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はてなキーワード: 意図とは

2024-07-22

anond:20240722124842

「その明るさゆえの異様なテンション知的障がい者と間違えられちゃった。面白いねw」という意図投稿のようでした。

バリアフリーの一環である割引制度揶揄するだけでなく、障がい者への偏見助長する投稿だと私は感じました。

https://x.com/bubbbubbkorokor/status/1070946813018963968?s=46

これをどう読んだら揶揄偏見助長になるんだ?

これも公平世界仮説か

インボイスに反対するヤツラは脱税者、保険証廃止に反対してるヤツは不正してるみたいなレッテル

反対派を貶める意図もあるだろうけど、自己正当化して後ろめたさから逃れたいってのもありそう

世間一般の人って、論理的思考能力の有無を気にしてないように見える

その瞬間の自分自身相手行為に対して意図を読み取ることができれば、その相手自分と同等の存在である認識しているにすぎないように見える

自分よりも粗雑すぎるか繊細すぎる意図は汲めないというか

2024-07-21

鬱々していたのでSNSをやめて1ヶ月が経った

仕事メンタル崩壊しかかっており、衆人環視SNS仕事愚痴をダラダラ発信していた。

周囲の人から心配されてもうるせー!と思いながら、更にグチグチ言っていた。

ふと冷静になると、愚痴って基本は人を不快にさせることだよなと思った。

そんな訳でこれ以上SNSをやっても愚痴しか言わないので思い切ってSNSを削除した。

SNSを削除して、毎日可処分時間は増えたものの、まとめサイトを見たり増田を見たりして無駄に浪費している。

増田で相変わらず愚痴を放流している。

SNS愚痴って誰かに反応して欲しい、更には、周囲に心配して貰いたいという意図があることに気がついた。

これってめっちゃ構ってちゃんじゃん。

いい歳としたおっさんがする事じゃない。

マジで反省した。

そんな構ってちゃん体質の自分が構って貰えなくなり、なんかより鬱々した気持ちが強くなっている気がする。

この構ってちゃんメンヘラ体質を改善したい。

SNSをやればメンヘラ構ってちゃん増田をやれば誰も構ってくれないとメンヘラ悪化、どうすればいいんだ。

結局はこのストレス源を解消するしかないんだろうけど、仕事は辞められないし、その仕事は高負荷高ストレス仕事から、本当にヤバいかも。

適応障害になってもうつ病になっても統合失調症になっても、這ってでも仕事をしないといけないのが我らの業界

職業選択ってマジ大事

最難関資格を取ってこれかー。

世の中世知辛いなぁ。

土日休みたい。

おやすみ

anond:20240721191001

こちらこそ

 

ロックリー氏も日大准教授なわけですし、大学教授学者は必ずしも成立しないと考えます。」

 

という文書

 

トーマス活動家なのに大学教授やってるし、大学教授学者だとは言えないよねぇ」

 

というニュアンスで拾って頂けてなかったという事が理解できて何よりです。

こちらとしては攻撃意図はありませんでしたので、いきなり反撃が始まったので驚きました。

別に世の中のすべてが出合いからあなたに刃を向けているわけではないので安心してくださいね。

願わくばまたお会いしましょう!

anond:20240721164229

ChatGPTに以下のやり取りを解釈して貰いました。

 

 こんにちは、以下のやり取りはどのように解釈されるか意見を聞きたいです。

 

 「トーマスロックリーは「学者」ではなく「活動家」と呼ぶべきでは?」

 「上野千鶴子東大名誉教授だったのに?」

 

 ChatGPT

 こんにちは!このやり取りについての解釈ですが、以下のように考えることができます

 

 「トーマスロックリーは「学者」ではなく「活動家」と呼ぶべきでは?」:

 この発言者は、トーマスロックリー(Thomas Lockley)を「学者」と呼ぶよりも、「活動家」としての側面を強調したい意図があります。このような指摘は、ロックリー活動アカデミック研究にとどまらず、社会的政治的活動にも大きく関与していることを示唆しています

 

 「上野千鶴子東大名誉教授だったのに?」:>

 これに対しての反論は、上野千鶴子(Chizuko Ueno)が東京大学名誉教授であることを指摘しています。この発言は、学者であることと活動家であることは相反するものではなく、両立するものであることを示しています。つまり上野千鶴子東大名誉教授でありながら、社会活動にも積極的に関わっていることを例に挙げています

 このやり取りは、学者定義役割に対する異なる見解を示しており、学問的な活動社会的政治的活動境界が必ずしも明確ではないことを示唆しています。また、一人の人物複数役割を持つことができることを強調しています

 

私もスラム街万引き禁止ポスターを張るようなものだという事は理解しています

匿名ダイアリーってそういう使い方もありだと考えていますので。

テキストエディタってなんやろな?

いやぁ〜、テキストエディタ世界めっちゃディープでんねん!聞いてくださいよ〜。

まず、テキストエディタ心臓部、バッファ管理システムについてや。これ、単なるテキスト保持やないんですわ。例えば、Emacsガベージコレクション機構マーク&スイープ方式採用してて、バッファ内のLispオブジェクト効率的管理してんねん。これがあるから、長時間編集作業でもメモリリークせーへんのや。

次に、レンダリングエンジン。これが曲者でんねん。Unicode標準のUAX #9に準拠した双方向アルゴリズム実装せなアカン。さらに、合字処理のためにOpenTypeのGSUB/GPOSテーブル解析も必要や。Harfbuzzライブラリ使うんやけど、カスタムシェーピングエンジン組み込んで、特殊文字体系にも対応せなアカンのや。

構文解析エンジンも侮れまへんで。LR(1)パーサーじゃ複雑な言語構文に対応でけへんから、GLR(Generalized LR)パーサー実装するんや。これで曖昧文法も扱えるようになるんですわ。Treesitterライブラリ使うと、インクメンタル構文解析ができて、巨大ファイルでもリアルタイムハイライティングできるんや。

差分アルゴリズムも奥が深いんですわ。Myers差分アルゴリズムだけやなくて、Histogram差分アルゴリズム実装せなアカン。大規模リファクタリング差分表示に効くねん。さらに、セマンティック差分アルゴリズムも組み込んで、構造的な変更も検出できるようにするんや。

非同期処理システムめっちゃ重要や。単なるPromiseやasync/awaitやのうて、Reactive Extensionsベースストリーム処理実装するんや。これで、複雑なイベントシーケンスも扱えるようになるんですわ。さらに、アクターモデルベースの並行処理システム組み込んで、マルチコア活用した並列処理も可能にするんや。

最新トレンドめっちゃアツいんですわ。例えば、Language Server Protocolの拡張や。単なる静的解析やのうて、シンボリックAI使うた意味解析まで可能にしてるんや。これで、コード意図理解して、より高度なリファクタリング提案ができるようになるんですわ。

WebAssembly統合進化してるんや。Single Instruction, Multiple Data (SIMD)命令セットサポートで、テキスト処理のパフォーマンスが爆上がりしてんねん。さらに、WebAssembly System Interface (WASI)採用で、ファイルシステムアクセス可能になってるんや。

AI支援機能も侮れまへんで。単なる補完やのうて、プログラム合成(Program Synthesis)技術導入してるんや。部分的仕様から完全なコードを生成できるようになってんねん。さらに、説明生成AI組み込んで、生成されたコードの詳細な解説までしてくれるんですわ。

リアルタイムコラボレーション進化してるんや。Conflict-free Replicated Data Type (CRDT)のカスタム実装で、ネットワーク遅延があっても一貫性保てるようになってんねん。さらに、意図ベースの競合解決アルゴリズム導入して、複雑な編集操作の衝突も自動解決できるようになってるんや。

拡張アーキテクチャもすごいんですわ。WebAssemblyベースプラグインシステム採用して、言語依存せんプラグイン開発可能になってんねん。さらに、サンドボックス化されたランタイム環境提供して、セキュアなプラグイン実行も実現してるんや。

性能評価も厳しくなってるんですわ。起動時間は、コールドスタートだけやのうて、ホットスタートも測定せなアカン。メモリ使用量も、物理メモリだけやなくて、仮想メモリ使用状況も追跡するんや。CPU使用率は、マイクロアーキテクチャレベル最適化まで求められるようになってんねん。レンダリング性能は、GPUアクセラレーション効率評価せなアカンのや。応答性は、入力レイテンシだけやのうて、知覚的な応答性(Perceived Responsiveness)も測定するんですわ。

いや〜、テキストエディタ世界マジでディープすぎて、もう頭おかしなるで〜!こんな感じで、テキストエディタの最深部まで潜ってみましたけど、いかがでしたかテキストエディタ、侮れまへんで〜。ホンマに。

2024-07-18

選挙ポスター支援者デザインしない方が良いのかもしれない

安野たかひろさんのポスター等、選挙活動で使うデザイン担当されたデザイナーメイキングnoteを読んだ。

https://note.com/y_yukkie/n/nee5a7a5409fb

選挙期間中、安野たかひろさんのポスターを初めて見た時に、なんでこんなナード感を際立たせるような色使いや写真の使い方をしているだろうとか、視力判断力が鈍った語彙の薄い高齢者がみたら「あのち◯◯みたいな頭の候補者か」とかいう風になっちゃうじゃん。って思ったので、これらがデザインされた過程思考が見れて、デザインで食っているものとして勝手に学ぶものがあった。

まず、このポスターをはじめとした背景色/テーマカラー暖色系パステルグラデーション(インスタっぽい色)が選ばれていた理由

>過去10年分ほどを振り返って、キーカラーほとんどグラデーションが使われていないことは意外だった。

>他ポスター差別化するためにパステルカラーグラデーション採用するという仮説

という、割とよく使われがちな原色系のカウンターからチャレンジで、安野さんの顔、形や色相の相性、ブーストしたい雰囲気とかを主眼にしているようではない印象を受けた。

顔写真についても、日本ポスターのダサさに不満を抱きつつ、過去事例を研究して顔(写真)の印象の重要性の理解顔写真比率の話をされているが顔写真被写体自体をどう演出して見せていくかという重要な部分にはそこまで触れられていない。

推測だが、近い人(候補応援するボランティア)が手掛けたがゆえに被写体客観視しきれない部分があったんじゃないかと思う。何度も人の顔を見ていると、色んな表情が連結されて自分の受け入れやすいように慣れてしまう。初対面の時に抱いた印象や違和感を忘れてしまいがちで、しか応援している候補者であればなおのこと補正がかかりやすいだろう。

まりデザイナーにとって安野さんの笑顔写真は爽やかな笑顔に映るわけであるが、その印象は安野さんを知らない人が写真を見た時と比べると相当脳内補正が掛かってしまってるか、許容値がバグる状態に陥っている。自分も同じ状況に置かれたら、多分不可避だと思う。許容値がバグって客観視することが難しい前提で、この辺りの役割を割り切って決めておくのが重要だと学んだ。

ちなみにポスターを初めて見たときに、もし安野さんをほぼ知らない自分デザインワーク担当するなら…を妄想してた。(安野さんに限らず、クセで他の候補者でも同様にイメトレしてる。)

(一般的現場では写真素材を撮る前にレイアウトや色方向性ラフが決まっていることは多いが)写真素材が先行してある状況で、撮った素材の中から選んでデザインよろしくみたいなことになったら、まず、あの角度の写真積極的には使わないだろうし、あの角度しかない or 使わなきゃいけない理由があるのであれば、ポスターでは頭を全て出さないようにトリムするレイアウトにする、もしくは頭の色に馴染むような背景色にして、極力ナード感を消すところから入る。その上で彼の清潔感や知性を際立たせるようなキーカラー印刷の出やすから考慮に入れて選ぶ。という妄想をしてたのだけど、ポスターをよく観察していく内に、いやいや、そもそも衣装を含めて限りなくシンメトリーっぽい雰囲気被写体をあえてアシンメトリーっぽく絶妙にズラして使って不気味さを際立たせているとか、背景カラーからあえて頭をはみ出させて、立体的にアレに見えやすいようにしている?す、すべて計算してやってる…のか?という勘ぐりまで至ったが、単純に自分感受性下品なだけな気がしてきた。

ポスター見た後に生安野さんの演説をチラ見する機会があったのだが、長髪の珍しさはあれど、普通に好青年ポスターとのギャップがかなり強かったので、損しているなぁ…と思ったがもちろんこのポスターデザインが良いね!という人もいるので、好き嫌い範疇をでない話だし、いかに目立つかを詰められていたので、意図してないかもしれないがある意味で目を惹くポスターでした。

13,000箇所の一等地掲示する老若男女全方位向けのポスターを手掛けられるのってデザイナーとしては得難い貴重な経験値だなとnoteを読んで改めて感じました。おつかれさまでした。

負け惜しみと受け取る認知の歪みを見せる人はどうでもいいけど(前置き)、

自分たちの勝訴よりも相手方名前を出して「⚪︎⚪︎敗訴」とマスコミ記念写真撮らせるのは(その裁判の内容にかかわらず、またその相手方いかに暴虐無恥の大悪人か否かにかかわらず)勝訴した側の行動としてどういう意図でそれをやったのか気になる。

そんなに相手を貶めて辱めて袋叩きにしなければ自分たち尊厳を保つことすらできないのか。それほどまでに相手尊厳完膚なきまでに叩きのめし廃絶しなければ社会の公正さを維持することができないのか。マスコミ無自覚なのか構わずバンバン報じてるから問題無いんだろうなあ。じゃあ考えすぎかあ。

検索エンジンサジェストは今すぐ廃止しろ

会社名を調べるとサジェストに「やばい」が付くとか、ご存命の人物名を調べてるとサジェストに「死亡」が付くとか

まったく意図してない方向から悪意を伝染させてきて頭に来る

こんなもん無くした方がいい

anond:20240718134723

不特定多数を集めるようなイベントで客から手土産として食べ物を受け取っても安全性確信できないので捨てられます

差し入れするなら食べ物はやめたほうが良いです。 廃棄の手間をかけるだけの迷惑になります

イベント性質によりますが……金のやり取りがあると課税が発生したり権利関係が面倒になることがあります

無料のつもりでやってるときに金を受け取ったらそれも迷惑になりうるんです。

無料イベントをやるというのはその分野そのもの思い入れがあって界隈を盛り上げるためにやっているのでしょう。

お礼の気持ちを表したいならあなたがすべきはその意図に沿って界隈を盛り上げることが最高のお礼です。

適うなら、次の機会があればあなたイベントを開催してもいいでしょう。

anond:20240718115516

後者時代に追いつけなかったわけではなく、単に蔑称であることを知らなかっただけでは・・・

ちな自分が調べた範囲だと「右翼ではなくウヨなのはバカにする意図が含まれから」ってあったけど

自虐だったってこと?

2024-07-17

なぜエロ動画サイト検索機能は、期待した動画が出にくいのか?

成人向け動画共有サイトエロ動画検索していても、自分が望んでいるシチュエーションエロ動画がヒットされにくいという問題がある。(「あの恰好であの体位でしている動画が出てこない」とか。)


Danbooruなどの二次絵に特化したサイトだと、静止画という特性上、1場面しか表されていないため、的確に画の状況をタグ付けして内容の特徴を浮き彫りにしやすい。

しかエロ動画サイト動画となると、動画内には場面が何場面もあり、カットやシーンによって画の特徴が変わりやすいから、

もしエロ動画視聴ページでDanbooruみたいにタグ付けをやろうとすると 示唆してるタグシチュエーションがまちまちになって来たり(※)、もしあえて動画内の全特徴を列挙すると タグの数が膨大になる可能性がある。

なのでアップロードされた動画には、動画タイトル動画説明と、タグでは 演者とか 主なシチュエーション(どういう設定物のAVか)とか 付けられる属性情報が少なく、ざっくりしている。

それで「検索ではそれっぽい動画候補は出すからあとはその中から自分の目で確認して」となる。


(※どういう事かというと例えば、「トップビュー」「正常位」「騎乗位」…… というタグが付いてたとして、動画を見ると「トップビューの騎乗位と、女側視点の正常位」の内容だった。期待した「トップビューの正常位」にならない訳で。)


多分「YouTube検索機能ゴミ」「ニコニコ動画検索の方が使いやすい」と言われるのは、そういう都合なのだろうと。

ニコニコ動画なら、MAD動画とかゲーム動画とか趣旨が分かりやす動画が多いだろうからタグを中心とした検索がうまくいくが、

YouTubeかになると、掴み所のないカットが多かったりする動画も割とあるわけで(日常スナップ動画長回し動画とか ライブ配信とか)、タグ付け的に一概には括れないのだろうと。

YouTube検索機能AI的に検索結果を提示しているのは、そういう曖昧動画にも対応できるようしたためなのだろうと。(「広告的な動画検索結果に挟む」という商業的な都合を除く。)

ニコニコ動画にあるような趣旨が分かりやす動画を探し求めてる利用者は、YouTube意図してる検索機能目的と合ってない。

(余談だが、ネットでは「YouTube検索機能が使いづらい」とか目にすることがあるが、エロ動画共有サイトについてはそういう話があんまり上がって来ない印象がある。
自分SNSをやってないし5chとか深入りしてないので、エロ動画サイト検索機能に皆どう思っているか知らないが、皆不満に思っていないのか?)



もしこれから新たなエロ動画共有サイトができるとして、検索精度を上げていたなら、動画のチャプターごとにタグけができるようなサイトの作りになってるとか?。。。

自分ポルノAVとかのエロサイトにあまり詳しくないから、過去にそういうエロ動画サイトがあったかは知らないが、そういうDanbooruみたいにタグ付けできるエロ動画共有サイト需要はあるのかもしれないと思った。


ちなみに自分は、元々エロ二次元派(インピオ・ケモノ)であるアラサーになり、2年前から本格的にPornhubのようなエロ動画サイトも覗くようになった程度のユーザーです。(児童ポルノ動画は見てない。)

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1~2年かかって見つけたエロ動画

https://anond.hatelabo.jp/20240715185000

anond:20240717182407

法律上口約束でも契約として成立する。

自分セクシー田中さん事件調査報告書を両方読んでるんだけど、大企業同士でさえスタート曖昧なままに仕事が開始される現状が書かれていたよ。

"依頼"を受ける"対価"として「これくらいの金額で」と提示し、双方合意の上で契約が成立するものだと思う。

その形がベストだと思う。

「今回はお互いのすり合わせがちゃんとできてなかったから、それは両方の責任だと思う。

同意する。個人的には後でゴネるのもありだと思う。

最終的な双方の納得があればいい。そこに至らなければ関係が続かないのも、それはそれで世の中のあり方だ。

私は友人や家族だろうと、たとえ数百円だろうと仕事ならカネをもらうべきだと考えてる。

その理由責任関係は明確なほうが後腐れないから。

だが増田さんの友人同士ではカネのやり取りはしないポリシーも、それはそれでリスク回避のためにはい思想だと思う。

主観と推測と反省

この節の反省の納得感が高い。まるで私自身が同じ人生を歩んだように読めてしまった。

烏滸がましくて失礼だが、たぶん、同じ結論に至るだろうと思う。

LINE既読無視とか、それをフォロワーと陰口とか、探りを入れるために実験する強引な手段とか、匿名ダイアリー晒す批判意図はないにしても)とか、まぁ、うーーん、と思うけど、あらゆる場所に誠実さがあるわけではないし、人生は複雑だ、と思った。

「私はAを許さない」という覚悟の読み方は色々あると思うけど、「自分自身の意思責任をもってAとA的価値観を私の世界から締め出す」と読みました。

10年の付き合いの親友と縁を切った話

●はじめに

これは相手に向けて書いたものではなく、相手批判する意図はない。

もしこれを読んで相手批判しているように思えたのならそれは私の表現力の乏しさによるものである

また、フェイクを入れずに書いているので、両者の友人知人は「もしや」と感じるかもしれない。

だとしても二人に触れずにそっとしておいてほしい。

以上のことを踏まえて、了承していただける方のみ先を読み進めてほしい。

登場人物

私=筆者

一次創作をする。

絵と文章を嗜む。

A

私の親友だった人物

絵を描くことが生きがいであり、人生のもの

この文章は、Aとの出会いから別れまでの備忘録私自身の反省のためのものである

再三になるが、この文章にはAを批判する意図はない。

●Aと私の関係

Aと私は高校入学して出会った。

そして縁が切れたのが我々が28歳になる年の2月ごろ。

10年を共に過ごしてきた仲だった。

間違いなく、一番仲が良かった友人だった。

高校3年間はクラス替えもなく、いろいろな話をして、真剣な話もして、時には喧嘩をしたりすることもあったが、それも乗り越えてきた。

大学は別々の道に進学することになったが、それでも毎日のようにLINEで会話を交わし、時々二人で遊びに行っては日が暮れるまで話し、解散後も夜が明けるまでLINEで話をしていた。

大学卒業してからもその関係は変わらない。

私が新卒入社した会社研修で2か月東京に行くという話をしたときはとても寂しがってくれたことを今でもよく覚えている。

Aは絵を描くことが好きだ。

絵を描くことが好き、と一概に言っても色々幅があるが、私から見ればAの「絵を描くことが好き」とはAのアイデンティティであり、Aの人生のものなのだと思っている。

自分気持ち言葉にするのは少し苦手のようだったが、感情を絵に込めるのは大得意でAの描く絵には喜怒哀楽様々な感情が乗せられていた。

私も少し絵を描けるが、どちらかといえば絵を描くことは好きではなく自分の描く絵は好きという難儀な性格をしている。

そんな私と比べると、Aの絵に対する思いは尋常じゃないものなのだと思う。

Aは私の一次創作ファンだった。

私の作ったキャラクターお話ファンで、この世のキャラクターの中で一番、私が作ったキャラクターが好きとまで言われたこともあった。

Aは私のキャラたちのファンアートをたくさん描いていた。

そのキャラたちしか描いてないのではないかという時期があった程度にはたくさん。

Aが絵を描いてくれることが嬉しくて、私はAにたくさん自分創作の話をした。

長くなったがここまでが大まかなAと私の関係である

●事のあらまし

Aと私は今までの一次創作の積み重ねを本にしたいという話になった。

私が書いた小説や、私から聞いた話をもとにAが描いた漫画の断片はいくつかあれど、それらを本という形に残したくなった。

そこで一次創作同人誌即売会を調べ、Aと私の二人で本を出すことになった。

私は今まで書いた小説を集め、書き下ろしの話を追加した短編集などを3冊作り、Aは私が文章で書いていた短い話を漫画の本にした。

ところが肝心の即売会は諸事情で中止となり、半年後に延期になってしまった。

頑張って作った本たちはひとまず通販に置いて、Twitterフォロワーを中心に頒布することができた。

半年後になってしまった即売会を待つ間、Aと私は喧嘩をしてしまった。

Aが私の地雷を踏みぬき、私が苦言を呈したこときっかけだった。

私としてはその場で謝罪をもらって、それで終わりで良かった。

喧嘩をしたつもりはなかったのだが、思えばAの様子が変わったのはそこからだった。

多分おおもとの原因はここなのであろう。

Aの様子が変わり、Twitterにも出てこなくなったことが心配で、私はAに手紙を書いた。

Aと大事な話をするときは、手紙を書くことがしばしばあった。

その手紙きっかけでAと仲直りをすることができた。

仲直りをしたとき電話で、数か月後に迫った即売会の話になった。

「せっかくまだ少し時間もあるし、もう一冊本を作りたい」とAに伝えた。

Aもそれに賛同してくれたので、私は本の攻勢について説明した。

前に話していたネタで、漫画の本を作りたい。長くなりそうで作画が大変だから、今回は私が全部作画をする予定で、と。

Aは「あの時のネタか」と喜んでくれ「すごくいいね」と言ってくれた。

その会話の中でAが言った。「その漫画読みたいな、何なら私が描きたいくらい」と。

しかしどうにも作画コストがありそうなので、Aに全部描いてもらうのは申し訳ない。

だがAがそこまで言ってくれたのが嬉しくて、Aにも制作に参加してもらえたらと私は返答した。

結果、表紙と人物紹介ページの立ち絵だけAに作画を頼み、あとは全て私が自分で描くことに落ち着いた。

そして私は自分が描く予定で考えていた表紙のラフや、キャラ立ち絵ポーズイメージを送り、Aに制作をお願いした。

私は今までAが描いてきたファンアートに対して何か対価を支払ったことはなかった。

強いて言うなら「新しくお話を作ること・考えること」を対価としていたのかもしれない。

だが先の喧嘩のこともあり、好意で描いてくれたものに対しても何かお返しをしたいと感じていた。

なので今回の制作に対しても「お礼をする」とAに伝えていたのだった。

Aの作業も私の作業も少し進んだころ、二人で遊びに行く機会があった。

そのときに私はAに「お礼として晩ご飯ご馳走するよ」と伝えた。

Aはそれを聞いて少し渋い顔をしたあと「じゃあ2回分で」と答えた。

Aの返答に少し違和感はあったが、私は2回分の晩ご飯をご馳走することを了承した。

だがしばらくした後、Aから晩ご飯2回分と、表紙・立ち絵を描くことは釣り合ってないと思う」と言われた。

私はさら違和感を覚えた。

もともと私が全て描くつもりで考えていたものを、Aが描きたいと言ったから急遽参加してもらうことになったのだ。

まり好意で描いてもらうものに対して、私も好意でお返しをするという形だったはずだ。

どちらかと言えば同じサークルメンバーで1つの本を共同制作する形に近い認識であった。

から「"依頼"に対しての"対価"が釣り合ってない」と言われたことは、私としては違うと感じたのだ。

しかし、自分の描きたい絵を後回しにして人からまれた絵を描くことは大変なのは私にも分かる。

「じゃあ、何なら釣り合うと思う?」とAに聞いてみた。

Aは「考えておく」と一言。この話はこれで一旦おしまいになった。

Aから"対価"の話はされないまま、その後もお互い制作を進めた。

とうとう絵と漫画は完成し、本が出来上がった。

私は刷り上がった本を一冊と、同時に一人で制作していたグッズを合わせてプレゼントした。

Aのリアクションには違和感があったままだった。

本を開き完成した漫画を読み、楽しそうにリアクションを取るAの姿は、無理をしてそのように演じているように見えた。

長い付き合いなので、Aが気持ちを抑えてそれらしく振舞う癖があること、しかしそれが下手でバレバレなことは私にはわかっていた。

Aはそのときも、何かの感情を押し殺してそれらしく振舞っていた。

そのまま迎えた即売会当日。

その日はたまたまAの誕生日でもあり、私は今回のお礼と誕生日プレゼントを兼ねていくつかプレゼントをした。

細かくは覚えていないが、確かお土産菓子と、Aが一番好きな私のキャライメージ香水

それからAは自分へのプレゼントとしてiPadを購入していたので、1000円ほどの有料のイラストアプリを入れてもらおうとiTunesカード1500円分をあげたのは覚えている。

iTunesカードは突発的な思い付きで、昼ご飯を買いにコンビニに買いに行ったときにふと目についたのだ。

「昼ご飯買ってきたよ。あとこれはい、あげる」と、さらっと渡したのだが、Aのリアクション

「はあ……」と言ったものだった。

即売会も終わりに近づいた時刻、Aから「そういえばお礼の話だけど」と話が始まり「いろいろ考えたけど、1万円で」と告げられたのだった。

……イラスト有償依頼で、表紙(カラーイラスト)と立ち絵名分を依頼した、となると確かに1万円は破格だろう。

しかし今回の話は果たして"依頼"だったのだろうか。

友人同士の"共同制作"ではなかったのだろうか。

"共同制作"ならAが「印刷費をいくらか出した方がいい?」と聞いてきた際に頂いておいたほうがよかったのだろうか。

私にはわからなかった。数年経った今でもわからない。

私は1万円を支払わなかった。

友人同士で金銭のやり取りをすることに抵抗があったからだ。

その代わり1万円分のお礼はすると伝え、今回渡したプレゼントはお礼も兼ねていることと、今日ご飯代、打ち上げカラオケ代で1万円くらいになりそうだから、それでどう?と言った。

続けて「もし対価としてお金要求するなら、それは話を引き受けるときにするべき話で、後から1万円でと言われても了承はし難い」と伝えた。

「今回はお互いのすり合わせがちゃんとできてなかったから、それは両方の責任だと思う。お礼に関してはあくま好意で渡している。もし足りなかったら今後遊ぶときに代金持つよ」とも伝えた。

Aは最後まで納得がいかなそうな顔をしていて、頑なにカラオケ代を受け取ろうとしなかったが、私はそれらの代金を全て押し付けて、その日は解散になった。

あくまで私の価値観として、金銭が発生するやり取りは"契約"だと思う。

"依頼"を受ける"対価"として「これくらいの金額で」と提示し、双方合意の上で契約が成立するものだと思う。

今回はただの口約束で、そこに契約など存在しなかったのだ。

「描いてもらいたいんだけどいい?」「描くよ」「ありがとう。お礼はするよ」

そこに金銭のやり取りが発生するとどちらも言わなかった。

私はこのやり取りのことを友人同士の口約束だと捉えていたのだった。

Aはその後、即売会の後処理や事務的なやり取りを私と交わし、私と連絡をすることはなくなった。

またもや大変長くなったが、ここまでが事のあらまし。

●縁切りに至ったきっか

約1年、Aと会話をしなかった。

そんなことは今まで初めてだった。

AのTwitterからは私のキャライラストが消えていた。

しかし連絡がなかったとは言え、TwitterLINE相互のまま。

リアル友人用のインスタも見られる状態にあった。

まだ縁が切れたわけじゃなかったのだ。

私は中途半端状態が好きではない。

Aが私に対して思うところがあるのは嫌でも分かった。

まだ友人関係を続けるなら清算必要だし、縁を切るならそれはそれも仕方がない。

迷ったが、Aの誕生日に「おめでとう」と送った。約1年ぶりに発した言葉だった。

そのときのやり取りは消してしまってもう残っていないので、事実とは異なる可能性がある。

ぽつりぽつり、とぎこちなくやり取りを交わしたが、かつての親友を歓迎する雰囲気は全くない。

まだ怒っているか尋ねたところ「そうだね」と返事が来る。

「私のことが嫌いになったならもう現れない。あなたの前からいなくなる」と縁を切る提案をした。

とてもとても時間が空いて、Aから「嫌いとか、勝手に決めつけるのやめてほしい」と返事が来た。

『なんだその返事は。どう考えても「お前もう無理」が態度ににじみ出てるんだよ』

そもそもお互いちゃんとすり合わせができてなかったことが原因だからどっちも悪いところあったんじゃないのか』

『なんで私だけが悪いみたいな態度を取られなきゃいけないんだ』

『謝ろうにもそっちの意見を聞かない限りは本当の謝罪なんて無理だろう』

『いい加減自分意見を隠して察してちゃんするのはやめろ』

私のこのときの率直な思いだ。

しかし、まだこれなら修復ができるかもしれない。

「私は今でもまだ友達だと思っている」と伝えると「私も同じかな」と返ってきた。

しっかりと話し合う時間が欲しかった。

会う約束をすることになったのだが、いろいろあって実際に会えたのはさら半年後だった。

ちゃんと話し合おう、主観で悪かったと思うところは謝って、相手の口からもきちんと思いを聞いて、

粗相があるなら謝ろう。誤解があるなら解けるまで言葉を交わそう。

そう思っていたはずなのに、久しぶりに会って私の口から出るのは、薄っぺらい近況話や中身のない話だった。

その日の私とAは、傍から見ればいかにも友人っぽかったと思う。

しかし確実に、距離が空いていた。お互い腹を探りあっていた。

私に至っては。もはやAのご機嫌取りに近かったのかもしれない。

いかにも友人っぽい二人は、大事な話もできずにいかにも友人っぽいまま解散してしまった。

その日を境にTwitterなどでやり取りは再びするようになったが、心理的距離は変わらないままだったと思う。

それでも私の誕生日には簡単イラストが贈られたので、私もAの誕生日イラストを贈った。

私はその年、結婚式を挙げる予定があったため、Aのことも誘ってみたのだが

Aはその日どうしても外せない予定があったらしく、申し訳なさそうな顔をして断られた。

しかし祝福はしてくれていて、Twitterに載せた前撮り写真にもコメントをくれたり、

ドレスの色の相談もしたりしていた。

式当日の写真にも、いいねコメントがきていた。

行くことはできなかったけど、祝福はしているという雰囲気であった。

年末、式に招待した人たちに年賀状を出そうとリストを作っていたところ、

招待したけど来られなかった人にもお礼状として年賀状を出そうと考えた。

AにLINEで住所を聞いた。Aの一人暮らし先の住所は知らなかった。

Aからは「正月帰省しているので実家に送ってほしい」と返事が来た。

私は過去年賀状ファイル実家に置いてきていたため、再度実家の住所を聞き、送った。

送った年賀状は「あて所に尋ねあたりません」のスタンプが押され、返ってきた。

Aに聞くと「省略した住所だったからかな?これが正式な住所だから送ってみて」との返事。

住所を訂正し、切手を貼り直し、再度送った。

再び、スタンプが押され返ってきた。

原因はどうやら転居届を出していたことだと分かった。

Aに「一人暮らし先の住所教えて。それか、直接渡すからどこかで遊ぼう」と伝えた。

Aは「年賀状のためだけに会うのは申し訳ないし、仕事が忙しくなりそうな予感がしてるから

しばらく遊ぶのは無理かも。何か手間かけない方法で……局留めとかできないかな」と返信した。

(やりとりは削除済みなので記憶だよりである

……私はもう疲れてしまった。

わずかに繋がっていた糸が切れてしまった感覚があった。

Aの仕事は土日休みだし休日出勤もなさそうなのに。

年賀状のためだけに会うのは申し訳ない」はどう考えても「会いたくない」の言いかえだと思う。

局留めなんて提案バカバカしい。住所を教えたくないだけなのがよく分かる。

「分かった。じゃあ会わなくていいから、どこかで話をする時間がほしい」

私はそう伝えたが、これは仲直りだとか謝罪だとかのためではない。絶縁のための話がしたかった。

しかし、Aからの返事が来ることはなかった。

話したくないの意志のものだったと思う。

話したくないことはよく分かったがそうも言ってられない。

私たちが縁を切るにはもう少し事務的手続き必要だった。

大事な話なので」と念を押しても無視された。

Aは私の連絡は無視し、Twitter更新を続けていた。

LINEブロックされたのかと思い、確認してみたがそんなことはない。

ただただ、無視をされていた。

日経って、AがTwitterでスペースに参加しているのが見えた。

別のフォロワーホストのスペースにスピーカーとして参加しているようだった。

よく見てみると、スペースに入る際に匿名で聞く機能が追加されているのが分かった。

盗み聞きのような気分だったが、そういう機能があるのだから使ってみることにした。

他愛のない会話。Aは楽しそうにしていた。

少なくとも元気であることが分かって一安心

同時に無視意図であることも分かった。

私はAに追加でLINEを送ってみることにした。

目につきやすいように、短文で3件ほど。

わざと気を引くような言葉も選んだと思う。

スペースで何か反応があることを期待したものだった。

しばらく待つと。案の定Aはその件について触れ始めた。

そこからはもう出るわ出るわ本音の嵐。

それを聞いたフォロワーも一緒になって私への悪口を言う。

いや中学生か……。いい歳した大人が……。

だがしっかりと聞きたかった言葉を聞くことができた。

「まあ、私(A)の中ではね、友達としてはね、もうあのときで終わってるから……」

これだ。私が聞きたかったのは。

私は確信を持ちたかったのだ。

その後、スペースは「謎の匿名リスナー」の存在がばれたため、

アカウントの方へ移行していった。

私はAの全ての連絡先を削除し、SNSブロックした。

そしてAとの関係肯定するものをすべて処分した。

Aからもらった絵も、渡すはずだった年賀状も、一緒に撮った写真も何もかもすべて。

Aの魂のこもった絵を処分していくのはさすがに心が痛んだが、私にはもうすでに必要のないものだった。

絵を捨てることで、私はAという存在すべてを否定した。

実家を出て、新居に必要ものだけ持ってきたはずだったのに、やたらとAの痕跡が多かったことを私は忘れないだろう。

(余談……事務的手続きをやり残したまま処分を始めてしまったため、後始末に少し苦戦した。

他人も巻き込んでしまったためここは大いに反省すべき点だと思う。)

主観と推測と反省

タイムマシンがあったら戻るか?と聞かれても、私はもう戻ることはない。

やりなおしたいわけではないが、自分の行動のどこがまずかったのかは今でも考える。

私はあのとき、ポンと1万円を支払っていればよかったのだろうか。

誕生日プレゼントとお礼を混合したのが良くなかったのか。

そもそも、お礼に何をするかを前もってすり合わせておくべきだったのか。

いっそのこと、自分の本なのだから他人に絵を描いてもらおうなんて思ったこ自体が間違いだったのか。

……恐らくすべての点で間違っていたのだろうと思う。

Aはきっと、私に対して「自分の絵(=自分人生のもの)に対して1万円の価値もないと思われた」と

感じているのだろう。

もちろんこれは断固否定するが、そんなことは決してないし、Aの絵と絵に向き合う姿勢リスペクトしていたつもりだ。

だが、思っていてもそれが相手に伝わらなければ意味がない。

私の思いはAに伝えたつもりだが、その通り受け取られなかったのなら、それは私の言葉表現方法が悪い。

そもそも受け取ってもらえなかったのはきっと今までの積み重ねもあるのだろう。

私の信用は、もっと前には既になかったのだろう。

Aが私に対して「許せない」と感じているのはもう仕方がない。

許されないことも仕方がないと思っている。

しかし、今でも私はきちんとした謝罪ができなかったことを悔やんでいる。

Aは私の謝罪必要としていないのかもしれない。だが私が謝罪をしない理由にはならない。

人間として、相手のことを本当に大事に思うのならば、きちんと謝罪をするべきだったのだ。

ここまでで書いたことはあくまでも私の主観に基づいたものだ。

ない頭を振り絞りAの立場に立って考えたつもりではあるが。本心はAにしかからない。

Aの本心を聞けなかったこと、強引な手段しか本音を聞けなかったことも非常に後悔している。

何にせよ、もう私たちは戻れない。二度と戻ることはできない。

Aが私を許せないのと同じくらい、私もAのことが許せないのだ。

かつての親友であっても、二人の共通の友人とは今は関わりがほぼない。

共通コミュニティに属していない以上、時間とともに価値観の相違は生まれものだ。

Aも私も、少しずつお互いにずれていっただけなのだと思う。

Aが使っていた「ばかたれ可愛い」という語彙がなんとも下品で嫌いだった。

家に招いたとき、部屋中に飾った好きなキャラのグッズやぬいぐるみを見て

ちゃんと定期的に埃とか取らないと汚い」と言ったことが許せなかった。

言いたいことをはっきり言わずに態度に出まくりなところが本当に嫌だった。

自分けが被害者のような態度を取られるのが不満だった。

誰が聞いてるかもわからないオープン場所で人の悪口を言ってる姿が情けなかった。

「もうとっくに友達じゃない」と思っていたのならさっさと切ってほしかった。

友達として終わってる」なら私の結婚関連の祝いの言葉は何だったのか。

これらは全てAが悪いのではなく、私の価値観に合わなかっただけである

それでも私はAを許さないと思う。

Aが私を許さないのではない、私がAを許さないのだ。

以上、非常に長く見苦しい文章を読んでくださった方に感謝します。

2024-07-16

anond:20240716200852

記事が「作品を貶めたいわけではなく、カフェ喫茶店開業で失敗する人を減らしたい」って意図を書いてるのに、気にせず漫画家フルボッコにするあたり、はてブが嫌われる原因なんだよな

anond:20240715115947

つか元増田はなんかほんとに悩んでるのは贅沢な食事自体ではないのでは…って思う。

夫さんがやたら話を聞かないところが頻発するのが引っかかるけど、なぜかそこは話には出すけどぼやかしたい意図を感じる。

そんでそこまで始終フワフワな感じの増田だったのに、文末にきて「馬鹿みたい」「成金みたい」という強い言葉がでてくるところで、おっ?ってなる。

なんとなく夫さんに対するそこまでライトでもない負の感情が育まれてる途中って感じがする。ほっといたら取り返しのつかないことになるやつ。

そんでこれに対する批判増田は多分元増田文章がフワフワなのに怒ってるんじゃなくて、「養ってもらってるくせに文句言うやつはクズ」っていう増田にありがちの価値観の発露なのではないだろうか。

なのでここでコミュニケーションのありかたとか説いてもあん意味ない気がする。

元増田批判増田もまだほんとのこと言ってなくてコミュニケーションまで辿り着けてない。

2024-07-15

anond:20240715161124

まず意図を汲めてないんだよお前は

一夫多妻制とかクローンみたいな話は、少子化解決するのは実質的に無理だってことを言ってるの

たいして効果のない少子化対策を語ることは出来るが、結論がたいして効果がないって分かってるんだから、具体的な話しても意味ないんだよ

分かる?

Mrs green apple差別主義認定していた人たち

今どういう気持で生活してるの?

煽りとかじゃなくて、素朴な疑問。

ネイティブアメリカンに嫁いだ日本人ブログに、「一番納得した」とか「恥ずかしながら知らなかった」とかにたくさんスターがついてたみたいだけど。

結局彼らの「コロンブス」は、コロンブスが行った歴史破壊肯定して、ネイティブアメリカンに対する差別的思想表現することが目的だったのかということ。

もしそうだったとしたら、公開停止して謝罪する程度で終わる問題ではないよね。

制作過程を明らかにして、一つ一つのシーンについても検証したうえで然るべき団体当事者に向けた謝罪がないとだめだよね。

まさか第三者ブログ検証した内容だけで事実認定なんてできるわけがないし。

それすらなく、そんなやばいやつが未だに毎日のようにテレビに出て歌ってる状況は国際問題にもなりかねない状況なわけでしょ。

あのとき彼らを差別主義認定してた人たちは、そんな彼らがテレビに映る度にどんな気持ちになってるの?

勘違いしてほしくないのは、あのブログが嘘であるとか、原住民の反応が嘘であるとかそういう話をしたいわけではないのね。

そう感じるのは当然個人自由であるし、意図するしないに関係なく、そういう風に見えてしまたことは否定ができないから。

問題は、「そういう意図で作られたものだ」と断定していた人たちなのよ。

なぜかって、それがそのまま「差別主義であるから

この違いが解るかな。

「そういう風に解釈できる」と、「だから彼らは差別主義者だ」の間には、本来越えられない壁があるってこと。

なぜなら、そこには事実認定必要から

今回の件において、その点についての事実認定はまだ行われてない。

差別主義風のMVを作った人たち」までは事実認定だとしても、「差別目的としてMVを作った」という事実認定はされてない。

この違い、わからないよね。

わかってるくらいなら、あのブログあんブコメスターなんて集まらないのよ。

ここで質問です。

事実認定さえされていないことに対して、自らの主観だけで事実認定を行う人をなんて呼びますか?

そうです。差別主義者と呼びます

差別主義批判しているつもりが、自分差別主義者だったと気づいた気分はどうでしょう

受け入れられないですよね。

からいなくならないんですよ。差別主義者って。自覚がないから。

そういう意味では、あのブログ差別されてきた人に寄り添うはずの人が、MVの解釈説明するだけで終わらずに、ほぼ事実認定に近い形での言及を行っていたことは正直残念でした。

「偶然はこんなに重ならない」というのは、陰謀論が広がるときに使われる常套句のようなもので、むしろどうとでも解釈できるようなものを都合のいい解釈として並べてる時点で偶然でもなんでもない、意図的なものしかないわけです。

ちなみに自分はMrs green apple擁護者ではありません。

実際に被害者存在する歴史問題を、自らの勝手解釈矮小化したという意味では、ある意味彼らも差別主義であると思います

多くのブクマカ達が行った差別主義認定とは全く違う解釈ですけど。

あのとき振り上げた正義の拳は、彼らがテレビ画面に現れる度にどうしてるんでしょうか。

今でも元気に振り回してるんでしょうか。

anond:20240714235901

ルールの話じゃなくどういう意図かってことだよ

2024-07-14

anond:20240714234858

どういう意図でこんなこと書いたの?

anond:20240714124321

内容はどうでもいいとして、なぜ見ず知らずの相手にこんなことを書こうと思ったの?

真面目に向き合う必要性なんてないんだし、単なる暴言を「俺はこんなにかんがえてやってる感」だしてもね

他人ボコる喜びしか俺は感じないんだが、どういう意図でこんなこと書いたの?

重度の障害者が放したうんちを左派知識人弟子院生が片付ける

意図にか不意図にか起きる不公平な結果を回避

する唯一の手段

本音で動く一般庶民をたしなめて山まで動く

なせるものの限り無すのが大切

人の出自できめずに

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