はてなキーワード: 思い当たるとは
夢を見た
やらなきゃいけない事があり、あらかじめバスのチケットを取っていたようだが、気づいた時にはチケットは期限切れだった
しまった、と思う
日付に引っかかっていたのに、忘れてしまっていた
今度からスマホのアラームを設定しておかなければ、とヤキモキしながら思う
チケットは使ってないので払い戻したい、が期限切れなので無理だろうと苦々しく思う
その仕事はやるべきノルマだからと、チケットも半ば自分への焚き付けとしてさっさと取ったのだった
けれど出来なかった、あろう事かすっかり忘れてた、そのせいでバスのチケットも無駄にしてしまった、1万2千円ほど… と夢の中で思う自分
近々にバスの便を取って移動する前提で仕事仲間が話をすすめるのを止める
いや、元々計画に無理があった、だからこそのこの事態だ、一旦移動は無しで 1ヶ月後計画の目処が立ってからチケットを改めて取る、と返事をする
期限切れチケットの夢、1つ目のサイトの結果。何か努力してきたものが無駄になる・無になってしまう暗示。と非常に悪い意味。
2つ目のサイトは、同じく努力してきたことを無意識に諦めている、あるいは努力したことが無駄になる暗示。無意識の諦観があるなら気持ちを持ち直そう。大きな仕事をしているなら、夢を見た時点で計画を見直し不測の事態を予定して。まだ間に合う。と悪い意味ながらも前向き。
他のサイトもまあこんな感じだった。
で、自分の事を振り返る。
大きく努力してきた事というなら、通院治療が思い当たる。無になってしまう、というのは想定し得る話なので、夢がこちらを暗示するなら辛い。
一方で夢の中の自分の振る舞いや判断は、仕事に対してのものだった。とすると仕事での大きな目標や大きな仕事… 思い当たる事はあまりない。強いて言うなら資格試験対策の個人目標くらい。
それ以外だと、私生活で諸々の手続き事を放置し続けているものが何件か。ひょっとしたらこれか。
何に対しての不安が夢に出たのか分からないが、新年早々疲れる夢見だった。長く寝てると悪夢を見やすいというが、案外昼まで寝てたせいというだけかも知れない、と流すことにする。
探しものをしていた。
最初は、それがどこにあるのか思い当たる節はあったので、そのあたりを探せばすぐに見つかるだろうと思っていた。
雑に探しているから見つからないのだろうと思い、今度は最初の時よりも細かく探すことにした。
しばらく探していたが、それでも見つからず、多くの時間が過ぎ去っていく。
一方、探しものは、最初いた所と場所は変わっていないだろうに、多くの時間をやり過ごしていた。
段々と探すのに疲れていき、体が妙に重くなるのを感じたが、それでも探し続けた。
しばらくして見つけることに成功した。
探しものは、すでに探していた所にあり、結果的に見逃していたのだった。
ただ自分がそのとき思っていたもの、記憶していたものとは少し違っていたため、そのせいで見つけることが難しかったのではないかと思う。
思い込みを逆手に取られたように感じた。
なんとか見つけることができ、やりきったという達成感があるが、それと同時に疲労感も多くある。
今まで自分から隠れ続けていたものは、場所を変えず、当初じぶんが思っていたものとは違う姿で、じぶんの目から逃れ続けていた。
私は、客観的に見て、それなりに成功した人間だと思う。大学進学者が少ない田舎から出てきて、経営に携わる仕事でそれなりの評価を得ている。妻と子供3人を養う程度の給与も得ている。親族の支援もあって、一定の資産も築けている。
でも、私は幸せを感じていない。理性的に考えると、自分は恵まれているなとは思う。しかし、心が躍るような幸せを感じることはない。より社会的に経済的に恵まれた人と自分を比べては、自分はまだまだ不十分であり、更なる努力が必要だと感じるのである。
今までは勉強することが幸せに繋がると盲信して努力を続けていたが、それにも疲れてきた。努力をすることに楽しみを覚えるということに変わりはないが、何を目指すべきかを見失った。何かになれると信じていた魔法の期間が終了したのである。
幸せを感じるためにはどうしたら良いのだろう。朧げに、下記のアクションが必要な気がしている。
1.マインドセット/環境については、まずは認知することが重要と考えている。認知さえできれば、すぐに解決することは難しいと思われるが、時間を掛けて試行錯誤していけるだろう。何年も粘り強く行動を変える努力を続けていくしかないのである。
早速、認知するというステップであるが、これに関しては思い当たることが多々ある。
A-1. 人から怒られない/責められないように生きている
A-1~A-3は紐づいていると思っていて、自分が犠牲になることで万事解決と考えているのである。また、自らの時間の価値を過小評価しているのである。このマインドセットに関しては、『精神論ではない仕事を速くこなす技術』という記事が役に立ちそうだ。まず重要なのが、物事に対して投下する時間を区切ること。強制的に、A-1の不安を要因としたA-2/A-3を防ぐのである。よって、私は下記の目標を定めた。
今までは、月に50時間~90時間をしていた。これを30時間に押さえるのは、当然簡単ではないだろう。当然、全てを得ようとしても無理な話で、多くを切り捨てないといけないと思う。脱線するが、何かに変化を加えようとするときに重要視すべきは、まずは質より量だと思う。恒常性の壁を超えるには量が必要なのだ。よって、今回は月30時間という思い切った目標を定めたい。
そして、もう1つ大きな目標を定めたい。
正直、私は、どの程度の完璧さを人から求められているのか、感覚的にわからなくなっていると思う。敢えてその水準感を他人から教えてもらうことで、バランスを取り戻したいのである。非常に勇気のいることだが、他人からこの水準を教えてもらうためには、その水準を一旦下回る必要がある。できる人には何の困難も伴わないだろうが、私にとっては大きなチャレンジである。
実家に帰省しているのだが、2箇所あるトイレのうち、自分が一階のトイレで用便を足している時に父がトイレをつかいたくなるとまだ?と代わってほしそうにしてきた。それがまったく理解できない。
いや、自分が建てた家なのだから、わざわざ二階のトイレなんて使いたくない!なぜ二階までいかねばならないのか!という主張はわかるし反抗したいわけでもないのだ。現に自分はすぐに譲った。
しかし、しかしだ。いい悪いでなく、すぐに譲られるということは確実にさっきまで用を足していた空間(当然長さから用便だと確定してるし二階を使わない程慌てており腹痛由来だとわかる)に入るということだ。
それって、プライド的にも実用的にもどうなのだ?二階に行けば(正直いって客用なので二階の方が綺麗である)気まずい顔でとびだしてくる我が子にも会わずに済み、全く匂わないトイレが待っているのにである。実家に帰ってきた我が子にトイレを独占された不愉快など、後で説教すればいいしそれに反抗するタイプの性格でもない。
父は普段は別段プライドが高いわけでも、威圧したがるわけでもない(実際譲って貰う時も恫喝や嫌味はいわない)し、足腰は全く弱ってないし精神的フットワークも軽い。お前はそもそも二階を使えだの、トイレ長すぎだのと小言を言ってくるわけでもない。深夜眠い時だとか寒い時だとか酔って足取りがおぼつかないとかそういうシチュエーションでもない、さっきまでテレビを見てたところである。
なぜ父が年頃の我が子がほぼ確定的にさっきまで腹を壊していた空間を、頑なに譲ってもらいたがるのか、思い当たる方いらっしゃいましたらご教示ください
小学校の卒業式の予行練習の日、体育館に入場する時に男女2列で並ぶことになって、その並び順が決まった時、クラスのある女の子が泣いていた。
その様子に気づいた先生が、どうかしたの、体調が悪いの、と尋ねると、「○○君の隣は嫌…。」と言ってさらに泣き続けた。
○○君は、同じクラスの男子で、自分の中では変わり者でいつもニヤニヤしていてよくからかわれてるという印象はあったけれど、悪さをするわけでもなく、特に好きでも嫌いでもなかった。ただ、理由はわからないけど女子には嫌われていた。
○○君の様子を見るといつも通りにやにやしていて、平気そうにしていた。
先生は○○君の言い分を聞くこともなく、○○君を別の列に移動させた。
その様子を見た当時の自分は、女の子を泣かせるなんてきっとひどいことをしたんだろうな、と単純に考えることしかできなかった。
中学校の卒業式が近づくと、再び予行練習が行われた。小学生の時とやり方はほとんど変わらず、また体育館まで2列で並んで行くことになった。
すると自分の隣になった女子が突然、「コイツの隣なんか嫌だー!」と言いながら泣き始めた。
すると担任が飛んできて、「お前、場所変わってやれよ。」と言われた。周囲のクラスメイトも先生の意見にこそこそと賛同していた。こちらの言い分は一切聞かれることがなかった。
だけど、このまま泣かれ続けるのは苦しかったし、意地を張って同じ場所に留まり続けることは、中学生から見ればその女子との間に何かがあるのだと思われることは間違いなかった。
悔しかったし、つらかったけれど、泣いてはいけないと思って、必死に涙を堪えながら場所を移動した。
思い当たることはたくさんあった。その女子からは、見た目がキモいとか、仕草が気持ち悪いという理由で何度も嫌がらせをされたことがあった。わざと自分にだけプリントを配らないとか、友達と話している時にこそこそとなぜか聞こえるように自分の悪口の会話をしているとかは、日常茶飯事だった。
それだけでなく、ありもしない罪を作り上げて、勝手にクラス中に噂を流されることもあった。
そういうことをするのはその女子一人だけではなく、その女子と仲のいい女子何人かも同じようなことをしてきたし、女子が言ったことに対しては誰も疑いを持たずに信じた。
噂が一度流れてしまえば、自分のクラスでの立場は地の底へ落ちた。
先生が噂を知ったとしても証拠など求めないし、ただ女子の話だけを聞いた。
そもそも触られた、という噂に対して証拠など求めようが無かったのだろうけど。
彼女らはいつでも「私は被害者だ」というスタンスをつらぬいた。
男子からのいじめや嫌がらせではそういうことはなかった。教師に相談すれば、解決するとは限らなかったが、少なくともこちらの話を聞いてもらえないということはなかったし、加害者の言い分も聞いていた。
自分が小学生の時に、クラスメイトのことを少しでも悪く思ったことを恥じた。
当時は、同じような経験をした人はそれほどいないと思っていたが、最近ネットで検索すると、全然珍しいことではなく、全国の小中高で当たり前のように行われているいじめで、泣きながら自分が被害者だと主張するのは女子だけであることが分かった。
きっと、男子が同じようなことをしても、周囲は冷たい目を向けるだけのことがほとんどなのだろう。
今思えば、小学校、中学校、高校と、女子はほとんど特権階級と言っていい扱いを受けていた。
あれだけ人を傷つけても、咎められたという話を聞いたことが無い。「被害者」という立場に立たれてしまえば、目に見える被害を残す男子のいじめと違って、生徒も教師も咎めることが出来ない。
そういうことを繰り返す子が周囲の子から嫌われることはもちろんあっただろうけど、本人は自分が被害者のつもりなのだから、自分のやったことを反省することは無い。
自分の気に入らないものを、被害者という立場で自由に排除することができる人生というものは、さぞ愉快なものだろう。
大学院入試では、大学の研究室で研究した内容をプレゼンして自分の研究をアピールする必要がある。面接官は大学の教授で、研究内容についての厳しい質問がたびたび飛び出してくる。
無事に合格して、研究室の教授と入試についての話をする機会があり、こう言われた。
「女の子の場合は、言葉に詰まると泣き出しちゃう子が多いんだよね。全く、泣けばいいってもんじゃないのにさ。」
高校生までは周りから許してもらえていた涙も、大学生では、むしろ全く逆の効果をもつものになってしまっていた。
就職活動のシーズンになると、ほとんどの学生は何十社も受けて、ほとんどの会社にお祈りされるのが当たり前になっていた。
自分の知り合いの女性に、建設系の学部で現場監督を目指している人がいた。
詳しくはないが、現場監督に女性が少ないことはなんとなく知っていた。だから、苦労するだろうことは予測できていたし、本人も予想していたはずだった。
ところが後日就職活動の調子について話を聞くと、10社ほど受けたところで現場監督は諦めたという話だった。
どの会社からも、「女性が少ないところだけどちゃんとやっていける?」と聞かれたそうだった。
本人は、どうせ女だからって落とされたんだ、と怒りを込めて愚痴っていた。SNSを見ても同じような文言で怒りを呟いていた。
自分は、なぜそれが原因で落とされたと思い込んでるのか、むしろ思い込みたいのか、理解に苦しんだ。
ただ、今思うと不遇な扱いへの耐性がとても低かったのかもしれない。
色覚に異常があるとか、身長が足りないとか、そういう理由ではっきりと志望する職種に行けないことがわかった友人を何人か知っているけど、彼らは別の方法を考えたり、似ているが別の職種に志望を切り替えたりしていた。
はっきりとそれが理由だと言われたわけでもなく、それも別の手段をいくらでも考える余地がある人がすぐに、どうせ女だから、と言って社会への不満を爆発させるのは、きっと今までは同じ理由で優遇されてきたからなのだろう。
SNSなどで女性が社会に強い不満を持っている話題についての言及を見ても、
高校生以下からの不満はほとんど皆無で(大人が高校生以下の境遇を憂いている話は聞くが)、たいてい大学生や社会人が不満を言っているのも、それが理由なのかもしれない。
まだ未熟な若い頃に、特権階級と言ってもいいくらいの優遇を受けてきたのに、大人になったら急に立場が下がってしまうという事実に対しては、人間が過去の記憶しか持たない以上、子供の頃から立場が低かった人と比べても、はるかに強い不満を覚えてしまうのは仕方のないことなのだろうと思う。
男性の場合は、若い頃にしばしば不遇な扱いを受けて、大人になってからやっと人並みの扱いを受けられるようになった、という経験を持つ人が多いが、それを思うと、今がどうかに関係なく、人生は上がり調子が一番社会への不満を持たずに済むのだろう。
自分の子供に不遇な扱いを受けてほしいと思う親などいないが、将来の幸せのことも考えて、人生はだんだんと右肩上がりになるようにしないと、将来不満ばかりの人生にさせてしまうかもしれない。
PART2に戻る : anond:20211106011219
15年ほど前に遊んだ子供向けのFlashゲームのタイトルが知りたいです。
取り敢えず質問者に自信は無いようだが、楽天グリーティングを検索してみる。
2015年にサ終したという解説のページに跳んだ。リンクが存在していたので、そこから辿ろうと思う。
トランペッター・ジミー!
時期を変えればページまで飛べそうだが、Flashは既に終了している。
RuffleやFlashpointなどのフラッシュ再生の動きもあるので頑張れば遊べそうだが、
捜索の範囲外なのでここで終了。
12〜13年ほど前に23時頃に放送された一話完結のドラマです。渋谷で待ち合わせをする何人かの人たちが、
黄色いスカーフを巻く等の特徴をつけていましたが、それによってかえってそれぞれ待ち合わせ相手を間違えてしまい、
今回はこのテレビドラマデータベースを使用。サイト内の詳細検索。(ただし情報にムラがある)
今回の場合、
渋谷 黄色 スカーフ 待ち合わせ 勘違い 秘密...などワードが想起されるが、
10年以上前の記憶は少し丁寧に取り扱う。どれか一つが間違っていると検索沼に落ちるので。
http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-40385
一応タイトルでGoogle検索をかけ裏取り。あらすじがヒットしたが、
ちなみに期間指定がある情報は、プラマイ2、3年した方が時期ズレに対応できる。出ない場合に調整していけば良い。
貝がらブラッコのメインフレーズによく似た童謡の曲をどなたかご存知ないでしょうか?
この曲を聞いた時、幼稚園のとき歌ってた何かに似てるな〜って言おうとするも何だったか思い出せず、
正直音系を検索するのは虎の巻手法では不可能である。ので、今回はネットの集合知を参照することにする。
通常であれば他の方々に聞いてね。
検索対象はyoutube、ニコニコ動画、Twitterなどのコメントである。
Twitterで動画のアドレス&タイトルをそのまま入力し、誰かが言及していないか確認。
Youtubeのコメント欄に目を通す。(Youtubeコメントはオフだった)ニコニコにも。
童謡「すずめの学校」 間寛平「なめなめくじくじなめくじくじ」
すずめの学校で正解だった。
今回増田化にあたりお試し再検索したが、同意見の投稿は見つかりにくかった。危な!
めちゃくちゃ難しい質問ですみません。あるmemeのBGMが知りたいです。
アメリカ西部らへんで子供と犬が出会いポケモンバトルが始まるが、
子供が逃げる(なんでかは覚えてないです)それを犬が追いかけてます。
海の中に潜ったりバーで一緒にお酒を飲んだり、エレベーターに乗ったりして、
曲調はイニシャルDに似てる感じがします(イニDの曲を聞いてこのBGMを知りたくなった)
難しいですがお願いしますm( )m。
MAX COVERIの曲、running in the 90's
問題は、この動画が見つかったのはrunがrunningで引っ掛かっただけの全くの偶然。
childをkidにする発想もなかったので、本当に運が良かった。
(ちなみに鼻歌で曲を検索するならSoundHoundも優秀)
[soundcloudのリンク] 以下[曲]
[曲]について誰か言及してる筈と思い、SoundCloudの共有リンクをTwitter上で検索。
ヒットはしたが、感想ばかりで情報は出て来ず。投稿されている曲名も正式なものではない。
少しでもヒントが欲しいので、各ユーザー感想ツイートの周辺ツイートを漁る。
from:xxxxxx until:201X-XX-XX since:until:201X-XX-XX
数人分試したが、言及ナシ。
ならばと思い、投稿者を漁る。他の投稿動画は[曲]を含め2曲のみ。
別の曲はジャンル違いのRemix。もしやこの人の作曲ではない?と推測。
Twitterアカウントは存在したが、投稿ツイートは存在せず。転載の下に進める。
シンプルにタイトルで検索していれば2手で済んだのに、やたら遠回りをしてしまった。
とっかかりが少ない...雰囲気のよいBGMと、縦長形式、シンプルにまとめられた内容、恐らく大元はtiktokと推測。
投稿アカウントを確認すると、多様な動物の動画がズラリ。こりゃ転載だな。コメント欄を検索するもヒントは無し。
ペットショップのFacebookが出てきたので、該当の動画を探す。
チンチラを載せたtiktokの別動画を発見。元動画内でチンチラがイスに乗ってるが、この動画にも同じイスがある。
同一投稿者だと推測し、投稿者を捜索。この動画にはIDが載っている。どうやら質問された動画の方はIDを消してある模様。
次はBGM。動画情報に tutiandyuki - sophi との記載がある。
そのままGoogle検索。なんか人がBGMに合わせて舌をペロっと出す動画が沢山ヒット。なんじゃこりゃ。
思考を元ネタ調査に切り替える。これだけ上がる動画ならmemes扱いなのか?
memes tongue tiktok でGoogle検索。トレンドの解説サイトがヒット。
https://stayhipp.com/media/tiktok/the-hilarious-tongue-sticking-out-tiktok-trend/
つまり、
...って感じらしい。ややこしや。声はチンチラのじゃないのね、そりゃそうか。
そういう動画文化があるって知ってればトレンド解説のサイトまで一発で飛べたな...
一応、コレで捜索法は終了。他にも小テクとか支援ツール、サイトあるけど割愛。
当たり前だが、ネット上に挙げられていない情報は検索できないので、ネットの集合知を参照するほかない。
また、出ないものもあるので過信は禁物。結局は集合知最強なので。
それじゃね~ノシ
part1 : anond:20211105031842
part2 : anond:20211106011219
補足 : anond:20211105041538
というか、BlenderがPythonの塊なんではないかと思うんだけど
やろうと思えば、BlenderのGUIを使わないでPythonで操作できたはず
(近年のWebブラウザのJavaScriptみたいな立ち位置でもあるよなぁ
最近、Blenderが無敵ツールになりつつある気がするんだけど、
CG関係の論文の実証とかBlenderでやってるからという気もするし、
(そういう意味で最近はゲーム以外の用途で使うUnityがスゴいなぁと思ったり…
あと、Pythonのglueとしての機能がうまくいったパターンにも思える
うろおぼえを捜索する手法のようなものを備忘録的に投げておこうと思う。
予め言っておくが、専門的知識もなく文章能力もないので、読み難さは勘弁して頂きたい。
また、私は特に何の能力も持ってないので専門人には劣る。な~んも分からん。
それでも良いよ!という、仏の手の平よりも広い心を持った方のみ読んで下さい。
必然的に自分以外の人も探していたり、Twitterで呟いていたりする。
誰かに聞くのが早いのだが場所と人に因るので、自ら検索を行う方法を記しておく。
うろおぼえ捜索は、情報強度(勝手にこう呼んでいる)が高い部分を抽出し、検索にかけるのが早い。
の3つ。3つ目はTwitter上の作品及び、対象作品の感想を呟いている人を探すために使う。
とりあえず、実例を見てもらえれば分かるでしょう。
早速本編スタート。
※はてな匿名ダイアリーのリンク数制限上、いくつかのリンクは省略させて頂きます。
・お地蔵さんがたくさんある場所(恐らく愛宕念仏寺)に行き、お母さんそっくりのお地蔵さんを見つける
・「お母さんはここにいたんだ」的なことを考え、少し元気になる
こんな話だったと思います。
「ザ・うろおぼえ」と言っても過言ではない...と勝手に思っている。
それこそYahoo知恵袋に似たうろおぼえが挙がっている、と思う。
前述のとおりYahoo知恵袋がヒット。ほぼ同じ内容のうろおぼえに対しての回答を発見。
重松 清 - また次の春へ収録
『五百羅漢』
漫画で、不老不死になる治療?受けた男が宇宙へ行くが探索の際に事故で切り離されてしまい
取り残されて宇宙空間を漂っていて通りがかった宇宙船に助けを求めようとするけれども
死体と勘違いされて宇宙ごみと一緒に永遠に漂うと言う内容です。
最後は死にたいという一言と宇宙空間に残された男のコマで終わっていました。
まずダイソー マンガで検索。ダイソーコミックの一覧Wikipediaページがヒット。
立ち読みで読んだという内容だけど、話が完結しているのでオムニバスかな?
30冊程度なので、一応全作品をGoogle検索にかけてあらすじに目を通す。
コレで聞いてみたら、「まちこの千夜一夜」2巻だったとのこと。
母数が少ない時は全部に目を通した方が逆に早かったりする。
【自然現象】ニュージーランドで発生した石の川‼︎
この現象は「粒状流」という、小石が粒子のようになり、液体のようにふるまう現象。撮影地であるニュージーランドで、非常事態宣言が出るほどのサイクロンが発生し、その後発生したそうだ。
pic.twitter.com/nRrNpAKlUP— 気になる宇宙 (@Kininaruutyu) December 12, 2019
ここのmin_retweets:とはTwitterの検索オプション。最小RT数が30以上のものを対象にできる。
なぜ30を基準に設けたかというと、自然現象bot的な存在がTwitterにあったとして、
最悪小バズりしていてRTが分散する、という状況にも対応できるように少なめに設定した。
他のTwitter検索の際にもほど良く探しやすいので、以後30RTをボーダーにしている。
解説系のマンガを探すときは少し多めの想定で100RT...など判断は各自で。
ツイートのリプ欄を確認。該当曲はナシ。引用RTも確認するもなし。
これは集合知(他のみんな)に任せるか...?と思いつつもう一度。
社交 - KOHH
その線を障害物超えながら進め!っていう特訓やってたの何かわかる方います?
確か線上に東京タワーがあってうぉ…ってなってました
映画で盗賊が使用される例はあまりないので、怪盗?忍者?なんにせよ検索がブレそう。うーん...
東京タワー 地図 線ヒットせず。創作のなんちゃって陰謀論ばかり。
K-20というタイトルを呟いている方がいたのでタイトルを検索。ヒット!
マーダーミステリーが流行っています(1/2) pic.twitter.com/WwBP8ZyL83— ふぁっ熊 (@fakkuma) July 15, 2020
昔(と言っても3年も経ってないと思いますが)見たドラマを探しています
最後の一文のパワーがすごい。
このドラマがテレビで流れたら確実にTwitterで共有されるな...と思ったので、
https://www.telasa.jp/videos/164757?related=episodes
ガラケー(スライド式、クルクル回る所があるタイプ)のゲームを探しています。
・目つき悪め
思い当たる方いらっしゃったら…
これは確実な特定のためにワンクッションおいた。
ガラケー 回転で検索。回転するタイプの携帯はFOMAが多いとの情報を入手。
PART2に続く。
PART2 : anond:20211106011219
PART3 : anond:20211108012801
補足 : anond:20211105041538
それなりのサイトで女の子がハゲヅラ被ってるテーマの同人誌やサークルを探していたが結局剃髪をテーマとしたものしか見つけられなかった。
ハゲヅラというフェチには直接的にはみやこの全裸.zipによって思い当たることになった。
間接的にはフィメールマスクの着脱シーンや全身タイツ界隈にいた経験の蓄積によるものもあったかもしれない。
ハゲヅラの装着によってその娘のもつボディラインそのものの魅力を強調させ、素材の味というものをより楽しめるようにする。
シリコンの質感と地肌のおでことの絶妙な一体感。あるいは一体しきっていない感じ。
俺なら後背位だな。尻越しに頭で3つの丸み。どれも丁寧に撫でまわすんじゃ。その姿勢で少し悶えた横顔が見えるコマが一つは欲しい。
ヅラをおでこから少し持ち上げて、あるいはずらして前髪をちら見せした格好で前から突くのもいい。パンチラならぬ髪チラ流行れ流行れ(ヒジャブ界隈だとおなじみだろうけど)ここらへんはゼンタイにおいて前髪が少し出てるのを楽しんでる段階からその萌芽があっただろうな。
あるいはヅラの後ろ側から首にかけて地毛がちょろっとはみ出させるのもいい。
厚さが薄めのハゲヅラという設定で少し地毛が透けてるのもいい。
そういうのを経た後でズラを外した状態でのセックス描写というクライマックス感にこちらもドビューっといくんだよなあ。
まあそういう感じでやっぱりフェチってどんどん先鋭化してくんだよねえ。一種の通過儀礼なのかもしれない。
俺だってジャンルとして成長するように働きがけたいところだが絵心からないからどうしようもない。果報は寝て待てなんていうけど、ジャンルが確立されるなんて夢のまた夢だろうなあ…という虚しさに寄せてこの増田を残すことにする…
乱文申し訳ない。
中高一貫男子校から、そこそこの大学の医学部にいって人生で二度目の好きな人ができた。気まぐれで猫みたいで、感情がすぐに顔に出て、子供っぽいかと思ったらどこか達観したような一面をもつ笑顔が素敵な人だった。
一時期は私の家(ひとりぐらし)に来てわずかな時間ではあるが一緒に勉強することもあった。その時に、彼女がとあるアーティストの代表曲を「何この曲初めて聞いた〜」と言っていたのを覚えているが現在はそのアーティストが大好きらしい。彼女は初めて聞いた場所を覚えてくれているだろうか?
しかし結局は嫌われてしまったらしく、今では口も聞いてくれない。原因は幾つか思い当たるが、1番はやはり私が俗に言うメンヘラ気質であったことだろう。
彼女は歯に衣着せぬ物言いをするので、その子のことが好きな私はそれなりにダメージを負い、態度かなんかに出てしまっていたようなのだ。それが彼女の気に障ったのだろう。
初めに述べたように医学部というものはムラ社会で、ここまでのエネルギーを持って恋愛に臨んだ以上別の人で再チャレンジ、ということも難しく、また私が同じ熱量をその新しい子に傾けることもできないだろう。
幸運にも私は学部内で孤立することはなく、それどころか女の子が軒並み優しくしてくれるのだが、カップルを見るたびに死にたくなり、今では縄を買って結び方までマスターしてしまった。
医学生のちっぽけなプライドとして絶対に失敗は嫌なのでドアノブ(テディベアスタイル)ではなくぶら下がり健康器(ハングドマン)に括り付けるつもりであるが、そちらの方は家に来られた時の言い訳を考えてまだ購入していない。
私は周囲の人に恵まれていて、先日迎えた誕生日でも多種多様なプレゼントを頂けたり、先輩方にはサプライズを用意していただいたりと幸せな1週間を過ごすことができた。どうやら後一回誕生日パーティーを何人か合同でやってもらえるらしい。そういう時は本当にありがたいし楽しいのだが、家で一人の瞬間に「今頃カップルは同じ部屋で過ごしているんだろうな」などと考えると死にたくなるのである。
私は童貞であるが、なにもセックスするのが羨ましいというわけではなく(もちろん普通に羨ましいが)、夜寝る前に、朝起きる時に、すぐそこに好きな人がいるというそれ自体が焦がれるほどに羨ましいのである。
きっと私はその幸せを永遠に噛み締めることができないと思うと、死んだ方がマシ、という結論に至るのである。
ここまで読んでくださった方は相当根気強い方だと思う。勢いで書いてしまったためまとまりがないが気が向いたら推敲するかもしれない。あるいは13段目を踏みしめるのが先かもしれない。
友人だと思ってた人から縁を切られた。
思い当たる節はあったりなかったりだけど、思い返せばこの人生、何年も連絡を取らずにフェードアウトするということは数あれど、つい1ヶ月前に連絡を取っていたのに急に一方的に切られるというのは初めて。大ショック。
しかし突然切られたのは初めてだけど、突然切ったことならあった。あの人たちはこんな思いをしたのかと、時を越えて反省。あんな逃走の仕方しないで、もっと傷つけないで済む方法があった。
とは言え、そのときには事情や言い訳があって、私がその縁を切ったときは、それだけ最低なことをするという覚悟で、完全にあらゆる連絡を途絶えさせた。
携帯は着信拒否、メールも拒否、当時家電を知られてたのでそちらも拒否、共通の知人を使って連絡を取ってきたときも応答しない徹底ぶりだった。住所は知られていなかったからセーフ。一方的に切るんだから、どこかで会ったら刺されるかもしれないぐらいのことを思った。ほんと。
ただし時は変わって今回の場合は頑なにLINEを未読スルーされており、インスタのフォローを外されただけだ。どうやらLINEはブロックしていないらしい。インスタもこちらからのフォローは放置している。突然縁を切るという最低なことをしているにも関わらず脇が甘すぎる。十分に「もう連絡を取る気はありません」という意思は汲み取れるから、それでよしなにということか?
私が過激派なだけだろうか?
2021年10月25日に先行配信が開始され今日CDが発売される、槇原敬之の復帰作『宜候(ようそろ)』。
(引用という形式ですが、考察として歌詞を書き起こしている都合上、このエントリはすぐ消します。)
こんな素敵な曲なのにネット上でも思ったより反応が薄いのが驚いている。
一方で、仕事中にもかかわらず号泣してしまうほど刺さってる人も居る。俺のことや。
歌詞提供しているのは、尾崎豊・村下孝蔵・玉置浩二・浜田省吾をプロデュースしている音楽プロデューサーの須藤晃。
https://www.youtube.com/watch?v=vjyQTWT-Oe8
歌詞が伝わりやすいよう、敢えて伴奏はピアノだけという最小限のスタイル。
まずは何も言わず配信サービスで聴いてくれ。冒頭35秒だけでいい。
話はそれからだ。
私は普段、歌詞考察・歌詞解説といった野暮なことは一切しない。
その作品に出会った際に各々が感じた時のフィーリングや気づきこそが宝物だと思っているからだ。
たとえ善意でも、ネタバレによって公式の意図と違う形で聴き手に伝わってしまうのはファンとして本意ではない。
ましてや、私個人の解釈というフィルターを通すと全く違った風景で見えてしまうだろう。
「説明しよう!」と割り込む人は、その作品に邂逅した時の感動を減らし自論を押し付けてしまうことになるかもしれない。(本稿の私のことである。)
「今のは何が面白かったの?」と解説を求めると白けてしまうだろう。
もしかしたら自分の前では二度とジョークを言ってくれないかもしれない。
ガルパンおじさんが「ガルパンはいいぞ」としか言わないのは、単に語彙力が足りないからだと思っていた。
しかし、実際に観てみるとそういった優しさからだったのだと今なら分かる。ガルパンはいいぞ。
だが、この忙しい現代社会。
また、曲の背景に想いを馳せるためには少しばかり教養も必要となる。
(YOASOBI「夜に駆ける」の原作小説「タナトスの誘惑」を読んで納得して
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「どちら様かは存じませんが
そのサングラスやめなさい
悪い輩(やから)に見えたら損よ
その目を私に見せなさい」
ばあちゃん 俺に微笑みかけて
かすれた声で叱ったよ
出会いと別れを 繰り返し
「もう慣れたわよ」と言ったけど
「やっぱり一人は つらいから
誰かの傍にいなさいね」
ばあちゃん遠くの空を見て
小さな声でつぶやいた
「夢なんて叶わぬうちが花だけど
待ってるだけでは駄目だから
行きたい場所を目指しなさい」
「橋の袂で声かけられて
赤いかんざし褒められた
あの日の私が一番綺麗
忘れられない思い出よ」
ばあちゃんはにかみ謝った
「ごめんなさいね こんな話」
「毛皮も指輪も 押し入れの中
どこに置いたか 忘れたわ
一度ハワイに 連れてってくれ
息子に頼んでみたけれど
伊勢神宮さえ 行けなくて
膝が悪くて 行けなくて」
「先頭に立たないように気を付けて
争いごとは やめなさい
いつまでたっても あいこでしょ」
「今度訪ねてくれるなら
どちら様かは存じませんが
これも何かの縁でしょう
「人生は思うようにはなりません
それでも希望を持ちなさい
神様なんていないけど
変わっていくものを嘆くより
変わらぬものを愛しなさい
笑う門には福来る
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さて、以降は2回以上聴いた人に読んでもらいたい。
答え合わせをしましょう。(抜け・漏れや解釈違いがたくさんあるはずなので、どうかコメントで補足お願いします。)
歌詞の大部分が、お節介な性分の認知症の「ばあちゃん」が孫(孫と認識されていない)に向けて語りかけるセリフである。
(叙述トリックで多用される「信頼できない語り手」の可能性も考慮せねばならない。なんせ認識が歪んでいるのだから。)
一見すると(前半はともかく)後半は思い出すままに過去を語ったり、
人生の先輩としてアドバイスを始めたり脈絡が無いように思われる。
しかし、言葉のひとつひとつに含蓄や温度感があり何故か聞き流せない。
「出会いと別れを繰り返し」:記憶を失う(別れる)→自己紹介(出会い)のループを指すのだろう。
後半で自分の孫に「どちら様かは存じませんが」とまた語りかけるので、「ばあちゃんまたボケとるわ!」とツッコんでしまう。
「やっぱり一人は つらいから 誰かの傍にいなさいね」と語りかけられても、
「ばあちゃん、いま孫がそばにおるんやで…」とさみしくなってしまう。
ところで、こういった違和感がないだろうか。
・ハワイに行けなかったら妥協点で伊勢神宮が来るのおかしくない?
・というかハワイに連れて行ってもらいたかったら息子より先に夫に頼めよ
・孫のことは何度も忘れてるのに、若い頃に口説かれたことは「忘れられない思い出よ」?
・なぜサングラスをかけるだけで「周囲から悪い輩(ヤカラ)と認定される」と思い込んでいるのか?
(グラサンといえばローランの民からすれば陛下の象徴と言っても過言ではないだろう)
こういった違和感や疑問を紐解き、一本の補助線を引けば、
ハマらないと思っていたパズルのピースが繋がり、この歌詞の全体像が視える。
それを前提にもう一度聴いてほしい。
「先頭に立たないように 気を付けて
争いごとは やめなさい」
この歌詞が異様に生々しく感じないだろうか。
まるで親しい人が先頭に立ったせいで亡くなったかのような物言いである。
→軍艦じゃんけんの掛け声「せーんそっ(戦争)」を嫌ったのではないだろうか。
「グー・チョキ・パー」は「軍艦・朝鮮・ハワイ(軍艦・沈没・ハワイの地域もあるらしい)」に置き換えられている。
小学校の時に「不謹慎だ」と先生に叱られた人もいるのではないだろうか。
実際、その後にお土産としてお寿司を細かくリクエストしている割に、「軍艦巻き」は入っていない。
「一度ハワイに 連れてってくれ
息子に頼んでみたけれど
伊勢神宮さえ 行けなくて」
→夫が居ないので息子に頼んでいる。おそらくハワイで亡くなった(と聞かされており、真偽は不明)。
そもそも、「ばあちゃん」は太平洋の地名でハワイぐらいしか知らない可能性も高い。
なぜなら当時のメディアは時の政府の統制下にあり、大本営発表を検証せず偏向報道をするプロパガンダの道具となっていたからだ。
国威発揚のため、日本軍の勝利を事実以上に喧伝し、大敗の事実を隠蔽する構造であった。
真珠湾奇襲の報道は大々的に宣伝したので、その印象が強いのではないか。
さて、ばあちゃんはハワイに夫を弔いに行きたいが、それが無理ならせめて国内で、
ということで日本全国最高位の神社である伊勢神宮にお参りしたいわけだ。
戦後世代にとっては戦没者を祀るのは靖国神社というイメージが強いが、
戦前世代にとっては伊勢信仰が普通であったようだ。現在も神社本庁の本宗は伊勢神宮。
(ちなみに作詞の須藤晃は富山県出身。槇原敬之は大阪府高槻市出身。)
「夢なんて叶わぬうちが花だけど
待ってるだけでは駄目だから
行きたい場所を目指しなさい」
→これは解釈が分かれるところか。素直に歌詞通りに受け取っても良い。
膝を悪くしてしまい二度と夫の弔いという夢が望めなくなってしまった悔恨にも解釈できる。
「橋の袂で声かけられて
赤いかんざし褒められた
あの日の私が一番綺麗
忘れられない思い出よ」
→孫(俺)のことは何度も忘れるくせに、「忘れられない思い出よ」。
その理由は、夫と過ごした時間が少なく他に思い出が無いからではないか。
・「毛皮も指輪も 押し入れの中」
GHQ連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーの印象によるものではないか。
「変わっていくものを嘆くより
変わらぬものを愛しなさい」
→生きている人より、亡くなった夫への執着を感じないだろうか。
ここの「あなた」は孫(俺)に語っているように見えるが本当にそうだろうか。
夫に似た孫の姿を通して、
過去の思い出の姿の夫に、
ここにきて思い当たる。
「その目を私に見せなさい」と言われサングラスを外し、孫の目を見る描写。
ここでばあちゃんは若き日の夫を思い出す。
それをきっかけにこの歌詞のセリフのような回想が始まったのがこの曲じゃないだろうか。
タイトルが「ばあちゃん」じゃないのは、一人称が「俺(孫)」に固定されてしまい
メインディッシュにもなれず世の中の隅っこで苦い人生を送ってきた「ばあちゃん」の象徴として「わさび」がタイトルとして選ばれたのだろう。
ワーキングメモリの件、自分にも思い当たる節があるので便乗して。
とある企業に事務職として入社して約1年後、実務を任されるようになったものの、まったく仕事がうまく進められなかった。
常に頭の中がパンパンで、上司や先輩と話をしても中身が入ってこない(というか咀嚼できない)し、何をどうしたら良いのか、自分の中でまったく整理できていない感じ。
一度理解したことであれば、ある程度スムーズにこなせるのだけど、新しく出会ったものに対してスピーディに対処するということが、とにかく苦手だった。
結構悩んでビジネス書をいろいろと読み漁った結果、自分に合っていたのが「GTD(Getting Things Done)」だった。
■あなたの頭の中にある 「やりかけの仕事」は、現状を変えたいと思いつつも次のような状態になっている。
・求めている結果がはっきりしていない 。
・求めている結果や次にとるべき行動を適切なタイミングで思い出させてくれるリマインダーが設定されていない 。
「やりかけの仕事」がこうした状態にある限り、それがあなたの頭から離れることはない 。これらを明確にし、必要な判断を下し、確実に見直すことがわかっているシステムに預けない限り、頭がすっきりとすることはない。
■あなたは「やるべきこと 」 の優先度と、時間や情報、集中力をどのように関連付けているだろうか 。 実は、ここにこそ、限られた時間と労力を存分に注ぐべきなのである。本当に重要なのは、そのときどきで自信をもってとるべき行動を選択していくにはどうすればよいかということだ。
・頭の中の「やりかけの仕事」を「すべて」アウトプットすること
・それを定期的にメンテナンスすること
この2点が重要だと考え、自分なりにExcelでタスクを管理するようになった。
業務別に項目名、内容、次のアクション、実行予定日時を羅列するだけのシンプルなリストを作って、アクションをできるだけ細かいレベルで書き出した。
たとえば、「Aさんに電話する」とか「マニュアルを○ページ読む」とか。
実行したら、ボタンを押して完了に分類されるようにマクロを組んだ。
一つひとつは僅かな進捗でも、確実に進んでいくし、何より「終わった!」という感覚をたくさん持てることが、精神衛生上とても良いことを実感した。
このタスク管理をするようになって、劇的とは言わないまでも、仕事の進め方は安定するようになった。
ちなみに10年以上経過した今でも、ほぼ同じ構成のリストを使っていて、今やこれ無しでは生きていけない体(頭?)になっている。
n=1ではあるけれど、こんな例もあるよということで。
子が自閉症スペクトラムと診断された。
いわゆるアスペルガー症候群というやつだ。
2013年に診断の世界基準とされるDSMが改定された(DSM-5)ことで、アスペルガーは自閉症の一形態ということになっている。
診断と言っても、傾向があり可能性が相当に高いという話ではあるけど。
自閉症スペクトラムがその名の通り連続体(スペクトラム)なので個人差が大きく、
その上血液検査みたいなもので数値判定することもできず、症状が広範で明確に区別できないので診断も難しいと思われる。
今のところ知的障害はないように見える。
自閉症は他人と関わりを構築するのが苦手・或いはできないだけであって、知的障害を伴わないものがある。
幸いというか、数ヶ月前にあるきっかけで自分自身がアスペルガーではないかという疑いを持ち、
田舎であり心療内科の数がほとんどなく予約が取れないこと、主訴(実際に生活で困っていること)がないことから
心療内科にかかることもできなかったけど、思い当たることが多すぎて100%間違いないと確信している。
そしてその才能(アスペ)をいかんなんく発揮し自閉症スペクトラムについて無駄に広範な知識を手に入れ
診断がくだる前から知識武装がされていたこと・パートナーにその事実を伝えておいたことで
それで困難と感じていないのであれば障害ではなく個性と認識される。
その意味で高機能自閉症は「自閉症スペクトラム」であって、「自閉症スペクトラム障害」ではない。
いかに「障害」にしないか、がこれからもっとも重要なところだと思っている。
保育園も含めてどうこれから「介入」していくのかということを考えているときにふと気付いた。
本人を社会に順応させるのが目標ならば、家族は本人を取り巻く環境の一部であって、本人に合わせて介入される側だ。
ある程度知識を得たとしても、それは生半可なもので、臨床経験が豊富な人の意見に従う必要はあるだろう。
子供の教育に介入するのは、プライベートに土足で踏み込んで来るようなもの。
それなら我々が用意しておくのは雑巾(掃除道具)なんだろうなと。知識よりも心の準備の方が大切だなぁと思った。
未満児の段階で自閉症スペクトラムを診断される。
自分が同じように診断してもらえていたら、おそらく全然違う人生を歩んでいたんだろうなと思う。
障害を個性だと主張しても、やはり障害は障害なのだ、目が見えない人はどう頑張っても本を読めないように、
僕はどう頑張っても普通の人のように円滑な人間関係を築くことはできない。
努力で解決すべきか、諦めて他の道を探すかの選択をするときに、
「これは障害であり、自分には不利である」と分かっていたら、どれだけいい選択ができたことか。
姿勢が悪いのを物差しを背中に当てられて強制されるようなこともないだろうし、
(姿勢が悪いのもアスペあるあるらしい、おそらく同じ姿勢をとることがあまりなく自然に体幹が発達しないのだろうと推測)
時間の多くを長所を伸ばすことに当てられたらどれだけ良かっただろうか。
アスペルガーのもう一つの特徴は興味の局所性と集中であり、興味がないことはとことんできないということだ。
人との関係を構築する能力を失う代わりに得ているものがあるそうで、多くは数学的能力(論理的思考)か、言語的能力だそうだ。
自閉症スペクトラムの子供に調査を行ったアメリカの研究では、一人も自分の障害をなくしたいと思っている子はいなかったそうだ。
僕も同感だ。
障害が自分の能力の一部であり、危ういバランスの上にいることを自覚しているのだろう。
自閉症スペクトラムは遺伝性のものであるという強いエビデンスがあって、
自閉症の親から自閉症の子が生まれる確率は通常の50-100倍だそうだ。
そう、100%僕が悪い、と同時に、100%僕の親が悪い、と同時に・・・・遺伝とはそういうものだ。
妻には申し訳ないと思う。しかし生まれつき他人と違うというのは、メリットになりうる。
子にもそう思ってもらえるよう、色々模索して行きたい。
幸いと言っていいのか、僕も通ってきた道だ。
登山で延々藪漕ぎをするのはしんどいが、アスファルトで舗装されていても醍醐味がない。
ちょうどいい登山道を用意し、同時に登山道の作り方を教えて行けたらいいなと思う。
しかし楽観もできない。
知的障害がないとは言えないし、
これから発達が進むにつれて見えなかったものが見えてくるだろうし、
前途は多難だ。
ちなみに今のところ生活に何も困っていないが、特別児童扶養手当の申請はしておく。
困ってからではなく診断が出た段階で申請するのがベストだと思うし、
行政の用意してくれているセーフティネットには引っかかりやすくしておいた方がいい。
運よく検診で拾って貰えたのは本当によかった。
仕事は休みだができるだけいつも通りの時間に起きて生活するように努めた。会社外で連絡を取っていた友人や関係者にメンタル的な理由で会社を休職したことを連絡した。心配するメッセージを色々ともらったが、中には「休みいいね〜旅行とか行くの?」とか、「休んでる間に何かするの?」というようなことを言われて「いや、休養するんで…」とへらへらと答えた。人と接する時はなるだけ元気に、なんでもないように振る舞っているから「休職しちゃった〜てへ☆」というノリで話すので、「全然大丈夫そうじゃん」という反応をされることもしばしばあった。
自分自身、これはサボりではないか、ほら、今元気にできているし、という気持ちがあった。ただ、そのように人と会った後はひどく疲れて、言われたことを頭の中で反芻し、暗い気持ちや自分を責めるような気持ちになった。
できるだけ外に出たほうがいいと思っていたので、休職してすぐに近しい友人と会って飲みに行った。(まだアルコール提供されている時期だった。自分は薬を服用しているためノンアルコールだったが)病気の話をしたり、全然関係ない話をしたりして楽しく過ごしていたが、だんだんと自分が何を話しているのかわからなくなってきて、頑張って冗談を言おうとするが何もいい話題が思い浮かばなくなった。途中トイレに行った時に鏡を見ると、目がげっそりとくぼんで、あまりにも顔色の悪い自分が映っていた。冗談を言いながら笑っているつもりだったが、実は全く笑えていなかったらしい。
休職をして日中どのように過ごしたかというと、まずは部屋の掃除をし、近所に出かけていった。
時間に縛られずにする散歩は不思議な気持ちだった。近所の歩道には花壇がきれいに整えられていて、様々な種類の花が植えられていることに気づいた。それなりの期間ここで暮らしていたのに全く気にしたことがなかった。近所を散歩しているだけなのに、知らない店があったり、以前あった店が新しくなったりしていて、何も見ずに生活していたんだと思った。公園のベンチに座ってぼーっとしていると30分や1時間はすぐに過ぎた。以前はそんな風にスマホも本も持たずにただぼーっとすることができなかった。空がきれいだなあと思ったり、犬の散歩やジョギングをしている人をみていろんな人がいるんだなあ、この中にももしかしたら同じように病気で苦しんでいる人もいたりするのかもなあなどと考えた。
積読していた本が大量にあるのでその中から適当に一冊選んで、出かけられる時はカフェに行って読書をした。ただ、自己啓発系の本(意識高い系なのでいっぱい持っている)を読むと頭痛と動悸がして読み進めることができなかったので、小説や漫画を読むのに切り替えた。日常エッセイマンガを読み、思わずふふっと笑った時に、めちゃくちゃ久しぶりに笑った気がして、なんでこんな面白いものがあるのに、無理して、我慢して見ないようにしていたんだろうと思った。
映画館に映画を観に行ったりもしたが2時間耐えることができずに映画を観ながら寝てしまった。
基本的には外に出かけても16時〜17時くらいには帰宅して、照明を暗くして部屋でゆっくり過ごした。蛍光灯の明るい光や、スマホは刺激が強すぎるのであまり見なくなった。大丈夫な時はNetflixとかでドラマや映画を観ていた。ちょうどエヴァンゲリオンの映画が公開された時期だったので、今まで一度も見たことがなかったがシリーズを全部見ることにした。
日記を書き始めた。初日の日記はノート2ページ分にわたりネガティブなことが書き連ねられていて、当時の自分がいかに絶望していたかということを思い出させる。
「やりたいことや目標があったのに、もうダメなのかもしれない。」と書いてあり、思った以上にメンタル壊して休職という事実に参っていたようだ。
あとは相変わらずTwitterやはてななどで「適応障害」を検索しては自分と同じ境遇の人を探していた。どのくらいで復帰したのだろうかということをずっと調べていた。書かれていることに共感したり、通院が長引いてる人や休職を繰り返す人の話を読んで不安になったりしていた。
一週間後、再診のためまた病院に。
「どうですか、休めましたか?」
「体調はどう?」
「まあ、いいような気がします。人に会ったりとかもしてみました」
「人に会ってんの?疲れるからまだあんまり会わないほうがいいですよ。とにかくのんびりしてくださいね」
てっきり活動的にしたほうがいいのかと思っていたので人と会うなと言われて少し面食らった。どうしても、自分は軽症で、そんなに気を使うほどのものではないと思いたかった。食事は取れているかとか、睡眠はどうだ、薬は飲めているかなどを話して、10分ほどで診察は終わった。
もっと、何か特別なカウンセリングとかをしてもらえるのかと思っていたのでこれで終わり?と拍子抜けした。(カウンセリングと診察は別ということをここで初めて知る)
休職して二週間が経ち、1ヶ月ではとても復帰できないということでさらに2ヶ月休養が必要の診断書をもらう。
通院の日には毎回上司から状況伺いの連絡が来るのがきつかった。新たな診断書を提出して休職延長の手続きをしてもらった。
当時のツイートに「無理すれば働けないこともなさそう」と書いてあるが、今思い返してみるととても無理である。泥酔した酔っ払いと一緒で、大丈夫じゃない時ほど人は大丈夫というものだ。
うつ状態の時は睡眠に問題が出ることが多いらしいが、眠れなくなる不眠だけではなく寝過ぎてしまう過眠なんかも症状の一つらしい。自分の場合は寝付きは悪くないのだが、夜中2、3時間おきに目が覚める中途覚醒の症状が出ていた。休職する前からその傾向があったので、単に眠りが浅いタイプなんだと思っていたが、回復した今、朝まで一度も目覚めることなく眠れているのでやはり病気の症状の一つだったのだと思う。
あとは薬の副作用もあり、昼に異常に眠くなり、初期の頃はよく昼寝をしていた。ちょっと出かけて頭の中が情報過多になるとやはり同様に眠くなり、家に帰って眠った。眠くなったら寝ていい、昼寝もしていいと医者に言われていたのでその通りにした。
気持ちを落ち着けるための2種類の薬が処方され、朝昼晩と服用していた。
ただ、薬を飲み始めてから副作用でお通じが悪くなり、腹が苦しすぎて眠れないことがあった。あまりにもつらかったので市販の下剤を飲んだところ、体重が1kg減るほど出た。そのことから、薬が怖くなって、インターネットで色々と調べて、抗うつ薬に対するネガティブな情報などを見つけ、飲まないほうがいいのではと勝手にやめてしまった。飲まなかった初日は気持ちが落ち着かなくなり、手が震えて頭痛がした。それがまたさらに恐怖を煽り、こんな恐ろしいものを処方するなんてひどい医者だと思った。
自分は軽症だと思っているので、薬など飲まなくても大丈夫だという勝手な思い込みもあった。
次の診察の時に薬を飲んでいないと話すと「えっ!」と驚かれ、薬は悪いものではなく、回復期間を短くするために必要だから飲むようにと注意されてしまった。ひどい便秘になって苦しかったからやめたと話すと、服用量の調整と、整腸剤を処方してくれた。
整腸剤と、あとは自分でもヨーグルトを食べたりなど心がけて便秘はなんとか良くなった。お腹が苦しいからヨーグルトを食べよう、という風に思い当たるだけでも自分は生きようと、生活をよくしようという気持ちが湧いてきたんだということに気づいた。
休職して三週間が経っていた。
続く→ 適応障害と診断されてからの記録④
ポケモンカードが入荷。二年前は普通に入荷していたのだけど、最近はあまり発注してなかった模様。オーナーに何か心境の変化でもあったのかなんなのか。
以前はうちの子の同級生とその母親が、当店を「穴場だ」といってポケモンカードをちょくちょく買いに来ていたけれど、最近はさっぱり入荷していなかったので、その親子は全然来店しなくなった。
ポケモンカードは売れない訳じゃないと思うのだけれども、オーナーがそれでもポケモンカードを仕入れたがらない理由として、思い当たることは一つある。ポケモンカードが入荷する店という印象を持たれると、カードの発売日前後に、店の業務に支障が出るほどの問い合わせがある。
しかも、問い合わせてくる客の中に、本気でカードが欲しい人なのかただの嫌がらせ目的で電話をかけてくるのか微妙な人がいる。数時間に一回ペースで電話をかけてきて、今すぐ売り場を見て在庫数を調べろと命じてくるのだ。同じ電話番号で何度もかけてくるので、オーナーからは「この番号からかかって来た電話には相手をしないように」言われるほどだ。
そんなことがあるので、たぶんオーナーは当店に「ポケモンカードは置かない店」という印象をつけたいのだろうと思う。
ところがポケモンカードは入荷してきた。先日、私が出勤した時にはポケモンカードは何故か売り場から撤去されていて、事務所の机に置いてあった。なんか問題でも発生したのかなと思ったら、Aさんが勝手に売り場から下げたのだそうだ。Aさんは30000円で売れるレアカードがこの中にあるかもしれないので、それを突き止めたら買うのだといって、休憩時間にせっせとカードの包みの重さを秤で量っていた。重さでレアカードが封入されているか突き止める方法をAさんが説明するの聴いたけど、それでレアカードを引けるとは私は到底思えなかった。
数年前からメルカリとかで色々なもののが転売されるようになって、何か良さげなアイテムやコラボ商品が入荷する度に、電話と店頭での問い合わせに時間を食われるようになって、けっこう迷惑している。
タバコのキャメルシガーのメンソールを3箱買ったお客様から、「嘘!! 値上がりしたの!?」と驚かれた。えぇ。今月の1日から100円上がりました。私はタバコを吸わないのでわからないけど、たぶん100円値上がりしたキャメルをわざわざ吸う価値ってないのかなと。よほどこの銘柄が気に入ってるのなら別だけど。
30代男性です。
そんなレッテル貼りをしたところで何も変わらないんだけど、最近なんか息苦しくて、この生きづらさに理由がほしい。
・テニス部顧問から「強化リーグ出てみないか?」と誘われるも断る。
・夏休みに一定回数プールに行かなければならず友人を誘うが「もうクリアしてるから行かない」と断られ電話先で絶句する。
・中3夏の高校受験模試で商業高校はS判定、進学校はB判定だった。塾講師に「進学校も十分狙える」と言われるも商業高校に進学。
・メールで告白されたが返信しなかった。2週間ぐらいして、その子のクラスメートに責め立てられ渋々お断りのメールを送る。
・反抗期が無かった。
【大学時代】
・ひとつ上の先輩となあなあに付き合い出し、面倒くさくなり連絡を取らなくなる。友人宅にいたところを突撃され別れを切り出された。
・同学年の子となあなあに付き合い出し、面倒くさくなり連絡を取らなくなる。自宅で寝坊したタイミングで突撃され別れを切り出された。
・インターン先の大手SIerから採用試験の案内電話がくるも運悪く取れず。1次面接免除&志望度高かったはずなのに折り返さずに選考不参加。
・大学時代の後輩となあなあに付き合い出す。PHSを契約するも自分からは全く電話しない。
【社会人以降】
・↑の後輩と遠距離恋愛となるが、自分からはほとんど電話しない。そして別れを切り出される。
・合コンで連絡先を交換した子から遊びに行こうと連絡が来るも、返信せずに終わる。
・現妻(お互い社外人)となあなあに付き合い出す。
・プロポーズを実行しようと奮い立つも、部屋でボソっと「結婚しよう」と言うだけ。ノーサプライズ。その後具体的なアクションを起こさず、痺れを切らした妻に促され両親に挨拶に行く。
・業務上の電話で秘密にするようなことでもないのに、周りに話声が聞こえていないか気になる。毎回ではないが、気になりだすと止まらない。
・転職の面接と内定辞退を繰り返す。将来に危機感を抱いての行動だが、いざ内定をもらうと新しい環境にビビって撤退している。
・そして転職したいことや内定もらったことを妻に相談できない。
【その他】
・とにかく電話が嫌い。何をするにもまずWeb手続き、問い合わせができないかを確認する。
・友人と歩いているときに、別グループの友人と会うとめちゃくちゃ居心地が悪い。
こうして振り返ると、どう転んでも幸せにはなれなさそうな人生だなぁ。
ただ、本で紹介されてるような酷い家庭環境では無かったし、成人期迎える頃には寛解することが多いらしのに、むしろ最近になって気になりだしたから、ただのクズなのかもしれない。