はてなキーワード: 想像力とは
ふむ、実に興味をそそられる観察だ。僕の見解を述べさせてもらうとするならば、インターネット上で反復的行動を示す個体の神経学的特性について、いくつかの仮説が立てられるね。
まず第一に、彼らの行動はドーパミン分泌の異常による強迫性障害の一種の現れかもしれない。これは、量子力学における波動関数の崩壊が繰り返し発生するような状態と類似しているとも言えるかもしれないね。
第二に、彼らは単に注目を集めたいだけの可能性がある。これは、原子核が励起状態から基底状態に戻る際に光子を放出する現象に似ているかもしれない。常に誰かに「観測」されたがっているわけだ。
第三に、彼らは単に他のことをする能力や想像力が欠如しているのかもしれない。これは、一次元の世界に閉じ込められた粒子のようなものだ。他の次元に移動する能力がないんだ。
彼らの行動は確かに標準偏差から大きく外れているように見えるが、僕たちはそれを「キチガイ」と呼ぶべきではない。むしろ、彼らの行動の根底にある神経学的または心理学的要因を研究する絶好の機会だと考えるべきだ。もちろん、僕のような天才でなければ、その研究のための適切な実験設計は難しいだろうがね。
ちなみに、この現象は「インターネット上の反復行動症候群」と名付けるのが適切だと僕は考える。略して「IRBS」だ。いずれ僕の名を冠した症候群として医学書に載ることだろう。
投稿する質問は全て3行でまとめるようにすれば要点書く力が上達するんじゃないですかねとか何様?
そいつら自身こちらが書いたものを短くまとめたものをあげてないのに、他人には短くまとめろっていうの説得力がなさすぎでしょ?
かりにできたとしても、自分で自分の文章をチェックするのに比べて他人の文章をチェックする方がよほど粗を見つけやすいわけで、
他人の文章をチェックするのと同じような感覚で相手にさも簡単に自分の文章を簡単に直せるでしょとか言うのは想像力の欠如。
もちろん回答者という立場で短文書いてるというだけでは話にならない。
質問者と回答者で提示する情報量は全く違ってくるものだからな。回答者は極論問われたことにはいかいいえで答えるだけで回答として成立するからな。
まずアイマスクをつける。ここがいきなりハードル高めだが、なんとか頑張ってヨメを言いくるめる。
次に、自分の性癖に刺さる属性を思い浮かべる。JKでもなんでも良いので、ここでは仮にそうする。
当たり前だがJKとするのは犯罪であるので、絶対にやってはいけない。だが、JKを想像しながら大人とやるなら犯罪ではない。内心の自由というやつだ。
ここで重要なのは、例えば相手を特定の誰か、例えば長澤まさみと思う、とかではなく、CAとか電車の運転手とかファーストフードの店員とか、あくまで「属性」の想像にするということ。
特定の相手を想像する手がかりはおもに視覚情報だから、たとえば長澤まさみを想像するには彼女自身のイメージ、写真とかなんとかが必要になって、まさみの写真を見ながらヨメとセックスすることができるならそれは良いのかもしれないが、プレイとしてはあまりにもレベルが高すぎて我々凡人には真似できない。
人は視覚から得る情報が8割と言われている。逆に言えばそれさえ遮断すればほとんど想像力がセックスの相手になるわけだ。
ヨメはJKではない。だが、視覚以外の情報は2割。ということはセックスの相手は、ヨメ2割、8割JK。8割とはいえ、相手がJKならちゃんと勃つ。ヨメがアラフォーでも関係ない。だって2割だし。
アイマスクで視覚さえ遮断すれば、ヨメは想像のなかではほとんどJKになり、実際にはJKでないから捕まることもなく、勃てばヨメも喜ぶのでwin-winということとなった。
舞台を現世にして書くとそこにウソを含めちゃいけないような気がしてくる。たとえば駅の中から外へ移動するシーンだけをとっても改札の名前や駅の構造や駅前にある店の位置などを間違えてはいけないような気がする。仮に新潟駅について考えると私は新潟駅のことなんてまるで何も知らないので今即座に新潟駅について書くことはできないなと思う。北側にあるのが新潟駅北改札で南側の長い長い通路を抜けた先にあるのが南改札でその向かいにはスターバックスがあってその隣にドンキがあって、などと適当なでっち上げを並べることはまるで禁忌を犯しているような気分になる。たまたま現実と一致していればいいのかもしれないが現実はそう甘くない。実際に調べてみたら新潟駅前のスタバは駅の北側にあるらしい。
だから私は異世界を書くほうが向いているのかもしれない。何を並べても自由。どんな法律や国や言語や人種が存在していても自由。アホみたいにデカいモグラが人々の生活を脅かす世の中に転生していともたやすくモグラを退治して以来「モグラ勇者」という名で民衆から慕われて毎日街の美女を一人ずつ部屋に連れてこさせて奉仕活動をさせるような極楽生活を書いても誰も文句は言わない。ニュートンを捻じ曲げアインシュタインを粉砕し私だけの異世界の異世界のための法則を敷設する。想像力の羽ばたきをもってどこまでも自由に書くことができるというのは素晴らしいことのように思う。
「SEXーバトル」なるゲームジャンルがあると聞き、DLサイトで人気の体験版を10個ほど落としたのだが、どれも非常につまらない。
カードローグのような超高速っぷりまではいかずともせめて普通のRPGと同じぐらいのテンポは欲しい。
ADVとRPGをモッサリUIで同時にやるようなゲームばかりで苦痛でさえある。
昔ながらのRPGに「敗北したらエロシーン1 勝ったらエロシーン2」という要素をつけたものばかりだ。
多少のゲージ管理要素はあれどやっていることはレベルを上げてバイキルトとルカニをかけて物理で殴るだけである。
表向きはローグライト風・カードバトル・TDなど多様なジャンルがあるように見えるが、結局はどれもレベルを上げて殴るだけであり奥行きがない。
昔のFLASHエロゲーでよくあった「睡眠薬を持った相手が起きないようにちょっとずつイカせる」の方がずっとマシなレベルで、リスクとリターンの概念が薄い。
ゲーム内の葛藤は「わざと負けてエロシーンを見るか、それともここはちゃんと勝って後からわざと負けに来るか」ぐらいであり、攻略しているという気分にはとてもなれない。
「チンコを思いっきり挿れたら俺もイッてしまうかも知れないが、ケツアナに力を込めることでイク前にイカせられる可能性に賭ける!」という感じの駆け引きを俺は求めていたのだ。
それはまるでSEKIROやブシドーブレードの如き、ギリギリの鍔迫り合いの中で、精子をかけながらの対話を楽しみたかった。
だが俺の求めるゲームはどこにもない。
令和にもなってFCレベルのRPGをやるような脳死人間でも攻略できるようにと虚勢を繰り返され、エロRPGはただレベルを上げることだけを攻略とする時間浪費装置と化した。
こんなのを有難がるのは時間が余ってしょうがない生活保護受給者ぐらいではないのか?
確かに需要が我が心中にあり、俺の中にさえあるならクリエイティブで想像力豊かな人々の中には絶対的なライフワークでさえありえるはずだ。
想像力ありません😢
自分の性欲が嫌で玉取りした者だけど、普通の男性の性欲は「麻薬みたいに没入する」傾向があるのに対して、玉取後の性欲は薄っすらとしていて持続するには想像力が必要なんです。それが女性の性欲に近いのかはわからないけれど、そういった互いの温度差によって溝が生まれている気がしますね。
翼が映えた勝利の女神、ニケを象った像だ。
この像の大きな特徴として、頭部と両腕が失わていることが挙げられる。
この説明を聞いて、頭部と両腕が失われている美術品なんて欠陥ではないか?と思った人も多いはずだ。
私はそうは思わない、逆にこの欠損が無かったらニケは今程有名ではなかっただろう。
何故なら欠損こそが見た者の想像力を掻き立て、頭の中で自分の理想のニケを作り出す力があるのだ。
つまりニケと言う彫像は単体では完成せず、観測者の脳内で補完されることによって完成するのだ。
序論はここまでにして本題に入るとしよう。
「欠損した女神の彫像が想像力で補完され、完成する」なんて言うと如何にも非日常的に響くかもしれないが、我々はこれを日常的に行っているのだ。
切れてしまった人間関係、死別した人間、2度と戻らない楽しかったあの思い出
これらの続きを思い浮かべたことはあるだろうか?
サモトラケのニケの欠損も、今挙げたこれらの思い出も不可逆でこの世界から失われたからこそ想像の余地があり、途方もなく美しいのだ。
想像力は、自分の中の世界だけなら不可能を可能にしてしまう魔力がある。
どうか、この力と上手く向き合い、付き合ってほしい。