はてなキーワード: 工芸とは
小ぢんまりしたお店の中に、お店の人がこだわって仕入れてるのだろうと思わされる商品が所狭しと並べられていた
ヴィンテージの小物とか作家の手仕事で作られた陶器とか海外の工芸品とか、安いものから高いものまで並んだ商品棚には「お子様に商品を触らせないでください」「お子様に商品で遊ばせないでください」という注意書きの紙が貼り付けられていた
店の一角に一枚貼ってあるとかそんなものではなく、商品棚1つの横幅の中に複数枚といった短い間隔ごとにたくさん貼られていた
その紙の多さからお店側がどんな苦労をしたのか窺い知れるようでなんだか気の毒な気持ちになってしまった
とはいえ頻繁に注意書きが目に入ると自分が注意書きの対象でなくてもなんだか窮屈で買い物してても楽しくないなと思ったので、お店にそこまでさせた過去の迷惑な保護者と子供をちょっと恨めしく思った
あいつらは、俺ら絵師(俺みたいな弱小絵師は含まれないかもしれんが)の作品を無断で学習したAIを使って、一本も線を引かずに「俺らAI絵師っす!まだペン持ってるんすかwww教師データごちっすwwwwww」みたいに煽ってきてな?すげえわかる。弱小絵師の俺なんかでよければ200%その憎しみに寄り添ってやれるよ。憎いよなあいつら。
なんか絵師サイドってこういう認識の人多いように見えるけど、エロい絵で抜いてるだけのおっさんになりつつある増田が観測する限りそんなAI絵師(?)おる?って思う
いやまあ多分0ではないだろうにせよ、ガワから見てる限り(指摘の通り)過剰反応感エグいんだよな 故に多分面白がって煽る奴も出てくるんだろうけど
タグ付けとかで検索妨害になってるからその辺はどうにかして欲しいが、同じように絵を投稿してるからといって同じようなモチベーションとかテンションでやってると勘違いしてるフシがあるような気がする
の3つだと思う。
著作権云々AI規制云々に手を突っ込むと二次創作とかまで飛び火しそうだし、撤退線としては悪くないラインだと思う
ただ「尊敬」はこの消費社会じゃかなり程度による気がするけど...要は工芸ぐらいに世の中の関心は後退するだろうから...
それにある種の創造性はAIユーザでも認められるしね 今はまだ割とハンコ絵だけどツールの発展で差異はどんどんなくなっていくかもしれない
だから現時点での議論が今後どの程度通用するかというのは結構疑問で、その意味でも持続性のある団体なり代表者なりを立てるのは悪くないアイデアだと思うよ
あいつらは、俺ら絵師(俺みたいな弱小絵師は含まれないかもしれんが)の作品を無断で学習したAIを使って、一本も線を引かずに「俺らAI絵師っす!まだペン持ってるんすかwww教師データごちっすwwwwww」みたいに煽ってきてな?すげえわかる。弱小絵師の俺なんかでよければ200%その憎しみに寄り添ってやれるよ。憎いよなあいつら。
でもさ、頼むからAI絵師(笑)を叩くのを即刻やめてくれ。お願いだから。少なくともオープンな場で叩くのをやめてくれ。
みんながAI絵師(笑)叩きに励めば励むほど、俺らの置かれている状況はどんどん不味くなっていく。俺はそのことを知って欲しくて今回これを書いている。
(AI絵師を叩くなという文章を書く以上、これ以降はAI絵師のあとに(笑)をつけません)
『失敗の本質』という本がある。
旧日本軍の失敗を分析した本なんだけど、まあ内容は長くて難しいので各々気が向いたら読んでもらうとして、その本の中にみんなに知ってほしいことが書いてある。それは「戦略とは目標達成につながる勝利を選ぶこと」ってことだ。目標達成のために何に勝利するべきなのかを考え、勝利するべき戦場を決める。これが戦略。選んだ戦場でどうやって勝つべきかを考えるのが戦術。だから間違った戦場を選んだ時点で戦い方を工夫しても意味がない。間違った戦場でいくら勝利しても目標達成につながらないから。戦略レベルのミスは戦術レベルでは取り戻すことができない。確かこんな内容だった気がする(本の内容うろ覚えだから間違ってても許してね)。
じゃあ、俺らの達成するべき目標ってなによ?
生成AIをこの世から駆逐すること?それはさすがに無理だ。もう認める。
悪質なAI絵師をやっつけること?どうやって?一人ひとり大勢で叩きまくってアカウント削除に追い込むつもり?やつらが反省するわけないぜ?
何が言いたいかというと、我々絵師は達成するべき現実的な目標をちゃんと共有するべきだってことを言いたい。AI絵師叩きという戦場で奮闘する前にね。
そして、我々が達成するべき現実的な目標というのは、上記のa)〜c)の環境が実現できるようなルールを社会的合意のもとに策定することだと思う。
「不本意な形で」というのが重要。とはいえ、我々は自分が描いた絵に無限の権利を持っているわけではない(残念だけど)。研究のための教師データ利用などを規制するのはかなり難しい。自分たちにとって何が「不本意な形」なのか話し合ってコンセンサスを得ようぜ
※ 「b) 非AI絵とAI絵が適切な形で区別されている」について
これは技術的に可能かどうかという問題が含まれる。個人的にはc)さえ達成されていればb)については譲歩してもいいと思う
※ 「c) 非AI絵を描くアーティストが適切に尊敬されている」について
俺はね、なにも「俺は絵師様だぞひれ伏せ!」なんて言ってるわけじゃないのよ。一般的に、絵に限らず、優れた仕事や技や経験に対しては、相応の態度を向けられるべきだと言いたいんだよ。工芸でも料理でも音楽でもなんでもいい。そこに磨かれた技や豊かな創造性があると認識していながら、技術的代替手段によって市場価値が下がったことを理由に、相手を侮ったりましてや煽ったりするべきじゃない。それは貧しい考え方だよ
先回りしてあなたに伝えすると、俺はこのあと「社会的合意のもとにルールを作ろう」という話をする。法律を含む様々な社会的ルールがなぜあると思う?極論を言うなら、我々人間にはお気持ちがあるからだ。物を盗まれるのは嫌だ。殴られるのは嫌だ。もっと人間らしく労働したい。そういうお気持ちがひとつひとつのルールを作っているんだ。そして今回の件で俺たち絵師は自分のお気持ちにちゃんと向き合い、絵師界隈としてのコンセンサスを固め、社会に向き合っていく必要がある。「お気持ち」なんて言葉で論破してる気になるなよ
※ 正直、非AI絵というレトロニムすら書いてて辛い(お気持ち表明)
さっき俺は「社会的合意の元にルールを作る」ことが俺たち絵師の目標だと言った。勘違いしないでほしいんだけど、ここでいう「ルール」とは絵師界隈のルールとか、pixivなどのいちサービスの規約とかの話ではない。法律や判例など社会的な拘束力があるルールのことだ。これはすごく難しい。どれくらい難しいのかの想像すら難しい。でも目標達成条件だけははっきりしている。「社会的合意を得ること」だ。まず俺たち絵師としてのステートメントをまとめ、多くの人の賛同を得て、対立する勢力との泥臭い政治的なすり合わせを行い、そうやってようやくルールは作られる。
「対立する勢力との泥臭い政治的なすり合わせ」だって!?そんなの絵師にできるわけないじゃないか!!!
うん、俺もそう思う。だからそういうのは専門家に任せよう。赤松先生でもいいし、それが嫌なら別の人を送り込んでもいい。まあ簡単な話ではないけれど。
正直ほとんどの絵師にとって政治なんて遠い世界の話でピンとこないと思う。俺もきてない。だからひとまず俺たち絵師は、「社会的合意の元にルールを作る」という目標達成のために次の2つに注力した方がいいと思う
・多くの賛同者を得る
そして、長くなっちゃったけど、今回俺がみんなにAI絵師叩きをやめるように頼む最大の理由はここにある。ひとつひとつ説明したい。
ほんとさあ。名指しはしないんだけど、AI絵師叩きから勢い余って「絵は他の創作より上等だ」みたいなこと言ってるやつがちらほらいるだろ。「確かに私は翻訳AIを利用してますが、その教師データである翻訳テキストなんて、絵に比べたら創造性のかけらもない二流品だ」みたいなこと言ってるやつら。あるいは鑑賞や批評の創造性について一切思い至ることなく「無産オタク」とか言ってるやつら。
ま〜〜〜〜〜〜じで勘弁してくれ。お前らまじで働き者の無能でしかないからな。まじでさあ……ほんとさあ……ああ……書きながら腹立ってきた。
あのな?AIから創作物や創作者を守るルール制定を目指す上で、他ジャンルの創作者様こそが最初に引き込むべき最大の味方なのよ。彼らは同じ創作者として俺ら絵師の苦しみに最も共感しやすいはずだし、もしかしたらそれぞれの表現方法で俺らの主張を社会に広めてくれるかもしれない。それが他ジャンルの創作者様なのよ。なんなら俺は、社会的合意によって策定するべきルールは、絵に限らず広く「創作物」を対象とするのがベストだとすら思ってる。絵師界隈だけだと小さな勢力だけど、創作界隈として大連合を組んで一緒に社会に創作の価値を広く訴えていこうぜ!!ってするべきタイミングでこの野郎ぉぉぉぉおおおおおおお!!!!!なぁぁぁああああああに他ジャンルの創作者様をdisっとんじゃぼけぇぇええええええええ!!!!!!
言っとくけどな?絵以外の"優れた仕事や技や経験"に敬意を払えてない時点で、俺に言わせりゃお前らと悪質AI絵師は同レベルのクズだからな?
(あ、いけねえAI絵師を叩くなと言ったのにクズ呼ばわりしちゃった。ごめんね)
そして鑑賞者や批評者を馬鹿にしすぎ。文化のレベルが高いってのは、鑑賞と批評のレベルが高いこととセットなんだよ。そしてそれは驚くほど創造的な営みなんだ。オタクってのはそういうことだろうがよ。
もちろん俺も批評家を気取ったクソリプにイラッとくることはあるよ?それでも俺は、絵師というオタク界隈の端くれとして、彼らを馬鹿にしたらあかんと思う。絵を見てくれる人すら仲間にできず社会を動かしてルール作りなんかできるわけわけねえべ。
SNSで何かを必死に叩いている集団ってどう思う?AIの話だけじゃなくて、政治でも歴史でも属性でも陰謀についてでもなんでもいいんだけど。
口汚い言葉を使って、たった一人に大勢でリプライ飛ばして、よくわからないアナロジーやら揶揄イラストを多用して、身内で賞賛RTしまくって。
実際のところ、そういう集団ってどう思う?そういう集団にドン引きしたことない人間なんてSNSにおる?ノンポリやら中道やらを自認してる人ほど「ああなったらおしまいだな」と思ってたんじゃありません?
身近な例で恐縮なんだけど、こないだ非絵師の友達数人と久しぶりに酒を飲んだときに言われたもん。「最近絵師界隈が怖すぎ」って。AI叩きがうるさすぎてミュートした絵師の話を聞かされながら飲んだ酒、全然美味しくなかったよ。コロナで3年間我慢してようやく飲み交わした酒が美味しくないってなんだよ。まあ飲酒習慣がなくなって酒の匂い自体が苦手になったのもあるけど。いや、酒の話はどうでもいいんだよ。
つまり、一般人はAI叩きにドン引きしてる。そしてAI絵に関するトピックが「絵師 vs AI絵師」みたいな構図で理解されてしまっている。違うじゃん?「創作者の権利 vs AIがもたらす恩恵」の話じゃん?
もちろん世界には口汚く叩くことが必要な戦いってのはあるよ。Tone Policingしたいわけじゃない。とはいえAI絵師叩きはやっぱり違うじゃん。だってそもそもそこは「戦うべき戦場」ではないんだから。仮にAI絵師叩きに成功して、そのAI絵師が謝罪&アカウント削除をしたとして、それを見た一般人がドン引きしてたら「社会的合意の元にルールを作る」という目標からは遠ざかってるのよ。そんなしょぼい戦場で口汚く戦ってどうすんのよ。
一度「絵師ってヤバい奴らだな近寄らんとこ」って思われたら、その枷を外すのは非常に難しい。疑うなら自分がSNSでドン引きした集団を後から見直した経験がどれほどあるか考えてみてほしい。ましてやその集団が作るルールのために協力しようなんて思うかい?少なくとも俺は無理。SNSで厄介判定をした集団に近寄らないってのは現代人の本能みたいなものだ。
しつこい繰り返しになるけど、俺たち絵師は「社会的合意の元にルールを作る」という目標に向けて、特に「多くの賛同者を得る」という戦場で勝利する必要がある。これが俺の主張。
その勝利のために使うべき貴重な時間と情熱を、AI絵師叩きに使うのはなんとも勿体無い。絵師の端くれとして、絵を描くという行為の神聖さを信じてるからこそ、絵師のAI叩きは歯痒く思ってしまう。
もしもあなたがAI絵師を叩くことで多くのファボとRTを稼ごうとしているなら、どうか思い直してほしい。その行為は一般人をドン引きすることで目標を遠ざけているし、仮に一般人がAI絵師叩きにドン引きしていなかったとしても、そんなつまらないことにあなたの時間と情熱を費やさないでほしい。そんなファボRTで快感を得て満足しないでほしい。頼む。俺たち絵師が社会から尊敬され、大勢の支持のもと安心して絵を描けるルールを獲得できるとするなら、それは俺たち絵師が絵を描くという行為を通じて社会に幸福を与えているからだ。そんなのは綺麗事ではあるんだけど、あらためてその視点に立ち返り、あなたの限られた時間と情熱をもっと有意義なことに使ってほしい。
人は長期間にわたり何かを憎しみ続けると正気ではなくなる。どれだけその憎しみが正当であったとしても、正気は保ち続けることはできない。まず認知が歪み、次に性格が歪み、やがて歪んだ人間関係だけが残る。
SNSを長くやっていると、そうやって壊れていく人々をたくさん目撃することができる。彼らは今日もSNSで憎しみをぶちまけ続けている。別に彼らの主張が間違っているとは言わない。ただ、繰り返すが、人は長期間の憎しみに耐えられるようには設計されていないのだ。
AI絵の問題がこれだけ議論されるようになって半年以上が経つ。アンテナを張ってた人なら1年以上かな?その間ずっとAI絵を憎み、SNSで煽り煽られ、ありとあらゆる表現でAIを叩き続けてきた人たちがいる。
その中には、非常に悲しく残念なことに、少し壊れ始めている人がいるように思う。かつて聡明で穏やかだった人が、明らかに狂ったアナロジーをRTするほど認知が歪み、かつては絶対に使わなかったヘイト文法を多用し、「少し落ち着きなよ」という周囲の声に耳を貸すこともなくエコーチェンバーの深みに沈んでいく。それをみていることしかできない無念さたるや。それが悔しい。どうしようもなく悔しい。なあ、AI絵師なんてどうでもいいじゃないか。俺はお前のフェチズム迸る愉快な絵を見たいんだよ。お前の絵には何百万枚の生成絵よりずっと価値があるんだよそれに気付いてくれまたあの漫画のカプ絵を描いてくれ秒でRTするからさあ。
繰り返し強調するけど、別にAI絵叩きをしている人の主張が間違っているとは思っていない。ただ、あなたの正気が有限であることを意識してほしいのだ。そして、どうかお願いだから、AI絵師叩きから距離をとって休んでほしい。
AI絵師叩きをやめてほしい理由は大体書けたと思う。俺たちは「社会的合意の元にルールを作る」という目標を達成するために、「多くの賛同者を得る」という戦いに注力するべきで、そのためには目標から遠ざかるAI絵師叩きなんぞに有限な時間と情熱と正気を費やすべきではない。そんなことを書いた気がする。勢いで書いてるから抜け漏れやら矛盾やらがあるかもだけどそこはゼルダを我慢して書いてるので許して。
でも実は、ひとつだけわざと誤魔化してる部分があって、それが「絵師としてのステートメントをまとめる」ってところ。
みんな「クリエイターとAIの未来を考える会」の提言とかちゃんと読んだ?海外の法規制の議論とかは?どう思った?理解できた?俺?俺は全然。難しいよね。法律と技術の知識が必須だしさ。
しかもさあ。規制の話ってぶっちゃけ楽しくないのよ。それがAI絵であったとしても、表現を規制しましょうという話を心から楽しめるわけがない。ウチらっていつもそういう感じじゃん?マジアチいから。
でさ。俺らってAIの問題性について色々と指摘してきたし、なかには「クリエイターとAIの未来を考える会」のように具体的な規制案を出した人もいるけど、もっと根本的に「絵師は生成AI社会でどのようにありたいのか?」ってスタンスについて建設的に話し合えてなくね?
例えば上の方で書いたa)〜c)に含まれる「不本意」「適切」が示すラインって人によって全然違うと思うんだよね。そこのラインが揃ってないと、言い換えるなら生成AI社会における目指すべきビジョンが共有できていないと、俺たちはかなり無力だ。絵師全体がどうありたいのかすら不明瞭なまま、多大な恩恵をもたらすAIをとにかく規制しましょうってのは支持を得にくい。日本のAIに前のめりな感じをみると可能性は低いように思う。
AIの利便性は認めた上で、創作者としてどうしても許せない部分はなにか、それはどうしてなのかをちゃんと話そうよ。AI絵師叩きの狂気から冷静になってからだけどね。
お気持ちを揃えて、その上でステートメンを作ろうぜ。一般人からも「たしかにAIは便利だけど、創作者の○○な権利は守らなきゃいけないよね」って思ってもらえるようなものをさ。
OK、言いたいことはわかるぜ。絵師ってのはかなり厄介な部類のクリーチャーだ。しょっちゅう炎上してるし、悪口ばっか聞くし。そんな界隈が綺麗事だけで足並みを揃えられるわけがないって、言ってる俺自身そう思ってる。
ってことなわけじゃん?それを僕たち絵師だからできませんってのはナシでしょ。表現者なら逃げちゃダメだでしょ。古い?
というわけで、最後の方はちょっと取り止めのない文章になっちゃったぜ。
でも書き直さないし読み返さないぜ。一番主張したいことはシンプルだから。
半年近くぶりに読み返した。なげえ。やる気あんのかよ俺。インターネット老人会員なら三行でまとめろ。
アホ丸出しの誤字だけ修正 Permalink | 記事への反応(36) | 21:38
違いはないと言い張る人間はどういうセックスをしてきたんだろうか?
俺が童貞なのにゴムを使うのはオナホを洗いやすくなるという話を聞いたからだ。
結局ローションを使うから洗わないで放置するのはオナホによくない。
洗いにくい形状、ひっくり返したときのダメージが大きいオナホの場合は、洗う回数を1回飛ばしにしてもいいのかも知れないが。
ゴムを使ってオナニーをしてから生で挿れるとチンコに当たるオナホの内壁の感覚が全く違うことに気づく。
ゴムを使うと切り込みやツブツブを感じるのはかなり難しくなるし、シリコンが粘膜に吸い付きつつも擦れる独特の感覚も味わいにくくなってしまう。
文字通り表面に厚さコンマ数ミリのバリアが貼られた状態のような曖昧な感触になる。
その気持ちよくなさがある意味でリアルで興奮するという部分はあるのでコンドームの購入は全くの無駄に終わったわけではないのは救いであった。
俺のようなオナニーしか知らない人間でも生の気持ちよさは知っている。
ゴムありによって失われる物の多さを知っていると言ったほうが正確だろうか?
実際にセックスをしたことがある人間が何故ここで嘘をつくのか分からない。
それとも、オナホのようなチンコに程よく擦れる突起物が無数に生えた気持ちいい膣なんて滅多にあるものではなく、大抵の膣は単なる真っ直ぐの筒でしかないのか?
相性のいいオナホや、全然物足りないオナホ、アイディアが失敗しているオナホ、様々なオナホを知っているが、実際の膣がどの程度チンコに対してホスピタリティを発揮しているのかだけは知らない。
でもこれぐらいは言わせてもらっても良い気がする。
「ゴムがあってもなくても変わらないのは、お前らがセックスに使っているマンコやチンコが名器には程遠いからだよ。腟内のヒダやカリ首の引っかかりが最初から失われている単なる棒と筒でしかないだけだろ」
ぐらいのことは言えるんじゃないのか?
まあ俺はバイブを尻穴に挿れたことはないから、それにゴムを被せたら何が変わるのかなんて分からないんだけどな。
だがオナホのバキュームスポットに亀頭が滑り込み引き抜くと引っかかるあの絶妙な工芸美がゴムの僅かな厚みによって失われることは知っている。
女の側にもその損失は感じ取れるはずだという確信があるんだ。
それは無数のオナホール経験は俺に無数の名器のあり方を教えてくれたからだ。
名器とは、チンコとのコミュニケーションが濃密な膣のことであり、そのコミュニケーション性はゴムによって阻害されやすい。
女にとっての名器たるチンコも、単に大きい小さいではなく、それが蜜なるコミュニケーションを生み出す力があるかで決まるのではないかと。
だからヤクザはチンコにタマを入れたがるのであり、天然のチンコにも謎のツブツブが進化の歴史の中で生き残ってきたのだと。
気持ちよくもないならツブツブしたチンコなんてキモくてフラれまくってるはずなのに、世の中にはツブツブチンポが多すぎるじゃないか。
ちなみにそれを俺が知っているのはXvideosでみた無修正による知識だ。
「童貞、エロ博士たる(童貞は1人の彼女を持たず、複数のエロコンテンツをはしごし続けるので、上辺の知識だけならそこらの彼女持ちよりも詳しくなってしまう)」とはよく言ったものだな。
俺は童貞だ。
高級品、通常品、普及品、みたいなイメージで「松竹梅」とかいい、概ね一番よいものを松、次を竹、普及品を梅としているが、既にこれは逆転している気がする。
これからは逆転し、お手軽に買える普及品を松、他の人とは違うものを求めるちょっといい奴を竹、滅多に手に入らない高級品を梅とするべきではないだろうか。
松は育ちが早く、あまり土地が肥えてない場所や過酷な環境でも育つ。
一方で、目が詰まっていない、脂の問題がある、柔らかい。
ということで安価な木材の代名詞であろう。
パイン材という奴である。ある程度の面積があれば、持続可能な形で「松畑」が成立しており、カナダなどで大規模に生産されている。この中で最も安価なのは間違い無い。
次に竹である。竹は材質としては特殊な加工が必要なため、出回るとそれなりに高級ではある。
実は自生する場所というのは世界的には僅かな面積である。
一方で、適した土地では大繁殖することで山を荒らしてしまって問題になっている。竹が密集した土地というのは、土砂災害に弱いのだ。厄介者扱いされていることも多い。
しかし、早く育つという事や、材料の特性から、サスティナビリな材料として注目を集めたりもしている。
最後に梅である。まずこの3つの中で実がなるのは梅だけであり、経済的には効果が高い。
さらに梅の木は凄く成長が遅い。桃栗三年柿八年と聞いたことがあるだろうか?あれには続きがあり「梅は酸い酸い十三年 」と続くのだ。(地域により若干異なる)
現代では継木の技術があることや、苗の状態で手に入ることから、かなり短縮はされているけれども、成長が遅いのである。
そして材木としての価値は、この中では圧倒的である。いわゆる「銘木」という扱いで流通し、そのうっすらと赤みを帯びた木目から、工芸品や美術品などに利用される。
<スペック>
36歳。30歳位から零細企業を始めて最初の数年は役員報酬で2000-3000万円をうろうろしていた。
その後2年前くらいにビジネスモデルを少し超えたところ事業がブレイクして役員報酬で3億円で更に会社に利益が1億円くらい残るようになった。
<手取り>
役員報酬は月2500万円で手取りが1400万円程度。役員報酬の計算は税理士に任せているので何がどうなっているのかは把握できていない。
昨年はその他に1億円をちょっと下回るくらいの営業利益が出た。
<住居>
事業がブレイクしてからは160平米で家賃180万円くらいの賃貸に引っ越した。もっと高い250万円くらいの物件も探したが住みたい地域で空いているところがなかったために断念。家探しで分かったこととして、思ったよりも空いている広い物件は少ないということ。高級賃貸のサイトで都内で高い順に並べても200万円超えの物件は殆ど出てこなかった。ミッドタウンとか「住人の治安が悪い」といったことが言われていたりするが、それも何となく理由が分かった気がする。「ちょっと怪しげな商売」で数億円の財産を築いた人たちがいいところに住みたいと思ったときに選択肢があまりないから、結局、いくつかの有名どころに落ち着くのだろう。そしてそういった人たちはそれなりの人数、いるのだと思う。
引っ越しにあたってはインテリアコーディネーターにお願いをして家具を見繕ってもらい一式購入。これに1000万円ほど掛かった。コーディネーターにお願いしてみて分かったこととしては、やはりコーディネーターにお願いすると楽。というより、コーディネーターにお願いしないと無理。160平米の家の家具を自分で一つ一つ探して、選んで、センス良く仕上げることは少なくとも自分には不可能だった。こういったコーディネーターがいる理由がよく理解できた。
契約上は役員社宅として半分は個人で、半分は会社負担にしたので、それによってある程度は節税効果があった。
賃貸は三井系のレジデントファーストを利用して、営業の担当者とコネクションができたため、ちょくちょく営業担当者のメルマガのようなものは来るようになった。営業の人に予算250万円くらいで予め希望を出しておけば多分、割と早めに空き情報は来そうなので次引っ越すときは少し事前にやろうと考えている。
分譲マンションはまだちょっとハードルは高そう。虎ノ門ヒルズレジデンス、麻布台ヒルズレジデンス、三田ガーデンヒルズは興味はあるが、150-200平米だとすると少なくとも6億円-15億円はしそうなのでまだ手が出ない。当面は賃貸になりそう。またお金があったとしてもこの辺りの物件は瞬間蒸発するし、上客に回されるだろうから買えることは多分ないと思っている。
<車>
ランボルギーニのウルスを買うことも考えたが、今は納車までにとてつもなく時間が掛かりそうだし、そもそも運転も殆どしない人間なので結局何も買っていない。あとたまにフェラーリを乗り回したいと思わないこともないが、多分買ってもほとんど乗らないまま手放しそうなので買うには至っていない。
<ファッション>
仕事はスーツが基本なので大分グレードが上がった。ゼニア、ロロピアーナ、ブリオーニはそれぞれ何着かスーツを誂えてみた。一着70万-100万円程度。仕上がりに時間は掛かるが、オーダーしてみると体形には合うし、生地の光沢や滑らかさは素人の自分から見ても上品で気持ちが良くて気に入っている。ただ仕事柄、グレーかネイビーの地味なものにしている。靴もフルオーダーを何足かしてみた。ただ靴は勿論、履き心地はこれまでのものよりも良いが、結局のところスニーカーには敵わないと実感している。とはいえ上質な革の雰囲気は履くたびに気分は少し高揚する。
いわゆるラグジュアリーブランドで購入してみると、それぞれのブランドの担当の人があの手この手で高級ホテルでの受注会やら新作発表会やらの案内を送ってくることが分かった。ただ仕事はそれなりに忙しいので特にそういったイベントには行っていない。おそらくこのようなイベントに参加してお金を使うようになると、上客限定の商品なども紹介して貰えるようにはなるとは思うが、今のところそこまでして欲しいものは出てきていない。
<時計>
時計はあまり関心がなく特には買っていない。運動用にはApple Watchを使っている程度。ブレゲのクラシックな時計は少し興味があるがまだ買っていない。(最近は高級時計ブームなので、そもそもオーダーしても手に入るかよく分らない。)
<旅行>
コロナ前は年に一回はヨーロッパに行っていたがコロナが始まったこともあり行けず。次行くときはビジネスクラスを使う予定。
国内は大阪出張が三ヶ月に一度くらい入る。以前はヒルトンに泊まっていたが、今は気分によってセントレジスかコンラッドに泊まっており、空いている限りはスイートにしている。ホテルは一泊あたり10-15万円で絶対額としては海外旅行やスーツと比べて大分小さいのにも関わらず、スイートに泊まることで得られる満足度は非常に高いため、費用対効果は大きいと思っている。
<移動>
移動は100%タクシー。電車の場合は必ずグリーン車かグランクラス。これもホテル同様、絶対額が小さいので全く迷わない。
<外食>
外食はこれまでと全く変わていない。キャバクラ系の店はもともと好きではなかったので一切行っていない。
ここ2年で急激に資産(というか現金)が増えたので今のところは銀行の普通口座に貯まっている。株式投資はやるとのめり込みそうだが、今はそれに時間を割くくらいなら休むか本業に時間を使うべきなので控えている。もろもろ落ち着いたらアメリカ株のETFは買おうと持っている。
<人間関係>
これはほとんど変わっていない。特に自分の場合は余り儲からなそうな地味な業界で零細企業を営んでおり、目立たないようにしていることもあり、自分の周りの人はこれだけ稼いでいることに誰も気付いていないと思う。「アイツ、地味な零細企業で大変そうだな」くらいに思われている様子であり、個人的にはその方が都合がいいので特にアピールはしないようにしている。
強いて挙げると地味な分野での起業家と知り合うことは多少は増えたくらい。といってもITスタートアップの起業家などとは特にはつながりは出ていない。
年収が3億円、手取りで月1400万円程度を手にして分かったこととして、思ったよりもお金を使うのは難しい、ということ。結局のところはまとまって定期的に使えるのは住宅、車、旅行、オンナ関連くらい。それ以外の服やら時計やらは一度の金額が数百万円であったとしても、使える量は限られているのでそれを毎月のように使えないことを強く実感した。自分の場合は月200-300万円くらいは何だかんだで使っていると思うが、それでも1000万円以上は銀行に貯まっていく。特に仕事が忙しいと、思った以上にお金の使い道はない。お金持ちがグローバルラグジュアリーブランドを買う理由もよく分った。それくらいしか選択肢がないのだと思う。
あとは工芸品、美術品に手を出すとそれなりにお金は使える。モダンアートは昔から好きだったので、少し時間ができたら好きな若手の作家の作品は探してみようと思っている。
とはいえ今の年収になって生活の快適度は格段に上がったし、幸福度も上がった。欲しいと思ったものは一切値段を見ずに買えるのは単純に快適である。またお金の心配をしなくて済むのでそれに関するストレスがなくなったのは本当に良かった。会社ももうしばらくは大きくなる見込みで、そうなればそれなりの値段(数十億円くらい)で買いそうな企業もあるので、いざとなれば会社を売れると思うと気が楽である。
たまに金持ちは余り幸せそうではない、みたいなコメントを見かけるが、少なくとも自分の場合は生活は快適になったし、知らない世界を買えて面白いし、単純に良質なものに囲まれるのは楽しいし、人生もより「明るい未来」を描けるようになったので幸福度も増した。
Twitter上でたびたび話題となる『トレパク』の件について、日々さまざまな立場の意見を目にする。それを追っていく中で、「落とし所を見つけておかなければいけない」と思ったこと、それが本タイトルだ。
※『トレパク』については考えるキッカケに過ぎないため、本文では実例には触れない。
絵柄を真似されたくないという感情。
なぜ『感情』と書いたかというと、ひとの絵柄の真似をすることについて『善悪』で考えたところで、本当に辿り着きたいゴールには辿り着けない(平行線になる)からだ。
そして、一次創作物の著作権(知的財産権)に関わる話とは異なるステージの『悩み』として向き合うべきだとも思う。
「嫌だ」という感情に「合法だ」と言い返しても、もとより「真似されたくない」という感情をもつ人間は煮え切らない思いを抱えるだけだ。
私が思うに、本気で違法行為だと思って喚き立てている人はほとんどいないのではないだろうか。
ただ、嫌な気持ち自体が本物であるが故に、そうさせた相手を悪者だと言うほか、自分を守る方法を知らないのだろうと思う。
絵柄を真似されたくない人って、どうしたらいいんだろう。
真似していることを咎められた時、どうしたらいいんだろう。
絵柄。辞書で意味を調べると、『工芸品・布地などの絵の模様の構図』とあるが、アニメイラストに対してネットで通用されている定義の例としては
・主線の強弱
・人体のデフォルメ度
・影,ハイライトの入れ方
・全体の色彩
さらに細かく
・まつ毛の本数
・瞳の塗り方
・涙袋の有無
・歯列の描き込み etc
・まつ毛のハイライトの有無
・瞳孔のサイズ,形,有無
これ、全部『絵柄』だ。イラストを構成している全ての特徴を『絵柄』の一言で表すことができるわけだ。
それも、辞書に載っているような「絵そのものを指す言葉」ではなく、作者の「描き方の傾向・作風」という概念に対して『絵柄』と呼んでいるのが、恐らくネット(アニメイラストを嗜む者の間)では当たり前の意味合いとなっている。(風景画などの絵画を嗜む方達も同じように使うのだろうか?)
絵柄の類似に関する議論が平行線になりがちなのは、中心の言葉が広義であることが、一因として割と厄介な役割を持っていると思う。
絵柄。改めて考えると実にふわっとした言葉だ。
私は趣味で絵を描いていて、常日頃『絵柄』が安定していないと感じているのだが、時たま「あなたの絵柄が好きだ」と言って頂ける事がある。しかも、稀にかなりの熱弁を受けることもある。
それはそれは嬉しい。もったいない言葉だ。ありがたい。けれど、不思議だ。
自分では自分の絵の特徴が分かっていないのに、他人からはそれが見えているらしい。
もちろん、こだわりを持って描いている部位はあるから、そこを褒められると堪らない気持ちになるのだが、逆に全く意識していなかった部分をGOODと言われたりもするのだ。
私が意識していなくとも、見る人にとってはそこが私の『絵柄』なのだ。
キャラクターが主体のアニメイラストにおいて、見る側が最も注視し、特徴を感じやすいと言われているのは、キャラクターの『顔面』。さらに言うと『目』だとの意見がある。
「目さえ描き込んでおけば、顔の輪郭さえ整えておけば、髪などは多少線が雑でも『作品としてそれっぽく』なる」という話を聞いた事があるだろうか。それほど、目の印象はイラストの印象に大きく関与している事がわかる。
ということは、言ってしまえば『目の描き方の特徴』に他の人との類似性があるだけで、直感的に「『絵柄』が似ている」と判断されやすいのではなかろうか。
逆に言えば、それ以外の部分の類似はあまり気付かれにくいことになる。
そして、この「直感」は普段、ひとの描いたイラストを「どれくらい解剖して観察しているか」によって、それぞれ見えるものが異なってくることは断言して良いだろう。
作者がどんな『絵柄』を好み、どの部分に“意欲的に”取り入れているかは、絵を見た人に全てありありと伝わるものではない。
また、作者の描き方自体、100%が意図されたものとも言えない。
見る人によっては「目」という一つのパーツが、作者にとっては「まぶた」「まつげ」「眼球」「瞳」「瞳孔」「目頭」「目尻」の七つのパーツであったりする。(解剖とはこの事)
私はだんだんと、「絵柄が似ている」という言葉の不安定さが見えてきたようだった。
「絵柄を真似している」の一言だけでは、意見としてあまりに漠然としているのだ。
「同じ時間に、同じ歯磨き粉を使って歯磨きをしている」という意見を「モーニングルーティンを真似している」という大きな言葉で訴えるようなものではないか。
正直、そんな主張はまったく滑稽だと思わざるを得ないところだが、きっとそれでも「嫌だ」と思う人はいるのだろう。
『絵柄』に『流行り』がある以上、その第一人者はいたはずだ。流行りの絵柄というのは数年単位で面白いほど変わる。『流行り』は『真似』で広がる。
その第一人者が「真似されたくなかった」と思っていないとは言い切れない。自分で見つけた絵柄の組み合わせなのに、自分で見つけた表現の仕方なのに、簡単に真似しないで、という感情があったかもしれない。
真似されたくなかったけど、我慢したのかもしれない。
じゃあそれ、実際に言葉にしていたら、『絵柄の流行り』ってどうなっていたんだろう。
どうして第一人者は「真似してほしくないと言わなかった」のだろう。
自分の絵って、何に影響されて、何に感銘を受けて描いているんだろう。
今更だが、この日記は一つの答えを弾き出すものではなく、自分や読まれた方が、この感情を持ったり向けられたりした時にどう対処するのが「自分に合っていて」「ストレスが少ないか」を考える手がかりになればと思って書いた。
その事実を受け止めたとき、何を思うかは自由だが、『ストレスのない考え』を見つけることが、この問題のゴールになるのではないかと思う。
ちなみに、私は知らない世界だが、ネットでは一人の絵柄を1から10まで全てコピーしたかのような模倣をする人もいるらしい。そうなったらいよいよ法の出番かもしれない。
追記。私は好きなイラストの好きだと思った部分は積極的に真似している。仮に「真似しないでほしい」と言われたら、申し訳ないが私の好みが変わるまで待ってほしいと言うだろう。
勝手に殺すな~~
積読消化を苦痛に感じながら、正直読書という趣味の継続に困難を感じてるんだよな。
この記事見て、また最近のラノベ叩きだとか内輪で騒ぐてめェーだよてめェー。(いや昔からつまんないラノベは沢山あったから、最近の話ではない)
人気投票でランキング上位見ても結局認知度調査でしかないんだよな。メディアミックスした作品が上位に来るのは当たり前だ。
おっと、このラノで言えば協力者票があるから、そういう認知度だけじゃないマニアの推薦する図書もランキングに入る仕組みはあるな。
そうだよ、てめェーだよてめェー。ゴミばっか推薦しやがって。
書評ブログとか、全く信用できなくなってんだよな。献本文化と、案件とかもらってんのか知らねえけど、批判しねえし、大した出来でもないゴミを過剰表現のオンパレードで絶賛してやがるからな。
ミミズクと夜の王とか、イリヤの空UFOの夏とかと比べて、お前らがここ最近で絶賛してた魔王2099とか、わたし、二番目の彼女でいいから。とか竜と祭礼がどれくらい面白かったのか、点数表示で愚かな俺様に教えてくんねえかなー。
バズった作品書籍化してりゃいいと思ってる編集者、てめェーだよてめェー。
ハーモニーや華竜の宮に比べて、最後にして最初のアイドルやJKハルは異世界で娼婦になったがどれだけ面白いのか比較で教えてくんねえかな。
俺には分かんねえんだよな。帯に適当な宣伝書いてる奴も同罪だからな。
与えられた餌食ったら全部美味しいって叫ぶ鶏どもがさ。発言権与えちまったばかりに検索を汚染してて迷惑してんだよ。出版社がそういう鶏向けの飼料メーカーでその従業員である自覚してんだったらいいけどさ。そしたら編集はバズの数字見てるだけの工員として自覚を持て、二度と作品の質に一家言ある風なツイートすんじゃねえぞボケ。
なあ、鶏さんたちよぉ、紫色のクオリアや皇国の守護者に比べて星系出雲の兵站やねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミンや彼女のL ~嘘つきたちの攻防戦~がどれだけ面白いのか教えてくれよ。
これはラノベに限らないんだけどネガティブ評価をしない文化が広まっていて、ツイッターはあてにならんし、アマゾンレビューでも一番参考になる星2ぐらいの評価が全然なくなった。
他にも今ではすっかり害悪として名高いラ研の書評を見てみよう。
2003年発売の涼宮ハルヒの憂鬱と、2011年発売のやはり俺の青春ラブコメは間違っているの読者投票の結果では、投票数に占める最高評価の割合が明らかに変化していることが見てとれる。
なんでも絶賛文化のせいで本当の傑作が傍から判別できず、結局ジャケ買いと大差ない判断力で買うしかないんだよな。そのせいでゴミを何十回と掴ませられるとかこんな文化もう滅んだ方がいいだろ……。
MF文庫が猛威を振るってた頃にラノベって結局ソフトポルノじゃんとか言ってたやつを思い出すわ。
今や、右も左もシチュエーションラブコメとか、縮小再生産みたいなジャンル小説、お題小説のオンパレードだ。
高齢化するオタクくんの性欲や社会での鬱屈解消のためになろうで生産されるゴミを読まされるのもこりごりだよ~。
なろう系はあくまでなろうランキングをハックするための工芸品だから、まあ読まなきゃいいだけなのでまだ良心的だ。
ライト文芸はひと昔前はラノベ表紙としては見向きもされなかったpixiv青春系の表紙が面陳で青一色とかになっててそれはそれで食傷気味なんだよな。結局さぁ!編集者が何のポリシーもなく後追いしかできねえからさぁ!
女性向けポルノっぽいのもここに集中してるから、それもまあ表紙見ればある程度判別できるから回避可能。
一般文芸読みにいってもアニメキャラみたいなのばっかなのは草。昔文学賞のクソ爺どもが言ってたことがちょっとわかるわ。インターネットを通じて、アニメの流行を通じて、作家の想像力や語彙力に明らかな影響を与えてるんだよな。まあそれはいいんだけど、肝心の内容がつまらんのよ。
一般で売れてたところで和菓子のアンとか、ライト文芸でSNSの身内褒めと宣伝だけやたら上手だった、「私が笑ったら、死にますから」と、水品さんは言ったんだ。とか、シンプルに筆折れと思ったもん。こういうプロモーションで出てきて内実がカスなの、将来の読者減らす結果になってる気がするんだが。
そん中だと閻魔堂沙羅の推理奇譚は頑張ってたな。上手いの分かるよ。medium 霊媒探偵城塚翡翠もまあまあよかった。作者のやりたいことは分かるわ。屍人荘の殺人もよかった。ミステリばっかじゃねえか。
てかよぉ、ライトノベルと呼ばれたくなくて、ライト文芸ってジャンル作ったってのに、何年経っても傑作が出たって話が聞こえてこねえんだが?
ブームの起点になってたビブリア古書堂の事件手帖 ~栞子さんと奇妙な客人たち~なんかは時代が下ればコピー品が増えてるし見劣りするかもしれんが、あの時点で出した作品としてはそれなりによかったと思う。ぼくは明日、昨日のきみとデートするあたりも意外と出来がよかった。傑作とは到底言えないが、この辺りぐらいは商品として維持してほしいクオリティだわな。
はてなでは嫌われている知念氏の天久鷹央の推理カルテも悪くない出来だと思うよ。一巻しか読んでないが。
君の膵臓をたべたいの読者層はもう昔からあの層ぐらいで諦めがついているけど、中身は読まないと確認できないから、食ってゴミなの確認するのやっぱつれぇわ。
正直言うていい?ラノベのラブコメ、だいたいマンガの劣化やろ。
小節の利点ってさあ、俺様みたいな貧困層出身のガキが購入する上でマンガに比べて価格と消費時間のコスパがいいってところぐらいだろ。
文庫本一冊の新刊を買うぐらいなら同じ値段でサブスクに加入すればいい。なんなら家族が加入していれば無料で、消費し尽くせないほどのコンテンツを浴びるほど楽しめる。
そうすると逆に時間の価値が高くなってくるんだよな。ラノベは一冊の消費にかかる時間が長い。ハズレを引いたときの徒労感が尋常じゃないんだよね。(俺は買った作品を途中で投げることがなかなかできなかった。作者がオチや終盤に全力を込めていた場合、そこまで読んでから酷評するのがマナーだと思うから)
今やラノベはコスパ最悪の娯楽だ。つまり貴重な時間を使って、一定以上の快楽を摂取したいという願望を速やかに満たすには、なろう系的なスカッとジャパンファンタジーやシチュエーションラブコメというほぼほぼツイッタークソマンガの劣化版をさらに劣化させた産廃を生産せざるを得ないのだ。悲しいねえ。
胸躍るようなものを見たけりゃアニメや映画見てればいいんだよね。単純に作者とイラストレーターと編集、校閲のせいぜい四名程度で制作してるコンテンツと何十人が力合わせて創ってるコンテンツ、どっちが面白いかなんか聞かなくても分かるし、市場規模が実質、客から見た面白さの差なんだよね。(クリエイター馬力理論と名付けよう)
マンガとラノベでなぜ売上が歴然と違うのか?ラノベがつまらねえからだよ。
あー すっきり・・・・・
しねぇんだよ
てめェーだよてめェー。
ラノベがディスられるたびにきっしょいお気持ちツイートばっかしやがってよ。フォロワーの間でお気持ち表明とよいしょで傷口ペロペロしとる作家ほど見たくなかったもんはねえよな。
こういう記事にお前の感性が老化したんだとか、他人のせいにして自分の作品のゴミっぷりから目を背けてるカスども。一部でも面白いと言ってくれる読者がいればいいとか言ってるカスども。
言っちゃ悪いがお前らの作品10年後には誰も口にせんし、覚えてもねえわ。覚えてるのはゴミ食わされて未だに下水の味が口に残ってる俺みたいな奴だけだわ。この記事書きながらうんこ垂れ流した奴らのことめっちゃ思い出したもん。
ここに例示した作品すべてを眺めて、なお自分の方が面白いと叫べるような奴いる?いてもどっかのvtuber小説の人みたいに自分の実力を過大評価してる奴ぐらいだろうが。
それでも俺は、小説には小説でしか表現できない面白さがあると思っている。
まあせいぜい気張れや。
そういえば せわになった ひともいたな・・・・・
いつもゴミの中から食べられるものを選り分けてくれるフォロワーありがとう。
どうもでした。
2021/9/27
私は好きです。
自然素材で作られたものは、手入れは大変ですが、日々の心が癒されます。
そんな私が、大分県の竹工芸訓練センターに、入学願書を提出したことがあるのです。
すぐに取り下げたのですが…。
目次
竹工芸訓練センターとは、竹細工の技術を学べる、公共の職業訓練学校です。
私にとってはとても近所です。
詳しい条件が気になる方は、厚生労働省のHP(別窓が開きます)に詳しい条件が提示されてますのでご覧ください。
入学時に教材代5万円程度を支払うだけで、2年間の受講ができ、竹工芸の基礎的な技術を学ぶことができるのです。
ちなみに今年も募集をしているようなので、興味のある方はオープンキャンパスに参加してみてはいかがでしょうか。
詳細はこちら(別窓)。
職人になってみよう!応募したい私とためらう夫
別府市内の方はよくご存じだとは思いますが、別府市では月に一度市報べっぷが配られます。
確かこの市報に、募集のチラシが挟まっていたんだと記憶しています。
昨年、夫に「何かをはじめた方がいい」と言われていた私はこれを見てピンときました。
「そうだ、職人になろう!」
別府市に引越してきたばかりだった私は運命すら感じていました。
自宅から歩いて通える(少し遠いけど)。
職人なんてそんな簡単になれないだろうけど、竹が編めるってちょっとした特技として生かしていけそうじゃない?
当時、39歳だった私は、ギリギリ最後のチャンスですし、思い切って応募してみることにしました。
どうしても実行してみたかった私は
と説得し、受験に挑むことになりました。
夫の反応が微妙なわけ
当時はわかりませんでしたが、夫はとにかく私が傷つくのが嫌だったようです。
私はそもそも職人として食べていくなんてできるとは思っておらず、特技としてこれからの人生に生かせたらなあ(教室に通うような感覚)くらいに思っていました。
いや、ほんとに今となっては入学できなくてよかったなとしか…。
「何かを作るということ」は自分の中の何かをすり減らしながら生きていくこと
と夫は思っており、そして彼は実際にそうやって生きています。
そんな世界に私が足を突っ込んで苦しむのが嫌だったとか。
私は夫の子供か何かでしょうか…?
過保護なことこの上ありません。
オープンキャンパスへの参加
願書の提出
スマートフォンのカメラと、コンビニのコピー機で証明写真を作成し(スピード写真よりだいぶ安くできます)、願書を提出し、数学の参考書をブックオフで購入しました。
全くやる気を感じられない受験生ですね。
残るはコツコツ勉強です。
そういえば、オープンキャンパスの時に「試験より面接が大切。しばらく県内で頑張ると言う方が、すぐに大分県から出ていくと言うより良い」みたいなことを聞いたのですが、本当だったのだろうか…。
と改まって言われたのです。
話し合って、やめる
このときは、話し合いというよりほぼ夫の話を聞いていました。
夫が不安そうに、声を震わせて違う道を歩んでほしいと説得してきました。
夫の性格を考えると、このときにどんな言葉を投げかけても、不安を解消できないな、と確信しました。
そのまま夫を言いくるめて(説得して)入学することも可能だったと思います。
しかし私は夫の不安をそのままに入学して勉強をするほど、情熱が無かったのです。
2年間の学習をつつがなく終える自信はあったのですが、将来的に職人になる自信と、夫とのぎくしゃくを抱えたまま、入学する気概は私には無かったのです。
受験票を出し終わった後だったので、訓練センターとハローワークに電話で連絡しました。
そしてもらった資料や参考書を廃棄、そのまますぐにYouTubeを見てブログを始めました。
こうしてできたのが、このブログです。
今ではやめて良かったのかもな、とも思います。
今でも夫婦で「あの時受験できていたらどうなっていたかな?」と話します。
そしたらちょっと違う私になれていたでしょうか?
こういう風に、夫が奥さんの能力・人生をフイにしてしまうことがあるんだなあ。
旦那が「専業主婦」にすることで自分のモチベーションにするやつ。籠の鳥。
岡山ディスり創作文読んだ。私も今は西の地方都市在住だけれど、もともとは首都圏ベッドタウン出身で、首都圏だと東京の影響が少なからずともあるから西はまた違う雰囲気の地方都市にいる。
転勤族なので岡山の人口多めの地方都市とそんなに変わらない規模のところを転々としてきたと思うんだけど、あの創作文を読んでまず設定が雑だなーと思った。
あの文の主人公は30歳と言っているけれど、その母親世代にしても英語を覚えるためのCDとして流行りを過ぎたビートルズをチョイスするかな?音楽にも英語にも興味ない主婦が気軽に手に取る1枚と違う気がするんだけど。
そもそも英語に興味もたない気がする。地方都市に住んで愛読書が花より男子という設定の20年前の母親がなぜ英語の必要性を感じるのか。
ある程度落ち着いた大き目の地方都市在住の人は、その場所から出たがらないし外の世界への興味も薄いというのはちょっと話すとどこででも感じる。
身の回りのコミュニティが充実してればそれでOKなところ。そこが地方都市のいいところでもあるのだから。
そのへんの設定にまず違和感を感じえなかった。
そして娯楽と知性がないという表現。それは東京に比べたらどこでもそうだと思うけど、地方コンプレックスをこじらしてる人が主人公設定だからそうなるのかな。
実際に国道沿いに大型店舗が並んでいて駅前はさびれているというのは仕方ない。生活のスタイルが車前提の社会になってるから。
でもイオンとドンキだけではない。各地方ごとに面白い大型店舗はいろいろある。自分は産直市が好きでよく行くけれど、季節のもの、その地方ならではのもの、個人が作った細やかなものなどが売られていて文化を感じるがね。
ほかにも地域ごとに特色のある文化や人、歴史、工芸品などの博物館・資料館・美術館・庭園・公園・寺院・神社などいろいろあって、自分はそういうところをいろいろ巡るのを趣味の一つとしている。