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はてなキーワード: 展覧会とは

2019-08-13

anond:20190812185015

このエントリでいう「現代アート既存権力」について、コメントしている人たちが考える「権力=○○」が違いすぎて話かみ合ってない。

>「これはアート! わからないお前は勉強が足りない!」とか言っている人たちがいる。

素直に読めば、これは「アートをやっている人たち」を指すであろう。確かにこれはある。古参オタクがニワカの新参マウントするやつ。

ただ、その後の「権力」「カルト」というところを見ると、この増田現代アートのもの懐疑的である

コメントは当然ながら、あいちトリエンナーレ意識した書き込みが多いが、このエントリ自体もそれに触発されたものと考えるのが自然だ。

そう考えると、この増田あいちトリエンナーレをどのような視点で見て、このエントリを書いたのだろうか。

もし、作品撤去の件を肯定的に見ている場合、「あんもの芸術というなんて、頭おかしい」という意味でこのエントリを書いたのだろう。

からアートを「カルト」というし、「津田現代アートという権威を借りてヘイト展示をやったんだ」という論理が成立する。

一方で、作品撤去弾圧考える人々もいる。そうした人々にとって権力者とは政府政治家公権力あいトリに政治家発言した件)であり、

アート社会メッセージを送っただけなのに表現の自由を奪われた」となる。

また、タイトルの「醜い優越感」というキャッチーキーワードも気になる。

増田アートになんてこれっぽちも関わりなく生きてきた人間なのか、自分には理解できないものに対するひがみのようなものも感じる。

「これはアートだ、と言えば何やってもいいのか」というやっかみの気持ちもあるのだろう。

自称現代アートに詳しい人たち」は常に「アートなんて分からない人たち」を置いてきぼりにしてきた。

特に、全国各地にある公立美術館だって一般市民アート教育普及するための施設であったはずなのに、「自称アートに詳しい人たち」に私物化されてきただけであった。

からネトウヨにとっては「税金を使ってこんな展示をしてくれやがって」という気持ちになることはよくわかる。

しかし、今回の津田芸術監督はそうした「自称アートに詳しい人たち」側の人ではないのである

しろ、「自称アートに詳しい人たち」からは「素人のお前なんかにできない」と散々コケにされている側なのである

から津田さんにとっては「権威美術業界」(=アートではない)からもけなされ、ネトウヨ公権力から弾圧され、泣きっ面に蜂である

今回のあいちトリエンナーレ自分既存日本における美術業界権威に風穴を開けてくれることを期待していた。

だが、日本社会に立ち込めるネガティブ圧力を改めて浮き彫りにしてくれることとなった。

今回の件について、美術業界批評家美術史家、美術学芸員といった人たちから、まともな「批評」がなされるのだろうか。

これから日本美術業界は「自称アートに詳しい人たち」の自己満足展覧会と「クールジャパン」的な何かをやるだけの、一部の人たちの既得権益として温存されるのだろう。

自分増田とは違った意味で、「現代アートにおける批評性」がなくなっていることを危惧したい。

anond:20190813103205

現代アート関係者には批判とさえ認識されない。残念。」が連中の思い上がりを象徴している。

美大出身者の学閥やお友だちごっこ権威と名声にしか興味のない自意識過剰学芸員美術評論家公立美術館新聞社の金で動いている商業展覧会しかやらず、たまに反権力的な内容の展示をやれば検閲される。そうした業界におもねる美術メディア(ビテチョーとか)はそうした業界人を褒めたたえるばかりで、業界内での批評精神、自浄作用も失った。税金で雇われたキュレーター自分たちのことを「アートピーポー」と自称していたが、「アートピーポーであることに酔っている変わった人々と自分には見えた。

学生の頃、一生懸命アート歴史勉強していたが、大人になり、現実アート業界を知って、ただの茶番だと我に返った。特にここ数年のアートシーンの劣化具合はあまりにひどい。

元増田の「要するに《現代アート》というのはすでに既存権力になっていて、彼らはそれを無批判に持ち上げることにこそ価値見出しているわけだ。」に共感する。日本全体を見ても「権力を支持したい。体制側が正義。」という人間があまりに増えすぎている。それは美術業界でも同じだ。SNSアートやってますと言いながらネトウヨっぽいリツイートをしている人って昔はあんまり見かけなかった。アーティストなら反体制だろというわけではないけど、自分の頭で何も考えていないか体制派を無批判に受け入れるし、自分の考えと異なる意見を知ろうともしない人がアーティスト簡単になれる時代なのだなと思う。

(=自分大学勉強するか、大学勉強した人に手配してもらう必要がある)というのも「大学先生が言っていることは正しいこと」という思い込みが後ろに隠れているわけだが、大学で学んだ経験がある自分からすると、大人になってから「あの大学教員の言っていることは偏ってた、おかしかった」ということは多分にあった。何も知識のない時は師やメンターの言うことをそのまま学ぶ時期であるが、学びが終わったら、「それは本当にそうなのか?」と考えられるようにならなければならない。

「偉い人がすごいって言ってるから、この作品はすごい」って言っているうちはまだまだ子どもである。そうした子どもばかりになっているのが今の日本アート業界なんだと思う。海外のことは知らんけど。

2019-08-12

https://anond.hatelabo.jp/20190810170536

1)

いや、専門家批評・論評も、素人の「このアニメつまんね」の一言も、どちらも作品に対する評価だよね、というだけの話で。

もちろん議論していただくのは構いませんし、一方で別に議論しなければならないわけでもない、プリミティブな感想で済ますだってアリでしょう?と。



2)

teebeeteeさんは「手法」「技術」「様式」あるいは「文化」のような言葉妥当である様に仰いますが、「いつものやり方」といった意味を持たせたい場合、(「手法」ではなく)「風習」という語彙の選択は、それほど無茶苦茶な事でもないでしょう。また、例えば「慣習」であればteebeeteeさん的にOKだったのだろうか?という事も気になります辞書的には、あまり意味の差はないようですが。



それと、嫌韓の人たちが使っている言葉なので、「かの国」は問題のある言葉である…の様な考え方は、とても真っ当な思考だとは言えません。完全に順序が逆転しています

恐らく、貞本氏のツイートには『“かの国のプロパガンダ風習”っておかしいよね』の意味が含まれているとは思いますが、では例えば『A氏のスキップって変ちくりんだよね』と言った時、それはA氏という人物全てを否定した事になるのでしょうか?と。



敵愾心について。その内容、またはもたらす影響力の大きさによって、思想表現が「絶対悪」にされる事こそが「価値観自由競争市場)」に反する、正に「表現不自由」ですよね。『「表現」はどの様な「影響」を与えてもよい』というのは最早、前提レベルです。

teebeeteeさんがその様にお考えかどうかは分かりませんが、『「とある表現」は悪影響がある』みたいな考え方の時点で、思考が捻転してると気付くべきです。それを「悪」と設定するのも、「別のとある思想」以上のものではないのですから。せめて『私にとって都合が悪い影響がある』と言うべきでしょう。

もちろん、あくまでteebeeteeさんの中では「悪い事」だ、という限りにおいては、特に言う事はありませんが。同様に、人道なんてものも(ぶっちゃけ武士道だの騎士道だのみたいな存在ですし)、普遍的規範として掲げず、teebeeteeさん個人それとしているに留まるならば、やはり特にこちから言う事はありません。



3)

まず貞本氏の『現代アートに求められるのは、面白さ!美しさ!驚き!心地よさ!だ』という考え方があり、それに対してブコメで『貞本氏は現代アートへの理解が浅い』といった様な批判がある、というのを踏まえての話です。


まり(teebeeteeさんも貞本氏の「現代アートに求められる」の事をあまり一般的ではない、と仰っていたが)、『「もっとアートに親しんでほしい」的なイベント』としては、むしろ貞本氏の様な理解こそが本流であって、「不自由展」のようなものの方が異端ではないの?という話です(別に異端から即、展覧会から排除せよという話ではない…もちろん不人気ゆえに淘汰される事はあると思うが)。



4)

という事は、例えば「このアニメつまんね。もっとxxxな感じだったらよかったのに。」といったものは「独善」だ、という事ですか?だとしたら、それはやはり極々正当な「独善」ですよね。

先に述べた通り、貞本氏のツイートに「潰す(中止・撤回させる)」といった意味は見受けられません。また「運動」(抗議活動)によって中止・撤回させよう!…といったものでもありません(そもそも現時点でそれをする意味はないが)。


自分の興味や許容範囲芸術祭押し付けていいのは、正規専任された芸術監督だけ”というのもおかしいです。むしろ逆に、すべての人が正当な需要の発露として“押し付け”てよいはずです。


北海道物産展別に北海道じゃなくてもいいけど)のラインナップは、確かにバイヤーさんが「キュレーション」したものかもしれませんが、だからといって客や客予備軍が『あの店は良かったし、あの店はイマイチだった、もっとこんな感じの展になって欲しい』『この程度の品揃えでは行きたくならない、xxxとかあればいいのに』と、その需要を発露してはならないなんて事はないでしょう?まぁ、あれらの場合もっとダイレクトに売上が物語ってしまますけれども。

またそれが、店頭で、あるいはSNS等で「この店は相応しくない!閉店すべし!」といった抗議活動を行う事とも全く違う、という話も理解できますよね?



-------

後、納得したというより、やはり「風習」の解釈は考えすぎだと思うが、teebeeteeさんが「風習」という言葉にそのような意味見出したため、そう感じる事になったという事については、あくまでteebeeteeさんの内側の話であり、こちから文句を言う筋合いはない、teebeeteeさんの勝手である、という話ですね。

これは、最初ブコメから一貫してそうです。

一方で、これはteebeeteeさんに向かって言うわけではないのですが、感想が「事実化」する、という現象には気を付けたほうがよいでしょう。



例えば、『貞本義行差別主義者だ(と思う)』という自身の内側で熟成された感想しかなかったものが、https://b.hatena.ne.jp/entry/4672773449994362818では既にいくつかのコメントにおいて「事実化」しており、『差別主義者が言い訳している』という見方しか出来なくなっている様子が観測できます



また、

などは、もやは「ゲスパー」としか言い様がありません。




貞本義行氏の件のツイートのどこに悪意を感じるか

貞本さんのツイートBBC特集話題の「犬笛」表現に加え、女性蔑視ルッキズムやI have black friends論法も同時に使ってるので、差別主義者の典型表現がふんだんに詰まった文章になってるんですよね。2019/08/10 06:36

も紛うことなき「事実化」ですが、まずこの「犬笛」判定が「エスパー」と紙一重である事には注意された方がよいですし、また「犬笛」か「エスパーかに関わらず、記述されていないそれを責めるという事は、つまり内心への糾弾である…という事くらいは認識された方が賢明でしょう。

東京って文化資本多いけど、活用できてるの?

ネット東京民多いけど博物館美術館展覧会に行ってるイメージないんだけど。

2019-08-10

貞本義行氏の件のツイートのどこに悪意を感じるか

というツイートに対して、

https://t.co/3wqZGCqLzd"

所詮個人の(特定集団の、というべきか)感想だし何を言おうが勝手だが、胸の悪くなるような悪意でグジュグジュの言語感覚が本当に気持ち悪いので、人の目に触れるところに文字を書いちゃ駄目な人だな、と思った。

という罵倒ブコメを書いたところ(陰険でよくない習慣だ)、

特に胸糞悪くなる様な文章では無いと思うのだけれど、どのあたりがそうなのだろう。もちろん、胸糞悪いというのも、個人感想なら勝手だし、ブコメを書いちゃ駄目な人だとも思わなのだが。

という質問を頂いた(冷静でよい質問だ)。

私の書いたことを反復してやり返されてるあたりに煽りを感じなくもないけど、

上記ツイートを読んで胸が悪くならない人にとっては正当な疑問だと思うので、

説明を試みる。

 

1) 「キッタネ少女像

「キッタネー」なんて言うのは、論評の範囲を外れた軽蔑吐露しかないと思うが、

ここは文頭でもあるし、多少どぎつい表現で書き出して読み手を引っ掛けるのは、

穏当ではないにせよ、表現手法の一つと言っていいと思う。

ぎょっとするけど、まぁ何を言うのか読んでみるか、と思わされるところはある。

ただし問題は、後段で「キッタネー」と思う理由言語化を試みていないところにある。

あえて斟酌するなら、技術の不足や表現杜撰さによって不快を感じた、ということで、

イラストレーターの鋭敏な美的感覚からすればそういうこともあるだろうと思う。

別にイラストレーターじゃなくても言って良いんだけど)

「そんな重いもの表現するのに、そんな適当仕事でいいのか?」という方向で、

表現意図を(賛同しないにせよ)酌んだ上で、その実現における難点を、

実物に即したかたちで(つまり実際に観察した上で)言語化しているのであれば、

「キッタネー」と文頭で言うことぐらいは許されると思う。

でもそれをしないで「キッタネー」とだけ言ってるので、やはり論評とは言えない。

単に政治的文脈に対する不快感を、仮構した芸術的不備に転嫁しているように読める。

ただしこれだけなら「感想」の範囲ではあって、明確な悪意までは感じない。

単にぶっきらぼうで露悪的な言動を好む人なんだな、と思うだけ。

 

2)「かの国のプロパガンダ風習 まるパク!」

天皇写真を燃やし〜」という作品についての論評として書かれているのだが、

ここで「風習」という語を選択するところには、明確な悪意が込められている。

この文脈作品表現引用元を指摘する)で「プロパガンダ」と連結しうる語は、一般的には

手法」、次点で「技術」「様式」、あるいはちょっと意味を拡大して「文化」といったところである

しかしそれらの語を選ばず、あえて非標準的な「風習」という連結語を選ぶことの含意を分析すると、

プロパガンダ」に「風習」という語が含む土俗的、前近代的イメージを付着させ、

かつそれを、発言者揶揄対象としている(おそらく)東アジアの一民族が古来から持つ習俗

と考えていることが見て取れる。

言い換えるなら、特定民族に対して「未開人」「土人」などと呼称するのと同型の差別的認識を、

しっかり内面化し、かつ機会があれば表現するのをためらわないからこそ、

風習」という語が(「手法」や「文化」を押しのけて)ここで選択されているわけである

作品についての論評の一部(引用元の指摘は端的な論評と言える)ということで、

ギリギリ許容されうるのかもしれないが、婉曲的なヘイトスピーチである

婉曲的、は外してもいいかもしれない。

 

3)「低俗ウンザリしかない」

現代アートに求められる」もの(あまり一般的ではないようだけど)を列挙して、

それらが皆無である、という論評のあとに書かれた慨嘆である

これは個人感想であって、自由発言されるべきものだとは思う。

ウンザリしかない」で済むはずのところを、

より辛辣にすべく「低俗な」と付け足すところに、悪意の奔出が感じられるのだが、

低俗ウンザリしかない」と乱暴につなげてしまたことで、

発言者ウンザリすること」自体を「低俗下品で程度が低い)」だと言っている、

とも解釈しうるので、「(作品が)低俗なことにウンザリ」と補うべきだったと思う。

悪意が先走りすぎて言語が崩れている箇所、と言える。

揚げ足を取るみたいだけど、見てて気持ちのいいものではない。

「胸の悪くなる」とまで言ったのは、こういうところである

 

4)「育つのを期待していたんだがなぁ……」

言うまでもなく、展覧会の将来を勝手に先取りして否定して悲観してみせるのは、

現在行われている展覧会あるいは個別表現の評としては、意味のあるものではない。

気に入らないからって勝手に潰すな、ということ。

発言者としても「これは良くないな」と思ったからこそ、自己リプライ要望を書いて、

自分の望むようなものであれば応援したいのに、というポーズを見せているのだと思われる。

それはそれで独善的無礼な話だが。

あと、ドクメンタ瀬戸内芸術祭だって発言者不快に思うような

プロパガンダ解釈しうる展示がまったくないとは思えないけど(なにしろ大きいから)、

それはまた別の問題である。耳に入らなければOKなのかもしれないし。

ただし、勝手によその芸術祭権威を借りてきて論難の武器に使うようなのは

まり責任感のある言動とは言えない。虎の威を借るなんとやらに見える。

名前を出すなら、せめて一つくらいはモデルケースを挙げて論じて欲しいところである

(例えば前回のドクメンタ出展された、佐川一政を扱った

ドキュメンタリー作品……の話は余談に過ぎるのでやめよう)

 

ついでなので、上記ツイート自己リプライで書き足されている部分についても、

悪意を感じる箇所を指摘しておく(埋め込みは省略)。

 

5)「いかれた協賛メディア

別に協賛メディアが展示の内容を指示しているわけではないし、

いかれた」というのは不穏当な表現である

どのメディアを指していってるのか知らないけど。

 

6)「プロパガンダアートに仕込む行為も全く否定しないけど正直

アートとしての魅力は俺には全く響かなかった」

アートとして失敗してると思うなら、プロパガンダとしても効力は薄いと予測できるわけで、

ひっそり敵失を喜んでいればいいんじゃないでしょうか。

そういうわけにもいかないのかな。

 

以上のようなわけで、拙ブコメ

「悪意でグジュグジュの言語感覚が本当に気持ち悪い」

「人の目に触れるところに文字を書いちゃ駄目な人」

というのは不当で過剰な個人攻撃だったかも、という視点から検討してみたんだけど、

主に2)の理由によって、撤回するほどでもないな、という結論になりました。

もちろん露悪的な言い方であることは進んで認める。

今後ものを書くときには、ヘイト部分を矯めるよう気をつけたほうがいいと、

老婆心ながら心配申し上げるものである

ツイートは見ないけど作品は楽しみにしています

2019-08-09

ぶっこぬき人生

ネットデータをぶっこぬき

会議の内容をぶっこぬき

展覧会をぶっこぬき

会社収入もぶっこぬき

すごい。

anond:20190808232621

過度の興奮の末路は「イデオロギー鉄砲玉」として脅迫罪だの厳重建造物放火罪だのでお縄になるだけ

脳みそネット経由の政治ウィルスに乗っ取られてる人」を観察しつづけると

きみ自身も乗っ取られていつのまにか鉄砲玉になりたくなってしょうがなくなってるかもね

(反対勢力側のウィルスでも行き着くところは同じだよ)

相手を苛立たせあうだけの水かけ論なんかやってるひまがあったらちょっとでも家の外にでて人にあって直接してみたほうがいいんじゃない

情報源ネットだけにするから「それ(=過激)が世間の考えか!」って視野狭窄に陥るんだよ

はっきりいって迷惑なんだよな 美術館ではほかの展覧会も同時開催してたのにな

 

あと増田匿名だけあって

すでに脅迫前科ついてる人、犯罪予告する人も出入りしてるよ

まりもともとはごく普通人間だったのに

ちょっとしたきっかけで鉄砲玉を作り出すような狂った論理に迷い込んで囚われた人

今まさに発射寸前の鉄砲玉とか、発射されて世間にぶつかって自分が先に壊れたあとも鉄砲玉でいることをやめたくない人たちとかだ

 

そういう人が夜とか夏休みはよく来るって用心しておけばいちいち腹も立たないよ

自分人生を守ろうとすべてをかけて反論しようとしても

相手はもう守るものがなにもない

匿名だし気に食わなければだまって逃げて

別の話題のふりをして別のタイミングで繰り返し悪意のヘリクツを書き込むだけだよ

説得なんかされるわけがないんだ

彼らにとっては自分の身の上でさえ自分でこわしてしまったあとなんだ

人生のあまった時間をここにむかってキーボードたたいてみてるだけ

太鼓を叩きつづける猿のおもちゃみたいなもんだ

今日もよく鳴ってるね、くらいでいいんだよ

2019-08-07

表現不自由

ねこ可愛い、犬はうんこ」展をやります

「いや、犬の方が可愛いだろ」意見の表明、意見対立

「それは犬に対するヘイトです」意見の表明、意見対立

「こんな展覧会自治体が金を出すのはけしからん表現規制の間接的推奨

「こんな展覧会やめさせろ」表現規制

ようわからん

問題は犬がやめてちょうだいって言った時だなあ

2019-08-06

anond:20190806231249

ヘイト展ってなったら予算降りないもんね。表現の自由の名の下にあらゆる差別表現や、対立関係を逆なでする展覧会

あれ?面白そうだな。

anond:20190806151126

あれは芸術作品ではなくて、反日アイコンなので、展覧会あいちトリエンナーレに置くのはだめなんでしょうという意見を見て、結構納得しました。

最初からやる気マンマンだった芸術監督

はてな民が嫌がって見もしないソースだろうけど

https://twitter.com/sPOBXWeNVX4wvlC/status/1158333013446418432

津田「そういう、展示を拒否された作品だけを集めました!」

聞き手の女「お〜!気になる〜!これは気になります〜!」

津田「ただー、これの炎上はね、男女平等あいちトリエンナーレアファーマティブアクション)とかじゃないくらいの炎上がおそらく起きるとおもうので、大変なことになるだろうなーと思ってます。ま、今から・・どーしようかな?みたいな。今だから僕、アマゾンにいって、防弾チョッキとか(笑)あのー、ナイフでブスッと刺されても大丈夫なように、いちおそういうの、やっとくかなーみたいな」

聞き手の女「備えあれば憂いなしみたいな」

津田「あーそうそうそうですねー」

https://twitter.com/sPOBXWeNVX4wvlC/status/1158323058651758592

津田「まあ現物を、公立美術館撤去されたものを、表現不自由展っていう展覧会を持ってくる体にして全部展示してやろうっていう(笑)そういう企画で。おそらくこれみんな全然気づいてないんだけどこれが一番ヤバい企画になるんすよ。政治的に」

東浩紀「・・やっぱりー、・・天皇燃えたりしてるんですかぁ?」

津田・・・おー・・・(笑)なんなの?そこ?」

東「天皇制にはどんなお考えですか!!」(スタッフ笑い)

津田「まー天皇というのが一つタブーになって撤去されるという事例がある。それは広く知られているので、それはこの展覧会モチーフになる可能性は、(小声で)あります

東「ええええっ!こんな令和でめでたい時に!?

(中略)

東「人々が新しい元号で前向きな気持ちになってる時に、・・」

津田「(ニヤニヤしながら)二代前じゃん!」

東「税金でそういう・・展覧会やるのはどうですかねぇ!?

津田「二代前になるとなんか人々の記憶もなんか二代前だし、まあ歴史上の人物かなみたいな、ていうよーなね」

「俺は芸術監督として指名されただけで決めるのはあくま実行委員会だ」という責任逃れとも取れるふやけた弁明を先週末ラジオ電話出演して話していた津田だが

この動画を見て記者会見の時の憔悴した津田とだいぶイメージ違って浮ついてるなあと思った。この展示をぶっこむことのリスクを本当に正しく把握はしてなかったんだね。

ネトウヨ挑発できておもろいやんくらいには考えてたことは上の動画から明白

電話対応に追われてメンタルがやられつつある職員を見てこれは無理だなと津田は思ったそうだが、正直これくらいの抗議が来ることは当然予想しておくべきだし、そのつもりでやってたのだと思ってた 3日で引っ込めたというのもそのへんの腹のくくり方の甘さから来てたのだと苦言を呈されてもしかたないんじゃない?

芸術性を見る目のない人に芸術理解してもらうのは日本じゃ無理だと思う

カラフル看板広告物に街は占拠されて、映画ポスター文字説明するパターンが多く、

日本車はことごとく過剰に装飾されて、日本人にとってアートとは遠く海外の異質の文化しかない

美術に接する日常はどこにもなくて、芸術という切り口でなにかを評することのできる人なんていないと言っていいか

そんな社会展覧会をするなんてそもそもの土台から完全にまちがってる

表現不自由展、勝利宣言してるけど完全敗北だよね

意識高い活動家展覧会が中止になったこ自体日本表現不自由を表している!我々の勝利!」

ぼく「表現不自由があることって日本にとってデメリットだよね?それがなんで勝利なん?」

2019-08-05

anond:20190805132710

あの展覧会ダメって言ったら自分責任問題になるやん

ここは表現の自由を守る戦士にならないと辞職なんだよあいつは

分かってても踊るしかない

しろ

2019-08-04

anond:20190804184750

話題になってるとか以前に、一定の人数が一応見てはいる大きな展覧会であるという事実認識されても良いのではないか

根拠がどうのといいながら、一定の人数がというのはどのように評価されているのだろうか。

展覧会のやつ、「やめれば済む問題ではない」と述べ〜 ということでまだお楽しみは続くようだな

「どうせトリエンナーレたこと無いんだろ!」

「どうせトリエンナーレたこと無いんだろ!」と言われた。

いや、見たことあるんだけど。なんでそんな「見てないのが当然」みたいな言われようなんだろうか。

いや、特定個人に向けた発言ならわかるが、不特定多数を名宛人にしてるような言い草でこれを言うのは雑ではないのか。

この言い方を以て政治だの表現の自由だのをめぐる難しい議論に突っ込むつもりはないけど、そういうのを論ずる以前の問題として、

根拠もなしに見たはずがないとみなされないといけないものと扱う意見には違和感があるとは言いたくもなる。

話題になってるとか以前に、一定の人数が一応見てはいる大きな展覧会であるという事実認識されても良いのではないか

というのが自分の素朴な感情なのだが、それすらおおっぴらに言っては行けない「空気」なんだろうなあと。

anond:20190804154050

暴力犠牲者象徴するモニュメントの近くに性器のものモニュメントが並ぶのは流石にマズイでしょ。

犠牲者方面からクレームがくるだろうし、権利侵害の不当性を問う展覧会自身侵害したら元も子もないからね。

津田大介キュレーター失格

表現の自由展・その後

考えたこと言いたいことは山ほどあるけど結局これです。

本来なら見た人に表現の自由とは何かを考える場を提供せねばいけないのに結局対立を煽ることになってしまった。

この時点で本来の狙いが達成されていないので失敗です。

互いの憎悪を増幅しただけそれはアートに求められる力ではない。

それも今回はトリエンナーレ

単独展覧会ではない。多くの作家が多くの場所長期間にわたって「情の時代」をテーマに行われるのに「あいちトリエンナーレ2019=慰安婦像」というイメージがついてしまった。

その責任監督である津田氏にあると言っていいだろう。

想定が甘かった。行政に守るだけの気概もなかった。京アニのこともありタイミングが悪かった。

いろいろあるけど責任津田大介にある。

監督とはそういうものだ。

せめて今回のことで表現の自由はを守ることは生半可な覚悟ではできない。誰しもが表現の自由をもち、同時に批判することもでき、表現の自由を脅かす立場になるのだということを自覚してもらえれば幸いである。

anond:20190804105930

界隈の方々は「お前が言うな」で歯切れ悪くお茶濁してるけど津田が何らかの展覧会に抗議して中止させたことってあるの?

展覧会のやつ、「やめれば済む問題ではない」と述べ〜 ということでまだお楽しみは続くようだな

anond:20190804074729

めでたく中止ということで反対派は勝利して、中止に追い込まれ展覧会アートとして成立してしまい、win-win関係になってしまったな

2019-08-03

リアル図書館戦争じゃん

あいちトリエンナーレ」、完全にリアル図書館戦争になってるよ

図書館戦争シリーズの第三弾、「図書館危機」は、良化特務機関の気にくわない作品を展示した美術館検閲攻撃する話なんだけど、なんかあいちトリエンナーレ騒動のものだよね

さらに言うと、このエピソード、おそらく「富山県立近代美術館事件」を下敷きにしている。この事件昭和天皇コラージュ作品掲載した「図録」を県立図書館圧力に屈して所蔵しようとしなかった事件

そこまで読むと、あいちトリエンナーレはまんまリアル図書館戦争なんだけど、普段エロ表現規制の時だけリアル図書館戦争(笑)とか言っていきがってる表現の自由戦士の皆さんは何してるの?早く名古屋に飛んで市長に抗議しろよ。

追記

ついに中止になった

「表現の不自由展」中止に。慰安婦を表現した少女像めぐり抗議殺到 あいちトリエンナーレ | ハフポスト

図書隊の活躍展覧会を強行できた「図書館危機」よりも状況はさらに悪い。

日頃リアル図書館戦争とか吹き上がってた表現の自由戦士ども、何やってるんだ?やっぱりエロ表現以外はどうでもいいのか?

anond:20190803133835

バランスを取る義務はないけど、それに対して「バランスが悪い」と批判が出るのは当然だし、そのような批判をしてはいけないという理由もない。

出す側もそういう非難を受けることは当然想定しておかないとダメでしょ。主張はするけど批判はするな、では通らないしそれこそ表現不自由を自ら作り出していることになる。批判だって表現からね。

なるべく批判を避けたいならバランスを取ればいい、バランスも取らずに批判するなと注文をつけるのは表現の抑圧、って話かと。

それに、左が抑圧されることが多いって言われるけど、つい最近で言えば子どもの乗物絵本自衛隊のページが多く割かれていたって批判が出て増刷中止になった。

旭日旗理由に中止になった展覧会もいくつかある。

これも立派な表現不自由。そういうものを持ってこず、左寄り、特定の国寄りのものばかりを集めているのだから恣意的批判されても否定のしようがないよね。

anond:20190803092700

自分芸術スタッフ巻き込むな」ってこと?

でも、芸術表現制作スタッフとして関与している時点で、それは同意事項ではないの? 芸術に対する社会的反応って予測できるもんではないよね。

「何するか分からん奴」に「なんかやるから手伝って」って言われて手伝ったら、それは責任あるでしょ。

社会がその「お手伝い」を責めるのは当然。それが不当だと思うなら、その「お手伝い」は「何するか分からん奴」か、もしくは「自分」を責めるしかなくね。

つーか、あの展覧会に関する問題の焦点って、そこじゃなくね?

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