はてなキーワード: 扶養とは
扶養内パートってやつで、目いっぱい働いて月8万なわけじゃないだろう
子ども手当はなくなってないよ
15年ぐらい前にも2chの育児板あたりでよく見かけた手垢のついた論法ではあるけど、これを言い出す人って、自分が、我が子を将来ちゃんと誰かに還元できるほど納税できるお金持ちに育て上げられる自信があるんだろうかと15年ぐらい前にも、そして今も思っている。
こういうことを言い出す人の子供がもし立派なニートに育っちゃったら?または子供がめちゃ有能に育ってアメリカあたりでお金持ちになってアメリカに永住しちゃったら?そしたらその子供は日本で納税も労働もしないわけで。ってことは優遇してた分の投資回収ができないということだから、それまでもらってきた各種手当や、無料になってた医療費、扶養控除とかちゃんと精算返金してくれなきゃ、ちょっと理屈が合わないんだよね。
子供がいない私は、まぁしょうがないか年金保険全部自己負担でもしょうがないお金はできるだけ貯めておこうって思うけど。
そもそもを言えば、私だって年金貰う前に死んでしまうかもしれないし、子供だって立派になったりニートになったりする前に死んでしまうかもしれないわけでさ。だから大きな箱に一回予算を入れてその瞬間にできることをしていこう、できることの配分は、折々の政治でいい感じのところを、その都度調整ながら決めようってのが民主主義で、民主国家の福祉であって。
増田が言うてるのは民主主義でも福祉でもなくて野生を望んでいるということできわめてネオリベラルではあるね。もし自己責任を言うのであれば、子供がうまく育てられなかったら子育て関連の控除や給付金は全額精算国庫へ返却でオナシャス!でもそんなの国だとは思えんし現代とは思いたくないよなー。そんな風に子供を育てるのも自己責任、老いるのも自己責任、にしちゃったら、ますます誰も子供を産みたいと思わなくなりそうだよなー。
奥さんが年金3号で健保も扶養に入ってるなら、その分も払ってね。親御さんが年金貰っているなら、その原資は我々が払っているのですが。しかも税金もたっぷり払ってるよ。
…ということになる。
税金 72万 + 72万= 144万
・専業家庭 = 1800万
・DINKs = 4320万
・専業家庭 = 3600万
・DINKs = 4320万
・専業家庭 = 5400万
・DINKs = 4320万
専業家庭が900万高かったです。
・専業家庭 = 7200万
・DINKs = 4320万
専業家庭が2880万高かったです。
・専業家庭 = 12600万
・DINKs = 4320万
専業家庭が 8000万高かったです。
・専業家庭 = 126000万
・DINKs = 4320万
専業家庭が 120000万高かったです。
色々と前提を変えると、分岐点が変わってきそうですね。
2 夫婦や親子、兄弟姉妹などの扶養義務者から生活費や教育費に充てるために取得した財産で、通常必要と認められるもの
ここでいう生活費は、その人にとって通常の日常生活に必要な費用をいい、治療費、養育費その他子育てに関する費用などを含みます。また、教育費とは、学費や教材費、文具費などをいいます。
https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/zoyo/4405.htm
「確定申告書等作成コーナー」でやるのがUIが比較的こなれてて正解っぽい?
説明によっては「e-Taxソフト(WEB版)」の方が書かれてて、どっちなのか最初ウロウロしてた。
本末転倒つーかなんというか…
最初スマホでポチポチやってたんだが、源泉徴収とか扶養とか入力して「ローンの入力はあとでやるのかな?」とか思って進めてたら提出まで行ってしまった。マヌケめ。
途中の選択どこで見落としたのかまったく気づかなかった。
期間内ならまた新規に提出すれば上書き訂正になるっぽいので、改めてYouTube見ながら同じ画面になるようPC版でやり直した。
https://www.youtube.com/watch?v=tMbeJvSryj0
その後はMacのSafariでやった。拡張入れるのと証明書キーチェーン登録は問題なく、エラー無くログインできた。
しかし何度かメニュー行ったり来たりしてたら「ブラウザ拡張機能 ×」とか出て、さっきまで○だったやんけ!とツッコむ事態に。
FAQでは「確定申告書等作成コーナー」からできるっぽく書かれてるのに解説ページたらい回しにされて全然わからん。メッセージボックスに入ってもULできそうなメニューが無かった。
「e-Taxソフト(WEB版)」の方にはULできるメニューがある。
(後日追記)
たしかにアップロードしたのに、税務署から「必要書類なんも添付されてないから郵送で送れ。早く。」って手紙来た。
まじでなんで渡ってないのか分からなかったけど追及するのも面倒なので大人しく紙の書類揃えて送った。
最初に間違った申請してあとから上書きしたのが悪かったのか?申請とアップロードが紐づいてなかったのか?わけわからん。
必要添付書類に指定されてて、ググったら役所窓口で取れるよ情報ばっかり出てくるから危うく1,300円払って取りに行くとこだった。
https://www.city.ikoma.lg.jp/faq/faq_detail.php?co=cat&frmId=443&frmCd=1-5-0-0-0
年収600万円として、所得税は年間で20万円そこそこしか払うことはない。
対して住宅ローン減税は最大で35万円もある。
35百万円というという庶民が普通に借りる住宅ローンで、20万しか受け取ることはできない。これはおかしいでしょ。
別に住宅ローン減税に限った事ではない。扶養手当やらなんやら、所得税から還付するシステムはみんな同じだ。庶民は20万円前後しか枠がない。
所得が少ないほど、この枠は少なくなる。
だから民主党がやった子ども手当は会心の策だった。扶養控除ではなく、手当として配るべきだ。
住民税もそう。
ふるさと納税は住民税をたくさん支払っているお金持ちほど優遇されるシステムだ。なんせ税金が物品に変わるのだから。
しかもこれは、先にお金を納めて後から分割して控除される仕組みのため、低収入であるほど使いにくい。
「税金から控除する」という考えを改め、「金持ちから貧乏人へ」の原則に立ち返るべきだ。
──追記──
色々な人の意見を聞けて良かったです
それはそれとして住民税から引かれるとかタイプミスとか些末なところに突っ込むのは、むしろそれくらいしか突っ込みどころがないのかな、と思いました。
中学生の時からなんとなく感じていたけど、年々母親と会話が成功する確率が減ってきている。
両親にはとても感謝しているし、恵まれた生活をさせてもらって自分は幸せ者だと感じているが、どうしても母親をひとりの人間として見たときに好きになれない。相性の悪い相手だと感じる。
今現在も1日を振り返ってイライラが止まらず眠れないので、日々母を観察し、ようやくその発言や行動の分析が進んできたことを、ここに書き出そうと思う。
母とは時たま会話が成立しないときがあり、これには母がそもそもこちらの話を聞いていないパターンと、母の発言の中には実際の言葉とは違う意味が多分に含まれていて、こちらが全てを汲み取って理解しないと言葉のキャッチボールが成立しないパターンがあると考えられる。
前者の例
「お母さん、この日ってなんか予定あったっけ?」
「……(スマホに夢中で聞いていない、もしくは聞こえていない)」
「歯医者行ったら駐車場でぶつけられそうになったよ。飛び出してきたくせに睨んできて、すごく感じ悪い人だった。」
※最近は他にも、いきやりTikTokやTwitterの画面を見せて「見て!誰々さんがどこどこ行ったって!」も頻発
後者の例
「このお酒、リキュールだけど成分表に清酒って書いてあるね。だから日本酒の匂いがするんだ。」
「うん。リキュールと言ってもいろんな種類があるんだなって。」
「だから、簡単に言えば香りをつけたお酒がリキュールでしょ?その材料になるお酒にも色々種類があるんだねって今知ったの。」
「そりゃそうでしょ。」
前者のパターンは、そもそも母はその場の思いつきや目の前のことに集中してしまうことが多いので避けることは不可能。日常で最も頻発するが、昔からこうなのでどうしようもない。
後者のパターンは、会話の中で年々登場回数が増えている上にあたかもこちらだけが理解不足であるかのように扱われるので大変頭にくる。
母はいわゆる主語がない人だ。いきなり突拍子もなく「何日だっけ?」なんてのは当たり前で、こちらが主語を探す会話スタイルが基本。
さらに、おそらくだが、母は「家族相手なら多少適当に喋っても話が通じる」と思っている。
この2つが組み合わさった結果、「母の中ではごく普通の言葉だが、出力結果が主語も述語もめちゃくちゃで何を指しているかわからないため会話にならない」からの「こちらは困惑、母も『なんでこいつにはこの程度のこともわからないんだ?』と困惑」という状況になる。
前者はスルーするなりあとから同じことをもう一度話すなりすればいいものの、後者をぶちかまされたときはこみ上げる苛立ちを抑え込むので精一杯だ。
後者のパターンで例に挙げた会話では、こちらは途中まで母の「だってリキュールでしょ?」という発言は「リキュールなんだから日本酒ってのはおかしくない?」という意味だと捉えて会話していたつもりだったが、どうやら違うようだというのがわかる。ここまではいいのだがじゃあ本当は何が言いたかったの?というのがわからない。「リキュールというお酒はいろんな材料をもとに作られるのだから、日本酒でできたリキュールもあるだろう?」ということならば二度目の否定は意味が通らなくなる。
しかしここで「つまり何が言いたいの?」は禁句だ。毎回黙りこみ、結局言葉の真意を聞き出せたことはなかった。
長年この謎と向き合い続け、こちらの理解不足がいけないのだろうと様々な思考や対策を行ってきたが、今はもうこのモードに入った母の言葉の真意を理解することは不可能だと諦め、「あーそうだね」で会話を強制終了させることにしている。
この方法のメリットはこちらの神経のすり減り方ががいくらかマシになることで、デメリットは母が不機嫌になることだ。おそらく母は母でこちらの「オメーの言ってること意味不明だからもう話すのやめるわ」という空気を感じ取っている。
ここまではこちらの言葉に対する母の返し方という内容だったが、では母からの言葉はどうなのかというと、ハッキリ言って母の話はクソつまらない。
母から振ってくる雑談の内容は、ここ半年程は、親戚の非常識夫婦に対する愚痴、仕事に対する愚痴、大好きなアイドルの話題のうちどれかだ。
前者2つはこちらもストレス発散になるならばとできるだけ聞く。個人的にこの非常識夫婦が大嫌いなのであまり聞きたくない。
問題なのはアイドルの話で、これが「テレビに出ていたのがカッコよかった」とか「今度発売されるCDが楽しみ」とかだったら話の広げ方、返し方も色々ある。「何の番組に出てたの?」とか「もう予約したの?」とか。
私はそのアイドルに全く興味がないし、そんな話をされても「見れば?」くらいしか返す言葉がない。
ここで、普段から母の方も私の話を聞いてくれて、会話を弾ませることができるのであればまた違うのだろうが、こちらからの言葉にはわざとかどうかは知らないが無視か会話ブッタ切り、会話が成り立ったかと思えば主語も述語もめちゃくちゃで、挙句の果てにこちらが悪いかのように決めつけてきて不機嫌になる。
母とはいえ、そんな相手のしてくる、興味もないどうでもいい話を積極的に聞けるのはもはや仏かなんかだろう。
こういった日常の積み重ねに加え、母のクソでかい独り言と足音や物音を聞いているだけで頭がおかしくなりそうなくらいイライラする。
可能な限り常にヘッドホンかイヤホンをして過ごし、可能な限り自然に母の声を無視して会話の発生を避けている。
仕事の都合上、母は私よりもかなり早く起きて出社していくのだが、聞くだけで今家の中のどのあたりにいるのか特定できるくらいデカい足音で歩き回るため、必ず起こされる。
母はかかと歩きだ。ドカドカとかダカダカという走り回るような足音ではなく、ドンッドンッという重く響く足音。
また、母の独り言に対し、話しかけられているのかと思って返事したら無視されたのでもう一度返事をしたら、「えっ?別に話しかけてないけど」ということがあったので、明確な呼びかけ以外は聞こえないふりをすることにした。
両親が建てた家に住み、両親の稼いだ金で飯を食う被扶養者の分際だが、両親が仕事に出かけて不在の時間が何よりも安らぎだ。
ここまで母を悪く書いておいてアレだが、一応母の名誉を守るために、今まで毎日私を見守り、何不自由ない生活を提供してくれた人だということは書き加えておく。
また、母から私に対しても「こいつのこういうところマジでムカつくわ」という点はたくさんあると思うので、別にイラっとするからと言って母を糾弾したり矯正させたりしようなんて考えはない。
生きづらいちゃんくんは結婚と子どもがセーフティーネットだと思っているがンなこたぁ無い
誰かと一緒に暮らすと世帯年収上がるし、扶養義務が生まれるのでむしろ生活難易度が圧倒的に上がる
籍を入れずに近くに別住所で住んで夫婦として暮らせ
あと生きづらいちゃんくんだと子どもを作っちゃいけないというわけではない
自分の人生に子どもが必要だと思ったのならシングルで子どもを作っていい
シングルで子ども作った方がさまざまな公助を受け易いし、団地にだって入り易い
籍を入れずにパートナーに近くに住んでもらってサポートを受けながら夫婦として暮らせばいい
ぶっちゃけ生きづらいちゃんくんは99%くらいの確率で毒親になると思っているので、
自分に子育てする精神的・体力的余裕があるか真剣に考えてほしい(低所得家庭は大学ほか無料なのでお金は考えなくていい)が、
毒親にならない確率が1%でもある限りは子作りを止めはしないよ、優生思想になるからね
ちなみに、結婚をするよりもシングルの方がなぜ生活難易度が低いのかというと、先進国には人権があるからだよね
人権が怪しい時代はセーフティネットもなかったから家族がセーフティネットの役割を果たさなければならなかったが、
欧米のカップル圧(同性でもいいから家族を作れ)は神の云々・愛が云々の宗教的な話もあるけど、
それは最初から公助を頼ろうとするなってことで圧が強いんだと思うぞ
まぁ生きづらいちゃんくんじゃないなら公助受けられないし、外聞も気にして結婚(あるいはパートナーシップ)も検討した方がいいが、
生きるだけで精一杯になりがちな人らはマジで結婚しない方がいいぞ、パートナーと近くに別々に暮らせ
今「高齢者の集団自決」とか「colabo問題」などあるが、この頃炎上させる気持ちも分からんでもないけど、その力を少しだけ救う方向に転換してみてはどうだろうと思っている
じゃぁその中にいる高齢者達をどう救うのか
「成田さんはよく『老人は自害』と言ってるじゃないですか?老人は実際日本から退散した方が良いと思うんですよ。老人が自動でいなくなるシステムはどうやって作ります?」
みたいなことを考えて、その答えにのっかるような発言をされた小学生とどう接していいのか
他の方向へ考えることの方が必要だとは思った。
ちなみにウィリアム・マッカスキルの『〈効果的な利他的主義〉宣言!善意活動への科学的アプローチ』は持っていて、物凄くさらっと読んで、日本赤十字社のトルコ・シリア地震救援金に5000円払い初めて自ら寄付というものをした。
しかしその後、このお金でビックマックいくつ食べれたんだろう…とかいう『シンドラーのリスト』の中のシンドラーが、私の心の中では反シンドラーという現象(誰かこの現象を上手く名付けてほしい)が起こっていた。
まぁ今はどんどん現状がひどくなっているようなので多分良かったんだろうと思っている。
他には献血とかも行った方がいいのかなとか考えてたりする。ただ針が怖いのでちょっと躊躇しているが。
やっぱ、グラフとかデータとかで貧困国の状況とか比較であらわせられても、自分に時間とお金に少し余裕がないとなかなか、行動するのは難しそうだし、まずやっぱり国内から救った方がいい思ってしまった。
多分分かってない部分がかなり多いので、あとでじっくり読んでみようとはしている。
この後の文章は
安楽死に対する考え
私の現在状況が書かれている。
興味のある方は読んで欲しい。
T4作戦を実行したナチスドイツの総統のヒトラーが現代にタイムスリップして世論を動かしていく『帰ってきたヒトラー』とか
実際歴史はあってるのかよく分からないけど、物語の中では軍の命令で、戦って手や足がなくなったり動けなくなったりした重症の人達に毒を飲ませたり、刃物で自決したりする、『激動の昭和史 沖縄決戦』
を見てたのでさすがに怖くなって、あなたに安楽死について考えてほしいなんて言われたくないし、どうせメディアも視聴率や再生回数のためにTVやネットで出してんだろうとは思う。
「colabo問題」はいろんなのが絡んでて実際よく分からんが、不正に税金使ったり、叩き合ってるイメージしかない。名誉棄損的なものが互いにあって、怖いし苛立ってるんだろうなとは時々思う。訴えたりするのも仕方がないのだろうが、その集めたお金で一体何人救えるのだろうとは思った。
安楽死については
カルト問題にちょっと興味をしめし始めた頃、『世界』の2022年の12月号を買ったのだが、ちょうど『安楽死を遂げるまで』や『安楽死を遂げた日本人』を執筆した宮下洋一氏のルポが載っていた。フランスの巨匠ゴダール監督の安楽死について書かれている。
安楽死容認国では今、「死にたいと」思わせる社会に潜む問題の解決よりも、その意図に反映に重点を置く傾向にある。それが「死ぬ権利」というものなのか。私の理解が彼らに追い付くには、まだ時間が足りないのかもしれない。
『PLAN75』とはちょっと違った目線から見る、もし現代自分の家族が安楽死を願ったら?というのがテーマで、主人公の父親が脳卒中で回復を少しずつしているのにも関わらず、死を願う。というのがあらすじ
終末期でなく、まだ生きる望みがあるならば?
「尊厳ある命」とは一体何なのか…。
とコメントしている
見た感想としては、まずこの親子関係複雑だし、抗うつ薬みたいなの飲んでるし、その精神的なものを回復できることはできなかったんだろうかと思った。何がどう回復なのかは分かってないのかもしれないが。やっぱ価値観が違うんだろう。
まだ自分の親は認知症でも脳卒中でもないし、今聞く勇気もない。
主人公の父親のようにあそこまで頑固でもないと思うし、病気になって回復してきたら少し気持ちが変わるかもしれない。
いろいろ考えると答えは出ない。
私の場合、おそらく個人の尊重を優先してと思いながら親の安楽死を願ったとしても、必ずどこかでは自分の介護の負担が出てきて楽になりたいとう気持ちがどこかには少なからずあると考える。
もし今、日本の政府が安楽死法案を出すとしたら、本当に苦しんでいる人には悪いとは思うけど、私は反対する。
今回の問題発言もそうだし、それに賛同する人達や、笑っている人達、や政治家たちの失言を見ると優生思想が強すぎると感じる。
私の現在状況
その時のB型事業所は、月曜日から金曜日10時~16時(昼休憩45分)で給料は平均して月1万5千円くらい。
今の給料は平均して月7万円くらい。
家賃は3万ほど出している。
今、年金は払っていない。
まだ私は親がいる分、生活は楽な方だとは思っている。
貯金は300万ほどある。
もう遅いのか、NISAとか考えた方がいいのだろうかと最近思う。
発症原因はあまり教えたくないので、ここには書かないことにする
普段、母親の部屋で洗濯物を取り入れて畳んでいるのだが机の上に、一冊の本がカバーを裏側にして置いてあった。
なんだろうと思い、カバーを取ったら『老いの品格』という本だった。
中の目次さっと見たら、良い老人であろう的な感じがした。
まぁ品格って書いてあるし、そうなんだろう。
これを見て思い出したのが、テレビでやっていた『月曜から夜ふかし』の"通りすぎる人全員に会釈するおばあちゃん”の回である。
ある女性がその行為を不思議がって調べてほしいと投稿した話なのだが、そのおばあちゃんの理由が感動というよりも、そこまでさせないといけない社会なんだなと思ったし、私たちもそういう風になるのかもしれないと少し怖くなってしまった。その理由は興味があれば調べてほしい。
私は母親とうまくいっておらず、会話はほとんどない。なので何を考えているのかよく分かっていないのだが、そんな感じでとりあえずこの本をkindleで買うことにした。そして最優先にこれを読もうと思う。
ついでに、映画『生きる LIVING』のパンフレットも置いてあった。
まぁ母親と話せば済む話なのだが。それができないのが私のダメなところである。
どこで働いているか判明されるかもしれないので、分かりにくく書くが、清掃作業をするととある消耗品が毎回なくなるのだが、それを注文するたびに一枚の絵ハガキが入っている。
その絵は私にとっては上手くはない。おそらく障害者が描いたであろうと思われる。
初めはその絵ハガキを清掃道具入れにためていた。捨てると罪悪感がある気がしたのもあったし、以前ここで障害者雇用として働いていた人がずっとそうしていたのもある。
その後一旦その清掃道具入れを整理してほしいと補助役の人に言われたので、このたまった絵ハガキはどうしようか相談し、申し訳ない感じもするが捨てようということになった。
それから少し経って、相変わらずその新しく入ってきたその消耗品の中には、絵ハガキが入っている。ふとなぜこの絵ハガキは入っているのだろうと疑問に思い、その意図は分かってはいないが、私としては「絵は描けます」というメッセージみたいなのを受け取った。
もしこれが、障害者でなく高齢者だったらどうなんだろうとか、通院している精神病院に、病にかかっている人が作った、よく分からないパズルとか、ちょっと凝った折り紙だったりとか展示されているのを見るとあれは一体何なんだろうと不思議だったが、これも実際意図は分からないが、この社会にいる存在を表しているのではないのかと思うようになった。
その後、私はこの上手くはない絵ハガキをなんとなく家に持って帰っていて、本当に何かの緊急事態が起こった場合以外は捨てずにためることにしている。
その消耗品の会社が分かった人は、変な人が絡むと嫌なので黙っていてほしい。
終わり