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はてなキーワード: 展覧会とは

2020-10-31

anond:20201031031148

ヘイト表現の強権的な規制法なんかも、アベやスガが支配する国で作れ作れとよく言うよね。

法の悪用で散々騒がれてるのに、自分たち推してるジェンダーヘイトの分野になった途端急にアベスガも道徳的に改心して悪用しなくなると考えてるのかな。

逆に自分たちお気に入りアーティスト展覧会規制されるとは想像しないのかな。

まあろくでなし子会田誠については規制されてもいいやと思ってそうだけど。


強権的規制法が欲しいなら、まずは悪用なんてしない枝野さんが首相になってから作らせるべきだと思う。

2020-10-30

何も頑張れなくて人生まら

やりたくないこと、やるべきことができないのは「俺クズなんだなあ」でまだ納得できるんだが、やりたいはずのこと、好きなはずのことができなくて人生まらん。



明日までにこれを提出しなければいけない」という消極的目標はもちろん、「この資格とりたい。頑張ろう!」とポジティブに決めた目標全然頑張れなくて「やっぱりやりたくなかったんだな…あの高揚感はなんだったんだ…」と落ち込む。

本当はゲームしたり絵描いたりしたいのに今のようにダラダラ増田やらふたばやら5chやら見てしまっている。ここらへん時間無駄に早く過ぎていくわりに得られるものもないし特に楽しい!!!!!ってわけでもないので何故見てるんだろう…と自分でもすごく疑問に思う。そしてそのまま一日を潰し自己嫌悪が積もる。

一人で映画美術館に行こうとなんとなく計画を立ててもだんだん面倒になってきて結局いかないことが多い。その割りに公開終了後や展覧会閉会後に「なんで行かなかったんだろう…」と物凄く後悔する。昨日も朝から夕方ゲーセンに行くのを楽しみにしていたのに結局いかなかった。

ゲームや絵や映画が好きじゃないとしか思えなくなってきたがそうなると好きなことがなくなってしまう…。

辛いことがあるときはその先の楽しいことやそれが終わってからできる好きなことを考えようとは言うが、そもそも楽しいと感じることや好きなことがない人はどうしたらいいんだろうか。


根本的に俺何もしたくないのかな。

なにもしたくなさすぎて一日かそれ以上ご飯食べない水飲まないもよくあるんだよな。ずーーーっと布団で横になってる。水はすこし飲みつつだが断食最長記録は40時間。でも大体はなんとか肉体的な苦痛が打ち勝って家にあるお菓子ちょっと食べて断食は終わる。お腹すくのは耐えられるんだけど関節がありえないほど痛くなって我慢できなくなるんだよな。でも金なくなって食べ物買えなくなったらマジでそのまま餓死か水飲めずに脱水で死ぬかもしれん。

このまま何も頑張れずに死ぬのかな。いきるのも頑張れなかった。寝るのも時間無駄にしているようで苦痛だし、食べるのも美味しいのは一口目だけであとは顎が疲れるしお腹一杯になると苦しいし、人と関わるのもストレスだ。

(※途中で送信してしまい失礼しました)

2020-10-20

anond:20201020134506

地方のネックは美術館図書館書店といった施設が少ない点だが、最近ネット解決やすい。

いやほんとここなんだよね

展覧会映画スポーツ…と足を運んで現場体験したいものアクセスは都会なんだよね

交通費宿泊費考えるとどっちがいいのか良くわからなくなる

逆にこの辺りに興味なければ、無理して都会に住むこともないと思う

2020-10-16

展覧会企画のことで、女友達ケンカした

友達の仮名は雰囲気が似ている芸能人からつけてみた。フェイクも多いよ。

 

私:30歳女。地方の中堅四大卒。就職を機に上京。給与は高くないが、正社員でITベンチャーの人事職。3年付き合った彼氏と別れて半年だが、デートできる男友達は複数いる。

リホ:30歳女。語学の授業で知り合った、大学時代からの友人。大学では美術サークル。新卒の会社は半年でクビになり、そこから1年の留学ののち、仕事を8つほど転々としており現在はチェーン店ファミレスのアルバイト。2年前にマッチングアプリで出会ったイタリア人と、昨年結婚。

アミ:30歳女。社会人1年目にアート関係のオフ会で知り合う。短大卒業後に美術系の専門学校も出ており、会社勤めを経て独立。起業して6年目の経営者で事業は順調。マッチングアプリや合コンなど婚活も頑張っているが、付き合った人たちとはいずれも短期間で別れており、今は誰とも付き合っていない。

 

「今度みんなで展覧会やらない?」リホからそう言われたのは先月のことだった。

大学の同級生のリホとは10年の付き合いになるが、学生時代よりも、5年前にリホが上京してきてからのほうが遊ぶ頻度は増えていた。

リホはいろんな企画を立ち上げるもののややルーズで適当、そのくせ変なところでプライドが高く突っ走る部分があり辟易することも多いが、リホが教えてくれるカフェやお店はだいたいセンスがいいので満足度は高い。それに、家にこもりがちな私をあちこちに誘ってくれるのは悪い気はしなかった。

「増田のほかに、大学時代のサークル仲間や、アミにも声かけてるんだけど」

リホは言う。

4年前、私が社会人になってからの友達のアミをリホに紹介したら、二人はとても仲良くなった。やがて私抜きで遊んだり、リホの旦那さんの友達をアミに紹介したりもしているようだ。

 

美術系のサークルや学校にこそ行かなかったが、私も絵を描くのは好きだった。友達の個展やグループ展に行くことはあったが、自分が何かを作って出展する側になることはなかった。

「いいね。展覧会面白そう」私は答える。

月曜の夜、LINEグループが作成された。私とリホと、知らない人2人の4人グループだ。知らない2人はおそらく、リホの学生時代の美術サークルの仲間だろう。

リホは、「皆さんご参加ありがとうございます。まずは会場を決めたいと思います」と書き、候補をたくさん上げだした。

「長期間の展示向きのギャラリー

①◯◯ ここは会場がレトロで広め。

②◎◎ ここはカフェのスペースの一画に展示をする感じ。

③△△ ここは立地がおしゃれ。」

「土日開催向きのギャラリー

①●● 古民家を丸々借りれる。

②◻︎◻︎ 駅から近くてアクセスも便利。」

という具合に。全部で10件はあっただろうか。

これらはリホの知っているところなのかとグループLINE内で訊いてみると、リホは別にこれらのギャラリーに行ったことがあるわけではなく、ギャラリー検索サイトでリストアップしたとのことだった。

 

「まずは皆さん、長期間展示をしたいか土日がいいかどちらか希望を書いてください」とリホは翌朝、LINEグループに投げた。

私は、かつてほかの友人が行っていた展示をイメージしながら、「『木、金、土、日』か、『金、土、日、月』の4日間くらいがいいと思う」とグループLINEに投げた。するとリホから反応が。

「AかBかという質問にCと返すとみんな困ってしまうので、そういうのはやめてほしいかな」

リホは続ける。

「私はたくさんの人に長い期間観てもらいたいので、長期を希望します。カフェでの展示がいいな」と。

それに対して私は、「うーん、私はカフェでの展示は興味ないかも……」とグループに投げた。私は、カフェの添え物として絵を飾ってもらうことではなく、あくまでも自分たちが主役の、ギャラリーでのグループ展に興味があったのだ。

 

その日の夜、リホから電話があった。

「ちょっといい? LINEグループでなんであんな言い方するの? カフェでの展示は嫌だとか、長期か短期がいいか聞いてるのに別の答え返したりとか。あのあと、グループLINEのほかの2人にも個別にLINE送って訊いてみたんだけど、増田がズレたこと書いてるから意見を言い出しにくかったけどみんな長期の展示がいいって」と。

 

私は反論した。

「ちょっとまってよ、ほかの人が意見を言わなかったのが私のせいなの? 誰も何も意見を言ってないから私が意見を出したのに。それに、ズレた返答って言われても、そもそもなんで長期か土日かの2択しかないの? みんな平等にお金を出し合って展示をするんだから、リホだけが仕切るのはおかしいよ」

 

リホは反論する。

「カフェでの展示は嫌っていうのもさ、言い方あるじゃん。否定的な意見だけ言いっぱなしにしないでよ。意見があるのはわかったから、空気読んでよ」

 

私は言う。

「あのLINEグループ、リホ以外は誰も何も発言してなかったじゃん。だからせめて私だけでもと思って、意見を言ったんだけど。それに、意見を言い出せなかったっていうけど、そもそも今回のメンバーみんなのこと知ってるのはリホだけなんだからさ、いきなり意見を求めるんじゃなくて自己紹介する流れを作るとか、まずはZOOMでWebミーティングを設定するとか、やり方があるじゃん」

 

リホは言う。

「増田さぁ、自分の意見があるのはいいと思うよ。私だって好き嫌いははっきり言うほうだし。でもタイミングってあるじゃん。否定的なことも、言い方があるじゃん」

 

私は言う。

「『興味ないかも』って、だいぶ控えめな言い方だったと思うよ? カフェでの展示が嫌な理由とか、訊かれてないのにいちいち説明するほうが空気読めないと思うよ。そりゃ、『カフェでの展示よりはギャラリーがいいな』みたいな言い方でもよかったかもしれないけど、それだと、カフェでの展示なら私の参加モチベーションは高くないってこと、リホには通じないかもしれないし」

 

リホは言う。

「そんなことないでしょ。増田さぁ……アミから指摘受けたりしてない? 増田はちょっと空気読めないところがあるよねって、アミも前に言ってたことあるんだよ」

 

私は驚く。

「えっ、それを言うならリホのほうが……私、去年ケンカしたとき、リホはほかの友達ともトラブってたってアミから聞いたんだけど。ほら去年、私がイベントに『楽しそうだね』って言ったのを、リホは参加表明だと捉えてトラブったことあったじゃん」

 

 

実はリホとは、去年もモメたことがある。

去年の8月上旬、リホから「来月、シェアスペース借りてたこ焼きパーティーするんだけど増田にも来てほしい!」という誘いがあった。「9/7か9/14を予定してるんだけど、どうかな?」と言われたので「楽しそうだね。7日ならあいてる」と返事。そこからしばらくは、たこ焼きパーティーについての詳細の連絡はなかった。

それから8月末になり、リホから改めてたこ焼きパーティーの招待が来たが、9/7は別の友人主催のイベントがあることもわかり、そちらのほうが魅力的だった。そのため、ほかの予定があるからということでたこ焼きパーティーには行かない旨を告げた。

リホは怒った。

「ちょっと、それひどくない? 増田が7日なら来れるって言うから7日にしたんだよ。それなのに別の予定があるっていうのは無責任じゃない?」と。

私としては、そもそもたこ焼きパーティーにはきちんと参加表明をしたつもりはなかった。「楽しそうだね」とは言ったけど、どこで何時からで参加費はいくらなのか聞いてない状態での「楽しそうだね」は、あくまでも社交辞令混じりの感想であり、参加表明として捉えないで欲しかった。

 

その、たこ焼きパーティーのケンカから2週間ほどした頃、アミと二人でランチをする機会があった。

「リホから聞いたんだけど、増田とちょっと揉めちゃったんだってね。失礼なこと言っちゃったかも、って、リホは反省してたよ」と。

そしてアミは「じつは私、ほかの友達とも、リホが同じようなことでトラブった相談を聞いたことがあるんだ。リホはちょっと自分勝手というか、突っ走っちゃうところがあるよね」と。

私はリホにややうんざりする部分も感じていたが、アミはあまり気にしていないようだ。「女の子は、気分でちょっと突っ走っちゃうときってあるよね。そこは仕方ないかなって思うから私は別にリホに腹は立たないし、私にとっては増田もリホも、それぞれ素敵なところのある大事な友達だもの」と。

 

 

〜〜時系列は、ここで今週火曜の電話越しのケンカの段階に戻る。

 

ほかにもごちゃごちゃと揉めたあと、リホは呆れながら言った。

「もうさぁ、とりあえず、アミと3人でまたお茶でもしようよ。そのときにまた続きは話そう」と。

私は「えっ、今回の展示、アミは関係なくない?」と答える。

リホは「そうだけど。だからこそ第三者を挟んだほうがいいというか」というので、「誰が悪いか、の裁判みたくなるのは簡便だけど、3人で話すのは別にいいよ」と言った。

 

結局お茶するのではなく、今週の日曜朝に3人でZOOMで話すことになった。どうなることやら……。

2020-09-19

映画館スタバもない生活耐えられない

GoToトラベルだったり、満席演劇が上演できるようになるだったり、社会が徐々に明るい方向に向かっているというのに。自分は、映画館スタバ劇場も何もない田舎から出られないでいる。

まれから18年間、同じような生活環境の田舎で住んでいたのだから平気だろうと思っていたけれど、一度都会の娯楽に溢れた生活を知ってしまったら、もうこの「何もない」田舎生活が苦しくて仕方がない。

大学進学を期にいわゆる都会という生活に触れた時も感じたけれど、田舎は圧倒的に選択が少なすぎる。または、選択を広げるためにかかる時間お金負担が大きい。当たり前だけれど。

だってスタバ抹茶フラペチーノチョコチップいれたやつを飲みたいと思ったら、電車で30分揺られなきゃいけない。タリーズヨーグルトアサイーを飲みたいと思ったら1時間近く電車に乗る必要がある。500円の飲み物を飲むために、その三倍以上の交通費を支払う必要がある。

映画を観たくても電車で1時間かかるし、そもそも一番近い映画館は県をまたがなきゃない。朝日が昇るまでバーで飲むなんてこともできず、日付をまたぐ前にどこの飲み屋も大概閉店してしまう。刀剣展示を見た次にミュシャ展覧会に行ったり、プッチーニオペラを観た帰り道に箱で頭振るなんて芸当もできない。

きっとこの話を北海道に住んだことのある友人に聞かれたら「こっちはセブンまで〇〇時間かかる」とか言われそうだけど、今はそんな話をしているんじゃない。私が、私の経験してきた人生と照らし合わせて、今の生活がつらいっていう話をしたいんだ。私が今どうしても苦しいっていう話を聞いてほしいんだ。

こんなコロナがはやる前は「また田舎に住むことになったけど、大阪にも名古屋にもすぐ行けるし余裕っしょ。むしろ岡山長船)にも高知にも福岡にも近くなってラッキー!」ぐらいのノリでしかなかった。ほんと馬鹿

今じゃ大阪名古屋はおろか、プライベートでは自転車で動ける範囲での生活に縛られているんだぞ。あの頃の能天気自分を助走つけて殴ってやりたい。もっと足元を見ろ。

その自転車で行ける範囲にある娯楽はカラオケしかないし、大好きだった大判焼きを売っていたお店は、結局コロナ休業が明けることなく閉店してしまった。

そのくせ、駅前の通りにはデカデカ看板を掲げたキャバクラが立ち並んでいる。これで若者移住Uターン就職政策で掲げているのが、むしろギャグしか思えない。(だからと言ってじゃあスタバを作ればいいのか、という話ではないから難しいけれど)

社会情勢を見るに、まだしばらくはこの田舎から出られない生活が続く。そう考えるとぞっとする、というような感情は薄らぎつつある。今は諦め、の方が感情に占める割合が大きいきがする。それと怒り。

諦めは、この人生選択したのは自分から、というもの。都会の生活が良ければ、就職の時に都会の会社を選べば良かった。それをしなかったのは自分判断なのだから、今この状況に置かれているのは自分責任だろう、ということ。

怒りは、この田舎空気ムラ社会

この田舎コロナ感染者が出た時、その家の窓ガラスが割られた。そんな話、ネット上の創作でしょ、と高をくくっていたけれど本当だった。風の噂によれば、その家族引っ越したとも自殺したとも聞いている。どっちが本当かは分からないし、知りたくもない。

自分が、自分家族が次の感染者になるかもしれないのに、よくそんなことができるなぁ。

おそらく、これは自分想像しかないけれど、「こっちは我慢しているのに都会に遊びに行った挙句コロナにかかって」といった憂さ晴らしでそうした行動に移ってしまったのだろうと思う。

実際、パートのおばさまたちの「〇〇さんこの前大阪に行ったんだって……」という陰口を叩いている場面に出くわしているので、当たらずとも遠からず、といったところだと思う。

自分は、その憂さ晴らしを、自分の中にある嫌だなと思う気持ちを、こうして文章にして出力することができるからまだ救われている。他人の家のガラスを割るよりは、よっぽど健全な毒の吐き方だと思う。

ただ、万人がこの毒の吐き方ができるわけではないことも分かっている。自分だって本当は、美味しい酒を飲みながら、誰かに自分のつらさを聞いてもらって同情してもらいたい。

それが叶わないからこうして、家で冷凍庫から出したウォッカを、瓶のまま飲みながらこの文字を打ち込んでいる。

Twitterが見れなくなった。舞台美術館の上演・展示情報を見ると、そこに行けない事実を突きつけられるから。「行く!」と言っているフォロワーに後ろ暗い感情を持ちたくないから。

今の私の手には入らない美味しそうなお料理、綺麗な品々、素敵な物語。「どうせ自分はいけない……」と、いちいち悲しむことに疲れてしまった。

先日、上司(この田舎に住んで十年以上)に息抜きの会話の中で「(大学生活を送った土地)に帰りたいんですよね~」と話したら、「万一コロナに罹った時村八分になるからやめた方がいいよ、ガチで」と改めて念を押されてしまった。

その会話の数日後に、仕事終わりの終電に飛び乗ってその地に行こうと画策していたけれど、その計画もぽっきり折れてしまった。

久しぶりにワクワクした。全部終電を乗り継げば、日付は越えるけどその地に辿り着ける。出勤前に駅のコインロッカー旅行カバンを預けようとか、馴染みのバーマスターにはあのお土産を買っていこうとか、あっちに帰ったらあのレストランご飯を食べようとか、旅行用の歯磨きセットが無いから買わなきゃとか、いろいろ、考えてたんだけれど。

結局そのお休みは、昼過ぎまで寝てYouTube酷道走行動画を見たりしていたっけ。

どんどん預金残高が増えるけれど、これっぽっちも嬉しくない。いくら円盤を買っても生の演劇映画演奏とは別物。いくら高い酒を買ってもバーで飲む味には到底及ばない。

心が掠れる。この心を潤してくれるものが、田舎にはない。

何で自分は働いているんだろ。

生きてるって言えるのかな、これ。

コメ返

https://anond.hatelabo.jp/20200919145352

そんなささやか希望すら叶えられない田舎クソだな〜〜〜ってほんと思う。京都の確か四条通りカフェカヌレとかも食べたい。あと博多のShinShin。

https://anond.hatelabo.jp/20200919145353

映画自体じゃなくて映画館に行くまでの道のりが電車しかない(車持っていない)なので詰んでるんですよね。別に映画館とか行くの自体大丈夫でしょって思ってる。

https://anond.hatelabo.jp/20200919145626

明日トラックに轢かれて死ぬかもしれない刹那主義で生きてるから相容れなくてすまんな……あっでも10給付貯金額増えた時は嬉しかった。

https://anond.hatelabo.jp/20200919150005

近゛く゛に゛美゛味゛し゛い゛お゛酒゛飲゛め゛る゛バ゛ー゛が゛な゛く゛て゛困゛っ゛て゛ん゛だ゛よ゛!!!!!!!高い酒ストレートで飲む分にはいいけれど……さ……あとバー雰囲気が好き人間からよ……

https://anond.hatelabo.jp/20200919150734

分かりみすぎて笑ってしまった。わかる予言するわ多分「都会の生活時間が早すぎる、こんな溢れた情報の中で振り回されるような人生は送りたくない」とか書いてそう。生きるの根本的に向いてないな???

2020-09-07

anond:20200907162036

ワイが思う都会のメリット文化なんや展覧会博覧会映画演劇…これらを観に行くコストは都会の方が低いから気軽に都会に行ける距離がええな。

文化に興味ない人は都会のメリットあんまりないような気もするな。

2020-08-25

久しぶりにTwitterを見たら俺TUEEEおじさんおばさんの展覧会になっていたので見なかったことにした。顔本ユーザー層が漏れ出してきたのかな。

2020-08-20

作品と作者は

無関係、たとえばバンクシーが犯罪を犯してても展覧会を中止にするか?独裁者虐殺指示者のヒトラーが描いた絵画を所持禁止にして焚書?するか?

...トカイッテミルテスト

2020-08-01

anond:20200801150650

許可公式に得ているかどうかだけを確認すればいい。それ以上は必要ない。

言い方を変えれば、美術館無許可営業展覧会場所を貸すならしょうがない。そんなもん他のアーティストでも美術商や賀正相手に訴えなど普通起こさない。

今、「 #バンクシー展 」がアツい!!!!( 悪い意味で )

いま、横浜でやっているバンクシー展がアツい。

バンクシー名前くらいは知ってると思うが、街中に意図のある落書きを残していく匿名アーティストで、モスクワマドリードリスボン香港などで100万人以上を動員した展覧会BANKSY展 GENIUS OR VANDAL?(バンクシー展 天才か反逆者か)』の日本版がいま横浜のアソビルで開催されている。

もちろん、これはバンクシー本人の許可などなく「勝手に」開催されているものだ。

この展覧会は、バンクシー匿名活動( 言ってしまえば犯罪的な活動もしている )をしていることをいいことに、勝手に開催されているもので、日本はまだリストインしていないがモスクワラスベガスなどで行われた「BANKSY展 GENIUS OR VANDAL?」は、バンクシー公式サイトで「FAKE」と指摘されている。

最近バンクシーの展示会が相次いで開催されていることを知っておいてください。 どれも同意の上で開催されたものではなく、これらはアーティスト知識や関与がない組織によるものです。それなりの扱いをお願いします。

https://www.banksy.co.uk/shows.asp

展示されている作品は、バンクシー作品を所有しているコレクターから借りてきて展示しているので、まあだいたいが本物らしい。真贋の確認はされていないが。

(贋作も混ざっているという情報あるので、「贋作が見られるのは本展示会だけ!!」とかいう凄い企画である可能性も高まってきた。これについては後述)

もちろん、展覧会収益バンクシーに支払われることはない。

江頭2:50被害者(?)

バンクシー勝手名前を金儲けに使われて( 作品オーナーであるコレクター権利かあるんだろうし、どこに展示されるかは勝手だろうが ) いい迷惑だなと思うが、オリコンニュースのこの記事

(※現在修正済み)

江頭2:50作品バンク尻―」に本家バンクシーからコラボオファー

https://twitter.com/oricon/status/1288212393659523072

バンクシーからオファーがきて江頭2:50の「バンク尻―」もバンクシー展に展示することになったというニュースだ。

すぐにこれは訂正が入っている

【お詫びと訂正】「本家バンクシーからオファー」と紹介いたしましたが、この展覧会バンクシー本人無許可のものであるため、表現に誤りがありました。訂正してお詫び申し上げます

https://twitter.com/oricon/status/1288312436634710023

恐らく、バンクシー展が本家から認められていないものだとは知らずに江頭側が「本家からオファー」って書いてしまったのだろう。

確認してないのが悪い……とは思えないな。バンクシー展が本家(本人)と無関係なんて思わないもんな…。


公式サイトにある「天才」「反逆者」投票のダサさもすごいし、バンクシー展に江頭の作品ならべちゃうの、商業主義を超えてこの展示会自体アートだとでも思ってるんじゃないかという悪ノリぶり。


グッズも勝手に作って売っちゃうぞ!!

バンクシーは、自らの情報を隠して活動しているため世界各地で勝手に「こいつなら訴えてこないだろう」とばかりにグッズが作られてガンガン売られている。

EU法人設立して商標管理をしたり(もちろんこれは商業主義批判のためであって自らのグッズを売るためではないと思われる)、実際には買うことはできないグッズが並んでいる(通りからショーウインドウ越しに商品風の作品を見られる)「店」を出したりして対抗している。

イタリアだかどこかでは法人を通して訴訟もしている。

バンクシー展、本人は認めてないわ、バンクシーって書いてあるだけのグッズ作って勝手に売るわ、地味にやりたい放題なの恐ろしい。※画像は拾わせていただきました

https://twitter.com/springcourtykh/status/1239527013452378114?s=19

我らが日本の「バンクシー展」では、本家ロゴを使わず普通ゴシック体フォントで作ったTシャツトートバッグを売っているのだ。アツい。アツいぜ。

この「BANKSY」って書かれたトートバッグ持って歩くの、ヤバくないすか!?!?!??

プリントグッズやってる印刷会社デザイナーが「バンクシー展のグッズのデータ作ってよ」って依頼されて、このデータ作るときに「本家ロゴデータないんですか? 本当にこれでいいんですか?」って言ったと思うんだよなー。泣けるなー。

本家データはないよ。非公認からね!!!!!

本物か怪しい作品も並んでいるぞ!!!!

バンクシーについての本も書いている美術専門家鈴木沓子さんのツイートです。

中にはバンクシー贋作も何点か展示されていたので(添付)、本物と贋作と別の人の作品がいっしょくたに展示している展覧会だということは、もう少し知られてほしい。。

https://twitter.com/gingerhoneytea/status/1288309852222058496?s=19

バンクシー作品かを確認する方法は恐らくバンクシー商標管理をしている法人認定を受けるかどうかだけっぽいので、真贋の確認は難しいのだが、専門家がこう言ってるのが本当ならバンクシー展の主催すごいな。

バンクシー活動方針に沿わないような無関係コメディアン巻き込んでの商業展開、匿名アーティストであることを逆手にとった無許可イベント開催、グッズ制作販売。そして真贋の怪しいと言われている作品の展示。もしかしてバンクシーのことを大嫌いな人が企画でもしてるんですか???


いや、バンクシーが有名になってるしちょっと儲けてやろうってくらいで、ここまで徹底的にやれなくない?

どうなってるの???

ウェブ版「美術手帖」の出番じゃないんですか!!!!!

最近BuzzFeedジャパンや、Business Insider Japanと並んでジャーナリズム魂のあるメディアとして(俺の中で)話題ウェブ版「美術手帖」さん、いまこそこれを記事にしてくださいよ。

コタツ記事じゃなくて、中の人意図を聞いてくるとか、バンクシー関連の専門家意見までまとめるくらいのやつ。

この増田はそれを読みたくて書きました。届け、この想い。

2020/08/01:20:27追記

言及増田で発覚したんだが、BANKSYEXHIBITION.JPドメイン管理者が株式会社 美術出版社…。

まり美術手帖は何らかの形でバンクシー展の運営に関わってる可能性が高いっぽい。 oh......マジか……

2020-07-22

anond:20200722132028

元増田です。そういえば、うちの親と連絡取らなくなって以降、国内個展を開かないし、展覧会にも出していないっぽい。アメリカ成功したなら逆輸入的に有名になっても良さそうなのに。もしかしたら他でもいろいろやらかして、国内はいまだにそっぽを向かれているのかもしれない。押し入れに突っ込んである作品はしばらく放っておくよ。将来、相続ときに面倒なことにならなければいいけど。

芸大生になれたのに、自分が分からない

今、帰り道マジ泣きながらこの文章を書いています

ですので句読点とか、とにかく誤字脱字が酷いです、文章怠惰人間が書いたガチクズです。

私は芸術系大学に通い始めた1年生です

18歳です

絵を描いてます

端的に申してしまうと、今の状況がブルピの芸大編の八虎とそっくりで困っています

しかも八虎よりタチが悪い事に、自分の実力の無さを実感して、前期の最終講評会が明日なのに、展示作業を全てやめて、逃げ出しました。助手さんからも「また明日ね」って言われたのに。

自分で言うのもなんですけどリアルブルーピリオドと言うべき経歴です。ですが八虎の明るさを引き抜いた陰キャです

高2から本格的に絵を書き始めました、絵画という名のジャンルをです

それまでは高校時代イラスト漫画部とか入ってて下手くそアニメ絵しか描いてなくて、ニコニコ動画とかひたすらみてたオタクです、絵画に興味もないし展覧会とか美術の展示も全く行ったことありません。

わたしには、技術センスも本当に何もなかったし、芸大生という現状の自分に溺れて身に付けるつもりもなかったんです。

高3の春から予備校に通って、祝!現役合格

私はその称号に溺れていました

でもそれって称号を貰っただけで、私自身は芸大生でもなんでもない、受かっただけのただの絵の趣味が発展したオタクに過ぎなかったんです。

予備校はもちろん基礎的な画力かぶっとんだ発想を身につける事が求められます、でも、でも、教わっているのはどんなに素晴らしい絵でも結局「受かる絵」で、決して「良い絵」ではないような気がします。

私は趣味創作ストーリーとかを考えてて、漫画に出来たら良いなぁとか、芸大受かったら漫画家目指そうかなぁ、いやゲーム作ってみたいなぁ、とか小学生レベルのとりあえず漠然とした創作意欲しか持たないまま芸大入学しました。

自分にとっては、別に書きたいものがないって訳じゃないから困らんだろ、みたいな感じで。

それで今はコロナオンラインなので陰キャの私は安心してイきり散らして怠惰生活を送っていました。

何も考えずにヘラヘラとして、ただ腕を動かすだけで生まれ作品、とりあえず表面をなぞっただけのインスタレーション、とかやりました。

何も考えずに。酷い出来です。

ゼミ、二回受けました。

ウィキペディア名前が載ってるような大層な教授達に、失望と落胆の声を浴びせられました。 

でも、その時の私はなんやかんや傷付きながらも、(でも私は漫画家になりたいし〜wアーティスト?とかなる気ないしわろわろ)って、別に漫画の方では創作意欲あるしって、失敗を踏まえて次の一歩に踏み出すことすらしませんでした。

それで待ちに待った前期の最終講評会です、前期の半年の期間に描いた作品を持っていって、アトリエに展示して、初めて同学年の人たちと顔合わせする事になりました。

初日は何人かとお話しできたり、もともと仲良かった子と一緒に居たのでヘラヘラしてましたが、

2日目、みんなが制作した作品を眺めて、愕然しました、一つだけとんでもないゴミが並んでるんです、私の作品です、あれ、あれ、あれ、え?え、なんか、え、待って、え、なんでこの中に私が居るの?なんで、え…………

芸大生の作品って、上手いとか下手とかではなく、情熱とかとにかくセンスを感じられるっていうか………だけど私の絵は本当に酷いものでした

ただぐちゃぐちゃにキャンバスを燃やしたような焦げた絵、白と黒アクリルでひたすら画面をグチャグチャした絵。ただそれだけです、周りの人たちが大小形を問わない作品で鮮やかに展示作業をする中、私は1人、この現実に耐え切れずスマホをいじってました。

1日目に話した人達が話しかけてくれませんでした。絵が、表現が、作品が、全ての大学です。私の作品が私の本質を表しているようなものです、初めて会う芸大生たちの会話が弾む中、私だけ1人透明人間のように佇んでいました。

絵でカーストが決まるのです。

八虎はコミュ力強のリア充人間ですけど、私は、根暗で、引っ込み思案で、前述する通りすぐにあぐらを掻くような人間です。

この空間に居るのが辛くなって、トイレに篭りました。アトリエに人が居るのが怖くて4時間ぐらい篭りました。

この時は焦りしかなかったです、そもそも前期にあまり作品を描いてなかったんです。それに対する苛立ちも含めて頭の中がパニックになっていました。

私は油絵が苦手です、デッサンもそこまで上手くありません。2次試験試験の数日前直前にアクリル絵の具とモデリングペーストを使った絵画表現で行こうと決めたぐらいです。発想や構図やスケッチ用紙のアイデアは全部自分で決めましたが、絵画表現タッチは数年前の参作の丸パクリでした。

から私には、絵画表現の"自分"がありません。

そして、今更気が付いたのですが、漠然とした創作意欲は、創作意欲ではなくただの妄想まりのものしかなかったです。

今まで、私が本当に描きたいものを具体的に形にしていませんでした。

私が持っている創作アイデアというのは、形にする程度のものでなく、形に出来るものでもなかったのです。

芸術という世界真剣に考えている学生達を鼻で笑い、

私は見つけていませんでした。

見つける気も無かったのです。

そもそも自分根本がありませんでした。

全てが崩壊しました。

仮初のプライドの正体に気付き、音を立てて壁が崩れ落ちました。

私は、ブルピの八虎よりはマシだろとか思ってたんです、でも、ブルピの八虎以下だと気が付いてしまいました。

努力もせず、学歴に溺れ、ただずっと肥えて、ありもしない才能とセンスに体を委ねていました。

ある時、助手さんに「〇〇さんは絵を描きたくないの?描けないの?」と聞かれました。

多分どっちもです。

自己が定まってないから無いから描けないし、無い自分を曝け出すのが怖くて描きたくないし、そもそも絵が上手く無いから描きたくないし描けないし、本当は描きたいコミックアートアニメ絵も、描きたいだけで上手く無いから描きたくないし描けないです。

本当にわがままばっかりの文章です。

自分に言い聞かせるように描いたこの文ですけど、情けなくて仕方がないです。

前期の最終講評会も逃げてしまいました。

これから、私は創作テーマをしっかりと探さなきゃいけない、美術館や展示も沢山行きますドローイングとかデッサンとか思い付いたらたくさん描きます、腕をとにかく動かします、とにかく、学びます、今はこれしか思い付きません。闇雲になんでも挑戦してみます

創作者という職業は、この世界に対して批判肯定思考を、諦めずにずっと考え続ける、考えなきゃ負けの世界だと思ってます

でも、思考停止していた私が、また動き出せるか不安で仕方がないです。

全部わがまま芸大生の弱音です。

うそしか言えません。

追加

涙が止んだ後、今いざ冷静にこの文章を読み返してみるとえらいナヨナヨしてるなって思ったか普通に頑張りますいくら自分に言い聞かせる為に書いたとしても、読み返すとややポエミーで恥ずかしくて単純に文章キモい。先輩に相談とかして普通に元気出ました、でもこれは忘れてはいけないから当時の記録として残す。

一応これ再投稿文章なんだけど、再投稿前の文章に寄せられてたコメントでボロクソ叩かれてたので段々悩んでるのがアホになってきました、お前らぶっ叩いてくれてサンクス

2020-07-20

anond:20200720154116

昔、わが母校の美術展覧会に「ドストエフスキー癲癇」と題された抽象画?が展示してあった

会場出口に感想ノートなる物があり、そこに「ドストエフスキーかんしゃくが良かった」と書いてあった

二流大学もの

2020-07-14

7/16 追記 好きなもの

毛布

いつも寝るときに抱えてる毛布。いまだに指しゃぶりが治らない(もう治す気もない)のでそれとセットで。

アレク

「あっちの電気つけて」って言ったら「あっちですか?」って聞き返してくるアレクサ好き。

家系ラーメン

最近ハマってる。お金がないから控えめだけど。

Outer Wildsのサントラ

宇宙を探索するゲームサントラSpotifyにもあるから聞いてみて。Travelersって曲がすごく好き。

つや姫

山形のお米。美味しい。

ゾイド

カッコいい。外骨格を付ける前の状態もすごく好き。最近電池入れてないけど。

辛い麺類

中本北極とか好き。辛すぎて途中で味が分からなくなるけど。カレーとかよりは辛い汁物が好み。

漫画

何でも読む。ジョジョは4部が好き。最近すごいなって思った漫画カラーズと明日ちゃんセーラー服

アニメ原画集

綺麗な線をみるとドキドキする。アニメ制作会社はボンズが好き。

ペンギン

特にアデリーペンギンかわいい

音ゲー

ゲーセンでも家でも。好きな曲もいっぱいあるし、いろんなタイプ音ゲーを遊んでる。

夕方

夕暮れ時。夕日と夜が一緒に見れる時間帯らへん。

浅草

美味しいものもあるし雰囲気が好きでよくいく。

文庫本

紙に印刷されてる読み物が好き。文字を一つ一つ追っていく感覚気持ちがいい。

プール

もともとなんとなく始めた水泳部。いつの間にか水の中にいることが好きになった。泳ぐのは遅い。

お酒

一人でも飲むし人とも飲む。一人でスマホいじりながら味を楽しむのも好きだし、わいわい人と飲むのも好き。

うざいイヌ

Undertaleというゲームに出てくるイヌ。うざい。しかしかわいいので好き。

ミスドロイヤルミルクティー

すごくおいしい。どうやったらあんなにおいしい紅茶ができるんだろう。

インク緑色ペン

学校に併設されてた文具屋で買ったんだけどいい色が出る。もう買えないので残りを大事に使ってる。

くじら

実は実際に見たことがない。でもすごく大きい生き物というだけでロマンを感じる。生き物としてのデザインも好き。

鎌倉

海に行くときはいつも鎌倉水族館にもいく。去年サーフィンに初挑戦してすごく楽しかった。

一緒にゲームしてくれる友人達

いつもありがとうゲームがへたくそだけどそれでも楽しく一緒に遊んでくれるからこっちも楽しい

辞書

暇なときぱらぱらとめくる。文字がいっぱいで楽しい

美術館

立体物のアートにはあまり興味がないけど絵画は好き。よく展覧会に行く。

変な印刷がされてる服

ウーパールーパースーパーパーカーピーターパーカー

スマブラの参戦PV

どれも好き。あんなにわくわくさせてくれるPVスマブラじゃないとできないね

人のルーティン動画

言い方が悪いけど人の生活を覗くのが好き。たまに「こんな丁寧な暮らし出来るか!!!」ってなる。

Steamチャット

めったに使うことないけど。なんかあのUIサイズ感が好き。

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しゅうまい

やったー!

鶏肉コーラ醤油で煮込んだやつ

肉は柔らかくなるしおつまみにもおかずにも合う。美味しい。

タン

小学生の頃から焼き肉屋に行けばタン塩ばかり食べていた。歯ごたえがたまらない。

愛用しているメッセンジャーバッグ

手が塞がるのが嫌で長いこと使ってる。トラックカバーに使われていたという素材でできているので丈夫。

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ジェンツーは?

ジェンツーペンギンも飛び切り可愛いしかアデリーペンギンちょっとあほっぽいフォルムもたまらない。

うちの3歳児がまだ指しゃぶりしてるのでそろそろやめようと言い続けてたのだが

早いうちに止めさせた方がいい。自分はならなかったけどやはり出っ歯になるしあまりメンタル的にも良くないと聞く。

思い出したら追記していく

2020-07-01

anond:20200630214428

自分は30年くらい前に世界最初に出来たデジタル作家集団所属してました。その時は手描きとデジタルと両方をやっていました。

その時に藝大の院生女の子に「まだ手で描いているんですか?」と驚かれました。その時に将来は絵筆は無くなり、すべてパソコン表現すると本気で信じていたひとたちがいたわけです。

当時はまだまだハードソフトも未熟で、CGはとても難しいものでした。CG展覧会をすると、協賛企業から何百万円も協賛金を頂けた時代です。

ところがハードソフトも急激に進化をして、平面の表現だけでは物足りなくなり、当時のメンバー殆ど映画業界進出しました。ハリウッドであの恐竜映画をつくったり日本ゴジラ映画をつくったりしたわけです。

その時からCGは「動画であるとなったわけです。残ったのは平面で表現をしていた漫画家さんと仕事が全部デジタル化したイラストレータさんたちだけです。あとCG専門学校を創設したひともいました。

まりその時点で絵画CG表現は無くなったわけです。作品CGだとわかるとどうせ写真を合成したりソフト簡単に出来ると思われて評価が落ちますし、それにデータなのでいくらでも複製は可能です。やはり原画の強みには敵わなかったわけです。

その後、版画業界が「デジタルプリント」という新しい版種を発表して、デジタルの平面作品は「版画」として生き残りました。数年前から写真関係デジタル作品部門というものが出来て、そこでも僅かに生き残っています

そこで3年くらい前だったと思いますが、デジタル絵画復権させようという動きがあって、自分も声を掛けられましたが参加しませんでした。

成果は聞いていませんが、その後の動きはありません。

結局のところ、絵画業界でもわずかにデジタル表現をしているひとはいますが、それはホントハウツウ本の最初のページくらいのクオリティしかないわけです。それが一般的になっているので、初期の頃のような複雑な作品制作しても「CGなんだからCGらしくしないとダメ」と言われてしまうわけです。

デジタル進化しすぎて「絵画」という古い枠から簡単にはみ出してしまって、「絵画はいまも昔のままです。

今後も技術革新によっていろいろと変わるでしょうが、最終的には「1点しかない原画人間が手で描いている」という事が進化が進むにつれ逆に高く評価されるようになるだけです。

2020-06-27

国立新美術館の「古典×現代2020」に行ったんだけど、現代美術ってつまんねえなといまさら

菅木志雄

宣伝動画で「来る人は美術館に石ころがあると考えませんから」なんて言っているけど、感覚が半世紀くらい遅れてんじゃないのこの人。いまどき美術館に石ころがあった程度で、なんも思わんわな。それとも現代美術ファンは、美術館に石ころがあったらびっくりするの? そんなんだったら、徳川美術館で水石「夢の浮橋」見たら、腰抜かしてしまいそうだな。まして国立新美術館美術館ではなくて、美術館詐称する展示場なんだが。

川内倫子

いい写真だと思うよ。インスタで流れてきたら迷わずいいねを押すだろうね。その程度。

棚田康司

円空と並べて展示してつらくなかったのかな? 作品の持つ力の差が歴然と感じたが。まあ、本人やファンが満足ならいいけど。

鴻池朋子

皮緞帳は粗大ごみしか見えんかったというのは置いておくにしても、刀剣とのスケールの差が大きくて「組み合わせた壮大なインスタレーション」と感じ取るのは難しいな。現代美術ファンは器用だ。なお刀剣展示の照明ダメじゃね。刃文見える?

田根剛

中では唯一作品を展示していなかった。仏像展示の演出お仕事。動く照明と録音された声明だけのインスタントでチープな演出。本物の宗教儀式が、さまざまな工夫を凝らして神秘性を演出しようと努力しているのに比べれば、子供だましみたいなものだ。

しりあがり寿

おもしろパロディではある。こっちはツイッター映えか。アニメーションは途中までしか見てないから何とも言えない。

皆川明

印象うすい

横尾忠則

さすがに力のある作品で見応えがある。ただ、「針のない時計は〇〇(忘れた。時間の超越とかそんなんだった気がする)を意味します」みたいな作品解説を読んで、深いなあなんて思わなきゃならないとしたら、俺には現代美術は無理だ。

古典の方は見応えあるよ。念のため。

追記

古典×現代2020」について、古典側も含めて、もう少し詳しく書いてみる。

仙厓×菅木志雄

仙厓の作品は掛軸1つ。円相図といって単なる○が書かれている。○には悟りや真理、仏性宇宙全体などと宗教的歴史的にいろいろな含意があるようだ。添えられた賛がいい。「これくふて御茶まひれ(これ食ってお茶を召し上がれ)」。

洒脱だねえ。かっこいい。この作品初めて見たんだけど、賛を読んで、ふわっと心が軽くなるような感じがして、ああい作品を見たなあと。

それに比べて菅の作品。それっぽい思わせぶり以上の何かだとは思えないな。解説聞いたら納得や感動するの、これ?

花鳥画×川内倫子

川内写真は数が多くて辟易した。いちいちつきあってられんわというのが1番の感想。前回インスタ云々と書いたけど、でかく引き伸ばした写真とかもあり、それはそれででかい会場で展示する意味はあるのかもしれない。ただちゃん選抜してくれ。花鳥画の方は6幅なんだよ。

花鳥画の方で目を引いたのは、森蘭斎筆/梁田象水賛の牡丹図(神戸市博物館蔵)。背景に大きく描かれた太湖石は伝統的な描法。手前の牡丹西洋画の影響をうかがわせる陰影がついている。でありながらうまく調和していると思う。おもしろい。賛は読めんかった。誰か教えて。

円空×棚田康司

棚田作品には全然目が行かなかったんだよなあ。円空いいなと思ってただけだった。荒々しさというか生々しさというか、そういうのがいいよね。というわけで、棚田作については何も言えない。

いちおう言っておくと、もともと円空あんま好きじゃなかったし、今回で好きになったというわけでもない。それでも円空ばっか見てたのだ。

刀剣×鴻池朋子

mitimasu 冷たいドブをさらって原石を見つけるのが楽しくないなら向いてない/刀剣は手に取って角度を変え光の当て方を変え…という見方ができない以上、どこの展示もそんなもんだと思うけど?国立新が特にひどいのか知らんが

刀剣の展示は、1つ1つに小さなスポットライトが当たっていて、それを刃文のところに乗せるように見ると刃文が浮かび上がるようになっているのよ。そして横にスライドしながら刃文を見ていくと。刀剣博物館でも東博でもなんでも、刀剣展示ってのはそういうもの

今回の展示ではそのスポットライトがなかったはず。だから見えない。

ひょっとしたら俺が見落としていただけなのかもしれない。また、刃文の見えない展示もありだよねってことなのかもしれない。いずれにせよ、日本刀にそれほど興味ないからなんでもいいんだけど。

会場内で配られていた「アートのとびら×作品リスト」なるガイドブックに、別の機会での皮緞帳の展示の写真が載っていて、それで見るとこの作品なかなかよさげなんだよなあ。ライティングが異なる。あと中央にぶら下がって振り子のように揺れていた首がないのがいいのかな。

そのガイドブックには、「同じ部屋に展示されているのは、美術品としてケースに入れられている刀剣です。刀剣はかつては武器、または切る道具でもありました」とある。これ書いた人って、刀剣の展示を見て、自分の体が切られるようなぞくぞくする感覚を味わったことがないのか。もうちょっと古典作品としっかり向き合おうよって思う。

仏像×田根剛

前回子供だましだと書いたけど、ツイッターみると評価高いのよね。意外だ。

他の作家と違って、この人は作品制作せず、仏像の展示演出を手掛けている。演出手法は光と音で、具体的に言えば動き変化する照明と録音された声明だ。

立体物の屋内展示で照明が固定されているということに以前から不満がある。屋外ならば太陽位置で影の付き方が変わって見え方が違ってくるからね。たとえば上野国立西洋美術館に行く楽しみの1つが、今日ロダン地獄の門がどんな表情を見せてくれるのだろうかということだったりする。

から今回の田根の試みのうち、照明を変化させる、動かすという点自体評価したい。ただその変化のさせ方や動かし方については、もう少し考えがあってもよかったのかもしれないと感じた。

正面下方から照明を当てる瞬間があるけど、これはいい、というか正しい。お堂に安置された仏像は、下の方に置かれたロウソクの火に下から照らされる。だから仏師もそれで映えるように仏像を作っているはずだからしかし、仏像の周囲にいくつかのピンライトがあって、それが上下に等速度直線運動してるってのはどうなのって思った。

まあ、しかし照明の方はまだいい。音の演出の方はちょっとひどいのではないか。録音された声明スピーカーで流しているんだけど、音響についての工夫がまったくないのね。仏像向かって右手、部屋の奥の方にスピーカーがあってそこから流れているんだなってのがわかる。どこからともなく聞こえてきて展示室内を包み込むような感じに聞こえるとかそういうの全くないの。音響について完全になめてる。

さらに言うと、仏像の展示位置が低いと思う。立って見ると正対するほどの高さ。一般仏像は高い位置に据えて、仰ぎ見るもの。その下からの角度で見て映えるように造られているはず。この仏像の一番映える角度がどのあたりかは知らない。しかし今回正面から見て違和感を覚えたから、下からの方がいいと推測する。そういった点、たぶんこの人なにも考えてない。

北斎×しりあがり寿

出品しているのが大きく2種類で、うち1つがアニメーション。これは半分くらいしか見てない。なにも惹かれるところがなかった。

もう1つは、冨嶽三十六景のパロディちょっと可笑しなほぼ三十六景」で、いくつかの作品元ネタ北斎作と並べて展示していた。

北斎の冨嶽三十六景は三十六景といいつつ、追加があって全部で46図ある。一方パロディ版が全部でいくつあるのかしらないけれど、きっちり36ではないからなのか「ほぼ」とついている。三十六景といいつつ平気で10枚追加したあげく、三十六景のまますました顔をしているところの江戸っぽさ(前近代っぽさ)と、きっちりでないので気になって「ほぼ」とつけてしま現代っぽさの対比が興味深い。

それはさておき、このパロディけっこういいのだ。うまくて唸らせるし、おもしろくて笑わせる。

でもね、「和紙インクジェットプリンタ」なんだよ。実物見意味なんて全くないからね。前回「ツイッター映え」と書いたのはそういう意味も含んでいる。なんつーか、いろいろ退化してるね。

乾山×皆川明

ツイッターで見かけた感想なんだけど

伝統×現代アートという切り口から伝統的な作品の「もの」性を再発見していく展覧会だと思いました たとえば皆川明×尾形乾山の展示を見て、私は初めて乾山の器の「素材」を認識しました そうか、これは焼き物だったんだ!という新鮮な驚きがありました

ちょっとびっくりしたよね。乾山見て焼き物だとわからないような〇〇〇がありがたがってるのが現代美術ってことなのかな。

このコラボレーションは2種類に分けることができて、1つは独立ケースに乾山作が収められており、その上に大きく平たい円筒状の布(皆川作)がぶら下がっているというもの。6セットあった。これは両作を同時に視野に納めるのが難しく、あまりうまくいっていないように思えた。

もう1つは、小さな様々な端切れが継ぎ接ぎされた数メートルはあるかという布の上に、ところどころ乾山作の陶器陶片が置いてあるというもの。ごちゃごちゃしたものの上だと乾山は映えないなというのが感想だけど、皆川明、というかそのブランド「ミナ ペルホネン」は明らかに自分ターゲットではない(というかそもそも初めて聞いた)ので、これが素敵だという人がいるなら、その感想についてどうこう言うつもりはない。

乾山の作品では「色絵石垣文角皿」(京都国立博物館蔵)がお気に入りモダンな味わいがある。かわいくてすてきだ。

https://syuweb.kyohaku.go.jp/ibmuseum_public/index.php?app=shiryo&mode=detail&list_id=267439&data_id=20219

蕭白×横尾忠則

この展覧会に行った理由蕭白蕭白が4作出てたら行かざるを得ないよね。で、行ってみたら現代美術作品がつまらなくて、ひどい言い方だけど抱き合わせ商法にあったような気分になったわけ。

新出の游鯉図の眼がリアリティあって見事だった。群仙図屏風(東京藝術大学蔵)が、個人的蕭白と言えばこうのって作品で大好き。

宣伝動画のなかで横尾は、人間本質・魂の表現蕭白作品の中にこめられた重要メッセージで、現代人が見失ったものだみたいなことを言っているんだけど、これ賛同する人ってどれだけいるんだろ。まったくピンとこない。

そのほか

kei_ex 増田近代美術館のドイグ展とか行くとどう思うのか気になる(コンテンポラリーだけど、手法比較古典

行ったよ。特に第1部はすてきだなと思う絵が多かった。ただ基本的個展っていまいちよね。いろんな人の作品が見れた方が楽しいな。そのなかに数点ドイグがあったら、より魅力を感じたかもしれない。個人詩集よりアンソロジー読んだ方が楽しいし、好きな詩がより映えるよねみたいな感じ。個展だとその作家をどのように位置づければいいかもわかりづらいし。いまああいった絵を描きつつ評価されているというのは、いったいどういうことなんだろ。

yama_bousi 現代美術自分好きな人は、淺井裕介氏、高松和樹氏、蔡國強氏、ちょっと古いのではキースへリング藤城清治氏、あとドール世界とか凄いなあ、と思う。現代美術とは違うがぴろぴと氏は大好き。

おお、ありがとう積極的に見に行くことはしないだろうけど、いちおう名前は覚えとくわ。

2020-05-23

(補記あり)人形性愛者による幼児ラブドール反対運動への抵抗

幼児セックスドール生産販売・の廃止を求めます。」という署名活動change.orgで行われている。

大意として述べられていることをページから引用すると

日本の【児童買春・児童ポルノ禁止法】にて幼児セックスドール製造販売・所持を規制すること

小児性愛者に対する相談窓口の設置や加害行為を防ぐ為のカウンセリングセラピーへの取り組み

ECサイトなどに未だ販売される【幼児セックスドール児童ポルノ】の取り締まり、及び【販売禁止を徹底】

以上3つを求める署名活動だそうだ。

②に関しては私も賛成ではあるが、いかんせん①や③に関しては記事を読んだ限り感情が先行している雰囲気が否めない。

案の定Twitterでは「人形実在人間ではない。児童ポルノ禁止法は実在児童を守るための法律であり人形摘発に労力を割かれているうち実在児童を守れなくなる」「表現の自由侵害だ」などの批判が出ている。

しかに、現参議院議員である山田太郎氏が、2016年に行った警察庁へのヒアリングでは、フィギュア非実在人物を扱ったものであり児童ポルノには当たらないとなっていた(‪https://togetter.com/li/942630‬)。そのため、モデルのいないラブドールについても同じ扱いにはなるのだろう。

けれども、この騒動を見ているうちにどうにもむず痒い思いが沸き起こってきた。署名に賛成の人間も反対の人間も、「ラブドール」というものを置き去りにして議論を進めている感があまりにも強すぎるのだ。

私はラブドールオーナーである

一緒に暮らしているのは身長130cm台で、布のボディに骨格の入ったいわゆる「ぬいぐるみドール」というものだ。身長からわかる通り彼女の外見は、この署名賛同した人たちから見れば「幼児ラブドール」としか言いようがない、唾棄すべきものだろう。

から、私はこの署名活動には反対である彼女との生活を守り、またラブドールを愛好する方たちと彼らのパートナー人形たちを守るためだ。

そして、この文章を書くに至った、私の性的嗜好についても伝えておかねばならない。

私は人形しか性的興奮を覚えない人形性愛である

無機物で作られ、有機的な肉体よりも完璧に編み上げられた造形を持つ人形しか、私は愛することができない。故に、ラブドール規制は私にとってパートナー喪失であり、個人性的嗜好否定に他ならない。性的嗜好個人構成する不可欠な要素であり、直接他人に害をなすことがなければそれを妨げられるいわれはない。

から、私は声を上げねばならない。ラブドールというパートナー喪失が、ひいては「私自身」の喪失に繋がるのだから

当該署名ページには既に陳情を送ったが、もっと広くこの問題を知ってもらうためにこの文章を書いている。前置きが長くなってしまったが、もうしばらくお付き合い願いたい。

この署名において、まず私が問題と考えていることは2つある。

①「幼児ラブドール」の明確な定義がなされていないこと。

もしも定義が書かれているのであれば恐縮だが、ページの隅から隅まで探しても見つからなかった為上げさせていただく。

身長・体型など、「その人形幼児を模している」という明確な定義がなされていないことは、ラブドールだけではない全ドールオーナーにとっての脅威ではないのか。

ただ、この定義がされていないのはまあ、仕方のないことではある。

基本的ドールというのは頭と胴体が分離する仕様になっていて、同じメーカーの頭と胴体でアタッチメントが合えば好きにすげ替えることも可能だし、別メーカーの頭と胴体を組み合わせているドールオーナーだっている。購入したとき一般的な成人女性の体格であったドールの首をすげかえて、幼児体型のボディに載せ替えることもできるし、逆もまた然り。これはラブドールだけではなく、性的用途のない比較的小さなサイズドールでも同じだ。

まりドールの体型というのは不定であり、「幼児ラブドール」の明確な取り締まりというのは不可能に近い。どんなに成人の顔立ちをした頭のドールでも幼児の胴体とすげ替えてしまえば「幼児ラブドール」の出来上がりだ。

また、知り合いに性的用途に用いることのできる1/3ドール(50cm前後ドール)を持っている人がいる。このドールは胴体部分にオナホを装着できる仕様になっているものだ。(1/3ドール性的な目で見ることを忌避する人は多く、これは標準的ものではない。念の為に付記しておく)。

この1/3ドール身長約50cm新生児並みのサイズであり、身長でいえば幼児どころの騒ぎではないだろう。けれども胸部のパーツを変えることでバストサイズを成人女性のようなバランスにすることができる。「幼児身長をした成人女性の体型のラブドール」だ。元々ラブドールとして制作されたものでも、扱いやすから成人女性を100cmほどに縮めた人形だってある。前述の規制を作るとしたら、これはどのように解釈したら良いのだろうか。

また恐ろしいことにほとんどのドールの頭と胴体はすげ替え可能なのだ。もともと性的用途を考えられていないドールの頭を、この性的機能を持ったドールの胴体に装着すれば、どんなドールでもたちどころにラブドールになる。

だとしたら、性的用途でないドール高身長かつ成人体格のドールでも「幼児ラブドール」になる可能性を秘めているのではないか

これが、私の恐れている規制の形だ。

私は、パートナーである人形と一緒にいたい。だからもしも幼児ラブドール規制がなされ「身長cm未満の人形の所持を禁止」などとされれば、泣く泣く彼女の頭をすげ替えて規制対象外の高身長人形にするだろう。頭(顔)の部分に私は彼女本質を感じているし、そこが変わらなければどんなに体型が変わったとしても「彼女」であり続ける気がするからだ。

けれども、おそらくそれは許されない。なにせドールの頭はすげ替え可能なのだ。どんなドールでも「幼児ラブドール」に変わる可能性がある以上、現行の頭と胴体が脱着可能人形は全て規制せざるを得なくなるだろう。それは、絶対に許すことのできない事態だ。

また、ラブドール基本的に重量がある。シリコンのものであれば20〜40kgほどが基本で、大柄な人形だと50kg近いものもある。

「本物の人間より軽いではないか」と思う方もいるかもしれないが、本物の人間を抱き上げたときには、抱かれた人間意識的動作を助けるよう力を分散させたり動かしやすいよう関節を曲げたりする為、実際にかかる力は体重よりも軽くなる。しかドールにはそれがない上、米俵のように担ぎやすい形もしていない。凹凸だらけの重い物体を動かすには、想像以上の力が必要ものだ。40kg台ドールオーナーの中には家の天井ウインチを設置している人もいるという。

私が身長130cm台のドールを選んだ理由もここにある。小さければ軽く、移動させることも容易だ。

ただ前述のように100cmほどの小型サイズで成人女性の体型をしているラブドールもいる。小児性愛者でないのなら、持ち運びが容易というだけならそちらを選べば良いのではないか?と疑問に思う方もいるかもしれない。

けれども、私は人形性愛なのだ人形人間に近く作られているほど精巧だ。限りなく人間に近く作られていればこそ、人間にはない造形美が際立つのである。だからこそ、「実物の人間に近い」と「取り回しができる」の折衷として、130cmドールを迎えることにした。

130cmドールを選んだということはそのような外見に性的興奮を覚えるのではないか、ならお前は小児性愛なのだろうと言う方もいるかもしれないし、そこについては本題から逸れる為強く否定の弁を述べることはしない。

けれども、知っておいてほしい。幼児ラブドールを迎える人間の中にも様々な人種がいることを。

純粋幼児の外見が好きなもの自分の持ち運びできるサイズを考えた者。そして私のように「等身大」と「持ち運び」双方を考えた者。

持病のために重いものを持ち運べず人間パートナーもいない為ラブドールのお世話になろうという人間がいたときに、自分が持ち運びできるサイズ人形を選んだことで「小児性愛者」と罵られたとしたら。それは本当に正しい矛先なのだろうか。

まり、「幼児ラブドール」という曖昧もの批判するときに、それを愛好する人々を全て「小児性愛者」と一括りにして批判することに傲慢さを感じるのだ。

人形への愛のなさ

この署名活動およびそれに賛成する方の意見を見ていると、そこにひとつ無意識がみられる。「ラブドール実在人間に向くはずだった性欲をぶつける代替である」ということを無邪気に信じていることである。だから彼らは幼児ラブドールを持つものはいずれ実在児童を害すると考えている。

ここに、人形性愛者として私は反発を覚えるのだ。

私にとって人形は「人間の代わり」ではなくそ自身が一個の客体である。私は彼女と暮らす中で彼女意思を無言の中に感じ取り、それを叶えることでささやか幸せを得ている。それはエゴしかいかもしれないが、私は彼女といることで確かな幸福を感じているのだ。大切に扱った器物には魂が宿ると古来から日本では言われているが、私はたしか彼女の中に魂を見出している。それは決して代替可能ものではないはずだ。「魂」が突飛であれば「愛着」と言えばわかってもらえるかもしれない。

彼女のいない生活など想像したくもないし、また彼女がいなくなった後に人間の、成人女性を愛せと言われたところで、それは彼女ではないのだ。

ここに、全ての人間性的嗜好対象人間であるという傲慢さを感じてしまう。

また、この署名への賛成派も反対派も、この「愛着」について全く無頓着であるところに、前述のむず痒さの本質がある。実際のラブドール愛好家を置き去りにして議論が進んでいる感が拭えないのだ。感情法律を左右することなどあってはならないが、それにしたって「賛成」と「反対」の二元論になりすぎていやしないか

以上が、私が幼児ラブドール規制に対して感じた違和感についてである

もっと述べたいこともあるが、話がまとまら蛇足になってしまうことも多いので割愛させていただく。

大前提であるが、私は現実児童への虐待絶対にあってはならないことだと考えている。

私自身はラブドール彼女とひっそり暮らし一緒に朽ちていくつもりであるしかし甥っ子や姪っ子たちが性的被害にあったら絶対犯人を許さないし、場合によっては刑務所に入る覚悟制裁を加えるつもりだ。

人形人間は別である、という冒頭で出た意見に集約されてしまうのだろうが、人形人間とは全く別のものとして愛している人間だっているということを知って欲しかったのだ。

そして最後に、こちらの署名では小児性愛者に対する相談窓口の設置や加害行為を防ぐ為のカウンセリングセラピーへの取り組みを求めるということだが、これについては小児性愛に悩んでおり、ラブドールでも発散することができないという当事者のためにも行うべきだと思う。

また、この文章を読んで人形性愛者という存在を知った方は、是非人性愛者に対するカウンセリングセラピーを行ってくれるような施設を紹介してほしい。

人形生活している人形性愛者にとって、この署名を知ったことは本当に苦しみを覚えたのだから

5月24日付記】
匿名のいち個人意見などほとんど読まれず埋もれていくと思っていたので、想像以上に多くの方に読んでもらって驚いている。
頂いたコメントはどれも肯定否定に関わらず自分でも気づかなかった視点を見せてくれて、本当にこの文章を書いて良かったと思う。ありがとうございます
私は彼女と添い遂げていくつもりだが、ラブドール寿命人間より遥かに短い。シリコンやTPE製のドールは動きに連れて肌が裂けていくし、空気人形は破けて空気漏れるようになる。そして彼女のようなぬいぐるみドールは綿がへたり痩せていく。内部骨格が折れることだって考えられる。
から多分彼女をお迎えしたメーカーに適宜修理やパーツの交換をお願いしながら長らえていく形になるだろう。自然新陳代謝のないドール人間より老いていくのが速いのだ。規制はされないまでもメーカーが萎縮して倒産廃業することになれば、修理を受けられなくなったドール達はどんどん壊れていく。
私を含む愛好家にとってドールパートナーであり家族である。だからメーカーサポートが受けられなくなったら自力で修理技術を身につけようとする人もいるだろう。私もそうするつもりだが、おそらく個人では限界がある。
からこそ、前述の通り体型・性的機能の有無が不定ドールにおいて「幼児ラブドール」という曖昧規制をすることによってパートナーを奪われたり、メーカー自粛したりすることをどうしても止めたいのだ。
また、「小児性愛者へのカウンセリングセラピー」についてであるが、自分小児性愛であることを悩み苦しんでいる人が心理専門家客観的、かつ守秘義務保証された上で話を聞いてもらえて楽になれる場所を作るのはもちろん賛成だ。
小児性愛者だとしても、実際の児童加害行為を行なっていない以上権利は守られるべきだと思うし、児童への加害行為を行う前に適切な精神セーフティネットが用意されて然るべきだと考えている。言葉が足りなかったと思った為補記する。
高校生くらいかぼんやりと考えていた将来設計がある。
人間結婚はしないまでもきちんとした職について両親を安心させ、彼らを見送ったら自分理想等身大人形を作ろう。そして後始末をすることになるだろう親戚家族自分葬式代と迷惑料になるくらいの貯金をしながら人形と一緒にひっそりと余生を過ごしていこうと。
ラブドールというものが今ほど一般的ではなく、存在殆ど知らなかった子供の頃の夢想だった。
今ではラブドールメーカーも多岐にわたり価格もある程度は下がった。私にとってドール性的機能は必ずしも重要なことではない。けれど、等身大人形といえばマネキンか、人形作家が手ずから作る美術品という意識だった子供時代から比べれば、ECサイトショールーム等身大人形をお迎えできるというのは圧倒的な革新だった。また、反対運動が起こってはいるがラブドール展覧会も開かれるくらいには認知度も上がった。いい時代だと思う。
この時代を、私は守っていきたい。

5月27日再付記】

書いた人の個人的な話。長いので別記事にて

https://anond.hatelabo.jp/20200527165713

2020-05-13

エロゲ衰退

エロゲ市場としては04年か05年がピー

個人的には00年あたりである意味文化というか文法確立して同時に個人HP掲示板などブログなどでネット拡散力が上がっていく

06年以降は徐々に話題性が少なって10年にはもう

その後はスマホやらアプリゲームとか出てきて同人エロゲ市場が活発になるとかはさておき

00年代衰退のきっかけはエロゲフォーマット進化しなかったとか無駄重厚長大になったり割れだったりと言われるが

まあそれもわかるが個人的には致命的ではないと思う

00年あたりからオタ向けの深夜アニメが活発になりはじめる

これも原因の一つだと思う

当時アニメとしては朝夕ではできない独自進化したマイナー漫画ラノベなど新鮮味あるアニメ

異文化展覧会でまだ見ぬ未開のフロンティアが多かった

オリジナルネタを溜めてた中堅若手アニメ業界の才もいた

ここらでネット動画サイトなどできたのがこの時代はまだややマイナーだった

どんどん数作られクオリティがあがり話題性ある深夜アニメ増えてきた

もう一つは05年つべが06年ニコニコができて深夜アニメもよく見られて完全にミーハー層はこっちのほうが手軽に騒げるし無料だし

このコンボが致命傷だと個人的には思いました

まあ動画サイトに上がっていたアニメ割れと言われるとそうだけど

動画無料だし共有できるし深夜アニメエロゲより多種多様ジャンルだし

エロゲは数時間ぐらいやってやっと1ルート終わるのと比べると

即時の視聴できる体験力や拡散力が違いすぎた

おまけでこの時代エロゲアニメも糞みてえな低予算アニメ多く印象悪くしたような気もする

一部鍵葉月とかの良クオリティアニメもあったが

おまけに05年あたりからまとめブログとかも異様に増えてく

この時期はネットにとにかくコンテンツがどんどん増えてきた

結論としてはネットアニメ含む無料コンテンツが増えてきたせいで勢い失ったという話

2020-05-07

美術館再開しなくていいよ

美術館再開するより県内医療インフラに金回してほしい。

近所にある公立美術館なんて普段からろくに人こないから三密にならない暇つぶしスポットではあるけど、

利権絡みのつまんない展覧会ばっかりやって、税金無駄にしてるだけだから

作品保全の維持費は仕方ないにしても、

一年休館にして、今年の事業費を医療に回してほしい。

コロナのおかげで、うちの県の医療体制脆弱だってよくわかった。

必要文化施設箱物乱開発時代遺物施設事業仕分けした方がいい。

今年はコロナ対策を優先して欲しい。

もし感染しても、うちの県だと治療してもらえないなんてことになったら困る。

2020-02-02

初めて東京に行った

通過すらしたことなかった東京にはじめて行った。なんとなくその時の感情を記録しておきたい気分になったので書く。都内で働いてるというだけで急にポエミーな事を書き始める浅はかな連中(暴言)(ごめんなさい)を少し見下してたのに、いざ自分が行ったらこれなんだから悲しいなぁ。

(そもそも人口が多いんだからポエマー人口が多いのも当然である)

経緯

田舎出身地方大学に進学した。大学から都内までは電車で2時間くらい。ライブ展覧会といったイベントに行く習慣がなかったので、普段東京に行く理由特に無かった。

夏、宿泊費と交通費が全部出る都内インターンが決まった。タダで1週間近く観光できる!! このインターン評価無関係らしいので尚都合が良い。伸び伸びと好き勝手観光させてもらうことにした。インターンとは……?

0日目

面接があるタイプインターンだったので、実際は決定前に一度行く必要があった。交通費で得する為に高速バス新宿に向かう。就活の話を聞く際、バスタバスタ言ってる先輩を見て「イキってんな。普通にバスターミナルでいいでしょ」とか思ってたけど、ホントバスタという文字デカく掲げられていたのですこし申し訳ない気分になった。外に出ると明らかに都会だった。時間的な問題か、塵でちょっとビルが霞んでる感じも都会っぽい。高層ビルを見上げてキョロキョロするなんて明らかに田舎者で恥ずかしいな、と思いかけたが事実正真正銘田舎者なので、無駄抵抗はやめて思う存分キョロキョロしていくことにした。

にゅうぉまん?めん?柔麺って何の施設なんだ?そもそも何語なんだ?都庁を初めて見た感想が「銀と金1巻ビルなのはちょっと面白いな。マック狭すぎるのに中高生以外も多くて草。高架下めっちゃ臭いやんけ!ここ1階なのか?知らないうちにデパート歩いてるウケるな。地面はどこなんだ??

ウキウキである

地下鉄に一人で乗るのも初めてだった。「スマホがあれば余裕やろ」の精神スマホ確認しつつ進んでたら一瞬で迷った。ビルの間でGPS死ぬのは知っていたが、都会的なビーコンか何かで解決されていると思っていた。改札の場所全然からない。諦めて案内に従って歩くロボットになったら数分でホームに着いた。自分がどこに居るのか全然からないのに目的地に着いたのはなんだか悔しかった。あとから調べたら大江戸線というのは数ある路線の中でもだいぶ地下にあるらしい。なら仕方ないか。なにが? 電車内は予想より空いていた。アナウンスで知ってる地名が流れまくるのでテレビ東京特集ってやべえんだなぁと思った。中央区一角に出て少し歩くと明らかに人が減って地面が綺麗になって、お昼のビジネス街ってこういうことなのかぁ、とかいうよく分からない感想を抱いた。

面接受けてゆるゆり展に寄ってバスに乗って帰宅した。

滞在

インターン開始前の時間を使って、都会の就活イベントとやらに行ってみようとウキウキで前泊。再び新宿駅の周辺で迷い、ようやく自分の勘でのゴリ押しを諦める。どうにか線路を乗り越えて就活イベントに到着。会場内でセミナーをやっていた就活コンサル?の人に「○○から来たんですけど地方だとこういう場が少なくて…何か出来ることありますかね」と聞いたら、あからさまに答えに困ってて(あのさぁ……)と心のなかで唱えてしまった。講師の人に罪はない。むしろ優しい、ありがたい。罪があるのは地方軽視の日本の政治が~~とかではなく半分冷やかしで聞いた自分のせいでしかない。夜は新宿から出て、ちょっと良いカプセルホテルに泊まった。ホテルの中は前回新宿に行った時に感じたニオイが凝縮されていて少しテンションが下がった。人が集まると発生するニオイなんだろうか。

実のところ、滞在中に新しく感じたことはあまりない。あのニオイがしない場所もあるんだな、銀座ってパーカー1枚で徘徊しても怒られないんだな、築地市場ってホント消滅したんだな、汐留はカネの塊みたいな場所だな、中銀カプセルタワー思ってたより廃墟じゃないな、上野には木があるんだな、インターン自分以外首都圏民だからってライブの話ばっかし過ぎだろ、秋葉原意外とスッキリしてるけど歩いてる人の服装には共感できるな、とか、まあそんなことを思いながらグループワークに耐えていた。と同時に、こういう銀座やら市ヶ谷やら六本木やら、ただの地名や駅名をさも世界共通認識であるかのように使う人達を毛嫌いしていたことを思い出してなんとも言えない気分になった。たぶん次の自分は、上京したばかりで地名連呼する人を見下し始めるんだろう。悲しみの連鎖だった。

帰宅

最終日、会社を出る前にシュウマイ弁当を貰ったが、直前にもご飯を食べていてお腹に余裕がなく、駅までシュウマイ弁当をぶら下げて帰ることになった。荷物も来た時点でパンパンだったので余裕はゼロで、駅前ホームレスの人にお弁当渡せば一石二鳥か、でもそれじゃ人をゴミ箱扱いしてるみたいな気もするし、なにが一番いいんだろうなどと考えているうちにバスが来た。自分偽善者ぶりに内心ニヤニヤしながらバスの中でシュウマイ弁当を食べた。美味しかった。

感想

思えば地方から上京する人なんてごまんといるし、ましてや普段からまれてる大学生ごとき自分感想もその域を出ないんだなと改めて感じた。あえて書くなら住んでる人そのもの東京でも変わらないとか、建物は大きくて意外と古くて地味に歴史があるとか、人が多いので適当な格好しててもあまり浮かないとか、そんなもの自分都内で働いてみたいと思うのも、一応いっかい中心地での生活経験しておきたい、程度のしょうもない動機。その動機自体はなんだかんだ皆実際のところはそんなもんでしょという謎の確信があるが、特に自分場合はクビになっても山小屋なり工場なりに籠って働けばいいやん、としか考えてない甘い思考人間なので、もう少しきちんと考えたほうがいいかもしれない。これが自己分析ってやつなのだろうか、よくわからない。来年、無事就職して、呑気に『初めて東京に住んだ』みたいな日記を書けてればいいけど、こうやってこの時期にダラダラ駄文自分語りを書き散らしてる時点で厳しいのかもしれない。悲しいなあ。

2020-01-16

anond:20200116085349

元増田です。

大阪郊外でも酒とパチンコなのは意外でした。私も地方に住んだとはいえ社会人やってた訳では無いので、想像が及んでいませんでした。

東京には蓄積された文化資本があるというのはその通りだと思います。そして文化資本がある所で育った人間関係はやはりそれなりの良さがあります。私は音楽にも劇にも展覧会にもオタクイベントにもほぼ全く興味が無いので、そういう面では東京に住む必要がないと判断したのですが、文化施設を使わなくても、その存在を前提として育った人間関係が欲しくなってしまうとどうしようもないだろうとは推察してます。私も住んでみたらとんぼ返りするかもしれないですね。

東京楽しい生活が待っていますように。

anond:20200116084637

同じく転勤族の子で、今は大阪郊外に住んでる27歳です。仕事日本各地を行ったり来たりするので、漠然会社はあの辺りかなと考えながらこれを書いています

地方は本当に時間ゆっくり流れてますが、東京に慣れた人にはあまりにも退屈すぎます。車内の話題パチンコと酒ばかりで本当に暮らしにくく、同じく都内出身都内国立の同期は2年で都庁転職しました。

ぼくは早く家を出たくてこっちの会社就職を決めましたが、正直大阪ギリギリです。東京には積み上げられた様々な文化資産が身近にあって、住んでいるうちはその凄さ気づきません。音楽ライブ展覧会京阪神で一ヶ所だし、梅田なんば以外はどこも同じ。東京のように各地に特色のある街がある都市は本当に素晴らしいですよ。

大阪に耐えきれず、春から私は東京に戻ることになりました。そんな人もいます

2020-01-11

anond:20200111134818

スポーツ展覧会とかは東京の方が開催されてると思うけど、お金無ければそのメリット受けれないもんね。

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