はてなキーワード: 弁当とは
微妙だ…
22日までに納豆6パック食べないといけないんだよなぁ。
キムチ納豆卵ご飯にして食べようと決めていて、一度に2パック使うので3回食べる予定なんだけど、
朝は食う気ないし、昼は仕出し弁当と決まっているので
残り4日間の夕飯の3日間を納豆食べなければいけない。
微妙だ…
うちは普通のサラリーマン家庭なのですが、父方の祖母は、占い師か拝み屋みたいなことをしていました。とはいえ、謝礼にお金はもらっておらず、食べものばかりだったようです。それも手をつけることはなく、近所のお稲荷さんにお供えしていました。
私が大学の時、先輩と出会いました。先輩はゼミのOGで、就活の相談で知り合いました。色白で、黙って座っていたら良家のお嬢さんという印象です。しかしどこか掴みどころがない人でした。
祖母が先輩と会ったのは、相談の時に私が忘れ物をしたのがきっかけでした。
春先だったか梅雨だったか、よく覚えていないのですが、雨が続く時期だったと思います。
友だちからもらった、ディズニーのお土産のタオルハンカチでした。大事なものだったので、同じ沿線だから駅まで持っていって渡そうか、という先輩の言葉に甘えました。
出掛けに、祖母も駅前へ花を買いに行くというので、一緒に向かいました。
先輩を見るなり、祖母は「とら」と言いました。ハンカチを渡してもらいながら、何を言い出したかと、私はポカンとしていました。
「お嬢さん、ごおうのとらでしょ。お母さんとお父さんの干支は何?」
「母はひ(き?)のえうまです。父はごおうのとらです」
先輩はちょっと驚いていましたが、割と平然と答えました。
「昔、古いおうちに住んでた?」
ここで根掘り葉掘り尋ねる祖母をたしなめようとしましたが、「色々聞いちゃってごめんなさいね」と、自ら質問を切り上げたので空振りになりました。
後から聞きましたが、先輩は育ちが西の方で、昔住んでいた家が、さるお屋敷の離れを一戸建てに改築したものだったそうです。訛りが全くなかったので驚きました。
その時はそれで解散となり、おばあちゃん何なんだろな、と思いつつも、それで終わりでした。
祖母と先輩が次に会ったのは、夏になった頃です。祖母はこの時期に、一番拝み屋的な仕事をしていました。とはいえ、詳細はよく知りません。謝礼のお供えものをもらってくるので、そうと知れただけです。息子の父が何も言わないのはともかく、嫁の立場の母は、こういうのどう思っているんだろうと思っていましたが、母は全く咎めませんでした。祖母と母は、仲良しとまではいかないものの、ごく普通の関係でした(それが実は大変なことだというのは今はわかっていますが)。
7月の中頃だったと思います。先輩と連絡を取りたいと祖母に言われ、私はびっくりしました。拝み屋絡みか、と訊いたら否定しませんでした。しつこく粘られ、「先輩が承諾したら」「私にも詳細を教えてもらう」という条件でしぶしぶLINEしました。先輩は祖母が拝み屋ということにもさして引かず、むしろ面白げにあっさり了承しました。
手伝いというのは、祖母の指定する家に一晩泊まるという内容です。孫の私でも、かなり怪しい話です。
「心配なら、W(私)ちゃんも泊まりなさいな」と祖母は言い、私もそうすることに決めました。
向かった先は、有名な温泉街の駅でした。交通費は先方持ちとのことで、温泉に入った後、駅からタクシーで向かいました。山坂のある道で、結構距離はあったと思います。
途中、神社にお詣りし(なんという神社か失念しましたが、たぶん八幡様だったと思います)、着いた先は、ごく普通の一軒家でした。
祖母は入る前に、先輩に「和室で待ってる人がいるので、やってもいいと思うなら、肩を叩いてあげて」と言いました。それから、二階には上がらないこと、全員一階の和室で寝ることを言われました。
インターホンを押すと、奥さんらしき人が、扉を開けてくれました。少し疲れた印象でした。二階に上がる階段は、入って正面の突き当たりにありましたが、赤ちゃんやペット用の柵みたいなものが塞いでいたので、うっかり上がることもなさそうでした。
和室には祖母の言ったとおり、高校生ぐらいの男の子がいました。背の高い、いかにも運動部という感じの男の子です。集団でいたら避けたいタイプかもしれません。しかし妙に落ち込んでるように見えました。歳や見た目割りに、大人しいというか。先輩は、特になんともなく、その子と叩きました。
その泊まりは何もありませんでした。
ラップ音とか、怪しい影とか、変な声とか、何も。
というか、実はこの話、最後までそういうのはありません。
まあ、私も先輩もいわゆる霊感などなく、先輩に至っては、夢で幽霊や化け物が出たら、怒り狂って殺しにいくとのことでした。だから怖い夢が怖くないと言っていました。
夢占いだとそういう化け物殺しはストレスの兆候らしいのですが、今となってはどうかはわかりません。
夜のご飯は弁当(高いの)を持ち込みましたが、朝はおにぎりと味噌汁を出してもらい、そのまま帰りました。帰り際に、祖母は封筒(おそらく交通費や弁当代)と、お菓子か何かをもらっていました。
私と先輩は訳がわからなかったものの、温泉・高級弁当・タダということでラッキーという感じでした。当初の怪訝さはどこへやら、うまい話ヤッターみたいな感じになりました。
結論として、この手伝いは数年続きました。夏が多かったものの、季節関係なく、先輩のスケジュールが空いていれば成立しました。
色々なところに行きましたが、大体条件は同じでした。
温泉があれば寄る。
先輩が居間の人の肩を叩く。
二階や特定の部屋には入らない。
祖母・先輩・私は同じ部屋で寝る。
ほぼ、先輩は肩を叩きました。
時折、臭う不潔な人や、ずっとうめいてるような露骨に変な人もたまにいましたが、普通に叩きました。
しかし、数回だけ、叩かないことがありました。
その時はその家には泊まらず、謝礼も貰わず、祖母持ちで、ビジネスホテルや空いている旅館に泊まりました。
叩かなかったいずれの時も、先輩がものすごく機嫌が悪くなりました。本当に、露骨に触るのも嫌という様子でした。普段飄々とした先輩が、突然牙を剥くみたいになるのです。
先輩の声は女性にしては低い方なのですが、「叩けません」という声にはドスがきいて一層迫力がありました。はたから見ていても、とても怖いのです。
叩かれない人は、ずっと呆然としていたり、逆にニヤニヤしていたり、やはり変な様子でした。しかし、叩かれた人にも変な人はそこそこいたので、正直私には差が分かりませんでした。
先輩に後で訊いてみると、先輩も理屈はわからないものの、とにかく本当に触れない、触りたくもない、汚らわしい、腹が立つ、という気持ちになったそうです。
今思えば、そういう不思議なことは間違いなくあったのに、直接的に怖い訳ではないと、存外平気なものなのだな、と思いました。
この手伝いがなくなったのは、突然でした。祖母が「今までお手伝いありがとうございました、これで最後になります」と、宣言したのです。秋か、冬のことでした。
最後のおうちは、特に印象はありません。そこの人は、肩を叩かれました。白い猫ちゃんがいて、私にも先輩にもゴロゴロいってかわいい子でした。
先輩は「役に立ちました?」と訊き、祖母は「大変助かりました、ありがとうございました」と言って、先輩にお礼は何がいいですか、と尋ねました。
「それじゃ最後にWちゃんも含めてお食事しましょう、それがうれしいです」ということで、祖母の奢りで3人でふぐを食べました。祖母は奮発してくれ、一番いいコースで食べました。
その後、先輩は引っ越して県外に行ってしまい、私も仕事に慣れて忙しくなり、疎遠になりました。
結局あの手伝いはなんだったのか。
その時、祖母は、私が先輩から借りっぱなしにしているものはないかと訊き返しました。先輩とはものの貸し借りはなく、お金などは代わりのものを奢ったりして都度トントンにしていたので、そういうものはありませんでした。
それを聞くと、祖母は話してくれました。というかメールですが。
「K(先輩)さんはね、とらです。悪いものには、ものすごく怖いとら。動物のとらみたいに、いるだけで怖い。巡り合わせもありますが、滅多にいないひとです」
「泊まりの都合が、合わなかったひとは、もう最初から、助かるご縁がなかったんです。来てもらって、肩を叩いてもらえたひとは、許されてもいいってこと。叩いてもらえなかったひとは、だめ」
「強いと因果も色々あるんだけど、Kさんは、絶対大丈夫。あのひと、甘やかされてないから、馬鹿みたいに運がいいとかはない。だから負ける時は負けるけど、それはそれで、怖いことなんです。自分を負かした相手の運を、埋め合わせに、根こそぎ持っていってしまう。貸し借りのことを聞いたのはね、それと同じで、借りっぱなしで泥棒するのが、とても良くないことだから。ちゃんと謝って返すか、許して譲ってもらうかしないと、持ってるものぜんぶ無くなるまで、持っていきます。自分からは、どうこうしないけど、ずうずうしいとか、わきまえないひとに、容赦しない」
祖母がこのことを言うのは、たぶん私と先輩のご縁が切れたからで、でも忠告でもあるんだろうな、となんとなく思っています。
コロナが本格的に流行り出す前に、祖母は脳梗塞で亡くなりました。
お稲荷さんへの謝礼のお供えの話は、葬式の後に父から聞きました。
父も詳しくは知らないそうですが、他人様の不幸せを、自分の稼ぎにしてはいけない、ということでお供えにしていたようです。
母が嫌がらなかったのも、たぶん金儲けじゃなくて人助けだと思っていたからなのかもしれません。
先輩は、人づてに聞いたところ、普通に元気で、バリバリ仕事をしているそうです。
お手伝い中、会社でパワハラで有名なお局さんに嫌がらせされている、とボヤいていたのですが、結局そのお局さんが部署をたらい回しにされ、会社をやめたそうです。
たぶん、そのお局さんはこの先いいことはないんでしょう。知らないとはいえ、恐ろしいことをする人もいるものです。
もう一つ、昔の友人にCDを借りパクされたという話を聞いたのも、今書いていて思い出しました。それもどうなるのでしょう。
特にまとまりのない文章になってしまいました。まあ、別に怖くもないでしょう。
こんな話は誰もリアルには信じないと思うのですが、やはりこうも変な体験だと誰かに話したくて(フェイクも混ぜてますが)、ここに投げています。
唯一怖いといえば、都合のつかなかった人、叩いてもらえなかった人のことがあります。
どうなったんだろう、とふと思います。
気にはなりますが、出来もしないことに深入りしないのも大事でしょう。
私は虎のように強くもないし、祖母のようにそれを見極めることもできないので。
そうそう。また書いていて思い出しました。そういえば、タオルハンカチを届けてもらった時に「親切にしてもらうのだから、お礼を持っていかなきゃ」と、祖母はゼリーを用意してくれました。あれは今思えば、なかなかファインプレーだったのかもしれません。
オチのない話で申し訳ないですが、あなたの暇潰しにでもなれば幸いです。
***
虎の威を借る狐だった。
こんなこと何度もないですよ。これが初めてです。
皆さんもお気をつけて。
***
だから気をつけてと言ったのに。
まだ気付いてないんですね。
これはとらの話なんですよ。
残念です。
***
縁がなかった、許された、許されなかった。
その差は?
だって良かれと思ったことが、こちらは些細と思ったことが、向こうを怒らせてずっと恨みを買うなんて、よくある話じゃないですか。人間相手ですら。
びっくりするぐらい真反対の考え方の人って、実際いるでしょう?
私は間違えない?
私は正しい?
本当に?
信じるって、そんなあっけらかんにしていいことなんでしょうか。
***
急に寒くなりましたね。
狐よ、肥えろ肥えろ、どんどん肥えろ。
***
黄質黒章、鋸牙鉤爪。
のこぎりの歯とかぎづめを持つ、黒いすじを持つ黄色の化け物。
訳が分からなくて、怖いですよね。
でも、それに「虎」と名付けたら?
だから「とら」にした。
少しでも縁のある器に注いで、形を捉えた。
そういうことなんですかね。
でも、名前が付いたからって、虎は本質的に虎のままじゃないですか。
ましてや「とら」だなんて、図々しいじゃありませんか。
そういうものの名を、人の分際で決めて、しかも領するなんていうのは。
定義付けるべきじゃなかったなら、せめて、よくある作り話とみんなが思って、薄まらないかなって思ったんです。
これも、いまいちでした。
あんまり詳しく正しく書いて、道理を通そうとするのは良くないんですよ。この手のは。
言うじゃないですか、ラテン語か何かの格言で「神秘は秘匿されるが故に神聖也」って。
でも今時って、皆さん考察したり、伏線や矛盾を突いたり、暴くのがお好きでしょう?
かえって、あちこちに細く尾が走っていってしまってね。申し訳ないことに。
***
これで手打ちにしてくれるそうです。皆さんどうも。
***
長らくお付き合いありがとうございました。
こちら出張の片手間に推敲もせず書いたもので、始末に困って貼ったのですが、存外見ていただけたようで、驚いております。
それでは、本当のお開きでございます。
皆様、余さず頂戴し、骨の髄まで堪能させていただきます。
ご機嫌よう。
結論から言うと、
「すげえいい水使ってるよね!美味しい水だと思うよ!でも水の味しかしないよ?水増ししすぎじゃない?俺はスープが飲みたかったんだけど」って感じ。
なにしろ、単行本のオマケページでやるような内容
(煉獄さんなんであんなに大量の弁当持って無限列車乗ってたの?→鬼の被害で閑古鳥が鳴いてた売店の駅弁を全部買ったから)
を水増しして1話にしていて、鬼は雑魚で過去回想もしなければ特殊な能力も持ってない。鬼に困らされている人たちの物語も薄味。
飯作画アクション作画等々は素晴らしかったけど……
そもそも、話の構成上無限列車に乗る前の話(作中の時系列ではなく話の順番)で煉獄さんを掘り下げるわけにはいかんのよね。
というのも、鬼滅の刃で柱達が人気が出た大きな理由に、「初登場時からのギャップ」を非常に上手く使った作劇があると思うのだけれど、
煉獄さんの場合は、これが非常に短距離かつ劇的。
1.柱合会議での「悪人じゃないんだけどなんだこの変人」感
↓
2.無限列車で炭治郎の前に登場したときの「イマイチ話聞いてない感がすごいけど、天然っぽいな」感
↓
3.無限列車戦での頼りになる感。炭治郎への適切な指導「あれ?マジで頼れる兄貴なの?」感
↓
4.かーらーの絶望的な戦い、過去回想、「煉獄さあああああああああああああああああん」
↓
と、初対面で印象が悪かったのに、だんだん印象が変わり最終的に読者に好感をいだかせるという流れが上手い
(だけどキャラが変わった、というわけじゃないというところが吾峠呼先生のキャラ描写の上手いところだと思う)。
1と2の間に余計な煉獄さんの描写入れると、この初登場時の印象から急激に印象が変わる流れが止まっちゃうんだよね。
だから、あんまり煉獄さんの濃い話をここでやるわけにもいかなかったのだと思う。
でも、ならなんで、オリジナルエピソードやるの無限列車編本編の後にしなかったんだろう。
それなら弟君からの伝聞の形でいくらでも過去の濃い話入れられたろうし、
無限列車編終了の時点で視聴者の煉獄さんへの好感度はMAXなんだから、
よっぽど酷い話でなければ多くの人がダダ泣きしたと思うんだけど。
仮にも日本映画の興行成績を塗り替えたような作品に対して、なんでこんな水増ししまくっただけの話を入れたのか……
なんなら吾峠先生に新規ネーム原作描きおろしてもらう手もあったろうに……
この後が面白いのは劇場で見て分かっているだけに、だからこそすごく残念だ。
制作陣には罰として、最終決戦編で語られる猗窩座の過去話において、作者が単行本オマケで長文ブッコんでた内容の映像化を求める。
主人公「(娘って誰かわかんないけど、天空シリーズ集めるためには手段を選んでられない)結婚します」
~~ 指輪探しの途中 ~~
ビアンカ「主人公!よっしゃ付いてく!昔思い出すね~……(以下匂わせトーク)」
ビア父「お前がビアンカ貰ってくれれば」
この展開酷すぎひん?
よく行くスーパー、ちょっと前の休みの日に散歩を兼ねて朝の開店と同時に行ったら肉・魚を中心にものすごい量の商品が半額になってて驚いた。
それ以来土日の朝を狙って買い物してる。
昔ベン・トー見てこういうのって夕方や閉店前に半額シール貼るもんだと思ってたけど、それは弁当だけだったのかもしれない。
まぁ、そのスーパーだけかもしれないけどね。とにかくこれを知ってから食費がものすごく節約できたので良かった。
もう当たり前(の価格では)買えないですね……
男の仕事用靴下の話だけど、全部同じにしたらたしかに楽だった。
除湿器とエアコン全力にふとん乾燥機足したら湿気から救われた。
食べ物関係はnoshっていう冷凍弁当買って、ふるさと納税で鶏モモの小分けを200g×20個ぐらい冷凍庫に常駐させて、
あと常温で保存できる紙パック豆腐や紙パックカットトマトを買い溜め、
エスビーの混ぜるだけ調味料や、どっかのメーカーの混ぜてフライパンで焼くだけでから揚げできちゃう粉買って、
箸は全部割り箸にして
割と洗い物も減ったしスーパーに買い物行く頻度もめちゃめちゃ減ったので、俺は幸せになれた。
あとペットボトル飲み物大量に買い溜めするときは、カクヤス使ったらちょっと高いけど綺麗に持ってきてくれるし、重いもの運ばせる罪悪感も薄いので良かった。
中卒の両親の元に生まれた末っ子の私は、学費はもちろんの事、大学の受験料すら自分で払えと言われ、おまけに宗教一家の三世だか四世のため宗教絡みもダルダルで、親ガチャ当たりとは到底言えない人生だったと思う。
両親と同じように10代でデキ婚するだろうと思われていた私は、両親の期待外れに真面目に育ってしまった。
無駄に進学校に行きたがり、大学に行きたがり、学費がかかって迷惑極まりない子供だったんだろう。
さっさと子供を作り家を出てってくれたら親孝行になっただろう。
楽観的なものの見方が出来ず、常に何かを疑い、批判的にものを見る私は、後先考えずに行動する家族に毎日いらついていた。
子供に払う金もないのに犬猫は飼いたがる両親の金銭感覚にはほとほと呆れ絶望していた。
生きてるだけで金がかかるし、自分に莫大な金をかける価値も無いんじゃないかと思うと、生きていることすらバカバカしくなって死にたいと思った。
でも、自分の力でここから抜け出すために、幸せになるために頑張ろうと思った。
私だって学費も、留学費用も、通学代も、全部出してくれる親の元に生まれたかった。
入学祝いにブランドのバッグを買ってくれて、20歳の成人祝いには花束とブランドのアクセサリーをプレゼントしてくれるような親の元に生まれたかった。
でもここが私の人生だし、仕方ない。
ほんとにきつくなったらまあ死ねばいいかとライトな希死念慮はずっとあった。
25歳まで実家で暮らして貯金をしてから家を出て良い人がいたら結婚して、そんな将来が来たらいいなと夢を見た。
そんな矢先、姉が実家に舞い戻ってきた。
姉のせいで家は崩壊した。
私も疲弊した。
家の手伝いも何もせず、何を言っても言い訳ばかりの姉に、存在しているだけで腹が立って仕方なかった。
朝ごはんもお弁当も作って貰って、部屋をゴミ屋敷のように散らかしては掃除も親に任せていた。
もうただの怠けた豚にしか見えなかった。
友達も彼氏もいない、職場でも散々な態度をとってる姉はどこに居ても孤独で、それを発散するかのように自宅でYouTubeを大音量で流して大爆笑し、耳障りで仕方なかった。
それを申し訳ないとも思わず他人に迷惑をかけっぱなしで、自分がこうなったのは、親のせいだと他責思考で居続けた。
幼少期にまともな環境で育たないと愛着障害で精神的に不安定になりやすいのだと主張し、自分の現状をただ親のせいにして何も反省しなかった。
そうやって親のせいにしてたら楽だろうな、自分は何も悪くないって思えるから。
同じ親の元に生まれた私は、朝ごはんもお弁当も自分で作って、職場の人間関係も良好で、友達もいて 、彼氏もいる。違いはなんだ?
親のせいにして自暴自棄になってたって、そこから生まれるものがないってわかってるから。現状を良くしたいなら頑張るしかないのにそうやってずっとずっと親のせいにして1ミリも成長してないなんて恥ずかしすぎるから。
迷惑をかけてない私が、なぜ?
出ていくべきはお前のはずなのになぜ私が責められないといけないのか分からなかった。
妹にナマケモノのように扱われ、疎まれ、妹のように上手く行かないことが辛かったんだろう。
わたしは今は一人暮らしの費用のために、仕事を終えてからパパ活をしている。
夜遅くに帰れば姉と接触する時間も減らせるし、お金も貯まるから。
けれど、どれだけ疲れていようと、遅くに帰ってきても、翌日も早起きで仕事をこなさなければいけないのはさすがに疲れてきた。
どうして、私だけがこんな思いをしなければならないのだろうか。
だらけた姉が家で母の作った夜ご飯を食べている時に、どうして私はおじさんとご飯を食べていないといけないのだろう。
早く幸せになりたい。
※ここに記載されている情報はフィクションです。単語も正規に使用されているものではなく、登場人物も架空の人物です。
・超ヘビースモーカー
・職場経由でコロナ陽性。症状なし。判明後、家族に半ば迫られる形で(家族が重篤な基礎疾患持ちでワクチン未摂取のため)特別隔離施設入院。
・手違いなのか保健所のミスなのか本人が聞いていなかったのか、最初の入院時に十分な説明を受けておらず、ほぼ手ぶらで転院。(保健所は説明したと主張、本人は聞いていないと主張。保健所は同じミスの前例もあるが、本人の素行不良も目立つ上にお互いに明確な証拠が無いため真偽不明。患者はきちんとサインをしているが保健所も口頭説明の義務がある)
・はっきりした物言いで、信念が強く自分の考えを曲げない部分がある
・コロナで急遽施設を貸し出された入院施設建物の管理者にあたり、建物内のみならず周辺住民などとの間も受け持つ最終責任者
・基本的に官公庁が定めた感染防止ルールやマニュアルに従って建物運営をしている
・独断でルールに抵触することも可能であるが、最終責任も本人がすべて受け持つ
・よく言えば真面目、悪く言えばマニュアル人間
◆経緯
・患者Aが無断で差し入れ(お菓子など。弁当を好き嫌いから拒否したため)を家族に頼む(ルールでは差し入れは事前報告制で、薬を除き実質的にまとめて一度まで)。管理者Cが「他の入院患者の手前ルールを破ることはできない」と受け取り拒否に。しかしこれが原因で口論になる。
・間に入った看護師Bが患者Aに事情を説明。患者Aがヘビースモーカーで現在喫煙できずイライラしていること、家族の申し出で仕方なく押し切られる形で入院させられたこと、また保健所とのやりとりを管理者Cに話す。
・看護師Bのアドバイスと本人の家庭、保健所との事情を顧み、特例として管理者Cはルール付きで差し入れを許可(中身をこちらで確認すること、一度きりにしてもらうことなど)。
・しかし一度目の受け入れに患者Aとその家族間で不備があった模様。再度の差し入れを申し出る。
・管理者Cはそれを拒否。理由はただでさえ他の入院患者のフラストレーションも溜まっている中、事前報告なしで二度の差し入れの特例がバレたら施設ルールが崩壊しかねないため。また直接的な差し入れではないとは言えど、建物の出入りが増えればそれだけ感染のリスクが跳ね上がるので承認はできなかった。
・しかしそこで看護師Bは管理者に一つ提案をする。「このままこの患者がキレて何かの隙に暴れたり脱走してしまうよりは、夜中こっそり差し入れを持ってこさせる方がマシではないか」と。
・管理者Cはここで一度官公庁に指示を仰ぐ。しかし官公庁は「現場判断に任せる」と一任。結果、再び特例で差し入れを許すことに。
・この際管理者Cはかなりきつく患者Aに注意を促し、あくまで特例であるということ、次で必ずすべての差し入れを持ってこさせることを強調。しかしここで患者Aがその態度に激怒、口論に。
・そこで再び看護師Bが仲裁に。患者Aではなく、管理者Cを宥める形で決着し、再度差し入れを許す。
・しかしここで再び問題が発生する。患者Aが再三の差し入れを要求してきたのだ。
・さすがにこれには応じられないと管理者Cは拒否。すると患者Aは出された食事を食べなかったり、わざと管理室にクレームを入れたりするなどの暴挙に出た。
・患者Aを強制転院させる案も出たが、他の施設も手一杯で動けず。仕方なく受け入れを続行するしかなかった。
・ここで看護師Bは再び管理者Cに意見。「患者Aもいきなり追い出される形で入院となり不安である。また発端は保健所の落ち度かもしれない。しかもヘビースモーカーの人が狭い部屋で10日以上の隔離はいつ限界がきてもおかしくない。聞いて丸く収まるなら聞いたほうが良いのではないか。暴れだして他の患者の迷惑にならないためにもそれが良いのではないか。それに食事に手を付けないのはさすがにまずい」と。
・管理者Cはこれを「公平性が保たれない」と拒否。また「あくまで自分の仕事と責任はこの建物や周辺住民すべてに及ぶので一人だけを贔屓にできない。建物も民間の借り入れであり、差し入れに限度があるのも感染予防と、協力してくれている地域住民への騒音や渋滞への配慮も含まれる(場所が住宅街であったため)。また保健所に落ち度はあったかもしれないが、その後の対応にこちらは落ち度はなく、それより一人を贔屓にしていることがバレるとそれこそフラストレーションが溜まった他の入院患者を逆撫でする行為であり、現場崩壊につながる。食事を取らないのもアレルギーが原因ではなくワガママである。本来ならレッドカードで強制転院扱いだが仕方なく対応せざる負えないほどの危険人物にこれ以上配慮できない」と言い、承認しなかった。
・すると看護師Bはこれを患者Aへの虐待行為であると県庁に報告。
・経緯を聞いた上で虐待行為ではあるとはならなかったものの、この一件により管理者Cは独断でルールを破り、差し入れを許可した責任を感染予防対策を怠ったとして追求されることとなる。
・これに関して管理者Cは「確かに最終決断は自分だが、現場有資格者である看護師Bの助言の元行った」と釈明。しかし看護師Bは「あくまで最終決定は現場トップである管理者Cにある」と主張。お互いに譲らない形となった。
・そしてこの議論中、患者Aがもう少しで退院となるところで緊急搬送となった。幸い大事には至らなかったが、原因は栄養失調とストレスによる免疫低下である。
・また院内で職域摂取対象外であった外部委託警備員数名でクラスターが発生。細かい経路は特定できなかったものの、いくつかの差し入れか、それを持ってきた家族との接触が原因ではないかと問題提起された。
・さらに近隣住民でも感染者が発生。こちらは完全に経路不明扱いであったものの、これが原因で周辺からのクレームが激増し、建物の貸出主から打止の打診がなされた。
・上記から現場有資格者である看護師Bと、実質的なトップ責任者である管理者Cの責任が問われる形となる。
果たしてどちらに責任の所在があるか?どちらが悪く、正しかったのか?
患者第一とした看護師Bと、全体の調和を第一とした管理者Cとどちらが悪いか。
なお理由があったとはいえ再三迷惑行為を繰り返した患者Aと、問題の要因の一部である保健所、そして現場一任を貫いた官公庁は個別に明らかな問題があるため、今回の議論には含まないこととする。
意見はお好きにどうぞ。