はてなキーワード: 小節とは
ミーソ/レードシ/ドーミ/シーラソ/ラード/ソーファミ/ファード/レー
スラッシュは小節の区切り、太字は各小節の中で3/4以上を占める長い音、普通の字はそうでない音を表している。
これを見ると8小節あるメロディーの内、全ての小節にその小節の3/4以上を占める長い音が入っていることがわかる。
普段耳にする曲でここまでロングトーンが頻発することはあまりなく、このメロディーは割と異質である。
ミー/レー/ドー/シー/ラー/ソー/ファー/レー
お分かりいただけただろうか。
7小節目までミからファへと一音ずつ階段状に下がっている。それがどうかしたかと思うかもしれないが、これがこの曲がパッヘルベルのカノンたる所以である。
パッヘルベルのカノンを元にしたコード進行を俗にカノン進行と言う。
コードとは簡単に言うと3つ以上の音の組み合わせのことであり、コード進行はそのコードの種類の並び順のことだ。
C - G - Am - Em - F - C - F - G
これだけでは何を言っているのかさっぱり分からないので、それぞれのコードをドレミファソラシの組み合わせで表記してみる。
C:ド、ミ、ソ
G:ソ、シ、レ
Am:ラ、ド、ミ
Em:ミ、ソ、シ
F:ファ、ラ、ド
C:ド、ミ、ソ
F:ファ、ラ、ド
G:ソ、シ、レ
これでカノン進行がどんな音から成っているのかがわかった。ここで、その構成音をよく観察してみよう。
C:ド、ミ、ソ
G:ソ、シ、レ
Am:ラ、ド、ミ
Em:ミ、ソ、シ
F:ファ、ラ、ド
C:ド、ミ、ソ
F:ファ、ラ、ド
G:ソ、シ、レ
Masdaのメロディーと同じく、一音ずつ下がっていくメロディーが現れた。
ミー/レー/ドー/シー/ラー/ソー/ファー/レー
ここまでメロディーの長い部分しか見てこなかったが、元のメロディーは小節が切り替わるタイミングにコードの構成音ではない音がある。これを非和声音(NCT)、あるいは装飾音と言う。
装飾音の名の通り、これはメロディーに動きを与えもう眠くなってきたので割愛。
まぁとにかくMasdaのメロディーは、パッヘルベルのカノンからできてて、その一部に装飾音を挟んだものなんちゃう?知らんけど
昔過ぎて初めて聞いたのがどこなのかすらわからないが、何年か前にドキュメンタリー番組を見ていたらそっくりな曲がBGMとして使われていて、「これだ!!」と思った(一瞬だったので結局何の曲かは分からず)ので、自分の脳内で勝手に作られたメロディーではないことは確か。
ドキュメンタリー番組のBGMに使われるくらいなのでそれなりに有名な曲なんだろうとは思うけれど、知ってるのはメロディーだけで検索のしようがない......
知ってる人がいたら教えてほしい。
https://soundcloud.com/anonymousdiary/hatena
追記:
知ってる部分は8小節だけで、そこがイントロなのかサビなのかはわからず、歌詞のある曲なのかインスト曲なのかもわからない。自分が生まれたのは21世紀初頭で、初めて知ったのは2010年前後くらいだと思う。
残念ながら『ぼくたちの失敗』でも『時代』でもなかった。トラバ・ブコメありがとう。
教えてもらった『ぼくたちの失敗』がいい曲だったので、これを聴きながらまた頑張って探してみます。
定型詩のような歌詞・メロディ構造があるから、心地よく聞こえるのだろうという考察
恐らく、車輪の再発明になるだろうけど、調べるのが面倒だったので、論を構築しておく
各小節は、①と②で韻を踏んだ上で、③でオチをつけるような構造になっている
Aメロと同様の構造をAメロ’で再現(構造を同じにする=マクロ的に韻を踏む)してBメロにつなげる事で、①と②で韻を踏んで③にしたのと同じ構造にしている
①ミセモノの君が 見せる 愛を
②ニセモノの僕が 似せる “I”と
①バケモノの指が 示す愛の
③綺麗な歌を歌いましょう いびつな手が空を向く
Bメロ(第二節)も、Aメロと同様に2小節構成であり、やはり各小節内は①と②を足して③でオチをつける構造になっている
また、前述のとおりAメロ・Aメロ’を受けてBメロでオチをつけるフラクタル構造になっている
第一小節も「遠い街の鉄塔の」「足元に揺れる花が」という名詞節と、「煙と共にちぎれたのは きっと少し先の話 」と動詞節?で分割されているのがお洒落な感じを受ける
第二節(Bメロ:サビ前=AメロとAメロ‘をBメロで纏める:二小節構成)
①遠い街の鉄塔の
②足元に揺れる花が
③煙と共にちぎれたのは きっと少し先の話
①イツワリだと叫ぶもの
②イツワリに気づかぬこども
③それをかき乱すケモノ
サビ(第三節)も2小節構成であり、各小節は①と②で韻を踏みながら③でオチをつける構造は変わらない
また、AメロとBメロでの抑圧をサビで開放する役割があり、A+B⇒サビという構造になっている
①嗤え、睨みつけても
②嗤えないよ だから、
③僕の心臓も ニセモノだったらよかった、 のに。
二番(2章)も一番と全く同じ構造であるが、サビに入る前に間奏が入ることで聞いている側が飽きないようになっているところが音楽的に楽しい
①欺くために生まれたなら
②僕も欺いてくれよ
①ソノママで良かったのでしょう
②ソノママを拒んだのでしょう
③綺麗な歌を歌いましょう いびつな手が牙を剥く
第二節(Bメロ:サビ前=AメロとAメロ‘をBメロで纏める:二小節構成)
①宝石で着飾るほど
②顕になったバケモノ
①痛くないよ、とうたえど
②君になりたい、とうたえど
③その感情 似ていない 似ていない すべてがニセモノ
3番(ラスサビ、三章)は、サビのみではあり文章数は少ないものの、構造自体は一番・二番との類似性が高い
第一節・第二節はこれまでのサビと同じ構造だが、一番盛り上がる第三節は①+②⇒③の構造ではあるが、全体を統括するようなメロディになっている
また、マクロ的に言えば、一番と二番で同じ構造が来たところを、三番のラスサビでオチをつけるという構造であり、これもフラクタル的である
第3章(3番=ラスサビ)
①綺麗で醜い愛を
②終わらせてよ、さらば
③花の種をさがす手が、君の雨を拭うとき
①─今日はきっと素敵な日だ。
全体的に同じリズムや構造が続いており、統一感があるために聞いていて「整っている」と感じる展開になっているのだと思われる
こうした定型詩のような構造が聞きやすさ・心地よさを生じさせるのだと考えられた
以上、
私の増田投稿は、本来オモチャに過ぎないが、君たちのオモチャではないよ。あつちへ行つてくれ。私は、もう、ねむい。
一番~三番の最後の文を見ると「○○、のに(後悔)」「××たんだ(過去~現在の確認と諦め)」「△△だったよ(過去からの決別)」といったニュアンスが香るようになっており
後半になるにつれて物語=心境が変化していくことが察せられるようになっている
自分は特別に音楽に詳しいわけじゃないけど、サビのところで比較してみるよ。
増田のCSSはテーブルセルにボーダーがないので小節がわかりにくいけど頭4小節分を抜き出している。
■Blue Archive
テンポ=104bpmくらい
FM7 C/E | G Am7 | FM7 C/E | G Am7 |
■Shelter
テンポ=100bpmくらい
FM7 | C/E G | Am7 | Dm7 |
しかしどの共通点もひじょうにありふれた王道の要素なので、偶然一致してしまうことなんて普通にある。
このくらいの共通点を共有する楽曲の組み合わせなんて無数にある。
なので、たとえばどっちかがどっちかのパクりか?と言われると難しい。
これが、メロディの並びが部分的に完全一致しているとか、非常に突飛なことをやっていてそこが一致しているとかだと「パクり」と呼ばれてしまうと思うけど、この2曲の間にはそれがないからね。
じゃあなぜこの2曲にとても似た印象を受けるだろう。
それは「Ⅵmaj7」の存在が大きい。
マイナーの曲でこのコードからサビが始まると素敵に物悲しくてキレイな曲になる。
ということは、当然のことながらこのコード進行はとても人気があり、多くの人々が使っている。
サビのコード進行をどのコードで始めるかなんてそもそも選択肢は7個くらいしかなくて、そのうちよく使われるのなんてⅠかⅣかⅥの3つくらいなのでカブッて当然なのだ。
だいいち、「描けないから書こう」という動機な時点で、絵を描いた方がいい。
だいたいこういう奴は字書きのくせに言葉にこだわりがなく誤用も多く表記揺れもひどく文体もめちゃくちゃだ。そのくせ評価をされたがり、かつ己の作文のうんちくを語りたがる。絵を描け。馬鹿。お前は本当に馬鹿。絵を描けよ。絵を描きたいのに描けなくて字を書いてるから自己肯定感がどんどん下がってウザイメンヘラムーブをかましだすハメになるんだよ。だいたい小節が書きたくて言葉に一直線の字書きに失礼だろうが、「描けないから書く」とか言うのは。お前は文章すら書けてねえよ。SNSはネットスラングの嵐、言葉にこだわりもないから雑な定型文でしかものが言えない。そんなやつの小説は誰も読まないし日常ツイがバズったりもしねえんだよ。絵が描けないから文を書くーーそれって絵が描けたら描くんだろ。絵は「描ける」じゃなくて、絵を描く人間は「絵が描けてる」んじゃなくて、「描けるようになった」んだよ。だからお前も絵を描けよ。お前は小説に向いてないんだよ。国語の成績も特段いいわけじゃなかっただろうが。絵の練習をしろよ。2年もあれば神絵師レベルの画力はつく(神絵師は画力が全てではないので神絵師になれるかはわからないが)、自分の言葉を持たず、頭を抱えるような毎日を送りながら低評価の作文を繰り返すくらいなら、今すぐに絵を描けよ。絵の練習をしろよ。お前は本当は、絵描きなんだよ。
なんの変哲もないママチャリで、
今ならホームセンターで5000円くらいで売ってそうなやつ。
普通なら諦めるところなんだけど、
新しい鍵がついてた。
誰かが使っている様子。
見つけたのは朝で、通学途中。
僕と友達は張り込むことに。
2人で張り込んだ。
学校は当然休む。
無断欠席。
安心して張り込むと、
夕方になり、奴が来た。
友人と3人で呑気に現れた。
新しくつけた鍵を開けたところで御用である。
さて、ゴネられる。
謝ったから許せ、がはじまる。
待てよ、窃盗だろ。
鍵も壊してる。
少なくとも元には戻せよ。
相手は逃げることはできない。
証拠?
ガラケーもない時代にカバンにカメラを持ち歩く、アンドレ(友人)は写真部だった。
すいませーん。
盗難の届け?
いや、犯人捕まえちゃって…
状況はややこしくなっていた。
将棋で言えば「詰み」だが、
これだ。
アンドレに疲れも見える。
僕の空気の読まなさは筋金入りだ。
あの時の教師の顔は忘れない。
教師「そもそも、これがアンドレの自転車だっていう証拠はあるのか?」
やるな…
ちなみに、関係のなさで言うと、
僕が一番関係ない。
ただ、なんとなくその場を仕切る空気にちゃっかり収まっていたので、誰もこのイビツな中学2年生を排除しない。
嫌なガキだ。
ま、ま、こんなところで立話もなんですので。
果たして現れた親2組。
ここで最高にややこしいことに、
犯人の父は
これはどうなってしまうのか?
これはもう潮時。
ギブアップ、と。
アンドレ「自転車の鍵を壊されちゃって。直してもらわないと…」みたいな。
そこに全ての登場人物が乗っかる。
『窃盗』という核心を中心に、
オンザエッジのオクラホマミキサー。
この1小節を踊り切れば終了だ!
と誰もが思ったその時!!
なぜか一緒に呼び出されていた僕の母が
大慌てて飛び込んでくる。
「このたびはフランケンが大変なことを!自転車を盗むなんて申し訳のしようもございません!」
まあ、「自転車泥棒の件で交番にいる」とだけ言ったらそうなるよね。
「僕はもういいですよね?」
と後ろを振り返ると、
全員の疲れ切った顔が「いいです」と答える。
翌週、
おまけ
倒錯しすぎだろ。
ここ1~2年ラップに興味が出てきた。
8小節のビートに乗せる押韻を意識したリリックは聴いていて心地がいいし、「愛」とか「ラップに対する情熱」みたいな純粋な思いである所もまた良い。
しかし、もううんざりだ。自分がラップに興味を持ち始めて1年以内にもあまりにも有名なラッパーが何人も大麻や麻薬で逮捕されている。
そんでもって逮捕されるたびに「まったく驚かなかったw」「当たり前すぎてうける」というラップファンの声。
こうした報道の度にラッパーとその界隈が大麻や麻薬という法で禁止されている物でイキるあまりにもダサいものであると気づかされる。
ラッパーがバトルや音源で声を上擦らせて発する「愛」や「情熱」も、この人たちにとってはほんの少し気分が高ぶって階段1段目くらいの閾値を超えたときに簡単にポロっと出てしまうような言葉だったんだな。と
それを受け取るファンも外面だけの「情熱」にうわ~~~アツいバトルだ!!とか言ってんだな。と
法を犯してまで麻薬(快楽)を求めるラッパーの口から出る言葉の軽薄さに気が付かされて、途端にしょうもない物に思えてしまうのだ。
ラッパーが麻薬とかやってるのは当たり前。そんなびびることじゃないよw
とか言うならメディアに進出して日の光を浴びて「ラップってかっこいい」を売り出すのはやめてほしい。真剣さに、かっこよさに寄ろうとすればするほど行動や実態の伴ってなさからダサく、チープなものに見えてしまう。
ちなみに今回逮捕された舐達麻(なめだるま)をTwitter検索したらサジェストに 舐め犬 募集 と出てきた。これもなんで???
わかり手さんの予想がだいたい当たっていてすごかった。
やはり日ごろからメンヘラを人間観察しているので詳しいのだろうか。むしろわかり手氏にエヴァ作ってみてほしい。
監督はTV~旧劇場版は非リア充マインドで作ったが、新劇場版はリア充マインドで作った。オーディエンスは何を見せられているのだろう。監督の心情を、人生を見せられているのかな。一言でいえば旧劇場版から新劇場版にかけて非モテがモテになれました。というサクセスストーリーだった。某キャラと某キャラが子づくりしてその子供が出てくる所もリア充感を加速させる。グッズ販売にぬり絵とか自由帳といった子供向けアイテムがあるのもそれに油を注ぐ(親子でエヴァを見に来る人がおるんやろか?)
そもそも破の時点でシンジくんが成長してしまってウジウジしておらず男らしくて置いてかれてしまった感してたがその路線の延長だった。「そうだよな!非リア充だよな!」つって拗らせたやつらが共感してファンを集めたTV~旧劇場版だったが。新劇場版では作品がわりとリア充になったのでリア充になれないオーディエンスは置いていかれたことになる。
これはつまり、ぼっち・コミュ障・非リア充芸でガチ恋営業してファンを集めた地下アイドルやVTuberが、急に恋人できて結婚して引退してファンを捨て去り置いけぼりにするような構図と重なって見える。そう、声優の「ご報告」でCDを割るやつと同じで。表では恋人いませーんムーブしておきながら水面下でちゃっかり人生を進捗させていてある日突然手のひら返しするのだ。アイドルもVTuberも声優も監督もみんな置いていくんだ。結婚したのか俺以外のヤツと・・・
今後の後世に語り継がれるエヴァンゲリオン像は、非リア充こじらせ系と、リア充系に二極化して語られていくだろう。
昔のインターネットは非リア充のすくつだったが、いまはもうリア充に占拠されてしまい、いつまでもリア充になれずに拗れている者の居場所は狭まるばかりなのか・・・。
これ、少しのネタバレを説明したうえで「こういったような(ろくろ回す)イメージのエヴァを信じて期待していた人は、こういうネタバレがあるんで、ショック受けるので見ないことを推奨する」という熱気溢れる記事を書く人が現れるだろうね。予言。キャラ愛が強すぎる人とか、二次創作するうえでのイメージ崩したくない人向けとか。
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前半、ポカポカムードが長く続いて(どうすんだこれ..)ってなった。でもなぁ。庵野監督のことだから上げて落とすの繰り返しだしなぁ虚淵みたいに。そんでまぁまぁ期待を裏切らない感ある展開であったが、なんだかあっさりとスルーされた感があり、というかそこでシンジくんが急に大人になったターニングポイントでもあるのだがもうちょっと拗れてほしかった。
途中、ここ笑うとこ?真剣なとこ??って気持ちの緩急が激しく揺さぶられてどうしたらいいのか良くわからなかった。あと戦闘シーンでBGMが急に劇画チックな特撮みたいになるのも庵野監督ぽかった。親子喧嘩シーンまるっきりウルトラマンやね。良い。
テーマのひとつに「犠牲」があるのかもしれない。色んなものが犠牲になっているし、自らを犠牲にして誰かになにか託す者もいれば、家族が犠牲になった恨みもある。非リア充にはできない、リア充の肝が据わった男らしい覚悟。明日世界が滅ぶとしてもすいかの種を植える。覚悟と達観と1日1日を大切に暮らす話。そのへんはシンゴジラからの地震や台風とか災害のイメージなのかな仮設住宅が立ち並ぶところなんかまさに。無人在来線爆弾のようなものも登場する。
虛淵をイメージしているのだろうか、セリフに「円環」って何度か出てくるのまどかマギカ意識している?オマージュ?2回目を見てあらためて終盤のシンジ君のセリフよく聴いたらまるっきりまどかだった。シンジくんはアルティメットまどか。いや逆なのかな、旧劇をオマージュしたまどマギ、それををオマージュした新劇、っていうこと?そのへんの関係よくわかんないや。
xxxもyyyも大人になったのは、つまりはエヴァの呪縛が解けたという意味だ。"人間"の"大人"になったということだ。非リア充のガキが、リア充の大人になった話だ。たとえ金太郎飴みたいにそっくりな量産型であっても、自我を持ち、成長できるのだという希望の話。就活や大学生のファッションや髪型なんかがしばしば"量産型"と揶揄されることへのオマージュ、エールかも知れない。
見ながら思ってたけどゲンドウくん喋りすぎじゃない?説明しすぎ感はあるなー。Qの反動のAなのかな。それ以外にも答え合わせ、ネタバレ、種明かしがたくさんあり、スッキリはしたけど謎が減りすぎてミステリアスさや考察や二次創作の余地やが減った気もする。そんな考察なんてしてないでエヴァの呪縛(ダブルミーニング)から解かれておまえらもリア充になれ。やめやめ。解散。おしまーいみたいなメッセージなのだろうか。そんな印象も覚えた。
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(↓以下は自分の語彙力が不足していて、なぜダメなのかがうまく明文化できていない。より語彙力の高い人がうまいこと説明してくれるのを期待)
毎度恒例の精神世界電車のゲンドウが下車した以降の早足に一人ずつ問題解決していくパートは、なんだか雑な感じを受けてしまう。 駆け足に答え合わせ、辻褄合わせされたような...
全体の映像を通して言えるのは、ミックスが未熟な音楽を聞いているような印象を受けてしまう。シーンによって映像の解像度の差が気になるというか、質感の統一感が低い箇所があるというかうまくいえない。あのリアル綾波フェイスがとくに浮いている印象がしてしまうんですが・・、斗和キセキの1000万円かけて作った生首みたいでシュールなんだ。
すごくエヴァらしい!と感動するシーンもたくさんあるんだよ、例えば前半の村でアスカがシンジにカロリーメイト(2400kcal)を無理やり食わせるシーンのカメラワークがすごい。フレーミング、ロール、レンズズームをグリグリ動かしているような映像的にすごいし、構図もエヴァらしいと思った。
ピンク髪の人、北上だっけ?全体的にあの人のセリフが空気を悪くしてズレた感じにしてしまっているのが残念だった。でも親の仇でキレるシーンは良かった。けど、納得して脱力しての引き下がる理由とか心情の変化が良くわからんかった。
あれだ、昔の人間なら電子メールでビジネス文章を書くが、ナウなヤングは仕事の連絡すらLINEだったりするのでチャラくて薄くて軽い文章しか書けない、そういうTPO違いの文章のような嫌悪感なのかも知れない。最近では仕事の会議や講演なんかもライブ映像配信なので、YouTubeのノリで「わくおつ~」とか新人がコメントしちゃうやつだ。もう俺も老害だと思うとつらい。
それ以外にも、なんだか薄ら寒いメタをちょくちょく差し込んで来るのでその度に調子が狂うというか、音ゲーでタイミング外してうまく演奏されなかった小節みたいな印象を受けてしまうま🦓。
先述のとおりシーン毎に気持ちの切り替えが追い付かないというか、いま笑うところ?シリアスなところ?という空気読みに苦労してしまう。これってアニメ艦これでもそうだったよね・・・。
わからん。睡眠不足状態で見てしまったので脳が働いてない可能性はある。
後から見なおしたり、誰かの解釈を参考にしたりすると、また違った見え方もする。
あと、ゲンドウがにゃるらさんの提唱する理想郷、twitter2のコンセプトみたいな話を早口気味でするのおもしろかった。差別も貧富の差もイジメもなんたらもかんたらもない世界みたいな。
にゃるら絵日記10話「Twitter2(だれも社会や政治の話をせず、毎日みんなでアニメを観たりゲームをしたりして1日がおわるマジで楽しいSNS)」|にゃるら|note
にゃるらさんありがとう。
単調なビートというか、反復を繰り返しながらメインのメロディだけをどんどん発展させるアプローチはそれこそジェームスブラウンだかの時代のファンクソウルからポップスに定着してる。
誰でも知ってるマイケルジャクソンの「スリラー」や「スムースクリミナル」もトラックだけ見れば1つのリフレインだけで出来てるし、それ自体は目新しいことでもない。日本でもオザケンの「ラブリー」等、局所的にそういうものがヒットすることはあった。
ただRandBやヒップホップといったブラックミュージックの色合いが強いこのスタイルが、アリアナグランデやジャスティンビーバーといった白人中流層に支持されるポップスターや、J-popのYOASOBIや瑛人のヒット曲に取り入れられたというのは時代の潮目なんだと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=tcYodQoapMg
https://www.youtube.com/watch?v=8EJ3zbKTWQ8
ビートが一本調子というのはNiziUやモーニング娘。の新しい曲でも見られる特徴なのでより一層こういうものが主流になっていくのかもしれない。
(反復っていうのはテクノもそうだけど、テクノはミニマルすぎてポップスに転用できる音楽ではない。電気グルーヴにしてもChemical Brothersにしても歌もの要素が大きくなるにつれテクノ本来とはやや趣が変わっていった。)
https://www.youtube.com/watch?v=a6QT0acJFQE
https://www.youtube.com/watch?v=Ty0dkunCvNw
宇野さんが崇拝に近い持ちあげ方してる宇多田ヒカルもかつてからループさせることへの意識が高かった。
First Love時こそ「稀代の歌姫」として売り出そうというレーベルの意向もあってか、ディアンジェロ風の粘っこいドラム等といった当時のトレンドを表面的になぞっただけで、アレンジ面では当時のJ-popとそこまで違いはなかった。しかし「Distance」以降はRandBからの影響が強い宇多田ヒカル本人の意向が反映されだしたのかどんどんアレンジがミニマリスティックになっていった。
注意深く聴けば20年前の「Addicted to you」や「Can you keep a secret?」のころからすでに16ビートをキープしながらコード進行は8小節ほどで完結してしまっていることがわかる。
(このころはジャム&ルイスの手腕によるところも大きいのだろうが)
さらに言えばセルフプロデュースに切り替わってからロンドンに拠点を移すまでの2005~2015年あたりの宇多田ヒカルはいかにも宅録、DTM然とした手作り感あふるる音を時折鳴らしていなかっただろうか。
マスタリング等のポスプロによってある程度計算ずくで仕上げられたものにしても、Keep tryin’のパッドシンセはあの曲にしては音が厚すぎてややアンバランスだし、Kiss & Cryのホーンはモジュレーションであることを隠そうともしていない。しかしながらそんなことは取るに足らないことだった。
あのころはまだDTMそのものが新しくて費用が掛かる手段だったこともあって、宇多田ヒカルの孤高なイメージをより強固なものにしたし、なにより彼女が自宅にこもって自分の感覚だけで作ったものが、ダイレクトに自分のコンポやミニプレイヤーに届いてきたようなあの距離感がファンにとっては痛快だったんじゃないか。
「Ultra Blue」や「Heart station」時特有の浮遊感のあるきついリバーブや密室感のあるピアノの音像は、宇多田ヒカルの心象世界を垣間見ているようだったし、私生活でのラフな顔を晒してくれている様でもあって一つの魅力になっていた。
DTMはこの20年でどんどんハードルが下がっていったし、ネット上での音楽のコミュニティも成熟してきてる。今のアーティストを取り巻く環境ってあの頃の宇多田ヒカル周りの雰囲気とちょっと似てる気がする。ライブはあんまりやってなくてひたすら曲を書いてブログを書いていたのが宇多田ヒカルだった。
米津玄師にしろ須田景凪やヨルシカにしろ、宇多田ヒカルが敷いたものの上に立ってるんじゃないかな。立ってるというか宇多田さんは彼らのようなことを前時代にやりとげてしまったのかもしれない。
宇多田ヒカルの「traveling」は「夜に駆ける」に似ている。4つ打ちでビートに統一感を出している点や、トニックから長七度上(一度下)への移動が含まれる4小節ほどのコードパターンをひたすら繰り返している点、代理和音や経過音でコードに飽きがこないよう細かく配慮していることやフィルインの多さ、歌メロの譜割の細かさ…と共通項は多い。あの頃は幼くて単にかっこいい曲だなと何も考えず聴いていただけだが、当時の宇多田ヒカルはやはり規格外の存在だったんだなと今にして思い知らされる。
https://www.youtube.com/watch?v=x8VYWazR5mE
働いたらお金を返すと言うことで買ってもらった。(ちなみに本当に返した。うちの親はそういうことをきっちりノートに書いている。)
ゲームを作るにはドットを書かないといけないし、作曲も必要だと思っていた。
そして、高校の音楽の先生が作曲をする人で、授業で作曲があった。(普通の地方の公立高校である。)
そういった経緯があって電子ピアノを買ったのだった。
今思えば、別にピアノを習っているわけではなく(別の楽器は習っていたが)何も弾けないのによく買ってくれたものだと思う。
基礎練もせずに定番の曲とかエヴァとかジブリとかを練習していた。
ゲームを作りたかったので、もちろんRPGツクールはやっていたし、音楽ツクールかなでーるもやっていた。
そんなときに買った電子ピアノには、フロッピーディスクに曲を保存できるようになっていた。
そして、当時使っていたであろうフロッピーが刺さったままになっていた。
使い方を忘れたので電子ピアノのマニュアルをダウンロードしつつ(良い時代になったものだ)何か曲が入っていないかロードしてみた。
すると、8〜16小節ぐらいの曲が2曲とジブリの曲が1曲入っていた。自分が録音した曲である。
自分が作った曲は、基本的にゲーム用なので短い曲かループ用である。
それらを聞いていると、ふつふつと上記のようなことを思い出して非常にノスタルジックな気分になったのであった。
電子ピアノを買ったときはパソコンを持っていなかったし、知識もなかったし、フロッピーが何なのかあまりよく分かっていなかった。
いや、当時もMIDIで他の機器と互換性があると説明されていた気がするが、それがどういうことなのかよく分かっていなかったのだ。
当時のフロッピーディスクはボロボロでいつ壊れてもおかしくないので、新しいフロッピーディスクを買った。
PCでも読み込みたいので、フロッピーディスクドライブも買った。
一時はMIDI作りにハマっていた(そのときは電子ピアノのことはさっぱり忘れていた)ので、作曲のソフトも少しは使える。
フロッピーディスクを買ったことで、ピアノで曲を弾く → MIDIで保存する → PCで楽譜として開く、ということが20年越しに出来るようになった。
今となってはピアノを弾くこともないし、曲を作ることもない。(Scratchで簡単なゲームは作った。いい時代になったものだ。)
なんか言葉足らずだったのかもしれない。
ヒップホップの音源、トラックっていうのは長くても4小節ぐらいの短いフレーズをループさせて作るんだよ。コード進行もひたすら同じパターンを繰り返す。
コード進行で展開をつくっていくj-popと違ってフレーズの足し引きで展開を作っていく。
メロディやそれに基づくコードの流れに肉付けするよう音を足していく日本のやり方と真逆だから歌メロが変化してもバックのトラックを根本から作り直す必要はない。
だからヒップホップ・R&Bのプロデューサーはドラムのリズムパターンとかサンプリングやシンセ等の上物のリフを考えるのが大方の仕事で、歌メロやラップのスタイルには基本的にタッチしなくても済んでしまう。
大まかな曲の構成や決めのフレーズだけは事前に決めてしまうケースもあるにはあるし、「こういうつもりでトラック作ったからそういう歌い方止めて」みたいに意見することは絶対あるだろうけどね。
先の増田で洋楽歌手は手軽に書き直してもらってるみたいな言い方したけど厳密にいうと歌手が勝手に歌いやすくアレンジしたりするという方が正しい。
なので声域が狭かったりピッチが甘い歌手相手の曲作りでプロデューサーが苦労することってそんなにはない。
苦労するとすれば歌手本人のほうだが、ピッチの正確さや声量、声域の広さといったスキルよりは、歌いまわしの引き出しやメロディセンスといったアドリブ力が物を言うと思う。
カラオケの精密採点で95点以上出しちゃう様なタイプでも「はいこのトラックの上でちょっと歌ってみて」って言われて硬直してるようなのは相手にされないし
下手糞でも制止されるまで延々歌ってるようなののほうがワンチャンあるだろうね。
「洋楽ではサビが絶対的な主役で引き立て役のAメロBメロでメリハリを作るという意識に囚われないため、日本のように『歌いだしが滅茶苦茶低音で一番目立つ部分は高音連発』という曲ばっかにならない」とか
「そういうコードでがちがちに固めて無駄に声域が広くなきゃ歌えないメロディの曲ばかりになったのはユーミンや大瀧詠一といったニューミュージック勢の影響を後進が受けすぎたから」とか
「Lyrical Lemonadeのチャンネルに出てくるようなエモラップ界隈のラッパー漁ると『こんな下手糞な餓鬼がなんで売れてんだろう』っていう洋楽アーティストいっぱい見つかるよ」とか色々言いたいことあるけど話下手だから割愛すんね
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20200927060919
自分の声が返ってきて自分の発声の仕方がどんな発声の仕方なのかわかるだろ
でも歌が上手くなっても藤原基央に歌声が近くなってもお前は藤原基央じゃない
いつだってBUMP OF CHICKENを歌うお前のままで、そのままのお前で充分なんだよ
お前がしなきゃならない努力は、じゃあバトルクライはどんな背景がある曲で、どんな小節の部分でどうやって緩急を付けて、それがどういう意味をもたらして、聞く人にどう届くか、だ。
藤原基央を目指すのに自分の気持ちいいだけを求めてるなら藤原基央になれるわけがない、藤原基央の人生を追体験した訳でも作曲する時に隣にいて作詞や作曲に苦悩するバンプのメンバーと一緒にいた訳じゃない
それでも、藤原基央にはなれない。
だから藤原基央の歌声にはなれない。なれなくても、お前は必死で歌える。好きな曲を好きなように歌える。
だから、お前はお前のままでいい。
それでいいんだよ。
あと、無理に原曲キーで歌おうとせんでもろて、キーを下げたり、敢えてキーを上げることで歌いやすくなったりもするらしいぞ。
ファイト〜
オタクは激怒した。必ず、かのハピエレの意識を変えねばならぬと決意した。
オタクには3Dモデルがわからぬ。オタクはただのオタクである。イベントを走り、推しを愛でて暮らしてきた。けれどもアイドルのダンスに関しては、人一倍敏感であった…
仰々しく書いたが、要するに私はただのオタクである。二次元と三次元を行ったり来たりするタイプのオタクで、二次元で他のソシャゲではFGOとかツイステとかをやりつつ、三次元では地上も地下もk-popもいろいろと見ながらオタクをしている。あんスタのユニットにこの曲歌ってほしい!とかこの曲このキャラに踊ってほしい!とか言いながら妄想するのがめちゃくちゃ楽しい。そんな感じのオタクである。
なのであんスタのMVが公開されたときは正直とても嬉しかった。ストーリーだけでは描写しきれないライブパフォーマンスが見れる!これでもっとステージ妄想が膨らむ!そう思ってワクワクした。
補足だが、私は二次元のライブには一度も行ったことがない。スタライなどあんスタのアイドルたちのライブパフォーマンスが見れるものもあるが、なんとなく映像を見た時に違うな…と思ってしまった。横一列だし移動とかもしないしそこまで踊らないし…もっと踊ると思うじゃん普通…まあ技術的な問題なのかなと思うことにしてたけど。
でも新しく始まるゲームでのMVだから、もう少し良いものになってるかもしれない。私もスタライの映像見たのだいぶ前だし、もしかしたらよくなってるのかもしれない。
とにかく期待していた。で、出たのがこれである。
あんさんぶるスターズ!! Music MV vol.1 「ONLY YOUR STARS!」 https://youtu.be/PdH0BHKK0g8
え、いけるやん?!
正直もう少し踊ってほしいとは思うけど、予想よりは踊ってる。初っ端からこのクオリティはだいぶいい。これはいけるかもしれない。
私はあんスタでは流星隊Pである。流星隊は確かに初心者の一年生が3人いるが、みんなやればできる子だし、千秋も奏汰くんもダンス歌共にレベルは高い方だと思っている(声優さんの歌唱力とかはともかく、特に奏汰くんは五奇人に数えられるほどなので、相当上手いイメージ)。ヒーローショウなどに呼ばれるくらいには運動能力が高い子たちだから、アクロバットなども絡めながら、トンチキ曲を上手くこなしていくようなグループだとイメージしていた。
しかもアルカロイド、クレビ、Edenなど、クオリティの高いMVが次々に配信され、私の期待は最高潮に達していた。そんなに踊らせる気ないのかもしれないという考えを打ち壊すくらい良い。Edenめっちゃ踊るな…さすが……紅月は思ったより踊ってくれなかったけど殺陣頑張ってたし及第点。
あんさんぶるスターズ!! Music ゲームサイズMV「天下無敵☆メテオレンジャー!」 https://youtu.be/jI-ooGSKNQQ
…………え??
びっくりした、全然踊ってない………
い、いや、顔はいい、顔は良いよ。そんなのズ!の頃から知ってたよ…え……??こんな踊れないの???
流星隊のターゲット年齢層が子供寄りだというのがあるのかもしれないが、でも音楽番組とかでもやるんでしょ?これ。ライブでもやるんでしょ?え…???
ていうかfive☆sters のところで5人で星つくるんじゃないんか…(幻覚)
い、いや、まだ一曲目だし、これが特別なだけかもしれない。別の曲を待ってみよう。
あんさんぶるスターズ!! Music ゲームサイズMV「アンリミテッド☆パワー!!!!!」 https://youtu.be/EebaqB7tse0
あんさんぶるスターズ!! Music ゲームサイズMV「SUPER NOVA REVOLU5TAR」 https://youtu.be/4SOK8YoAmv0
マジかーー!!!!!
いや、マジか、これマジか……
思ってたよりとかじゃなくて、これ、踊ってなくない??ほんとに。ダンスではない。小節に合わせてポーズ決めてるだけみたいになってる。踊れないなら踊れないなりにフォーメーションとかを工夫するとか、なんかこう、いろいろあるじゃん?
もしかしたら振付師さんがめちゃくちゃ初心者なのかもしれないとかも思ったが、めちゃくちゃ良かったEdenやクレビと同じ人だという。なんだそれ七不思議か???それはつまり流星隊に踊らせる気がないってことなんじゃないか???ハピエレ????てめーは俺を怒らせた。
ここまでただの解釈違いで駄々こねてるオタクみたいな感じ(実際そう)だが、私のイメージしてたパフォーマンスを貼っておく。ダンスMVではないものもあるが、ダンス自体は映っているので許してほしい。
超特急「ikki!!!!!i!!」MUSIC VIDEO https://youtu.be/m9aq-dJggMQ
BOYS AND MEN - 「YAMATO☆Dancing (Dance ver.)」ミュージックビデオ https://youtu.be/Ihq66ZZ8UPk
これを求めてた私が悪いのか…?そうなのかもしれない。そもそも3Dモデルだと無理があるのかもしれないし…その方面は詳しくないから…
というか、その方面の人に聞いてみたいんだが、このレベルのダンスを3Dモデルでやるのは無理なのだろうか?技術的に無理なら仕方ないけど、月数千万〜一億ほど(ズ!!に関しては月数億)稼いでるソシャゲなんだからもう少しクオリティ高いものを求めてもいいと思っている。まあでも、ソシャゲで配信するにあたって搭載できる容量とかも考えなくちゃいけないんだろうし…な…。
いや、だとしてもEdenやクレビくんがあんなにいいパフォーマンスをしてるのに、推しのグループがあれなの、やっぱり納得いかない。あれをできるんだったら流星隊にこれ以上を求めてもいいはず。
そもそもあんスタ世界、ストーリーを読む限り相当厳しい世界のはずなのに、あんなパフォーマンスで生き残れるのか…?みんな相当な覚悟とそれに相応するレベルのパフォーマンスで頑張っているのだと解釈していたのに、それにMVのパフォーマンスが追い付いていない。これに関しては流星隊だけの話ではないし、それが一番不満かもしれない。
あと単純に長年の疑問なのだが、ヘッドセットマイクしながらハンドマイク持ってるのは何故なのだろう?ヘッドセットがあるなら片手をわざわざ封じなくてもいいのでは…?あとわざわざ持たせたハンドマイクのマイクホールドが甘すぎるし、マイクの位置がやけに遠い。あれでは声は届かないし、そんな事するならヘッドセットだけでいい気がする。
ズ!!になると話は違ってくるが、ズ!の世界観に一番近いのは日プだと思うので、ハピエレ公式は日プを見て勉強してきてくれ。今の日本でデビューしようと思うと、初心者だろうと経験者だろうとみんなあれくらいやらなくちゃいけない。というかほとんど初心者だったけど特定の上手い人以外ほとんどボロクソに叩かれてたからな…
つっても観測範囲が狭くて、プリキュアとウルトラマンくらいなんだけど、普通オープニングテーマってワンコーラス流れて、提供行くじゃないですか。
で、折り返しの時期あたり?から、ワンコーラスはワンコーラスなんだけど、2番だけが流れたりするじゃない。
これに凄い違和感があるわけ。
それはなぜなのか、というかまず1番と2番は何が違うのか考えてみた。
・歌詞
あ、2番が流れ始めた!と気付くのはほとんどの場合歌詞が違うからだ。
1番はただのコードカッティングだったのに2番はアルペジオだったり、オブリガートだったりして。
・メロディ
・キメ
Bメロのサビ前に突如キメが入ったりしがち。
・長さ
Bメロが1番は8小節だったのに、2番は4小節になったりしがち。
なんか書いてるうちに2番のBメロあるあるみたいになってきたが、こんな感じで2番は1番と違う事が多い。
ではなぜ俺はアニメとかのオープニングテーマの2番だけが流れるのに違和を感じるのだろうか。
・思い込み
ガキの時分に印象だが、アニメとかのオープニングテーマの2番は最終回やその1回前の劇中で、とか劇場版のエンディングでオープニングテーマがフルコーラスで、とかそういう時しか流れない。
なので、なんか惜しげもなく2番を聴かせてくれちゃう事に違和感があるのかもしれない。
1番のアレンジをこうしたから、2番はこうしよう、というアレンジャーの狙いを感じる。
なので、2番だけ聴かされると「1番が無いのに2番だけ聴かされてもなー」ってなる。
家にいないといけないので、何かやることはないかということで、
Youtuberで稼ごうとは思っていないけど、動画はよく見ていたのでWindowsのデフォルトビデオエディタでいいので動画作成でもしてみようかしらと思って
Softalkでもいいのだけど、よくボイスロイドやCevioの色々な動画見ていたので、せっかくだし買ってみようと思って買うことにした。
某ブクマカのアイコンでおなじみ結月ゆかりから吉田くんや今月でた、ガイノイドトーク『flower』までいろいろ調べて悩んだけれど、
ちょうどCevioがVectorで2割引セールをしていたのでお試しで安かったので、トークスターターだけを買ってそれを選択。お値段は5,280円
(なお歌を歌わせる機能も欲しいならさとうささらちゃんのセットをソースネクストで買うのが実は安い、体験版でかえるのうたを2小節作るだけで面白かった。いいなこれ)
動画ででるような挨拶だけさせても、なかなかかわいらしくて面白いけれど、
メニューの中にあったのが「青空文庫ファイル」を読み込む機能、これはボイスロイドでも似たようなことができるらしいが、ルビも読んでくれるかもしれない。
さっそく適当な作品を読んでデフォルト設定で読ませてみたけど、
何かいい、いろいろ忘れて浸れる感じ。
調子にのってうっかり吉川三国志1巻全部読み込ませたらコンピューターのスペックが追い付かないので無理だった。
でもちゃんと細かくファイルを区切ってあげたら、ラジオ深夜便風にいろいろな作家の作品が読めるし、
はてな民が好きな「隴西の李徴は~」で始まる山月記やら走れメロスやら色々な声を読ませると楽しそう。
そういうことなので、夜をリラックスして過ごしたい人にも音声合成ソフトはおすすめだということでした。
そんなこんなで引きこもり生活をゆっくりしていってね!!
https://anond.hatelabo.jp/20200323025005
――ところで、わたしは昔から、最後のスタンザは少し弱いのではないかと思っていたのですが……。
( ・3・) 弱い? 「リング」と「スプリング」とで韻を踏むのはありきたりだとか?
――弱いというよりは、ピンとこないといったほうが正確かもしれません。「彼女は春に生まれたが、わたしは生まれるのが遅すぎた」――これはどういうことなんでしょう。
( ・3・) 彼女のほうが歳上だったんじゃないか? 50歳くらい。
――それはたしかに too late な気がしますが、もし年齢が離れていることが問題なら、彼女が三月生まれであれ、七月生まれであれ、一年のうちで生まれた時期に言及する意味はないはずなんです。
( ・3・) 春に生まれようが夏に生まれようが誤差みたいなものだからな。
( ・3・) ははは、まさか。
――ここに一枚の写真があります。1975年に撮られたものです。
https://twitter.com/kedardo/status/1242030916232339458
( ・3・) ボブ・ディラン、本を読む。
――何という本ですか?
( ・3・) 『クリスタル・マジック』と書いてある。マジックのつづりが変だけど。
――目次には次のような言葉が並んでいます。「ケンタウルスが獅子を狩る」「シャンカラの理論は現実をどう捉えるか」「ハクスリーの知覚の扉」「アジュナチャクラあるいは第三の目」「カバラの諸相」
( ・3・) 神秘主義のロイヤル・ストレート・フラッシュという感じだな。
――星座が何であれば、支配星は何、エレメントは何、という表も載っています。
( ・3・) 本を読め、ただしまともな本を、と釘を刺したばかりだというのに。
――まともな本も読んでいますよ。このころディランはチェーホフやコンラッドに傾倒していたはずです。 [3] [4]
( ・3・) じゃあ『クリスタル・マジック』はたまたま手にとっただけで、内容を真に受けたとまではいえないんじゃないか?
――1974年、コンサート・ツアーを再開した理由を、ディランは次のように語っています。「わたしの惑星系 (my planetary system) において土星が障害となっていた。その状態がしばらく続いていたが、いま土星は別の場所へ移動した」 [5]
――1976年のアルバム『ディザイア』のバック・カヴァーには、タロットが描かれています。
( ・3・) タロット! イタロ・カルヴィーノの『宿命の交わる城』は何年だっけ。ちょっと待って――第一部・第二部の合本が出たのが1973年。英訳は1977年だ。
――1978年のインタヴューでは、占星術を信じているのかと単刀直入に訊かれています。
PLAYBOY: OK, back to less worldly concerns. You don't believe in astrology, do you?
DYLAN: I don't think so.
PLAYBOY: You were quoted recently as having said something about having a Gemini nature.
DYLAN: Well, maybe there are certain characteristics of people who are born under certain signs. But I don't know, I'm not sure how relevant it is.
PLAYBOY: Could it be there's an undiscovered twin or a double to Bob Dylan?
DYLAN: Someplace on the planet, there's a double of me walking around. Could very possibly be. [6]
( ・3・) 信じているかといえば、信じてはいない。星座と人間の気質とのあいだには何か関係があるかもしれないが、どの程度なのかは分からない。――うーん、言質を取られるのを避けているみたいだ。
――もともと質問に率直に答える人ではないのですが。
( ・3・) 思い出した。昔、日本の有名な批評家がイェール大学に文学を教えに行ったんだが、向こうでは占星術が流行っていて、同僚の学者の生年月日がどうのこうのと書いていたっけ。あれも70年代半ばじゃなかったかな。
――期せずして、アメリカにおける神秘主義の流行、というテーマに足を踏み入れてしまいました。
( ・3・) ……引き返そうか。
――「彼女は春に生まれたが、わたしは生まれるのが遅すぎた」の意味をめぐって脇道にそれてしまいましたが、実は、意外なかたちで問題が消滅します。
――いえ、問題自体が消えてなくなってしまうんです。アルバム発表から一年も経たないうちに、歌詞が書き直されて、最後のスタンザは大きく変わります。1975年のライヴ録音を聴いてみましょう。
To know too much for too long a time
She should have caught me in my prime
Instead of going off to sea
And leaving me to meditate
( ・3・) ジェミニを連想させる "she was my twin" も含めて、占星術につながりそうな表現はなくなったな。詩の問題の解決を、人は問題の消滅によってうやむやにする。
――「彼女はわたしの双子だった」も、考えてみれば謎めいた表現です。「本当の恋人だった」と「双子だった」とが置き換え可能かといえば、そうではないと思います。
( ・3・) 歌詞だけじゃなくて、コード進行も旋律も変わっているぞ。
――そうなんです。これまでわれわれが検討してきたことの少なからぬ部分が、このヴァージョンには当てはまらなくなっている。ディランにしてみれば、もう「わたしはそこにはいない」んです。
( ・3・) うなぎみたいなやつだな。
――歌詞の変更は1975年以降も続きます。「彼」と「彼女」とが入れ替わったり――
( ・3・) 体が?
――立場がです。第一スタンザで「孤独を感じ」「まっすぐに歩いていればよかった」と願い、第二スタンザで「夜の熱気に打たれるのを感じ」るのは、「彼」ではなく「彼女」になります。80年代にはさらに全面的な変更があり、90年代には――
( ・3・) もはや原形を留めなくなった?
――いえ、それが――。
( ・3・) それが?
――おおむね元のかたちに戻りました。
( ・3・) ……。
――……。
( ・3・) 「彼女は春に生まれたが、わたしは生まれるのが遅すぎた」も?
( ・3・) 抑圧された占星術の回帰……。なくなったはずの問題の再燃……。まるで人生のようだ。
――これで「運命のひとひねり」は概観できました。全体について何かありますか?
( ・3・) 英語は易しめだったな。
( ・3・) 「彼」と「彼女」との間に何があったのか、曲のなかでは詳しく語られないけど、これは、その、いわゆる一夜の関係というやつなの? [7]
――なぜそう思ったんですか?
――ただ、それだと、彼女がいなくなったときの彼の傷心ぶりや、「指輪をなくしてしまった」のくだりはうまく説明できません。
( ・3・) そうなんだよな。じゃあ、ある程度つきあった恋人たちの最後の夜だったんだろうか。
――第一スタンザに、「体の芯に火花が走るのを感じた」とありますが、これは恋に落ちるときの表現だと思います。まあ、よく知っている相手に対して改めて火花を感じる、という可能性もゼロではありませんが。
( ・3・) すでにつきあっている恋人同士なら、見知らぬホテルの前でまごまごするのも不自然だしな。うーん、こんがらがってきた。一方では、彼と彼女とは一夜の関係に見える。ある日の夕暮れに物語が始まって、翌朝には彼女は姿を消している。その一方、物語の後半では、彼は生涯の伴侶を失った男のように見える。
――常識と観測結果とが矛盾するときは、常識を捨てなければなりません。
( ・3・) 何を言いだしたんだ急に。
――ある日の夕暮れから翌朝まで、と考えて矛盾が生じるのであれば、そう考えるのをやめればいいんです。
( ・3・) いや、でも、ある日の夕暮れから翌朝までじゃないの? ネオンの輝く見知らぬホテルに長期滞在して、数年後の朝に彼女はいなくなりました、なんていくらなんでも無理があるだろう。
――キュビズムの絵画では、ある対象を複数の視点から捉え、平面のキャンバスに再構成して描きます。
( ・3・) 何を言いだしたんだ急に。
――ある日の夕暮れから翌朝まで、という枠組みのなかに、出会いから別れまでの一切が凝縮されたかたちで描かれているとしたら?
( ・3・) 時間の流れが一律ではなかったということか?
――いいですか、時計の秒針が聞こえてくるのは、彼女がいなくなった後です。それから彼にとっての永遠の現在が始まり、彼女がいた過去は、彼の記憶のなかで遠近法的な奥行きを失うんです。
( ・3・) 時計を一種の仕掛けと見立てて、内在的に解釈するわけか。理屈は通っているかもしれないが、常識を捨てさせるには、まだ十分ではないと思うぞ。
――では、時間の流れが一律であるとは限らないという外在的な傍証を。1978年のインタヴューです。
Everybody agrees that that [Blood on the Tracks] was pretty different, and what's different about it is that there's a code in the lyrics and also there's no sense of time. There's no respect for it: you've got yesterday, today and tomorrow all in the same room, and there's very little that you can't imagine not happening. [8]
( ・3・) おい、詩に暗号が隠されていると言っているぞ。
――その点は保留にしてください。
( ・3・) 時間の意識は失われている。過去、現在、未来が同じ部屋に混在して、想像しえない出来事などほとんどない。
( ・3・) 「運命のひとひねり」の解題ではないんだな?
( ・3・) そうだな、まだ腑に落ちるとまではいかないが、時間の扱いは気に留めておいたほうがよさそうだ。
――はい。実は、キュビズムの絵画や、時間の意識をもちだしたのは、次に聴く曲「タングルド・アップ・イン・ブルー」でも同じ問題がでてくるからなんです。邦題は「ブルーにこんがらがって」。ディランの重要な曲を挙げるとしたら、まず10位以内には入る。人によっては1位かもしれない。というわけで、ウォーム・アップは終了です。次は少し難しくなりますよ。
そのようにして彼らは「タングルド・アップ・イン・ブルー」を聴き、「シェルター・フロム・ザ・ストーム」を聴いた。窓のかたちをした陽だまりが床を移動し、寝ていたストラヴィンスキーの首から下が影に入ってしまった。もう次の曲に進む時間は残っていなかった。デレク・ベイリーのCDを持って帰らなければ、と彼は思った。マイルス・デイヴィスやビル・エヴァンスならいつでも買い直せる。しかしベイリーは品切れのまま再発されないことだってありうるのだ。
「もう帰るのか?」と上司は言った。
「はい。それで、デレク・ベ」
「おまえの家は一戸建てだったな、たしか。陽当たりと風通しは良好か?」
「陽当たり? まあ、それなりには。それで、デ」
「窓からの眺めは?」
「眺め? まあ、壁しか見えないということはありませんが。そ」
「じゃあ、決まりだな」と上司は言い、リムスキー=コルサコフの両脇を後ろから抱えると、目の高さまで持ち上げた。
「新しいパパだよ」
かくして予言は成就し、わたしは持っていったもの以上を持ち帰ることになる。小さなモフモフと、モフモフの当面の生活に必要なモフモフ用品とを。
まずはこの子に、猫としてまっとうな名前をつけよう。このままだと、もし何かの拍子に迷子にでもなったら、「リムスキー=コルサコフ! リムスキー=コルサコフ!」と大声で呼びながら近所を捜し回らなくてはならない。獣医にかかるときだって、きっと問診票に名前を書く欄があるだろう。常軌を逸した飼い主だと警戒され、信頼関係を築くのに支障をきたすかもしれない。
しかし、猫に名前をつけるのは難しい――T・S・エリオットの Old Possum's Book of Practical Cats にもそう書いてある。クラシックの作曲家では大仰すぎる。ジャズ・ミュージシャンではどうだろう。わたしはCDとレコードの棚の前に立ち、名前の候補をピック・アウトしていく。チェット。論外である。マタタビに耽溺してばかりの猫になってしまいそうだ。ドルフィー。才能も人格も申し分ないが、早世の不安がつきまとう。ベイリー。デレク・ベイリーのCDを取り戻すまで、わたしはあとどれだけの道を歩まなくてはならないのだろう。
わたしは気づく。予言は成就していない。少なくとも完全には成就していない。人知を超えた力によって予言はねじ曲げられ、わたしは持っていったもの以上ではなく、持っていったもの以外を持ち帰ったのだ。新しい家の探検を終え、お腹を上にして眠る小さなモフモフよ、おまえのしっぽが曲がっているのも、運命のひとひねりのせいなのか?
[1] 実際にはEより少し高く聴こえる(テープの再生速度を上げているため)。
[2] これ以降、歌詞の引用は2小節ごとに改行を加えている。
[3] Bob Dylan. Chronicles: Volume One. Simon and Schuster, 2004. p. 122.
[4] Sam Shepard. Rolling Thunder Logbook. Da Capo Press, 2004. p. 78.
[5] https://maureenorth.com/1974/01/dylan-rolling-again-newsweek-cover-story/
[6] Interview with Ron Rosenbaum. Playboy, March 1978; reprinted in Bob Dylan: The Essential Interviews. Wenner Books, 2006. p. 236.
[7] 草稿では、第三スタンザは以下のように書かれたあと、大きなバツ印がつけられている。"She raised her weary head / And couldn't help but hate / Cashing in on a Simple Twist of Fate." 初めは娼婦として描かれていた点を重視することもできるし、その構想が放棄された点を重視することもできる。
[8] Interview with Jonathan Cott. Rolling Stone, November 16, 1978; reprinted in Bob Dylan: The Essential Interviews. Wenner Books, 2006. p. 260.
https://anond.hatelabo.jp/20150214223556
( ・3・) クラシック好きの上司がジャズを聴きたいと言いだして、から数か月後――
その朝、彼が職場に着くと、クラシック好きの上司は目を閉じて見えないオーケストラの指揮をしていた。腕の動きが激しさを増し、握った拳が垂直に振り下ろされる。1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11。
「なんだ、来ていたのか」と上司は目を開いて言った。「春の祭典の第二部なんだが、どうにも縦の線が揃わなくてな。リハーサル不足だ」
「高度に発達した空想は現実と見分けがつかないくらい不自由なものだ。ティンパニ奏者とシンバル奏者はもう何年も口をきいていない。――それはそれとして、ボブの件、明日の日曜はどうだ?」
ボブというのは、ボブ・ディランのことだった。上司の娘さんが英語の授業で「はげしい雨が降る」を習ってきたらしく、それ以来、上司は彼にディランについてのレクチャーを要請しているのだった。彼が娘さんに教えるのではなく、彼が上司に教え、上司が娘さんに教える。ディランのことならパパに任せなさい、と目論んでいるのは明らかだった。
明日。彼は断ろうとしたが、適当な口実が見つからなかった。高齢の親戚はひと通り殺してしまっていたし、このあいだ死んだ祖父にもう一度死んでもらうには、まだ少し時間が必要だった。
「じゃあ、決まりだな」
こうして、彼は休日をつぶして上司の家を訪ねることになった。どの作品を題材にするべきか迷ったが、一日でディランのキャリアを追いかけるのは無理だと割り切って、彼自身がディランを聴き始めた高校生のころに感銘を受けたものを選ぶことにした。『ブラッド・オン・ザ・トラックス』だ。このなかの数曲を検討するだけでも、一日まるごとかかってしまうだろう。たくさんのアルバムを持っていかずに済むのが救いといえば救いだった。
最寄駅に着くと、もう上司は車で迎えに来ていた。大きな声で名前を呼ぶので、きまりの悪い思いをしたのをわたしはよく覚えている。車に乗り、しばらく走ると、左手に惣菜とパンの店が見えてきた。看板にはアルファベットで DELI BAKERY と書かれていた。
「デレク・ベイリーのCD、今日こそは返していただきます」と彼は言った。
「そんなことを気にしていたのか」と上司は笑った。「大丈夫。おまえは持ってきたもの以上を持ち帰ることになるだろう」
おまえは持ってきたもの以上を持ち帰ることになるだろう。それはまるでデルポイの神託のように聞こえた。彼は運命のうねりが身に迫ってくるのを感じた。しかし、現実は物語とは違う。成就しない予言。読まれない遺書。途切れる伏線。それが現実だ。
「デレク・ベイリーというのは、あのヴェーベルン風のギタリストだな?」
「そうです」
「あれをかけると、猫たちが爪とぎを始めるんだ。何か感じるものがあるのかもしれないな」
「猫たち、とはどういう意味ですか?」
「猫たち、とは」と上司は言い、長めのフェルマータを置いた。「猫の複数形だな」
「また拾ってきたんですか?」
「いや、拾っていない。拾ったのはちーちゃんだけだ」
「猫の方から入ってきた?」
「いや、入っていないし、出してもいない」
「じゃあどうして増えるんですか?」
「さて、どうしてでしょう」
「ちーちゃん、ベルリオーズ、リムスキー=コルサコフ、ストラヴィンスキー、お客様にご挨拶だ」と上司は居間の扉を開けて言った。居間には母猫のちーちゃんと、三匹の子猫たちがいた。上司が公園で拾ったとき、ちーちゃんはすでに出産を間近に控えていたのだ。
「里子に出すまでの幼名だよ。正式な名前は里親がつければいい」
猫たちは来客には関心がないようで、ストラヴィンスキーはリムスキー=コルサコフに背後から跳びかかり、ベルリオーズは伏せの姿勢でおしりを振りながら取っ組み合いに加わる間合いを計っていた。
「みんな元気だな。よし、そっちに掛けてくれ。いまコーヒーを淹れてくる」
( ・3・) まずはバイオグラフィからだな。ボブの経歴をざっとまとめてくれ。
――いえ、それをやっていると時間がなくなるので、今日は『ブラッド・オン・ザ・トラックス』というアルバムだけを聴きます。
( ・3・) それにしたって、そのアルバムの位置づけくらいは踏まえないと。
――では、Rate Your Music のページを見てください。
https://rateyourmusic.com/artist/bob-dylan
――アルバムが発表順に並んでいますね。デビューしてまもなく、1963年に最初のピークが訪れます。このころのディランがお手本にしていたのはウディ・ガスリーで、ギター、ハーモニカ、歌というフォークのスタイルで世に出ました。
( ・3・) 「はげしい風が吹く」か。
――「はげしい雨が降る」と「風に吹かれて」です。ディランは1941年生まれなので、22歳前には代表作を発表していたことになります。
――1965年から66年にかけて、二回目の、そして最大のピークが訪れます。演奏はフォークからロックへ変わり、詩の内容も変わります。
( ・3・) どう変わるんだ。
――初期の詩は、一言でいえば真面目で、真面目な人たちに支持されるものでした。そこに、散文的な感覚では理解できない要素が入ってきます。「イッツ・オールライト・マ」「デソレイション・ロウ」「ジョハンナのヴィジョン」といった大作が次々に書かれるのがこの時期です。
( ・3・) 理解できない要素というのは?
Inside the museums, Infinity goes up on trial
Voices echo this is what salvation must be like after a while
( ・3・) 「ダビデの職分と彼の宝石とはアドーニスと莢豆との間を通り無限の消滅に急ぐ。故に一般に東方より来りし博士達に倚りかゝりて如何に滑かなる没食子が戯れるかを見よ!」
――どうしました?
( ・3・) 西脇順三郎だよ。よく分からない詩には、よく分からない詩で対抗だ。
――なぜ対抗しなくてはいけないんですか?
( ・3・) ただなんとなく。
――はい。続けますが、1960年代後半は、ロックが急成長する時代です。しかし、ディラン自身は、その運動の先頭に立とうとはしません。1969年の『ナッシュヴィル・スカイライン』は、カントリーのアルバムでした。
( ・3・) 帽子に手を添えてにっこり。
――捉えどころのない人である、というディランのイメージは、このころにはできあがっていたと思います。そして、三回目のピークが訪れるのは、1975年。
( ・3・) 33歳。――それだけ?
――伝記的な情報はいろいろあるのですが――というか、常に伝記を参照しながら語られる作品なのですが――今回は知らないふりをします。「この女性は誰々がモデルだから」といったアプローチはとりません。捉えどころのない人、謎めいたよそ者であることを行動原理にしている人が、久しぶりに本気を出したらしい、くらいで結構です。
( ・3・) そう、じゃあ聴いてみようか。1曲目は――
――1曲目は後にして、2曲目から始めましょう。「シンプル・トゥイスト・オブ・フェイト」。「運命のひとひねり」という邦題がついています。
( ・3・) なんで? 有名な曲なの?
――ほかの曲より易しめだからです。ディランの重要な曲を挙げるとしたら、おそらく50位以内には入ると思いますが。
https://www.bobdylan.com/songs/simple-twist-fate/
She looked at him and he felt a spark tingle to his bones
――ディランの歌詞は本人のサイトで公開されているので、それに基づいて進めていきましょう。では最初のスタンザから、どうぞ。
( ・3・) 訳すの? 俺が?
――訳ではなくてもいいので、どういうことが歌われているのかを説明してください。
( ・3・) 夕暮れの公園に男と女がいた。女に見つめられると、男は体の芯に火花が走るのを感じた。彼が孤独を感じたのはそのときだった。彼は思った。まっすぐに歩いていればよかった、運命のひとひねりに気をつけていればよかったと。
( ・3・) そうだな。恋人たちがいい雰囲気になっているのかと思いきや、なんだか雲行きが怪しい。急に孤独を感じちゃったりして。
( ・3・) そうなの? で、まっすぐに歩いていればよかった、というのは比喩的な表現だな?
――もちろん。
( ・3・) われ正路を失ひ、人生の覊旅半にあたりてとある暗き公園のなかにありき――
――?
( ・3・) ともかく、この男はあるべき道を見失って、運命の力が自分に働きかけているのを感じているわけだ。でも運命って、注意していれば回避できるものなんだろうか?
――次のスタンザに進む前に、脚韻の形式を見ておきます。2小節ごとに改行を加えると、以下のようになります。
She looked at him and he felt a spark
( ・3・) 1行目・2行目・3行目の park, dark, spark で韻を踏んでいるな。4行目・5行目の bone(s), alone もそうだ。それから6行目・7行目の straight, fate も。
https://twitter.com/kedardo/status/1241415360672219137
――ついでにコード進行も確認しておきます。これは実際に鳴っている音ではなく、説明のために簡略化したコードです。元のキーはEですが、ここではCに移調しています。 [1]
( ・3・) いったい誰に対する配慮なんだ。
――まずは1小節目から8小節目まで。何か気づいた点はありますか?
( ・3・) 見たままじゃないか。ド、シ、シ♭と半音ずつ下がっていって、ラに落ち着く。
――はい。ラはサブドミナントのコードであるFの構成音です。しかし、まだラは終点ではありません。
( ・3・) 半音下降は続くよどこまでも。
( ・3・) Fの構成音は「ファ・ラ・ド」で、Fmの構成音は「ファ・ラ♭・ド」だ。長三度のラが短三度のラ♭になる。なんだか言うまでもないことを言わされているようだが、どこに誘導しようとしているんだ?
――ラからラ♭へ半音下がることによって、コードに影がさします。その箇所ではどんなことが歌われていますか?
――はい。彼が孤独を感じるのは、サブドミナントのコードがメジャーからマイナーに変化するときなんです。
( ・3・) ああ、それが言いたかったのか。つまり、コード進行と歌詞の内容とが結びついている、と。
――そうです。それから、もう一点。この曲は、コードが頻繁に変わる曲でしょうか。それとも、あまり変わらない曲でしょうか。
( ・3・) また誘導が始まった。1小節目から10小節目までは、2小節ごとにコードが変わる。C7からFへの進行を除けば、コードの構成音のうちのひとつが半音下がるだけだし、曲のテンポもゆっくりだし、あまり変わらないんじゃないか?
――はい。11小節目から12小節目、"and wished that he'd gone straight" と歌われるところはどうでしょう。
( ・3・) ここは2拍ごとにコードが変わる。あまり動かなかったコードが動きだす感じだな。
――"and wished that he'd gone straight" の "straight" は、この曲の旋律で最も高く、長く、強く歌われるところです。コードの動きと旋律との関係を見ると、11小節目に助走が始まって、12小節目の頭で大きくジャンプするようにできています。
( ・3・) ……ハーモニック・リズムと言えば済む話じゃないのか?
( ・3・) いったい誰に対する配慮なんだ。
( ・3・) はっさく食べる?