はてなキーワード: 成就とは
元というなら
Gate gate pāragate pārasaṃgate bodhi svāhā
"bodhi svāhā"(菩提・僧莎訶)は、菩提が叡智・悟り、僧莎訶が成就を願う感嘆で、お釈迦様の名前ではないのでは?
菩薩(bodhisattva)のことである菩提薩埵(ぼだいさった)と混同されているかも?
(参考)般若心経について: 極東ブログ
(参考)『般若心経』をサンスクリット原典で読む! - 甚之助の小屋 ※音読例がいくつか動画で載ってるし、語釈も詳しい
(参考)サンスクリット語、中国語、韓国語の「般若心経」: エムズの片割れ ※これも各国の音読例が載ってる
※中村元氏の『般若心経・金剛般若経』(岩波文庫)が著名と思うけど、良さそうな解説ないしは随想のページが見つからなかった
息子の嫁から連絡が来た。
息子には内緒で二人で会って話したい、息子のことで相談があると。
ルージュの伝言みたいだな、と思いながら日程を決めた。
内容としては、息子と些細なことで喧嘩が絶えないこと、息子が喧嘩の度に「価値観が合わない」「離婚する」「もう一緒にいない方がいいと思う」というような脅し文句を言うということ。
時々、息子に電話して新婚生活はどう?なんて聞いた時も「うまくやっているよ」というばかりで、しょっちゅう喧嘩しているなんて初耳だった。
心優しく穏やかな子だと思っていた息子が、奥さんにそんなことをいう男になってしまっていたのかと心底驚いた。
正直、自分の夫も軽々しく「離婚だ離婚」なんてことを言うことが度々あったので、それを聞いて育った息子も軽口で言ってしまっているのかもしれないと思った。お嫁さんには大変申し訳ないことをしたと思う。
今のところ、お嫁さんの言い分しか聞いていないので、息子の考えや言い分は分からないが、軽々しく口にしてはいけないことを言ってしまった息子のことは叱らなければいけないと思う。
ただ、息子の言い分の中にあった「価値観があわない」というのは心当たりがある。
正直、両家の経済力には多少隔たりがある。
我が家だって決して貧乏な方ではないと思う。息子を二人とも奨学金なしで大学に進学させ、一人暮らしさせてやるのに不自由はさせていなかった。
ただ、向こうの家は代々の土地持ちで、かなり羽振りのいい生活をしているようだった。
お嫁さんはブランドに詳しくない私でも分かるような、シャネルやヴィトンの鞄やアクセサリーをいつも身に付けていたし、冬場に向こうのご家族と軽く食事をしに行った時、親兄弟含めて全員モンクレールのダウンを着ていてちょっと面食らった。
息子には「逆玉だね」と冗談めかして言っていた。
正直、価値観が違うのは当たり前だ。
人様に言って恥ずかしくな大学・大学院を出て、誰からも一流企業だねと褒めてもらえる会社に就職した息子に比べて、
お嫁さんは偏差値だけで言えば何枚も劣る女子大の出だし、就職先だって聞いたこともないような会社だ。
はじめにお嫁さんのプロフィールだけ聞いたとき、私も夫も心の中で眉を顰めたのはしょうがないと思う。
それでも、実際に会ってみればとても気さくで心配りができて育ちの良さがにじみ出る彼女の人柄にはとても好感が持てたし、息子から聞く彼女の実家の太さはとても心強く思えた。
彼女との縁談を成就させるべく、彼女がどうしても欲しいと言った婚約指輪を買うために息子に少々援助までしてやった。
両家共に打算と妥協がなかったといえば嘘になると思う。
うまく二人で価値観を擦り合わせて暮らしていって欲しいと思っていたが、入籍から半年足らずでこんなことになってしまうとは、と頭を抱えている。
結局のところは「作者の匙加減でいくらでも調整できるハードルの先に置かれたトロフィーを手に入れるまでの茶番」もしくは「一部読者にとってポルノ的な効果があるシーンをひたすら繰り返すだけのワンパターン」でにしかならないんだよね。
「破局復活系」
「失恋系」
の4系統があるんだけど、このうち前半3つが上で上げた「作者匙加減トロフィーゲット系」で、最後のヤオイが「惰性型ポルノ連発系」に該当する。
「トロフィーゲット系」の物語は「相手との恋愛関係」「最高の思い出」のどちらかを主人公が手にするまでの物語を描いているのだが、その物語は究極的には1話で終わらせられる話を延々と引き伸ばしてるだけの薄めきったカルピスにほかならない。
「恋愛成就系」であれば「付き合ってください」「OK👌」で終わる物語を延々と先送りにしているだけ。
「破局復活系」であれば「ヨリを戻そうぜ」「OK👌」を引き伸ばしてるだけ。
「失恋系」であれば「でも楽しかったよ」で主人公が笑い泣きしておけばいつだって切り上げられる物語である。
まれに打ち切りだったり作者がぶっ壊れた果ての逆張りで凄い終わり方もするが、それは単にカルピスを薄め続けている間に誤ってコップを倒しただけであり、やっていたことがカルピスの無限水割りであることに変わりはない。
これらの物語は結局のところ、作者が登場人物の行動をひたすら阻害しているだけであり、登場人物が正しいアクションを取れば物語は本当に一瞬で終わるはずなのだ。
言ってしまえば「トイレに行きたいけど無理して我慢してる小学生の様子を延々と描写している」ようなものだ。
ただ主人公が「やっぱトイレ行ったほうがいいぜ!」でトイレに行けば開始1ページで物語は終わる。
しかし作者の都合により話は引き伸ばされ「プルプルしてるのを友人に指摘される」「すかしっぺでガス抜きに成功し誤魔化して一時的に復活する」「勢い余って少し漏れたことで急激に自体が悪化する」といったイベントが飛び込み差も物語は劇的であるかのように振る舞う。
しかしそれらは結局は主人公が「やっぱトイレ行かないと何も解決しないぜ!」でトイレに行けばその瞬間に終わる物語であるはずなのだ。
そうしているうちに収集がつかなくなったとき、突然主人公が「やっぱトイレ行くぜ!」といきなり宣言するか、破綻した物語に相応しい終わりとして盛大に漏らしてしまうのだ。
やっとトイレに行った主人公や漏らした主人公がやけにスッキリした顔を描いて作者は「やりきったぜ!」となるし、読者によっては「よかったね!よかったね!」と喝采を浴びせるのである。
しかしそれでやっているのは「1ページ目でトイレ行っておけよ」でしかないのだ。
恋愛漫画にはもう一つパターンがあり、成就した恋愛をダラダラと描き続けるタイプが有る。
これらの漫画はただひたすらに恋愛が成功して幸せに暮らす様子が描かれるが、そこに物語としての起伏はもはや存在しない。
主人公カップルたちのデートシーンを見て「羨ましい~~~」と読者が楽しむだけである。
やっていることはグルメ番組でシズル感ある映像を見ながら「まいう~~~」とタレントが感想を述べるのを見ているのと同じ状態である。
コンテンツのあり方としてこれは実にくだらない。
三大欲求の一つである性欲を間接的に刺激するような延々と続く前前前戯のシーンを見てココロのチンコマンコを読者がクリクリしてオナニーするためだけにこれらの作品は存在する。
読者にとって恋愛対象となるキャラクター達が恋愛をしている様子を見て、ピーピングトムとしての快楽に浸っているのである。
恋愛作品はときにはセックスを直接描写するが、それはまさにこのピーピングトム向けのご褒美なのだ。
だがその内容がセックスでなくても、性欲依存の覗き趣味を満足させるための作品なのは変わらない。
銭湯で盗撮をする行為をしたからといって相手にレイプのような傷を残すことがなくても、結局それを見て性的興奮を覚えるのと同じく、程度が違うだけでしかないのだ。
それが恋愛モノであり、それが最も顕著なジャンルがヤオイである。
これらの要素は作中人物たちの恋愛観がホモであろうがヘテロであろうが異種族間であろうが変わることはない。
各々の読者が自分なりに納得の行くオカズを求めてそれらの作品を選ぶのだから、結局それらは性欲に基づいた茶番の覗き見でしかないわけだ。
実に気持ち悪くい。
そして程度が低い。
それがどんなジャンルであったとしてもだ。
たとえば君達も映画で盛り上がっている時に急にラブシーンが始まると興ざめすることがあるだろう?
あれは結局のところ、性欲が高ぶっているわけでもない時にポルノムービーを見ているの同じ状態だからだ。
本当に中身があって面白いコンテンツであれば、そういった本能的な満足感さえ超えて圧倒的な力でこちらの感性をこじ開ける。
だが恋愛物が提供するのはどこまでも性欲の延長線上にあるものだけだ。
実に低レベルだ。
私が恋愛感情を持ったのは40歳の時です。遅すぎます。40歳で初めて恋愛感情を持つなんて、なんかのバグですか?バグですよね。
もっと若くないと相手も好きになってくれません。若い時に人を好きになりたかったです。出会いが遅かったのか、自分のせいなのかもわかりません。
20代なら許されるけど、40歳の恋愛感情はキモいとさえ思われます。悲しいです。
でも死ぬまでに恋愛感情というものを知れてよかったです。それだけは良かったと思えます。恋愛感情を知らずに死ぬのは炭酸の抜けたコーラみたいなものだと思いました。
もう叶わない恋愛です。ほぼ諦めています。相手にも拒絶されました。まだ若ければなんとかなるのでしょうが、この歳では無理でしょう。でもそれでも好きなのです。
恋愛感情を知れたおかげで、音楽に興味が出たし、恋愛ものの漫画や映画も楽しめるようになりました。それが救いであり喜びですね。人生が豊かになりました。
注意 表現にはかなり気をつけていますが、念のため性虐待のフラッシュバック等がある人は読まない方がいいと思います。
いわゆる小児性愛者と言うやつで、ストライクゾーンは主に小4以下の男児。女児もナシではない。インスタに3歳の推しがいる。
近年地位向上の機運が高まりつつある「多数派性的少数者」とは違って、小児性愛者は対象との接触どころか記録物の単純所持すら加害になるので、日々の糧はもっぱら二次元頼みだ。
対象の合意を得ることは天地が逆転しても実現し得ないため、修正のギリギリを攻めたショタ同人誌やイラストを描いてくださる神々には足を向けて寝られない。
最近は児童を性的に描いた創作物の規制がさらに厳しくなり、有名なイラスト投稿サイトは使い物にならなくなってしまった(AIに紛れて本物の児ポが撒かれていた件の発覚より以前からの動きだ)。
下腹部を覆い隠す黒い長方形を見て何を感じろというのか。そのうち乳首まで隠されるんだろうか。そうなればもうお先真っ暗だ。逃げ場がない。
脱線するが、同じ同人誌でも児童を性の対象とした小説はサイト側から厳しい扱いを受けるらしい。絵なら「●学生」と所属をブラックボックスにぶちこめば躱しやすいが、小説は詳細の描写を省くとロリ・ショタものとして成立しないからだ。古い知識なので、今はもっと厳重かもしれない。
ここまで読んで、鳥肌を立てて増田の死を願う人もいるかもしれない。いや、いるだろう。それくらい世間の風当たりは厳しいし、緩和する見込みはこの先もないだろうなと感じている。
関係の成就は絶対不可能。しかも一部の犯罪者のせいで恐ろしくイメージが悪い。そのため存在自体が社会悪と言わんばかりの偏見を持たれており、カミングアウトしたところで、失うものこそあれ得るものなど何一つないため、集団で声を上げることも出来ない。我々には永遠に市民権獲得の機会は訪れない。
世間ではLGBTQ+(このQ+の馬鹿馬鹿しいことよ)の受け入れと並行して小児性愛者を排除するエクスキューズとして、同性愛は「指向」小児性愛は「嗜好」だからというフレーズが定番化している。
要は同性愛者の性的欲求は対象が多数派と違うだけで異常ではないが、小児性愛は児童を対象とする歪んだ「趣味」であり、常識から逸脱した異常なものであるという極めて恣意的な理屈だ。
数十年前は同性愛者も「そっち系の趣味」などと呼ばれ、立場によってはバレた瞬間社会的に死んでいた。好きでもない相手に「襲わないでよ」と一方的に拒絶される屈辱は、今まさに小児性愛者が受けているそれと同じだ。
実のところは、対象との合意が不可能であること以外、同性愛と小児性愛に大きな差などない。社会に認められるかは多数派の気まぐれによるのだ。
小児性愛は有害な趣味だというのなら、その趣味を止めるにはどうすればいいのだろう。かつての同性愛者のように、矯正キャンプに参加すれば治るだろうか。一体どのような形に治るのが「正しい」のだろうか。
小児性愛は性加害をする?大嘘だ。性的「指向」に関わらずする奴はするし、性的「嗜好」に関わらずしない奴はしない。妻子がいる異性愛者でも児童に性加害することがあるらしい。
そして、加害者がどんな属性であれ、被害者が児童なら非難の矛先は必ず小児性愛者全体に向く。
ある陰謀論では、裏社会にはヤバい小児性愛者の秘密結社があることになっているらしい。もし事実なら、結社はトランプと戦うのを後回しにして、小児性愛者も平凡な人間だということをサブリミナルか何かで世間に刷りこんでいただきたいところだ。
願わくば、二次元だけでももう少し自由を許してほしい。締め付けられるばかりで気持ちを逸らすすべがなくなる辛さを知ってもらいたい。実在児童を守るための法律を定めるのは構わない。子供が護られるべき存在なのは異論ない。
ただ、認めなくていい、肯定しなくても気持ち悪がってもいいから、我々に逃げ道と息抜きを与えてほしい。
「結局表現の規制緩和しろって言いたいだけかよ死ねペド野郎!」と思われるかもしれないが、他に訴えられることがないだけである。実在する子供への虐待を認めろなんて思ってもいない。自分自身が元被害者だから、子供への性加害がいかに残酷かはよく理解している。
安全に生きるためには、ただ自分を抑えて性的なことに興味が薄い人のふりをして生きるしかない。
案の定の手合いがいらっしゃってるんですけど、隙あらば児童と性的に接触したいぜ!とか一言も書いてないんだけどな。むしろ加害性を自覚して弁えていますという話なんだけど、内心の自由すら許さない勢いなのかな。
追記2
別に児童が好きなのはパワーバランスが不均衡で制圧しやすいからじゃないです。好きだからです。可愛いからです。同性愛者が同性を好きなのは「異性に苦手意識があるから」「異性の良さを知らないから」ですか?違いますよね。それと同じです。
追記3
好きだった作品群がサイト側の要請で残念なことになったのが辛すぎて、つい書いてしまった。
追記4
実のところは、対象との合意が不可能であること以外、同性愛と小児性愛に大きな差などない。社会に認められるかは多数派の気まぐれによるのだ。
ここに引っかかってる方が数人いるようなので。表現がまずかったです。
『無実の小児性愛者がただ存在しているだけで差別を受けるのは、誤解と偏見に基づく心証の悪さによる。』に訂正します。受け入れられるも疎外されるも、マジョリティがキモいと思うか否かが肝なんだよなぁ、と言いたかっただけでした。
ブコメの黒線の話ですが、媒体やサイトによります。ギリギリのを提供してくれる場所もまだ生きてますけど、ダメなところはダメになりましたね。前述したように最近好きな作品が非公開を食らってしまって、かなりショックを受けました。もし今後もっと厳しくなったらどうしようかと危機感を抱いてます。
追記5
※思うところあってディティールを大幅に削りました。
・被害児童の気持ちがわかるか→読みにくい文章で申し訳ないけど、もう書いてます。私は元々被害児童です。
・AIを使え、自分で書け(描け)→もうやってます。自作の非公開小説は原稿用紙に換算すると約3000枚分ありますが、自分で書くのと他人の描いたものは違うんですよ。全然違う。
ワイは入れられる説を推す。
残置物以前に賃貸借契約を終了させなきゃいけないんだけど、借地借家法は賃借人を強く保護しているから、死亡による契約終了みたいなことができるのか考える必要がある。
この場合の契約終了は事前の合意に基づいている。合意解約自体は有効。ただ、その解約が条件や不確定期限にかかっている場合は、「賃借人に不利なもの」(借地借家法30条)として特約が無効とされる可能性がある。
などがあり、曰く、
これらは、いずれも、賃貸借終了の時期が不明確であり、一時使用のための賃貸借とも認められず、条件の成就・期限の到来が専ら賃貸人の事情に依存する不確定期限ないし条件付賃貸借であって、借家人に不利な特約であるからである。
とのこと(別冊法セno.257新基本法コンメンタール借地借家法【第2版】190頁)。
このあたりの議論をもとに、「死亡解約特約は不確定期限だから無効」という説明をするネット記事が散見される。
ただ、不確定期限なら必ず無効かというとそんなことはなくて、条文が明記しているとおり、無効になるのはあくまでも「賃借人に不利」な特約に限られる。上に引用したコンメンタールでも、
と説明されている。
それでは「賃借人の死亡」という期限は賃借人に不利といえるか。
賃借権は相続可能な権利であるし、特に相続人たる同居親族がいる場合に契約者死亡で即・出ていかなければならないとすると、いつ生活基盤が脅かされるとも分からないので賃借人に不利とも言いうる。なにせ借地借家法は相続人ではない同居人すら保護している(36条。ただし強行規定ではない(37条参照))。
けれども、賃借人は単に居住権を有するだけではなく、その対価として賃料債務を負うのだから、無用になった賃貸借契約が速やかに終了することは賃借人の利益にもなる。
したがって、少なくとも独居の賃借人については、死亡によって解約になる特約は「賃借人に不利なもの」ではなく、合意は有効と考えるべきだと思う(私見)。
(そもそも契約終了後の残置物処理は法3章1節の対象外なので法30条による強行法規性も無さそうだけど、その点はいったん置いといて。)
賃貸人に残置物の収去・処分権限を与えるのは、賃借人に不利とも思えるけれども、これを認めないといつまでも賃料相当の損害賠償債務が発生し続けるので、かかる損害を抑止できるという意味では賃借人にもメリットがある。
まずは、郡道美玲さんの卒業のために、長きに渡って正当な手段で声を上げ続けた方たちに慰労と感謝を。本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。あなたたちのおかげで郡道美玲という存在はにじさんじからいなくなって、私たちが今後過ごすにじさんじファンライフがまたひとつ穏やかなものとなりました。
そして、上記の文言に反感を持たれる方に向けてこの文章を書いていません。この文章は郡道美玲さんが卒業に際して安心したにじさんじのファンが郡道美玲の中の人が卒業後に行う振舞いによって傷つくことがないように、今後起こりうることやどのような心持で過ごせばいいかを書いた文章です。
卒業配信で郡道美玲さんは運営への文句や、自分を卒業に追い込んだリスナーへの文句を言う可能性があります。
今回の謹慎中、運営とのやりとりがうまくいかなかったから卒業することになったのであり、運営が彼女に求めた要求と、郡道美玲さんが考える活動方針が噛み合わなかったから卒業ということになっています。そして、今回謹慎に至ったのもにじさんじファンの上げた声が大きくなったからこそです。つまり、当然のことながら郡道美玲さんの卒業は運営と対立したから。にじさんじファンの郡道美玲さんが不快だという声があったからです。わざわざ書かなくてもわかることですが、あえてここは意識したいところです。郡道美玲さんは今回の卒業を騒ぎにして掻き回すようなことをする可能性があるからです。私の知っている郡道美玲さんはトラブルを掻き回して深刻にするという行いが上手いから、郡道美玲さんがなにをしても「そもそもなんだったのか」ということをちゃんと認識しておくことが大事だと思います。
ひとつ、危惧されるのは「こんなネタ発言くらいで卒業になるとかひどすぎる」という文脈での発言がインターネットに増えるであろうということです。
にじさんじをよく知りもしない、Vtuberをよく知りもしない関係のない外野がこの文脈を使って今回の卒業をゴシップに仕立て上げます。これはすでに起こっていることでもあります。
そうして騒ぐ外野たちの声を郡道美玲は利用する可能性があります。「自由に発言できることがインターネットの面白みだと思っていた」と、もしかしたら卒業配信で涙して訴えるかもしれません。「自分は自由でなくなったインターネットの被害者だ」と言い出してもおかしくはないでしょう。
しかし、郡道美玲はWBCの発言で卒業となったのではありません。彼女が卒業となった理由は「度重なるコンプライアンス違反」「指導してもまったく反省がみられない」です。
活動初期から彼女は問題発言・行動を繰り返し、ここでそのすべてを振り返るにはあまりにも膨大となってしまうためできないくらいです。
リスナーとの度重なるレスバ、指摘された間違いを隠そうとする行為、「洗脳しようとしているのでは」と危惧させるほどの自分のファンへの過激な要求……
彼女の発信しようとする「過激だからこそ面白い配信者活動」は黎明期からにじさんじと折り合いがつきませんでした。運営も、ファンも、「面白くない」と判断する人が多かったから今回卒業に至りました。
いくらでも活動方針を修正する機会はあり、そうしてきたライバーも数多くいるなか、彼女は「面白くない」とされた活動方針を変えることはありませんでした。
今後の卒業配信や、それを騒ぎ立てるゴシップに傷つく事がないよう、郡道美玲さんが卒業することになった今ままでの積み重ねをしっかり認識していきたいです。
ただ、彼女がにじさんじを中傷し裁判沙汰になってもうまくいかないだろうと思われるので、訴訟に発展するような発言は卒業配信では行わないと予想されます。
裁判はいくら弁護士にまる投げしても、本人の根気強さとかしこさがなければうまくいきません。私の知っている郡道美玲さんは法的係争に向いているような人ではないと認識し、彼女自身もまたそれを理解し裁判を脅し文句に多用するだけに収まっている気がします。
卒業後、郡道美玲だった人物がにじさんじで彼女が経験した不快な出来事を拡散する可能性があります。彼女は、中の人のアカウントをあまり隠してはいませんでした。
https://twitter.com/g6mo2?s=20
他にもアカウントは存在し、インスタグラムなどでも活動していたことが知られています。このアカウントが1.5万フォロワーと、一番有名だと思います。
彼女が1人で暴露のようなことを行うのであればそれは不快ではあってもおおごとには発展しないでしょう。あくまで彼女は度重なる違反行為によって社から出て行ったわけで、にじさんじ側は当然の処分を行ったと結果的に判断されやすいからです。
では、なにが危惧されるのか。それは、他の「中の人アカウント」を巻き込んでの暴露行為です。
竜胆尊、鷹宮リオンなど、他にも中の人アカウントであることを積極的に隠してはいないアカウントが多く存在します。そしてその方たちは郡道美玲の中の人と交流しています。
ここで前置きをしておきたいのですが、私は「中の人アカウント」を積極的に隠していないことを「完全な悪」だとは考えていません。それは個人活動者である配信者にとって保険のような役割があり、いざ不当な行為によって活動が危ぶまれた時、発信力のあるアカウントを保持しておくことは自分の身を守るために必要だからです。しかしそれにも限度があり、良識の範囲を超えて匂わせをおこなったりするとファンからの反感を買うこととなり、それもまた当然のことだと思います。
郡道美玲の中の人が呼びかけて、他のにじさんじライバーの活動を制限するように言葉巧みに勧誘する可能性はありえないことではありません。それほどまでに彼女は仲良く中の人ともども繋がりの強いライバーは多いからです。
もしそのような事態に至った時、私たちはどうすればよいのでしょうか。
それはやはり、「変に騒ぎ立てない」ということです。一時的に他のにじさんじライバーが郡道美玲の卒業によって活動がなくなっても、反省をせず郡道美玲アカウントで各方面と対立を続けた彼女がにじさんじを卒業したということは当然のなりゆきであるということにライバーもリスナーも気付くからです。一番ダメなのが、彼女の扇動によってリスナーが過剰に反応をして、扇動を受けたライバー自らも活動に対して不安になってしまうという流れです。
もしも郡道美玲の中の人がにじさんじを傷つけるような行いをしたとき、彼女が卒業するまで根気強く正当に抗議をしたファンを見習って、SNSで騒ぎたてるようなことせずに運営に対処をするよう問い合わせをすることが私たちファンのできることです。
郡道美玲さんと対立をし、その後表立った活動を休止しているにじさんじライバーがいます。
今後、彼女の復帰を望む声は郡道美玲さんの卒業によって大きくなるでしょう。
それは長い、長い間、彼女を復帰をただ祈り続けているファンが少なくありません。彼らファンは、決して郡道美玲さんの卒業と結びつけて彼女の復帰を望むようなことを発信しないでしょう。長い間ただ祈り続け静かに応援し続けていた今までどおり、これからも彼女の復帰を祈り続けるのだと思います。
彼らファンが、「邪魔者がいなくなったから早く復帰しろ」と下品な声をあげる人たちをどんな気持ちで見ているのか、それは自分には想像できないくらいつらいものであると思います。
この文章を書いたのは、ずっと祈りを続け、ようやく復帰の土壌が整いつつあることを静かに喜んでいる彼らの応援が汚されるのが見たくないからです。
このような文章を出したところで、きっと彼らの祈りは汚されてしまうのだと思います。騒ぎ立てる連中は必ず数多く現れるでしょう。それでも、せめて彼らの静かで力強い祈りが成就する日を、私も待っています。
この文章は間違っているところがあれば訂正し、追記すべき事があれば書き加えたいと思っています。
この文章についての各言及を反映し訂正することがありますので、ご了承ください。また、訂正や追記などを求める事項がありましたら積極的にコメントをお願いできると幸いです。