はてなキーワード: 希釈とは
休みにあたってわかったこと、休んでる間にわかったことを備忘録変わりに書く。
1. 休職までの流れ
2か月ほど、1~2週間おきに通院。薬をもらった(ハンゲコウボクトウ、ルネスタ1mg、スルピリド)
薬を飲みながら会社に通うもやはり精神的につらく、医者に「死にたいと思ったこともある」と伝えたところ休職しましょうと診断書をもらった。
診断書には「抑うつ状態のため、~~~~1か月の休職を勧める」的な内容が書いてあった。(受付でもらう際に内容確認した)
次の日上司に診断書を渡し、引き継ぎのためもう一日出社したのち休職した。
上司とはそれまで仕事の進捗が良くないことや4月から忙しくなったこともあって何度か面談させてもらっていた。(あまり意味はなかった気もするが)
診断書を渡した時、何が一番しんどいのか、それを取り除けば休職する必要はないのではないか、仕事が合わないなら異動することもできるがどうか、等の話をしたが
一旦リセットしたい気持ちが強かったので休職させてもらった。異動についてはすぐ答えられず保留した。
妻も働いているので家事全般をメインにこなし、時々出かけるという感じだった。
通院も続け、ひとまずゆっくりしてください、とのことだったので言葉に甘えてそうしていた。
何もしていない状態をまずいと思うようになり、資格の勉強(会社から言われたもの、趣味のもの)をはじめた。
とはいってもたまにカフェで3~4時間本腰いれて勉強するくらいで、だいたい1日1~2時間ほどしかやっていない。
病院では少しずつ復職に向けて勉強したり運動したりしていきましょうと言われていた。
重曹やクエン酸を使うより素直にそれ用の洗剤を使う方が何倍も楽だった。
重曹・クエン酸はエコだのキレイになるだの調べればいくつでも情報がでてくるがいちいち希釈したりそのためのボトルが必要だったり面倒なだけだった。
料理はほとんどしたことなかったが、とにかくネットの信頼できるレシピ通り忠実に作ればだいたいのものは作れるようになった。
ポイントはレシピに忠実になること(時間や火加減、量など)と、信頼できるレシピを参考にすること(ハッキリ言えば、素人ママのレシピをあてにしない)の2つだけである。
そもそも副流ティーの問題に関して国立パンティー研究センターが適用している平山論文には有意差がない。彼の論文に書かれているのは9万人の喫ティーをする人の配偶者が肺パンティーで死亡した人数は32人、同数の非喫ティー者は140人。割合にすると0.1:0.16。さらにソーシャルパンティーの世帯(一般的な被受動喫ティー者)は非喫ティー世帯よりも肺パンティーになる確率は低いとも示している。
またラットを用いた実験を示した論文ではラットを密閉した容器の中にいれそこにパンティーの香りを漏らさず入れるという臨床的にありえない方法で実験しているものが多数ある。現実には大気中に散布した副流ティーは1000倍~10000倍に希釈される。直接煙を吸わせれば焼き鳥のティーでさえ害になることは自明だがこれらの論文が禁ティー運動の論拠にすらなっている。意味不明。
またパンティーには発パンティー性物質が含まれているが発パンティー抑制物質が含まれていることもほとんど知られていないし、ブラジリアンパンティーの予防に効く(喫ティー者は非喫ティー者の1/3)こともほとんど知られていない。パンティーに関しても乳パンティーや子宮体パンティーに関しては喫ティー者のほうが非喫ティー者よりも発がんリスクが低い。パンティーの発パンティー性物質を言う人間は福島の風評被害にも積極的に加担していたクラスタなんだろう。みそ、しょうゆ、お茶、ワイン、水道水にも発パンティー性物質が含まれているしそれらもパンティーの発パンティー性と大差ない。放射能と関連して言えばパンティー=福島だとしたらしょうゆ=東京程度の違いでしかない。つまり合理的な違いなどなく人々の認識や風評の差でしかない。
そもそも副流煙の問題に関して国立がん研究センターが適用している平山論文には有意差がない。彼の論文に書かれているのは9万人の喫煙をする人の配偶者が肺ガンで死亡した人数は32人、同数の非喫煙者は140人。割合にすると0.1:0.16。さらにソーシャルスモーカーの世帯(一般的な被受動喫煙者)は非喫煙世帯よりも肺ガンになる確率は低いとも示している。
またラットを用いた実験を示した論文ではラットを密閉した容器の中にいれそこにタバコの煙を漏らさず入れるという臨床的にありえない方法で実験しているものが多数ある。現実には大気中に散布した副流煙は1000倍~10000倍に希釈される。直接煙を吸わせれば焼き鳥の煙でさえ害になることは自明だがこれらの論文が禁煙運動の論拠にすらなっている。意味不明。
またタバコには発ガン性物質が含まれているが発がん抑制物質が含まれていることもほとんど知られていないし、アルツハイマーの予防に効く(喫煙者は非喫煙者の1/3)こともほとんど知られていない。ガンに関しても乳がんや子宮体ガンに関しては喫煙者のほうが非喫煙者よりも発がんリスクが低い。タバコの発がん性物質を言う人間は福島の風評被害にも積極的に加担していたクラスタなんだろう。みそ、しょうゆ、お茶、ワイン、水道水にも発がん性物質が含まれているしそれらもタバコの発がん性と大差ない。放射能と関連して言えばタバコ=福島だとしたらしょうゆ=東京程度の違いでしかない。つまり合理的な違いなどなく人々の認識や風評の差でしかない。
インフゾリアの発生を試みて、キャベツの残りを水に入れて腐敗させて、飼育水と合わせておりました。
しばらくするとキャベツの腐敗水やペットボトルの中が赤い色になってきました。ネットで同じような状態になった人がいないかと検索をかけてみたところ、どうやらこの赤い色の正体は、光合成細菌のようです。
EM菌関連のサイトが出てきたりと波乱を予感させましたが、PSBと商品名で売られているバクテリアと近いものなのではないかとの結論に達しました。
温度も水質も雑に管理してできたものなので、また同じものができるともかぎりませんが、一つのノウハウができたようです。
1.キャベツ料理を作り、芯や固い部分をインフゾリア用にとっておく。
2.ふたができる大き目のタッパー容器などにキャベツと水を入れる5から6日くらい半日陰に置いておく。ふたは虫が入らない程度に少し開けておく。
3.腐敗液を3、水替えで余ったグリーンウォーター気味の飼育水を7の割合で空のペットボトルに入れる。
できあがったものは、毎朝、稚魚水槽にドバドバと入れます。10個の水槽で1.5Lから2.0L使っています。稚魚水槽に入れると稚魚が集まってくるので、効果ありかと。特に今年は針子の生存率が去年に比べて高くなりました。
おととしのタマゴから成魚までの管理は、空き容器がなく、豆腐の空き容器でタマゴを放置管理。偶然、グリーンウォーターになるのを待つというものでした。
昨年は、産卵床の数が足りないため、タマゴを産卵床から取り、小さな容器を水槽に浮かべて加温、アグテンを希釈した容器の中で、孵化を待つというのをやっていました。が、アグテン溶液の水替えが大変なのとサイズ別に稚魚を管理できなくなり、放置管理に方針変更。親メダカ水槽に避難フロートを入れて稚魚を避難させていましたが、嵐で沈没して親メダカに食べられたりと面倒になったので、黒いNVボックス#13をまとめ買いして水槽を増やしました。まだ、偶然性が高かったです。
本年は、
・インフゾリア溶液による給餌
・ブロワーによる爆エアレーション
思えば、この世に生を得てからずっと自分を突き動かしていたのはこれだったのだろう。
幼稚園の頃、横殴りに飛んでくる「死ね」から見を守るためにいい子を演じようとしていた。
そうすれば誰かが殺しに来ても他の誰かが守ってくれると信じられたから。
その感覚は小学校に入ってからも変わらず、いつどこからか飛んでくるかも分からない「死ね」を防ぐためのバリアとして「自分には価値がある」というアピールをしようと必死になっていた。
その感覚のまま大人になり、そして実際に自分のようにうまく社会に溶け込めていない人間が実際に会社の中でどう働いているのかを見ることで遂には「無能は死ね」が自分の中からも産まれてくるようになった。
無能であり死ぬべきはずである自分と、同じく無能であり死ぬべきはずである連中とが、お互いに死ぬべきだと思い合いながら生きている地獄の中で今日も生きている。
どうすればいいんだ。
それは上手く希釈されて、それ単体では「死ね」とは見なされないようにされているが間違いなく「死ね」なのだ。
100倍に薄めた毒が薬としてその存在を許されるように、「死ね」はその姿を助言や評価といった形に変えれば許される。
1万倍に薄めた毒がただの調味料として扱われるように、ただの軽口や愚痴の形であれば「死ね」はあまりにも容易に口から漏れる。
それが無数に漂い飛び交う中で今日も生きる。
「無能は死ぬべきだ」と「自分は死ぬべき無能である」を同時に感じながらものうのうと生きている自分こそが狂っているのか、「無能は死ぬべきだ」と「自分は無能かも知れないが死ぬべき無能とは別種の無能だ」を同時に口にするアイツラこそがイカれているのか。
もう何も分からん。
ただ一つ言えるのは、どんなに薄めた所で「死ね」ははっきりと相手に伝わっているということだ。
死んでくれ、他人の死を願うお前らがまず死んでくれ。
結局最終的には虐殺文法に行きつくわけだけれど、虐殺文法の厄介なところは
最終的な末端に所属する当事者に責任(感)が全く生じないところなんだよね。
母体保護法の話で言うと、ダウン症だろうがなんだろうが生まれるだろう胎児を下ろしたことは殺人以外の何物でもないんだけれども<母体が健康であるために><生まれた子が不幸せにならない為に>下ろしたことそれ自体が良いことのように書き換えられてしまているっていう所なんだよな。
だから、日本には水子みたいな概念はあるにしてもすげーカジュアルに堕胎は行われている。
ルワンダ内戦やナチスのユダヤ弾圧にしたってそう。「駆除した」「取り戻した」に言葉を挿げ替えて殺人の事実や罪悪感を希釈化させる。
殺人の意義が希釈化された世の中において個々の殺人に正義を求めることがナンセンス。正義かそうでないかという観点でそれらは行われていないんだから。
もっともな主張だと思う。
はてなという民族は自らを守るために正論が使えるときは使うし、使えないときはへらへら笑ってやり過ごす。これは別にはてなに固有な態度ではなく、リアルでもネットでも人が群れたら大体同じ行動をとる。はてなーも個人個人では光るユーザーもいるのだろうが、集団として均してみると凡人の集まり。非凡な人間というのはそれこそ低能先生みたいに良くも悪くも集団に背いたユーザーだけ。人の群れは世の中を変えるためではなくむしろ変えないために存在している。顔を隠して存在を希釈しても最後は生臭い人間関係に帰着する点がネットコミュニティの限界なんだと思う。
正義と悪の二元論じゃないんだよ。いじめって行為は、正義とか悪じゃなく、ただ単純に法と無法の間にある障壁を破壊する行為なわけ。
hagex氏が死んだのは氏が悪だったからじゃない。正義だったら死なずに済んだって訳でもない。
いじめという行為も、もはやこの段階に至っては正義のどちらであったかを問うても仕方がない。意味がない。
しかし確実に、いじめ行為が「この世の中には正邪も法も意味ないのだな」という諦観の獣を一人作り出しちゃったわけ。集団的なリンチから自身が全く守られなかったという経験から、正邪や法はコミュニティの気分次第でたやすく蹂躙される、つまりは参加者の間の「お約束」でしかなく、何ら実態がないものだということを彼は「学習」した。その学習結果をhagex氏にレポート提出したってのが今回の事件。
hagex氏が(仮に)正義だったとしても、(もしくは)悪だったとしても、あるいはこの社会に法があっても、秩序があっても、その背中やらお腹やらに、レジャーナイフがめぐりこむとき、それらはhagex氏を一切救済しなかったでしょ? hagex氏は露悪的に言えば、福岡と言う先進国日本の誇る大都市の一角で、何にも守護されることなくただ死んだ。
今回事件はだから正しい意味でテロなんだよ。社会やら常識で守られてるつもりの僕らのいう「守り」は「諦観の獣」に対しては全くなんの意味もないという点で、正しくテロ。獣が悪だったとかhagex氏が善だったとか今更言ってもなんの意味もない。それで死者が蘇生するわけでもなし、同種の事件が今後防がれるわけでもない。
善悪にこだわることは、今回の事件を希釈して実態から目をそらし精神の安寧を保とうとする防衛反応なのは理解できるけれど、意味は殆ど無い。
インビジブルとかいう映画みたいに、身体のありとあらゆるパーツが無色になるタイプ。
まぶたも無色なので目を閉じても暗くない。
服は透過しないので大体は服を着たり、マスクをかぶるやつ。細かくは忘れたけど香取慎吾がやってたドラマの透明人間のタイプもたしかこれ。
多分、一番謎が多いタイプ。うんこが多分宙に浮くか、自分の体液と混ざれば無色で排出されるタイプ。
光学迷彩を用いて表面上そこだけ透過しているかのように見えるタイプ。
つまり人間の皮膚が有機ELパネルみたいに発色が変えれてその結果、透明になるタイプ。
存在感がなくなって石ころのように気にされなく成るタイプ。透明人間がどうかは怪しい。
でもこのタイプが一番便利ではないかと思う(解除可能であれば)。
あと、能力者バトルなんかでもタイプ1や2よりもこっちのほうが多いかもしれない。(影に忍び込むとか、殺気を消すとか)
タイプ1のようなまぶたが透明で見られないデメリットもないし。
(追記)
無敵化(矢や銃弾などが当たらないタイプ)みたいなのもここに含んでいいのでは。
物理法則の世界に身体を持たないが、物理法則の世界を覗ける。物理法則に干渉できるかどうかは関係なしとして。
多分、能力バトルだと油断しないと倒されないタイプ(そもそも、姿を全く表さずに暗殺すればいいのにわざわざ相手に自己紹介ぐらいまでするのは流石に傲慢)か、無敵すぎる能力ゆえに何か欠点や法則があってそこをつかれて負けるタイプ。
本人が存在を認知されないことが透明人間だとすれば、これも有りかもしれない。
他人の目や、カメラ映像などをジャック(ハッキング)して、その場所に存在しないのに情報を取得するタイプ。
現実寄りのミステリー作品で透明人間の仕業だってなったときの落とし所としてはあるのか…?
煙みたいにすーっと消えて人間の目には見れない大きさに飛散や希釈されて透明になる能力。
精子の質が経年で変化するかどうか調べることは技術的に容易です。齢15歳から毎年精液を採取して、凍結しておく。50歳くらいまで溜まったら、一気に解析する。これで経年変化を追うことができます。対応ありの統計検定を使えば簡単に有意差を導けると思います。ただし精原細胞ニッシェのローテーションという現象があるので、もしかすると毎年複数回採取する必要があるかもしれません。ヒトでどのくらいの頻度でローテーションするかは予め調べておく必要があるでしょう。おそらく精原細胞ゲノムあるいはエピゲノムに年を経るごとに変異が蓄積され、精原細胞の成長を促進する変異をもった精原細胞グループが精細管内でドミナントになり、高齢になるほど精子ゲノムおよびエピゲノムには精原細胞の増殖に有利な変異を蓄積していくはずです。ここではとりあえず、細胞周期に関する遺伝子や、成長因子の受容体遺伝子に変異が入ることを想定しておきます。この変異が胚発生に影響を与えると考えられます。精原細胞で生じたエピゲノムの変異が胚発生全体を支配して、次世代の表現型を変化させるとは個人的には信じたくありませんが、実験動物ではこの仮説を支持する報告がなされています。もしこの仮説がヒトにも適応されるとしても、次々世代の配偶子形成過程でエピゲノム情報はリセットされると考えられるため、それほど問題は深刻ではありません。一方でゲノムの塩基配列が変異した場合を考えてみると、精原細胞の増殖に有利な変異が胚発生に悪影響を与えることは充分にありえると思います。このとき、次々世代にもその変異が遺伝する可能性があるという点は極めて重要です。もしこの変異によって自閉症が誘導されるならば、次々世代にも自閉症児の出現頻度が増加するからです。ところで精原細胞ゲノムに変異が生じた場合、それが次世代に遺伝する確率はおよそ1/2です。精子形成過程で減数分裂を経るからです(およそ、と断ったのは、ホモで変異が生じる場合があるからです)。さらに受精によって母性ゲノムに希釈されるため、精原細胞ゲノムの変異の影響は減少します。卵母細胞には、おそらく精原細胞の増殖に有利な変異は生じないためです。ともあれ精原細胞の増殖に有利な変異をもった、胚がこうして生じえることを示してきました。この変異が個体レベルで自閉症という表現型を呈するかどうかは今のところ私は知りませんが、検討する価値のある問題だと思います。ところで、人類が高齢出産を経験するのはおそらく史上初めてのことだと思います。つまり今問題になっている高齢出産で生まれた子供たちは、第1世代です。したがってもしこのメカニズムで自閉症児が生まれるとすれば、変異をヘテロでもった世代が表現型を呈するということになります。日本人は比較的遺伝的に均一な集団です。つまり日本人同士の交配が多いという傾向を意味しています。そして日本人は晩婚化が進行し続けています。このままの傾向が続くと、やがてこの変異をホモでもった子供たちが生まれてくることでしょう。このことが何を意味するのかは今のところ未知ですが、細胞周期という用語からはガンという疾病を連想してしまいます。さらに、経験的には精子形成に使われる遺伝子は、どういうわけか神経発生に関連する遺伝子が多いように思われます。恐ろしい想像をかきたてられます。以上に思いついたことを書いてみたのですが、この仮説を検証する実験を書いておきます。それは、高齢の父親から生まれた自閉症患者の精原細胞の増殖特性を調べるのです。コントロールには兄の精原細胞が最適だと思われます。精原細胞の増殖に有利な変異が疾患をもたらしているのであれば、彼らの精原細胞はすべてその変異をもっているはずですから、精原細胞の増殖特性に変化が現れる可能性が高いと思います。また、兄を同じ親から先に生まれた男児と定義すると、父親が若かったころの精子から生まれてきています。したがってミューテーションが生じていない可能性があるのです。精原細胞を体外で安定的に増殖させることが可能なら、兄弟の精原細胞の増殖特性を比較して、その原因を塩基配列レベルで特定することはそれほど難しくはないように思えます。問題の起こりやすい遺伝子座を特定して、ゲノム編集で遺伝子治療することもあり得るかもしれません。または数ある精子から問題のない精子を選抜して体外受精することもできるようになるかもしれません。技術開発をすれば。でも、それよりもずっと自然な方法もあります。まずは精液の凍結保存を奨励することです。適切な条件で保存された精液では、化学的には時が止まったのに等しいです。それから晩婚化の解消です。
もうおしまいなんですが、この文章を書いていて思ったことを2点、蛇足ながら書きつけておきます。ひとつは、精原細胞が利用している遺伝子群の多くは、ほかの細胞では用いられていないのではないかということ。いわば精子専用遺伝子を用意していて、変異が入ったとしても精子形成以外には影響が出ないようになっているのではないかということです。これは、精子形成関連の遺伝子を欠損しても不妊になるだけで死にはしない事が多いような気がするということと矛盾しませんが、まあ思い付きです。いまひとつは、精原細胞の一つに変異が入ったとしても、精原細胞は細胞質を共有してクラスターを形成していますから、大多数の正常なシブリングと遺伝子産物を共有します。そうすると一つの細胞で増殖に有利な変異が入ったとしても、増殖のブーストはクラスター全体でシェアされて、大したことなくなるということ。あるいは、正常なシブリングもブーストされるために、結局は希釈されて変異をもった精子が胚に寄与する確率は低減するということです。これらは動物の生殖細胞の老化を次世代に伝えないための防御機構と理解することもできると思ったのです。こういうことは観念的で学問的ではないかもしれませんが、面白いと思うのです。なお、私がこういうことを調べようと思ったのは、私の父親が高齢だからです。私自身はキモくて金のないおっさんですが、若い子と結婚すれば変異はマスクされると妄想するのでした。
https://anond.hatelabo.jp/20180225105423
それらは不当な差別だ。でも、不当な差別と現今の環境下では許容せざるを得ない差別は、外形上区別できない。だったら、変な理屈をこねて後者を「差別じゃない!」と言い繕うべきじゃない。それは前者をも免罪してしまう。
元増田の主張の基本線は上記の記述に集約されるのだが、そもそもこれはかなり疑わしい主張である。外形上区別できないならその時点で全部同じカテゴリーにくくるべきだという主張は全く自明ではないし、もっともらしいものでもない。我々は外形上区別できないものは区別すべきでないんだろうか? そんなことはない。
たとえばある人物が解雇されたとして、それが雇用差別の結果であるかどうかは外形上(解雇された)の議論では決着がつかない。差別の結果として職を失うということは当然あり得ることだが、だからといってあらゆる解雇は外形上雇用差別と区別がつかないので差別であるなどというのは馬鹿げた主張である。元増田の主張はそのレベル。
我々は提起されている「差別」(女性差別でも、男性差別でも)の実質について、倫理的・技術的・合理的・歴史的観点から精査を加えることができるし、そうすればよいだけの話である。
そしてそれは「変な理屈をこねて後者を「差別じゃない!」と言い繕う」こととは違う。その種の精査を「変な理屈をこね」ることだと頭から決めつけて、差別論が外形的・表層的な次元に留まり続けなければならない理由はない。もちろん、提起された「差別」が差別ではないことの指摘や反論の中に「変な理屈」が紛れ込んでしまうことは当然ある。しかし我々はその「変な理屈」をあらかじめ排除することなどできないし、あらゆる指摘や反論が「変な理屈」であるわけでもない。外形上区別できないものの実質を精査することを「変な理屈」と規定するのであれば、我々は差別について意味のあることをまるで考えられなくなるだろう。
さらに、
加えて、差別が差別であると認識されていない状況はそれ自体が不正義であるから、というのもある。「○○は単なる区別だから、差別じゃないよね~」という言辞に、どれだけの被差別者が苦しめられてきたか。そんな言い分を許さないことは、正義への一里塚だよ。
と元増田は述べるが、しかしその代わりに「現今の環境下では許容せざるを得ない差別」と「不当な差別」の区別が是認されるのであれば(そして、女性専用車両は前者に属するので一定の正当性があるとする増田は当然是認するわけだが)、「○○は単なる区別だから、差別じゃないよね~」という言辞は、「○○は現今の環境下では許容せざるを得ない差別だから、不当な差別じゃないよね~」に取って代わられるだけであり、彼の主張にとってこの区別の是認は自滅的である。
むしろ、現下の社会においては「差別」という言葉に強い道徳的負荷が伴っているため、ある行為が「差別」ではないかという疑義を呈されれば、疑義を呈された側は「差別でないこと」の証明に取り組まざるを得ない。女性専用車両が差別ではないかという元増田の問題提起が強い反発や反響を呼んだのも、この「差別」という言葉が持つ道徳的負荷ゆえなのである。
ところが「現今の環境下では許容せざるを得ない差別」という言辞は「差別そのものはアプリオリには否定されない」という前提の導入を意味するため、「差別」という概念が持つ道徳的負荷を希釈することになる。それが被差別者の発見や救済につながるという主張は甚だ疑問である。
なぜなら、「現今の環境下では許容せざるを得ない差別」という言い方によって新たな差別の問題が認識されたところで、それが「現今の環境下では許容せざるを得ない」と認められているうちは、その問題が真剣な吟味の対象になることはないからだ。
むろん、これは「差別と区別」のレトリックでも同様であるわけだが、要は「現今の環境下では許容せざるを得ない差別」という概念を導入すべきという元増田の主張が、彼自身が提起している問題の解決に何ら貢献しない(それどころか、悪化させる恐れすらある)ことを意味している。
以上を踏まえると、「差別ではあるよね」の合意はナンセンスであるばかりか有害なものである可能性もあり、ロジック自体も自滅的であると言わざるを得ない。
言うまでもないことだが、ある社会制度が差別的ではないかという不断の提起と検討は、差別のない社会を実現するうえで極めて重要なものである。女性専用車両が男性差別ではないかという提起も例外ではない。
だが提起の妥当性は、「他の差別と外形的な一致をみるから」という一点のみによって証明されるわけではないし、議論をそこでやめるべきでもない。
女性専用車両がいかに不当に男性の尊厳を傷つけるものであるか、不利益をもたらすものであるかについて、丁寧に議論すればよいだけの話である。もちろんその議論は様々な批判や反発に晒されるであろうが、そういった議論の応酬以外に我々の差別に対する認識を深化させる方法はない。
その議論の過程においては、「痴漢被害経験のある男性」の存在が指摘されるだろうし、セクシャルマイノリティを包括した社会制度の必要性といった論点も出てくるかもしれない。
しかしそれは、「現今の環境下では許容せざるを得ない差別」と「不当な差別」という区別の導入の所産ではないのである。
なお筆者は、女性専用車両自体は女性の安全な公共交通機関の利用を保障するうえで次善的に妥当な措置であると考えるが、そもそも女性専用車両が存在しなければならないような社会の在り方は女性差別的であると考える。女性専用車両は男性差別であるという主張もそれ自体排除するつもりはないが、元増田を含め外形上の一致以外の議論が提示されないので検討しようがない。現時点での本邦の司法判断は、女性専用車両を男性に対する不当な取り扱いであるとは見なしていないようである。
海外分電子日志向上英会心理輪乳希釈明治 百合防御糖青評価自由有名前政日望自慢乱 目夜空果実春妄都左右頂夫勉治常温我流高 標母親噂話思想民手圧迫婦強鎌足熟成氷下 長文具未仕事温尊時間認識別倉庫不人同期 復活本来改悪泉敬体験事飯能力激安幸優待 非女真練馬鹿細片頭痛実下恋愛情定福仮機 凡心理眼田野菜想病天邪鬼自立報信頼面倒 作科由鏡中筋趣味気予防油断瞑想見方複雑 詞学力進カ肉知全退職業田靴下着成法利草 天運動歩良心恵裸冷夏通貨宇浮気功再道具 然命読書和服意欲静関勤物宙教魔悪起路材 仏令直感富研究掃岡係金品物育法寒点火災 開適度謝山計量除性欲玉言語公律儀赤急募 拓音最悪口画散無償情伝統紫式部族家準備 有楽低下論漫髪満足共有毛皮天使者忍耐熱
自作してみた。
追記
https://i.imgur.com/sasu2zn.jpg
追記追記
バッドエンドが貴重みたいな口ぶりだけど、それは自分の見方がおかしいだけでしょ。
1つ前のクールのアニメだって人気なのはどれもバッドエンドだったぞ(今やってるアニメのオチは配信派に配慮して言わない)
最後まで日本の料理が勝利し続けた結果から分かる「異世界の料理はマズい」という悲しい現実。よくよく見れば異世界食堂に通うのはハブりのよさそうな人間ばかり。異世界食堂が終始徹底して描いた「うまい飯とは一部の富める人間が特別な世界に行って食べるもの」という事実。さて、「メシの美味しくない方の異世界」は一体何のメタファーだったのだろうか。そう思いながら自炊した貧乏飯を見つめる時、視聴者は気づいていけない真実へとたどり着く。文句なしのバッドエンド
こんなものを最後まで見続けた人間がいることが人類のバッドエンド。クソすぎて面白いと笑っていた顔も最終話の中身の無さに遂には真顔に。でもね、自分が普段見ていた萌え萌えアニメも萌えとストーリーの希釈度合いを間違えるとすぐにそうなるんだよね。そう、アニメなんて全部くだらないのさ。ただ異世界なろうを馬鹿にしたかっただけなのに、気づいたら大好きな他の深夜アニメまでバカにすることになっていた。こんなオチ悲しすぎる。
海外最高!日本より給料がいいぞ!仕事もビッグだ!でも行けるのは実力がある人間だけ!実力のある人間はここまで昇ってこいと言い残して海外に行っちまう!残された人間は大事な人との別れの日に有給を取ろうという発想もないまま死んだ目で働くことになる。この国で生きるのは負け組だと気付かされるラスト。ハンカチ無しでは視聴不可能。最後に空港に行くシーンは現実だったらありえません。皆して有給も取らずにやることも大してないのに会社で過ごすのです。それが日本企業。あえて非現実を写すことで強調される現実の厳しさ。マッチ売りの少女を思わせるようなバッドエンド。
説明不要のバッドエンド。思いっきり身体壊してるからもう説明とかいらないね。更には他人をなんとも思わないサイコこそが勝ち組になると言わんばかりのラストカット。心身ともにバッドエンド。
母は強し。では何故母が強くならねばいけないのか。男は夢を追ってもいいが、女は家庭に尽くせという価値観は平行世界でも一緒だからだ。強くなくては生きてはいけない。優しくなくては生きる資格がない。それが母。女は家庭に身を捧げて人生を生きろ。吹き荒れる男尊女卑の風から逃れるにはもはや性別という概念を捨てるしか無いのだろうか。社会派バッドエンド