

城にあるステージキノコを食べ機械仕掛けパックンフラワーなどを相手に特訓してマリオがやっと強くなり旅立つ

ピーチ姫は人間で2歳の時に土管から迷い込みキノコ王国で育ててもらい姫になった

プクプクの橋 川向うにヨッシーの群れなど旅をする

クッパ軍団演説するクッパの狙いがピーチ姫と結婚することだとわかる

ルイージクッパ捕虜になりペンギン達と牢屋に吊るされる

ピーチ姫とマリオクランキーコングに謁見して兵隊を借りようとするが一笑に付され息子のドンキーコングとマリオの対決になる

ドンキーコングの鉄骨ステージマリオが青キノコで小さくなったりファイアフラワーを取りそこねたり苦戦する

上に殴り飛ばされたマリオが復帰しハテナブロックを叩きネコマリオになりドンキーコングに勝つ

ドンキーコングとクランキーコングカート軍団を引き連れてレインボーロードに入るがクッパ軍団が襲いかかる

ピーチ姫が弾いたキラー浮島破壊してレインボーロードが壊れマリオドンキーコングが海に落ちクジラに飲み込まれ

ピーチ姫たちは一度キノコ王国に戻る

ドンキーコングたちはクッパ軍団に捕まりペンギンたちやルイージと同じ溶岩上の牢屋に吊るされ青チコが死は救いと言う

ピーチ姫はキノコ王国の民を避難させキノピオクッパ軍団を迎え討とうとするがクッパキノピオ拷問され結婚することにする

クジラの腹の中でドンキーコングのカートが見つかりタル大砲に乗ってマリオドンキーコングはピーチ姫たちのところに向かう

ピーチ姫がバージンロードを歩くと捕まっていた仲間が溶岩に落とされ生贄にされようとしている

ピーチ姫はキノピオに渡されたブーケからアイスフラワーを出し氷で牢屋の鎖を凍らせクッパを氷漬けにする

2023-04-09

年上の妻と結婚した歴史上の偉人

過去投稿したのを編集したらなぜか再投稿になってる…なぜだ

ツタンカーメン

 7歳上のアンケセナーメン結婚。夫の死後彼女が捧げた花を墓の発掘者カーターは「どんな財宝よりも美しかった」と称えた。未亡人となったアンケセナーメン後継者アイとの結婚を嫌がった。

ネロ

 7歳年上の美女ポッパエアを寵愛。彼女の死を深く悲しみ、当時の慣習であった火葬ではなく防腐処理をして霊廟に収めた。

曹丕

 3歳年上の文徳皇后を寵愛した。聡明彼女は夫に助言を与えた。曹丕も群臣の反対を押し切って彼女皇后に立てた。

・劉駿

 南朝宋の皇帝。2歳年上の王憲嫄を寵愛した。

・宇文邕

 北周皇帝。7歳年上の李娥姿を寵愛した。北周が滅びると彼女出家し、常悲に改名した。

煬帝

 占いにより吉とされた2歳年上の蕭皇后結婚した。聡明彼女外遊の度に付き従い、度々煬帝暴政を諫めた。

ムハンマド

 25歳の時に15歳年上の未亡人ハディージャ結婚天啓を受けたムハンマドを励まし予言者としての自覚を与えたのは他ならぬ姉さん女房ハディージャである

仁明天皇

 1歳年上の淳子を寵愛し、文徳天皇を儲ける。

オットー1世

 初代神聖ローマ皇帝。2歳年上の妃エドギタは美貌と信仰心を兼ね備え、彼女が若くして無くなると深く悲しんだ。

・ルイ4世 

 西フランク国王。7歳年上のジェルベルジュと結婚した。彼がバイキング誘拐されたとき彼女交渉により彼の解放を実現した。夫の死後は摂政として息子ロタールを支えた。

・李克用

 後唐の太祖。3歳年上の劉夫人結婚武勇に優れた彼女は夫が朱全忠に殺されそうになると、自ら軍を率いて窮地を救った。

円融天皇

 12歳年上の媓子と結婚した。夫婦関係は良好で会ったが、跡継ぎに恵まれ立后後6年で媓子は崩御した

・ロベール2世

 フランス国王。8歳年上のベルトと結婚したが、彼女とは又従姉妹であったため近親相姦に当たるとされ、ローマ教皇破門と引き換えに離婚させられた。しかし、離婚後もベルトを愛し続け関係は続いた。

藤原道長

 2歳上の正室倫子とは夫婦円満で多くの子宝に恵まれたことが出世に繋がった。

一条天皇

 皇后は3歳上の定子教養人であった二人の仲は良好であった。

三条天皇

 2歳年上の綏子、4歳年上の娍子を娶る。綏子は当初は寵愛を受けるも、愛を試すために氷を握らされ、変色した手を見て興ざめされるという理不尽理由で寵愛を失う。娍子も寵愛を受け6人の子を儲けた。

後一条天皇

 9歳上の中宮威子以外の妻を娶らなかった。

堀河天皇

 中宮は19歳年上の叔母篤子。夫婦共に教養人であったために仲睦まじかった。天皇が若くして崩御すると篤子は出家した。

鳥羽天皇

 2歳上の中宮璋子の間に7人の子を儲け、彼女の死を看取った際には号泣した。

二条天皇

 病没した近衛天皇中宮で3歳上の多子を寵愛した。夫の没後多子出家し、二人の夫の菩提を祈った。

・世宗

 遼の皇帝12歳年上の甄皇后を寵愛した。聡明な妻の助言を聞き入れず、放蕩にふけった彼は従兄弟暗殺された

徽宗

 北宋皇帝側室の顕粛皇后は3歳年上。身分は低かったが、美人詩才の会った彼女皇帝の寵愛を受けた。

高倉天皇

 平清盛の娘で13歳年上の徳子と結婚し、安徳天皇を儲けた。同時代活躍した右京太夫によると夫婦仲は良好であった。

平宗盛

 平清盛の息子。1歳年上の妻清子が亡くなると深く悲しみ、官職を辞した。一方で妻の遺言に従いその遺児を大切に育て上げた

・寧宗

 南宋皇帝。3歳上の温和な韓皇后と6歳上の多芸多才な楊皇后結婚し、二人は皇帝の寵愛を競った。

チンギスハン

 1歳上の妻ボルテ結婚した。チンギスが弱小武将であった頃からの妻は特別存在であったようでチンギスの後継者は皆ボルテの息子である

藤原頼経

 鎌倉幕府将軍。16歳年上の竹御所結婚した。夫婦仲は円満だったが、男児死産し亡くなったため、頼朝の直系は途絶えた

ビルイェル

 スウェーデン国王。3歳年上の王妃マルタと仲が良く、彼女は国政に大きな影響を与えた。一方で弟のエリクとは不仲であったため、妻と共謀して獄死させた。

フィリップ5世

 フランス国王。1,2歳年上の妻ジャンヌ姦通疑惑幽閉された際も彼女を信じ続けたため、無事釈放された。

足利義満

 和歌に秀でた7歳年上の正室日野業子を寵愛した。

・李芳遠

 朝鮮王。妃は2歳年上の元敬王后。当初は夫婦関係が良好で8人の子を儲けた。また、夫を暗殺危機から救い、李氏朝鮮建国に貢献した。しかし、夫が即位後宮を持つようになると、夫婦仲は悪化した。

・世宗

 朝鮮王。2歳年上の昭憲王后を深く愛し、10子を儲けた。父王が外戚を警戒し、昭憲王后廃位しようとした際にも妃を守り抜いた。

・端宗

 朝鮮王。妃は1歳年上の定順王后政治闘争に巻き込まれ、16歳の若さ流刑処刑された。妻は毎日朝夕、泣き叫んで夫の冥福を祈った。

・睿宗

 朝鮮王正室は1歳年上の恭恵王后。間に子はなかったが、心優しい彼女後宮にも優しく接っした。正室が病に倒れると王は毎日彼女を見舞った。

・中宗 

 朝鮮王正室であった1歳年上の端敬王后即位後7日で廃位されてしまう。しかし、王は彼女のことを生涯愛し続け、妻の実家のある仁王山を毎日眺めた。それを知った王后自分が良く来ていた服を山にかけた。

フアン

 アラゴン王。3歳上のマルタは穏やかな性格で短気な夫を度々なだめた。

フィリップ5世

 ブルゴーニュ公。1歳年上の善良な妻ミシェルは夫によく尽くし、領民からも愛された。

・ルネ・ダンジュー

 フランス王族ロレーヌ公。9歳年上の妻イザベル聡明で夫と共同で統治に当たった。夫が敵と交戦中には自ら軍を率いて援護に向かう、夫が敵に捕らわれている間も国政や軍事を代わりに行うなどした。

・正統帝

 明の皇帝。正妃は1歳年上の銭妃。彼女は夫を深く愛し、皇帝モンゴル軍の捕虜となった際には宮中財産を集めて身代金を払おうとするも失敗、悲しみから毎日泣き続け、左目が失明、足が不自由になった。解放された正統帝は軟禁状態になったが、その間銭妃は夫を慰め続けた。その後帝位に返り咲いた皇帝は妻との合葬を遺命したが果たされなかった。

・成化帝

 明の皇帝。19歳年上の万皇貴妃を溺愛したが、嫉妬深い彼女は他の妃を悉く堕胎させた。彼女が亡くなった悲しみから皇帝は同年に没した。

マキシミリアン1世

 神聖ローマ皇帝。2歳上のマリー・ド・ブルゴーニュ結婚ブルゴーニュ公となった。政略結婚であったが仲は良く、共に乗馬狩猟に興じた。しかし、マリーが落馬事故で亡くなったため、5年で幸福結婚生活は幕を閉じた。妻の死後マキシミリアンはローマ皇帝となる。

アフォンソ

 ポルトガル皇子。5歳上のイザベル結婚した。夫婦関係は良好だったが、落馬事故夭折した。イザベル再婚しないことを宣言したが、ポルトガル国王マヌエル1世結婚することとなった

アンリ2世

 フランスヴァロワ朝国王。19歳年上の愛人ディアヌ・ポワティエうつつを抜かし、正妻カトリーヌ・ド・メディシス冷遇した。厳密には妻ではない。

・フェルディナン2世

 オーストリア大公秘密裏に2歳上の豪商の娘フィリッピーネと貴賤結婚した。フィリッピーネは豊富薬学知識を持ち、貧民の救済に努めた。

後花園天皇

 8歳年上の信子を寵愛し、後土御門天皇を儲けた。

後土御門天皇

 5歳年上の朝子を寵愛し、後柏原天皇を儲けた。

・ヨハン3世

 スウェーデン国王。兄王エリク14世の許しを得ず、11歳年上のポーランド王女カタジナと結婚したため謀反を疑われ投獄された。加えてロシアイヴァン4世から離婚要求されたが、妻への愛を守り通した。解放され即位した彼の政治にも妻は大きな影響を及ぼした。

織田信長

 6歳年上の側室生駒吉乃を正室なみに優遇し、病に倒れた際には頻繁に見舞ったとされる。吉乃は不明な点が多く実は信長より年下ではないかとされることもある

直江兼続

 3歳上の船と結婚した。側室を持たなかったこから彼女への愛の深さが窺える。

バッハ

 1歳年上のマリア・バルバラ結婚。7人の子を儲けた。夫婦仲は円満であったが、彼女が急死したため再婚した。バッハは前妻と同じく後妻も深く愛し生涯20の子を儲けた。

・ウィレム4世 

 オラニエ公オランダ総督。2歳年上のアンと結婚した。彼女国民からの人気が無かったが、残された手紙から夫婦仲は良かったことが窺える

フェルナンド6世

 スペイン王。妃のバルバラは2歳年上。不美人であった妻を初めて見たときは落胆したが、音楽を通じて良好な夫婦関係を築き、妻の死を深く悲しんだ

グレゴリーポチョムキン

 ロシア軍人10歳上の女帝エカチョリー2世事実上の夫。二人は深い絆で結ばれ、ポチョムキンは妻を支え続けた。晩年は軽んじられるようになったが、彼が没するとを女帝は深く悲しんだ

レオポルト2世

 神聖ローマ皇帝。2歳年上の妃マリア・ルドヴィカと結婚美人で親切な彼女は夫に献身的であり、愛人にも優しく接した。貧者の救済も行い、「女性美徳モデル」と称された。

上杉鷹山

 側室お豊の方は10歳上で賢妻として知られる。

ワシントン

 1歳年上の未亡人マーサ結婚した。家庭的で穏やかな性格彼女は夫に献身的に尽くした。独立戦争最中には夫に同行し傷病兵の看護に当たった。

ジョージ4世

 イギリスハノーバー朝国王。6歳上の未亡人マリア・フィッツバードに夢中になり、秘密結婚した。正妻キャロラインのことは嫌っており、冷遇したため、国民彼女に同情した。

・ジェンキンソン(2代リヴァプール伯爵

 イギリス首相。3歳年上のルイザと結婚した。ルイーザは病弱ながらも信心深く献身的で時には秘密文書コピーするなどして夫の政治活動を支えた。彼女は貧者や病人の援助にも力を注いだ。

・ハンス・アンデルセン

 童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセン父親12歳上のアンネ・マリーと結婚した。

ナポレオン

 6歳上の美女ジョゼフィーヌ結婚した。ナポレオンが妻に熱烈な愛を向けたのに対し、ジョゼフィーヌは夫のラブレター晒して笑いものにするなど、当初は良好とは言えない夫婦関係であった。跡継ぎに恵まれなかったため、二人は離婚したが、ジョゼフィーヌ皇后称号を維持することが許され、二人の間に交流が続いた。ナポレオンは臨終の際に元妻の名を呼んだ。

フィルモア

 アメリカ大統領。2歳年上の教師アビゲイル結婚した。共に読書家であった二人の仲はよく、大統領就任後も妻に政治アドバイスを求めた。ホワイトハウス図書館建設したのもアビゲイルである

ディズレーリ

 イギリス首相12歳年上のメアリー結婚。当初は金目当てで結婚したが、次第に愛し合うようになり、政敵グラッドストンですらその夫婦関係模範的と称えた。

ダーウィン

 1歳上のいとこエマウェッジウッド結婚エマは絵に描いたような良妻賢母で度重なる子の死に耐え、病弱な夫を支え続けた。

ガスコイン=セシル(3代ソールズベリー侯)

 イギリス首相。父からの激しい反対を押し切って3歳年上のジョージナと結婚したため、仕送りを停止され経済的苦境に陥った。生活費を稼ぐため政治記事寄稿で稼いだが、聡明な妻は夫の執筆活動を支えた。首相就任後もジョージナは内気な夫に代わって社交界活躍した。

マネ 

 フランス印象派画家。弟の家庭教師を務めていた2歳年上のピアノ奏者シュザンヌと恋仲になる。結婚に反対した父の死後二人は結ばれ、マネは妻をモデルとした絵を何点か残している。

ロバートグールド・ショー 

 南北戦争英雄。2歳上の妻アニーは夫の死後生独身を貫いた。

ベルハルト・フォン・ビューラー 

 ドイツ帝国首相。1歳年上の妻マリアと結婚した。

勝海舟

 2歳上の民子結婚民子は奔放な夫を懸命に支え続けたが、最後は愛想を尽かしたようで勝のそばに埋めるなと言い残した。

小松帯刀

 維新の十傑の一人。7歳年上の妻近を深く愛した。日本で初めて新婚旅行に行ったのは坂本龍馬とされることが多いが実は小松帯刀である

明治天皇 

 3歳上の昭憲皇太后結婚したが、世継ぎは産まれなかった

・同治帝

 清の皇帝。2歳年上の孝哲毅にうつつを抜かしすぎたため、母の西太后に引き離された。孤独を紛らわせるため、遊郭に通うようになりそこで梅毒感染し死亡した

ハリソン

 アメリカ大統領。1歳年上のキャロライン結婚彼女ホワイトハウスの改修、女性の権利向上に貢献し、ホワイトハウス初の女性スタッフが雇われた。

キャンベル=バナーマン

 イギリス首相。4歳年上のシャーロット結婚夫婦は生涯にわたり親密であった。シャーロットは野心に欠ける夫の政治活動を支え、彼女の死後体調が悪化するようになった。

エルガー

 イギリス作曲家。8歳年上のキャロラインアリス結婚。「愛の挨拶」は将来の妻のために捧げられた曲である聡明なキャロラインエルガー音楽活動を生涯にわたって支え続けた。妻の死後彼の音楽活動は低迷した。

・ポワンカレ

 フランス大統領。2歳年上の未亡人ヘンリエッタ結婚した。

レーニン

 1歳上のナデジダと結婚した。彼女レーニンと共に革命運動に一生を捧げ、夫が病気に倒れた際も献身的介護した。

アルカポネ

 1歳年上のメアリー結婚した。彼女は両親の反対を押し切って結婚し、夫が投獄されると何通も手紙を書き頻繁に訪問した。稀代の大悪党だが、伴侶には恵まれたようだ

ヤスパース

 ドイツ出身哲学者。4歳上のガードルートと結婚した。彼女ユダヤ人であったため、ナチスドイツから弾圧を受けたが、妻への愛を守り通した。夫婦で家に籠城し、強制収容所に送れられそうになる寸前で連合国軍が来て、夫婦の愛は引き裂かれずに済んだ。

ゲーリング 

 ヒトラーの側近。5歳年上のカリン結婚。二人は深く愛し合ったが、病弱な彼女は43歳で亡くなった。ゲーリング彼女に因みカリンハル命名された別荘を建設、自邸にもカリン

記念品で埋め尽くされた自室を設置した。一方前妻だけでなく後妻エミーも深く愛した。

チャンドラー

  Permalink | 記事への反応(1) | 23:32

2023-04-08

anond:20230407161109

戦時中旧日本軍に捕まったアメリカ人イギリス人捕虜ごぼうの入った食事を出され、終戦後に「木の根を食わされた、虐待だ」と訴えたという話。

2023-04-07

年上の妻と結婚した歴史上の偉人

ツタンカーメン

 7歳上のアンケセナーメン結婚。夫の死後彼女が捧げた花を墓の発掘者カーターは「どんな財宝よりも美しかった」と称えた。未亡人となったアンケセナーメン後継者アイとの結婚を嫌がった。

ネロ

 7歳年上の美女ポッパエアを寵愛。彼女の死を深く悲しみ、当時の慣習であった火葬ではなく防腐処理をして霊廟に収めた。

ムハンマド

 25歳の時に15歳年上の未亡人ハディージャ結婚天啓を受けたムハンマドを励まし予言者としての自覚を与えたのは他ならぬ姉さん女房ハディージャである

仁明天皇

 1歳年上の淳子を寵愛し、文徳天皇を儲ける。

オットー1世

 初代神聖ローマ皇帝。2歳年上の妃エドギタは美貌と信仰心を兼ね備え、彼女が若くして無くなると深く悲しんだ。

・ルイ4世 

 西フランク国王。7歳年上のジェルベルジュと結婚した。彼がバイキング誘拐されたとき彼女交渉により彼の解放を実現した。夫の死後は摂政として息子ロタールを支えた。

円融天皇

 12歳年上の媓子と結婚した。夫婦関係は良好で会ったが、跡継ぎに恵まれ立后後6年で媓子は崩御した

・ロベール2世

 フランス国王。8歳年上のベルトと結婚したが、彼女とは又従姉妹であったため近親相姦に当たるとされ、ローマ教皇破門と引き換えに離婚させられた。しかし、離婚後もベルトを愛し続け関係は続いた。

藤原道長

 2歳上の正室倫子とは夫婦円満で多くの子宝に恵まれたことが出世に繋がった。

一条天皇

 皇后は3歳上の定子教養人であった二人の仲は良好であった。

三条天皇

 2歳年上の綏子、4歳年上の娍子を娶る。綏子は当初は寵愛を受けるも、愛を試すために氷を握らされ、変色した手を見て興ざめされるという理不尽理由で寵愛を失う。娍子も寵愛を受け6人の子を儲けた。

後一条天皇

 9歳上の中宮威子以外の妻を娶らなかった。

堀河天皇

 中宮は19歳年上の叔母篤子。夫婦共に教養人であったために仲睦まじかった。天皇が若くして崩御すると篤子は出家した。

鳥羽天皇

 2歳上の中宮璋子の間に7人の子を儲け、彼女の死を看取った際には号泣した。

二条天皇

 病没した近衛天皇中宮で3歳上の多子を寵愛した。夫の没後多子出家し、二人の夫の菩提を祈った。

徽宗

 北宋皇帝側室の顕粛皇后は3歳年上。身分は低かったが、美人詩才の会った彼女皇帝の寵愛を受けた。

高倉天皇

 平清盛の娘で13歳年上の徳子と結婚し、安徳天皇を儲けた。同時代活躍した右京太夫によると夫婦仲は良好であった。

平宗盛

 平清盛の息子。1歳年上の妻清子が亡くなると深く悲しみ、官職を辞した。一方で妻の遺言に従いその遺児を大切に育て上げた

・寧宗

 南宋皇帝。3歳上の温和な韓皇后と6歳上の多芸多才な楊皇后結婚し、二人は皇帝の寵愛を競った。

チンギスハン

 1歳上の妻ボルテ結婚した。チンギスが弱小武将であった頃からの妻は特別存在であったようでチンギスの後継者は皆ボルテの息子である

藤原頼経

 鎌倉幕府将軍。16歳年上の竹御所結婚した。夫婦仲は円満だったが、男児死産し亡くなったため、頼朝の直系は途絶えた

ビルイェル

 スウェーデン国王。3歳年上の王妃マルタと仲が良く、彼女は国政に大きな影響を与えた。一方で弟のエリクとは不仲であったため、妻と共謀して獄死させた。

フィリップ5世

 フランス国王。1,2歳年上の妻ジャンヌ姦通疑惑幽閉された際も彼女を信じ続けたため、無事釈放された。

足利義満

 和歌に秀でた7歳年上の正室日野業子を寵愛した。

・李芳遠

 朝鮮王。妃は2歳年上の元敬王后。当初は夫婦関係が良好で8人の子を儲けた。また、夫を暗殺危機から救い、李氏朝鮮建国に貢献した。しかし、夫が即位後宮を持つようになると、夫婦仲は悪化した。

・世宗

 朝鮮王。2歳年上の昭憲王后を深く愛し、10子を儲けた。父王が外戚を警戒し、昭憲王后廃位しようとした際にも妃を守り抜いた。

・端宗

 朝鮮王。妃は1歳年上の定順王后政治闘争に巻き込まれ、16歳の若さ流刑処刑された。妻は毎日朝夕、泣き叫んで夫の冥福を祈った。

・睿宗

 朝鮮王正室は1歳年上の恭恵王后。間に子はなかったが、心優しい彼女後宮にも優しく接っした。正室が病に倒れると王は毎日彼女を見舞った。

・中宗 

 朝鮮王正室であった1歳年上の端敬王后即位後7日で廃位されてしまう。しかし、王は彼女のことを生涯愛し続け、妻の実家のある仁王山を毎日眺めた。それを知った王后自分が良く来ていた服を山にかけた。

フアン

 アラゴン王。3歳上のマルタは穏やかな性格で短気な夫を度々なだめた。

・ルネ・ダンジュー

 フランス王族ロレーヌ公。9歳年上の妻イザベル聡明で夫と共同で統治に当たった。夫が敵と交戦中には自ら軍を率いて援護に向かう、夫が敵に捕らわれている間も国政や軍事を代わりに行うなどした。

・正統帝

 明の皇帝。正妃は1歳年上の銭妃。彼女は夫を深く愛し、皇帝モンゴル軍の捕虜となった際には宮中財産を集めて身代金を払おうとするも失敗、悲しみから毎日泣き続け、左目が失明、足が不自由になった。解放された正統帝は軟禁状態になったが、その間銭妃は夫を慰め続けた。その後帝位に返り咲いた皇帝は妻との合葬を遺命したが果たされなかった。

・成化帝

 明の皇帝。19歳年上の万皇貴妃を溺愛したが、嫉妬深い彼女は他の妃を悉く堕胎させた。彼女が亡くなった悲しみから皇帝は同年に没した。

マキシミリアン1世

 神聖ローマ皇帝。2歳上のマリー・ド・ブルゴーニュ結婚ブルゴーニュ公となった。政略結婚であったが仲は良く、共に乗馬狩猟に興じた。しかし、マリーが落馬事故で亡くなったため、5年で幸福結婚生活は幕を閉じた。妻の死後マキシミリアンはローマ皇帝となる。

アフォンソ

 ポルトガル皇子。5歳上のイザベル結婚した。夫婦関係は良好だったが、落馬事故夭折した。イザベル再婚しないことを宣言したが、ポルトガル国王マヌエル1世結婚することとなった

アンリ2世

 フランスヴァロワ朝国王。19歳年上の愛人ディアヌ・ポワティエうつつを抜かし、正妻カトリーヌ・ド・メディシス冷遇した。厳密には妻ではない。

・フェルディナン2世

 オーストリア大公秘密裏に2歳上の豪商の娘フィリッピーネと貴賤結婚した。フィリッピーネは豊富薬学知識を持ち、貧民の救済に努めた。

後花園天皇

 8歳年上の信子を寵愛し、後土御門天皇を儲けた。

後土御門天皇

 5歳年上の朝子を寵愛し、後柏原天皇を儲けた。

・ヨハン3世

 スウェーデン国王。兄王エリク14世の許しを得ず、11歳年上のポーランド王女カタジナと結婚したため謀反を疑われ投獄された。加えてロシアイヴァン4世から離婚要求されたが、妻への愛を守り通した。解放され即位した彼の政治にも妻は大きな影響を及ぼした。

直江兼続

 3歳上の船と結婚した。側室を持たなかったこから彼女への愛の深さが窺える。

バッハ

 1歳年上のマリア・バルバラ結婚。7人の子を儲けた。夫婦仲は円満であったが、彼女が急死したため再婚した。バッハは前妻と同じく後妻も深く愛し生涯20の子を儲けた。

フェルナンド6世

 スペイン王。妃のバルバラは2歳年上。不美人であった妻を初めて見たときは落胆したが、音楽を通じて良好な夫婦関係を築き、妻の死を深く悲しんだ

グレゴリーポチョムキン

 ロシア軍人10歳上の女帝エカチョリー2世事実上の夫。二人は深い絆で結ばれ、ポチョムキンは妻を支え続けた。晩年は軽んじられるようになったが、彼が没するとを女帝は深く悲しんだ

レオポルト2世

 神聖ローマ皇帝。2歳年上の妃マリア・ルドヴィカと結婚美人で親切な彼女は夫に献身的であり、愛人にも優しく接した。貧者の救済も行い、「女性美徳モデル」と称された。

上杉鷹山

 側室お豊の方は10歳上で賢妻として知られる。

ワシントン

 1歳年上の未亡人マーサ結婚した。家庭的で穏やかな性格彼女は夫に献身的に尽くした。独立戦争最中には夫に同行し傷病兵の看護に当たった。

ジョージ4世

 イギリスハノーバー朝国王。6歳上の未亡人マリア・フィッツバードに夢中になり、秘密結婚した。正妻キャロラインのことは嫌っており、冷遇したため、国民彼女に同情した。

・ジェンキンソン(2代リヴァプール伯爵

 イギリス首相。3歳年上のルイザと結婚した。ルイーザは病弱ながらも信心深く献身的で時には秘密文書コピーするなどして夫の政治活動を支えた。彼女は貧者や病人の援助にも力を注いだ。

・ハンス・アンデルセン

 童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセン父親12歳上のアンネ・マリーと結婚した。

ナポレオン

 6歳上の美女ジョゼフィーヌ結婚した。ナポレオンが妻に熱烈な愛を向けたのに対し、ジョゼフィーヌは夫のラブレター晒して笑いものにするなど、当初は良好とは言えない夫婦関係であった。跡継ぎに恵まれなかったため、二人は離婚したが、ジョゼフィーヌ皇后称号を維持することが許され、二人の間に交流が続いた。ナポレオンは臨終の際に元妻の名を呼んだ。

フィルモア

 アメリカ大統領。2歳年上の教師アビゲイル結婚した。共に読書家であった二人の仲はよく、大統領就任後も妻に政治アドバイスを求めた。ホワイトハウス図書館建設したのもアビゲイルである

ディズレーリ

 イギリス首相12歳年上のメアリー結婚。当初は金目当てで結婚したが、次第に愛し合うようになり、政敵グラッドストンですらその夫婦関係模範的と称えた。

ダーウィン

 1歳上のいとこエマウェッジウッド結婚エマは絵に描いたような良妻賢母で度重なる子の死に耐え、病弱な夫を支え続けた。

ガスコイン=セシル(3代ソールズベリー侯)

 イギリス首相。父からの激しい反対を押し切って3歳年上のジョージナと結婚したため、仕送りを停止され経済的苦境に陥った。生活費を稼ぐため政治記事寄稿で稼いだが、聡明な妻は夫の執筆活動を支えた。首相就任後もジョージナは内気な夫に代わって社交界活躍した。

マネ 

 フランス印象派画家。弟の家庭教師を務めていた2歳年上のピアノ奏者シュザンヌと恋仲になる。結婚に反対した父の死後二人は結ばれ、マネは妻をモデルとした絵を何点か残している。

ロバートグールド・ショー 

 南北戦争英雄。2歳上の妻アニーは夫の死後生独身を貫いた。

ベルハルト・フォン・ビューラー 

 ドイツ帝国首相。1歳年上の妻マリアと結婚した。

勝海舟

 2歳上の民子結婚民子は奔放な夫を懸命に支え続けたが、最後は愛想を尽かしたようで勝のそばに埋めるなと言い残した。

小松帯刀

 維新の十傑の一人。7歳年上の妻近を深く愛した。日本で初めて新婚旅行に行ったのは坂本龍馬とされることが多いが実は小松帯刀である

明治天皇 

 3歳上の昭憲皇太后結婚したが、世継ぎは産まれなかった

・同治帝

 清の皇帝。2歳年上の孝哲毅にうつつを抜かしすぎたため、母の西太后に引き離された。孤独を紛らわせるため、遊郭に通うようになりそこで梅毒感染し死亡した

ハリソン

 アメリカ大統領。1歳年上のキャロライン結婚彼女ホワイトハウスの改修、女性の権利向上に貢献し、ホワイトハウス初の女性スタッフが雇われた。

キャンベル=バナーマン

 イギリス首相。4歳年上のシャーロット結婚夫婦は生涯にわたり親密であった。シャーロットは野心に欠ける夫の政治活動を支え、彼女の死後体調が悪化するようになった。

エルガー

 イギリス作曲家。8歳年上のキャロラインアリス結婚。「愛の挨拶」は将来の妻のために捧げられた曲である聡明なキャロラインエルガー音楽活動を生涯にわたって支え続けた。妻の死後彼の音楽活動は低迷した。

・ポワンカレ

 フランス大統領。2歳年上の未亡人ヘンリエッタ結婚した。

レーニン

 1歳上のナデジダと結婚した。彼女レーニンと共に革命運動に一生を捧げ、夫が病気に倒れた際も献身的介護した。

ヤスパース

 ドイツ出身哲学者。4歳上のガードルートと結婚した。彼女ユダヤ人であったため、ナチスドイツから弾圧を受けたが、妻への愛を守り通した。夫婦で家に籠城し、強制収容所に送れられそうになる寸前で連合国軍が来て、夫婦の愛は引き裂かれずに済んだ。

ゲーリング 

 ヒトラーの側近。5歳年上のカリン結婚。二人は深く愛し合ったが、病弱な彼女は43歳で亡くなった。ゲーリング彼女に因みカリンハル命名された別荘を建設、自邸にもカリン

記念品で埋め尽くされた自室を設置した。一方前妻だけでなく後妻エミーも深く愛した。

チャンドラー

 アメリカ作家。18歳年上のシシーと結婚彼女の死後悲しみから酒浸りになり自殺未遂を図るなどしたが、周囲の支えで復帰した。

ラブクラフト

 アメリカ作家クトゥルフ神話作家10歳年上のソニア結婚した。夫人事業が失敗した後も就職のために移住し、夫に仕送りを続けるなど献身的であった。しかし、親族の反対などが原因で離婚した。その後も文通を続けるなど関係は良好であった。

トールキン

 3歳上のエディスと結婚彼女とのデートから着想を得て、ベレンルーシエン恋物語が創られた。

スカルノ

 11歳上のインギットと結婚した。彼女は夫の独立運動を支えたが、一夫多妻制を拒否して離婚した。

ホーコン7世

 ノルウェー国王。3歳年上のモード結婚彼女慈善活動芸術家への支援を行った。

オーラ5世

 ノルウェー国王。2歳年上のマッタと結婚美人で明るい彼女は誠実な夫と共に国民から絶大な人気を誇った。ナチスドイツ侵略の際には海外亡命し、国際的援助を呼びかけた。

ダリ

 10歳上のガラと結婚。ガラは若いアーティストとの不倫を繰り返したが、ミューズマネージャーとして夫の創作に貢献し、彼女が亡くなるとダリ創作を辞めてしまった。

・崔 圭夏

 韓国大統領。3歳年

2023-03-22

【滅ぶウクライナ】そろそろCNNウクライナうそがつけなくなってきた

ロシア軍のバフムートでの攻撃力「尽きつつある」 ウクライナ軍

2023.03.22 Wed posted at 07:37 JST

https://www.cnn.co.jp/world/35201543.html

事実は逆

まずバハムートなどという負けたウクライナ地名は使わない。

ただ日本語では表記が揺れるが、ここでは、アルチョモフスクとする。

まずPMCワーグナーの発表するところではすでにアルチョモフスクの70パーセントは掌握。すでに中心部ロシアが掃討に入っている。日本でも中央で旗を振っている映像が流れた。

次に撤退するラインも撃たれる。

ウクライナの人数は1万人。

今やっているのはバンザイアタック

西側武器通用しない

全く西側供給した武器通用しない。

旧式の武器を配っているのはウソ

ウクライナバンザイアタック民間人攻撃するかしかできない。

増援も失敗

そもそもアルチョモフスクにこだわっているのはアメリカ命令しているのもアメリカ

なので先日増援したが待ち伏せで全滅。

したがってあとは全滅か降伏か。

というのを念頭におくと

(CNN) ウクライナ東部の要衝バフムートにいるウクライナ軍少佐は22日までに、バフムートの戦況は依然として極めて難しいものの、ロシア軍は「攻撃力」を失いつつあるとの見方を示した。

この文章おかしい。ロシアにおされているのにロシア攻撃力がなくなるのか。説明が全くない。

マキシム・ゾリン少佐SNS「テレグラム」の自身チャンネルに「ウクライナ軍の主な任務物資供給や負傷者の退避を可能にするルートを維持することだ」と書き込んだ。

これは補給撤退もできない。そういう連中がロシアに勝てることはない。

そもそもマキシムリンネオナチバンライナであり、一回負けて捕まって捕虜交換でウクライナに戻っているマキシムリン司令官ではないか。それだと全く信用できない。

ロシアはなぜ強いのか

思想哲学があること

GB活動家を敵視してWOKEに染まらず、国民を分断しなかったこ

優れた継戦能力 多連装ロケット砲と供給能力資源 そして技術

相手戦略を徹底的に研究し、常に戦略を変えていること。

戦略AI使用していること

高精度ストライクにより大砲で「狙撃レベル相手破壊できるためムダ打ちがないこと。

直接戦闘を避け、大砲破壊していること。

略奪どころか占領するとすぐ食料や医薬品供給。カディロフのチェチェンも配っている。このため市民から支持されていること。

今のところこの辺がG7では無理。

唯一勝てそうなのは中国だけらしい。

2023-03-05

anond:20230305221309

ルール論理性がない場合はむしろボケる

捕虜に穴掘って埋めるだけの仕事やらせ続けると廃人になるというのと同じ原理

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