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2024-03-08

深夜って違う世界自分が暴れ出すような

深夜って突然起きるんですたまに

そんな時は大体心の中でもう1人の自分の「何をしてる?お前はそんな平穏など望んでないだろう」

衝動が暴れ出すんです。実は俺、前世は違う世界で闇の魔術師だったらしいんですよ。誰からも恐れられ、常に孤高だけど正義だけは捨てない

そんな魔術師

からそれが1部、今の心の中で残ってしまって

昼間は太陽のにっこりした日差しで「くっ…これじゃ支配できん」と大人しくしてるんですけど

深夜、月が太陽を隠してしまうと

「くく…これなら支配やすい」って

顕現するわけで

俺はそれを必死で「だめだよだめだよ」って抑えるんです。身体中に闇の力が流れてる様な気分で

そんで朝迎えた時はもう汗だっくだくですよ

でも、外を歩く人を見て呟くんです

「勝ったか…」と

そっからはいつも通りママとパパと反抗期の妹と朝ごはんですよ。ママもパパも俺が深夜戦い続けたことも知らずに俺を子供みたいに褒めたり叱ったりするんですわ

ああ、やっぱりその顔を見てると闇の力なんか

要らなかったんだなぁって…

人生はまだまだ続くよ(ノ∀`笑)

2024-03-04

anond:20240304111848

何に投資したら良いんか分からんのやろ。

若しくはサラリーマン経営者が多いから、せっかく頂点まで上り詰めたのだから変にチャレンジして失敗して晩節を汚すリスク背負うより、コツコツコストカットしてそこそこの業績を保って平穏自分任期を終えたい。とかって考えになるんじゃない?

2024-02-26

もう推し活するなんて言わないよ、絶対

推し、顔が整っていて最高にかっこいい。

推し、低くて色気ある声が最高にかっこいい。

推し、鍛え上げた肉体が最高にかっこいい。

推し戦闘力の高さ青天井で最高にかっこいい。

推しプライドが高すぎて最高にかっこいい。


視界に入るたびときめく。

でも推し活なんて、辛くて苦しいことばかり。

胸のドキドキは平穏を壊す足音しかない。


あーでも推しは、推し活辞めて、何年経っても最高にかっこいい。困ったことに、あの輝きは間違いなく永遠に不滅だ。

2024-02-25

博士論文公聴会を無事に終え、学位実質的に取得しても、私の心に平穏は訪れなかった。

その日、かなりの時間を費して準備したプレゼンテーションを、会心の出来で決めることができた。

もちろんその成果は、(他の院生も同じだが)3年間の博士課程で膨大な時間を費し、壁にぶつかって紆余曲折とそれなりのドラマがあり、研究を他の何事よりも優先して手に入れたものである

もっと言えば、大学入学から10年、研究者を志した高校生の頃からだとそれ以上、思い憧れ続けてきた博士号の取得である

プレゼンを準備している最中は、公聴会の後に万感の思いを感じるかもと想像したり、泣くかもしれないなんて思ったりした。

Zoomでの発表を一人終え、研究からの帰路、キャンパスから渋谷駅まで歩くことにした。

もう日も落ち、夜のキャンパスから裏の山手通りに出たが、私の心は晴れなかった。

しろ普段と同じ懊悩で満ち満ちていた。

もっと努力すれば3年間でもっと生産的になれたのではないか

審査員から問われたあの問いになぜあのような回答をしたのだろう、こう答えれば良かったのに。

齢三十を前にして、学歴ばかり積み上がった人生実態は浮草稼業根無し草

生活者の実感に乏しく、友人は少ない、彼女もいない。

見てくれは立派でも、吹けば飛ぶような紙風船ではないか

死にたくなった。

ここで私は気がついた、私の人生に心の平穏は訪れることはないのだと。

人生とは、死を迎えるその刹那まで、葛藤を抱え続ける行為に対する命名なのだと。

はたと足を止めた私は、神泉住宅街へと方向を変え、道玄坂平成女学園へ向かった。

2024-02-24

無理のない範囲で働きたい

社会に出てから15年、「仕事量が俺のキャパティを明らかにオーバーしている」と感じなかったことは一度もない。

メンタルを壊したタイミングたまたまパートの人が辞め、穴埋めとしてその仕事を引き継いだ時だけは、残業月10時間程度の平穏半年間を過ごすことが出来たが、その時以外は仕事比較的少ない時期でも宿題の始末や勉強のために残業月40時間を下回れたことは一度もなかった。

常に仕事に追われていたし、常に仕事クオリティ理想には程遠かった。

自分ミスで増やした仕事を尻拭いするための空回りに突き合わせてしまった他所部署から何度白い目で見られたことか。

辛い。

8割の力で出来る仕事をしたい。

12割の力を持ってようやく何とかなるかどうかの仕事ばかりさせられている。

俺はもう限界だ。

給料が3割ぐらい下がってもいいから、楽な働き方がしたい。

かにパートタイマーぐらいにまで転がり落ちれば仕事は楽にだろう。

だがその給料で食っていくのは流石に無理だ。

それに、そこまで楽になりすぎると今度はそのレベル仕事以外出来ない人生になってしまう。

程よい負荷の仕事がしたい。

そうずっと思い続けて15年やってきた。

疲れた

これがあと30年か40年続く。

無理だ……。

死んでしまう……。

anond:20240223223523

特にないな・・・

でもシンギュラリティが起きるまでは何とか生きたい

植物のように平穏な心で・・・

杉「んほぉぉぉ放精きもちいぃっぃぃぃぃぃ~~~~~~~~~」

僕「」

2024-02-18

死ぬまで平穏に楽しめる趣味公営ギャンブルのみ

天皇賞」がある都合で、いかなる利権や団体も潰すことはしない

賭けすぎとレース場の汚いおじさん以外のデメリットもない

心の尊厳を一生無事なまま過ごせるのはほんとこれくらいしかなくなってきた

とある二次コン人生お嫁さんリスト

二次元俺の嫁

1987年サザンアイズパールティー四世

1989年吸血姫美夕】美夕

それはすでに私の精神の一部であり 私の意識と融合しています ヒロインヒーローには 全身全霊的なお互いの信頼関係に加えて ある種の「運命的な絆」があります

二次元俺の嫁に (近い) 候補

2006謎の彼女X】卜部美琴

2011【 シー [ C ] THE MONEY OF SOUL AND POSSIBILITY CONTROL】真朱

互いの信頼関係に加えて ヒロインヒーローには ある種「奇妙的な絆」があります

『2.5 次元の味見/ Vtuber興味津々』 現時点で会員メンバー買うリスト

兎田ぺこら:平穏な日々いつもありがとう もう「生活」というものでしょう

大空スバル:一緒に暮らす異性の幼なじみとして最高の恋人

風真いろは:人々を微笑みにする天使

杏仁ミル:きゃわいいペット

劫羅•加百列(ZeroGabriel):ちょっとエッチな誘惑 小悪魔的な見た目なのに 守りたい気持ちが溢れ出す

2024-02-14

anond:20240214170513

おそらく誤解がある。

頭のおかしクレーマー女性オタクの中でも極めて少数派である。男オタクと女オタククレーマー比率に差があるかどうかはデータがないからわからない。ただはっきりと言える両者の大きな違いはクレーマーに対する対応である

  

オタク場合攻撃されたら反撃する人が多い。それが頭のおかしクレーマーなら皆が集まってタコ殴りにする。ちょうど元増田のようにだ。

一方、女オタク場合攻撃されると黙ってアカウントを消し泣き寝入りする。周りの人たちも鍵をかけて閉じこもりクレーマーには触らないようにする。そうしてまともな人は去りクレーマーけが残り村を乗っ取ってしまう。

 

女性オタクの棲む暗い池、その沼の主のことを我々は村長と呼んでいる。

長文お気持ちコメントと当て擦りで村のルールを作り、自分の気に入らない人間村八分にして虐めて追い出す。まともな人間は虐めに疲れて村を去る。村長のいる界隈は衰退の一歩を辿る。

 

村長は新入りに対して教育を行う。お気持ちルール押し付け従わないもの村八分にする。

オタクちょっと困ったところは「強そうな人には逆らわずご機嫌を取り始める」ところである自分が虐められたくないからなのか何なのか、とにかく攻撃的な人ほどその村の村長になりがちである

  

もうひとつ、困った存在は「正義学級委員長タイプの人であるお気持ちルールから外れた人を探しまわり匿名コメントサービスましゅまろ)でかたっぱしか攻撃しかける。彼らは村長ファンネルと呼ばれることもある。本人の自認としては界隈の治安を守るためにやっているらしい。このタイプの人は公式突撃をかけることもある。ある意味村長よりも迷惑度が高い。

 

念のために言っておくと全ての沼に村長がいるわけではない。多くの場合マイナー沼には村長はいない。基本的マイナーな程平穏である

ただし、1匹でも村長が迷い込むとダメだ。多様な生態系は失われ沼は壊滅状態になる。ブラックバスのようなものである

 

 

最後にまとめよう。

 

オタクにとってもクレーマー迷惑である。ただ、彼らと戦う術を知らないだけだ。

オタクは村を燃やされるたびに地下に潜り息を潜めて生きてきた。彼らの処世術は逃げること、隠れること、我慢することだけである

からこそ自分たちの内に怪物が生まれしまった場合対処法がわからないのだ

ただ息を潜めて生きていくだけである

 

 

追記

id:drylemon 女性はとにかく「トラブルを起こさない」「悪目立ちしない」を傾向として感じる。まともな人ほどそっと身を引く。あと事前に予防線張りまくるけど、それが一定数を得ると空気を読みすぎる勢によりルールと化す。

このコメントに深く頷きました。配慮がその界隈のルールになっていくのはまさにそうですね

 

追記

うまく伝わっていない方がいらっしゃるので説明を加えます

女性オタクは主にカップリング勢力が分かれますが、男性オタク性癖勢力が分かれています

発端の増田のように巨乳派と貧乳派が対立しているし、眼鏡キャラメガネを外すとメガネスキーが突っ込んできます

性癖にはさまざまな勢力があります基本的には住み分け共存しています。これは女性向けでも同じですね。

男性向けにも厄介クレーマーはいます彼らは1人で突っ込んできます。群れで行動しません。創作者はブロック対応できます。この辺りが大きな違いを生んでいる気がします。

 

元増田女性向けに改変してみる

相互理解のために元増田女性向けに改変してみます。 

AxBを読んで BxA にしてほしいと文句を言っているのが元増田の主張になります

 

改変版: 

AxBが苦手

悪いけどオエってなる

作者の自己投影が見えて嫌になる

 

大切なキャラならキャラ解釈に忠実に描くべきだろうに

性癖キャラ押し付け楽しいんだろうか

まあ楽しいんだろうね

コメント:うまく変換できない文は除外しました。カップリングよりも女体化等の方がしっくりくるかもしれない?)

     

上の主張を二次創作者ではなくて 公式の方に文句を言っているというのが元増田です。

公式解釈違い」と騒ぐ人はクレーマーの中でも相当なハイレベルだと思います

Xの炎上を見ているとハイレベルな人ばかりが目立ってしまうのかと思いますが、

普通の女オタク炎上には触らず発言しない人が多いです。実はクレーマーはごく一部で大多数の人は普通の人なのです。

   

この件を安易に男女対立ネタにしないで、女オタク界隈を平穏に戻す良い知見が得られれば良いなと思っています

萌えモダリティ

三重交通の件で改めて思うのが、実世界でこれやったら「ちょっとこれは今時どうなんすかね〜」という話になりそうなジェンダー的または性的記号を過度に強調した表象(表情・体型・服装・姿態など)の形式が、二次絵であれば/あるから許容してよい、という考え方が、我々の社会一定の定着を見つつあるのかもしれないな、ということ。

世界における表象と、萌え絵二次絵という表象に対する捉え方を、我々自身が切り替えて鑑賞している。モードが変わっている。俺はふとした瞬間…たとえば改札前で唐突に駅娘の立て看板に遭遇した瞬間に、「なんでこの絵はこんなにオンナオンナした記号性を振りまいてんのかな」という思いが脳内をよぎったりもするけど、その違和感は一瞬で消え去ってしまう。

このとき俺の脳はたぶん、「二次絵はそもそも『そういうもの』だから、疑問に思わなくてもよい」という判断停止によって、よけいな思考エネルギー節約している。楽しんでいるわけではないけど、俺の中の常識との衝突を避けて、平穏気持ちでその異物感を見過ごすことができる。文楽で後ろにいる黒子をいないことにして鑑賞するように。ミュージカル映画でそれまでシリアスなシーンで唐突に歌と踊りが始まることにも驚かずに鑑賞するように。「二次絵鑑賞のモダリティ一般化」という風に言ってもいいのかもしれない(意味的にはモダリティよりリテラシーという言葉のほうがふさわしいのかもしれないけど、リテラシーには「身についてるほうがエラい」というニュアンスがあるから、使わない)。

海外でもオタク層などでこういうモダリティを持つ人々が一定数出てきているのは伺えるんだけど、では今後そういうモダリティがそういう国々でも一般化するんだろうか?ということを考えてしまう。

2024-02-12

オランダブルマー短信、それからコーフボール


近況

boketeを眺めていたら、日本生命所属卓球選手下半身ブルマーにした悪質なコラ画像がお題にされていた。

本物だと期待してしまった愚かな自分がいる。

本文

オランダブルマーについて検索した。

キーワードは「女子」「体育の授業」「1970」などだ。オランダ語では「Meisjes」「les lichamelijke opvoeding」「1970」となる。

調べてみるとオランダではブルマーと短パンが混在していたようだ。

また、次のようにブルマか短パンか不鮮明な画像もある。

https://www.kennisbanksportenbewegen.nl/?file=5491&m=1448275819&action=file.download

他に見つかった画像は次の通り。

ttps://www.regionaalarchieftilburg.nl/zoek-een-foto/detail/2ae4867a-32a9-53a7-1626-4f289d5f9016/media/33640f2f-4124-a632-6a3f-956db1a6e1b7?mode=detail&view=horizontal&rows=1&page=167&sort=random%7B1680739200112%7D%20asc

どうも操作性が悪く、リンクを開いても「Naar overzicht」つまり概要へ」と書かれているところをクリックしないと画像にたどり着かない。

https://images.memorix.nl/tlb/thumb/640x480/33640f2f-4124-a632-6a3f-956db1a6e1b7.jpg

説明を見ると、

Pasen. De meisjes teams van een paastoernooi in 1970. Waarschijnlijk voetbal of korfbal.

イースター。 1970 年のイースター トーナメント女子チーム。おそらくフットボールコーフボールでしょう。

と出てくる。

コーフボールってなんだ? と思って調べると、男女混合、ドリブルなし、ネットのどこからでもシュートしてもいい、バスケットボールに似た競技らしい。

アメリカではバスケットボールブルマー採用され、英連邦ではネットボールというこれまたバスケットボールに似た競技ブルマー採用されていたのも面白い


同じサイトから、やはりブルマー画像をいくつか見つけた。

なお、このサイトオランダティルブルフ市のアーカイブらしい。

ttps://www.regionaalarchieftilburg.nl/zoek-een-foto/?mode=gallery&view=horizontal&rows=1&page=2&sort=random%7B1619308800032%7D%20asc

https://images.memorix.nl/tlb/thumb/640x480/b3d74f4f-6586-b9f6-d8a5-1415a20022ef.jpg

https://www.regionaalarchieftilburg.nl/zoek-een-foto/?mode=gallery&view=horizontal&rows=1&page=2&sort=random%7B1611187200062%7D%20asc

https://images.memorix.nl/tlb/thumb/640x480/605f07bc-ee81-c1ae-3e90-8b1ffc020cdc.jpg

また、ウェブでkorfbal knickersとググるとこういう画像がヒットする。

https://website.storage/Data/Theole/RTE/Afbeeldingen/MenuItem/291/handbal_3.jpg

サイトによるとハンドボール選手らしい。

ttps://www.theole.nl/291/historie/

バレーボールブルマーこちら。

netherlands volleyball 1970」で検索した。

https://www.gettyimages.co.uk/detail/news-photo/volleyball-haag-68-against-gts-for-quarterfinal-european-news-photo/1404365438

確実に学校の体育だと思われる画像も見つけた。

ttps://brabantinbeelden.nl/verhalen/gymles

このサイトの下の画像だ。

https://brabantinbeelden.nl/sites/default/files/2022-01/1673-006093.jpg

キャプションは次の通り。

Teamsport in de gymzaal van de Molenbeemden, Veghel 1970

foto: Fotopersbureau Het Zuiden, collectie BHIC nr. 1673-006093<<

ヴェゲルモーレベームデンの体育館でのチーム スポーツ 1970

写真: Fotopersbureau Het Zuiden、コレクション BHIC no. 1673-006093

このサイトオランダブラバント市のアーカイブらしい。

ブラバント歴史情報センターアイントホーフェン地域歴史センターティルブルフ地域公文書館、およびブラバント コレクションコラボレーションによって成り立っています」とのこと。

ところででふしぎなことが一つあった。こちらの寄宿学校の体育の写真だ。

ttps://www.i-mas.be/lo-3de-graad

https://static.wixstatic.com/media/6a2f7e_1aa9be73cd9e4d63b060a7f43e92b2ea~mv2.jpg/v1/fill/w_769,h_1156,al_c,q_85,usm_0.66_1.00_0.01,enc_auto/6a2f7e_1aa9be73cd9e4d63b060a7f43e92b2ea~mv2.jpg

ジェンダーレス時代なのに、男子よりも女子の方が短パンなのだ

また、国によってはブルマーでこそないものの、ぴっちりスパッツ採用されているところもある。強制されているかどうかはわからないのだが、日本でのブルマー廃止の流れと比べると興味深い。

一方で、学校でのへそ出しファッションミニスカートの可否でもめているケースもあると聞く。

ジェンダーレスジェンダーフリーというのは、人権先進国であると言われている欧州でも、よりよい社会制度には一本道で進まないもののようだし、保守派との折り合いのつけ方も様々なようだ。。

まとめ



感想戦

それにしても、あるかどうかわからない画像を求めて検索を続けるのは、なんだか狩りをしているみたいだ。なぜわざわざ豊富に見つかるブルマーイラストpixivで探すのではなく、こんなことをしているのか。自分でもわからない。

平穏日常の中の狩猟の代償行為なのかもしれないし、必死になって画像を探したインターネット黎明期を知る者のさがなのかもしれない。

検索と言えば、もしかしてダークウェブになら当時の体育の画像があるのではないかとふと感じたが、わざわざ危険なところに飛び込んでいく意義が感じられない。それよりは真っ当な方法ブルマーについて調査をしたほうがいい。

1年くらい休暇を取って、世界ブルマー事情について調べた本を出版したい。そんな罪のない空想仕事中にときどきしている。

ブルマーについて調べた大学教授が本を出していたはずだが、調べて出版するだけなら大学を受け直すこともないだろう(本気でブルマについて知りたければ布のたち方までやらねばならないとも感じるが……)。

今後の展望

ベルギーブルマーについて調査するかもしれないし、まったく違うことについて書くかもしれない。ベルギー人口は1100万、オランダの1700万よりも少ないのであまりデータが無いかもしれないが、デンマークの500万ちょっとよりは期待できるかも。

……と思ったらベルギーではオランダ語かワロン語だ。翻訳が無いので調べるのが厄介だな。

あと、オランダ語でブルマーはなんというか調べなかったな。

2024-02-10

共働きの必需品・洗濯乾燥機を6年振りに買い替えた話

あれは私が育児休業の終了・仕事復帰を控えていた6年前のこと。夫から「復帰に向けて準備しておきたいこととか買っておきたいものはある?」と言われたのがきっかけだった。即答で洗濯乾燥機!!!!と全力でこたえた。

夫は朝早く家を出て帰宅は子の就寝後になることがわかっており、それは産後体力がなくなった私がワンオペ育児せざるを得ない日々が始まることを意味していた。

朝、洗濯機を回し服を干してから家を出ることも、子供をお迎えに行ってから就寝までをワンオペでこなし、その合間か子が寝てから洗濯物を取り込んで畳んでしまうことをイメージしただけで気が狂いそうになった。それに私の性格上、なぜ私だけが洗濯をしているのかとキレる→夫にやらせてみるものの、干し方とか泥汚れを予洗いせずに洗濯機にいれないで!みたいな文句を言う→夫ふてくされる→面倒だけど結果自分がやるのがマシ、けれどストレスたまる一方。となることが容易に想像できた。

電気代とか高いんじゃ?とためらっている人へ。洗濯干しと取り込みを完璧にしてくれる人型ロボットがいたら1回あたりいくらまで出せますか?50円くらいまで出せるかな、と思ってる人は速やかに洗濯乾燥機を買うことをおすすめします。(1回の洗濯乾燥機電気代がそれくらいだから。)

つらつら書いたが、言いたいことは、洗濯乾燥機最高!買って良かった!と6年間思い続けたということ。高いけど、そのぶん本当に幸せになれる。

スイッチ1つ押せば、帰宅時にはフワフワの洗濯物が仕上がってる。雨だから洗濯物が干せなくてとか、明日までに乾くかなとか、部屋干しの生乾き臭が、みたいな心配ゼロ休日なんかも洗濯物を干すために洗濯終了を待つ謎の時間の拘束がない。スイッチを押しさえすれば、その後すぐに遊びに行っても帰ってきたら洗濯物が完璧状態で仕上がってる。どんなタオルも常にフワフワ、明らかにタオル買い替えの頻度が減った。子供が深夜に吐いちゃってシーツを汚した!なんていうときも、本当に助けになってくれた。

その頼れる相棒の、乾燥機能がついに寿命を迎えた。

何度かプロによるメンテナンスを受け、その都度、平均的な寿命は7年だが、我が家場合は頻繁に使っているからもうすこし短いかな、と言われていたとおりの結果だった。

もっとも、洗濯機能は問題なく使えていたので、ドラム式洗濯機としては使えはしたが、前述のとおり干す、取り込むが私には無理なのである。夫に買い替えを持ちかけたが、次のボーナスまで待ってよ〜という返事のみだった。思い返してイラッとしてしまったのでもう一度言うが、その返事のみだった。買い替えるまで俺も洗濯干しするからさ、みたいなことは一切言ってこないしやらない。なぜなら、壊れた乾燥機能のかわりに私が干して取り込んでいる事実に気づいていないかである乾燥機能が壊れる前も、壊れてからも、俺の洗濯物は変わらずに知らない間に綺麗になっているのであるから、買い替えの必要性を感じていないのである

つぎのボーナスまではあと2ヶ月、おもに私のメンタルがもたない。キレそうで。

日を置いて再度買い替えを持ちかけ、(想定通り)ボーナスまで待てないの?と言われたので、うん、待てるよ。あなた洗濯干しをしてくれるならね。と伝えたところ、即、この週末に見に行こうかということになった。分かればよろしい。

というわけで、新しい洗濯乾燥機が届いてからというもの、ふたたび我が家平穏が訪れた。購入したモデル比較したメーカーは別で書くことにする。

2024-02-08

平穏暮らしを望むなら何でも言いなりになる相手や何でも突っかかってくる相手は駄目だ

金銭的安定を望むなら年収の低い相手借金のある相手は駄目だ

この先すっとその顔を眺めながら暮らせるレベル相手結婚しないとこの先苦痛だぞ

年収が高かったり見た目がいいのに婚活してるようなやつは何かヤバい問題を隠してるぞ気を付けろ

若い方が何だかんだ素直でいいぞ

賢く自立した相手なら毎日の会話がノーストレスだぞ

とかなんとかかんとかやいのやいの

2024-02-07

大塩平八郎檄文が令和6年と見紛うような内容

現世の天下の民が困窮しているようでは、この国は滅びてしまう。政治を担うには相応しい器ではない小人どもに国を治めさせておけば、災害が次々と生じてしまうと、昔の聖人は、後世の人々に強く言い残している。

徳川家康公も「善い政治とは、身寄りもない人たちに対して、もっとも深い哀れみを掛けてあげることだ」と言われた。

ところがどうか?

これまでの240~50年もの間、戦乱はなかった。しかし、社会上層部の者たちは、贅沢の限りを尽くすようになってしまった。

大事政策を担う役人たちは、公然賄賂を贈ったり、賄賂を受け取ったりしている。

そのくせ、自分たち支配している民、百姓たちからは、重い税を取り立てている。

ただでさえ、重い年貢賦役に苦しんできた多くの人々は、このような無体な強要に追いまくられ、出費がかさみ、貧困に苦しめられるようになってしまった。

民の恨みに呼応して、天も怒っている。

近年、地震火災、山崩れ、洪水等々の自然災害が頻発するようになった。

そして、ついに、食糧危機までもが発生してしまった。 これぞ、天が下している深い戒めである

ところが、上層部は、この天の戒めの意味に気付いていない。器が小さく奸計ばかりをめぐらす輩たちが政治を牛耳っている。

下々の民を彼らは悩ませ、米や金銭を取り立てることばかりに熱中している。

目の前で起こっている天災天罰を見ても畏れ入ることもなく、餓死寸前の貧民や乞食を救おうともせず、山海の珍味を食し、妾宅に入り浸たり、揚屋茶屋に高位の武家の家来たちを招待して、高価な酒を湯水のごとく飲んでいる。

多くの人々が難渋しているのに、絹の着物を着て、芝居の役者や芸子たちを引き連れて、世の中が平穏であるかのように、つまり危機状態にあることを知らぬげに、歓楽にふけっている。

なんたることか。

これでは、昔、紂王が連夜、酒宴を催していたという故事のものではないか


いま、奉行役人たちが緊急に取り組まなくてはならない事態は、自分たちならできる政治力でもって、これら不届きな輩を取締り、下々の庶民を救うべきではないのか。

彼らは、それができなくて、堂島での相場にのめり込み、録をかすめ取ることばかりしている。

このような役人商人たちの所業は、天道聖人の御心に叶うはずはなく、天は、許してくれないだろう。

いままで、じっと我慢していた私たちは、もはや我慢することに耐えられなくなった。

私たちには、湯王や武王の威勢はなく、孔孟の人徳もないが、天下のために、親類縁者に被害が及ぶことも厭わず、この度、有志で話し合って蜂起した。  

まず、下々の庶民を苦しめてきた役人たちを討つ。

さらに驕り高ぶってきた大坂金持ちたちをも討つ。

そして、彼らが隠し持っている金銀銅貨、あちこち蔵屋敷に保管されている扶持米を運び出して、人々に配る。

上記のカネや米、つまり、驕れる者たちが無用に貯め込んでいるモノを分配することによって、当面の飢饉の難儀を救いたい。

闘う力のある人たちには、一緒に無法者たちの征伐に参加していただきたい。

2024-02-05

虐待されていた

今でこそ5人に話せば5人全員が驚いた顔で「それは大変でしたね」と言ってくれるような生活ぶりだったものの、

虐待されている最中にはそれを説明する言葉を持たなかったので、周りの人には信じてもらえず、

虐待内容そのものよりも、周りの人から被害妄想の強い子だ」と思われているのを察するのが辛かった

特にいい人が「困った子だなぁ」という苦笑を浮かべ、やんわりと離れていくのが悲しかった

今ではもっともな対応であり、私がまともな人だと思った人はやっぱりまともな感性を持っていると再確認する一方で、

やはりそのまともの輪に自分は入ることができなかったのが心に暗い影を落としている

子供なりの精一杯の考えと努力も、家庭環境という重く暗い渦から逃れる術にはなり得なかった

足掻けば足掻くほど沈み、努力も工夫も系譜という鎖の延長線から外れることのないことを知り、

現実と地続きに存在たかつての絶望は、それが遠い過去になった今も、時々現実些細な出来事きっかけに眼前に現れる

引きずり込まれ、呑み込まれ、全てが無価値になる絶望だけの生に塗りつぶされる

人々の日常平穏さの延長線上、たとえば薄い集合住宅のドア一枚を挟んだところに、

どれほど人の尊厳無意味にする支配暴力が巧妙に隠されているかを知っていて、

世界の明るさが奇妙に遠く、空虚に感じられる感覚

それが忘れられない。生きているすべての瞬間に、自分を無価値だと感じる瞬間への暗示がかかっている

思考努力、私の感じうる喜びの無意味

それらは誰にも届かないし、誰にも価値を認めてもらえない

から人の価値観に身を委ね、人が好きだと言ったものだけを私の判断基準に据える

するとそんな人間はつまらないのだ

私には得るものがあっても、私が見せることのできる新しい世界はどこにもない

私の本当の、暗い世界は人には見せられない

人生の根幹を隠して生きている。それは無価値無意味から

他の人が溌剌とした生を謳歌する時間を、ひたすらに生きるための忍従に費やした

何の価値も生まない、無価値な生の上に立っている

価値な生の土台の上に、空虚な明るい砂でできた城を建て、

城は私が動揺するたびに音もなく崩れる

崩れる前、どんな形をしていたかも覚えていない

人は人格というものを確かめ合うためにこの城の形を確かめものから

慌てて急ごしらえの城を建て、それらは一時的に人の目に留まり

次に会う時には全く異なる城ができている

大きさはさほど変わらず、形は既に原型を留めない

城は本来人生と共に増築されて大きく、深くなるものだけれども

私は変化し続ける奥行きのない城を建てては壊している

思い出話の中で、ふと他の人が私について話してくれることがあり、

記憶の茫漠の彼方の、私にとっては他人事のようなそのエピソードを聞くと、

私より他の人の中に私の影が残っていることを知る

私の中に私はいない

はいないし、私以外の誰もいない

ただ他人の中に私というラベルの貼られた動く映像がある

それを証明できる私がいない

私が見た他の人の映像もまた存在しない

それでも生きている

生きながら死んでいて、死んでいるのに消費している

魂を吸われて、抜け殻だけが寿命を待っている

今日もまた窓の外が明るい

2024-02-04

anond:20240120190246

発達障害自由意志が薄弱で他責思考な私は、このように相手自由意志尊重して自由意志に対する要請をしてくる相手が非常に苦手で、こういう要請を正面から受け止めるととても生きていられないと思う。

けれども、それが社会スタンダードである以上遭遇機会も多いので、「内的には自然現象であると割り切りつつ、外に対しては意志責任存在を装う」ことで一時しのぎ的に対応している。つまり物を失くしたら「ごめん」と謝るし形式的対策はするけど、心の中では徹底的に自責を避けて、例えば薬が合ってないかもな、などと考える。人間がお互いを自然現象である合意して回るような社会ならこんな心労は無いのにと思いつつも、実際そうでないのだから今ある社会に合わせるしかないというのには同意する。というより、現状の社会がこうであることも、他者自由意志要請する人間が居ることもまた、今のところの自然の流れなのだと思っている。

意思責任物語にうまく参加できないことを認めてもらい、部分的社会から降りて心の平穏を得るというモデルは、(私の個人的意見だけど)そんなに魅力的じゃない。

自然現象宿命ではない。自分意思他者意思自然現象であり、自然現象からこそ分析して利用/回避/あるいは克服できると認める。自由意志なんて尊い幻想は捨てて、使える道具を全部使って人間をハックする。全員が人間をやめて、平等自然現象として相互作用する。そういう社会が良いなと思う。医学化ってその流れの一部なんじゃないかな?

自分ゴミだと思うのはそんなに悪いことなかい

自分ゴミだと思うのはそんなに悪いことなのか。

人に言ったら困った顔をさせてしまうからまり口には出さない。

検索すると、自己肯定感がどうとか、うつ病の症状だとか、いろいろ言及されている。

答えは無理矢理まとめりゃ大体「前向きになれ」。

前向きにならなきゃいけないことなかい

しんだ方がマシだとは思えない。

しのうとも思えない。

生きてても死んでてもどっちでも変わらないと思う。

いてもいなくても社会に影響はないから、他人迷惑かけないようにひっそり息をしてる、それだけ。

CMで、使えないかゴミなら使えるようにすればゴミじゃないと言っていた。

それなら使えるようになればいいかなと頑張ってみたこともある。

結果、使えるゴミが育っただけだった。

不要衣類を切り裂いたウエスみたいなもん。

ゴミからゴミ箱の中で大人しくしてる。

汚いゴミ箱は人に迷惑からなるべく身の回りはきれいにしている。

いつか回収されるなら、それもいいかなって思う。

他人認知されたってことだし。

人に話を聞いてもらえなくても、自分ゴミだと思っていれば「まあゴミの話は聞かないよな」で終わる。

親切な人がいればゴミの扱いさえも丁寧な聖人に見えるし、自分の周りで関わってくれる人たちのことまで汚さないよう迷惑かけないよう過ごしてる。

自分ゴミを捨てるとき同族意識が募るから、物を大切にするようになった。

長く使ったものほど敬意を払って挨拶してから捨てている。

使い捨てのものはあまり使わなくなって結果ゴミは減ったから、環境にも優しくできているのかもしれない。

ゴミ人間を比べても意味がないから、他人自分比較することもなくなった。

他人感情ライフステージの変化にダメージを受けることもない。

とりあえず細々と誰の迷惑にもならないよう過ごしている。

まれれば地域活動にも参加して、仕事だけこなして帰ってくる。

かに褒められることもないけど誰かに誹られることもない(と思う)。

というより、そこまで興味を持たれていないと思う。

自分ゴミだと認めたら生きやすくなった。

それでも自分ゴミだと思うのはそんなに悪いことなかい

ゴミだと思うことで手に入れた心の平穏が崩れそうでずっと怖い。

2024-02-02

高校生自分の子供が死刑になるの辛そう

まず断っておくが、死刑反対とか、19歳への死刑反対とか、そういう話ではない。

自分の子供がまず殺人を犯すということがかなりつらい。

そして、自分の子供も喪うことも同時につらい。

世間にしてみたら冷酷な殺人者だろうが、親にしてみたら小さいころから育ててきた可愛い息子であるし、まだ独り立ちもしていないまだまだ子どもという年齢だ。

ついこの前までランドセルしょってたのにもう高校生かぁというくらいの感覚だ。

出産の痛みも、夜泣きの辛さも、学校入学卒業も鮮明に覚えている。

の子供が国から、「死ぬべきである」と告げられとあれば正気はいられないだろう。

親であれば子供を救いたいと思うかもしれない。

だが、それと同時に子供殺人であるのだ。自分の子供とおなじくほかの人が大切に思っている人を殺したのだ。

それを差し置いて自分の子供を救いたいと思うのはおこがましく思うし、なによりも殺人者にしてしまったという親としての責任も重く感じてしまうだろう。

殺人を許さな気持ち自分殺人者を生んでしまった気持ち、このような贖罪気持ちと、自分の息子を愛する気持ち矛盾しない。

同時に抱えてしま感情だが、世間はその息子を愛することを許してはくれない。

逆縁はいかなる場合でも悲しいものだ。逆縁の不幸に直面した親たちは多くの同情を誘う。だが世間自分たちの逆縁を望んでいる。

いっそ、失恋に苦しんで自殺でもしてくれたらとふと思い、そして自分の子供の死を思うなんてと自己嫌悪にも陥る。

もう子供は死んだのだと思う様にしても、まだ生きていて、そして確実な死が数年後に訪れると司法判断をした。

被害者を悼む気持ちを強くすれば、息子を愛するという人間の正常な感情を殺さなければならい

息子を愛するという正常な感情を出すと、犯罪肯定しているような罪悪感が生まれる。

勝手エンパシーを感じている僕は、この不協和公正世界仮説に基づいて「こんな殺人者を生んだ親だから毒親にちがいない。」というストーリーを作ってしまいたいが、現実はそうではないのだろうなと思う。

まず被害にあわれた方、そのご遺族にお見舞いを申し上げたい。そのうえで加害者家族の心にも平穏が訪れてほしいと思う。

2024-01-28

https://anond.hatelabo.jp/20240128021537

大変だね、お疲れ様

人に当たらないように外出したり、増田投稿お茶を濁していて偉いよ。

私もパートナーが綺麗好きで、自分家事頻度が違いすぎて合わせるのがしんどいから気持ちわかるよ~。

そこで、私が私自身を救うために、の視点で、私がやってること、私なら今後こうする、を考えた。

(1)「相手の綺麗好きを尊重している心広い寛容キャラ」として振る舞い、振舞えた自分を内心で褒める。

私は、相手家事をやってくれた時は、自分から「いつもこまめにやってくれて助かるよ~」と相手感謝気持ちを述べている。

これは、相手のためではなく、自分自身が卑屈にならないため。

最初「そんなにこまめに家事されるとこっちが困る」と思ってしまっても、裏腹に感謝言葉を述べる行動が取れると、

自分イライラを横において、相手尊重した言動を取れた)という一種の優位性?で自分の心が少し前向きになって、

相手と一緒に過ごす時間の辛さが多少軽減される。

相手家事方法を教えてきたら。

「実際に自分でやるのは大変だから、(パートナーが居て)良かったな~。

自分仕事とか自分が得意な事で(パートナーに)貢献して(パートナーを)大事にしたいな」

と返すかな。

パートナーがこまめに家事をすると、「自分はだらけている」って負い目を感じて身体が緊張してしまうよね。

「でもパートナーが悪いわけではない・・・」ってなって、増田は外出するんだよね。

私達だらけ人間が、同じように「こまめな家事をこなす」という土俵で摺合せをすると疲れてしまうから

相手のこまめさ(一種の神経質さ)に感謝できるキャラクター」という長所差し出して、相手に卑屈な気持ちを抱かないようにするかな。

(2)有料自習室等、静かに一人になれる室内スペースを確保する。

基本は(1)で自分の心を守りつつ、実際面でも一人の時間を持てる方法は確保した方がいいと思う。

それは、後ろめたいことではないし、増田が「本来は一人の時間が沢山必要だけど、苦労しながらも、大事な人と生活することも出来ている」なら、

それは、「ただ一緒に暮らす」「ただ独り身を選択する」よりも、試行錯誤している分、かっこいいことだと思うんだ。

で、手軽に一人で静かになれる空間を考えてみたんだけど、有料自習室(休憩スペースが豊富なところ)はどうだろう。

勉強キャラじゃなくても、「集中して本を読みたい」「静かにipadで絵を描く趣味を始めたい」とか相手には色々説明がつくと思う。

眠くなったら、家に帰って真っ直ぐ風呂入って速攻で寝たら、相手家事への後ろめたい気持ちに悩む時間を大きく減らせるんじゃないかな。

因みに、ブコメに多数上がってた「部屋を分ける」は、勿論たくさん部屋があれば便利だけど、この問題解決には役に立たないと思う。

多分、部屋が別でも、相手の物音や存在感、気配を感じたら「家事やってない自分」を増田は感じてしまうだろうから



(3)増田結婚生活うまくやれてて偉いよ!

自分の不機嫌がおかしいことを自覚してて、増田なりに外出という方法平穏を保ってるんだから、充分家生活うまくやれてるって言えると私は思うよ。

ブクマカ簡単に「家事のやり方を摺合せも出来ないなんて夫婦としてどうなの?」とか上目線で言ってくるけど、

増田増田なりに自分の機嫌を自分で取って相手生活出来てるんだからブクマカから言われたことを気にしすぎる必要はないと思うよ。

因みに、私は家族子供もいる生活なんだけど、意外にも、相手家事をこまめにしてる間、子供あやしたり、子供イライラしない大人キャラに徹してたら、

それだけで「仕事もやってて子供イライラしないなんて自分素敵だな!」ってなって、家事やれなくて卑屈になる問題はかなり軽減されたよ。

子供なんていてもいなくてもいいと思うから増田の好きな選択を取ればいいと思うけど、

もし、「子供に興味があるけど、今の生活で卑屈になってる自分には無理だ~」って自信失ってるとかなら、

私みたいな例もあるから、元気だしてね。

パートナーと楽しく暮らせるようになるといいね。お互い頑張ろう!

2024-01-21

anond:20240121113124

そうか

よく言われる「外から勝手に幸不幸を決めつけてはいけない」ってやつ、

もちろん「あなたって幸せそうだよね」みたいなことを決めつけで言うと相手不快になるからダメっていうことの他にも

実際その他人が本当に悩みなく幸せ暮らしていたとしても

いったん「羨ましい」という非生産的私怨をおさめて心の平穏を取り戻すためにあるのかもな

2024-01-20

anond:20240120113950

発達障害かどうかってのは多分関係ない。いわゆる健常者だってそういう言動をすることはよくある。自分欠点を、自分意志の欠如の結果ではなく、単なる現象として説明する言説を手に入れると、人はどうしてもそれを使ってしまう。なにせ責任を取る必要がないわけだから

意志責任はセットの概念で、自分意志で行ったのだからこそその責任を取らなければならない、というのがこの社会ルールになっている。でもまあそんなのフィクションなわけだ。人間はただの物理現象で、原子分子エネルギーポテンシャル坂道を転がった結果でしかない。とはいえ人間意志というフィクションを共有することで互いに関係することができている、というのも事実である。もちろん、人間は皆ただの物理現象であって自由意志なんてない、ということを合意することで回る社会というのもありうると思うが、少なくとも現状そうなっていない。個人意志を持って行動し、その結果を何らかの形で引き受ける、そういう形で人間社会は回っている。

しかし、能力不足だったり人格の形が社会多数派からズレていることによって、相当頑張らないとそのフィクションに乗れない人、あるいはそもそも不可能な人、というのが一定数出てくる。つまり意志責任物語にうまく参加できない人だ。でそういう人に対する一つの救済の道が、宿命論、つまり君は仕方なくそうなったのであって君に責任はないとする言説である。一番よく行われるのが医学化で、要するに「それは病気だ」とすることだ。これによって「患者」とされた者は責任自由ゲームから少しだけ降りることができ、心の平穏を得ることができたり、そういう形で社会に受け入れられることによってうまく生きていけるようなったりするわけだ。

問題はこのゲームからどの程度降りるのかということだ。本来はちょうど良い塩梅に降りるべきである。例えば自分の不注意に関してはADHDのせいだとしてしょうがないものとする。その一方で、自分能力範囲内では、意志責任を引き受けた方が良い。というのは、ゲームに真面目に参加している他の人間齟齬が生まれからだ。この増田が良い例である増田彼女ゲームを降りすぎており、その問題に気付いていない。彼女自分のことを「単なる自然現象だと見てくれ」と言っているのだ。自然現象人間はうまく関係できるわけがない。だからいまの増田自然現象をうまく操縦する人という役割になってしまっている。これが「理解のある彼くん」の正体だ。様々な理由によって、相手をただの現象だと思い、何が起こっても「雨に降られたようなものだ、仕方がない」と考えてしまう人のことをそう呼ぶのである

からこれから増田がしなければならないことは、彼女人間に戻すこと、つまり可能範囲ゲームに参加させること、ということになる。私は自由意志によってあなた関係したいと思っている、だからあなた意志によってそうしてほしいと理解してもらうことである。それができないうちに彼女結婚したのだとすれば、増田は雨の降る部屋で孤独人生を送ることになるだろう。

追伸(2024/02/09):ふと思い至って書いた文章想像以上に反響を呼んでいてびっくりしました。勢いで書いてしまったので重要論点が一つ抜け落ちていて、それが一部の人を怒らせてしまったようです。お詫びします。というのは、「増田自然現象になる」という道ももちろんあるからです。2人とも雨になったっていい。虹だって作れるかもしれない。わたし別に人間」が偉いとは特に思っていません。お互いにゲームから降りることによって成立する関係存在すると思います(それはそれで困難があるでしょうが)。しかしこれを書いていたときは、「彼女と互いに人間として恋愛したい増田」の視点に立っていたので、この観点を書きそびれてしまいました。

2024-01-19

割と幸せに過ごしていたが、少し暗雲が立ち込めた。

昨日の今日なので、この状況の変化にもじきに慣れて安定する可能性はある。

原因は、未来の楽しみの実現が2つ遠のいた。あるいは叶わないしれないと感じたこと。うまく環境に馴染めなかったこと。

面白いはいすれのケースにおいても、自分自身能力や状況に変化が生じたわけではないことだ。形而下における私は何一つ失っていない。

失われたのは「希望」「自己肯定感」といった概念、つまり頭のなかだけで起こっていることだ。

つまるところ「何かいいことが起こりそう」という未来への甘い算段をテコにして幸福感を得ていたわけだ。バカほど幸せなのはこういうことだろう(自分のことです)。

間違った認識だろうと本気で信じているうちは事実のように人間の脳は扱える。

私が比較幸福を感じながら生きられているのは、単純に性分ゆえ未来への不安が少ないからだろう。

私はニーチェの言うところの牧人だ。何も志さず、平穏楽しい人生を送れればそれでいいと思っていた。

しかし、気付かないうちに、その楽しみを得るためには、何かを犠牲にして挑まねばならないところまできてしまった。

彼らにに認められ、椅子を得るためには努力や苦労が必要となる。私は無欲で無趣味ゆえ、そうまでして何かを得たいと思ったことはこれまでの人生なかったのだが、厄介なことになったものだ。

趣味が高じて私の数ある楽しみのなかで特別地位を占めた。それが団体競技だったがゆえに「他人に認められる」という容易に自己肯定感を揺らがせうるプロセスが組み込まれている。厄介だ。

どうしたものかな。

諦めるかやるかの二択だ。

今のところやる気でいる。

いつまでやるのかわからないが。

私は未来計画を立てるのは苦手だが、本当は期限があった方が努力にも身が入るものなのだろう。

まあ短期テストが予定されてるので、そこで実力が試される。それを目標にしていけばよい。残り一ヶ月と少し。三日坊主の私には丁度いい。

楽しく過ごしていたというのに。

上手くいっていると思えているとき楽しいものだな。

そして上手くいかいかもと思っているときは気分が沈む。

当たり前のことだ。

心が上を向いているか、下を向いているか現実の座標よりも幸福感に作用するものだろうか。「今」も大事であるが。

いずれにせよ、私も欲張りになったものだ。

それがいいことか、悪いことかは今の私にはわからないが。

そういえば近所のTSUTAYAはもう潰れてしまったのだな。

2024-01-17

松本人志の性加害報道過去の性被害フラッシュバックしてつらい

松本人志から直接被害を受けたわけでもないのに笑

一般人から芸能人まで含めて性被害報道など腐るほどあびてきて、そのたびに自分の性被害が思い起こされては湧き上がってくる怒りや不快感を寄せては返す波の様になだめてきたけれど、今回はそう上手くいかない。

松本人志ほどのビッグネームから何度も何処でも報道され続け、松本顔写真を見るたびにもう10年以上前にもなる過去の性被害が、いくら記憶からかき消そうとも何度でも鮮明に蘇ってくる。その度に、みぞおちのあたりが重く仕事生活に集中できない。松本の性加害が報道され始めた昨年末からずっと。

アマプラを開くとドキュメンタル広告松本人志のアップが出てきてそれもつらい。)

その夜(性被害描写注意)

10年前、年上友人男性Xに合コンを組んでもらったのが事のはじまり

Xとはたまに食事しながら趣味の話を楽しむ関係。付き合いが長く既婚者ということもあり信頼できるお兄さん的存在だった。

合コン自体はうまくいき、そのうちの1人(Xにあたる後輩)と交際することになったから報告とお礼を兼ねて食事に行った。

「それはよかった!あいつは良い奴だからよろしくね!」と喜んでくれ「お祝いだから!」という事でアルコールも入り時間が経ち、私はいつの間にか泥酔状態になっていた。自分の脚で立てず支えて貰いながら歩いたのは覚えている。


気がつくと、Xが所有する倉庫の固い床に転がされ下着を剥がされている最中だった。無茶苦茶びっくりしたし肉親や親戚にそうされているかのように生理的不快だった。必死抵抗するも力が敵わない。胸に顔を埋めるXはマリオドッスンのように重く動かすこともできず、そのうちぐったり疲れて組み敷かれなすがままになった。

事後、どうやってその現場を出たのか覚えていない。

携帯がなかった。どうやら食事した店に忘れてきたらしく、幸いそう遠く離れていないその店へ歩いて取りに戻った。

鏡を見ていなかったので分からないが酷い格好だったのだろう、男性店員さんが一瞬息をのん携帯を手渡してくれた。泥酔状態で店を出た私たちの姿も見ていたはず。何が起きたのか察知されたように感じて物凄く恥ずかしかった。逃げるようにタクシーに乗り込み帰宅した。ひどく疲れていたので、ベッドに倒れこんでそのまま眠った。

翌朝背中が痛むので鏡をみたら、長時間押しつけられていたせいか背骨にそって赤黒く床ずれのようになっていた。昨夜のこと、考えないように思い出さないようにしていると、Xからメールが届いた。昨夜のことを詫びるとともに昔からずっと私に好意を抱いていたこと、後輩にとられるのが悔しかったので出来心でやってしまった、できれば酔ってない時にもう1回やりたいという内容だった。

私は被害者じゃない

松本人志の性被害者Aさんのように私もXにお礼、いわゆる迎合メールを送った。

「びっくりしたけど気にしないでくださいヘラヘラ彼氏できたんで2回戦はまたいつかヘラヘラ」的な軽い文面だったと思う。

けどその迎合メールを送ったという事実が後々私を苦しめることになった。

これから彼氏になる男性の先輩にあたる、共通の知人も多いXの気を損ねたくなかったから重い話にしたくなかったし、妻子がいる相手から何か奪うつもりも脅迫する気もない、誘惑だってしてない、慰謝料なんて取られたらたまったもんじゃない、私は無害ですよと表明したかった。今思うと、あんな性被害を受けておいて、それでも相手に気を使うなんてどうかしている。

〝性暴力被害者は、被害に遭ったことを認めたくなかったり、社会的地位立場の差がある加害者との関係悪化を恐れたりして、加害者に順応や迎合するような行動を取ることがある。〟

松本人志の性被害者Aさんにぶつけられる「なんやこのメール性的合意があったんだろ!」これは私が10年以上、私自身にも浴びせ続けてきた言葉だった。

被害を受け入れるような迎合メールを送った自分は、頭がおかしいんじゃないか...とずっと苦しんでいたけれど、よくある行動なのだと知りようやく自分を許せた。

その後

Xとはそれ以来連絡をとらず会っていない。

合コンでできた彼氏とは3ヶ月ももたず別れてしまった。

一度だけ共通の友人にXからの性被害を打ち明けたことがある。

「えっ...知りたくなかった。Xと気まずくなるじゃん勘弁してよ。」と拒絶されたのをきっかけに共通の友人たちとも切れた。

後悔だけしている。食事に行くんじゃなかったとか、証拠をとっておいて闘えばよかったとか。もっと自分を守れたらよかった。

いまどうしているのか気になって

やめときゃいいのにXのSNSを探してのぞきに行ってみた。今回の松本人志に何か言及しているのか?性加害報道を眺め自分の行いを少しでも思い返すことはあるのだろうか?

まあー当たり前に無風よね。すっかり忘れているのだろう。仲間たちと趣味を楽しみながら平穏日常ポストが続いている。

年上のお嫁さんはお元気ですか?息子さんも大きくなられたことでしょう。あなたのようにならないといいですね。

2024-01-16

anond:20240116204111

ブチギレる人いるだろうなーと見てて思ったw

(ヤフコメ精神平穏のため非表示にしてる)

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