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2024-08-04

anond:20240804184203

お気持ち」とは、自分意見感情、心境の変化を言葉に表し、ブログSNSなどで表現することを指します。これは「お気持ち表明」とも呼ばれ、個人内面的な感情意見を公開する行為です[2]。

一方、レッテル貼りとは、ある人の見た目や性格、行動の一部分を基に、その人に対して否定的なラベルをつけることです。これは、人を一面的に捉え、その人を理解しようとする努力放棄する行為とされています[1][3][4][5]。

お気持ち表明」に対するレッテル貼りは、発信者意見感情を軽視し、「ただの感情的な発言」として一括りにする行為と考えられます。これにより、発信者意図や背景を理解しようとせず、一方的否定的評価を下すことになります。このようなレッテル貼りは、発信者意見を正当に評価せず、コミュニケーションの質を低下させる恐れがあります

Citations:

[1] https://www.awarefy.com/coglabo/post/labeling

[2] https://note.com/regap/n/n1cd119851284

[3] https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/e4f36052d869948c892fb1a6b2347460c77fcc5a

[4] https://tamai-psychology.com/blog/2019/09/23/label/

[5] https://note.com/bravelotuskiss/n/ne5f6d7239570

東浩紀伝3

東は2018年12月18日ツイッターゲンロン解散を発表するが、上田洋子らに説得されて、解散は思いとどまる。東は21日付で代表辞任し、上田代表就任する。「ゲンロンに搾取されているという不満」(「ゲンロン戦記」、212頁)を抱いたそうであるゲンロンの代表として会社のために苦労しているにもかかわらず、社員は楽しくやっているように見えるのが不満だったそうだ。理解しにくいところであるが、こういう理由から自分と同じくらいの貢献を社員に求めることになるようである。「ゲンロン戦記」のこの個所は異彩を放っていて、他は笑えるエピソードなのであろうが、ここは笑えないところであろう。代表辞任という重大な局面なので書かざるを得なかったのだろうか。

上田洋子の人生ゲンロンで好転したことは疑いない。博士号取得後燻ぶっていたが、チェルノブイリツアー通訳を引き受けたところ、東に気に入られ、ゲンロンの副代表就任し、それだけでも出世であろうが、東の代表辞任に伴い、代表の座に就くに至った。代表女性ということでフェミ批判をかわせる部分もあるようである2023年日本ロシア文学会大賞を受賞している。東を諫めるべき立場ではあるが、そういうものとしては機能せず、東の発言をひたすら支持している。

2020年新型コロナウイルス(COVID-19)が世界蔓延する。東は断固としてコロナはただの風邪という立場に立った(小林よしのり×三浦瑠麗×東浩紀コロナはしょぼいウイルス世界中で騒いでるのが一番の問題。」【ゲンロン200328】)。田中康夫が切り抜き動画を作っていたのであるが、消されてしまっているようであるアガンベンも生権力批判観点からコロナ対応批判的であったが、コロナは致死率こそそれほど高くないものの、後遺症がひどいので「しょぼいウイルス」とは言えないであろう。

2020年7月黒瀬陽平セクハラが発覚する。東は黒瀬との関係を断つが、これはこの時世であるから仕方ないところであろう。黒瀬は「思想地図vol.1」(2008年)でデビューしており、ゲンロンではカオス*ラウンジ芸術校などもやっていた。

2020年10月19日シラスオープンする。ユーチューブとどう違うのかとも思われるが、その理念は「ゲンロン戦記」第6章第2節で語られている。

2021年キャンセルカルチャーが吹き荒れた年であったが、東京オリンピックでの小山田圭吾炎上が最も目立つ事例であろう。音楽家不祥事新聞の一面トップを飾ったのは小室哲哉逮捕以来ではないだろうか。この件で宮台真司小山田に対して批判的であったが、これに東は反発して、関係を断つ。九〇年代に宮台も露悪系でやっていたのだから小山田の側に立つべきだったというのであるが(「東浩紀無料突発 またどうせ消す」)、これはまっとうな批判であろう。一晩で数百万もの売り上げのあるイベント相手をこのくらいの理由で切れるのだから、東の行動原理は損得にはないということは認めていいのであろう。

2021年4月4日、オープンレター女性差別的な文化を脱するために 研究教育言論メディアにかかわるすべての人へ」が公開されたが、これはキャンセルカルチャーの烽火といっていいものであろう。日文研助教(当時)呉座勇一が武蔵大学准教授(当時)北村紗衣を鍵垢で揶揄していたことを非難するものである東北学院大学准教授小宮友根が書いたらしい。呉座は日文研から准教授への内定を取り消される。同じ年に、立憲民主党衆議院議員本多平直が辞任に追い込まれたりもしており、リベラル連携して動いていることは明らかであろう。キャンセルカルチャーの年表としては、「桐野夏生日没』と2020年代の「大衆検閲」」がある。

2021年9月29日、呉座は日文研提訴したが、これに加えて、2022年2月27日オープンレターの差出人に対して、オープンレターの削除と損害賠償を求める書面を送付し、同年2月25日オープンレターの差出人らが呉座に債務不存在確認訴訟提訴している。2021年12月に、草津町町長女性町議から強制わいせつ容疑で告訴されたのに対して、名誉棄損と虚偽告訴の容疑で女性町議を逆に告訴したりもしていたが、キャンセルカルチャーに対して反撃が始まったという印象であるツイッターでアンフェが気焔を上げていたのであるが、オープンレターは、署名していない人が署名したことになっていたり、差出人に加わることに合意していないのに差出人にされていたり、差出人が五十音順で並べられていなかったりして、杜撰なところが多く、そこを突かれていた。いわゆる法クラの弁護士が加勢したのも大きいのであろう。キャンセルカルチャーの本邦第一号としてモデルケースにするはずだったものと思われるが、躓いてしまった。

この呉座が、シラスチャンネルを開設すると発表される。キャンセルカルチャー犠牲者に助け舟を出したかたちであるが、ここから問題であった。2022年6月、呉座が春木晶子を姫と言ったところ、辻田が咎めたが、呉座は姫の初出は東である反論する。後日、春木は呉座に指摘を感謝し、東にこそ問題があると批判する(5ちゃんねる、東浩紀671の12)。このような経緯で呉座のチャンネルは、契約は未了であったものの、開設されないことになってしまった。また春木チャンネル契約更新を拒まれる。こちらはアップルパイ番組で焼いていたことも問題視された。このことからアップルパイ事件とか五反田ベース事件などと呼ばれることもある。呉座と春木ユーチューブに「春木で呉座います。」というチャンネルを開設した。

悪いことは続くものであるが、今や東のトレードマークともなった「とんこれ」発言が飛び出す。衆議院投票日を二日後に控える2022年7月8日、元総理大臣安倍晋三統一教会に家庭を破壊された過去を持つ山上徹也によって射殺される。7月10日、ニコニコ生放送で「【参院選2022】開票特番三浦瑠麗東浩紀、石戸諭、夏野剛と見守ろう」が放送されるが、中継で社民党福島瑞穂が「それで現在はまだ詳細がわかっておりませんが、統一教会との関係などとも言われております。ですから詳細が明らかになると同時に、もし自民党統一教会応援していることが問題とされたのであれば、まさに自民党統一教会によって大きく影響を受けているということも日本の政治の中で問題になりうると思ってるんですね」などと発言した。中継終了後、東は「あの、これさ……自民党統一教会関係しているからこのようなテロを招いたということを言った?もしかしたら」と述べ、一連のやり取りの中で「これとんでもない話だなぁこれ」との印象深いフレーズが口にされる。福島安倍への銃撃を容認する意図はないと思われるが、そのように曲解したのであろう。しかし、この発言ネタになったのは、味わい深いものがあったからであろう。「五反田式人文パフォーマンスは①唐突で②滑稽で③絶妙にピントが外れていないといけない。極めるのは大変ですよ」(5ちゃんねる、東浩紀スレ817の622)。狙ってやれるものではないように思われる。

2022年10月頃、暇空茜が一般社団法人Colaboの杜撰会計を追求しはじめる。これは2021年後半から始まったキャンセルカルチャーへの反撃のうちで最大のものであった。暇空の活動は、表現を燃やすものを燃やすことでキャンセルカルチャーを終わらせることを目的にしているが、そのために情報公開請求住民監査請求などの合法的手段を用いている(一部デマもあるようだが)。青識亜論のような従来の「表現の自由戦士」は原理を唱えるだけであったが、行動に移したかたちである。東は暇空についてほとんど言及していないが、暇空を支持している宇佐美展也と「都知事選は本当にこれでよかったのか!?」(2024年7月7日)で共演している。

「とんこれ」発言で東の評判はずいぶん落ちたため、それから安全運転を心がけているようであるしかし、安倍が死んだこともあり、検察が息を吹き返した。東京五輪汚職株式会社KADOKAWA会長角川歴彦逮捕起訴され、「とんこれ」発言に同席していた夏野剛が棚ぼたで取締役代表執行役社長CEO就任した。同じく「とんこれ」発言に同席していた三浦瑠璃にはそういうラッキーはなかった。夫(当時)の三浦清志は、建設の見込みがないのに太陽光発電出資を受けたとして、詐欺容疑で告発されていたが、2023年3月7日業務上横領罪で逮捕されたのである(同月27日に起訴)。三浦瑠璃はしばらく活動を休止していたが、2024年4月26日、夫との離婚を発表し、活動を再開した。

辻田真佐憲は、「訂正可能性の哲学」の副読本「訂正する力」(2023年10月)の聞き手構成担当するなど、東の最側近になっていたが、2024年5月31日の「東浩紀突発#136 ただなんとなく雑談」で批判される。「みんな格好つけたいんだろ?俺、自分が格好つけるとか考えない。ゲンロンとシラスのためにめっちゃやってるから!俺シラスを盛り上げようと思ったんだよ。シラサーと一緒に。やってくんないよ!みんな自分チャンネルのことばっか考えてるじゃん!」などの発言があったそうである(5ちゃんねる、東浩紀スレ酒849の290)。「石戸諭×桂大介×東浩紀 ネットで(ついに)社会が変わるのか?」(同年7月18日)でも辻田は批判される。辻田が論壇フェスというイベントに出るのが気に食わないようである。辻田は「【雑談配信東京都知事選後日談中間重要性、論壇フェスほか」(同年7月19日)で反論した。しかし、辻田は売り上げトップであるだけに東も軟化し、辻田がシラスを止めることは今のところないようである

現在に追いついた。これまでのあらすじをまとめると、東は郵便本で確立した視座でずっとやってきたといえるのであろうが、ゼロ年代ネット草創期のコミュニケーションの変容をアーキテクチャから考えていて、この頃がいちばんよかった。個々人は社会から下りていても、社会は回っていくというような夢が語られた。このような夢まで否定されるいわれはないだろう。テン年代になると、SNSによってネット政治的もので満たされるようになり、東はそこから距離を置こうとしてゲンロンに立てこもるようになった。ゼロ年代ネットの勢いに乗っており、その可能性を引き出すべく理論化に励んでいたが、テン年代ネットの動向に批判的になり、アーキテクチャ論も捨ててしまい、時代を作るような存在ではなくなっていった。

時代を作っているのは、左派ウォーキズムであろう。東に近かった人でも、津田藤田こちらに付いていったのであるが、ゼロ年代の東は、環境を変化させることで行動を変える環境管理型権力がこれから権力であり、内面に介入する規律訓練型権力過去のものになりつつあるとしていた。しかし、左派ウォーキズムは明らかに内心に介入しており、先祖返りしている印象である外山恒一キャンセルカルチャーについて「云ってることは新左翼だが、やってることがイジメ」(情況 2022年春号)と言っているが、これにならえば、左派ウォーキズムは、云ってることはフーコーだが、やってることがキリスト教といったところであろうか。しかし、左派ウォーキズムは収まりそうになく、これに対する抗議運動も続くであろう。

展望も記しておくべきなのであろうか。宮台真司は東に健康診断を受けるように勧めていたが、宮台はステージ0のすい臓がん発見しており、しっかりと健康診断を受けているのだろう。東はアル中ではないということらしいが、酒の飲みすぎであることは疑いない。しかし、健康さえ保てれば、今の地位は揺らぎそうもない。思想的な伸びしろは乏しいのかもしれないが、依然としてアイデアマンではあり、あと十数年は売れる本を出せるであろうし、ゲンロンも続けようと思えば続くであろう。

これでこの伝記は終わりであるが、記憶に頼って書いたところも少なくなく、誤りもあるかもしれない。東の埋蔵量は油田のようであり、書き終えられるか不安になったこともあるが、何とか書き終えることができた。これを読んだ人にネット草創期の興奮が少しでも伝われば幸いである。

東浩紀伝2

非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田消息が分からなくなり、小谷野2017年から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会的包摂」(2021年教育雑誌 (57) 31-43)というレビュー論文がある。ロスジェネ論壇も盛り上がった印象はない。氷河期世代はそれどころではなかったのだろうか。雑誌ロスジェネ」は迷走してしまい、第3号は「エロスジェネ」で、第4号で終刊した。

東のゼロ年代ゼロアカ道場で幕を閉じる。東チルドレンを競わせるという企画であり、ゼロアカとは「アカデミズムゼロになる」という意味らしい(「現代日本批評2001-2016」、講談社、101頁)。彼らは東浩紀しか参照していないので、アカデミズムとしてはゼロなのかもしれない。ここで台頭したのが藤田直哉であり、ザクティ革命と称して、飲み会動画を無編集でアップした。ゲンロンのプロトタイプかもしれない。藤田はwokeしたが、東チルドレンでそちらに行ったのは彼くらいではないか

3 ゲンロン

ニコニコ動画に「動ポノムコウ」(2020)というMADがあるが、ゼロ年代の東は輝いていたものの、震災後は落ちぶれてしまったという史観編集されていた。落ちぶれたかどうかはともかく、震災前後に断絶があることは疑いない。東は移動を躊躇わないところがあり、90年代末に批評空間を離れたように、震災後に自らが立ち上げた動ポモ論壇からも離れてしまう。

ゲンロンの前身である合同会社コンテクチュアズ2010年4月6日創業された。2009年の秋の飲み会アイデアが出たそうである宇野常寛濱野智史、浅子佳英(建築家)、李明喜空間デザイナー)との飲み会であった。「ゲンロン戦記」(2020年)では李はXとされているが、ウィキペディアには実名で出てきている。李はコンテクチュアズ代表就任したものの、使い込みを起こして、2011年1月末日付で解任されている。代わって東が代表就任し、李から使い込んだ金を回収した。ちょうど震災前のことで、震災後だと回収は難しかたかもしれないらしい(「ゲンロン戦記」、42頁)。この頃には、宇野や濱野は去っており、浅子が右腕だったが、その浅子も2012年には退任する。

一般意志2.0」は震災前に雑誌「本」に連載されていた。2009年12月から2011年4月号まで連載されていて、4月号は3月頭に出るものなので、ちょうど震災が起こる直前に終わったことになる。「ゲンロン戦記」には「その原稿2010年代に書かれたのですが、出版震災後の2011年11月になりました」(22頁)とあるが、ゼロ年代に連載が始まっているし、出版されたのも2010年代なので、おかしな文である。「震災前に書かれた」と直すべきところであろう。「一般意志2.0」はゼロ年代パラダイムに属している。デジタル民主主義の本であるが、ちょっとひねって、ニコニコ動画のようなもの民意をくみ上げようというものであるゲンロンもニコニコ動画でやられているので、その所信表明でもあるのであろう。ゼロ年代ゲンロンをつなぐ蝶番的な書物ではあった。

サイバースペース」「情報自由論」は一冊の本として刊行されることはなかったのであるが、「一般意志2.0」は刊行された。すっきりとした構想だったからだろうか。東はネット草創期のアングラさのようなものを後光にして輝いていたのであるが、この本を最後に、アーキテクチャを本格的に論じることを止める。ニコニコ動画2ちゃんねる動画版のようなところがあったが、ツイッターをはじめとするSNSネットの中心が移り、ネットはもはや2ちゃん的ではなくなり、東の想定していたアーキテクチャではなくなってきたのかもしれない。東はツイッターも使いこなしているが、かつてほどの存在感はない。

一般意志2.0」の次の主著は「観光客哲学」(2017年であるが、サブカルチャー批評することで「ひとり勝ち」した東が観光客を論じるのは意外性がある。娘が生まれからアニメゲームに関心を失い、その代わり観光が好きになったとのことで、東の関心の移動を反映しているようである。「観光客哲学 増補版」第2章によると、観光客二次創作するオタクに似ている。二次創作するオタク原作の好きなところだけつまみ食いするように、観光客住民暮らしなどお構いなしに無責任観光地をつまみ食いしていく。このように観光客現実二次創作しているそうである

福島第一原発観光地化計画思想地図β vol.4-2)」(2013年)は、一万部も売れなかったそうである。ふざけていると思われたのだろうか。観光に関心を持っていたところに、福島第一原発事故があり、ダークツーリズム対象にできないかと閃いたのであろう。もともと観光に関心がなければ、なかなか出てこないアイデアではないかと思われる。東によると、ダークツーリズム二次創作への抵抗である(「観光客哲学 増補版」第2章)。それなりの歴史のある土地であっても、しょせんは無名なので、原発事故のような惨事が起こると、そのイメージだけで覆い尽くされることになる(二次創作)。しかし、そういう土地観光に出かけると、普通場所であることが分かり、にもかかわらず起こった突然の惨事について思いをはせる機会にもなるそうである二次創作への抵抗)。

社会学者開沼博福島第一原発観光地化計画に参加して、前掲書に寄稿しているのにもかかわらず、これに抗議した。東と開沼は毎日新聞ウェブ版で往復書簡を交わしているが、開沼の主張は「福島イコール原発事故イメージを強化する試みはやめろ」というものであった(「観光客哲学 増補版」第2章)。原発事故を語りにくくすることで忘却を促すというのが政府戦略のようであるが、これは成功した。開沼は2021年東京大学大学院情報学環准教授就任している。原発事故への応答としては、佐藤嘉幸・田口卓臣脱原発哲学」(2016年)もあるが、こちらはほとんど読まれなかった。ジュディス・バトラー佐藤博論(「権力抵抗」)の審査委員の一人であり、佐藤バトラーに近い(竹村和子亡き後、バトラー著作邦訳を担っている)。「脱原発哲学」にもそれっぽい論法が出てくるのが、こちらは功を奏しなかった。資本主義と真っ向から対立するような場面では効かないのだろう。ちなみに佐藤博論には東も登場しており、バトラーも東の名前は知っているものと思われる。

観光客哲学」はネグリハート帝国」を下敷きにしているが、そこでのマルチチュードは、共通性がなくても集まればいいという発想で集められているものであり、否定神学であるとして、郵便マルチチュードとしての観光客対置する。東は原発事故後の市民運動に対して否定的であり、SEALDsなどを毛嫌いしていた。第二次安倍政権は次々と「戦後レジーム」を否定する法案を提出しており、それに対抗する市民運動は盛り上がっていたが、負け続けていた。しかし、Me too運動が始まってからというものリベラルマイノリティ運動に乗り換え、勝ち続けるようになる。「観光客哲学」は市民運動が負け続ける状況に応答しているが、「訂正可能性の哲学」(2023年)はマイノリティ運動が勝ち続ける状況に応答している。小熊英二こたつぬこ木下ちがや)はSEALDsの同伴者であったが、マイノリティ運動に与した共産党には批判である。小熊の「1968」(2009年)は絓秀実革命的なあまり革命的な」(2003年)のマイノリティ運動に対する評価をひっくり返したものなので、こういう対応は分からなくはない。東も「革あ革」を評価していない。「絓さんの本は、ぼくにはよくわからなかった。六八年の革命は失敗ではなく成功だというのだけれど、その理由が明確に示されないまま細かい話が続いていく。どうして六八年革命成功していることになるのか」(「現代日本批評2001-2016」、講談社、71頁)。論旨そのものは分かりやすい本なので、かなりの無理解であろう。

東はアベノミクスには何も言っていない。政治には入れ込んでいるが、経済は分からないので口を出さないという姿勢である経済について分かっていないのに口を出そうとしてリフレ派に行ってしまった人は多い。宮﨑哲弥が典型であろうが、北田もそうであるブレイディみかこ松尾匡と「そろそろ左派は<経済>を語ろう――レフト3.0の政治経済学」(2018年)という対談本を出している。リベラルが負け続けているのは、文化左翼路線だけでは大衆に支持されることはなく、経済についても考える必要があるという主張であるが、リベラルマイノリティ運動で勝ちだしてからはこういうことは言わなくなった。北田2023年から刊行されている「岩波講座 社会学」の編集委員代表を務めている。

観光客哲学」の次の主著は「訂正可能性の哲学であるこちらも郵便本の続編といっていいのであろうが、そこに出てきた訂正可能性(コレクタビリティ)という概念がフィーチャーされている。政治的な正しさ(ポリティカル・コレクトネス)を奉じている者がそうしているように、理想を固定したものとして考えるのではなく、誤りをコレクトするという姿勢大事であるということらしい。駄洒落のようであると言われることもある。森脇によると、東は状況に合わせてありきたりの概念意味を変えるという「再発明」の戦略を採っているが、この「再発明」の戦略を言い換えたものが訂正可能なのだという(森脇「東浩紀批評アクティヴィズムについて」)。そうだとすると、訂正可能性は郵便本では脇役であったが、これが四半世紀後に主役になることには必然性があったということであろうか。

こうして現在2024年7月)まで辿りついたのであるが、東は多くの人と関係を断ってきたため、周りに人がいなくなっている。東も自身気質自覚している。「ぼくはいつも自分で始めた仕事自分で壊してしまう。親しい友人も自罰的に切ってしまう。「自己解体境界侵犯欲望」が制御できなくなってしまう。だからぼくには五年以上付き合っている友人がいない。本当にいないのだ」(東浩紀桜坂洋キャラクターズ」、2008年、73頁)。一人称小説の語り手の言葉であるものの、現実の東と遠からものと見ていいであろう。ここからは東の決裂を振り返る。

宇野常寛は東を批判して「ゼロ年代の想像力」(2008年)でデビューしたのであるが、東に接近してきた。ゲンロンは宇野のような東に近い若手論客結集する場として企画されたそうである。東によると、宇野を切ったのは、映画「AZM48」の権利宇野要求してきたかららしい。「東浩紀氏の告白・・・AZM48をめぐるトラブルの裏側」というtogetterに東のツイートが集められている。2011年3月10日から11日を跨ぐ時間帯に投稿されたものであり、まさに震災直前である。「AZM48」は「コンテクチュアズ友の会」の会報「しそちず!」に宇野が連載した小説である映画原作なのだろう)が、宇野ウィキペディアには書かれていない(2024年7月27日閲覧)。円堂都司昭は「ゼロ年代論点」(2011年)の終章で「AZM48」を論じようと企画していたが、止めておいたそうである。「ゼロ年代批評をふり返った本の終章なのだから2010年代を多少なりとも展望してみましょうというパートなわけだ。批評家たちのホモパロディを熱く語ってどうする。そこに未来はあるのか?」(「『ゼロ年代論点』に書かなかった幻の「AZM48」論」)。

濱野智史は「アーキテクチャ生態系」(2008年)でデビューしているが、アーキテクチャ論こそ「「ゼロ年代批評」の可能性の中心」(森脇、前掲論文)であった。東の右腕的存在だったこともあり、「ised情報社会倫理設計」を東と共編している。濱野は東と決裂したというより、壊れてしまった。その頃、AKB48などのアイドル流行りつつあり、宇野は、東をレイプファンタジーなどと批判していたのにもかかわらず、アイドル評論を始めたのであるが、濱野もそちらに付いていってしまった。「前田敦子はキリストを超えた 宗教としてのAKB48」(2012年)を刊行する。これだけならよかったものの、アーキテクチャ論を実践すべく、2014年アイドルグループPlatonics Idol Platform (PIP)をプロデュースするも大失敗してしまい、精神を病んでしまった。行方が分からなくなっていたが、「『豪の部屋』濱野智史社会学者)が経験したアイドルプロデュース真相」(2022年)に出演して、東に「ぐうパワハラされた」ことを明かした。

千葉雅也の博論本「動きすぎてはいけない」(2013年)には、浅田彰東浩紀が帯を書いていて、「構造と力」や「存在論的、郵便的」を承継する構えを見せていた。郵便本をきちんと咀嚼した希な例ということらしい。東がイベント千葉ゲイであることをアウティングしたのであるが、その場では千葉は黙っていたものの、「怒っている。」などとツイートする(2019年3月7日、「男性性に疲れた東浩紀何をいまさらと怒る千葉雅也」)。これに反応して、東は「千葉との本は出さないことにした。仕事も二度としない。彼は僕の人生全否定した」などと生放送で二時間ほど怒涛の千葉批判を行った。こうして縁が切れたわけであるが、千葉くらいは残しておいても良かったのではないかと思われる。國分は数年に一度ゲンロンに登壇するようであるが、このくらいの関係でないと続かないということだろうか。

大澤聡も切ったらしいのであるが、「東浩紀突発#110 大澤聡さんが5年ぶりにキタ!」(2023年10月16日)で再会している。どうして切ったのかはもはやよく分からないが、それほどの遺恨はなかったのだろう。

福嶋亮大は向こうから去って行ったらしい。鼎談現代日本批評」の第1回、第2回に参加しながら、第3回に参加することを拒んだらしい。東も理由はよく分からないようである。珍しいケースといえよう。

津田大介とは「あずまんのつだっち大好き・2018年猛暑の巻」(2018年8月17日)というイベントが開催されるほど仲が良かった。津田2017年7月17日にアイチトリエンナーレ2019の芸術監督就任し、東は2017年10月企画アドバイザー就任する。しかし、企画展「表現不自由展・その後」に政治的圧力が加えられ、2019年8月14日、東は企画アドバイザーを辞任する。この辞任はリベラルから顰蹙を買い、東はますますリベラル嫌いになっていく。批評家は大衆に寄り添わざるを得ないので、こういう判断もあり得るのだろうか。

東は2018年12月18日にツイッターゲンロン解散を発表するが、上田洋子らに説得されて、

東浩紀

東浩紀の伝記を書く。ゼロ年代に二十代を過ごした私たちにとって、東浩紀特別存在であった。これは今の若い人には分からいであろう。経験していないとネット草創期の興奮はおそらく分からいかである。たしかにその頃は就職状況が悪かったのであるが、それはまた別にインターネットは楽しかったのであり、インターネットが全てを変えていくだろうという夢があった。ゼロ年代代表する人物を3人挙げるとすれば、東浩紀堀江貴文ホリエモン)、西村博之ひろゆき)ということになりそうであるが、彼らはネット草創期に大暴れした面々である。今の若い人たちはデジタルネイティブであり、それこそ赤ちゃんの頃からスマホを触っているそうであるが、我々の小さい頃にはスマホはおろか携帯電話すらなかったのであるファミコンはあったが。今の若い人たちにはネットがない状況など想像もできないだろう。

私は東浩紀の主著は読んでいるものの、書いたもの網羅的に読んでいるというほどではなく、酔っ払い配信ほとんど見ていない。しかし、2ちゃんねる(5ちゃんねる)の東浩紀スレ古参ではあり、ゴシップ的なことはよく知っているつもりである。そういう立場から彼の伝記を書いていきたいと思う。

1 批評空間

東浩紀は71年5月9日まれである。「動ポモ」でも援用されている見田宗介時代区分だと、虚構時代のちょうど入り口で生を享けたことになる。國分功一郎は74年、千葉雅也は78年生まれである。國分とはたった3歳しか離れていないが、東が早々にデビューしたために、彼らとはもっと年が離れていると錯覚してしまう。

東は中流家庭に生まれたらしい。三鷹市から横浜市引っ越した。東には妹がおり、医療従事者らしい(医者ではない)。父親金沢出身で、金沢二水高校を出ているそうである(【政治番組東浩紀×津田大介×夏野剛×三浦瑠麗が「内閣改造」について大盛り上がり!「今の左翼新左翼左翼よりバカ!」【真実幻想と】)。

東は日能研でさっそく頭角を現す。模試で全国一桁にいきなり入った(らしい)。特別栄冠を得た(らしい)。これに比べたら、大学予備校模試でどうとかいうのは、どうでもいいことであろう。

筑駒筑波大学附属駒場中学校)に進学する。筑駒在学中の特筆すべきエピソードとしては、おニャン子クラブ高井麻巳子福井県実家訪問したことであろうか。秋元康結婚したのは高井であり、東の目の高さが分かるであろう。また、東は中学生時代うる星やつらファンクラブを立ち上げたが、舐められるのがイヤで年を誤魔化していたところ、それを言い出せずに逃げ出したらしい(5ちゃんねる、東浩紀スレ722の555)。

もう一つエピソードがあって、昭和天皇が死んだときに、記帳に訪れたらしい。

東は東大文一に入学する。文三ではないことに注意されたい。そこで柄谷行人の講演を聞きに行って何か質問をしたところ、後で会おうと言われ、「批評空間」に弱冠21歳でデビューする。「ソルジェニーツィン試論」(1993年4月であるソルジェニーツィンなどよく読んでいたなと思うが、新潮文庫ノーベル賞作家を潰していくという読書計画だったらしい。また、残虐記のようなのがけっこう好きで、よく読んでいたというのもある。三里塚闘争についても関心があったようだ。「ハンスが殺されたことが悲劇なのではない。むしろハンスでも誰でもよかったこと、つまりハンスが殺されなかったかも知れないことこそが悲劇なのだ」(「存在論的、郵便的」)という問題意識で書かれている。ルーマン用語でいえば、偶発性(別様であり得ること)の問題であろうか。

東は、教養課程では、佐藤誠三郎ゼミ所属していた。佐藤村上泰亮公文俊平とともに「文明としてのイエ社会」(1979年)を出している。共著者のうち公文俊平だけは現在2024年7月)も存命であるが、ゼロ年代に東は公文グロコムで同僚となる。「文明としてのイエ社会」は「思想地図」第1号で言及されており、浩瀚な本なので本当に読んだのだろうかと思ったものであるが、佐藤ゼミ所属していたこから学部時代に読んだのだろう。

東は94年3月東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科を卒業し、同4月東京大学大学総合文化研究科超域文化科学専攻に進学する。修士論文バフチンで書いたらしい。博士論文ではデリダを扱っている。批評空間に94年から97年にかけて連載したものをまとめたものである私たち世代は三読くらいしたものである博論本「存在論的、郵便的」は98年に出た。浅田彰が「東浩紀との出会いは新鮮な驚きだった。(・・・)その驚きとともに私は『構造と力』がとうとう完全に過去のものとなったことを認めたのである」という帯文を書いていた。

郵便本の内容はウィキペディアの要約が分かりやすく、ツイッター清水高志が褒めていた。「25年後の東浩紀」(2024年)という本が出て、この本の第3部に、森脇透青と小川歩人による90ページにわたる要約が付いている。森脇は東の後継者と一部で目されている。

東の若いころの友達阿部和重がいる。阿部ゲンロンの当初からの会員だったらしい。妻の川上未映子は「ゲンロン15」(2023年)に「春に思っていたこと」というエッセイ寄稿している。川上早稲田文学市川真人によって見出されたらしく、市川渡辺直己の直弟子である市川鼎談現代日本批評」にも参加している。

東は、翻訳家小鷹信光の娘で、作家ほしおさなえ1964年まれ)と結婚した。7歳年上である不倫だったらしい。98年2月には同棲していたとウィキペディアには書かれていたのであるが、いつのまにか98年に学生結婚と書かれていた。辻田真佐憲によるインタビュー東浩紀批評家が中小企業経営するということ」 アップリンク問題はなぜ起きたか」(2020年)で「それは結婚の年でもあります」と言っており、そこが根拠かもしれないが、明示されているわけではない。

そして娘の汐音ちゃん生まれる。汐音ちゃん2005年6月6日まれであるウィキペディアには午後1時半ごろと、生まれ時間まで書かれている。名前クラナドの「汐」と胎児聴診器心音ちゃんから取ったらしい。ツイッターアイコンに汐音ちゃん写真を使っていたものの、フェミに叩かれ、自分写真に代えた。汐音ちゃんは「よいこのための吾妻ひでお」 (2012年)のカバーを飾っている。「日本科学未来館世界の終わりのものがたり」展に潜入 "The End of the World - 73 Questions We Must Answer"」(2012年6月9日)では7歳になったばかりの汐音ちゃんが見られる。

96年、コロンビア大学大学入試に、柄谷の推薦状があったのにもかかわらず落ちている。フラタニティ的な評価によるものではないかと、どこかで東は推測していた。入試について東はこう言っている。「入試残酷なのは、それが受験生合格不合格に振り分けるからなのではない。ほんとうに残酷なのは、それが、数年にわたって、受験生家族に対し「おまえの未来合格不合格かどちらかだ」と単純な対立を押しつけてくることにあるのだ」(「選択肢無限である」、「ゆるく考える」所収)。いかにも東らしい発想といえよう。

2 ゼロ年代

東の次の主著は「動物化するポストモダン」で、これは2001年刊行される。98年から01年という3年の間に、急旋回を遂げたことになる。「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」はその間の論考である

東はエヴァに嵌っており、「庵野秀明はいかにして八〇年代日本アニメを終わらせたか」(1996年)などのエヴァ論も書いている。その頃に書いたエッセイは「郵便不安たち」(1999年)に収められた。エヴァ本をデビュー作にすることも考えたらしいが、浅田彰に止められたらしい。だからサブカル本を出すというのは、最初から頭の中にあったのだろう。

「いま批評場所はどこにあるのか」(批評空間第Ⅱ期第21号、1999年3月)というシンポジウムを経て、東は批評空間と決裂するが、それについて25年後に次のように総括している。「ぼくが考える哲学が『批評空間』にはないと思ってしまった。でも感情的には移転があるから、「お前はバカだ」と非難されるような状態にならないと関係が切れない」(「25年後の東浩紀」、224-5頁)。

動ポモ10万部くらい売れたらしいが、まさに時代を切り拓く書物であった。10万部というのは大した部数ではないようにも思われるかもしれないが、ここから動ポモ論壇」が立ち上がったのであり、観客の数としては10万もいれば十分なのであろう。動ポモフェミニストには評判が悪いようである北村紗衣も東のことが嫌いらしい。動ポモ英訳されている(Otaku: Japan's Database Animals, Univ Of Minnesota Press. 2009)。「一般意志2.0」「観光客哲学」も英訳されているが、アマゾンのglobal ratingsの数は動ポモが60、「一般意志2.0」が4つ、「観光客哲学」が3つと動ポモが圧倒的である2024年8月3日閲覧)。動ポモ海外論文でもよく引用されているらしい。

次の主著であるゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2」までは6年空き、2007年に出た。この間、東は「情報自由論」も書いていたが、監視否定する立場から肯定する立場へと、途中で考えが変わったこともあり、単著としては出さず、「サイバースペース」と抱き合わせで、同じく2007年に発売される(「情報環境論集―東浩紀コレクションS」)。「サイバースペース」は「東浩紀アーカイブス2」(2011年)として文庫化されるが、「情報自由論」はここでしか読めない。「サイバースペース」と「情報自由論」はどちらも評価が高く、この頃の東は多作であった。

この頃は北田暁大と仲が良かった。北田は東と同じく1971年まれである。東と北田は、2008年から2010年にかけて「思想地図」を共編でNHK出版から出すが、3号あたりで方針が合わなくなり、5号で終わる。北田は「思想地図β」1号(2010年)の鼎談には出てきたものの、今はもう交流はないようである北田はかつてツイッターで活発に活動していたが、今はやっていない。ユミソンという人(本名らしい)からセクハラ告発されたこともあるが、不発に終わったようである結婚して子供もできて幸せらしい。

その頃は2ちゃんねるネットの中心であったが、北田は「嗤う日本の「ナショナリズム」」(2006年)で2ちゃん俎上に載せている。北田は「広告都市東京」(2002年)で「つながりの社会性」という概念を出していたが、コミュニケーションの中身よりも、コミュニケーション接続していくことに意味があるというような事態を表していた。この概念を応用し、2ちゃんでは際どいことが言われているが、それはネタなので心配しなくていいというようなことが書かれていた。2ちゃん分析古典ではある。

東は宮台真司大澤真幸とも付き合っているが、彼らは北田のように鋭くゼロ年代を観察したというわけではなく、先行文献の著者である。宮台は98年にフィールドワークを止めてからは、研究者というよりは評論家になってしまった。大澤は日本ジジェクと称されるが、何を論じても同じなのもジジェクと同様である動ポモは彼らの議論を整理して更新しているのであるが、動ポモも「ゲーム的リアリズムの誕生」も、実際に下敷きになっているのは大塚英志であろう。

宮台や大澤や北田はいずれもルーマンであるが、ルーマンっぽいことを言っているだけという印象で、東とルーマンも似ているところもあるというくらいだろう。しかし、ルーマン研究者馬場靖雄2021年逝去)は批評空間に連載されていた頃から存在論的、郵便的」に注目しており、早くも論文正義門前」(1996)で言及していた。最初期の言及ではないだろうか。主著「ルーマン社会理論」(2001)には東は出てこないが、主著と同年刊の編著「反=理論のアクチュアリティー」(2001)所収の「二つの批評、二つの社会」」ではルーマンと東が並べて論じられている。

佐々木敦ニッポン思想」(2009年)によると、ゼロ年代思想は東の「ひとり勝ち」であった。額縁批評などと揶揄される佐々木ではあるが、堅実にまとまっている。類書としては、仲正昌樹「集中講義日本現代思想 ポストモダンとは何だったのか」 (2006)や本上まもる「 “ポストモダンとは何だったのか―1983‐2007」 (2007)があったが、仲正は今でも読まれているようである。本上は忘れられているのではないか。この手の本はこれ以後出ていない。需要がないのだろうか。

佐々木の「ひとり勝ち」判定であるが、そもそもゼロ年代思想土俵を作ったのは動ポモであり、そこで東が勝つというのは当たり前のことであった。いわゆる東チルドレンは東の手のひらで踊っていただけなのかもしれない。懐かしい人たちではある。

北田によると、東の「情報技術公共性をめぐる近年の議論」は、「批評が、社会科学的な知――局所から全体を推測する手続きを重視する言説群――を媒介せずに、技術工学的知と直結した形で存在する可能性の模索である」(「社会批評Introduction」、「思想地図vol.5」、81-2頁)ということであるが、ゼロ年代の東はこういう道を歩んでいた。キットラーに似ており、東チルドレンでは濱野智史がこの道を歩んだのであるが、東チルドレンが全てそうだったわけでもなく、社会学でサブカルを語るというような緩い営みに終始していた。宇野常寛などはまさにこれであろう。

佐々木ニッポン思想」と同じ2009年7月に、毛利嘉孝ストリート思想」が出ている。文化左翼歴史をたどっているのであるが、この頃はまだ大人しかった。ポスコロ・カルスタなどと揶揄されていた。しかし、テン年代佐々木命名から勢いが増していき、今や大学メディア大企業裁判所を押さえるに至っている。しかし、ゼロ年代において、動ポモ論壇と比較できるのは、非モテ論壇やロスジェネ論壇であろう。

非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田消息が分からなくなり、小谷野2017年から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会包摂」(2021年教育Permalink | 記事への反応(13) | 17:44

anond:20240804174243

別物でも、結局作者の意図「このキャラは可愛く描いたつもり」を間接的にでも読者に伝えてしまっているよね。

それを回避するように台詞を工夫すべきであって、できないのは、表現として拙いんではないかと。

anond:20240804064656

1種目についてのジャンルわけとかで人数が異なるでしょ

その意図が「同一成績分け」じゃなくて「同一前提分け」になってるってだけの話よ

10人出れる枠もあれば数人の枠もある それを「この競技実数として何人だが」とか持ってくるのは意味がないと思うよ

そして分け方が「どういう理論で成り立つか」ってオリンピック競技者選定理論、なんてもので各競技基準とか人数とか決めてるわけじゃなくて

あくまスポーツをする前提で、できるだけ公平になるようにとする基準が「基準に沿った各国からの選出」になってるってだけの話

柔道で無敗のクラス、10戦5勝のクラス、1勝9敗のクラス」と実力で分けたら、平等になるか?とか

「100メートル10秒で走れるクラス」に8秒の選手は出れないし10秒以上の選手しかいないチームは出場できない?とか

そういう事だよ これがなにかの理論に沿ってるわけでも一貫した哲理があるわけでもない

同じ競技をするのに何が「不平等感につながるか」を最低限排除するという事で決めるのがスポーツだねって事だよ

男女で分けてる話は「文面上同じ記事内に書かれているけど、出場枠制限について男女の分け方が起因している」と結びついてないよ

「100メートル10秒の選手競技する」となると男女の意味はないけど、逆に「100メートルタイムを競う」で選手を募るなら男女わけは基準ひとつになるでしょ

前提としてもちろん「何秒台で走れる帯域」というのが性別に起因する可能性はあるけど、足の遅い男性と足の速い女性を混在させる場合に「完全にトップスコアを全人類上でだせる競技」でない場合だと

その混在理由、混在させてともに走ってスコアを出して、その1種目の中で順位を決めて賞を与える意味って「何々なのに足が遅い」というなんの基準もその意味情報としても価値もないものになるよね

「体形が同じで同じスペックが出せるはずなのに、遅いやつは何なんだ」という事に、理由というか続ける言葉を人がつくるとしたらそこにあるのは差別的な何かになるでしょう

ただ早い人類を探すイベントなのだったら、100メートルを7秒台で走る義足選手が出てもおかしくないでしょう 筋肉特殊方法で育てた人が出たりとか

そういうのを排除する意味は、人間パフォーマンス選定会じゃないからって事 スポーツ競技者が成果を見せ合うお祭りなの

スポーツ公平性ってそういうことだって話だよ 研究室パフォーマンスデータ一般人に見せるイベントみたいなものじゃない

たまに横断的に金をとる選手がいたりするけどそれはスポーツ祭り平等性よりも「トップスコア」を狙ったスポーツマンシップから外れた基準だろうと思われても仕方がない

でも基準がいまのところそこはできるからしてるってところはあるだろうし、みんながお祭りとして楽しむためによりよくしていくならば、出場を限らせる条件をうまく言語化できるならばルールにしていくべき所だと思う

新体操だってベストスコアが出せる人間がいたとしても「喫煙をしていた」とかで落ちる可能性があるんだよ

スコア喫煙関係ないよね だから出場するべきではあると思うけど選出条件から漏れたかトップスコアでも代表選手になれないって事があったりするわけ

ほかの身体スコアトップだとしても薬物は違反だとか、他の倫理規定かに違反していたら脱落とかある

競技者が競技として、そのスポーツ人口を増やす原因となってほしい成果のひとつをみんなに見てもらうためのお祭りオリンピックなんだよ

anond:20240804131449

子曰く、「法之使民也,猶如牧羊,驅而往,驅而來」。増田、この意味政策を持って民衆を導くことは、羊を牧することに似ているということだ。AIアートの浸透により、オリジナル作品価値尊厳が脅かされている状況を考えると、まるで作りたての料理たかハエのように見えるかもしれない。しかし、その背後には技術の急速な進化がある。

増田の言う通り、有名IPの絵も改変され、元の作品意図が薄れることも現実問題だ。これに対処するには、AIを正しく使うための規範法律必要だ。孫子も言うように、「法」と「政策」によって人々を導くことが解決策となるかもしれない。

現状を打破するためには、クリエイターたちが自分作品を守るための手段(例えば、デジタル著作権の強化や、AI使用に関するルールの整備)を求め続け、技術倫理バランスを取るための対策必要だ。増田、この道は容易ではないが、共に歩むことが大切だろう。

anond:20240802110924

逆なんだよ

公平性っていうのは

100メートルを10秒で走れる人をあつめて 100メートル走を行う

じゃないんだよ

100メートルを走ることが出来る人をあつめて そのタイムを競うんだよ

それで差が出るよね

その差が「優劣」でもなく「貧富」でもないのがスポーツ公平性なんだよ

足が遅い国は教育食事とか経済なんかにおいて水準を上げる援助や協力が必要であるなんて答えを出さな

それらは個性だっていう事が公平性なんだよ


じゃあ男女でもだれでも出たいと思った人間が出ればいいじゃんって思うよね

そうだよ

別に足があろうがなかろうが走れようと走れまいと関係なく出たらいいんだよ

でも出場の人数に制限があるわけ

開催国だって競技人口を全部受け入れる広さもないし、移動とか考えてというか常識的に考えて一競技一人に絞るのが妥当でしょ

そうなるとその枠の出場者の基準を設定する必要がでてくる

トップスコアを出す人間なのかどういう条件を満たしたのかとか、いろいろ選定の基準があるわけ

その中に男女って区分けもあるってだけの話

そこの国の「人種」がどういう形であるかを決めたり「同程度」の能力がそれぞれの「人種」で「どういう階級と並ぶか」みたいなモロに差別な事を言わないわけ

そういう人種を「国の代表」としているから、たとえば100メートルを8秒で走れる「人種」とそうでない「人種」で並べたとしたら努力とかスポーツマンシップとか関係なく「人種の交配」以外に競技の見出せる意義がなくなっちゃうでしょ

発想は公平性から来てると思うし差別意図はないと思うけど、それを利用して感情が偏る結果に差別があるのよ

ドルが145円とかみたいな「1対1」の交換比率に差がある、平等で公平な基準に差がでるという事は「平等に考えて差があるから」」という基準を生むわけ

そうなると全然関係ない要素にも平等公平性で出した結果が利用できるよねって言い出す「差別」が生まれるわけよ

同じ体格で100メートルタイムが2秒もちがう、となると「同じ体形の人間に課す料金、手続き対応」なんかについても「スポーツで結果がでてる差があるから」という理由基準が生まれかねないわけ

人種で「同じに見えても違うから」という理由、その同じ見た目という基準を持つ事自体が「人の差を見た目で判断している」という差別の一歩なのよ

体格が同じに見えるからという理由階級を分けてる格闘スポーツがあるでしょ

あれは身体能力の他に「技の差」が、平等性を欠くことを意図的に差別化することで回避してるのよ

体の大きな人間が小さな人間に勝ってしま可能性があるから

平等性」を取り入れて「条件による代表制」ではなく「同じ体形の人間」だけで運動能力競技をすると「根源的な種の差」で勝つ人が出てくるわけ

「技で複数階級制覇」する人と同じ意味の人が、最近話題トランスジェンダー競技者と同じ差が出てくるのよ

勝ったとか負けたとか順位があるから、優劣を競ってるように見えるんだろうけど

スポーツマンシップってのはそういう結果が出るものだとしても「優劣」ではないんだわ

体形が違うからとか構造が完全に違うからかい理由で「相手代表に選んできた相手」との結果がすべてで

人種とか体形とかそういうものの差でどうのこうのってのはあっちゃいけないわけよ

トランスジェンダー構造的な差がもともとあったとして棄権した選手が、そういう感覚スポーツマンシップを損ねた態度をした件があったけど

「そういうものじゃない」って態度をあとで謝罪して理解した旨を示したでしょ そういう事よ

相手がどんなモンスターだとしても代表選手として選んできてIOCが認めたんだから、IOC提供する競技の場ではスポーツをして結果を出すべきだったって話

選定基準とかそういうルールみたいなもの外野が騒いで、ルールの在り方とかを第三者的監視してよりよいものにしてくべき所

選手はできるだけスポーツとして純粋に結果が出せる環境に、代表として名乗りを上げれる状態にしてほしいと願って日々鍛錬をするだけ

なにかを公平にしようと思ったときは、まずそれ自体差別的なんじゃないかと疑ってみるべきところだとおもうよ

ダウン症顔判定が統計的差別なら女子トイレは?

診断するのにだってコストが掛かる。

ダウン症顔を機械学習で覚えさせてダウン症可能性を予備的に判定するのって、ダメなのか?

統計的差別

差別を行う意図がなくても、理論的な統計から物事判断した結果、差別につながってしまうという事象のことです。

https://www.kaonavi.jp/dictionary/statistical-discrimination/

でも女子トイレ女性とは思えない人が入ってきたら?

通報される場合があるよね。

そのときは「脳内経験という記憶の集まりから」「女らしい体格か、を判断」してるんじゃないの?

どうして機械統計から判定するのはアウトなのに、人間経験から判定するのはセーフになるんだろ。

2024-08-03

anond:20240803225541

相手の主張を聞く。

この段階で聞けてない。これに尽きる。お前は自分理解言語化して合ってるか確認してから次へ進め。相手意図、何を求めているか

anond:20240803194442

歴史勉強時間だ、増田キューバ危機を知っているか

1962年キューバ危機冷戦時代における最も緊張が高まった事件の一つだ。

ソビエト連邦キューバ核ミサイル配備したことに対して、アメリカ合衆国対抗措置を講じ、一触即発核戦争危機に直面したんだ。

このとき両国指導者であるケネディ大統領フルシチョフ首相は絶えず連絡を取り、最終的には外交的解決策で危機回避した。

その結果、核戦争は避けられ、冷戦の緊張も一時的に緩和された。

かわぐちかいじの『沈黙の艦隊』でも描かれているように、超国家的な原潜部隊核抑止力を持つことは、ある意味現実的国際政治文脈共鳴する要素を含んでいる。

ただし、彼の作品フィクションであり、理想化されたシナリオを描くことで読者に「平和とは何か」を問いかける意図があるのだろう。

要するに、現実キューバ危機でも見られたように、核兵器存在とその抑止力国際関係において非常に複雑な役割果たしている。

作品の中で描かれる大胆なシナリオは、現実外交軍事問題いかに複雑で深刻なものであるかをより深く考えさせるためのものである理解することができる。

タイブレイク」が「大ブレイク

ネトゲを「再開」してフレと「再会」

・「異議」を物申す「意義」

・破片を「回収」して「改修」

蜘蛛がここに「糸」」を張った「意図

・「高尚」な「交渉

anond:20240803022053

>同じタイミング松若風馬騎手酒気帯び運転かつ物損事故という法律違反の大やらかしをしたのだが

まるで角田河のやらかし法律には違反していないような言い方だが

競馬場滞在騎手施設敷地内に入れるのだから建造物侵入にはあたらないと仮に主張したとしても

花火を見るために芝コース自家用車乗り入れるのは施設管理者の意図するものではないことから建造物侵入としての違法性があり

その結果コース荒らし器物破損、復旧に余計な手間をかけさせその間芝コースでの調教不能にした威力業務妨害

カーセのためにコース乗り入れるよりも、四角で立ちバックの方がぜんぜん理解できるわ

競馬学校ではコース自家用車で入って走り回ってはいけません、って教えてないのかよ!

そりゃそんなことする馬鹿が居るなんて普通思わんから教えるわけないわな

じゃあせめて立ちバックの教習しとけってんだ

発達障害当事者説明書

自分スペック

ASDADHD診断済み

30代中盤で診断された。

それまでは発達障害を専門にしていない心療内科うつ病として治療を受けていた。

WAIS-IV

IQ=89

言語理解=102

知覚推理=97

ワーキングメモリ=79

処理速度=79

経歴

高卒

高校卒業後はニートを15年ほどやっていた。

現在障害者雇用アルバイトとして働いている。

年齢は30代後半。性別は男。

特性

聴覚過敏

音に弱い。

例えば電車で会話する人や咳をする人が近くにいると逃げ出してしまう。

全ての音を同時並行で脳が処理している気がする。

視覚過敏

人の動きに敏感。

仕事中も向かいの席の人の挙動や、席を立ってトイレに行く人の動きに常に気を取られている。

聴覚より視覚に頼って情報を処理している面がある。

マルチタスクができない

つの物事を頭に入れると一つ前の物事が頭から消えるし、同時に何かを処理しようとすると脳が硬直する。

例えば電話応対では受け答え自体は人並みにできるけどメモ取りが壊滅的になる。

目先の欲に弱い

ADHD特性として、将来の報酬より目の前にある欲求を重視してしまう。

単純に物欲に弱いというのもそうだし、スポーツなどでは練習を詰め込みすぎてすぐに足を壊したりする。

「ほどほど」が見極められない。

優先順位けが苦手

常に頭の中が混雑している。

やらなきゃいけないことが山積しているのはわかるが、その中の何を優先していいのか決めるのに時間がかかる。

思いつきで行動しがち

「思い立ったら即行動」という行動原理が過ぎる。

瞬発力が人並み以上に高いのでそれで得をすることもあるにはあるが、大抵は思慮が足らず失敗する。

計画性の欠如

ある程度の道筋はつけられるが、厳密に計画するということができない。

例えば旅行などは常に行き当たりばったりで、スケジュールをきちんと組んだためしがない。

記憶力が低い

たとえば数字を単純に記憶する場合、5桁以上が覚えられない。

視覚的な情報記憶する場合はディティールが著しく低下するので、動画として何度も見たりしないと頭に入らない。

どれだけ懇切丁寧に説明されても一度でそれを理解するのは困難なので、いつも必死に反芻と類推を駆使して乗り切っている。

会話を聞き取れない

聞こえてくる情報が断続的に途切れる。脳に入ってこなくなる。

聴覚問題なのか集中力問題なのか記憶力の問題なのかわからない。全部かもしれない。

常にカクテルパーティ効果のような状態で、断片的な情報から類推して会話している。

意味がわから適当に返事していることも多い。

会話の不明点が多い

会話の途中で「え、それってどういう意味?」と聞きたくなる場面が多々ある。

でもそういう時に一々質問していたら会話にならず相手ストレスをかけるので、スルーする癖がついている。

上記特性と相まって意味もわからず相槌をうっていると会話についていけなくなって頻繁に困る。

嘘をつきがち

こうしたらコミュニケーションが円滑になるな、という嘘を思いついたらついついそれを口にしてしまいがち。

些細な嘘であれば方便として有用かもしれないが、その嘘をつき通せるほど能がないので大体は詰む。

これでも子供の頃よりはだいぶ自制できるようになった。昔はもっと突拍子も無い嘘をついていた。

相手挙動一喜一憂する

相手が何の意図もなくそっけない返事をした時、「自分が何か悪いことしたんだ」とか思いがち。

朝の挨拶で返事が返ってこないだけで「嫌われたんじゃないか」とか心配する。

もちろんそれは認知の歪みでその都度修正するわけだけど、人との接触は常にそういうストレスがある。

空気が読めないわけではない

ASD特性としてよく「空気が読めない」みたいなことを言われるが、別に空気が読めないわけではない。

空気が悪くなった時は敏感に悟れるし、できるだけ変なことを言わないように意識することもできる。

ただこれまで述べてきた特性によって咄嗟に変なことを言ってしまう時がある。

から見ると「空気が読めない奴」なのかもしれないが、後悔の念自体はある。

言うほど多動ではない

からはよく「ADHDっぽくない」と言われる。

物腰自体は落ちつてる方だし、あまり喋る人間じゃないのでそう思われるのかもしれない。

診断を受けてから治療薬を飲んでいるので多動はかなり抑え込めていると思う。

けれども頭の中はいつもとっちらかっているので、外見的な行動だけじゃADHDかどうかは分からない。

土壇場の度胸だけはある

マルチタスクができない特性の裏返しなのか、普通の人が緊張するような場面でやたら自然体で臨める。

練習より本番に強い。

思いつきで行動する特性と相まってファーストペンギンになりがち。

なので人からの印象は初対面が好印象のピークになる。面接のような場面では強みになるが、段々メッキが剥がれる苦しみもある。

単純作業は得意

ネガティヴ感情を抱かない作業であれば人よりルーチンワークに強い。

学業高校以降はドロップアウトしてしまったが、小中の単純な問題を大量に解くような作業は得意だった。

運動も瞬発力を競うものより持久力が問われる種目の方が断然好き。

仕事

内容

種別としては事務補助になる。障害オープンにしての就労

1日6時間ネットサーフィンじみた作業を黙々とやってる。

他の人の会話をBGMにしながらわりと楽しく働いている。

働くまで

就労移行支援事務所に1年通ってた。

就活イロハコミュニケーションのコツなんかを面白おかしく学んでた。

企業見学や実習も手当たり次第に参加したので、いい経験になったと思う。

なにせニート期間が15年あったのでがむしゃらに就活してた。

肉体労働仕事説明会で「福利厚生として塩飴が支給されます」とか言われた時はどんな顔していいかからなかった。

最低賃金

まあ自分の経歴からすると「だよねー」という感じだけど、大学出ててスキルもある人が同じ条件で働いてたりするので闇だなと思う。

フルタイムじゃないので月給にすると12万円程度だし、一人暮らしは無理な水準という感じ。

障害者雇用

1年も就活してるといろんな学びがあった。

まず給与の高い仕事身体障害の人を求めてる。体の困難さえ調整すれば一般人と同じパフォーマンスが出せるからなんだろうね。

特に市役所とかの求人は「身体障害以外は要りません」と最初から言われる。謎。

肉体労働系だと知的障害が求められてる。仕事過酷でもタフネスがあるからだと思う。

じゃあ精神障害はどうかというとよく分からない。強いて言えば清掃系とかが多い。人との関わりが少ないからかな。

事務系は競争率が高い印象がある。説明会とかに行くと意識高そうな人たちが集まってる。

でもなんというか、障害者雇用採用で一番重視されてるのは「人柄」だと思う。

職場の輪を乱さず当たり障りなく仕事ができるコミュニケーション方法を身につけてる人が一番強い。

企業にとって最も大切なのは仕事がよく出来るかどうかよりも「長く働いてくれるかどうか」なので、より困難の少ない人を選ぶ。

合理的配慮って何なの

働いてるこっちも分からない。

雇用契約を結ぶ時に支援機関を交えて契約する取り決めだ。

自分場合は「優先順位を指示してもらう」とか「マルチタスク状態にしない」とかがある。

でもこれは内容どうこうより職場の水準が全てだと思ってる。

今の職場は周囲がみんな正社員だし、営業やってた人たちだから話も上手くて大した苦労をしないけど、

これが指示を出す人もパートだったりして変化の多い職場だとどれだけ詳細に条件を詰めても働くのはしんどいと思う。

最初の2、3年は定着支援として月1で支援機関を交えた面談をしたりするので、そこできちんと自分の困りごとなどを相談するのが大切。

私生活

炊事

炊事は得意だ。昔は全然からなかったけど、今は大抵の人より上手くこなすと思う。

YouTube感謝してもしきれない。料理の全てをYouTubeで学んだ。特にイタリアンは専門のYouTuberが多いので話題に事欠かない。

大体母と交代で炊事に当たっている。

自分料理するようになって野菜の美味しさに気付いた。

掃除

掃除自体はできる。風呂掃除トイレ掃除も母から学んだ。

しかし母の物を捨てられない特性との相性が悪い。

自分ものを捨ててどんどんシンプルにしたい人間なので、それができない現状にはストレスを感じている。

趣味

第一趣味散歩だと思う。

金がかからないし健康にもいい。歩く時は10kmくらい歩く。ADHD特性とも相性がいいのだと思う。もう10年くらいハマってる。

あとは漫画をよく読む。職場への通勤時間は大抵電子書籍を読んでる。

アニメもそこそこ見るけど、最近はなろう系がやたら多くて辟易している。いつまでブームが続くんだろうか。

ファッション

そこそこ好きな方だが、持っている服は100%ユニクロGUだ。他の店で買ったことが無い。

最近ワイドパンツが増えてきて嬉しい。

夏場は基本ワイドパンツと無地のTシャツで働いている。

スタバ

スタバによく行く。

と言っても甘いものは苦手だし太るのでホットコーヒーしか頼まない。

家でじっとしてるより適当散歩したあとスタバに入ってスマホPC時間を潰すのがルーチンワークになっている。

今この記事スタバで書いている。

コーヒーはお通じにもいいので百薬の長だと思っている。

発達障害の雑感

どこから話したもんかねという感じだが、1つ言いたいのは「人より成長が10年くらい遅れてる」という感覚があることか。

20代自分と30代後半の自分はほぼ別人だし、障害との付き合い方も全く違ってくる。

よくネット特性が顕著に出てる人を指して何かしら論ったりするけど、その人も10年経つとだいぶ別人になると思う。

人は成長する。それは発達障害を持つ人も同じだし、俺たちは日々何かを学び取って生きている。

学校か、支援機関か、病院か、就労か、それがどの時点であれ、「こうすれば生きやすくなるな」と分かるタイミングがある。

生きづらさや苦しみはあるけど、チャンスを逃さずどんどん挑戦していってほしい。

普通の人らとの違いは確かにあるけど、自分の方が秀でているという面も必ず見えてくるから

フィクトセクシュアルだから現実の異性が好きになれない

40代

子供の頃からマンガアニメ好きで、キャラクターたちの純粋精神が大好きだった

逆に現実では人間の複雑さ、汚さを見るにつけ不信感とトラウマが植え付けられた

社会生活はなんとか送れているが、恋愛・性欲対象としての現実女性に興味がなくなっていった

現実で言い寄られたりすることもあったが、

養ってほしい、媚びたい、甘えたい、などといった意図を不純に感じて嫌悪してしま

現実には男女格差があり、経済的男性依存する戦略として有効からこういう言動をとるのだろうと理解しているが、

理屈ではない生理的ものなので、こういう感情は拭いがたい

精通AVだったがシコリまくったのはゲームキャラで、次第に現実女性の体の不完全さに物足りなくなった

ヤリそうになったことは何回かあるがそのたびにリアル人間のエグみを感じて萎えていった

今でも童貞である

コスプレも無理

創作されたキャラクターたちの体の完璧さに比べたら、コスプレイヤーの不完全な体ばかり目についてしま

コスプレする人に物申したいわけではなく、むしろ趣味現実表現できていて凄いと思っている

ただ自分の嗜好がそうだという話

今では恋愛対象としても性欲対象としても現実女性に興味がなくなり、

AI生成したキャラクターたちで毎日シコっている

リアル系のAI画像も無理なので漫画風のみ嗜む

ちなみにAI生成で金を稼いだことはない

自分の老後が心配だが、このご時世、年齢・性別にかかわらず同じような人は沢山いると推測する

その人達に、どう現実と折り合いをつけているか教えてほしい

折り合いをつけなければいけないと強迫的に考えているわけではないが、

興味があるので

2024-08-02

創作備忘録#1

備忘録というか愚痴だけど、意外と版権二次創作世界では同担拒否が多いらしい。今日は気になったCPのことを呟いたら「そのCP好きだったんですねフォロー解除します」ってマシュマロ飛んできてなんだこいつってなった

この際なので同担拒否とは何ぞやと調べてみたけど

・元はジャニオタ用語

同担拒否に至る経緯は様々だが「愛の抱き方や言動への解釈が様々だから」「解釈が異なる相手に自らの解釈を伝えても溝が深まるだけ」だから無用な争いを避けるため、というのが大きい

・他だとガチ恋勢の場合同担は恋敵にもなりうるから、愛を競い合う不毛マウンティング合戦を避けるため、などもあるという

・「拒否」の程度も人それぞれで、それとなく距離を置く形や最初からそれを示して積極的関係を持たないようにする形や、他の同担敵愾心を剥き出しにする人もいる(これは「同担攻撃」ともいうらしい?)

調べてみて思ったのは、同担拒否って争いを回避するためだったんだなって。正直その辺細かい、はっきり言えば面倒なオタクが言ってるだけだと思ってたけどそういう意図もあったんだーって勉強になった。

ただまぁ、わざわざそれを人に言う(自分はこれが嫌いだ~とか)のは同担拒否本来意味からだいぶ外れてるよなって。トラブルを避けるためだったはずなのに同担拒否免罪符に殴りかかるのは違うっしょって。

嫌いなら嫌いで、何も言わずにそっと離れてくれればいいのになーって思った創作者でした。

anond:20240802131058

その5つ並べられたら

当然一番暴論の違法二輪の話にくいつくし

違法二輪と同列に並べられたLUUMの不名誉をそそぐよなあ?

なんつーかまじで論運びがめちゃくちゃ下手なんだなってことは伝わる

自分意図しない方向にミスリードする達人って感じ

anond:20240802103125

要するにこれを批判してる女性の味方を装ったブクマカも、実は逆の意図を持った50代男性かもしれないってことでしょ?

コミュ障から脳内会話マニュアル作ってる

これで人間関係円滑✨みたいなマニュアルではない。

初対面や浅い関係人間に「は?」「何言ってんだこいつ」という反応をされないための会話パターンを用意している。

尚、友達は出来るが続かない。人間関係リセット癖の極みで友人はゼロだ。

これからマニュアルと、マニュアル無い頃の自分の会話のパターンを書く。

殆どの人はこれを小学生から考えずやれているのか考えてやっているのか知らないが、出来ていてすごいと思う。


①「暑いね・寒いね」「暑くない?・寒くない?」と言われた時は余程正反対のことを言われない限り同調する。

疑問形だとしても個人感覚は聞かれていないので雪降ってるのに暑いと言われたなどの例外を除いてオウム返しにするとよい。

NGパターン

自分大丈夫全然!、でも厚着してるから平気、昨日より大丈夫じゃない?(ポジティブ意図でもNG


②「さっき何話してたっけ?」「貴方はどう?」など明らかな質問でも特に答えを聞きたいわけではない。答えなくて良い。相槌のみで話は進む。

特に直後第三者発言話題が変わったら答えてはいけない。

仕事など回答が必要シチュエーションを除く。

NGパターン

A「貴方はどう?」

B「あ、てかさ~(略)」

自分「あのさっきのこうだよ」

A「は?」


③返答に困ったらオウム返しにする

例:

A「〇〇っていいよね!」

自分「わかるーいいよね」

NGパターン

「うん‪✕‬‪✕‬なとこが△△でいいね

「あー私は好みじゃない」


④見て分かることも口に出すと会話が進む。

例:「aよりbのが大きいね


女の子を褒める時は「可愛い一択。人によるが可愛い以外褒め言葉として認識されない。

NGパターン(実話再現):

自分「(めっちゃ好きなデザインだかっこいい)その服かっこいい!!!

A「んー…」

自分「(もしかして可愛いじゃないといけないのかな全く思ってないけど)かわいいね!」

A「でしょー!!かわいいのー!!」


オタクから布教感想を聞かせては「推しを褒めて」という意味

決して「感想を聞かせて」ではないので褒める以外しない。

NGパターン

「好みじゃなかった」

「こういうとこは好きだけどそんなにハマらなかった」


⑦「なんで太らないの?」と言われても答えずに、なんでかなととぼけるべき。これも疑問形なのに回答を求めていない。

NGパターン

A「なんで太らないの?」

自分「体質かな」

A「嫌味だー!w」


⑧誰かが訪ねてきたり連絡をしてきたときに「なに?」と聞くと冷たく聞こえるらしい。「どうしたの?」と聞けば恐らく問題ない。

NGパターン

A「やっほー」

自分「なにー?」


自分がされて嫌なことは人にしない、は絶対決して100億パーセント成立しない。

自分がされて嫌なことは皆されたら喜ぶ。

自分が嬉しいことは皆嫌がる。

嫌なことをされてもありがとうと言うべき。

NGパターン

頼んでないことをされるのがとても嫌い。

しかありがとうと言わないのはダメなので喜んだフリをするべき。



食べ物について、これは好きかと聞かれたら本当に食べられない吐き出してしまもの(私の場合辛いもの)以外好きと答える。

NGパターン

可もなく不可もないものについて聞かれた時の回答

普通に食べれるけど自分では選びません」

コミュニティでの頻出単語言い回し使用する。あるいは別コミュニティで使われる単語引用して使用する。

「一旦~」「〇〇する、で良いですか?」等内輪ネタまで行かないがよく使われる日本語を観察すると言いたいことが伝わりやすくなる。


⑫話を振られない限り自分からさない。

(補足:自分から話題を出すと空気が凍るため。

会話継続中は周りの話を聞く。2人きりならば可能なら無難と思う話を振る場合もある)

また、面白いことを言おうとしない。

喋るコミュ障になってしまうので黙るように自制すること!!

ボロ出るのも防げる。


事実だとしても「自分のが成績良かった」等の発言はしてはいけない。

NGパターン

学生時代勉強で教え合う科目について話す時

自分「この教科教えて!そっちの教科は私のが成績良かったから教えるよ」


一般的に、男性身長を、女性体重を気にするので自分から言及しないこと。

特に女性は見た目に関わらず重さを気にするので注意。

話を振られたら「細い」など励ます発言以外しないようにする。


⑮「〇〇じゃないけど」という言い回しは「〇〇だけど」という意味

文字通り「〇〇じゃないけど」の意味場合もあるが全て「〇〇だけど」と解釈した方が円滑に進む。

NGパターン

上司「早く来いって意味じゃないけど、俺が新卒の頃は早く来て練習してたよ」

自分(早く来ないで練習しろということ?????家に備品持って帰ればいいの???何して欲しいの???

ブラック企業なので退職しました

発言意味理解してないという意味NGです


⑯髪を切った人には「髪切ったね」と言う

NGパターン

気づいていても無言。

後ほど誰かが指摘して「誰も気づいてくれなかった」と喜んでいる光景を見る。


⑰「どっちでもいい」は困らせるのでなるべく言わない。

本当にどっちでも良くて適当に選ぶことも難しければ「どっちもいいね」と言う。

NGパターン

A「〇〇あげるよ食べる?」

自分「どっちでもいい」


⑱「体調悪かったら言って」を真に受けてはいけない。

人に感染する迷惑がかかる場合のみ伝え休むこと。

例えば、低気圧による頭痛吐き気慢性的腰痛や歯痛、生理痛などは言わない。

NGパターン

自分「(何時間も耐えたがもう無理なので)〇〇が痛いです」

A「そっか酷くなったら言ってね」

自分見学休み等でもよろしいですか?」

A「え?帰るの?」

B「Cさんのが辛いのに頑張ってるよ」


ミスをした場合は聞かれないかぎり状況説明理由を伝えずに謝罪のみすること。言い訳解釈させてしまう。

聞かれて回答しても言い訳と思わせる場合もあるが若干マシになる。

NGパターン

自分すみません。〇〇が××でした」

A「言い訳をするな」


マニュアル通りに対応していても-100が-10になる程度でコミュ障なのは変わらない。

少しは周りを見ろ、動け、気を使え、という評価になるので「何も考えず気も使えずすみません」という態度を忘れないこと


怪我をした人に大して「うわー」と言ってはいけない

「うわー大丈夫?」まで言うこと。

NGパターン

A「いてぇ切った」

自分「うわー」



過去死ぬほど練習したが出来なかったことや類似することをする際、迷惑をかけない目的で出来ないことを事前申告してはいけない。出来なくても実行して迷惑をかけた方がマシ。

NGパターン

A「これ皆でやろう!orやって!」

自分「ほんっとうに出来ないよ大丈夫?すごく練習したことあるけど人並みにも出来ないよ」




【反射で出来るほど体に覚えさせたものが多い。思い出したら追記する。飽きるまでやる】

(8/3、⑬~⑰を追記しました)

(8/5、⑱~㉒を追記しました)

2024-08-01

anond:20240801143841

「丸一日」は意味に幅のある言葉なので明確な時間定義存在せず、

言う人がどういうつもりで言ったかによって意味が変わってくる。

同僚は1人日意図して発言していると推定可能言い回しをしているし、

労働時間換算で24時間のことを「1日」と表現するのは誤解を招きやす表現なので、

「丸一日」を24時間意味だとするのは無理があるとといえる。

そもそも自分で「一日で作業を終わらせていた」と書いてるのだが、これも24時間かかったという意味に取れるのでは?

もちろん違うことは文脈から理解できるが、それであれば同僚の「丸一日」の意味理解可能なはず。

まずは自分自身がいい加減な言い回しをしているという自覚を持つべき。

トランス女性ボクシングヤバい

https://news.yahoo.co.jp/articles/5221faa3d730f605b40e2530aabb788f2527b66f

パリ五輪ボクシング女子に出場する選手が脚光を浴びている。イマネ・ケリフ(アルジェリア)は8月1日の66キロ級2回戦に、リン・ユーチン(台湾)は同2日の57キロ級2回戦に登場。ともに昨年世界選手権性別適格性検査不合格となり、出場権を剥奪された過去がある。しかし、五輪出場は認められ、X上の海外ファンは「信じられない」と反応

国際ボクシング協会IBA主催の昨年世界選手権DNA検査実施ウマル・クレムリョフ会長は「彼らはXY染色体を持っていることが証明されたため、除外された」と明かしたという。IBAは同紙に対し「包括的検討の結果、この決定を下し、競技公平性と完全性を維持することを意図していた」と語っている。

身体性別を軽視することのトンデモっぷりがはっきりしてきてよかったな~

激遅ミッドサマー感想監督メンヘラ女に恨みでもあるんか?

遅ればせながらミッドサマー見ました、ディレクターカット版。まぁ夏休みからね。せっかく見たわけだから感想をどこかに違法投棄したかった。

一言感想を言うと、

監督メンヘラ女に恨みでもあるんか?」

だった。

とにかく「共感」という感情の働きをグロテスクに、狂気的に描写している。下馬評を聞いて、カルト村にやってきたよそ者が現地のネーチャンとパコパコした後に、愉快な仲間と共にグロ処刑されるよ!って話だと思っていたので、なんか予想と違う角度からの露悪的な表現に、自室の椅子から転げ落ちてしまった。劇場で見なくてよかった。ありがとうamazon prime

とりあえず、結論である一言感想に向けて話を順に進めていく。

なぜペレダニーに寄り添おうとするのか?

本作の主人公であるところのダニー、これがまた悲劇人物で、双極性障害の妹がダニー以外の家族を巻き込んで無理心中してしまうという、壮絶な背景を抱えている(ルックバックであれこれ言われた我が国ではできそうもない設定だ)。さらに言えば、彼女自身パニック障害持ちと、かなり苦難の人生を歩んでいる。

そんな彼女にも、理解のある彼くんこと、クリスチャンがいます……と思いきや、このクリスチャン理解ある彼くんになるにしては力不足。作中冒頭でもダニーの電話辟易としている様子が描写されている。ダニーが不安になるたびに電話がかかってくるので嫌になったんでしょうね。

無償感情労働に耐えきれないようでは理解ある彼くんは務まるはずもない。

また、クリスチャン自身ダニーの誕生日を忘れてしまっていたり、自分旅行計画彼女に伝えてなかったりと、純粋に彼力が足りてない部分も描写されている。

そんな彼の落ち度をダニーが非難して謝らせ、ダニーはそこからさらに追撃(本当に心から謝ってる?攻撃)をかまし、そしてクリスチャン非難され返して慌ててダニーが謝るという場面がある。

典型的メンヘラ女[^1]の破局カップルだ。このような描写リアリティに、製作陣の誰かの不満を透かして見ずにはいられない。

そんな彼女の前に現れるのがペレ。この物語ペレに誘われてホルガ村に来たクリスチャンダニーとその仲間たちが、ダニーを除いて村の生贄にされる話であるから、彼は物語的には黒幕、あるいは元凶である

そんなペレは、作中でダニーに対し「自分も同じ境遇(家族を失った)だから」と彼女の悲しみに寄り添おうとする。

典型的NTR男じゃん!!!!!!こんなん絶対下心じゃん!!!!!!

……と思いきや、不思議なことに彼は作中一度もチンポを出さない[^2]と、いまいち意図がわからないキャラクターとなっている。なんなら誕生日を忘れたクリスチャンフォローしたのもペレだ。NTR男だとしたら敵に塩もいいところだ。

そう、こいつは「それは彼氏が悪いね。じゃあ挿れるね……」をやる気がないのである。はっきり言って異常だ。

そんな彼の動機も、作中中盤に明かされる。自身家族を失った悲しみをコミューン(ホルガ村)に支えてもらったと。だから同じようにダニーもホルガ村で支え合えると。

まり宗教である。男が女に寄るとき、その理由セックス宗教か金の3択だ。こいつも例外ではなかった……というのはさておき、動機だけ見ると善性寄りに思える。

そのホルガ村に異常がなければの話だが。

ホルガ村の「共感性」について

作中でダニーたちが訪れるホルガ村。ホラー作品類型漏れず、この村は姥捨てからスピリチュアル儀式人身御供までを幅広くこなす、分かりやすキリスト文化圏外のエログロホラーカルト村だった。

ここまでは典型的因習村といったところだが、ホルガ村にはホラー作品としては珍しい要素がある。

とにかく村民同士で共感しあう事である

どういうことかというと

  1. 姥捨てのために崖から身を投げた老人が死にきれず苦しんでいると、儀式に同席していた村民が、老人の苦しみの声に共鳴して嗚咽をあげる
  2. スピリチュアルセックス儀式では、挿入されて喘ぎ声を上げる女に共鳴して、周囲を囲う女たちが喘ぎ声をあげる
  3. 彼氏自分を置いて知らん女とスピリチュアルセックス儀式をしていた様子を目撃したダニーの嗚咽に共鳴して、大号泣してともに悲しみに暮れる

など。ホラー因習村としてはユニーク表現だ。そして、これこそがペレの言っていた「家族を失った悲しみをコミューンで支えてもらった」の真相である。この村は、とにかく村民同士で共感し合って、悲しみを乗り越えるようだ。

そして、紆余曲折あったダニーはホルガ村に迎え入れられ、紆余曲折あって知らん女とスピリチュアルセックス儀式をしていたクリスチャンを生贄に捧げることを決意したのであった。燃えるクリスチャンを遠目に眺めながらダニーはニッコリスマイルを浮かべて映画は幕を閉じる。

まりどういうこと???

ここから先は物語の中では描かれず、それぞれの解釈に委ねられている。故に、自分も己の解釈を述べることにする。

共感とは、感情共産主義化である

ホルガ村で行われている、この共感メソッド。その目的は、個人が抱えるには重すぎる苦痛コミューン全員が共有・分配することで苦痛を乗り越えることにある。また、協力して苦難を乗り越えることからコミューン内の結束力を高める効果もあるだろうし、感情の共有を徹底すれば「村民同士で共感しない感情については村として承認しない」という仕組みを作ることができる。これぞまさに共産主義的な支配に他ならない。

現に、姥捨の場面では「こんなことおかしい」と叫ぶ余所者感情には一切共感せず、しかし村に迎え入れられたダニーの嗚咽には共感してみせた。このように、村をあげた共感儀式は、その他の共感しない感情排除する効果がある。カルト式の集団運営に一役買っているのだ。

そしてこれは、ダニーがクリスチャンに求めていたものでもあった。

双極性障害の妹から連絡が絶えた不安共感して欲しい、この不気味な村から早く抜け出したい、そういった感情への共感を、ダニーはクリスチャンに求めてきた。しかクリスチャンはそれを受け止め切ることができず、ダニーはそれに不満を感じていた。

そして、共感に対する内なる欲求ペレに見透かされたからこそ、ペレダニーがホルガ村に来ると知ったすぐ側からダニーに寄り添い始めたのだ。村人が「ペレの見る目は確か」と言ったのは、そういうところを指しての言葉だろう。

しかしながら、ずっと笑顔の戻らなかったダニーが、スピリチュアルメイポールを通じて村の女性と心を通わせ、恋人を失う悲しみを共有することでやっと笑顔を取り戻すという展開からは、ホルガ村を迎え入れたことそのものが幸か不幸かは判断がし辛くはある。

ダニーの行き着く先がカルト村という結末自体寓意に満ちている

人は誰しも自分感情共感してもらいたいものだ。しかしながら、共感他人問答無用押し付け、そして押し付けられることを選んだコミューンの行き着く先がエログロカルト村というのも、寓意を感じずにはいられない描写だ。

なにより、ダニーのような、恋人感情労働を押し付ける女がそのようなコミューンに適合するという描写が、そのような人間の行き着く先は地獄であると暗に示しているようでならない。

現代ではエコーチェンバー効果という言葉を聞くことも珍しくなくなってきた。思想の似通った者同士が通じ合い、かくして狂気は産まれるのだというストーリーは、思い返せば現実でもよく見る構図であった。

もし、この映画から得られる教訓があるとくれば、それは「共感のしすぎ、求めすぎ」は狂気を招くということではないだろうか。

是非とも身に覚えのあるメンヘラ女の諸氏におかれては、このことを胸の片隅にでも置きながら、周囲への配慮を怠らずにいてくれれば幸いである[^3]。

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[^1]: このように書くと、パニック障害なのだから仕方ないじゃないか差別だなどと書かれるかもしれないが、そもそも恋人無料セラピストではないのだ。クリスチャン自身ダニーを支えきれないことを自覚し、別れ話を持ちかけようともしているのに、単純にクリスチャンクズ男扱いして死んで当然扱いする感想記事があり、あまりにもあまりにもであったので、ささやか抵抗として、このように駄文ゴミ捨て場に投げ捨てている。

[^2]: ちなみにクリスチャンはチンポを見せている。

[^3]: 決して私怨ではない。

2024-07-31

anond:20240731230423

Copilotって登場時からずっと無能だけど、なんか意図があるのか???

anond:20240731225012

子曰く、「地形者、兵之助也。」(孫子 『地形篇』)

増田貴公言葉を耳にすると、一つの真理が浮かび上がる。戦場における地形が兵士を助けるように、人と人との関係においても、どのように行動するかがその場の状況を大きく左右する。いらないことをして感謝要求するのは、まさしく地形を理解せずに進軍するようなもの不適切だ。

社交辞令での感謝は表面的であり、それはまさに地形を知らずにただ兵を動かす三流の作戦といえる。心から感謝を得るためには、相手意図や状況を読まねばならない。これは二流の戦術にあたる。

しかし、真に一流と言えるのは、気遣い自然と行われ、それが悟られることな効果を発揮することである。これは、兵士が地形を完全に掌握し、その力を最大限に活かす名将の如し。

増田貴公もまた、自分の行動がどの地形にあたるかをよく考え、最高の戦術を選べるよう研鑽を続けるが良い。

嫁に毎日セクハラされた

まず、これは俺が根本的に悪い話で、ここまでされないと嫌な気持ち理解できないってことを言いたい

俺は昔から性欲が強く、悪気なく、彼女(今は嫁)にセックスを求め続けていた

大切な記念日に、お祝いよりもまずセックス

せっかくの旅行、まずセックス

そんな生活を続けていたある日、嫁にセクハラされるようになった

最初はお尻を触られるように、誘われてるのかと思ったらそうではなく、ただ日常生活で突然お尻を触られた、そしてそのうち揉まれるように

次は胸、Tシャツの上からタッチ、当番の皿洗い中に後ろからTシャツに手を突っ込んでもまれた時もはびっくりしてでかい声が出た

ただのユニクロパンツエッチだね、それ履いてるとエッチだね、エロい下着履いてんじゃん、と言われ続け

外でもお尻を揉まれ、胸をガン見され、裸を盗撮され

見てこの写真エロくていいねーと見せられる、おっさんの裸の写真の何がエロいんだ

急にケツアナあたりをさわさわして、ほしいだろ、ここは入り口の穴だと言われる

やめろよーわははーと最初は伝えたが言っても嫁はやめずに俺にセクハラをし続けた

履いていたユニクロパンツを急に上に引っ張られ、ぴちぴちになったケツを撫でる

そんな生活を送っていたある時、いい加減にしてくれ、からかってるのか、馬鹿にしてるのか、と嫁に捲し立てた

そしたら、私がしたことあなたしたことだ、と返された

俺はそこでやっとハッとして、確かに俺がやってたことだと気づいた

私はずっと嫌だった、やめてほしいとやんわり伝えたがあなたがその状況を愉しんで余計に手を出してきた、だから私も同じことをした、嫌なわけないよね?と

嫁は俺がエロいと言った下着を全て処分していた、高いと言っていたやつも、そして今はユニクロブラトップになっている(ブラトップを下げる意図はないデス)

ただの日用品性的な目で見られて気持ち悪かったから捨てたのだと、俺は嫁がエロいエロいと言ってくるから下着ダサいのに買い替えていた、同じだった

そうやってしっかり教育され、俺はむやみやたらにセックスしない男にしていただきました

痴漢の話見聞きするたび加害者に対する感情が以前とは桁違い、憎い、ただの日常を急に性的ものにしてくる奴は滅べ

今回の件でよくわかった、世の中の男は勘違いしてるが、男が性被害に合う時は棒じゃなくて穴だぞ、俺は嫁から危機を何度も穴で感じた(処女は守られている)

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