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2013-09-01

マスダ80年代女性アイドル論~インターバル

これまでの記事。

80年代女性アイドル格付

マスダ80年代女性アイドル論~松田聖子論

マスダ80年代女性アイドル論~中森明菜論

マスダ80年代女性アイドル論~小泉今日子論


こんにちは。来週の「あまちゃん」を見るのが怖いマスダです。今日インターバルで補足説明や修正をします。


・文章のこと

文章のことを幾人かの方々にお褒めいただいて恐縮です。確かに文章は私にとっては飯の種ですが、別の記事を書いた時には(批判が多かった記事ですが)、文章も幼稚だと批判されたものです。ですから文章の良し悪しも内容に興味を抱くか抱かないか、内容に共感するかしないかで印象も随分違ってくる、そういうものだと考えています。これらの記事を増田で書いているのにはそれなりの事情もあるので、どうぞ私のことは詮索無用にお願いいたします。

業界人かどうか

業界の範囲をどの程度とるかにも拠るかも知れませんが、少なくとも芸能業界とは何の関係もなく生きてきました。ただの一視聴者に過ぎないというのは謙遜でも誇張でもありません。それどころかアイドルオタクでさえないと思います80年代おいても洋楽も聴けばニューミュージックも聴いていましたし、アイドルのことはファンクラブに入っていたアイドル別にして、普段は月曜日に「トップテン」と「夜ヒット」、木曜に「ザ・ベストテン」を見るくらいの関わりしかありませんでした。ここで書いているようなことは既知の情報であって、特に目新しいことを書いているつもりはありません。ただ80年代アイドルのことはかれこれ30年間の蓄積があるわけで、当人たちを含めていろんな人たちが当時について語っています。私は芸能界裏話みたいな、そういう話が大好きなので、好き好んでそういうのに目を通していたらそれも30年分の蓄積がある、ということです。好きな話なので、一度聞いたら忘れないだけです。

・根拠のある話なのか

わりあい根拠のある話を選んで書いています雑誌インタビュー記事やテレビ番組で当人が話したことや、ゴシップ系ではない、書籍や記事を参考にしていて、ソースを示すこと自体はほとんどのエピソードについて可能です。例えば、「秘密の花園」は最初作曲が気に入らなくて松本隆が改めて松任谷由実作曲を依頼した、と言う話ですが、これは旧バージョンの曲も確認しています。なお、この曲を当初、「小麦色のマーメイド」と誤記していました。複数の方のご指摘の通り、「秘密の花園」の間違いです。失礼いたしました。「小麦色のマーメイド」は詞・曲ともに全体として完成されていて、個人的には松任谷由実松田聖子提供した楽曲としては「蒼いフォトグラフ」と並ぶ最高傑作だと考えています。詞、曲、歌い手、微塵も変えられない最高の品質調和した作品なので、これが旋律が後ハメだったらえらいことですね。

・一方の視点に立ち過ぎていないか

そのきらいはあるかも知れません。例えば中森明菜の項目で、結果的に松本伊代を悪役みたいに描いてしまったのですが、彼女テレビ番組という公開の場所ではっきりと明菜を「嫌い」と言ったのは事実で私はそれに強い反感を覚えますが、松本伊代には松本伊代の言い分がおそらくあるでしょう。明菜にも社会的意識が欠落した言動がしばしばあったのは事実で、90年代末期には公演を巡って、公演は中止される、チケットは払い戻されないという詐欺まがいの事件も起こして、当時の所属事務所社長から芸能界に置いていてはいけない人」とまで言われているのですから松本伊代なりの正義感からすれば許せないことがあったのかも知れません。ただ意地悪な人だったら松本伊代もあんなに友人に囲まれるはずもないですから。そうした欠落を踏まえても、明菜不世出パフォーマーとして評価している、評価せざるを得ないというのが私のスタンスです。芸能界に置いておくかどうかは事務所社長が決めるのではありません。民衆が決めるのです。一方で舌足らずに書いてしまった点もありました。研ナオコ聖子を「挨拶もしないで」と批判したことについて、それを批判的に書いたのですが、もちろん「挨拶をしない」のは社会的には批判に値することですから、そこだけを抜き出せば研ナオコの言い分も必ずしも間違っているわけではありません。しかしその状況を踏まえれば、言いがかりに近いと私は判断したのですが、状況を書くのを忘れたので一方的に聖子の肩を持っているように見えたかも知れません。芸能人が何百人と集まっている大きなパーティーで、おそらく聖子は顔出しだけでもと頼まれたのでしょう、わずか数分、会場にとどまって、皆に手を振って、義理を果たすとそのまま退出しました。スターにはよくあることです。これを個々人に挨拶をしていない、と難癖をつけるのは、別格のスターである聖子であるがゆえにやむを得ない行動についても理解を受け付けない、依怙地さが目立つ態度です。似たような話はよくあって、例えば山口百恵テレビドラマに主演していた頃は過密スケジュールだったのでどうしても百恵中心の時間配分になりますベテラン共演者がそれに不満を抱いて降板した、ということがありますが、そういうことを「先輩を蔑ろにした」みたいに処理されても、だからと言ってどうしようもない話です。だから研ナオコのあの批判は小姑根性のくだらない批判だと私は思いました。同年、研ナオコ紅白に久しぶりに出演していますが、声はガラガラで、歌手として鍛錬していないのはみえみえ、聖子に難癖をつけるようなくだらないことに気を使っているならその前にプロ歌手としてやることがあるだろうに、その点、いつまでも衰えない聖子はさすがに立派だとの思いを強くしました。これについては名前は出していませんが、同じく聖子ファンである作家林真理子が激しい口調で研ナオコを同様の趣旨で批判しています

酒井法子を取り上げていないのはどういうことですか

チャーリーはよほどノリPが好きなのかもしれませんが、80年代を通しで見て、本当にここで名前が挙がっている人たちよりも酒井法子が実績を残したと思いますか?私だって涙を呑んで、南野陽子を7位にしたのです。酒井法子ランキングで取り上げていないのは彼女の生い立ちのせいでもなければ事件のせいでもありません。80年代アイドルとしてはそういう評価しか下せないからです。彼女90年代にむしろピークが来ました。女優として本当に傑出した、才能あふれる人だと思います大河ドラマはいろんな人が北政所を演じていますが、私は彼女が演じた北政所が歴代の中でベストだと思っています。だからこそあの事件のことは残念でしたが、それでも立ち直って復帰して欲しい。そう強く願うくらい、酒井法子を評価しています。それでも80年代アイドルとしては、ベスト16の中に入れるわけにはいきません。

女優フォローしないのか

しません。女優としてアイドル的な人気を得た人としては、伊藤かずえ沢口靖子富田靖子などがいます世代の性(さが)で、今でもこの人たちが出てくるとすごく嬉しいですね。「ナースのお仕事」では伊藤かずえばっかり見ていました。沢口靖子の「科捜研の女」は欠かさず見ています沢口靖子彼女も年相応に老けてきましたが、老けたなりにありのままの姿をさらすことを選んでいるようで、撮りようによっては皺も隠せるのにしていませんね。それでいて今なおあの美しさ。ほれぼれします。でも、「ザ・ベストテン常連というのが一つの判断基準なので、彼女たち女優プロパーは対象外です。

森高は?宮沢りえは?

森高アルバムは全部持っていて(森高作詞の才能は本当にすごい。松任谷由実は「あんな中学生みたいな歌詞印税貰えていいわね」と評しましたが、作為を感じさせず強烈に印象を残す作詞力は並の芸当ではありません。大槻ケンジと同じくらいの天才だと思います)、宮沢りえちゃんは「ぼくらの7日間戦争」以来のファンで、児ポ法的には危険なあの写真集も未だに持っていますが、イメージ的には90年代スターです。「ザ・ベストテン常連でもありませんし。

・どこまでやるんだ?

一応の目安として第8位の斉藤由貴まで順繰りに書こうと思っていましたが、小泉今日子を書いていて、熱意が足りないように感じました。小泉今日子は好きか嫌いかで言えば好きですし、おカネを払って彼女の作品を買ったことも何度もあるんですよ。でも聖子明菜に対して程、思い入れが無いのも事実です。だから書いていて、愛よりはテクニックに頼ったところがあります。で、正直言って中山美穂についてはなおのこと思い入れがありませんし、工藤静香に対してはむしろネガティヴな印象があって、対象に愛情が無いのに論評を書くのも苦痛ですし、なにより失礼だと思うんですよね、当人に対してもそのファンに対しても。で、中山美穂工藤静香飛ばして、斉藤由貴まで取り上げようかと考えています


では、もうしばらくお付き合いくださいませませ。

2013-08-25

マスダ80年代女性アイドル論~松田聖子

80年代女性アイドル格付

http://anond.hatelabo.jp/20130821065806

を書いたマスダです。80年代女性アイドルについて語り倒したくなったので、順繰りにそれぞれの女性アイドルについて話してみたいと思います

今日松田聖子について。


松田聖子デビュー曲は「裸足の季節」、そのB面曲は「RAIMBOW~六月生まれ」と言う楽曲です。

どういう事情でこのB面曲が選ばれたのか、ちょっとした謎ですね。デビューシングルと言えば、売出し中のアイドルにとっては名刺みたいなもんじゃないですか。そのB面曲が「六月生まれ」だったら、普通は、ああ、この子は六月生まれなんだなあって思いますからね。でも実際には聖子3月10日生まれ、早生まれなんですね。この早生まれ、ということを初期の聖子は最大限に活用しています

三作目のシングル「風は秋色」はB面曲(扱いは両A面扱いですが)が「EIGHTEEN」で、聖子の初期の代表曲の一つです。

あーここでついでに言っておきますが、聖子シングルのB面はA面よりもむしろ優れた楽曲が多くて、ファンから強く支持されているのもB面曲が多いですね。何といっても「SWEET MEMORIES」が「ガラスの林檎」のB面曲なんですから。主演映画の主題歌だった「花一色」や「夏服のイヴ」がB面だなんて、他の歌手では絶対にありえないですよね。

で、「EIGHTEEN」を歌っている時、彼女は実際に18歳だったのですが、早生まれなので学年で言えば、「19歳」なんですよね。山口百恵は19歳の時には「プレイバックPart2」を歌っていました。そして21歳の時に引退しました。山口百恵脱アイドル路線を進み、既にその前年に嫁に行く娘の母への気持ちを「秋桜」で歌っていたことを踏まえれば、普通はもうアイドル路線から転換するような年齢で、聖子アイドルを開始したということになります

既に高校卒業して、社会人としてアイドルデビューをした松田聖子でしたが、「高校三年生の年齢である18歳」を強調することで、ファン層である中高生との乖離を極力狭めようとした、「EIGHTEEN」という楽曲にはそういう意図が感じられます


聖子高校1年生の時にミスセブンティーンコンテスト歌唱力を認められ、CBSソニーが直ぐにでもデビューさせたいとアプローチをかけます彼女サンミュージック所属でしたが、レコード会社が発掘したアイドルなんです。CBSソニーサンミュージック綱引きをしたら、聖子はあくまでソニータレントです。このことがアメリカ進出の際、亀裂となって生じるのですが、それはまた別の話です。

聖子デビューが遅れたのは、父親を説得するのに2年を費やしたからです。14歳デビューした山口百恵らはさすがにデビューが早い方ですが、アイドル普通は16歳前後デビューます田原俊彦は19歳でのデビューでしたが(学年で言えば実際には20歳でのデビュー)しばらく年齢を詐称していたように、18歳以降でのデビューアイドルとしては年齢が立ちすぎていて、著しく不利です。

いいよいいよで済ます家庭で育っていれば、聖子デビュー石野真子と同期、1978年になっていたはずです。2年デビューが遅れたのは後から見れば実にラッキーだったのですが、おそらくその2年間は聖子人生の中で一番悶々としていた時期だろうと思います


娘が芸能界デビューしたいと聞いて、まずまともな父親なら反対が先に来ると思います。決して内実は美しい世界ではありません。暴力団などに食い物にされている人もいます。横目で見ていて、そんなことに娘が関わって欲しくないとまともな父親ならばそう思うのではないでしょうか。娘が芸能界に入りたいと言って、これで一儲けが出来ると思うなら、いいよいいよと父親は言うでしょう。問題は果たしてそう言う父親がまともな父親かどうかです。

芸能界に入る時に父親に反対されたというアイドルほど、荒波を乗り越えてタフなように見えます。それは最後の砦である家族を信じられるからです。家族を信じられるのは家族がまともだからです。松田聖子にはこの、「父に愛された娘」としてのタフネスがあります。それは中森明菜が結局手に入れられないものでした。


デビューが遅れて良かったのはまず第一に黄金期にあった山口百恵キャンディーズピンクレディーらと競合せずに済んだことがあげられます。本来、ポスト百恵世代は、石野真子榊原郁恵大場久美子らが担う位置にありましたが、彼女らは既に聖子デビューした時には息切れしていました。78年にデビューしていれば聖子もそうなった可能性があります聖子百恵の活動時期は殆どかぶっていなくて、百恵引退直前に聖子挨拶に行った、くらいの関わりです。百恵が不在になって、いなくなったのは百恵だけではなく、めぼしい女性アイドルたちもそうでした。80年組が豊作の年と言われるのは、女性アイドルたちが不在で、80年組がまたたくまにその空間を埋めたからです。

80年組が活発な活動を続けていた81年には、逆に女性アイドルが出てくる余地が無くて、81年組は近藤真彦竹本孝之沖田浩之などの男性アイドルは輩出されましたが、女性アイドルには本当にめぼしい人がいません。伊藤つかさだけですね。

70年代60年代の延長ですが、80年代は新しいステージに入りました。戦争を知らない子供たちどころか石油危機を知らない子供たちが青年期を迎え、先進国日本しか知らない若者が世相をリードするようになりました。

70年代末期には、海外ご当地もの楽曲が数多く出ました。「とんでイスタンブール」とか「サンタモニカの風」とかですね。海外ご当地もの聖子も数多く歌っていますが、日本若者は行こうと思えば気軽にそこへ行けるようになっていたのが70年代と異なっていますハワイグアムではもはや歌の舞台には陳腐になっていて、聖子海外ご当地ものはより遠くへ、穴場へ行く傾向にありました。グアムではなくセイシェル、ロスではなくマイアミカリフォルニアディズニーランドではなくニューヨークコニーアイランド

聖子の歌には、特に初期には憂いのようなものはなく、ふわふわとしたポップな高揚感がありましたが、80年代はそれをファンタジーではなく、普通のことにする時代でした。あの時代日本人はすべて、準超大国であった日本という国家を背負っていたのです。

聖子はその象徴になりましたが、それは78年にデビューしていればたぶん不可能なことでした。


裸足の季節」がスマッシュヒット、「青い珊瑚礁」が大ヒット、続く「風は秋色」という地味な曲が80万枚を売り上げたことから(今の感覚ではたぶん倍の枚数で考えればちょうどいいんじゃないかと思います。だから160万枚)、聖子なら何でも売れることがはっきりとしました。

続く「チェリーブラッサム」は最初のターニングポイントになった楽曲です。続いて「夏の扉」「白いパラソル」と財津和夫作曲を手掛けますが、財津和夫の流れからJ-POP原理主義とも言うべき、「はっぴいえんど」人脈とのつながりが出来て、松田聖子楽曲アイドルの枠を超えて、日本ミュージックシーンでもにわか実験的な色彩を強めていきますアルバム風立ちぬ」はこの時代もっとアグレッシヴアルバムであり、日本音楽史上、聖子楽曲は単に売れている、という以上の意味を越えて特筆すべきものになりました。売れているから何でもできたのです。

チェリーブラッサム」は初期シングルの中では最高傑作との評価も高い楽曲で、人気も高いのですが、歌うのはかなり難易度が高い曲です。聖子はその後も「いちご畑でつかまえて」のようなあり得ないような難しい楽曲をわりふられて、楽々と歌っているばかりか、生放送で披露して作品世界観までしっかりと表現しているのですが、まず普通の歌手には真似できないことです。第一に何でも売れる、第二に何でも楽々と歌える、という二つの条件が揃ったことにより、一種の「聖子解放区」なるものが出現し、日本トップアーティストたちがこれでもかと腕を振るって練りに練った楽曲提供し、ソングライターにとっての桃源郷聖子という媒体を通して出現します

その契機をつくったのが財津和夫であり、「チェリーブラッサム」でした。聖子自身は当初、この楽曲に拒否反応を示し「こんなのを歌っていては駄目だわ、と思った」と述べているのですが、それはアイドル歌謡の枠からあまりにも外れていたからでしょう。

聖子はなりたくてアイドルになっただけに、アイドル的なるものが好きでした。聖子80年代初めに、ふわりとした髪型(いわゆる聖子ちゃんカット)、ロココ趣味ドレスという天地真理スタイルを復活させた人ですが、当時は既に山口百恵後期のスタイリッシュ大人の女性路線を経ていたために、下手したら冗談と受けとられる可能性がありました。そんな恰好をするのはもはや聖子だけだったのです。その後、聖子ブレイクした結果、猫も杓子もエピゴーネンになりましたが、その時にはもう聖子はそうしたスタイルをやめていました。


そして「赤いスイートピー」で作詞・松本隆作曲呉田軽穂松任谷由実)のコンビが実現するのですが…。

松本隆80年代代表する作詞家で、トップアイドルたちのほとんどに詞を提供しています。上位から8位までのアイドルたちで言えば、中森明菜に「愛撫」「Norma Jean」、小泉今日子に「魔女」「水のルージュ」、薬師丸ひろ子に「Woman~"Wの悲劇"より」、中山美穂に「派手!!!」「JINGI~愛してもらいます」、斉藤由貴に「情熱」を提供しています

特に中山美穂については初期にプロデュースも手掛けています

しか松田聖子プロデューサーとしての活動が著名で、松本隆と言えば松田聖子松田聖子と言えば松本隆といってもいいでしょう。「秘密の花園」は元は別の人が作曲していたのですが、松本隆が気に入らなかったので急遽、作曲者松任谷由実に替えています松田聖子プロジェクトおいてはそういう権限を持っていた人です。

松任谷由実アーティストとしての全盛期を、荒井由実時代に求める人は多いのですが、私は松任谷由実になってから7年間、アルバムで言えば「紅雀」から「DA・DI・DA」までがソングライターとしての全盛期だと思いますセールス的にはその数年後に絶頂が来るのですが、セールス的な絶頂が来た頃にはソングライターとしては下降期に入っています。そのソングライターとしての全盛期がまさしく彼女松田聖子プロジェクトに関与した時期で、さすがにどの曲も珠玉の傑作ばかりです。

赤いスイートピー」「渚のバルコニー」「小麦色のマーメイド」「Rock'n Rouge」「秘密の花園」「瞳はダイアモンド」「時間の国のアリス」が松任谷由実松田聖子提供したシングルA面曲になります。B面曲/アルバム曲では「制服」「レモネードの夏」「蒼いフォトグラフ」「恋人がサンタクロース」などが有名なところでしょうか。彼女ソングライターとして全盛期だった松任谷由実楽曲を歌うことで、松任谷由実エピゴーネンになる危険を冒しました。ユーミンサウンドのチャンネルひとつ、になってしまう可能性があったのですが、そうはならなかったのは、第一に二三の例外を除き、松任谷由実セルフカバーしていないから、そして、松田聖子が独自の歌唱で、世界観をくっきりと提示したからでしょうか。

これは彼女楽曲カバーしたアーティストの歌を聴き比べればはっきりとしますカバーアーティストたちはプロですからそれぞれに上手いのですが、聴き比べればやはり聖子歌唱が圧倒的に優れているのが分かります。これは単にオリジナルシンガーというだけでなく、楽曲世界観を提示する能力が卓越しているからです。

彼女洋楽日本語版をカバーして歌っていることも多いのですが、それらはオリジナルよりもよほど強い輪郭を持っています

松田聖子は演技は致命的に下手ですが、歌の中にドラマを作り上げる技量は他の追随を許しません。いわゆる歌が上手いと言われる人、例えば美空ひばりは、彼女自身が器楽として優れているのであって、実はその歌は、世界観を味わうというよりは、音楽としての歌を楽しむ、実はより純粋音楽の方向に寄り添っています松田聖子は歌を映像として見せる技量に秀でているのであって、その圧倒さは唯一無二のものです(対照的に中森明菜器楽寄りの歌手です)。


はっぴいえんど」人脈によって松田聖子というアイドル楽曲風景歴史的ものになったのですが、松田聖子自身は本来はそちらの性向ではなかったのでしょう。「花一色」は文芸映画「野菊の墓」の主題歌で、やはり数多くの文芸映画に主演した山口百恵の中期の路線を思わせる楽曲でしたが、しっとり日本の情感を歌い上げています彼女自身はそういう、「大人」の路線にシフトして行きたかったはずですが、松田聖子プロジェクトが圧倒的な成功を収めたために彼女自身、その成功に圧倒されていきます

チェリーブラッサムを歌いたくなかった」

という言葉は実は、「案外、自分のことはわからないものだ」という自己反省の文脈で語られています自分よりも周囲の方が案外分かっているのではないかチェリーブラッサムはそういう教訓を彼女に与え、彼女自身、松田聖子自己模倣していきます

アイドル時代キャリアの後半になるにつれ、子供っぽい、可愛い歌の傾向に拍車がかかるのは、その表れでしょう。「時間の国のアリス」「天使のウィンク」「ボーイの季節」は過剰な少女趣味が行き過ぎていて悪趣味ですらあります

ほとんど自らの巣に絡まる蜘蛛のような、自虐的とも言えるまでに肥大化してゆくアイドルとしての松田聖子の路線に、松田聖子結婚休業をすることでけりをつけるのです。

 
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