はてなキーワード: 小島慶子とは
仲のいい友達が最近「男って本当クソ」という話をしてくることが増えてて、
ただよくよく聞くと実体験ではなく大体TwitterとかInstagramで見たエピソードに憤りを感じた、ということのようだった。
それを聞いていて考えたんだけど、
本気で「人間は平等で全員等しく尊いはずなのに女性が蔑ろにされてる」という理由で怒りを感じているなら、
セックスができなかったり今までのように甘えられなかったりすることで夫が浮気をしてしまったとして、
妻側も、夫がそのとき確かに感じた欲求不満や寂しさに寄り添う努力をする必要もあったということなのでは?
この件の本当の再発防止策を検討するとしたら、
夫ができる限り我慢するのはもちろん、
妻も体調の良い日はなるべく手コキでもするべき、
みたいなことになるんじゃないか?
という話を友達へのアンサーとして返してみたんだけど、「すごいこと考えるね」と言われて終わった。
男性にこの話をしても妊娠中女性に手コキをされてもたたねえな…みたいな性癖の話になってしまってクソなので、
女性と「本当の人間の平等を目指した場合に、女性側に要請される歩み寄り、あるいは手放さなければならなくなる優位性」について話したい。
小島慶子にでもこれ送ればいい?
タグに「ブコメ見た感想」と付けたのですが、それを見逃されたのかと思います。ブコメを見た感想であって増田さんに意味を分かってもらう意図ではないので、分からなくても別にいいですよ。
ただ、「意味が分からない」と考える理由が、ちょっと論拠が薄弱というか無意識の偏見が透けて見えるけどなぁ、と思っているので書きに来ました。
あと、単純な文章の読み違いをされてると思うので、以下、ご確認いただき、訂正してほしいです。
痴漢は誰に聞いたって犯罪者であって、喫煙や飲酒より社会から甘い扱いを受けているということはないと思うのですが…。
文字制限もあったし主旨とは余り関係がないので省いたのですが、私が喫煙者を蛇蝎のごとく嫌っているわけではありません。逆に「インターネッツ」の酒たばこへの過剰な嫌悪感に引いてるぐらいです。過去のブコメを遡ってもらうとブコメってるかもです。個人的には臭い…と思う時もあるけどそれは私が避ければいいだけですし、例えばとても気持ちよくお酒を飲んでいる時に同席している人がゆっくり吸っているたばこの香りは、何だか良い感じだよねとすら思っています。それは凄く関係のない話ですが。
それよりも、「インターネットでは蛇蝎のごとくに嫌われがちな喫煙は、本来なら違法ではないのになぜ…」と思っています。違法でも何でもないたばこを、「インターネット世論(雑な括りですが)」的なものは蛇蝎のごとく嫌う傾向があります。一方で、文句なしに「性犯罪」である痴漢は、なぜか、被害者の言説を「おおげさだ」とか「そんな言い方をされたら痴漢扱いされたのかと思って傷ついたからお前たちの見方はしたくない」とかの留保が付きがちなのは何故だろうと考えています。別の記事にブコメったんですが、他の犯罪と比較しても、この手の留保が付く数は断トツに多いのではと思います。空き巣とか強盗とかに同じ反応する人は多くはないと思いますし、言うたら割とどんびきされると思います。
既に明確に犯罪者である痴漢をさら憎んで風当たりを強くする(これ以上どのように?)ことで問題解決になる、という不思議な主張も
これ以上どのように?と増田さんは思っておられますが、そもそも私は、増田の「既に明確に犯罪者である痴漢」というコンセンサス自体が、本当は、社会において形成されてないでしょ、と主張をしています。
前段を繰り返しますが、たばこや酒への(特にインターネット言説における)嫌われぶりと比べるとおもしろいと気付くかと思ったんでたばこを例に出したんですよね。更に繰り返しますが、同じこと、他の犯罪では一般的にはまぁ言われないと思うんですよ。空き巣や強盗に「冤罪」をいの一番に叫ぶケースは、あまり多くは見かけませんよ。実際には冤罪はいろんな犯罪で起こっているのに。このあたりから、「痴漢は明確に犯罪」は、まだ社会的コンセンサスが足りない状態だと考えています。もちろん、当然ですが痴漢への風当たりが無いとは一言も申しておりません。「もっともっと足りない」という主張です。勝手に読み替えちゃいや。
バイアスがあるとつい勝手に読み替えやすくなるよね、私も良くやるんですよ。お互い気を付けましょう。
あえて乱暴で雑な言葉で言いますが、「明確に犯罪である痴漢」が絶対的コンセンサスだったら、「助けなかったらお前も痴漢」なんて乱暴なこと言う人も出てこないんじゃないかと思うし、逆に「俺はやってないし助けられることがあれば助けたい、でも気づかないし知らなかったし、できないこともあるんだよな、ちくしょう、痴漢は性犯罪!クソ!」とかも、すごく言いやすいと思うんですよ。実際そう(女より先に痴漢が悪いだろ)言っている人も現段階でもたくさんいます。
でも、そうじゃなくて、俺をまるで痴漢扱いしやがってと「被害者」に矛先を向ける人もいる。発端の小島慶子の言葉は乱暴で雑でとっ散らかっていて、まぁいい気持ちはしないのはもちろんわかります。
でも、そこで「痴漢扱いするな」「助けなかったから犯人かよ」とケンカする意味の無さは「女の憎悪は何も解決しない」という増田さんの主張と、ちょうど同じ意味の無さですよ。
なのに、増田さんは「攻撃的な発言をする女性」と名指しています。なぜなんでしょう。
増田さんがもし、本当に論理的でフェアに思考をしていれば、両方に共に問題の責任を帰するべきです。でも増田さんも「そういう女」だけを責めている。セカンドレイプの構造と似ています。
なぜ、両方を責めないんでしょう。
オバハンが若い頃は、「酒席の無礼講」という名目のかなりの狼藉が「社会的に許容される空気」がありました。たばこもしかり。昔はちっちゃい孫を抱いたじいさんがすぱすぱタバコを吸っていたんですよ。でも、酒もたばこも、配慮や節度がない場合は顰蹙を買う、という「社会的コンセンサスの変化」によって、我慢できる人が増えたんです。何十年単位の時間はかかったかとは思いますが、「社会の空気の変化」によって、黙って迷惑に耐えていた人が、その被害を受ける機会が減少しました。痴漢という性犯罪に対しても、まだまだ全然やれることが足りてないですよ。
犯罪じゃない酒やたばこですら社会の受容度が変わったのだから、「痴漢は性犯罪だから無条件で軽蔑する」という人がマジョリティになれば抑止になるでしょうし、満員電車への対応策も本気で取り組んでくれるかもしれない、助けるの難しいと感じている人の罪悪感も、「うるさい女」ではなく素直に犯罪者に向きやすくなるのではと期待するし、そうなれば「男なんてみんな似たようなもんだ」的な諦念を抱える人も減るのではと期待します。繰り返しますが私はたばこは合法なので迷惑かけなければ何の問題もないと思っていますが、痴漢は明確に性犯罪です。
あなたのシラフの理性が言わせているというよりは、やがて抱えきれずに誰かに八つ当たりを始める攻撃心の萌芽のような気がします。
私はシラフでもあまり理性的ではない、残念な自負があります。あのブコメで理性を感じる方がむしろ誤読がすぎるでしょ、持ち上げてるふりしてるのかもしれませんけどそれなら下手すぎる笑
更に言えば、このようなセカンドレイプに近い「偽の論理」や、トーンポリシングめいた批判は、批判仕返すべきだと考えていますのでぜんぜん萌芽じゃないですよ。
繰り返しますが、何故同じ「無意味な攻撃心」を向ける「攻撃的な男」たちのことも、併せて主語にしなかったんでしょうか。いやー甘やかしてんな―と思います。「そんなこと言われたら俺ちゃん拗ねちゃうぞ」に付き合う気は私にはありません。セカンドレイプ臭がする上に、片方だけに付き合うことは、より「セカンドレイプ的な構造」になりやすいからです。いじめ被害者に「お前にもいじめられる理由があるんじゃ」というのに似て。
更に言えば、自分は理性的だ、人よりかなり頭がいいとかと自負してる人ほど、まぁ、まず、理性的で論理的であった試しがねえよな、とも思っています。
馬鹿じゃない人ほど、そこそこ論理を積み上げられる人ほど、自分の理性に酔った状態になるのかもしれません。馬鹿じゃない分たちが悪いというか、その自慢の理性をもって積み上げた論理の間に、だれもが持っている「非・理性」がもたらす偏見や思い込みがあることに気づきにくいことが多いんですよ、もちろん自戒を込めてです。だから私は敢えてエモーショナルな面を捨てないようにしてるところもあったりします。
私が増田さんや、増田さんに同意する人たちに「無意識のバイアス」があるんじゃ、と感じたのは、私にも「元被害者だった私」というバイアスがあるからです。逆の傾きから見てるからギャップがより大きく見える。被害者としては「なんで犯罪者そっちのけで被害側に文句言ってんの?そういう意見がコンセンサス形成を妨げると思うよ」と思います。
あちらとこちらには違うバイアスがあって接地面をフラットに接続するのはとても難しいことです。でも本当にフラットに接続したいんであれば、両方からその穴を埋める努力をすべきだと思うんですよ。なのに、増田さんは「攻撃的な女」をタイトルに据えた。なぜなんでしょう。
私は偏っていますが、増田さんや増田さん的な意見をおっしゃってる人は、ご自分もまた偏りがあることを自覚してないように感じます。私はそういう「お前どの場所からそれ言ってんの?」な状態の方が、私の攻撃性よりも自覚がなさそうなぶん余計に怖えよ、とゲラゲラ笑いながら思っています。シンプルに「女うるっせえ」と怒ってる人の方がまだギャップをお互いに埋める努力ができたりするよ、そういう人は自分が乱暴な場所にいる自覚があるから話が早い。
貴方はひょっとして、自分が理性をもって論理的に冷静にフェアにフラットにこの文章を書いたとか、思っていたりしませんよね?
最後になりますが、今は立派な攻撃的なオバハンなので、痴漢の被害にあうことは数年に1度ぐらいに激減しましたが、憎悪というか怒りは当然ありますよ、当たり前でしょう?あとセカンドレイプにも強い怒りを持っています。犯罪への怒りやセカンドレイプが「叩けるという快楽」だと思ってるんでしょうか。はは、呑気だね~~。
しかしその特定痴漢に対して仕返しをし損ねたのでその後もずっと恨みをため込んでいる。
その恨みをより広い相手にぶつけて受け止めてほしがる。
しかし主語デカ発言でお気持ちを受け止めさせようとする人に対し、人間はあまり優しくない。
そしてそういう精神構造には際限がないということを多くの人が人生のどこかで自覚しているから。
新卒で入った会社で職場全体のストレス源になっている物凄いモンスターお局様と遭遇し、意味不明ないじめを受け、
「高齢独身で働いてる女性は必ず精神不安定になり職場の害悪」という一般論をネットに何度も書くようになった。
私はせめて当該お局様のみを憎むべきであったのに、
社長のコネで引き取られていてアンタッチャブルなそのお局様に誰も対処できなかったフラストレーションから
「高齢独身で働いている女性」という風に対象レンジを拡大し、無関係な人達に八つ当たりをすることで留飲を下げていたのだ。
小島慶子さんにしても、
大元は何かまっとうに憎むべき相手と理由(体験)があったのだと信じる。
けれども対象拡大主語デカ発言とそれをしてしまう自分の精神構造とを検討して戒めることがなかったために、
八つ当たりで広範囲に嫌な思いさせることを狙うのがすっかり癖になってしまっているように見える。
自分の身にたまたま起きたことを一気に社会問題にまで拡大してくれるから。
そして同じ精神構造の同じ性格の人間が同じ理由ですでに集まっている。
そうして、仲間と一緒に主語をデカくしながら特定属性に範囲攻撃をし始めることになる。
自分の恨みや無念を無関係な人にも横暴にぶつけていける攻撃の実感と権力感で快楽が発生する。
このような時、社会思想の仲間というのは実はただの八つ当たりを好む性格同士の仲間だ。
個々の体験を共有するために乱暴な抽象化を行い、主語のデカい属性への攻撃で合意する。
何かの問題解決ではなく、本来の恨みへ復讐することですらなく、もはや八つ当たりの快楽自体を追い求めている。
男一般を凄く憎んでる女の集団がフェミニズムとかリベラルとか言われていても
でもどちらも「個人の恨みを八つ当たりにまで拡大してしまうことを自分に許してしまう性格」という同じタイプの人の集団で、
これについては保守とかリベラルとかはあまり関係がないと思う。
こういう主語デカ八つ当たりが好きな人というのは明らかにいて、そういう発言を多くしたりいいねや☆を付けたりしている。
野蛮な時代だとこの種の性格の人は「女は劣等」とか「朝鮮人は劣等」という”社会思想”に多く隠れていたんだけど
それは差別だとわかりやすいため不当さを批判されるようになり気分よくなれなくなってきたため、
今では「男は害悪」とか「日本人は劣等」という”社会思想”にも潜むようになっている。
これはその人達の性格の問題であって、本来の社会思想の問題ではない。
どのような思想であっても、主語デカ八つ当たりの快楽を求める性格の人が入り込む。
これ自体は社会の問題でも思想の問題でもなく、個人の性格の問題なので、
そう言う性格の人が自分で自分の精神構造に気付き、性格を戒めてやめていかなければいけないのだ。
本来の社会思想の人か、八つ当たり快楽追及者かの見分け方として、
人を助ける活動を地道にやることに重点を置いている人は前者の可能性が高まる。
右翼であっても私財を投じて日本人の子弟を扶けようとか援助しようという人間は立派な性格だし、
左翼であっても自分の頭と体で貧困者の面倒を見て汗を掻いている人間は立派な性格だし、
一方で「敵対陣営に嫌な思いをさせること」ばかり楽しそうに追及している人は右翼であれ左翼であれ尊敬しにくい。
痴漢については満員電車を減らすことと監視カメラを増やすことぐらいしか現実的対策がないと思う。
せめて小池百合子知事を憎む…のではなく強く働き掛けを行うことで実現に向かっていくことが建設的態度ではないかと思う。
このような現実ベースの話で異論討論が起きているのをあまり見たことがない。
しかし気持ちについては個々人が自分で解決していくしかないものだ。
自分の無念とか、それを他人に八つ当たりして受け止めさせたいという欲望とか、
自分自身一時的にスカッとしても、結局憎悪が膨れ上がるし、他人の分の憎悪まで勝手に持ってくるようになるし、
そうして自分が何年も何十年も憎悪と共に過ごすことになるだけだ。
自分のそういう性格を思想のように取り繕ったりしてはいけないし、誰かや社会のせいにしてもいけない。
それは自分の心のハンドルを自分で握らず、程度の悪い何かに預けてしまう行為に他ならない。
pikopikopan 攻撃を楽しむ人間になってはいけないには同意する。ただ一個人の力で対処出来ないことや境遇に恵まれてなかったことを該当者だけの責任にする訳にはいかない。
「一個人の力で対処出来ないことや境遇に恵まれてなかったことを該当者だけの責任にして済ませよう」
なんて話はどこにもしてないつもりですが・・・。
私は社会思想自体は否定していないということも繰り返し断っていると思います。
負の連鎖を防ぐ側ではなく生み出す側なので区別することが必要だし
当人にもろくなことはないため自分で戒めてその性格から脱却した方がいい
という話をしました。
kincity 性的イシューで「本来なんの関係もない無辜の男性」が「痴漢やクソリプしてくる奴」相手の注意指摘の文言に非常にヒステリックに噛み付いてくる心理について当人たちが認識・分析すべきでは?何故黙ってられない?
個別の事例次第ですが
痴漢について男性全体を巻き込んで非難したり責任を分担させようとしたりする発言については、八つ当たりが含まれており反発があるのは仕方ないと思いますし、それについては八つ当たり発言者が「始めた人」だと思います。
ただしそのような八つ当たり要素が無い発言に対してもクソリプはゼロにならないことは確かです。
dogear1988 増田がそうだった様に、人が傷を癒すにはそうした言動をする期間が大なり小なり必要なのだが、ネットではそれに対する批判が集まる過程で寧ろ反発心を強め、誰も幸せにならない悪循環。難しいね。
個人的には、ネットで情緒的に人とつるむこと自体をやめた方がいいと思っています。
twitterやはてなブックマークなどでは八つ当たり仲間を見つけるのは簡単すぎます。
ああいうアクションは社会を良くしないし、自分の心も良くしないし、
なのに社会思想風看板やのなんらかの大義名分がくっつくと何か立派なことをしてる気持ちにまでなるんです。
skgctom 何で「私は職場で高齢独身女性に酷い目に遭わされたので高齢独身女性が嫌いだ」を「高齢独身で働いてる女性は必ず精神不安定になり職場の害悪」と言い換えたのだろう。「酷い目に遭った私」はどこへ行ったの?
えーと
だからまさにそれについての話だったんですが
「私は職場で高齢独身女性に酷い目に遭わされたので高齢独身女性が嫌いだ」
「ある高齢独身女性に嫌な目に遭わされたので、別の無関係な高齢独身女性を見ても条件付けで嫌な気持ちが起きる」
という事実と自分の心の動きを高度に客観視して把握してますよね。
そういう人なら無暗に無関係な人を攻撃したり八つ当たりしたりしないわけです。
自分の心が無関係な高齢独身女性に嫌悪感を持つのは自分の心の問題であり、対象のあの人に責任の無いことなのだ
とわかっているんです。
高齢独身女性全般への嫌悪の反応を正当化する方へ向かうんです。
「実際結婚もしてない人ってみんな最後はヒステリーお局になるんだよ、嫌われて当然。きもい。迷惑だよねー」とか。
自分の中の恨みとか不快感とか攻撃欲を正当化するために、八つ当たりを肯定するために、
というかskgctomさんは
「高齢独身で働いてる女性は必ず精神不安定になり職場の害悪」が
不適切な八つ当たりの例であるということは理解してくれているでしょうか?
grdgs 「お前ら攻撃的。お前ら口が悪い」と常々言っている人たちが得てして普通に攻撃的で口が悪かったりするので、そのような鏡がない人たちにも伝わるといいですね。
あなたは日本人に対する差別的発言を(わりと許される空気もあったため)繰り返していたところ
風向きが変わって非難を浴び面目を失った人だと理解しています。
日本人全体を憎悪して差別的呼称を繰り返すというのはやはり主語デカ八つ当たり病だったというほかないと思うし、
そのうえで…
1.「差別発言」を咎められたのを「言い方の乱暴さ」を咎められたというようにすり替える意図であれば感心できません。
2.仮にあなたと同レベルの差別的発言をあなたの”敵”がやっているとしても、それはあなたを正当化しません。
(これはこの文の主旨の主語デカと別の話なので本当に蛇足ですね。)
建設的な日本批判日本人批判をしてくれればちゃんと読みたいと思います。
differential どう対策しても痴漢をゼロにできるとは思わないが、過去と現在の喫煙や飲酒への風当たりの変化を知るオバハンは、痴漢もっともっと風当たり強くなって良くね?とは思う。喫煙者より無条件に嫌われるべきと思う笑 ブコメ見た感想 知らんけど 無自覚バイアス
痴漢は誰に聞いたって犯罪者であって、喫煙や飲酒より社会から甘い扱いを受けているということはないと思うのですが…。
また「喫煙者が無条件に嫌われるべき」というのも危ういものを感じます。
私は喫煙者の健康被害の観点から煙草は社会からなくなる方が良いと思っていますが
問題解決ではなくあなたが何かを憎悪して快楽を得たいだけに見えるので与したくありません。
既に明確に犯罪者である痴漢をさら憎んで風当たりを強くする(これ以上どのように?)ことで問題解決になる、という不思議な主張も
あなたのシラフの理性が言わせているというよりは、やがて抱えきれずに誰かに八つ当たりを始める攻撃心の萌芽のような気がします。
ほんとにこの80〜90年代通学電車痴漢被害があまりにも過酷で当たり前だったことを考えるとだな、日常的に出勤前や帰宅前に見知らぬ子どもに性加害したり、それを見て見ぬ振りしたりして、平気で職場や家庭で「普通の人」をやってた男性が相当数いた/いるってことに思い当たって戦慄しますね。
https://twitter.com/account_kkojima/status/1274852733527494659
これが否もあるとはいえ、賛もある賛否両論になるって日本やばくない?
つまり、性加害者だけじゃなく、それに気づいて見て見ぬ振りをした"男"はもう「普通の人」ではないって主張してる。
男性は他の男性が犯す罪への責任を負う必要は無いなんてのは前提以前の話。じゃあ見て見ぬ振りした他の女性は?
日常的に出勤前や帰宅前に見知らぬ子どもに加害したり、それを見て見ぬ振りしたりして、平気で職場や家庭で「普通の人」をやってた黒人が相当数いた/いるってことに思い当たって戦慄しますね。
もしいまこんな発言したら社会的に死を迎えるレベルの発言だよ。
「同性婚が認められると、あなたにどんな不利益がありますか?」木村草太、小島慶子、ブルボンヌが同性婚の実現性を探る
http://fairs-fair.org/marriage-for-all-event-vol2/
という側面がやはりかなり強いように見える。
ブコメでもあったけど、昔からの家を守り、子供を生み、財産を受け継がせ、更にその子が次へ続けていく。
というローテーションそのものが国家の利益につながり幸福になる人が増大する。
そのために、全国民(男性、女性、独身、LGBT、老人、etc)から税金を徴収し結婚した人に重点的にお金を再分配するという構造になってる。
とかそういう感情的な側面も理解できるけど、現実問題として現行法はそうなっていない。
って言い分もわかるけど、現行法はそうなってない。
ただ、その上で同性の人が一体同性婚をすることで何を求めているのか?
ということをもっと理屈を突き詰めないと同性婚は実現しないと思う。
生産性というよくわからない単語とか、よく言われる同性が付き合うのは気持ち悪いとかいうたわごとはどうでもいい。
記事では理屈ではなく感情にも配慮すべきとかいってるけど、まずそもそも理屈を理解してないんじゃないのだろうか。
ってのが透けて見える。
つまり同性が堂々とつきあって、同性同士で道端で手をつなぎあったり、レストランに同性で入ったり、ラブホに入ったり。
というような問題に絞られると思う。
でも、それを実現するために現行法の婚姻制度を使ってしまうと子供を生み育てるためという理由と衝突する。
つまりやるべきことはパートナーシップ制度をもう少し洗練させて国法とするか
を分離させるしかないと思う。
「同性婚が認められると、あなたにどんな不利益がありますか?」木村草太、小島慶子、ブルボンヌが同性婚の実現性を探る | http://fairs-fair.org/marriage-for-all-event-vol2/
利害関係というのは利があるか害があるかという記述そのままイメージしやすい言葉ではあるが、もう少し掘り下げて考えてみるべきではある
利害関係は「利-利関係」による協調と、「利-害関係」による敵対によって成り立っているものであり、これは双方とも一種のコミュニケーション関係であるはずだ
「利-利関係」による協調支援と、「利-害関係」による敵対競争によって議論はより成熟していくのだが、中には一切その議論に関わりたくないと考える者も確かに居て、そういう層の自由は奪われるべきではない
よく言われる「アナタがもしその立場に立てば」「協調するとアナタの利益にも協調して貰えるかも知れない」という文句
例えば、極論かも知れないが「高校生カップルの婚約・婚姻を社会的に推進していくべき」という立場へ協調を求められた場合どのようなリアクションを取れるのか
人によっては「子供はまだ判断が未熟だから」と否定する者も居るであろうし、心無い者は「子供の恋愛は遊びだ」と断定し、その十数年が人生のすべてである高校生を酷く傷付けることもあるかも知れない
高校生はその十数年の人生によって「本気」で考えており、二十年の人生の「本気」や、五十年の人生の「本気」や、百歳の人生の「本気」と比較して価値が低いはずがない
人生の長さに関わらずそれぞれの「本気」は平等に評価されるべきであり、現代日本社会の中で困難に遭遇する物事へ突き進もうという恋人同士の、本気で同性恋愛を、本気で同性婚姻を進めようとする者が、子供同士の恋愛や婚姻を制御しようとするのは正しいのか?
ここまで言われれば「本気」である者の中に出てくるのではないか?
「この議論に口を出すとむしろ不利益になる。協調も敵対もせず静観することが最も自己の利益に繋がる」と考える者が
「協調はしない、そして敵対もしない」と言われた際、そのような発言が真っ当な社会の権利であると認められ、このような発言をすること、つまり「協調」「敵対」「静観」がそれぞれ同等の「発言をしたことに価値がある」と評価を受ける社会へとなった際、アナタたちはその人物をどう考えるのか?
政治で言うところの「無党派層」どころでなく「無投票層」であるその人物をどう考えるのか?
つまり、実際のところ利害関係のみによった社会運動の行動指針や判定は誤っている可能性がある(誤っていると断言はできない)
これまでの社会運動は結局市井へ対して「利害関係を持てと強制する」動きであり、この強制へ気付いている者がどれだけ居るのか?と考えるし、全く別の行動指針や判定を開発する段階へ来ているのではないか?と推定している
『「専業主夫」になりたい男たち』(白河桃子)の著者と小島慶子の対談の章にあったんだけど、均等法第一世代~バブル期の働く女性ってのは、働く必要性が全然無いのに敢えて働きに出た。それは自分が他の女とは抜きん出た特別な女(男と対等に渡り合える、自分の稼ぎがある、専業主婦ではない)になりたいって動機が強かったらしいので、どうしたって専業やパートの主婦を馬鹿にすることになるのよな。人を馬鹿にする為だけに頑張ってたとも言えるだろうし。
という事は、現在の女性は自己実現の為というより食っていけないから働く人が多いだろうから、バブル世代の働く女性とは価値観が違ってそうだ。
バブルの頃はバリキャリはまだマイナーな存在で、旦那の地位権力を笠に着た専業主婦の強者とは気合いで互角の糞の投げ合いをしていただろうけど、今や専業主婦を圧倒しているし、勤労女性の多くも困窮しているので、バリキャリが自分の力を誇って他の女を叩くのはただの弱いものいじめになってしまった。
https://www.buzzfeed.com/jp/keikokojima/metoo-ga-kirai-na-anata?utm_term=.xfaz2JW6YR#.tk1aAMm8dO
うーん、最後の最後でYesNo質問して「暴力ふるってきた人」と「#MeTooへの参加者」とで区別分離させてて嫌らしいなぁと思った。前半ではスウェーデンの例出して暴力ふるった人も性的役割に悩み苦しんでるって書いてたのに、どうして最後に「暴力ふるってきた人」を突き放すような書き方をするのか。
多くの人間は現在の自分を肯定してるし、その肯定する過程には過去の「セクハラ・パワハラ何でもありの社会で経験を過ごしてきた自分」がいるわけだ。そういう過去を過ごしたから現在の自分があると思っている。だからたびたび「昔は良かった」的な感想が繰り返されるし、その「昔」も世代の切り口でまた変わる。そうした「自分の経験」から、考えて「Noではない」と答える人もいるだろうに、2択しかない質問では全員「暴力ふるってきた人」と断罪される。
はあちゅうが批判されたのは過去の「暴力」的な発言についてだが、そういうマッチョな人でも誰でも#MeTooに参加できるし、現在形でそういう人にも参加を呼び掛けるのがPC的に正しい呼びかけではないかと思うのだ。
東大・社会学の先生に聞いた「私たちのまわりに“いい男”がいない理由」
http://wotopi.jp/archives/53980
女性が高学歴・高収入化している今の世の中にあって、女性が望む旧来のような上昇婚は難しい、同類婚ですら厳しい、とのことだ。
世間では、よく「高望みしてるから彼氏ができないんだよ」とか「スペックなんか関係なく本当に好きな相手と結婚すべき」とか言われ、女性が上昇婚を目指すことは否定的に捉えられている。男女平等が以前より進んだ今、女性が上昇婚なんか望むから、求められない男性が増えて結婚率が低下している、とまで言われ、上昇婚を望むこと自体が悪者扱いだ。今時の若者は向上心がないとかさんざん文句垂れてるくせに、結婚相手に対してだけは、上を目指そうとするのは批判される風潮。
そもそも男性だって多くの人は女性を選ぶときに若さや容姿のよさを求める人はたくさんいるだろう。そういう意味での上昇志向が批判されることは少ない。
私は、女性がより自分より高スペックな男性を求める上昇婚志向に賛成だ。理由はしたに書く。自分も、運よく自分より上だと思える相手と結婚できた。これは本当に運がよかった。
日本でしばらく働いた後に、海外の大学院に入り、卒業後はそのまま海外で就職した。でも長く住むのは日本がよかったので日本に帰ってきて、それなりのお給料をもらっている。
偉ぶるつもりもないが事実としてたぶん学歴や年収でいったら、日本人女性のうち上位3%くらいにはいるのだろう。そうすると、自分より上にいる男性というのは、数が少ないうえに基本売れているので、本当に出会いがないし、仲良くなっても私の経歴などがわかった瞬間引く人が多い。お見合いサイトなどにも登録したが、そもそも自分より上だなと素直に思える人がおらず、結局外国人と結婚した。
ひとつは、一昔前より男性が育児参加するようになったからといって、妊娠して出産するのは女性側なわけで、産休育休の間しばらくは社会から離れ、給料が下がってしまうのは圧倒的に女性側だ。そのときに頼る相手は基本夫なわけで、それが自分より頼れない相手だったら安心して子供を産めない。この頼る、というのは基本的には金銭的に頼るという意味だ。別に夫が不慮の事故で働けなくなったからといって離婚するとかそういうことではない。自分で貯金もしているので平気だとは思っている。でも、起こる可能性が比較的高そうな事態なので、そのときの金銭的に余裕があるかどうかは重要だ。
セックスは色々な体位やプレイがあろうとその成り立ちからして、基本は「男が女を攻める」という男性優位な構造だ。私はどうにも、自分より優れていない(と自分が思う)人からセックスの際に攻められるのが我慢ならない。優れているかどうかのポイントは私にとっては「稼げる能力」だ。小島慶子さんの日経デュアルの記事にも、夫が専業主夫で妻が稼ぎの大黒柱の夫婦がベッドに入った間だけ女のロールを演じなければいけないことに違和感を持つ妻の話が出てくる。人によっては、優劣の基準が顔面偏差値だったりするかもしれない。
だから、将来こういうことが気になりそうだな、と思う結婚したい女性は、「上昇婚(笑)」なんて揶揄する外野は自分の人生に関係ないんだから無視して、どんどん自分より上だと思える人に出会えるように活動してほしい。せっかく頑張って勉強して働いて身につけたものを評価しない人や世間のいうことなんて聞く必要がない。日本で無理だと思ったら、海外に出ましょう!アジア圏以外では、高学歴・高収入女性のほうがモテるし、日本では上位層が売り切れてても世界市場で見れば上位層はたくさんいるから。