はてなキーワード: 押し出しとは
こんにちは、バーチャルってますか?昔バーチャルリアリティーの研究をしていたものです。
Apple Vision Proが現行VRの頂点にいままさに君臨しつつあることを簡単に解説したいと思います。
Virtual reality(VR)の歴史は古く、狭義の"コンピューターで作られた仮想空間を現実であるかのように疑似体験する"という意味でも50年以上前から存在します。
Computer Generated Image(CGI)を利用した模擬飛行装置、いわゆるフルフライトシミュレーターがJALに導入されたのは1977年です。
本物の飛行機に訓練生のせて飛ばすのに比べたら、安全で安価で何度でも使える大変にオトクな装置だったからですね。
(フライトシミュレーターはざっくり100年ほどの歴史がありますが、CGIを本格的に利用しだしたのはここ50年程です)
とはいえ、あくまで比較の問題で、設備投資としてはかなり高額ですし、維持費も結構かかります。
いくつものルーツを持ちますが、Head Mounted Display(HMD)が開発された要因には、より取り回しが楽である、という点があったことは間違いありません。
(直接的な祖先としては1961年のHeadsightと言われている)
ただ、実はHMDは主に技術的な課題を解決する目途が立たなかったことから、プロジェクタのような実空間に映像を投影する装置に一時期流行が移ったことがあります。
おそらく、国内で最も手軽に最先端の空間投影型のVRを体験できるのは、東京ディズニーシーのソアリン:ファンタスティック・フライトでしょう。
(豊洲にあるチームラボプラネッツは、アート寄りなのでVR体験としては若干特殊だと思う)
さて、その後徐々に技術的な課題が解決され、HMD型のVRは少しづつ実用化されたり、販売されるようになりました。
VRにはいろいろありますが、ざっくりとは以下の4パターンにわかれます。
No.1の表示装置というのは、いわば映画館のような大スクリーンをどこでも楽しみたい系のHMDです。
No.2の仮想空間に入り込みたいのは、VRChatのようないわゆるキャラクターになり切る、というものですね。
No.3の現実空間に情報を追加するのは、静止画ならプリクラ、動画ならサーモグラフィカメラなどもそれに該当します。
No.4がApple Vision Proが到達しつつあるものであり、かつ、ずいぶん昔から研究やパテントが飛び交うも実現が難しかったものです。
違和感なく重ね合わせるという部分が、最も困難でした。
人間の五感は大変に優れており、もうちょっと鈍感でも良いのになと思う程度には鋭敏です。
たとえば、任天堂switchのリングフィット アドベンチャーは、仮想空間に入り込むデバイスとしては大変安価で割と追従性も悪くありません。
しかし、"仮想空間に入り込んだ"と感じるかというと、これはかなり微妙でしょう。あくまでもコントローラーの一種だ、と思われるのではないでしょうか。
同様に、新型コロナが流行ったころに飲食店などに導入された、自分が映った映像に体温が重ねて表示されるものを"仮想空間の情報が重ねあわされている"と感じる人もまた少数派でしょう。
と、ここまで読んでいて少しVRに詳しい人ならこう思ったのではないでしょうか。
MicrosoftがMicrosoft HoloLens で実現していたのでは?と。その通りです。
(これに、映像をどう見せるかの方式として、ディスプレイ型、網膜投影型、虚像投影型などなどがありますが、今回は割愛)
Meta Questは基本的には非透過型、遮蔽型のHMDです。いわゆる没入感が強く、完全に視界を覆ってしまえるため、大掛かりな表示装置を安価に実現するには最適です。
HoloLensは透過型で、光学シースルータイプです。いわゆる実際の現実世界が透けて見えており、そこに仮想空間を重ね合わせています。非遮蔽型でMRが実現されています。
Vision Proは透過型で、ビデオシースルータイプです。完全に覆ってしまう遮蔽型で、ビデオで撮影した現実世界と仮想空間とを重ね合わせて見せています。
つまり、Apple Vison ProはMeta Questに近く、HoloLensはどちらかというとARに近いMRです。
目的です。
Meta Questは、VRとしては仮想空間に入り込む方に重きを置いています。そのため、大画面で映画を見たい等の場合は、Meta Quest 3などで必要十分でしょう。
HoloLensは、MRとして現実世界側に重きを置いています。産業用途、トレーニングや作業効率アップなど、空間に投影できるマニュアルとしての用途を押し出していますし実績もありました。
Vision Proは、MRとして現実世界に仮想のディスプレイを表示させることに特化しています。ディスプレイの品質を担保するために遮蔽型にし、現実世界を見せるためにおそらく専用チップでビデオシースルー処理をしています。
X(Twitter)の感想や使用感レビューを読む限りにおいては、(属性が極端に偏るという点をおいても)かなり広範囲な人がほぼ違和感なくビデオシースルーで現実世界を見ることが出来ています。
光学シースルーに匹敵するビデオシースルーというのは、その時点で光学シースルータイプの上位互換になります。
そして、最も大きな特徴は、仮想ディスプレイを表示することに特化したその目的です。
現実世界に仮想のディスプレイを表示するというその目的において、Apple Vison Proは性能面ではほぼ完成形です。
Apple Vison Proは、現実世界に仮想のディスプレイを表示させる手段としてほぼ完成形です。手軽に持ち運べるマルチディスプレイ環境が欲しい人には最終回答でしょう。
例えば新幹線の車内でトリプルディスプレイで仕事をしていても、他人から覗かれる心配は無く、かつ、車窓を楽しむこともできます。防犯の面でも安心でしょう。(キーボードを使うならショルダーハックに注意が必要なのは変わらず)
仮想空間のみが必要な場合は、Meta Questで充分です。どうせ自室には見るものないし、ゲームしかしないし、という場合には、Apple Vison Proを買うのは勿体ないでしょう。
HoloLensは、その性質上、専用のアプリやソフトウェアが必要になりました。例えばエンジンの修理用のマニュアルを表示させて効率アップしたいなら、それ専用のHoloLensに特化したマニュアルを作成する必要がありました。
大量導入してバッチリハマる用途なら普及の可能性はあるかもしれませんが、紙のマニュアルと無線ヘッドセットの指示を上回るのはかなり難しいでしょう。
そして、Apple Vison Proは普及するのか?という点において、一般的には普及しないでしょう。
ご家庭にはテレビがあり、レジャーでは映画館があり、一般的にはノートパソコンの一画面で充分です。
また、業務用途においてはWindowsに対応していないため、会社で支給されて出張社員がみな使うというのも考え難いです。
そのため、これはMacbook利用者のマルチディスプレイ環境として、使う人が使うような、ほそぼそと売り続けられるApple Studio Displayのような位置づけになるでしょう。
真に空間コンピューティングとして見かけるようになるのは、おそらく三年以上後、iPhoneとApple Vison ProとAirPods Proの3点のみで仕事が完結する人がそれなりに増えてきてからだと思います。
テレビ会議、メール、ブラウジングと動画視聴、主に文字が主体のコーディングや資料作成で仕事が完結する人にとっては、良い時代になりそうです。
ネットで言論的な事、ソーシャルメディアでの短文コメントなどでTV局、アパレル、マーケティング、広告、電通などに関する議題で変なマウントじみた上から目線を感じることがないだろうか?例えば広告出稿の実務や電通の業務範囲などの解説に「電通を判ってない」と漠然としたコメントが付いたりする事だ。
亦は例えば脚本家と原作者のトラブルに端を発した自殺に関して「己の近いところに着弾」などと書いて自殺クリエータのナイーブを嗤うような文章だ。
実はこれらには「ギョーカイ」という30年前の知的スノビズムが関係しており、現在のその全ての発言者はただのワナビーだ。故に無視するか嘲笑するのがいい。
だがギョーカイがどういうのか判らない人には判別が出来ないであろうから、ギョーカイに就いてざっと解説したい。
1980年代の大学生というのはまるで勉強しなかった。これは60年代に反権威主義の全共闘世代が大学の知の権威を攻撃して教授や講義の尊敬を解体してしまった事に由来する。その後反体制という態度も流行らなくなり、更には嘲笑、嫌悪さえされるようになっていった。
だが大学の権威は復活しなかった。この為に80年代になると大学はレジャーランドとなり、特に文系学生は教科書さえ買っていないという風になっていた。
更にここにプラザ合意という政治状況が追い打ちをかける。日本は復興を遂げて70年代には経済規模が異常なほど膨れ上がっていた。アメリカがベトナム戦争で、欧州の旧連合国諸国が植民地独立による経済構造変化で苦しんでいた(除西独)のと対照的だ。
だが国民の生活は然程裕福にはなっていなかった。また戦後の窮乏状態から贅沢を忌避する経済道徳があった。
プラザ合意でこれが一変する。これは円高を誘導し日本の対米貿易黒字を削減する政策なので経済構造がそれまでの輸出産業優先のままだと立ち行かなくなってしまう。
そこでそれまで禁止されていた贅沢がお上のお墨付きで推奨されるようになったのだ。国民の経済道徳なんて政策で左右されるのである。文化は決定因子ではない。
また円高によってそれまで贅沢品だった輸入品の価格が下がる。当然購買意欲は刺激される。
この浮ついた好景気が加熱してストックバブルとなり、やがて弾けて失われた30年になったのは皆の知る通り。
この景気加熱はレジャーランド化していた大学生にも影響を与えた。それまで国内アパレルメーカーが若者向けブランドを展開してそれらが人気を博していたが、海外ブランド志向が進み、遊びの高級化が進んだのだ。有名なのがディスコのマハラジャやジュリアナ東京であろう。マハラジャの運営会社はそれまで「並」のディスコを経営していたが、マハラジャで極端な高級志向とドレスコードチェック(アメカジとかは入場禁止で上から下までブランド服必須)にしたところ大盛況となった。
だが大学生が高級志向になったのは自然な出来事ではなく、当時のファッションカルチャー誌が誘導したのであった。
こういう大学生に影響の大きかった雑誌にマガジンハウス社のPOPEYE(以下ポパイ)と講談社のホットドックプレスが挙げられるが、この二つは性格が違った。ポパイが先行、ホットドックプレスが追走、イノベーター理論で言えばポパイがアーリーアダプター志向、ホットドックプレスがマジョリティ志向という感じだ。
マガジンハウスはファッションカルチャー専業だけあってイノベーター人脈があるから未来への提案という形で誌面が作れる。
一方、ホットドックプレスは大出版社なのでもっと安牌志向だ。あまり冒険すると滑る危険がある。
そして流行に於いてマジョリティを相手にするという事は、アーリーマジョリティになれとけしかける事であり、故に強迫観念的になるのである。大学デビューした若者にファッションや遊びを勉強しろと迫る性格を帯びる。
山田五郎氏はyoutubeの「オトナの教養講座」を運営して大変引き出しが多くて教養がある人物だ。同氏は同誌の80年代の編集長であった。
教養人だが編集長時代はマガジンハウスの後追いで背伸びしたい若者に楽しいライフスタイルの提供というよりも「これぐらいマスターしないとモテないぞ」とオブセッションを刺激して走らせる誌面を作っていた訳で、正直そこについては評価できない。
これはホットドックプレスが悪いというのではなくて、トレンドの後追いする方は強迫観念に訴えるようになるという例だ。
そんな雑誌群でやたらと持ち上げられていたのがTV局、アパレル業、広告代理店という業種だ。
ホイチョイプロはこれらのブームが起きる前から広告代理店漫画を書いていたが、このブームに乗って多角展開するに至った。広告業の業務中で電通だけが特別視されたり、変なマウント取る奴が現れたりするのはこのホイチョイプロの影響である。
またとんねるずはパワハラ芸とTV局の内輪ネタで若者の歓心を得て売れるようになった。
特に初期のパワハラ芸が有名だがこのパワハラは芸人同士のそれではなくてTV局での上下関係に限られるのがポイントだ。TV局内とスポンサーなどの上下関係はギョーカイなので売り物になったのである。
故にギョーカイというのは単にがTV局、アパレル業、広告代理店という業種を指すのではなくて、当時の風俗上の序列に裏打ちされたそれら業界という事が出来る。広告代理店業務を特別視してマウントするという態度の背景には、輸入ブランド志向、高級ディスコ、VIPルーム、見せる為の彼/彼女、ポストモダン思想という今では時代遅れの事物の文脈がある。
一方、家庭を築いて建売とかと言った一般的な価値観は外部化されていて入っていない。
先に述べたように流行の浸透期には強迫観念に訴える形の言説が商売になる。面白いものがあるよ、じゃなくて時代に遅れるな、だ。
これらはもう時代遅れだが、この強迫観念に訴える扇動の効果は残っていて、広告やTV局に関する事が話題になると、今でも「電通の本質は違う」などという謎マウントが湧き出すという原因になっている。
特に地方在住者に顕著だ。広告への関係の仕方は様々あり、出稿する立場、印刷を受注する立場、看板屋など様々な立場の人間がネットに書き込む。また電通の業務のうち広告ではない部門、人材派遣やイベントプランニングなどに関する議題で書き込む人も居る。
それらに対して謎マウンティングしでいないではいられない人が現れるというのもネットの常だ。
これらの人は自分が参画しえない場所の話だったホイチョイプロなどのギョーカイ話を実業務での経験(他者の含む)で上書き具体化するのに失敗し続け、レイトマジョリティ転落の強迫観念で駆動され続けているのである。
彼等の言い方は、「電通とは」など目前の具体的解説よりなどまるでその評価軸が高級だったり知的であるかのようで、事情を知らない人は騙されてしまうが、その実は時代遅れの流行追っかけの知ったかぶりでしかないので、騙されないようにして貰いたい。
「インターネット下さい」やソーカルにコテンパンにされたポストモダンの亜種である。
この辺の事情を知っていれば、「己の近い場所に着弾」とか原作者の自殺をそのナイーブさ故と揶揄するAI画像を投稿してTV局の事情通風を吹かす者が現れたとしても、その破廉恥さに憤るよりも前に、その者がオピニオンバラエティに数回出ただけでドラマには関係してない事、職域が権利者との折衝と重ならないであろう事、出演回数的に業界風吹かしたい欲が最大化される地点である事、年齢的にギョーカイ特別視のレイトアダプター層である事、とんねるず世代などに着目し、地方のバーで「業界出身の人」ってこういう感じだよなぁなど感慨に耽り、祇園精舎の鐘の音が胸中に去来するはずである。
またマナの力に長ける者であれば、AIに向かって「政権のブレーンとして官邸に出入していた事がある事は履歴的に自慢したくなりますよね?という建前を押し出した笑顔の発言者の前で、現在相手にしている読者層がその政権へのドグマ的批判を共有するので炎上と評価低下を恐れて答えに窮し発言者が善意の天然なのか悪意があるのかはかり兼ねて引きつった笑いを浮かべる男性」という詠唱により画像を得る事が出来る筈である。
「TVに出るようになった切っ掛けってそのブレーン抜擢ですよね」と発言を重ね掛けする画像でもう一枚行けそうである。
いずれにしてもTVや広告業などの話で具体性も無いのにウエメセマウンティングが発生したら、その実は以上のような事情で背伸びしたい「追いかける人」であるので、良く知らんけど高級な知識っぽさに騙されないようにして欲しいものである。
1. 西洋的価値観を全面に押し出して、その方が優れてるような価値観にナチュラルに誘導しようとしないでください。
2. 国別ミスコンって、各国で一番美しい人、といいながら競って、結局全員西洋人みたいな顔とスタイルになるじゃないですか。普通にキモいですし、国々の美を語るような名を冠するなら、もっとその土地の美の定義とはなんなのか考えて、相互理解をすすめ合ったらどうですか?
3. 「わたし好みのルックス、各地域に住んでいる人から選びましたコンテスト」なら好きにしてください。でも、それをミス日本とか言わないで。少なくとも私の定義とは違うんです。
4. それなりに日本に生きているので、日本という名前は、みんなそれぞれに愛着があるです。アイデンティティに紐付いてしまっているのです。だから炎上するんです。ある国の美 (のように聞こえる名前) を語って一方的な美の定義を上から喧伝したら、その国の人が違和感を感じるのは当たり前ですよね。
5. それで違和感を表明されたら「差別だ」とか「多様性を認めてない」とか「いや内面の美の話だよ?」とか屁理屈をコネて更なるマウントを取ろうとするのもやめてください。
突然頭を鈍器で殴られたようなひどい衝撃を感じる、そんな記事と書き込みばかりだ。
結婚式で好きなアイドルやアニメコンテンツを前面に押し出している。誰と結婚するんだ?
右左や、金や容姿での上下の話。お前ら失恋して傷ついてるだけだろう?
恐ろしいお笑いの人。北朝鮮からも聞こえてこないようなスパルタで育ってる。
オシャレで素敵な、アイコン美男美女。中身は中年のオッサンオバハン。アイドルオタクはあの性被害に関しては触れない。
全く理解できないことばかり。
女は話しかけただけで猛烈アタックして来るし、親友だと思った男友達は鎌をかけてくる。
一人、たった一人大切な人がいればそれでいいじゃないか。
労働者だからか?金が無いからか?顔のパーツが整ってないからか?頭がおかしいのか?それともこっちがおかしいのか?
誰か教えてほしい。
一人の人の人格を好きになって、容姿が金がどうなろうと、死ぬまでその人にすべてを捧げて生きるだけじゃダメなんだろう。
もうなにがなんだか。誰か答えを教えてほしい。
小学校の時の同学年にロクでも無いやつがいた。もう終わりだよ猫の国。
私はそいつにふざけて体当たりされ、車が走る道路に飛び出したことがある。幸い車が通る前になんとか歩道に逃げたけど。
嫌だったけど1回ぐらいは行った方がいいよなと思い、しぶしぶ行った
同窓会には沢山の人が来ていた、もちろんやつも
やつは色んな人に過去のことを話していた。万引きやら下着泥棒やらまあとにかくやっていたらさい。でも今は会社の幹部やってるらしく、結婚もしてるそうで、興味もないので俺は「へー」ぐらいの感じでてきとーに聞いていた。
ところがやつは唐突に「お前に謝りたいことがある」と俺に近づいてきた
やつ曰く、あの時ふざけて車道に押し出したことはずっと悪いと思ってたから謝りたかったらしい
途端、凄まじい吐き気と過去のフラッシュバックで胃痛がした。その奴の顔を見ているだけでぶっ倒れそうだった
だから俺は急に用事が出来たと言ってその同窓会から逃げた、ここにいてはいけないと
ワイはさっき2023冬のFANZA GAMES FESTIVALの本日のピックアップタイトルになっとったからアライアンスセージってのを始めてみたんやが
普段やっとるタイトルとは打って変わって絵柄がちょい下品で驚いたわ
敵がお乳丸出しだったり寝室シーンで顔がアヘっとったりとソフト下品な感じやな
ワイが定着しやすいのは寝室シーンが純愛多めで感動シナリオの見た目ちゃんとした今風のやつが大半なんやが
これはUIとかの作りがなんというか10年前のソシャゲっぽい感じやな
ただ絵柄はちょっと垢抜けない絵師のも混じっとるものの特に画風が古いわけではなく
まあゲームとしては全然おもろないし育成とかも悪い意味で複雑そうで時間の無駄やな
こーんなクソゲーやっとる暇があったら原神やらのなんか腰が重くて進められてないメインシナリオとかを
ちゃきちゃき進めにかかったりした方が100倍、いや1000倍は面白いのは分かりきっとるんやが
こう楽しみを後回し後回しにして追い詰められていく感じがわりと好きかもしれん
昨日までやっとったスタレのフォフォちゃんのイベントもラスト2日で一気に終わらせたんやで
フォフォの幼少期のスチルは萌え死しそうになったわ
それはともかくガークリの今日始まったイベのEXTRAボスの仕様なんなん?
硬すぎる上に自動回復持ち、しかもEX1からそんな状況で進めんし悔しすぎへんか?
廃課金者以外倒せる気がせんし対処法も分からんで5chみたらステージ端への押し出しで勝てるらしい
ハァーもうええわ推しのドナテッロちゃんはXmasガチャの当たりのくせにズリやったし
ダブルピックアップのそんなに好きではないピンク髪ナルシストっ子は210連しても出てくてくれへんし
気を取り直して3rdのメイン進めてグレーシュちゃんを眺めてくるやで
仕事でクソな事が続いた。彼氏が濃厚接触者になりデートの予定も消えた。
モヤモヤして眠れずにいた夜、明日は一人でラブホに行ってみようと決めた。ちょうど今は本場所中、好きな大相撲を非日常的空間で観たらいい気分転換になるんじゃないかと突然思いついた。
元々一人行動が好きだけど、ラブホにソロで入ったことはなかった。ヒトカラやひとりライブはよく行く。
私の住む地方のラブホは大体国道沿いのガレージ式。フロントで誰かと鉢合わせしない分、ヒトカラより敷居が低いはず。緊張しながらも一人で入室。
向かったのは彼氏と来た事のあるホテル。料金はそれなりだけど小綺麗で、ビジホ代わりや女子会利用も推奨してる所。
一人でラブホに来たことに舞い上がってしまい、まず自販機で大人のおもちゃ購入。バイブとローターの中間みたいなやつ。
シャワーを浴び、大画面でAV流し、さっそくおもちゃを試してみた。初めての体験に興奮して3分くらいでイってしまった。一回で満足してしまい、一気に虚無感に襲われた。
大画面で巨乳の子がアンアン突かれてるの観て、AVはスマホでこっそり観るくらいがいいなぁと思った。一人で大きい画面で流すと「さあ観ろ!」と迫られてるようで逆に興奮しない。音も大きいと、男優の言葉攻めが生理的にやだなぁとか気になってしまった。
幕ノ内土俵入りまでまだ時間があった。持参したお菓子食べながらVODで昔の劇場版スラムダンクを観た。
緑川さんの流川の声かっこよかった。新しい映画は評判観てから行くか考える。
頃合いをみて浴槽にお湯を入れた。泡の入浴剤も入れた。
家ではなかなかできない特上の泡風呂が出来上がったところで浴室のテレビをNHK総合に。前頭下位の取り組みが始まっていた。
脚を伸ばせる大きな浴槽、ふわふわの泡、ラブホらしいギラギラの照明。その中でテレビから響き渡る行司の声。
泡風呂の中で取り組み観戦ってどうよ…という気持ちもあったけど、異空間でニコニコと勝ち越しインタに応える関取を見てるとすごく癒された。
後半の取り組みで推し関取が押し出しで圧勝し、泡まみれのままガッツポーズした。
職場のお局ウザいとか、日頃の些細なイライラが吹き飛ぶくらい楽しい経験になった。
Twitterとかで書くのは恥ずかしいからここに書く。当然、汚い話なので注意。
たぶん30超えたあたりからかな?と思う。膿栓が出るようになった。1年に1回あるかないかくらいの頻度。
知らない人もいるかな?喉の奥からゴマつぶみたいなのが出てくるの。固まったハナクソみたいな見た目で、潰すと歯クソを集めて圧縮したかのような、「地獄ってこういうことなのかな?」みたいなとんでもない臭いがする(じゃあ潰すなよ)。扁桃腺に穴が空いてて、そこに食べかすとかが色々詰まって出来るんだって。なんで神様はそんな仕様にしたの?激詰めしたい。
インターネットを始めたころ、この世には臭い玉というものがあり、定期的に出てくる人たちがいる。自力で取ろうと試みる人たちもいる。すごいにおいがする。という話を読み、ウッソだぁー!きったねー!!と思っていた。
でも本当だった。
歳をとったからなのかな。鼻炎が悪化したからかな。私もこちら側の人間になってしまった。めちゃめちゃ悲しい。
予防できるもんならしたいし、押し出して取れるなら取りたいが、私の場合目視はできない。咳やうがいで、自然に出てくるに任せるしかない。その頻度が、前述の1年にあるかないかである。恐怖。
思えば生理が始まる前にも、「毎月お股から血が出るゥー!?ウッソだあー!!」と思っていたのだろうか。もうその気持ちは思い出せない。
祈るような気持ちで、日々歯を磨き、鼻うがいもし、リステリンなどを使っている。もう出ませんようにと。
なんなんだよクソが。人生はクソだ。あ、歯クソか。
ところで猫に嗅がせてみたが、フレーメン反応はしなかった。いい子だねー。
MCUがいよいよもって危機に瀕している。最新作、マーベルの興行収入はズタボロだ。
製作費2億7000万ドルと言われ、リクープ可能なラインを表す2.5倍の法則を適用すると資金を回収するのに6億ドル近くの興行収入を稼がねばならない。
MCUが凋落するにつれ、ついにスーパーヒーロー映画コミュニティが行ってきたプロパガンダが暴かれるかもしれない。
MCUは日本のTwitterなどでも見られるようにリベラルで国外の文化に親和性があるような人が取り上げムーブメントを作り上げてきた。
その中で彼らはMCUは"女性の活躍が見られる"や"ダイバーシティが..."と言った言説でMCUへ観客を誘致してきたわけだが実際にはマーベルはそれらの作品群とは真逆の客層に対して物を売っていた。
マーベルの読者が別に保守主義者にモノを売っていたというつもりはない。
実際にはDCの方が傾向で言えば保守主義的な人々にモノを売っていたし、スタン・リーを筆頭にどちらかというとリベラルで左派的な価値観の作品群を従来から押し出していた。
しかし重要なのはそれらの作品は女性ではなく男性にモノを売っていたと言う事だ。
つまり基本的にスーパーヒーロー物のアメコミはboyが主要客層だったし、女性作家が増えたとはいえマーベルコミックは今でもそうだ。
そういった作品群の中であまりにも男性メインすぎたので女性を主体としたキャラクターを開発してきたという歴史がある。
これはつまり週刊少年ジャンプがあくまで男の子をマーケティングターゲットにしてきたが、現実の読者を精緻に分析することで、それに合わせて徐々に女性キャラクターの造形が変化していったに過ぎない。
しかし、MCUはそのバックグラウンドを奇妙に偽装してきた。一部のMCU作品は女性キャラが主体となった女性主導の女性向け映画だというように喧伝してきた。
しかし実態は男性向けの作品を無理やり女性向けにアジャストしたに過ぎない。
スーパーヒーロー映画は映画館のスクリーンをあまりにも独占しすぎるため、女性向け映画がまるで上映できず、むしろ2000年代後半からアメリカの映画館はどんどん男の向けになっていった。
そういった文脈知らない日本人向けに、こんなに立派な女性向けヒーロー物があるぞと日本の一部スーパーヒーローファンは喧伝してきたがその化けの皮がついに剝がれる時が来た。
実態としては日本の映画館でのヒーロー物は男性によく見られていたのだがアメコミクラスタはなぜか女性にも人気があるかのような言説を押し出していた。
実際には女性キャラが主導する作品でも男性の方が良く見ていたのだ。いくつかの記事ではよく見ると女性スーパーヒーロー映画の男女比が男性の方が多いと書いてあるにもかかわらず、女性の観客が多いと勘違いしている人を見た。
しかし、これはシンゴジラが女性にも人気があるなどとうそぶくようなものだ。もちろんシンゴジラを好む女性はいるが圧倒的少数派だ。
これは、そういった実情に対して苦悩している女性に対して"実際にシンゴジラは女性に人気だ!お前もそう言え!"と強制しているようなものだ。
ザクロは一粒一粒に種が入っているので食うのがめちゃくちゃ面倒なのだ
一粒取って、口先のあたりで指で実を潰して液を飲んで、種を出すみたいなのを100粒連続でするのが嫌だからだ
ただ例年は木に二、三玉なれば多い方なのだけど、今年は10玉以上なっていて、何ならいまだ小さい玉が増え続けている
さすがに放っておくのはもったいないかと気まぐれに一玉とって、ジュースにした
厚い皮を剥いて、ボールに一粒一粒とる
赤い粒に付着した白い皮をなるべとり、水に浸して浮いてきた皮やカスを取り除き、ざるで水を流す
すり鉢に水気を切ったザクロの粒を入れてすりこぎでつぶし、小さな粒の中の果汁をもれなく押し出していく
最後はざるで濾して、ようやく小さな湯呑一杯分くらいのピンクの液体となった
風呂上がりに冷やしておいたザクロジュースを飲むと、これがまあ美味かった
ザクロ特有の香りなどを感じるわけではないが、あまりにもすっきりとしたのみ心地で、風呂上りにぴったりだった
母にジュースにしてみたら美味かったよというと、母は5玉ほどを一生懸命剥いて、ミキサーで種とジュースに分離し、少し砂糖を入れて煮ていた
正直美味しくはあったのだが、ザクロ液自体に香りやコクなど強い個性があるわけではないので、清涼飲料水を固めたみたいな味のゼリーになってしまっていた
「ゼリーにするには砂糖を入れないと甘さが足りないと思うが、そのせいでザクロのスッキリとした持ち味が失われている」というのが私の感想で、母も苦労して作った割には個性のない味だと同意していた
余りにも料理するには手の込む食材だと難儀していたのだが、ネットで鶏肉ザクロ煮というアルメニア料理があると知り、作ってみた
簡単に言うと、皮付きの鳥のもも肉を塩コショウよく焼いて、鶏油を取り出し、その鶏油で玉ねぎとクミンを炒め、そこに鶏肉を戻して、ザクロの実と白ワインをくわえて煮込むというもの
仕上げに生のディルとパクチーをちぎってのせて、生のザクロの実をひとまみかけて完成
味付けは塩コショウとクミンだけというシンプルさながら出来上がったソースは絶品だった
甘酸っぱいカレーソースと言ってしまえばそれまでだが、口当たりがよく、何口でも食べたくなる
クミンの複雑な香りがあり、鶏油のコクがあり、それでいてザクロのスッキリとした風味がクセをなくしている
バターチキンカレーからバターも唐辛子もトマトもニンニクもショウガもヨーグルトも抜いているようなレシピなのに、「このソースってバターチキンカレーの味に負けてなくないか?」と思った
何なら辛みもないのでより口に運びやすい
甘みも酸味もちょうどいいのでご飯にかけても不自然さはなく美味い
生のディルとパクチーの青臭い香りが薬味として機能しているのは、料理自体に甘さがあり、スパイスをクミンしか使っていないから生のふたつのハーブの香りを足しても香りが複雑になり過ぎないからだろう
ゲテモノかなと思って調理したが、材料選択に無駄のないレシピの完成度を感じる結果となった
煮込めば中の種も柔らかくなり、種の苦みがスパイスのように感じさえするとレシピでは紹介されていたが、アルメニアとはザクロの種類が違うからか、火の加減を間違えたからか、ザクロの種は食すのに邪魔になるくらいの硬さになってしまった
これは次回はザクロの粒を絞ってジュースにしてから料理に使うことで改善できると思う
硬くて味の濃い地鶏より柔らかいブロイラーの方がたぶん美味くなると思った
三点目の失敗は鶏肉を煮る際にあまり煮汁に浸っていなかった点だ
これは火加減の間違いともかかわるかもしれないが、ソースの味があまり鶏肉自体には染み入っていなかった
煮込む際に鶏肉が鍋の下の方に行くように調整すべきだったし、その方が鶏肉自体も柔らかくなっただろう
今回は一枚肉をそのまま使ったが、一口大にした方が火も味も入りやすいかもしれない