はてなキーワード: 御言とは
麻原と、弟子12人の死刑囚という構造は、キリストとそっくり。
全く同じじゃん。
その必要はないと言われて、受けさせてもらえなかった。
もちろん裁判中は合理的な自己防御言動をとっていたから、たしかに正気だった。
だがその後は?
麻原が指示したかどうかについては、弟子の口からも、麻原の口からも語られてないだろ。
裁判記録を読めと言ってる連中ほど読んでない。
指示したかどうか明らかではない以上、弟子たちの忖度合戦、つまり裏切りによって麻原が追い込まれたと解釈される余地が残されてしまう。
裏切られ、十字架にかけられても、裏切った弟子たちを愛して、死んでいった。
弟子たちは後からその話を聞いて、衝撃を受けて、罪悪感が極限まで高まり、ついには彼は神だったのだと捉え返して、認知不協和を解消した。
復活の噂をパウロから聞いたとき、すんなり信じられたのも、深い罪悪感と、悲劇性、法的な不条理があったから。
最後にはみじめにも、ここ一番の重要なタイミングで空中浮遊に失敗した。
信者からしてみれば、ここでは奇跡を起こすだろうというところで、ぶざまに失敗した。
前例のない洪水と、地震があったくらいで、日本社会はびくともしていない。
キリストが死んだときは布が真っ二つに裂けたけど、それと同じような、ささいなしるしに過ぎない。
無力のただなかで死んだ。
しかも麻原の場合はそれに加えて、7人の弟子たちと死刑にされるという、強圧的な執行によって死んだ。
共犯者同時執行の慣行が守られずに、国家の恣意的な判断で死んだ。
一緒に転生させる判断って何なん?
本当に執行して良かったのか?