はてなキーワード: 慰安婦問題とは
日韓合意における「解決」は、settle解決(法的決着)ではなくresolve解決(決心・決議・解明)。
たとえば刑事で日馬富士が処罰を受けて民事で貴ノ岩に賠償してという法的決着ではなく、
日馬富士が貴ノ岩に暴行したんだ、日馬富士が悪いんだということが明確になったんだという程度の意味。
慰安婦問題では日韓合意のresolveのあと、settleが待ってるはずなんだけど
それがないかのように扱われている。
なるほどね
今回の場合は、「アメリカの地方自治体が(勝手に)公式見解にした」という話か
……なるほど、腑に落ちた
ただ、凄くシュールな話だとは思う
「日韓両政府がこれ以上、国際社会で問題化させないために慰安婦問題に言及しない」状態でありながら、第三者の「アメリカの地方自治体が(勝手に)公式見解にした」という状態は「これ以上、問題化させずに最終解決し、日韓の溝を作らせない」という本来の主旨がねじ曲がっていると思うけどね
軍隊の性病防止や性犯罪防止のために、軍隊慰安所が開設されたことは事実。あくまで公娼の範囲内での話。
そして、必要悪であったとしてもやはり女性の気持ちを傷つけたとして、河野談話や安倍談話として日本政府は公式に謝罪した。
それを政治利用して、日本から更なる謝罪を引き出そうとする頭のおかしい国が日本のそばにあるけど、まあこれは無視すればいい話。
ただし、日本軍が占領地の女性を誘拐して慰安婦に仕立て上げたことについては、3年前に朝日新聞が誤報であると認めた。
一度だけ、インドネシアでオランダ人女性を日本軍人が誘拐して慰安婦にしたことがあったけど、これは軍規違反で関係者は日本軍の軍法会議によって処分されている。
この二つはあまり関係が無いように思えるけど、男の性欲とどう向き合うか、どうコントロールするかという問題では根っこでつながっているのではないか。秦郁彦氏によると、近代公娼制が始められたのは性病対策がきっかけであったらしい。日本軍の占領下の町において、軍人の性暴力を防ぐための「必要悪」として、国家の意思として軍隊慰安所が開設された。そして戦後70年が経過した今でも、慰安婦問題は我々日本人にとって喉仏に突き刺さった魚の骨のようにその現実を突き付けてくる。4年ほど前の、橋下徹元大阪市長の慰安婦発言や、騒動後のツイッターをもう一度読み返してみようと思う。
ではエロ本についてはどう考えるか。エロ本が世の中から排除されたとしても、すぐに性犯罪が急増するとは思えない。エロ本以外に、男の性欲を解消する手段はいくらでもあるからだ。しかし撤去賛成派の人たちの中には、男の性欲そのものを排除したいという意思を持っている人もいる。そういう人たちの真意は一体何だろう?
なんというか情けないというか、気持ち悪いクソ親父だな。
#極左暴力集団 でもある #社民党 の #佐藤あずさ #八王子市議 は
なぜか「俺達がすごい」=差別とレイシムズとそして愛国と謎の結び付け。
さらに
社民党は誰の事も【排除】しない社会と言いつつ、
個別垢はブロックしている矛盾。
整合性が全く無いから国政では相手にされないのだろう pic.twitter.com/dyWyIdIsTx— 山西四郎 (@kiteruwkiteruw) 2017年10月29日
その論調で中国(南京大虐殺、支那事変)と韓国(慰安婦問題、日韓併合、秀吉の朝鮮出兵)にも言い返してやってもらえますか?— ZF ⚡ (@ZF_phantom) 2017年10月28日
https://anond.hatelabo.jp/20171024075235
批判対象として話題になっていたエントリー。批判も正しいと思うのだけど、自分が気になったのは本題ではなくて、「人権とか言うのは、カルト宗教みたいなもの」というフレーズ。
人権とか民主制とか、信じてない人から見れば、カルト宗教みたいなものなんだってこと。
人権とか民主制を軽視している人が、しばしば「保守」を名乗るけれど、彼ら<も>、人権とか民主制は、「科学的」あるいは「普遍的な」ものだと勘違いしている。勘違いしているから、人権とか民主制を批判しても、それに近いものが、社会を支えてくれると思っている。
でも、そうじゃない。人権とか民主制は「カルト宗教」みたいなもので、みんながその価値を信じることにしか基盤がない。みんなが「そんなもの大したことない」と思い始めたら、いつでも崩壊する。
そして、この点において、実は左翼とかリベラルとか言われる人たちも同じ問題を抱えている。人権とか民主制が、「科学的」あるいは「普遍的な」ものだと勘違いしているから、その価値を受け入れない人の立場が分からない。そして、対話が成立しない。
大事なのは、人権も民主制も「カルト宗教」だということ。脆く、儚いものだということを、認めることだと思う。
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あと、別件だが、「リベラル」という概念と、国際問題や安全保証の問題につながっているのは歴史的には正しけど、現時点での政策の問題としては分けるべきだと思う。
たとえば、自分は「憲法にかかれている国民の権利に条件を付けろ(論理的には、普遍的権利としての基本的人権を廃止せよと同義)」という意見に反対だし、それが「リベラル」のもっとも典型的な主張だと思うのだけれど、一般的に「リベラル」という言葉が指しているものは、それよりもかなり広い。
国際政治について言うと、論理的には、「リベラル」であることは、「侵略戦争は批判されるべき」ということまで導く。論理的とまでは言わないけれど、慰安婦問題見直し論とか、歴史修正主義とかに、批判的な立場になることも、「リベラル」の帰結として自然とも言える。
ただ、9条をどうするかとか、米軍基地をどうするかとかは、リベラルかどうかとは関係ない話で、リベラルの立場から、9条の維持、廃止の議論はできるし、リアリズムの立場から、9条の維持、廃止の議論ができる。実際、日本は、「民主主義の価値観を世界に広めるために、世界最強の軍隊を持つべき」という立場(だった)国と友好的関係にあるわけだ。
「リベラル」ということで、こうしたリベラリズムが中立的であるはずの問題にまで、特定の立場を取っているとみられるのは、「リベラリズム」にとってマイナスだと思う。