はてなキーワード: 弾圧とは
現代において、近代と比べて権利を取り戻した各種クラスタに比べて、上記3種は「権利を保障してもなんら見返りがなく、むしろ収奪することでさらに(収奪を行ったものの)権益を拡大できる」性質があり、最低限保障されるべき権利すら収奪されてなお味方がいない(むしろ味方することすら批判される)
・元首相……自民党アンチがいた・そもそも霊感商法に対して厳しく対処する下地を作ってる最中
・ホスト……過激フェミニズムの集団がいた・前々からホストの売掛やばくね?と議論があった
日本は運悪くテロやそれに近しい事件の実行犯と利害が一致した声のデカい団体がいたり手を付けている途中に事案が(連続して)発生してしまっただけである(急ごしらえなので解決が歪なのは報道スキャンダルテロリズムの2例も同じ)
なので社会や特定の組織や"不特定多数の中に潜み迫害弾圧収奪を行う複数人"に不満を持っていたとしても、令和2例のような強力なバックアップがない限り「ただ危害を加えただけ」で終わるのでやめたほうがいい(当たり前なんだが人死が出るほうがかえって解決が遠のくので迷惑である)
問題は誰も彼もが「殺されないと思って実在の他人の尊厳を平気で踏みにじる」が「それに対処できる環境がない」ことなんだが……
それはわかる。動かないことは辛いからな。
ならないだろう。
イスラエルは基本、我関せずで行動するし。
もしも関係あると思っても、やることは弾圧の合法化だ。本格的にガザを併合して警察権の範囲でやろうと思ったら、できてしまう。占領とかコスト高すぎてやってないだけで、占領しない方がコストかかるぐらいの圧力がかかるなら、それはもうやる。
まじでどうにもなんねぇあそこは。
https://anond.hatelabo.jp/20231113020407
上記元増田の宝塚ジェンヌ私設ファンクラブの猛烈な滅私奉公・全体主義っぷりを見て、
かつジャニーズファンの中でも同様な熾烈な上下関係・全体主義っぷりがあるのを見聞きしてて、
かつ同人界隈でも腐女子のいわゆる「学級会」による自治(といえば聞こえがいいが、やっぱり全体主義的な異論や異分子の排斥・弾圧とイコール)も昔から見聞きしてるので、
これってもう女性が集まってできた女性だけの集団内でどうしても自然発生する性質なんじゃないかという気がしてきた。
ホストに対する「推し活」だって同様の性質からのもので、いかに「自分を犠牲にして推しのために尽くせるか」を他の客に見せつけて「推しのために全てを犠牲にする自分に酔ってる」状態で客同士で競って暴走する、「他の女よりも推しから認知してもらって特別に扱ってもらえる私」をアピールしたい顕示欲という点で、ヅカファンクラブやジャニファンクラブと同じ。
なら掛けを禁止したところで、店(ホスト)に後払いできなくなったら消費者金融なり闇金から借りるなり、推し活と同時並行で売春して稼いだり、最悪は闇バイト求人に応じて犯罪で稼ぐようになるだけで、なんら効果なんじゃないかな。
消費者金融は審査や総量規制があるのですぐ上限に達して、闇金に走ってしまったら(絶対そうなるだろう)掛けよりもっと悲惨なことになるだろう。
男は女のように体を売って稼げないので、能無しで大金が欲しいバカは闇バイトに応じて捕まって前科者となり一生をフイにするが、それに比べたら「掛け→風俗あっせん」はまだ「男に搾取された被害者」という立場をキープできるので、「元犯罪者・前科者」になるのに比べればマシなんじゃないか。
常識的には、紀元前600年頃にあったパレスチナのユダヤ国家から説明を始めるのが一般的だ。
そこら辺からは「歴史」に残ってるから事実だということだが、これは本当に正しいのか?
現代ユダヤ人のほとんどは、遺伝的に同族と見られる要素は何一つ持っていない。
では何なのか。
一言でいえば、欧州のマジョリティが元々ユダヤ教の一派であるキリスト教の信者になったように、ただ正統派のユダヤ教徒に改宗したヨーロッパ人を、今「ユダヤ人」と呼んでいるに過ぎない。
日本人はキリスト教についてはよく知っているつもりでいるが、実際その歴史を断片的に暗記しているに過ぎない。
・ナザレのイエスによって紀元30年ごろにローマ帝国のユダヤ地方で起こった新宗教である。
・紆余曲折を経てローマ国内に浸透し、国教化されて、晴れて現代にも繋がる欧州の統一宗教になった。
特に最後のあたりの流れは非常に曖昧で、なんでそうなった? という感じだ。
我々はユダヤ教コミュニティがヨーロッパに点在するようになった経緯について何を知っているだろうか?
実は私たちは(ユダヤ人のイメージを損なわないために)歴史的に確定している事実すらあまり知らされていない。
その事実をひとつひとつ紐解きながら、間違ったイメージを訂正していこう。
ユダヤ教のディアスポラの歴史は、実はローマ帝国によるユダヤ国家の解体よりも前から始まる。
もともと「ユダヤ人」というものは、ローマ帝国だけでなく地中海地域に進出して、近世のヨーロッパでそうであったように、コミュニティをつくり異教徒相手の商売をしていたのだ。
ユダヤ人の戒律は、異教徒相手に商売をするのにとても都合の良いものであることは有名だ。
当然、これにあやかろうと改宗ユダヤ人になる元異教徒も出てくる。
こうして作られたビジネスのためのコミュニティが、現代に繋がるヨーロッパの「ユダヤ人コミュニティ」の本当の始まりである。
本来はユダヤ教と同じく、ユダヤ人のための新興宗教だったのがキリスト教だ。
キリスト教の本来の教義には、人種を越えた人類の平等などというものは書かれていない。
政治情勢の混乱した当時のユダヤ地方のために、文字通りの「隣人」愛を説いただけのものがキリスト教だ。
欧州にはまず「ユダヤ人のコミュニティ」があり、それに対するカウンターとして、ユダヤの新興宗教であるキリスト教も広まったのだ。
皇帝ネロによる「キリスト教の弾圧」は、イエスの活動と死の、たった20年ほど後のことだ。
それだけの間に大きなコミュニティができるほど、既にユダヤ人社会の基盤は欧州にあったということだ。
これは最近では割と知られてきたことだが、イスラム教には「ユダヤ教」という異教のくくりがない。
イスラム教の信じる神はユダヤの神であり、教義においてはユダヤ人のモーゼやイエス・キリストも預言者と認められている。
イスラム教はあくまで中東地域におけるユダヤ教の新解釈、新興宗教という立ち位置に過ぎない。
これが意味することは、彼らこそ中東におけるユダヤ国家の正統な子孫だということだ。
「ユダヤから追い出され、ヨーロッパ各地に離散したユダヤ人」というストーリー自体が、根も葉もない嘘なのだ。
その「欧州で生まれた自称ユダヤ人」が今、中東を侵略し、本当のユダヤの子孫を虐殺している。
欧州はパレスチナ人にanti-semitismなどというとんでもないレッテルを貼ろうとしている。
semiteとは「セム語を話す人」、アラビア語やヘブライ語を話す人という意味だ。
アラブ人の命を弄ぶ鬼畜白人が、殺されるアラブ人を「反セム」として悪魔化する恐ろしい現実。
1984のニュースピークの世界は、欧州に既に完成していたのだ。
常識的には、紀元前600年頃にあったパレスチナのユダヤ国家から説明を始めるのが一般的だ。
そこら辺からは「歴史」に残ってるから事実だということだが、これは本当に正しいのか?
現代ユダヤ人のほとんどは、遺伝的に同族と見られる要素は何一つ持っていない。
では何なのか。
一言でいえば、欧州のマジョリティが元々ユダヤ教の一派であるキリスト教の信者になったように、ただ正統派のユダヤ教徒に改宗したヨーロッパ人を、今「ユダヤ人」と呼んでいるに過ぎない。
日本人はキリスト教についてはよく知っているつもりでいるが、実際その歴史を断片的に暗記しているに過ぎない。
・ナザレのイエスによって紀元30年ごろにローマ帝国のユダヤ地方で起こった新宗教である。
・紆余曲折を経てローマ国内に浸透し、国教化されて、晴れて現代にも繋がる欧州の統一宗教になった。
特に最後のあたりの流れは非常に曖昧で、なんでそうなった? という感じだ。
我々はユダヤ教コミュニティがヨーロッパに点在するようになった経緯について何を知っているだろうか?
実は私たちは(ユダヤ人のイメージを損なわないために)歴史的に確定している事実すらあまり知らされていない。
その事実をひとつひとつ紐解きながら、間違ったイメージを訂正していこう。
ユダヤ教のディアスポラの歴史は、実はローマ帝国によるユダヤ国家の解体よりも前から始まる。
もともと「ユダヤ人」というものは、ローマ帝国だけでなく地中海地域に進出して、近世のヨーロッパでそうであったように、コミュニティをつくり異教徒相手の商売をしていたのだ。
ユダヤ人の戒律は、異教徒相手に商売をするのにとても都合の良いものであることは有名だ。
当然、これにあやかろうと改宗ユダヤ人になる元異教徒も出てくる。
こうして作られたビジネスのためのコミュニティが、現代に繋がるヨーロッパの「ユダヤ人コミュニティ」の本当の始まりである。
本来はユダヤ教と同じく、ユダヤ人のための新興宗教だったのがキリスト教だ。
キリスト教の本来の教義には、人種を越えた人類の平等などというものは書かれていない。
政治情勢の混乱した当時のユダヤ地方のために、文字通りの「隣人」愛を説いただけのものがキリスト教だ。
欧州にはまず「ユダヤ人のコミュニティ」があり、それに対するカウンターとして、ユダヤの新興宗教であるキリスト教も広まったのだ。
皇帝ネロによる「キリスト教の弾圧」は、イエスの活動と死の、たった20年ほど後のことだ。
それだけの間に大きなコミュニティができるほど、既にユダヤ人社会の基盤は欧州にあったということだ。
これは最近では割と知られてきたことだが、イスラム教には「ユダヤ教」という異教のくくりがない。
イスラム教の信じる神はユダヤの神であり、教義においてはユダヤ人のモーゼやイエス・キリストも預言者と認められている。
イスラム教はあくまで中東地域におけるユダヤ教の新解釈、新興宗教という立ち位置に過ぎない。
これが意味することは、彼らこそ中東におけるユダヤ国家の正統な子孫だということだ。
「ユダヤから追い出され、ヨーロッパ各地に離散したユダヤ人」というストーリー自体が、根も葉もない嘘なのだ。
その「欧州で生まれた自称ユダヤ人」が今、中東を侵略し、本当のユダヤの子孫を虐殺している。
欧州はパレスチナ人にanti-semitismなどというとんでもないレッテルを貼ろうとしている。
semiteとは「セム語を話す人」、アラビア語やヘブライ語を話す人という意味だ。
アラブ人の命を弄ぶ鬼畜白人が、殺されるアラブ人を「反セム」として悪魔化する恐ろしい現実。
1984のニュースピークの世界は、欧州に既に完成していたのだ。
どう考えても起こってることは残虐な女性差別なのに、差別主義者レッテル貼りで口をふさいでくるのやめろ。
何でトランス女性達は女踏みにじって悪魔みたいなことが出来るのか意味がわからんわ。
https://twitter.com/amisweetheart/status/1630145104580337665?t=xNbHtyQUhK-qa2hvEgsEgA&s=19
>世界記録を樹立したカナダのトランス女性重量挙げ選手アン・アンドレス『なぜ女性のパワーリフターが、ベンチプレスでそんなに「下手」なのか理解できません。私は練習を積んでるから強いけどね!』
https://twitter.com/Lea_Christina4/status/1721758084803019058?t=23TTGrcF9INXfGyML12eHA&s=19
>トランス女性が出てくるまでカナダ最強の女だったエイプリル・ハチンソン『生物学的男性が女性競技者を愚弄し、賞金を略奪することが許されているのは不公平だ』
https://anond.hatelabo.jp/20231104124548
平気で居直るし、フェミニスト全体に責任を求めるなとか言い逃れするし、男が悪いと他責性を発揮する女性しぐさも多い。
そもそも、元草津町議が「レイプされたのは嘘だった、身体を触れれたのも嘘だった」って供述しているらしいけど
事件が報道され始めたときから「これおかしくね?冤罪では?」とは言われていたよね?
利権争いから端を発し最終的にリコールを受けて追放されそうになった元町議が町長を貶める為についた嘘・デマであるとも。
少し調べれば分かる事だったけど、何故かはてなのブクマカ含めて左翼やフェミや大勢の女性達は怪しい元町議の言い分をまるっと信じて
草津町長を性犯罪者として、草津を性犯罪の町、セカンドレイプの町として風評加害を続けたよね。
この段階になって、積極的に加害してた連中の殆どが知らんぷり決め込んで謝罪してたいのが本当に不思議で仕方が無い。
まともな社会人なら、いやまともな人間なら、自分の非を認めて謝罪するのでは?
北原みのり、AERA、ハフポスト、小川たまか、共産党、勝部元気(作家)、しばき隊、上野千鶴子、フェミニスト議員連盟、名前を呼んではいけないあの御方、etcetc...
関東大震災の時にデマを信じ込んで朝鮮人を虐殺したのと本質的には同じなのに。
あれに対し反省の態度を見せないどころか逆ギレするって、人間としておかしくないかな?
はてなのブクマカアルファでおなじみの新橋九段さんは、この期に及んでも尚「声を上げた女性を叩いたのは事実だからセカンドレイプの町は事実だろ」と言い放つ始末。
あれがはてなブクマカの大多数の総意という事で良いんだろうか?
凄いよね。人一人の社会生命を殺そうとして、町の間違った悪評を海外にまで触れ回って風評加害を続けて色んな人間に迷惑をかけて不幸にして、それでも尚居直るのだから。
あの事件の影響でショックを受けた名もなき草津の一般人は大勢いるよ。コロナの影響もあって、廃業してしまった人も知ってるよ。本当に怒りしか無いよ。
好き勝手やってそれが間違ってても謝罪しない、「そうさせた相手が悪い!」と相手に責任を押し付けるのはまさに女性特有の他責性しぐさって感じがするよね。
「キモいお前が悪い!」→だから私がお前の尊厳を傷つけ凌辱し精神的性加害を続けるのはキモいお前が悪いのであって私は悪くない、悪くないのぉぉぉぉ!!!!と居直るのはまさに『女性』。
恐らく女性を庇う人達も同様の傾向に流されてしまうのだろう。それが『女性』に肯定されるからね。
草津冤罪事件という、どう頑張っても積極的に風評加害に加担した方が全く反論の余地も無く完全に非がある案件ですら、謝罪も出来ず言及せず知らんぷりする事で逃げ回る不思議。
ハッキリ言ってデマをデマだと見抜けずに触れ回って名誉毀損に加担するのも『悪』であり責任がある『犯罪』ですからね?
男がやったら男女からも叩かれ貶され責任を追求される事が、女がやったら「女の子だから」と責任を追求する方が悪者扱いされるのはなぁぜなぁぜ?
女性とは例え犯罪を犯しても責任を一切取れない、責任を負う能力に欠けた側の性、つまり重度の精神障害者と同様の無責任者という事でいいのかな?
未成年ですら少年院に送致されて責任取らされるのにね。ハッキリ言って「女子供」の「子供」以下だと思う……
女性に配慮して、女性性を尊重して、女性に味方する男や社会が異常に甘やかして、異常に甘やかされる事を良しとした女性達を肯定し続けてきた結果が
草津町長と草津に対するホロコーストだと思うと、今までどれだけの人間が女性が起こす冤罪によって貶められ尊厳を凌辱されて死んできたんだろうね?
声なき声を上げる事すら「加害」だとしてきた女性やフェミニスト達による横暴の一旦が草津事件な訳だし
これを異常と思わない人間や、ましてや加害の当事者なのに謝罪すらしない女性達やフェミニスト及びその賛同者達は、人間として重大な部分が欠落していると思わざるえないよね。
まともな人間や、大半の男性なら持っているものを、残念ながら持ち合わせていないのかもしれないよね。
<追記>
へー、凄いね。この増田を「ただの女性叩き」の文脈でしか捉えられない人もいるんだね。ある意味参考になりますね。
草津冤罪事件にかこつけて、「男性社会が~」とか「これだから男は~」などと、男性全般を雑に中傷して性犯罪者かの如く尊厳を傷つけてた女性やフェミニストも沢山いたよね?
彼女ら・彼らは謝ったのかな?謝ってないよね。せいぜい他責性の女性しぐさするだけ。凄いよねー本当に凄いよねーある意味。
どうやって社会で生きているのかな。周囲を傷つけて生きてそうで怖いですよね。
まあ謝罪しない自由もあるけれど、残念ながら一般的な社会では、取り返しのつかない致命的な愚行をやらかした上に
謝罪すら出来ない人間は、社会からキャンセルして爪弾きにするしか無いのだけれど、そうなったら「男性社会の弾圧にあった!差別だぁぁぁ!!!」と叫ぶのかな?
草津ホロコーストで謝罪したのなんてごくごく一部で、まともに「謝罪」(100点満点中50点以上)と言える謝罪の意を表明した人もいたけど、それは両方とも「男」だったという悲しいオチ。
例のアレは100点満点中20点ぐらいだったかな個人的な感想は。
『謝罪?と同じ口で口撃する』
『話を逸して本質的な「元町議の一方的な主張を信じて異論を検討する素振りも見せず軽率にも町長及び地域全体に非常に屈辱的な汚名を浴びせた」事についての謝罪はしていない』
何でこうなるのか本当に不思議。女性が被害者とされる事件だと、頑ななまでに謝れないのが理解出来ない。なぁぜなぁぜ?
別に難しい話をしている訳じゃないんだよね。
社会人として、文明人として、人間として、当たり前の「悪い事をしたら謝る」という、最低限の基本が何故出来ないの?
何故居直りと他責性しぐさを繰り返して事のシンプルな本質から逃げ回るの?
何故そんな卑怯な事をしている、人として最低な事をやっているにも関わらず、女性やフェミニストというだけで免罪しなければいけないの?
簡単なQに何故AにもなってないAを叫ぶのか。一般市民には意味が分かりませんね。
女性だから、被害者とされた女性の主張を信じただけだから問題無い、なんて言い訳を主張するのは自由だけど
それは同時に、女子供以下の「女性」は責任能力が欠落している側の性という事になるし、フェミニストと女の味方してパコリたいだけの騎士達は
その主張を肯定しているだけの、ある意味女性という人格を最も貶めている存在になってしまうのだけど、本当にそれで良いのかな?
人として、当たり前の態度を示して下さいよ。
それが出来ないならもうその言動に一切の正当性や信用を持たせてはいけない側の性として扱わなければならなくなっちゃうからね。
性犯罪被害の告発に対しては、セカンドレイプという主張が濫用されすぎだと思う。こんなん「時と場合による」としか言いようがないよね。
この場では、とにかく「被害者」の言うことが真実であるという前提で接するべき。仮に「被害者」の言うことが疑わしいのだとしても、ダイレクトに伝えるのではなく、治療者として適切な言葉遣いで伝えたりそれとなく適切な治療に繋げたりすることが求められるだろう。カウンセラーは知らんが、医師は国家資格があるわけで、そういう配慮も当然要求されるだろう。「嘘なんじゃないですか?」とか直截に言うような心療内科医やカウンセラーは看板を下ろすべきだ。
刑事裁判は、圧倒的強者である国家権力が、無力な弱者である市民(被告人)に対して、罰を科すかどうか決める場である。当然、被告人は、全力で自らの身を守る権利がある。被告人は身を守るために、「その日はアリバイがありました」とか「そんなことをする動機がありません」とか「踏み間違いではなく車の欠陥ではないでしょうか」とか「ドラえもんに助けてもらおうと思いました」とか「被害者の証言はここがおかしいと思います」とか、ありとあらゆる反論を国家権力に対して行うことが許されるべきだ。
実際、今回の事件や会津若松虚偽告訴事件のように虚偽の被害を訴えた事件だけではなく、「本当にレイプ事件はあったのだが、被害者が被告人を犯人と勘違いした」事件もある(氷見事件)。「本当の被害者なのだから、その証言を疑ってはいけない」などという原則を採用することは、刑事裁判の原則から考えてありえない。たとえどれだけ悲惨な被害に遭い苦しんだ被害者の証言であったとしても、疑われてしかるべきなのだ。なぜなら、被害が本当にあったのだとしても、被告人は犯人ではないのかもしれないのだから。
たとえば、仲の良い善良な女友達が泣きながら被害に遭ったという話をしてるときに、何の根拠もなく「それほんと? 嘘なんじゃないの~?」と言うのは割と人の心がない所業だと思うし、周囲のやつらからドン引きされ絶交されたりしても、まあ仕方ないだろう。
逆に、隣近所では評判のウソツキ女が被害に遭ったという話を吹聴していたら、何の根拠もなく「それほんと? 嘘なんじゃないの~?」と言っても、まあ、仕方ないだろう。日頃の行い、オオカミ少年、ってやつで、こういう場合に被害を疑うのは社会で生きていく上でなんら問題ない。
もちろん、善良な女友達が実は痴漢冤罪カツアゲ犯であり、評判のウソツキ女が実は本当にレイプ被害に遭っていたということもあり得るわけだし、実際の社会にはこのあいだに広大なグレーゾーンが広がっていて、「新聞で短く報道されたヨソの県のヨソの市での性犯罪」なんて、実際のところはどうだか全くわからないだろう。というか性犯罪だけじゃなくて、殺人だって詐欺だって何だってそうであって、つまり本当に大事なのは「それ、わざわざ話題に出す意味ある? あなたがコメントする意味ある?」ということだろう。友達や近所の人なら意味も必然性もあるかもしれない。友達が泣き崩れてる横で「僕はノーコメントで」とか言うのは(よほどの事情がない限りは)人でなしのすることだ。しかし、「新聞で短く報道されたヨソの県のヨソの市での性犯罪」にあなたがコメントする意味はあるのか?
さらに言えば、そのコメントを公開の場でする必然性もあるのか? もし「草津町ってひどいところだよね~」とか「絶対草津には行きたくないわ~」みたいなことを家族や友人のあいだでだけ喋っているなら、たとえばSNSの発言をめぐって訴訟リスクを抱えるようなことには基本的にはならない。草津町長は名誉毀損で何人もの人たちを訴える意向だと聞いているが、彼ら彼女らが身内の飲み会でそういうことを言っているだけだったら、町長は何の手出しもできなかっただろうし、フェミニスト学者の人たちが謝罪を求められることにもならなかったはずだ(cf. anond:20221117054344; anond:20221118212515; https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/okisayaka/status/1592551751072509953)。
もちろん、自由社会には「表現の自由」という大原則があり、意味も必然性もなくとも表現は自由であって、それを否定するとあいちトリエンナーレやクジラックスが弾圧される世界になってしまうから、SNSなどのオープンな場で自分にとって縁の薄い場所で起きた犯罪についての論評を行うのは自由であるべきだ。だが、天皇アートやロリ漫画と違って、実在の犯罪への言及には「冤罪に加担してしまう」というリスクが常につきまとう。「七色のおっちゃん」である(単なるざまぁ物かと思って読み始めたら期待値よりは面白かった)。義憤を燃やすのはいいが、それは後に訴えられるリスクを負ってまで燃やすべき義憤なのか? はよくよく考えた方がいいだろう。別に黙れとは言ってない。たとえば加藤智大のように現行犯で取り押さえられた人物については、冤罪の危険はそこまで大きくないので、言及しても比較的安全かもしれない。しかしもちろん、四日市ジャスコ誤認逮捕死亡事件のように、現行犯であっても冤罪があり得、取り返しのつかない結果が起きていることも忘れるべきではないだろう。そういうリスクを織り込み済みで、公的な場で義憤を表明したい、というならそれはもちろん表現の自由なので、どんどんX(旧ツイッター)で呟かれたりはてなブックマークでブクマコメントを残されたり、たまに裁判を起こされたりすればよいのではないかと思う。
→全く違うと思う。ガザ地区には200万人以上の人口があり、今のペースではあと200倍の期間を同じ火力で攻撃し続けなければならない。それに執拗かつ徹底的な爆撃でもその地域の人々が全滅しないことは、何よりも日本人がよく知っているはずだ(ベトナム人もよく知っているだろう)。この人数を殺害するにはそれこそナチスドイツが行ったように収容して一か所に集めて殺し、焼却して埋葬する設備を用意してシステマチックな殺害のための機関を作る必要がある。ナチスのホロコーストは単なる瞬間的な殺害を超えてシステムとして熱量なく淡々とユダヤ人を集めて殺し続ける点において他と一線を画しており、軽々に持ち出すべきではない。
→これも違うように思う。パレスチナ(ハマス)とイスラエルの軍事力は相当な差があり、人質の救出だけなら得意の暗殺や単なる地上部隊の投入で済みそうなところを空爆まで仕掛けるのは明らかにおかしい。ハマスもハマスで人質の用途が拘留されている同胞テロリストの解放だから空爆された程度で人質を殺すことはないだろうという読みかもしれないが、いくらなんでも乱暴すぎるように思える。一連の攻撃には政治的動機による報復とハマスのインフラ破壊に伴う占領地域の再支配の意図が透けて見える。アメリカも1000人殺されたらそりゃ報復は必要だろうと支持した後で無茶苦茶な攻撃ぶりを見て慌てて態度を変化させたのではないだろうか。
→これが一番近いと思っている。ハマスはガザ地区に突然湧いた悪のテロリストではなく、革命後のイランから影響を受けたパレスチナ住民からなる武装集団である。イランのイスラム原理主義を引き継いでいるのでハマスの目的は「イスラエルからの弾圧に対する抵抗運動」などではなく「イスラエルの完全消滅」で、西側陣営から見るとちょっと対話がキツい集団である。この点でかつてイスラエルに何度もテロを仕掛けたPLOとは立場が明確に異なる。PLOとイスラエルの和平が中途半端な形で止まりアラファト議長が死に、影響力が弱まるにつれてハマスがパレスチナ住民の支持を受けて勢力を拡大、ガザ地区を実効支配するに至った。
そんなわけでイランの影はあるもののハマス自体はパレスチナ内から生まれたもので、他所から現れて無辜のパレスチナ住民を支配している連中ではない。そんなだから国連から送られる支援資金の何割かはハマスが中抜きしているし、支援物資は武器に転用されている(過去にその件でガザ内でデモが起きたが、逆に言えばそれができるぐらいに行政機関もどきとして機能しているわけだ)。というわけでパレスチナ住民=ハマスではないがパレスチナ住民≠ハマスという訳でもない、しかもハマスは(本人らの自認はともかく)国家として成立していないし住民を守ろうという気もない(イスラエルを攻撃することが最優先だ)ので、平気で民間人に紛れるし自爆テロもやる。自爆テロに関しては歴史が古く80年代からパレスチナ住民に神の国に行けるだの殉教すれば殺されても実質勝ちだの言って教化し自爆テロを指示してイスラエルの軍人・民間人問わず殺傷しまくっている。
先述した通りハマスは正規の国家でも軍隊でもないし、その目的はイスラエルの消滅なので軍人も民間人もなく殺す。そんな奴らが無辜のパレスチナ住民に紛れて活動している。そんな状況でイスラエル側の指導者が右派リクードのパレスチナのアラブ人なんて全部テロリストだろみたいな奴らとなると報復攻撃の在り方はガザ地区のパレスチナ人の全滅まではいかなくても「ハマスを攻撃する上で現地人が何人死のうと知ったことか。パレスチナ人の犠牲がいくら出てもハマスに損害を与えることが最優先だ。あそこにいる時点で大なり小なりハマスに与しているんだろう」という態度になり、今回のような惨状を引き起こしたのではないだろうか。
首相のネタニヤフは右派のリクード党首でありながら敵のハマスの攻撃を許し、イスラエル側に空前の死者と捕虜を生み出してしまった時点で大幅な失点がある。そしてその失点を補うべく現在の過激な報復攻撃に出たと思われるが、当然そんな殺戮は右派の多少の留飲を下げても既にイスラエル国内でデモが起きているように左派が強い拒否反応を起こす。紛争が続くにつれて200人以上の捕虜達も無事とはいかないだろうし、その結末が知らされる度に左右から「先制攻撃を許した間抜け」と「大量殺戮でイスラエルの地位に泥を塗る悪党」のWバッシングは避けられないだろう。
イスラエルの政治は戦争とテロを軸に左右に揺れているので、今回の紛争を機にネタニヤフは退陣し総選挙で中道のカディマあるいは中道左派の労働党らが政権を取るのではないだろうか。カディマはガザ地区からの完全撤退を掲げているし、ガザ地区をPLOに引き渡して今度こそオスロ合意が履行される…期待が少しは持てるかもしれない。
しかし中東に和平の兆しが生まれる度にイスラエル右派は自らの政治生命のために挑発行為を行い、パレスチナ過激派勢力(とその後ろにいるイラン)もテロによってイスラエルの憎悪を煽るのだった。人間はクソっすね。
現在はクソ外道として名の知れたネタニヤフ首相も、若き頃は軍の精鋭として大規模なハイジャック事件解決のための突入部隊として活躍し、一方で別のハイジャック事件では同じく軍に入った兄を作戦で亡くしている。いずれもパレスチナの過激派勢力によるテロだった。ハマスらテロリスト達が何の背景もなくハマスをやっているわけではないように、イスラエルの右翼も右翼をやっているだけの壮絶な理由がある。平和を実現するには右手で握手しながら左手でナイフを払いのけ、あるいは刺されても握手を継続しようとするとてつもない覚悟が必要なのかもしれない。
こういう言説をあちこちで見かけるようになった。
でもそもそも宗教と完全に切り離された状態って人類に存在したのだろうか?
サピエンス全史の暴論を鵜呑みにするのならば「そもそも宗教がなければ人類は知性を獲得していない」という前提が成り立つ。
だが世界の歴史の中には宗教と無縁のままに知性を獲得した民族がいるのではないだろうか?
または、宗教を完全に締め出すことに成功した国家は一度も存在しないのだろうか?
学校の授業ではこの辺を全く習ってない。
特定の宗教が強い国家が、他の宗教を弾圧するという、ヤクザの縄張り争いみたいな話は山程聞かされたが、そもそも何の宗教も存在しない状態については聞いたことがない。
古代文明の話においても土着の信仰についての話題が付きまとってきた。
宗教と完全に無縁な状態の人類とはどういう状態になるのだろうか?
コミュニティの全員が完全に宗教を切り捨ててた状態は存在したのだろうか?
死者を弔うことはあってもそこに冥界を信じる心は持たず、魂の実在も信じることがないコミュニティが成立した時代はあったのか?
学校で習った範囲でしか世界史を知らない俺は全くそういうのが思いつかない。
俺が習った範囲においては、人類は常に何らかの信仰やスピリチュアルな認識と共に生きてきている。
いや……だが……我々が現代科学という信仰を手にしたことでかつて科学と信じていたものを非科学的と切り捨て、それに宗教性を見出しているだけなのか?
じゃあ……幽霊の存在を信じるまではセーフだけど、神様がいてお祈りや捧げ物をするとボーナスタイムに突入するって考え方が存在しないコミュニティぐらいの感じで……。
これでもなさそうだね。
神の存在を科学として認識してそうな気がするんだよな……まともに実験とかやってなかった頃の人類……神がこの世界をプログラミングしたからこの世界はこういう法則で動いてるんだぜ?もしも誰もこの世界を作ってないんだったら再現性が担保されるような法則性が存在するはずがないじゃんだって世界はカオスなはずなんだもの!みたいな感じで無から神がボンボコ湧いてきてしまう気しかしねえ……
俺は差別する。食事の際に口を開けて咀嚼音を撒き散らす者たち、すなわちクチャラーを差別する。なぜ彼らは下卑た音を周囲に垂れ流して平気なのか。周りの迷惑など考えないのか。貴様らに生活を共にする人、傍に愛する人がいたとして、食事のたびに気に障るあの音を聞かせているのか。正気の沙汰とは思えない。端的に言って世界から消えて欲しい。彼らはただちに淘汰されるべき存在だと考えている。
病であったり障害であったりする可能性もあるだろう。だがクチャラーの大多数はおそらく癖によるものなのではないだろうか。親の躾や舌の筋肉が弱いなどというのは甘え。言い訳にすぎない。即刻改めろ。入試や就活や、もっと言うと部活や習い事に近しいレベルで努力しろ。お前は生きているだけで世界にマイナスを生み出している。それを自覚してくれ。
クチャラーは保護されている。その汚らしい様を指摘されることは本人にとって寝耳に水&馬耳東風であるからだ。え?なにが?普通に食べてるだけど?てか余計なお世話じゃね?と、話にならずトラブルになることは目に見えているため、周囲はいまさら指摘しない。「クチャラー 指摘」で検索してみたところで解決策は見当たらず、世界には同様の悩みが広がっていることを知るだけだ。
食べ方なんてその人の自由じゃない?マナー違反してるわけじゃないし、イヤだったら聞かなきゃいいじゃんだと?うるせえ黙って口を閉じてものを食え。お前らが存在することで不快さが空間を支配して貴様らの近くにいることが苦痛になるんだよ。幸せなぜいたく松屋ディナーが台無しだ。貴様らの唾棄すべき咀嚼音はノイズキャンセリングを通過してきやがる。貴様の存在自体をキャンセリングしてやろうか。
どうかこれを読んでいるあなた自身がクチャラーではないか、と疑って欲しい。
まさか、と思わず、家族や大事な人にとって不快な思いをさせていないか、考えてみてほしい。
いますぐ自決しろとは言わない。どうか口を閉じてものを食べる努力をしてくれ。ついでに以下のことに自分があてはまっていないか、改めて検証してみてくれ。
・映画館で音が出る食べ物を食べていないか、上映中に包み紙やビニール袋をカサコソさせていないか
・ジョギング=偉いと勘違いして歩道を我が物顔で歩行者を避けさせて走っていないか
・自転車で右側を走っていないか。ましてや子どもを乗せて逆走していないか
これらに当てはまる行為を行なっているのだとしたら、俺は貴方を差別する。俺を不快にさせる存在として遠ざけ、忌避する。世界を快適にするために努力しない不届者と判ずるしかないのだ。
この思想は、全体最適というファシズムに繋がる危険なものだとは気づいている。大小を問わず、一方的な嫌悪と権利の侵害からやがては衝突や戦争、弾圧や虐殺は生まれ育っていくのだと。このクチャラーへの憎しみは、逆説的に世界を悪い方向へ向かわせると気づいている。
だからこそ、クチャラーをこの世から消すためにみんなで努力してはもらえないだろうか。
俺にクチャラーへの憎しみを抱かせないためには、この世からクチャラーを消すしかないんだ。今すぐ指摘し、自覚し、矯正してほしい。
クチャラーがいない世界を想像し、そして自らをその平和な世界の一員だと想像してほしい。すると世界から争いの種が一つ消えるはずだ。
国際関係の分析にはRealism(武力が近いとケンカしない),Liberalism(経済関係が密だとケンカしない),Constructivism(価値観が同じだとケンカしない)という3つのツールを用いるのが一般的だけど、今のイスラエルは民族主義国家であってアラブ系国民にユダヤ系国民と同等の地位を認めず自由民主主義国家ではないので、Constructivism的には本来、自由民主主義国家を標榜する西側諸国とは対立するはず。
2023年の司法制度改革で三権分立を放棄したあたりも、普通に考えると西側の価値観とは相容れない。
(ただまぁ、そもそも東側国家だって自国民は平等と考えている(故に同化政策によって少数者を弾圧する)のだから、「西側=自由民主主義国家」というフレーミングが西側による自己正当化に過ぎないのかもしれないが。)
西側諸国がイスラエルを擁護するのは、西側の敵であるイスラム国家の敵だからである(Realism的な説明)とか、ユダヤ資本やイスラエル企業との経済的関わりが深いからである(Liberalism的な説明)とかいう説明はできるのだけど、Constructivism的な説明はいまいち容易でない。
「イスラエルは民族主義的かつ非立憲主義かつ非自由民主主義国家であり西側の価値観とは相容れないが、カネと軍事的都合で支持している」という説明になるのならしっくり来るのだけど、どうも西側の世論を見る限りそうではなく、イスラエルが道義的に善であり正義であり西側と価値観を共有しているから支持してるという感じの反応が多く、その場合の共有されている価値観というのは果たして何なのだろうか。
まず大前提として、自分は某暇の人格は到底褒められるものでは無く支持出来ないという立場。
後結構前からブロックされているので個人的にムカついた私怨もある。(多分山本一郎や東野先生をフォローしてたからだと思う。後に後者はミュートからフォロ解)
よくColabo問題は暇空一派(暇アノン)の暴走であり、第二の余命事件だと指摘されている。ブクマカでも同様のコメントは多い。
そういう事にしたいのだろうし実際「お前がそう思うならそうなんだろうな」という感想で特に主張者に対し異論を挟むつもりは無いのだが
よって余命事件と安易に結びつける人間は基本的に党派性エコチェンバーか対立煽りカスなので一切無視して良い。
ブクマカならブロック推奨。問題を語るにおいてはただのノイズでしか無い。
ざっくり言えば思想的に偏った(と認定された)弁護士に対し余命というネトウヨアルファがネトウヨを扇動し大量の懲戒請求をかけた事件である。
表自風に言うのであれば「キャンセルカルチャー」「表現弾圧」の類である。
末路としては哀れネトウヨは返り討ちに遭い余命一派は訴えられて終了した。哀れっすねマジでw
多分自分達だけで無く、当のネトウヨからも黒歴史中の黒歴史扱いされてんじゃないかな?
弁護士の主張がおかしいのであれば言論で対抗すべきで、キャンセルカルチャーを人海戦術で仕掛けるのは頭のおかしい野蛮人がやる事である。
余談だが、当時の肌感で言うのであれば既に「ネトウヨ」が小馬鹿にされつつあった時代であり、余命にしても一部の極まったエコーチェンバーが騒いでいた程度の印象だったが
あの事件と在特会の体たらくが「ネトウヨは暴走し民主主義を否定する愚かな国粋主義集団」であるというイメージを決定づけた様に思う。
余命事件の場合は所詮はごく一部の弁護士が思想的に偏っているだけであり、その職務を妨害し仕事を奪う事に公益性は皆無である。
弁護士がおかしいと思うのなら、おかしいと思い支持しなければ良いだけだからだ。
それに思想信条の自由がある以上、その弁護士とやらが明らかな犯罪や倫理的にアウトな言動をしない限り、個人の自由である。
余命事件は日本国憲法の理念を踏み躙り凌辱しようとした文化的集団レイプ事件であると言えよう。
そこに正義は無い。ある意味憲法が嫌いなネトウヨらしいけどなw
しかしColabo(等の支援団体、社団法人)の場合は、余命事件とは異なる、しかし重大な違いがある。
Colaboらには多額の公金(税金)が支出されている事である。
公金が入っている以上、団体の活動にはある種の公共性・公益性が求められる為
思想信条の極端な偏り、及びそれに伴う公共性に欠けた事業や活動が行われる事は問題を超えた問題である。
公金の源泉である一般市民の公益性に反する可能性が高いからだ。
自分たちが望む政治的な活動がしたいのであれば、支持者の寄付金等の自前資金で活動するべきであり
故アベ首相のモリカケサクラ問題が未だに糾弾されているのも、政権が一個人・団体に便宜を図ったという事実は
①被支援者を政治活動(辺野古基地反対運動など)に参加させた事
③「リーガルハラスメント」「住民訴訟の濫用」等の造語により民主主義を否定した事
強い公共性が求められる公金事業で、本来であれば最優先で保護すべき被支援者を政治活動に繋げた事は
事業内容、ひいては団体の活動理念自体が一般市民の公共性・公益性に反していると認定されても仕方ない。
この点は他のブクマカや増田でも指摘されていたと思うが、本来政治色を最も薄めねばならぬ筈の支援事業で
事もあろうに被支援者(一般市民に含まれる人達)を政治活動に参加させる事は、最もあってはならぬ事である。
「あくまでも自主的に参加しただけ」という言い訳もあったが、支援者と被支援者という権力勾配の関係下において
団体の人間に「参加しよう!」と言われたら、果たして断れるだろうか?
被支援者が断って不利益を被る、と考えてしまうとは思わないだろうか?
ましてや生活困難な若年女性が、その生活を支援されている状況で断固として断る事が出来るのだろうか?
これを「全て問題無い」と言い切れる輩は、党派性エコーチェンバーか公共性の意識に極めて欠けた人間だろう。
政治活動自体は個人の自由ではあるが、その活動を支持しない人間にとっては公益性があるとは言えないだろう。
極端な話をすれば政治活動とはその理念に共感する支持者達だけが享受可能な私益であり公益性からは程遠い。
公金の支出元には、その理念を支持しない人間も当然含まれるからである。
私が与党色の強い政治活動を到底支持出来ない様に、政治的活動・思想を支持しない自由は当然尊重されるべきであり
政治色の強い活動に公金の一部が使われている(疑惑がある)事を容認しない姿勢も同様に尊重されるべきだろう。
会計の問題、疑義についても、公金が入っている以上公明正大な明朗会計が本来は為されるべきではあるのだが
残念ながらその理念に欠けている、または人的資源の問題により達成出来ない諸団体が多いのが現状ではある。
不正というよりは不適切・不適格な会計処理が存在した、というだけの話ではあると思うが
主に政治活動に使用された費用についてはそれは公金なので返金するべき、というのが自分のスタンス。
支援活動と政治活動の境目をなあなあにして不可分にしようとしている(様に見える)点については
個人的には「良かれと思って」やっている事だとは思うが、良かれと思って公共性に反した行為をやって良い訳では無いので
今一度公金、つまり一般市民の税金が使われている自覚を持って、後処理にあたるべきである。
私的な政治活動を団体の活動と繋げたいのであれば、自前の資金でやれば良いだけの話なのだから。
③はColabo及び支持者の主張だが、裁判・住民訴訟を起こす権利は、国民全員に等しく付与されているものであり
何がリーガルハラスメントなのか、住民訴訟の濫用であるかは、法の平等の下、法的に認定される必要性がある。
認定されなければあくまでも一方的な主張であり、その一方的な主張をマスコミを使ってさも事実であると喧伝した事は
法の下の平等の否定、基本的人権の否定、ひいては民主主義社会の否定であるとすら考えられる。
例えどんなに暇空が悪質な人間であろうとも、活動に疑念を感じ裁判を起こす権利、住民訴訟を行う権利は
まるで「何がリーガルハラスメントか濫用かは我々が決める」と言わんばかりの強気な態度は
公共性・公益性が求められる公金事業に関わるべきでは無いし、関わってはいけなかったのでは無いか?
という疑念を強くさせられる。
「良い事をしているのだから良い団体なので何も問題は無い」「良き事をする人達に指摘するのは悪である」
という意見を語るブクマカや増田も散見されるが、まさしく思考停止に陥ったエコーチェンバーに他ならない。
「人の善意は悪意より恐ろしい」という言葉の意味を理解出来ないものだと思われるが
善意だから多少のミスは許せ、公共性に反し被保護者含めた一般市民の公益性に反しても「良い事」だから許せ
というのは、自民党やナチスを盲目的に信用する脳みその無い家畜と何が変わらないのだろうか?
恐らくこういった趣旨の意見を書く増田やブクマカは多いだろう。
「陰謀論だ!」と断定するのは、時期尚早と言わざるを得ない。
そもそも公共性のある問題に対しての疑義を「陰謀論」として片付けるのは
ナチスがユダヤ人の主張を「ユダヤの陰謀」として弾圧したのと同義に思えてならない。
統一教会問題が、山上が最終的事件を起こすまで陰謀論として語られていた事を知らないのだろうか?
北朝鮮拉致事件が「差別主義者の陰謀論」として、有識者や議員までもが堂々と主張していた事実を知らないのだろうか?
ある事象に対する疑義が余程の荒唐無稽では無い限り、真か否かが証明されるのは裁判の判決であったり
少なくとも私には現時点ではかの暇らの疑義が全て陰謀論だと否定する根拠を持たない。(と同時に、全てが真実だと信用たる根拠も持たない)
アノンとカテゴライズし陰謀論者の烙印を押せば全ての疑念が封殺されるのは民主主義の否定に繋がる。
先人達がその血を持って築き上げた市民社会の理を否定する道理があるとするならば、陰謀論を語るものこそその道理を証明すべきだろう。
不可能だと逃げるであれば、それはただの陰謀論を語る陰謀論者でしか無く、余命事件に群がった脳みその無い家畜の群れと同等である。
ネトウヨ版キャンセルカルチャーと言える余命事件には公共性が全く無い一方
公金が支出された事業に対し「公共性(公益性)に反しているのでは無いか?」
例え発端がひょんなきっかけ(笑)であったとしても、実際の行動に公共性・公益性がある以上
それを否定するという事は即ち民主主義の否定に繋がってしまう。
勿論単なる誹謗中傷などは裁判で争って下さい敗訴したら当然の報いを受けろカスとしか言い様が無いが
(そして裁判の結果が確定するまでは 推定有罪で冤罪を発生させた草津事件の再来になってしまう)
その誹謗中傷の中に、「公共性・公益性が求められる団体への疑義」を含めるのは間違っていると考えられる。
公共性・公益性を否定されたのならば、我々の活動には公共性も公益性もあるという事を法的に証明すれば良いだけなのだ。
それをせず、前段階で御用マスコミやしばき隊という左翼版在特会みたいな連中を使って騒ぎレッテルを貼り
あるいは訴訟を匂わせ時には個人情報まで使って威圧し異論を封殺する行為は、権力・権威による一般市民への弾圧そのものであり
これこそまさに、集団による威力業務妨害で弁護士の職務を妨害し、圧力によって黙らせようとした余命事件と同じでは無いか。
マスコミや党派性エコーチェンバー集団を使い大合唱で正当性を主張した所で、単なる迷惑なノイズでしか無く
今まで同様のやり方で正当性を獲得してきたオールド左翼のやり方は極めて公共性が無く公益性に欠ける愚行であるので
悔しいながらも住民訴訟については最後までやり切る事を支持せざるを得ないし
その途上で間違ったレッテルを貼り妨害する愚行も、同様に否定していかなけれなならないのが、リベラリストの苦悩であるとも言える。
党派性エコーチェンバーの下らない反応は予想していたが、概ねテンプレート通りで何より。
右のアホも左のクズも同じなのだが、根拠もまともに示さずにジャーゴンのレッテル貼りを繰り返すばかりでは
サイレントマジョリティからの共感など到底得られそうに無いが、そもそも議論をする気も、議論をしようと試みる理性も無いのだろう。
知性はさておき品性に欠けるのは最近の自称左派の主流になって久しく、リベラリストを自認する者としては甚だ残念である。
過去のネトウヨと同レベルに陥り、失敗したネトウヨが外面を整える事を身につけた結果、相対的に自称左派はネトウヨ以下に成り下がった。
党派性に囚われたエコーチェンバーは知性と品性を貶める証左と言えよう。
アニメ漫画を叩かれてという動機が私怨だから公共性・公益性は無いというブクマカもいたが、これもまた程度の低い人治主義でしか無い。
例えばモリカケサクラ問題を追求した人間の中には安倍首相・安倍夫人に憎悪・敵意を抱いている人間は少なくなかったが
安倍を憎んでいるから不正を追求する事は即ち私怨である、とはならないだろう。
発端がどうであれ実際の行動が公共性・公益性に反する動きを追求する行為から大幅に逸脱していなければ
嫌がらせや妨害では無く(少なくとも法的には)「正しい行為」となる。
正しく無いかどうかは、議論であったり法治主義による判断の結果によって定められるべきである。