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はてなキーワード: 得意科目とは

2014-06-18

全てやめて実家に帰った。

上京したのは18の時。

目標や夢なんか何も持っていなかった。

勉強スポーツも何一つ真剣に打ち込んだこともなかった。

子供の頃から母親には「あんたは大抵のことがそれなりにできるけど、なにか一つでも真剣に打ち込めるものを作らないとダメだよ。」と常々言われていたが、その頃の自分はどれも上手く出来ている実感は持っていなかった。

今思えば確かに「それなり」にできていて、得意科目だった英語は周りの同級生必死で家で勉強してようやく偏差値60ぐらいだったのに、一切家では勉強せずにビートルズの曲と歌詞・和訳をすべて暗記しているだけで偏差値70オーバーだった。

つい最近にはじめてテストをやって知ったが、IQ無駄に134もあるらしい。

高校卒業後は入試科目が国語英語だけのFラン大学に進学した。

大学に入って軽音サークルに入ると、高校時代までは出会ったことがないようなタイプ人間がたくさん居た。

僕が在籍していたサークル大学軽音サークルでは珍しく、オリジナルバンド、いわゆる外バンを多数抱えるサークルだった。

一番多い時には30近くのバンドが学外で活動していた。

楽器を始めたのが高校2年生の頃で、そもそも不器用でそれほどうまくなかった僕はサークルでできた友人たちとコピーをやることすらままならない腕前だった。

それでもあまり個性的で魅力的な彼らと遊ぶことはそれまでに経験したことがないような楽しい時間で、知らない音楽を教え合ったり集まって練習したり、悪ふざけをしたりとこれから人生も含めて二度と訪れないかけがえのない時間だった。

サークルの先輩に大学2年になる頃にバンドに誘われた。

全く自信がないから初めは断っていたが、ある日何故か承諾してしまった。

未だに自分がどういう心境だったのか理解できない。

とにかくこの決断が僕の人生を大きく変えた。

そのバンドは加入した時点では大学付近ライブハウスで月1ぐらいのペースでライブをやっていたぐらいのよくあるアマチュアバンドだったが、リーダーである件の誘ってくれた先輩というのが天才的なソングライティングの才能を持っており、かつ、人間関係を築く天才だったため加入してから瞬く間にCDを全国のレコードショップで発売するまでになった。

それに伴い、ライブの回数は増え、レコーディング地方遠征する機会も多くなっていった。

大きく変わっていく生活に僕はなかなか慣れず、また、もとよりやる気を出すのに凄くエネルギーが要る(この時は気づいていなかったがADHDだということが後で分かった)ため行動力は鈍り、授業にはどんどん出なくなった。

その分、楽しくバンド活動をやっていたのかというと、そうでもなかった。

バンドの活動の幅が広がるにつれて、自分の下手さが足を引っ張っていると思い込んでしまい、プレッシャーを感じていた。

ただ下手くそなだけだったらどれだけ良かったか。運が悪いことに、僕はどうやらアレンジセンスがあったらしい。

センスだけは代えが効かない。いつの間にかバンド必要不可欠な人間になってしまっていた。

そんなこんなで加入して3年目。ついには大学中退した。

もうこうなったら練習してうまくなりさえすれば良かったが、この頃にはギターを弾くことが苦痛とさえ思うようになっていた。

それでもライブは決まっている。

学校にいく必要もなくなったので更に本数は多くなり、その次の年には年間とおして4

日に1回というペースでライブをやった。

これだけやってればそれなりに認知度も上がってきて、ファンだと言ってくれる人も多くなった。

そういった人たちに褒められたり応援してもらう度に自分が下手すぎて死にたくなった。

なおさら後に引けない状態になっていった。

もう自分の都合だけではなくなってしまっていた。

しかしたら他のメンバーも同じような気持ちだったのかもしれない。

3枚目のアルバムリリースしようとする頃にリーダーがついに心折れた。

「このCDを出してどうにもならなかったら、終わりにしよう。」

一番身近で一番頼もしい仲間が夢を諦めた直後だった。

メンバーの誰も反対はしなかった。

その後の1年間はそれまでが嘘だったかのように必死で練習して曲も作ってレコーディングした。

よく肩の荷が下りたというが、そんな感覚だった。

あっという間に1年が過ぎて、バンドは活動停止した。

その後、知り合いのバンドにうちでやってくれと頼まれた。

初めはもうバンドはやるつもりはないと断っていたが、あまりのしつこさで折れてしまった。

その1年間で多少自信をつけていたせいもあるかもしれない。

その後はまた同じようなことを繰り返した。

学習しないやつだ。

2つ目のバンドに加入して3年目。

就職していたが、社長とソリが合わなくて喧嘩して辞めることになったので、これを理由にして実家に帰ることにした。

バンドも辞めた。

この10年間は一体何だったのだろう。

幸いにも初めのバンドをやっていた頃に働いていた会社ウェブマーケティングスキルを身につけていたので、田舎賃金が安いとはいえ全く生活には困っていないどころかちょっと本気を出せばそれなりに余裕のある生活すらできる。

ただ、生きている実感がまったく無い。

実家に戻って2ヶ月ほど。思い出すのは大学時代の友人たち。

むちゃくちゃなことばっかりやっていたけど、音楽をやる時だけはみんな真剣だった。

就職した後も次は仕事真剣で、中には28上場企業副部長クラス地位を得ていたり、だれでも知っているような会社営業所長になっていたりする奴もいる。

こう言うとアレだが名前書ければ入学できるようなFラン大学出の人間出世コースじゃない。

仕事の話を聞いてもやっぱり彼らのやること考える事は真剣だ。真剣にやって来た結果が彼らにはある。

僕は到底彼らにかなわない。

別にお金地位も栄誉もいらないが、これから先も一度たりとて彼らのように真剣に何かに向き合うことができずに生きていくのかと思うと怖くてしょうがない。

俺も一度でいいからあいつらみたいに輝きたいんだ。

追記

たくさんの反響を頂きました。

後で読みなおしてみると書きなぐった感がすごくてとても読みにくい文章でした。すみません

急に誰かに聞いて欲しくなって勢いで書いたので・・・

いろいろな意見を頂いて、自分の中で今後どうやって行くのか決意が出来ました。

以下のエントリ決意表明として記させていただきます

http://anond.hatelabo.jp/20140619160649

読んでいただいた方、意見を頂いた方ありがとうございました。

いつかまたいい報告ができればと思います

2014-03-28

グロバリバリぜーション

大学時代掃除バイトをやっていた。

70歳くらいの浮浪者みたいなお爺さんが面接に来た。

履歴書みみずみたいな字で読めたもんじゃない。

得意科目の欄には「国語」と書かれていた。

会話はフガフガと何を言っているのかもわからない。

面接が終わった帰り際に「うどんを食べたいので200円貸してくれ」ときた。

その姿を見てベテランバイトの2人(45歳くらいと元刑務所の看守の70歳くらい)が、

「あれで採用されると思ってるのかね?身の程知らずが、私が社長ならその場で帰らせてる、不採用確定。」

っと言っていた...

しかし結果は採用

ベテランバイトは衝撃を受けていた。

それ見て当時の私は

「身の程知らずは君達だ、命令が理解できて手足が満足に動いたら誰でもいい。バイト3日目の学生の私と10選手貴方達の時給一緒だよ。」

と思っていた。

時代は流れて2024年

お爺さんの姿は黒人に変わっていた。

2013-12-06

http://anond.hatelabo.jp/20131206152431

生物学をある程度やると、自分も他人もイヌネコミジンコも、生物は肯定するしか無くなってしまう。

私はたまたま高校まで生物得意科目だったけれど、生命想像を絶する精妙さに、とても否定なんか出来なくなってしまった。

物理学とかもそうで、学べば学ぶほど、自分が居る世界というものが、とんでもなく大変なものだという事が分かってくる。

知れば知るほど、世界を否定できなくなっていく。

科学教育は大切だと言うけれど、その1つの側面はこれじゃないかなと思う。

増田さんの話とはズレてるかもしれないけれど、ひとつの考え方としてこういうのもあるのだと思っていただければ。

2013-08-11

階層から落ちる作用と、それを戻す作用について。

http://anond.hatelabo.jp/20130809115823

http://d.hatena.ne.jp/potato_gnocchi/20130809/p1

上記のエントリなど、最近学歴の高低や階層に関して語る人が多い。

旬が過ぎないうちに、俺も自分と姉のことを書きたい。

 

俺と姉が育ったのはとある地方大都市の近郊。

当時は県全体が公立王国と称され、出来のよい者は上位公立高から旧帝大早慶に進学することができた。

上澄みのそのまた上澄みは中学から近県の一貫校へ進み、難関医学部などを狙っていた。

 

我が家があったのは高度成長に合わせてベッドタウン化が進み、会社員家庭が多い地域

坊ちゃんお嬢ちゃんはいかないまでも、比較的余裕のある生活をしていた家が多かった。

公立小・中と進学したが、学級崩壊とは無縁だったし、非行いじめもごく稀だった。

二つ三つ隣の町には不良が多いらしい、なんて話が聞こえてくる程度だった。

 

そういった土地にあって、うちはちょっとだけ目立つ家だった。父は地元旧帝の大学教員、母は専業主婦だった。

一族には一流企業役員や上級公務員が多く、研究者医師弁護士などの専門職も散見される。

子どもながらに自分たちは上の下か、まあ中の上くらいには居るのだろう、との自覚があった。

俺も特に苦労なく、公立トップから父の働く旧帝大入学した。従兄弟たちもそれぞれに優秀だった。

 

そんな中、姉一人だけが違っていた。学年の中でも土地からは珍しいDQN連中と付き合い、勉強の出来も悪かった。

高校あたりから素行の悪さがさらに目立ち、髪を染め、彼氏を頻繁に取り替えては深夜に帰宅する日が続いた。

隣室からは、姉と父が怒鳴りあう声がしょっちゅう聞こえたものだった。

 

両親いわく、姉弟で育て方を変えた覚えはないと。

付き合う友人が悪かったのか、本人のもてる性か、姉はとにかくそのように育った。

 

それでも親の強い勧めもあり、一族の水準からはずっと落ちるレベルだが、

唯一の得意科目を生かした一芸入試で姉は地元私大に滑り込んだ。

大学の間も姉の奔放な生活は続いた。この時期両親は、なんとかあいつが

就職して大卒の男でも捕まえてくれれば、という話を頻繁にしていた。

 

そんな3年目、姉の妊娠が発覚した。当時付き合って間もない、左官の子だ。姉は産みたいと言ったそうだ。

なんのために大学にやったのか、なんてバカな子だ、あのような家と親戚付き合いなどできるものか、

と母がさめざめと泣いていた姿が忘れられない。この頃になると父も叱ることをやめ、

終始むすっとした顔で黙って過ごすことが多く、家の空気物心ついてから最悪だった。

 

この出来事以降、俺は全てのデキ婚が許せない。

物事の順番を無視し、家族の気持ちを踏みにじる最低の行為だ。スラム文化だ。

下層を象徴する行為我が家で目の当たりにし、俺は恥と怒りを覚えるほかなかった。

 

話が少々逸れた。結局姉は式も挙げないまま、追い出されるように家を出て行った。

これで子どももろとも下層行きか、気の毒に、愚かな女だ、と思った。それきり姉とは連絡を取らなくなった。

 

数年後俺は大学院卒業して、ある大企業研究部門の職を得た。

ある日久しぶりに帰省してみると、実家には母の姿がなく、父が言うには「姉の家へ手伝いに行ってる」と。

 

勘当したんじゃなかったのか、と驚いて父に尋ねると、どうやら母が孫の姿を見て思い直したようで、

頻繁に姉のところを訪ねては買い物や料理の仕方から家事全般、保険選びから習い事小学校区選びの

助言までしているらしい。口を出す代わりに援助もしているよ、あそこは安月給だからね、と父は言った。

不思議と、高校以来初めて姉と両親が良好な関係に見えた。

 

の子はというと、お利口に育っているとのことだった。

俺も結婚し、実家で姉とお互いの子を見る機会が一度あったが、ごく普通の子だった。

甥っ子を見て、よかったな、お前は助かったのかもしれないよ、と思った。

うちは子(姉)の教育には失敗したが、孫の世代では間に合ったということか。

 

基本的には高階層・低階層世界は違っており、固定化しがちだとの論もある。

だが上の階層に生まれたものが、すんなり育って階層を維持するのではない。姉のように下へ落ちようとするものもいる。

そうした場合でも、うちのように階層を戻す力が働きうる、という事例を知って欲しい。

 

今はただ、自分の子が道を踏み外さないように願うばかりである

2011-07-18

http://anond.hatelabo.jp/20110717152546

100点も取れないくせに得意科目と思う奴は馬鹿だと高校の教師が言ってたな。

数学特にそういう傾向が強いそうだ。

本当に分かってれば必ず百点を取る。それ以外はありえない。

一点でも不正解なら、そいつの99点は全て勘であって実力でも何でもない。

とにかく数学というのはそういう科目なんだと。

2011-06-28

そんなとこ真似しなくていいよ

男のコミュニケーション得意科目の一つに、自慢話がある。

これは結構危険なツールで、KYと組み合わさると高確率でウザがられるのはご存知のとおり。


しかしこれをそっくりそのまま真似たような女がいたので驚いた。

まさか女相手に「お前いつも自慢話ばっかでうぜえきめえ」と思う日が来るとは予想してなかった。


まあ思春期からネトゲ上で自慢話ばかりのクソ廃人な男どもに囲まれてきた結果の過剰適応だろうけど、

お前それ男から間違ったものを学んでるよと言いたくなった。


面倒だから言わずにフェードアウトしたけど。

2010-08-04

新卒者応援プロジェクトやってて思ったこと

前説明もほとんど受けられず、企業新卒者も制度を把握しないまま続いてるカオス制度

聞けば教えてくれるけど、聞かなければほとんど何も教えてくれない。

ほんとお笑い

 

二ヶ月間くらい肉体労働系の会社に行ってたけど、まるで駄目だったので、このまま続けても仕方がないかと思って辞めようと派遣会社に連絡したら、担当の人から「企業を変更することも可能なんですよ!」なんて素晴らしい台詞を頂いた。

今度は卒業した学校の関係でIT企業(Web系)を受けてみたのだけど、企業担当者と話すときに社員数や熱意とかを聞かなかったせいで中々酷い目にあった。

実際にこの企業研修が始まったら、まず社員が来ない。

後でわかったのだが、社長副社長しかいないらしい、そりゃこねーわwww

 

正直、ここのは社会研修でもなんでもなかった。

事務所は貸してあげるからウチの業務を好きに勉強してね☆ミって方針。

出来る子ならいいんだろうけど、生憎俺にそこまでの気力はなかった。

プログラミングとかデザインとかサッパリなんですけど!

(なんで、その企業を受けたの?って話ですけど、甘い考えですけど、僕はてっきりある程度までは教えてくれるんだと思ってたんですよ。)

つーか、前からいたインターン生の一人が何やら仕切っているのだが、大してわかってないくせに妙に仕切ってるからなんだかムカつくし…。

言動とかも妙に癪に障るし。

しかも、あと少ししたら気味にも実務を担当してもらうから必死に勉強してね!とかそのインターン生が言うもんなんで挫折した。

もうここではやっていけないっていう確信を持った。

プレッシャーが凄い。やるかやらないか、やれないなら出て行けって感じ。

確かにその通りなんだけど、その通り過ぎて出ていくしかないっていう。

 

正直、前の企業にいた方が随分とましだった(役には立てなくても籍だけは置けたから)

このIT企業で唯一学べたことはベンチャーは糞だってことだった。

丁度最近GIGAZINEとかみてもそうだし、全部が全部ではないとはいえ、第一印象は糞だった。

取り敢えずはWeb系=ベンチャーってことにしておこう。少なくとも地雷

 

取り敢えず、今日でこのIT企業は辞めようと思うのだが、記憶が確かならもう企業は選べないらしい。

親元を離れて単身の僕はこれからどうするべきだろうか?

精神的に親元には帰りたくないし、実質帰れない。

実家に帰ると精神障害者がいるので自分まで池沼になりそうだし、

また実家地方なので、そもそも求人がほとんどない

今住んでるところを出ると契約の関係で高額の違約金を払わないといけないので)

 

選択肢としてはアルバイトくらいだろうが、生まれてこの方やったことがないというね。

このあいだネカフェバイトネットから応募して面接受けに入ったら、店の人から「いやいや、そんなのしらないし、聞いてませんよ」とか白い目で見られたし。意味不明だし。

俺が間違ってたのかと思って、家に帰って求人情報見たら面接日時も場所も合ってたし、マジ意味不明

勿論、次のバイト先も探して応募するけど、果たして雇ってもらえるのか?という疑念はある。

早くしないとお金もないから辛いし。

まぁ、雇ってもらえるかどうか気にしてたら埒が明かないから、応募しまくるしかないんだけど。

落とされなかったら可能性があるってことだろう多分!って信じてる。

若いうちは何でもやった方がいい気がするんだ。挑戦だ!

 

一番は、新卒者応援プロジェクトで別の企業の斡旋を受けられることなんだけど、多分無理だからね。

新卒者応援プロジェクトを続けられれば就活スムーズにできるんだけど(今まではやってなかった)

それが無理ならバイトしながら就活するしかない…となると結構厳しそうではある

バイト先に就職とかもしてみたいけど、バイト募集してるのって将来性がなさそうな場所ばっかなんだよね

ぶっちゃけフランチャイズライン工場は絶望的だろうしね

 

果たして僕はどこへ進んでいけばいいのだろうか…。

因みに学生時代就活は40社程度受けました。全部落ちました。

警備・食品廃棄物・清掃・小売・営業・流通・IT・飲食他にも色々受けました。

選り好みしなさすぎですね。介護だけは受けませんでしたが。

まぁこれが就活に失敗した要因の一つであることは間違いがないんですが。

 

漠然と持っているのは、事務職なら勤まりそうっていうのと、ネットワークとかサーバー運用管理に興味があるってことくらい。

(具体的に企業名は挙げませんが、興味のある鯖屋一社だけあります。もとい、その企業のせいで興味が芽生えたに近い。)

プログラマーとかシステムエンジニアは向いてない気がする。

趣味はこういう感じで長文をグダグダ書いたり、ラノベを読んだり、ひたすらネット上の情報を読んだり、漫画を読んだり、RPGやったり、ネトゲしたり、オタショップ渡り歩いたり、買い物することです。

一番好きなラノベキノの旅です。

長く続けていることは自己サイトの運営、もう9年目です。老舗とかそういう部類に入ってる頃ですね。

コンテンツは昔っから日記しかないんですがw

ここ数年では時代の波(笑)にのってブログ形態に移行してます。

PC歴は年齢-3年。そこらの餓鬼絵本読んでた頃にはブロック崩しとかインベーダーやってました。PC-9801で。MS-DOS3.2だったかなぁ?

専門学生になるまでインベーダーゲームはパソゲーだと思ってました。まさかゲーセンゲームだったとはw

 

基本的スペックとしては、平凡なオタクって感じですね。

でも別にコアゲーマーでもないし、アニメもそこまで見てません(1クール1,2作)

変態ベクトル大分逝ってると思います。そんじょそこら変態に負けない自信はあります(キリッ

ピザではなくガリの部類です

特技は特にありませんし、得意科目と言えるものもないです

「高校の情報」なら学年トップだった気はします

英語の成績が一番よかった気がします。基本文系

大したもんでもないですが、情報活用二級程度は何もせず取れました。

基本情報技術者は問題の1割くらいしか解けません。

だけど何故か有識者から結構解ってる人と誤解される事があります。

 

まぁ、ぶっちゃけ何もできないただの新卒です。

能力普通科高校卒レベルかそれ以下くらいじゃないですかね?

なんかどうでもいい御託をつらつら並べましたけど、誰か僕みたいな人間ほしいトコありませんか?

2010-07-19

サボり魔は一生そのままなのか?

私はサボり魔である。筋金入りで予後不良の。

幼少の頃から厭なものから逃げ続け気がついたら三十路になってた。そんな私はサボり癖が元で精神を病み社会生活を送れない体になってしまった。

ふつう精神疾患なら投薬と適度な休養で概ね治るはずなのだが、私の場合はサボり癖という精神疾患の根元になるものがあるので質が悪い。投薬も5年以上続いているし、休養も自分でもうイヤだと思うほど取った。でも治らない。ある程度回復したと思い就職活動して仕事を始めるが長続きしない。そしてクビになってまた精神的にダウナーになり休養が必要になる。こんなのを何度も何度も繰り返した。真面目に職歴書いたら30近くになるんじゃないだろうか。20代もそんなのに翻弄され暗黒の時代、黒歴史になった。気がつけば三十路である。もう後はない。

少しづつ焦りだしてきた私はふと考えた。何故こんな風になってしまったのだろう、と。

私のサボり癖の根元を語るには幼少の頃からの話をしなければならない。


私がまだ幼稚園にも入る前の事だ。当時の私は英語に非常に興味を持っていた。よく買い物に出かけた横浜駅ジョイナス地下駐車場英語ブロック分けされていて、それを見て初めてアルファベットという物に触れた。何故か判らないけどアルファベットが非常に気に入ってしまい英語という物に少しづつはまるようになった。

ある日TV英語教室CMをやっているのを見て母に「これかよいたいー」とせがんだことがある。母はその申し出に協力的で父に頼んでみる、と言ってくれた。それを聞いてワクワクしていたのを覚えている。

しかし父は「まだ習い事するなんて早い!」と、私の幼い願いを一蹴した。英才教育なんて言葉があった時代か判らない。グローバル化のグの字もまだ無い時代だったし英語の将来性を見いだせなかったのかもしれない。ともかく私の願いは絶たれてしまった。

そのことについて父を恨むつもりはない。でもちょっと根に持っている。だってもしその時英語教室に通っていたら私の人生は大きく変わっていただろうと思う。飽きっぽいけどのめり込む時はとことんのめり込む私のことだ、通訳とか外資系エリート・・・なんて言わないけど少なくても英語には不自由しない人生を送れたかもしれない。

それから数年の時が過ぎ私は小学校3年生になった。

ある春の日のこと、私は父に呼び出された。そして「出かけるぞ」みたいな事を言われ、半ば強引に車の乗せられて駅前のダイエーに連れて行かれた。何が起こるのか全く判らない私、何も言わず私の手を引っ張る父。?マークを頭に3つくらいグルグル回しながら連れられて行き着いた先スイミングスクールの上の階の階段を下りた先の小さな部屋だった。父は「ほら行け」と言わんばかりに私をその部屋に置いてどこかへ行ってしまった。

何ここ何が起きるの?

幼いながらも恐怖した。

部屋には私と同い年くらいの子供が数人いた。大人も何人かいて、何か冊子のような物をを配っていた。私の順番がきて冊子を渡される。そこでようやく理解した。冊子の中身は全て英語だった。

父がどう心変わりしたのか判らないけれど、私は数年越しに英語教室に通うことができたのだった。

しかし、だ。

それは遅すぎた。

小学校3年の私はもうすでに英語に対する興味を失っていた。正直、いまさら?だった。

それから4年間英語教室に通った。楽しいこともあったし、友人もできたけど根底にあったのは「苦痛」だった。

その苦痛が形としてでることがあった。それは「逃避」。有り体に言うとサボリだ。一人で自転車ダイエーに行くのでサボることがバレることは基本的に無かった。何度か買い物に来た母親にサボってコロコロ読んでるところを目撃されて大目玉を喰らったことがあるがそれでもサボる事は止まらなかった。年数が経てば経つほどサボリはエスカレートしていき週一回の教室に月3回サボるなんて酷い事態になることも多々あった。何が厭だったのかは今となっては思い出せないがサボりたくなるくらい苦痛だったのは覚えている。

小学校5年の時に友人の誘いで公文に通い始めた。

初めの頃は問題もスラスラ解けて楽しかったのだけど、ランクが上がって難しくなってくると少しずつ「苦痛」になってきた。苦痛になると私は逃避を始める。サボリ始めたのだ。きっかけは些細だった。友人が「今日サボんね?」と言ってたのだ。それに乗ってしまって後はそのままズルズルと・・・。これも週二回の教室で月数回しか通わない程になり公文講師のおばちゃんに「ちゃんと毎回来なさい!」と毎回言われたものだった。

それから中学に入って少しして英語教室は辞めた。学校でも英語の授業が始まったしこれ以上受ける意義を当時の私は見いだせなかったのだ。

公文はサボリながらも中学卒業まで続けた。高校受験の時はさすがに真面目に公文勉強した。でもそれは友人が周囲にいっぱい居たからであって、私一人だけだったらどうなっていたかは判らない。

義務教育が終わりを告げ私は高校生になった。

一番の志望校じゃなかったけど目標にしていた地元の公立高校に入学した。

高校時代は楽しかった。今までの人生で一番楽しかった。友人もたくさん居たし、心から楽しいと思える授業もいくつかあった。そのせいもあって驚くことに三ヶ年皆勤卒業式の時に表彰されメダルを貰った。

なんというか極端だな・・・と。

しかし、その影にも私の逃避、サボリ癖はあった。

高校では三年間図書委員だった。特に理由はなかったけれど図書委員になっていた。

図書委員の活動は図書室の貸出係の業務と月一回の委員会活動があった。貸出係は昼休み放課後に当番であったのだけどこれに私は全くでなかった。当番は殆ど放課後だったのだけど、早く帰ってゲームしたい盛りだった私はとにかくサボってサボりまくった。たぶん3年間で10回出てないんじゃないかと思う。委員会は強制参加なので仕方なく出たのだがその時よく「貸出係をサボる輩が居ます。ちゃんと出ましょう!」とほぼ名指しで委員長に言われることがあった。挙げ句には「てめぇいい加減にしやがれ!!」とキレられたこともある。それでもゲームがしたい、寝たいばかりにさっさと自転車で家に帰る自分が居た。救いようがない。

この頃まではサボっていても何とか回っていた。学力はそこそこあったしテストでも苦手科目の数学以外はそれなりの点数を取っていた。

しかし、だ。努力する者としない者。その差をまざまざと見せつけられることになると当時の私は知らなかった。

高校二年の冬のこと。そろそろ大学受験視野に入れなければならなくなってきた。周囲でも予備校に入学して対策を講じる者が増えてきた。

私も「予備校かー、どうしようかなー」と脳天気なりにも意識し始めていた。ある日、図書室の前にあった予備校案内のチラシを見て何枚か持ち帰り検討し、その中から一行選んで入校することにした。両親は特に何も言わずに入校を許可し私は予備校に通うことになった。

地域ではマイナー予備校だったが友人もいることが判り喜び勇んで予備校行く・・・はずだった。

予備校は私が想像していた以上に過酷なモノだった。英語は毎回英単語テストがあったし数学は高校よりもずっと高度だった。正直ついていけなかった。ついていけない結果はテストダイレクトアウトプットされる。志望校合格ランクDとかEとか当たり前だった。

今までどうにかなっていたモノがどうにかいかなくなってしまった。劣等生。そんなレッテルを貼られた気がした。

それはとても苦痛だった。苦痛苦痛で仕方なかった。

苦痛の先にあるのは小学校からやらかしているサボリ、だ。

高校3年になって予備校に行かなくなった。辞めたわけでなくサボるようになった。劣等生な自分を認めるのが厭だった。劣等生であるという事実を突きつける予備校に近づきたくなかった。英語の授業は友人が来いとうるさかったので月に数回出た。数学は全くついていける気がしなかったのでチューターの人に怒られるまで殆ど出なかった。高3から受講し始めた化学は授業がすごく面白かったし得意科目で余裕でついていけたのでこれだけは出席率が高かった。それでも7割ってところだけど・・・。

がんばった者とがんばらなかった者

努力した者と努力しなかった者

逃げなかった者と逃げた者

そんな二通りの人間審判が下される時がきた。

大学受験--

無論私はボロボロだった。無惨だった。

センター試験自己採点。数学は2点だった。得意の化学でも5割いかなかった。

死を覚悟した。

一般入試が始まった。

私は高校担任教師の薦めで無名のFラン大学化学科を受けた。目標にしていた大学は「絶対に無理だからやめろ」と言われた。返す言葉もなかったので大人しく言われた大学受験した。

結果。補欠合格

はは、引っかかちゃった。

当時の私は安堵した。浪人生活をしないで済んだから。浪人は落第者で敗北者だと思っていた私は本当に喜んだ。

でも、気がつかなかった。おまえは運が良かっただけだ。

だって・・・「努力したのかい?」

大学生活が始まった。中学からずっと同じの友人が一緒の学校だったので初めはよく一緒に登校した。学科は違ったので登校と昼休みくらいしか一緒ではなかったけど知る人が居ない学内ではとても安心できるものだった。

大学1年の授業は楽しかった。特に有機化学と分析化学が好きだった。2年から生物化学の授業があってそれを目標にしていきたいと思った。

しかし、異変は訪れる。とある教科を落としてしまった。有機化学の概論。難しい授業だったけど好きな授業だった。ただ落としただけなら来年取り直せばいいだけなのだが、この授業はとても大きな、そして致命的なものがあった。

この教科を落とすと生物化学を受講できない

偏屈で有名だった生物化学教授が設けたハードル。私はものの見事にそれに引っかかってしまったのだ。

何かが壊れた。

大学2年。目標生物化学を受講できず腐った。さらに悪いことにほかの授業が難しくなった。特に物理化学は私が苦手だった物理概念が入って手に負えなくなってきた。

大学苦痛になった瞬間だった。

苦痛になると訪れる甘い囁き

「逃げちまえよ」

それにあがらえる訳がなかった。

初めは大学内の図書館で本を読むだけだった。それから街のゲームセンターになって・・・兎に角大学に近づかなくなった。金だけは親から必要額貰っていたので不自由はしなかった。適当に旅に出て時間つぶして家に帰るとかざらだった。

努力した者と努力しなかった者

その差は歴然と表れる。

次の年、私は留年ギリギリだった。

いままでどうにかなっていたものがどうにかならなくなった。

背中に火を付けられたような感じがした。

兎に角焦った。

焦って勉強をする。でもついていけなかった。下の学年の授業を受けることも多々あった。誰あいつ落とした上級生?だせぇ。そんな声が聞こえてきた気がした

屈辱的だった。変にプライドの高い私には凄まじく苦痛だった。

苦痛を感じると出てくる麻薬のような囁き。

「ニゲチャイナヨ」

でも逃げると今度は留年だ。

逃げちゃダメ

逃げちゃダメ

逃げちゃダメ

14歳の少年は逃げずに立ち向かうことを選択したのに20歳のアホは逃げることを選んでしまった。

このあたりでだんだん精神的におかしくなってきた。

不安焦燥感、誰かに笑われてる感覚、必要以上に自分を責める。木の棚にカッターで何度も切りつけて酷い跡が残ったこともあって母親にそれを見られて酷く心配されたことがあった。

ロクな精神状態じゃないときにロクな思考はできない。

真っ暗な夜道の中をひたすら逃げているような状態だった。

次の年の春。私は留年した。

その日私は父親に叱責された。この後どうするんだ、と

ロクな精神状態じゃなかったので思考は回らず兎に角逃げることしか考えられなかった。

がんばるから、がんばるから

この時はそれで何とかなった。

留年生活のことは正直覚えてない。思いだそうとしても頭がアクセス拒否をする。

唯一判るのは焦ってどうにもならなかったこと。そして逃げ回っていたこと。

翌年、再び私は留年した。

二度目の父との対話。

今度はなかった。

こうして私は大学中退した。

そして社会に放り出された私は働かなければならなかった。当時は引きこもりニートという言葉もなかった。父親には働けと強く言われたので働くしかなかった。

ハローワークにあししげく通って何度も何度も追い返されてとある会社研究所に拾われた。

そこは農薬を作っている会社研究所で初めはそこの農場のアルバイトと言うことで面接を受けた。

でも、せっかく化学バックグラウンドがあるんだしということで話が少しぐらついた。

とっさだった。とっさに私はこう言った。

お金貯めて大学に復学したいんです!」

何でこう言ったのか今では判らない。

しかしそれは項をそうした。「じゃあそういうことなら勉強する意味も込めて」と研究所助手採用してくれることになった。

運が良かった。

研究所での仕事は本当に楽しかった。学校で習いきれなかった事も学べた。とにかくがんばったので会社も評価してくれた。

「今はアルバイトだけどがんばったら正社員にもするよ」なんて総務の部長さんが冗談めいて言ってくれた。

本気にしてがんばろうと思った。

でも、なんでなんだろうね。上手く行かないときはとことんうまくいかない。

入社して少し、変な奴が研究所にいると言うのを知った。

ほぼ同じ歳で今年正社員入社。しかも京大大学院卒。

「同じ位の歳だし仲良くしたら?」と言われてそいつに会いに行った。

すんげぇイヤな奴だった。

京大大学院卒というのをさりげなくアピールしてFラン中退の私を見下してくる。

正直あんまり関わりたくなかった。

ある日、通勤バスの中でふと考えた。

なんでだろうって。

殆ど歳同じなのにあのいけ好かない奴は京大大学院卒で正社員、私はFラン中退バイト。この差はなに?

それがずっとこびりついて離れなかった。

それはそいつと顔合わせなくても研究所内に居るだけで考えてしまう。

苦痛」だった。

とにかくとにかく苦痛だった。

また別の日、通勤バスに乗っていると不思議なことが起こった。

降りるべき停留所に近づくにつれて妙に息苦しくなるのだ。そして頭が真っ白になって「ニゲロゲロ」って告げてくる。

そして降りるべき停留所が来た。

降りられなかった。

こんなことは初めてだった。なにが起きたか判らなかった。

その日は慌てて次のバス停で折り返して事なきを得た。

それから数日同じ事が何度も何度も続いた。症状はエスカレートする。降りるバス停が延びていき遅刻が酷くなる。それを上司に注意されたら今度は体調不良で休むととっさに電話で言うようになってしまった。

さらに数日して何とか出勤できた日、所属部長に呼び出された。

最近休み多いけどどうしたの?」

怒っているわけでなく本当に心配しているようだった。なので症状を正直に話すと

「無理はしないようにしてほしいけど、勤怠が悪いと正直こっちも困る」

と言われた。

その日早退し精神科を探した。

小さなクリニックで老医師がこう言った。

「そりゃウツだ」

そう診断され一日三日分のホリゾンを貰った。

ホリゾンを飲んだけど少しぼんやりしただけであまり変わらなかった。

それからも朝の戦いは続いた。負け戦ばかり。

休みが10日ほど続いたところで家に電話がいった。

「大切な話があるから明日は必ず来るように」



翌日。何とか私は出社した。

研究所入り口総務部長が待っていた。

そのまま会議室に連れて行かれた。

そこには研究所の所長と所属部長が居て3対1の面談が始まった。

単刀直入に言う。辞めてくれないかな?」

総務部長がそう言った。

そのときの私は妙に冷静でその言葉意味もきちんと理解した。

あぁ、クビか。

後は事務的に話は進みその日のうちに私は解雇された。


それからいくつかの会社を転々とした。

どこも悪いところではなかったけれど、必ず不思議なことが起きた。

朝起きて家を出ることはできるけど電車バスで最寄り駅に近づくと呼吸が荒くなって怖くなる。頭は囁く「ニゲロゲロ」と

そんな状況に陥り全く出社ができなくなってしまったのだ。

最長で半年、最短で一日。これはクビになるまでの日数。

職歴は正確に書くと30は行くんじゃないかと思う。

ここ1・2年はさらに酷くなり、部屋から出られなくなってしまった。

朝起きてその時点で恐怖発作と「ニゲロゲロ」という囁きが頭を支配する。

精神科にはもう6年かかっている。

はじめはホリゾンだけだったけど今は抗鬱剤3種類と抗不安薬睡眠薬まで貰って飲んでいる。

挙げ句には自立支援の申請をして精神障害者手帳まで交付された。

ふと思った。何でこうなってしまったんだろう、と

最近また会社をクビになったので少し考える時間ができた。で、考えを整理するためにこれを書いている。

結論を言うと私のこの病気の根元は「サボり」だと思っている。

苦痛」からの「退避」。小学校の頃の英語教室からずっと続いているこの癖。これが原因じゃないかと考えている。

おそらくこれは正しい。

正しいことは判ったが対策がわからない。

生来のサボり魔たる私はどうしたら正常の社会的な生活を送れるのだろうか?

そもそも私の病気は何だ?

鬱病適応障害?それともただの怠けでサボリなのか?

精神科で投薬治療は受けているがこれだけでは改善にいたっていない。というかここ最近悪化しているとすら思う。直近でクビになった会社では不安の恐怖、あと鬱的思考から自殺をほのめかすメールを送ってしまい大騒ぎになった。

年々悪化しているこの「現象」

いったいこれは何なんだ?

どうしたら治るんだ?

どうしたら社会的な生活を送れるんだ?

だれか、教えてほしい

2010-07-09

http://anond.hatelabo.jp/20100709161932

http://anond.hatelabo.jp/20100709161115

情報ありがとう。

でも、増田の勤務先が学習塾だったとして、

私の意見は変わらないかなー。

しかし元増田仕事を知らない、つまり斜め読みしかしていないのに今更話題に加わる増田は頭悪そうだね。学歴は知らないけど。

 

増田の基準だと、

情報を網羅する」か「空気読んだタイミングで話題に加わる」のが「頭いい」んだね。そうか、なんかすみません。これ書いたらツリー全部読んできます。

海外大学にいたので、学歴はあってないようなもの。秋に卒業して帰ってきて、就職までのつなぎで大手の学習塾バイトしたりもしたけど、社員さんとの縁故でお願いして雇ってもらってた(だから、「やる気」はすげーあったけどねw社員さんの顔に泥塗れないじゃんwww)ので、元の増田とは状況が違うだろうが、教えられる側の年代と教える側の学歴・知識の関係はこんな感じだった。

----------

高校生高卒程度の知識があればOK。国数英理社いずれかに得意科目があればよい。

      ただし、知識について理解を深めていることが必要。

中学生高卒程度の知識があればOK。マニュアル化されていれば、理解が多少足りなくても大丈夫

小学生高学年:中卒程度の知識があればOK。基本、マニュアル化されていなくても、大丈夫

小学生低学年以下:カオス子育て経験っていうか保育士っていうか、なんかそういう知識あった方が業務遂行上いいかも。

      言葉がなかなか通じないので、ある意味一番専門知識が必要そう。(児童心理学とか)

----------

接客というか、ニンゲンカンケイ仕事だから、対人スキルは必要だし、重要。もちろん、塾っていう集団で働くのだから、社会性も必要。「もともとの能力学歴」なワケがない。

しかも、子供は成長段階によって対応を変えないといけないから、並より上の対人スキルが必要かも知んないw彼らは「客」じゃない。「教える」だけだと、も、全然だめ。まったくわかってくれないんだよ。

 

ま、どこまで元増田の塾と被るかはわかんない。

ただ、「学習塾における業務遂行能力」の話題だったらなおさら、「高卒」<<<「院卒」みたいな話が出るのはおかしい、と改めて思った次第です。

 

そりゃあ、中卒の人が高校生を教えるのは無理だし、東大に●●人入れました!みたいな進学塾とかお受験予備校とかで、大学出てない人間講師にいたら生徒のモチベーションが下がるってんなら話は別だけど、そもそもそういうとこだと高卒かつ社会経験ない人は採用しないと思うんだよね。履歴書出してテスト受けて採用された時点で、「学歴学力という能力」の最低条件はクリアしていて、あとは、+対人ほかの能力が「もともとの能力」なんじゃないのーって思った。

 

 

院卒さんが精神疾患なのか発達障害なのかは、会ったことないし生育歴も知らないからわかんないな。

バイトとはいえ、教育関係の末席にいた人間としては、そういうこと軽はずみで口に出しちゃいけないって思っている。

そして、元増田学習塾勤務なのだったら、是非はともかく学歴コンシャスなのは、とてもよくわかる。仕方ないとも思う。

遅いかもしれないけど、頑張ってください。

でも、あまり子供を不幸にしないでね。

2010-04-17

国公立医学部に入るまでまとめ

そろそろ予備校も始まる時期だと思うので、一浪で底辺国公立医学部に受かった体験記的なのを書いとこうと思う。誰かの参考になれば。

現役

わたしは小中高と公立に通ってきて、高校のレベルもそんなに高くない。高校2年までバリバリ文系で、成績が5だったのは世界史くらい。数学化学あたりは2だった。まったく理系科目についてわかってなかったんだけど、医学部に行きたくなって3年から理転。sin,cosがなんなのかわかんないし、増減表かけないし、molがなんなのかわかってないっていうレベル。しかも夏休みをまるまる文化祭の準備についやして、ほとんど勉強せず。

それで高校時代にやってた勉強を。数学はまず学校の授業は、3Cで意味わからなかったんだけど、全部起きて聞いてた。あと4STEP化学東進ではないんだけど、そんな感じの映像講座と、セミナー化学生物学校の授業と、ニューグローバルとかいう問題集。英語は小さい塾行って、いろんな大学過去問やったり、和訳の添削受けてた。英語生物が好きだったので、この二科目ばっかりやってた。

偏差値ベネッセ模試で、数学45→50、化学45→55、生物55→65、英語60→65くらいの感じだったと思う。

受験の結果は、センター77%で、国公立は出願しなくて、私大医学部3つ全敗。

浪人

浪人河合塾。二次で必要な4科目はほぼ河合の前期のテキストしか勉強してない。特に数学は本当に前期のテキストのみ。下の予習っていうのはだいたい、さらっと問題解く程度で、あんまり時間はかけてない。前期は全部休まず授業出た。過去問は直前に2年ずつくらいしかやらなかった。

数学

夏までは授業の予習を一応して、授業のあと、授業のノートを白紙に再現する作業をしてた。思い出せなかったらちらっとみる。解答をパターンで覚え込もうとしてたんだけど、このやり方はあまりよくなかった。後期からは、授業は微積の授業と添削のある授業だけ出て、数学のできる友達とか講師にわからないところ聞きまくった。どうしてこの作業にもってくのか、っていうのをわかってる人に聞いて、上の作業をやってみると結構伸びる。わたしの場合、最後まで偏差値は出なかったけど、入試本番は全く手が出ない問題はなくて、国立二次は大問3問中の2問完答できた。

化学

前期も後期もテキストの予復習と、セミナー化学重要問題集とかで類題をやってた。あと講師にも類題もらったりしてた。どの科目もだけど、特に化学は演習量が大切。わたしが一番時間をかけたのは化学だと思う。

生物

テキストは予習だけで、復習はほんとに解けなかった問題しかしてなくて、主に論述演習をやってた。論述生物独特の言い回しとかもあるし、基礎知識がしっかりしてないとできないから、かなり勉強になると思う。あと英語生物系の洋書読んで基礎知識忘れないようにしたり。

英語

前期は予習して、答え合わせ的に授業出るだけ。復習は単語をさらう程度。後期は授業は英文法しか出ないで、あとはテキストの問題といて、仲良い講師添削してもらってた。あと英作文の添削があったから、それは全部出した。あと、辞書英英辞典しか使ってなくて、知らない単語ノートに項目丸写しした。これで結構英作文が伸びたと思う。それからこれは趣味なんだけど、洋書とか一般向けの簡単な論文とか読んでた。

センター対策

国語はもともと文系で得意だったから予習と授業にでることしかしてなかったら、センター古文漢文で大失敗。まじめに勉強するの推奨。政経は授業に出て、12月の終わりから本格的に始めた。センター過去問といて、間違えたところを教科書テキスト面白いほどわかる本を3つ並べて、まとめる。それ使って昼ご飯の間とかに友達と口頭試問。あとは12月の初めくらいから、朝8時から授業が始まる前にセンター過去問演習してた。

偏差値は最終的に、数学55、化学70、生物75、英語75くらいだった。センターは83%、私大は3つ受けて、2つ受かった。1つしか受からないだろうと思ってたから、2つ受かったのは結構自信になって、余裕を持って国立二次に臨めたと思う。

ポイント

  • 現役時代に一つくらいは得意科目を作っておこう

現役時代に英語ばっかりやってたので、浪人して英語は遊び程度で平気だったので、ほかのことにいろいろ時間まわせた。あと得意科目があると自信になるから、ほかの科目もがんばれる。

いろんな話も聞けるし、些細なことも質問しやすいし、受験校決めのときもチューターより俄然、頼りになる。

  • 友達をつくろう

医学部進学コースみたいの入ってれば、多浪のだめな感じの人もいるけど、みんなそこそこやる気もあるから、仲間がいるとモチベーション維持しやすいと思う。食事の時間を決めて一緒に食べたりすると勉強に区切りもついて効率よくなる。

  • 自分の実力を見極めよう

これ一番大切。だいたい多浪してるひとは自分のこと見極められてないひとが多いと思う。どのくらい、どういう努力が必要か、自分レベルにあった大学はどこか、ちゃんと判断できるひとは受かってる。だめだと思ったら早くほかの道を見つけた方がいいんじゃないかな。

こんな感じかな。他の人には当てはまらないところもあるだろうけど。

不景気医学部志望増えてると思うけど、がんばってね受験生

2010-03-30

自分クズな18年間を思い起こして、泣く

地方田舎に生まれた。

無口なので小学校では1年間くらいイジメをうけていた。成績は良いほうだった。というかずっと1番だった。小5のときにネットに出会った。最初はテレビゲーム攻略サイトとかチャットルームをよく見ていた。はじめはチャット荒らしまくっていた。まぁ普段無口な小学生ネット弁慶になるって言うのは今でもあるだろ。遊戯王とかパワプロホームページを作って遊んだ。中身はないようなものだったが。

今思えば中学時代が最も充実していたかもしれない。卓球部に入った。仲の良い友達もいたし後輩とも親しくなれた。しかし練習はちょくちょくサボっていたので中学最後の団体戦には1年生に枠を奪われて出られなかった。塾に通い始めたおかげで、学校での成績は良好だった。ホームページ作りに飽きて(人が集まらない)、ブログをやり始めた。が、書くネタも別になかったので何度も削除しては新しいブログを作った。塾と部活以外は本当にだらだらネットしている中学生だった。親にパソコンをねだったが却下される。

学区内で2番目の高校に入った。進学校を自称しているが、大半の生徒は偏差値55から60をさまよっているレベルだ。東大京大に受かる人間などまずいない。仲の良い友人たちは別の学校に行った。非コミュの俺はあまりクラスになじめなかった。

高校最大のミスは数ヶ月で部活運動部)の幽霊部員になったことだ。中学卓球部でだらだらしてた俺にとっては練習がおそろしくきつかった。廊下で先輩と顔を合わせるのがつらかった。

塾に行かず独学を決意したのが2つ目の大きな間違いだった。入学直後の進路希望には一橋大学社会学部早稲田大学社会科学部を書いた。当時は「働きマン」を読んでいて雑誌編集者になるつもりだったのだ。しかし数学理科は早々に理解できなくなったので私立大学を目指すことにした。

梅田望夫の本を読んでプログラマーになろうと決意した。志望を慶応SFC早稲田人科に変えた。再度、親にパソコンをねだったが却下される。

2年生のクラスではついにまったくのハブになった。学校祭とか体育祭が本当につらかった。昼休みトイレにこもって2chしてた。家に帰ってネットしたり漫画読んだりする日々。俺が短期間部員だった部活の人たちはすげえリア充になっていた。

塾という外部強制から解き放たれた俺は授業2年の冬まで全く勉強しなかった。得意科目偏差値やばいことになり、そろそろ勉強し始めた。プログラミングも文字を表示させるレベルで挫折して、志望はいつの間にか早稲田になっていた。将来のビジョンなど頭から消えていた。英語現代文ばかりやっていた。楽だったから。おかげで模試の判定はいつもEかDだった。だからといって焦ることもなかった。勉強する習慣が身に付いていなくて、30分くらいでネット漫画に走ってしまう。中学のときもほとんど塾で勉強していたからかな。大学に行きたい理由も特になかったんだと思う。大学に入ってからやりたいことをやろうと考えていた。俳優とか政治家とか記者とか証券マンとかなりたかったかも。どれも3日くらいで忘れたが。

3年生になってもダラダラで、歴史科目の勉強も苦しくて苦しくてやっていられなかったので成績は悪いまま。それでも英語だけは偏差値70だったのでまぁなんとかなるだろと思っていた。夏休みは全く勉強せず。図書館に行くふりしてネカフェまったりしてることも。家では部屋にこもっていたので、親は俺がそれなりに勉強していると思っていただろう。冬休みは冬期講習を受けたが、予習も復習もしなかったから金をドブに捨てたようなものだけど。歴史科目は半分くらいしか進んでなかった。親には偏差値50くらいの中堅私立大も受けとけと言われた。

明治に落ちて。

入試本番。早大入試の前日に秋葉原漫画を買ってマック食べながら読んでるレベル。それでも10パーセントくらいの確率でもしかしたら受かるかもしれないと思っていた。試験が終わった後は浪人を頼み込もうと思っていた。母親浪人も考えていてくれたようだが、父親は定年退職も近くてこれから給料が下がる、妹もいるということで浪人ダメだと言った。国立一本でがんばっていれば、浪人という選択肢も出ていたかもしれないことを後悔した。

早稲田。落ちた。

中堅私立しか受からなかった。

そして高校卒業

部活勉強中途半端な結果で、高校生活は幕を閉じた。

友達もできず、恋愛に夢中になることもなかった。

趣味もない。なにか熱中できることもひとつとしてない。

上に書いてあること全部こなしてるやつだってたくさんいるというのに。

小学生の頃から何かひとつ技術にはまって、今頃は全国有数の実力者になっているやつだっているだろう。

俺みたいな奴も少なからずいるだろうから、そういうやつは一度自分を見つめ直してほしいとは言わない。どんどん堕落しろ。他人の不幸は蜜の味。

受験勉強にすらがんばれなかったという後悔は今もある。学歴コンプレックスこじらせてるな。やっぱりネットとかが好きなのでそういうものに少しでも関われる仕事をしたい。



なんだかんだあって4月からとある都内の文系学部に進むことになった。

やりたいことにどんどんチャレンジしていこう。

役に立つスキル磨いていこう。

なかのいい友達を作ろう。

熱い恋をしよう。


大学デビュー乙って思うかもしれんが、それはなにか違うんだよ。

ただ春のやわらかな風が俺の背中を押しているのを感じているんだ。





俺は変わってやる。変わらなくちゃいけない。

自分クズっぷりを思い起こして、泣く

地方田舎に生まれた。

無口なので小学校では1年間くらいイジメをうけていた。

成績は良いほうだった。というかずっと1番だった。

小5のときにネットに出会った。最初はテレビゲーム攻略サイトとかチャットルームをよく見ていた。はじめはチャット荒らしまくっていた。まぁ普段無口な小学生ネット弁慶になるって言うのは今でもあるだろ。

遊戯王とかパワプロホームページを作って遊んだ。中身はないようなものだったが。

今思えば中学時代が最も充実していたかもしれない。

卓球部に入った。仲の良い友達もいたし後輩とも親しくなれた。しかし練習はちょくちょくサボっていたので中学最後の団体戦には1年生に枠を奪われて出られなかった。

塾に通い始めたおかげで、学校での成績は良好だった。

ホームページ作りに飽きて(人が集まらない)、ブログをやり始めた。が、書くネタも別になかったので何度も削除しては新しいブログを作った。

塾と部活以外は本当にだらだらネットしている中学生だった。親にパソコンをねだったが却下される。

学区内で2番目の高校に入った。

進学校を自称しているが、大半の生徒は偏差値55から60をさまよっているレベルだ。東大京大に受かる人間などまずいない。

仲の良い友人たちは別の学校に行った。非コミュの俺はあまりクラスになじめなかった。

高校最大のミスは数ヶ月で部活運動部)の幽霊部員になったことだ。廊下で先輩と顔を合わせるのがつらかった。

塾に行かず独学を決意したのが2つ目の大きな間違いだった。入学直後の進路希望には一橋大学社会学部早稲田大学社会科学部を書いた。当時は「働きマン」を読んでいて雑誌編集者になるつもりだったのだ。しかし数学理科は早々に理解できなくなったので私立大学を目指すことにした。

梅田望夫の本を読んでプログラマーになろうと決意した。志望を慶応SFC早稲田人科に変えた。再度、親にパソコンをねだったが却下される。

2年生のクラスではついにまったくのハブになった。

学校祭とか体育祭が本当につらかった。

休みトイレにこもって2chしてた。

家に帰ってネットしたり漫画読んだりする日々。

俺が短期間部員だった部活の人たちはすげえリア充になっていた。

塾という外部強制から解き放たれた俺は授業2年の冬まで全く勉強しなかった。

得意科目偏差値やばいことになり、そろそろ勉強し始めた。プログラミングも文字を表示させるレベルで挫折して、志望はいつの間にか早稲田になっていた。将来のビジョンなど頭から消えていた。

英語現代文ばかりやっていた。楽だったから。おかげで模試の判定はいつもEかDだった。だからといって焦ることもなかった。

勉強する習慣が身に付いていなくて、30分くらいでネット漫画に走ってしまう。中学のときもほとんど塾で勉強していたからかな。

大学に行きたい理由も特になかったんだと思う。大学に入ってからやりたいことをやろうと考えていた。俳優とか政治家とか記者とか証券マンとかなりたかったかも。どれも3日くらいで忘れたが。

3年生になってもダラダラで、歴史科目の勉強も苦しくて苦しくてやっていられなかったので成績は悪いまま。それでも英語だけは偏差値70だったのでまぁなんとかなるだろと思っていた。

夏休みは全く勉強せず。

図書館に行くふりしてネカフェまったりしてることも。

家では部屋にこもっていたので、親は俺がそれなりに勉強していると思っていただろう。

冬休みは冬期講習を受けたが、予習も復習もしなかったから金をドブに捨てたようなものだけど。

歴史科目は半分くらいしか進んでなかった。

親には偏差値50くらいの中堅私立大も受けとけと言われた。

明治には落ちてた。

入試本番。早大入試の前日に秋葉原漫画を買ってマック食べながら読んでるレベル。それでも10パーセントくらいの確率でもしかしたら受かるかもしれないと思っていた。

試験が終わった後は浪人を頼み込もうと思っていた。

母親浪人も考えていてくれたようだが、父親は定年退職も近くてこれから給料が下がる、妹もいるということで浪人ダメだと言った。

国立一本でがんばっていれば、浪人という選択肢も出ていたかもしれないことを後悔した。

早稲田。落ちた。

中堅私立しか受からなかった。

そして高校卒業

部活勉強中途半端な結果で、高校生活は幕を閉じた。

友達もできず、恋愛に夢中になることもなかった。

趣味もない。なにか熱中できることもひとつとしてない。

上に書いてあること全部こなしてるやつだってたくさんいるというのに。

小学生の頃から何かひとつ技術にはまって、今頃は全国有数の実力者になっているやつだっているだろう。

俺みたいな奴も少なからずいるだろうから、そういうやつは一度自分を見つめ直してほしいとは言わない。どんどん堕落しろ。他人の不幸は蜜の味。

受験勉強にすらがんばれなかったという後悔は今もある。

学歴コンプレックスこじらせてるな。

なんだかんだあってネットとかが好きなのでそういうものに少しでも関われる仕事をしたい。

なんだかんだあって4月からとある都内の文系学部に進むことになった。

やりたいことにどんどんチャレンジしていこう。

役に立つスキル磨いていこう。

なかのいい友達を作ろう。

熱い恋をしよう。

大学デビュー乙って思うかもしれんが、それはなにか違うんだよ。

ただ春のやわらかな風が俺の背中を押しているのを感じているんだ。

俺は変わってやる。変わらなくちゃいけない。

2010-03-03

http://anond.hatelabo.jp/20100303180042

できたといっても地方の話なので、ぜんぜんたいしたもんじゃないです。

それにあくまでも自分の周囲との比較なので…。


自分語りになって恥ずかしいのですが、具体的に回答すると。

高校では家庭での学習はほぼ0で1教科のみ塾利用。

業態度は聞かずに寝てるか手紙書いてるか好きに教科書読んでる感じ。

その状態で市内で1番の進学校で、総合で30位文系科目で10位以内に入れるくらい。

生徒の進学先は東大京大阪大慶応早稲田も含むしそこらの推薦も持ってたので、

地方にしてはレベルは低くない方…かもしれません。


大学進学については親が家から出さないと言い張って…。

通える国公立ってな基準で選んだので、そんなランクが高くないとこだったから。

受験勉強は軽く気が向いたときに趣味程度にしたくらい。

苦手科目は一切やらず、得意科目だけで他をカバーして合格


努力したらもっと上に行けたのかもな…と思いつつ、なんもしてこなかったあほなので。

積み重ねたものもない、努力の仕方もわからなくて就職でレールを外れてからはもうぐだぐだ。

将来設計という意味では救いようがないかなーと自分でも思います。人がまぶしい。


まぁキャリア以外の面が充実してて幸せなのがせめてもの救いですかね…。

2009-09-29

http://anond.hatelabo.jp/20090927160615

日本でも高いレベルの人たちは尊重し合っています。

下の方は、

数学のできなかったコンプレックス

数学やる時間で本当は遊びたかったコンプレックスとで

やんややんやしています。

 

成績と得意科目で進路決めるんだもん、しゃーない。

2009-06-02

ピラメキーノ占い 2009年6月2日夕方放送分

書いてみるテスト

2 おとめ座 苦手科目でコツをつかむ得意科目にできるかも!

3 ふたご座 年配の先生お話しして面白い話が聞けそうです

4 おひつじ座 今まで意識してなかった男子が気になりそうです

5 いて座 リーダーシップが取れるオクテの彼をリードして

6 おうし座 アイドル話でもりあがるでも男子は冷めた目です

7 やぎ座 正しい意見を言ったのに冷たい人だと思われそう

8 さそり座 きびしい助言がありそう受け入れて成長しよう!

9 てんびん座 男子にしつこくされる君女子にしっとされるかも

10 かに座 大さわぎしてミスする!?落ち着いた方がよさそう

11 うお座 友達と同じ事をしたのに君だけしかられるかも!?

1 しし座 得意な事を先生がほめてくれそう気になる男子もみとめてくれますミニスカートでかわいく決めて!

12 みずがめ座 負けずぎらいの君に友達うんざり負けたら素直にみとめましょう!

ラッキーアイテム 折りたたみがさ

2009-03-23

C判定からの大学合格

偏差値20とか30とかからの大学合格よりも、

インパクトは低いが需要は多いんじゃないだろうか。

C判定というのは受かるかどうか微妙なラインで、がんばればなんとかなりそうなレベル

なまじC判定がとれるというのは逆に問題がある場合がある。

それは、

得意科目がある

自分なりに点をあげようと模索することができる

こと。

得意科目がある

というのは、おのずとそればかり勉強してしまうことにつながる。

A判定だったらそれでいいんだ。

ほっといても合格するから。

C判定というのは、他の人がとれないところをかっさらっていくのではなく、

ひろいきれるところをすべてひろうことによって合格を目指すレベル

C判定から合格できるかどうかは、

苦手な部分をいかになくしていくか、にかかっているので、

得意科目をより得意にする方向では危険

自分なりに点をあげよう、と模索することができる、

というのは、受験テクニックに血道をあげる道もある、ということ。

なまじ中途半端にできるだけに、あと少し、テクニックに逃げればなんとか、

とやっていると、基礎体力にエネルギーをさけなくなってくる。

要は、基本的な問題集を解いて、

間違えたところは何度もやり直す。

過去問を解いて、

間違えたところは何度もやり直す。

それだけ。

書いていてとてもつまらない話になってきたので、

ひとつだけ、ネタに近い勉強法

基本的な問題集をといているときは、

わからなかったら、すぐさま答えを見るのがよい。

(ちなみに、国立二次の過去問は長時間うなったほうが良い)

しかし、ただみるのではなくて、

そのとき、ポイントとなるのは、自分はずるをしているという罪悪感。

あるいは、人に見られていたらどうしよう、という恐怖。

を感じながら答えを見ること。

罪悪感、恐怖を感じているときは、とても集中しています。

見た答えがとても身につきます。

2009-03-21

http://anond.hatelabo.jp/20090321091808

その程度じゃ「得意科目」とかのたまうのもおこがましいんだよ。実際。

文系科目壊滅で数学だけってんなら、数学オリンピックで受賞するくらいじゃないと。

せめて旧帝大に行け。千葉大とか行くくらいなら早慶のがまだいいかもしれんが。

ああ、あとね、何も考えなくても東大入れるくらいの学力がないとそもそも数学者になんて絶対なれない。

2009-03-18

東大文1に半年で受かった勉強法(10年前だけど)

偉そうに合格体験記でも書いてみようかと思います。知り合いにもはや受験生はいないのですが、d:id:lonlon2007:20090317が目に付いたので。

ぶっちゃけると受験勉強は「想像していたとおり楽。」でした。受験勉強を始める前は受験生ってのは寝てる時間と飯食ってる時間以外は全部勉強に当てて、たま徹夜勉強する!みたいな偏見は全く持ってなかったんですが、やっぱりそのとおりでした。むしろ10月までバイトしていたのがたたって出席日数が足りず授業のコマ数が増えたうえに出席日数を充たした他の生徒が次々と休み始めるために授業中に寝にくくなり、平均睡眠時間が減っていきました。(寝ないと動けないんですが・・・)

東大は天才じゃなくちゃ入れないっていうのは確実に嘘。「東大生」は学部生だけで約1万、ほぼ京大もほぼ同じ、わずか4〜5歳間に2万超もいる人たちを「天才」とは言わない。天才なら楽に入れるなら本当かも。

秀才が3年間こつこつ勉強して入れるっていうのは本当。「〜初めて入れる」は微妙。秀才でも凡人でも3年間もコツコツ勉強すれば入れるんではないでしょうか。本当に「コツコツ勉強」していれば。

「色んな人が色んなところにこうやれば受かる勉強法!みたいなのを書いていますが、個人個人で合った勉強法は違うので、色々な方法を試してみて、自分に合ったものをやるのが一番いい」というのは当然のことで、id:lonlon2007が長々書いてる中で唯一の真理

id:lonlon2007を逐一もじるのは早くも飽きたので、というよりもそんなに長く書くこともないので簡潔に。

ちなみに残念ながら僕は、『苦手科目は世界史日本史得意科目は数学と化学と物理と地理』だったので「理1なら1ヶ月で受かるんだけどな、下手すりゃ今日にでも受かるかも」と思いながら勉強していました。

あと、基本的に家では喫煙を禁じられていたので、主にガストジョナサン勉強してました。当時(約10年前)のファミレスはせいぜいがホットコーヒーのみおかわり自由で、ジョナサンアイスコーヒーおかわり自由とガストドリンクバーには大変助けられました。あっ、嘘だ。一番勉強したのは学校。さっき書いた通り10月バイトを止めてからは授業にかなり出るようになったので、授業科目を耳で聴き、別の科目の教科書を目で読み、2科目並行で勉強してました。あとはファミレスで数学や英語(主に英作文)の難問を広げ、頭の片隅でその回答を考えつつ苦手の世界史テキストを読んでいました(たぶん後で書くけど教科書ノートよりも新書が多かった)。

風呂の中や通学電車の中で小説を読んでる時も、未だ解けていない難問や数日内で間違えた問題のことを完全忘却しているわけではないのですが、机の前以外では何か思いついても頭の中にメモるだけ。勉強しない時は勉強しないとメリハリをつけるようにしていました。ちなみに「机の前」には授業時間が含まれます。高校生は一日の半分近くを学校で机に向かっているわけだから、勉強時間は非常に長い。一部の(私立)進学校や特別選抜クラスのような環境でもなければ「授業のコマ数が減る」ことはないと思いう。嫌でも一日の半分近くが勉強時間。「寝てる時間と飯食ってる時間以外は全部勉強に当てて、たま徹夜勉強する!みたいな偏見」は授業時間を効率的に使えていない人が持つのではないかと思います(あとは生徒に自由時間を多く与える方針の学校の生徒)。そういう意味では「勉強効率」がポイントというのは同意できる。

うちの高校(某都立)では文化祭(とついでに体育祭)が一大行事としてありますが、殆どの人は夏季講習と文化祭の準備を両立させ文化祭が終わった9月頃から本格的な受験勉強を開始するようです。かく言う僕も文化祭が終わって(ちょっと学校側とイロイロあって)バイトを辞め、10月から受験に力を入れ始めました。今、気付いたんですがid:lonlon2007は「6月から」とのことなのでタイトルに偽りありで約半年、僕の方も10月からなのでタイトルに偽りありで約4ヶ月ですね。開始をもう1月遅らせておけば「四半期で受かった勉強法」とゴロ良くピッタリなタイトルにできたのに。

まず何をしていいか分からない!ということで過去問を解いてみました。いや、模擬試験を受けたかも。なにぶん10年前なので記憶が・・・。とりあえず法学部志望なのに受験敵性では明らかに理系向き。その分、周りが国公立を難しいという理由の一つである文系なのに理系科目(理系でも文系科目)、という関門はあっさり突破。選択授業も理系用の数学(と化学と物理)をとっていたので2次試験の数学もさほど難しいとは思いませんでした。

「まず」も何も、とにかく苦手の世界史だけやろう!ということでそれまでは小説に費やしていた読書時間を歴史系の新書に切り替えました。もともと古本屋めぐりは趣味だったので行動範囲の古本屋の50-100円コーナーで歴史系の文庫新書を買い占め。2年半バイトしていたので他の高校生男子よりもお金を持ってはいました(うちの高校は縁遠かったけど世間では「ブルセラ」華やかなりし頃。女子高生は金を持ってた)。がそんなこととは関係なく、買い占めたと言ってもせいぜい100冊程度。私立や塾に通うことを考えれば微々たるものです。

いつどんな問題でも満点を取れる!と思わない科目を勉強する分には必ず点数の上昇につながるので、わざわざ『勉強スケジュール』を組む必要はありません。数学は1日勉強しても1点分しか稼げないけど、英語は1日の勉強で2点稼げる、てなことが計算できるのなら『勉強スケジュール』も有効かもしれません。しかし、そんな計算ができる人は自分の欠点が分析できているのだから、すぐに数学でも2点稼げるようになります。満点を取れない間は何をやっても点数に繋がるのだから『勉強スケジュール』なんか不要。そもそも『勉強スケジュール』を考えようと言う発想が今日今日までありませんでした。夏休み宿題@小学校で1日のスケジュールを考えろと言われた時以来の衝撃です。『勉強スケジュール』は学校バランス配分してくれた「時間割」で十分だと思います。

夏休みバイト文化祭だけだったので、休日勉強について。休日はNHKで将棋を見てから昼食、最寄り駅周辺の古本屋を回ってからファミレスへ。(好きなのが将棋で幸い。これが囲碁だったら午後の大半がテレビでつぶれる。当時はネット中継がなかったのも幸便)本を1冊読んで(1〜2時間)から勉強。最低2時間はやろうと決めていて実際2時間くらいなら集中力は続きます。鉛筆ナメナメ英作文を推敲していると気付くと2時間なんてこともあって最低2時間の縛りは苦痛ではありませんでした。(学校じゃサボってると言ってもそれ以上やってるわけですし)

夏の「初の東大模試」は受けたような気がしてきました。模試の判定は最後までE判定だかF判定だったので「予備校の採点基準が間違ってる」と思ってました。私立であればともかく国公立の論述問題は大学教授を信用して、「間違ってはない」回答が書けていれば良しとしておきましょう。予備校の採点は予定された正解以外を大幅に減点する傾向があるように思います。英作文であれば日本語の1単語には4〜6音節の1単語の英語を対応させれば文句なしの正解で模試ではこれ以外は減点。実際にはそんな難しい単語を知らなくても中学校レベルの単語を組み合わせて意味が合っていれば大学教授は正解としてくれるようです(大学に入ったからといって採点基準を教えてもらえるわけじゃないけど、じゃなければ不合格だったはず)。

時期別対策?

10月〜11月

相変わらず模試は最低判定。意に介さず淡々勉強(授業)。

12月

出席日数を充たした生徒が続々と授業に来なくなる。いやがおうにも授業中に寝れなくなる。友人も受験モード突入で遊びの誘いも減る。悪循環?好循環?

センター対策は・・・必要なんでしょうか。東大京大の2次試験を見据えていれば不要な気がします。敢えて言うなら文系理科理系社会科でしょうか。僕の場合理科得意科目だったので無視。

センター

というわけでセンター試験対策としては過去問をやってみたくらいです。悪くても90点以上だったので、本番の集中力があれば大丈夫だろうとタカをくくる。それでも素材がたっぷりあるうえに冬休みは午前中の将棋(NHK)もない。勉強時間は比較的長かったように思います。午前に1〜2時間、昼飯を食って古本屋。別のファミレスで本を1〜2時間勉強1〜2時間。僕の中では最初と最後の時間差だけとって「6時間もやった」と思っていました。

冬休み学校に行かないので、毎日図書室で読んでたJapan Timesが読めなくなりました。かわりにテレビニュース英語音声で聞くようにする。親と妹も「受験生」ということで不満は抑えてくれてたようです。

ちなみに過去問時間を気にせずやっていました。調子が悪い時や面白い問題にであったときは1時間を超えることもあったと思います。過去問で高い点数を取ってもあまり意味がないので答えや力の確認ではなく、とにかく「どんな問題でも時間さえあれば解ける」という確信を持てるように。時間を気にしていないので早く解き終わった時も確認とかはしない。「できた!」と思った段階で答え合わせ、間違っていたら原因を考える。

二次試験

とりあえずセンターの自己採点が大丈夫そうだったので、気が抜けました。本番でも緊張しないことが分かったのが収穫で相変わらず学校の授業に出る日々。得意で好きだった数学・理科はそろそろ休めます。教師との不仲が極限に達していた英語国語は最後の最後まで授業です。

東大の○○25ヶ年』シリーズって何?赤本と友人がやり終えた予備校テキスト文庫新書、あとは学校教科書勉強してました。友人から借りた予備校テキストはザッと解いて印象に残った問題だけ書き写して返す。別にビンボーだったからじゃないですよ。公立・公立・都立ときて親にはあまり負担をかけてないし、大学国立の予定だし、バイトガッツリしてたし、参考書を買う程度で躊躇することはありません。『東大の○○25ヶ年』シリーズはたぶん僕の頃にはなかったんだと思います。

そんなこんなでさすがに学校も行かなくてすむようになり(都立とはいえ受験校なので他の生徒は来ないし、教師もそのつもりでいる)、時間ができたので予備校に潜り込むようになりました。友人は私立志望が多かったのと私立の方は全く自信がなかったので私立コースです。あと友人は理系にも多かったので理系東大コースみたいのにもたまに行ってました。2ヶ月も真面目に勉強するとさすがに疲れ(飽き)たのか、この時期に大きく伸びた気はしません。予備校では、僕が無意識にやっていたことを言語化してもらった感が強く、それはそれで頭の整理ができました。有意義だったと思います。

ぶっちゃけ全科目やるって言っても、高校で一日授業を受けているようなものなのであんまり死ねませんでした。

科目別対策

数学

得意で理系の授業をとっていたので苦労なし。解けない問題は絶対に回答を見ず、翌日へでも翌週へでも持ち越してひたすら考える。答え方を覚えるよりも、答えの見つけ方を思いつくことが重要だと思います。図形問題なら知ってる定理・公式を片っ端から引っ張り出してやみくもに補助線を引く。そんなことを繰り返してるうちに、問題を見ると求めている回答がわかるようになってきます。センター試験は余力で解けるので無視。

使った参考書・問題集:東大京大・私立理系過去問

現代文

現代文は二三回本番形式で練習して、形式に慣れるくらいでいいと思います。現代文はみんな取れなくて差がつかないし、勉強すりゃ上がるっていうもんでもないので、比重は極めて低かった。漢字常識の範囲内なので、よっぽど苦手な人でなければ悪くても1問間違えるくらいで済むでしょう。

加えて日頃読んでいた小説・随筆は役に立ったかな。乱読・雑読ですが古今東西ジャンルに捕らわれずに古本屋投げ売りコーナーで目に留まった本を片っ端から読んでたので、過去問模試でもたまに知っているテキストがありました。新刊でも買うような好きな作家受験には向いていないようで、これも幸いでした。好きな作家テキストが出ていたら「正解」ではなく「持論(自論)」を書いてしまうひねくれた者なので・・・

知っているから解ける、知らないと解けない、というわけではありませんが、抜粋されたテキスト前後や著者が分かることにデメリットはありません。「受験のため」としてはお勧めできませんが、今まで読書に費やした時間も「無駄ではない」程度の気休めに。

使った参考書・問題集:なし

古文と漢文

暗記が苦手なので古文には多少手を焼きましたが、学校の授業で十分。むしろ暗記法があれば教えてもらいたいくらい。単語帳とかがいいんでしょうか。僕は単語帳を作るのが面倒だったので、とにかくテキストを繰り返し読んで単語の意味や用法を文脈から類推するように心がけました。おそらく全科目で一番教科書を使いました。和訳(現代語訳)では自然日本語になるように心がけました。意味が分からないから曖昧に訳すのではなく、文理や言葉のかかりを強調する翻訳体をさらに自然言葉に訳す感じです。英文和訳でも同じ。

使った参考書・問題集:教科書過去問

物理と化学

センター試験対策。教科書過去問で十分。感覚を忘れないように授業がなくても週に一度はやる。勉強期間が短いので過去問が枯渇する心配がない。

使った参考書・問題集:教科書センター試験過去問

世界史と地理

うちの高校では入学時点で日本史と地理の選択を迫られます。歴史の暗記(人名年号)が大の苦手だったので深く考えずに地理を選びましたが、これが功奏。日本史世界史日本史と地理が無関係とは言いませんが、世界史(の特に近現代史)と地理は密接不可分。片方を勉強すればいやでも他方の学力もあがります。

比較的得意だった地理。これは教科書一般教養新聞新書)で済ませました。とにかく視点を広くして、知らないことがあって当然、知らなければ考える。このとき世界史の知識や新聞書籍で読んだ現代社会の知識が役立ちます。社会政治は地理的条件や歴史的背景に帰結することが珍しくありませんから知らないことでも十分に推測がききます。

あとは地図を見ることかな。別に国名や地名を覚えようとする必要はなくて、国名や都市名とだいたいの位置が繋がればそれだけでたくさんの情報が得られます。内陸なのか平地なのか、頭の中で地形図や気候図とおおまかに重ねられればなお良し。世界でn番目に長い川の名前とかm番目に広い国土といったクイズ的な知識は不要。そこに川はあるのか、国土は山がちだが狭くはない、その程度で事足ります。

都市名と工業農業産業を単にセットで暗記するのではなく、そのような産業が育まれた地理的要因を考える。基本で当然のことのようですが、結局はこれにつきます。

歴史(世界史)。大の苦手。とにかく年号人名が覚えられない。ルイとかシャルルまでは分かるけど何世かが覚えられない。清教徒革命フランス革命前後関係因果関係)は分かるけどそれぞれの年号は知らない。(日本史なら足利某までは分かるけど某が分からない)それでも何とか解けるのが東大京大論述問題の良さ!

細かい年号はザックリと捨て拙い記憶力は人名とせいぜい事件の名称に費やす。あとは前後関係因果関係意識しながら歴史を概観する。

教科書や授業では国や地域で縦に切り、ついで年代で横に切って学習しますが、前後左右のつながりを考えて大きな年表を作ります(頭の中でも良いし、模造紙や今ならパソコンソフトで実際に作ってもいいかも)。先の例で言えば清教徒革命イギリスの歴史においてどのような影響を与えたのか、さらにヨーロッパアメリカのどのことがらにつながっていくのか、フランス革命フランスの歴史、ヨーロッパアメリカの歴史にどのように・・・こうやって年表に→を書き始めるとすぐに→だらけで見るにたえなくなっていくと思います。そんな因果関係を大まかに覚えていく。このような大きな流れがつかめると東大の問題は急に簡単に見えてきます。

教科書と資料集を片手に短時間で問題を解けるようになれば、あとは覚えるだけ。

教科書・資料集をわたしてもキーワード人名年号・地名・事件)をピックアップすることしかできずそれらをつなげて論説できない人が東大京大論述式問題を難しいと言ってるように思います。僕の場合は逆で、キーワードが分からない(正確に覚えていない)もののキーワード部分を穴あきにした回答は組み立てられた(センター試験の問題文のような文章)。教科書・資料集があれば穴埋めは簡単。あとはキーワードを覚える。受験勉強のほぼ全てをこれに費やしたと言っても過言ではありません。

例題を解く時は分からない問題もいきなり回答を見るのではなく教科書などを見ながら一度回答を完成させてから回答を見る方がいいでしょう。「覚えさえすれば」という段階に至ることが重要

もう1つ、大まかな流れを雑ぱくに理解するのに新書のような読み物が役立ちました。受験用ではないので縦横に細切れにされていませんが、その分全体的な流れが見えてきます。気分転換にもいいでしょう。

最後に暗記について。当時は思いもよらず、最近になって思いついたのですが、書いて覚えるのではなくしゃべって覚えるというのがいいような気がします。英単語漢字は書いて覚えるのも効果的だと思いますが、(ルイ)14世、15世、16世と書き連ねたところであまり役立つとは思えません。関連する人名年号・ことがらをセットで口に出すと覚えられそうな気がします。ぼくは学校ファミレス勉強してたので、当時思いついたとしても実行できませんでしたが。ちなみにこれは法学勉強を通して気付きました。自分レジュメを作ったり授業を聞いていても条番号はなかなか覚えなかったのですが、ゼミなどで口に出す頻度が増えると自然と覚えていました。

英語

英文和訳は慣れ。知らない単語は前後の文脈で予想。そのために役立ったのは英字新聞Japan Times(とテレビニュース英語音声)でした。朝に日本語新聞で読んだ内容が英語に書き直されてるようなものだから、知らない単語があってもドンドン読み進められる。これを2ヶ月も読めばいやでも単語力や読解力、類推力や速読力が身に付きます。

辞書をひくのはあとまわし。類推した単語はあとで必ず辞書をひく。この2点がポイントと言えばポイント辞書をひくのをあとまわしにするのは「考える」ことが重要だから。あとで必ず辞書をひくのは、1つの単語が持つ複数の意味を「とりあえず知っておく(覚えなくてよい)」のが重要だから。

今では多くの英語新聞記事がネットで見られますが、日本新聞とはフォーカスが違うので今なおJapan Timesが良いと思います。「英文を読む」よりも「大まかな内容を知っている英文を読む」ことが重要です。

趣味と実益を兼ねて好きな作家原書も読みました。が、これはさすがに知らない単語(と専門用語)が多すぎて勉強にはなりませんでした。

あとは過去問東大京大ではずいぶんと傾向が違うのですが、それでも私立の問題よりは国公立の問題の方が東大受験には役立つ。私立の問題は「知らなきゃ解けない」うえに教科書にないものも多い。国公立とは別のことを問うています。

単語帳は古文同様に作るのが面倒。教科書では物足りなかったり電車教科書を開くのが恥ずかしかったりなら、ペーパーブックを1冊だけ買って眺めていればいいのではないでしょうか。3日も同じページを読んでいればいやでも内容が分かるようになり、使われている修辞・技巧なんかにも気付くようになると思います。

DUOとか知らないしiPodは当時はない。当然使ってません。今なら英語ニュース議員さんのPodcastiPodで聞くのはありかも。(議員さんやニュース英語は分かりやすいです)

例文を覚えるという発想はなかった。過去問模試を解いているといやでも覚えてしまう文法的技巧や慣用句はありました。「覚える」というよりも「(自然と)覚えた」という感じなので「覚え方」は分かりません。

自由英作文は想定されている答えを探すのではなく「意味」が通る英文を書くことが重要。正しい文法で知っている単語の継ぎはぎする。どうしても分からなければ少し長めにあけた余白に薄く日本語を書いておき、あとで考えましょう。日本語1単語に5 words前後の余白を対応させるくらいの気持ちで。他のことを考えているうちにピッタリくる単語(1単語)が浮かぶこともあるし、そうでなくても空白のまま出すくらいなら中学校で習った単語を並べて意味を表現する。とはいえこれは苦肉の策。単語を知っていて損することはないので、時間と金と記憶力に余裕があるなら単語や例文はいくらでも覚えてください。大学に入っても社会にでも英語が足かせになることはないと思う。

英語(と現代文)は教科書をあまり使わなかった気がします。

使った参考書・問題集:国公立大学過去問模試、英字新聞

模試

模試は一通り受けたと思います。「教える」ための教科書と「考えさせる」ための試験では勉強の内実が違います。「教わる」よりも自ら「考える」ことの方が重要なので省エネ勉強のためにも受けて損はありません。嫌でも丸一日勉強したことにもなります。

東大模試は受ける。結果が悪くても気にしない。結果が良ければ安心する。結果が悪くて自信もなければそれを機に諦める(浪人するなり志望校を変えるなり)。

過去問を見るかぎり、東大よりも京大の方が正解の範囲は広いと思います(模試ではなく本番の話)。模試結果に納得いかない人は東大より京大に向いているかもしれない。

本番

寝過ごした!電車で寝過ごしたけど、高校受験で軽く遅刻した反省をいかして少し早めに出ていたのが功奏して間に合いました。遅刻だけは気をつけましょう。

遠方からの受験生ホテルなどに宿泊する方は寝坊に注意。受験まで1年のこの時期に言っても「そんなわけない」と思うかもしれませんが、1校しか受けない本名中のこのエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2009-01-31

http://anond.hatelabo.jp/20090131182025

得意/不得意は絶対基準ではなく相対基準。

どれだけ間違えようと点を取りやすければそれが得意科目だ。

100点も取れないくせに得意科目と思う奴は馬鹿だと高校の教師が言ってたな。

数学は特にそういう傾向が強いそうだ。

本当に分かってれば必ず百点を取る。それ以外はありえない。

一点でも不正解なら、そいつの99点は全て勘であって実力でも何でもない。

とにかく数学というのはそういう科目なんだと。

2009-01-18

毒親のいとおもしろし国語力測定 (前編)

■「毒親といふもの、 (と自己責任論)」

http://anond.hatelabo.jp/20090117102440

を書いた増田です。

◆導入・指針・要約

「常に親の都合やニーズ子供のそれより優先する自己中心的人間で、愛情というものが決定的に欠けている」 = 毒親。

  我が家の場合、母はアグレッシブな毒親、父は育児不参加。 

そんな家庭で、軽度の近親相姦をされたりしながらサバイブしてきました。(軽く触れますが、詳しくは↑で)

高校では、毒親による毒親のための毒家族宗教からの脱却を図り、健全人格を作り直しました。

  ・・・・でも、まだ序章です。

「あなたは生きる価値がないのよ」というメタメッセージたっぷり吸って育てられたので、僕の潜在意識は「僕は生きる価値がないんだ・・・」と死にたがっている感じ。

大きく差し支えます。まともな人間関係を維持するのにも、何らかの労働をするのにも。学業にも。

毒親による精神的な影響を断ち切らないといけない。

   そしていつかは「今日はカッコウと毒親がにぎやかだなあ、いとおかしや・・・」程度にまで、心を防衛する術を身に着ける必要がある。

毒親と対決して「勝つ」。毒親を扱った本「毒になる親」「不幸にする親」には、そうすることが かつて蹂躙された人格の復権に大いに貢献するといっていました。

(注意:ご自身が毒親と対決される場合、長期的で綿密な計画を立てる必要があります。思いつきで勝てる相手ではないので、専門家か、関連する書籍で味方を作ってからにしてください。)

・・・最初の一手を打って見ました。


◆最初の一手

「親の『言語運営能力』ひいては『思考力』の低さが、(もしかすると無自覚に)支離滅裂な行動に走らせていて、育児に際してとても有害であった。今現在もそうである。」

ということを冷静に母親に言ってみました。 参考書籍や、↑のエントリーでいただいたコメントにとても勇気付けられて助かりました。 ホントにありがとうございます。

◆毒親の背景

前のエントリーでは書いていなかったこと。

虐待されて育った母、父ともに元チャイニーズorz(ちなみに俺の国籍日本中国語カタコト。あたまン中は完全に日本人。)

・母父ともに北京に住んでた。過激な政治抗争の焦点となって、家に暴徒や政府の人が襲ってきたり、

・母の家、書を政府の令で燃やされたらしい。

・母、家での親による虐待政治的な居心地の悪さから身一つで脱中・来日。25歳くらいのことかな・・・?

・両者とも、それから日本語を覚えた。

ジリ貧だった。

・・・今考えてみると盛り込むべきだったかも・・・すみません。

・・・同情はしてます。

というか、経済的な支援をしてもらってる段階で僕は親に感謝すべきなのでしょう。  その件に関しては・・・。

でも、これ以上性的虐待をされるのも、うつになるのも、死にたくなるのも、2年で35キロやせるのも、願い下げ。

◆母はいつも言うこと為すことが支離滅裂だったのに、自覚症状がない。

毒親に関する本をいろいろ読んでみました。

↑のエントリートラバで紹介してもらった交流分析の本も読んでみた。id:masuda_oyuriokokさんありがとう

いくつかある典型的な毒親の特徴のひとつとして、

・「支離滅裂な言動で子供を混乱させる」

・「そして情動的な追い討ちをかけて服従させる」

・「感情的で、24時間末期のかまって君状態」

・「本人にはその自覚がまったくない」

というのがあげられていました。

我が家もこれが当てはまるような・・・

20代後半で日本語を取得した両親は、日本語が怪しい。 ものすごく怪しい。

コンプレックスなんでしょう。逆鱗みたいな感じです。

送ってくるメールのすべてが、日本語崩壊してる。日常会話も怪しい。

せめてネタで「・・・でアルね」とかいってくれれば笑えるものの・・・

むしろ、アグレッシブな毒親はコンプレックスの塊です・・・

さて、そんな本人は今では日本語で思考してるらしい。

言語は思考・思索の礎だ」というのなら、そんなに危険なことはない。

思考の車輪が、幼稚園児が書いた車の車輪みたいなものでは・・・考えが支離滅裂になりやすくなる可能性がある。

・・・恐ろしいことに本人は(コンプレックスも手伝って)それを認めることはありえない。


◆よろしい、ならばセンター試験だ。

母親言語運用能力論理思考能力を点数化してみる。

その毒性に対する免疫をつくり、毒親を毒親として扱う情報収集の一環として、母親論理思考力を点数化してみます。

・・・というか、それを受け入れるのかを見てみる。 拒否されたら、「拒否した」という事実が残る。

センター現代文は、「論理思考能力」を図るにはとても便利。昨日、国語を受けてきたしね。さっき、現代文センター過去問母親に渡しました。

実際にやれば母親論理思考力を測れる。 現代文の100点中、50点でも出れば諸手をあげて喜ぼう。

・・・俺は理系だけど、国語得意科目。 センターなら満点狙う。

・・・化学に関しては触れんでやってください。

本人はものすごい勢いで拒絶していました。 さすがアグレッシブお母さん。

これが、僕の、初めての反逆。

これでいいのかあまり自信はありませんが・・・・

そしてもうすぐ、毒親から離れての一人暮らしが始まります。 寮で一緒だった友達が近くにいるので心強い。

なんとか「離れて暮らす」ところまでこぎつけることができました。

点数が出たり、大きな進展があったら、また。

2008-12-22

また画期的エロゲを思いついた

家庭教師エロゲ

主人公大学生家庭教師カテキョーバイトを始めた時点から、いろんな問題を解かなくてはならない。人手不足でいろんな女の子を掛け持ちするけど、それぞれ得意不得意があって、月に一度行われる適正試験の結果と、その得意不得意のバランスが教え子との相性を決める。例えば、国語の点数が悪いまま国語を教えにいくと、好感度がさがり、最悪、カテキョーをクビになる。適正試験で二ツ以上の得意科目がないと、その時点でもクビ。

ただ、クイズ系のゲームは、攻略サイト全盛の、このご時世は難しいかな。

2008-03-22

いやそれは全然だめだろ

http://anond.hatelabo.jp/20080321212322

大手SIer東大理系院生にとって面白いところとは思えないなあ。少なくともSEになるってのはあり得ない。楽して金儲けがしたいと考えたとしても大手SIerは基本的にメーカーだから給料は悪いし、東大で学んだ専門知識が使える職業では全然ないんだから。「コミュニケーション能力」が大事だと言われるんだしな。研究所ならまだあり得るけど、研究畑の人間にとってSEとの付き合いは正直疲れる。

ちなみにそういう俺自身、旧帝大の院を出て大手SIer(というかメーカー)の研究所に勤めてる身分だが、SI系の研究所にきたのは後悔してるね。もっとハードというか重電系の部門を選べばよかった。情報システム業界人間の文化が俺の肌には全然合わない。技術よりも「コミュニケーション能力」を重視して「エンジニア」を名乗ってる人たちと付き合うのはかなわんよ。正直、「コミュニケーション能力」こそ大事とか言ってる奴は、自分の技術力の不足を丸投げ能力で糊塗しようとしてる奴が多いしな。


あとちなみに関係ないが

東大で全部可で単位そろえて卒業しても企業からみたらそんな学生要りませんよっと。

http://anond.hatelabo.jp/20080321214620

大学の成績なんてもんは全然アテにならんぞ。正直、成績表の中身と研究能力は全然関係ない。真面目にやっても単位が取れない奴は論外だが、遊んでて留年した奴でも研究室に配属されて化ける奴とかいる。研究室鳴かず飛ばずでも就職して化ける奴もいる。はっきりいってそんな簡単な指標はないぞ。

なんでかっていうと、大学入試より余程一夜漬けの成果が大学の成績には反映されるからな。だから、学生の中には「単位が取れればいい」程度の勉強しかしてない奴が多い。最初から院に行く気の奴は、院試とか卒論とか必要なときに勉強できるだけのポテンシャルを整えることだけを考えてて、得意科目とか趣味とかにリソースを傾斜してたりする奴が多いんだよ。そして、旧帝大みたいな大学は基本的に6年制だからね。3年目までの成績に意味があるなんて意識を持ってる奴はほとんどいない。

2007-12-25

リアル就職希望

みんな、リアル就職希望っていつごろから考えてるのかな?

やっぱ高校くらいから「こういう仕事したいなー。だったら○○大(○○学部)だな」とか考えてるわけ?

それとも大学に入ってから?

バイトから興味が出て…とか、逆に興味のあった職業バイトで体験したり…って感じなのかな。

それから給料労働条件も考えて…。

俺は漠然と自分の得意科目偏差値考えて進路決めた。

大学入ってからもバイトはしてたけど、それは単に金稼ぐ手段で自分の将来とは全く関係ないと思ってた。

大学3年になって求人情報が出回ったが、どうも興味を引く職場はなかった。

OBから電話がかかってきても人見知りなこともあって断った。

実はマスコミ関係には応募したが一瞬で落とされた。

結局、働くってことがどういうことなのか全くわかってなかった。

「働く」でイメージするのが流通・販売・土木etcっていう「目に見える」ものしかなかった。書類で世の中を動かしていくサラリーマンなんて今だに想像できない。ちなみに父はもうたたんだが小さな工場(「こうば」と読んでくれ)をやってて、母は幼稚園教諭だった。

結局、当時就職氷河期だったこともあり院に進学したが、今では高学歴ワーキングプア

2007-11-29

二ヶ月で早計

いけるか? 夏のセンター模試早大法がB判定、早大模試で法がD判定。

9月から、無勉(8月まではある程度していた)。本当に無勉。ガチで無勉。何もしてない。丸3ヶ月何もしていない。

受ける予定の学部は人間科学部、社会科学部、商学部。どこでもいい。偏差値低いのを受けることにした。あと、漢文がないとこ。

苦手科目は古文。得意科目は特になし。

選択教科は政治・経済政治・経済ガチガチに固めて、英語DUOで単語チェックする程度で、現代文は運否天賦にまかせて、古文は玉砕する予定。

無謀かな?かな?

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