はてなキーワード: 思い当たるとは
とある割と好きな小説書きさんAがなんか怯えた様子で「私は他人の二次作品を全然読んでない(ブロックしてる)のでネタカブってたらおしえてね」と書いていた
私は
「またまたそんな。あなた10万字も書くじゃないですか。たいてい2万字も超えたらカブりどころじゃないですよ。そもそもシェイクスピアの36類型ってのがあってどこかしらはかぶるし弊ジャンル派生CP数めちゃ多いしもっと失礼を承知でいうとあなたの作品ってご本人は王道だとおもっててもそんな王道じゃないです」
とマシュで書き送ろうとした。
字数が多くなったので前後編にわけて送ったマシュの前半が(焼きと判断されたのか)どうやらとどかなかったらしいのでフォローでCP数めちゃ多いとかファンですとかかいつまんで贈り直した(合計3通のうち後半2通とどいたらしい)
その後Aがなにに怯えてたのか判明。
偶然でジャンル内のカブり事件があったらしい(BとCと呼ぼう)、先に作った人Bがめちゃおこっていろいろ邪推して空回りして大騒ぎになった。
Cは偶然カブった事はだいぶ前に謝罪したしでも空回りされてどっちにしろ不愉快な目に合うのだからあげなおした。
それ以外のおぼえがないウォッチ行為とかありもしないことで怒られネチネチされて腹が立つと全部ぶっちゃけたのが昨日。
カブり内容はけっこうひどかったらしい。
で、波及でいろんなとこに毒マシュ投げてるBの取り巻きか病んでて便乗したいだけのアホが湧いてるらしい。
二次なんだから同一人物を考察してるわけだしBとCのはジャンル内の最大手CPであってしかもシチュもどこでも一度は流行するネタ。
とはいえBが病むしCも一度びっくりしてとりさげる程度にはあちこち似ていたらしい。
Cは前にいたわりとカブらないジャンルでよくある流れだったからそのままやっただけでBのを見たり参照したことはない(信用できそうだけど本人にしかわからん)。カブったという偶然について謝ってるだけといっている。
Bはまだ偶然とは信じられないがCが粘着してくる思い込みとか全部の悪事がCのせいと思い込んだことについては謝罪し筆を折るといっている。
最終的に最初のマシュがAにとどかなくてよかったなって思った。なんだかなー。
BC両方3万字超えてたから偶然ならそんな似てることはないだろと経験上思うんだがそうとわかってても比べるためだけに読む気力が1ミリもわかない。作者と作品は切り離したい方だし現実がバッドエンドだし。
Bは自分にとってはたまには読むというか目にしてたけど、長いから目立つだけであまりブクマしてなかったようだ。
あの長さで好みの展開だったら全作品掘ってるはずだから、「あ~いつもの少女マンガ的ベタベタ展開か」ってなってたのかな。でも囲いはめちゃ多いみたい。
Cは思い当たる作品があったので筆折られなくてよかったし、CとAさえ無事であればって自分も勝手だなぁ。
他にもDやE(両方絵描きさんじゃねえか)など勘違い毒マシュおくられてる人がいて気の毒だし迷惑でもある。
Fのほうが全然典型的で王道で知られている字書きさんだが心が強そうなのか全く触れられる気配がないのはさすが。
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人は些細なことで悩み、エネルギーを消費する。その選択が何かを大きく変えることなどないのに、無駄に悩む。この意思決定に、最近疲れてしまった。全ての意思決定に疲れてしまった。もしこれを全部とは行かずとも一部を誰かに委ねられたら、と近頃考えるようになった。
人のアドバイスはいつだって参考になる。俺の自由意志(と思い込んでいる神経の発火現象)とは無関係なものほど、参考になる。この誰かとは、誰か。友人か、家族だろうか。思い当たる人は居る。だけど、彼らは機械ではないし、忙しい。今日の晩飯はカップラーメンとソース焼きそば、どっちがいいかなんて、いちいち聞くのはなんだか悪いし、互いに面倒だ。
常にその判断を手伝ってくれる誰かとは、誰だろう。そもそもそんな人は居ないだろう。そう思ったとき、机の6面サイコロに目が止まった。最近TRPGをして、サイコロをよく振ったからかもしれない。俺の意思とは無関係にジャッジしてくれる誰かとは、このサイコロなのではないかと思い始めてきた。
それで気がつくと、サイコロとの対話が可能か、サイコロを眺めながら考えていた。
以下の文章は、その思考のパンくずをちりとりでかき集めた、そんなものである。
何かを人同様に接して、会話をする。これを考えたとき、イマジナリーフレンドが思い浮かんだ。しかし、イマジナリーフレンドには実体が伴わないらしい。なら、違うか。さらに、イマジナリーフレンドは自分の意思で発言し、自由に動き回るらしい。これも違う。サイコロはそもそも人語を話さないし、自分の意思で転がりもしない。理想はこちらが問いかけたら、1から6の数字で返答する。それだけだ。やっぱり、サイコロはイマジナリーフレンドではない。脳内にサイコロの人格を作ることは、容易ではないし、それは現実のサイコロとは一致しない。そもそもサイコロの目はただの乱数である。それは分かってて、そこに人格らしきものを装飾して会話のようなものをしたいだけなのだ。
ただの乱数を装飾して、会話にする。これには乱数で出てきた数字に意味をもたせることから始めるべきだろう。
人が人語を話せないとき、どうやって意思表明をするかを考える。それは手を使ったジェスチャーかもしれないし、頷きや首振りといった動作かもしれない。これらは、離散的な「YES」「NO」などの表明に使うことが出来ている。これは…そのまま、サイコロの意思表示(と捉えること)にも使える気がする。サイコロの目は1から6。数が多いほど「YES」または「肯定」という表明と捉えたら、サイコロと会話した気分になれるかもしれない。
例えば…
「1」(NO)
「4」(迷うけどラーメン)
「そうなんだ・・・」
これはなんだか、会話してるように見える。
…サイコロの目は乱数なのは知っている。でも会話らしく見える。それが大事なのだ。完全に個人の意見だが、ただの乱数値に選択を委ねるより、人の形をした何かにそれを委ねるほうが、受け入れやすい気がする。だから、会話っぽいロールプレイが必要だと考えている次第だ。
ここまで書いて、この対話の欠点が見つかる。それは、サイコロの人格が支離滅裂になるということだ。同じ質問に対し、全く違う顔をする。当然だ。だって乱数なのだから。これを解消するには、同じ質問をしないようにするか、支離滅裂な人格として愛するか、のどちらかだろう。どちらもハードルは高い。
・・・やっぱり、サイコロと人同様に会話するのは、難しいのかもしれない。
しかし、それでもサイコロの「全てを決めてくれる」力には魅力を感じる。選択を委ねられる存在は、喉から手が出るほど欲しくなる。人の形をしたサイコロが欲しい。信頼できそうな人の形をして、説得力のある顔をして、答え(ただの乱数)をくれる、そんなサイコロが欲しい。欲しい!欲しい!…
この試みはどうかしている。だが同時に、これを考えていると心が穏やかになった。サイコロの「彼」と心を通わせることができた暁には、どんな意思決定にも前向きになれることだろう。それがどんな結果を招こうとも、「彼」との信頼は崩れないし、むしろ強固になるだろう。そこに悩みはなく、あるのは迅速な意思決定だけなのだから。
いつものように出かける前にPCをスリープしようとしたらマウスカーソルだけ表示されて真っ暗な画面のまま固まってしまった
数時間待っても反応しないしマウスもキーボードも操作一切受け付けないしで結局最終手段の電源スイッチ操作した
もう一度起動して、試しにやってみたらすんなりスリープ状態に入れたのでたまたまかと思ったら、その次にスリープしようとしたら同じ状態になった
イベントビューアでWindowsログのシステムの項目みてもエラーとなっているものは存在せず
Windows PowerShellのpowercfg -requestsで調べてみても問題なし
それまでは全く問題なくできていたのに、特に新規にデバイスを追加したわけでもアプリを入れたわけでもないので、精々思い当たるところといえば2、3日前にwindowsのアップデートをかけたくらいだし
「うわ、ブロックされてる…えっ、また○○推しの字書きさん?」
確固とした原因・理由があるならぜひとも知りたいくらいに頭を抱えてる。
このステータスで「推しが同じ垢」をブロックするときの理由って何?
こちらのツイートを見つけた、ぐらいしか接点が思い浮かばない。
もう一つ思いついたのが、5chかどこかでこちらの垢が晒されている場合。
念のため確認してみたが、ジャンルのヲチスレは過疎、ツイヲチも潰れていた。
ジャンル垢をたくさんフォローしていた頃の一つの可能性があるものの、
最低でもフォロー前にbioに目を通して忌避の確認をしたうえでフォローしているし、
それ以外でRTしたり絡んだりした覚えがないアカウントばかり(過去ログ確認済み)。
そして 冒頭にも書いたけれど、不思議なことに
いっそ「同人活動していないアカウントは整理してます」くらい分かりやすい理由があるなら
そのほうがスッキリするけど、一人で考えてても薄暗い考えに凝り固まってしまうので
なんとなくでも憶測ででも、理由に思い当たる節があれば教えてほしい。
追記:
短期間に集中して複数の字書きアカウントにブロックされたのではなく
ここ1~2年以内の話で、気が付いたら10件以上になってました。
増田はチャット系のサービスを使っている。そこは同じ趣味の人が集まっていて、日々会話を交わしている。
チャットメンバーのA氏はとにかく、人やものの悪口を率直に口に出す人物だった。
例えば誰かが「初音ミクいいよね」と言うと、「あんな貧乳のどこが良いんですか?女は乳がないと」と言う。
例えば誰かが「ラーメン好き」と言うと、「ラーメンは味噌以外ない、醤油派とか多いけど何もわかってない」と言う。
例えば誰かが「絵が趣味のチャットメンバーのB氏の新しい絵いいね!」と言うと、「Bの絵はどれもクソ」と言う。
たびたび「このサービス本当にクソですよね。皆自分を虐めてくる。」と言い出す。
でも、誰もA氏の事を直接攻撃している人なんて見当たらなかった。誰かに攻撃的なのはむしろA氏の方ですらある。
ひとつ思い当たるとしたら、このサービスにはTwitter同様ブロックという機能があることだ。
きっと、誰かにブロックされてるのだろう。それも多分1人ではないのだろう。例えばB氏とか。
普段ブロックという機能をほぼ利用しない(ブロックするのは犯罪者やグロ画像botぐらい)自分ですら、A氏をブロックしようと思ったことがある。
自分ですらこうなのだから、カジュアルブロッカーはさくっとA氏をブロックすることだろう。
でも、当たり前だ。A氏は敵を作りすぎた。
例えば誰かが「初音ミクいいよね」と言うと、「あんな貧乳のどこが良いんですか?女は乳がないと」と言う。
初音ミクが好きな人、貧乳が好きな人、貧乳の女性……そもそも大きかろうと女性にとっては不快な話題だ。
例えば誰かが「ラーメン好き」と言うと、「ラーメンは味噌以外ない、醤油派とか多いけど何もわかってない」と言う。
醤油ラーメンが好きな人はどんな気持ちになるか。味噌ラーメンが好きな人だってこの言われ方は嬉しくないだろう。
例えば誰かが「絵が趣味のチャットメンバーのB氏の新しい絵いいね!」と言うと、「Bの絵はどれもクソ」と言う。
B氏と仲がいい人はどう思う?新しい絵がいいなと思った人は?絵を描く人は自分にも突き刺さるだろう。
もちろんこれはA氏の攻撃的な発言のごくごく一部だ。毎日この調子で何かの悪口を言い続ければどうなるかは目に見えている。
いじめはよくないが、それは暴行罪や窃盗罪など犯罪の要素があるからである。
でもブロックしたり、ネット上で誰とかかわるか選ぶことは、べつに悪いことではないはずだ。
A氏もやめたらいいのに。悪口を言う事か、このチャットサービスかのどちらかを。
(追記)
Twitterとかだったらブロックして忘れるんだけど、問題はチャットサービスであることなんだよなあ。
Twitterで例えれば無条件に原則全員が相互フォローみたいなそういう空間なもんで。
でもなるべくA氏と直接会話しないようにはしている。スルーっていうか。
「Bさんの絵、今回もいいですね!」、そういう事を言う人間でいる。
この話はフィクションです。
私が小学1、2年生くらいの出来事だったと思う。夕飯の席で少年犯罪のニュースがやっていた。
詳細は覚えていない。社会に馴染めない少年が誰かを殺して捕まったという事件だったと記憶している。
そのニュースを見て、母は私に言った。
「もしも〇〇ちゃんが人を殺したくなったら、私が殺されてあげるからね」
いや、違かったかもしれない。「〇〇ちゃんが死にたくなったら一緒に死んであげるからね」だったか。「〇〇ちゃんが人を殺したら私と一緒に死のうね」だったか。
とにかくそのような事を言われた。
当時の母は思いつめていた。若いうちに田舎に嫁ぎ、祖母と折り合いがつかず、父は子育てに関与せず、子供は頭がおかしい。
私は共感性が異常に低い子供だった。クラスメイトとのトラブルも多かった。思い返すと思い当たる節ばかりだが、鈍感だったので当時は気づいていなかった。読書さえできれば毎日が楽しかった。
しかし、母はその事を気に病んでいた。
母は愛が深く、責任感が強い人だった。
それから少々思い込みの激しい人でもあった。心から私を想っての発言だったと思う。
それでも私は腹が立った。母には、私がいつか犯罪を犯す狂人に見えているのだという事実に打ちのめされた。私は確かに根暗で友達はいないが、それでも母くらいは私の事を信じていて欲しかった。
母にこう返した。
「私は誰かを殺す気は無い、そんなに死にたいのなら私に頼まず勝手に死んでくれ」
母は発狂し、台所から包丁を持ち出して「そんなに死んで欲しいなら死んでやる」と泣き叫んだ。私はどうしたんだっけ。ごめんなさいやめてくださいと縋ったのだろうか。勝手にしろよと突き放したのだろうか。
包丁の記憶が鮮烈で、他の事はよく覚えていない。結局母は自分を傷つける事はなく、泣きながら車で実家に帰った。
程なくして父が帰ってきて、私は怒られた。この時の記憶も残っていない。
父には「お母さんは心が弱いんだから、みんなで気をつけてあげないといけないんだ」とよく言われた。
その夜だったか、次の日だったか、父が迎えに行って母は家に帰ってきた。そして我が家は何もなかったかのように元の生活に戻っていった。
それから10年近く経ち、私は精神科で発達障害だと診断を受けた。
母にそのことを話したら、泣き崩れて「他人様に迷惑はかけるな」というような事を何度も言われた。それが終わると、力なく笑って、「一緒に死のうか?」と冗談のように聞かれた。
「昔似たような事を言われたことがあるけど、母さんは覚えてる?」と聞いたら「覚えてない」と返された。
コロナ、夏の暑さ、その他色々が重なって妻が塞ぎ込んでいる。鬱みたいな感じでどうしたらいいのか分からないので、こちらの気持ちを整理するためにも初めてだが、書いてみる。
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私
31歳
妻
現在育休中
30歳
家事、育児は基本的に半々だが、食事や離乳食の準備は妻、その片付けは私という形になっている。
もちろんどちらかが出来ない時は代わりにやる。
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妻の出産直前に義祖母が亡くなり、妻が精神的に不安定な中での出産だった。
義母は出産前からこちらに来て、色々とお手伝いをしてもらえるはずだったが、上記のゴタゴタもあり、しばらくは来ることができず、代わりに二ヶ月ほど育休を取得して義母の代わりをできるように頑張ろうと思った。
初めての育児で二人とも寝不足な中、赤子の一挙一動に笑い合いながら基本的にはなんとかこなせたと思う。
その間妻の母乳の出が悪くなり、塞ぎ込むこともあったが、ミルクを飲んですくすく成長する子どもの姿に癒されたのか、いつしか吹っ切れていたと思う。
ミルクで育児できたのは私にとっては内心幸いで、妻の負担を減らすことが少しでもできたし、育児に参加できた感が強くなって嬉しかった。最もこんなことは口が裂けても言えないが。
そうこうしてるうちに義母が手伝いに来てくれて私も職場復帰し、ある意味で日常が回り始めた。
義母が手伝いに来てくれたのは本当に大きかったと思う。
精神的に不安定だった妻が甘えることができたし、育児のあれこれも教えてもらえた。
しかしながらいつまでも居ていただけるわけもなく、一ヶ月ほどで帰ることになった。
そんな中新型コロナが流行り始め、出歩くのも難しくなってきた。
もちろん元々子どもを連れて遠出出来るような年齢でもないのだが、1日の外出も躊躇うようになった。
個人的、妻の気持ち的にはそこまで気にしていないのだが、実家からの心配、世間体などを気にして遠慮するようになってしまった。
これが外出してデパートをぶらついて甘い物を食べるのが大好きな妻にとっては一番辛いことだったようだ。
低地胎盤の問題もあり、出産前から大事をとって外出を控えていた妻には、動けるようになったのに何もできず、家に篭りきりになる生活がとてもとてもきついようだ。
さらに最近は連日の雨に続いて厳しい暑さにより気軽に散歩するのも難しい。
見る見るうちに塞ぎ込んでしまい、見ているのも辛い。
食事は朝食くらいしかまともに食べず、その他はきゅうり一本や桃一個で済ましてしまう。
もう少し食べた方がいいと言っても暑いからいいとか細い声でしか返事してくれない。
体重も減ってきている様子。
この前義母と電話しているときに泣き出してもいて、大分不安定になってきているようだ。
思い当たる原因としては
・単純に暑い(夕方に30分ほど散歩に行くだけでもう動かなくなる)
・実家に帰れなくなった(コロナの影響で両実家から帰ってくるなと言われた。これが一番大きい様に思える)
・育児、家事疲れ(最近夜泣きが復活してきた。といっても一晩に一度起きるかどうかくらい)
見ていてもつらいし、家の空気も重くなんとかしたいがどうしようもない。
子どもを置いて外出を薦めても暑いから嫌がるし、甘い物を買って帰ってもあまり効果はないし、土日の家事を丸々交代しても響かない。
こちらとしてももうどうしたらいいのか分からず、こっちまで滅入ってくる。
無理やりにでも実家に帰らせるべきだろうか。
誰かアドバイスください。。。
しょぼいと思われるかもしれないが、
自分の中で、新卒入社した会社を辞めずに三年続けるというのは、一つの大きな目標だった。
なぜなら、私はいつも、ある一つのことを続けていて、それが上手くいっていると急に台無しにしたてしまいたくなる癖がある。
中学生のとき、バスケ部に入っていた。毎日早朝と夕方からの練習に欠かさず参加していたし、チームメイトの輪を乱すこともしなかった。二年生になれば、ときどき試合に出してもらえるようになるかもしれない、という未来も見え始めていた。
私は一年生の最終学期、突然練習に行かなくなった。退部届を出したかどうかも覚えていないけれど、二年生からは全く部活に行かなかったことだけは確かだ。
単純に、どれだけ地道に頑張っても花形選手にはなれないと気づいていたから、努力するのが面倒になったのかもしれない。
ただ、そんなことは入ったばかりの頃にとっくに気づいていたはずなのに、なぜ一年続けた後で?という疑問は残る。
今でも古い付き合いの友達に「どうしてあんなことしたの?(とてもうまくいってるように見えたのに)」と言われてしまう出来事の一つで、一番古いものであるのは間違いない。
それ以前もちらほらと、小学校の読書クラブや、公民館の児童クラブ、友達に借りたゲームカセットで、似たようなことはあった気がするが、全て挙げていればキリがない。
二年生から受験のことは意識して勉強していたので、滑り止めの私立にはあっさりと合格して、本命の国公立大大学の前期試験に挑んだ。
父親はお前の好きにすればいいと言ってくれたけれど、母親は過保護なところがあったので、地元に残って実家から通って欲しいという願望(つまりは、第一志望には受からないで欲しい)が見え隠れしていた。
そんな母に実は気の引けるところがあって、あんなことをしたのだろうかと、ときどき振り返って考えることがある。
だけどそれはおかしい、と同時に思う。
結局私は後期試験で県外の第二志望の国公立大学に合格し、結局実家を離れることになったのだから。
前期試験のあの日、あの一瞬だけ、気持ちが揺らいだのだろうか?
自信はあった。
試験範囲の勉強は計画通りきちんと終えていたし、模試でもA判定かB判定が安定して取れていた。
今でも思う、あの日、あんなことをしなければ、多分50%くらいの確率で、試験には受かっていた。
第一志望と、後期で入った第二志望の大学は、だらちも国公立大学だったけれど、知名度と規模の点で大きく違いがあった。
もし、合格して、入学していたら、大げさでなく人生が変わっていたかもしれない。
そうしたら、今日こんな風にズル休みしてこの文章を書いていることもなかったかもしれない。
しかし、私がその正門の内側に入ることはなかった。
受験生に向けて、いろいろなパンフレットや、サークルのチラシを配っている学生や大人たちが待ち構えている花道を、私は通らなかった。
大学の正門前、最後の横断歩道を渡る前で私は立ち尽くし、しばらくそこで考えた後、踵を返して駅に戻った。
駅のトイレでしばらく座ってぼんやりしている内に、試験の着席時間が過ぎていった。
それでも、トイレから出て走って会場に向かえば間に合ったと思うが、私はそうしなかった。
駅のコンビニで、実際遅刻して走って会場に向かう他の受験生を見守って、完全に試験の開始時刻に間に合わなくなった頃に、電車に乗って、ホテルまで引き返した。
県外の大学だったので、受験会場のホテルに前日から泊まり込むことにしたのだが、家族はついてきていなかった。
好きなアーティストのライブを見るために、一人で遠征することには慣れていたのもあって、親の同伴を断ったのだ。
少しだけ後悔している。
きっと母親とホテルに一緒に泊まっていた、会場まで見届けられていたら、流石にあんなことは出来なかっただろうから。
私はやってしまった。
ホテルの部屋に帰ってきてから事の重大性に気付いて慌てて、色々な言い訳を考えたが、学校に行くのをサボったわけではないので、試験会場に行かなかったことが、学校にも親にもバレることはなかった。
感想を聞かれたら、「あんまりできなかった。落ちたかも」とだけ繰り返した。
同じ高校で同じ学部を受けた子はいなかったので、試験内容について詳しく聞かれてバレることもなかった。
受験発表の日、ネットで番号がないのを先生と確認して、「ああ、落ちちゃったんだね」で終わりだった。
月日が経って、時効かなと思えるようになって、友達にこの話をしたことはあるが、半信半疑だった。
長い間志望校合格に向けてがんばっていたから、はっきりと不合格の通知を受け取るのが怖くて逃げたのかもしれない。
思い当たることがあるとすればあと一つだけ。
学生の頃、留学資金を貯めるために、半年休学して工場で働いていたことがある。
いわゆる交代制シフトで深夜も稼働している工場で、かなりキツかったが、無遅刻無欠席で頑張っていた。
短期で来る人は流れ者のようなだらしない人も多かったから、班長からも信頼されて、普通は社員しか触らない機械の整備もさせてもらったりしていた。
大学辞めてこのまま就職しないか、なんて誘われたりもしていた。
さらさらその気はなく、期間満了までしっかり働いて、爽やかに終われたら、と考えていた。
その最後の週だった。
作業中、絶対に押してはいけないと言われていたボタンがあった。
大型の機械には事故防止のための緊急停止ボタンがそこら中に設置されているのだが、中でも、本当に緊急のとき(例えば腕が切断されそうになった、とか)以外は絶対押すなと言われていた、装置全体の非常停止スイッチがあった。
他の停止ボタンと違って、プラスチックのカバーで覆われていて、簡単には押せないようになっている。
この手の緊急停止スイッチは、いわゆる強制シャットダウンをするので、再び機械を稼働させる前にメンテナンスが必要になり、その間はラインを停止させることになる。
一部だけが停止されるスイッチならば、20〜30分程度で復旧できるが、全体を止めてしまう非常停止スイッチを押してしまうと、一日作業が再開できないこともある。
そうすると、当然のことながら生産に遅延が発生して、多大な損害が生まれる。
これをして頭を抱えるのはお世話になった班長だ。
班長は私には親切にしてくれていたが、短気で気分屋なところがあって、前に契約社員が一部の動きを止める緊急停止スイッチを間違って押してしまったときは、手もつけられないくらい荒れていた。
上からのストレスが相当あるのだろう。パワハラ と取れるような発言も飛び出して、結局その契約社員は期間満了を待たず仕事を辞めた。
それより更に悪い、全体の非常停止ボタンなど、押していいはずがないのだ。
私はそれを班長のそばで、班長の話を聞いて、誰よりも理解していた。
そして、一部停止のボタンを押すこともなく、これまで真面目に勤務してきた。
もうここまで来ればわかるだろうが、私は最後の週にそのボタンを押した。
プラスチックのカバーを外し、そのボタンを押すところを、誰にも見られないようにやったつもりだったが、他の作業員に見られていた。
班長は結局、(私がしどろもどろの言い訳をした後で)pわざとやったわけじゃないんだろうと許してくれたが、後でその目撃者に、何であんなことしたんだと尋ねられて、私は答えられなかった。
その日の作業ができなくなって、社員以外は帰されることになり、ロッカールームで着替えている時に、聞かれたのだが、当然答えることができず、無言を貫いた。
その内相手は苛立ち始め、覗き込むように私を見た。
私は残りの着替えもおざなりに、荷物を全て持ってロッカーを出た。
流石に外までは追いかけてこなかった。
そのまま逃げるように家に帰り、次の日から工場には行かなかった。
いわゆる「飛び」だった。
最低最悪なことをしてしまった。
それは、「私は本当はすごく悪い人間なのではないか」という不安だった。
理由もなくこんなことをしてしまうなんて、そんなことがあっていいはずがない。
ただの怠惰や、逃避癖を超えた、もっと悪い何かが私の中に根付いていて、一生そのせいで私は周囲に迷惑をかけ続けるのだと思った。
怖かった。
とにかく怖くて怖くて堪らなくて、就職活動中、たくさん適性検査という性格診断のようなものを受けさせられるものだから、この検査とやらで、私のその何か悪いものが見破られて、私はどこの企業にも就職することはできないのではないかと思うとさらに怖かった。
実際は、適性検査のタイミングで不合格となることはほとんどなく、まわりと比べて大した遅くもない時期に無事内定をもらえたのだが、そのときの自分にはそれが奇跡に思えた。
入社してからは嫌な上司に当たったり、苦労することも多かったが、今は待遇面で満足もしている。
こんな状況下でも収入は安定しているし、今の上司に感じている恩義も深い。
自分は何か物事がうまくいきかけると、自ら全て台無しにしてしまう癖がある。
きっとこの会社もせっかく入ったのにそんな理由で、最悪の辞め方をしてしまいそうで怖い。
何があっても、三年は絶対に続けよう。そう決めていた。
そして今年の四月で、見事それを達成した。
ああ治ったんだ、と私は思った。
私はもう、大丈夫なんだ。普通の人と同じように、最後まで頑張ることができる。人を裏切ったりもしない。逃げたりしない。もう大丈夫だ。
その自信が私を強くして、責任を持って仕事をできるようになってからは毎日が楽しかった。
今日も、連休前に済ませたい仕事がいくつかあって、それを終えれば長いお盆休みに入れたのだ。
それなのに、私はまたやってしまった。
朝はいつもより少し早く起きて、サボりがちな朝食も食べる時間があった。
会社に行く用意は前日からしてあって、あとは外に出るだけだった。
私は時間になっても、家の机に座ったままだった。
一人暮らしなので、誰かがそれを指摘することもない。
会社の始業時刻は朝9時だけれど、営業は直行直帰が多いのと、フレックスで事前の申請があれば11時までに行けばいいというルールもあるので、9時の段階ではまず誰からも連絡はなかった。
申請は出していないけど出し忘れたと言い訳すればいい。11時までに行こう、と私は思った。
11時を過ぎて、まずい、と思った。
遅刻するだとか、体調不良で休むだとか、連絡をするならこれが最後のチャンスだ。
それを嵌めて、今日もいつものように出社するつもりだったのだ。
ほんの数時間前までは。
私はじわじわと、これもまた「同じ」なのだと気づき始めていた。
怠惰なのか、逃避なのか、わからないが、自らうまくいっているものを台無しにしてしまう癖。
治っていなかったのだ。
三年が終わったので、気が緩んでいたのだ。
ああこの会社は本当に、私を雇ったのは間違いだった。
この病気は一生治らない。
発達障害だとか、そういう診断をしてくれるクリニックに行ったこともあるが、自分を責めすぎないでと言われて抑うつ剤を出されて終わりだった。
たとえ発達障害が原因だとしても、治療法はないのだから一生この自分の悪癖と付き合っていくしかないのだ。
ああ自分を責めるなと言われても、こんな風に周囲の人の信頼を裏切ることを繰り返してしまうのはやっぱり私が悪い人間である証明ではないか。
ああ怖い。
恐ろしい。
いっそ死にたい。
上司は午前中は外出の予定があったから、メールさえ家から送れば、すれ違いだと思われておしまいかもしれない。
明日からはお盆休みだから、休み明けに何食わぬ顔で出社すれば案外バレないものなのかもしれない。
しかし、私がまた「やってしまった」ということに変わりはない。
私が「そういう人間」だということに変わりはない。
私は
私は……
https://anond.hatelabo.jp/20200804004750
https://anond.hatelabo.jp/20200804130231
この流れに冷や水を掛ける意図はないのだが、私はインド料理は豆・野菜料理が美味いと思う。
今日話題になった増田はいずれもチキンカレーをレシピのシンプルさや調理時間の短さを中心に論じたものだ。
一方、インド料理には多数の豆・野菜料理があり、その中には非常にシンプルで美味いものがある。
これほど頻繁にインド料理が話題になるのにもかかわらず、ほぼすべてが肉を使ったカレーに関するもので、
この罠の話をまずしたい。ただし断っておくが与太話だ。
そしてその後いくつか簡単に作れる野菜を用いたインド料理を紹介する。
クートゥ、ラサム、サンバル辺りも美味いが豆を煮るのが少しハードルが高いかもしれないので省く。
スパイスカレーの罠、それは様々な場所に張り巡らされている。罠はインド料理に興味を持つ人を対象に据えられており、
それにかかると様々なインド料理を作りたいと思いつつも、ひたすらに肉を使った同じようなカレーを作り続けてしまう。
こう言われて思い当たる節がある人もいるのではないのだろうか。
私はかつてこの罠にかかっていた。インド料理に興味をもち、毛色の違ういくつかのレシピ本を買い、基本的なスパイスを揃えた。
本をめくり、近所のインド料理屋では見たことのない料理や、レシピから味を想像することのできない未知の料理を眺め、
いつか作りたい。そう考えた。しかし結局のところ私は鶏、豚、羊肉でいわゆるカレーを作り続け、次第に飽き、
何故このような事態になったのか、それは断定できる類のものではないが、
大抵の人がインドカレーと初めて会うのはインド(もしくはネパール)料理屋だろう。
ターリやミールスを提供する本格的な店も多数あるだろうが、それはインド料理屋全体から見たら少数で、
多くの人にとっては名店でもない、いわゆる普通のインド料理屋が出会いの場となるだろう。
カレーを1つ注文するとナンとサラダがついてきて1000円弱というような店だ。
そうして食べるカレーは、これまで食べてきたルーを使ったカレーとは異なり、
スパイスの鮮烈な香りがあり、焼きたてのふかふかとしたナンをつけて食べると、間違いなく美味い。
こうして一部の人はインドカレーの虜となり、店に通いだし、いつしか自分で作ることを志す。
しかしここに罠が仕掛けられている。この手のインド料理屋はメニューのほとんどがカレーなのだ。
メニューには様々なカレーが並んでいて、説明書きによれば具材やスパイスの使い方が異なっているとのことだが、
実際食べて見ると確かにそれぞれ味は違うが、根っこの部分では似たような味がする。
こうしてインド料理といったらこういう味のするカレーという図式が脳内に知らず知らず構成されてしまう。
無論、レシピ本を開けば様々な料理が載っているのだからそちらに目が向くのではないかという考えはもっともだが、
しかし自分の中に確固とした目指すべき像があると、正解の味を知らない、想像もつかない料理を作るのはハードルが高い。
インド料理屋で出てくるカレーは銀色の小さい器に盛られていて、
あれはカロリーや油の量からしてもあの程度に収めておくのが健康的だが、自分で作るときにあの量だけ作るのは難しい。
余程小さいフライパンを使わない限り、調理しにくくない分量で作ると優に3人前近くはできてしまう。
これは健康を無視すれば特に無理なく食べきることのできる量だが、米飯もしくはナンと共に食べるとすると、
もうこれだけで十分満腹になるほどの量にはなる。するとせいぜいこれに付け加えてもサラダぐらいのもので、
こうして種々のレシピ本に載っているメインを張るほどではない料理は作られる機会を失う。
サブジは野菜の蒸し焼きでじゃがいも、人参、大根といった根菜からブロッコリー、
カリフラワー、インゲン、キャベツなどかなり幅広い野菜が使える。
とりあえずここでは細かいことは気にしない。
・マスタードシード or クミンシード (両方入れてもいい)
・ヒング(なくてもいい)
・油(多め)をフライパンに熱し、スタータースパイスを加熱する。
・刻んだ野菜を加え、油をなじませる。
・蓋をして、弱火から中火で加熱
・完成
要するにターメリックとカイエンペッパーをまぶして蒸し焼きしただけの料理で、
味もそう予想を裏切るものではない。
ただ実際食べて見れば塩味にスパイスの風味が加わるだけで十分に美味いことが分かると思う。
サブジを作り、完成し火を止めた後にココナッツシュレッド(フレーク状のココナッツ、製菓材料売り場にある)をドバっと入れてかき混ぜたら完成。
ココナッツのトロピカルな風味とわずかな甘みが予想以上に仕事をする。
米飯によく合う。一度食べて見ないとこれの美味しさは分からない。
・野菜(サブジと同様に色々使える、たくさんの種類を入れた方が美味い)
ココナッツマサラ
・カイエンペッパー(なくてもいい)
・フライパンに野菜を入れ、わずかな水を入れて煮て火を通す。火が通った時にほとんど水が残らないぐらい。
・ココナッツマサラをつくる。ココナッツシュレッド、水、クミンシード、青唐辛子をブレンダーで回す(ブレンダーを使うのを回避したかったらクミンシードの代わりにパウダーを使い、青唐辛子を適当に刻んで混ぜればいい)
・煮た野菜にココナッツマサラ、塩、パウダースパイスを加え、少し煮る。
・火を弱め、ヨーグルトを加え、温まったらすぐ火を消す(ヨーグルトの分離を防ぐため、分離してもどうということはない)
・完成
よくインド料理に必須のパウダースパイスはターメリック、カイエンペッパー、クミン、コリアンダーといわれ、その風味の強さからクミン、コリアンダーあたりが重要視されていると感じているが、ターメリック、カイエンペッパーは想像以上に役に立つスパイスだ。今回記したレシピのようにスパイスの種類を絞った料理を作ってみるとそれがよくわかると思う。
ただ今回紹介したレシピはいずれも簡略化したものでもっと様々なスパイスを加えるなど、工夫した方が美味く仕上がるだろうことは断っておく。
少し前に某芸能人が原因で「性風俗オチしなきゃいけないなんてかわいそう!」とネットで話題になった。
自分も性風俗にあまりよくない印象があった(性病とか)ので頷いていたのだが、性風俗で勤務されている複数の方々が「勝手に憐むな、わたしはプライドを持って仕事をしている。お金に困っているから仕方なく就いたわけじゃない」と毅然とした態度で「かわいそう」を否定されていた。
えっ、そうなんだ!と驚いたと同時に、なぜ自分が「性風俗を仕事としている人はかわいそう」という感想を持ったのか思い返してみることにした。
自分は性風俗でお世話になったことはないし、友人親族に性風俗店に勤めている方はいないので性風俗界隈が身近じゃない。漫画やドラマで触れた性風俗店はいわゆる遊郭なので現代の性風俗店とはだいぶ異なるだろう。
じゃあなんでかわいそう?
思い当たるのが性風俗に勤めている方々の実録エッセイやツイートだった。そこに書かれているのは、お金にとても困っていて、親と確執があるためまともな教育を受けられず、惨めな思いをして、ときに性病や性暴力(コースにないプレイを強要など)に苦しみ、底辺だけど地べたに這いつくばってでも頑張っている、性風俗で働いている方々(性別に関係なく)の姿だった。
あ〜…自分がビジネスを真に受け過ぎただけか。実際に苦しむ方々がいないわけじゃないけど、他の職業だって苦しむ方々がいるし(友人が土木関係なのだが脚の骨を仕事で粉砕していてそのレントゲンを見せてもらった。印刷会社に勤める友人はその友人が、ではないけど印刷機に髪が巻き込まれた方のエピソードとか)、どうも自分は「性」というだけで過敏に反応していたのかも。
辛くない仕事はないんだろうけど偏見でさらに他人が「酷い仕事」のレッテルを貼ることはできてしまうから、気を付けないとな…
汚いものが人間の手などにより、綺麗な状態になっている映像を見たい。
見てて飽きない。
https://www.youtube.com/channel/UCIGEtjevANE0Nqain3EqNSg
これ系。ピッカピカになるのが気持ちいい。
https://www.youtube.com/watch?v=W6qEImEhfY0
https://www.youtube.com/watch?v=P4chT9WVWaY
スクラップ同然の車を職人たちが圧倒的に綺麗で最高の車に仕上げて高値で売る。
車が綺麗になる様も、プロの仕事も、一部始終漂うアメリカ人の雰囲気も良い。
https://www.netflix.com/jp/title/80194704
ガンガゼに罪はないが、こうやって海をより良い状態にしていくのだと思うと人間の偉大さを感じる。
https://www.youtube.com/watch?v=u8OCWfcxWKs
というわけで、私の嗜好的に、何か良くない状態のものが綺麗になっていく様子を見るのが好きなのです。
まず基本的に何も問題なければ無視とかされる訳がない。会社の環境にもよるが上司も上司になる上で部下に対する指導や向き合い方の研修を受けており、おいそれと無視なんかしない。つまりよっぽどのことが起きている、と言うふうに考えるのが自然だ。勿論、だからといって無視していいというわけでは無いから悪しからず。
増田は過去に仕事上で、その上司から何かの点において指導された事がないか思い出してほしい。経験上、二度三度指導しても治らない、他のメンバーとはちょっと変わった動きをするとか、例えば頼んだ仕事は遅いくせに頼んでない仕事は言われなくてもルーチン化してこなすなどしていないか?思い返してほしい。
よく世間では、「言われた仕事だけするな」とかいうが、(若手にありがちな)勢いはあるが本質ついた仕事のしない、仕事のピントがズレている部下を持つと正直、「とりあえず言った仕事だけでいいから、最低限こなしてほしい」くらい思うことすらある。
上司は何らかの形で部下を評価しており会社によっても色々基準の違いはあると思うが同じ基準で評価する以上どうしても比較してしまう。
一定以上の評価を超えていれば何も言わないし何とも思わないが、評価が低くて何回指導しても改善しない、要領、学習能力の悪い奴の場合、申し訳ないが顔を見るだけでイライラするし、果てはもしかすると無視するところまで行くかもしれない。(無視するという行為は側からみれば自分の評価にもつながる恐れがあるのでよっぽどのことがなければ普通はあり得ないが。)
仮に増田もそのような環境だとしたら、今の精神状態ではなかなか厳しいかもしれないがお互い納得するまで対話するしか無い。
お互い思っていることをぶつけるしか無い。
一緒に生活していたヨーグルトが死んだ。享年一か月と一週間であった。
最初はスーパーで買ったプレーンヨーグルトを牛乳で4倍ほどに薄めた物だった。これを500mLのペットボトルに詰めて一緒に風呂に入り、同じ布団で一緒に寝て温めた。温度を上げて乳酸菌の発酵を促すためだ。サラサラの白い液体は二晩したらプリンの様な塊になってきた。ペットボトルの口は小さくてひっくり返すだけでは内容物が出てこなかったので、ペットボトルを押してひり出した。これを食べてみると、市販のヨーグルトそのものの酸味がした。新しい生命を増やせたような感動を私は感じた。ヨーグルトを全て食べきるのはもったいないので、残りが少なくなったらペットボトルが満タンになるまで牛乳を補充して、夜になったら一緒に風呂に入り一緒に寝てヨーグルトを増殖させた。
ヨーグルトが誕生して二週間が経過した頃には、ヨーグルトの生産と消費のサイクルが安定してきた。消費量としては、毎日朝食と夕食に150mL(計300mL)の量を食べることにした。健康の為には朝食べるのが良いという意見と夜食べるのが良いという意見の双方あり、どちらがよいのか分からなかったのでこのようにした。そして夕食後に消費した分量(300mL)の牛乳を補充して、二日後の朝・夕に食べる分とした。ヨーグルト入りの500mLペットボトルは二本作ったので、それぞれのペットボトルを隔日で消費することで毎日ヨーグルトを食べられるようにした。毎日夕食後に二本のヨーグルトと一緒に風呂に入り一緒に寝るのが習慣になり、ヨーグルトに対して愛玩動物のような親近感を持つようになった。また、ヨーグルトの酸味は誕生した頃に比べて日に日に控えめになり食べやすい味になってきた。ヨーグルトを食べ続ける食生活のおかげもあって、便通がよく体調も申し分ない。
四週間が経過した頃になると、ヨーグルトの粘り気が強くなり、ペットボトルから出すととろろのように伸びるほどになってきた。酸味は日増しに感じなくなってきたが、乳酸菌の性質が変わったのだろうと楽観的に考えていたのでヨーグルト生活はそのまま継続した。
五週間が経過した頃になると異変が現れた。ペットボトルの蓋周辺に付着したヨーグルトのカスが桜色に変色していた。また、ヨーグルトは薄い尿のような色の液体(乳清?)と、固体に完全に分離されていた。ペットボトルをひっくり返すと液体だけが出てきて、飲むとにがりの様な苦みがあったので捨てた。ペットボトルからひり出した固体部分(ヨーグルト?)は粘り気が全く無くなっており、おから混じりの豆腐といった容態であった。口に含むとこれもまた苦味があり鼻を抜ける空気に腐敗臭を感じた。例えるなら腐った豆腐の味だ。不味くて、健康を害する危険を直感が訴えたので全て捨てた。ヨーグルトは死んだのだ。生物学的には死んだとは言えないかもしれないが、少なくとも私はそう感じた。
以上が我が家のヨーグルトの誕生から死までの経緯である。ヨーグルトが腐敗した原因は思い当たる節が多くて特定できそうにない。
最終的には失敗に終わったが、牛乳を原料にヨーグルトを一か月以上も食べ続けることができたのは価格面でも健康面でもプラスであったといえるだろう。何より、ヨーグルトと共同生活した思い出は値段には代えがたいものだ。ヨーグルトのことを思うと、失った悲しみと共に感謝の念も胸からこみ上がってくるので、精神面でも間違いなくプラスだったと断言できる。よって、今日からまたヨーグルトを作り直して、新たな共同生活を始めることにした。ヨーグルト以外にも、漬物や口噛み酒にも挑戦しようと思っている。
なんで1週間近く経ってから急にブクマ増えんねん。投稿してから30分以上も無反応だったから、『そんな面倒くさいことしないでヨーグルトくらい買えよ貧乏人』と自演リプしても無反応だったのに。
俺の増田をファーストブコメした id:aiueo50 よ。あんたは、何日も前の増田を発掘する趣味があるのか? 増田をほんの半日分遡って見るだけでもかなりの時間を無駄にするのに、それを約5日分も遡ったのか? それとも俺の増田を見つけてから、わざと数日間待ってからブコメしたのか? 他の人でもいいから教えてくれ。
はっきり言って俺はヨーグルトなんてどうでもいいんだよ! ただバズりてぇだけなんだ! ブクマ数とスターの数が俺の生きがいだ! なぜ俺の増田にブクマをしたのか教えてくれ!
高校卒業してから友達経由で仲良くなった同じ高校の友達がいた(進学先は別)
私はその子のこと顔もかわいいし自己プロデュース力高いしツイートも面白いし好きなんだけど、今日朝起きたらTwitterインスタTikTok全部ブロ解されてた
私は本当に親しい人だけ見れるアカウントをTwitterもインスタも持ってて、ブロ解してきた友達は親しい人だけが見れるアカウント(フォロー数15人くらい)に通してた
それが全部ブロックされた
だからあんまり仲良くない人も繋がってるみたいなアカウントはブロックされてなくて、とにかく小規模なアカウントだけ全部ブロックされてた…
原因として思い当たるとすれば、最近私の好きな芸能人とその子の好きな芸能人の不倫報道が出て、それについての根も葉もない噂をその子がRTしたからあまりいい気分ではなかった
でもどんな友達付き合いでもあるじゃんそんなこと 自分の仲いい友達と嫌いな友達が一緒にいたらイラッとするけどそれについて特に言及はできない みたいな そんな感じだったんだけど…
私が一人で勝手に呟くアカウントのほうでは結構好き勝手にあーだこーだその件について呟いてて、それを見てブロ解してきたのか?それとも、私が違う友達にその子のあまりよくない話を言ったのがダメだったのか?(その子は短大中退現在ガチニートで、私と友達でどっから金出てんだろうね?みたいな話をした 友達もそれな!?って言ってたけど…)
違う友達にちくられたのかもとか、私の一人だけで呟くアカウントどうやって知ったのとか、私は棲み分けしてその子のいるアカウントではネガティブなこと呟かないようにしてたのにとかいろいろ言いたいことはあるけど本当に今死にたいよね
三浦春馬死んじゃったのめっちゃショックだったけど死ねる勇気があるってすごいことだなって 思いました 日記でした 死にたいで〜〜〜〜す
どっから金出てんだろうね?ってのは、ブロ解してきた友達がジャニオタで年に何回も飛行機(しかもJAL)で現場飛んでるけどバイトしてないからなんでだろうね?って話をしてました
やっぱり口が悪いのは本当にダメですね 早く直したいです
結局初動としてはその子にブロ解されたアカウントは全部消して信頼できる5人だけのアカウントを作りました 気味悪いんでその子と繋がってる子は一人も入れずに作ったけどいつバレるもんやら…気持ち悪い…
最近SNSで数年間わりと親しく交流していた人から「少し距離を置きたい」旨のメッセージを受け取るということがあった。
その原因については完全に私に非があると思っているのだが、そのメッセージを「返信不要」として送ってこられたことにモヤモヤする部分がありいわゆる「お気持ち」をしたためる。
私とその人はオタク仲間として知り合い、通話をしたりオフ会をしたりとここ数年仲良く遊んでもらっていた。
しかし先日送られて来たメッセージによれば、先方は私の言動に不快感を覚えていることも多かったようだ。
実際のメッセージには○○されるのが嫌だった、という内容がいくつか具体的に箇条書きでまとめられていたが、ざっくり言うと私の言葉遣い、特に冗談がキツい、というようなことであった。
全て確かに思い当たるところのある内容であり、一瞬ちょっと冗談が通じなさすぎるという感じもしたものの、私は先方がそのような特性を持つ人と承知しておりこちらの配慮不足であったと思う。
という訳で私は謝罪をしたいと思った。
謝罪のメッセージも見たくないというならアカウントをブロックしてくれれば良いのだが、こんなことも書かれている。
・このままでは○○(私)のことを嫌いになってしまいそうで怖い。このまま縁を切りたくないので気持ちを伝えようと思った。
・しばらく距離を置こうと思うが、気持ちが落ち着いたらまた仲良くして欲しい。
つまり私は一方的に欠点や嫌な部分を列挙され、それに対して謝罪することも許されず、かと言って縁を切られるわけではなく、落ち着いたらまた仲良くしてねと言われている?
非常にモヤモヤした。
また仲良くしてねというなら謝罪くらいさせてくれ。謝罪も聞きたくないレベルなんだったらもうブロックしてくれ。
返信不要は気遣いのつもりなのかもしれないが、正直気遣いになってない。
モヤモヤはしたもののこちらからブロックしたら完全に悪者だし、私が先方にモヤモヤしたのは今回が初めてだからブロックするほどでもないかなとも思うし、とりあえずメッセージには既読の旨だけ通知した状態で私は表向き普段通りにアカウントを運用している。
故にどこにも吐き出せないモヤモヤを増田にしたためた次第である。
お目汚し失礼致しました。