はてなキーワード: 披露とは
私は彼氏の好きな曲をだいたい好き。
彼氏が紹介してくれた曲を私はだいたい「いいな」と思うし、必ずそれは人気曲だ。
歌詞は凝ってる。いい言葉がたくさん並んでる。多分演奏技術も高い。最近の歌って感じ。
世間一般に受けていて、それを私はまっすぐに「いい曲だ」と思う。
それに対して私が好きになる曲はだいたい多分うるさいだけ。
安っぽい歌詞。まっすぐに心に届く言葉だと思うけど単純、ありきたり、ときどき下ネタ。
私が知る頃には、とっくの昔にバンドは解散していることもある。
たぶん大体の人が知らないし、一回聞いただけじゃ絶対「いい曲だ」とは思えない。
もしかしたら一度も「いい曲だ」と思えない。
彼氏に好きな曲紹介するの悲しくなるだけだからやめたほうがいいってわかっているのに、
いつも曲を勧めては、
首を傾げられて、
「いつも意味わかんない曲聞いてるよね」
って苦笑いされる。
あなたに重ねて、涙して聞いていたラブソングに、そう言われて終わり。
カラオケで、彼氏は私が歌う知らない曲を、スマホをいじって聞いている。
そして私の歌の間奏を狙ってべろ突っ込んだキスをしてくる。
私があなたみたいに有名バンドのコピバンをライブステージの上で披露できるくらい
歌を上手に歌えたら、
人の趣味はそれぞれって当たり前のことをわかっているのに、
結構冷たくて寂しいんだよ。
でもだからといって、
私の好きな曲をあなたが私より上手に歌っていたら、
きっと曲を寝取られたような気分になるんだろうな。
だから、
右上に出る曲のタイトルを見ながら、
「その選曲最高」って、笑顔で振り返ってほしいだけなんだと思う。
それは相当贅沢な願いなんだって、知っているけど。
でもせめて、
ちゃんと目で追ってほしいな。
その間だけは、
私が好きな曲に向き合ってほしいな。
私のどんな好きな曲も聞かせないようにするから。
昨日のジャンプ買った?
・ 「アイシールド21」という作品にはひとつの欠点もないと感じる信心深い人
増田もそう思ってるよ。嘘じゃない。
看過できない仕上がりだったとも思っている。
なのでここにその旨のお気持ちを記録しておく。
・今回の読切に少しでも思うところがあった人
・「アイシールド21」という作品全体を通じて積年の思いがある人
向けの内容である。
・筆者について
・はじめに
・読切のストーリーについて
・作画について
・まとめ
の順で触れていく。
あと言っておくが「アイシールド21」の21周年は心から祝っている。
おめでとう。読切企画を実現してくれた関係者各位、先生方、心からありがとう。
・往年のアイシールドファン。連載開始から最終話までリアルタイムでジャンプで読んでた
・連載後半は2ちゃんのアイシスレ見たりもしてた(本スレがアンチスレを兼ねる様相で当時はおどろいた)
かきおろし読切の制作が決定したという作者の告知があってからこの日をずっと楽しみにしていた。
完結して十何年もたった作品の続きが読める、
こんな奇跡はまたとない。
発売日、即ジャンプ買って読んだ。
………………。
昨日からSNSは「アイシールド21が読めて嬉しい!」といった歓喜の声にあふれている。作品名でトレンド入りもしている。
いちファンが作品に真剣に相対したいち記録となることを信じてせっせとこれをネットの海に流している。
まずあの話、どうでした?
…とは思えなかった。
というか読切では当然のように「ヒル魔とセナ、双璧のW主人公」みたいな雰囲気が醸されているのだが、
という確認がなされないまま作られている印象だった。
ヒル魔というキャラクターが大いなる魅力や影響力をもっている、そのこと自体に異論はない。
彼の求心力とある種のカリスマ性が、読者並びに各種ファンダムを今なお牽引していることにも異論はない。
(原作者が格別の思い入れを注いでいることにも、この際異論はないものとする)
それでも、少年漫画としての「アイシールド21」に考えをはせるなら、第1話の構造からいっても、
この物語は「アメフトを通して描かれる小早川瀬那の成長譚」でなくてはならないはずだ。
……にもかかわらず、本作はそこをぶらしていった。
連載半ばから、ヒル魔は悪い意味でどんどん主人公化していった。
そしてそれが改善されていないどころか、全面化していたのが今回の読切だった。
思えば、最終話の落としどころはまだマシだった。
セナの結末とは別のレイヤーで、ヒル魔の着地点を描いていたからだ。
最京大・炎馬大・バベルスという別の進路をとり、三国志の道を選ぶ。
ここの3人が対等なライバルとなる結末は、
にもかかわらず読切で披露されたのは
「セナvsヒル魔、NFLにいくのはどっちだ!?」対決………って、
武蔵と栗田の立場がなさすぎて、あんまりじゃないのか????????
(※さらに言うなら武蔵に至っては読切に影も形も出演がないの、本当にあんまりだったと思う。回想の円陣にもいないとはいったい…。
※この点について「読切から興味をもった読者に武蔵の存在を伏せたかった・ネタバレを防止したかったからでは」という擁護意見も目にしたが、
そうであるなら円陣では後ろ姿で顔が見えないように描いたりすればいいだけだし、現在軸の観客ポジションにはいてもいいはずである。
読切の大筋を
という骨子にするのならせめて
セナ率いるドリームチーム vs デビルバッツ創立時メンバー3人が再結成するドリームチーム
…みたいな構図にはできなかったものだろうか。
さらに「AIをしのぐのは人間の勇気」みたいなテーマを(是非はともかく)導入したいのだったら、
半端にセナを主人公とせず、いっそいさぎよく「読切なので主人公はヒル魔です。セナは脇役として登場してもらいます」などとして構成してしまうほうが、
まだ「作者のエゴ」と「読者」と「読切作品としての完成度」、すべてに対して誠実な仕上がりをみたのではないだろうか。
このあたりの整合性のとれていなさ、ちぐはぐさが、読み味の違和感、納得感の薄さにつながっているように思う。
(※余談だが、アイシールドがスポーツマンガとして傑出している点であり特色のひとつに、
「天才と凡人」というテーマを残酷なまでに描いているところが挙げられると思う。
それを思うと、読切からその要素が完全に排除されていたのも惜しむべき点だった。
その意味においても、読切では
「身体能力においてはある種の天才であるセナと、今度はそれに挑む身体的凡人ヒル魔」
といったふうにセナとは別の視点≒ヒル魔視点から描いてしまうほうがいっそ面白かったんじゃないだろうか。
原作者のヒル魔描きたい欲も、キャラファン読者の需要も両方満たされただろうし
本作の新たな面を見せることができたんじゃないか、等々。
後述するが、原作者と編集者はそういった検討すらしなかったのだろうか)
「セナvsヒル魔の試合」という今回の読切が、アニメ最終話の追認に近いものになってしまっていることにも絶望しかない。
アニメのアイシールドはあらゆる意味で筆舌尽くしがたい出来栄えなのだが、満を持した読切がそれと今さらカブるって、そんなことがあっていいのか。
村田先生、みんなご存じ、少年漫画界屈指の超絶技巧ハイレベル画力の持ち主。
すなわち『ワンパンマン』のようなアップデートされた村田先生の作画で、
…というファンの期待は儚くも裏切られた。
今回の読切の作画、
……そうか……。
初期からずっと絵がうまくて、
どんどん画力が凄みを増していって、
20巻あたりになってくると最強に脂がのってきて、
強いこだわりや作品愛を感じられて、
あのすばらしい絵が、だいぶ淡泊でラフな方向へ変わってしまった、
そんな、あの頃の絵柄…
遠くにいるキャラには顔描き込みさえなく、
そんな、あの頃の絵柄…
それを誰も指摘しないままジャンプでお届けされていた、
そんな、あの頃の絵柄………
…………そうか………。
掲載日もガチガチに21周年に合わせているわけではなさそうだし、
読切制作告知はずいぶん前に行われていたし、
そんなこまごまとしたミスをチェックして修正する手間すら…惜しかったのだろうか。
もしや、アイシールド、描きたく……なかったのだろうか。
憶測にすぎないけれど、したくもない想像が膨らんでしまう作画がただただ悲しい。
なぜこんなにも失望感が大きいのか。
失望感を覚えるということは、
そもそも「アイシールド21」という漫画に何らかの幻想を抱かせるような霧でもかかっていたんじゃないだろうか。
その正体は何か。
理由をたどると「原作・作画の分業制でつくられた作品であること」が挙げられると思う。
そもそも、原作者の稲垣先生のほうはそこまでキャラの扱いに手厚いタイプではないと見受けられる。
かと思えば突飛なタイミングで再登場させたり、
桜庭のアイドルヘアや阿含のドレッドをある日突然無慈悲に剃り上げてファンを阿鼻叫喚の渦に叩き込んだり等々
(事実アイシ、ドクターストーン、トリリオンゲームと3本つづけて大ヒットを飛ばしている優れたストーリーテラーであるわけだし、どれもとんでもなく面白いし)
バックボーンを想像させる表情や振る舞いなどの魅力を付与して、
色んなキャラの色んな一面を描きまくってくれた。
別冊として出たデータブックでは各校の全チームメイトの顔カットを100人単位で書き起こし、
人物紹介には毎巻のように「ウォーリーを探せ」のようなぎっしり楽しい一枚絵を用意し、
神龍寺戦完結巻にいたっては、カバー絵などの余白をフルに使って、
アイシはただストーリーが面白い・アメフト題材に新規性があるというだけではなく、
そういう層のファンを獲得したという意味でも、商業的な成功をみた。
これは原作・作画別れているからこその、やや特殊な事例であると思う。
それは村田先生が魔法をかけてシナジーを起こしたキャラなのだ。
そして時を経て、魔法は解けていった。
何かのきっかけで、のっぴきならない理由で、本作を作画することへの情熱が失われてしまったのかもしれない。
読者にそれを知るすべはない。
ともあれ、作画による丁寧なフォローや補足はされなくなり、ありし日の熱量は失われ、
原作がある意味むき出しとなった結果が、連載終盤のアイシールドともいえる。
読切でも、魔法は解けたままだった。
そのことが残念でならない。
長々と書いてきたが、ぶっちゃけ少し真面目に作品に相対していればこのくらいのことはいくらでも思い浮かぶはずと思う。
なのにお出しされてきたのは、
そういう出来栄えの読切だった。
これに関して「編集者何やってんだよ」という視座を欠くわけにはいかない。
読切をつくるとなって、まともな打ち合わせの一つもしなかったのか?
批判されている点は?
少しリサーチすれば情報や感想は玉石混交いくらでも掘り出せるはずだ。
それを作品化するとして、最良の形とは?
精査していればもう少しブレや迷走は防げたはずだ。
編集者は作画クオリティ面にまでは口出しできないかもしれない。
にしても、あきらかな作画のミスを校閲し指摘することはできるはずだ。
「どうせ手を抜いたって、愛がなくたって、ファンなら喜んでジャンプを買い、涙を流してありがたがるだろう」
と、作品の知名度にあぐらをかいた編集部によって読者全員がナメられていること、
それが記念読切から透けてみえてくることが、作品を愛読してきた者として慚愧にたえない。
期待は捨てているけれど、改めて言いたい。
そして少しでも反省したなら俺らに誠意を見せてくれ。
すなわち、ファンもアンチもぐうの音も出ずに拍手喝采してしまうような、素晴らしいクオリティに練り上げた「アイシールド21」短期集中連載とか企画してください。金とアンケートならいくらでも出します。わあわあ言うとりますが未だにアイシールド大好きなんです。よろしくお願いします。ほんとマジで。
2024年 1月27日 "寺沢勘太郎一家"巡業の旅 リターンズ@zepp Nagoya
9年前はダイホ、今回はzeepとちょっと規模アップして当日券も出てたから空席あるのかな?と思ったけど2階後方立ち見まで人が入っててびっくりした。指定席も1階後方立ち見も埋まってるし普通にチケット売れてるやん…。個人的にはめちゃくちゃ最高の席が当たったので嬉しかった。岩沢さん立ち位置側の席だったし。
5分押しぐらいでスタート。
最初は3人で出てきて9年前もやった(私は覚えてなかった笑)親父が一番偉いと思ってた〜って曲を。そこで自分の父親のエピソードを披露。呼人さん→勘太郎さん→岩沢さんの順で披露したんだけど、呼人さんはお父さんが朝、電気カミソリで髭を剃るんだけど古いから音が大きい&それを使ってる間テレビの画面がぐにゃぐにゃになるから朝ドラ(おしん)を観てるけど全然見えなくて終わるって話、勘太郎さんは家にテレビが来たけどスイッチを押せるのはお父さんだけ、ある日電気屋さんとお父さんがテレビの所であーでもないこーでもないといじってるのを見て壊れたのかな?と思って畳に寝転がって見てたらコンセントが抜けてるのが見えたって話で、偶然二人共テレビのエピソードで岩沢さんが「ふたりともテレビの話題で…昨日仰ってくれたら…」って話てたら勘太郎さんが「今考えれば?」って言ってて笑った。そう言われてちょっとタジタジな岩沢さん可愛い。昨日呼人さんが勘太郎さんがお父さんみたいなものって話から勘太郎さんの話をしたので勘太郎さんの話を用意してきたとの事で「ラッキーはハッピーからしかうまれない」って勘太郎さんの名言があるって話から何回も言ってたら勘太郎さんに「何回言うの?」って言われてて笑った。岩沢さんは愛煙家なので食事の席で勘太郎さんにタバコ吸って良いですか?って前に聞いたら快諾してもらえて、数年後にまた食事の時に吸って良いですか?って聞いたら「お前まだそんなもの吸ってるの?〇〇〇〇(岩沢さんも濁してた)吸えよ」って言われたけど…言えるか!との事笑 流石70歳…昔の世に生きた男よ…笑
正直、呼人さんの曲あまり知らないけど覚えてる曲だけ。パドックは競馬の品評?の事でそれを例えにした曲。何か女の人が男の人を品定めしてるみたいな歌詞だった…。馴染みの店、すごく良い曲。この歳になるとああいう曲にじーんとしてしまう。今回は呼人さんがベースを弾いてたので、バンドはドラム·ギター·キーボードの3人でした。ドラムの人は普段はキーボード弾いてるらしくドラムで呼ばれるのは呼人バンドぐらいとの事笑 それでもあんなに叩けるのかぁ…。プロってすごい(ド素人の感想)久しぶりに呼人さんの歌声聴いたけどちょっと癖抜けた?さらっとした歌い方になってた。
2番手と言うかバンドのメンバーが一旦捌けて岩沢さんが呼び込まれる。9割方ゆずのファンだとは思ってはいたけど、歓声がすごい笑 ちょっと露骨過ぎませんか…?呼人さんが岩沢さんに沢山喋らそうとするの面白いしそれを何とか回避して早く曲に行こうとする岩沢さんの攻防がすごい笑 9年振りに集まったけど、ずっとまたやりたいですねって話してはいたがスケジュールの関係とかで中々出来なかったって話から呼人さんが岩沢さんは意外と暇なのでは?って言ってて、ミュージシャンの呑み友達とか出来たの?って聞いたら「呼人さんと勘太郎さんですかね」って言われたって笑ってて、岩沢さんも友達というか先輩ですから!と。岩沢さんも「(自分って)普段何してるんでしょうね〜」って話てたけどこれだけ売れて第一線を走り続けてるのに基本的にスタンスが変わらないの本当不思議なんだよなぁ…。そこが好きな所だけど。あとは新幹線の徐行運転が気持ち良いって話で普段乗り物で寝ない岩沢さんも寝そうになったらしい。頑張って喋ってる岩沢さん可愛い。今回の選曲は呼人さんがやりたい曲をリストにして送った中から岩沢さんが選別したとの事だったけど、本当に呼人さんと趣味が合う。めちゃくちゃ良い選曲ばかりで内心叫びまくっていた笑
1曲目は方程式2。ここから3曲は呼人さんベース&歌で参加。読み方は方程式「ツー」ではなく「に」。そして方程式1もあるけど覚えてないとの事笑 コード進行はほぼ同じらしい。方程式2って本当に久しぶりに聴いたな!!始まった瞬間声上げそうになった。ゆずのライブじゃ滅多に聴けない(モラスのツアーで聴いたと思ったけど調べたらやってなかった!笑 もしや生で聴くの初めてだったかも…!!秋(音)学旅行ツアーではやらなかった…よね??)ので嬉しい。これだけでも9000円元取れた気がした…笑
2曲目はぼんやり光の城。これもめちゃくちゃ久しぶりに聴いた!!サビの部分がすごく好きで聴けて嬉しい…。美しいミックスボイスが最高なのよ…。しかし方程式2でも思ったけど北川さんが歌ってる所も岩沢さんが歌ってるの不思議な感じと言うか自然と頭の中で北川さんが歌ってる感じが流れる…。長い事ゆずっ子やってきたのでもう刷り込まれてるんだなぁ…。ぼんやり光の城は呼人さんの大好きな曲らしく、岩沢さんを褒めちぎっていたら岩沢さんが照れまくってモジモジしたて笑う。照れ過ぎて呼人さんの褒め言葉を茶化してたら呼人さんに「茶化すな!笑」って怒られて「すみません…笑」って苦笑してる岩沢さんが岩沢さん過ぎる。
ここだったか忘れたけど呼人さんの曲、日々平安をやった。岩沢さんが5年前、出る予定じゃなかった呼人さん誕生祭@城ホに一人で来てくれて歌った曲。岩沢さんがやらないんすか?って聞いてくれたのでやる事にしたとの事。
3曲目はからっぽ。大阪では灰皿の上からだったらしく選曲が良すぎる…。からっぽ大好きなので嬉しい〜!!頭の中でからっぽのPV(あえて)が流れた…笑 本当に伸びる美しい声と美しいハープが最高…。
4曲目と5曲目はぼっちにされて「一人ぼっちになっちゃった…笑」とエヘエヘ笑ってる岩沢さん。本当に27年ぐらい表舞台でやってる人とは思えないあわあわ感…笑
一人で心細いのでお手を拝借との事で足と手でWe Will Rock Youのリズムを刻んで〜と言われて皆やってたけどあれタイミングはかって入るの難しくないのかな?私はやりたくなくてやりませんでした…。やりたくない事はやらない主義を貫いてるので…。
4曲目は3番線。大阪は一っ端だったらしい。3番線の頃私はゆずにどハマリしてる期間だったので頭にあのオレンジのツナギが浮かんだ…。こう聴くとしみじみ良い曲だなぁ。
5曲目は春風。岩沢さんフルの春風贅沢過ぎる!!!出だしのギターの美しさ、サビのミックスボイス…聞き逃がさない様にじっと聴き入った…。ライブ音源出して欲しい。お願いします。
勘太郎さんを呼び込んで勘太郎さんへバトンタッチ。勘太郎さんが岩沢厚治さん…好きです…って言っててきゅんとする。素晴らしいですねと褒められて関係ない私も嬉しい。最初は歌無しのギター一本の演奏だったんだけど、めちゃくちゃ良い音で演奏もカッコ良すぎ…何て贅沢時間なんだろう…としみじみ。昔はライブの時にずっとチューニングしてた(多分〇〇の影響だと思われる)とか危ういMCもありつつ、憂歌団の曲と2曲ぐらい歌ったらまた呼人さんと岩沢さんとバンドメンバーが合流。勘太郎さんの時間短くない!?と思ったけど70歳だし無理しない感じなのかもしれないな…と思う。個人的にはもうちょい聴きたかったけど9割方ゆずっ子だと思われる客層には丁度良かったかも…笑
こーちゃーんって言われて岩沢さんが「今日はお前の為に歌ってやるよ」って言って悲鳴があがる笑 CHABOさんの真似だそう。一回言ってみたかったんだよね〜笑 との事。CHABOさんそんな事ライブで言ってるの?お洒落過ぎんか!?
バンドメンバー含め全員での演奏でヒーロー見参。ここでもゆずの曲やるんだ!?とびっくり。めちゃくちゃ岩沢さん中心のライブじゃない…?9年前はそんなでもなかった記憶があるんだけど…。まぁゆずっ子には嬉しい展開ではあるけど…。この曲もライブの演出が頭に浮かんだ笑 DJ北川。純然たるバンドサウンドだとまた違った聴こえ方でカッコよかった。
順番どうだったか忘れたけど、呼人さんの曲、酔いどれ天使もやった。この曲、岩沢さんの事では!?みたいに言われてたのを思い出した…笑 天使は流石に無理がある笑
岩沢さんの「今日は何曜日ですか〜?」の下りに「月曜日!」って答えてる人がいて笑った。この下りは勘太郎さんのチューニング待ちの為にやってるとの事笑 本当にゆずっ子だったのか!?と思われると思うけど月曜日の週末って岩沢さんの曲だっけ…?と一瞬考えてしまった。良く考えたらタイトルからして岩沢さんだよね…笑 ゆずのライブは2021年以降行ってないので久しぶりに聴いた。
憂歌団のおそうじオバチャン、9年前もやってなかったっけ??パンツの下りを岩沢さんが歌わされてるの面白い。一番恥ずかしい所は呼人さんが歌わされてた笑
さっさと感想かかなかったので記憶が薄れてて思い出せないけどアンコールもあって楽しかった(無理矢理〆る)もしまたあるならもうちょい感覚狹めてやって欲しい…笑
今回思ったのはやっぱり私は岩沢さんの歌や曲が好きだし、岩沢さんのハープが本当に好きだ!!!あれがゆずから(ほぼ)消え去ったのは本当に悲し過ぎる…。あとゆずのライブで岩沢曲やる率低くない…?今はそうでもないのかな?もっと沢山聴けるんならゆずのライブ行きたいんだけどな…。
重曹ちゃんこと有馬かなは「子役時代は売れていたが天狗になって干された女優」というキャラで
彼女の造詣にあたり作者は「未就学児の頃は売れていたが、今は干されて滅多にテレビにでも出れずマイナー舞台とバイトで食ってる女優」の春名風花ことはるかぜちゃんにインタビューをした
はるかぜちゃんは声優でもあるが、アニメ化で重曹ちゃんの役はもらえなかった
そして実写化も決まったが、そちらでもはるかぜちゃんは重曹役はもらえず
はるかぜちゃんとママは「実写重曹ははるかぜちゃんがよかった」というツイートをリツイートしまくり、「舞台化したら今度こそはるかぜちゃん」とアピール
https://twitter.com/info_amagoi/status/1749940357339676902
https://twitter.com/info_amagoi/status/1750022988702024109
https://twitter.com/info_amagoi/status/1750024103820701882
「こどものおもちゃ」の主人公役や夢見りあむクレクレしてたころと同じムーブ
馬鹿な信者が勝手に脳内キャスティング披露するのと同じノリで本人や母親がやるのは痛いんよ
推しの子には思い入れないから本当にこいつが来て阿鼻叫喚になっても面白そうではあるけど
こどものおもちゃ欲しがってた頃の取り巻きがだいぶ消えて、役を射止めた子がバッシングされるような空気がなくなっただけ良かった
ワインスタイン事件は「性暴力」の刑事立件だったけど、松本も同じでしょ。刑事にならない理由は「ジャップ司法の立ち遅れ」ってだけだし。
それとも何かね? 権威が「立身した分野以外でも」のさばってる方がいいのかい?
低学歴コメディアンごときが、偉そうに「市井のご意見番」やってるジャップランドの文化知性の低さの方がシロンボ欧米列強(笑)に恥ずかしいんじゃねぇの?アキバのエロゲポルノ広告よりさ。
なんでかって?エロCMは別に権威じゃねぇけど、低学歴低能コメディアンがメディアで「知性(笑)」を披露しており、それが「権威化」してるのはジャップランドぐらいだろ。
権威はあらゆる方面から「知性をもって」批判されるのが筋だし、それに「指摘には能わない」なんて雑魚否定しているのはジャップランドやシナ、レッドネック共の赤いところだけだぞ。
最近、我が老境において、喜びの種となりつつあるのは、ビックバンセオリーを眺めることでござる。
インテリ気取りのオタクの愚痴っぽい振る舞いが、滑稽さを誘い出し、わが老眼に微笑みをもたらす次第である。
シェルドンなる輩は、ひも理論の奥深さに耽溺し、しかもデニスキムの出現以来、中東問題解決と称して、何やら意味不明な提案を披露し、微妙に差別的な言葉も交えておる。
年を重ねても理解に苦しむ世の謎は尽きることなく、これが老いというものかと、我が老いびれた心に感じ入りたり。
さて、余は昔より数学の魅力に惹かれ続けてまいりました。
あまりにも純粋な数学よりも、応用数学の方が余には心地よいものでござる。
したがって、利潤を最大化させんが為に必要な推薦システムの機巧に興味を抱く次第でござる。
ユーザー、プロバイダー、システムの三者関係を形式化し、マルチステークホルダー問題として考察すれば、トレードオフの難しさが浮かび上がってくる。
システムの運用を最適化すればするほど、マッチングの機会均等性が損なわれるという難しい事態が生じる次第でござる。
この機会均等の欠如が引き起こす長期的な悪影響として、プロバイダーの離脱が挙げられる。
しかしながら、絶妙な場合では単価競争が巧みに行われ、我が利益も増進するであろう。
サービスの価値が低ければ低いほど、プロバイダー離脱の危機が高まる。
なぜなら、サービスそのものが他社と競争しており、「そんなに高いなら他のところへ行きます」との言葉が飛び交うのでござる。
故に、効用だけでなく、公平性も見逃すべからざる重要な要素となる次第でござる。
話は変わり、老齢においても脳の活性化を促す趣味を模索しておる次第でござる。
何よりも自分が楽しむことが第一であるが、たとえばチェスとヨガを比較し、どちらがボケを防ぐに効果的かを考察せざるを得まい。
多くのエビデンスが示す通り、運動は脳の活性化に寄与するものである。
まあ、美しいお尻を手に入れることを目指してみるのも悪くはないかもしれぬな。
Liella!5th福岡ライブにおいて、Starlight Prologを始めとしたアニメ1期曲の11人披露で再び1期生5人原理主義者と現行Liella!推しラブライバー(以下リエライバーと称す)が議論する炎上が起こった。
筆者はラブライブ!スーパースター!!を視聴し、その感動に浸り、1stライブまで見に行き2期生が来ると知ってLiella!を去った5人原理主義の1人だ。アニメは一応2期も視聴済だが、到底話したくない内容だ。もちろん今回のセトリにはいろいろ思うところがある。ただ、今回の炎上で5人原理主義者を叩くリエライバーの内容を見るとあまりにも屁理屈が多くて頭を抱えてしまったところではある。なので代表面をする訳では無いが、5人原理主義者は何も考え無しに批判している訳ではないと伝えるため、今回はてな匿名ダイアリーを利用し1人の原理主義者としての考え、主観をここに記すことにした。匿名にした理由は筆者個人の都合及び(筆者の仲良い人との)トラブル防止としていることをご理解いただきたい。
まず始めに筆者は全てのラブライブ!シリーズをアニメを主体として評価、或いは批判している。それはアニメ自体もそうだがライブでも同様に鑑賞している。今回話すことの大半はアニメを主題としていることを理解いただきたい。また原理主義者であると記したが、11人でLiella!という現状は概ね理解している。なので5人でLiella!という絶対的な主観までは持ち合わせていないことを伝えておく。しかし筆者の中での最高傑作はもちろんアニメ1期であり、5人のLiella!を原点として考えている。逆に現行の9人、11人体制発表には酷く幻滅した。結局私が見たアニメ1期は何だったのかと。5人でもラブライブ!という証明がアニメをもって発表されたにも関わらず結局人を増やしますと言われて「そうなんですね!続きも期待してます!」にはならない。筆者は「5人で物語が続く」と思っていたから。ただ決まってしまったものは仕方ないので、せめてアニメ2期や次回ライブで1期の曲は5人でこそ...と思った結果があのザマである。雑なシナリオ、不憫なキャラの描かれ方、アニメ1期で得た感動を全て雑にして返されたようなものだ。そして挙句の果てにはその都度行われた9人ライブでかつて披露された5人の曲を歌い始めたのだ。ここら辺については語ると物凄く長くなってしまうので省略するが。
せめて、1期公開前に最終的にLiella!は11人になりますという示唆があればそれを受け入れて1期を見れただろう。もちろん1期最終話のラブライブ!敗北の味が薄くなってはしまうが、次が来るということの心の準備はできていた。その示唆さえなくあの神作品ができてしまえば、5人でLiella!という価値観として結ばれるしあとから人増やしますねと言われても納得が行くわけが無い。最初から言ってほしかった。要するに、私が見たアニメ1期を返してほしい、続けていくのであればアニメ1期のストーリーや曲の思い出を大切にしてほしいというのが筆者なりの原理主義に基づく考えだ。
さて、筆者個人の考えはここまでとし本題の炎上の方に入る。単刀直入に言えば、現リエライバーの擁護があまりにも屁理屈すぎて説得力に欠けていた。様々な意見を見たが、特に「虹ヶ咲は12人で歌ってるじゃん」「異次元フェスでスノハレアイマスが歌ったじゃん」「キャストが傷つく、キャストはMCでこう言っていたじゃないか」という主張を多く見受けた。それぞれの意見について筆者の見解は下記の通りだ。
・虹ヶ咲は12人で歌ってるじゃん→アニメ1期の曲は12人で歌ってないけど?
虹ヶ咲1期で披露されたアニメ曲はソロを除きOPの虹色Passions!、EDのNEO SKY NEO MAP、13話披露曲の夢がここからはじまるよの3曲になるがどれも9人でないし当時のメンバー及び9人で歌っている(後述するが異次元フェスは例外とする)。R3BIRTHの3人は上記3曲を1度も歌っていないしまして初披露となる4th大阪1日目で虹パが披露された時はちゃんと9人(楠木ともりは病のため不登壇だったが)で歌った。アニメを主体として批判しているので前期曲を歌っていないR3BIRTH3人組を含めた12人の虹ヶ咲と、前期曲を歌った11人のLiella!では引き合いに出せない。まあそもそも虹ヶ咲がラブライブ!とは似て非なる番外編ということを割り切っているからというのもあるが。
・異次元フェスでスノハレアイマス歌ったじゃん→スパスタ!!のアニメを主体にした批判で他コンテンツを引き合いに出す脳みそを持つ人間がラブライブ!コンテンツにいることに戦慄している。異次元フェスはアイドルマスターとの「コンテンツ間におけるコラボレーション」としてのライブなのでアニメを主軸として鑑賞はしなかった。それこそアイマスキャラ含めた虹色Passions!、私のsymphonyをやったが原理主義の感情が出てくるほど嫌とは感じなかった。
・キャストが悲しむ、キャストのMCを聞かなかったのか→筆者が1番この意見に苛立ちを覚えた。そもそも声優のことについて批判していないしどちらかというと対運営を中心とした意見なのになぜ声優が悲しむことになるのか意味が分からない。むしろお前らが批判ツイートをみて中傷した感情を声優に置き換えているだけでは?
MCに関しても正直何も言われたところで考えを改めるつもりはない。今回の福岡ライブで「11人でLiella!です」と伊達氏は話したそうだが11人である事実を再認識するとしても5人原理主義の考えを改めるきっかけにはならない。擁護や反対の主張をするにあたって声優を盾にする行為はそれこそ声優方に対して失礼ではないだろうか。万一声優方から似たような声明があったとしても、声優に対しての批判ではないのでそれで発言を控えようとは思わないが。
繰り返すが、筆者は作品の在り方を問われるようなセールスを行っている運営らを対象に批判しているので声優個人個人の批判は一言も発していない。むしろ筆者の中で声優方の評価は高い方なので尚更批判する箇所が皆無に等しい。故に、運営を批判する=声優が悲しむという流れは全く理解ができないので擁護派が言うキャストが悲しむからやめろという問いかけには一切応じない。もし仮に本当だとしてもそれは大変申し訳ないが声優方の解釈や考え方に問題があるとしか言い様がない。つまり自分自身の問題なので筆者を含め上記のような批判発言をしている方々に責任はない。むしろ、勝手に自分のことを言っていると解釈違いされた人達が不憫だ。ハッキリ言ってしまえば、悲しむなら勝手に悲しんでくれ。
こんなことをいうとそれでもファンか?と思い始める人が出てくると思うので予め言っておくが筆者はもうLiella!から離れている。1stライブ以降9人での姿を見たのは2023年のブシロックが初であり11人は異次元フェスが初。もう単独に行こうとする気力すら起こらない。ただ応援しているコンテンツを提供する会社の運営や営業方針を肯定するイエスマンになることがファンであるという考えを持っているリエライバーは今すぐその考えを捨てるべきだ。だから全肯定だの脳死オタクだの散々バカにされる。バカにされてムカつくというツイートも見たがそういうイエスマンたちは反対派の意見をしっかり読み理解しているのだろうか。筆者からすれば全くそうは見えないのでめちゃくちゃバカにしている。
ではLiella!から離れたのになぜLiella!を批判するのか?それはたまたま目に入ったからにすぎない。テレビをつけたら酷いプレーをするテニスの選手をボロクソに叩くことに近い。荷物を頼んでいて時間通りに来なかった時に「なんで遅いんだ、もっと早く来れるだろ」と吐くことに近い。金を払っていようがいまいが批判する権利というのは誰にでも存在する。だからこそ「在宅お気持ちはありえない」という主張に筆者は賛同しない。自分が行った現場で似たような在宅お気持ちを見ても筆者はそれに対して金を払ってないくせに文句を言うなという気持ちにもならない。
今回の炎上で筆者を始めとした5人主義を批判している現リエライバーはキャストとして応援している傾向があると感じた。だからこそキャストが悲しむようなことを言うなとかって出てくるんだろうけど。
また上記の主張を含め、5人で歌うことの意味を自問自答している人はいなく9人或いは11人として評価しているリエライバーが大半であった。筆者のような5人原理主義者を「過去に捕われている人」として嘲笑しているリエライバーもいた。要するに筆者ら5人原理主義の主張に同意ないし尊重するリエライバーは極小数であった。もちろん筆者は過去に捕われている。このLiella!に関してはずっと過去に拘っている。ただ過去に囚われている事が間違いだと主張するのであればそれは違う。
他のアニメ作品でいうと、イナズマイレブンがそれにあたる。前者アレスの天秤、オリオンの刻印は過去作イナイレを凌駕できず散々の言われようであった(ここら辺はアニメ2期を批評するブログにも記載していたので詳細は省略)。その2作品に対しての感想の大半は「前の方が良かった」と。
今のLiella!もといスーパースター!!はイナイレと近い道を辿っている。余程のことがない限り"今"が前より酷ければ人は"前"を好む。イナイレもそうだしスパスタ!!もそうだし。それは見た当時に受けた"良かったという感情"を同じ作品の続きて壊されたからだ。筆者はその余程という部分に捕われて過去にしがみついている。だからあの頃の自分の好きだった5人は9人、11人となり5人で歌う姿はもう見られないという現実を受け入れても筆者の中では5人のLiella!が1番最高だ。
Liella!5th福岡ライブにおいて、Starlight Prologを始めとしたアニメ1期曲の11人披露で再び1期生5人原理主義者と現行Liella!推しラブライバー(以下リエライバーと称す)が議論する炎上が起こった。
筆者はラブライブ!スーパースター!!を視聴し、その感動に浸り、1stライブまで見に行き2期生が来ると知ってLiella!を去った5人原理主義の1人だ。アニメは一応2期も視聴済だが、到底話したくない内容だ。もちろん今回のセトリにはいろいろ思うところがある。ただ、今回の炎上で5人原理主義者を叩くリエライバーの内容を見るとあまりにも屁理屈が多くて頭を抱えてしまったところではある。なので代表面をする訳では無いが、5人原理主義者は何も考え無しに批判している訳ではないと伝えるため、今回はてな匿名ダイアリーを利用し1人の原理主義者としての考え、主観をここに記すことにした。匿名にした理由は筆者個人の都合及び(筆者の仲良い人との)トラブル防止としていることをご理解いただきたい。
まず始めに筆者は全てのラブライブ!シリーズをアニメを主体として評価、或いは批判している。それはアニメ自体もそうだがライブでも同様に鑑賞している。今回話すことの大半はアニメを主題としていることを理解いただきたい。また原理主義者であると記したが、11人でLiella!という現状は概ね理解している。なので5人でLiella!という絶対的な主観までは持ち合わせていないことを伝えておく。しかし筆者の中での最高傑作はもちろんアニメ1期であり、5人のLiella!を原点として考えている。逆に現行の9人、11人体制発表には酷く幻滅した。結局私が見たアニメ1期は何だったのかと。5人でもラブライブ!という証明がアニメをもって発表されたにも関わらず結局人を増やしますと言われて「そうなんですね!続きも期待してます!」にはならない。筆者は「5人で物語が続く」と思っていたから。ただ決まってしまったものは仕方ないので、せめてアニメ2期や次回ライブで1期の曲は5人でこそ...と思った結果があのザマである。雑なシナリオ、不憫なキャラの描かれ方、アニメ1期で得た感動を全て雑にして返されたようなものだ。そして挙句の果てにはその都度行われた9人ライブでかつて披露された5人の曲を歌い始めたのだ。ここら辺については語ると物凄く長くなってしまうので省略するが。
せめて、1期公開前に最終的にLiella!は11人になりますという示唆があればそれを受け入れて1期を見れただろう。もちろん1期最終話のラブライブ!敗北の味が薄くなってはしまうが、次が来るということの心の準備はできていた。その示唆さえなくあの神作品ができてしまえば、5人でLiella!という価値観として結ばれるしあとから人増やしますねと言われても納得が行くわけが無い。最初から言ってほしかった。要するに、私が見たアニメ1期を返してほしい、続けていくのであればアニメ1期のストーリーや曲の思い出を大切にしてほしいというのが筆者なりの原理主義に基づく考えだ。
さて、筆者個人の考えはここまでとし本題の炎上の方に入る。単刀直入に言えば、現リエライバーの擁護があまりにも屁理屈すぎて説得力に欠けていた。様々な意見を見たが、特に「虹ヶ咲は12人で歌ってるじゃん」「異次元フェスでスノハレアイマスが歌ったじゃん」「キャストが傷つく、キャストはMCでこう言っていたじゃないか」という主張を多く見受けた。それぞれの意見について筆者の見解は下記の通りだ。
・虹ヶ咲は12人で歌ってるじゃん→アニメ1期の曲は12人で歌ってないけど?
虹ヶ咲1期で披露されたアニメ曲はソロを除きOPの虹色Passions!、EDのNEO SKY NEO MAP、13話披露曲の夢がここからはじまるよの3曲になるがどれも9人でないし当時のメンバー及び9人で歌っている(後述するが異次元フェスは例外とする)。R3BIRTHの3人は上記3曲を1度も歌っていないしまして初披露となる4th大阪1日目で虹パが披露された時はちゃんと9人(楠木ともりは病のため不登壇だったが)で歌った。アニメを主体として批判しているので前期曲を歌っていないR3BIRTH3人組を含めた12人の虹ヶ咲と、前期曲を歌った11人のLiella!では引き合いに出せない。まあそもそも虹ヶ咲がラブライブ!とは似て非なる番外編ということを割り切っているからというのもあるが。
・異次元フェスでスノハレアイマス歌ったじゃん→スパスタ!!のアニメを主体にした批判で他コンテンツを引き合いに出す脳みそを持つ人間がラブライブ!コンテンツにいることに戦慄している。異次元フェスはアイドルマスターとの「コンテンツ間におけるコラボレーション」としてのライブなのでアニメを主軸として鑑賞はしなかった。それこそアイマスキャラ含めた虹色Passions!、私のsymphonyをやったが原理主義の感情が出てくるほど嫌とは感じなかった。
・キャストが悲しむ、キャストのMCを聞かなかったのか→筆者が1番この意見に苛立ちを覚えた。そもそも声優のことについて批判していないしどちらかというと対運営を中心とした意見なのになぜ声優が悲しむことになるのか意味が分からない。むしろお前らが批判ツイートをみて中傷した感情を声優に置き換えているだけでは?
MCに関しても正直何も言われたところで考えを改めるつもりはない。今回の福岡ライブで「11人でLiella!です」と伊達氏は話したそうだが11人である事実を再認識するとしても5人原理主義の考えを改めるきっかけにはならない。擁護や反対の主張をするにあたって声優を盾にする行為はそれこそ声優方に対して失礼ではないだろうか。万一声優方から似たような声明があったとしても、声優に対しての批判ではないのでそれで発言を控えようとは思わないが。
繰り返すが、筆者は作品の在り方を問われるようなセールスを行っている運営らを対象に批判しているので声優個人個人の批判は一言も発していない。むしろ筆者の中で声優方の評価は高い方なので尚更批判する箇所が皆無に等しい。故に、運営を批判する=声優が悲しむという流れは全く理解ができないので擁護派が言うキャストが悲しむからやめろという問いかけには一切応じない。もし仮に本当だとしてもそれは大変申し訳ないが声優方の解釈や考え方に問題があるとしか言い様がない。つまり自分自身の問題なので筆者を含め上記のような批判発言をしている方々に責任はない。むしろ、勝手に自分のことを言っていると解釈違いされた人達が不憫だ。ハッキリ言ってしまえば、悲しむなら勝手に悲しんでくれ。
こんなことをいうとそれでもファンか?と思い始める人が出てくると思うので予め言っておくが筆者はもうLiella!から離れている。1stライブ以降9人での姿を見たのは2023年のブシロックが初であり11人は異次元フェスが初。もう単独に行こうとする気力すら起こらない。ただ応援しているコンテンツを提供する会社の運営や営業方針を肯定するイエスマンになることがファンであるという考えを持っているリエライバーは今すぐその考えを捨てるべきだ。だから全肯定だの脳死オタクだの散々バカにされる。バカにされてムカつくというツイートも見たがそういうイエスマンたちは反対派の意見をしっかり読み理解しているのだろうか。筆者からすれば全くそうは見えないのでめちゃくちゃバカにしている。
ではLiella!から離れたのになぜLiella!を批判するのか?それはたまたま目に入ったからにすぎない。テレビをつけたら酷いプレーをするテニスの選手をボロクソに叩くことに近い。荷物を頼んでいて時間通りに来なかった時に「なんで遅いんだ、もっと早く来れるだろ」と吐くことに近い。金を払っていようがいまいが批判する権利というのは誰にでも存在する。だからこそ「在宅お気持ちはありえない」という主張に筆者は賛同しない。自分が行った現場で似たような在宅お気持ちを見ても筆者はそれに対して金を払ってないくせに文句を言うなという気持ちにもならない。
今回の炎上で筆者を始めとした5人主義を批判している現リエライバーはキャストとして応援している傾向があると感じた。だからこそキャストが悲しむようなことを言うなとかって出てくるんだろうけど。
また上記の主張を含め、5人で歌うことの意味を自問自答している人はいなく9人或いは11人として評価しているリエライバーが大半であった。筆者のような5人原理主義者を「過去に捕われている人」として嘲笑しているリエライバーもいた。要するに筆者ら5人原理主義の主張に同意ないし尊重するリエライバーは極小数であった。もちろん筆者は過去に捕われている。このLiella!に関してはずっと過去に拘っている。ただ過去に囚われている事が間違いだと主張するのであればそれは違う。
他のアニメ作品でいうと、イナズマイレブンがそれにあたる。前者アレスの天秤、オリオンの刻印は過去作イナイレを凌駕できず散々の言われようであった(ここら辺はアニメ2期を批評するブログにも記載していたので詳細は省略)。その2作品に対しての感想の大半は「前の方が良かった」と。
今のLiella!もといスーパースター!!はイナイレと近い道を辿っている。余程のことがない限り"今"が前より酷ければ人は"前"を好む。イナイレもそうだしスパスタ!!もそうだし。それは見た当時に受けた"良かったという感情"を同じ作品の続きて壊されたからだ。筆者はその余程という部分に捕われて過去にしがみついている。だからあの頃の自分の好きだった5人は9人、11人となり5人で歌う姿はもう見られないという現実を受け入れても筆者の中では5人のLiella!が1番最高だ。
芸人が面白いことやって客がどっとウケる……そういうの昭和的じゃないか?見世物感が強すぎる。
令和のお笑いは誰も反応しないの。客の反応につられて面白い気分になったりしない。場を暖めるとかない。
アスペには笑いどころの理解が難しくなるかもしれないが、それでいい。
笑うところは人それぞれ。理解もそれぞれ。
遠隔地にいる我々がそれをフラットに受け止める。
本来、芸能っていうのは、第四の壁があるのが標準のはずなんだ。
でもお笑いは、観客によるリアクションの声や客いじりという形で常習的に壁をやぶっている。特に漫才。
コントは演劇に近いので壁を守ることが多いが、そういうのでいいんだよ。
高尚なテーマ性ゆえに壁を破ってくる演劇ならともかく、漫才で壁をやぶってこられるのは時として不快ですらあるだろう。
いいんだよ。世界が分かたれていて。分かたれているからこそ、下卑た大衆的な笑いというのもやりやすくなる。
違うだろうか。
「屋根裏部屋の花たち」のwikipedia、映画中心で描いてて原作やらドラマ化について全然書いてない
そのうち加筆しようと思うけどちゃんと調べるため読み返すのもなかなかだるい
そのうち誰か書いてくれるかもしれんが
・ざっくりネタバレあらすじ
普通に幸せに暮らしてた両親+4人兄弟が、父親の死によって金無し貧乏になり、母の実家に戻ることになる
実は父母は、「叔父と姪」という許されざる関係の末に駆け落ち結婚していた
しかも叔父は不倫によってできた忌まわしき婚外子のため、祖父(主人公の/母の父にして父の兄)はガチのマジで二人の関係にいまだに激怒してる
大富豪である祖父は今病気で死にかけており、死ねば遺産を相続できる
死ぬのを待ち、母は4人兄弟を屋根裏部屋にしばらく隠す(祖母や一部の使用人は4人のことを知っており、食事など運ぶ)
祖父は帰ってきた母を喜んで受け入れ、「あんな男と結ばれていたのは許せないが、近親相姦の子をつくるという禁忌までは犯していなくてよかった」と喜んだ
兄弟らは母が外に出してくれるのをじっと待ち続けていたが、母は豪奢な実家での暮らしに「ここが本来私のいるべきところだわ~」と浮かれ、次第に子供のことなんかどうでもよくなる
祖父がようやく死んでフリーになっても、子供たちにまだ生きていると嘘をついて屋根裏に閉じ込め、新しい恋をしてそちらに夢中に
外から隔離された生活の中で長男と長女は同世代の異性が他にはいないからと近親相姦してしまう
やがて末っ子が病気になり、必死に手当するも医者にも見てもらえない中で死亡
その後シリーズ化し、外の世界でバレエやったり医者目指したり、他の相手と恋愛するも結局長男と長女は夫妻になったりする
原作では、美貌に自信があり年頃になったら恋愛したりしたいわ~と憧れていた長女が、そんなことできない屋根裏部屋の生活に不満を持つ
無邪気を装って、女性的になっていく自らの下着姿を兄に披露し、兄が恥じらう顔を見て「私ってやっぱり女として魅力あるよねー」と自尊心を満たしたりしていた
兄は長女にむらむらしまくるが妹相手なのでがんばってまともな兄のふりをしているが、同年代の子は普通に学校に行けてる時期にまともに学べないストレスなどでだいぶ精神をやられている
しかし長女の方も散々兄をたぶらかす振る舞いをして追い詰めていた自覚はあったので、互いに許し合う
この時点で兄17で妹15ぐらいだっけな?もっと前後してるかもしれない
映画では近親相姦設定展開はカットされ、普通に仲のいい励まし合う兄と妹
M-1グランプリでの漫才の歴史は松本以前、以後に分かれるの惹句は盛りすぎ。ダウンタウンの漫才はさほど斬新でもそこまで面白くもなかった(勿論、新春ヒットパレードの外ロケで披露した2分間漫才を初見の所ジョージが絶賛するほどの力量はあった)。彼らの醍醐味はコントでより発揮される。「半笑い」という言葉に代表される日常のエアポケット、気まずい空気を言語化、表現(芝居)で笑いに昇華した。(ドリフやとんねるずのような)大掛かりな、特異な設定に頼らず飛翔と着地をやすやすと熟す。華丸大吉はごく初期の妖精コントに衝撃を受けて笑いを目指したという。斬新な世界観を伝えるためのメジャーリーガーのような細かな調整、テクニックを重視したコンビでもあった。中川家が一般人ものまね(新聞勧誘員の夫と行動を共にする妻)を初披露した時(明石家マンション物語)、その目新しさ、完成度に共演の有田上田、土田らは文字通り震え上がったのだが、さんまはこんなものは全国ネットで通用する芸ではないとクスリともしなかった(後にさんまが中川家に夢中になるのはご存知の通り)。ダウンタウンは修業時代にたまに花月の舞台に立ち、団体客のおっちゃんおばちゃんを爆笑させていたという。初見を独自世界に導く技術を備えていたのだ。さんま紳助巨人、上沼恵美子が初見で才能を見抜いたというが殊更自慢するような話ではないだろう。
ダウンタウンがいなくても(或いは当初の予定通り松竹入りしていたら)サンドウィッチマンや猿岩石、霜降り明星、トゥナイトは存在しても、バナナマンや日社など後続のNSC出身者は世に出れなかったかもしれない。「日本のお笑いの歴史は松本人志以前、以後に分かれる」は決して過言ではないのだ。
最近でも「キングオブコントの会」でオオボケ枠だった東京03豊本を進行役、ツッコミ役で機能させ、ライス関町の存在自体をフューチャーするといった見事な手腕を見せた。
増田が初めて彼らの才に舌を巻いたのはNHKが東西の若手を集め、お題で即興漫才をするコーナーで披露した漫才コント。浜田がトラックドライバー、松本は夜道に佇む怪しげな女という設定。僅か一分あまりの漫才が二本。その斬新さ、面白さ、完成度は同じ若手は勿論、ゲストの先輩芸人もおそらく、一手も間違いがない、将来は貴方のライバルとなると大山康晴が断言した羽生善治少年を見る谷川浩司の心境だったと思われる。
とりとめもなく長々と書いたが「一人ごっつ」まで視聴していた浅田彰(今年は眼鏡が流行る)あたりが解説、言語化してくれたらなあと思う。
とりあえず、これを見てください。
Hey! Say! JUMP - 震災復興支援パフォーマンス - ヒカリサス
https://youtu.be/kK_ByPA08Hw?si=DKEFTKRTlklroul6
この動画は1/1に起きた能登半島地震の復興支援のために作られています。
動画の説明には記載されていませんが、この動画の収益はすべて義援金に寄付されます。
貴方が聞いてくれた一回分の収益も寄付されています。ありがとうございます。
普段言語化が得意ではないタイプなので、読みづらいところもあるかもしれませんが、よかったら最後まで読んでください。
この動画はライブツアー公演後を使って、動画用に収録した音源を使っています。
公開が1/10なので、10日弱で、企画から公開までやってくれています。
まず、楽曲「ヒカリサス」は今回のライブツアーでは歌われていないものです。
楽曲は2020年のシングルのカップリングなので、テレビ披露もされたことがなく、ファン以外はほとんど知らない曲です。
でも、今回の震災復興支援にぴったり合うと選んで歌ってくれています。
Cメロの「暗い足下~」のところなど、被災経験のない私もはっとさせられました。
次に演出。
まさに、暗闇の中の一筋の「光」。
メインステージの特大ディスプレイには星空のような映像が、その上のライブロゴの電飾は邪魔にならないように白色で、
客席側にある大きな風船(ボール)は下にスタッフがいて一つ一つ操作しています。
ドームの真ん中のステージは可動式でライブ終了時はメインステージのところにあったものを移動させています。
さらに、この白い衣装は今回のライブツアーで使われているものですが、公演のラストはライブTシャツとピンクのパンツなので、改めて着替えてきています。
動画の撮影は震災の1週間後の週末。その1週間の間に使えるものをすべて使っていて、この動画を撮ってくれています。
ただ撮っただけじゃなくて、スタッフ総動員でやってくれていることが伝わってきます。
最後に、歌と表情。
既存CDに収録されたカップリング曲なので、CD音源はありますが、聞き比べると、その時よりも優しく力強く歌ってくれています。
環境もあるかもしれませんが、生歌感が強い分気持ちがとてもよく籠っているように感じられて嬉しいです。
動画冒頭は真面目な顔をしているメンバーが多いんですが、後半に行くにつれてドンドン明るくなっていきます。
この曲を聞いたら、みんな笑顔になれるってそういうふうに作ってくれてるんだと感じます。
サビでは笑顔のメンバーもCメロは笑顔が消えて真剣というよりは苦しい人に寄り添った表情に。
Cメロ、「♪暗い足下 怖かったよね ~」で、ぐっと寄り添うような声色。二人とも、ほとんどカメラの方を見ていません。
その直後の「僕がいるから 逃げなくていい」は、一気に力強く支えるような声色で、カメラを見て、優しくうなずいてくれています。
落ちサビは引き込まれるような表情で、「僕の愛はここにあるよ」で胸をトントンと叩くときの優しい叩き方、「だから大丈夫」はきっちりカメラ目線で本当に大丈夫だって思えてきます。
半面、大サビは一気に力強く明るい声色で歌ってくれていて、Cメロや落ちサビの表情とは全く違う……、指ハートやガッツポーズなどアイドルらしさもちょっとあります。
同事務所のほかのグループは年末年始の配信の収益を義援金に回すということでしたが、
Hey! Say! JUMPは年末年始はライブばっかりやってて(丁度震災の日も東京ドーム公演がありました)、
インスタライブをちょっと(15分)したくらいでした(三が日限定公開ですでに非公開済み)。
そこで、このために歌おう!それの収益を義援金にしよう!というのはなかなか思いつくことじゃないし、思いついても実践できません。
環境があって、一緒にやってくれる仲間がいるからできることです。
そして、出来上がったものがやっつけ感が全くない、高クオリティのもの。
本当にアイドルの鏡です。
私はHey! Say! JUMPが大好きです。
今までファンをやってきてよかったって思いました。
令和という時代に平成を冠にした人たちのこんな素晴らしい動画が見れるなんて思っていませんでした。
今年に入ってから天災も人災もすでにたくさんあり、どことなく気持ちが落ち込んでいましたが、この曲のおかげで少し前向きになれたと思います。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
ぜひ、最後にもう一回聞いていってください。
さっきCMをスキップしちゃった人はぜひCMも最後まで見て、寄付していってください。
Hey! Say! JUMP - 震災復興支援パフォーマンス - ヒカリサス