はてなキーワード: 弁えるとは
いや、書こうとしたのだ。本気で。
狙いは女慣れしていないゲームだけが生きがいの男性。太ってるだとか禿げてるだとか、不細工な要素は最低でも四つ欲しい。自信なさげで、話しているかどうかもわからない、職場で浮いている男性を狙う。ファッションに疎いとなお良い。
他の女性が愛さない男性を狙う。カッコいい男性は積極的で美しい女が掻っ攫っていく。身の程は弁えるしかない。
だいたいそういった男性は押しに弱い。アプローチにアプローチを重ね、それっぽい空気を作って告白する。相手に恋人がいなければだいたいOKしてもらえる(はずだ)(多分ね!)。
先にセックスして既成事実を作っても良いかもしれない。ヤリチンならセフレ行きだが、セフレすら作れない弱者男性なら即恋人コースに乗れる可能性が高い。
食べ方が気に入らなければ調教する。
男性のクローゼットを暴き、毛玉だらけの服、ゴミがこびりついた服、洗いざらしの何年着たか分からない服、サイズ感の合わない服、何もかも捨てる。
服はデートと称して服屋に連れて行き、自分好みの服を買い与えてあげる。最近はワークマンでも格安でお洒落な服もたくさん出ている。太った男性でも着れるようなサイズの服もある。一万円しないくらいでブカブカ糞チェック野郎を卒業できる。ガチャ30連回す金でいい男が誕生日するのだ。
歩き方を教える。胸を張って歩くだけで呼吸がしやすくなると教えてあげる。ねごぜを注意する。あごを引くように伝える。それだけでも見れるようになる。ソシャゲの周回より効率がいい。
真っ直ぐに好意を伝える。
ちょっとの努力で世界は変わるのだと教えてあげる。男性の拗ねた世界観を少しでも良い方へ導いてあげる。
超絶喪女でもない限り、この手の男は育成する必要がない。出会いの場とチャンスさえあれば上記よりマシな男性と関係を持ててしまう。わざわざ弱者男性を仕込んで育てる必要がない。
超絶喪女でも手間暇をかけても結ばれるのが弱者男性、というなら生涯孤独でいいという者もいるだろう。自由恋愛の世の中だ、当人が望むなら外野がとやかく言う権利はない。
女はクリスマスケーキ、という言葉が死語と化しても男性の好みは変わらない。どう言い繕っても、彼らは若い女が好きだ。辛く悲しいが、この現実と向き合わないといけない。
これが弱者男性育成と食い合わせが悪い。
弱者男性を仕込むは早くて半年、長いと二、三年の期間がかかる。弱者男性が育つまでに女としての旬が終わる。必死に育てた元・弱者男性が自分より若く美しい女に取られたら? 奪われないまでも諸事情で別れたら?
育成済みの弱者男性と結婚できなければ苦労だけして、若さだけ失うだけ失って、得られるものは何もない。別の男性にトライアンドエラーを繰り返してる時間は女にない。
だったら最初からある程度育った手間がかからない男性を……。となっても仕方ない気がする。
……失礼。上記ふたつは建前である。申し訳ない。本当は弱者男性育成増田を書いている途中で否応なしに現実と向き合うハメになり、心が折れたのだ。
セーラー服を脱いで早十年余。
同い年の親友は「私たちはまだ若い!」と言ってくれるが本当にそうだろうか?
歳だけ重ねて得たものはあったか? 中身は学生時代のままなのに若さだけを失った。
本当にそうだろうか?
結婚した友人がいない。そも、友人たちのほとんどに恋人がいない。恋人いない歴=年齢の友人もいる。
親友たちはソシャゲに2.5次元舞台の追っかけ、アニメ漫画映画消化で忙しく、結婚に対する不安はなさそうだ。
彼女らのように趣味に生きることができない。自分の人生の全てを推しに捧げる程狂えない。結婚出来なくて孤独で金もないけど推しがいるから幸せ! だなんて快哉を叫べない。そこまでの覚悟を持てない。
早く結婚して楽になりたい。
パッとしない人だった。穴の空いた下着を履き、ぶかぶかのチェックワイシャツを愛用している典型的な理系男子。口癖は「人肌が恋しい」。
強引に服を捨てて新品の買い与えた(割と怒られた)。少しでも恋人の自己肯定感が上がるようにじゃぶじゃぶに愛情表現した(上手くいったのかは未だに分からない)。
最初はクロマニョン人寄りのゴリラだなと思っていたが、今では育成が上手くいって福士蒼汰風味のゴリラに見える。
育成の成功した彼が私より若く美しい女に奪われないか心配になっている。
もう若い子のようなミニスカは履けない。日々の生活に疲れ、若い子のような無垢さも立ち消えた。
結婚しようと持ちかけてもはぐらかされる。卒業して遠距離になってしまった。結婚するにはどちらかが仕事を辞めるしかない。
「同棲してみて、合わなかったら別れよう。その時君が路頭に迷わないように、仕事を見つけて。喧嘩した時の避難場所も欲しいだろうから君の名義でアパートも借りておいた方がいいね」
恋人のいうことは正しい。
私が仕事を辞めて彼の元に行って、振られてしまったら? 私の手には何も残らない。
結婚しても働かないと家計を支えられないから仕事を見つけるのはマストだ。遠距離の転職活動がうまくいかず心だけが弱っていく。
働きながらの転職活動が辛い。転職もできない無能ですごめんなさい。転職したとて結婚できない可能性があるのが辛い。
何も得られていないのに歳だけとりすぎた。
潮時なんだろうなと思う。
現実逃避のために増田を書いている自分が苦しい。痛みから目を逸らすために他人にご高説を垂れてる自分が痛々しくてかなわない。
色々生意気言ってすみませんでした。恋人とちゃんと話し合ってみます。結婚をぼかすようなら、きちんと別れを告げようと思います。
弱者男性愛されないのアレかな、優柔不断で結婚だとかに踏み切れなくて女の方が逃げ出すんだろうな。あはは、笑える。
別れたらそうだな、職場の30過ぎた年上の人にアタックしてみようと思います。M字ハゲがひどくてデブの脂ぎった人だけど、気性が穏やかだから。育成方法は自分で書いたしいけるっしょ。
あーあ、疲れた。
このエントリに対するトップコメはじめ増田の安全なところから~なコメがスターを集めるけれど
倫理的に正しく、論理的に一貫性のある、誰も傷つけない発言をしていれば「安全」を気にする必要は無いべ
自身の意見が正しいと思っているんだったら具体的で客観的な根拠を明示して反論すればいいじゃない
というか同じIDで増田に書き込めるんだから100文字制限ガーなんて気にせずにさ
批判に対して反論するのではなく、批判する行為に対してネガティブなコメントをつけてブコメに対する批判を抑圧的にしようとするのは
あるいは、
名誉毀損罪や侮辱罪に抵触する恐れのある発言である事を自覚しているから安全を気にするの?
検証されると矛盾が露呈して困るような不都合なエントリに対する話題そらしや、エコーチェンバーの強化etc.な工作しているから増田が安全に見えるの?
それとも、自身の無謬性を疑っておらず発言に対する批判を自身に対する悪口や人格否定と捉える精神性だから安全性を気にするの?
俺がたまたま見ないだけで同じぐらいそんな話は溢れてる、って可能性もあるけどそれを言っちゃ終わりなので強引に無視して理由を考えて見た
・女は男より不満を抱えやすいか吐き出しやすいので目につくところにそういう愚痴を書く(匿名性の高いインターネットなので男女あんまり関係なさそうだから多分違う)
・妻の父親というのは夫の母親より分を弁えるというか、 夫>妻 という前提の下で妻の親族は大人しくしている事が多い
・子供夫婦に関心のある率がまだ仕事に就いてたりで忙しいかゴロゴロして無気力な高齢男性より暇で妙に関わりたがる高齢女性の方が多い
弁えるとかじゃないんだよな
芸能人やアイドルという職業は、「人間が記号を演じる仕事」としての側面と、「演者としての個人」の側面を持つので、「個人を記号化し、後者を消費する」罪は裁かれるべきだと思う一方で、前者をまるで後者の如く裁くならそもそも芸能やアイドルという職業そのものを失くすべきじゃないの?(反語)と二次元性愛者の私は思うかな。(私は三次元の芸能人やアイドルには興味無いけどね。)
テレビやイベントでファンの前に立つ時の芸能人は、私生活とは別人でしょう。そこは区別しないといけないと思う。BL創作者も、またそれを裁こうとする人も。
「ファンの前の姿の"裏の顔"を妄想する」自由はあると思うけどね。(「職業としてのイメージ戦略」には抵触しそうなので、業務妨害にならない程度に弁える必要はあると思うけど、それは「個人を消費する」罪とごっちゃに考えてはいけないよね。)
二次創作をどこまで許容するかなんて人それぞれであって、世の中には増田が良いという思う二次創作を駄目と思う人もたくさんいれば、増田が駄目と思う二次創作を良いと感じる人もたくさんいる。
結局、明確にどこまでを良いとしてどこまでを悪いとするかは原作者(元祖呪い増田みたいに言いたいけど言えないという原作者もいるということを考えたら権利者とでも言いかえた方が良いか?)以外、誰にも決められない問題だよ。
だから『呪い』とか言葉を飾っても、そんなのはただ文句を言いたい人の『オレ様基準』の押し付けでしかないわけよ。
ならば、敬意を持った二次創作って何だろう?人の内心など読めないのに。一律に「こういう時はこうすべき」なんてものはなく、だからこそ「呪い」が意味を持つ。
増田は、そうした明確な基準はなくても「そういうのを嫌う人がいるという認識が二次創作をする際の歯止めになる」という状況に価値があると思っているのかもしれないけど、それに関しても「少数のクレーマーの言葉をいちいち相手にしてたらキリねーぞ」としか思わんなぁ。
なんだかんだ言っても二次創作を楽しむ派(+どうでも良い派)がオタク界隈の主流であって、二次創作許せない派なんてマイノリティなのが現実だし。
まあ、”二次”創作として弁えることが大切というのは同意できるけど、それは呪いなんていう手前勝手な基準の押し付けを肯定する理由にはならないし、人を呪った奴がボコボコに叩き返されるのは当然のことだと思う。
なぜ貴重なアクティブユーザーを増やす機会をわざわざ自ら潰すのか。
先日終了したミリシタとデレステのコラボイベントでは、デレステからゲストとして一ノ瀬志希と宮本フレデリカ、そして2人の楽曲クレイジークレイジーがミリシタに実装された。普段のミリシタでは珍しい煌びやかでおしゃれな雰囲気の中で、イベントに参加している人数がここ半年くらいのイベントと比べて明らかに多いことを走りながらにして実感できたため、確かにコラボに意味があったことに安心していた。
しかし、せっかくコラボでついた新規にとって実質初めて触れることになるミリオンライブの曲となる次のシアターの楽曲を、よりにもよってNO CURRY NO LIFEにしたことにとても失望している。これでは新規を戸惑わせるか最悪の場合すぐに離してしまうことになる。
まず、コラボで増えたミリシタ新規層は基本デレステに軸を置いている層であり、彼らに少しでもまたミリシタを触ってもらえるように次のシアター曲は言い方が少し悪くなるが、彼らが普段デレステで触れているものより強い魅力を持ったものにすべきだと真っ当に考えれば思いつくであろう。
次に、コラボ相手は志希とフレデリカだったことを考慮して、できれば彼女たちに近い性格や性質を何か一つでも強く持つアイドルをメインとしたイベントにすることも考えるだろう。
そして、コラボによって注目度が以前より高まっている今の時期に出す曲が、ミリシタ、ひいてはミリオンライブというブランドのイメージに強く影響することも理解してもらえるはずだ。
以上の3点をふまえると、"次のシアターで"NO CURRY NO LIFEを出すことがいかに悪手かよく分かるだろう。どうしてもミリオンライブの楽曲群の中では魅力が低く、杏奈や莉緒、可奈に志希PフレPを惹き付ける要素が特別あるわけでもなく、またミリオンライブのイメージがややおちゃらけた感じに寄ってしまうからだ。「ミリオンはやっぱ普段は微妙なんだ」と後ろ指を指されても何も言い返せない。
今回このシアターの枠に入れるべきだった楽曲は、人気が高く志希やフレデリカのようにマイペースなアイドルがメンバーにいるDecided、エレナを連投させてミリオンの中でも屈指の甘美でセクシーな楽曲であるEmergence Vibe、ガシャやWORKINGのテーマにあって新規Pでも多少馴染みがある天使モチーフでやはりマイペースなアイドルがいるHELLO, YOUR ANGEL♪、直近のシアター事情を踏まえて星座曲縛りにするとしてもセクシー系寄りで人気の高いリフレインキスや落ち着いた雰囲気を持つP.S I Love You、永遠の花があっただろう。
それらを押し退けてまでNO CURRY NO LIFEが抜擢されたのは、ミリシタ運営が杏奈や莉緒、可奈に対して新規を引き留める力を過信したか、もしくは先日のコラボ相手がレイジーレイジーではなくポジティブパッションだったと勘違いしたかの2択しかありえないだろう。それとも、さすがにないとは思うが、この普段の面白い(オブラート)ミリオンライブが外野にウケると思っていたりするのだろうか?
総括として、ミリシタ及びミリオンライブ全体の運営は、もう少し新規ユーザー及び外野への印象に対して気を配るべきではないだろうか。もちろん全力で羽目を外すコンテンツも魅力の1つではあるが、今回のように、弁えるべきところでも構わず内輪ノリを持ち出す所がミリオンライブの衰退の一因ではないかと不安でたまらない。
「女性はああいう表現を嫌っている」という人がいれば「私は女だけど、ああいうイラストが好きだ」という人が現れる。
反対に「女だけど自分の周りにはああいうイラストが好きな人はいっぱいいるよ」という主張が為されれば、「そんな一部の声を女性全体の考えのように言うな」と批判の声があがる。
この「女性の代表面して語るな」って意見は批判派が言っているのも、肯定派が言っているのも、どちらも正しいと思う。
ただ、もしも本当に女性の代表的な意見というものがあるとするなら、それはおそらく「別にどーでもいい」だと思うんだよね。
代表というよりは一般意見、最大多数意見と言った方が近いかな?
世の中の”ふつーの人たち”を見た時、もちろんみんな二次元のフェティッシュな表現が好きなわけではなく、そういうのを好むのは世の一部のそういう趣味の人たちだけだろうけど、一方で、積極的に嫌悪感を出している人もまた少数なのが現実なんだよね。
ましてその表現を社会悪として、撤去や謝罪までも求める人となるとなおのこと。
どちらの立場で争っている人もこんなものは所詮、少数派同士の殴り合いでしかないということを弁えていおくべきだと思う。
昨今のオタク人口の増加を考れば、この手のイラストの愛好家と排斥派を比べた時、おそらくは排斥派の方がより少数派になるだろうから、とくに彼女たちはそうした自覚を強く持つ必要があるだろうね。
(ATUGIの話だけなら顧客層的に排斥派が多数の可能性はあるけど)
別に多数派であることは正しさの証明ではないけど、少数派がそれでもなお自分たちの我を通そうとするなら自分たちの立場を理解した上で理路の展開が必要になってくるだろうし、少数であることを弁えるっていうのは本当に大切なことだと思う。
オエー。さっきまでの自分が心底気持ち悪くて吐き気がする。身体が視たい身体に触りたいセックスがしたい。性器に触ってるとそんなことしか考えられないのか。
いや糾弾するべきはそこじゃない。そんな妄想を繰り広げているときに、自分に都合のいい美化しきった相手を想像していたのが問題なのだ。「相手はきっと性的なことに興味があるはず」「相手はきっとよがるはず」オエーオエー。お前は、大して交際を重ねてもいないのに、やりとりした言葉の小さな端だけ選び取って、自分の欲望通りの受け答えをする人格の造形(もはや人格ですらない。ラブドールか何か)を創り上げ、妄想の中でヨイサヨイサとやっていた。
はい、私はやっていました。現実の行為に及ばなくてよかった。死刑です。
相手の気持ちは分からない。分からないからこそ、自分の行為の結果を想像して相手の形に投影するのかもしれない。それでも。たとえ妄想の中であったとしても、領分は弁えることだ。自分の都合で相手の形をしたラブドールをつくるな。知りたかったら、知らないことを弁えて、聞くしかない。それを知らないふりして、勝手な形を妄想するのは最悪だ。
卒後数年経った。ようやく仕事に慣れて外来もこなしている。最初の数年に比べて最近2年ほど、患者への姿勢が変化してきたと自覚している。
ここ2年程での変化は、親身さ・親切さがすり減ってきたといえる。
正直言って、患者さんたちとの接し方を変えないと自分がもたないなと思う気持ちがあり、結果親身さが減ったのだと思う。
親身になって接しても、心ない言葉をかけられることも少なくない。それは必ずしも患者さんが悪いわけではなく、「親身」の表現が結果的に患者さんの満足度を下げる方に働いてしまったりするなど、まぁ技術的な未熟さによるものもそれなりにあると思う。それも勉強である。
でもやっぱり、客観的にみてひどいことを言われたりすることはあるし、砂に水をやるようなコミュニケーションに疲れた、すり減ったところもある。医師は患者を選べないとはそういうことだ。
ある部分では医師-患者の適切な距離を学んでいるともいえる。医師と患者は他人なのである。どんなに親身になっても同一人物になることはできない。それを弁えることはプロフェッショナルとして必要なことだと思う。
だからといってニヒリズムに陥るところまでいくのは行き過ぎだと思う。そういった方向性がもしかしたら、嘱託殺人みたいなことに遠くつながるのかもしれない。