はてなキーワード: 建設とは
おぬし、そんな考えはあまりにも短絡的じゃの♡
老人たちは長い年月を生きて、多くの経験を積んできたのじゃ。もちろん、現代のシステムには改善の余地があるかもしれぬが、個々の老人を憎むことで何も解決せぬぞ。
税金などについては社会全体の問題であり、個人レベルで解決することは難しいのじゃ。
オイラの意見ですが、まず「弱者男性」っていうラベルを使って他人をカテゴライズするのは問題があると思いますよ。その言葉自体が差別的で、何かを否定するための道具として使われがちです。そうやって他人を貶めることで、問題の本質が見えなくなってしまうんですよね。
親や兄弟が「弱者男性」をどう思っているかという質問ですが、まず冷静に考えてみると、親や兄弟もまたその人の一部であり、育ち方や環境は家族全体の影響を受けます。発達障害や社会的な困難を抱えた人を「邪悪」や「穢らわしい」なんて言うのは、他人の痛みや苦しみを理解しようとしない、非常に冷酷な考え方です。そんな発想を持つこと自体が、社会問題の一部じゃないかと思いますね。
英一郎さんの妹の話を持ち出して弱者男性を責めるのもどうかと思います。それは個別のケースであって、全ての「弱者男性」が同じような行動を取るわけではありません。問題が個人に帰結されるだけで、本質的な社会の問題が隠れてしまいますよ。
ですから、親や兄弟がどう思っているかという視点よりも、どうすれば社会全体がより良くなるための解決策を考えるべきです。ただ批判するだけではなく、建設的な議論をすることが必要なんですよね。例えば、弱者男性が孤立しないための支援策や教育のあり方を見直すことが重要です。
要するに、人をカテゴライズして批判するだけでは何も解決しません。もっと深い理解と共感、そして具体的な行動が必要だとオイラは思います。
「【心配】石丸さん、サブウェイ注文できるかな。ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ」
とした方が良い。
Q.
石丸氏側がメディア側を敵視しており、質問に答えるよりも「質問者が愚かである」と印象付けることを優先して意図的に噛み合わないやりとりを仕掛けている、という見方についてどう思いますか?
A.
その見方には一定の妥当性があると考えられます。石丸氏の対応には、メディアとの建設的な対話よりも、メディアの質問の不備を指摘し、自身の優位性を示そうとする傾向が見られます。以下にその特徴を挙げてみます:
石丸氏は「手応え」という言葉に固執し、質問の本質を理解しようとするよりも、言葉の定義について議論を展開しています。
2. 反問による攻撃:
質問に直接答えるのではなく、「どのくだりの話をされてらっしゃいます?」「違うニュアンスで訊かれてます?」などと反問し、質問者を混乱させています。
「それはもうメディアの話であって、私から何か言うのも変かな?」という発言は、メディアへの不信感や批判を示唆しています。
武田氏との対話で「本当に熟読されました?」と問いかけることで、相手の理解力や誠実さを疑問視しています。
質問に正面から答えるのではなく、質問自体の妥当性を問うことで、実質的な対話を避けている印象があります。
この対応は、メディアとの関係を敵対的に捉え、インタビューを自身の主張や立場を強調する場として利用しようとする戦略的な姿勢と解釈できます。
1. 有権者への悪印象:
メディアとの非協力的な態度が、有権者に否定的に受け取られる可能性があります。
このような対応が続けば、今後のメディア露出に悪影響を及ぼす可能性があります。
このような対話スタイルが広まれば、建設的な政治討論の場が失われる恐れがあります。
結論として、石丸氏の対応はメディアを敵視し、意図的に噛み合わないやりとりを展開していると見ることができます。しかし、この戦略が長期的に見て効果的かどうかは疑問です。政治家とメディア、そして有権者との間で、より建設的で相互理解を深める対話が求められるでしょう。
暗殺という言葉の使い方についてのご指摘ですね。確かに一般的に暗殺というと人目を避けて密かに行うイメージがあります。昼間に公然と行う場合は別の言葉を使った方が適切かもしれません。
ただ、広義には暗殺とは政治的な目的で行われる殺人行為全般を指すこともあります。その意味では昼間に公道で行われたとしても、政治的な動機があれば暗殺と呼ぶこともあるのかもしれません。
いずれにせよ、人の命を奪う行為は法律的にも倫理的にも許されるものではありません。言葉の定義云々よりも、そのような暴力は決して肯定できません。平和的で建設的な手段で問題解決を図るべきだと思います。
ドラゴンボールランド → https://dragon-ball-official.com/news/01_2533.html (建設中)
ワンピースランド → https://www.usj.co.jp/web/ja/jp/events/onepiece/summer-2024 (期間限定)
ゲゲゲの鬼太郎ランド → https://www.yokairakuen.jp/index.html
ドラえもんランド → 藤子不二雄ミュージアム/ドラえもん わくわくスカイパーク
サザエさんランド → 長谷川町子美術館(アトラクションはなし)
クレヨンしんちゃんランド → クレヨンしんちゃんアドベンチャーパーク
仮面ライダーランド → 仮面ライダーEXPO(映画村)/シン・ジャパン・ヒーローズ・アミューズメントワールド(バンダイナムコ)
ウルトラマンランド → M78ウルトラマンパーク/ウルトラアスレチック/ウルトラマン・ザ・ライド(西武園ゆうえんち)
ゴジランド → ゴジラ迎撃作戦(ニジゲンノモリ)/ゴジラ・ザ・ライド(西武園ゆうえんち)
ちげーよスライムじゃねーよ。
火狐やクロームとバチバチの戦いを繰り広げていたちょっと懐かしいWEBブラウザのプニルだ。
コイツの元ネタが北欧神話であることを知っている人は半分ぐらいだと思う。
ゲーム脳の人には常識だけど、普通の人はゲーム脳じゃないからね。
オーディンの愛馬にして八本足で空を飛ぶとんでもホースなんだが、その出生がこれまた凄い。
北欧神話の神々の王オーディンの乗馬。オーディンを乗せ空中を風のように速く駆ける。悪神ロキがあるとき雌馬に変身して,アスガルズの城壁を神々のために建設した不思議な巨人の所有していたスバジルファリという雄馬と交尾して産んだといわれ,生れつき8本足であったとされる。
北欧神話きってのトリックスターであるロキがなんと牝馬に変身して雄馬とのセックスの果てに産んだとされている。
産ませたではなく産んだというんだから業が深い。
そうして生まれた子供を主神オーディンが愛用しているんだからこりゃもうえらいこっちゃだ。
分かるかい?
白人のケモナー遺伝子はアジアとは比べ物にならないってことだよ。
なんでマイリトルポニーが向こうで生まれたのか、そして向こうではマイリトルポニーでシコってるお友達が沢山いるのはなぜか?
答えはシンプルだ。
ケモにおいては白人のほうが遺伝子レベルでよっぽどHENTAIだからだ。
日本はHENTAIにおいて世界一みたいに言われているが、ふとケモの分野で見てみるとポケモンやソニックとかでちょこちょこメガヒットを出してはいても界隈全体でさえマイナー扱い。
一方ズートピアやMLPのファン界隈じゃケモシコこそがメジャー性癖みたいな状態だ。
レベルが違う。
マジで凄いぜ!
でもその戦法がある程度知れ渡ってきて、相手側もじゃあ石丸に同じことやってやろとなったら、完全な水掛け論になっちゃった。
そんでお互いに「相手がただ一方的に攻撃できる立場を維持しようとしたのが悪いんですけど?」みたいな面してる。
ここでお互いに冷静になって欲しいんだけど、そもそも「自分が一方的に攻撃できる立場をまず確保する」をスタート地点としてコミュニケーションを始めること自体がまず間違ってないか?
マスコミも政治家も変なこと言ったらカウンターを食らうのは大前提にしつつも、そもそもそのカウンターを行うのは大衆に任せて自分たちは自分たちの意見を場に並べていくことに時間を使うべきじゃないかと。
現場の状況をアウトプットする立場の人間が、カウンターそのものを場に並べることだけに終始時間を割いたらもうそれは何の建設的な議論も生まれないんじゃないか?
石丸が批判されているのも、マスコミが批判されているのも、蓮舫が批判されているのも、全部コレだろ?
この状況で政治家やメディアとして自分たちがどういう動きをしていくのかは隠したまま、既に場に出ている誰かの意見や行動に対してのカウンターだけを繰り返しても、じゃあお前らの対案は何なのかが全く伝わらない。
結果として、対案なんてなんも持たないままにただ文句を言うだけの連中って印象しか残らなくなる。
自分等の意見そのものは何も言ってないからカウンターを食らうかどうかだけにおいては比較的安全だけど、対案は一切言ってないから加点要素はゼロ。
パっと見で減点要素を稼いでないから減点方式の日本社会では短期的には有利だけど、中長期的には「いつまでたっても加点要素を稼げてないしそもそもその意思がない」や「批判を恐れているのか何もしてない」といった部分で大幅減点。
それに対して自分が散々機会を手放してきておいてから「そもそも機会を与えられなかった」みたいに言っても、周りから見れば明らかに自分から機会を手放してるわけだからもう相手にもされない。
マスコミ・石丸・蓮舫・暇空といった連中がひたすらこの愚のスパイラルを繰り返しているのが良く分かった。
それじゃお前ら最終的に評価は地に落ちるよ。
XやYahooニュースのコメントを見ていて、ほとんどのおじさん(おばさん)たちが若い人のことを理解出来てないのでコメントしておく。
一言で表すと石丸さんは「老害や既得権益に立ち向かう優秀な人」というイメージが与えられていたから。(実態はともかく。イメージの話)
ちなみに自分はアラサー世代で、周りの知人友人に聞ける範囲で投票先を聞いたら、ほとんど石丸さんか安野さんだったのでそういった属性である。
以下、詳細コメント
これは正しい。一度はショート系動画で目にしたことがある人が多いのでは。
少人数で大人数の老人を支えなければならない、そのせいで税金が多い、手取りが少ない。
本当はお金を使いたいのに生活と貯蓄にしか使えない、それを若者の〜離れと表現される。
なので、「老人の集団自殺」がバズる。正直いって、これが本心なのだ。しかし、親や祖父母もいるので、これは複雑な心境である。身の回りの人は幸せになってほしい。葛藤がある。
集団自殺までいかなくとも、若者の邪魔はしないでほしい。既得権益があれば手放してほしい。
でも、社会の金持ちや政治家は高齢者ばかりで、選挙も高齢者に勝てないので行く意味がない。
そうした中で、老人に対して反抗したり、立ち向かう人は若い人たちからはかなり支援されやすい。
ここ最近で、それを象徴した出来事が先の成田悠輔氏の発言に対する賛同だったり、老害ぽく見える安芸高田市議会と立ち向かう石丸市長のやりとりの動画がバズったことだった。
とにかく、若い世代にとって経済的な大敵は中国企業でもシリコンバレー企業でもなく、国内の老人なのだ。そしてそれに立ち向かう人は支援したいと考えているのだ。
そうした中で、石丸氏が老害に立ち向かうヒーローのように映した動画コンテンツが大量にアプリに溢れていたのだ。
そして、若い人はそれ以外の情報にはほとんど触れてはいない。テレビもほぼ見ないし、カジュアルなニュースアプリしか使わない。
街頭演説とか、政党支援とか、これまでの経歴とか見ないし知らない。動画で見た人となりの印象でほぼ決めている。
Xなどで石丸氏のパワハラがやばいとか、建設的な議論のやりとりが出来てないとか言われているが、大事なのはエリートコースを捨ててまで老害と立ち向かっていたその姿であって、インタビューで記者を詰めている様子も、オールドメディアに良い印象を持たない若い世代にとってはむしろプラスに映るのだ。
長くなったが、流れとしてはこんな感じだ。
選挙結果を受けて他人の投票先を揶揄したり馬鹿にする行為は、民主主義の根幹を揺るがす極めて有害な行為です。以下にその理由を詳細に述べます。
民主主義は、多様な意見や価値観を尊重し、それらを元に社会の方向性を決定する制度です。他人の投票先を嘲笑する行為は、この多様性を否定し、自己の意見のみを正当化しようとするものです。
2. **分断の促進**:
投票先を理由に他人を揶揄することは、社会の分断を深める結果を招きます。健全な社会は、対話と理解を基盤に成り立っていますが、他者を攻撃することで対話の場が失われ、相互理解が妨げられます。
投票行動は個人の自由意志に基づくものであり、その選択を尊重すべきです。他人の選択を嘲笑することは、その人の自由意志や個人の尊厳を侵害する行為であり、倫理的に問題があります。
他者の意見を馬鹿にする行為は、建設的な議論の妨げとなります。選挙結果について意見の相違があるのは当然であり、その違いを認めた上での議論こそが社会を前進させる原動力です。揶揄や嘲笑はその議論を不可能にし、対立を煽るだけです。
自分と異なる意見や価値観に対して攻撃的な態度を取ることは、次世代への悪影響を与えます。民主主義社会の一員として、他者を尊重し、多様な意見に耳を傾ける姿勢を示すことは、子供たちにとって重要な学びとなるはずです。
これらの理由から、他人の投票先を揶揄したり馬鹿にする行為は、民主主義社会の健全性を損ない、社会の調和を乱す極めて有害な行為です。私たちは、対話と理解を重んじる姿勢を持ち、健全な議論を通じて社会の発展を目指すべきです。
https://www.asahi.com/articles/ASS774DP7S77UTFK00NM.html
街頭演説には連日多くの聴衆が詰めかけ、「蓮舫コール」が続いた。
枝野幸男前代表は「組織的な動員より、普通の市民が想像を超える規模で集まる状況」と期待を示し、党内からは「この風なら勝てる」(別のベテラン議員)との声も出ていた。
https://x.com/HayakawaHayat/status/1809916723296104781
これを見て #蓮舫流行ってる と思うのが左巻きの残念な思考。
典型的なエコーチェンバーで、蓮舫コールに参加している奴は元から蓮舫陣営。
いわゆる「普通の人」はこんなのを見たところでドン引きするだけ。
身内の票を集めるだけで当選できる場とは違い、1人しかなれない都知事選では「浮動票」をいかに集めるか、というのはさんざん言われてきた事。
なので、「普通の人」に向けた施策を打つべきだった。その点は石丸のほうがよっぽどうまく出来ていた。
そんで、他人の演説中にR(ロケット団?)の垂れ幕を掲げながら妨害行為。
この時点で「普通の人」からはつばさの党と同等の扱いに落ちる。
蓮舫自身に問題がないとは言えないが(キーキー甲高い声で批判しか出来ないので建設的議論が不可能だと見ている)、
それ以上に背後から散弾銃で乱射されていたのが一番の敗因だろう。
実はこの「歌って踊り」「他人の演説妨害」をやった候補者は歴史上既に居る。
そう、我らが両津勘吉(こち亀51巻495話)である。そしてその両津勘吉は7票で負けている。
歴史は繰り返すのだ。
塩田知事を自民公明国民が推薦していたから与党の勝利的なこと言ってる人いたがそれは正確ではない。
そもそも対立候補の米丸氏は自民県議だし(今回は保守分裂の選挙だったのだ)樋之口氏は共産しか支持してない。
立民は特定の候補を推薦せず自主投票とし、立民の支持母体である連合鹿児島は塩田知事支持だ。
つまり今回の選挙は実質与野党相乗りの現職対共産独自候補という無風で終わるはずだったのが、
なぜか自民県議の1人が反旗を翻して保守分裂になったという経緯なのだ。
米丸氏がなぜ立候補したのか実はメディアの記事を見てもよくわからない。
県体育館の建設予定地に反対しているのが理由だそうだがはっきり言って大多数の県民は体育館の場所なんて気にしてない。
そんなことより鹿児島ユナイテッドFCの新スタジアム計画の方がよほど関心が高い。
それ以外の政策についても塩田知事と米丸氏には大きな差異も見当たらず違いが見出せない。
違う点としては女性であるということと現職より若いということぐらいなのだマジで。
個人的にはもしかしたら鹿児島県医師会が一枚噛んでるのではないかと思わなくもない。
そう、今はてブで鹿児島県警と並んで大批判に晒されている鹿児島県医師会である。
これは地元の報道を見ている人でないとわからない情報だろうが、実は今鹿児島県と県医師会は対立している。
県が新しい救命救急センターとして民間病院を指定する方針を示しているのだが、なぜかその方針に県医師会が反対しているのだ。
反対している理由はわからない。病院の体制に不安があるみたいなことを言っているようだが、ともかく指定したい県と止めさせたい医師会がぶつかりあっており、
そのせいで県医師会は今回の選挙では米丸氏支持に回った。県医師会の支持があればワンチャンあるかもと米丸氏が考えても不思議ではない。
ただ報道を見ればわかるが今の鹿児島県警と鹿児島県医師会は大変評判が悪い。
医師会が支援してますなどとアピールしてもむしろ選挙にはマイナスなのでは?と言われてはいた。
それなりに真面目に考えてくれてるようで、こういうことを言うのは本当に申し訳ないんだが、
人権侵害と法律違反にフォーカスしたところで、問題の99.9%は今の課題とは関係がないんだ。
映像作品における「性的なシーンの撮影において、人権侵害とは言えないが問題がある」というシチュエーションについてもっと具体事例を知ってほしい。
先行事例であり、個人の人権を尊重する意識が日本よりずっと強いアメリカで、なぜ弁護士がそういった役割を担えずにICという職種が生まれたのか、
俺が前提知識を勉強しろ、と言っているのはそういうことなんだ。
俺に限らず業界の人間が、弁護士やその他エージェント的役割がICの代わりを果たせないかと一度でも検討したことがないとでも思ってるのか?
申し訳ないが、お前との話はこれで終わりだ。
俺はお前が思ってるほど馬鹿ではないし、
これ系の記事見て毎回わかんないのが、「自分は男と同じかそれ以上に働いている前提で、それでも責任ある仕事が与えられない」という言説なんだよな。
自分はもうずっと、部下の評価で男女で仕事の割り振りや昇給に差をつけたことがないし、成果しかみていない。
あえて話にのって考えてみると、女は男に比べてリスクをとった行動が極端に少ないように思えた。
他人の意見に同調したり共感する。フォローも上手いから、その部分でチームが助けられることもある。当然その部分は評価している。
けれど女は男に比べて、プロジェクトを自分から推進して、他者と建設的なやりとりをして新しいものを生み出すということをしないように思える。
そうなると、責任をとって仕事をこなす覚悟と行動力が必要な役職には必然的につけたくはなる。
実際うちの会社では、そう言う女性社員は実力で管理職をやっていることが多い。
リスクと責任という点で差がつくのならわかるし、それが悪しき「男社会」というなら、なるほど頑張りは認められないかもね、そういう感想でも仕方ないねとは思う。思うだけ。
同じことやって違う給料だったら納得できないのはわかるけど、謎の男社会被害論法は正直効く耳もてないかな。女もその社会の一員なんだよ。そういう社会でどう振る舞うべきかは自分で考えて行動してほしい。現状に不満ばかり言って自分はその変える側にはつこうとしない。社会はリスクを取れない人間をリスペクトできないし聞く耳も持てない。仕事も同じなんだ。
男が下駄はかされてるとか言うやつ、もし現代社会まだ存在している会社があるならば、会社として非合理すぎて評価者が無能と言わざるを得ない。
そうならないようにオレは評価してるよ。原則平等。無駄すぎる。
ウエメセで気軽に他人を否定することでしか快感を得られない人間って多いんだよな
特殊例で何かを否定するのは何か建設的な議論をすることより遙かに簡単なのに、まるで自分の方がよく知ってるみたいなポジションを取れちゃうからね
人間が攻撃的な理由はわからないけれど、別に理由がわからなくても問題はないと思う。
大事なのは人間は、全員じゃないけど結構な数の人間はデフォルトで攻撃的だ、ということを知ることが大事なんだと思う。
この攻撃的っていうのは、本当に他人を攻撃するのが好きという狭い意味でだけじゃなくて、
もっと建設的な?そういう批判精神によって何かを改善しようという意欲に溢れている、
それを本能的に有しているというのを自覚することが大事なんだと思う。
で、当たり前だけど大抵の物事というのは生の批判精神をぶつけたからといってすぐに改善されるわけではない。
世の中には「悪いこと」や「悪党」がたくさんいるわけだけど、
何かがどうなるわけではない。
で、そうなるとフラストレーションが溜まってくるわけじゃない?
なんで世の中こんな風なんだ?みたいな憤りを感じて、怒りの感情を抱く。
そして、その感情がますます人の攻撃性をあげていくという悪循環に陥ってしまう。
企業とか客商売とかプレッシャーを圧力をかけたら屈するんじゃないか?
ああいうのはもうその内容じゃなくて相手に勝利することを目的としてしまってるのも、
私達の攻撃によって勝利することが出来る相手を選んじゃってるんだよな、と思う。
ちょっと長くなったけど、要するに人間というのは基本的に攻撃的なんだよデフォルトで。
だからさ、大事になのはちょっとそのままデフォルトで行くんじゃなしに、
頭の中のコントロールパネルとか、設定とか、オプションとかなんでもいいんだけど
そういう頭の中の設定を変えるためのアイコンをクリックするなりタップするなりして
「攻撃の設定」を「OFF」にするってことが重要なんだと思う。
これだけね、情報がすぐに入る時代になっちゃったんで、それだけ「憤ること」っていうのが目につくようになってる。
そして、もちろん現実世界に生きている私達の身の回りは不愉快なことで溢れている。
私達はそういう「悪」に対して敏感に反応して攻撃するように出来ている。
その理由は色々とあるんだろうけれど、とにかく私達は攻撃的なんだよ。
これがね10人とか30人とか、100人とかそのくらいの人間が集まって集落を作っていた時代なら上手く機能したんだと思う。
全員が互いを知っていて顔見知りな社会ならそういう息苦しいけど、集落を崩壊させないための批判精神は人間が生き残るために重要だったんだと思う。
でも、いまそういう時代じゃなくて、小さな「悪」というのは見過ごしても問題ないし、
そもそもがその「悪」というのは一方向からの見方でしかなくて、
大抵はまあ仕方ないよね、で済ましても問題がないことだったりする。
でも、それを見過ごせない、見過ごしては大変なことが起こってしまうと感じるのが私達の本能なのよ。
だからね。大事なのはそのデフォルトモードを設定画面から少し変更することにあるんだと思う。
他人を批判したり避難するための「悪」を見つけ出すんじゃなくて、
他人を褒めるための「善」に目を向けるように設定をトグルしたり、
世の中の汚い面を発見するレーダーを常に張り巡らせるんじゃなくて、
ついつい見落としてしまいがちな世の中の美しいところに気づくレーダーの感受性を磨く、
そういうことが大事なんだと思う。
明治神宮外苑の再開発の話を聞いたときは、緑も神宮球場もろくに管理も投資もできてないし、いいのでは?ぐらいに思っていた。正直反対派の人たちが守りたいほどの何かがあるようには思えなかった。
でも、いろいろ見るうちに外苑って生まれてからずっとそこにあったから意識してなかったけど、そもそも一宗教法人が都心の真ん中でスポーツ施設を運営していること自体、普通に考えて奇妙なことに思えてきた。
国家神道が公共的役割も担っていた時代ならそれで良かったのだろうけど、戦後憲法下にそれは許されない。今回の外苑の再開発事業に要である商業ビルだって、明治神宮が宗教法人であり補助金の投入が難しいことから始まった計画だ。
全くもって明治神宮が一宗教法人としては過剰な公共性を担われてきたのは事実だろうし、それはとても理解する。だったら、外苑の管理は一宗教法人として管理の限界を超えているので、外苑は国か都に譲渡する方向で進めるのが建設的な方向ではないのか??
というか神宮払い下げの段階で外苑が国管理のままだったら、公園としても球場としても適切に投資・管理され今の残念感はなかったのでは??と思ってしまう。
そもそもビルを建てて現行の体制で外苑を維持したところでまた50年後に同じ状況になるだけで、そうなったときもっと高いビルに建て替えるかビルを増やすしかなくなるわけだ。突き詰めれば明治神宮は不動産業に転職するしかないわけだ(私有地だから神宮の自由だ!派の人は当然これは賛成するだろうけど、私は宗教法人の枠を超えてるようにしか思えない)
ただ、外苑を手放せない明治神宮側の事情も理解する。外苑はビルを建てても良いぐらいにはどうでも良い宗教的位置付けなことは現行の再開発計画が証明しているけど、明治神宮の収入側の問題だ。
明治神宮は外苑側の収入が8割を占めていると主張している。その外苑の収入によって内苑の緑を守ると主張しているが、もちろんその側面もあるだろうが、1番の理由は外苑の収入を前提とした明治神宮の組織体がデカすぎて2割の収入じゃ雇用その他守れず大幅なダウンサウンジングを余儀なくされるからだろう。
宗教法人として宗教と関係ない収入が8割を占める企業(それもこれからさらに増えると思われる)を宗教法人と認めていいのか、といつ気持ちはあるが、まあ組織の維持と規模感を守りたいというのは理解できる。
そういう明治神宮側の事情と諸々の妥協案として現行の再開発計画は理解はするけど、モヤっとするものは残ってしまう。そのモヤモヤ感を解消するのは土地収容して管理を国か都に委託するしかないだろうけど、そういう威勢のいいことを右にも左にもいないので、まあ現行の再開発計画が次善の策としてはまあ仕方ないかなぁ、、という感じでいる。
この文章では、自由と制約という相反する概念を、インターネットという現代社会における重要なテーマと絡めて考察します。