はてなキーワード: 扶養とは
法的に認められる家族関係を構築する手段として結婚が存在する以上、結婚の平等は実質的に家族関係を構築する上での自由と同じ事になってくるのよな。
法律婚の形骸化・廃止の可能性は、例えば乱婚の様な状況下を想定すれば権利義務の複雑化から現行社会で処理出来なくなる可能性としても分かる、気がする。(乱婚下から抜けた母a子aに対して、同婚姻関係にあった母bや遺伝的関係のない父bは子aへの扶養義務を負うかなど)
ただ法律上認可されたコミュニティって点では家族って便利な単位な上に、コミュニティの内と外という区別は依然として存在するから増田の言うほど、同性婚が法律婚制度の形骸化や廃止に影響を与えるのかは分かんない。
結婚の自由を認めて、同性婚・近親婚などが許認可された社会で、法律婚が形骸化する、あるいは廃止される様な状況って具体的にはどんなものを想定しているのだろう?
社会に認められない、社会に認められてないことを親や友人にいえない、法的手続きができない、一緒に生活して税金をおさめていてこの人いがいとすみたくないと思っていても、扶養になれない。
となると、やっぱり結婚してる夫婦よりはあっさり別れてしまう。
不要というか、なくても生きてるけど、あればいいのにとはよく思うんだよね。
そんな私も、近親婚はだめじゃん、て漠然となぜか思ってて
ああこれが普通の人が同性婚をなんかだめじゃんと思う理由なんだなって
実害がないならたしかにありだわな。近親婚賛成派になりました。ありがとね。
欺瞞だな
なんで、結婚してる権利者じゃないと病室に入れなかったりすると思う?
昨今、この問題を語る奴って、まるで親兄弟が居ないかのように話すが
すげぇ面倒だからな
「子供を産み育てるための制度ではない」なら、理屈が合わんだろ?
だが
ってのは、違うべよ
それをいうなら、家の解体か、扶養となってる全部を同列に扱うかだ
「あいしあってるどうせいがけっこんできないのはさべつ」
https://anond.hatelabo.jp/20230203105121
https://anond.hatelabo.jp/20230203103841
親や子供が出来ればそれを養わなくっちゃいけない
だからさ
親友同士で一緒に住んで相手を養っていても「扶養控除」は出来ないのな
違いは何だって話
同性婚よりは、近親婚の方が、まだしも許容できるよ
もちろん、異性婚で子供を作らないという選択をしたらどうだ?みたいな話もあるが
今まではそっちが「例外」だったのだよ
仮に、小梨結婚が例外でなくなるなら、ぶっちゃけ、結婚制度とか無くても居んじゃね?とか思うよ
なんで「結婚」したいのよ
んでさ、それを「タヨウセイ」とか「ポリコレ」ではなく導入させたいなら
もしも同性婚が解禁されたら、結婚していたとしてもパートナーが同性の場合と異性の場合とで就職や昇進への影響が違ってきそうだなと思った。
男同士なら、とりあえず産休は要らない。子供を希望していたとしても、赤ちゃんの養子を得た場合しか育休は要らない。そこが利点と思われて採用され・昇進し易いかもしれない。ただ、あくまで同居生活を望むなら、転勤のある職場では男女のカップルよりもお断りされそう。
女性同士のカップルの場合は、妊娠の可能性のある二人の共同生活というところが、就職・昇進にマイナスとなる可能性がある。また、現状は女性の方が非正規労働であったり低収入であることが多いので(男性と同じ仕事に就いていれば同じ収入を得られるけどね)、パートナーの扶養に入る事は結婚のメリットにはならないかもしれない。貯蓄もあまりできない。不況で同時に失業し、二人揃って貧困に陥る危険は、男女や男男のカップルよりは高いかもしれない。
レズビアンの場合、結婚したとしてもデメリットの方が勝るのではないか? と思ったら結婚できなかった、という事になる可能性がなくはない。
おそらくパワーカップルになりやすいのは、男男>男女>女女 で、同じ制度を利用したはずが、不公平が生じる事になりそう。
ただ豊かに暮らす事を目標とするならば、男同士で結婚するのが最強かもしれない。別に生活実態なんか他人には見えないんだから、ゲイである必要性なんかないんだ。
男性は、ゲイじゃなくても同性婚をするといいかもしれないが、女性はレズビアンであっても同性婚はしない方がいいかもしれないのだ。
どういう理屈で「行政上の優遇措置が同性婚に必要だ」ってなるんだろう?
この話、現状の結婚制度に手を加えないまま、同性婚も同じように優遇されたいって話でさ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2067377
配偶者控除48万=48万貰える!って思ってる人がいそうだ。
なんか控除の意味すら分かってなさそうな…
配偶者控除の存在がそもそもおかしいのだと思うけど。そもそも結婚して専業主婦/主夫になるほうがフルタイムよりも控除が大きいというのは意味不明過ぎるでしょ。
あのうフルタイムで働いてたら同じだけ基礎控除貰ってますがな。
いや高収入で配偶者控除より少ない基礎控除なんや!ってパターンかもしれないけど
ってか高収入の方が税金高いのって当たり前やんとしか…低収入の人の方を増税しろって主張する方が意味不明過ぎるぞ
独身なら大多数の人は自活できるだけの収入があるはずなんで、基礎控除貰ってるはずですがな…
もし貰ってないなら誰かに扶養されてるだろうし(でなきゃ生きていけん)、大抵は扶養してるのは親なわけで親に扶養控除ついてますがな…兄弟とかでもいいけど…
赤の他人に扶養されてるってなら扶養控除ねえな。そこはおかしいと思うわ同性パートナーとかでもそれに入っちゃうしな、とりあえず同性婚進めりゃいいんかな
収入はないけど貯金が大量にあって誰からも扶養されずにそれで食ってます?それはすまんかった(レアすぎるパターンと思うが)
今日日130万じゃ生活出来ない、子供育てるのに金も時間も要るからこその既婚者の片方の優遇措置な訳で単に優遇が足りないんだよな。
一番下のこの人は意味分かってるね。
それなのに上が分かってないのだらけという…
結婚しないと面倒くさい状況だったから結婚した。同じような状況の人と偶然出会ったのは運がよかった。ゆえに、夫婦間に恋愛や性愛感情はない。
結婚してみると、制度上便利なことが結構ある。無職期間に相手の扶養に入れてもらえたり、家族であれば代理で手続きできることがあったり、車の保険料が安くなったり。せっかく結婚したのだから、利用できる制度はどんどん使うつもりだ。
自分たちの間に子をもうけるつもりはない。というか、夫婦だけの力で子を授かるのは奇跡でもない限り無理。これは結婚前から判明していたし、お互いに知った上で婚姻届を出している。
たまたま自分たちは異性だったから、結婚できて、さまざまな制度を利用できて、子ができないことを「しかたないね」で済ませてもらえている。
これが同性になると、結婚できないから不都合が生じて、子どもが持てないことを「生産性がない」なんて言われるって理不尽だなと思う。しかも、うちとは違い愛し合う人間同士であっても無理。どういう理屈なんだ?
同性婚の話になると、関係ないはずの我が家は流れ弾をくらった気分になる。同性婚を望む人に向けられた言葉はうちにも刺さるものが多い。特例で結婚を認められた後ろめたさも感じる。
正直同性婚を認めようが認めなかろうが今の生活に直接の影響はないと思うけれど、我々の心の平穏のためにもはやく同性婚が認められてほしい。
今困ってる人にはお勧めできない方法だけど、見たところ今すぐの困りごとがあるようではないし。
自分が助けた人について、自分がどうやって支援要請に気付いたか考えたらいいんだよ。あと、助ける助けられるについての解像度が上がる。友達に頼れること、プロ向きなこと、親密な間柄じゃないとできないこと、有償サービスとして提供されてない(プロがいない)こととかの違いがある。プロ向きなことはプロを探すって助け方もある。
例えば1人暮らしの友達が熱出たと言ってたら食うもんある?持って行こうか?欲しいものリスト出してみ?って言えばいいし、動物拾っちゃったら一緒に里親探ししたらいいし、メンタルやばそうだったら話を聞きつつ病院を探してあげたらいい。メンクリの口コミはどこも病んだ人が荒らしてるからサイト見てトンデモ医療をやってなさそうってだけでいいよ。老後の孤独が心配なら地域のボランティア行ってみなよ、何もなかったら宗教コミュニティでもいいよ。とにかくヘルプを出す、助ける奴が現れる、助かる、のサイクルを間近でたくさん見るといいよ。
大抵の場合自己開示にお節介な奴が釣れるパターンで、生活状況や病気や困りごとを口に(SNSに)出したことがきっかけだと思うよ。ボランティア現場の場合は支援団体との繋がり方が見えるね。
そんで互助のフィールドは日々の対人関係なんよ。知らん奴を助けることは滅多にない。だから、対人関係を深めに広めに維持する努力をした方がいい。結婚は究極の互助契約だから、その点でもう1回考えてみてもいいと思う。
私はメンタルにも妊孕性にも問題が出て結婚子供の選択肢がなく40前になったんだけど、こうなったらもう他者との関係はあるだけでありがたい。早く言ってよ!と言ってくれる友達は大事にした方がいい。仮に友達に少々気に入らないところがあったとして、ネットではすぐ縁を切れとか言う奴が多いけど、できるだけ維持したほうがいい。世の中の人は結婚相手でさえ何かしら妥協する。こちとら友達の厳選なんてやってたらあっという間におらんなるんですわ。
で、ここからは厳しい話。
助けてほしいというのは、ケアリソースが自分に回ってきてほしいということだ。社会参加者それぞれが持つリソースの分配の問題だ。
どんなに友達がいても、どれほど他人を助けても自分が助けてもらえる保証はない。正直言って、私がしたようなことを他人にしてもらったかというと、残念ながら1人でなんとかしている。30歳時点の友人なんて5年もしないうちに結婚して子供ができて別のコミュニティの住人になる。彼らのリソースは彼らの優先的ケア対象に回されるようになる。
家族親族は一般的には相互ケアをある程度期待できる共同体だ。もちろんそうじゃないケースがあって、ケアからあぶれてしまう人が出る。しかし社会は家族内ケアを前提として回っているし、憲法にも書き込まれようとしている。同性婚キャンペーンでさえ家族主義的主張はよく見られる。私的リソースはまず家族内に回され、公的リソースもその関係の安定に優先して回され、ケア関係にあぶれた者には余剰が分配される社会だ。家族以外を実際に助けてみると、いかに家族内ケアが優遇されているかがわかる。法的な家族は扶養できるが友達はできない。転んだ近所のばあちゃんを病院に連れて行っても看護休暇は使えない。メンタル悪い友達に対応する(婉曲表現)からって仕事を急遽休むことに理解は得られない。
そして他人を助けても、助けが必要な人が直接自分を助けてくれることは期待できない。社会全体の需給改善への宗教的信念を抱えて孤独に死ぬ可能性はそれなりにある。極度の楽観、血縁に頼らないケアリソース確保戦略、もしくは宗教的信念のどれも持たずにこのルートに入ることはおすすめしない。
ケア共同体に加入すれば、ケアからあぶれる可能性はぐっと減る。共同体がクソである可能性もそれなりにあるが、最初から共同体に入らないよりはマシな可能性が圧倒的に高い。
共同体に入る、共同体を築く、外で生きる、どれも厳しい道だけど、増田が自分に必要なリソースを把握し(まずは「助ける」の解像度を上げた方がいいように思う)、それが供給される場に居られるよう祈っている。