はてなキーワード: 展覧会とは
先に、海外ではどういった状況なのかといったことはあまり存じないことを謝っておく。
演奏会情報を見ると軒並み18C中期から19C初期の曲目ばかりが並んでいる。
同じ曲目ばかり演奏し続け、「この曲いいだろ?良い曲だから何度でも聴きたいよな?」とドヤ顔で言い張っているが、クラシック人口が減り続けているという事実は大きい。
オリンピックにおけるレスリングは、今まで鼻高々に自分の地位を主張していたが、変革を迫られている。
業界内だけで自己満足しているだけでは、オリンピックの様な大衆的な場所にはいられない、ということだ。
クラシック業界も、新しいかたちを取り入れていかなければ大衆に受け入れられ、生き残っていくことは出来ない。
絵画の世界では、大家の作品の展覧会と並んで新鋭作家の展覧会がおこなわれている。現代美術の美術館も多く存在する。
映画の世界では、先に目に入るのは最近の作品ばかりである。古典の作品は名画座など手軽に鑑賞できる施設がある。
著作権の問題も大きいのかも知れない。
最近では、2004年に著作権が切れたラフマニノフなどは、ここ数年で一気に人気を増した。
奥村靫正の展覧会見忘れた。あほや。せっかくYMOのアートワークが展示してあったのに。ショック!
カリフォルニアデザイン展も終わってしまったし、大事なことが脳から砂のようにさらさら流れていく。そしてもう地獄の締切が迫っている。
私はよく人の話を聞けと言われる。聴けないから同じことを何回も失敗する。大事な情報を咀嚼することができない。だからこうやって取りこぼしていく。
こんなんでよく生きていけたなー自分。でももうそろそろダメかもしれない。
どれだけダメかっていったら、小学校から友達居なくて、勉強とか少しできてたから自分は周りより優れてるなんて馬鹿な思い込みなんかして、現実世界に居場所がないからネットに逃げちゃって、でもネットですら居場所がなくて、現実で他人と手を取り合いながら着実に頑張ってる他人と、ネットに逃げてばっかで現実を見れてない自分との差を今更感じつつ、こうして周りとどんどん距離なんか取られちゃって。自分何してたんだろうね。自分で見下してると思ってたら他人に見下されてるんだよね。笑いたきゃ笑え。
他人と一緒にいるとその人が明らかに楽しくなさそうな顔するの。いつの時もそう。だから居場所がないんだ。ごめんなさいねほんと
自分を大切にしろっていうけど無理。かすみたいな自分みたいなのどうやって大切にしろっての。
なんかもーつれーよー自分くずすぎわろた
お前のソースの何が「女は楽」で「女が男を好きになった場合、男は女に好意を寄せていることが多い」ということを証明していると言えるっちゅーんだよ。
単にお前が振られたかなしいおもひで展覧会になってるだけじゃねえか。
要するにお前を振った女がほかに彼氏をやすやす作ったから「女は楽」だと思ってるだけだ。
「ソースは俺」が通用するんだったら俺だって一目惚れ相手を必死こいて落とした女の三・四人くらい挙げられるわ。
はっきり言って全然「女は楽」って感じじゃなかったね。惚れさせる努力なんて加減間違えたら裏目に出るしな。
お前そういう努力とかしたの? ナンパして連絡先手に入れたのにダメとか女が楽とかじゃなくてお前がマジで相当アレなだけじゃないの?
子供の自殺と、親の抗議について
ここのところ、子供の自殺が相次いでいますが、何れの場合も原因は学校だけが悪いかのような報道となっています。が、原因は本当に学校だけでしょうか。
子供の最大の味方は親だと思います。子供が危機に直面している時に味方になってやれなかった、やらなかった親の責任は学校よりも大きいと思います。
そう思うと、自殺した子供の親が被害者ヅラをして学校に原因究明など抗議している姿を報道などで見ると、自分の責任を他人に転嫁している、責任のなすりつけをしているように見えてしょうがありません。
これでは死んだ子供も浮かばれないと思うのですが、皆さんはどう思われますか?
* はてなブックマーク - 誠 Biz.ID:「新・ぶら下がり社員」症候群:辞めません、でも頑張りません――「新・ぶら下がり社員」現る (1/2)
だから付け加えとかなきゃなんなかったんだって。「そのくせ文句だけはいっちょまえ」
って。
* Twitterに有名人の来店情報を店員が投稿 ウェスティンホテルが謝罪 - ITmedia News
いや、単純に一般人のマスゴミ化ってだけの話でしょ?日頃さんざん批判してる根性が自分らの側にもあったと。そんだけのことじゃん。れでネット住民様が相手のこと暴き返してんだから同じことなんすよね。
* 「何が必要か、事前に施設に問い合わせを」 “タイガーマスク運動”受け、児童養護施設協議会が「お礼とお願い」 - ITmedia News
あ、偽善者たちが一気にシラけたようです。なぜなら客と店員の関係が逆転したから。しかしあれだね。
言い難いことをよく言った、すごい。これで少しは押し付けがましい偽善者(含むスレとか立てるバカ)が手を引くといいなぁと思います。あとほんとに「何が必要か?」と問い合わせを受けた児童福祉施設の職員さんは、身代金まがいの要求をしてやればいいと思います。
「ネットブックを2台贈ろうと思うのですが」
いちいち傷ついてのたうちまわるナイーヴさんたち
あぁそうか、お前が大切にしてるプライベートってあれか。「うすらぼんやりインターネッチョ見てる」
それのことか。
ものの価値が安定してないオタク業界のほうがこえぇっすよ。
つまり、かような少女が実在していたとするならば、懸念される不健全性は存在したということになり、規制を推進している側の読み大当たりってこと。一見に「都が、オトナが自殺に追い込んだ」ような演出だけど、根幹に「自殺の肯定」という意識があるわけです。かつ猪瀬直樹おじさんの「マンガの関係が好きな人は人生行き止まり説」も実証しちゃうという。
* はてなブックマーク - asahi.com(朝日新聞社):「保護者の苦情で不眠症」教諭提訴 保護者「娘に差別」 - 社会
「●●は文化だ」ってほんっと思考停止キーワードだよなぁ、不倫とか。
ほら、「アニメは世界に誇る日本の文化だ」とか喚いてるバカもいっぱいいんじゃん。基本的に「価値を否定されそうになると出てくる断末魔」と考えたほうがいいかもしれない、「文化」ってのは。
で、都条例改正での「アニメは世界に誇る日本の文化」と、阿久根の壁画の「パロディ、パクリは文化」、報道陣に取り囲まれた石田純一は「不倫は文化だ」と。
やはり無力を痛感した人間が嘔吐しちゃうのが「文化」という単語のようだ。なんつぅか「権威権力は文化を理解できていない、俺にはよく判ってる」的なみかん箱の上からの抵抗。
* wikipedia:文化
ただそもそも定義を統一することが困難な概念で、ヒトの歴史の割には意味が曖昧な言葉でもある。よって先に言ったもん勝ちみたいな。ところが「文化が」と言い出したらだいたい負けるパターン。上がったみかん箱ごと片付けられちゃうという。
* はてなブックマーク - 自分のふがいなさに腹立て新幹線で全裸 (スポーツ報知) - Yahoo!ニュース
なんとなく「やっちまった」気持ちは解らなくはないんだけど、公共の場所で「鬱憤晴らし」はやめようね・・・。(;・∀・)
それ、はてなブックマークとか使ってる人は言えた義理じゃないんじゃないかな?すごいな、自分がやってることには自覚が無いのか…。
* アルコール依存症「否認語録」
なんかここまで来ると「萌えキャラ描けば話題になる」感が否めなくなる
今頃気づいた?「話題になる」というか「話題にさせられている」んだと思うけど。広告の制作サイドはそこまで見越してるわけですよ。そっちの筋の人らって異常なほど単純だからいちいち「始まったおほっ!おほこれ始まったおっほ!おっほ!」とかなってくれるじゃん。ほんっとバカかと思うくらい単純じゃん。そっちの筋向けのマーケティングって鼻くそほじりながらでも出来るんだろうなぁって。例の神戸新聞のアレもひどかったじゃん?ただの広告なのに本気で「いけてない理由」をブックマークコメントとかで挙げてたバカがいっぱいいたし。キミらの昆虫並みに悲哀に満ちた習性ってほんっとに利用しやすいんですな。
自分の問題と他人の問題が切り分けられなくなってきたら要注意だよなぁと思う。
でもやっぱアレなんですな。世の中にはちゃんと「克服したい」と思っている人がいるわけですな。そういう人がいる一方で「誰にも迷惑かけてない」とかチンポ勃てながら喚いてるバカがいるかと思うと。
レイデン博士によると、コカインは体外に排出できるが、ポルノ画像は永遠に記憶に残るので、ポルノ依存症はコカイン依存症よりも回復が難しいという。
すごい理屈だ。
* 国民生活センター、“ペニーオークション”のトラブル急増で注意喚起 | RBB TODAY (ブロードバンド、セキュリティのニュース)
これに対して国民生活センターでは、消費者へのアドバイスとして「参加するなら、冷静な判断力を失わないこと」「一度“通貨”を購入すると返金されない」「不審なサイトは利用しない」といった注意を呼びかけている。
あー…呼びかけを足した方がいいんじゃない?「ブログやブックマークコメントで喚いても無駄」
って。そうしないと「喚いてなんかやり遂げた気分に浸るバカが一向に減らない」という問題が何時まで経っても片付かない。もうほんっと勘違いした自警団気取りがどんどん増えてんじゃん。直接何かができるわけでもねぇのに喚くのだけはいっちょまえな。
* 1位 世の中は自分に対して母親のように接してくれるものだと思っていた。
* 2位 すぐ「俺は異端だから」とか言っていた。
* 3位 自分と他人の境界がわからなかった。
* 4位 生産性がほぼゼロに近いことに気づいた。
* 5位 根拠はないけど自信はあった。
* 6位 くさかった。
* 7位 ネットは自分の居場所だと思っていた。
* 9位 すぐ「文化」とか言っていた、よく知らないのに。
* 10位 間違っているのは世の中のほうだと思っていた。
まだいっぱいあるけど?
いやほんと、漫画の話で盛り上がってるだけなら、誰もキミらになんか言おうとも思わんだろうね。それ以外の部分に全く自覚がないという辺りに、なんか気づいてみて欲しいものです。
しっかしほんと。ネットに書いてあることにいちいち傷つく人って大変だよなぁと。
あー
お怒りごもっとも。
でもtwitterでゴネてるだけじゃ何も変わらないのでやはりどっちもどっち。
* はてなブックマーク - Togetter - 「町山さんとサウジと〇〇」
そう?おれはどっちかにならねばならない的な思考の方が恐ろしいなと思った。あとなにより
当事者を交えずしてよく「結論を出そう」という気になるなというのが。何の思い上がりだろう。とまたゲイが「極論の人質」になってた。
つーかさ?
その筋に分かりやすく言うと、ネットの議論というのはしばしば「マリオカート化」するよなぁ。
あれほら、対戦相手をスリップさせたりするアイテムが使えるじゃん?ところが社会的に通用するレース、まぁF1でも競馬でもなんでもいいけど、そういうのにはそんなアイテム絶対出てこないわけじゃん。そのうち走るのが速いとかじゃなくてアイテムを使うのがすごくうまい人みたいなのが出てくる。それがネット議論巧者だったりするわけですよね。
議論とは相手を説得することより、見ている人に共感を生むほうが大事。
とか言っちゃうわけじゃん?そりゃもう「コイン全部集めるのに躍起になる人」ですよ、レースそっちのけだという。
彼らがYoutubeからFacebookまで幅広くネットのサービスを禁止・抑制しているのは、まさにこういったネットワークにそういう力が備わっていることを理解しているからです。
アラブの政変で負けようとしているのは誰なのか? - Chikirinの日記
「そういう力」ってのが「どさくさ紛れの暴動」のことだったらそりゃネットのサービスを禁止・抑制する意味もあるよなぁ。あと彼らがそうやって「ネット上で議論しても何にもならない」のを実証してくれたということでもありますな。
はてなブックマークがTwitterと連携できるようになってからこっち、歪な自己愛に満ちたコメントがかなり増えてて非常に興味深いです。
華麗なる最先端野郎。
shields-pikes 仕事 万人が旧態依然とした「対面コミュニケーション至上主義」組織に入る必要は無い。ネットの力を借りれば、非コミュが成功する道もたくさんある。自分に合ったアウトプット手段を見つけて自発的に動き続ければいい。
* Translators United for Peace - 速報874号 エジプトの若者からのメッセージ
親愛なる世界の皆さんへ、
気持ち悪いなぁ。関係ない人間の良心まで人質にとるなんて卑劣きわまりない。
o no title
そしてばっちり良心を人質にとられたバカかバカ以下の生ゴミの出来そこないどもが大興奮。
うん。
なるほど。西武が何のためにそういう催事に場所を貸すか?ってぇと、来客数の増加を見込んでということになると思うんですよ。それすなわち売上の増加ですよ。催事そのもので収益は上げられないわけじゃん?収益の種としてどっちか強いか?ったら客じゃん?自称サブカル作家は客でもなんでもねぇわけじゃん?そこ天秤にかけてみりゃ自ずと答えが。で、この催事を見に行きたかった人ってのもいるじゃん?「気になる作家がなんか出してる」とかいう理由で。その人らってのは、催事を見たいだけであって百貨店の客じゃない。言うたらパチンコ屋にトイレ借りに来る人と同様。あれは客じゃねぇんですよ。そりゃキミらがその展覧会見に行ってついでに百貨店の上から下までびっちり巡って7~8万くらい使ってくれるんだったら展覧会に充分な効果は認められようが。ところがそんなことはねぇわけですよ。そんなもん自称サブカル浸りなんてのは強烈な貧乏人なんですから。クソの役にも立たない分際風情でしかないっていう自覚くらい持ってみちゃどうだろうか。
このヘンなイベントってそもそも展示期間ってものがあったわけですよね。場所借りてる以上はそうなるんですけども。人様の力借りてる以上、その人様の都合も影響して当然である。ってより、場所借りてなんかやろうって人は足場が固まってないっつーことじゃん。
ったらその程度の分際風情でしかないんですよ。
しっかしなぁ。
大いなる勘違いなのではないか?と。というかその息苦しさの原因は社会にあるのか?という。己の身の丈見誤ってるだけなんじゃないか?と。いやおれは身の丈見誤ってるからいきなり社会が対戦相手になってんじゃねぇの?とか思うんだけど。いやほんと、こういう「己の側にある原因」を疑わないのって、基本的におかしな自己愛に塗れてるからなんでしょうな。
事の善悪よりも、デブがうつむいてフランクフルトみてぇな指で携帯電話のボタンカチカチやって完成させたメールであるというのがまず面白い。しかも全員頭にムック(ポンキッキ)みたいなプロペラついてんですよ。そんな珍奇な生物が器用にメールを。なんかもぅ戦車でいちごのショートケーキを運ぶくらいアンバランス。
だとか。
* http://twitter.com/#!/SeiichiMizuno/status/32704710267899905
「健全な社会」にすべくべくホコリを排除しようと動いた
だとか。
なんか異様に自己肯定感が低いよなぁと。自らが好むものを「不潔」や「ホコリ」サイドにおいて開き直ってる様ってのは。じゃあですよ?そういう展覧会に行って作品見ながら「わーなにこれ汚い」
いうて作家は喜ぶの?
だったら「不快」も褒め言葉になりゃしねぇか?と思うんだけど。んで。いっとくけど汚いものはただ汚いだけですよ。あれじゃん?こないだnoiehoieおじさんが「駅が汚い、どうなってるんだ!」みたいなってたじゃん?あれ?ホコリは排除してしかるべきなんじゃねぇの?じゃあなに?駅員が「アートです」って言い張ったらオッケーなの?
現実に災害で苦しんでる国民がいるのに、それを食べ物を粗末にしたから神様のバチがあたったなんて風にツイートする政治家に怒りを感じてるだけだと思うけど。右も左も関係ない。人間の感覚としてね。
はてなブックマーク - 河上みつえ氏のツイートで炎上。当たり前のことを言ったまでで、謝罪する必要は全くない!?|? 日々坦々
って、沸点低いよなぁと。なんつぅか「とかく世の中息苦しい」みたいなのってその沸点の低さに由来するもんじゃないだろうか?と思える。
処分を決定した人や殺処分した人が、どんな気持ちを抱いて執行したのか想像することすらできない人もいるんだね。悲しいもんだ。
勝手に想像してるだけだしなぁ。それは「山の神様の怒り」を想像してるのと全く同じレベル。この人まさか「おれの想像のほうが現実的」みたいな気分でいるんだろうか。で、「独善的」という批判をしてる声が結構あるんだけど。畜産家という赤の他人様の気持ちを誰も頼んでないのに代弁して他者批判の材料とするのもまた独善的だよな。
自分の欲求を満たすため、他の人々の良心、礼儀、常識、責任感、寛容、ヒューマニズム等、道徳的な信条をとことん利用する。
2:マニピュレーターの特徴
というのがあります。
まぁツイッターに向いている人ってのは社会不適合者ですからね。むしろ「ツイッター向きじゃなくてよかった」と喜ぶのが筋。世の中はツイッターだけで構成されてるわけじゃないんで。ネットで相手してもらったらバンザイ!みたいなチンケな思考を恥じてみるのもまたよしってなもんですよ。
* Togetter - 「【これはひどい】堀江貴文・東浩紀【平和ボケ無知左翼思想お花畑】」
「国防の素人」という批判の声が。
…しかしそれはほぼ全員ではないだろうか。なんでキミたちプロ気取りでいるのかね?まさか日の丸アイコンつけて毎日うすらぼんやりTwitterを眺めているのが「国防のための巡視」かなんかだと?おっとこまぇやなぁ。
結局日本人に使わせると何であろうとすぐ晒しツール化しちゃうんですね。
* はてなブックマーク - 90日以上更新のないはてなダイアリーに、広告を掲載します - はてなダイアリー日記
なんかすーごい嫌がってる人がそれなりに。でもお前の書くエントリなんて広告以下じゃん。アニメの感想とかしか書いてねぇんだから。
エジプトでなんかあるまで出番がなかったこの人のことを思うと泣けてくるんだ。この人のムダ知識がやっと陽の目を見た。家でも学校でも会社でも飲み屋でも今までエジプトの話なんかする機会がなかった。それがやっと。この人は圧政にも反政府デモにも感謝しなきゃならないという。圧政の下、数多くの人々が苦労したり死んじゃってたり。そんな人々の不幸・災難の上にあぐらをかいて、バカが小偉そうにムダ知識を披露して大層ご満悦。
* はてなブックマーク - asahi.com(朝日新聞社):日本郵便、大量雇い止めへ 非正規数千人規模か - ビジネス・経済
またバカが揃いも揃って何もしやしねぇくせにえっらそーなクチ叩いてんな。ゆうパックいいのにねぇ。ヤマトや佐川が翌々日着の地域でも翌日着だし。だけどおれはそうやって首切られちゃう人になんにもしてあげられないや。だから「それ見たことか」みたいなことを言って何様根性全開になってる↑の連中みたいになれないや。
ちょっと考えてみたいのは
* 2ちゃんねるに執拗な「殺傷予告」 新宿「通り魔事件」は起きなかった (1/2) : J-CASTニュース
これに対し、「2ちゃんねる」には「どうせ釣りだろ?」と疑うものから、「行っても何も出来ずに取り押さえられるだけ」「お前も後悔するがやられた家族と本人と気持ち考えてみろ」「やめておけ ご両親が可哀想だろ」「他人を不幸にまきこむな」などと諭す声も寄せられていた。
というのがどの年代から発せられたのか?はどこも報じないし誰も気にしないよなぁと。
悪いことやってとっつかまって、さておいくつでしたみたいなのが明らかになったのを「これだから●●歳は~」とか言い出すのってなぁ…おれはそういうのって教育科目レベルうんぬんではないと思うんだがね。もっと根幹の授業では習わない部分にあると思うんだがね。いやほんと
「授業で教えればいい」
* NHKスペシャル『無縁社会』に出たニコニコ生放送ユーザーが語る“演出への違和感” - ガジェット通信
なるほどなぁと思った。
あくまでも「遠くにいる友だちとチャットで連絡を取り合える」ことや「見知らぬ人とでもニコニコ生放送を通してコミュニケーションできる」という新しい「ネット縁」がこれまでにない新しい「縁」を生み出しているという点を知ってもらう一助となればということで取材を受けたつもりでした。
<<
そんなものが「新しい縁」だと思い込んでる珍奇な脳みそがまずおかしいよね。NHKとしては"珍奇な見本"として最適のチョイスだったんでしょうな。
私自身、番組のナレーションのトーンや内容がとてもとても暗い感じであることに、たいへん違和感を覚えました。少なくとも私はそこまで悲壮感を抱いて『ニコニコ生放送』で放送はしていないかな、と思います。
逆に悲壮感を抱けないところに問題がある。己の悲愴っぷりに自覚がないというのはかなりのレベルに来てるんじゃないだろうか。ひょっとしたら「自分より下」が存在しているのかと思ってるのかもしれない。残念ながらニコニコ動画のアカウントを取得した時点でもう悲愴まっしぐらである。この時点でもう「それより下はない」と思えなかったそのオツムのつるつる加減。ではその自称新しい縁とやらを取り上げてみよう、お前に何が残る?ってなもんだ。
<<
「ネットで大盛り上がり=実社会からの隔絶」なんでその自覚がないのです?よしわかった。お前ちょっと交番に押し入ってはしゃいでこい。とっつかまって「仕事は?」って聞かれるや否や「ニコ生主です」って言え。「元増田です」でもいいぞ。まず間違いなく尿検査来るから。
美大生はアート作品を買わない。
ttp://togetter.com/li/9075
10年ほど前、某美大で「自腹でアートを買う」という授業を行った。「画集」購入は「反則」として禁止。その結果「アートには金を出して買う価値のあるものがない」「展覧会には金を出すが、基本は無料で見るもの」という者が続出した。「では自分の作品は?」と聞くと「自分の作品は例外」となった。
omuraji
2010-03-12 11:08:12
美大生の一人はアート作品を買いたくない理由として、「ウザクて自分の部屋に飾りたくない」と言った。「何かの表現であるアート作品は、生活を共にするのに鬱陶しい」。
omuraji
2010-03-12 11:21:32
そして彼等の多くは「アート作品」の代わりに、家具や、フィギュアや、カレイドスコープやらを買ってきた。「こっちの方がいわゆるアート作品などより、自分にとってはアートです」。
omuraji
2010-03-12 11:23:29
アーティストになろうとしている(多くはなろうとしていないかもしれないが)美大生のこの自己矛盾。しかしまた多くのアーティストもまた、熱心なコレクターではないのも確かだろう。
omuraji
2010-03-12 11:28:55
授業の最後のあたりで「自分の作品を自分で買いたいと思う?」と聞く。「微妙」という答えが帰ってきた。
omuraji
2010-03-12 11:30:00
根本的な部分で
キレイ だけど 読みにくい 利便性に欠ける(大きめで緩やかな間隔で並んだ文字が読みたい派と、細かく詰まった文字が読みたい派)
ものは本末転倒だと反射的に思ったけど、
デザインに関してのみの「日本語サイトだせぇ」って議論だからまあいいのか。
そもそも漢字(ひらがなカタカナはギリギリ)がウェブ上ではちょっと浮いている気がするの。
文章の内容によってはゴチャゴチャした見かけの漢字が続いたりするじゃない。だからってバランスを考えてひらがなにすると文章自体の雰囲気が変わっちゃうし。中国や韓国はそれなりに似たような濃度で詰まってるから良いけど、日本語って漢字とひらがなカタカナ混ざるしね。
デザイン的には、例えばバラードの残虐行為展覧会とか、足穂の一千一秒物語とか、クラフトエヴィング商会みたいなのが、
あ、コレはレイアウトの話だな。
http://anond.hatelabo.jp/20091122155429
ありがとうございます。
始めたばかりでまだ体重は落ちていないし、
次の日死んだように寝てしまうのでまだ体力は付いていないけど
続けていこうと思います。
http://anond.hatelabo.jp/20091122153820
副作用で太った薬(ジプレキサ)は今は減薬し処方中止になりました。
処方されていたときは元気でよかったのですが不眠と過食と体重増加が激しくて
頼みこんで減薬し処方を中止してもらいました。
肝臓の負荷を減らすため最小限の処方にして合う薬か試しています。
朝は早く起きて(というか寝られずそのまま朝になって)いるので
割と生活のリズムは崩れていません。
着られなくなった服が着られるようになって美術館、水族館に行けたら
本当に良いです。
科博など都心の展覧会があると以前は休日にいっていたんだよなって思いだしました。
この歳になると周りの友人は結婚・出産していって気軽にメールしたりもしづらくなってくるし、
孤独感がやけに増してきます。
なにか楽しいと思えることが見つけられれば本当に幸いです。
子供時代はともかく社会人になってから加速していってる様子で、「何とかセーブしなきゃ金も体力も精神力も危ないぞ」、と思ってはいるのだが、酒やタバコのような中毒性があるのか、なかなか抜け出せないので困っている。ちなみに自分は酒もタバコも嗜まないのでわからないが、禁酒禁煙したいけどできない人というのはこういう気持ちなのかもしれない。
目的は、1モノ作りへの興味、2青春時代に一つの事(部活)しかしていなかったことの後悔、3友達作りってところ。
1はまあ、小さい頃から好きだった延長。ただし出来上がった作品(笑)を整理コレクション展示できるスペースはないから自重しなければ。
2の「部活しか〜」は、それはそれでいろいろな体験ができて意義あるものだとは思っているのだけれど、青春時代にできなかったことを焦って取り戻そうとしているような気がする。
特に大学時代にはサークル(とバイト)漬けで、勉学も励まず旅行もせず、さらに最後の3、4年生では就職活動が人並み以上に長くかかった(氷河期プラスα。自業自得だろうが、内定とるのに4年生の12月までかかった・・・卒論提出2週間前)ために、「単位もとれていちばん動きやすかった4年生の時に何もできなかった」という後悔の思いが強いのだと思う。もちろん学業や卒論に対する後悔も多少あるが、さすがにそこまで取り戻す精神力財力(再入学とか大学院云々)はないのを良い事に、潔くあきらめている。
3・・・これが意外と難しいことを実感している。自分の性格のせいもあるだろうが、以後、友達作りを習い事開始の口実にすることはできないなと思った。
以下にこれまでの遍歴を述べることとする。
<序章>
●習字
動機:父親そっくりの汚い字を見たせいなのかはわからないが、母の勧めで始める。たいしてやる気もなかったが特にさぼったりもせず。
結果:だいぶ上達した。学校の展覧会では良い賞をもらってさらに上の代表のようなものになったり。習字は辞めても字は毎日書くから、これが一番役立っている。行書はもうほぼ忘れてしまっている気がする。変体仮名とかは読み書きともに忘却の彼方に。
・受験を機に辞めたが、せっかくなので師範の資格取れるまでやっても(再開しても)よかったのではないかと時々思うこともある。通っていた教室が遠いので(実家近く)、もう習うつもりはない。
期間:小学校4年〜6年(週1回)
動機:近所の人から中古で譲ってもらった+友達のお母さんがピアノ教室をやっている関係で始める。
結果:ピアノの人に比べ、基礎練習をほとんどやっていないせいか、今では全く引けない(ピアノだとバイエルとかいうのをやるんでしょ?エレクトーンの人はなぜかそういう基礎をやらない教室だった)。ただし、他の人と比べて結構音感があることは子供心ながら判明した(それが絶対音感かは知らんが、聴音を間違えたことがない)
・中学〜大学時代までずっと部活で楽器をやっていたので、全くの無駄ではないかな・・・とは思う。いや思いたいだけか。
<第1章>
●陶芸(月2回、3カ月コース)
動機:前から興味があったが、サークルとバイトに明け暮れ習う余裕がなかった。卒業直前、大学とバイト先の近くに教室があることが判明したため3カ月お試しコースに申し込んだ。
結果:ひととおり皿とか小鉢とか作った。社会人になってすぐ一人暮らしだったので、自分で作った食器類は今でもだいぶ重宝している。
・先生や教室の雰囲気も楽しく、月1回からのコースもあり価格も良心的なので今でもやってみたいなとは思っているが、現在の自宅からも職場からも離れた立地と、一人暮らし用の食器類は十分あるので作っても活用できないかな、と思い継続は断念。
●絵画教室
・○ット○ッパー見て入会。教室の雰囲気にうっかり惹かれてしまった。
・絵を描くのは好きだがうまくなったかは不明。楽しかったけどもういいや。
期間:大学4年の3月いっぱい(週1回、全4回の講座)
動機:高校の書道の時間に篆刻をやって楽しかったのだが、満足いくものを作れなかったのを思い出して入会。駅前のカルチャースクール。
結果:4個ほど作成。しかし、おす機会、ないんだよね・・・。
・いろいろ作れたし、腱鞘炎気味なのでもういいや。
動機:本来は大学在学中にとるべき(?)はずだったが機会を逃していたため、卒業間際に慌てて通い始める。「マニュアルにあらずんば免許にあらず」という親の考え+MTとATの違いすらわからなかった自分=運転下手なくせにMTコースを選択。
結果:どうにかMT取得。しかしペーパードライバー。免許証使う機会は身分証明目的のみ。
・込み合う時期でなかなか予約がとれないうちに社会人になり、土日だけしか通えなかったためえらい時間がかかった。だがこれがきっかけで、「人は、土日だけでもコツコツ積み重ねれば結果が出せるんだ〜」と夢見る始まりになってしまったような。
<第2章>
動機:その気になれば大学時代に取れた資格なのだが、無知なため「学芸員」という存在すら知らず卒業間際に知ったが後の祭り。通信課程でもとれるらしいということを知り入学。
結果:自分は昔っから通信教育、自宅(自主)学習というものが全くできないタチだというのを忘れてた。自主学習のテキストやレポート類には全く手をつけていない。当然、資格は取れるわけがないまま学籍を更新し続けている。
・正直、資格をとったところで本気で目指しているわけで、そんな人に学芸員の就職口はまずあり得ないのだけれど。スクーリングだけは真面目に行くためスクーリング科目だけは優秀な成績で単位取得だが・・・。
●英会話
期間:社会人3年目7月〜今月上旬(始めは週2回、やがて週1回日曜午前に)
動機:一度は習ってみたかった。海外旅行のためと、ライブで好きなアーティストと話したいため。あと数年に1回海外出張当番があるため。
結果:資金不足と休息のため、更新の時期を機に、休止中。貯金ができたらまた行きたいと思っている。関係あるかわからんが、TOEICのスコアが100上がった。
・土日は無駄にゴロゴロしがちな自分にとって、日曜午前にしっかり起きる習慣にはなった。気分転換と頭の体操(ずいぶん高額な気分転換だなあオイ)。
期間:昨年4月〜現在(週1〜2回)
動機:仕事のストレスからお菓子を食べまくって太り始めた。同時期、上司や取引先の人が立て続けに健康を害して入院といったことが相次ぎ、「自分もこのままでは将来危ない」という思いから入会。
結果:過食が続いたためいったん太ってしまったのだが、危機感を覚えて最近は熱心に動くようになり、体重は戻りつつある。
・実はスポーツは苦手だったのだが、身体を動かしているときは仕事の事を考えないので気分がスッキリして良い。目標体重になったら辞めるつもりなのだが、そこまではなかなかたどりつけない。
●料理
動機:一人暮らしのくせに料理が苦手で、新しく友達作りもできるかな、と思い立って入ってみた。
結果:レパートリーは多少増えて知り合いはできたが友達は・・・。
・こういうのってみんな(最初から)友達同士で入るんだね・・・。
●華道
期間:1時間(体験レッスン)
動機:高校、大学時代の友人達が華道部に入っていたので興味があった。会社近くに教室があるのを知って体験に申し込む。
結果:楽しかった〜。写真撮った後は、お花を持ち帰らせてもらった。
・始めたいけれど、たとえ月1回でもこれ以上増やすのは無謀だと思い、踏みとどまった。
●ドイツ語
期間:これから(入門編3カ月のみ)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090606-OYT1T00052.htm
一方の平松市長は前日、WTCへの府市同時移転を提唱した橋下知事の発言について、「現実味がない。両方入れるスペースはない」と反論し、蜜月関係だった2人が批判し合う展開となっている。
橋下知事は記者会見で、府市同時移転に関する平松市長の反論について、「極めて行政的な言いっぷり。中之島(の現庁舎)をつぶして、(WTC周辺を)府市合同で官庁街にするくらいの判断を期待する」と切り返した。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20090605-OYT8T00084.htm
http://www.asahi.com/politics/update/0604/OSK200906040078.html
平松市長は何のために関淳一前市長を蹴落として市長になりたかったんだろうか。
http://www.team-osaka.com/article.php/20071107125547830
平松「大阪ワールドトレードセンタービルディング(WTC)を最終処理後に市が買い取り、市役所を移し、現市庁舎は近代美術館にする。中之島が一大文化ゾーンになり、人が集まってくる。夢を語れる街にしたい」
WTCに大阪市役所を移転、現庁舎は美術館にするというのが平松市長の案。後で平松市長自ら放棄しているが、私はベストではないがベターな案であったと評価している。なぜなら国との契約で大阪市が近代美術館を建設しなければ違約金を最大で48億円払わなければならないからだ。
http://www2.city.osaka.jp/shikai_kensaku/index.html
平成21年3月定例会常任委員会(文教経済・通常予算) - 03月12日-04号
◆福田賢治委員 それから、前も議論あったと思いますけども、国からこれもし美術館できなかったら違約金を払わなあかんと、お金の面でもせかされてるわけでありますね。ですから、その点について違約金が幾らなのか、あるいはまた、今日までの経費、どれぐらいお金かかったんか、ちょっとお聞かせいただけますか。
◎松井ゆとりとみどり振興局文化部博物館群企画担当課長兼近代美術館担当課長 お答えいたします。
近代美術館の整備につきましては、平成10年に基本計画を策定したほか、平成15年までに中之島4丁目の1万6,900平米の国有地を約226億円で取得しております。また、この間、美術作品の収集に努めてまいりました結果、収蔵作品は約4,200点を数え、うち購入作品は約1,000点、購入金額は約153億円でございます。これらの作品を中心に平成元年以降の20年間にわたって43回の展覧会を開催しており、入場者数は約110万人でございます。
また、近代美術館建設予定地の国との売買契約におきまして、平成24年3月という期日の指定などが特約として規定されており、最大で約48億円の違約金が生じることとなっております。以上でございます。
◆福田賢治委員 今お聞きいたしますと、もう既に多額の経費が投入されてるわけであります。準備室の経費は今御答弁になかったわけでありますけども、土地代が226億円、それから美術品が153億円、この美術品につきましては、収蔵作品が約4,200点で、そのうちの購入作品が1,000点、購入額が153億円、土地と美術品だけで単純計算しますと379億円、これに20年間の準備室のコストを加えますと400億円ぐらいになるんちゃいますか。それに違約金が48億円。こうなってまいりますと、一体いつまで大阪市はその貴重な美術品、モディリアーニの例の購入時に話題になったと聞いておりますあの作品は、今は何か倍ぐらいになってるそうであります。当時の値段が19億3,000万円ですけど、倍近くになってるそうであります。そういった、あるいは市民からの美術品をずっと持ったまま置いておくということは、大阪市はいつの間にコレクターになったんやということであります。コレクターというのは、持っといて人に見せずにひとり喜んでるだけなんであります。
WTCは人通りの少ない湾岸にあり、民間企業への売却が困難、しかも現在でも大阪市の部局・外郭団体がほとんど入居し「第二庁舎」と揶揄されている。(なぜ市の部局が入居しているのかといえばWTCを運営する三セクの破綻を回避し大阪市に責任が巡るのを回避するためだ。)
WTCに市庁舎機能を移転・集約し、その上で現庁舎は美術館に改装、国への違約金支払いを回避した方がましだ。だからこそ平松市長は選挙公約に掲げたのだと理解していた。この案はある程度の合理性はあるがベストではない。美術館改装なら他の場所でも可能だからだ。御堂筋沿いの一等地である市庁舎を美術館改装のために手放すのは愚行である。市庁舎こそ民間企業に売却可能な優良物件だ。WTCは破綻すべくして二回も破綻した。二次破綻による大阪市への負担は1000億円とも指摘されている。
http://osaka.yomiuri.co.jp/tokusyu/osaka_h/20090327kf03.htm
http://www.asahi.com/politics/update/0327/OSK200903260177.html
であれば、大阪市の課題は如何に1000億円の負担を軽減し大阪市民や企業への増税を回避するかである。市庁舎は売却するのがベストな案だ。
この案を実現しようとしたのが橋下知事である。橋下知事は府庁舎をWTCに移転し、現庁舎を売却することにより、建替え計画のコストを削減しようとした。しかもWTCを大阪市から100億円で買い取ろうとしても採算性は取れるのだ。大阪市と大阪府はWin-WInの関係が築けたはずである。しかしそもそもWTCは大阪市が建設した三セクであり、そのツケを大阪府や大阪府民が支払うのは合理性に欠ける。
つまり「本来は平松市長がやらなければならない仕事を、できないヘタレな平松市長に代わって橋下知事がしてあげているにも関わらず、橋下知事を『責任転嫁』呼ばわりする平松市長の厚顔無恥さ」がよくわかる記事だということだ。なお、平松市長の
という発言には呆れた。まず一部メディアではWTCには府庁舎の入居は不可能とする偏向報道がなされているが、1~3階に入居するコンビニや飲食店に退去してもらえば府庁舎の移転は可能である。また市庁舎の移転についてはATCの利用を検討すべきだ。大阪市はWTCのみならず、ATCという別な破綻物件も抱えている。こちらも大阪市の部局が多く入居しているものの、無駄にスペースの利用しているだけである。つまりガラガラだ。以下のサイトを御覧いただければお分かりだろう。
こんなガラガラな物件を利用せず市庁舎に居座り続けるつもりとは、平松市長は一体どういう神経の持ち主なのだろうか?ろくな政策決定ができないのならば、即刻辞任すべきである。
http://www.excite.co.jp/ism/concierge/rid_2263/pid_2.html
・かつて、「家庭電化製品の“かたち”」が大きなメッセージを伝えられるメディアである、デザイナーにとって幸福だった時代があった。'60~'70年代中期までの話だ。
当時と現代では、そもそも生活家電だけではなく、「生活道具」と人との関係が違っている。
・この人のデザインは、我々工業デザイナーにとって喉に刺さった骨のようなもので、これこそが「正しい」デザインと教えられてきたし、自分もそう思ってきた。間違いなく現代デザインの大きな源流(原泉)の1つだ。常に脳の片隅に、これこそが正しいデザインなのであって、我々は日々、間違ったものを作っているのだという意識が、引け目がある。
・実物を観察してみた限りでは、結局、これはこれで1つの時代の主義・主張・イズム・メッセージであって、
人とモノの関係というものに「正しい」「間違った」ということは、その時代の価値観に照らして決定する、相対的なものでしかないということ。
すさまじいほどの醜い製品が氾濫していた当時と、低コスト品でもそれなりの質感を持つ現代では人とモノとの関係も全く違ったものとなっている。
・「工業デザインとしての正しさ」自体はあらゆる時代に通用するものであっても、そのプライオリティは時代によって違っており、結果、常に「工業デザインとしての正しさ」が優先されることはなくて当然、ということ。
・現代においてこのメッセージは、経済性やパワーへの希求など、現代人の価値観に優先され得ないであろう。つまり、マスとしては受け入れられないだろう。
・たとえばデザイナーに衝撃を与えたオウムの「サティアン」。あれは「目に見えるものには価値がない」「中身にこそ意味がある」とするあまりにラディカルな思想を体現していたわけだが、あそこまで極端でなくても、「実用に耐えれば外見は問わない」といった考え方は、醜い中国製の筐体を使ったデスクトップPCや、100円ショップの製品でかまわない、とする現代人に通底するものだ。
・丁寧に作られた製品は、持っているだけで幸福を与えてくれる。それはクオリティオブライフ、その人の人生の価値そのものである。そういった製品がほとんど量産されず、ごくニッチになってしまっている現状は、人にとって間違いなく不幸な状態である。
・しかし、実用品は「とりあえずないと困る」ものでもある。醜い製品でも用が足りれば、とりあえずその「力」は手に入る。現代の多くの人が求めるのは何よりその「力」である。
良い、悪い、以前に、そのような時代だということだ。
・近代工業デザインの始祖、モリスは、あまりに醜い量産化された食器や壁紙、生活家電などのコンシューマ向け製品(生活品)のありかたに憤慨し、「アーツアンドクラフト運動」で、たとえ工業的にでも「丁寧に作る」というクラフトマンシップを大切にする考え方と、工業時代の新しい美の価値観...シンプルイズムを創造する、という2つの提案を行った。
・それらの主張は、このデザインがドイツの超絶的な加工精度で市場に出た時点で完成を見、その後衰退していったものと考えられる。
・この人のデザインの本質は「禁欲主義→形の単純化・ミニマリズム」と「形のバランス・リズム」と「質感の高さ」である。
・今では不可能な質感の高さ・加工精度がシンプルな形状を支えている。たとえばラジオ筐体のプラスチックの肉厚は2mm以上ある。このような製品は成形時間の短縮・材料費の節約などの要請で、現在では作れない。
また、ラジオ他のスピーカー穴も「切りとばし」形状になっているが、安全性や金型作成の作業性などの問題で、これも現代では作れない。
・そのために犠牲にしたものも多い。直線で構成された食器などは明らかにバランスや機能が劣り、日用品・生活品としては失格である。
・これはよく言われたことだが、本当に筐体の裏面の金型まで磨いてある製品は初めて見た。
裏面の加工をしない事が、日本製品のコストが安い要因であり、ドイツ製は間違っている、という言い方がされたが・・・今見ると、それこそがドイツ製品の「ありよう」の要であることがわかる。
・たとえ壊れたとしても飾っておきたい風格のある日用品が現代のどこにあるだろうか。
現代ではドイツでさえそういった製品は作れない。一種のオーパーツのようなものになってしまっている。
・SONYの製品の、特に初期のデザインは、この人の直系、ぶっちゃけモロパクリである。
http://www.nhk.or.jp/tsubo/arc-20090116.html
・参考:書籍:Yanagi Design―Sori Yanagi and Yanagi Design Institute
http://www.amazon.co.jp/Yanagi-Design%E2%80%95Sori-Design-Institute/dp/4582620442/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1233064510&sr=8-1
夢を見た。
十年前初めて会った時にちょっと好きになって、その後会うたびに好きになって。でも彼女いるからそっとしていたら、その彼女と結婚して。でも結婚して四年たった去年から、また私と二人で会うようになったFくんの夢だ。
夢の中で、Fくんと例の展覧会に行く約束をしている。でも展覧会に向かう道の途中で迷っていたら、同じように迷っているFくんに会った。二人で迷っていると、おばさんが道を教えてくれる。教えてくれたのは、暗い神社の階段に続く不気味な道だった。Fくんと一緒に不気味な神社を通り抜け、不気味で狭い石の階段を降りていく。道には蜘蛛の巣がはっていて、私は手で払いながらFくんと歩いていく。階段の下に何が見えたのかは分からない。結局展覧会には行かれなかったのじゃないかと思う。
そんな夢から目が覚めた昨日の朝は、夕方にFくんと例の展覧会に行くために待ち合わせしている日だった。
Fくんと会えるのはいつもとても楽しみなのに、どうも気分が乗らない。準備をするのが遅れる。でも夢の中とは違って、私は迷わずに行き慣れた待ち合わせ場所──展覧会の会場に着いた。遅れているFくんを待ちながら、夢のことを思い出していた。そして、きっと今日はついに、「どこか」「不気味な場所」へ、二人で行ってしまうような気がしていた。
展覧会を観終えて、食事と飲みの後、夢の中で見た暗い神社とすごく雰囲気の似た場所に行った。
暗いホテルの部屋だ。
私がこの想いの果てに望んでいたのは、Fくんと関係を持つことだったのだろうか?Fくんはどうだったんだろう?よく分からなかったけれど、何だか噛み合わずに最終段階に至る前に途中でやめてしまった。
結婚を控えている私も、結婚している彼も、相当な犠牲を払ったし、払わせていたのに、暗いホテルの部屋でのすべてが、幸せからは到底かけ離れていた。こんな「蜘蛛の巣のはった」「暗い階段」を「一緒に降りる」ために、今までの十年間の優しい関係があったわけではない。ひどく不気味なところに行き着いてしまった。
誰かを好きになる気持ちのクライマックスが、あんな不気味なことにしかならないのならば、人を好きになっても仕方ない。
階段の下には何があったのだろう。きっと、天国は下にはないはずだ。だから、途中で止まってよかったのに違いない。そして、いつも明るい君にあれ以上暗い階段を降りることをさせなくてよかったと思う。
もうきっと道を迷うことはないだろうし、下り階段には近づかない。今まで通りたまに明るい場所で会って、笑顔とくだらない話で交わろう。──少し気持ちが落ち着いてから。それこそが、一番、この想いがかなっている幸せを感じられる時間だったのだから。
ふう。少し整理できた。もう考えるのやめよう。
テキストの投稿サイトはわりと古くからあり、確かに人とのつながりは得やすいのだが、才能が埋もれやすい場所だったとも思っている。もしもあの頃の小説の投稿サイトに奈須きのこがいたらどうなっていたか。おそらく、「読みづらい」とか「基本ができていない」とかそういう類の批判ばかりが集まったのではないかと思う。
写実的な絵を描かない画家の絵が小学校の展覧会に紛れ込んでいたらどうなるか。見に来た父兄たちは、うまい小学生もいるものだと思うだけだろう。同じ絵が画廊に展示されていたらどうなるか。買い手は値段を交渉したくなるかもしれない。作品の価値は展示する場によって変化する。
ニコニコ動画に「プロの犯行」というタグがつけられた動画がいくつもあるが、それでもやはり素人のものだとみなされているのではなかろうか。
個性的なスタイルの表現物は、ときとして場の雰囲気にのまれて目立たなくなることがある。作品の表現の場としての個人サイトは減少していくだろうが、一貫した作風を表現する場としては個人サイトの存在意義は失われないだろうと思う。
先日、連れと、上野のフェルメールとデルフト派展みたいなものに行った。
特別展は平日だというのに、なかなかの混雑ぶりに驚いた。
中に入ると、OL風の二人が、絵の前で「この視線が」「へぇ」「なるほど、やっぱりドラマが」云々と鑑賞していたのを見てさらに驚いたが、こういったのは展覧会であちこちで見られたのにほとんどカルチャーショックといってよかった。
自分も連れも、普段から美術館系にはほとんど行かず、同じ上野なら二つの博物館か動物園に入り浸るが美術館に足を向けたことはない。加えて美術的な素養もほぼないに近い。今回来たのも、たまたまチケットをもらったからだった。
確かに飾られた絵画は(素人目で)きれいでうまかったけれども、じゃあ他の画家とどう違うから今も名声をその保っているのかと聞かれたら、まったく答えられなかっただろう。正直、オランダの画家ならレンブラントとフェルメールの区別がつかない自分には、フェルメールとデルフト派の区別もまったくつかない。
ほとんど作品の横についている解説を頼りに、這う這うの体で二時間かけて見終わった。
二時間もいたわけだから、まったくつまらなかったというわけではないが、時間をかけた割りに、心から楽しめたというものでもない。帰ってきて、何が、フェルメールにしろ他のデルフト派にしろ、すごかったのかはわからずじまいであった。
先のOLのように、こういったものを鑑賞する、そしてそれを楽しむ能力を持っている人間というのは、ある種尊敬に値すると思う。こういうのは、先天的にもらえるものなのか、はたまた後天的に取得できるのか、そもそも学校か何かで習ってなんとかなるものなのかどうか。
就職にあたって都内に住み始めたんだけど(渋谷区)、なんか近すぎて返ってあんまり話題のスポットとかには出かけなくなった気がする。いつでも行けると思うと面倒くさいというか。
でもライブとか美術館とか展覧会とかそういう催し物はマメに行ったなー。近いし。ビックサイトまで一本でいけるところだったので、オタク的なフットワークも軽くなっちゃってどっぷりになったw
ただまあそういうのにもだんだん飽きてきて(年をとったからかもしれないが)、今は地元の埼玉に住んでる。東京に用事があるときは行くし、でも普段の買い物とかは近場で十分。あんまり歩かなくてすむし。広めの家を借りてのんびりしている。静かでいいね。生まれ育った環境だからか落ち着く。
若いうち(興味のあるうち)に一度住んでみるのもいいと思うよ東京。ずっと住むとなるとよくわからないけど。