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はてなキーワード: 得意科目とは

2021-03-27

勉強がつらい

国数物理が得意で好きだった。英・化学がそこそこ、地理選択ガチ理系工学部志望

暗記が全くだめ

国数理が得意なら生きてこれたし苦手な暗記科目の分は得意科目カバーして無理のない範囲でやってた。そこそこの点だった

大学医療系に入った。それも有名大学の

勉強は好きだし点も取れたからその辺の大学ならどんな学部でも入れたのに、医療系は資格が取れ安定するとかいう親の理論により入った

興味のない医療用語や人体の暗記をひたすらやってる

毎日苦手な暗記ばっかりさせられてそれで点数がつけられて単位がもらえる。人生で初めて勉強がつらい

小学生の時に胃とか腸とか覚えさせられて、これは興味なさすぎて覚えられん。アカンと思って医療者には絶対ならないと誓ったのに何故か医療系にいる。

医療者になりたくない。

実技も細かい数値とかデータとか検査手順とか決まり通りできないし、数値も雑にしか取れないし詰んでる

他人に興味なさすぎて自分のことしか興味ないのに他人の面倒を見られるはずがない

勉強がつらい。

性格に合わない学科にいるせいで、そこに集まってくる生徒も自分と衝突の起きやすタイプ性格人間ばかり。

なのに授業はグループワークばかりさせられる。つらい。

教師思考回路も真反対すぎて授業も理解しにくい。つらい。

実習で行った現場も合わない人間ばっかりだった。つらい。

実習と就活かぶってて医療就職以外選べない。つらい。

つらい

2021-03-11

anond:20210310120801

地頭信仰って教育の敗北だと思うんだ

地頭がいいってのは、教えなくても理解できる、自分で調べて勉強できる、ってことだから

小学校鶴亀算だって方程式使えば簡単に解けるのに、学習指導要領範囲内で解くことを強制されるからアクロバティックなものになる

地頭がいい奴は得意科目なら何でもできるから、アクロバティックであろうが問題集の解答を見て本質をつかみ、難なくものにできる

この対応能力こそが、会社に入ってからも柔軟に業務適応し、役に立つ社員になると期待できる

本当は中学高校もっと社会に出てから役に立つトレーニングをさせればいいんだけど、そうすると「資本主義奉仕する型にはまった労働者」に育てるのはけしからん、って文句をつける奴らの声がでかいんだ

2021-01-17

センター試験の思い出

受験生各位、お疲れ様。今はなきセンター試験のことを振り返る。

2010年

とある地方公立高校の現役受験生の当時、夢はでっかく東大合格!と張り切って受験。まずは東大二次試験文科三類)にたどり着くため、脚切りだけはなんとか回避すべく、85%以上を目標にした。

試験会場は近くのFラン私立大学で、親に車で送っていってもらった。毎年センター試験の日だけは雪が降るという謎のジンクスがあり、2年前に受験した姉のときも雪だったという。そしてその年もやはり雪だった。雪が年に1回か2回ほどしか振らない地域のため、母親運転ビビりまくっていた。

現役生のため制服受験したが、会場が暑い暑いシャツの第2ボタンを開けて左右に体を大きく揺らしながら解いていたら試験監督に優しく注意された。

結果は、799/900点。数学は相変わらず苦手でうまく行かなかったのと、最大の得意科目である倫理まさかの70点代を叩き出したが、それ以外の科目はほぼほぼ9割を確保。なんとか脚切りは回避できたと確信して、ホッとしたのを覚えている。

ちなみにこの年、文系では高校トップの点数だった。いかレベルの低い高校だったか…。

その後、満を持して東大受験して1点以下の点差でギリギリ不合格。泣きながら一年浪人生活。

2011年

もはや過去問、各予備校の予想問題をあるだけ全部解き尽くしており、ほぼ二次試験のことしか眼中にないほど楽勝感があった。

この年の受験会場は、前年とは別の某公立大学宅浪していたため浪人中に友達はいなかったが、センター試験の日の朝、偶然会場で高校時代同級生出会いテンションが上がった。その友人は自分もっと話したい様子だったが、自分としては乾坤一擲勝負の日なので、予習があるからと言ってその場を辞した。ちなみにその彼は第一志望落ちたらしい。気合が違うんだよ、気合が。

結果は、827/900点。もうちょっと高めの点数が取れるかとも思ったが、ま、二次試験の足を引っ張るほどの点数でもないので良しとした。

その後、満に満を持して文科一類受験合格者平均点を少し上回る平凡な成績で合格

その後

ちなみに大学では普通に留年したし、なんとか卒業したけど就職第一志望にはいけなかった。大学受験燃え尽きて大学サボるとこうなる。

anond:20210117002656

高校大学私立ピンキリだよ

ただ、大学場合公立基本的にはセンター(今は共通テスト)を5教科受けるから、その辺の私大よりはバランスよく勉強できるイメージはあるってくらい

高校は、首都圏だったらMARCH早慶国公立大学の附属高校と一部の最難関私立公立トップ>中堅私立公立私立ぐらいのイメージだと思う

私文大学が叩かれるのは、現代文英語と何か得意科目三科目で入学できるところが多いからじゃないか

現文と英語と数IAができればその辺の私文は余裕で入れる

2021-01-10

日本の税務って煩雑だけど

このクソめんどくさい手続きをド素人が1ミリずつ理解して、

クリアしていく感覚って、不得意科目宿題鬼のように出してくる教員を思い出す

クソめんどくさいけどやったあとは自分の力になってるというね

その意味感謝しとるのよ、税務ルールにも、この日本という神の国にも

才能ねーからクソ遅い速度だけどさ

2020-11-25

https://anond.hatelabo.jp/20201125145646

あるあるあるwww いたねそういうやつw

あれほんと激寒だった。

他に実際に受かった大学はFランだけど

「国公立狙って失敗しただけで得意科目だけだったら慶応受かってた」っていうやついたわ

こういうやつら、受かるための努力すらしてないのによく他人努力をくさせるよなー

2020-10-16

anond:20201016084503

自分学校試験は苦手だった。勉強方法がよくわからなかったのだ。ただ勉強しなくてもなぜか点は取れる得意科目というのがあって、それはそこそこできたので、トータルではそこそこだった。でも勉強ができない…というよりか自習ができないタイプだった。

社会人になって興味がなくても資格必要になったが、まだ会社ではあまり資格とってる人がいなくて、誰も教えてくれない状況で、ようやく自分なりの試験勉強のコツみたいなのがわかった。

アウトプットを先にして、それから必要情報にとりかかる。具体的にはテキストを読む前に例題から始める。

もちろん最初はほぼ0点だ。それから、回答を読み、この例題に答えるにはこういう情報必要…という関連のさせ方だとそこそこ暗記できることがわかった。繰り返すうちに例題間の相関みたいなものまでマップが出来てくるとさらに覚えられるようになった。テキストを読むのは最後最後ぐらいだ。これでようやく「興味がないことに強制的に興味を出させる(と言っていいのかどうかよくわからないが)」ような流れをつかめた気がする。

2020-08-28

院試落ち 教授からは才能がないと言われた23高学歴童貞運動音痴コミュ障子ども部屋おじさん

23歳がおじさんに該当するかどうかはこの日記主題ではない。

この日記は似た境遇経験した方々を探したいという思いと

自身の半生を振り返りたいという思いからつづる日記である

先日私は大学院入学試験に見事に不合格となり、春からの進路を失った23である

まずは現状をつづりたい。

東大京大には及ばないもの世間一般から高学歴といわれても差し支えのない大学

化学系の学部入学し、その後一度の留年を重ね、

卒論以外の取得単位を得たのち自大院試を受け落ちてしまった。

その後、院試の筆記の結果やいままで5年間の期末考査の出来などから

講義にはすべて出席し提出物もすべて出しているにもかかわらず筆記試験の点数が悪い。真面目なのはいいことだけどこの分野は向いていないと思う。就職した方がいい」

アドバイスを受けてしまった。

次は、大学入学後5年間は化学以外の勉強インターン等のその他自身にとって有益となる活動を一切せず

滑り止めとなるような院試を受けずに油断していた私がこれから何をすべきなのか

自身の半生を振り返ることで考えていきたい。

小学生の時、私は体が弱く、そしてどんくさい奴だった。運動神経だけではない、会話の流れが早くなればついていけなくなるような頭の回転という面でもどんくさかった。

ただし、家庭環境は非常に良かった。

小学校6年間通して進研ゼミ(発展ワーク等のオプションを含む)を受講し、中学受験を控えた5,6年生の時には塾に通わせてもらったこともあり

学業で大きく後れを取るようなことはなく、

自身の頭の回転の遅さを自覚することなく育っていった。

そして、中学受験、私は志望校に落ち公立中学へ進学することになる。

(一つ言い訳をさせてもらうと、一般的な私立中学を受験したのではなく、公立中高一貫校のみを受験したため、滑り止めといわれるような学校受験していない)

中学校では、受験に落ちた悔しさをバネにし勉強をしたため、かなり上位の成績を維持することができた。

今思うと学業において周囲の人間に頼りにされていたあの頃が最も自己肯定感に満ちていたように思う。

しかし、高校受験、再び第一志望に落ちてしまう。今思うと悔しさをバネにできたのは最初の1年間で残りの2年間は惰性で勉強をしていたような気もする。

ただ、それでも曲がりなりにも周囲の人間よりも勉強をしていたこともあり名のある進学校の一つには合格することができた。

高校の時は文武両道を目指し運動部にも所属

生来身体の弱さから部内での活躍底辺であったがそこそこ真面目に取り組んだため楽しかった)

したが、

その後あろうことか娯楽を覚えた私は自身長所である学業の成績を大きく落とすこととなる。

その娯楽とはオタク文化なのだが、自身集中力を削ぐ一番の原因は、当時大きく普及したスマートフォンオタク文化と大きく相性が良かったことのように思う。

中学の時とは違い名のある進学校、1年という月日は周囲の人間自分学力の差をどうしようもないほどに引き離すには十分すぎる時間であった。

そのことに2年生時に気づくも3年に進学するまでの一年間では埋めることはできず、少し勉強に力を入れた程度では

その差をこれ以上広げないことしか出来なかった。

ここで私の当時の教科ごとの成績を確認したい。

英語、最も大きく成績を落とした科目、またどの大学を志望するにも必ず受験する科目でもあり、そして当時から現在にかけてまで私を苦しめる存在

数学中学当時最も得意だったが、平均以下にまで落ち込んでしまう。その後も学内平均を行ったり来たりを繰り返す。

国語中学の時から苦手であり、膨大な文章を読むと眩暈がするため真っ先に大学受験から切り離した。今思うとこれが不得意であることが頭の回転が遅い一番の証明であるかもしれない。

理科物理化学生物地学のなかで唯一化学けが学内上位の成績をとれた。これが化学系の学部を志望する要因となる。

社会センターのための倫政以外の勉強は一切しなかった。

化学しか得意科目がない以上理系に進学する以外道がないように思い、進学校であることも相まって国立理系志望となる。ただし成績不振であることから東大京大は目指せなかった。

3年生、国立理系志望、東大京大でなくとも名のある大学第一志望にしていた私は自身の成績では到底足りないことを自覚夏休みの40日間、22時就寝3時起床の生活サイクルを維持しながら合計600時間勉強を達成する。このモチベーションを維持したまま大学受験突入したこともあり見事現役で第一志望に合格。今思うと当日の入試問題たまたま得意分野が出題される、苦手分野は誰も解けないくらいの高難易度などいくつもの幸運が重なった結果であり、

担任教師からですら浪人すると思われていたが、合格した。

人生で初めて第一志望に受かった瞬間だった。

しか第一志望に受かったからと言って

その後にすべてうまくいくわけではない。

大学入学後、5年間、この期間を振り返るとあまりにも無為に過ごしたと言わざる負えない。

大学生たるもの学業以外の活動も行うが、アルバイトはどれも長続きせず、サークル活動では自身のどんくささから後輩から説教を受ける始末。

何も成しえないがしか学業においても多くの必修単位を落とし留年。1年後卒論以外の卒業単位をかき集めるも院試には落ちてしまう。

教授曰く、「講義にはすべて出席し提出物もすべて出しているにもかかわらずあらゆる筆記試験の点数が悪い。真面目なのはいいことだけどこの分野は向いていないと思う」

とご指摘を受ける。また、TOEICの点数も非常に悪く驚くことなかれ400点以下。救いようがないのは事実

院試の結果が出た際、自身の親からは「大学受験の時ほどの必死さがなかった。」と指摘を受ける。

自分もっと頑張れば院に行ける人間なのか。それとも教授が言っているように向いていないのか。

上記のように自身が今まで頑張ったことが勉強しかない人生。その勉強ですら院試落ちという結果に終わってしまった。

就活、ほかの大学院受験など選択肢は無数にあるがどれを選択するのが自分にとって最善なのかわからない。

2020-08-23

なんで読書感想文ばっか特別扱いなんだよ

俺なんて本を読むのが好きで自分感想もあるし、嘘つくのまでも得意な子供だったから読者感想文なんて楽勝だったわけよ。

でも例えばサッカーとかは苦手でいつもお荷物以下、かわいいワンちゃんでもコートに入れといた方がかわいい上にボールいかけるからまだマシっていうくらいのクソザコトーテムポールだった。

先生陽キャボールを怖がらないで!みたいに雑なこと言ってくれるけど別に怖くないんだよ。

もともとできる奴と一朝一夕で同じになんてできないし、コツがあろうと体が動かない。

これが重要。やる気はある。できないだけ。悔しいし苦しい。

ただまあ読書感想文とか他に得意科目があるから甘んじて劣等のレッテルを受け入れてやってた。

人間得手不得手があるからな。

でも「人間には個人差があるんだからサッカーはやめろ!」「無意味!」「教え方が悪い!」とか言ってくれる人はいなかった。

しろポジティブ教人間は楽しめ!と言い出す始末。


で、巡り巡って大人になって、この分野では味方のはずの文系インターネット正義マンが俺の輝けるフィールドである読書感想文に対してできない子もいるよね…!とキラキラ言い始める。

は〜ふざけんじゃねえよ。

お前らそれでも隠キャのインテリか。

読書感想文必要性を訴えて第二第三のあの頃の俺を救ってくれや。

できない奴に合わせてできる子の得意分野取り上げるならサッカーも取り上げてくれ。

2019-12-20

社会における自分価値

自分は間違いなくコミュ障である。だから社会における自分価値を「有能である事」としてきた。

自分で言うのもなんだけど、昔から幸い人よりも地頭や要領が良かった。

小学校の時、仲間内で同時期に始めた習い事で一番成績やランク(段位や進度など)が上である事が殆どだった。

中学校の時、クラスで一番成績が良かった。部活レギュラーだった。

高校生ぐらいになるとネット世界に出る事を覚えた。凄いなと思ったものを真似してみたらすぐに成果物は出来てそれなりに見てもらえた。

大学生になってバイトを始めると、やはり仕事を覚えるのは早くて、店のエースだと持て囃された。

新卒会社入社すると、すぐに同期で一位の成績になって、近年稀にみる逸材だとか噂された。

なので人生都度都度、褒められてきた。

増田さんは〇〇が出来るなんてすごい!」とか「増田さん本当に頼りになる!」とか「増田さんのお陰で〇〇が出来た!」とか「増田さんが皆のお手本になってね」とか。

有能でいればそれだけでコミュニティへの所属を許された。

褒められて気持ちいいってのもあるのだが、それ以上に自分はここに居て良いという事に安心していた。

だが、小学校から……いやそれより前、生まれてこのかたコミュ障が治らない。

先天的陰キャなのである。要領は良いのに、悲しい事に人間として基本的ダメだ。

コミュニケーションといっても、業務的な報連相をするのは超得意科目だ。

だがとにかく雑談が出来ない。所謂友達との会話が出来ない。

友達いるっちゃいるけど、類が友を呼んでるので友達も大抵コミュ障おひとりさま属性だ。

いつもどこかの段階で、気付いたらなんだか浮いた存在になってる。

同期には成績では勝っていても、人間として確実に敗北している。

特に一生かけても勝てる気がしないっていう、コミュ力の化け物みたいな子がいる。

どうしてそんなに上手に会話が出来るのか。こんなコミュ障とも上手く会話をすり合わせて溶けるように会話が出来るのか。

会話テクニックと優しい気遣いの出来る性質が相乗効果を起こしている。こんな風になりたいけどなれない。

自分他人に与えられるメリットは「有能さ」でしかない。

コミュ障なのにこれで「役に立つから」という理由でそこに居場所を作ってもらえる。

だけど有能でなくなったら、上手くいかなくなったら、自分コミュニティからきっと切り捨てられてしまうんだろうなといつも思う。

いつ、この社会から脱落するんだろう。

それが恐ろしくて、今日も頑張って足掻いている。

2019-11-28

中途半端国語が得意だと、人はダメ人間になる

中学時代結構落ちぶれて、勉強は全てダメだと思っていたし、得意科目なんてないと思っていた。

でもある日模試を受けて、国語100点を連発した。なんでこんな簡単文章でみんな60点とか取ってるんだ?って思った。

中学国語は、教科書作ってるような人が教えていた。そういう人がどんなテストを作るかと言えば、読解力が必要なのは10点分程度。

残りの90点は100人一首の暗記だったり、大学の授業で教えるような知識の詰め込みだった。読解力は評価されない仕組みだったのだ。

読解力問題というのは、端的に言えば「粗探し」だ。論理的な間違いを指摘するだけの簡単作業

よくツイッターだと国語の読解問題が叩かれるが、彼らは馬鹿なんだと思う。論理命題すら理解できない自分の頭の悪さを隠したいだけだ。

話を戻すが、自分先生は意地悪で、成績の悪い生徒をたまに当てて晒し上げるのが趣味だった。

その日は「スピーチ」の練習で、先生が突然与えた議題を基に即興文章を作るという物。「りんごイチゴはどちらが素晴らしいか?」みたいなそんなん好みだろ、と一言で終わるのを

1分間語り続ける。生徒当てルーレットという、先生が目をつぶって座席表をから当てる、という手法で生徒が指名される。

当たり前だが、ベテラン先生なので、目をつぶって居ても狙った場所に当てる事が出来る。先生と目が合ったので自分に来るなと思ったら、案の定自分に当たった。

「うーん、思いつかないっす」で終わろうと思ったが、そういう雰囲気ではなかった。とりあえず適当に出まかせで喋ったら、それらしい文章になり、クラスから歓声があがった。

他の人も当てられたが、皆しどろもどろでうまく言えてなかった。

今考えると、自分は親が厳しかったので、嘘をつく能力が異常に発達していた。その上、作文を毎回授業開始10分前で泣きながら書いていたので、巧く言えた。

自分の持っている読解力と、出まかせで論理をつなげられる作文力は、模試国語の成績向上に大いに役立った。

ここまで読んでわかったと思うが僕は卑屈なくせに、プライドものすごく高い。

そういう人間がどこに行くかというと、2chだ。兎に角相手文章齟齬を見つけ、作文して論破する。

正しさなんてないと知っていた。だから自分思想を全部捨てて、適当相手反論しかみつくことを繰り返していた。

高校でも成績が悪かった。自分にはやりたい夢があったが、得意の論破力で自分の夢さえ否定していた。

先生学力ややる気に関して何か言われても、それを上回る理由付けで先生を黙らせることが出来た。

友達と遊ばない理由勉強しない理由彼女を作らない理由、何かしない理由なんていくらでも思いついたし、それで自分を納得させることが出来たし、周りも納得していた。

正しさなんてないと知っていたのに、自分の「しない事」に関しては正しいと思い込んでいた。

やらない理由を探す努力は、何も実らない、とアニメでやっていた。

それは正しいと思う。経験則でそうだったからだ。実際言い訳ばかり作り、自分他人を騙し続けた人生。本当にやりたいことはやれなかった。

中学先生は他の学校がやらないような知識問題ばかり入れてきたのか?と言われれば、優秀故に結局正しさなんて主観しかないと知っていたからだろう。

国語問題の答え何てどうにでも言うことが出来る、そんな小手先論理じゃなく、血と肉となる知識を頭に詰め込みなさいと。

それが経験となり、人生を豊かにさせる。論理なんてただのゴミなのだ人生においては、10点分程度の価値しかない。

とまぁ、という事をうそぶいて、他人の行動に勝手意味を与えて、自分論理の中にねじ込む。

やってることは今までと変わらない訳だ。

でも、と思う。やる理由を探す為にこの国語力を使う分には、少なくとも空しくなることはないんじゃないか

やらないより、やる理由を探す努力をしようぜ。

とりあえず、アニメ俺を好きなのはお前だけかよ』、毎週水曜-木曜の深夜にやってるから見てみような。

2019-01-02

東大までの受験の思い出

私は、中学受験御三家に入り大学受験を経て東大入学した。

中学受験

動機は3つ。小学校で好きだった子や友人と張り合うため。先生に勧められたため。行きたい学校を見つけたため。

小学校東京郊外私立に通った。いわゆる東京私立というイメージとは遠く、付属中学もなく田園の教育という方針実践しているのんびりとした学校だった。学年に男女合わせて30人ちょっとしかおらず、当然クラスひとつしかなかった。

私は四年生の時に親の母校であるその私立へと転校した。学校では何もしなくても成績が良かった。テストはいつも早く終わり、ほぼ満点しか取らなかった。いつもトップを争う子がおり、私はいしかの子好意を寄せるようになった。その子とは度々一緒に学級委員に選出されて囃されたが、実際悪い気はしなかった。

五年生になって周囲が塾という習い事のため足早に帰ることに気づいた私は、特に深く考えもせず受験がしたいと親に申告した。担任先生相談すると、可能性を広げる良いチャンスなので多いに推奨すると言われた。この時の先生一言だけで私は世界が広がった気がした。

学校をいろいろ見学した結果、最後に訪れた御三家一角を目指すことになった。門を叩くまで母は恐れ多いと躊躇していたが、行ってみると風通しが良く自由校風で私は一発で気に入った。ここしかないと強く思った。

好きになった子とは家族ぐるみの付き合いがあり、テーマパークへ行ったり共学を一緒に見学したりした。同じ学校で無敵の青春時代を過ごす妄想が捗ったが、世間的に知名度の高かった共学も思ったほど私には語りかけてこなかった。試験日程も遅かったので、お互いそれぞれの御三家第一志望となった。

塾は近所の個人塾に通った。寺子屋みたいな雰囲気で、先生塾長奥さんの2人、生徒は4人、そして授業中は正座だった。私だけ必要な科目数が多かったので、マンツーマンで教わる時間も多かった。回答を間違えると「バカチン」と先生はよく言った。指導は厳しかったが、頻繁に飴を配ったり可愛がってくれた。

塾は行ったら行ったで面白いし好きではあったのだが、束縛に耐えられなかったのか、私はよく直前にお腹を壊したり、自転車で行くふりをしてバックレたりした。もちろんすぐバレた。何度もやめてもいいよと親に諭されたが、そう言われると余計に引けなかった。何より勉強は楽しかった。自宅で勉強と称して漫画を読むのも楽しかった。

大手の塾には模試と講習だけ行ったが、普段学校や塾とはまるで異質な空気に圧倒された。何点取ったらゲームもらえるとか、模試で何位だったかお小遣い増えたとか、そんな会話が横行しできない奴は容赦なくバカにされた。私は萎縮してしまい、模試や講習では御三家を狙うにはギリギリ偏差値をいつも取っていた。

そんなこんなで中学受験第一志望の受験日は2月1日受験番号は402。母が「フォーチュンだね」と言ったので覚えている。大手塾特進クラスの連中はまるで家にいるみたいに寛いでいた。田んぼ学校に通いちっぽけな寺子屋からひとり送り出された私は、担任塾長言葉を思い出しつつ、昼休みに母の作った弁当を噛みしめた。

手ごたえはあった。得意科目算数だったが、特に国語ができた気がした。第二志望以降も受けたはずだが、第一志望で力を使い果たしておりほとんど記憶がない。2月3日に結果が出るとその後はもう受けなかった。サクラサク

大学受験

東大受験することにした。理由は、別の進路を断念したため、学費が安かったため、そして周囲のほとんどが目指していたため。

はじめは芸大の先端芸術表現科というところに行きたかった。アートを学び実践たかったのだ。しかし、東大からでも道はあるという説得と、受験対策のための出費がかさむという理由で断念した。今思えば金をかけずに挑む方法模索して食い下がればよかったが、当時は思い至らず折れてしまった。

私が中学の頃に父は長年勤めた会社早期退職したが、その後仕事が奮わず家計は火の車となった。学費生活費の捻出に家族があくせくする状況の中、私だけ美大受験意志を押し通すことはどうしてもできなかった。大学受験は塾に通わず授業と自習で挑むことになった。

幸い有数の進学校には通っていたので、目標東大に変えることは自分の置かれた環境を最大限活かすことにもなった。上位25%が東大に進学する学校で私は時折圏内に食い込む程度の成績だったので、そう遠くない目標に思えた。

ところが、目指し始めた頃には届きそうに思えた赤門も、時間が経つにつれ遠のいていった。ハイレベルな塾に通う周りからは目に見えて離され始め、模試の判定も振るわなかった。いくら寝ていても自習をすると眠くなり、分からないところがあっても差を感じると素直に質問できなくなった。焦るほどに時間けが過ぎていった。

願書を出す段になると、父と腰を落ち着けて話した。弱気になった私とは裏腹に、父は自信に満ちていた。「滑り止めに金は出さない。行きたいところだけ受ければいい」と父は言った。それもそうかと妙に納得し、私は東大のみを受験することにした。東大一本なら正直落ちてもカッコつくと思った自分がいたのは事実である

余談だが、父は学生紛争東大受験がなくなった年に受験生だった。成績優秀で東大を目指していた父はその年第一志望に挑戦することすら叶わず第二志望へと進学した。私はその話を本人からではなく母から聞いた。複雑に絡み合った様々な思いを背負って私は試験に臨んだ。

結果はボロボロだった。足切りこそされなかったものの、センター試験合格者平均を大きく下回っていた。二次試験数学に至っては頭も回答用紙も真っ白だった。案の定、私は東大に落ちた。

大学受験2】

浪人した。親の期待と、自分の意地だけだった。

東大に落ちて私は忸怩たる思いでいっぱいだった。自分が周りに一目置かれたいがためにいたずらに東大を目指した気がした。東大しか受けずに落ちたと言うと、周囲はその勇気を讃え不運を嘆いた。だが私が一番良く知っていた。それは勇気ではなくただの処世術で、不運ではなく純然たる力不足だった。

私が卑屈にも自分と比べていた仲間たちは一足先に合格をその手で掴み大学生となってしまった。毎日通っていた高校卒業してしまった。私はからっぽになった。現役受験が終わってから、これは他人との競争などではなく自分との戦いなんだとやっと気付いた。

就職浪人かという選択肢を前に、働くと言いかけた私に親は浪人を勧めた。もったいないから、という言葉に私は到底納得できなかったが、ある種自分を見直す時間だと捉え受け入れた。親に頭を下げ予備校に通った。

浪人の前半期はくすぶっていた。授業は新鮮で楽しめたが、予習復習には身が入らなかった。借りた小説を読み漁り、レンタル映画を見倒した。私は物語の主役であり、困難に立ち向かう若者であり、世界の広さを思い知る冒険者であった。自由を求め無頼を気取っていたが、その実何の変哲もない予備校生だった。

後半期になると配属クラスが上がった。自分でも気持ちが乗ってきているのが分かった。模試では結果を出せるようになり、勉強試験のサイクルが単に知識の吸収と確認をする作業なんだと理解できた。高校教科書をはじめから読んだり、資料集を飽きるまで眺めたりした。そこに書かれていたのは試験のために記憶すべき情報ではなく、世界を紐解く手掛かりだった。

この頃から私はセンター試験をひたすらやった。現役受験の際に感じた基本の不足を徹底的に見直そうと思った。周りは東大対策に余念がなかったが、私は自分が一番手応えを感じられる道を進めばいいと思えた。センター試験で満点が取れるようになると、不思議二次試験過去問も解けるようになった。

結果からいうと、私は当時の前期日程試験不合格だったが、後期日程で理科一類合格した。

前期日程で落ちたのは予想外だったが、余計な要素が削ぎ落とされるほどに私はなぜか冷静になれた。後期日程では科目の絞り込みに加え選択もあるため必要試験が少なく、私の場合はほぼ英語数学のみだった。そして私にとってはそれが望ましかった。

試験前日はよく眠れた。朝は自然と目が覚め、焦りや気怠さを感じることなく落ち着いて試験に臨むことができた。数学はあっけなく終わり逆に不安になったが、英語会心の出来だった。やるべきことはやったという清々しい心持ち試験を終えた。

結果発表では安堵と高揚感からか、現実感が薄らいですべてがぼやけた夢のように思えた。勝鬨をあげたり号泣したりする見知らぬ同志たちを横目に、私は特に湧き上がる感情もなく立っていた。アメフト部に合否を聞かれ、小さく頷くと胴上げされた。着地の際に自分体重が戻ってきたのを感じ、それまでの漂うような気持ちは消えた。

こうして私の受験は終わった。

最後に】

小学校で好きだった子は私と同様に第一志望の御三家合格したが、中学進学以来疎遠になった。私は大学を出て10年になる。

受験競争心を煽って奮い立たせる仕掛けが多く、そういう経験を経て比較しか物事を測れなくなる人間もまた多い。実際に私も周囲の人間環境に大きく影響を及ぼされたが、最終的に納得の行く結果は自分選択からしかまれなかった。

正月受験生たちに、あけましておめでとう

2018-11-19

学校の授業って「道徳」と「一般常識」だけでよくね?

基本の算数国語とかは教えるけど、

深く知りたい人のみ続きを勉強するシステム得意科目のみ勉強)にして

あとは「道徳」と「一般常識」で良いと思う。

自転車歩道をかっ飛ばしはいけませんよとか、

わがままばかり言ってはダメだよとか、

意見押し付けたら他の人はどう思うんですよとか、

嘘は膨らんで大きくなり大変になりますよとか、

言ったことや、自分のやったことで他者が傷つくことがあるんですよ(表現の自由)とかさ。

イジメが起こるのも、「他者」のことを思いやる気がさらさら無く

自分勝手な考えで起こるものじゃん?

いじめられっ子が悪いパターンときも、いじめっ子が悪いとき

他者のことを考える気が更々ない」からじゃん。

嘘つきまくって、自分勝手で、他人責任押し付けることばかりやって

大勢の事を苛めた上で反撃にあいいじめられっ子になった奴とか居るじゃん。

そういうことだ。

2018-08-04

本当に悔しい

私は親に頼んで女として生まれついたわけじゃないよ。たまたま性別が女だっただけ。小さい頃は恐竜に夢中で病弱でかかりつけの先生にあこがれて医者を志して、得意科目理系で今必死医学部入ろうと勉強してる、なのに、どうして私は女ってだけの理由試験から点を引かれないといけないんだ。

結婚なんてするつもりないよ、共同生活嫌いだから。億が一するとしたって子ども持つつもりはほんとにない、なんなら子宮取ったっていいよPMS酷いし。女には体力ないっていうなら受験終わってからジム通うよ、今から体力つけてりゃ大学出る頃にはそこそこになってるはずだよね。身長だって170あるから男に比べて体格負けはそんなにしないと思うな。他には何すればいい?何すれば男と同じ種族のヒトとして見てもらえる?私頑張るよ、だってずっとお医者さんになりたかたから。

でも女ってだけで点引かれるんだよね。多分東京医科大だけじゃないんだよね。医者になる、その前の勉強する段階ではいはいりませ〜んって門閉じられるんだよね。それで女は家庭に入るから、楽な科を選ぼうとするから医療の維持のためにしょうがないって言われるんだよね。女の中の個人差とかは無視で。あーほんとなんで私女なんだろう。なんで男に生まれなかったんだろう。本当に本当に悔しいよ。

2018-04-17

生きづらさの話

ここ最近ずっと悩んでいて、頭の中がぐちゃぐちゃになっているので一度文章にしてみようと思いました。

最近ハタチになった大学三年生。実家暮らし。猫が好き。とある専門性の高い女子大に通ってて、バイト学内と学外でふたつかけもってる。人見知りで集団行動が苦手で、大学にはひとりも友達がいない。典型的な女オタクだけど、学部の特徴的にお仲間がいないのでなお友達ができず、ぼっち生活を二年間送ってきました。不登校になってから今日でちょうど一週間になります

事の発端は、新学期初日前夜に母から「つらいなら大学辞めてもいいんだよ」って言われたことだけど、それがなくてももしかしたら破綻してたかもしれない。私は小さい頃から学校というシステムが苦手で、十数年間毎日のように学校行きたくないって言ってたので(じゃあなんで大学進学したのっていうのは後述)。この春休みバイトに明け暮れ、学んでいる専門的な勉強を一切しなかったので、確かに新学期死ぬほど憂鬱だった。でも辞めるっていう選択肢は当時の私の中になくて、きっとまたなんとなーく、適当に、単位を取ることだけを考えて、寂しい大学生活を送るんだなって思ってた。だけどその母の言葉きっかけに、『学校行きたくない気持ちボロボロとこぼれてきてしまった。

から面倒くさいことが嫌いで、嫌なことはすぐに投げ出しちゃう意志の弱い人間だった。勉強運動も嫌い、やりたくない。「みんな頑張ってるんだからあなたも頑張りなさい」が嫌いだった。地頭と要領がよかったので高校はそこそこレベルの高いところに行けたけど、そこでも勉強しなかったので得意科目以外の成績はふつうに悪かった。でも、通っていた高校似非進学校である反面私のようなのが許してもらえるような場所で、友達先生も「しかたないなぁ」で流してくれた。だから学校は嫌いだったけど高校時代は楽しかったです。後にも先にもちゃん友達のいた学校生活はあの三年間しかない。サンキュー高校時代の友人たち、愛してるよ。

ただまぁ似非はい進学校でしたので、大学受験をしない子はほとんどいなかった。私も、高校卒業してすぐ就職っていうのは怖かったし、モラトリアムが欲しかったので大学進学を決めました。ただ勉強したくなかったので(今思うと怒られそう)、勉強しないでいい大学を考えた。のが今のところで、ずーっと続けていた習い事学問として学べる場所でした。家が近いし、身近に卒業生もいたので、そこ一本で落ちたら大学行かない!って気持ち受験。界隈では有名でそれなりにハードルが高かったはずなんだけど、なぜだか十月AOですんなり受かってしまった。拍子抜け。

もともとちゃんと参戦してたわけでもない受験戦争から早々に一抜けしてしまった十七歳私は、そりゃもう遊んだバイトして遊んでぽけーっとして。それでもまぁ習い事には行っていたけれど、オタク趣味が楽しすぎたのもあって、四月にはすっかり大学へのモチベーションを失ってしまってた。そんな状態入学して、周りには「ここにどうしても入りたかったんです!」って目をキラキラさせた綺麗な女の子たちがいて、授業は思ってた以上にキツくて、新しいことが何ひとつできなくて、友達がまったくできなくて、いろいろあって気づいたら引きこもっていました。これが第一不登校事件です。

その時はまぁなんとか復学(?)したんだけども、今また同じように部屋に引きこもっています。第二次不登校事件真っ最中です。

二年間、なんとかやってきました。友達いなくてもいいやって割り切って、集団を求められることの多い学部なのでそれはそれはしんどかったけれど(好きな人グループ組んで!が一番キツい)、ぼっちなりに誤魔化しながらやってきました。だけど急に限界がきてしまったみたい。寂しいもんは寂しいわ。

それと、今まで大好きだったはずの専攻を続けられる気がしなくなった。三年になって研究室に入って、同じ専攻のひとたちと作品を作らなきゃいけないんだけど、自分にできる気がしないんですね。体力とか技術とか、コツコツ積み重ねないとできないことなんだけど、最近の私はてんで努力をしていなかったので。自業自得なのはわかっています。でもなんだか心が離れてしまって、周りでキラキラ頑張っている子たちを見るのがしんどくて、激しい温度差を感じて、学校に行けなくなりました。座学がめんどいとか朝起きるのつらいとか卒業単位が超ギリギリとか他にも理由はあるけれど、大きいのはこのふたつだと思われます

行こうと思っても行けなくて、玄関までは行けるのにその先が踏み出せなくて、今はリビングにすら出られない。寝すぎて背中が痛いし泣きすぎて目が痛い。二重なのが自分の顔で唯一好きなとこなのに、瞼が腫れちゃって最高にブサイクなおめめになっちゃってる。ここ最近毎日アイメイクを涙で溶かしている。クレンジングいらず。

大学をやめようかな、と思いました。幸い親がとても理解のある人で、今まで投資してきたものを全てパーにしようとする私の行いを責めたりしないんです。兄弟もすごく真摯に私のことを考えてくれて、アドバイスをくれて。だけど私はいっこうに答えを出せなくて、家族迷惑をかけている。それがまたつらくて自己嫌悪して泣いてるんですけど一旦置いておきます

大学を辞めようかなって考えたとこです。昨日そう決めて、でも遺恨を残したまま辞めたくなくて、辞めたあとのことは何も決まってないけど明るい中退をしようって母と話しました。だけど帰宅した父に話をして、「だったら社会人としての責務を果たしなさい」って言われた瞬間、急に現実が襲ってきた。見えない未来が怖くなって、涙が止まらなくて、ぐちゃぐちゃになってそのまま部屋に閉じこもってしまった。

それと、泣きながら気づいたことがあって。大学を辞めよう、辞めたら楽になるって思っていたはずなのに、未練があったんです。それは十数年続けてきた、習い事から専門にした、大学で学んでいることでした。練習しなくなって久しいし、散々「もう嫌になってしまった」って言ってたのに、いざ辞めることを考えるとつらくてつらくてしかたなくて。諦めたくないって思ってしまって。うちの学校は三年と四年で作品を発表する場があるんだけど、そこに憧れた記憶が蘇ってしまって。冷めちゃったって思ってたのに、やりたくないって思ったはずなのに、結局私は捨てられないことに気づいてしまった。私という人間を形作るアイデンティティであったから。

自分や周りが思ってる以上に私はネガティブで、めちゃめちゃ自己評価が低い、らしい、です。しょっちゅう死にたくなるし自分必要とする人間はこの世にいないって思うし周りに迷惑しかかけない自分なんていなくなってしまえばいいのにって思う。正直イベント舞台ライブチケット取れてなかったら身投げしてた。オタクでよかった。だけど唯一、ずっと続けてきたそれは自信になっていた。んだと思います。ただネガティブな反面プライドが高いという面倒くさい性格の私は、思うようにそれをできない自分が許せなかった。できないならやめてしまえって考えた。でもそんな簡単にやめられないことにも気づいてしまった。うわっめんどくせぇ

だったら学校行けばいいじゃん、頑張ればいいじゃんって思いますよね、私も思う。だけどできないんです。今日も行こうと思ったけど、できなかった。バイトには行けたのに。頑張りたい、頑張ろうって思っても部屋から出られなかった。母が優しい言葉をかけてくれたのに何も言えなかった。申し訳なさすぎる。いい加減にしろって思ってるだろうなあ、私もいい加減にしたいです。

ほんっとうに生きづらいなって思います。今まったく未来が見えない。明日が見えない。しにたい。でもしねない。辞めたら楽になるって考えたけどそんなことなさそうだった。社会になんて出たくない。中退っていう経歴を持つのがこわい。でも学校にも行けない。なんでだろ。どうしたらいいんだろうね。

私はただ普通に生きたかった。普通に大学に行って、普通に友達がいて、普通に就職をして、普通にふつうに、ふつうってなんだろうね?世の中は普通に生きてる人たちで溢れているように見えるけど、どうやったらああなれるんだろう。めちゃめちゃ尊敬する。すごいなぁ。

だけど私が引きこもってる間に授業は先に進むし履修登録期間は今週中だし学費の納入期限は迫るし舞台チケットは当たるし推しイベの真っ最中から石砕かなきゃいけない。明日はどうすればいいんだろう。生きづらいのは誰のせいなんだろう。たぶん私のせいだなぁ。自己嫌悪はすすむばかりである

文章ぐちゃぐちゃですみません。読んでいただけたならありがとうございました。

2018-04-08

評価が難しいケース

能力バラつきのある人間が、その「凹凸の形」が変わらないまま、全体を底上げしても大して評価されないよね。

これはまあテストで例えるなら

  • いつも80点の得意科目が95点取れるようになった
  • いつも10点の苦手科目が25点取れるようになった

みたいなケースなわけで、そりゃ誰だって

「得意な方はともかく、まず苦手なのをなんとかしろよ。百歩譲ってマイナスプラスにならなくてもいいから、まずはプラマイゼロに持っていけ」

と思うだろう。

褒め方に困るのも頷ける。


はいえ勿論10点を25点にするのだって当人からしたら物凄い努力で、それこそ

「怠けてなんかない!」

って言いたいだろう。でも言った所で

「じゃあもっとしっかりやれよ!」

と返されるのがオチから黙り込むと。

から当人が見えている世界は、他人からは半永久的に理解されない可能性が高い。


というわけで得手不得手が極端な人間は、下手したら平均的に能力低いタイプよりも生きるのが面倒な気がしている。

2017-10-17

総合選抜

かつて、総合選抜という高校受験制度をとっている地域があった

(っていうか今調べたらすでに全国で廃止されたのを知ってビビった)

これは、市内のすべての私立以外の高校が同じ学力レベルであるという建前の元、

高校入試が1回だけ行われ、合格者は校区ごとに振り分けられるという感じになる。

合格率は9割を超えているのでかなりのアホ以外は合格、アホはアホな市立を併願するという形になる。

で、私の校区はおそらくは南高校だった。

ここは校舎が古臭く、生徒の進学先の質もあまりよくない。

殆ど同じくらいの距離にある東高校に行きたかった。

こちらは校舎が新しく、設備もいい。

進学先も優秀だった。

まぁつまり殆ど全部同じレベル高校でるよーという建前があったが若干の格差はあったわけだ。

多分偏差値にして10前後格差も無いだろうけど。

ここで特別ルールがあり、

市内の上位10%(うちの市の場合)は、合格すれば好きな高校を選べる、というものがあり、

充分その圏内に入っている私はそれの制度を使おうと思った。

担任相談したところ、「うーん」と及び腰。何故だ

「その制度でH高校に入れるはずの人が押し出されちゃうかもしれないから…」

は? なんでそんな奴の事を私がおんばかる必要があるわけ?

担任に反対され、親も及び腰になり、

私は仕方なく東高の特別クラスを受けることにした。

これは高校ごとの特色として存在し、3年持ちあがりで特化した授業を受けるクラス存在する。

H高校には理数コースがあった。

半分くらいは国公立大学に進学するエリートクラスである

正直私は理科国語が得意で、数学は得意ではなかったが、背に腹は変えられない。

英語も得意ではないので本当につぶしの効かない得意科目組み合わせ)

推薦というフィルターを潜り抜け、40人定員に60人受験合格

ちなみに早めに受験があるので、落ちた場合は通常の高校受験をするのでリスクは全くない。

数学むずすぎて、見事に落ちこぼれた。

問題の(1)と(2)だけやって(3)(4)をスルーするようなテストっぷり。

おそらく歴代コース生の中でぶっちぎりの酷い進学先をたたき出したはずだ。

ちなみに、この年の東高校高校生は定員割れしてた。

まり押し出される生徒なんて存在してなかったわけだ。

クソすぎ。

親と仲は良い方だけど、この件に関しては今でも親を恨んでいる。

2017-09-26

給食のおばさんは子供に恨まれ職業

小学校の頃、給食20分で完食しないといけなかった。

給食を完食しない事は、せっかく子どもたちの為に給食を作ってくれている給食のおばさんを悲しませる行為だと、小学校教師に教えられた。

給食のおばさんに感謝しているかどうかは関係ない、給食を完食しない事は、給食を作ってくれることに対する感謝の心を実は持っていない証拠であり、人格が歪んでいる証拠だと教えられた。心では給食を作ってくれる事に感謝しているし、国語得意科目だったから、「給食を作ってくれてありがとう」というタイトルで、作文用紙何枚でも感謝言葉を述べられる自信があった。それでも、言葉で何を述べるかは関係ない、給食20分で完食できなければ、心の底では給食のおばさんに感謝しておらず、自分が口先だけ上手い嘘つきに生まれ証拠だと教えられた。自分言葉は全部ウソであると教えられた。

給食を完食する事はただただ苦痛だった。小2まで、給食20分では食べられなかった。小2まで、小学校で楽しかった記憶があまりない。

小3の春ごろ、牛乳を飲まずに最後まで取っておき、残り5分で残っている食材をすべて流し込む技術を開発した。漬物焼き魚もご飯も何でも牛乳で流し込んだ。

パンの日は幸せだった。牛乳と合う。ご飯の日は地獄牛乳と合わない。小3から、ようやく小学校生活楽しいと思えるようになった。

小学校高学年になると、知恵がついてきた。給食のおばさんは、給食を完食する苦しみを小学生に与えて喜ぶ人達だと思うようになった。であれば、人間にとって、最も苦しい「死」を自分経験すれば、給食のおばさんは最高に喜ぶに違いない、と思うようになった。つまり自分給食室で自殺すれば、給食のおばさんは「ありがとうありがとうありがとう!」と言って喜ぶのだと信じていた。

あれから何十年、ようやく理屈が分かってきた。要するに、小学校教師が完食指導する際、生徒の怒りの矛先が自分たちに向かないように、給食のおばさんをスケープゴートにしたのだろう。教員とはかくも卑怯ものなのか。

これから給食のおばさんになる人は、子供に恨まれ職業だという事を理解して欲しい。小学校教師が、あなた達をスケープゴートにして、生徒があなた達を恨むように指導している可能性がある。そういう可能性も考えて、給食のおばさん、になって欲しい。すべての小学校教師が善人なわけじゃない。小学校教師を疑ってかかって欲しい。あなた達に対して見せる子どもたちの笑顔、それ、きっと、全部、「笑顔を見せないやつは、人格が歪んでいる」と小学校教師指導した結果ですよ。本当は生徒に恨まれますよ。

このニュースを見た。まだこんなことやっているのか。一体何の意味があるというんだ?

食指導をした、この女性教師に伝えたい。あなたはヒトデナシだ。あなた人間として異常だし、仕事を通じて子供を苦しめた罪人だ。地獄に落ちて罪を償って欲しい。

http://www.asahi.com/articles/ASK9V36JNK9VOHGB003.html

2017-08-16

学歴問題

自分より偏差値が下の高校大学を出ている人に「頭いいんですね」とか言われたときの正解って結局なんなの?

下手に否定したり謙遜したんじゃなんだか嫌味っぽくなっちゃうし地味に困る。

向こうがなにか専門性の高いこと(芸術系とか工業系とか)してたりとか得意科目が全く違ったりしてればまだ返しようもあるけど、そうでもないときってどうしたらいいのだろうか?

2017-07-26

【追記あり】『普通大人』になるので精一杯だった。

親の片方が小学校入学直前に死んだ。急死だったらしい。死体を見付けたのは私だった。

残った方の親はろくでなしだったので子育てなんて出来るはずも無く、親戚の家を転々とした。

親戚はドラマに出てくるようなひどい人は居なかった。でも歓迎はされていないのは解っていたので、いつも肩身が狭かった。

それでもとうとう行く先が無くなって、小学校卒業してすぐ施設に入った。これが最低だった。

底辺の掃き溜めっていうか、まともな奴がほとんど居ない。学校毎日行ってるだけで優等生で、いじめ暴力も当たり前に横行してた。

薬やってる奴も居たし、体売って小遣い稼ぐのも万引きして欲しいもの手に入れるのも普通だった。

あそこに入ってる子とは遊んじゃダメって親に言われた…と疎遠になった子も居る。子供心にそりゃそうだって思った。今でもあの親は正しかったと思う。

私は施設色に染まらなかったので施設の中に友達は出来ず、外の子とばかり遊んでた。施設内ではいい子ぶりっこしてるって当然いじめられた。

施設色に染まれ施設内に友達もできたと思う。でもそしたら外の友達は離れていく。それが嫌で必死に『普通の子』というポジションにしがみついた。

食事は平気で無くなるし、寝るのだって邪魔される。私物だって壊されるから勉強道具は持ち帰れない。教科書持ち帰ったりなんかしたら十中八九無くなる。ノートだって文房具だってそうだ。

帰って勉強出来ないので、勉強する時間学校の中しか無い。授業で覚えきれればいいけど眠くて眠くて中々集中できなかった。

それでも空いた時間勉強に注ぎ込んで、なんとか平均の学力だけはキープした。平均が限界だった。高校偏差値56という極めて普通高校に行った。

高校生になると個室が与えられるのでひたすら引きこもるか高校に残るかして乗り切った。

高校卒業したら施設出所する。私の学力得意科目を考えると大学に進学しても就職率も年収も高くなるのは難しそうだったので進学せず就職する事にした。

就職した先はまぁとんでもなくブラックだったが、今まで居た環境環境だったのでブラックだったという事にも気付かず4年勤めた。

お金が貯まったので退職して、簡単資格を2つ取ってそれで転職した。

絶対名前を言っても誰も知らない社員数200人くらいの小さい会社お茶汲みOLをやっている。

我ながら普通大人になったと思う。収入も平均のど真ん中。やってる事は雑用結婚もした。休日はたまに友人と会う。

夢に描いていた、普通生活ってやつをようやく手に入れた。私にはこれが精一杯だった。

だけどたまに、努力不足だったんじゃないかと言われる事がある。

私は自分過去を人にはほぼ言わない。夫と親しい友人以外は私のバックボーンなんて知らない。

からもっと上を目指せば良かったと軽く言う。

お金が無いから大学に行かなかったと言えば、奨学金を借りればいい。国公立に行けばいい。結局は学力が足りなくて行けなかっただけ。貴方努力が足りなかっただけ。

お金が無いならなんで専門職を目指さなかったの?手に職を持とうとは思わなかったの?努力が足りなかったのを棚に上げてお金のせいにしてるんじゃない?

いくらお金が無くたって出来る人はやるからね。出来なかったんじゃなくてやらなかったんだよ。人のせいにしてるうちは成長できないよ。甘えてるんだよ。

一人の人が全部言うわけじゃない。ちょっとずつ言われる。人によっては問い詰めてくる。

だって貴方友達遊んだりしてたでしょ?その時間勉強に全部当てればよかったんだよ。今の結果は貴方の怠慢が招いた結果なんだよって平気で言う。

大抵そういう時は、死にたくなるか殺したくなるかどっちか。

だって無理。私には無理だった。今以上頑張るなんてあの状況じゃ無理だった。

私は今の状態で満足してる。この普通の、何の変哲もない、平凡極まりないポジションを得るためにどれだけ大変だったか

それを怠慢の結果ってあんまりだ。環境ブルジョワはいだって残酷だ。

あんたたち少なくとも家があったじゃないか。そこで寝てたんだろ?リラックスしてたんだろ?

私が友達と遊ぶのだって同じだよ。リラックスたかったんだよ。24時間神経張れって言われたって無理だよ。

本当はもっと眠りたかったよ。まともに食事が食べられなかったせいかチビだしすぐ体調崩すし施設出るまでずっと生理だって止まってた。未だに周期が安定しないよ。

いじめ物理的な傷跡だったいっぱい残ってる。指なんて2本くらいうまく曲がらないよ。むち打ち後遺症で今も定期的に頭と首が痛くなる。ストレスハゲていまだにそのまんまの所もある。

これ以上は無理なんだよ。

でも知らないかしょうがないんだよね。我慢するしかないんだよね。

いいよね。幸せな育ちな人は。人傷付けても許されるんだもんね。仕方ないって言ってもらえるんだもんね。それだけでも羨ましいよ。

私も来世ではそういう家に産まれたい。そういう特権階級を持つ家に。


コメントを読んで

沢山のコメントありがとうございます

書いた場所場所で長文だったのでスルーされるか、察してちゃんうぜーと言われておしまいだと思っていたので、こんなに沢山温かい言葉を貰えると思いませんでした。

いつもの殺伐としたインターネットはどこに行ったの…とおもわず涙してしまいました。

頑張ったと認めて貰えることがこんなにうれしいとは思わなかった。

こんなに褒めて貰えたのは産まれて初めてです。なんて言っていいか解りませんが、本当にありがとうございます

褒めて貰えて嬉しい反面、私が底辺のはきだめだと思ったあの子達の事を考えると複雑な気持ちにもなります

彼女達は彼女達で過ちは沢山犯していましたしそれは軽蔑していますが、あれが精一杯だったようにも感じるんです。

皆それぞれいろんな条件を抱えていて、それでも配られたカード勝負するしかない。それは確かにそうなのですが、

言葉に出来ないやるせなさが残ります


本当はもう少し言葉を考えてからお礼を書こうと思ったのですが、早急に施設の事で追記したい事があったので書きました。

施設については特定を避けるためにかなりぼかした表現ばかりになりますが、読んでいただけると幸いです。

https://anond.hatelabo.jp/20170727210419

2017-05-27

http://anond.hatelabo.jp/20170527011529

結論から言うと、世界史今日から自分でやりなさい。

まず俺の経歴から。06年にセンター試験地歴を世界史B選択で受けて100点。二次試験東大文系日本史世界史選択、現役合格

俺の高校世界史担当はほんとに評判悪くて、それこそ山川教科書読みながら配布したプリントを埋めてくだけ。面白くないから誰も聞いてないし、内職の時間になっていた。だから世界史が好きな俺と友人は自分勉強すべく色々と教材を探した。実況中継とかナビゲーターとか片っ端から参考書買っては読んだ。参考書読むだけなら楽しい別にいいんだけど、定期試験は点をとらないといけない。だから試験前は必死用語を覚えた。結果的世界史の点数は3年間ずっと一番だった。

結局ほぼ独学みたいなものだったけど、世界史は一番の得意科目だったし、授業聞かなくてよかったと今でも思ってる。ちなみに俺とその友人以外はどうなったかというと裏話があって、3年次に世界史教師が変わって、壊滅的な状況だったのを見かねてウルとかウルクとかほんとに最初からやり直すことになった。みんなの頑張りとその先生の教え方がうまかったのもあって、最終的には学年としても世界史の出来はそんなに悪くならずには済んだ。むしろよかったんじゃないだろうか。

以上、俺の経験から言わせてもらうと、世界史は今からやってもなんとか間に合うし、それが独学でも何の問題もない。学校の授業なんか当てにせずに予備校行ってるやつもいるだろうし、学校の授業でとってないからやってはいけないなんて法律はない。そもそも地歴二科目必須東大文系なんかだと、学校で片方しかやってくれないところは自分でやるしかいから独学せざるをえない学生もたくさんいる。

独学とは書いたけど、予備校を利用できるなら利用すればいいし、昔と違って今はスマホで授業を受けられる予備校もあるみたいだし、方法はいくらでもある。日本史はとりあえず赤点をとらないようにだけすればいい。

もし世界史自分でやる気になったなら、まずはほとんどの大学入試世界史のタネ本になっていると言われている、山川教科書・詳説世界史Bを手に入れるといい。大きな本屋なら売ってるし、教科書を扱ってる書店なら取り寄せもしてもらえる。

教科書を手に入れたらあとはその400ページだかをひたすら覚えていく、やることはそれだけだ。教科書だけだと分かりにくいと感じるなら、おすすめ東進荒巻先生の「世界史見取り図上中下」だ。たった3冊だし、通読するだけなら土日が2回もあれば十分だろう。詳説世界史Bには専用の問題集もたくさん出ているから、一問一答などを用いながら兎にも角にも潰していってほしい。まだ夏休みもあるし時間は十分にある。やる気があるなら今すぐ始めたほうがいい。

今まで曲がりなりにもやってきた日本史を捨てて世界史を一から始めるのは勇気もいるだろうと思う。でも日本史に少しでも苦手意識を持ってるなら世界史をやったほうがいい。日本史世界史ならセンター試験高得点がとりやすいのも圧倒的に世界史だ。日本史は年によってかなりムラがあっておすすめできない。もう6月だし、と思うかもしれないけど、時間さえ投入すれば今からでも世界史センター8割には確実にもっていける。

ちなみに高校までの勉強なんて大学前説程度にしかならないって書いてる人もいるけど、世界史に関してはそんなことなくて、これほど広範囲歴史を学ぶ機会は高校世界史くらいしかいからやる価値は十分にある。大学もっと専門的だから、狭く深くは学べるけど、こんなに広く浅くやる機会はもうない。

2016-11-21

尊敬していた、大嫌いな教師の話

たまに思い出してはウジウジ引きずってる、高校の頃の話です。どっかに供養すればすっきりするかなと思って、ちょっと書いてみます

これでも大分削ったんですがだらだら書いてると長くなってしまいました。お暇なときにお読みください。

嫌味に聞こえるかもしれないけど、私は勉強しなくても授業をそれなり聞いてればテストの点は取れるような、要領の良い人間だった。

周りの評価は、別に直接言われたわけじゃないけど「優等生」だった。生徒から教師からも多分そう思われてた。

校則はきっちり守るし。授業態度良いし。成績も良いし。コミュ障で地味な根暗から、ツンとしたつまらない真面目ちゃんって思われてんだろうな。

私は「怒られること」が嫌い、というか、恐怖すら感じる。小中で何度か理不尽にキレられたトラウマからなんだけど今はそれはどうでもいい。ともかく怒られるということが怖かった。

校則守って授業ちゃんと受けてれば怒られることはないでしょ。だから真面目だった。ちゃんとルールは守るべきだとかそういう使命感?正義感?みたいなのは別にない。私は本当は優等生なんかじゃなかった。

それで高校でも授業ちゃんと聞いてたら、さっき書いたように要領がいいから、テストの点は勝手についてきた。

それでますます私には優等生イメージがついた。そのせいか、私は教師たちからバリバリ期待された。

私が通ってた高校は、俗に言う「自称進学校」で、教師たちはみんな私を大学に行かせたがった。

でも私は大学に行きたくなかった。

だって大学行ったら勉強しなきゃいけないじゃん。

私は勉強が嫌いだああああ!!!キャンパスライフも待ってなくていいぞおおおおお!!!

興味のあることの勉強なら楽しいけど、興味がないことの勉強ほど私にとっての苦痛はない。

私は両親も、複数いる兄もみんな高卒だったか大学に行くっていうイメージがそもそもなかった。大学は将来なりたいものがしっかり決まってる人が行くみたいなイメージだった。私は特になりたいものもないので、高卒適当事務職とかに就職する気満々だった。

あと、私の家は貧乏な方で、大学に行くお金を用意するのはキツかった。親は優しいから何も言わないけど、私も早く稼いで親に楽させてあげたい気持ちがあった。

じゃあなんで自称進学校に来たのかというと、家から近い高校適当に選んだら自称進学校だったんですよ。馬鹿ですね。

それでまあ、最初無難公務員を目指してた。

2年の時、勉強の出来る優秀クラスに入れられた。

つらかった。他のクラスより何倍も勉強させられた。

そしてこれは私の性格の面倒くさいところなんだけど、周りが抱く私の「優等生」のイメージ裏切りたくなかった。というより、そのイメージを壊したときの周りの目が気になった。なんというか、目立ちたくなかった。勉強サボって、成績が落ち、優等生ちゃんが急にグレた!とか思われたくなかった。

今思えば、別に落ちぶれても大して何も言われなかったと思うけどね。自意識過剰なんだよね。

それで仕方なく、勉強頑張って、優等生を演じた。

おかげでガンガン成績が上がった。周りの評価も期待も上がった。

苦痛だった。ますます勉強が大っ嫌いになった。

2年の担任は、私を大学に行かせたくてたまらないようで、公務員になるって言っても聞いてくれなかった。

勉強したくないとは言いにくいので、お金がないと言い訳すると、奨学金がどうのとか、高卒公務員になるより長い目で見れば大学に行ったほうが得だとか、出来るんだから進学しろとか言われた。

若干ノイローゼ気味になりつつ、じゃあ第二希望として大学を考えときます、と言った。担任は嬉しそうだった。

3年。大学進学クラスに入れられた。ふざけんな。

そして何を隠そう、3年の担任、これがタイトルにある大嫌いな教師です。

今書いたらそういえば2年の担任もひでぇや!と思ったけどそれまで忘れてたほど3年の担任が嫌い。でもタイトルにある通り、尊敬してたんです。

あの人の授業、本当に分かりやすかった。今までのどの教師の授業より一番分かりやすくて、面白くて。得意科目だったこともあるけど、一回テストで満点をとったのはどう考えても彼の授業が良かったから。

とても頭が良くて、言ってることはだいたい正しいと思えたし、本当に理想教師像で、尊敬していた。

公務員目指すと言うと、ちょっと残念そうな顔されたけど一応応援してくれた。

そして迎えた公務員試験……

いくつか受けたけど全滅でした。あのね、いくら勉強できてもコミュ障公務員なれない。

もしこれを読んでくれてる人で公務員目指してる人がいたら、適性試験勉強はそこそこにしてとにかく対人能力を鍛えて。そして面接練習をたくさんしてください。健闘を祈る。

それでも私は懲りずに、浪人して来年また公務員目指そうと思ってた。だって給料いいんだもん。休みも多いんだもん。

しか自称進学校浪人なんて認めるわけがない。

担任は、専門学校ならまだ間に合う〜とか言ってやはり進学を勧めてくる。

しつこいんですねこれが。でもその時は私はまだ彼を尊敬してたので、進学も視野に入れるようになりました。

じゃあどうせなら自分がやりたいことを考えて、向いてない公務員じゃなく、何か将来の夢を作ってそれを目指してみようかな…と思うようになった。

そして考えて、決めた。私はパソコンが好きだからプログラマーになろう!と。

安直に見えるかもしれないけど、いや実際安直だったかもしれないけど、プログラマーという職に実は前から興味はあった。適性もそれなりにあると思ってた。でも、絶対なりたい!!ってほどでもなかった。大学行くくらいならならなくていいや、って感じ。それほど、大学に行って勉強ってのが私には地獄に思えた。

でも進学進学言われるし、じゃあいっそ情報系の専門学校に進学してちょっとなりたいと思ってるプログラマーを目指してみるか、と思った。

基本勉強は嫌いだけど、興味のあることの勉強なら楽しめるはずだし。

そして調べた。実家の近くに、情報系の専門学校があるじゃないか

パンフを見ると、わあ楽しそう!C言語や、他にもいろいろ情報系のことが学べるようだ。これなら楽しめそう。プログラマーになれそう。レベルも低めで、まあ私なら余裕で受かるだろう。ここにしよう!

嬉々として担任に報告した。ここ行きたいです!とパンフを渡した。

それから数日後。担任に呼び出された。進学の話だ。

お望み通り進学してやるぜ…と、したり顔で職員室に行った。

もう私は既に進学したつもりになって、これから学べるいろんなことに思いを馳せていた。

担任に怒られるまでは。

私が選んだ学校は、レベルが低いことからも推測できるけどあんまり良くない学校で、情報系のくせに就職先は花屋とかホテルマンとか情報関係ない場所ばっかりだった。

私はパンフの楽しそうな授業内容のとこだけ見て浮かれてて、就職先のところを見てなかった。

「何でこの学校選んだの?」

パソコンが好きで…C言語とか学びたくて」

「お前はC言語学んで花屋になりたいの?」

もっとである

もっともなんだけど、威圧がすごくて、怖かった。

私は怒られるのが怖いんだ。

泣きそうだった。実際目に涙が溜まってた。よく耐えたと思う。

担任説教は続く。

プログラマーになりたいって言うけどプログラマーなんて高校生でもなれる」

「そもそもプログラマーが何か分かってるのか。お前はよく分からないものを目指しているのか」

C言語なんて俺でも出来るし今は使われてない。今はjava時代だ」

「授業が楽しそう、で学校を決めていいのか。大事な進路なのにそんな適当に決めていいのか」

尊敬してたんですよ。彼の言ってることはだいたい正しいと思ってたんですよ。

そんな尊敬する、いつも正しい人に、全否定されたんですよ。キレ気味に。恐怖ですよ。これ書いてる今も、ちょっと泣いてる。それくらい怖かった。

だけど、恐怖と同時に少しずつ苛立ちも覚えてきた。

適当に決めたって。確かに今思えば適当だったかも、安直だったかもしれないけど、私は私なりに考えてあの学校にしたんだ。お前らが進学進学うるさいから!自分の興味のあること、学びたいことを考えたんだ!!!

こっちの気も知らないで。何をもってして私が適当に進路を決めたと言ってるんだお前は。勝手に決め付けるな。私の思想をお前が!勝手に決めるな!!

あとこれは今だから思うことなんだけど、プログラマーを、C言語を、馬鹿にするな!!!

当時は詳しくなかったことは事実なので、そうなんだ…って鵜呑みにしたけど、今なら言える。

プログラマーは立派な職業。それを高校生でもなれる底辺職みたいに言って。お前が使ってるスマホパソコン洗濯機電子レンジも全部全部プログラマープログラミングしてるから動いてるんだ!!

C言語大事言語。お前の言うjavaだって構文はCから引き継いでんだよ。馬鹿にするな。馬鹿にするな!!

こんなこと言われたせいで、私はjavaが嫌いになったよ。javaに罪はないのに。javaは便利なのに。あいつのせいでどうしても好きになれなくなってしまった。javaって聞くだけで思い出して、涙が出そうになる。

怒りが募って、もう、嫌になった。

そんな時に降りかかってきた、

「何でそんなに大学進学が嫌なの?」

という質問に、今まで隠してた本当の理由

勉強が嫌いなんです」

これをはっきり言った。

そうしたら、呆れたようにため息を吐かれた。

「じゃあもういいよ。お前の人生だし。勉強から逃げたいなら逃げれば?」

そうさせてもらいます、とは言えなかった。言いたかったけど。そんなこと怖くて言えなかった。

じゃあ考え直します。そう言って面談は終わった。

もうこのままどこにも進路決定せず卒業しちまえと思った。

言われた通り勉強から逃げちまえ。

嫌なことから逃げることの、何が悪いんだ。

2年で散々勉強させといて、まだ私に苦しめというのか。

甘えだって言いたいのか。

こんなことなら。

こんなことな勉強なんてサボれば良かった。

テストなんて白紙で出せば良かった。授業なんて寝てればよかった。

優等生なんてやめて馬鹿になればよかった。

そしたら誰も、私に、進学しろなんて言わなかった。

数週間後、担任が、私が選んだ学校より就職先もしっかりした専門学校パンフを持ってきた。

そこでは私の興味のある、情報系のことも学べるようだった。

そこに行くことに決めた。

それで今、その学校の2年生です。

就職先が決まりました。来春から晴れてシステムエンジニアになります

結局あの人が正しかったんです。

あのまま意地はって自分で選んだ学校に行ってればC言語学んで花屋にでもなってたんでしょう。

あのまま意地はってどこにも行かず卒業してたら最悪ヒキニートにでもなっていたことでしょう。

私が間違ってたんですよ。私が勝手逆ギレしてたんですよ。そうですよ。

でも、正しい、正しくないは置いといて、私にとってあの人の言葉の一つ一つは私のトラウマになったんですよ。

先生

感謝してます

この学校を勧めてくれてありがとうございます

おかげで就職も決まりました。

でも、私、

私にトラウマを植え付けたあなたのことが大嫌いです。

2016-10-07

http://anond.hatelabo.jp/20161007194930

前頭悪すぎだろ

「全ての総合評価で採点します」という定規が欧米

日本は「得意科目と不得意科目で採点します」が日本

 

なので総合点で多少の優劣はあっても得意科目があるやつは

全部同じグルーピングされる、化学得意なやつは化学得意な奴同士で総合点でグルーピングが発生しない

 

しか欧米では常に総合点の定規でグルーピングされるため

最下層のグループは何をやられても本当に駄目なやつしかまらない

からどんなグループから馬鹿にされる見下されるナードなわけ

日本にそんなえたひにんみたいなグループ分け発生しないだろ、

それは総合評価の定規で評価していないのと、特化型信仰があるから

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