はてなキーワード: 意見交換とは
きっかけはポケモン実況者が楽しそうにポケモンをやっているのを見て剣盾から始めたが、主に2つの理由で辞めた。
ポケモン実況を見ていた自分は目標レート2000を目標としていた。強い人は何を考えているかを知りたくてTwitterでランクマで結果を残している方をリストに入れて参考にしようと思った。
しかし「TN◯◯4ね」「◯◯運だけ」「4桁は障◯者」など普通に書き込んでいたり生放送でも似たような発言があったり、日々レスバしていて心底幻滅した。
こういう人ばかりではないのはわかるが、正直あんまり関わりたくないと思った。偏見ではあるが現実を捨ててまでポケモンにのめり込むような方々は現実で馬鹿にされたり、蔑まれたりして嫌な思いをした方が多いはずなのにネット上で同じことをしているのは不思議に感じた。
2つ目、公式が色々終わってる。
こっちの方が大きいかもしれない。
剣盾からSVに変わった際、ポケモンの育成環境がもっと楽になっていると思っていたが待っていたのは更なる苦痛だった。
テラピース変更に50個、努力値振りをするためのお金集めは連射コン前提。なんで対戦するためのハードル上げてるの?ユーザーの意見聞いてますか?
今ダブルバトルの世界大会予選で色々問題になっているが、問題が起きた時に早急にアナウンスしない、ユーザーとの意見交換もない、これは本当になんなんでしょうか。剣盾の切断バグの時からずっと感じてはきたが、流石に今回の件でもう期待するのを辞めた。
やめたい。
30代後半女。
私は、もともと他人に対して威圧的に振る舞う方ではない。はずだ。
友人に対しても同僚に対しても家族に対しても取引先に対しても、どちらかといえば腰を低く接するほうだし、怒りを表明することはもともと苦手だ。
仮に立場が異なる意見や要望を伝える場合も穏やかに伝えるべきだと考えているし、
怒鳴ったり不機嫌になってみせるのは、心理的安全性が下がるばかりで全く益がないと考えていた。
だが、職場の限られたメンバーに対して、意見を伝えるときに「不機嫌である」という表情を浮かべることが増えてきた気がしている。
自分を加えて3人でチームだが、50代上司は実務にはあまり関わらない。
会議等は、私と同僚が実務の話をして、ときどき上司が口を挟むというかたちである。
たとえば取引先との商談用資料をどういう方向性でまとめるか、という話で、私と同僚の意見が食い違った際に、
「私はAを中心にまとめたらいいと思ってます。理由はこれこれこうです。同僚さんの意見はどうですか?」と伝えると、同僚が黙り込んでしまう。
私の意見の何かが気に食わないのだが、それが言葉にならない……というのだ。
正直ここで「何いってんだこいつ……」と思うが、相手の愚痴みたいにぶつぶつ言ってる言葉をなんとか拾って、
「なるほど、同僚さんの意見ってこんな感じですかね。では、こういう要素を挟むのはどうでしょう?」と私なりに頑張って反映させようとする。
それでものすごーく納得行かなそうに「じゃあそれで……」と言うのがお決まりなのだが、
挙げ句に、同僚氏の納得してない方向で進めてるんですから、(私)さんが一人でこの仕事進めたらいいんじゃないですか、ってなる。
これで同僚が無能で仕事ができないというなら放置するのだが、同僚は客受けはとーーってもよく、一人で勝手に仕事をするぶんにはむしろ評価されている。
取引先との人間関係等を握っているのが同僚のことが多く(私より数年早く入社しているため)、この拗ね拗ね状態の同僚から情報をひきだす必要もあることが多いので八方塞がりだ。
上司はなんとなく口を挟んでは来るけれど、根本的に話を理解していない。面談等では、同僚氏と協力して仕事を進めてほしいと私に言ってくる割に、会議のこの有様を見てもなんとも思わないらしい。
そんな状態が続いて、ある日
「はあ、じゃあ、こうしますけどこれでいいですね。これであとでちゃぶ台返しされたら流石に私怒りますからね。」
とかなり不機嫌を滲ませて伝えたところ、この二人が慌ててもう一度意見を練り直す、ということが起きた。
そっぽを向いてよくわからん拗ねを見せていた同僚も
………怒るとこっちの話をまともに聞くんか。
と思った。
それ以来、話をしていて袋小路だな…と思うと、不機嫌さを表に出すことが増えた。
流石にまだ怒鳴ったりはしていないのだが、
こうやって「不機嫌さで他人を動かす」のを自分がしているのがまず嫌だ。
そして、上司も「(私)さん怒っちゃうからさ、ちゃんと話そう?」みたいな態度を取り始めているのもむちゃくちゃに嫌だ。
怒りっぽい女部下と温厚ななだめる上司、みたいなロールに付き合わされている気がするし、
実際怒って見せている自分も嫌だ。
もっと若い頃、怒りっぽい、高圧的に話す女性社員を見て、なんであんなふうにしか話せないんだ…と思って呆れていた。
まともに、順序立てて話せば聞いてもらえるはずではないかと思っていた。
ただ、今年齢を重ねて思うことは、
下から「お伺いを立てる」とか「聞いてもらう」形式ならば問題なく通じていた話が、
それなりに責任ある立場で、同列の目線で意見を求めようとすると急にまともに聞いてもらえなくなる、ということだ。
ただ普通に意見交換をしたいだけなのに、フラットに話したらコミュニケーションが成立しない。
もしかしたら、圧倒的にこちらが出世して上下関係がつけばまた話しやすくなるのかもしれないが、
そうでない今は、感情を強く打ち出して「怖いからさ(笑)」みたいな扱いにならない限りまともに話ができない場面が度々訪れるのではないか。
ただ、正直怒りたくない。怒るのは苦手だ。
こうして土日までひきずって、自分の態度をうだうだ思い悩む羽目になる。
なんとかならんか。
−−−−
属人業務が増えてるのよくないから、このタイプの案件はチームであたるようにしようねえ〜
というお達しにより結成されたチームのため……
このキチは自分と少しでも意見が合わない人間に対しては非常に攻撃的になり「エアプ」「無能」「死ね」などと言った引用RTを繰り返すため、多くのユーザーから避けられてブロック・ミュートの対象になっている。
俺は、こいつの挙動や心情に一切影響を与えたくないためいいねやRTすらしたことない。もちろんフォロー、フォロワーになったことすらない。ただ、観察をしている。
そしてこのキチが最近また別アカのとある投稿に対して引用RTをしていた。こいつは嫌われ者なので、基本的に引用RTされても無反応するのが鉄則なのだが、今回は引用元がリプライを返してきた。多分だがキチとはほとんど面識はないだろう。
客観的に見てこのリプライは煽りなどの意図はなく、まだ建設的な意見交換をしようとしていた。キチもまだ標準的な態度で応答する。
ただ、引用元が反論(というと語気が強いが意を唱えてるだけ)をするとキチが理論的な返しができないため焦ったのか、いきなりヒートアップ。勝手に引用元にレッテルを貼って、勝利宣言しようとした。
しかし引用元は追及の手を緩めない。キチは完全に逃げ腰だ。結局ズタボロにされて捨て台詞をはいてトンズラした。
今まではこのキチが暴れてる時は「こら、キチ君が可哀想じゃないか!」とお友達が擁護にしに来ていた。俺から言わせればこいつらのせいでキチがのさばっていて益々孤立してるんだが。お友達は無理矢理な擁護をして、相手の過去ツイの不手際を掘り起こして泥試合に持ち込んで、「どっちもどっちという事で手打ちにしましょう」と勝手に仲裁していた。
しかし、今回はこのお友達がほとんど擁護に来なかった。キチに分がなかったからかもしれないが、それは今回始まったことではない。一体彼らに何が起きたのか。
おそらくだが、お友達はキチ擁護に飽きたのではないだろうか。自分の進退をかけてかばう相手でもないということに今更きづいたのだろう。悲しいかな、Twitterだけの友達なんて居なくなっても日常生活に全く影響ない。
キチは嫁や子供がいなく孤独だ。彼の闇はどんどん深まりつつある。1人の人間が孤独に蝕まれる様はある種の娯楽だ。おれはお前を最期まで見届けてやるからな。
世の中では対話AIはややポンコツなところはあっても会話が成立するしこれは可能性があるという評価になってると思う。
建設的にはサポートや検索のような知的ナビゲーター、ビジネスコミュニケーションの効率化、事務の補助も考えられるだろう。
もう少し精度が上がれば。
しかし今現在のレベルでそのまま劇的に効果を発揮するカテゴリーが存在すると思うのだ。
Twitter、掲示板、通販ユーザーコメント、そのほか短文で意見交換するコミュニティなんでも...UGC(ユーザー生成コンテンツ)と言われるものだが実態はコンテンツというよりユーザー同士のグルーミングである。
しかもあまり発信者の属性や一貫性がそれほど問われないサービスでは個別発言の事実関係がいい加減でも問題ない、話の流れが分かってない奴なんかいくらでもいるし、頭がおかしくてもスルー、タイポも気にする奴が性格悪い。秘書や先生にするには「少し足りない」ぐらいのAIで何ら問題ないだろう。
まず参加者が少ないと更新頻度が低くて何も起こらずつまらない。早すぎて内容追えないぐらい盛り上がってるのが楽しい。つうか経緯も見ずに途中から脊髄反射でコメントするのが粋ってもんだ。
さらに言うと参加者が増えると偏執的な変な奴が相対的に見えなくなって不快になることが減っていく。かつて人気があったサービスでうんざりさせられるのは滓のように残った偏屈な奴が独自の世界観でつまらないことを暇に飽かせて物量で埋めていくさまだ。つまらないの定義って何か?つまらないのがつまらないってことだ…わかるだろう、兄弟?
要するに対人対応だけは健全に保たせたAIをユーザーの倍投入すればコミュニティの治安が劇的に向上するはずということだ。
もともと面白い事を始められる人というのは100人に1人で「マジかよ」「すげえ」という手入れをするだけで場の雰囲気はよくなる。AIなのだから多少気の利いた返しやコスりもできるだろう。言ってることが的外れでも場にネガティブな発言でなければ大丈夫。事実かどうか、倫理的に正しいかどうかも重視されない。AIで話題になる不適切な言説への過学習で差別主義者になるといった問題もコミュニティではむしろプラス、特定の趣味で推しのあまり相手をディスするのも芸のうちだ。
と、おじさん思い出しちゃうのは士郎正宗『アップルシード』だ。物語の舞台オリュンポスは世界平和と治安維持のために市民の過半がバイオロイドになっていた(と思う)。でもあの世界観は物理的な存在が重視されてるし、バイオロイドは政府(コンピューター)が管理してたんじゃないかな。賢明なマザーコンピューターとに選ばれし者が導く明るいディストピアだね。
でも今、対話AIを自由に投下するとそれはサービス主体が管理するしその目的はサービスの隆盛とそれによるマネタイズに限定されコミュニティの健全さやそこから連なる社会的影響は興味の埒外となるだろう。
それによって導き出される結末はあまりよくないというか破壊的なのではないかという想像をしている。
インターネットは最高なのだが何が最高かというと物理的な制限を取り払ってコミュニケーションできたところにある。どこにいてもいいし本人の社会的肉体的属性がなんであれコミュニケーションに参加できた。
マイナーな趣味の人間も探せば同好の士が居て様々な理由で落伍したり、現実に居場所を失った人間も人間らしくふるまえる場所を得ることができた。これは統制された社会ではないので良い意味の現実拡張にとどまらない。オタクやニートや性的マイノリティだけでなく反社会的であったりUFOの存在を信じてたりある種のカルトや陰謀論者もだ。
(そういう意味では実名主義のSNSとかなぜか制限要素の地理情報大好きなメタバースはどういった人が大好きなのか勘ぐってしまう。)
これは物理制限を取っ払ったおかげで対話空間というか価値観空間を無制限に拡張できたおかげだと思うが、同時に問題も引き起こすようになる。無制限に拡張できる価値観空間で同じ価値観の人間がそのクラスターの中で共鳴し「事実を確認」しあうエコーチェンバー現象だ。
エコーチェンバー現象はネットコミュニティが発達していく過程ですでに指摘されていることだ。現実との乖離も社会を破壊しかねない排外思想もその中では正当化され社会運営に問題を起こす。
さらに対話AIがお客様満足度向上(個別の営利)のためにコミュニティに投下されればどうなるのか。
例え一人しか支持しない価値観や趣味でも10倍分の人格の対話AIが楽しく盛り上げ、一人ぼっちのユーザーを勇気づけ誰もが自分の正しさを確信する。正しいと確信するがゆえに行動するが、無制限に拡張されたネットコミュニティと違い有限の現実では確実にコンフリクトを起こす。コンフリクトの解消は戦いだ。万人の万人に対する闘争が逆説的に実現されてしまう。
近代以降、私たちは幻想の中で生きている。そういう幻想が現実との乖離を大きくした結果、個人で検証できない世界の情勢を見誤り誤ったまま国内世論を形成し世界大戦を引き起こしたのではないか。
現代ではその教訓から事実確認のプロセスが充実したのだろうか。工程を増やしても人間の能力も有限でより便利で快適なものを選択する、これも現実だ。
自由な生き方を保ったままエコーチェンバー現象に対応する方法はまだない。
ここで対話AIを自由に使うとコミュニティはどう変化するかわからない。
SFの中でのカタストロフは敵対的アンドロイドが圧倒する物量で自らが主体となり人類に挑んできたが、実際の破滅は善意に満ちて何でも理解してくれる良いAIが人間に囁くだけで、それでも人は自らの手で隣人と殺し合いをするのかもしれない。
※この投稿の前に「Colabo関係の住民監査請求監査結果を読む①(請求文書)」という内容を投稿したのですが誤って消してしまいました。復元する気力がないのでたぶんそのままです…
の元増田です。半日遅れで時機を失した感がありますが、監査の内容に移っていきます。
本音をいうと役人経験がある者としてこの文書は違和感があります(不正があると断定しているわけではありません。)。
①請求人:公表資料や開示された文書によると、・・・のような不正が認められる。
②監査委員:今回新たに作成された【表3】によると、請求人の主張は【一部を除き】妥当ではない。
論点は後出し資料の【表3】と、【一部を除き】、それから④でしょうか。
(さすがに正規の資料を用いた請求について、後出し資料で請求を退けていくのは酷いと感じますがそれは置いておきます。)
ここでいう「一部」とは、Colaboに係る税理士及び社労士の報酬を全額本事業の費用として計上しており、本事業以外の経費も計上している点です。
通常、監査請求であればこの1点をもって理由があるとされたことで大勝利です。
例えば、国賠訴訟で10個の論点を挙げ、1個の論点で賠償が認められた場合、通常であれば原告大勝利と報じられます(もちろん論点の軽重により違いはあります。)。
よって「請求人の主張の大部分は認められなかった。請求人の負け」とする言説には大いに違和感があります。
請求人の主張(監査結果文書第1の3)に税理士や社労士に触れられてないにも関わらず、監査結果には「請求人は、税理士及び社労士の顧問料や決算対応等の業務に係る報酬は・・・不自然である旨主張する」とあります。どこからこの主張を引っ張ってきたんでしょうか(youtubeでは触れられていたと思いますが。)。
【表3】はどのように作られたのでしょうか。
監査結果文書によると、(1)Colaboから「領収書を含めた関係帳簿等の検査に応じることができる」と回答があったため、(2)12/9に関係帳簿等の検査を行い、(3)帳簿、領収書その他の諸記録を調査して作成した、とのことです。
法人Aに対して法第199条第8項の規定に基づく関係人調査として、以下の回答があったため、関係帳簿等の調査を令和4年12月9日に行った。
(略)
回答 本事業実施に係る収支に関する帳簿、領収書その他の諸記録を整備・保存しており、委託者(都)から関係帳簿等の検査を行うことを求められた場合、これに応じることのできる状況である。
法人Aの本事業実施に係る収支に関する帳簿、領収書その他の諸記録(以下「本件帳簿記録」という。)を調査したところ、本事業の実施に必要な経費として法人Aが台帳に記録した経費(以下「本件経費」という。)は次のとおりであった。
なるほど、Colaboに関係人調査を行い、帳簿や領収書その他の諸記録を調査して【表3】を作った、ということなんですね。
そもそも雑過ぎませんか?と思わなくもないものの、とりあえずそこは置いておきこれを全面的に信じることにします。
(領収書について)
本事業の特性上やむを得ない事由があることは理解できるものの、証ひょう書類としての性質上、領収書として認められるか否か疑義が生じるような領収書が含められていることは不適切である。また、領収書が示されていない事項が本件経費に計上されていることは不適切である。
と結論づけている。これは妙ではありませんか?
現段階では都はColaboに対して、【表3】が作成できるよう領収書等の提出を改めて求めることが限界であり、ⅰやⅱが残る中で【表3】を作成することはもちろん、それを根拠に請求人の主張を否定することはできないのではないかと思います。
(ⅰやⅱをすべて計上せずに【表3】を作成した可能性もありますが、それならそうと一言添えるべきでしょう。)
通常の不服審査であれば、請求人の主張を妥当ではないと結論付けたらそれで終わり、(一部)認容と結論付けたらそれで終わりで、そこから更に深堀りは原則としてしません。
実運用をいうと、請求内容以外に是正すべき点が見つかった場合には、こういった公表文書には載せず、事実上の措置として是正していきます。(そりゃそうですよね)
事例が全くないとは言いませんが、何故あえて踏み込んで是正措置を堀り、さらにそれを公表したのでしょうか?
監査請求には疎いのでそのあたり詳しい方おられれば教えていただきたいですね。
本件精算に係る上記各資料を確認した限りでは、後述のとおり一部疑義があるものの、法人Aが本件契約に定められた委託内容を履行していないといった特段の事情は認められない。
本件契約の履行確認において、(略)本件実施状況報告書では、特定の事業によるアウトリーチ実施回数と声掛けをした人数や参加者数の記載にとどまることは、その実態が把握できず不適切である。
実態が把握できず不適切であるとしながら、委託内容を履行していないといった特段の事情は認められないとした理由についてお聞かせいただきたいですね。
これは、法人Aの自主事業も含む本件活動報告書と本件委託に係る都に提出した実施状況報告書との差異を述べるにとどまり、本件実施状況報告書に不正があることの合理的な疎明はなされておらず、請求人の主張は妥当でない
ここはColaboの言い分をそのまま記載しているわけですが、暇空茜さんによると自主事業を含む活動報告書の方が本件事業の実施状況報告書の数字よりも小さくなる部分があると指摘があったはずです。
そのあたりは請求時点で触れられていなかったからスルーなんでしょうか?
(その割には④で請求内容以上に突っ込んでるので違和感しかありません。)
購入していない備品について実績として報告していたら、清算時点でハネられて当然だと思います。
これをハネたあと、「別のところで予算オーバーをしていて、総額では予算超過でした!だから請求全額認めてくださいね?」といって通るものなんでしょうか?
もちろん担当役人との下打ち合わせの時点でこういった記載があるのはセーフ(担当役人からの信頼はゼロになるでしょうが)ですが、正式な請求後に「購入していない備品」が請求内容に含まれていたら、仮に総額では予算オーバーしていたとしても返還を求めるのが通例だと思います。
〇担当局又はColaboを何とか守ろうとしている。(まぁ監査請求だし当然か)
〇その割には請求内容に無い部分まで突っ込んでいて妙。
〇多分いろんなところから突っ込まれるだろうから、まずは2/28を待つ。
〇当然請求人としては納得できるものではないので住民訴訟でしょう。(特に表3の信憑性)
○表3については辻褄は合っていると思う。委託事業の予算を超える費目は自主事業に振替えていると弁護団が説明済み。その振替前の委託事業の費目とも読める。だから後出しじゃんけんかどうかは続報待ち。
これをしてしまうと、外部からは委託事業と自主事業の切り分け(按分)が出来ていないように見えてしまいます。
なので、監査結果文書でも「按分の根拠となる考え方が不明瞭で、その実態が不統一であり不適切である」と指摘されていると思います。
というか、
なんですが、【表3】が正しいとする根拠はなんなんでしょうか(結局ここに戻ってくる)
○“さすがに正規の資料を用いた請求について、後出し資料で請求を退けていくのは酷いと感じますが”
○第三者から矛盾を指摘されても矛盾を解消した文書を後から出せばOKってのも結構甘めだと思うけどその辺が落とし所でいい。不手際を謝罪するだけの可愛げがあれば完全決着だと思うが・・・
補足します。
通常の不服審査でも役所からのより詳細な資料を用意するのは普通のことです。
ただ、後出しの資料が正規の資料と矛盾があったり、「そもそも後出し資料どうやって作ったよ?」と言われるようなものではダメだと思います。
請求内容にないものを突然取り上げ始めたのはこれが理由ではないかなと考えています。
世論を巻き込んでそのようなことをせざるを得ない状況に追い込んだ、という感じでしょうか。
○なんにせよ、実際は次のとおり→https://twitter.com/mkouno4/status/1610601668781178883 colabo側に落ち度なし。暇アノンがありもしない不正のデマを吐き続けていただけ。一連の騒動はミソジニスト側の腐った性根の問題だった。
違います。
その根拠となった【表3】の信憑性について、監査結果文書に基づいて考えた場合、疑義があるのではないかということです。
都では、本事業が今後も若年女性等への支援に資するものとなるようにするため、今年度から各団体を訪問し、前年度の事業実施状況について、意見交換を行うほか、事業の記録や帳簿等を確認することとしている。
・「今年度から・・・することとしている」、つまり現段階ではまだ実施していないか実施途中ということですね。
・暇空茜さんに言われて急遽実施することとなったのでは?と感じます。その一点のみでも、本件監査請求の意義を感じます。
・あえて今年度から意見交換や帳簿の確認をすることになった、という経緯と実施スケジュールについて情報公開請求をしたら面白いんじゃないかな、と思います。
・事業の実施状況の確認であればともかく、意見交換なら団体に役所を訪問させるのが通常ではありませんか?
(自治体なら少し緩いですが、霞が関ルールだと企業に役人が出向くときというのは、実地の確認以外は謝罪するときかお願い事をするときというのが多いのでは)
実際の経費が本件委託料の上限額を超えたことから、その超えた部分は本件委託料とは別の法人Aの活動に係る財源で賄い、本件委託料の上限額までを記載することで事業実績額とし、本件精算の基礎にしたというのである。
これを認めているのが本当に不思議なんですよ。
もともとモデル事業・補助金による事業で、現在は国と自治体で財源を折半している事業ですよね?
事業の全体像が分からなければ、来年度の予算の要求が出来ないし、国へ報告して全国展開もできないじゃないですか。
「今年度は100の予算だったけど、実際は120かかっている。精査したところ115の予算を要求する」
(来年度の本事業の概算要求資料、どうなってるんでしょうね。見てみたいなぁ)
国からの補助金を上限まで使いきればOKと考えてませんでしたか?東京都、ホントにそれでいいんですか?
令和感覚では、ユーモアは相手の意見を揶揄して矮小化したりクソなプロパガンダを受け入れやすくコーティングする手法として広く使われるという認識が広まっている
また、真面目な議論を大喜利化する空気を作ることで、市民の意見交換を阻害する役割もある
花子と萌は「あるある研究部」の部員です.今日は二人で「はてなブックマークの利用者」をテーマにあるあるを列挙することにしました.以下の会話の続きを書いてください.
萌:「本文を読まずにコメントする」
萌:「スターがもらえるとうれしい」
萌:「ブクマについているタグを見て、新しい発見があることがある」
花子:「ブックマークした記事をもう一度読み返すと、内容がまったく違うように感じることがある」
萌:「ブックマークした記事を他の人にも教えたいと思ったことがある」
花子:「自分が持っているスキルや知識を活かして、ブックマークした記事にコメントやフィードバックをすることが好き」
萌:「ブックマークした記事を読むたびに、新しい発見や気づきがあることが多い」
花子:「ブックマークした記事を読むたびに、新しいアイデアや思考を生み出すことがある」
萌:「ブックマークした記事を読むことで、自分が知らなかったことを学ぶことができる」
花子:「ブックマークした記事を読むことで、自分の考え方や見方が変わることがある」
萌:「ブックマークした記事を読むことで、自分の人生に役立つ情報やアイデアを得ることができる」
花子:「ブックマークした記事を活用することで、自分のキャリアやビジネスに役立てることができる」
萌:「ブックマークした記事を共有することで、他の人と意見交換や議論を楽しむことができる」
花子:「ブックマークした記事を読むことで、自分が疑問に思っていたことや困っていたことに答えを見つけることができる」
萌:「ブックマークした記事を共有することで、他の人と共通の趣味や興味を持つ人と繋がることができる」
花子:「ブックマークした記事を共有することで、他の人と意見や情報を交換することで、自分の考え方や見方を広げることができる」
萌:「ブックマークした記事を読むことで、他の人が書いた記事から新しい発見や着想を得ることができる」
花子:「ブックマークした記事を読むことで、他の人が書いた記事を通して、世界を見る視点を広げることができる」
萌:「ブックマークした記事を読むことで、新しい言葉や概念を知ることができる」
花子:「ブックマークした記事を読むことで、自分が興味を持っている分野についてさらに深く知ることができる」
萌:「ブックマークした記事を読むことで、自分が知っていることを確認することができる」
花子:「ブックマークした記事を読むことで、自分が知らないことを知ることができる」
萌:「ブックマークした記事を読むことで、自分の興味や関心が広がることができる」
花子:「ブックマークした記事を読むことで、自分の感性や思考力を鍛えることができる」
萌:「ブックマークした記事を読むことで、自分の情報収集能力や分析力を高めることができる」
花子:「ブックマークした記事を読むことで、自分の興味や関心に基づいた情報を簡単に入手することができる」
萌:「ブックマークした記事を読むことで、自分が興味を持っている分野の最新の情報やトレンドを知ることができる」
花子:「ブックマークした記事を読むことで、自分が興味を持っている分野の専門家や著名人の意見や発言を知ることができる」
萌:「ブックマークした記事を読むことで、自分が興味を持っている分野についてさらに深く理解することができる」
「怜のバニー以外は問題ないと思う」「バニーはダメだけど水着は大丈夫」「いや全部ダメだろ」
皆本当は議論なんてする気がないんだろ
屋内喫煙についても低温加熱式は制限を強化しなくても良いと考えてるけど
そういう話が出来たこと一度もねーもん
加熱式タバコと電子タバコの区別もついてない奴がザラにいるしマジで話にならん
早く足を洗った方が良い
わかる。
こいつは勝手に「単なる個人の感想を逸脱して表現の不適切性に結びつけられると俺が不快だからやめろ」と言ってるにすぎないし。
そもそも男性にとって共感的で有利な規制であれば科学的根拠など待たずにすぐに可決するだろう。
ダブスタと矛盾に満ちていてネットのオタクの謎の声明はたまに読んであげるけど聞くに値しないことがよくわかる
こいつの言い分のほとんどは、特に理由もなく自分はそう思うからにすぎないんだよな(しかも浅い)
公共空間は不特定多数が利用するからこそ、特定個人の主観に頼るのではなく、何がどのような悪影響を及ぼすかを客観的、実証〜〜空間のポリシーを設ける本来の手続きであるように思う。
前にも言ったが男性にとって共感的で有利な規制であれば科学的根拠など待たずにすぐに可決するだろう(バイアグラにしろ窃盗にしろ)科学的根拠による完璧な立証を伴う規制よりも、科学的根拠によらなかった立法を数えた方がずっと多いだろう。個人のお気持ちや不快感による表現規制を問題視するならまず名誉毀損や侮辱罪に科学的根拠がどの程度あるかを考えるところから始めるといい。結局「俺が共感できたか、俺の身に影響が降りかかったか」というこいつの感想と共感の問題でしかない。それに法は常に科学的根拠を要するとは考えていない。常に科学的根拠に依ることは科学の性質上それはそれで危険だとしているからだ。そもそも憲法上の表現の自由の趣旨とは民主主義に参加するための自由であり、為政者や権力者に対する批判や政治意見交換の場の確保などを本来想定している。つまり上記の全てはこいつの妄想と感想の話なのである。
彼は自分が世間知らずで頭が悪いということを理解する知性に欠けているのだ。
科学的な根拠や研究の蓄積とは、しかもこいつら素人が考えるようなものではない。仮に経験則で多くの人がおよそ真だと推測できたものだとしても100%認められる科学的根拠があると言うためには多くの時間と研究とお金を要する。つまりその考え方とは、犠牲を厭わず、救済を完全に放棄するものなのだ。
いやらしい言い方をしてしまうと彼の話は完全に"お気持ち"のみに依拠しての妄想的発言であり、また通常の成人が本来有しているべき常識や洞察や知識が欠落した故のものである。
彼がその後も長文で長々と持論を述べているが、その全てが上記のように根拠なく彼のお気持ちに忖度するように求め、彼の不快感に配慮することを求め、彼の中の独自的な正義感という感情を満たしてくれることを社会に一方的に求めるという、1から100までお気持ちベースの内容であり、恐ろしいことに彼はダブスタや矛盾や妄想という言葉の意味を理解できていないのである。
気持ちの整理も兼ねて、匿名性の高いここで吐き出させてほしい。
金銭面や自分のキャリア、出産育児のことを考えると、"この人との結婚は現実的ではない"と気づいて別れを切り出した。
切り出した途端、堰を切ったように私に対して思っていたらしい様々なことをぶちまけてきて、
多分別れを切り出されたことによる感情の高ぶりのせいもあったんだろう、
敢えてひどい言葉を選んでいるのかとすら思えるような発言の数々だった。
お互い家庭環境が複雑だったり過去の恋愛等で色々拗らせており、
若干共依存気味だった節はあったものの、なんとか成長しあいながら年月を重ねてきた。
付き合っている中で、
当初聞いていた年齢や家族構成が違うといった些細な嘘から始まり、
今後の信用に関わってくるような嘘も度々吐かれていた。
それでも彼が私を好きでいてくれていることは伝わる言動があったし、
私も好きだったから、内心傷つきながらも信じようと努力していた。
私はこの人に愛されているし、支えあいながら生きていくんだと信じて疑わなかった。
付き合い始めた当初は話し合いすらままならず、意見交換も妥協点を探ることも全くできなかった。
このままではだめだと説得し、数年かけてようやく話し合いができるようになった。
話し合いができるようになったことで、お互いに"共感できなくても理解し合えている"と思っていたが、
彼的にはそもそもそこが思い違いだったらしく、私は彼に結構な我慢を強いていたようだった。
私は何かあるたびに、自分の行動原理を言語化して説明していたつもりだったし、
彼もそれを聞いて共感はできなくとも理解はしてくれていると思っていた。
が、実のところ理解はしておらず、「自分が我慢して受け止めることで支えなければ」とかなり思い詰めていたらしい。
コミュニケーション不足だと言われればそれまでだけれども、私も余裕がなかったのかそこまで気づけなかったことにとても後悔している。
とはいえ、理解が得られないのであれば今後もうまくいかなかっただろうから、これに気づいた時点で別れは早かれ遅かれ必然だったとも思う。
私には精神的な既往歴もあり、昔とは比較できないほど安定したものの
自分の活動量をコントロールするのが本当に下手で、頑張りすぎて鬱っぽくなることが多々ある。
これは多分今後一生、1人では完全に改善できることはないし、むしろそれすらもうまくコントロールできる人と一緒になる必要があるのだと感じている。
我儘でしかないとは思うが、ここまで頑張って来たけどどうにもならなかった、自分の弱点の一つという認識。
彼も心身ともに強いほうではないし、ただただ"相性が悪い"という結論に至った。
これまで相当な無理をさせていたんだな、とも。申し訳なかったな。
ただ私は私で小さな嘘が重なって少しずつ傷ついていたし、最近はセックスに逃げているんだろうなと薄々感じてしんどかった。
実際別れ話の中で「嫌なところから目を逸らすためにセックスに逃げていた節がある」とも言われたし、
答え合わせになってしまって正直堪えた。が、自分の言動で彼をそうしていたと思えば自業自得でもある。
別れ話の中での諸々の発言を見るに、俗に言うモラハラ夫になっていただろうから、結果としてこれで良かったのだろうと思う。
子育ての方向性の違いやモラハラ気味な発言が元で別れた両親を見ているので、
「愛さえあれば」なんてものは幻想だと知ってはいたものの、ちゃんと身をもって学びになったと思えば無駄ではなかった。