はてなキーワード: 展覧会とは
先週末、印刷博物館で行われている「デザイナー誕生:1950年代日本のグラフィック」という展覧会を見に行った。
http://www.printing-museum.org/exhibition/temporary/080419/index.html
http://journal.mycom.co.jp/news/2008/04/18/034/index.html
1950年代のポスター、広告、レコードジャケット、雑誌、書籍などが展示されているのだが、自分はデザイン系の職業ではないので、こういう物をまとめて見るのは新鮮だった。選ばれたものだけを展示しているのでクオリティの高いものが多いのは当前なのだが、なんというかデザインにガチャガチャしたところが無く、単にレトロな名作という以上に考えさせられる物が多々あった。ポスターの発色や写真を使ったデザインでは昔のフィルム独特の質感なども印象に残った。
そして今日見かけた、
モテナイ女性のための雑誌「mojo」が凄い! - Hagex-day.info
http://d.hatena.ne.jp/hagex/20080603#p2
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/hagex/20080603%23p2
エディトリアルデザインって難しいな&けっきょくカネ出してツールとフォント買わないと土俵にすらあがれないのな。という感想。
展覧会では「この頃はもちろんDTPなんかなくて全部手でやってるんだよなあ」という印象が強く残っっていたので、ちょうどこのタイミングで見たこのコメントは面白いなあと思った。ある意味DTPというのは写植機や大量の画材などが必要ないというチープ革命という面が大きいと思うのだが、個人のデザイナーにとってはフォントなどをそろえるのは結構負担になるのかな。もちろん昔のデザイナーとは求められる作業なども違ったりするんでしょうが。
鑑賞中の人の前に割り込んで立ちはだかったりしなければ、座っても壁に寄りかかってもいいんじゃないすかね。
例えば私の恩師は展覧会では「会場をざっと一周して、自分がこれだと思った作品をじっくりと見る」と言っていました。
女性の表情でも、月の描き方でも、あなたの見たい位置からあなたの見たいところを好きなだけ見ればいいんです。きっと。
作者の伝えたいことは明確にあるだろうけれど、それと「実際に作品をみてあなたが何をどう感じたか」はまた別の話。
で、気になったところは後から関連文献に当たるなどして改めて考えてみたり、その上でまた再度鑑賞してみたり。
個々人の問題としてはそうかもしれないけど、必修を外したら入試科目から外れて履修者が減り、教師も減ってしまって勉強する機会が減る、という問題が現に理科や社会の一部科目では起こってしまってるわけですよ。だから政策判断は難しい。
その例えはおかしいだろう。こっちは好きな人だけやればいいだけで必修科目自体不要という風に言ってるだけで古典とか行列とか教えるのを禁止しろといってるわけじゃないよ。
教育は全部が自主性に任せて済むってのは理想論じゃないだろうか。強制という形だけがベストとは言わないが、何らかの形で少しぐらい触れておかないと、分野自体の存在すら知らずに終わってしまうことが多いんじゃないだろうか。
授業削減してできたあまりは各自が好きに使えばいいんだから勉強したい人はそうすればいいだけなんだよ。
いや、そこで何を勉強したらいいかという問題がある。我々が過去の天才科学者よりも多くのものを知っているということからわかるように、情報があるかないかということは学習効率に致命的な差を与える。
たとえば、数学が好きで高校の教科書を独学で終わらせてしまった人がいたとする。この先にどういう世界が拡がっているか彼はは知らない。そこで、気の利いた誰かが昔の教科書だとか大学レベルの参考書なんかを渡せば従来高校で教えていた内容をさらに彼は独学でカバーできるかもしれない。でも、受験参考書を渡せば受験勉強ばかりにかまけるか、あるいは受験勉強に飽きて遊び出すかどちらかじゃないだろうか。そして一番アリガチなのは、受験参考書すら渡してくれる人がいないという状況だろう。「数学はもう合格ラインに到達してるから次は英語をやれ」とか言われて。
立場が入れ替わりたくない人だけが入れ替わられないぐらいにがんばればいい。
イチローがいた頃のオリックス見てもらえればわかると思うけど、イチローが毎年のように好成績を挙げてもオリックスは毎年Bクラスだったんだよね。経済だってそれと同じだよ。ずっと前から優秀な中国人やインド人は掃いて捨てるほどいるのに、経済が発展しはじめたのは最近になってから。
日本のアニメや漫画とかもっと昔の浮世絵とかだって国策で宣伝やって外国での評判がよくなったわけじゃないし、むしろ意図的にやったらプロパガンダっぽくてかえって逆効果の気もする。
いや、フランスの文化政策はすごいし、実際フランス文化は世界中の人の憧れになってるじゃない?意図的にやるといっても、例えば国内の優秀な人に奨学金を出すとか、海外での展覧会やイベントに資金援助するとか、そういうやり方だってあるんだし。
増田のやってることは間違いじゃないし、希望を持って仕事してる人はどっかで誰かの目にとまる。「変わらない」と思って変わらない仕事をしてる人にはこない話が「変わる」と思って次々新しい仕事をしようとしてる人にやって来る、ってことは普通にある。増田は信念持って頑張れば良い。今の職場があんまりだと思うなら、いずれ力をつけて独立するとかしたらいいと思う。
ただ、やっぱり体は資本なので、健康でないと増田の希望は実現できないかもしれない。それはあんまりなので、増田は体を壊さないように気をつけて欲しいと思う。あと、色々な畑違いのものを吸収する余裕(美術館とか展覧会行ったり、絵描いたり音楽聞いたりするような時間)も確保して、いいデザイナーになってほしい。うちの仕事してくれてるデザイナーさんが、実は増田だったりすると嬉しいと思う。個人的に。
anond:20070412134614デジカメ一眼レフニコンD40x
(D40とD80の中間機らしい)
を購入しようかと考える。キャノンkissとかD50もあるし、ペンタックスとかいろいろ迷った。
それまでは、携帯で写真撮ったり、大昔買った200万画素のコンデジを使って風景や静物などを撮影していた。それが、私の撮った写真が縁でプロの方と
とにかく資産はないし素人だが、展覧会出品を目標に、先輩の写真家のプロの方からの勧めで一眼レフの購入を決意。貯金に励む。
できれば、お金ないので、少々無理しても飽きずに長い付き合いができそうなカメラが良い。ニコンD40Xがそういう機種なら良いのだけど。
マウント選びとかレンズ選びとか、一眼レフ初心者なのでなんとなくしか良く分からないけど、マウントって本体のレンズ接合部分ですよね。メーカーによってレンズ合わないとかあるから、マウント重要って分かる。しかし、D40xはAFできるレンズが一部しかないらしい。それ以外はMFになる。難点だけど、
まあ、最初からそんなにレンズ買うお金ないし、標準でAFできるレンズから始めよう。
そのくらしかまだわからん素人だ。
撮影目的は主にアウトドアに風景写真。でも、他にも多用途につかいたい。
当面の予算は7万円前後。それでもまだ足りないかもしれない。
アリストテレスが固定した自然界の万物を構成する4つの基本要素、「地、水、火、風」の4大エレメントの思想は、やがて錬金術を生み出した。
地が暖まると火となり、地が湿ると水となる。寒く乾いたものが地。暖かさと湿り気を兼ね備えたものが風。
全ての物質はこの4大エレメントから構成されて、その比率を人為的に変更することで、卑金属を貴金属に変えようというのが錬金術の基本思想。
物質世界は正方形をしていて、その4つの頂点にはそれぞれのエレメントが立っている。
正方形世界で重要な物質は、すべて「エッジ」に集まっている。3つ以上のエレメントが混じってしまったり、対立しないエレメントが混じった夾雑物は、全部「面」の上。
世界のほとんどは夾雑物からできていて、錬金術師はそこから純粋な物質だけを取り出して「エッジ」を目指し、そこから「頂点」にいたる道筋を追い求める。
幻想文学というのは、錬金術師が書いた文学、あるいは純粋な物質だけで作った物語だ。
幻想文学世界観の中では、世界を構成する基本要素は「鉱物、人形、屍体、少女」。
少女と少年とは交換可能なもの。この世界では、「大人」は夾雑物として取り除かれるか、あるいは矮小な「畸形」としてのみ存在を許される。
奈須きのこの新作「DDD」は、幻想文学の世界観を正しく受け継いだ物語。
狂言回しは畸形。主人公は少年と人形のハイブリッド。他にも鉱物の属性を持った公安官とか、人形の属性を持った敵役とか。
通常世界での「大人」は、物語世界では存在意義を持たないか、あるいは意義を持った存在に処理されるためだけに存在を許される。過剰な装飾とグロテスクさに満ちた病院や、主人公の住む部屋の描写。とても正しい幻想文学世界。
純粋な物質だけでできた登場人物が、その能力の全てを挙げて混沌に打ち込む、賛成と反対とを同時に望み、重力によって下降すると同時に飛翔したいと望んで叫び続けるようなバロック的な精神の世界が、幻想物語を駆動する原動力になる。
あれだけきれいな世界観で物語をはじめてくれたんだから、やっぱり全ての登場人物にはどこか狂っていてほしいな、というのが読者としての願い。物語の筋なんてどうでもいいから、もっと狂ってほしい。美しい被造物には、理性なんて似つかわしくない。
以前見にいった「恋月姫人形」の展覧会には、純化するのに失敗した生き物多数。
ああいう人形趣味というのは、生活に疲れた50代後半の男性、「屍体属性を持った畸形」のためのもの。
魂吸われそうなぐらいにきれいなビスクドールと、すでに吸われてしまったのか、何時間も人形みたいに固まってしまった観客の人、何人か。この世界に存在を許されるのは、ここまで。
なんだか黒くてギラギラした服を着て、横方向にやたらと成長が進んだ、煮豚に韓国ノリを巻きつけたようなその生き物の群れは、4つのエレメントの混和をどう失敗したらこんなになるんだか。あれでみんなの目が虚ろだったりしたら、モンスターとしての存在意義もありそうなんだけれど。