はてなキーワード: 愛国とは
疑問どころか、網野氏の史観は「国民の物語」との格闘の結果と言ってもいいくらいだよ。
それが形を変えて「日本とは何か」や「天皇とは何か」に繋がっていく。
この辺は最晩年の対談集「日本をめぐって」の最終章、小熊英二との対談でかなりあけすけに語っているので、是非。
https://www.amazon.co.jp/dp/4062110237
国民的歴史学運動については、同じく小熊英二の「<民主>と<愛国>」の第8章に詳しい。
あと呉座氏や亀田氏が、ベタに「国民の物語」を希求している訳はないけど、トータルヒストリーの語り口としての「国民の物語」に、関心がないはずはないと思うんだよね。
↓の人の様に、イマイチ分からん、と思ってる人に、多分これを意識すると「あっ、そう言う事か」と成るんじゃないかな、と言う補助線が有るので共有しておきます
https://anatadehanai.hatenablog.jp/entry/2021/03/07/110833
https://anond.hatelabo.jp/20210306213555
恐らくだけど、カズオ・イシグロ氏を含む欧米のリベラルにとっては「ブレグジットやトランプ政権の誕生を予想出来なかった事」がトラウマとして残ってるんだと思う
ブレグジットの時はどうだったか忘れたけど、トランプ政権誕生の時は選挙結果が出るまではヒラリーの勝利を予想していたリベラル知識人が多かったと思う
要するにあの時、メディアはヒラリー側の見解やヒラリー側に有利な情報を多く流していて勝利ムードだったけど、実は違った、という事が非常にショックだったんじゃないかな?
こういう危機感なら、日本のリベラルの人達も有る程度共有出来るのでは無いだろうか
単純に言うと「メディアで受ける印象と、実際の開票結果が違うのは困る!」って事だね
日本だと「ネットで見た印象より自民党の支持率が高い、なんで!?」みたいな事かな、この場合はネットをしない層の意見が隠れてるって事だね(後は勿論組織票等)
リベラル側からすると、ネットやメディアで非リベラルな主張が載せられる事は不愉快かもしれない、でもそういうのが無くなると、いざ選挙や支持率が出る時に結果に「なんで!?」って成る事が有ってそれは困るよね、と言う話
そういう事を防止するには普段から非リベラルの人達が何を考えているか知っておく必要があり、その為に非リベラルの人がネット上で記事を書いたり芸術として表現したり出来る土壌が有ると良いよね、と言う話じゃないかな?
「普段から非リベラルの人達が何を考えているか知っておく」為にもう一つ必要なのは、曲解しない事、だね
↑の感想の筆者の方がどうかは分からないけど、リベラルの一部の人を見てると、非リベラルな人の意見を物凄く曲解して批判してる事が有る
あれは止めた方が良いね、その時は気持ち良いかも知れないけど、「非リベラルの人達が何を考えているか」と言う知識を自分から歪めてしまう事に成る訳だから
厄介なのは、曲解してる本人は曲解している自覚が無いって事、今これを読んでるあなたも自分では「曲解なんかしていない」つもりでも、実はしてるかもよ?
非リベラルの人をモンスター化して考えるのは止した方が良い、彼らも俺達と同じ人間で、彼らには彼らなりの理屈が有る、そこに耳を傾けてみよう
「そんな事は無い!彼らは間違っているんだ」と思ったら赤信号、もうかなり危うい状態だ、話を聞く前にどうして正誤が分かるのだろう、まずはちゃんと話を聞いて悪意じゃなくて善意で判断してみよう
彼らは1つじゃなくて無数の主張をしている、その全部が間違ってるなんて、先ず確率的に考えても有り得ないよね?(勿論各意見の正誤は同様に確からしく無いし、厳密には確率的には考えられないが)間違っている物も有るだろうけど合ってる物もあるはずだ、それをちゃんと評価出来るように成ろう
一部の(もしかすると多くの?)リベラルの人達は非リベラルの意見を悪意的に解釈する癖が付いている様だから、
意識的に善い方に解釈するようにすると良いと思うよ、所謂「最善の相」って奴だね
多分その位しないと歪みは直らない
非リベラルの意見に直面した時、カッとなるのを抑えて「いや、待てよ、これはこういう解釈もあり得る」と好意的な解釈を考えたり、「間違ってると思ったが理屈は通っている」と思ったり、「成程自分にはこういう偏見が有ったかもしれない」と振り返って見る
そういう事を遣れるようになると、いざ選挙結果が出た時「なんで!?」って成る事が減るんじゃないかな?
あともう一つアドバイスすると、リベラルの人達は(排外主義的でない)愛国的なコンテンツに対してのアレルギーは直した方が良いと思うよ
ブコメでも書いたけど野田洋次郎のHINOMARUとか、ああいう物への反応が一番世間との乖離(→選挙での「なんで!?」)の原因だと思う
自分では「愛国的だから批判してるんじゃなくて、創作物として劣っているから批判した」つもりでも、愛国アレルギーに自分で気付いてないだけ、って場合も有るから気を付けた方が良い
https://anond.hatelabo.jp/20210305071103
ふらっとツイッター見てたら結構著名な方に反応されてておおっとなってしまった。
この文章の著者が「情報系の学部の生徒がたくさん入るサークルだったのでオタクはたくさんいた。多分そのサークルで『鬼滅は自助・共助を…』と言い出したら友達はなくすかな」と言っているのはおそらく正確な観察で、議論ができず「畜群」的関係しか持てないのが「ヤンキーに近い」オタクなのである。
これがその方の反応なのだが…
議論ができずというのが
どっちなのかはわからないので何とも言えないが、
議論ができないというか「おっ、やべやべ、逃げろ逃げろ」という感覚のほうが近いかな。
こう行動するのも、畜群みたいな関係しか築けない、つまり、鬼滅を批判する奴は許せないので排除したいからというわけでもない。
大げさに言ってしまうと、軍歌かけながら「大日本愛国~」と書かれた真っ黒な街宣車乗ってメガホンもって叫んでる右翼が突撃してきたから逃げる。
鬼滅が好きだろうとなかろうと、右翼だろうと左翼だろうと、やべぇからビビッて逃げる。
確かに非リベラルやアンチリベラルの意見だって、インターネットで吐き出するぐらいは自由にできるさ。
書店に本を並べることもできるだろう。
流石にそれらを直接口封じされるほどヤバい状況にはなっちゃいない。
だけどそういうのって、学問だの批評だの言論だの民放テレビだのアカデミー賞だの直木賞だのNetflixだのの場からは、価値観のアップデートができていない野蛮で遅れたアホの野次だとか、衆愚の自尊心をくすぐる思想的ポルノでしかないと見られてるじゃん。
非リベラル側がストーリーを語る権利がないがしろにされているってのは、その辺を指してるんだと思うぞ。
リベラルの元増田からすれば「世間一般には非リベで保守の奴らのほうが多くて、俺らは数で負けてるんだから、優位にあるわけがない」って感覚なんだろう。
でもな、数の問題じゃねえんだわ。
なんだかんだいっても言論の中心ってのは、やっぱ格調高そうな大学の先生とか、文化人とか、テレビとか、賞レースに参加する作品とか、大企業のプレスリリースとかなんだわ。
たとえその担い手が人数としては少なくても、その辺を通じて出されるメッセージは、真面目なメディアを通して、真面目に扱われ、真面目に広められる。
(アメリカのFOXは、あの極端な保守があのメジャー度なの意味わからんしこえーな。扱われ方の実態をよくしらんので置いておくが)
虎ノ門ニュースだのまとめサイトだの平積みの愛国本だのは、影響力と売上はあっても、結局ゴシップやカスとり雑誌、流言飛語のたぐいでしかない。
俺はあの辺に触れてないけど、たぶん愛好者層のほとんどは自分たちが好んでる情報がうさん臭くてバカにされるもんだってのは自覚してると思うぞ。
たとえばいくらソシャゲが売れてようと、そのプレイヤー達ですらゲームのトレンドを作るのはコンシューマや大作PCゲーだと思ってる。
ユニクロヘビーユーザーでも、世界のファッションを動かすのはルイビトンだかエルメスだかだと思ってる。
今、言論における重鎮たちは圧倒的にリベラルが多いと思わないか?
たまに芸能人だの思想家だのが非リベラルなことを言う場合、みんな「敢えて言う」とか「歯に衣着せぬ本音を」みたいな前置きをするか、「過激発言」みたいな後先考えぬ炎上芸ぽい奴ばっかりだ。
カズオは、リベラルがストーリーを語る権利を自分たちの専売特許であるように感じてる、と言った。
僭越ながら俺が表現しなおすならば、「語ったストーリーを聞いてもらえる権利が、リベラルに偏っている」という問題だ。
もちろん厳密な権利論では、語られてる主張を聞くかどうかってのは聴衆に任せられる部分であり、語り手が「俺の声を絶対聞け!」と要求する権利はない(あったら世の中がやばいことになる)。
だが、非リベラルの意見には、世間的な大義名分が与えられづらいのは確かだ。
非リベラルの意見は、真面目な高尚な場で、真面目で高尚に扱ってもらいづらい、ともいえる。
リベラルの人間は、それは非リベラルというレッテルで聞くのを拒否しているわけではなく、実際に聞いた中身が余りに暴力的だったりくだらないから反対しているだけだ、と言うかもしれない。
でも、それはリベラル価値観で暴力的でくだらないとされてるにすぎないのかもしれない。
ならますます不味いぞ、世間全体がリベラル価値観に寄ってるということだから。
あと後編の方、何十も前の死んだ作家が非ポリコレだからどうの、なんてのはどうでもいいとこだろう。
露骨に古典が燃やされだす、もしくはドラマや映画や批評本で古典を題材に撮ったものが連発されだしたなら取り上げる意味が出てくるけどそうじゃないからな。
桐生ココは昨年9月の配信中にYouTube アナリティクスによる国別視聴者数の結果を紹介して
その上位の国に台湾があってそれに言及したことで台湾は国ではないと愛国中国人たちに嫌がらせを受けて現在に至ってる。
茅野愛衣は今年の2月11日、ラジオ番組「茅野愛衣のむすんで、ひらいて」中にて”お仕事の合間に「むすひら」祈願”として靖国神社にお参りする内容を放送した結果、愛国中国人に目をつけられて集中砲火を浴びることになった。
これらはいずれも外国人がこぞって批判キャンペーンを繰り広げなければならないような重大な問題ではない。
些細なことをあげつらって寄ってたかって攻撃して個人をいじめているだけだ。
中国は米中対立と武漢コロナと民族浄化がらみの問題で世界中からヘイト集めてる関係で
政府批判をかわすために中国共産党は国民の敵意を他国に向けるように誘導している。
少なくとも国民が他国へ憎悪を向ける偏った愛国主義を食い止めようとはしない。
そしてそれにともない中国内のナショナリズムが激化の一途をたどっている
中国の愛国無罪はいまに始まったことでもないが、過去の反日運動は日本企業や日本製品が主な対象で、政治的意図を持たない政治的影響力をもたない動画配信者や声優といった個人攻撃にまでは及んでいなかったはずだ。
多くの人は思うだろう。
中国人は余裕をなくしているなと。
いつどんなことで難癖をつけられて嫌がらせを受けるかわからないからだ。
まったく悪意がなくてもどんな些細なことでも彼らが敵とみなせば中国人の敵として認定されてしまう。
さらに恐ろしいことに中国人から敵認定をされるとそれに巻き込まれたくない身内からも問題を無視されるようになるのだ。
外国から人権侵害といっていい誹謗中傷を受けているのにマスメディアや国内のリベラルは無視し続ける。
無視されずとも中国人にとっての地雷を踏んでしまったこのひとが悪いのだから叩かれるのは当然だという態度を取られることもある。