はてなキーワード: 必然とは
最近話題のチョコザップ、リーマンがスーツのままカジュアルにジムを使ってると言うのを見て1月ほど通ってみた
総評としては概ね満足しているが、
1番の要因は「老人」の存在で、奴等が増え始めてずっと混雑している事だ
安いからとカジュアルに始められて、カジュアルに行かなくなる事で休眠会員が増え成り立つビジネスモデルに見える
老人の何が問題かというと、彼らは時間に余裕があるため今まで空いていた時間にも出没する様になり、しかも暇な為、休眠せずに熱心に通い続けるのだ
タチが悪い事に彼らはゆっくりと運動するので必然滞在時間が増える
当然割を食うのが老人以外で、使いたい機器が使えないならその内通うのを辞め休眠通り越して退会してしまう
チョコザップはいずれ病院の様に老人のたまり場になってしまうのは想像に難くない
休眠会員が居なくなりビジネスモデルは崩壊し哀れチョコザップは終焉を迎えるのであった
自分が前の近所のジムを退会した理由が老人だらけで機器やプールが全くと言っていい程使えなかったからで、チョコザップもそうなるのであれば退会する日もそう遠くは無いなと思った
年齢で段階的に料金を引き上げ若いユーザーを誘致しそれとなく休眠に誘導していくしか無い
一刻も早く対応を望む
マスクさえ奪えば勝てる。
そのことは、一夜にして棋界を変えたという。
マスクを奪う、だ。
だが、ある戦術が棋界を席巻すれば、対抗戦略が生まれるのは必然だった。
棋士たちは、囲いを始める。
もっとも、いかに頭部を守ろうとも、腹パンされてヘルメットを脱がされては意味がない。
守らんとする者は全身を覆い、攻めんとするものは武器を手にする。
守りと攻めのいたちごっこ。
やがて生まれたのは、全身をフルプレートの鎧で包み、剣を手にするスタイル。
やぐら(物理)やトマホーク(物理)を経て、そのゲームは、もはや合戦(将棋ウォーズ)の域に達した。
その名を「将棋」という。
馬鹿なの?
世の中の全部の本を頭に入れるなんて不可能だし、それを勤務時間中にやるの?
ある本があったときに、その本がどんな本なのかは司書の脳内てはなくデータベースの中に置いて皆で共有するものでしょ。司書の脳内に入れてどうやって引き継ぐのよ?
検索が特殊能力だった時代は終わり、google先生のような大量のデータベース+AIがその役割を担うのは必然。技術の進歩で奪われる仕事なんていくらでもある。司書はまさにそれ。
将棋は崇高な文化である。棋士は日々己の頭脳を磨き、それを魂を削り、命を傾けて対局に挑む。盤上の勝負だけが彼らの生きる縁(よすが)であり、生きる意味と将棋が同義になるほどに没入して闘う。その生き様に、そこから生まれる珠玉の棋譜に魅入られたもの達が価値を見出し、やがて国が誇る文化のひとつとして昇華した。
…したはずだった。
全人口からすればほんの僅かな選ばれた者たちだけがなれるのが棋士。誇らしく、また、ある程度、将棋をするだけで生活が保障されるという夢。巨大なスポンサーと太客に支えられ、ボードゲームで生きていく。そういう類の夢の職業であるはずである。
世の中、しがないサラリーマンだけで構成されたら面白くもなんともない。己の才能と矜持と努力で夢を掴む職業がある方がいい。それに大企業や市井の人々が金を出すのもまた夢のひとつである。
棋士は崇高な職業であるが故に、彼らのことは彼ら自身で決める。団体は煌めく脳細胞の集合体なのだから、律するルールは己らで決定するのである。そうしてきたし、そうしているし、これからもずっとそうする。自分らで決め、自分らで裁き、勝ち、負け、蹴落とし、蹴落とされ、また這い上がり、生きていく。
昔は新聞とテレビが国民の情報収集と娯楽を担っていた。家庭内ではサラリーマンが専業主婦と子を養えるだけの給与があったため、家長の力が金銭的にも精神的にも強く、将棋はそこにおいては祖父や父親の文化的な嗜みとしての強い立場がある程度存在していた。新聞は将棋の強い親となり、国営放送は積極的であった。そういう時代があった。
人間が鎬を削って苦しみ抜き、勝ち負けを決める盤上の駒を使うゲームは、金を払う価値があった。
あれから随分と時が経った。新聞とテレビだけで満足する時代は終わった。家長だけが働いても食える時代ではなく、家庭のバランスも変わった。メディアと父親はもちろん、どちらも生き残ってはいるが、台頭するスマートフォンやタブレットに、男女が働く時代に、馴染まないと生きてはいけない。将棋自体は、スマートフォンで気軽に指せる時代にもなったが、気高く素晴らしい棋士の存在は、意義を問われることとなる。
新聞が金を出しきれなくなった。テレビで流すことも極端に減った。他業種のスポンサーは追加され、ストリーミング再生の放映権を売った。
どうせ親が金を出すから将棋だけしていればいい時代が終わった。現代に馴染むためにはエンタテインメント化されるのは必然だ。あるときは道化となり、メシを食い菓子を食い、ついでに将棋を見てもらう。若き救世主が地球を侵略しに来たことによって、それは加速された。
メシアはAIという集合知を連れて侵略にとりかかった。それは将棋の内容においての改革を意味していた。向上しようとするもの、必死に縋り付くもの、諦観を持って見守るもの、利用して他の切り口を模索するもの…。面白くなった、つまらなくなった、指すものからしても、観るものからしても、取材するものからしても、どう思うかは人によって違う。
そしてメシアは強烈なファンダムをも従えた。アイドルとは偶像崇拝を示すのが元の言葉である。新時代では避けて通れないSNSというものの圧倒的な力で振りまわす、いや、振り回されたのか。
繰り返すが、太い親とパトロンで保たれていた内側の秩序は崩壊した。
ひとつひとつの力は小さいが、集まれば世論をも左右するファンダムをコントロールしなければこの星は滅びへと向かう。メシアが星を滅ぼすのではない。彼はどうやら将棋を心の底から愛していそうで、まだ、メシアで居続けようとしてくれている。まだ。
滅ぶのはファンダムをコントロールできなくなったときだ。ファンダムはある時は鮮烈に良さを訴え社会現象を作りだすが、ある時は量で圧倒してスポンサーをも非難する。諸刃の剣に近い。
ファンダムは集合体であり、それぞれの知性もまちまちだ。ひとつ事件が起これば、愚鈍な発言がもてはやされる場合だって大いにある。SNSで取り上げられるのは、必ずしも論理的で倫理観のある発言ではないからだ。
文化という話に戻ろう。文化とは何か。それは半永続的な魅力のある、それ自体は一般市民の人生に必要のないものだと定義したい。生きるのに必要はないが金を出す価値がある。卑近に言えばそういう類のものだ。
将棋で生きている、または、将棋に関連して飯を食っているものからすれば噴飯ものの言いようかもしれない。だが、一般社会ではそういうものだ。将棋が無くなって、困る人の方が少ない。世界には多くの人間が存在していて、多様な娯楽があり、人生があり、他の仕事がある。
将棋と関わり、生きていくものにとって生きづらくなった、と思われるかもしれない。そう。いま、生きるとはそういうことだ。何かすればすぐに炎上し、働き方は厳しさを増し、対面での人間関係は難しい。他の人々も何かしらの生きづらさを抱えて生きている。それが現代社会だ。認めなければいけない。
身分や全てを隠した故、自分がここに書いたことを卑怯で誤謬や脚色に満ちていると思われてもいい。ただ、将棋を棋士を素晴らしいものだと思っている。たった1人の棋士の存在が自分の将棋への見方を変えた。メシアでもない、かつてのメシアでもない、残りの棋士のひとりだ。自分は彼に将棋を指し続けて欲しいからこれを書いた。
どの立場からも、互いに歪み合っている場合ではない。不用意にお気持ちを述べることも、ただ黙って推移を見守ることも、それぞれのファンダムが暴走することも、形勢を有利にはしない。
匿名はてブで書くのは非常に遺憾だった。しかし、それにも、それでもきっと書く意味はある。職業・年齢・性別・棋力は伏せた方がよかった。たとえば、
会社員で30歳で男でウォーズ四段だ。
この5つの前提で同じ文章を書いた時、それぞれ違った先入観が発生する。そういう階層や区別が罷り通るのがこの素晴らしい文化だからだ。(なお、一例であり、上記のどれかが自分に当てはまるわけではない。)
何かが変わるだろうか。この星はどうやって滅びるのか手をこまねいて見ているだけはもどかしい。
将棋を次の100年へ。
世間の流行の移り変わりとは無関係に、私は度々『鬼滅の刃』の原作単行本を読み返しているのだが、またも同作を読んでいる。
ここ最近の読み返す切っ掛けの一つとなったのは、例によって金関丈夫の『木馬と石牛』である。何度目だ。
ひとまず最初に紹介しておく金関丈夫の論文は「わきくさ物語」と題する一篇である。
これは、腋臭(わきが、えきしゅう)や体臭を肯定的に捉えるか否定的に捉えるか、その相違について、人類学的な統計データに基づいて西欧人と東アジア人の腋臭体質の多寡(出現頻度)を比較するとともに、東西の文学作品や文献に於ける腋臭や体臭に関する記述を比較したという内容である。今さら気づいたが、論文の題名は『若草物語』のパロディである。
金関丈夫の論旨を大雑把にまとめて紹介すれば、次のようなものである。「人類学的に見て、西欧人の集団では腋臭体質の人の出現頻度が高く、日本や中国などの東アジア人の集団では出現頻度が低い。それに呼応するかのように西欧では、身体の臭いを肯定的に捉えて讃美する詩や文学作品が見出される。それとは対照的に日本や中国では、身体の臭いを讃美する文学作品や記述は見られない。ひどい体臭の人が周囲から疎んじられるといった、否定的な記述内容は見出される。日本の文学においては、田山花袋の『蒲団』など西洋文学の影響を受けた近代の少数例を除けば、体臭文学は存在しなかったのではないか」云々。これも今さら気づいたが『大衆文学』の駄洒落である。
それはともかく、かのナポレオンが愛人に宛てて「近々戦場から戻るから、風呂に入らずに待っているように」と手紙を書いたという有名な挿話を知っていると、金関丈夫の主張にも頷けるところがある。
しかし、体臭文学に関して言えば、確かに金関丈夫の言うとおり国文学の中では劣勢なのかもしれないが、嗅覚そのものは、時代の変遷や題材の違いによる差異はあれども、国文学においても大なり小なり着目したり描かれたりしてきたのではないかと思う。源氏香(※)のような遊びが生まれたぐらいなのだから、香り・匂いを味わうことの悦びを昔の日本人も持ち合わせていなかったわけではないだろう。それにまた、腋臭のような刺激的な匂いに対する肯定的な記述が見られないからといって、体臭そのものに対する愛好癖が日本人の間に存在しなかったとまでは断言できまい。好ましくない体臭に対する認識があったのならば、好ましい体臭に対する認識があってもおかしくはない。したがって、いま少し詳細な再検討が必要ではなかろうかと思われる。[※注:源氏香は、室町末期以降の遊びであるが、源氏物語各巻の見出しに源氏香の記号が付記されるようになったのは明治以後のことらしい。また、その記号は、組合せ数学のテキストで例として挙げられることもある。]
とまあ、こういった具合に「わきくさ物語」を読み直したことが切っ掛けで、嗅覚について色々と思いを巡らせていたところ、竈門炭治郎のことも連想して『鬼滅の刃』を再読し始めたという次第である。
ところで、上に述べたとおり、私は金関丈夫の主張に対しては批判的な考えを抱いているわけだが、そのような批判的思考は私の独創ではない。以前に読んだ本の記憶から「はて、国文学でも、それなりに嗅覚は重要視されていたはずではなかったか?」と思ったので、金関説にも疑問を抱いただけなのである。
さらに、その時に本で読んだ内容には『鬼滅の刃』を妙に連想させる記述も含まれていたと記憶していた。そこで本棚を漁ってみたところ、それらしきものを再発見した。次に、それを紹介しようと思う。
『鬼滅の刃』の主人公たちである竈門炭治郎、我妻善逸、嘴平伊之助の三人が持つ優れた感覚は、それぞれ、炭治郎=嗅覚、善逸=聴覚、伊之助=肌感覚(触覚)である。炭治郎や善逸は、相手が人間か鬼か、人間であれば善人か否かを、これらの感覚によって看破できることは、漫画を読んだりアニメを観たりした人ならばよくご存知のことと思う。
この三感覚と同じ取り合わせを、私が目にしたのは、小松和彦の著書『神々の精神史』(講談社学術文庫)に収録されている「屍愛譚(しあいたん)をめぐって 伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)二神の冥界譚を中心に」と題する論文の中であった。
まず、私が『鬼滅の刃』を連想させるものと記憶していた箇所を、少し長くなるが同論文から引用しておこう。
「男と女の愛の語らいは、昔から夜中に行なうのが一般的であった。言い換えれば、愛とは、第一次的に視覚に依存するものではなく、香り(嗅覚)や声・物音(聴覚)あるいは肌触り(触覚)のなかから豊かに創り出されるイメージの、想像力による夢幻の世界における営みであった。そして、日本的女性美の一つは、この視覚的な隔離から発生しているともいえよう。『堤中納言物語』の「虫愛づる姫君」のなかに「鬼と女とは人に見えぬぞよき」とあるが、この言葉が苦しまぎれに吐かれた言葉にせよ、実に見事に女の美のあり方を、愛のあり方を示唆している。」
奇しくも、小松論文の中で三つの感覚が挙げられる順序は『鬼滅の刃』の物語に主人公たちが登場する順序と一致している。果たして吾峠呼世晴は、小松和彦の論文や著作を読んでいたのかどうか。真実は分からないが、そういった想像をしてみるのは楽しいことである。
さて、小松和彦の論文は、国文学などにおいて見られる、妻・夫・愛人などに先立たれた人が、パートナーの亡骸を屍姦したり冥界を訪れるという物語や記述について論じたものである。その中でも題名のとおり特に、亡くなった妻のイザナミ恋しさに黄泉の国を訪れたイザナギの物語、そこで語られる覗き見の禁忌、その侵犯について考察している。
死して黄泉の国の住人となってしまったイザナミは、自分を現世に連れ戻すために訪れた夫イザナギに対して「それでは、現世に戻れるのかどうか、殿内に入って黄泉の神と協議します。私を待つ間、決して中を覗かないようにして下さい」と言い残して黄泉の殿内に籠もる。しかし、妻と黄泉国神との協議が終わるのを待てなかったイザナギが禁忌を犯し、黄泉の国におけるイザナミの変わり果てた姿(肉体が腐敗して蛇に集られている有り様)を覗き見てしまったがために、彼女は現世に戻ることが不可能となり、二人は別れざるを得なくなる。
この禁忌を犯す場面において、イザナギは彼の御髻(みみずら)に挿していた湯津爪櫛(ゆつつまぐし)を抜いて、それに火を灯してから黄泉の国の殿内を覗き見るという筋書きになっている。この灯火を焚く必要があったということは、つまり、黄泉の国でイザナギとイザナミが語り合ったのは、闇の中であったことを示している(そうでなければ、黄泉の国で最初に再会した時点で、イザナミの肉体的変貌にイザナギは気づいていたはずである)。ここには、現世でも黄泉の国でも何ら変わることのない「男女の愛の営みや語らい(ピロウトーク)は暗闇の中でこそ行われる」という形式がある。
小松和彦の論文でも指摘されていることであるが、日本のイザナギ・イザナミの冥界譚やその他の屍姦譚・屍愛譚には、中国大陸の物語から影響を受けた節が窺える。小松論文でも紹介されているが中国の東晋時代の書物『搜神記』における屍姦譚の一例として、次のような話がある。
美しい女性と結婚した男が、妻から「私は普通の人間ではないので、結婚してから三年経過するまでは、夜、明かりで私の姿を照らさないで下さい」と言い渡され、それを守りながら夫婦生活を送り、二人は子まで設けた。しかし、どうしても夫は我慢が出来ず、ある夜、明かりで照らして妻の姿を見てしまった。彼が目にした妻の姿は、腰から上が普通の人間の女性で、腰から下は干からびた白骨というものであった。妻は「私は死者であるが、あなたが、あと一年だけ我慢して私の今の姿を見ないでいてくれたならば、完全に蘇生することが出来たのに。しかし、あなたが禁を破ったがために、最早それは叶わなくなった」と言い残し、形見として袍(うわぎ)の端布と二人の間に生まれた子を残して、男の元を去ってしまった。その端布を持って嘆き暮す男のことは、スイ陽王(スイは目偏にオオトリ旁)の知るところになり、袍の端布が王の若くして亡くなった娘姫のものと同じであったことから、娘姫の葬られた墓を暴いたとの嫌疑で男は取り調べられることになった。男が語った事の経緯を信じられない王と家来が、娘姫の墓を検分したところ、墓暴きに遭った形跡も認められず、念のために墓内に入って棺も確かめると、袍の裾が棺の蓋の隙間からはみ出ていた。それを見て「さては、本当に墓を抜け出して夫婦生活を送っていたのか」と、王も家来も信じるようになったとの由。この生者の夫と幽霊の妻も、彼らの愛の営みを、妻の申し渡した禁忌を犯さないように、明かりの無い暗闇で行なっていたことは確実である。
イザナギ・イザナミ冥界譚と『搜神記』における人間・死者婚姻譚との間に共通するのは、妻の本当の姿を見ることの禁忌、それを夫が犯したために妻の蘇生が叶わないという点である。
特に前者の覗き見の禁忌について、小松和彦は考察し、その本質は「女性が『ありのままの姿』を公に晒すのは好ましくないという、昔日の社会における男女観・価値観・倫理観の反映」であり「女性の本性を覗き見ることについての禁忌」だったのではないかと推理している。それを裏付けるかのように、生者であるパートナーに対して自分の本当の姿を見ないように要求する死者の話は、圧倒的に女性が要求する側であることが多いのである。また、禁忌を犯した夫イザナギに対するイザナミの怒りの言葉は「吾に辱(はぢ)見せつ」(私に恥を晒させた!)というものである。さらに、類似の物語として、豊玉姫(トヨタマヒメ)が出産の時、産屋に籠もり、それを彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)が覗き見ると、豊玉姫の正体はワニ(サメ)の姿であったという話もまた、女性の本性を見る禁忌の事例として挙げられる。
死者にしろ生者にしろ、隠れている女性の姿を覗き見る男の性向というのは、時代を下っても変わらない。例えば『伊勢物語』の「むかしおとこうゐかうふりして」という出だしで有名な最初の一篇でも、田舎には不釣り合いな雅やかな女性が里に暮らしていることを知った主人公(在原業平)は、垣根の破れた所から彼女たちの姿を覗き見る。ずっと時代を下った現代においても、男性向けアダルトコンテンツは、視覚的表現が重要性を持つことは周知の事実である。このように、イザナギ、在原業平の昔から変わることなく、男性は「視覚的な欲求」を満たすことを強く好むと言って間違いない。
ところで、この「屍愛譚―」論文を再読し、期せずして気づいたのであるが、論文の著者である小松和彦の行なう考察もまた(覗き見の禁忌を論じて考察する必要性から、当然のことではあるとはいえ)、やはり「視覚の範疇」に留まっている。これもまた、視覚を重視する男の性向の顕れと言えるかもしれない。しかも、上に引用した箇所で「夜の闇の中での男女の愛の営みや語らいにおいては、嗅覚・聴覚・触覚が重要である」といったことを述べているのにも関わらず、同論文は、それらの三感覚が重要な働きを示している国文学上の具体例を、特に挙げてはいないのである。あるいは、国文学に詳しい人たちからすれば周知の事実なので、態々挙げる必要がないとして言わなかっただけのことなのだろうか?
とりあえず、男女の機微の話は後回しにして、ひとまず、妖怪を識別する手段としてのこれら三つの感覚について、話を進めることにする。
聴覚を妖怪の識別に用いる事例は、比較的容易に見出される。例えば、誰そ彼(たそかれ)時・彼は誰(かはたれ)時・夜のように、人間なのか物の怪なのかを視覚的に区別をつけ難い時、相手の妖怪が発する声によって正体を見抜くという事例は幾つも見つけられる。カワウソなどの物の怪は、人間から「誰じゃ?」と問いかけられると「俺じゃ」と言えず「おねじゃ」とか「かわい」などとしか言えないので、正体を見破られてしまうという。これは、言霊の力とも解釈できるが、音声(聴覚)による正体識別の事例と考えても許されるであろう。また、仮に人間の方が話し掛けたり問い掛けたりしなくても、妖怪の方から自発的に何らかの独特な声や音を発してくる(アズキアライ・テングダオシのような怪音、ヤロカ水の怪しい呼び掛け声など)ので、それを聞けば正体が分かるという例もある。これらも聴覚による妖怪識別に含めてよさそうである。
触覚の方はどうだろうか? 例えば、厠(便所)で河童などの物の怪に人間が尻を触られるという怪異の話は数多い。そして、それらの怪異譚は「毛むくじゃらの手である」といったような、通常の人間とは何かしら異なる手触り・肌触りの特徴を持つことを窺わせる描写が伴うことが多いように思える。厠が家屋の中では暗い場所に分類されることを併せて考えれば、これも視覚には頼り難い状況下で、触覚により妖怪を識別する事例と考えることが可能ではないだろうか。他には、猟のために山に分け入った猟師が、夜になり「これでは鼻を摘まれても分からないな」と独り言を呟いたところ、突然「これでもか?」と何者かの手に鼻を捻られたという怪異譚もある(参考:千葉幹夫『全国妖怪事典』静岡県の部)が、これは残念ながら手触りについて伝えていない。しかし、このように暗い場所や時間帯において、物の怪に身体の一部を触られるという怪異譚は、枚挙に暇がない。これらも触覚によって人か物の怪かを判断するという事例に含められないか否か、再検討してみるべきかもしれない。
問題は、嗅覚により妖怪を識別する話や本性を看破する話なのだが、残念ながら今のところ、これといった事例を見つけられずにいる。逆に、妖怪の嗅覚の方を利用し、何らかの臭いを発するものを人間が用意することで魔除けにするという事例ならば、比較的容易に幾つも見出だせるのであるが。例えば、焼いた鰯の頭を魔除けとする例は有名である。また、今でこそカカシといえば田圃に立つ人形のことであるが、日本神話でオオクニヌシがスクナビコナと出逢うくだりに記されているように、本来の古い和名はソホド乃至ソフドである。それがカカシと呼ばれるようになったのは、稲を荒らす鳥を追い払うのに、鳥の死骸を焼いたものを竹竿の先に紐で括り下げて掲げるという風習があり「臭いを鳥に嗅がせる」という意味でカガシと呼んでいたものが、鳥避け人形と混同されるようになったからである。上に挙げた鰯の頭も、ヤイカガシ・ヤッカガシ(焼き嗅がし)と呼ぶ地方があり、明らかに鳥避けのカガシと同じである。他にも、山中でタヌキやムジナの類いに化かされたことに気づいたならば、煙管(煙草)を一服すれば妖怪は逃げていくとか、小便をすると臭いを嫌がる妖怪を避けられるとか、人間の嗅覚ではなく妖怪の嗅覚を逆手にとって利用して払う例は多い。
小松論文では具体例が挙げられていないものの「視覚的に本性を見ることが禁忌とされた状態、特に暗闇の中で、何者かと一対一で対峙する状況において、重要な役割を果たすのは、嗅覚・聴覚・触覚である」という見解は、説得力を感じさせられるものであることは確かである。特に、愛の営みに関しては、そうである。人間がお互い裸一貫となって同衾する時、見た目の虚飾は、ほぼ通用しなくなるのだから。したがって、これら三感覚の重要性が高まることは、必然であるように思われる。
とはいえ「思われる」ということと、国文学などにおいて実際にどのように捉えられていたのかは、もちろん別問題であるから、これは検証の必要があるだろう。あるいは(素人である私に言われるまでもなく)既に専門家の間では検証済みなのかもしれない。国文学中の、特に男女の愛の営みや語らいにおける三感覚が占める役割について、どのように描かれ、語られてきたのか、可能ならば識者の見解を知りたいものである。
―――――――――――――――――――――――――――――
さて、私は上で、男女の機微の話を後回しにして、妖怪の正体を識別する感覚的な手段の話をすると書いた。そこでいよいよ、男女の機微、すなわち異性のパートナーのことを暗闇の中で知る手段としての嗅覚・聴覚・触覚の三感覚について論ずる順番がやって来た。といっても、上の文章を読んでもらえば分かるとおり、専門的な知見を私は持たない。そこで、識者の見解とは無関係に、今の私個人が思うところを書くことにする。したがって、これより以下は全くの駄文である。
文字数制限のため分割したので、続きは⇒anond:20221023224411
かつてゲマインシャフト(農村、ギルド、教会)の中にいた人間たちはそこに自分たちがいるは必然であり、昨日と今日と明日を来年も同じことが続くサイクルと捉えて、その中で生きてきた訳だ。必然の中で生きているので自己啓発や自己肯定、他者からの承認なんて必要ない。しかし産業化の過程でゲマインシャフトは解体されて作為的に組織されたゲゼルシャフトになった。そこでは人々は自分たちがここにいる意味を自分で作り出さなきゃいけない。時間の流れは主観的なサイクルから客観的に一方向へ不可逆に伸びていく直線矢印になった。その時間の流れと巨大なシステムにたまたま適応できた人間は永遠に自分の生きる意味や価値を見出すために「病的に」足掻き続ける。
分岐がいくつもあるというのがわからないけど、不確定性原理ってのは時間にも影響する?
時間や場所などのすべての条件が全く同じで観測結果が異なることがありうるって事か
(隣で観測するとか続けて2回観測するとかは全く同じ条件にはならない)
俺は記憶を持たずに時間を繰り返すなら全く同じ結果になると思ってるんだよ
俺が鼻の頭をかいたりかかなかったり、黄色信号で止まったり止まらなかったりで世界の分岐は発生しない
だから記憶を持った誰かが意図的に違う未来に変えないと偶然と思われる事象も全て前回と同様に起きるんじゃないかと
まあでも世界には常に揺らぎがあるって考えはわかった
アセクシャル(女)のTwitterアカウントを見ると漏れなく地獄で草。高確率で昔の彼氏ガーとかセクハラがーとか男ガーキイイイイイイとかやってる
いやそれアセクシャルじゃなくてただの性嫌悪やんけ・・・っていう
まぁわざわざTwitterで自分のセックスについて世界中に向けて発信しようって言うんだから、
LGBTQAに限らず、性に関する『強い怒り』or『強い喜び』が原動力になっているのは必然か
人のむちゃくちゃ多い東京に出る機会があったのでせっかくだからセクマイ交流に参加してみようかなと思ったけどなんか難しそうやな
あと人となりがわかって交流がしやすい?ってことなのかTwitterをベースにしてるの多いな
いやいや何が楽しくてTwitterで自分のセックスについて熱心に発信せなアカンねん
さっきも書いた通り、性に関する『強い怒り』or『強い喜び』があるか、ジェンダーにまつわる活動家じゃないと無理くない?
どうしてもTwitterでやるなら仕事の関係者に見せても大丈夫な『見せる様のネットの自分』を作ってそれに紐づけるかだな
最近、名刺やプロモーション代わりに見せる様のネットの自分があっても良いかなと思い始めている
けどインスタ映えみたいな事に時間を割くのって増田で無為に過ごす以上にどうなの?とも同時に思っている
増田はストレス解消や考えの整理に役立つけど、オンラインサロンみたいのでメシ食う心づもりがあるわけでもないのに
便利かどうかはわからないが、視覚的にはとりあえず新しく、手触り・操作感がいい、
見せる様の自分をゆるくげられるSNS作っても良いかなぁとぼんやり思ったり
マイノリティー向けに限定したSNS作ってもいいかなって一瞬思ったけど、昔作って運営してた時は手間ほど得るものはなかったので、
マイノリティーには限定せず、最初から人に見せていい自分でお願いする
あとメタバースな。1秒も関わってないけど見せる様ならうってつけな気はする
“虚无料”造“战争恐慌”谣 祸水东引
“假救援”遭“强势痛击”伤 龟颜扫地
凡铜不可照,小人多是非。喜国大总统郭文贵自被美国法庭判定其藐视法庭罪以来,持续通过各种巧言诡骗来企图蒙骗法庭予以逃避巨额罚款追缴,狡诈嘴脸让人闻之作呕。然不论郭教主如何作奸犯科、扭曲事实,都无法避免被司法部门和各路砸锅人士穷追猛打,让本就孤注一掷的世纪巨骗心灰意冷。但“龟壳颇硬”的瘟龟定然不会束手就擒,在垂死之际一边大张旗鼓的吹嘘着自己那早已被权威网站揭批证实为骗局的“空气币”,一边又故技重施拿出那破败不堪的“爆尿革命”妄想绝地求生。只能说是待诛之龟——作死“施计”,行徒劳无功之途罢了。
谎言栩栩恰如诡,沸沸扬扬喧龟嘴。装腔作势的郭文贵深知自己牢狱当头,且体无完肤的“鸡系列”鲜有人信,为了自己能够尽快圈财保命,吹嘘成瘾的郭巨骗又重拾自己的“爆尿革命”,肆意编造虚无谎言招摇撞骗,为自己造势。恰逢中美关系恶化、台海局势紧张之时,诡计多端的瘟龟又蹭起了局势热度。在近日瘟龟大直播中,郭文贵义正言辞的称台湾即将变天,美国众议院议长佩洛西4月26日就要访问台湾,且信誓旦旦的表示此决定是刚刚确定,而且绝无变故。故作镇定称如若届时没去,那么自己就是犯法。然时过不久,郭巨骗又在直播中肆意制造战争恐慌称,中共在4月26日要攻打台湾,并在美国安排代言人进行游说劝阻佩洛西延迟至七八月份访台。垂死的瘟龟口出狂言就是为了祸水东引,捏造虚假信息将自己的罪行暂且盖过,从而得到喘息之机。此等声东击西之计尽显万恶骗王阴险毒辣之嘴脸。
穷阴绝漠易悲辛,落日衰笳处处闻。早在之前,龟面兽心的郭教主为了扩大自己的“诈骗”领域,打着“人道主义救援”的旗号在乌克兰灾区施行“救援”,实则让自己的蚁工在灾区宣传自己那不堪入目的“鸡系”,并鼓吹自己的新中国联邦“云建国”。本料想自己蹭战争热度为自己“龟名灌誉”而洋洋得意,哪知近日自己的假救援伎俩却引起别国志愿者强烈不满,发生了冲突。近日郭教主在与为自己在乌克兰灾区“卖命”蚁工直播连线时,蚁工泪雨婆娑的向自己的主子“诉苦”称惨遭别国志愿者“施暴”,并被出言谩骂她们是支持川普和班农的“右翼”分子。龟总统听闻后“龟颜大怒”,气势汹汹的表示自己出资状告闹事者,还财大气粗的炫耀自己家财万贯,怎会出不起官司费用,更自欺欺人的“安慰”蚁工闹事者是因为羡慕嫉妒才对他们进行人身攻击。瘟龟此言真是可笑至极,自己向美国提交破产申请,却在蚁工面前炫金耀银。那郭文贵的破产申请无疑是在向法庭挑衅,就是实为“诈破产”,逃避罚款缴纳,真是自寻死路。而郭骗的假救援,真骗财的无耻行为也引起众怒,被猛烈攻击也是意料之中。
五通老便成精,龟毛何必三尺。除了装腔作势造谣之外,巧舌如簧的瘟龟一边变换戏法哄骗蚂蚁持续向自己的烂尾“鸡系”投资,诱骗即将拿到SEC退款的蚂蚁们掉入骗局,将血汗财交于自己囊中。另一边极力吹嘘喜币在世界多国可以进行贷款,蛊惑蚂蚁们继续买币。狡诈的瘟龟在盖特直播中称,通过新平台委员会作出决定,把投资项目延期至年底,直到所有战友把老椅子的退款全部退完为止,郭巨骗此言就是想让蚂蚁们将自己的血汗财全部收入囊中,实施二次割财骗局。而后龟计多端的瘟龟又故弄玄虚的称世界经济必然会崩塌,无人幸免。但是已经拥有喜币的战友可以幸免于难、高枕无忧。郭文贵满口龟腹谎言的向蚂蚁许诺一本万利的高额回报,目的就是诱导蚂蚁向“鸡系”投资,持续敛财。郭巨骗如此饥不择食的疯狂圈财,是因为4月27日破产法庭听证会开庭在即,随时会锒铛入狱。在入狱之前狠割蚂蚁一笔,用于缴纳巨额罚款,免受牢狱之苦。望蚂蚁们提高警惕,切勿再向瘟龟汇款,否则悔之晚矣。
时于蚯蚓窍,微作苍蝇鸣。无论已是垂没之态的瘟龟如何胡编乱造,都摆脱不了法律的严厉制裁。现如今,破产听证会在即,心急如焚的郭骗断然拿不出3700万游艇返回保证金,妄想通过招摇造势来诱导蚂蚁向自己投“龟粮”,显然是在做困兽之斗。望已经被骗的蚂蚁们拿出有力证据,及时向司法部门举报,早日加入到砸锅队伍中,趁势伐龟。让慌不择路的龟总统在牢狱中“割”了自己的龟命。
ハリウッドなんかまさにそうだけど、「映画」という文化そのものが資本主義・拝金主義の塊なんだよね。
気持ちの整理も兼ねて、匿名性の高いここで吐き出させてほしい。
金銭面や自分のキャリア、出産育児のことを考えると、"この人との結婚は現実的ではない"と気づいて別れを切り出した。
切り出した途端、堰を切ったように私に対して思っていたらしい様々なことをぶちまけてきて、
多分別れを切り出されたことによる感情の高ぶりのせいもあったんだろう、
敢えてひどい言葉を選んでいるのかとすら思えるような発言の数々だった。
お互い家庭環境が複雑だったり過去の恋愛等で色々拗らせており、
若干共依存気味だった節はあったものの、なんとか成長しあいながら年月を重ねてきた。
付き合っている中で、
当初聞いていた年齢や家族構成が違うといった些細な嘘から始まり、
今後の信用に関わってくるような嘘も度々吐かれていた。
それでも彼が私を好きでいてくれていることは伝わる言動があったし、
私も好きだったから、内心傷つきながらも信じようと努力していた。
私はこの人に愛されているし、支えあいながら生きていくんだと信じて疑わなかった。
付き合い始めた当初は話し合いすらままならず、意見交換も妥協点を探ることも全くできなかった。
このままではだめだと説得し、数年かけてようやく話し合いができるようになった。
話し合いができるようになったことで、お互いに"共感できなくても理解し合えている"と思っていたが、
彼的にはそもそもそこが思い違いだったらしく、私は彼に結構な我慢を強いていたようだった。
私は何かあるたびに、自分の行動原理を言語化して説明していたつもりだったし、
彼もそれを聞いて共感はできなくとも理解はしてくれていると思っていた。
が、実のところ理解はしておらず、「自分が我慢して受け止めることで支えなければ」とかなり思い詰めていたらしい。
コミュニケーション不足だと言われればそれまでだけれども、私も余裕がなかったのかそこまで気づけなかったことにとても後悔している。
とはいえ、理解が得られないのであれば今後もうまくいかなかっただろうから、これに気づいた時点で別れは早かれ遅かれ必然だったとも思う。
私には精神的な既往歴もあり、昔とは比較できないほど安定したものの
自分の活動量をコントロールするのが本当に下手で、頑張りすぎて鬱っぽくなることが多々ある。
これは多分今後一生、1人では完全に改善できることはないし、むしろそれすらもうまくコントロールできる人と一緒になる必要があるのだと感じている。
我儘でしかないとは思うが、ここまで頑張って来たけどどうにもならなかった、自分の弱点の一つという認識。
彼も心身ともに強いほうではないし、ただただ"相性が悪い"という結論に至った。
これまで相当な無理をさせていたんだな、とも。申し訳なかったな。
ただ私は私で小さな嘘が重なって少しずつ傷ついていたし、最近はセックスに逃げているんだろうなと薄々感じてしんどかった。
実際別れ話の中で「嫌なところから目を逸らすためにセックスに逃げていた節がある」とも言われたし、
答え合わせになってしまって正直堪えた。が、自分の言動で彼をそうしていたと思えば自業自得でもある。
別れ話の中での諸々の発言を見るに、俗に言うモラハラ夫になっていただろうから、結果としてこれで良かったのだろうと思う。
子育ての方向性の違いやモラハラ気味な発言が元で別れた両親を見ているので、
「愛さえあれば」なんてものは幻想だと知ってはいたものの、ちゃんと身をもって学びになったと思えば無駄ではなかった。
はてブのホットエントリ(総合)で月内に数多く[あとで読む]タグを集めたエントリ
最後に今まで出してきたはてブのあとで読むトップ30リストが正しかったのか校正するためにはてな公式のリストと比較してみる。
見比べてみるとトップ6に同じエントリが入ったが並び順が異なる。
このトップ30リストでは[あとで読む]タグの数で順位を決めてきたのだが、はてな公式のあとで読むランキングの順位はブックマークの多い順に並んでいるようだ。このトップ6よりブクマ数の多いエントリが多数あり、どのエントリにも多かれ少なかれ[あとで読む]タグが付けられている中でこのトップ6を選んだということは、その段階では[あとで読む]タグの個数で選んだはずである。はてな公式のランキングは2つの異なる順位付け方法が分かりづらい形で混ぜ合わされた形になっている。中途半端でランキング名称から受けるイメージとずれているので純粋な[あとで読む]タグの個数順に変えたほうがいいんじゃないかと思う。
追記: 純粋なブクマ数順のリストと比べてみたが、はてな公式のあとで読むランキングはトップ6の選び方からして純粋なブックマーク個数順なのかもしれない。引き続き検証しなければ分からないが面倒臭すぎる。
はてなは『「あとで読む」タグが付けられたエントリーのブックマーク数ランキングです』と説明しているがこの文章を文字通りに受け取らなくてはいけなくて、[あとで読む]タグを1人でも付けたら集計対象に入ってあとはブックマーク個数順に並べただけなのだろうか? それでは今までのホットエントリと代わり映えしない集計期間がただ伸びただけのものになってしまうな。
1位 3284USERS 150 分で学ぶ高校数学の基礎 speakerdeck.com/e869120
2位 2877USERS 【アメリカで話題】ただ座るだけ!股関節がみるみる柔らかくなる「90/90ストレッチ」 | ヨガジャーナルオンライン yogajournal.jp
3位 2342USERS ハーバード大のコンピュータサイエンス講座「CS50」の日本語化が完了し、無償公開 edu.watch.impress.co.jp
4位 2079USERS 「この食べ方に出会ったから、この食材を買うようになった」エピソードを教えてください togetter.com
5位 1875USERS みんなが教えてくれたAmazonプライムビデオのマジのおすすめ | オモコロブロス! omocoro.jp
6位 1755USERS 「のどが渇いた」というユーザーに何を出す? ユーザーの「欲しい」に惑わされない、本当のインサイトを見つけるUXデザイン・UXリサーチ www.slideshare.net/storywriterjp
集計期間 : 2022/08/31〜2022/09/30
2022-09-05 ブラウザ版のトップページに「あとで読むランキング」を新設しました(ほか改善1件) https://bookmark.hatenastaff.com/entry/2022/09/05/162939
524あとで/3291users 150 分で学ぶ高校数学の基礎 | E869120 | SpeakerDeck
375あとで/2882users 【アメリカで話題】ただ座るだけ!股関節がみるみる柔らかくなる「90/90ストレッチ」 | ヨガジャーナルオンライン
366あとで/2343users ハーバード大のコンピュータサイエンス講座「CS50」の日本語化が完了し、無償公開 | こどもとIT
270あとで/1759users 「のどが渇いた」というユーザーに何を出す? ユーザーの「欲しい」に惑わされない、本当のインサイトを見つけるUXデザイン・UXリサーチ | Yoshiki Hayama | slide share
253あとで/2083users 「この食べ方に出会ったから、この食材を買うようになった」エピソードを教えてください | Togetter
251あとで/1879users みんなが教えてくれたAmazonプライムビデオのマジのおすすめ | オモコロブロス!
238あとで/1237users 手を動かして学べるAWSの日本語講座まとめ AWS日本法人が公開 165コンテンツを一覧に | ITMedia
232あとで/1719users 眼鏡オタクが解説する、絶対に似合う眼鏡の選び方|mkm00077|note
182あとで/1565users いし🏔️今日もゆるく活動します✌ on Twitter: "40代以上は聞いてください。いつかは訪れる親の死。前触れもなく突如おきる。お葬式、保険証の返却、年金、相続税、財産調査、相続人確定、遺産分割、銀行の解約、不動産の名義変更。「何から始めたらいいか分からない‥」急な対応にも焦らないよう相続手続きの流れをリプ欄に並べておきます。"
180あとで/1078users 技術文書の書き方 | Yamamoto, Hirotaka | GitHub Gist
180あとで/1069users オライリーの教育的な良書「Think Python」第2版は日本語訳が無料公開されている。初心者がつまずきやすい点を先回りして説明・各章の終盤にデバッグのヒントが書いてある | Togetter
162あとで/1526users 共感格差 | データをいろいろ見てみる
154あとで/923users 『ゴールデンカムイ』最終巻ラストの真相…野田サトル1万字インタビュー#1 | 集英社オンライン | 毎日が、あたらしい
148あとで/862users 「成果を出せば評価される」という考えが不幸の始まり 人事評価制度に不満の声が出る、必然の理由 | 中尾隆一郎, 坪谷邦生 | logmi biz
142あとで/1471users Midjourney、Stable Diffusion、mimicなどの画像自動生成AIと著作権 | STORIA法律事務所
139あとで/976users 台湾旅行は本当に良い、台北でアツいスポット10カ所あげとく→一覧で紹介されていた場所をまとめました | Togetter
137あとで/974users 未経験者がプログラミングを学びたいと思った時に最初に読む記事 | YuheiNakasaka | Zenn
133あとで/1393users 東京の行きたいところ | Togetter
132あとで/612users 答えが分からないものを模索しながら作り続ける世界に我々は突入した。和田卓人氏による「組織に自動テストを根付かせる戦略」(その1)。ソフトウェア品質シンポジウム2022 | Publickey
131あとで/1121users 登らずに絶景を見て温泉まで楽しめる!公共交通機関で行ける山岳リゾート15選 - 温泉ブログ 山と温泉のきろく
129あとで/1418users モーリー・ロバートソン on Twitter: "完全に国際情勢や社会情勢からかけ離れた私事について失礼いたします。このところ縁あって高校卒業までの時期について取材を受けるインタビューが相次いでいます。おそらく日本の多様性が進む中でヒントを見つけようという取材意図があると思います。ここである問題が頻繁に起こります。"
128あとで/887users 【股関節がガチガチに硬い人向け】可動域を無理なく広げる!"揺らすだけ"股関節ストレッチ | ヨガジャーナルオンライン
125あとで/647users 全プログラミング学習者へ。ハーバード大の入門講座「CS50」が無償かつ日本語で学べるようになりました! | ライフハッカー[日本版]
121あとで/1440users きゃりーぱみゅぱみゅの 「大人なLADYになるわよコラム」第35回〜『マネーの虎化してるわよ』〜 | Hanako.tokyo
119あとで/1002users ちょうどいいWebデザインギャラリー | 株式会社イッパイアッテナ
118あとで/742users 『めぞん一刻』や『美味しんぼ』を手がけた小学館の伝説的漫画編集者・白井勝也氏に、元週刊少年ジャンプ編集長の鳥嶋和彦氏が訊く!──ライバル同士だった二人がいまこそ語る”編集者の役割” | 電ファミニコゲーマー
117あとで/836users 1つでも該当すると、「会議の成功率」は5分の1以下 AIが導き出した、会議の成功を阻む5要素 | 越川慎司 | logmi biz
117あとで/792users 放送大学と学位授与機構で情報工学の学位を取る(科目対応表付き)|lumpsucker|note
117あとで/492users 安全安心にソフトウェア開発を行うためのDesign Doc導入ガイド|面川泰明|note
116あとで/1077users 元キーエンスのトップ営業が、新規事業をバンバン売るためにやっていること|鶴岡 友也/BLUEPRINT, inc. 最高事業責任者|note
こんな懸念をしておいて何だけど私自身はフェミニストでは無い。
なのでフェミニズムやフェミニストには好感や親近感を持つ立場だ。
だが私は同時にクリエイターでもある。
フェミニスト達が主導で行ってきた表現へのキャンセルカルチャー。
男性向け作品が一通り燃やされた後、次に燃やされるのは私の様な女性向け作品を作るクリエイターだ。
報復として、女性向け作品やクリエイターが加害される恐れもある。韓国では実際に発生している。
とても同業同種のあの人やあの人みたいに、キャンセルカルチャーに加担する気にはなれなかった。
なので賛同はせず、我関せずといった態度でいたが、今となっては積極的に反対すべきだったと後悔している。
フェミニストという存在に対するネット界隈のイメージは、「フェミニズムを信奉する人」「男女平等を是とする人」「女性の権利を大事にする人」という従来のそれでは無く、
「(主に男性向けの)表現を燃やす人」「女性差別は許さないが男性の権利は大事にしない人」「政治的主張が強く偏っている人」という代物に成り果てている。
本来はフェミニズムに信頼と親近感があった私ですら、そう思うのだ。
元々大して興味も無い様な人達からしたら、最早イメージでは無く『事実』と認識している人も少なく無いだろう。
少なからぬ人間が「フェミニスト」として表現を焼きながら故人を侮辱しておいて、「あれはフェミニストでもフェミニズムでも無い」という言い訳は通用しないだろう。
女性は最早マイノリティでも弱者でも無く、マイノリティの盾を失ってしまっているのに、フェミニスト達はマジョリティを攻撃している。
マジョリティからの反撃、つまりバックラッシュが発生するのは必然。だけどとばっちりで燃やされるのはフェミニストだけでは無いのだ。
賛同していない人達の身勝手な愚行の後始末を、女性全体で受ける羽目になる。
「男性社会が悪い」として男性全体を攻撃してきた、その論法をそのまま適用されてしまうのだ。
それがフェミニズムを一時でも信奉していた人間の責任なのかもしれない。