はてなキーワード: 息切れとは
はてな民にとって、すでに常識となった「睡運瞑菜」。言葉の通り、これは四つの生活習慣の総称である。
宣教師の際立った存在感のおかげでネタとして消費されがちであるが、これらが現代の厳しいストレス社会を生き抜くために極めて効果的であることに疑いの余地はない。
一方で、これら全てを実践することが容易ではないこともまた事実である。
ここでは、私がいかにして「睡運瞑菜」を実践してきたのかについて話したい。
私個人は比較的ロングスリーパーであり、経験的には、少なくとも8時間の睡眠が確保できなければ明らかに仕事の能率が低下する。過去に1日6時間睡眠を続けた時期もあるが、金曜日には体力を消耗しきってしまい、まともに仕事ができない状況になってしまっていた。
また、長年にわたる学生生活 (入学から博士を取るまでに9年) での不摂生の結果、午前中には強烈な眠気が襲い、夕方から目が冴えてくるという体質になってしまっていた。
職場は裁量労働制で残業代が出ないこともあって、夜中までだらだらと職場に残って仕事をするのが日課になってしまっていた。
以前は、裁量労働制であるにも関わらず、上司に気を遣って定時出勤を厳守していた。
上司は早い時間に出勤する生活習慣を取っているが、私までそれに合わせる必要はないと思うことにした。
その結果、朝ゆっくり寝て昼前に出勤し、夜は遅めの時間に帰るというペースを確立した。
上司は内心では快く思っていないようだが、それによって不当な扱いを受けるということはなかった。
どの道、以前の働き方では午前中の能率が低すぎたから、寝ていたほうがマシなはずだ。
仕事はデスクワークであるため、普通に家と職場を往復しているだけでは十分な運動時間を確保することは難しい。
出不精な私にとって、ジム通いを続けることもハードルが高い。ジムでの運動が嫌いなわけではない。まともな人には理解できないかもしれないが、受付の人とほんの一言や二言やり取りするのを想像するだけでも、心の中に忌避感が充満するのだ。
新たにスポーツを始めるのも難しい。昔、嫌々やっていた部活なんて思い出したくもない。
そもそも、私の特性上、他人と関わりを持たねばならない習慣は中々続かない。完全に個人でできるスポーツというのも限られている。
そういうわけで編み出したのが「通勤の中で運動時間を確保する」という手法である。
基本理念は非常に単純だ。
雨の日も風の日も、とにかくこの二つをひたすら厳守して生活する。これにより、毎日およそ10kmを歩くスタミナ、加えて、階段を上っても息切れしないほどの心肺機能を手に入れることができた。
また、明らかに睡眠の質も向上し、以前よりも精神が安定し始めるなど、多様な効果が得られたように思う。
「睡運瞑菜」の中でも、何をすれば良いのかが一番分かりにくいのが瞑想ではないかと思う。
瞑想を行う目的は、はっきりとしている。現代人はとにかく脳 (心と頭脳) を使いすぎているのだ。
暮らしのこと、仕事のこと、たくさんの心配事でいつも頭が埋め尽くされて脳が疲れ切っている。
心配事から気をそらすために、スマートフォンを握りしめ、さらに過剰な情報を疲れた脳にぶち込んでいる。
こんなことをしていては、脳が「壊れて」しまうのも時間の問題だろう。
目に見えて「壊れる」という状態にまでならなくても、いつでも頭の中はネガティブな思考が充満していて、まともな幸福感が得られなくなっている人は多いのではないだろうか。
とにかく、脳が疲れているのだから、休ませないといけない。
脳を休ませるにはどうすれば良いのか。様々な手段があるだろうが、私はマインドフルネス
という概念に着目した。
Wikipedia の記述にある通り、マインドフルネスとは「今現在において起こっている経験に注意を向ける」ことである。
これは特に、ネガティブな思考を何度も頭の中で繰り返してしまう「反すう」や,頭からこびりついて離れない「心配」を減らす効果がある。
私個人は非常に心配性であるし、幼い頃から、過去の嫌なことをひたすら「反すう」する癖がある。
学生時代、研究の成果を学会で発表すると周囲から褒めてもらえることが多かった。その日はすごく気分が高揚して、自己肯定感が急上昇したように錯覚する。しかし、次の日の朝に目が覚めると、胸の中には既にネガティブな感情が渦巻き始めて、一週間もすれば朝の目覚めが最悪になる。
ポジティブな経験をすると、ほんの一瞬だけ気分が良くなるが、その後、楽しい気分は指数関数的に減衰する、というのが経験則だ。とにかく、「睡運瞑菜」を始める前は、メンタルがいつもズタズタになっている状態だった。
脳というのは非常に創造性の高い代物になっていて、放っておくと、蓄えられた膨大な記憶や刺激をもとに、極めて雑多で有害な情報を次から次へと生成して人の精神を蝕んでしまう。
そこで、1日にほんの10分程度でも、過去の嫌なことや将来の心配をすべてシャットアウトし、無理やり今現在という限られた対象に注目させる時間を取る。
PCをつけっぱなしにしていると、どうしてもメモリにはゴミが溜まっていく。そうすると思わぬ不具合が出始める。
こういう事態を避けるために、再起動 (リブート) が大事であることはもはや常識ではないかと思う。
経験上、睡眠だけでは不十分だ。睡眠中、脳はここぞとばかりに創造性を発揮する。夢の世界に浸るのは愉快かもしれないが、それだけでは脳はゴミにまみれたままだ。
1日たった10分で良いのだ。難しい話ではあるまい。
私のように家事の苦手な人種にとって、最大とも言える難関だったのがこれである。
長年、コンビニ弁当やスーパーの惣菜に依存しきった食生活を送っていて、お世辞にも栄養バランスが良いとは言えない状態だった。
そもそも、手軽に購入できる食事は、栄養価が炭水化物や脂質に偏重していることが多く、十分な量の野菜を摂ることは難しい。
昔、自炊をしていたこともあるが、あれは学生時代に時間が有り余っていたからできたことだ。私のように手先の不器用な人間は、野菜を切るだけで1時間以上かかるのだ。食後の洗い物も苦痛だし、やはり不器用なので時間がかかる。
私のスキルでは、仕事をしながら自炊をするなんて不可能に近い。
そこで、どうしたのか。
相手は5歳年上の家庭的な女性。健康と栄養に詳しい医療系専門職。
(信じがたいことに) 家事が大好きで、私とは比べ物にならないスピードで家事をこなしていく。
職場に不満もあったようで、結婚と同時に退職。今は専業主婦をやってくれている。
https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/0000041824.html
……完全に他力本願であるが、こうやって「睡運瞑菜」を実践する環境が整ったわけだ。
あ、ちなみに瞑想の項で私自身の実践方法を書き忘れましたが、毎日、妻と無言でハグする (甘える) 時間をとって、マインドフルネスしてます。
https://anond.hatelabo.jp/20190107214043
忘れないように書いておこうと思った。
褒められるような健康的な生活をしているわけでもないし、酒も飲むし、体重も結構あるし、
それでも、まさか自分がエコノミークラス症候群になるとは思ってもみなかった。
・気になる症状は時系列で控える
体調不良で1日自宅で寝込んだ後、突然左足ふくらはぎがパンパンに腫れる。
数十メートル歩くと足が攣ったようになり、歩行に支障が出るようになった。
この時点で整形外科を受診、原因わからず1週間様子を見るようにとのこと。
(先生曰く「血管なら太ももから腫れるはずだし、、様子を見ましょう」と)
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右足ふくらはぎと左足ふくらはぎの周囲長が7~8㎝も差がある状態で、
左足は引きずるように歩く有様。
再度整形外科を受診、状態を診た先生が「血管外科を受診してみてください」と。
教えていただいた血管外科クリニックに予約の電話を入れ、翌日伺うことに。
先生の診察で「死ぬところでしたね」とお言葉をいただき、すぐ血液検査と足のエコー検査を行う。
また、血栓が肺に移動してる可能性があるため救急外来に搬送するとのこと。
受け入れ先の病院に連絡を取ってもらう間(2時間程)ベッドで安静にするように指示がある。
救急外来に到着後、採血などを行い、足と胸のCTを撮る。CTも造影剤も初めての経験。
結果、肺に血栓が詰まっている状態が確認でき、肺塞栓症でそのまま入院となる。
治療計画書をもらうまでは軽く考えていたが、計画書の入院期間は2週間とのこと。
しばらくの間は点滴投与で、再度CTを撮り血栓の縮小が確認出来たら投薬に切り替え。
・昨年10月頃、仕事中に「階段を登る」「ちょっとした荷物を動かす」だけなのに、
多量の汗・激しい息切れが起きたことがあった。しばらくしたら治ったのであまり気にしなかった
・昨年後半、何もしてないのに左足膝裏が痛くなり整形外科を受診。この時も原因はわからず。
しばらくしたら痛みが治まった
・運動、日常生活中に左胸にチクチクとした痛みを感じることが稀にあった
今になって、肺塞栓症、深部静脈血栓症の症状を読んでいると、上にある症状がすべて当てはまる。
ただ、個々の症状だけだと気にしないでそのまま生活していたかもしれない。
いただろうか?
さくらももこ氏の訃報を聞いてふと気になったが、どうにも思い出せない。学齢で言えば小学1、2年生の頃だが、どちらかというと幼い頃は『なかよし』に夢中になっていたような気がする。
当時の『りぼん』は、『なかよし』に比べて恋愛要素の強い作品が多いイメージだった。とは言え対象年齢的には、自分のような田舎の女児がぼんやり理解してドキドキできる程度の、恋の入口やもどかしさを描いた作品が多かったのだと思う。
言わずもがなの「ちびまる子ちゃん」と「お父さんは心配症」である。
私は、ひたすらに「お父さんは心配症」の父・光太郎が怖かった。ハイテンションで誌面の中を飛び回り、典子への行き過ぎた愛情から北野くんとの恋愛どころか自分自身まで自虐でぶち壊しまくる光太郎が、ひたすらに怖かった。ページを開きたくなくて、作品ページをホチキスで止めていたかもしれない。他の怖い本はそうしていたから。
逆に「ちびまる子ちゃん」は癒しの作品だった。恋愛ものに息切れした女児のオアシスのように、まる子はただただ普通に、家族と友人と、そこで暮らしていた。あるあるネタと少しだけ古い時代背景と共に、穏やかに、時にシニカルな空気を携えて、毎月私の所へやってきた。
そう、「ちびまる子ちゃん」は連載時に既にレトロだった。私の知っている人気アイドルはヒデキではなく光GENJIだったし、百恵ちゃんは引退していた。アニメ放送を母と見ながら解説を受けるまで、私の中でヒデキと西城秀樹は繋がっていなかったし、百恵ちゃんはまる子が憧れる女の子のままだったのだ。
「お父さんは心配症」の異質性が『秩序の破壊』だったとすれば、「ちびまる子ちゃん」のそれは『虚実を織り交ぜた過去』だったと私は思っている。
乱暴な括りだが、私にとっての当時の『りぼん』作品は、基本的には未来を指向した現在進行形のものだった。ドジで失敗ばかりの現状であっても、これから自分はどうしたいか、どうなりたいのか、主人公は常に考え続ける。人の自然な成熟過程をなぞり、周囲の支えを受けながら、成功も失敗も糧にして成長していく。
そういう理想の学園生活がキラキラと眩しく、同時に私にはどこか息苦しかった。
「今よりももっとかわいくなれる」
その語尾に、私は「…なくてはならない」という言葉を感じ取っていたのだと思う。
作品世界に憧れることと、自分の身に置き換えることは決してイコールではないのだが、拙い想像の中であっても「私はこうなれないだろうなあ」と諦めることは、大人になった今思うより苦しかったのかもしれない。
前述の時代背景と共に、まる子が作者の子ども時代をモデルにしているということは知っていた。つまり、すでに「結末が確定していること」であり、「私ではないひと」の話だった。
まる子も成長し、恋愛や友人関係や自分のコンプレックスに深く思い悩む日が来るのかもしれない。しかし、それは永遠の小学3年生の「ちびまる子ちゃん」のまる子には当てはまらないし、モデルとなっている作者はマンガ家という進路を選択済みなのだ。
私は、まる子でもたまちゃんでも丸尾くんでも花輪くんでもはまじでも永沢でも藤木でもなく、ただの読者として、安心して「ちびまる子ちゃん」を楽しむことができた。
勿論リアルタイムで読んでいた小学生時代にこんなことを意識していたわけではなく、単純に『りぼん』の中で一番楽しんで読むことができた作品だったのだと思う。
クラスのどのカーストの女子でも「ちびまる子ちゃん」は必ず読んでいた。あの頃の共通言語になっていた作品の代表格だった。
その後私はくるりと掌を返し、破壊度の増したあーみんギャグに恐ろしい程はまった。「こいつら100%伝説」は現在も本棚に置いてある。「ちびまる子ちゃん」はもう手元にはないが、「心配症」の方のまる子×心配症コラボの掲載巻は実家にあると思う。
成長していく私は、いつの間にか自分がまる子ではないことに安心するだけでは物足りなくなってしまったのかもしれない。けれど、久々にニュースで見た「ちびまる子ちゃん」の表紙には、やはりとてつもない懐かしさと安心感があった。
そして散々言われているが、彼女の初期エッセイは最高に面白い。読書慣れしていないひとに「おすすめの本は?」と聞かれた時に挙げる1冊に必ず含めていた。
私にとってさくらももことは、この4000バイト強の文字の分しか接点がないひとではある。
しかし、訃報を聞いて、居ても立ってもいられず匿名アカウントを取るおばさんを生み出してしまう、そういうひとだったのだと思う。
そして3ターン目。
このターンは消費物を買って金が減ったので、カジマのもとで労働だ。
タイナイもその内の一人だった。
タイナイは売りたくても売れない。
経営をしたくても労働者に払える金がないし、そもそも消費物をこれ以上作っても無駄になるのは分かりきっている。
そして、カジマはこれをチャンスと考えて勝負に出た。
この宣言に一同は騒然。
「持ち金が少ないとかならまだしも、僕たち全員に払える分は余裕であるだろ。さっきカジマのところで買い物したんだから」
「そうだよ。なんなら増やして欲しいくらいだ」
だがカジマの態度はふてぶてしいままだった。
「嫌ならオイラのところで働かなくていいっすよ?」
カジマの目線で考えれば当然といえば当然だ。
この時点で経営ができる程度の金を持っているのはカジマのみ。
なら、わざわざ高い金を俺たちに払っても仕方ないんだ。
「どうする……?」
「いや、だが、これは……」
このあたりになると、さすがに皆もゲーム展開をちゃんと考えるようになってくる。
すると、ここでの泣き寝入りは危険だってことはすぐに分かった。
もし、このターンで俺たちがカジマのもとで働いたとしよう。
カジマは少ないコストで大量の消費物を手に入れる。
当然、次のターンで消費物の減った俺たちはそれを買わざるを得ない。
同じく消費物を持っているタイナイから買うことも可能だが、まず間違いなくカジマのほうが安く売る。
労働であまり稼げなかった俺たちは、カジマの方で買うしかないってわけだ。
この頃になると、俺もさすがに本気でゲームに参加する必要があった。
忘れちゃいけないが、これは授業の一環でやっているものだ。
このゲームでトップを取る気も、取れる気もしないが、さすがにこの展開はしょっぱすぎる。
評価点をある程度とっておきたいなら、もう少し盤面を盛り上げないとマズい。
だが、ここでカジマのもとで労働をしようとする人間が出てきた。
タイナイだ。
あいつは大量の消費物が余っているので、それを使えば多く労働することができる。
タイナイからすれば、ここから稼ぎを増やそうと思えば、それしかない。
「待て、タイナイ。お前が行くのが一番マズい」
俺たちは慌ててタイナイを止める。
少ないポイントで多く労働する人間なんて、カジマにとっては最も都合がいいからだ。
ましてや俺たちはタイナイより消費物を持っていない。
そうなれば、後はカジマの一人勝ちはほぼ確定だ。
いま何周目だったかな…
お医者さんによると今がつわりのピークらしい。人によっては妊娠中ずっと船酔いのような症状が続くらしい。
この気分の悪さがずっと続くのか…と思うと憂鬱で仕方がない。
ご飯もまあ、食べれたり食べられなかったり。
よく妊娠すると酸っぱいものが食べたくなる!なんて言うけどアレ人によると思う。
好き嫌いが変わるというよりは食べられない物が大幅に増えて、奇跡的にまあなんとなく食べれる物が1、2個ある…でもそれもタイミングによる。みたいな状態。
あと疲れやすくなった。
貧血になりやすい。階段少し上がると息切れする。目の疲れがすぐピークになる。無理をすると頭の側面にピキン、ピキンとした痛みが走る。なんかやばそう。
すぐ疲れるので集中もできない。常に吐き気と戦ってる。
夜の9時にはもう眠たくなる。
まえは3時とかまで起きていても眠くなかったのに目開けてられない。
いやだ。
仕事終わった後、趣味の作業をするのが好きなのに全然出来てない。
産むのも怖い。死ぬほど痛いらしい。
なんかもうこれ、大変だもん。
女が家を守る時代みたいならともかくわたしも1人の社会人として働いてる。
やめたくないなとずっと思ってたけど、
体がしんどい、産んだ後のことを考えるとなんかもう会社やだなあと思ってしまった。
両立できるほど器用じゃない。
どうしてみんな平気な顔で母になれるのか。
http://www.dr-hori.com/media/mag/20101002_kn.php
ガン、動脈硬化、高血圧、心臓病、狭心症、糖尿病、肝臓機能障害、腎臓機能障害、脾臓機能障害、脳出血、メタボリック症候群
アレルギー性疾患
腰原病、リウマチ、ぜんそく、アトピー性皮膚炎、べーチェット病、花粉症、鼻炎
美容系
ニキビ、吹き出物、小じわ、シミ、肌荒れ、ひび、あかぎれ、早期老化、若白髪、更年期症状
心の病気
明るさがない、積極性がない、暴力行為、うつ病、パ二ック障害、拒食症、過食症、登校拒否症、出社拒否症、集中力欠如、不眠症、神経衰弱、居眠り
痛み
朝起きられない、体がだるい、疲れやすい、風邪が治りにくい、むくみ、貧血、めまい、立ちくらみ、便秘、冷え症、虚弱体質、食欲不振、低血圧、息切れ、イライラ
脳神経の病気
その他
バセドウ病、くる病、前立腺肥大、頻尿、排尿困難、血液不良、白血病、胃潰傷、慢性胃炎、ストレス性十二指腸潰傷、腸疾患、慢性下痢、不妊症、虫歯、弱視、骨格形成不全、生理痛、水虫
全身をよく操む
首のストレッチをする
大地を素足で歩く
おしやぶりをする
唇を閉じて紳創一骨を下唇から上唇の方向にはる
口を閉じて日頃使わないほうの歯で無糖ガムを噛む
鼻の両側と鼻の下の真ん中の部分を指で刺激する
約1%の食塩水で「あーいーうーえーおー」といいながら上を向いてうがいをする
そこそこポイント稼いだけどストーリーについて考えると苦しくなって停滞してきた。
今回もキツすぎる。
なんでこんなに追い詰められてるんだろう?
2015年に戻りたいや。
出来ることならストーリーについて一度忘れたい。イベ終了後に読めばよかったかもしれんなぁ。
これ5枚取れるまで頑張れるかなぁ。
プロコで何か変わるかと思ったけど特に何も無かったから完全に昨日から今日にかけてで心折れてて立ち直るまで時間かかりそうだ。
正直あんさんぶるスターズと推しを嫌いになりたくない・・・・・・
自転車漕いでたら、だんだんふらふらしてきた。下腹もなんかずぅんと痛くなってきて、やべぇと思った。やべぇと思った瞬間から脂汗がぶわっと吹き出した。
なんとか自転車を停めた頃には息切れがしていた。視界が文字通り暗くなった。曇ったのか?って思ったけど普通に晴れてた。頭がぐわんぐわんなって、やばいの三文字しか浮かんでこなかった。
ぜぇはぁ言いながら電話で約束もキャンセルして、道に寝転がる訳にいかないから店のトイレに駆け込んで、やっぱりなって思った。
生理が来た。いつもは生理痛はまぁ我慢できるくらいでこんな酷い痛みに襲われることはほとんどなくて、年に一回あるかないかだ。外出といっても近所だったから、薬も持ってなかった。
身内に連絡して迎えに来てもらうよう頼んだ。冷えと痛みでスマホが持てないくらい身体が震えた。お腹を抑えたけど痛みは増すばかりで、喋ろうとすると吐きそうになる。もう死ぬんかなって思って、いやいっそ殺してくれ!って思い直した。それくらいお腹が痛くて、めまいがひどかった。
蹲っているとめまいの方が先にましになってきた。ちょっとだけ冷静になった頭で、なんでこんなことになるんか考えた。ご飯も食べてたし、睡眠も十分だった。貧血なのは強いて言えば運動不足かな。でも元はと言えば女だからなんだよ。女に生まれたからだよ。
女やめたいってその時は本気で思ったし、子宮とか取ればこんな苦しみ味わう必要なくなるなとか真剣に考えた。これから先も急にこんなふうになるんかなって思ったら悔しくて怒りが湧いた。
店のBGMがうるさくて、何回か人が出入りする音が聞こえて、店の人呼ぼうかとか考えたけど呼んだところで……というより貧血で、生理痛で……って説明するのがなんかもう嫌だった。
なんで普通のことみたいに言えないのか、自分のことも嫌だしそういう雰囲気の社会も嫌だなと思って、あとはもうとにかく腹が痛え腹が痛えしか頭になかった。
まあそうこうしてたら迎えが来て家に帰って薬を飲んだんだけど、しばらくしたら痛みもめまいも止んで、は?って思った。今まで悶絶してた痛みはなんなの? こんな錠剤数粒飲んだら治るのに、なんでこんな痛いし苦しいの? すごいみじめな気持ちになって、痛くても涙は出なかったのにその時やっと泣いた。
そうしてたら親が「まあ子供産んだら生理痛もなくなるわ」とか意味のわからない言葉をかけて来て、そういうことじゃねーよ!!!ってますます泣きじゃくってしまった。たしかにナイーブになってたのもあるけど、生理痛なくしたいからって理由で子ども欲しいと思う?思わないでしょ。私は思わない。てゆーか私が子供作る前提で話進めないで欲しい。子供が生まれても女ならこんな苦しみを味わわなきゃだし、男でも多分おそらく別の苦しみがあるし、人間生きてるのだけでこんなたいへんでつらいのになんでそんな思いをする存在をこれ以上増やそうと思うの?そもそも出産ってこれよりもっと痛いんでしょ?なんでそんな気軽に子供産んだらうんぬん言えるの?どうかしてるよ。無責任すぎるよ。
その後も早く彼氏作って一発やれば?とか言われて、本人は冗談のつもりだったのかもしれないけど、冗談のつもりでも許せない。怖い。私に生理痛と貧血のコンボが襲いかかったことと彼氏の有無、関係ある?処女か非処女か、関係ある?あったとして、それは今言うことなの?目の前に腹が痛いって苦しんでる人がいて、この棒で腹を殴ってえぐってぐちゃぐちゃにしたら痛い(痛みの程度もわからない)けどその痛みはなくなるよ?やる?とか言える?
避妊手術させたうちの犬に対しても今まで後ろめたい気持ちがあったけど、その時だけは羨ましいなって思ってしまった。
私が今まで男性とお付き合いしたこともないこともあるかもしれないけど、女に生まれて良かった!ってはっきり清々しく言えたことなんて今まで数えるほどしかないよ。男に生まれたかったとは思わなくもないけど、それよりもっと、性別なんてない生き物に生まれたかったよ。女とか男とか意識したくないのに意識してしまうのが本当に嫌だ。私は女であるのより先に私なんだよ。もちろん女でいて喜びも楽しいこともたくさんあるけど、でも同じくらいかそれ以上、みじめさと恐怖と悔しさと怒りで溢れてるよ。
そんな気持ちと現実を受け入れて折り合いをつけながら自分のままでいつつ、とりあえず貧血と生理痛から脱却するためにより一層健康に気をつけることと筋トレを毎日続けることを決意した。
なんでこんなこと書かなきゃやってられないんだろ。
なんかすげー疲れた。
30代中盤に差し掛かり、運動不足な肉体は10代20代の貯金を使い果たし
普通の食事をしていても代謝より摂取カロリーが上回り始めるようになる。
酒が強い自負があったけれど、20代と同量の酒を飲むと翌日きつくなった。
年始に今年の計画や見通しを立てたりしても「やりたいこと」より「やめといた方が人生にとって有益なこと」が先に出てくるようになってきた。
20代の頃より、はるかにエコな考え方ができるようになったものだと驚く。
金も時間も全部周りの人や今後のことに全額ベットしてきた人間としては、急に守りに回った保守的な考えになったのかなと気づく。
その頃は立場や経済力がついても、ずっと全額ベットして行くものだと思っていた。
10代20代はいろんなことがあって、必死こいて頑張ってきた自負はあるし、
その積み重ねで今の地位や結果が出ているのだろうと思うのだけれど、
いろんな事を諦められなかったし、もがいてばかりいて無駄が多かったことも事実だと思う。
徹夜してと仕事を頑張ったり、いろんなストレスをいたずらに酒で埋め合わせたり
今考えればそんなコストかけなくてもできたんだろうなと思う。
それでも、その頃に得たものは尊いし、大切な宝物だと思いたいのは過去の美化になってしまうのだろうか。
孔子曰く不惑になるのは40だというが、不惑になるというのは実はロスを削って行った結果、
やれることが限られて行くから惑わなくなるのかなとも思ってしまう。
変化し、改善し続けることを是とし、ひたむきにやってきた10〜20代。
その頃見えていた、大人たちに対して「変化しないのはおかしい」くらいのことを思って
ひたすらにハングリーにやってた。その人たちの年齢に近づきつつある今、見え方が変わってきた。
残りの時間をカウントしてみても、20代の頃ほど体力も時間もない。
体力の維持への工夫のために、いたずらに筋肥大させるために、ジムで体作るというより、
軽負荷で毎日続けられるようなジョギングや散歩を選ぶようになった。
ゆったり寝るために瞑想することも増えた。
情熱ややる気の定義自体も変化してきたっていう事なんだろうか。
なんとなくモヤモヤする日々の原因はこの辺の10代20代の頃の不器用な感覚のままの自分と、
売り上げを追求するより、販管費をさげて、利益率をあげるような考え方自体間違いじゃないと思うし、
合理的だとは思うけれど、いろんなものの先が見えてしまった事にどこか寂しく諦めににた感情が込み上げてくる。
それとも、こう考える原因は、今まで10年以上息をつく間も無く必死に頑張ってきて
ふと息切れして止まってるような状況だから仕方がないのだろうか。
自分が遮二無二頑張ってたことも効率化という名目で、一つずつ諦める決断をして行く。
今の状況がつまらないわけじゃない。
自分の会社(Webサービス系)にも 30 歳で非エンジニアからエンジニアへ転向した人はいる(今の会社でキャリアチェンジしたというわけではなく、昔在籍していた会社ではエンジニアにキャリアチェンジで転職したという意味です)。
30 で転向だから、どんなに必死こいて勉強したとしても、業務実績がないので、就活はだいぶ苦労したっぽい。
聞いた話だと、「給料は生きる最低限レベルでもいいので」くらいの感じで伝えて、何とか採ってもらったそうだ。
そこで(薄給ながら)必死こいて実績作って、今ではフリーランスのエンジニアとして、世間的には安くない給与(というか報酬?)もらってます。
その人は旧帝ではないけど国立出身で、今では信頼できる技術水準のエンジニアなので、働き方も結構自由で、週に2、3日出社してもらって、残りはリモート(自宅)稼働みたいな感じで、あとは好きにしていいですよみたいな感じで契約してます。
ただ、薄給で死にかけてるから転向したいという話のようだから、転向したら長期的にはわからないけど短期的には現状より下がる可能性はあるのと、
私の知り合いのそのエンジニアは、エンジニアリングが好きなので、会社に求められなくても自分で好きで勉強して何か作ってたりするので、
子育てはネガティブな話が目につきやすいので、ポジティブな話を書いておきたい。
妊娠38周目。
医者にはまだまだと言われたけど、なんとなく予感があったので入院グッズをまとめるために買いものに行った。(ちなみに2日後に生まれた)
行きはよかったのに、帰りに息切れして休み休み歩いていたら、後ろからきた男子中学生が「買いもの袋を持ちます」と言ってくれた。
もう限界だったので、「ありがとうございます。お願いします」と伝えたら、「…………いえ」と返事があった。
そのあとは無言だったけど、彼の耳はずっと真っ赤だった。
恥ずかしかっただろうに、勇気を出して声をかけてくれたんだと思うと、心からうれしかった。
ちょっと大きな病院に行く用ができて、子連れで初めてバスに乗ったとき。
ベビーカーが段差つっかえて、うまく上がれず四苦八苦していたら、近くにいたおじさん2人組が大慌てでやってきて、一緒に持ち上げてくれた。
お礼を伝えたら「おじさん、なかなかやるだろ?」と子供に声をかけてくれた。
ちょっとキュンとした。
子供がトテトテ歩きから卒業し、バタバタと走るようになったころ。
パパが帰ってくると、いきおいよくドアを開け、バタバタと駆けていって「パパ、お帰りー!」と言うようになった。
帰ってきた旦那にとって、それがたまらないらしく、熱烈な抱擁をしたあげく「お前、天使だな!」とか言ってて笑った。
昔は、「子供嫌いだから絶対に持たない」とか、「俺、結婚に興味ないからしない」とか言っていたのに、いまじゃただの親バカだ。
「ぎゅー」と言いながら抱き合っている旦那と子供を見ていると、幸せだなあって思える。
イヤイヤ期まっさかりだし、パパは出張しているからワンオペだし、トイレトレーニングもしんどいけど、今日もがんばろう。
がんばろう。