はてなキーワード: 広尾とは
あれなんとかならないかなとずっと悩んでいたんだけど総務の子からいいこと教えてもらった。
まず渋谷に行く。
そしたら今度はメトロの券売機に行って 副都心線の駅~渋谷乗り換え銀座線~銀座乗り換え日比谷線~中目黒 の定期券を買う。
するとさっきとまったく同じルートが含まれてかつ一本道で全部つながる定期券なのに
の2つ分になるから3割以上安くなる上に、かつ同じルートに加えて銀座線の渋谷~銀座+日比谷線の銀座~中目黒を途中下車可の定期券が爆誕するねん。
実際、東急の方の定期券はキセルにならないための証拠なので代官山で降りる時以外は財布に入れっぱなしでOK。
銀座よりもっと北上する人は使えんけど、広尾とか六本木で降りる人は絶対これ作ったほうがいいよ。
ゴーーーーーーーーーーーーーーキィィーーーーーーーーーーーーン!!!
羽田空港の発着枠を増加させるための新飛行ルートのせいである(通称:羽田新ルート)。
中野、新宿、渋谷、広尾、白金、品川の閑静な住宅街を大型ジャンボジェットが高度600mくらいで飛んでます。
都内の人以外は知らない人多いかもね。メディアもこの頃新型コロナや安倍政権を叩くのに忙しくてあまり取り上げられなかったから。
JALANAが羽田増便とか言って阿部寛と西島秀俊でテレビCMしてるのも、羽田新ルートのおかげ。
JALANAは羽田増便できれば、国際線1便につき数十億円の収入増加になるから、航空会社にとっては美味しい話なわけ。
住宅地を旅客機が低空飛行するとどうなるか、保育園、学校も多いんですよ。
81db(パチンコ店並み)の騒音が観測された小学校もあります。
Stay Homeで家にいて飛行機の金属音をずっと聞かされて耳鳴りがする。
とにかく不快でうるさい。
<羽田新ルート>でTwitter検索してみてほしい。びっくりするような飛行機が間近の動画や写真がいっぱいupされてるから。
最初この羽田新ルートはオリンピックのインバウンド特需のために実施されるものだった。
それなのにオリンピックが延期されてもこの計画だけは止まることがなく、東京都は自粛が始まっても関係なく飛行機を飛ばしてる。
自粛で都民は家にいる。テレワークや自宅勤務の人もいる。みんな飛行機がうるさくて集中できないって困ってる。
今当たり前だけど新型コロナで飛行機もかなり減便している。緊急事態宣言で自粛要請で外出するなとお達しがある。
それでも関係なく、<羽田増便>のための羽田新ルートはスカスカなのに飛ぶ。
まじふざけるな!!!!って感じ。
騒音は想定の2割超え、落下物の懸念、着陸角度の問題(かなり急角度の3.45度)と、羽田新ルートには数々の問題がある。
問題は本当に多すぎなのでそれはもうググってほしい。
あと皆さんの安全のために言っておくと、ほんと危険だから羽田の昼便は利用しない方がいいよ。
この着陸角度は現役パイロットが異論を唱えるくらい危ない。まじいつかそのうち墜落するんじゃね?
あと福岡、大阪空港と比べる人が多いけど、東京の人口と比較にならないので、
福岡空港の近所に住んでるけど普通だよーみたいな頭悪い騒音で気が狂った人とは話したくない。
東京って高台と低地があって、坂も多いの有名だけど、高低差がかなりある。その上、高いビルも多い。
沖縄のオスプレイ問題も大変だけど、ちょっと歴史的と国防的な話が含まれるから、ただ単に経済効果インバウンド増加目的の羽田新ルートとは話が違うんだよね。
沖縄の問題も解決されてほしいよ。羽田新ルートにも米軍の横田空域問題があるから、それも問題なんだけど。
国土交通省の赤羽かずよし大臣(公明党)は「29日以降のこの減便している期間を羽田の新経路のフル運用に向けた助走期間と捉え〜」と助走期間扱いしてる。
そもそもの始まりは安倍政権下のアベノミクスでオリンピックやるから空港機能強化とか言って、
羽田新ルート計画が始まったからアベガーさんの出番だと思うんだよね。
国交省は住民説明して理解を得たとか言ってるけど、嘘だよ。ずっと反対してるもん私。
私が言いたいことは、羽田新ルート中止撤回してほしいってこと。
緊急事態宣言で住宅地に飛行機飛ばして、何様って!ふざけるな!って。
コロナでストレスなのに、さらに都民のストレス増やして一体なんなの?って。
ゴーーーーーーーーーーーーーーキィィーーーーーーーーーーーーン!!!
はやめてくれ!!!!
先程「嵐にしやがれ」に出ていたメロンケーキは私のブランドやメロンケーキとは一切関係ありません。
なんで人の作ったケーキの写真を勝手にサイトに転用するようなお店がテレビに選ばれてるんだろう😂#嵐にしやがれ #メロンケーキ #スイーツデスマッチ— メロンケーキ職人 (@patisserie_kato) 2020年4月4日
私も丸ごとメロンケーキと出た時にこちらのお店だと思ったのですが広尾だし、お店も違うし??と思ったら以前にgrowlevelさんのメロンケーキの画像を無断転用していたお店だったのでそんなお店がテレビで紹介されていてびっくりしました。
無断転用にパクリのお店が紹介されるなんてありえないです。— ひーさん (@hmwtdpwtdgm) 2020年4月4日
一連の経緯
メロンケーキ事件概要
19年10月 とあるグルメサイトの「patisserie le-333」(東京広尾)のページにて
「Growlebel」(大阪)が提供しているメロンケーキの画像が無断使用される(それと同時に「メロンケーキ」というアイデアがパクられていることも発覚)
↓
・グルメサイトに削除を要請— みかん🍊 (@autb_) 2020年4月4日
・テレビ番組(とくダネ)でパクリ事件が取り上げられる
被害の一例
東京に出店したと勘違いした客がpatisserie le-333のメロンケーキを購入してしまう
↓
昨日 嵐にしやがれで「patissrie le-333」のメロンケーキ(偽物)が紹介されてしまう
↓
テレビ出てましたね!と連絡が一杯入ることで事態把握— みかん🍊 (@autb_) 2020年4月4日
誰もが羨む華やかな業界で働いてる。
同僚や同業他社の人や取引先の人たちもみんないかにも「業界人」という感じでキラキラしている。美男美女が異様に多い。
だがとにかく金がない。
手取り25万円はともかくとして、そこからどうしても上がらない。部長にでもならない限り、最大手企業に転職しない限り、この所得水準に留まり続けるだろう。
だが、周りの華やかな人達はとにかく金を使うし、遊びも派手だ。自分もそれに合わせざるをえない。財布の中はつねにカツカツ。貯金はない。本当にない。
周りから抱かれているであろうイメージとは裏腹に、そこらへんの中小企業の若手と経済的なレベルは変わらないのだ。
それでも、見栄の世界で生きる自分にはこれまでの暮らしを分相応なものに変えていく勇気が持てない。
羨望の眼差しでこちらを見つめ、簡単に体を許す女子大生は、よもや自分の家計が火の車で、給料の上がり目がない男だなんて知る由もないだろう。
自分のいるこの華やかな業界で年収1000万を目指せるのはそれこそ社長か、最大手企業の社員か、芸能人くらいだ。99%の人間は薄給に喘いでいる。
超人気の業界だから、どんなに給与水準が悪かろうが人は集まるのだ。居酒屋チェーンやファミレスの店長と同レベルの待遇であろうともだ。
業界におけるごく一部のセレブリティと自分とのギャップ。業界外の人間から自分に対して抱かれるイメージと実態とのギャップ。これらがツラい。苦しい。
だが、自分には見栄を捨てる決心がつかない。港区の家賃12万円のアパートから江戸川区の家賃6万5千円のアパートに移り住むだなんて死んでも嫌だ。
いや、圧迫面接なんだけどね。それ以上でもそれ以下でもないから以降は読まなくていいぞ。読むなよ、絶対読むなよ。
さて当時、今みたいにネットの口コミはなく就活情報も限られており、てか「就活」という略称もまだなかった時代。
圧迫面接なんてものがこの世に存在することすら知らない俺は、面接官の重箱の隅をつつくような意地悪かつ失礼な突っ込みにうろたえ、うろたえるとさらに煽られ、んで挑発にのって語気を荒げ(笑)、こりゃもうダメだなんて思いながら広尾の面接会場を後にした。
面接官の機嫌を損ねいくら説明しても理解を得られなかったのは自分がコミュ障だからなのだろうとひどく落ち込んだ(コミュ障なんて言葉もなかったがな)。
夜電話が来たので出てみたらさっきの面接官でなんと内定を出すという。正直、一生安泰切符と親孝行、そしてもちろん自身の勝ち組としての優越感などが頭をよぎり迷ったのは事実だが、しかし丁重にお断りした。面接時と打って変わって俺のことを褒めそやし、有能な人材としていかに期待しているかを語りかけてきた。断っても断っても粘るその執拗さだけは圧迫面接のときとおなじで、気持ち悪い猫なで声で説得されればされるほど俺の心は冷めていった。採用ノルマがあるんだろうがよくこんなことしてて心が持つなと。圧迫面接を仕掛けてきた時点で入社後は兵卒ルートだったのだろうと分かったのは後年の話だが、その程度にしか見てないヒヨッコ学生にへーこらおべんちゃらを並べ立てねばならぬ心境とはどんなものだろう。
昔は色々な会社で行われていたのだろうし、今は流石にないとは思うが(ないよな?!)分かってみれば他愛もない仕掛けである。面接官のおじさんも好き好んでやってるわけじゃなかろうが、嫁や子供には誇れないだろうし、しかし家族のためにこそ心を捨ててやらねばならんのだろうなと考えると、そんな会社行かなくて良かったと今でも思う。
後日談。
そんなこんなで最終的に俺が選んだ会社は小さな某SIerだったのだが、当時SIという言葉はまだキラキラと輝いていたし「独立系ソフトハウス」なんつって勢いに乗ってた。カッコよくね?「独立系」「ソフトハウス」。ハッカーかよ。オフィスに海賊旗を掲げアウトローを気取っていたスティーブジョブズ率いるマッキントッシュ開発チームみたいじゃね?おまけにここの採用チームは端的に言って最高だった。人としても尊敬でき採用担当としてもめちゃくちゃ有能で、NTTのおじさんとのあまりの落差に「この会社こそがオレが入るべき会社だ!」と確信した。彼らは大企業至上主義だった当時の就活戦線において一部上場企業の内定者を次々に掠め取っていたまさに海賊だった。彼らのセールストークに乗せられてNTTの内定を意気揚揚と蹴って俺は入社した。そして俺が配属された先は・・・NTTへの客先常駐プロジェクトでしたとさ。ちゃんちゃん。
後日談2。
そこもすぐ辞めた。有能な採用チームの人たちも辞めてった。同期の有能な奴らも有能な順に綺麗に上から辞めていった。
んで、紆余曲折あってオレはいま小さな受託開発の会社の社長やってんだけど、ここまで書けば分かると思うが上得意先はNTT様。すげーなNTTって。日本牛耳ってるわ。ちゃんちゃん。
本稿では、下記ブログで軽妙に紹介される釧路市の停滞について歴史的経緯から振り返ってみようと思う。
https://www.kansou-blog.jp/entry/2018/10/18/173838
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.kansou-blog.jp/entry/2018/10/18/173838
近世期には、釧路は「クスリ場所」という漁場が設定され、松前藩から委託された業者がそこからの利益を独占していた。
そこでは鮭や昆布、鰊などの海産物のほか、内陸やその他獣の毛皮が収集されていた。
釧路には港がある。というか、大きな港を構築できた。これが大きかった。
函館から太平洋側に航路をとると、日高の小さな諸港を数えるばかりで、大きな築港ができない地形が続く。
例えば十勝国は広尾港の小港を除けばずっと遠浅の地形が続く。内陸に続く十勝川河口も例外ではなく、ついに十勝では大規模な漁港を構築しえないまま現在に至っている。
苫小牧港は、実は昭和の初めから計画されたもので、陸地を魔改造した港。自然にできたものではない。
釧路は道東の地域に程良く近い。厚岸にもいけるし、白糠にも近いし、内陸を通って今の北見国にも通ずる。
港を基点に色々なところに行ける。
近世末~近代初期にかけて、釧路では石炭が取れることがわかってきた。
そもそも北海道の鉄道の濫觴は、採炭メインで三笠市に小樽市とを接続したもの(ファンが多い分野だからあえてここでは雑に触れる)。
っつーことで、明治34年に釧路駅ができる。そこから十勝方面に鉄路が伸びて、日高山脈と言うでかい山脈越えるのが明治40年。
これで札幌・小樽・函館・本州方面に鉄路でモノを送れるようになる。
明治40年にここまで行けたのは結構重要。結果的に、大正3年~の第一次世界大戦の好景気に間に合う形になり、色々な階層を潤わせた。
となりの十勝の連中は昔から今まで農畜産物を本州に輸送し続けてやがる。
北海道は森林資源が豊富だが、でっかいどう過ぎて、山奥から運べないし、そもそも北海道から運べない。
鉄道ができたことで、山奥から何とか駅まで運べば何とかなることになった。
製紙業が発展するのが大正時代。第一次世界大戦の好景気後に「なんだ? 釧路に工場作って船や鉄道で運べば産業になるじゃん」と本州資本が本腰入れ始めるわけだ。
王子製紙、富士製紙なんかの巨大企業が木材の切り出しから工場生産まで取り仕切るようになる。つまり、カネを投下してゴリゴリ生産し始める。まぁ切出しは下請けに任せるんだが。
また、水産加工業もまた、この時期にこうした大規模化がはかられる。ビートやでんぷんの工場も本格化する。
昭和の初めになると、全国的に観光ブームになる。すごいね、JTB(の前身)。
そうなると、阿寒ですよ。成熟した鉄道路線の観光利用が始まる。
こうした中で、食品の釧路ブランド化の萌芽が見られる。最近のB級グルメブームまで尾を引いている。
さて、読んでいてわかる通り、釧路を支えてきた要因が全て転換期を迎えている。あるいは既に転換してしまっている。
魚は食が多様化してしまったし、石炭は使わねえし、紙はIT化で打撃を受けた。阿寒に行きたい? ちょっと一回くらい行きたいかなぁーーーくらいでしょう?
唯一の望みは工場敷設。釧路には、近隣の農水産物を加工する工場があるわけだが、そこも絶対的に振るっているかというとそうでもない。
輸送技術や輸送ルートも多様化して、釧路の固有性が薄れてしまった。この辺りは正直詳しくない。
最近、日本製紙の釧路工場が規模縮小するというニュースがあった。また人口が減るねえ。
https://www.fukeiki.com/2018/05/nippon-paper-stop-production.html
暇なんで作ってみた。
=====ハーバード、スタンフォード、MITレベル(住める場所があるのか疑うレベル)====
=================東大、京大レベル=========================
=================宮廷、早慶上位レベル========================
【60】麹町 四谷 市谷 中目黒 外苑前 新橋 九段下 神楽坂 新宿
=================早慶下位、上智、ICUレベル=====================
【58】新宿三丁目 後楽園 豊洲 根津 茅場町 築地 泉岳寺 曙橋
【57】東大前 千駄木 湯島 代々木公園 門前仲町 新宿三丁目 八丁堀 三田 芝公園
【55】池袋 月島 新御茶ノ水 淡路町 代々木上原 秋葉原 西新宿 浅草 大門 浜松町 神田 新富町 清澄白河
=================MARCHレベル=========================
【54】小川町 中野 高田馬場 人形町 小伝馬町 上野 荻窪 新宿御苑 五反田 牛込柳町
【52】東池袋 入谷 茗荷谷 稲荷町 田原町 押上 森下 勝どき
=================日東駒専レベル=========================
【49】西早稲田 本駒込 護国寺 木場 春日 上野広小路 馬喰横山 住吉
【47】落合 南阿佐ヶ谷 新高円寺 東高円寺 中野坂上 巣鴨
=================大東亜帝国レベル=========================
以下Fラン
明治~現代の各時代の古地図が見れるサイトを見つけて、古地図&道路フェチとしましては、むさぼるように見入ってしまいましたとさ。
で、主要道路がこれまでどんな変遷をたどってきたのか、知ることができた内容をメモ代わりに。
【おもな放射道路編】
【おもな環状道路編】
【その他、概況】
〜 http://janesuisjapanese.blogspot.jp/2013/08/vol14.html を読んで感じたこと。
父は木挽町で生まれ泰明小学校、銀座中、塾高から慶應大学に行った。
だが、父は木挽町が好きなようで本籍はいまでも木挽町だし、僕も生まれた時から初詣は家族揃って鉄砲洲に行っている。
また、父と仲の良い小学校の同級生はいまでも銀座で店を構えてる連中が多く、父は今でもスーツは銀座の同級生に仕立ててもらっているようだし散髪も同じくである。
目白駅から祖父の家まで行く目白通りは、いまでも好きな道の1つである。
母から地元での話はあまり聞いたことがなく、言うのは学校の近所の話だったり、就職してから出来た友人の話の方がよく聞く。
僕はと言えば生まれたのは小石川で、その後、馬喰町、恵比寿、一番町、南青山、東麻布と都内を転々としている。
転々としているのは父の気まぐれだと思う。同じ町に住んだのは一番長くて7年程度だった。
また小学校から大学まで私立なので同級生も皆、住んでいる所がバラバラだった。
家が近所の奴もいたが、多くは電車で数十分で、遠い奴は葉山とか佐倉、三島などもいた。
住んでる所が一緒、ではなく学校や習い事、塾が一緒という点でのつながりしかない。
たしかに、今でも出身校の近くを通る時、弁当屋の親父は元気かなとか、
授業抜け出して行った定食屋はどうなったとか考えるし、
南青山のみゆき通りに外国のブティッグが増えたなあと、変化したことに感慨があるし、
軍艦パジャマは相変わらず下品だなと、逆に変わっていないことに安心感みたいなものはある。
でも、それぞれに取り立てて愛着がある訳でもなく、それに昔から転々としていたから、
いつの間にかよく通っていた店や建物が、久々に行ったら無くなっているというのも当たり前のことだ。
また、ある種の観光地の近くに住んでたこともあり、田舎者に囲まれて育ったこともあり田舎者に対して特段の思いも無い。
そもそも田舎者とは要は東京者に対するヨソ者という感覚だけれど、僕には地元が無いのだから田舎者という概念を持ち得ない。
東京は本当に巨大で、とてつもないマチの集合体だと思う。
よく地方の人が「マチに遊びに行く」という意味での「マチ」が東京には無数にある。
白金台の裏の方のお屋敷ばかりのあの空気、後楽園の雑多な仲にも昭和的なにおいがある空気、一番町は空気がキリっとしているし、麻布は昔からの重みを感じる。
マチの空気はそうそう変わらない。(表参道の同潤会を壊したのは駄目だと思うが)
東京とひとくくりにするから、毒を浴びるんだと思う。地方出身者にレイプされた気になるんだ。